525.「流れんな」アフタートークショー

主なキャスト:峯素子・橋爪未萠里・緒方晋・酒井善史・北村守
作:横山拓也 演出:上田一軒 舞台監督:武吉浩二
公演記録:2013.6.29〜30@八尾プリズム小ホール(大阪)
終演後5分後ぐらいにぷらっと現れたお3人さん。(え)セットがセットだけにふっつーに飲み屋にやって来たお客さんな体でwww(苦笑)iaku主催者な2人(横山(拓也)さんと上田(一軒)さん)と横山さんからさらっと紹介のあった編集者の小堀純さんと。小堀さんは情報誌で超超超有名どころな「プレイガイドジャーナル」の編集長をしておられた方だそうで2人とも「緊張するー…!」っつっておられますた。(苦笑)お洋服の方は横山さんが水色の半袖シャツで胸のところに燕の飛んでるとこが刺繍されてるのん。下はGパンで裾のところが折り返しになってて靴は黒。帽子はジーンズ生地っぽい水色のつば付帽子で。一軒さんは黒地にグレーのストライプの入ったキャスケットを被っておられて黒のポロシャツっぽいのんに下はダークブルーのGパンでこれまた裾のところが折り返しになってるのん。靴は茶色??キャメル色っつーのかな??などた靴ですた。小堀さんは元々がそういう色なのかくたびれすぎて(おい)そういう色になっちゃってるのか分からないけれども色褪せた茶色のスーツでシャツは白地にグレーのストライプのん。靴は黒の革靴だったっけか??…ま、緊張するするっつってても2人にとって小堀さんは父親のやうな存在らしくてよく飲みに行ったりもしておられるやうでvvvそれでいきなりこのセットの話になって小堀さんが「それでこの店の名前って何なの??」っつって聞いておられて2人して「とまりぎですよ??」っつっておったらばのれんが入りやすいやうに上にめくり上げてあるもんだから「じゃあお客さんたちはここで初めてお店の名前を知るって感じなのかな??」(小堀さん)っつったらば横山さんが「…や、何度か見てる…と思いますよ??最初のとこもちゃんと掛けてあったし…」っつってますた。…ま、そうでなくてもお店の名前は台詞の中にも何度か出て来るから分かるし確かー…冒頭のシーンでちゃんと裏側からだけど店の名前がのれんから読み取れるはず…??なーんとなく気になったことはその場で確かめたい人って感じなのかな??(え)で3人それぞれの出会いについてなんだけども小堀さんには横山さんが一軒さんと組んだいきさつってのかiakuになったきっかけみたいなのが気になるみたいでそこのところをまず…の前に小堀さんから「2人ともいくつだっけ??」な質問が。横山さんは「36歳」で一軒さんは「41歳」だそうで。そこも小堀さんが「…え??今年36??」っつって聞いたらば横山さんが「…や、今年37になりますー」っつっておったかと。まぁ年齢的にはちょっと一軒さんの方が上っちゃぁ上だけれどもお互いの劇団立ち上げの年が同じ(スクエアと売込隊ビーム)だったそうでなーんとなく同期な感じっつかそれまでも飲みに行ったりなんかはしたことがあったので特に知らない仲ってなわけではなかったけれども意外っちゃぁ意外…かな、と。ここでだったか忘れちゃったけど横山さんが「スクエアは1回目の公演からずっと観てる」っつって「「こういうのを作ってる人はどういう人だろう??」と思ってずっと気になってたんですよねー…。でも最近ちょっと観に行けてないんですけど…(苦笑)」っつー話になって小堀さんも「スクエアはいいよねvvでも僕も最近観に行けてないんだけど…(苦笑)」っつって2人とも最近行けてないことを恐縮し切りで一軒さんも「…や、別にいいですけどね。(苦笑)最近こっちも公演終わったとこですけど」みたくおっさってますた。(苦笑)最初っから劇団を立ち上げるつもりとかじゃなくて「真夏の會」っつー企画で脚本が横山さんで演出が一軒さんっつーので「やってみないか??」っつって誘われたのが始まりで。それを聞いた小堀さんが「それ、よっぽど企画力のある人が担当したんでしょうねvvだって横山くんに上田くんでしょう??よく思い付いたよね」みたいなことをおっさってますた。小堀さんが横山さんに会ったのはー…「あれ、99年だっけ??(えー)キャンパスカップに応募して来てくれたんだよねぇ??」な話なぞ。(その時横山さんは大学3年生とかそんなんwww)その時小堀さんはキャンパスカップの審査員をしておられたそうでその2回目で「トバスアタマ」が受賞。その時の特典??みたいなのが今は亡きOMS(苦笑。扇町ミュージアムスクエア)で公演が打てるってのだったみたいでずっと憧れてて「いつかOMSで公演出来たらいいなー…」(遠い目)と思っておったのがいきなり旗揚げ3年目にしてOMSで公演が打てちゃったりなんかして「すごいラッキーでしたvvv」(横山さん)っつっておられたかと。それでその時の次点がベトナムからの笑い声(劇団名。あたし、ふっつーに作品の話か何かだと思って聞いてたも←無知)だったんだけれどもそれで太陽族と売込隊ビームとベトナムからの笑い声の3劇団で合同トリプルメーカーってのをやって貰ったんだけれどもぜんっぜんっ!上手く行きそうにない企画だったもんで小堀さんはこそーり「合同トラブルメーカー」っつって呼んでおったらすぃー…。(黙)まぁそれで3劇団3作品を太陽族の岩崎正裕さんが演出して公演、と。ここでだったか横山さんが売込隊ビームのことを説明する時に「…や、去年僕も退団しちゃったんですけど…(苦笑)」みたいな説明をしておったっけか??…ま、今はちゃんとiakuも立ち上げてやっておるわけだからして「退団」はただ単なる事実説明でしかないわけだけれどもそれでもちょぉーっとばかし切なくなるっつか「あー…そうだったよねー…」(しみじみ)みたくなっちゃったのは否めない。(黙)でまぁ売込にいた時は座付き作家で演出もやっておったわけだけれども元々が大阪芸大の中でも演劇科じゃなくて創作科出身だけあってむかーしから演劇がしたかったわけじゃなくてそれより何より「小説が書きたい!」ってのが根っこにあったもんだからそっちに専念したいと思ってiakuを立ち上げたってのもあるんですよねー…、な話も。

ここで「何で演劇やろうと思ったの??」(小堀さん)な質問が。横山さんは高校からずーっと一緒だった山田かつろう(敬称略。横山さんが呼び捨てしておったので←)と大阪芸大でも一緒でそこで「演劇やろう!」っつって誘われてやってるうちになーんとなく演劇もいいなー…と思ったのがきっかけっつか。上田さんは「自分を変えたいと思ったから」(…は?)なまっぢな感じの答えなのかと思っておったらば「これは森澤(匡晴)が…(苦笑)」っつって言い出して。(えー)「これはうちの森澤が…って「うちの」ってことはないか。(苦笑)…ま、森澤がそういう風に言っててそう言い始めてから10年以上も経つんですけどいまだに「自分を変えたい」とかって…ねぇ??(アホでしょぉ??みたいな感じで。苦笑)」っつっておって。一軒さんは元々はお笑い芸人になりたかったっつか漫才がやりたかったみたいなんだけれども演劇の中で漫才をするってのはなかなか難しいモノがあったみたいで…(当たり前)。それだから飛び込んだ劇団では最初はコントみたいなのばっかりやっておったみたいなんだけれども「だったら自分でやりたいことやればええやんwww」っつーので劇団を立ち上げて今に至る、と。小堀さんは横山さんの大阪芸大ってのにもちょっと引っ掛かったみたいで「同期とかって誰がいるの??」な質問なぞ。横山さんは「んー…同期…えー…誰かいてますかねぇ??(もしかして友達いないのか??おぶおぶ←爆)あー…1こ上に堀井さん(違ったかもしんない…←)って言う三谷幸喜さんとかにもよく出ておられる方とかいらっしゃるんですけど知りません…かねぇ??(おぶおぶ)」っつったらば小堀さんが「いっやぁー…知らなーい…」っつって一蹴。(爆)横山さんも「そうですかー…。知らないですかー…」っつって延々考えて出て来たのが「上って言ったら新感線とかー…南河内万歳一座とかー…」って言い始めて一軒さんも「えっらい上やなー…(苦笑)」っつっておって。(笑)横山さんも「いやいや…流れ的に…」なんっつって言い訳しつつ「で転球劇場さんがあって僕らがいて下にクロムモリブデンとか劇団ガバメンツとかー(…ごめん。横山さんより下の世代の劇団名をぜんっぜんっ!知らないとこばっかりだったんでググった結果でそれっぽいのを引っ張って来てますけど違ったらごめんなさいー!(ぺこり))…結構上も下も空いてるんですよねー…。僕が知らないだけかもしれないですけど結構続けてる人とかも少ないですしー…」みたいなことをおっさってますた。でそやって「モノを書きたい」「小説を書きたい」ってのは「今もそう思ってる??」(小堀さん)ってのを質問されて「そうですねー…。ゆくゆくはちゃんとした小説と言うかー…元々SF作家になりたかったんですよ。筒井康隆さんとか好きでvvv」ってな流れでもって一軒さんが「俺、むかーし筒井康隆さんを毎日乗せてるっつータクシーの運転手さんの車に乗ったことあるでvvv」って言い出して…。(苦笑)小堀さんもまぁ手掛けた演劇フェスで筒井さんが主催する劇団に上演して貰ったこともあるし結構そうやって演劇の方も手掛けておられたりするしそういう感じなのかな、と。「でも上田くんの演出と意外とよく合ってるよねvvv」みたいなことを小堀さんが言われて一軒さんが「いっやぁー…小堀さんに誉められることとか滅多にないから何か嬉しいわーvvv」っつっておられたかと。でも「エダニク」はよかったけれども最初「コクジンのブラウス」はOMS戯曲賞の公開批評会(審査の後に「この作家のここがよかった」とか「悪かった」みたいなのを審査員たちがそれぞれ言い合う場が毎回設けられてるそうで)で作家性を否定するぐらいにひっどいこと言われてもう会場ぢうが凍り付くぐらいの酷評に次ぐ酷評だったそうで…。(滅)さすがの横山さんもものすんごい凹んだみたいでその頃一軒さんと一緒に飲みに行ってもまいっかいそのことで落ち込んでて小堀さんも「もう次はないんじゃなかろうか??(おぶおぶ)」と思っちゃうぐらいにすっごい言われ方をしたみたいなんだけれどもそれでもめげずに次の年に「エダニク」で応募して来てくれてそれは一転して好評で一部の審査員たちからは絶賛されたほどで。そりゃまぁ作品について合う、合わないとかは舞台観てる側のお客さんにだってあるわけだからそういう作品にしたって合う、合わないみたいなのはあるんだろうなー…とは思うんだけど。小堀さんも「選考基準ってのはいろいろあってメディア性だとかその時々によって違う」みたいなことをおっさっててその中でも横山さんのことを見てるとマキノ(ノゾミ)さんのことを思い出すとか何とか。マキノさんの場合もそりゃぁもうものすっごい酷評されて思わず公開批評会を開かないで小堀さんの与太話(え)っつか「今後の演劇について」みたいなのを語って終わりにしちゃったぐらいで…。(苦笑)マキノさんからも「何で公開批評会がないんですかっ?!」みたいに聞かれて小堀さんも「いっやぁー…今回初めてだから勝手がよく分からなくて…。(苦笑)」っつったりなんかしてお茶を濁したんだけども。(黙)それでその時の受賞者は松田正隆さんだったんだけれどもマキノさんは勇気があるっつか何っつーか「僕、打ち上げ行きます!行かして下さいっ!!!」っつって言ってくれて。その時渡辺えりさんなんかは次の日仕事だったりしたのでこの時の打ち上げは出ないでそのまま夜新幹線乗って朝帰るみたいな予定だったのを「マキノくんが来るんだったら…」みたいなことになって結局打ち上げに行っちゃって…。(苦笑)それで受賞者は松田さんなのにそのえりさんも竹内銃一郎さんもみぃーんなマキノさんのとこばっかり言って「君はもうちょっとここをこうした方がいい」とかいろいろアドバイスしまくりで「みんな、ほんっとそういうのが好きなんだよねー…(しみじみ)」みたいなことをおっさってたり。翌年もこれまためげずにマキノさんが応募してくれたんだけれどもそれも酷評に次ぐ酷評で公開批評会でもけちょんけちょんに言われて受賞作は鈴江俊郎さんだった、と。でもその後マキノさんは東京行って読売文学賞を受賞することになるわけでそう思うと「作家ってのは続ける勇気を持たなくちゃいけない!」ってことを小堀さんは何度もおっさってますた。横山さんも「エダニク」で受賞して演劇新人賞とかも取ってこれから岸田戯曲賞とかも取ってくかもしれないし「書き続ける勇気を持ち続けて欲しい!」っつって絶賛されてますたvvv小堀さんはどっちかっつーと審査員もやるけれどもそれよりもプロデューサー業っつか作家さんには「今回これ書いたの出しなさいよ??」とか審査員さんには「今回この人のを読んどいた方がいいですよ??」とかタイミングよく世に出してくことを仕事にしておられる方なのだそうな。(一軒さん談)

あと今回の作品は「人の視方が結構厳しいなー」と。(小堀さん)「本性が一気に出たのか??って感じだよね。(笑)普通は見ようとしない、距離を置くところを一歩突っ込んで書いてるよね。あの後お姉さんはどうすんの??トイレであんな泣かせて…(苦笑)」(小堀さん)ってのに対して一軒さんも「普段の横山くんとはぜんっぜんっ!違うよねぇ??(おぶおぶ)あの誰にでも気ぃ遣って人当たりがよくて…って言う横山くんからは想像も付かないよねぇ?!」とのこと。横山さんとしてはすっごいいろいろ盛り込んじゃって…ってそれはまぁ書いてると結構いろいろ最終的に盛り込んじゃうんだけれども最初っから40代前後の女性の憂いみたいなモノを書こうと思ってた、と。そこにこそ人間味があるんじゃないのかな??と思ってたそうで。それで彼女には社会的な問題だとか次々といろんなことが起こるわけだけれども結局そういうのは諸々自分の上を通り過ぎてくだけの事象でしかなくて自分のことしか考えてない。そういう社会問題のことは口ではいろいろ言ってるけれども自分の母親のこと、父親のこと、そんでもって彼氏ーのことにしか振り回されてない。(苦笑)それでも生きてくってことは大変で死ぬことなんかよりもずっとずっと大変なわけだけれどもこれからも彼女はずっと生きてくんだろうし生きてって欲しいな、と。それを言ったら一軒さんが「横山くんって女性の心理描写がすごく上手いですよねー…。(感心)…って前回(「エダニク」)は男ばっかりの芝居やったしそれはそれですっごいよかったし女性に特化してってことじゃないんやけど…。(苦笑)」っつって誉めておられますた。で小堀さんから「横山くんは大阪出身??」っつー話になって。厳密に言うと生まれは大阪だけれどもその後すぐ千葉に行って物心付いたっつか学校なんかはずっとそっちで通っておって大学入ってからようやっと大阪に戻って来たっつー形になるので言うほど大阪って感じではない、と。(苦笑)それだから売込隊にいた時も台本はぜぇーんぶ標準語で書いてて。最近関西弁で書くようになってそういう関西の役者さんたちを外に連れ出す(地方公演とかで)機会を持つやうになって初めて「方言の方がウケがいい」ってことに気付いた、と。(え)それを喋らない地域の人たちにとってはそういう方言ってすっごい上手に聞こえるっつかすっごい熱を持って聞こえるっつか。観てるお客さんたちに受け入れて貰いやすいってことでも一軒さんは「この作戦、続けていこなwww」っつっておったり。(笑)横山さんも大阪にはいい役者さんがいっぱいいるしそれを大阪の地の言葉できっちりとその役者さんたちを評価して貰いたい…!と思うやうになった、と。東京の役者さんたちが「上手い!」と思えるのはそれは標準語をキレイに喋ってるからじゃなくて東京弁が上手いからだってことに気付いた、と。「今回ロケハンとかどの辺りを??」(小堀さん)っつー質問には「ロケハンっつー意味では車でその辺りを走っただけでそこに住んでる人たちに話を聞いたとかはないんですけど。港町…和歌山に程近い大阪湾に面したところって感じなんですけど。タイラギって貝もむかーしはどこででも獲れたみたいなんですけど今はもう九州の方でしか獲れないみたいで…。(苦笑)だから具体的にどこ、とかじゃなくて架空の町って感じなんですけど…」みたいなことをおっさってますた。で大阪は公演数も少ない(2日で2回??)し「もったいないよねー…」(小堀さん)っつって言ってらしたんですけどそこは一軒さんが「iakuは再演で何度も上演するってのを得意にしてますからvvv」っつってて今回逃してもまた先で観る機会があるかもしれないとのこと。そーんな感じで20分??30分??ぐらい喋って来たとこで「そろそろ時間となりましたのでー…」な感じで散会。アフタートークアリだからっつって全員が残ったわけじゃないみたいであたしの左隣のおねいさんなんかも本編終わったら速攻帰ってたし。(死)なーんかいろいろと演劇界の裏話(え)みたいなのも聞けたし楽しかったでつvvv…ま、固有名詞はほっとんど覚えてられなかったのでいろいろとググって出て来たのを拾って来てまつ。(爆)まいっかい思うけど速記を身に付けてればー…!(えー)そーんな感じでなんちゃってレポですがすまそんっ!!!(え)