藤原宮跡の東にあり、畝傍山、耳成山とともに大和三山と呼ばれます
 太古の時代には多武峰から続く山裾の部分にあたり
 その後の浸食作用で失われなかった残り部分といわれています
 天上(高天原)にあったとされる為に“天”を冠する(つまり、天から降ってきた山)