平成13年2月1日(木)

そんな訳で今日も休み。最近、休むようにしている、て言うか、休んだところで何の支障も無いのだ。ただ休めないのは、「休む?何言ってんだ、バカヤロー!」みたいな風土が職場にあるからだ。だから、休みづらいと言う、まことに大日本帝国的な発想から抜け出せないからだ。それでも仕事は続く。

 

で、今日は雨だ。いよいよウチもケーブルインターネットを導入!する事になった。安い、早い、楽なのだ。やりい!であるが、パソコンの方が問題。今あるのは、アップルのPreforma5270と言う、ほとんど骨董品なパソコンと、IBMのThink Pad240である。240の方は、セレロン300で使えるが、会社へ持っていったりしているので、マックが家の標準パソコンとなる。これはCPUもHDもメモリも少ないし、画面も640×480と解像度は低いので本当に使い物になるのかどうか心配だ。LANカードも買って差してはあるが動作確認は出来ていない。うーん、ちょっと心配。ま、ちゃんと動けば、みることは見られると思うんだが。

 

で、なんと新しいパソコンを買う!と言う話も出ているのだ。いやー、今日はやたら「!」が多いが、ビッグな話だ。いやー、しかしパソコン関連でこれだけ盛り上がると言うのは、すんげーセコい話だとも言えよう。

 

もっと、仕事でビッグプロジェクトが!とか、宝くじが当たって!とか、海外勤務に変わった!とか、何かそんな話が無いのか?

そんな話がないところがいかにも俺的日記である。しかし、ここで納得していてはいかん。と、言っても仕方ないじゃん。

いや、そーやって何でもすぐあきらめるのが、俺の悪いところなのだ。こーゆー時でも、「いや、いつかは俺だってのし上がってやるんだ」と、心に深く誓うのが、正しい人生の送り方と言えよう。そうやって、継続的に心に強く思うようにしているといつの日か「やったー!」となる、らしい。

 

 それがゴールデンルールと呼ばれたり、積極思考と言われたりするものだ。そう、俺だってそんなたぐいの本を読みあさった時期もあった。しかし、だいたい読んだ時を含めて3日で積極思考が消極思考に戻ってしまう。だから、大量の積極思考の本が残っている。

 

「個人の意識の反映が現実である」「心の設計図を変えれば現実も変化する」「言葉は自分や周囲の環境を形作る」

どーだ、こんな事をいっぱしに知っているのだぞ。なのに、現実はショボ過ぎたりする。

 

そっかー、そうやってショボい現実を引き寄せているのは俺の消極思考が原因だったのだ。

では、どうするか。

積極思考に切り替えるのだ!それが出来たら苦労せんわい、と思うかも知れないが積極思考は苦労を伴うものなのだろう。だから、ある朝起きたら自然に積極思考になっていた、と言うことは無いのだ。

 

だから積極思考になるには努力と継続性が必要なのだ。で、俺は努力するのが嫌いだし三日坊主だしだから、積極思考になれないのだ。

 

しかし、今は出来ないなんて開き直っている場合ではない!そう、努力と継続によって積極思考をインストールせんとヤバイ状況だ。

 

と言うことで「超・前向きに行こう」を今年のコンセプトとするのだ。

 

 

平成13年2月3日(土)

今日は会社。今日は残業で、終電までには帰るつもりだ。それにしても、最近、書くことが多い。と言うか、書く時間が多くなっている。書く時間を多く割いているつもりは無いのだが、増えている。先月は今までで一番多いんじゃないか。

結局、書くことでフラストレーションの解消になっているのだろうな。

 それはともかく、また、昨日も飲んでしまった。ああ、超・前向きに行こうではなかったのか。何で、飲むという後ろ向きの行為に走るのだ?そう、飲むと言っても皆とわいわい楽しんで飲むならば前向きだが、そうでは無く、一人、駅のホームで飲むのだから、後ろ向きも良いところだ。ああ、何でこんなに暗いの。ただ単に、酒を飲みたいというアル中なのだろう。それを、単なるアル中では話にならないから、いろいろと理屈をつけただけである。

理屈をつけるなよ。いちいち。何をカッコつけているんだ。そんなカッコつけてる余裕かまして何様なんだ。お前は。偉そうな事するな。お前なんか、全然駄目じゃん。そんなカッコつける偉そうな奴じゃないんだよ。全く。もっと自分に真摯になれよ。頭の中で自分を偉そうに描いたところで、本当は何の力もないオドオドした、自己中心的なそんな人間じゃないか。

 何でそんなに自分が偉いと思う。そんな根拠なんか、何もない。

いい加減に目を覚ませ、自分よ。本当のところを自分で認めなきゃ。本当に自分の偽らない姿を直視せよ、このオッサンめ。あー、本当に自分はいつになったら大人になるのだろうか。

 

 

平成13年2月6日(火)

○今日は休み。雨模様。一昨日、青空文庫パーム版のHPから海野十三の「敗戦日記」をVisorで読む。SF作家としては先達の戦争末期の日記だ。戦争と一口に言っても、教科書で表面だけを理解するのと、市井の日々の暮らしを読むのと、全然違う。良く、あの東京大空襲を幸運にも生き延びたのだなあ、と思う。

○今日は、子供に算数の問題集をやれと言うと泣く。自分の子供の頃を思い出す。俺も算数が嫌いだった。塾へ行かせるのを、どこの家でもやっているが、うちではやらせていない。家で問題集をさせているのだが、なかなかやらない。グズグズとやらずに嫌だから泣いてばかりいる。

○どうもケーブルインターネット回線を引こう、と言う話になった。これは嬉しい、と思っていたらマックではメモリが少なくて心細い。それに、ハードディスクも空き容量ないし。どーしよー。新しいパソコンを買うか、このTHINK PAD240を家のメインマシンとして使うか。LANカードを買ってこないとな。しかし、この小さな画面でも使うに当ってはそれほど苦痛を感じないのだ。もっとも、大画面と比較すると話にならないのだが。

○そのケーブルインターネットだが開設までには1ヶ月待ちと言うから人気である。それもそのはず、新しく始まるADSLよりも10倍早い、10Mbpsというのだからこれはスゴイ。やはりもっと早く入っておくべきだった。最近はMP3が面白い。しかし、電話回線だと1曲30分くらいかかってしまう。これではやってられない。ケーブルだと3分くらいだそう。これはいいよな。

○あー、何か人生がもっと前向きに、明るく、ぱああっつと視界が開けるような素晴らしい出来事が起こらないかしら。そうだねー、たとえばなんか知らんがすんげえ要職につく、とかー、大金が転がり込んでくる、とかー、このホームページが大注目されて一躍、有名人になる、とかー、で、エッセイかなんかを書いたらベストセラーになってる。なーんてね。

 

 

平成13年2月10日(土)

明日は休み。それにしても最近、日記を書くことが多いなー。

 

 

平成13年2月16日(金)

今日は会社だった。明日、病院へ行く。

 

平成13年2月17日(土)

と言うわけで、今日は休みを取って病院へ行った。検査の結果は、五分五分だという。要は分からない、と言うことは何もハッキリしない。確かに白い部分は見える。それをどのように判断するのか経験が不足しているのだろう。

そんな訳で、宙吊りにされたままだ。しかし、原因は分からないし、どこへ行っても同じなのだ。来月はCTスキャンをし、また、判断の材料にする、と言うことらしい。

 

私としては、また、新しいノパルを取り寄せて代行しようと思う。以前は、キャンセルとアクセル骨組織を試したのだが、もう一つはっきりしなかった。だから、今度は別の種類のノパルで試してみようと思う。それに加えて、トリートメントを実施するのと、MD(カンビオエネルヒア、パパベル)を寝ているとき廻す。

エネルギー製品を使用することと同様に重要なことは「イメージ」である。私のイメージを変える事が、一つの大きなポイントになってくるだろう。イメージを変えないと駄目だ。

全てにおいて、自分のイメージを変えないと。自分自身に対するイメージを変えることが一番重要だ。

今は、自分が何か訳の分からないものになってしまっており、回りもそのイメージで受け止めていると自分で思い込んでいる。しかし、他人は私に対してそれほど注意を払っていない。だから、自分のイメージを変えるには良いチャンスである。

それを自分で他人はこう見ているのだから、とそれに縛られてしまっている自分がいる。

そうして自らががんじがらめになってる、そんな事は分かる。

だから、今、変えるチャンスだ。自分の殻を破らないと、自分で作った鋳型に自分で嵌め込んでしまっている。これでは駄目だ。自分が作った鋳型なんだから自分で打ち壊しをしないと。

 

 

平成13年2月20日(火)

今日は休み、て言うか今日から休み。しかし、いつ異動の呼び出しがあるかも知れないのだが。ま、あったらあったで、良いんじゃない。すべては偉大なる流れのままに。Let it be.

 とにかく、3月までにあの影を消さないといけない。今度は絶対に治して見せよう。

出来るだろうか、などと考えている場合ではない。出来るのだから。出来るのだから、どうやってするのかと言う方法が大事になってくる。それと、出来るのだからそれに削く時間が問題になってくる。

 全てをやらないといけない。

 

 あと一つ、と言うか連動してくるが「イメージ」の使い方も考えないといけない。イメージをうまく掴めれば、一瞬の事であるという。

もちろん一日では無理だろうが、実際にやった人もいたのだから要は俺の根気の問題である。

 

 旅行に行かねばならない。行きたくないが、行かないといけない。旅行に今、行くとすれば自分にエネルギーを本当に与えてくれる所に行かねばならない。となると、伊勢か出雲となる。本当のライブの神様がいるところとしてはこの2つが大御所である。

 あえて行ってみたいのはそんな理由からだ。で、行かねばならないだろう。ま、これも偉大なる流れの導きであろうか。

 

 

平成13年2月21日(水)

今日も休み。休みは一日中家でゴロゴロするに限る。寝て食う、と言うのが一番贅沢だ。本当に。

しかし、この休みを利用して金儲けでも出来ないのか。何かないか。

面白い小説を書いて、それが売れるとか。金が稼げれば、仕事を辞める事も出来るし、やりがい、生きがいを感じることも出来るだろう。それなのに小説を書かないなんて、やはりマイナス思考だと言われても仕方が無い。

売れる小説を書こうと決心せよ。売れれば金になる。金儲け金儲け、それは金になれば素晴らしいこと。

では、この2日間で小説を書いてみては。それが金にならなくても、自分は書くのが好きなのだから損にはならない。書くことで失うものは自分のプライドだけ。プライドが傷つくのが嫌ならば書かない。だから、書かないのだ。

 しかし、こんな日記をホームページに書いているのだから書けるはずだ。それに、よしんば小説を書いたところで、一次選考で落ちたら誰も読まない。と言うか、一人にしか読まれないだけの話である。

 それならば、そんなに気にする必要は無い、と言うことだ。だから、自分が「他人が読んだら下らないだろうな」と思う小説でも、良いわけだ。それならば、もっと気楽に書くと良い。

日記だけでもこれだけダラダラと書くのは全然苦にならないのだから。

ただ、小説は成り行きで書くことは出来ない。つまり、最初からゴールをイメージする、と言うかプロセスもあらかじめ決めておかなくてはならない。それが何も考えずにダラダラと書くのと大きな違いだろう。最初から、最後まであらかじめ決めてみるのが小説を書く上で大事なことなのだろう。その骨格に肉付けするのは、ダラダラでも出来るのだろうな。

 よし、それでは書いてみよう。ストーリーは典型的なやつ。そう、リズム&ブルースだ。って、違う。しかし、考え方はリズムパターンがあって、音楽スタイルがある。そして、オリジナリティだ。

 とすれば、今、皆が聞きたいのは、或いは自分が聞きたい音楽は何か。それは、ノスタルジーだ。自分の多感な頃に聞いた音楽を懐かしがって聴く、と言うのが最近の自分のパターンだ。とすれば、自分がそのころに読んだ小説を思い出すと、SFとミステリーになる。そうだよな。今、読みたいのはそれかと言うと、しかし、ちょっと違う。

それはインナースペースだ。精神的なインナースペース。まず、それが頭に浮かぶ。それから、運命。人格。近未来のポリティカルフィクション。人間の力ではどうにもならないもの、しかし、それに抗う。神や運命に抗う人間の姿。

 単なる運の良さだけではない、何か。

歴史小説や企業小説において、これらのテーマは書かれてきたのだが、私には余り馴染まない。それを本当に考えさせてくれたのはSFである。しかも、海外の作家よりも日本の作家の方が、日本的な部分の中から題材を得、本当に神や運命の本質に迫らんばかりの凄さがあった、ように思えた。

そんな作品の代表例が半村良の「妖星伝」である。

自分なりの妖星伝が書ければ凄いことになるだろう。しかし、私が書くならば、もっと短いんだろうな。

 

自分なりのストーリーを考えるとどうなるのか。

しがないサラリーマンの主人公が、交通事故で出張先の何とか市の病院に運ばれる。幸い怪我は軽かったが、地方新聞の小さな記事として掲載された。翌日、女が面会に来た。新聞記事を読んだという。女との話から、主人公の名前がこの何とか市に多い名前で、先祖はこの市の出身ではなかったかと聞かれる。聞かれるままに主人公は祖母の話をする。女の態度が変わる。女の他にも面会人が増え、手厚く看護されるようになる。とまどう主人公。しかし、周りは主人公の知らない秘密を知っているらしい。

 ある日、彼らが早くこの病院を抜け出せと言う。彼らの敵対する組織が主人公を浚おうとしている、捕まると命は無い、と言う。半信半疑な主人公であった。しかし、傷も大分治ってきた主人公は

 

 

平成13年2月22日(木)

と言うことで昨日は終わっている。

 

で、今日は久しぶりに矢山利彦「気の人間学」を読む。なるほどな。面白い。面白い。

いつの間にか忘れてしまっていたが、また、始めよう。それにしても今日は、テレビばかり見ていた。

そんなことをしている暇は無いのに。また一日、無駄にしてしまった。ああ、もったいない。なんてこった。こうして貴重な時間が無くなっていく。

 

 

平成13年2月24日(土)

昨日はバンドの練習を久しぶりにする。バンドと言っても自宅で子供とギターを弾いただけだが。子供の同級生が父親の影響でベイシティローラーズのファンになったということらしい。で、その子を家に呼んで、元バンドマン?の私がギター片手にバンドの基本を教えた訳だが、曲は昔から知っていたし、やりたい曲だったが真剣に聞き込んだのは今回が初めて。一日がかりでコードをとった。曲は「サタディ・ナイト」。で、いちおうギターコードを取ったので収録。 うーん、このシンプルなメロディでありながらキャッチーなサウンド、わかりやすい歌詞、ノリの良さと、これははっきり言って名曲だなー。うー、楽しい、楽しい、ギター持つのも久しぶりだし、やっぱりバンドなくして何の人生、って感じ。やっぱり音楽も体験しないと面白くない。

 

 

平成13年2月26日(月)

いやー、昨日は落ち着いた休み、って感じだった。

で、金子南平さんのイラストを見て、凄く感動した。金子南平さんのイラストは私にフランク・フラゼッタ、ペーター佐藤、横尾忠則を思い起こさせるような画風だなと、思った。金子さんを知ったのは「週アス」の物欲番長に4コマ漫画が掲載されていて、その濃いえも言われぬノリと、確かな画力に非常に気になっていた。それがイラストはもちろんのこと、文章までもが読める!

http://www.alt-r.com/pd/toc4-0.html

「絵のある風景」これは凄い。私は思わず、その中から1枚を壁紙として張り付けてしまった。聖者らしき人物が聖書らしき本を持っていて、そこには「たわけ」と書いてある。イヤー、こりゃたまらんノリだわ。

 イラストと文章とのギャップも良いんだよな。一生懸命という感じが良く伝わってくる。

 

このような優れた才能に触発されて自分も何かやってみよう、と思うのだが、思うだけで形にする努力を全然していない、って言うかやるのが面倒くさいと思っている。しかし、こんな日記を書くのは全然苦にならない。何故だろう。日記を書くことは自分にとってはいわゆる摩擦係数が少ない事なのだ。それに比べると小説を書こうとする事は、非常に抵抗が大きく思いっきり構えてしまう。

 肩に力が入りすぎ。緊張しすぎ。頭に血が上りすぎ。足が地面から浮きすぎ。

 

しかし、バンドやるときはまだ緊張感が少ない。それは、場慣れしているから。結果がどうであろうと、とにかくステージから逃げ出すわけに行かないし、とにかく始まりさえすれば時間が経って終わりが来る。だから、ある程度、開き直って臨むことが出来るのだ。

しかし、小説となると・・・。でも、小説も同じように考えれば良い。とりあえず、数曲を選ぶ。選ぶに当たっては自分たちの好みやオーディエンスの好み、場所、目的などを考えて選ぶ。要は「その場にふさわしい曲の組み合わせ」を考える。で、練習して曲を入れ替えたり間のMCを考えたりする。それを発表して、顧客のニーズに合っていれば拍手が大きく、メンバーもニコニコ顔で打ち上げが出来る、ってなものである。

 

それを小説に当てはめるとどうなるか。1場慣れ、2顧客のニーズと自分のウオンツを掴む、3始めたら最後まで書く。

うーん、地道な作業だなー。バンドもよく考えると地道である。しかし、これをしないと書けない。

 

あーあ、いよいよ明日で休みも終わる。

 

今日も、ほとんど外出せず。「引きこもり」か、俺は?

そう、出かける用事が無いのならば家にいるのが一番なのさ。それにしても俺は結局、書く気が無いのか。やる気あんのか?

 

 

平成13年2月28日(水)

と言うわけで、2月も終わりだ。今日は、ショッキングなことがあった。Wが退社すると言うのだ。で、それはもう決まっていることだ。

なんだか、寂しいな。俺達、同期の中で辞めるのは。なんだか、仲の良い遊び友達が転校するような。しかし、彼には女房子供もいる。それを承知で辞める彼の男意気も分かる。だから、応援するけど、やっぱり寂しいなー。

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