118.「天保十二年のシェイクスピア」

主なキャスト:唐沢寿明・藤原竜也・篠原涼子・夏木マリ・高橋惠子・勝村政信・木場勝己・西岡徳馬・白石加代子
作:井上ひさし 演出:蜷川幸雄 舞台監督:白石英輔
公演記録:2005.10.28~11.6@シアターBRAVA!(大阪)
あらすじ>>天保九年、下総の国。清滝という、旅人で賑わう宿場町があった。清滝には旅籠が二軒あり、両方とも主人は鰤の十兵衛だ。高齢となった十兵衛は、縄張り身上一切合切を三人娘の長女お文、次女お里、三女お光に譲ろうと、誰が一番孝行娘か、「その心掛けに応じて身上分配をするつもりだ」と、三人を集めて言った。
実は、十兵衛は、一番気だての良い娘のお光に跡目を継がせるつもりだった。だがいざ三人娘を集めてみれば、お文とお里はここぞとばかりにへつらいあげる。それに対して、お光はあまりに正直者で、控え目な言葉しか口にできない。このままでは姉の二人に負けてしまう。少しおどしてお追従でも引き出してみようと十兵衛が、「わしを喜ばすのが嫌なら出て行け」と言うと、お光は真に受け、家を飛び出してしまった。結局十兵衛の縄張りはお文とお里に分けられた。
それから三年経った、天保十二年。誓った親孝行はどこへやら、お文とお里の欲と欲とがぶつかり合って、清滝宿は真っ二つに。互いの亭主を頭に立てて、お文の「よだれ牛の紋太一家」とお里の「代官手代(小見川)の花平一家」は血を血で洗う抗争中だ。その上、お文もお里も、野心の欠ける自分たちの亭主に飽き足らず、お文は紋太の弟、蝮の九郎治を、お里は一家の用心棒、尾瀬の幕兵衛を、それぞれ躰で説得し、亭主を殺す算段をする。相手方の家に濡れ衣を着せてしまえば、亭主殺しもばれっこない。先に九郎治が紋太を刺し殺す。一方、幕兵衛は花平と間違え、鰤の十兵衛を斬ってしまった。
その後、ぬかりなく花平を襲った幕兵衛だが、恩人花平を殺めたことを気に病んで、「幕兵衛は眠りを殺した!」との幻聴に苦しむ。幕兵衛をお里が慰めているところに現われたのは醜い姿をした男、佐渡の三世次だ。二つの家の争いに乗じて、漁夫の利を得ようという悪漢で、清滝の老婆から「おまえさんはこの清滝宿を一手に握ることになる」という予言を受けている。三世次は、自称「言葉つかい」の言に正しく、いつの間にか、花平殺しを紋太一家の仕業と清滝中に知らしめた。恩を売られたお里と幕兵衛は、やむをえず三世次を一家に入れた。三世次の暗躍がここから始まる。
頭領二人が死んでしまって、大波乱の清滝宿。そこに故・紋太とお文の一粒種「きじるしの王次」が渡世修行から帰還する。その王次の前に突然、紋太の幽霊が現われた。紋太の幽霊は、お前の父を殺したのは叔父の九郎治と母親のお文だと告げる。驚愕した王次は復讐を誓うが、実はこの幽霊は紋太一家をおとしいれるための三世次の策略だった。信頼する人の裏切りを知り、憂鬱症の王次は、婚約者のお冬を「尼寺へ行くのだ!」「女郎屋へ行け!」と責める。それを立ち聞きしていたお冬の父親ぼろ安は、王次に気づかれ、刺し殺される。この仕打ちにお冬は気が違ってしまう。
紋太一家の混乱は続く。一人の侠客に一家の賭場のいかさまを見破られた。その侠客はなんと清滝に戻った三女のお光。お光はお文とお里の親不孝を問い詰める。対してお文は、「お光、お前は実は捨て子なのだ」と真実を明かす。ゆえに父親に義理立て無用とのお文の言葉に、お光は衝撃を受けるが「生みの親より育ての親」と思い直す。そんなお光に王次は一目惚れした。お光もまた恋におち、二人は相思相愛の仲になる。とはいえ家が違えば恋する二人は敵同士だ。だが障碍あればこそ、二人の恋は燃え上がり、お光は叫ぶ「王次、どうしてあんたは王次なの?」
その時、清滝に新代官がやってくるとの報があり、両家の諍いはひとまず手打ちになった。だが代官の連れて来た新妻おさちが、お光にそっくりで、その取り違いがもとで、清滝宿は間違いつづきの大惨劇。そうして清滝の老婆の予言通り、清滝宿はしだいに三世次の思うがままになっていく。そこに「おまえさんの敵は女、ひとりでふたり、ふたりでひとりの女だよ」という予言も絡んできて……。

そう言えばもう3年も前に新感線バージョン(って言ったらいいのかしらん?大阪演劇祭の一環だったんですがー)でこの作品を観たことがあったんですが。そのおかげで4時間超えることも分かってたし蜷川版だったらシェイクスピアもたくさんやってるから面白くなりそうかなー?なんて思って新聞で主催会社先行の申し込みがあったのに奮って申し込んでみたりしたんですがー。届いたチケットは2階 H列19番って…めちゃくちゃ後ろじゃんっ!つかもうあと2列で最後尾じゃんっ!主催先行なのにそんなもんなのー?!つか1階席ってどうやったら取れたんでしょう?(素)あ。BRAVA!会員先行とかだったら取れるか。年会費払って先行押さえても全然元取れると思うんですけどなかなか踏ん切りがつかなくてー。って…会員費年間1000円だか申し込んで取れるんだったらオクで買うこと思えば安いもんだと思うんですが。(苦笑)なかなかねー。(とほーん)とりあえず観出してから思い出したんですがそう言えばこれってミュージカルでしたかねい。(汗)あの時ふらっとなーんにも知らなくて観に行ったもんだから上川(隆也)さんかっちょいいーっ!ってのと沢口(靖子)さんがはっちゃけてるーっ!(おい)ってのと(阿部)サダヲ激可愛いーっ!ってのしか覚えてない。(爆)他の面子はどうにも普段見慣れてるし(え?)パンフ見てやっと「そう言えばそうでしたね。(苦笑)」ってのを思い出したぐらいで。(おい)比べるつもりはないんですが今回の方がなんとなく目の正月な。(は?)まぁでも席も2階だったし俯瞰的に観れたりしたしそれに2回目だし(笑)新感線バージョンの時はオクで結構まあまあいい席だったし「うわーうわー」ってなってるばっかりで正直そのせいで印象が薄いのやも。(違)蜷川版はもうとにかく圧巻!って感じで。隊長(木場勝己さんの役どころ)が語り手?でずーっと出ずっぱりなおかげでかろうじてストーリーが繋がってるんだなって分かるっつか。そうでなかったらシーンごとの見せ場は確かに豪華なんだけどストーリーとしてどうか?って言ったらちょっと難しいやも。その点新感線バージョンの方が三世次ありきでストーリーが進んで行ってた分分かりやすかったかなー、と。にしても夏木マリ&高橋惠子なーんてもう魔女です。(は?)夏木さんなんかま、江戸時代の女の人だから当たり前なんだけどお歯黒で口開いたら真っ黒っけっけーだしメイクもひとつ間違えば鬼か?!って感じだし(そういう風に狙ってはいるんだろうけど)どっちかっつーと純日本風っつか歌舞伎っぽい演出って気もしないでもない。(って…ちゃんと歌舞伎を観たことがないのでよく分かってないんですけれど。焦)それに対してそそのかされて十兵衛(吉田剛太郎さんの役どころ)を殺し(間違ってだけど)花平親分(壌晴彦さんの役どころ)を殺しその罪の深さに悩みまくる幕兵衛(勝村政信さんの役どころ)はかなりストイックでそういう苦悩してる感じが似合う感じー。ま、比べちゃいけないんだけど(だから)前は新ちゃん(古田新太さん)がやってただけあってなんつーかその殺したことに対して悩み苦しむ姿よりも三世次に騙されてお里が浮気してる、もう自分を捨てようとしてる、自分もいつかそうやって自分が殺して来たようにお里に殺されるのかもしれない、それならこの今愛してやまないうちに二人して死んだ方がまし(と勝手に解釈してみた)とばかりに絶頂の最中刺し殺す姿の方が印象に残ってて新ちゃんの幕兵衛は嫉妬心の方が先に立ってたっつかそれだけが動機っつかもうなんか新感線=エロ(え?)っつか花街な印象がどこかに残ってるっつか。(苦笑)今回の幕兵衛は確かにお里を愛してもいるんだけどなんかそれよりも義理立てしてた親分筋の人間を2人も殺してしまったっていう苦悩が先にあるっつかそういう昔ながらの義理任侠みたいなやつ?もあってお里を殺したって風にも取れるのよねん。このまま生かしてはおけん、みたいな?とにかくまぁ病弱ーなのが似合うんだな。新ちゃんじゃちょっと…。(おい)たぶん同じように臥せってるシーンがあったはずなんだけど覚えがないでつ。(爆)おかしいなー。(言ってろ)つかこのシーン観たら前に蜷川「マクベス」(観劇日記No.33参照)で勝村さんが出るはずだったんだけど病気で降板しちゃって代役だったりしたのがかなり惜しいー。(今頃かよ?)あと王次ね。今回は藤原(竜也)くんだったんだけど。にしても初めて藤原くんが可愛いと思ったよ。(は?)あーでも役の時じゃなくてカーテンコールの時だったけどね。(おい。ものすごーく無邪気っ!って感じだったのん)つか蜷川版はエロが主体ではないので(だから新感線バージョンも別にそういうわけじゃないだろうがよ)王次が女遊びに狂っててもなんかそれはエロじゃない。(は?)それについこないだ「ハムレット」をやったからだと思うんだけどホントに真面目ーに悩んじゃうんだな、これが。(え?)サダヲがやってた時は正直「きじるし」に重きがかかっててなんつーのか元々からしてどっかが外れちゃってるのか演技して壊れてる風を装ってるのかがものすごーくぎりぎりなんですよね。なんて言ったらいいのかなー?「キレイ」(観劇日記No.111参照)のハリコナでもそうなんだけど。バカ可愛いんだ。(え?)父親を叔父さんに殺されたハムレットの苦悩を思うよりはお光とバカップルぶりをラヴラヴアピールの方がずーっと印象に残ってるっつか。バカを装った王次よりもしかして元々お坊ちゃまだしバカだったの?ぐらいの勢いで。(は?)そう言えば幽霊のシーンも「こんなのに騙されるか、普通?」ぐらいのお笑い路線だったりで蜷川版みたくちゃんとしてなかったような気がするー。だから余計にバカアピールが際立ってた感じ?藤原くんはそうじゃない。普通に悩む。お光とラヴラヴアピールも王次よりもお光(篠原涼子さんの役どころ)の方が壊れっぷりを楽しんでる感じがするっつか。年上の女に振り回されてきゃんきゃん跳び回ってる仔犬のやうなあなたー♪(歌うな)って感じか。「尼寺へ行け!」もまんま「ハムレット」再現なんだな。遊びがない。(当たり前だけど)にしてもお冬が毬谷(友子)さんだもんなー。普通に考えれば無理あるのに全然無理じゃなかった。なんかいい意味で年齢不詳で天然とはまた違った純真さって言うんですかねい?なんかつかみどころがない感じ?(違)藤谷美和子さん的な(は?)可愛らしさがあっていいですよねー。(全くの自分感覚。苦笑)そう言えば新感線バージョンではカットになってたけど佐吉(高橋洋さんの役どころ)と浮舟太夫(毬谷さんの役どころ)のエピソードがあって余計蜷川版は庶民にスポットが当たってるんだなーって感じがするっつか。そういう普通の生活を主軸に持って来てるんだな、と。にしても墓場で死ぬなんてシーンは「ロミジュリ」意識ですかねい。ジュリエット=浮舟の方が先に死んで後追いってのもそんな感じだし。あれは綺麗でよかったでつ。

で。三世次っすよ。今回唐沢(寿明)さんでしたが。なんか上川さんの時はそれこそワルーを前面に押し出してて普段悪い役とかってしない人ないめいじの上川さんだったので(あたしがね)なんとなく無理があったんですけど。唐沢さんの場合は悪知恵が効くとか頂点にのし上がろうとかそういうことよりも基本的にお光&おさちが好きで好きで仕方なかったんだな、と。上川さんのは女を好きになることよりも頂点に立ったら何が見えるのか?頂点に立った時自分は何を手に入れるのか?それだけを求めてワルにひたすらワルに成り切ろうとしてた感じがするんですが今回の三世次は頂点に立ってる自分に何一つ満足してないんじゃないのかなー?なんて。頂点に立つことは元々予言されてたわけだし自分は遅かれ早かれ頂点に立つだろうことを予測してたんだろうけどでも今なんで自分がここにいるのか分からないって感じ。頂点に立つことを望んだのは自分のはずなのに農民に一揆で攻め立てられて逆ギレするかのやうに言い放つ「分からない」エンドレス。そうか、三世次は分からないんだなーってのがグッと来てなんかものすごーく寂しくなっちゃったっつか。ちょっと泣けたもん。(え?)上川さんの時はその死に様の凄まじさに向かって終着点をぎりぎり詰めて行く感じでそれ以外の殺しのシーンが全部軽い扱われ方っつか「シェークスピアってこんなに人が簡単に死んでたんだなー」って思ったんですよね。それは今回もやっぱり思ったしシェークスピアは殺しの文学だとも思うんだけど今回はそこまで軽く扱われてないっつか。あっけない死、壮絶な死、むごたらしい死、切ない死、なんで殺されるのかなんで殺したのかも分からない死、ありとあらゆる死にちゃんと焦点が当たってる感じがしたかな。今回三世次の死をどう見せるのかなー?と思ってたけどそうくるのかーって感じで。三世次が最後登りつめて代官になるわけだけどその衣装がものすごく似合わないのね。あれは計算だと思うんだけど思いっきり成り上がりって感じで趣味が悪いこと甚だしい。無理矢理着せられてるって感じがすごいしたっつか。なんかだから殺される瞬間も三世次には意味が分かってなかったんじゃないかなー?なんて。あの最後のシーンはオペラの「トスカ」っぽい。(って実際に観たことはないんですけど。←おい。「動物のお医者さん」で何度も読んでそんないめいじがするだけやも。苦笑)そうだー。ミュージカルっつーよりオペラだな。って…これ違いはなんなんでしょう?(素)でもなんか三世次が殺されてちょっと可哀想になりましたねい。でも。シェイクスピア作品って「ロミジュリ」とか「ハムレット」はもう何回観れば気が済むんだ?ってぐらい何度も何度も観てそれこそストーリーも登場人物も全部覚えるぐらいに観てるしそれはもう脊髄反射の勢いで分かるんですけども。他がねーなんとも。(え?)「リチャード三世」とか「マクベス」はとりあえず分かるんだけど「タイタス・アンドロニカス」とか「ペリクリーズ」なんか蜷川版で観たはずなのにストーリーがいまいちよく分かってません。(爆)「十二夜」は映画で観たからなんとなく分かるか。「真夏の夜の夢」も「ガラスの仮面」(漫画ばっかりだな。苦笑)だのなんだので観てるからなんとなく分かる。あとはちゃんと観てなかったりストーリーすら知らなかったりするのもあったりで登場人物の名前とか叫ばれたりシーンでちょこっと使われてても完全スルー。(苦笑)蜷川シェイクスピアシリーズも全部が全部大阪公演あるわけじゃないしなー。(遠い目)あくまでも彩の国シェイクスピア劇場とのタイアップ企画だもんな。BRAVA!も出来たことだしこれからはもちょっと多めに公演来てくれたりなんかしないかなー、と。(願)よろしくどうぞ。(は?)