178.「コンフィダント・絆」

主なキャスト:中井貴一・生瀬勝久・寺脇康文・相島一之・堀内敬子
作・演出:三谷幸喜 舞台監督:松坂哲生
公演記録:2007.5.10〜31@シアターBRAVA!(大阪)
ま、絵画には元々興味があった(これでもいちお博物館学芸員の資格は取ってる…けど使い物にならない資格なので(爆)持ってるだけとも言う…。黙)んですけど三谷幸喜作品に外れはないってのもあるわけで。画家4人(スーラ・ゴッホ・ゴーギャン・シュフネッケル)が1つのアトリエを借りて切磋琢磨するってのは日本で言えば「トキワ荘」っぽい感じなのかなー?とも思いつつ。ゴッホもゴーギャンもとりあえず名の通った画家さんだし日本でも結構人気あるしスーラも今シャープの液晶テレビのCMで吉永小百合さんが絵画の中に入り込んじゃうシリーズ(え?)の中で川べりの木陰で男女が日向ぼっこしてるやうな昼下がりの風景を切り取った絵(この舞台の中でもタイトルだけ語られますが「グランド・ジャット島の日曜日の午後」って絵です)を描いた人って言えば「あーっ!」と思い当たる人もたくさんおられるのではないでしょうか?そうは言いながらあたしも残念ながらシュフネッケルと言う画家さんに至っては名前も全然知らなくてどんな作品を残した人なのかも知らなくて「ホントに実在する人なの?(爆)」ぐらいの勢いだったりしたんですけれどいちお実在の人物ではあるやうです。(当たり前)お芝居の中では絵のセンスも全然ないし目利きでもないだなんて散々こけにされてしまうシュフネッケルではありますがパンフを見るところによるとそれなりにと言うか物凄く審美眼を持ち合わせた人物だったそうで売れっ子になる前から目を付けていろんな画家さんの作品をコレクションされてたとか。ただ絵の才能に関しては模倣の域を出なかったそうで…。あーそれにしても何にしても生瀬(勝久)さんのゴッホが超可愛いー。(は?)最初は「生瀬さんがゴッホ…?(おぶおぶ)」ぐらいの半信半疑(だってゴッホと言えばちょっと(いや、だいぶ…か?)神経質だし最終的に自分の耳は切り落とすわ、ピストル自殺はするわで振り切れたやうな人っていう印象があたしの中で強かったので)だったんですけどもうー何なんですか、あれは?(え?)いや、今までだって生瀬さんは好きだしキュートさもそれなりにあったと思うんですけど今回別の生き物のやうに(え?)可愛過ぎるー。帽子かぶった下にニット帽までかぶってるその変人っぷりはともかくとして(おい)ゴーギャンに頼りまくりっつか「何か?おまへはそんなにゴーギャンのことが好きか?」って詰め寄ったら「うんっ!」って元気よく頷かれそうな思わずぎゅむーっ!と抱き締めたくなるやうな(あたしがやったら「暑苦しいわっ!」って即効追い払われそうですが…)もう胸の奥底鷲掴みな勢いの可愛さと言ったらない。ルイーズ(堀内敬子さんの役どころ)がせっかくモデルとして来てるってのに「ヌードは割増料金がいる」となったらゴーギャン(寺脇康文さんの役どころ)に「じゃあ脱いで?」ってせがむとことか(しかもシュフネッケル(相島一之さんの役どころ)が「俺が脱ぐよ」って執り成してくれてるにも関わらず完全スルーでゴーギャンに向かってだけ「ちょっとでいいからー」って拝み倒すとことか。苦笑)思いっきり拗ねた時に誰も相手になってくれないもんだから「ごーぎゃぁーんっ!」って思わず言っちゃうとことか激烈きゅぅーてぃーだっつの。だぁぁぁぁぁっ!!!!!つって走り出したくなるぐらいに可愛い。(謎)それでいてルイーズとそれなりに関係持っちゃったりしててもーほーなわけではないのね。(じゃ両刀…って下ネタかよっ!爆)いやいや、そんなもーほーちっくなおねえな感じじゃなくてまるで幼児な。(おい)ご機嫌損ねちゃったのん…ないじけた感じも愛らしい。ダメだ、完全に生瀬さんに全部持ってかれてる…。(お前がな)いやいや。生瀬さんの可愛さだけじゃなかったっすよ、このお芝居。(当たり前)何つーか同業者と言いますか芸術家として世の中に作品を生み出すとなれば当たり前だけれど上手とか下手とかもっと言えば才能があるとかないとか世渡りが上手いとか下手とかそれなりにあるわけで。売れない間はいい。みんなとんとんでしかない時代だったなら「きっとそのうちお前の絵も世の中に認められるようになるよ!」って本心から励ましただろうし1枚でも絵が売れれば「おめでとうっ!」って心の底から喜んだことだろう。でも突出した才能だとか1人だけ抜きん出て売れっ子になったりなんかしたらやっぱり妬みや嫉みが全くないって言ったらウソになるし「おめでとうっ!」って言葉も社交辞令っぽく聞こえたりしてしまうこともあるだろう。「きっと売れる」って言葉も嫌味にしか聞こえないこともあるだろう。それでも一緒にいるのは友情なのか?それともただの惰性か?売れないうちは友情で売れてしまったら友達でも何でもなくなってしまうのか?そもそも友達って何だ?どこでそれは線引きするもんなんだ?友達になる基準なんか分からない。ある日なんとなーく友達になってる気がするもんだし。何をしたら友達?友達の条件って何?つか条件だ何だって言ってる時点でちっちゃい人間に見えなくないか?友達って何だろう?「君には才能はないと思うよ?」ってはっきり言ってやることも友情なのか?それともオブラートに包んで気遣って「きっとそのうち芽が出る時が来ると思うよ?」って慰めてやることの方が友情なのか?でもそういうのって人それぞれ性格のあることだし「これは相手が傷つくことだから…」って優しい人もいるだろうし「自分がはっきり言ってやらないとっ!」って正義感?の強い人もいるだろうし。そう考えれば人それぞれ「友達」だと思う人のいめいじも違うだろうし友達はたくさんいた方がいいって言う人もいれば友達ってちゃんと呼べる人なんか1人か2人でいいんだって人もいるし。難しいなー…。(黙)

今回キューブ先行で申し込んだら当選してしまったので(おい)N列 40番ってちょっぴりビミョーな席だったりしたんですけど前楽の昼公演ってことでそれなりに殺到したんですかねい?(おぶおぶ)前半ゴッホの可愛さに暴走し過ぎたので(爆)他の人たちについてもコメントしようかと思うんですけれど。スーラ(中井貴一さんの役どころ)は優等生って感じかなー、と。よくも悪くも秘密主義者(劇中でも病気にかかってることを黙っててしかもそれで死んでから妻子がいることが分かったってぐらいだから誰にも気を許してなかったとも言えるのかも?)で1人だけ売れっ子。(苦笑)そのことを本人は心苦しいやうなそれでいてちょっとした優越感的なとこもあったりしてそれも全部感情を押し殺した中に閉じ込めてて結構何考えてるかよく分かんない感じ?取っ付き難い…とこもあるのかなー?なんて。ゴッホに物凄く才能があることも分かっててそれでいて直接ゴッホに「君の絵は凄い!」だなんて言えなくて第三者であるシュフネッケルにコメントを求めたりあくまでも自分は悪者になりたくないみたいな逃げもある。そう言うとこは人間臭いっつか等身大の人物って気もしないでもない。自分の才能にいまいち自信が持てなかったりしてて周りにどうしても才能がある人ばっかりがいるもんだから不安で仕方がないんだろなー。ただゴッホは世渡りが下手過ぎる。依頼主が頼んだ通りの絵はちゃんと描けないし(しかも自画像描いて渡しちゃったりして(それも笑顔)超不気味とかみんなに言われてるし。苦笑)弟に金銭的なところは全面的に頼りっ放しで人生相談はゴーギャンに頼りっ放し(爆)で。でもゴッホの絵はみんなが凄いって認めてる。(シュフネッケル以外ってことだけど)でも「見たままを描く」ってのはこれまた幼児っぽいと思うのはあたしだけなのかなー?ちっちゃい子ってそのまま目で見たまま何の飾り付けとかもなしに描くじゃないですか?色使いとかも自分で思った通りに塗りたくったりして「…え?そこはその色でいいの?」みたいな絵とか描いたりするじゃないですか?やっぱり大人になると技巧に走っちゃうと思うんですよねー。他人からどう見えるか?とか「ここはこういう風にした方がいいんじゃないか?」とか変な知恵とかも付いちゃったりしてセンスとかよりも評判の方を気にしちゃうとこが出て来たりすると思うんですよねー。でもゴッホは違った。「他人からどう見えるか?」なんて気にしたこともない。大切なのは見たままをそのまま写し取ることだけ。その人の持つ背景が青に見えればそのまま青にするしそれは他の人にもそう見えるはずだって信じて疑わない。だからシュフネッケルに慰められた時も一番容赦ない言葉を投げ付ける。「君みたいに才能のない人に言われたくなんかない。それはみんなが思ってることだ」ってまず最初に口火を切るのはゴッホだった。その辺もかなり幼児っぽい。子供っぽいって言うのかな。思った通りに描いて思った通りのことを口に出す。誰かを気遣うなんてことはない。でも誰かに世話して貰わないと生きてもいけない。構って欲しい。自分の話を聞いて欲しい。慰めて欲しい。「大丈夫だよ?」って言って欲しい。あれもして欲しいしこれもして欲しい。自分っていう国の王様。ゴーギャンはちょっと屈折してるかなー?ゴッホに絵の才能では絶対に敵うわけがないってことは認めてる。だけどそれ以外のことでは全部自分の方が優ってるってことで何とか自分ってのを保ってる。ゴッホに頼り切られてる自分。自分がいるからゴッホがかろうじて生きていけてるってことで満足させてる。でもだからって嫌味じゃなくて弱ってるところにささっと手を伸ばしてくれる人。痒いところに手が届く人とでも言いますか。(それは違う)ゴッホがゴーギャンと一緒にアルルに移り住んだってのは有名な話だしホントはそうは言いながら結構世話焼きだったのかもしれない。この中で一番感情がフラットな人だったんじゃないのかなー?誰とでも仲良くなれてでも八方美人ってことでもなくて。シュフネッケルは一番可哀想な人かなー。でもシュフネッケルがいなかったらこの3人ってまとまりなんかホントなかっただろうし1ヶ月いや半月だって一緒になんて暮らせなかったと思う。だっててんでバラバラだもん。そういう意味ではホントに優秀なコンフィダントだったんだなーと思う。だけど残念ながら彼には才能がなさ過ぎた。一緒にいるのは本心友情からだと信じて疑ってなかった。誰かが売れれば心の底から喜んだし誰かが落ち込んでれば本心で慰めた人だった。上手く行ってる時はそれでよかった。だけど歯車が1つ掛け違ってちょっとずつ方向が違って来たらその本心の一言がうざったらしく聞こえて来てしまったんだろうと思う。「お前に何が分かる?」そう思うことで自分を保ってたんだろうしそれが土砂崩れみたく崩壊してしまったあの瞬間が余りにも辛かった。誰が悪いわけでもなくて誰のせいでもなくて遅かれ早かれいつかは辿る道だったのかもしれない。それでもシュフネッケルはすがりたかった。「バカにしてもいいから一緒にいてほしい」って言う彼の叫びは悲痛だった。もうホント声を上げて泣きそうでやばす。いや、まぁルイーズがそれぞれの画家さんが落ち込むたびに「あなたは大丈夫だから。これからちゃんとやって行けるから」って歌うたびにいちいち泣いてたんですけども。(爆)でもってルイーズ。歌が上手いのは当たり前で(劇団四季に所属してらしたぐらいだから)素敵だったんですけどホント老婆のルイーズから若くてみんなにちやほやされてたルイーズまで幅広くて絶句。同じ人が演じてるとは思えないぐらいに凄い。恋人であってお母さんであって姉であって妹であって友達であってっていう全部の役を引き受けてたルイーズ。ルイーズを見ながらみんな何を思い浮かべてたんだろう?何をその紙に描き取ろうとしてたんだろう?ルイーズがいなかったらもっと早くに終局を迎えてたのかもしれないしルイーズがいることでもしかしたら最後の結束を結べてたのかもしれない。友情はいつまでも変わらずそこにあるなーんて甘んじてちゃいけないのやも。惰性でだらだら続けて行くだけじゃなくて新しい風も入れてあげなくちゃなのかもね。ま、でも友達だって他人なわけだし「あたしのこと、分かってくれるでしょうー?!」なーんて期待し過ぎちゃいけないし友達だからって礼儀がないわけでもないし分からなくて当たり前ぐらいでちょうどいいけど分かろうとする努力は惜しまない、と。あぁやっぱり友達って難しい。とほ。

と。今回前楽ってことだったのか2幕明けに三谷(幸喜)さんご出演で楽器演奏をば。家は朝日新聞なんでいつも連載があるんですけどそれに「東京公演はプレビューで演奏したら毎日やらないといけないはめになった」ってあったから「あーでも東京公演だけなんだろなー」と思ってたらサービスあって嬉しいでつ。って…これは大阪公演は毎日ってことはなかったんでしょうけれど。(苦笑)六甲おろしがちょろっととメインテーマ(ルイーズが歌う曲)とでちた。で中井さんに「今着いたとこなんだよー」って絡んで引っ込んで行かれました。(苦笑)カテコは出て来られなかったですけども。あー!今回男性陣4人がルイーズに歌を歌ってあげるシーンがありましたが。ちゃんと生瀬さんも歌っておられましたことよ。(え?)前ーに「鈍獣」(観劇日記No.78参照)で生瀬さんだけは格好だけで歌ってないけどちゃんと歌ってるように見えるようにはしてるなんつーインタビューに答えてられたのが印象に残ってて。(苦笑)目見開いてるから(え?)歌ってるように見えるらすぃー。(爆)今回生瀬さんの生歌が聴けてよかったでつ。ま、4分の1ですけども。なんつーか最初から最後まで生瀬さんに討ち取られたりーなレビューですいません。(ぺこりぺこり)むうーん。