65.「タイタス・アンドロニカス」

主なキャスト:吉田鋼太郎・麻実れい・萩原流行・鶴見辰吾・真中瞳・岡本健一
脚本:W・シェークスピア 演出:蜷川幸雄 舞台監督:明石伸一
公演記録:2004.2.6~11@シアター・ドラマシティ(大阪)
あらすじ>>ローマ帝国の武将タイタス・アンドロニカスは、長年にわたるゴート族との戦争に勝利し、凱旋帰国する。この戦いで多くの息子を失った彼は、亡き息子たちの魂を鎮めるために、捕虜にしたゴート族女王タモーラの長男を生け贄にすることにした。タモーラの懇願を無視し、タイタスらは彼女の長男の体を切り刻み、火に投じた。これが復讐劇の始まりだった―。

その頃ローマでは、前皇帝の息子サターナイナスとバシエイナス兄弟が帝位継承権を争っていた。ローマ市民はタイタスの功績を重んじ、新ローマ皇帝として彼を推薦。しかし彼は、新皇帝の地位には、前皇帝の長男が就くべきだと考え、サターナイナスを推薦する。サターナイナスはタイタスへの感謝のしるしとして、彼の娘ラヴィニアを妃として迎えると宣言。ところが、ラヴィニアは既にバシエイナスと婚約していた。バシエイナスはラヴィニアを奪還し、ふたりの仲を知っているタイタスの息子たちはこれに荷担した。謀反に怒ったタイタスは、見せしめに自分の末息子を殺してしまう。だが、タイタス一族に侮辱を受けたと憤怒したサターナイナスは、タイタスをも追放する。そしてサターナイナスはタモーラの美しさに魅了されて彼女と結婚。タイタスとタモーラの立場は一瞬のうちに逆転してしまった。
タイタスへの市民の同情と皇帝への批判を心配したタモーラは、サターナイナスに、一旦タイタスを許すことを提案し、サターナイナスは彼女の言うとおりにする。表面上は慈愛に満ちて見えるタモーラだが、心の中でタイタス一族への復讐心を燃やしていた。
タモーラの愛人であるムーア人エアロンは、タモーラの息子ディミートリアスとカイロンがラヴィニアをモノにすると喧嘩をしているのに出くわす。そこでエアロンは、彼らにラヴィニアの強姦をそそのかした。結婚祝いの狩りの日、森の中で抱き合いながらこれから始まる残虐な復讐について話すタモーラとエアロン。
そこにバシエイナスとラヴィニアが偶然通りかかった。タモーラの息子たちはバシエイナスを殺害、ラヴィニアを強姦し、彼女の両腕と舌を切断した。狩りから帰る途中のタイタスの弟マーカスは、変わり果てた姿で森をさまようラヴィニアを発見、その残酷な犯罪に憤り涙した。

その頃、タイタスの息子たちが洞穴の中でバシエイナスの遺体を発見した。そこへ、エアロンに導かれてサターナイナスが現れた。サターナイナスは、タモーラとエアロンが仕込んでおいた罠の小道具によって、タイタスの息子たちが弟バシエイナスを殺害したと思い込む。タイタスの息子らは死刑宣告を受け、もうひとりの息子ルーシアスも、兄弟を助けようとした咎で国外追放となる。運命の惨い仕打ちに慟哭するタイタス。

そこへ、エアロンが、息子たちの命を助けたければ、片手を切り、皇帝に差し出せとやってきた。タイタスは息子たちを救おうと自分の片手を切り落とし皇帝に献上するが、その手は息子たちの生首とともに突き返される。実はこれも罠だったのだ。

ラヴィニアを陵辱した犯人を知り、一連の極悪非道はタモーラたちの仕業だと悟ったタイタス。もう涙は枯れ果てた。ついに、タイタスはタモーラへの復讐を誓う。血で血を洗う復讐劇、次はタイタスの番だった―。

今年大阪で蜷川シェークスピアが上演されるのはこれ1本だけらしいですねい。もう蜷川シェークスピアってだけで半分惰性で(おい)チケット押さえてるあたくしですが。(苦笑)彩の国シェークスピアシリーズもすでにこれで13弾目らしいし。あぁ全然追いつかないったらー。(黙)この「タイタス~」は「ロミオとジュリエット」よりも前に書かれた作品らしいですけれど。やっぱりシェークスピアって全くもって人殺し劇な。死んでも死んでもまだ足りないー。(おい)もっと血塗られて生々しい感じなのかと思ったんですがそんなこともなく。あれだけ人が死んだら普通「ウィー・トーマス」(観劇日記No.53参照)並みに毒々しいと思うんですがー。確かに娘は両腕と舌切り落とされて父親は手首切り落とされ息子も首はねられてその首が出てきたりなんかするんですがー。赤い毛糸でぐるぐる巻きにされてたりなんかしてそれもマネキンの首に手首だからなんともないし。(おい)まぁこれでホントに息子そっくりの人形の頭が出て来ちゃったりなんかして手首もみょーに生々しかったりなんかしたら悲惨すぎて救いようないですが。(黙)そもそも戦争なんてもんはよくないってことですよね。(極論)負けて人質になるのは仕方ないけど人質にも人質の人格をって話ですよ、ホント。目の前でばらばらにされた上に火にくべられるなんてそりゃぁもう正気の沙汰じゃないですよ。その燃え上がる炎と共に復讐の焔がめらめらと~、な。火曜サスペンス風味な。(え?)娘に怨みはないけれど親が憎けりゃその子も憎いーみたいな。「ええーい、やっておしまいっ!」な。(ちょっと違う)でもなぁ。対抗して人肉パイってのはどうよ?(何)「思わず食っちまったよっ!ジーザスっ!(は?)」って。うげげな感じですよね。鶏肉と思って食ったら蛙の肉だったり白子と思って食ったらカブトムシの幼虫だったり(そんなことはない)な予想外の「出せるもんだったら出したいよっ!(滅)」な。しかも自分の子だもん。趣味悪すぎるよ、シェークスピアのおっさん。(これ書いた頃はおっさんじゃなかっただろうけれども)血で血を洗うどころの騒ぎじゃないよっ!でも思えば「ハムレット」(観劇日記No.21参照)も最後は全員死んでたりしましたっけ?パターンは同じ?(おい)でもなぁこれだけ高い金払って思い入れも少なからずあるはずなのに人肉パイシーン直前ぐらいから押さえられない眠気が。(おい)なんなんでしょう?麻実(れい)さんの声のトーンを聞いてると眠りに誘い込まれるのか?(おぶおぶ)前に「櫻の園」(観劇日記No.37参照)でもマジで眠かった。(まぁあの時はあたし的に尋常じゃなく仕事が忙しかったような気がするんですが。←言い訳。苦笑)「ダメだ。ダメだ。寝ちゃダメだー」な冬山の勢いですよ。(何)人肉パイのごたごたでかなり持ち直して眠くなくなりましたけどね。(それもどうかと)エアロン(岡本健一の役どころ)はなにげに好きかも。ちょっとテンション上がりますよね。(またミーハーな。苦笑)あーいう小ずるい役ってなんとなく好きだったりとか。でも仕掛けておいてこっそりにんまりする役って言えば「真夏の夜の夢」の妖精パックにも通じるものがあるかなー?とか。シェークスピアの全ての原型だったりするんですかねい?(<「タイタス」)サターナイナス(鶴見辰吾の役どころ)はもうさっぱりっすねい。無理矢理(おい)皇帝にはなったもののタイタスの娘にはふられ妃のタモーラには騙され愛人の子供つかまされて(おい)あげくほとんど逆恨みみたいにして殺されるんですよ。結局踊らされただけみたいな。(黙)タモーラが死んだりタイタスが死んだりするのは半ばしょうがねぇなって感じだけどサターナイナスはそりゃないぜって感じですよねぇ。でもホント復讐って終わりがないですよねー。復讐が悪いこととは思わないし時にはそれがないと生きて行けないぐらい辛い展開もあったりしてやられたらやりかえす根性みたいなのも全部が全部罪なこととは思わないですがやっぱりそこからは何も生み出されないのかなぁ、と。最後タイタスの孫がエアロンの子供を抱きながら絶叫して終わるんですけれど。このエアロンの子供も今は赤ん坊だけど大人になってこの結末を聞いたらやっぱり迷わず復讐に燃えるのかなぁなんて。このタイタスの孫とやりあうことになるのかなぁ、とか。友好の証って言う評価もあるみたいですがあたしにはそうは見えなかったですねい。どちらかが全滅するまで終わりはないのかなぁ、と。もうタイタスの孫は幼いながらもすでにおじいさんの思いっていうか憎しみが植えつけられてしまってるわけだし。タモーラの息子に一見笑顔で取り繕って献上品を差し出しながら裏で悪口たらたらな。(苦笑)でもなにげに演技上手いですよねー。絶叫シーンなんかもうおばさまたちの涙誘いまくってましたよ。あたしは泣きはしませんでしたが。(冷たい)見解の相違かもしれませんが絶叫するよりは赤ん坊をじっと見るみたいな放心状態?の方がしっくりくるかなぁ?とか。ま、残されたのが敵同士ってのもあるんでどうなのか分かんないですけどね。

で。今回また楽屋裏みたいな感じから始まる展開で。「ハムレット」(play4参照)の時も楽屋で用意する舞台役者風な場面から芝居に切り替わっていく展開でしたが。蜷川(幸雄)さんっぽい演出だなー、と。なので普通に役者さんが(脇役の人たちですが)衣装着て普通に客席に降りてうろうろ(おい)するみたいな。舞台監督も一緒に舞台上にいて「動線チェックしておいてください」みたいな注意がありつつ。「客席を通ることがありますので荷物など足元ご注意ください」とかお客さんへの注意も。一番前列には蜷川さん本人がいてチェックしてるとかしてないとか。(今回よく分からなかったもので)ホール外ロビーにも衣装とか小道具とか普通に置いてあったりして。今回もうホール全部が楽屋裏から何から兼ねてる。でもあの衣装はすごいっすねい。綿入れ?(おばさまがたは「かいまき」(お布団でなんか袖みたいなのがついてるやつ)なんて言ってた)舞台の上で照明当たってたら暑そうだなー、と。(苦笑)でも大半白なのね、衣装が。やっぱり赤が映えるようになのかしらん?他の色だと赤が死んじゃうもんね。でもそうやって発声練習したりとか歩き回ったりしたりとか台詞の最終チェックみたいなのがありつつ「じゃそろそろいきまーす。はいっ!」って掛け声で一瞬にして本番の舞台に切り替わるってのがやっぱりすごいなーって。(当たり前なんだけど)ぴしっとするよね。現実世界から一気に幻想世界へーみたいな。あぁあとこう客席全体がローマ市民みたいな展開が何度かあったんですが。なんかいまいちちょっと盛り上がりが足りないかなー?役者の持って行き方なのか客のノリの悪さなのかどっちかはちょっと分かんないですが。(そう言っておいて自分ものらなかったくせに。←おい)なんとなくとまどいの方が多かったような気がします。(自分もですが)そう言うと役者の方のせいみたいに聞こえるけど。(爆)「リチャード3世」(play6参照)の市村(正親)さんなんかはさすがーって感じしましたけどね。なんか引き込まれるものがあるっていうかね。「あぁどうぞ気楽にやってください」みたいに招待されてる客って感じをこっちに持たせてくれるっていうか。役への同情を引くのも上手いし「お手を拝借っ!」みたいに客席参加型に誘導するのも上手いし。こういうのは煽られてなんぼのものなんで(は?)乗せ上手になってもらいたいものです、ハイ。今回席は13列 1番なんつー列的には見えやすいんだけど番号として1番って端過ぎ?(苦笑)ホールど真ん中だったらまた気持ち的に乗る方に回ったのかもしれないですがなんとなく傍観者的立場だったもので。タモーラの成り上がりっぷりとタイタスの成り上がりから一転食いっぱぐれに回らされるのとどっちも極端な話ですが。でもやっぱり本で読むとなるとシェークスピアはなかなか読まないと思うんで機会がある限りお芝居で見れればなーと思っとりますです。鴻上(尚史)さんテイストのロミジュリも楽しみだしー。(つかまちゃ(河原雅彦氏)が出るってのもあるから。笑)蜷川さんとはまた全然違うんだろうなー。(遠い目)ま、あらすじに変わりようがないので演出次第ですが。早くみたーい。