本善寺境内諸堂配置図

境内のご紹介

 蓮如上人によって創立された本善寺は、本願寺一家衆、大和一国総与力檀家とされ、中世大和浄土真宗寺院の最高峰に位置していた。国中に浄土真宗の布教活動が本格的に展開される中世末までは下市の願行寺とともに布教の拠点として存在していたため、天文元年(1531年)興福寺やその衆徒によって打ち壊され、あるいは天正6年(1576年)織田信長の命で筒井順慶の吉野攻略に際して焼き討ちされ、現在の本善寺は江戸時代中期以降に整備された寺観を伝えている。
 境内は、地形の制約を受けて東西にながく、北辺には築地塀が築かれているが、その他の三辺は自然地形のままになっている。
 平成22年1月15日付けで、本堂をはじめ11件の建物{本堂・蓮如堂・同拝堂・経蔵・鐘楼・茶所・大玄関・客殿・御成御殿・山門・庫裏(大台所)等
のほぼ全伽藍〕が、国の登録有形文化財に指定された。
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■ 山 門

 一間一戸 薬医門 総欅造り 本瓦葺
 木鼻や板蛙股の絵様は本堂の本堂の絵様に
共通した形式であり、表門も本堂に引き続いて
建立されたと考えられる。

■ 大 玄 関

  桁行6.61m 梁間7.69m 一重 北妻入母屋造
  軒唐破風付き 南切妻造 檜皮葺 北妻以外銅 板包
 玄関と客殿は、本堂建立後間もない頃(明和9年)
に建立され、安政6年に修理が行われている。

■ 蓮如堂拝堂

  桁行3間、梁間2間、入母屋造、北面中央階 隠付、本瓦葺、四方に縁を廻し、内部を一室に した建物であ る。
 拝堂は、蓮如堂に引き続いて宝暦4年のご建立。
 蓮如堂と拝堂の間には、蓮如堂と拝堂の意匠に調和するように向唐破風造の繋廊が明治14年(1881年)に掛けられ 、蓮如堂と拝堂が一体的な構成になっている。この形式の建物は、霊廟建築様式を伝える貴重な遺構である。
 
 蓮如堂・拝堂共に、蓮如上人500回忌を機に大修復された。その際、屋根裏より「延享五戌辰天二月十七日」の日付と「大工頭領 藤原市郎兵衛」の文字の入った槌が出た。

■ 蓮如堂(開基堂)

  蓮如堂は、本善寺開基の蓮如上人御影像の納まったお厨子を安置している方一間の小規模な仏堂である。
 主要な部材には欅を用い、軒廻りの組物や向拝の軒を唐破風にするなど 華やかな意匠の建物で、建立年代は延享四年である。
  桁行1間、梁間1間、宝形造、銅板葺

■ 蓮 如 上 人 御 廟

■ 蓮如上人御像

本 堂
 桁行 18.28m 梁間 19.33m 一重入母屋造  向拝一間  本瓦葺
   外陣三方に広縁を廻して内陣の両脇に余間を配し、その後方に後堂を設け、内陣は 当初から後門形式にした格調高い意匠を有する仏堂で、大和吉野の真宗中核寺院とし ての存在感のある大型本堂である。
  建立年代は、構造手法に新旧の要素が入り混じり、浄土真宗の本堂形態が大きく変 化する17世紀末から18世紀初期の建立(寛文年間)と考えられる

茶  所 ・ 鼓  楼
 桁行き7.91m、梁間6.96m、
二重三層入母屋造、本瓦葺
  茶所は外観重層、内部三階建てで、一階部分は、茶所
二階は踊り場、三階は望楼を目的としたと考えられる部屋
が設けられている。三階は方一間の一室のみで、東・北・
西面に窓を設け、飯貝や上市の町を見渡せるようになって
いる。建立は寛政二年である。