平成13年4月8日(日)

 

久しぶりの日記を書くことになった。今までは、毎晩酒を飲んでいて日記を書くことが出来なかったのだ。酒を飲んだら眠くて体がだるく、寝てしまうのだ。それも、風呂に入らずに寝てしまう。これが、人間的な生活とはとうてい思えない。こんな事ならば、酒を飲むんじゃなかった、と毎日、朝になって思う。会社へ行っても眠いし、体がだるいから仕事にならないし、でも、仕事が終わったら事務所を出ると道を挟んだコンビニエンスストアに行って、酒を買い、益へ向かって歩きながら飲む。駅に着いたら電車に乗るまでにホームで飲む。電車の中で飲む。乗り換えのホームで飲む。乗り換えた電車で飲む。

 

毎日、その繰り返しで、惰性で生きていると言われても、反論の余地はない。どっぷりと惰性に浸かっている。アルコールが体も脳味噌も浸食している。何とかしようと思うだけで、酒を手に取らないように意志を働かせているわけではない。思うだけでは駄目だ。意志が必要なのに。毎日を、自分を殺すために費やしている。

 

本当に何とかしようと思えば酒を止めて、パソコンに向かうべきだ。電車の中でもパソコンを使って文章を書くべきだ。そうすれば最低限、両手はふさがるから缶を持つことは出来ない。自分は小説家になりたいと思っている。思っているだけで意志の力を振り絞って、小説を書こう、とはしない。惰性で生きているから、何か物事を変えようとはしない。意志を使う事を恐れている。自分の意志の力が弱いことを自分に証明することになるからだ。

 

相も変わらず抽象的な事しか書けない。

毎日パソコンを持ち歩く方が良いのではないか。重い?当たり前だ。パソコンを持ち歩くのだから、そして地球には重力が働いているんだから重いのは当たり前だ。それを意志の力を振り絞って持ち歩くと。必要ならばやるべきだ。そして酒を飲んで自分を誤魔化しているヒマがあればしらふで自分と対峙すべきだろう。その結果が自分にとって不快な結果、つまり自分自身を認めたくないような結果に終わったとしても、自分はやらなくてはならないのだろう。自分の認めたくない部分を認めないと前へ進まない。

電車の中で酒を飲んでいてもそれは単に、逃避、いや逃避以上の愚劣な行為である。

 

意志の力、これが今世の私に与えられたクリアすべき課題なのだろう。意志の力を養い、自分の意志の力を信じることが出来るようになったとき、私はこの世からおさらば出来る。しかし、それが出来ない限り何度も何度も生まれ変わり死に替わり、この世に出てきて肉体を持ち、四苦八苦を体験することになるのだろう。