山頂 槍ヶ岳・北鎌尾根
分類 無雪期バリエーション
日程 2007年8月10日〜13日
概要 上高地〜水俣乗越〜北鎌沢の出合〜北鎌尾根〜槍ヶ岳〜槍平〜新穂高温泉
コースタイム  8/11(土)上高地7:55〜横尾10:00〜槍沢ロッジ11:10〜水俣乗越12:55
        〜北鎌沢出合14:45
 8/12(日)北鎌沢出合5:15〜北鎌沢のコルの西側7:10〜独標トラバース開始9:00
        独標頂上9:25〜北鎌平12:20〜槍ヶ岳頂上13:20〜肩の小屋14:10
        〜殺生ヒュッテ14:30
 8/13(月)殺生ヒュッテ5:00〜肩の小屋5:30〜千丈乗越分岐6:20
     〜槍平小屋7:25〜滝谷出合8:15〜白出沢出合9:15〜新穂高温泉10:40

槍ヶ岳・北鎌尾根 単独登頂

またも渋滞

   大垣〜岐阜羽島間で事故のため、10kmの渋滞というアナウンスあり。昨年も一宮インターまで20kmの渋滞があって、次の日の山行に響いた。今年は、自宅を午後4時半頃に出発したので、余裕がある。養老インターでゆっくりソースかつ丼を食べ、「週刊現代」などを買って読みながらゆっくり過ごす。一時はSAから出るのに車が長蛇の列をなすという事態であった。なんとか、新穂高温泉の無料駐車場に午後11時頃に到着。平湯のあかんだな駐車場と違って、夜中の3時に起こされることもない。ゆっくり眠ることにする。

水俣乗越までの登りが核心か

  新穂高6時20分のバスで平湯に出て、上高地行きのバスに乗り換える。臨時のバスもでて、上高地には7時30分に着いた。登山計画書を提出したり、行動水の用意をしたりして、7時55分出発。朝の澄んだ空気のもと歩くのは気持ちがいい。順調にとばして、横尾には10時に到着した。そこで、京都雪稜クラブの金比羅山の岩トレで一緒になったW坂さんにあった。烏帽子から縦走してきて、降りたところらしい。山行中は、天気が安定していて雷などもなかったそうだ。その天気がもってくれればいいのだが。槍沢ロッジまで、次々に人を追い越して11時10分到着。小休憩の後出発したが、少しバテぎみの単独行の女性が休憩していたのがなんとなく気にかかった。後で、北鎌沢の出合でわかったことだが、実はその女性、北鎌を登るのだった。
 大曲からいよいよ水俣乗越までの登りだ。天気はピーカン。気温はかなり高くなっている。急登に30分5分(30分のぼって5分休憩)のペースを採用。なんとか12時55分に乗越に到着した。槍沢ロッジから1時間45分かかった。目指す北鎌沢は、天上沢の下部正面の尾根がつきて回り込んだところである。乗越にはこれから北鎌沢をめざして下降しようとする4,5人のパーティがいたが、お先に失礼する。はじめは草付きの急斜面。灌木や草をつかみながらズルズルの斜面をすべりながらひたすら下降した。踏み跡はしっかりしている。はじめは後方でパーティの声がしていたが、やがて聞こえなくなった。25分くらい下降したら、今度は右の沢の雪渓が出てきた。念のために簡易アイゼンを持ってきたが、それを使うほどでもない。靴の側面でけり込みながら下降した。10分ほどで雪渓を離れ、今度はゴーロ歩きだ。いいかげん沢の水を飲みたいと思いながら下るが、ずっと涸れ沢である。やっと天上沢の本流と合流した。そこには、大きな流木の枝の先に赤テープが巻き付けられていた。いざというときのエスケープルートの確保のためだろう。下り始めて1時間15分後にやっと水にありつけた。水は冷たく非常にうまい。手ですくって何杯も飲み、頭から水をかぶったりした。それから35分ほど沢を下降し、14時45分に北鎌沢の出合に着いた。乗越から1時間50分かかったわけである。すでに、3パーティほどがテントを張っていた。北鎌沢はもっと大きな沢かと思っていたが、出合は水が少し流れているだけの沢だった。時間的に余裕もあったので、ゆっくり過ごす。そうこうするうちに、貧乏沢側(下流側)と水俣乗越側(上流側)からどんどんパーティが到着し、結局最終的には10パーティほどが思い思いの場所にテントやツェルトを張った。その中に、さきほど槍沢ロッジで休憩していた単独行の女性がいたわけである。パスタとたまごスープの夕食をすませ、5時にはシュラフに入った。夕方、すこし雨が降っただけで静かな夜だったが、何度も目を覚ました。。

いよいよ北鎌尾根へ

 3時30分に起床。朝食のラーメンを食べ、テントを撤収して5時15分に北鎌沢を登りだした。他のパーティは8割方出発した模様である。ザックは15kg+水3リットルで18kgの重量になった。10分ほど登ると水の流れる沢は左手に曲がっていく。それは左股で、本来のルートの右股は真っ直ぐに稜線につきあげる涸れ沢だ。単独行の女性を追い越したが、その女性の歩き方がおぼつかない。大丈夫なのだろうかと心配になる。
2カ所ほど大きな岩を乗越すところがいやらしかっただけで順調に高度を稼いだ。Webページで紹介されていたロープのさがった大岩(今年はロープがなくなっていたらしいが)がどれかははっきりしなかった。最後の二俣は右に行くとあったが、いつの間にか左股に入っていて(かなり意識していたのだが、どこで右股と別れたのかはっきりしなかった)、めんどうなのでそのまま詰めると草付きを登る踏み跡があり、先行パーティも見えたのでそれをたどることにした。すぐ近くに稜線が見えるのになかなか近づかない。1時間ほど草付きを登りやっとコル(実は北鎌沢のコルのひとつ西側にあるコルだった。)に着いた。狭いコルには2パーティが休憩していて満員だったので、もう少し先に進むことにした。

大ハプニング

這い松を漕いで登っているときに、ハプニングが起こった。ハイドレーションシステムの先が枝に引っかかり取ろうとしたら、飲み口の先がなくなって黄色のパイプから飲料水があふれ出した。いそいで口に含み、どうするか考えた。残りの飲料水をザックの中の2リットルの水筒に移し替えるか。そうすると1リットルの水が無駄になる。それは痛い。チューブを2カ所で折り曲げ、それで止水したら?折り曲げる道具は?そうだ、洗濯ばさみを2つ持ってきていた。それを使おう。ザックを降ろし応急処置をほどこした。なんとか水は出ないようだ。冷静になってみると飲み口はなくなっていたが、開閉バブルは無事だった。開閉バブルだけでは、不完全にしか止水できないが、2カ所を折り曲げることによって、ほぼ大丈夫だ。やれやれ、これで水の問題は一応解決した。こんなことをしていたせいでだいぶ時間を取られてしまった。これから先、水を飲むときは洗濯ばさみをはずしてチューブを真っ直ぐにし、バブルを開くという面倒な作業が必要になった。

踏み跡は明瞭

尾根道の踏み跡は明瞭である。P8の登りなどでは、木の枝をつかんで無理矢理登る箇所などがあった。これからピークはいくつも出てくるが独標以外はどれがどのピークかはっきりしなかった。家に帰ってGPSデータを地図に落とし、それを元に記録を書いた。P8には8時到着。P9には8時10分着。P9は天狗の腰掛けと呼ばれている。そこからは堂々とした独標の姿が望まれた。独標の基部までの間に、もろい岩壁の登りがあり先行の4人パーティは、岩を落としまくりなので、私はそのパーティが登り切るまで、手前で待っていた。私の番になって登ってみたが、確かにザレていて岩くずが落ちやすかったが、先行パーティほどは落とさなかった。実は右の樹林帯の中に安定したルートがあったのを登ってから発見した。

落石! おお怖!

 独標をトラバースしようと、ルートを確認しているとルートの上方から大きな自然落石が何度か落ちてきた。気温上昇に伴って起きたものか、動物が引き起こしているものかはわからなかったが、とにかくそのルートを通らないと先に進めない。
すこし落ち着くのを待って、急ぎ足で通り過ぎた。ザレた斜面を右上した後、岩を回り込むとバンドが続いていた。ネットで読んだものと同じであった。岩を抱え込むようにしてトラバースするところには、ナイロンロープが張られていた。また、さかんにネット上で取り上げられている岩をくぐるようにして進むところなども、下の足場を使えばなんということのないところであった。
すなわち、そのようなところが「コワイ」場所として印象に残るくらいの技量の人が北鎌には多く来ているということだろうか。私には、印象にも残らない箇所である。

独標平へ
トラバース道を進んでいくと、これもまたネットで読んだ残置ロープのあるチムニーが現れた。そこはチムニー左横の壁を登り、さらに少し戻り気味に左上するとあったので、その通り登ったが、踏み跡などもなく、これぞバリエーションという感じでうれしくなった。不安定なガレ場を登り、適当にルートをとって岩場を登っていくとピークに着いた。すぐ左横のピークにはすでに60才過ぎくらいの人がいた。「そこが、独標のピークですか?」と尋ねたら、「私もはじめてなのでわからない。」とのこと。他に高い場所もないのでたぶんそうだろうと思った。自宅でGPSデータを確認すると私がいたのは独標の20mほど西のピークだがほぼ独標に登ったということにしておこう。

北鎌平へ

さて、これから次のピークまでは、急斜面をクライムダウンした後、ザレた急斜面をまた登り返さないといけない。先ほどの60才すぎの人は、どうしようかと悩んでいた。私は先に進んだ。実際にルートに取り付くとそれほどの悪場でもなかった。
ネットの情報によると、独標のあとのP11からP15までのルート取りがなかなか難しく、踏み跡を間違って進むと大幅な時間ロスになったり危険な目に会うということだった。どういうことかというと、ルート上に岩峰がある場合、直登するか巻くのだが、直登できない場合は千丈沢側(右側)か天上沢側(左側)を巻く。そのとき踏み跡が両方についている場合もあり、だいたいの踏み跡はザレていたり、浮き石だらけのガレだったりして、そのあたりの見極めが大事ということだ。
私も事前にネット上の情報を研究し資料を整理して、頭にたたき込んでいたのだが、実際の場面ではルートを見てすこし偵察したりして、その都度判断していた。それで窮地に陥ることもなく割合スムーズに進めたのではないだろうか。このあたりは、滝の高巻きのルート取りなど沢登りの経験が役に立っていると感じた。
P15のトラバースにおいても、踏み跡は途中で支尾根の岩峰も巻くようについていたのだが、それは巻き過ぎのように思えて、広い沢状のガレ場を直上した。もちろん踏み跡などはなく、自分でルート取りをしながら、ある時はガレ場、ある時は岩場を登ったのだが、そこでもバリエーションルートの醍醐味を感じた。稜線まで3分の1くらいのところまで登ったら、立派なトラバース道がついていたので、それをたどることによって、巻きすぎによる時間ロスを防げ、また稜線上にもどることができた。先行パーティは、ずっと巻き道を行ったため、後で聞いたところによると、残置ロープによる30mの懸垂などがあったそうだ。
さて、北鎌平と槍ヶ岳を望む稜線上に出て、槍の穂先の基部に至るルートを考えた。コルからすこし急だが岩壁を直登し稜線上を歩いて北鎌平に至るルートを見いだした。見ていると先行の2パーティはコルからトラバース道を右に進むではないか。それって、どうするの?
私は、コルまで行って稜線から見いだしたルートを観察した。踏み跡もあり登れるルートだ。迷わず登りだし、自分で想定したルートを行き、北鎌平に到着した。北鎌平には遭難碑のレリーフと「ココが北鎌平」と消えかけた赤ペンキで書かれた大岩があった。3カ所ほどのビバークサイトもあった。12時20分着である。


いよいよ穂先へ

槍の穂先の基部へは踏み跡に導かれた。先行パーティの二人が「確か昨年はココを登ったのだが、これでいいのかなあ。」などと迷っている。私にも聞かれるが、初めての私としては答えようがない。先行パーティは結局、迷っていた箇所から上に登っていった。私は身体の休息と気合いを入れるため、岩陰で水分補給をし、行動食を採りながら、常念岳を眺めたり、目をつむって風を感じたりしていた。
「よし!」と自分でかけ声をかけ、気合いを入れて出発。先行パーティが登った斜面を登る。踏み跡はあって、それに沿って登った。すると踏み跡は右にも左にもついているが雰囲気はよろしくない場所にでた。正面の斜面を見上げたら登れそうだ。ただ、手足のホールドに神経を集中して登りだした。「落ちたら、ずっと下まで落ちてしまうだろうなあ。」などという邪念は横に追いやり、ただ目の前のホールドに意識を集中して登った。すると上から人の声がするではないか。祠も見える。槍の頂上だ。あと少しだが慎重にと自分で言い聞かせながら、ザレた斜面をトラバースぎみに右上、祠の横に飛び出した。午後1時20分。

頂上は超満員

 頂上は満員だ。みんな写真を撮るのに祠の前に並んでいる。私はすぐに「すいません。」と横に下がり、写真を撮る順番を待っていたら、白い服のすてきな女性が写真撮りましょうかと、ご覧のような証拠写真を撮ってくださった。
槍ヶ岳山荘まで下るのに50分ほどかかり、肩のテント場はすでに満杯。殺生ヒュッテまで下って、まずビールを飲みほし、テントを張って、槍沢カールを眺めながら、ゆっくりと喜びを噛みしめ、再びビール・泡盛でひとり酒盛りを楽しんだ。

予定変更して癒しの道へ

岩の世界は充分楽しんだし、槍から西穂の縦走もルーチンワークに過ぎないので、一度も歩いたことのない飛騨沢の道で下山することにした。翌日は、潤いのある道を滝谷の眺めなどを楽しみながら新穂高温泉に下山した。緊張した二日間の心が癒されるようないい下山道だった。

北鎌尾根のポイント

1. 天気の良い日に実行すること。霧などで先が見えないときはルート取りが困難。
2. 沢登りなどで、踏み跡の見極めや滝登り・高巻きなどでのルートファインディング力を磨いておくこと。
3. 岩登りの経験を積み、登れる登れないの判断ができるようにすること。高度感に慣れること。3級程度の技術で充分。ただし、フリーソロになる。
4. 日頃から、ボッカトレーニングで暑い夏の日のボッカに慣れておくこと。私は、山行前に六甲&比良山で22kg8時間程度のボッカを2回おこなったが、大変役に立った。
5. 単独行などで、考える登山を常日頃からしておくこと。読図、ルートファインディングなどを意識して山行をすること。