205.「カリギュラ」
主なキャスト:小栗旬・若村麻由美・横田栄司・勝地涼・長谷川博巳・月川悠貴・磯部勉 作:アルベール・カミュ 翻訳:岩切正一郎 演出:蜷川幸雄 舞台監督:芳谷研 公演記録:2007.12.5〜11@シアターBRAVA!(大阪) |
あらすじ>>ローマ帝国の若き皇帝カリギュラは愛し合った妹が急死した日、宮殿から姿を消す。貴族たちに不安が広がる中、3日後、“限界のない自由”という真理をまとったカリギュラは、以前の彼とは思えぬ変貌ぶりで現れる。彼を愛する女性セゾニア、忠臣のエリコンを自らに従わせ、貴族、平民を問わず、何らかの財産を持つ者を区別なく殺し、国庫のために財産を没収するという驚くべき宣言を出す。しかし、それはほんの手始めに過ぎなかった。 それから3年。親や子を殺され、妻を辱められ、プライドを傷つけられた貴族たちの怒りは皇帝殺害を企てる。しかし、それを引き止めたのは、貴族の中で唯一カリギュラの思想の危険さを見抜いたケレアだった。彼はほかの貴族たちをいさめ、時が来るのを待つべきと説く。だがカリギュラもその動きに感づいていた。市民のための食料庫を閉鎖して飢饉を起こし、公営売春宿の売上げ回復のための勲章制度などを新たに課す。カリギュラに父を殺された若き詩人シピオンは彼を憎み、また受け入れようとする。なおも続く残虐非道な行為の数々。「不可能なもの」を手に入れるべくさらに暴走するカリギュラだったが―。 |
最近の小栗(旬)くん人気は凄いのねー。何か全然チケット取りにくくなってるんだとか…?(おぶおぶ)と言いながら平日昼公演でさくっと劇場先行抽選予約で取れてしまったのであんまり有り難味とかそういうのを感じなかったんですけれど。(爆)でもいつもより席は悪かったので(爆)FCとか(あるんだっけ?おぶおぶ)で結構押さえちゃってるのかもしれないなー、と。えーっとちなみにR列 16番だったので真ん中には違いなかったしセットの都合上前の方の席が何列かは潰してあったと思うのでそれで結構近くに観えたんで良しとする。(何様)カミュの作品って全然読んだこともないしもちろん原作っつか本も読んだことがないので(おい)どういう話かも知らなかったしとりあえず情熱大陸でちらっと見た小栗くんがほぼ真っ裸に近い格好で出るシーンがあるってのをどうにか知ってたぐらいで。(苦笑)前半の休憩までは何とか乗り切ったんですが後半がどうにも展開と台詞の難しさで意識が遠のく瞬間があって(は?)寝てはいないんだけど小栗くんが遠いよーふー…ってなることはあった。(爆)とにかく3時間半の長丁場だったのでやばかった。(おい)なのでお前の読みは間違ってるYOっ!ってのも多々あると思うんですがま、お芝居は観た人それぞれ感想は異なって当たり前ってことでお許しいただきたく。(ぺこり)どうにもまず最初から近親相姦か?ってぐらいの関係にあった妹が急死してどっぷり落ち込んでるらすぃーカリギュラっていう話題で持ちきりの貴族たちの慌てふためく様ってのから「あわれ彼女は娼婦」(観劇日記No.144参照)に似てるのかしらん?とか思う。ま、全然違うんですけども。(苦笑)つかたぶんカリギュラは妹が死んだ瞬間に一緒に死んでしまってるんだろうね。肉体としての入れ物としての自分は生きてるんだけど中身は空っぽっつかそういう虚無感に取り付かれてしまってるっつか。だからこう自分の周りの人たちと言うか貴族たちの肉親を殺して金品を巻き上げるっつの?そういうのを何とも思わなくなったっつか。自分以上に痛み苦しんでる者はいないだろうっていう驕りみたいなのもあるよね。お金持ちだし裕福な暮らしもしてるし何不自由してない貴族たちから1つぐらい奪っても何も感じないだろうみたいなさ。「どうせどんな人間も遅かれ早かれ死んでしまうんだからその時期を決めてやることぐらい何でもない」みたいな台詞があったと思うんだけどこう自分が神にでもなったかのやうな勘違いっぷりもそこにはあるのかな?いや、そこまでの驕り高ぶりとかとは違う気もするんだけど。とりあえず自分の周りにいる貴族連中は自分と同じ人間であるっていう視点からは離れてるよね。それはたぶん貴族たちの口から何一つ心ある言葉ってのをカリギュラ自身が聞いたことがないせいなのかもしれない。何かって言えば貴族たちと言えば自分に媚び諂って無理難題を申し立てても「ごもっともです」としか言えないっつか言わない人ばっかりで誠心誠意間違ってることなら「それは間違っています」って恐れ多くも正してくれる存在なんて誰一人いなかったのがそもそもダメだったんだと思う。その点エリコン(横田栄司さんの役どころ)は成り上がり貴族っつか奴隷の頃にカリギュラに拾われて?ここまでのし上がって来た人物だしこう思ったままを口に出す人物みたいだしそういう点が気に入られてると言うか信頼がおける存在っつか。だからエリコンからは特に何も奪ってないんじゃないのかなー?それよりも「月を手に入れるにはどうしたらいいか?」とか相談?を投げかけたりしてるし最後まで目をかけてたっつか人間対人間としての関係だと思ってたんじゃないのかなー?ケレア(長谷川博巳さんの役どころ)とシピオン(勝地涼くんの役どころ)は貴族たちとは一線を画してるよね。ケレアは貴族の中の1人なのかもしれないけどカリギュラの人格を作り上げたのは自分たちの側にも少なからず責任があるってことをちゃんと自覚してる人な気がする。貴族たちと一緒にクーデターには加わるけど貴族たちが思うような理由ではクーデターは起こさないみたいなゴール地点として目指すところは一緒でもその過程は違うってことを明確にしてるみたいだし。特に誰かを殺されたとか彼女を目の前で強姦されたとかそういう恨みつらみはないみたいだけどどういう確執があったのか…?でも何にせよカリギュラを葬ることに対しては賛成の意を表明してるしそれはどこかに「自分ならカリギュラを止められる」っていう自負みたいなものもあったのかもしれないけど。シピオンはちょっと複雑かなぁ…?自分の父親がカリギュラに無残にも舌を抜かれて拷問にかけられて惨殺されるところを目の前で見ていて(見せられていて、かな?)復讐心は確かにあるみたいだけどカリギュラを愛しているか?と問われれば「あの人を愛しています」って答えてしまう内面も持ち合わせてて殺してやりたいほどに憎みながらも憧れるっつか愛して止まないってとこなのかもしれない。恐れとかそういうことじゃなくてカリギュラの持つ世界観に一度は肯定したのだから。父親を殺されてすぐカリギュラをそのまま手にかけるってことも出来なくはなかったはずなのにそうしなかった。詩人として文化的にも学術的にも交流して「天才って言うのはこういうものかもしれない」って受け入れたんじゃないのかな?カリギュラになる術はないけれどカリギュラに少しでも近づきたい、そうなりたいと思ったこともあったはず。だから憎み切れなかったんじゃないのかなーと思う。だからセゾニア(若村麻由美さんの役どころ)もシピオンには「彼を理解してあげてほしいの」って頼むわけだし。 セゾニアは…カリギュラの奥さんってことになるのかな?どういう位置関係にあるのかがいまいちよく分からなかったんだけどとにかくカリギュラを愛してるわけだよねぇ?(おぶおぶ)でもカリギュラは自分よりも妹の方を選んだわけだ。愛されてないわけではなかったにしても自分が死んでもこれほどまでの死ぬほどの苦痛をカリギュラが味わうか?と言えばどうだろう?「自分のためにあなたも死んで!」って頼んだところで今のカリギュラならまず断るだろうし。(爆)そうしてセゾニアもカリギュラの手にかかって死んでしまう。でも「愛するセゾニア!」って絶叫しながらその手にかかるのだとしたら彼女にとったら幸せだったのかもしれない。その言葉が彼女に届いていたかどうかは分からないけれど。役で言えば若村さんと小栗くんだとかなりの年齢差があるやうな見た目(おい)なので母親に見えなくもないかなー?とも思ったんですけど(爆)でも彼女にしてみれば母親のやうな視線でカリギュラを包み込んでたのかもしれないし。どんなに悪いことをしようとも全て受け入れようとするところとか。ある意味荷担してると言ってもいい。それでもセゾニアではカリギュラは救えなかった。それだけだ。でカリギュラは結局暴君だったんですかねい?(は?)「人は誰でも死ぬことが決まっているならいつ死んだって同じことじゃないか」と彼は言う。それはどうにも真っ当だと思う。間違ってはいない。明日死ぬかもしれないし1年後かもしれないし5年後かもしれないしまだまだずーっと先のことかもしれないしそれが分からないから生きていられるのだと言う人もいる。でも死ぬには違いないのだ。それがいつになるとしても。だからカリギュラのやってることにはブレがないと思う。そのやり方はどうあれ。でそうやって暴れ狂ったやうな暴挙に出ながらも「月を手に入れたいのだ」というカリギュラ。太陽ではなく月。あたしも月の方が好きだ。満月よりもずーっと細い三日月なんかだとそそられる。(は?)どうにもカリギュラには底の見えない影があるやうに思われる。それは愛する妹を永遠に失ってしまったという喪失感っつか虚無感っつかどうせ生きてたって仕方がないのだみたいな自暴自棄なところとかがそうさせるのかもしれない。そう、カリギュラの行いは緩慢な自殺行為だと思うのだ。貴族たちの肉親を殺し、妻を強姦し痛めつけそうやって貴族たちの不信感を募らせそうして自分を殺させるほどの憎しみを抱かせる。カリギュラはきっと自殺も考えただろう。でも出来なかったんだと思う。自殺することが怖かったのかどうかは分からないけれどとにかく自分では死に切れなくてそうやって不特定多数の憎しみから殺される自分ってのを演出してたとしたらどうだろう?途中ケレアを呼び出してクーデターに加わってる人物リストを書いた物を手に入れたのだと彼に見せるシーンがある。ケレアにしてみれば気が気ではないだろう。自分が呼び出されてそのリストには当然自分の名前も書いてあるだろうしそれを知ってるカリギュラに今その場で殺されても文句は言えないわけだ。なのにカリギュラはそのリストをケレアの目の前で燃やしてしまう。「これで証拠がなくなった」と。「これで私を殺そうとする企てごとなど何もなかったことになる」とまで言う。殺される体勢は作り上げたけれどむざむざと殺される自分ってのは許されなかったのかもしれない。プライド…ってのかなぁ?それか一国を治める者として自分がクーデターで死んだとなれば市民たちがどう思うかってのを考えてのことかもしれない。誰かから裁かれる自分…じゃないなー。人間以下の存在の貴族たちから殺される自分ってのが許せないのか?自分がこれほどまでに他人を痛めつけてそれでもし何も起こらないのだとしたら神も仏も(ま、仏っていう存在は東洋的ではあるけれども。苦笑)いない世の中ってことになる。それだから妹は死んだのだ、と。でももしこの自分を裁くものがいるとしたらそれは神だと思ってたのかもしれない。神に近い存在になった自分を真実裁けるのは本当の神だけだ、と。だから殺されるのだとしたら神に殺される自分であってほしい。そう思ったんじゃないのかなー、と。それにしても小栗くんってばほぼ出ずっぱりだし台詞はもう大量てんこ盛りだしホントもう凄いの一言。鍛えてるとは言ってたけど華奢そうに見えてかなり筋肉体質だったりでやはし脱いだらすごいんです体型ですた。(何)女装もなにげに可愛かったし。(え?)あれはあれで萌える人には萌えるんでしょうなー。(遠い目)セット?としては音楽にはパンクだし舞台装置はネオンばりばりだし現代演劇って言っても充分通じるし新作って言われれば信じちゃいそうな。(苦笑)でもとりあえず原作を読んだところで理解は出来ないんだろうなー。(苦笑)あと月川(悠貴)さんが普通に男役でそれはそれで綺麗ですた。(え?)つか月川さんの格好って金子(國義)さんの絵に出て来る人物にものすごく似てる気がしたんですけどいかが?(え?)カテコは3回か4回ほどあったかなー。小栗くんファンなぢょしが総立ちで全然見えなくて困るので(苦笑)最後は「見えないし、ね?」と思いながら立ちますた。で最後のカテコで引っ込む時だったかな?小栗くんが超絶可愛い笑顔でにっこり笑ってぺこんってして捌けてったのを観て「あれは惚れるわー」な後ろの席のぢょしたちの発言を聞いて同感と思ったよ。(え?)あれは…ダメだね。あんだけ張り詰めた演技した後であの笑顔でしょ?そりゃ計算とは言えまた人気急上昇っすよ。あれはごちそうがまでした。(は?)とにかく次はもうちょっとチケ取りがラクになるといいんですけど…そうもいくまい。(苦笑)とほ。あ。そうそう。パンフの対談で蜷川さんとケラさん(ケラリーノ・サンドロヴィッチ氏)だったりでちょっと嬉しいーん。つかあの2人に接点がどうしてもあるように思えなかったので超意外。びつくり。ま、大概どんなに高くてもパンフは買って帰るけど何かそういうお得感があるとちょっと違う。(自分的にですけども。苦笑)次まちゃ(河原雅彦氏)とかあったらもっとびっくりするだろうけど…ありませんかねい?(おい) |