平成13年3月4日(日)

 

そんなわけで、今日は休み。

昨日は、中学時代の友人と、近所で飲んだ。彼は、最近、離婚して今は独り者の生活を送っている。中学生時代、俺達は活発に遊んだ訳ではなく、また、田舎の内向的な中学生であったが、何となく連絡は付けており、昨日、何年かぶりに対面した。

メールでは少しやり取りをしていたのだ。

で、離婚の話も余り出すこともなく、もっぱら共通の趣味である音楽とパソコンの話を焼き鳥を食べながらしたのだった。

音楽はかつてあったバンドの「スペースサーカス」で盛り上がった。今や廃盤となったレコードを彼がCDに焼いてプレゼントしてくれた。本当に懐かしい思い出であった。

昔の友達と語り合うのは人生の宝である。

 

今日は寒い。明日は雪が降るとか。強い風が吹いている。

 

会社の人事異動は結局、無かった。つまらない。何故、異動が無かったのかの原因は、同期が一人、退社するからだ。彼は自分で事業を興して、独立するらしい。何をするのかは知らないが、良くこの歳で会社を辞める決心をつけたなあ、と思う。

何も辞めなくても、と思うが彼にとっては、今、辞めないと踏ん切りがつかなかったようだ。

 

会社に残ることが幸福を意味しないのが現在の日本の不幸な点だ。会社はその存続自体を目的とする。遺伝子と同じで利己的だ。

 

 

平成13年3月11日(日)

今日は休み。相変わらず週1回の休みである。

最近、また、忙しい。3月は百貨店の改装などがあり、忙しい月なのだ。

今日も、ほとんど寝て過ごす。本当はスポーツなどをやった方が良いのだろうが、体が動かない。その前に、精神も動かないから、つらい。何も新しいことをやろうと言う気がしないのである。精神が後ろ向きなのに、体が前へ行かないのは当たり前だろう。

キーワードは総ては精神に由来する、と言うことか。意志、イメージなどで語られる事は、昔から言われており、そんないわゆる「積極思想」の本も沢山読んだ。だが、それが単に「読んだ」だけで終わってしまっているのだ。だから、全然、積極的になっていない。消極的なまんまだ。

 

 

平成13年3月27日(火)

今日は休み。

何とも変化のない毎日だ。自分が精神的に進歩したわけでもなく、何か思いを抱いて実現に向けて努力したわけでもなく、新しい事を始めた訳でもなく、全く何も変化を求めていない自分らしい毎日だ。だから、何も起こらないし何も変わらない。毎日が惰性ですぎて行き、どんどん坂道を転げ落ちるばかりで、何とか踏み止まろうともしない自分がいる。

 自分の何かを変えてやろうとか、今までの何かを不作為に変えようかとか、作為・不作為を問わず、自分に目標を課すことも無く、ただ、ダラダラと毎日が過ぎて行き、流されるがまま、落ちるがままである。

 これは人間のやることではない。人間が持つ意志が無い、と言っても良い。

それでは、誰もが馬鹿にするのもむべなるかな。

 ああ、3月が終わる。4月が来る。俺は何も変えられないまま、人間としての尊厳を捨てたまま、春の中を通り過ぎる。

 

「人生の基盤は泥沼である場合もあれば、堅い岩盤である場合もある」フィッツジェラルドが「偉大なるギャツビー」に書いた一節であると、ロバート・B・パーカーが小説に書いていた。で、その小説の題名が思い出せない。ああ、何てこった。

 

 主人公のブーン・アダムスが朝鮮戦争から帰ってきて、サラリーマンになったもののジョウンを忘れられずアル中の浮浪者となり、ある朝、目覚めた瞬間に先ほどの人生の基盤は・・・が、頭の中にぽっかりと浮かぶのだ。

それを機に、ブーン・アダムスはジョウンを取り戻す旅に発つべく、アルコールをきっぱりと止め、単純労働をしながら、文章を書き、ウエイトトレーニングを始め、一歩ずつ人生をも取り戻す物語だ。