162.「哀しい予感」

主なキャスト:市川実日子・加瀬亮・藤井かほり・奥村知史・松浦佐知子・一本木伸吾
原作:よしもとばなな 脚本:黒木久勝 演出:塚本晋也 舞台監督:松坂哲生
公演記録:2007.1.26〜28@シアター・ドラマシティ(大阪)
なんつーか初期吉本ばななの作品で「哀しい予感」ほど何回も読み返した作品はないやうな気がするんですけれど。つかぽかんと時間が空いてヒマになれば手に取って読んでたとすら言っていいほど。(それ、好きかどうかいまいちぴんと来ない言い方だなー。苦笑)そもそも吉本ばななにハマったきっかけはうちのパパリンが「キッチン」を買って来て「今、これが流行ってるらしいぞ?」とか何とか言いながら自分が読むのかと思いきや「何やよう分からん本やなぁー」っつー感想で(苦笑)「読みたかったら読みー」と回って来たのを読んでちょっとお気に入ってしまった次第。ホントその当時はばなな信者と言ってもいいぐらいに本屋さんの吉本ばななの棚がそのままお引越しして来たのか?っつーぐらいにエッセイまで全部揃ってた。今はもうちょっと作風が変わられたっつかなんとなく神がかり(は?)になってしまわれたので新刊が出れば買わなくはないけど放っておいても大丈夫(え?)ぐらいの距離感になってしまったけれど。(苦笑)なので舞台化されるってことと塚本(晋也)監督がやるってことと加瀬亮くんが出るってことでこれはなかなかよさげだと思って期待しまくり倒しだったんだけれど…。どうにも東京公演での評判があまりよろしくないようで「これは期待しない方がいいのかなー?」と不安になってみたり。それでもまぁどうにかネタバレは避けつつ評判がよろしくないことは極力思い出さないようにして(じゃないとよろしくないって言う感想を抱かないとお芝居の分からない奴だなーみたいに思い上がった感想を書いてしまいそうで…)観るようには心がけたんだけどやはし悲しいお芝居でありんした。とほ。さすがにあたしが観た回は大楽だったので台詞を噛むってことはよほどのことがない限りなかったんだけどそれでもところどころ言い直したりしててそもそもこの長い台詞を一息に喋らせようとすること自体がもう無理なんじゃないかな?と。つかずーっと観てて思ったんですけどこれって朗読劇か何かにした方がよっぽどよかったんじゃないのかな?って。「哀しい予感」ってそもそもロードムービーっぽいとこがあるじゃないですか?弥生(市川実日子さんの役どころ)と哲生(加瀬亮くんの役どころ)の家族のいる家とゆきのおばさん(藤井かほりさんの役どころ)の住む洋館との行き来と後半ゆきのおばさんが失踪して追い掛けて行く長野の別荘と最後の青森だけでもかなりの移動が必要になって来るじゃないですか?それを本当にいちいち作り上げてしまったとこはすごいとは思うけどお芝居なんだから観てる側に想像させる余地ってのも残しておいた方がいいんじゃないのかなー?って。舞台になってしまえばそれは演出家の思い描く「哀しい予感」の世界であってそれがあたしの想像と違ってたってのは仕方がないことなのかもしれないけど洋館なのに引き戸の扉とかはちょっと残念。(黙)それに何て言うのかなー?いちいち芝居が大げさに作ってあった気がする。こうおばさんの家はとっ散らかってて足の踏み場もないってのを表現することに必死になっててホントに大げさな「えいっ!」っていう一歩がどうにも観てて気になるったら。あとでかいプリンもどうだろう?(え?)別にわざわざ引っくり返して見た目プリンにこだわらなくてもよかったんじゃないのかなー?と。そのぉー…「ほらっ!」みたいにこれ見よがしに銀の蓋を開けたらプリンがお皿にぼよんと乗っかってましたって言うよりボールか何かにそのまま混ぜて固めただけのプリンが入ってたっていう方がよっぽど面倒臭がりっぽくてよかったんじゃないかなー?と思うし。ビジュアルにこだわりたいんだったら別にお芝居っていうツールじゃなくても映画化した方がよっぽどラクだろうにどうしてお芝居っていうツールにしようと思ったんだろう?この世界を共有することのメリットってのが感じられないんですけど。(爆)だから朗読劇にして台詞の部分だけ声色を変えて演者になって説明台詞のとこは普通にさらっと読み流して行くスタイルの方が合ってると思うんですけど。そうしたら動かなくていいしあの移動をちょっとでも減らせば上演時間だってもう少し短く出来たはずだと思う。本当に「全部再現したいんです」って言葉そのままにはしょってる部分が全然なくて悲しいほどに時間の流れを感じてしまったことだよ。そのくせゆきのが正彦(奥村知史くんの役どころ)の子供を人知れず孕んで堕ろしてたっていうエピソードはまるっとカットされててゆきのと正彦がどうして別れなくちゃいけなかったのか?っていうかゆきのが正彦を遠ざけようとした理由がはぶかれててただの姉妹の隠された過去を呼び戻す物語に終始していて正彦くんがいる意味って一体?ってことになってしまってたし。それじゃぁ普通に生徒といけない関係になってしまった女教師みたいになっててゆきのは部屋を片付けられないだけじゃなくて人生すらも片付けるのが面倒臭くなってる自堕落な人みたくなってしまってはいないかなー?と思って。たぶんこのエピソードまで盛り込もうと思ったら3時間半(休憩20分込み)では済まない!と思ったんだろうねぇ。つか青森を舞台に再現するってのが無理あり過ぎだよ。(黙)なんかちゃちくさい風景画みたいになってたんですけど。(どよん)だーかーらー朗読劇にー。(以下略)とほ。

とまぁなんやかんや言いながら席は9列 6番っつー端っこで脇を市川さんや加瀬くんが通って行ったりでそのたびにちょっぴりテンション上がったりもしてたので(爆)完全にだれんとはしてなかったんですけれど。でも東京は本多劇場でやったんだよねぇ?あたし、本多に行ったことがないのでどれぐらいの規模か分からないんですけどかなりちっちゃい箱だってのは聞いたことあるし大阪厚生年金の芸術ホールの2階部分がないぐらいの感じなのかなー?とか思うんですけどそれで客席から登場とかあんなに頻繁にあったらちょっと引くかも。(え?)元々ドラマシティぐらいのキャパを想定して作ってた舞台なんじゃないのかなー?なんて。や、でも全然演劇携わったことないですーってのならまだ「あぁ、まぁ初めてだし…ね?」みたいなとこもあるんですけど経歴読んでたら昔何本か公演打ってるんですねい。うーむ。海獣シアターって聞いたことある気がする。それなのにーなーぜー?!(おぶおぶ)あとどうにも気になったのが役の台詞の強弱のつけ方があたしが思い描いてた「哀しい予感」のトーンの生理と合ってなかった気がするんですけれど。なんかずーっと張り気味なのね、台詞が。市川さんとかは台詞以外に地の文も読んでおられたのでそこまで前へ前へ押す感じではなかったんですけど加瀬くんの台詞がどうにも前のめりな感じだった。なんかもっと出来る人だと思ってただけに(映画で観るとそこまで違和感ないし演技も上手いと思うんですけれど)力みが出てたのかなー?とも思うんですけどそれだけじゃないのかなー?演出の方針?こう弥生と哲生がビミョーな距離感になっちゃってそのままおばさんの家に一旦帰って来て「あたしが家出るよ。哲生はそのままお母さんたちと一緒にいてあげて?あたしはおばさんと住むよ。その方が姉妹一緒に住むんだしおかしくないよ」みたいに言ってそれを哲生が「逃げんなよっ!」って諭す(つか怒る?)シーンがあるんだけどそれがどうにもこうにもだだ怒りって感じで「いやいや。そこまで何も大声出さんでも…」と思ってしまって正直どん引きだったのだ。「なんか違うー」ってのが「絶対違うー!」ってなってしまってさ。(黙)大きな声を出さなくちゃ伝わらないと思ってるんだったら違うと思う。小さい声でも伝わることはたくさんあるよ?あと弥生と哲生がぢつは自分たちは血の繋がった姉弟じゃないんだってことが分かって初めてキスするシーンがあまりにもドラマチックな音楽がどばばばーんっ!と流れてて「…えーっと…」とか思ってしまったい。なんかそんなに甘々にしなくてもいいんではないでしょうか?つかテレビ見てるんじゃないんだし…。音楽なんかなくても充分ドラマチックな展開になってるのでさらっと普通に見せてくれた方がよかったんではないかと。なんかミョーにこっぱずかしくなってしまったよ。なんかやっぱり「ダメだったー」な感想に引き摺られてるのかなぁ?むうーん。いやいや。ちゃんと誉めてる人もいるし「良かったー」って言う人もいるんだから要するにあたしには合わなかったっていうそれだけのことだと思うんですけど。思い入れが演出家さんと同じ程度には重過ぎたのかもしれません。(苦笑)ここはもう一度仕切り直していただいて映画化でまた視点を変えて臨んでいただければと。(やるかどうか分かんないけどさ)だって別に監督としての塚本さんは気にならないんだもん。こないだ「悪夢探偵」観たばっかりだけど普通に好きだったよ?や。グロ系だったけどさ。どろぬちゃだったけどさ。(苦笑)でも映画って「はい。ここ注目」ってとこにカメラを寄せれるじゃない?でもお芝居はやっぱりさみんなどこ観てるか分かんないじゃない?主役ばっかり観てる人もいるし脇役チェックな人もいるしそれぞれかもしれないけどでも演出家の考える観て欲しいところに焦点が当たってるとは限らないじゃない?全体見渡してなんぼのもんじゃない?その全体のバランスのよさっつか「ここ、こんなんなってませんけどぢつはこういう風になってるんですよー」みたいなお客さんとのあうんの呼吸っつかないものをあるように感じさせる共犯関係っつかなんかそういうのあってこそだと思うんですよね。きっちり作り込んじゃってて想像の余地がなくてもダメなんだと思う。映画だと監督の世界観で済まされるけどお芝居は演出家の世界観はあって当然だけどなんて言うのかなー?余裕がないとダメなんだと思う。ぎっちぎちに詰め込み過ぎてると疲れちゃう。なんかものすっごく贅沢に失敗しちゃったって感じ?(は?)ここにはあたしが「哀しい予感」の小説で感じたものはなかった気がする。あぁでも全然前評判も知らずにまっさらな状態で観てればもしかしたら手放しで褒めちぎってたりするかもしれないので分かんないですけど。あ。でもそれはないかなー?(爆)でも次こそはもう少しまともに加瀬くんを舞台で観てみたいでつ。(おい)