山頂 | 槍ヶ岳 |
分類 | 無雪期縦走 |
日程 | 2005年7月28日〜8月1日 |
概要 | 中尾温泉〜中尾峠〜焼岳〜西穂高岳〜奥穂高岳〜槍ヶ岳〜笠ヶ岳〜新穂高温泉 |
コースタイム |
7/28(木)駐車地4:50〜中尾峠7:15-7:30〜焼岳頂上8:35-8:50〜焼岳小屋9:45-10:00〜西穂山荘13:05 7/29(金)西穂山荘4:40〜西穂独標5:40〜西穂高岳6:45-6:55〜間ノ岳8:05〜天狗岳9:05-9:10〜ジャンダルム登り口11:15〜馬の背手前ピーク12:20〜奥穂高岳12:40〜穂高岳山荘13:20 7/30(土)穂高岳山荘5:00〜北穂高岳7:35〜A沢のコル9:00〜長谷川ピーク9:20〜南岳小屋10:50-11:00〜中岳12:35〜槍ヶ岳山荘14:00 7/31(日)槍ヶ岳山荘5:05〜千丈沢乗越5:50〜樅沢岳8:20〜双六小屋8:45-9:00〜弓折分岐10:05〜弓折岳10:15〜大ノマ乗越10:25-10:35〜秩父平11:50〜抜戸岳13:00〜笠ヶ岳山荘14:10 8/1(月)笠ヶ岳山荘5:20〜笠ヶ岳新道分岐6:10〜杓子平7:05〜林道9:25〜新穂高温泉10:20 |
ぐるっと新穂高温泉一周山行 〜焼岳から笠ヶ岳まで〜 |
プロローグ |
槍穂高周辺で、まだ登っていない山、歩いていないコースは、焼岳、笠ヶ岳の2山と西穂高独標から奥穂高岳のコースだった。地図を眺めていたら、しんどそうだけれども、それを一辺に達成できるルートがあることに気づいた。しかも、車で行ってまた駐車場にもどってこれる。
中尾温泉に車で入り駐車、焼岳にのぼりそのまま西穂高山荘行く。西穂高山荘から穂高岳山荘、槍ヶ岳山荘、笠ヶ岳山荘、笠ヶ岳を越えて、中尾温泉にもどるというルートだ。時期は、もっとも天候が安定するであろう7月下旬に決めた。残念ながら、他に休みのとれる人がなく、単独行となった。
前夜 〜 混浴露天風呂は!? 〜 |
家を午後2時過ぎにでて、中尾温泉には6時頃着いた。川の畔に露天風呂(混浴)があり以前に入ったことがあるので、海水パンツの用意もしていった。残念!ながら若い男性二人しか入っていなかった。お湯は以前よりぬるくなっていて、このあたりは夏とはいえ、午後6時ともなると結構冷える。風邪を引かないくらいまで入って車にもどった。
焼岳の登山口までは、中尾温泉街を越えて林道を少し登る。車が10台程度止められる場所があることは、インターネットで調べてわかっていたので、そこで1泊することにした。車は私の一台だけだった。スーパーで買ったお弁当とビール3本で夕食を済ませ、就寝。天気もよく明日は期待できるだろう。
1日目(7月28日木曜日) 〜 はるかなり西穂山荘 〜 |
4時起床。パンを食べ、4時50分には歩き始めた。中尾峠までは樹林帯の中を行く。クモの巣が顔や手にからまってうっとうしい。3時間弱で中尾峠。すばらしい眺めだ。北には穂高連峰と槍ヶ岳、西には笠ヶ岳、東には上高地の大正池が見下ろせる。今回縦走するコースすべてを見渡すことができた。焼岳には往復するので、20kg強のザックはデポしていこうかとも思ったが、安全策をとって担いで行くことにした。
焼岳は、すぐそこにそびえていてコースタイムは1時間10分となっているが、そんなにかかりそうもないと思った。実際登ってみると、案外大変で1時間の登りだった。高度を上げるごとに眺めもよくなり、ついつい写真を撮ったり風景に見とれていたりして時間を食った。登山道横から蒸気を上げている箇所もあり、硫黄のにおいがあたりに漂っていた。
焼岳は北峰と南峰があるが、北峰しか登れない。頂上には先客が一人いたが、あとから二人三人と登って来られた。快晴のもと雄大に広がる景色を存分に楽しみ。ふたたび中尾峠を経て焼岳小屋に向かった。焼岳小屋に着くと、人が多かった。ほとんどが上高地から登って来ているようで軽装の人が多い。これから西穂高方面に行くのは私くらいだろう。
西穂高への道は、笹が切り払われていて道が笹に埋まっている。明瞭であるが、あまり人が入っていない感じであった。樹林帯の中の道は、木の根をつかんで登るところや、笹が生えた道の急斜面のトラバースなどもあり、なにげなく危険な場所も多かった。まるで、大峰や大台の道を歩いている感じだった。また土の道もよく滑った。こんなところで転落したらしばらくは発見されないだろうなあ、と考えながら慎重に足を進めた。なかなか西穂山荘は近づかない。いいかげんそんな道にも飽き飽きしてきた頃、槍見台というところに着き、西穂山荘が見えた。しばらく下って、もう一度登りかえせば着くことがわかった時はうれしかった。最後1時間はトウヒの森の中の快適な道だった。上高地からの道と合流して一登りで西穂山荘に着いた。14時だった。
小屋周辺はお花畑になっていてきれいなところだ。天気もいいので多くの人がテラスでビールを飲んだりしている。私も生ビールを一気に飲みほした。団体客も多く、朝日旅行かなにかのツアーもあったのか、歩き方の講習などもしていた。テント場は快適だったが、蚊が多かったのが難点。
2日目(7月29日金曜日) 〜ガスの中をひたすら登攀 〜 |
朝からガスの中、ヘルメットをかぶって4時40分に歩き始めた。ちょっとヘルメットは大げさかもしれないが、落石などからの安全を考えれば、かぶったほうがいいと判断した。団体客を追い越したが、彼らは独標まで行かれるようだった。
独標までは、1時間。ピラミッドピークを越え、さらに西穂岳まで1時間20分くらいかかった。まわりはガスで、展望はない。自分がどこにいるのかがつかみにくい。
これからが本番だ。気を引き締めて歩き始める。ペンキでルートはわかりやすい。それに導かれて、岩を登り(本当に初級の岩登りみたいなところが多い)、また降り(クライムダウンのところがほとんど)、その繰り返しだ。鎖があるところもあるが、ないところも多いので、気をつかう。基本的には鎖があっても、岩のホールドを頼りにするのが安全だ。なぜなら、鎖はブラブラで岩はガッシリしているからだ。手足のホールドはたくさんあるので、3点支持を守り、高度感に耐え、バランスを保てばなんとかなる。荷物を背負っての登攀なので、ザックがひっからないようにとか、バランスをくずさないようにとか気をつかう。途中、同方向に向かう3組くらいのパーティと会った。
何度、登り降りを繰り返しただろうか。とにかく目の前の課題をこなしていくだけで精一杯だ。間ノ岳の登りは、資料では悪いとされていたが、特に感じなかった。逆層スラブといわれる岩場の登りは、下部は別に鎖を使わなくても登れるのだが、回り込んだ先上部3mほどは、つるつるの岩なので鎖をつかんで、強引にゴボウで登った。天狗の頭には9時に着いた。人が結構たくさんいた。なかには子供を連れた人もいたのでびっくりしたが、母親やそのお父さんはザイルやシュリンゲ、カラビナなども持っていたので、岩登りをしている人達だろう。子供をザイルで確保しながら、奥穂から来たようだった。また、近くの鞍部にテントを張っている人もいて、天気の回復を待って昨日から居るそうだ。写真を撮りたいのだろう。また、山岳ガイドとマンツーマンで来られている女性もいた。ずっとアンザイレンしていて、危険箇所ではガイドが鎖の支点を使って、ザイルで確保しながら、下降させていた。
11時には、ジャンダルムの手前に来た。そのガイドパーティーが先に登り、彼らはジャンダルムの頂上にも行ったようだが、私は、頂上へは行かず、途中からトラバースした。
12時15分頃、霧の中、前方にするどい3角錐のような岩が見えた。基部まで行くとカタカナで「ウマノセ」と書いていたので、奥穂への最後の岩場の「馬の背」だとわかり、もうこれで終わりかとほっとした。ナイフリッジを登り、奥穂へ向かって歩いているときには、ついに私はここまで来たんだという満足感、充実感と誇りにあふれていた。奥穂高山頂には12時40分に到着。朝出発してから8時間だ。強風が吹いていたので、さっそく下山。その途中、仏様のはからいか、霧が晴れ、ジャンダルムがその姿を現した。写真におさめ、そこから40分ほどで穂高山荘に着いた。その頃からしばらくは霧も晴れていたのだが、テントを張ってしばらくしたら、雨が降り始め、夜も雨がテントをたたいていた。小屋の水は、150円/リットル。トイレは洋式もあり快適、ウォームレットだった。外部の人間は、一回100円だが、テント泊の人間は何度行ってもただ。
3日目(7月30日土曜日) 〜またもやガスの中、最後はすばらしい展望 〜 |
朝方まで、雨がパラパラ降っていたが、4時過ぎにはやんでいた。天気が悪いので起きてからぐずぐずしていたら、出発は5時になってしまった。涸沢岳を登って、下りがいきなり鎖場だった。岩は雨で濡れていて滑りそうだし、ほぼ垂直に20mはある。慎重にスタンス、ホールドを見つけてクライムダウンしたが、いっぺんに目がさめた。前日の西穂〜奥穂の縦走を彷彿とさせるもので、今日も油断ができないなと、気持ちを引き締めた。北穂高までのあいだには、いくつかの鎖場があり、いずれもハンパじゃない。けっこう時間がかかり、北穂山荘に着いたのは7時30分だった。ホッとし、リンゴジュースを買って飲んだ。
これから、長谷川ピークを越えて、大キレットだ。気を引き締めて、歩き始めた。北穂の下りは永遠につづくかと思うくらい長い。しかも急だ。これが飛騨泣きといわれるゆえんか。やっと降りたら、A沢のコルと書いてあった。長谷川ピークへの登りも登攀の部類だったが、切り立ったナイフリッジのトラバースには、15年前にはなかった金属製の足置きがつけてあった。Hピークと書いてあるピークを越え、歩いて下って行くとやがて、上りになった。上から降りてきたカップルに「大キレットはどこですか?」と訪ねたら、その二人もさあ?ってことで、二人は、南岳の小屋からずっと降りてきただけですとのたまう。「ということは、もう大キレットは過ぎたんだ。気がつかなかった。」と言ったら、女の子に大受けで手をたたいて笑っていた。結局それは大キレットの登りになっていて、それからは、ハシゴと登攀の連続だった。やっと南岳についたら、岩に「ここまできたあんたはエライ!」と書いてあった。
南岳の小屋は山頂のすぐ下(となり)にあり、しばし休憩した。後は楽々コースのはず。砂礫の稜線をのんびり歩く。これで展望がよければ言うことはないが、雨が降っていないだけましと慰めながら歩いた。
中岳には大きな雪渓が残っており、そこから流れ出る水が冷たくておいしかった。
ずっとガスの中だったが、大喰岳を過ぎたあたりから、明るくなり晴れそうな雰囲気がした。カメラを構えて待っていると、目の前に見事な槍ヶ岳が姿を現した。これだけ迫力のある槍を見たのは、久しぶりだった。テント場には午後2時に到着。槍ヶ岳はとにかく人が多く。穂先へは人が鈴なりになっていて、渋滞している。とても登ろうという気にならなかった。生ビールをぐいっといきたかったが、1000円もするので、350ml缶ビールでがまんした。
槍ヶ岳のテント場は、数字が書いてあって、受付でどの場所か選ぶ。何番がいいか見当をつけていないと、けっこう不快な場所もあるから要注意。このシステムも以前にはなかったものだ。幸い、私が選んだのは岩陰にある平らな場所でラッキーだった。すぐ下には、高校のワンゲル部がテントを張っていて、高校生の活発な(下品な)声がこだましていた。、槍ヶ岳山荘は内部はとてもきれいで、従業員が槍ヶ岳山荘と書いたはっぴを着ていたりして、まるで旅館のようだった。なお、水は200円で天水ゆえ、飲む場合は煮沸してからにするよう注意された。この日は、夕立はなかった。夜は満天の星だった。
4日目(7月31日日曜日) 〜 はるかなり笠ヶ岳 〜 |
3時に起床。テントを4時半には撤収して山荘前で写真を撮るために三脚を立てて待機した。ご来光を一目みようという登山客で混雑し、大変だった。カメラの前にどこかのおばさんが立ち、視野にはいるので、すこし下がってくれるように言ったが、何度も入ってくるのであきらめてカメラを前に出さざるを得なかった。不愉快。雲が地平線上にあり、少し遅れて太陽が顔を出した。山上のご来光は久しぶりだった。
写真を撮って5時10分に下山開始。槍から見た笠ヶ岳ははるか遠くで、今日中にあそこまで行けるのかなあって感じだ。西鎌尾根はガレの道で快適に下っていったが、油断して両足がすべり尻餅をついてしまった。そのはずみで右手のひらを切って血を出してしまった。
千丈乗越まではコースタイムの半分で下った。そこから樅沢岳までは、ひさしぶりに土の道でやさしい感じがした。樅沢岳の登りの途中で、双六から槍に行く途中の東さんに会った。お互いに日程、コースがクロスしているとは思っていなかったので、びっくりした。
双六小屋はきれいな小屋で、生ビールは800円だったが、まさか飲むわけにもいかず、トロピカルオレンジジュース300円を一気に飲みほした。小屋でジュースを飲むのは、クセになりそうだ。それにしても、遙かなり笠ヶ岳である。
弓折岳を越え、ぐっと下って大ノマ乗越、また登って下って秩父平。また登って抜戸岳。そこから眺めた笠ヶ岳は三角錐型で大きくそびえていて風格があった。さすが百名山だけのことはある。午後1時頃からガスが出始め、雨がぽつりぽつりきた。遠くで雷鳴が聞こえた。雷だけはご勘弁願いたいので、休憩も省略して笠ヶ岳山荘に急いだ。14時10分に到着。とりあえずビールを飲み、テントを張り終わった頃には雨は本降りになっていた。
テント内で鶴瓶のラジオを聞きながらウィスキーをお湯割りで飲み、食事も済ませ、コンタクトもはずし、そろそろ寝ようかと思っていると外で人々の声がする。テントから外をのぞいてみると、なんと雨も上がり槍穂がきれいに見えるではないか。笠の頂上も姿を現している。いそいで雨具を着てカメラを三脚に取り付けテントを飛び出した。ガスが再び出てきて、背後から太陽の光を浴び、ブロッケン現象を初めて見ることができた。本当に自分の陰が霧に写り、円形の虹の光がその陰を取り囲んでいる。昔の人が、それを後光を携えた仏様と思ったのもうなずける。笠の頂上で証拠写真を撮り、しばらく展望を楽しんだ後テントにもどった。
![]() |
|
![]() |
||||
![]() |
![]() |
![]() |
||||
![]() |
![]() |
当初は、明日は笠の南尾根からクリヤ谷をくだる予定。しかし、クリヤ谷は増水時にはわたれないこともあるし、5時間50分の下りはつらそう。それに、降りてから車のところへもどるには、舗装道をまた1時間ほど登らないといけない。笠新道を下れば、時間的には新穂高温泉までは5時間50分だが、最後の1時間は林道をのんびり歩けるし、タクシーで車のところまで、もどれるし〜〜。 | ![]() |
![]() |
||
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
||
![]() |
![]() |
![]() |
ということで、悪魔のつぶやきに負けて、笠新道をくだることに決定して就寝した。
5日目(8月1日月曜日) 〜 すってん転んだ下山道 〜 |
朝は曇りだったが霧は晴れていたので、写真を撮ったりして、5時20分に下山を開始した。昨日の道を抜戸岳までもどり、笠新道にはいる。笠新道はよく歩かれているらしい道だったが、土(泥)と岩が混在しているため、岩の上もよく滑る。足の筋肉も疲れていたのだろうか、何度かすべってころんだ。一度などは、道に渡してある木の上に不用意に足を乗せたため滑って転び、1回転して道の下に転落してしまった。傾斜のないところだったので何事もなかったが、そんなことは初めての事で、我ながら情けなかった。林道には9時20分に到着。新穂高温泉には10時20分に到着。下山届を出して、タクシーで車のところまで戻った。温泉にはいり、奈良の自宅には午後5時頃に着いた。
まとめ |
今回の山行は、笠ヶ岳の下りをのぞけば、はじめの計画どおりに達成することができて、自分としては満足感がある。登攀的要素と歩行的要素を両方含んだ今回の山行は、体力・気力・技術の3つが必要なことは覚悟していた。会での岩登りの講習などに参加したことも今回役に立った。体力についても、ほぼ毎週山行していることで維持されているようだ。気力についてはあまり自信はないが、会の仲間にいろいろ精神的にバックアップしてもらって、それが支えになっていることもある。ありがたいことだと思っている。会に入っていなければ、たぶんできなかっただろうと思う。
もちろん、多くの人のおかげで今回の山行が実現できたわけであるが、それをなんとかやり遂げることができた自分に、すこし自信が持てた。今後は、ヴァリエーションルートも含め、自分の山行の幅を広げていきたい。