518.「レミング〜世界の涯まで連れてって〜」
主なキャスト:八嶋智人・片桐仁・常盤貴子・松重豊・花井京乃助・高田郁恵・廻飛呂男・浅野彰一・柳井佑介・金子紗里・あやちクローデル・高安智実・万里紗・KEKE 作:寺山修司 上演台本:松本雄吉・天野天街 演出:松本雄吉 舞台監督:大田和司 公演記録:2013.6.1〜2@シアターBRAVA!(大阪) |
あらすじ>>「都市とは、そこにすむ人々の内面を外在化したものである。」「都市は、一個の生命体である。それ自身あらゆるものを貪り、排泄し、呼吸し、増殖する巨大な生き物である。」 東京都品川区五反田本町二丁目一番七号、幸荘三号室。コックのタロとジロと、畳の下にはその母親が住む下宿屋の仕切り壁が消えた。 世界の涯へ、行くか残 る か 。 |
これと阿佐スパ(阿佐ヶ谷スパイダース)の「あかいくらやみ」(観劇日記No.517参照)がだだ被りで…。(黙)…ま、でもこっちの方が先に先行来ちゃったし「あかい〜」はおぐりん(小栗旬氏)出てるからまさかの千秋楽は取れるわけないしwwwと踏んでこっちを大阪楽で取ったんだけど。それが劇場先行で取った割には2階 A列 12番って…。(滅)そーんなにこれって人気ある感じなの??(おい)…っつか今更の寺山修司に喰い付く客とかいるのかね??(おまいもだろがっ!!!←)と舐めてたのがいけない。(え)…でも最近BRAVAの先行にはことごとく蹴られてる気がす…。(被害妄想←)前回「100万回生きたねこ」(観劇日記No.489参照)の時だって2階席しか廻って来なかったし。(だから)寺山作品って観たことなかったっけか??(えー)と思っておったんだけれども「身毒丸」(Play3参照)だの「毛皮のマリー」(Play8参照)だの「7DOORS」(観劇日記No.419参照)も「青ひげ公の城」の焼き直しだから寺山作品と言えなくもない。でも今回が一番寺山作品らしいっつか維新派とのコラボ(…っつっても全面に押し出してるわけじゃないしかんっぜんな維新派外部公演っつーわけじゃないから厳密には別物なんだけど)ってのは正解だったんじゃないかと。(え?)なーんか寺山作品って連綿と話が繋がってる感じじゃなくてどことなーく散文調っつーのかな??1つの確固たる世界観があってのその枠内で展開されてるひっじょぉーに演劇ちっくなモノよりかは総合芸術ってな感じの全体を通して言えば演劇なのかもしれないけれどもそういうのに拘らずにいろんな形態でもって魅せるモノっつーいめいじがあるんですよね、どことなく。…っつってもあたしの勝手ないめいじなので他の人がどう思うか??はこの際関係ないんですけれども。(おい)だからふいっと突き放されて終わっちゃったとしてもその結果に納得が行かなかったとしても「しょうがない。寺山修司だし(え)」な力技だと思えば。(えー)まぁーったくもって今まで維新派のステージは観たことがないのでその演出手法も初めてだったりしたんですけれども何かのついでに「芸術劇場」だかの映像作品でちらりと観たそのままのいめいじ通りっつか。(は?)あの体全体で音を刻むのとかも独特だったりでなーんとなく訳の分からない世界に入ってく前戯(おい)っつかそういう高揚感みたいなのが感じられたりなんかして。…でもまぁ分からないっちゃぁ分からなかったんですけれども。(苦笑)主要キャスト4人以外は知ってる俳優さんとかも出てないし2階からだとなかなかに顔の識別もし難いのでほっとんどが「知らない人」であってただ単なる舞台上の記号でしか映らなかったり。(えー)まずタロ(八嶋智人さんの役どころ)とジロ(片桐仁さんの役どころ)は兄弟…とかそういうのではないんですよねぇ??(おぶおぶ)確かに一緒の部屋に住んでて見た目も背丈以外(爆)はまぁまぁにそっくりで2人とも同じ仕事をしておって…と共通点はいぱーいあるけれども家の軒下っつか地下??に収納されておる母親(松重豊さんの役どころ)はタロの母親であってジロの母親ではない、と。それはまぁタロがいる時にしか出て来ないっつかジロの不在を見計らってるわけでも何でもなくたまったまのタイミングがそうなんだろうけれどもそれでもタロのことは話題にする(…っつか目の前にいる人なわけだから会話の流れとしてタロの話になるってことはあるだろ)けれども「そう言えばジロはどうしたんだい??」だとか「最近ジロがこんなんでさー」だとかそういう話はとー…んと出て来ない。…っつーことはジロってのはタロが作り出した幻想じゃないか??っつーことになる。(え)それかタロが作り出した分身っつか「こうであったらいいのに…!」みたいな理想形の人物像っつかそういう感じ??でも喰い扶持を減らすために母親を施設送りにすることも忍びないっつかまだまだ正気で何でも出来る母親なわけだし自分だっていろいろと世話を焼いて貰えて便利(?)ってこともあるから床下に隠してるわけだけれども母親も施設に入れられてそれっきりになるよりかはそーんな狭苦しいところでも息子のそばであれやこれや世話を焼ける方が幸せってこともあるのかな??…そだ!ジロが苦労して自分の部屋から壁がなくなったことを大家さんに言いに行ったはいいけれども大家さんはぜんっぜんっ!請け負ってくれなくてしーかたがないからすごすごと家に帰るシーンの後に何故かしやくそ(市役所←)の土木課から測量にやって来るっつー。それで部屋に上がり込んでいろいろあーでもない、こーでもないっつってやってくんだけれどもその時だってタロもいなければその件の母親も出て来たりしないでかんっぜんにジロの部屋ってなことで話が進められてく。…ま、タロもどういうわけだか自分の部屋ではないどこかへ行かなくちゃいけない事情みたいなのが出来たってのもあるけれどもそれでも床下の母親抜きにして壁の再建工事が進められるってのはちょっと違うんじゃないのかな??と。測量に床下は関係ないし畳をひっぱがして見てみなくてもふっつーに今まであったところに壁を作り直してくれればそれでいいやうなもんだけれども壁ってのは床の上だけの話じゃなくて床の下にも通さなくちゃいけないものじゃないですか??それだったらば母親が床下で作ってるっつー畑の境界線ぎりぎりのところを目で確かめなくちゃいけないし最悪壁を通す工事で母親を押し潰してしまうやうなことがあったら大変…!(え)ジロには母親の事情なんてものは知らされてないみたいだしまさかそーんな床下に母親が棲み付いてるっつか隠し込んでるなーんてなことは考えたこともないだろうしまぁーったくもって知らないことってことになるんだろう。でも壁がなくなるってことはただ単なる隣人とのプライバシーが無くなるとかそういう単純なことじゃなくて他人との垣根がなくなるとかもっとそういうグローバルな意味での「それ」を言うのかと思っておったらばべっつにそこまでの意味は持たせてないっつかまぁ「戦争が無くなる」とか「国境が無くなる」とかそういうことではないみたいだね…。(苦笑)んー…ま、その辺りはべっつに寺山修司は思想家だったわけでも何でもないし演劇に託けて自論を展開、みたいなのはなかったから押し付けがましくなくてよかったけども。…っつかこの大家さんなんだけども4人??ぐらい出て来ておってしかもそれぞれが碁を打ってるっつー体だったんだけども2階から肉眼で観てる分には黒い碁石がぜんっぜんっ!見えなくてさ…。(苦笑)白い石を打ってる時だけしか動いてないみたいに思っておったんだけれどもその割にはそれ以外の時でも「ぱちんっ!」っつって床に石を置く音だけは聞こえるなー??と思っておったらばー…。よくよくオペラで観てみたらばちゃーんと黒い石も打って音出してたんだね…。(苦笑)んー…ま、石はよっぽど前方席じゃないと音しか聞こえないし下手したら何やってるのかすらも分からなかったかもしれないけどもー…。(苦笑)…っつか音なんだよね。(え)タップ…ではないんだけれども足音を刻んでまるで音楽を奏でるかのやうに行進しながら効果音も同時に務めておったりなんかもしておってそういう身体全体を使った手法っつか身体を鳴らすっつの??そういうのがまんま維新派っぽいなー…とか思ったり。(え) で常盤(貴子)嬢ですったらぁーんvvvテレビでは散々っぱら観たことがあるけれども舞台で観るのはこれが初めて…だっけか??(え)…や、まぁ舞台にも何本か出ておるのは知ってるしそれきっかけで(長塚)圭史くんともけこんしただの何だの言われておるけれども。実際映画女優っつー役だったってのもあるけれども出て来た瞬間ほんつぞっとするぐらいにキレイっつかもうそのシルエットが浮かび上がっただけでもそうっとうに沸いたwww…でもその後に続くお歌はお世辞にもあーんまり上手いとは言えない代物だったやも…。(爆)いっやぁー…まぁ常盤嬢はお歌で売って来た人じゃないわけだしべっつにそこが出来なくても構わないやうなもんだけれども見た目のインパクトに対してそのお歌の残念さが引き立っちゃってますます残念な結果に…。(黙)…っつか昔っからしゅっ!としてキレイな女優さんではあったけれども最近ほんつますます磨きをかけておるっつか何だったらもう圭史くんの方がますます老け込んじゃってる(…まぁ元々が老成しておったとも言うんだけど←)ぐらいだしどんどこ圭史くんから若さを吸い取っちゃってるんぢゃね??(おぶおぶ)なーんてねwwwあー…でも映像作品って俳優にとってはいろいろと残酷なモノだったりするってのはあるかもしれないね。何かっちゃぁ過去作品を振り返られて「あの頃はこんなに可愛くて若くていらして〜vvv」みたいに言われるけれどもそれに引き換え今の自分はすーっかり年も取ってある程度しわくちゃにもなって年齢っつー壁が立ちはだかってそれに抗うことも出来やしない。(滅)過去の自分は恐怖でしかない。それも間違いなく自分だったしその時その時さいっこうに輝いてるのかもしれないけれどもこと「若さ」ってことになって来るとそれだけはどうやったって取り戻すことは出来ないしどんな技術を使ったとしてもそこに戻るってことは出来ないわけで…。(黙)それが「他人」だったならまだまだ他の方法でその他人よりも優位に立てるモノを見出したりも出来るけれども「自分」なんだからその入れ物から出るわけにもいかない。確かに技術力ってことでは積み重ねて来たモノで優位に立てるかもしれないけれどもそれは時間が解決してくれただけで結局は自分に勝ったことにはならない。この女優の場合はその1本の映画が当たったのかたまったまその役がお気に入りだったのか理由は本人にしか分からないけれどもとにかく延々とその役を演じ続けることでしか生きられない。大体が「自分」っつー役を演じてるわけじゃないからその映画の中の役の人生を生きてるってだけでしかも一生涯じゃないわけだしその中に出て来る何年だか何十年だかのその瞬間だけでその前とかその後とかがあるわけじゃないしそれは役の人生を生きてるとは言えるけれども果たして自分は生きてるって言えるのか??(おぶおぶ)覚えた台詞をなぞって相手役との駆け引きがあって愛して別れてまた愛して…っつーその流れだって自分で選択して掴み取ったモノじゃなくて誰かが書いた脚本の中で「こっちを選びなさい」だの「こっちとは別れなさい」だの書いてある指示通りに従ってるだけでそれは自分の意思でも何でもない。しかもその映画の中にいつの間にやらタロやジロまで巻き込まれておったりなんかしてこれってどういうのっ??!!(どーんっ!)結局常盤嬢ってここのシーンだけで後半特に出て来るとことかないんだね…と思っておったらばー…!なにげにカテコで出て来る時の衣装が少年役の恰好だったりなんかして意外wwwあの世界??を表す模型を持ってしずしずと移動してく男の子役ってば常盤嬢だったんだね…。(苦笑)ぜんっぜんっ!帽子も深く被ってるし顔が見えないからてっきり誰か知らない役者さんが扮してるモノかと思っておったんですけれどもそーんなことになっておったとはー…!…っつーことは前半でも同じやうに模型を持って歩いてる男の子の役は常盤嬢だったりした…わけですよねぇ??(おぶおぶ)すっげノーマークで観ておったので分かんなかったよっ!!!松重さんが後半リヤカーを押す男になってるのは二言、三言喋ったりするとこもあるしそれに背丈がね…。(苦笑)他の人とはぜんっぜんっ!違っておるので顔分かんなくてもそれだけでバレバレだったりするから分かったんだけど常盤嬢はほんつ意外…!(もういい)でもそうやって1つの作品の1つの役から逃れられない女優っつーのでスタッフ総出で付き合わされてしっちゃかめっちゃかなことになっておるのかと思っておったらばいつの間にやら精神病患者として収容されておってその中の社会復帰プログラムっつかそういう自分自身を取り戻すためのリハビリみたいなので演劇療法が取り入れられておって先生も看護師さんも患者さんも巻き込んで役を演じることで客観的に自分を見つめるとかそういう効果でもって段々病状が良くなってるとかそういうのに使われておったりなんかしてそのエピソード間にある壁が取り払われちゃっててだから何で今ここにいるのか??みたいなのがとー………んと分からなかったりするまま放り出されちゃっててまっぢで付いてくだけで精一杯…!みたいな??(え?)…っつっても付いてってるっつってもちゃんと喰らい付いて行けてたかどうか??で言うとべみょうなんだけれども。(苦笑)それに隣人も収容されてるのは病人の旦那さんの方かと思っておったらばその旦那さんってのがぢつは医者で看護師と不倫関係でそれに逆上した奥さんがとち狂っちゃってそのまま精神病院に収容されてたりなんかして立場が逆転してたりしてもうとっ散らかりまくりだおっ!!! それにしても「世界の涯」とやらはどこなのか??(おぶおぶ)最終的にタロは部屋に引き籠もった状態になってジロは積極的に外に出て行くことを選択する。だけれどもタロはジロに「電車に乗って行ける先には本当の自由などありはしない」と言う。何物からも自由になれる場所=世界の涯だとしたならばそれは「死」ということになるのか。確かに死んだら自由になれるかもしれないけれども死んだ先の自分ってのが果たしてどうなるのかを知る人はいない。かっくじつに「こうなります!」ってのを知ってる人から教えて貰ってその通りになるっつーんだったらやってみてもいいかもしれないけれども生まれ変わるにしても何にしてもそれは生きてる人たちが勝手に想像してまことしやかに「そうなるらしい」っつっておるだけでそれに信憑性はありはしない。臨死体験でお花畑が見えただの死んだはずの母親やら父親やらが迎えに来てくれただの逝こうとしたらおばあちゃんが怖い顔をして「来ちゃダメだ!」みたいな仕草をして追い払われたと思ったら意識が回復しただのそれっぽい話はいろいろと語られるけれどもそれだって個人的な体験談の域を出ない話であって自分にも起こり得るか??って言えばそれはどうか分からない。そーんな不確定要素たぷーりwwwなところへ例え今が苦しくてそこから先がラクになるvvvっつって言われたとしても行ってみたいとは思わない。そんな「世界の涯」なら真っ平ごめん被りたい。(え)とりま「ふわあぁぁぁぁぁ〜〜〜」と思っておるうちに終わってしまった感じで眠くなることもなかったし集中しては観れたとおも。んー…どこだったっけか??やっしー(八嶋智人氏)がいつも通りっつか大阪弁でぶち切れるシーンなんかもあったりなんかしてそれがものっそい緊張を強いられてる感のある舞台の中にあってほっとする瞬間だったりなんかしてよかったでつvvvカテコは演出の松本(雄吉)さんも呼び入れての大団円vvv(客席からの登場だったとおも)結構何回も呼び出されておったんだけれどもそのたんびに松重さんがネグリジェの裾を掴んで奥様風なお辞儀をされておったりしたのが何ともおかしwwwこういうお茶目なとこあるんだよねー、松重さんってばwwwなーんか「日本映画チャンネル」でも寺山修司特集っつか三上(博史)さんなんかも出て特別番組があったりするみたいなんだけど観ようかどうしようか迷うところ…。(え)「レミング」も「あかいくらやみ」も同じ日に大阪千秋楽でしかも「レミング」の方が3、40分ばかり早めに終わったもんだから「あかいくらやみ」で出待ちしよっかなぁ??とも思ったんですがー…。おぐりんだし厳戒態勢でさらっと帰っちゃうかな??と思ったので結局どっちもスルーしちゃった件。…っつか「レミング」の方も待ってる人いなかったな…。(苦笑)仁たまー(片桐仁氏)もまぁた長澤まさみ嬢との舞台がけていしたみたいだしそっちも何とか取れますやうにー。(念)むう。 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