734.「レミング〜世界の涯まで連れてって〜」

主なキャスト:溝端淳平・柄本時生・霧谷大夢・麿赤兒・占部房子・青葉市子・ごまのはえ・花井貴佑介・廻飛呂男・浅野彰一・柳内佑介・笹野鈴々音
作:寺山修司 上演台本:松本雄吉・天野天街 演出:松本雄吉 舞台監督:大田和司
公演記録:2016.1.16〜17@森ノ宮ピロティホール(大阪)
あらすじ>>「都市とは、そこにすむ人々の内面を外在化したものである。」「都市は、一個の生命体である。それ自身あらゆるものを貪り、排泄し、呼吸し、増殖する巨大な生き物である。」

東京都品川区五反田本町二丁目一番七号、幸荘十号室。コックのタロとジロ、畳の下にはその母親が住む下宿屋の仕切り壁が消えた。
隣りの部屋には熱にうなされる夫を必死に看病する妻。修理を依頼しても、大家は下宿屋の存在そのものを否定する。

壁のなくなった部屋には、次々に奇妙な訪問者が訪れる。部屋に都市が流れ込んでくる。映画の撮影所、病院、牢獄。
行き過ぎよ、影。世界の涯まで連れてって。

前回観た時にあーんまよく分かんなかったので(えー)もっかい観たらちょっとぐらいは分かるかなぁ??と。(え)前回が2階席だったりしたので(…っつっても会場もシアターBRAVA!だったりしたのでキャパそのものが違う…!)今回もそこまで期待してなかったんだけれどもe+の先行で取ってみたらばE列 39番とまぁものっそい前方列だったりしてビビるwww…でもあたしのすぐ隣の席が見切れ席??で黒く潰してあったりなんかして下手したらばあたしの席からでも結構な見切れ席になるんぢゃねぇか??(おぶおぶ)と思っておったんだけれども斜め前〜辺りにそーんなにでっかい人とかが来なかったのでよしとする。(は?)前回はそこそこテレビサイズの俳優さんたちがメインを占めておってしかも兄弟役がやっしー(八嶋智人氏)と仁たまー(片桐仁氏)だったりしたのもあって面白担当??(違)…ぢゃないけれどもこういう不条理劇にしてはコミカル度合いが高かったと思うし兄弟の母親役っつーのも松重(豊)さんだったりしてあんなに図体がでかい(タッパが、かwww←)っつーのに母親って…!!!(どーんっ!)みたいなのもあったりしたのでまぁまぁ笑える路線っつか何っつーか…。それが今回は随分とアングラ劇ちっくっつーのかまず母親役に麿(赤兒)さんが出てるってだけでもそれっぽいっつーのに兄弟役にえもっちゃん弟(おい。柄本時生氏)が出ておったりするところからしてまたしてもそういう傾向が…。(え)前回観たモノをあらかた忘れてしまっておるので(おい)なーんか今回見直しても前回とまるっとそのまんま同じシーンの連続技なのかそれともわざと変えて来ておる(んだとしたらどこか??)のかすらも分からず…。(苦笑)でもタロ(溝端修平さんの役どころ)とジロ(柄本時生さんの役どころ)の兄弟は兄弟っつーけれども母親の前でリアルな像として現れるのはタロの方だけだしその時に「ジロはどうした??」みたいな話題に上ることもなく話が進んで行くところからしてジロはタロにしか見えてない自分の分身っつーのかそういう存在なのかな??と。でも別々の場所に1人ずついる場合だとリアルに像を結ぶ…のか??(おぶおぶ)…でもその場所ってのがリアルに存在する場所なのかどうかも分からないし大家さんに壁が無くなったことを伝えて修理して貰うやうに頼んで来る!つてジロが飛び出してくわけなんだけれどもその大家さんってのだったって4人もいてしかも将棋だったっけか??を指しながら世界の行方を占ってたりするんだからして大家ってのは仮の姿なのか…??…っつかそもそも2人にしたって「コック」つて銘打ってあるけれども仕事をしておるシーンがあるわけでもなくぱっと見だけではこの2人がコックなのかどうかもまずわっかんないし…。(死)ただの記号としての「コック」なのかそれとも世界の腹を満たしてる役目っつーことで「コック」なのか…??んー…でも世界の腹を満たしてるっつってもそれすらもそういう役割を担っておるやうなシーンも特にないので(え)いきなり漠然とし過ぎておって掴みどころがない。(黙)…や、まぁコックの衣装は着てるし中国語のめにうで韻を踏んだのを言い合いっこ(確かにあのシーンは難しそうだ…)しておるところはあったけれどもそれだったってコスプレと思えばそう見えなくもないし。(死)反対にまぁ「女優」っつー職業は分かりやすい。これも前回は常盤貴子嬢が演じておったので「ザ☆女優」みたいな感じで世界に君臨しておる感じがぞっとするほどかっこよかったんだけれども今回はあたしが残念ながら宝塚にあーんまり詳しくないので申し訳ないんだけれども出て来た瞬間の「沸いたーwww」ってな感じにはちょっと遠かったかな??(えー)…や、まぁ宝塚をよく知ってる人からしてみれば霧谷(大夢)さんっつー大スターっつか「華」っつーのかな??それだけで分かりやすい記号になるのかもしれないけれども誰もが思い描くわっかりやすい「女優」像として観るにはちょっと押しが弱い気もしないでもないっつか…。(滅)でもこの女優にしたところで現在進行形ではなくて過去の映像にばかり捉われて「今」を生きていない。それもそのはずっつーのか女優っつーのは仮の姿っつーのか何っつーのか入院患者の治療の一環として「役」を演じて貰うことで生きる気力を失ってる…かどうかは分からないけれども(苦笑)そういう患者さんの社会復帰へのリハビリ的な??大体が人間ってのは「自分」っつー「役」を演じてるわけじゃないですか??…ま、台本が与えられてるわけじゃないのでその場限りのアドリブの連続になるわけだけれどもそれだったってぢつは自分がぜんっぜんっ!無意識のうちに生まれる前から神様っつーいるのかいないのかわっかんないけれどもそういう存在??みたいなのに植え付けられた「役」をただなぞって演じてるだけに過ぎないのかもしれなくてその場その場で自分の力で選び取った…!と思ってることももうずーっとずーっと地球が生まれるよりもずっと前からもうすでにかんっぜんに決め打ちされてることでそれは変えようのないことで自分で勝手に遣り切った…!と思ってることはぢつはそうじゃないのかもしれないってこと。でもその「自分」にしたところで自分自身の知ってる自分と他人から見た自分ってのがまぁーったくもって違っておったりなんかしてびつくりすることもあるわけじゃないですか??自分はそう言う風に思ってなくて口にしたことでもその人の捉えようっつーのか人それぞれ相手の性格とか考え方とか周りの環境だとかそのいろいろが混ざり合って本来自分が思ってもみない方向に流されて行っちゃったりなんかして兎角人付き合いってのは難しいわけだけれどもそれだからって相手に合わせて自分のキャラを変えるとかそういうのもかんったんには出来ないわけだしいちいちそんなこと考えて喋ったり動いたりしておったらば1日どころか2、3時間でぐったり疲れちゃう…。(苦笑)まぁでも人生経験っつーのか付き合ってるうちに相手の性格??みたいなのも見えて来て対処の取り方だとかもいろいろ学んで行くわけだけれどもある程度付き合いの深い人だったらばそやって経験も積まれて行くし分かって行くこともあるわけだけれどもぜんっぜんっ!知らない人とまた1から始めるってのはどうやったってまいっかい疲れることだし自分がこれだけ疲れるってことは相手もそれだけダメージを受けてっつーのか疲れてるんだろうとは思うんだけれどもそのいっちばん最初にいつまで経ったって慣れないし難しいしよく分からないんだけれどもこの病院ってのはそういうことに対するリハビリ専門っつーのかそういうプログラムをメインに据えた病院ってことになるんですかねい??(おぶおぶ)でもこの人1人だけならまだしも他にもいぱーい患者さんは次から次へと引っ切り無しにいるわけなのであってこの人1人の映画を撮るための時間をそーんなにたっくさん割けないわけで二重、三重の同時進行でもって患者さんへの対応もこなしていかないといけないわけじゃないですか??…ま、舞台の上ではたまったま影子(霧谷大夢さんの役どころ)1人にスポットライトが当てられてこの人1人のためにたっくさんの病院スタッフが映画スタッフとなって働いてる…っつーのか付き合わされてるわけだけれどもまぁ世界ってのはもっともっと広いひろーいモノなのであってこーんな限られた人数だけで暮らしてるわけじゃないわけだしここで上手く行ったとしてどうやって世界規模のことに慣らして行くんだろ??(素)みたいなところも残された疑問点としてあるわけだけれどもそう言えば今回はお歌担当??として青葉市子さんっつー少女役の方が歌のパートを担っておったわけだけれども前回この「少女」役ってのはいなかったと思うんですけれど…??(おぶおぶ)その代わりに…っつったら何だけれども「少年」役として作り物の世界っつーのか箱庭みたいなセットの「世界」を持ち歩く少年役がいてそれを女優役を演じておった常盤嬢が二役で演じておったわけだけれどもまぁそれにあたしは最後の最後までぜんっぜんっ!気付いてなくてれびうを読み返して「あー…!そうだった、そうだったwww」ってなことを思い出したんだけれども(苦笑)具体的な改変っつったらばそれぐらいのモノ??(おぶおぶ)なーんか根本的に覚えてないってのが問題あるんだけれどもさー。(爆)…むう。

…にしても全体的に前回よりかはテイスト全体が暗い印象になってるとおも。(え)やっしーはカムカム(ミニキーナ)の時の芝居に比べたら随分と押さえた演技をしておったと思うんだけれどもそれでもこう…前へ前へと面で押して来るやうな演技を得意とする人じゃないですか??それに仁たまーだってあのビジュアルだし(おい)結構悪目立ちするっつーかよくも悪くも役柄によってがらりと見た目を変えて来ない…っつかあの髪形をどうやったっていきなりストレートパーマにする…!っつってももしどうにかなってそれが上手く行ったとしてお客さんはもうそこんところに目を奪われてしまって「仁ちゃんがストパに…っ??!!(わなわな)」なところで止まってしまって先に進めなくなっちゃって(苦笑)話の内容がぜんっぜん入って来ねぇわっ!!!ってことになっちゃうと思うんですよねー…。(えー)それをそうしなかったわけだからしてやぱーりやっしーと仁たまーだったら見た目だけでかなーりのところクドかったわけですよwwwしかも2人ともに黒縁眼鏡とか掛けちゃってるしwww(爆)それにどっちが「主」でどっちが「影」かは分からないけれどもやっしーと仁たまーだったらば身長差だってあるわけだしぱっと見ちっちゃい方とおっきい方みたいなそういう区別の仕方っつーのか見た目にインパクトがあるわけじゃないですか??そこんところが今回は溝端くんと時生くんってことで身長の違いもそこまであるわけじゃないし見た目の違いもそれほどまでにあるわけじゃない。そうしてどうやったってこの2人が演じると陰があるっつーのか舞台の印象が地味ーで暗いんですよねー…。(苦笑)それが悪いとかじゃなくて今回はこのお芝居に合ってると思うんだけれどもこう見た目の派手さみたいなのがない分「女優」が「女優」として引き立ってくればよかったんだけれどもそこんところもインパクトが弱いし唯一ぐぐっ!と前に迫って来るのが麿さん演じる母親だったんだけれども母親の役どころもそーんなに延々と出ずっぱりの役じゃないし影が薄いっつーのか出て来た時には「あ…っ!」ってなるんだけれどもそれでおしまいであとはすー………っとフェードアウトして行っちゃってしかも前回よりも話の内容の混沌さが増してるっつーのか考えれば考えるほどに分からなくなって来るお芝居っつか…。(苦笑)「考えるな!感じろ!」ってそのまんまなんだけれどもそういうお芝居なんだろうけれどもどうやったって「このシーンの意味って…??」みたいなのを考え慣れちゃってるもんだから考えないわけにはいかないしそれが理解出来ないまんまどんどんと先に進んで行っちゃって置いてけぼりで退屈…とまでは行かないまでももうちょっと取っ掛かりのあるお芝居だったらよかったのになー…なーんてwww(え)あとお隣さん役の占部(房子)さんもどっちかっつーと印象として「暗い」人だったりするじゃないですか??(えー)…や、それはほんっとに勝手なあたしの印象なのであって何だけれどもなーんとなく占部さんの演じる役っつーのが薄幸そうなっつーのかDV夫に踏みにじられた挙げ句に恨みがつのりつのってその人を殺しちゃう人の役だったりだとかまぁどっちかっつーと主役でメインを張っておられるよりも犯人役だとか犯人じゃなければそれとなーく疑われる役??みたいなのが普段から多い気がしてそういういめいじで観ちゃうっつーのかそれが「暗い」に繋がってるんだと思うんですけど他に言えば根岸(季衣)さんとかもそういういめいじの強い人だと思うんですよね…。(苦笑)だからって前回この役をどの人がやっておったか??っつったらばぜんっぜんっ!思い出せないわけなんだけれども(おい)どうだったんでしょうか??(だから)結局このお隣さんにしたって病気で高熱を出してる旦那さん??が病院に運び込まれてるもんだと思っておったらばこのお隣さんの奥さんこそが「演劇プログラム」のリハビリを受けておる人で病気の旦那さんを演じておるのがその担当医だったりなんかしてどういう入れ子になってるのかがよく分からないまんま話は進んで行ってこの人はどういう事情を抱えておって今この病院に収容されてるのか??すらも分からないまんまでなーんかもう「はぁー………」って感じだったんだけども。(黙)それにしたって決定的に違っておったのは最後のシーン…らしい。(爆)「…らしい」ってのは前回のれびうで自分自身書いておったんだけれどもそれがどういうシーンだったかが思い出せないのであって(えー)ちょっとウロなんだけれどもとにかくまぁタロは部屋に引き籠もった状態になってジロは積極的に外の世界に出て行くことを選ぶ。タロが何で部屋に引き籠もることになったかはわっかんないんだけれどもでも床の下の母親の存在ももしかしたらば少しは関係しておるのかもしれない。タロにとっては母親だけれどもジロにとっては何でもない赤の他人なわけだし。(え)床の下の母親は身の回りの世話とかもしてくれるのかどうかは分からないけれどもとりま床の下の畑で野菜を作ったりしながら家計の節約??に努めてまぁ息子のことをいろいろと気にかけてはくれるだろう。…ま、母親なわけだし。時にはそれが煩わしくてウザたらしいと思わないでもなくて「こーんな母親、今すぐにでもいなくなってしまえばいい…っ!」と思わないわけはないだろうけれどもジロは積極的には姥捨て山政策っつーのか役所の母親回収に引き取って貰うことは考えてなくて「まだ役に立ちますから…」つて断ったりしてる。それだからジロはいまだに独身ってことになるわけなんだけれども…っつーことは母親を役所に回収して引き取って貰った後はわっかい母親もとい奥さんを迎えてその人に母親代わりっつーのか身の回りの世話をやって貰うがよろしvvvっつー話なわけですよねぇ??(は?)古い母親は放っておいてもどんどんと年老いて行って今に使い物にならなくなってしまってもっと悪くすれば自分の息子のことすらも忘れてしまうかもしれない。そーんな利用価値のないモノはとっとと見捨ててしまってわっかい「母親」に取り替えて上手くやって行けばいいぢゃないか??っつーそういうわけですよねぇ??じゃ役所はわっかい母親を紹介する斡旋みたいなのもしてくれるってことなのかしらん??(苦笑)んー…でも「少女」の歌う曲の一節の中で「世界の涯まで連れてって」っつー言葉自体は出て来るけれども今回もまた明確な「世界の涯」は指し示してくれなくてなーんかそれが中途半端っつーのか最後のシーンも無くなっちゃったことで混沌さがますます極まれり…!っつー感じで余計に混乱したまんま終わっちゃったっつー感じか…??…や、まぁ外の世界に飛び出して行ったジロの結末をはっきり前回も観たわけじゃないしそのシーンに変わるモノとしてっつーのか前回もあったかもしれないけれどもタロとジロ…ぢゃなくて全く違う人物として今度は牢屋??に繋がれた2人が非常出口の今にも走って出て行こうとしている人よろしく壁抜けの技を使って出て行こうとする。でもその時は2人ともが一緒に外へと脱出しようとしておってどっちかが大人しく牢屋の中に残るとかそういう話にはなってなかったと思うんだけれどもどうだったっけかなぁ??(おい)でも前回も思ったんだけれども「世界の涯」っつーのは結局のところは「あの世」っつーことでレミングの大群移動よろしく冒頭から喪服??のやうな真っ黒の服を身に着けた人たちが変調リズムを刻みながら移動して行くその列の後ろにそっと加わるってことじゃないのかな??誰しもいつかはきっと「あの世」に旅立つ日が間違いなく来るのであって人間は毎日毎日連綿と天国…っつーところがほんっとぉーにあるかどうかは分からないけれども(苦笑)そういう場所がもしあるのだとしたらば天国への道を1人…また1人…と増やしながら延々と歩き続けて行ってるんだろうな、と。…ま、レミングの大群移動も最終的には生き急ぎ過ぎてっつかそのうちの大半が暴走が過ぎて圧死したりどこかに激突したりいろいろと死んじゃうケースの方が多いっつー話なんだけれども人間はそれほどまでに大量の人たちが毎日死に続けてるとは思わないけれどもでも一旦戦争が起きたらば1日に思いも寄らない大量の人たちが一気に死に追いやられたりなんかしてレミングばりに致死率があっぷするのかもしれなくて人間いつどうなるか分からないわけなんだけれどもどうやったって首をながーくして待ってても待ってなくても平等に死は訪れるっつーのにそれほどまでに切実に「世界の涯」を願わなくてもいいと思うんだけれどもいかがか??(は?)寺山修司さんも生きてりゃ御年80歳になってたかもしれないんですねい。それはそれでいまだに蜷川(幸雄)さんなんかとタッグを組んでおもっくそアングラ劇なんかを作っておったかもしれないわけだけれどもどうだったんですかねい??想像もつかないけど。…とは。