ちいぃぃーーーぃんん  念仏三昧に入りぬればああぁぁぁーー 諸々の仏えええぇぇーー 招かざるに来迎しいぃぃぃ 諸天善神毎日に守護したまううううぅぅぅ チイィィィーーーン

23年5月19日〜5月24日 傳法

 

 興善寺入り口 

    

  受付    本堂内準備万端

1日目

午後1時集合 本堂内行人ビッシリ278名 立錐の余地なし

寺方25名 世話方54名

   本堂に入りきれない行人

調読 寄勧戒 習礼

   お供え物

立ったり座ったり(カチ上がりチン下がり)

関東広域営業本部長の奥様、ご主人が健在の時はお客様がひっきりなし。ご主人が亡くなられてからは悲しい思いをされている。

「もう慣れましたか」と聞くと、くーーっと手を握りしめた。

息子に帰ってきてくれと頼んだが「仕事を辞めよと言うのか」と言われた。

幸せは遠くにあると思い手を伸ばす。足を滑らす。幸せをつかみにいくのではなく自分の足下にある。

自分の喜び、幸せは直ぐ近くにある。

「幸せは西にはあらじ東にも右見て左見て来た道探せ皆身にある」

2日目

昨日のように一杯であれば困るので座り椅子の確保にいく

  

 

行者用心式 念珠式 勤行 勧誡 礼拝式

香偈 礼文 酒水 行人願文 読経 念仏 回向

無常観 百八煩悩

目の前で踏み切り事故があった。警報機が鳴っている中数台が突っ込んで行った。一番前の車が踏切を越える前に脱輪。後続車が立ち往生。そこへ電車が。後何秒か早く着ていればで自分も巻き込まれていた。「怖かったね」「良かったね」「助かったね」

「ハイお陰様で」

「念仏三昧に入りぬれば諸々の仏招かざるに来迎し諸天善神毎日に守護したまう」

   お供え物

  導師様の水行

沐浴身体 当願衆生 心身無垢 内外清浄 六根清浄 三業清浄

3日目

焼香式 剃髪式 日課勧進式 記念写真

清浄香 仏使香 飲食香

    お供え物

交通事故で息子を亡くした。息子は暴走族のリーダー。橋の欄干にぶつかり即死。霊安室に行った。

お父さんがお寺さんに言った「息子の手と足が戻らなくなった」

「まだよう帰ってないな」線香を持って事故現場に「連れて帰ってやるからな」

参列者が多かった。「あほんだら」と父が。突然大雨。

びしょ濡れになって棺を担ぐとき「おとろしいやっちゃ、こないになってもえらい目にあわっしょる」

 「立ち上る煙をつけて思うかな」 「手に触れず目には見えず法の道」 「ありありとありありがたきかな」

4日目

四事供養式 お手判式 本山お見舞い お礼

  

「我が良きに人の悪しきはないものよ 人の悪しきは我が悪しきなり」

「呼ばれば呼ぶ呼ばねば呼ばぬ山彦の 聞こえる声は呼ぶ人の声」

「良い心悪い心良い方に考えていこう 手を打つとハイと応える 鳥は逃げる鯉は集まる 猿沢の池」

5日目

礼拝式 円頓戒道場(暗い部屋で戒律を授かる)

  

   

法要に行った先のおばあさん「内の嫁は優しいんですわ」「何ができてとは言わない、優しいんですわ」

「ずうーっと気になってましてん」「たんねよと思ってましてん」

「別れた主人に一遍会いたいと思っている」「夢の中で会いたいと思っている。どうして夢に出てこないのか」

「相手が気にしていると相手の夢を見る」「自分が思っていても相手の夢は見ないものだ」

17回忌の法要の翌日から奥さんが出てこないようになった。4ヶ月目にようやく奥さんが出てこられた。

「自転車に乗っていてぶつかりました。倒れたときたまたま鞄袋の上に頭が落ちて打撲だけで済みました」

「助けてもろたんや」「ありがたいことや」

「おまえらよう聞いとけよ世話になったな!もしもの時は守ったるで」と言っていたご主人はしばらくして亡くなられた。

「いんじゅさんこんなことはあるんですやろか」

「念仏三昧に入りぬれば諸々の仏招かざるに来迎し諸天善神毎日に守護したまう」

 

雨降りの日、思い通りにならないのは天気と健康と思いながら寺までの帰り携帯が鳴った。

「いんじゅさんえらいすまんこっちゃ」「先祖さんと仏さんをなくしてしもた」

運動会に息子、嫁、孫で出掛けていた。昼ご飯も作ってくれていた。

仕事から昼に帰ってきた。グリルを使っていたことを忘れてゲートボールに行った。

寺の行事の時、「十分なことはできないができるだけのことはする。集まったときは下座から謝られた」

火事の後、外にも出られなかった。出たら恥をかく。もう死んでしまおうかとも思ったこともある。

難儀やな、その通りやな。せやけどな、どないもこないも思いようやで。

まだ、ましや。誰も怪我してへん。孫も何もなかった。瑕も受けてない。そうやねん。

ニュースで「一家焼け死んだ」と聞いて、ほんまに気の毒やけどこれよりましやと思った。

「立ち並ぶ菩薩の姿今見れば皆苦しさに堪え忍ぶ姿なり」

 

この日は特に寒かった CDA二次試験合格通知来る

閑話休題

CDAで思い出したが、傾聴で相手の言った言葉を繰り返す技法がある

何度教えてもらっても何故繰り返しが必要かが理解できなかった

ある日ばあさんの見舞いに行った 前から怖い夢を見ると言っていた

「この頃は見ないの?」と尋ねても表情を変えずウンウンとうなずくだけ 本当に見ないのかが分からない

耳の側で大きな声で同じことを言うと 笑って「見ない」と言ってくれた

ばあさんのこの「見ない」の一言でようやく聞いてくれていると分かった

これである

6日目

総礼式 回向式 本傳道場 お礼勤め 別れ勧誡 行人代表でお礼の挨拶

  高野豆腐とレンコンで作られている

おばあさん、孫にプレゼント。嫁からお礼の手紙とプレゼントした服を着た孫の写真が届いた。

「行き届いた人。細かいとこまで気がついてねえ。けどねえ・・・。」

孫のオモチャ、服、嫁の服。毎年の誕生日に贈ったものである。

「何か手のひらでくるくる回されているようで、なにやらすっきししない」

ある時、いえに帰ってきたとき料理もキチッとできていた。調味料もキチッとしまっていた。

「あの子私よりようできるわ」 「せやけどすっきりせえーへんね」

心の中に溝があればそれがゴミ(煩悩)で詰まる。溝は広げて、ゴミは取り除く必要がある。

いくら広げても広がらない、掃除しても掃き帰れない時には洪水になる。

こらえきれない悲しみは掃いていくしかない。乗り越えていくしかない。

念仏しかない。

高三の男の子の墓標の前でご主人が「よう言いますな。後の祭りと言いますけどうちのことやな」

家族に手紙を書いてタイマーセットして電気コードを巻いて自殺。

何でこのようになったのか全く分からない。

葬式が終わり骨揚げ。父は息子の死が信じられない。母親は憔悴仕切っている。

「こんな親不孝者家に入れることはできん。そんなもんほかしておけ!」

奥さんが骨を抱いたまましゃがみ込んでしまった。

父親の友達が肩を抱いて「あの子も仏さんやないか、そんなこと言うたんなよ」

1年経って友達がお参りに来た。

「ありがたいことですね。ありがたいようで、かなんようで複雑ですわ」「泣いてもしようがない何度も念仏唱えました」

「夫婦で念仏唱えて何とか過ごしてきましたんや」

「しらたま(水晶)はおのが心をそのままに紅葉におけば紅の色」

 

24年3月23日 傳法ざらえ

彼岸会 お勤め 礼拝式 説教 仏様拝む姿が仏様

27年に300回忌 5月1日〜7日法要を予定

彼岸の中日は昼夜が真半分になる 中道、即ちどちらにも偏らないということで彼岸が尊ばられる

観経第1には日想観が詠われている

沈みゆく夕日を拝む 夕日の向こうに浄土を思い浮かべる

夕日は赤々と照り輝いて目映い思いがする これが日想観である

 (注:観無量寿経=[定善の観法] そこで仏(釈尊)はまず、精神を統一し、心を西方に専念して阿弥陀仏とその極楽浄土を観想する方法(定善じょうぜんの観法)を説き始められる。まずは太陽が西の空に沈みゆく映像を頭の中に焼き付くようになるまで観想する「日想観」にはじまり、ないし極楽世界のありさまや阿弥陀仏の姿やその徳などを観想し、あるいは自分が極楽浄土に往生しているありさまを観想するといった、十三の観想の段階を説かれる。)

浄土は清らかな世界である 清らかな心は浄土を持っている

浄土には仏様が住んでいる

心の中の仏様を出したり入れたりはできない

夕日を拝めば照り返しがある

仏様ご先祖様は逆に我々を拝んで下さっている

これを回向返照という

そのまま仏様ご先祖様のお心を受けさせていただいている

花を供える みんなこちらを向いている

照り返しをいただいている

私は孤独ではない 仏様ご先祖様が一緒にいる

苦しいとき 寂しいとき 悲しいとき

一緒に苦しんでくださっている 一緒に寂しがってくださっている 一緒に悲しんでくださっている

 

南無阿弥陀仏

手を合わせ 口から素直に「なむあみだぶつ」と言う

手を合わす この簡単な仕草ができない

時には手が離れ上にいき 怒りの手になる

時には 指を差し卑しい手になる

手を合わせる姿は仏様の姿

手を合わせると不思議と心が清まってくる

手を合わせる時は 喧嘩をしない 悪口も言わない 愚痴不満も言わない

手を合わせたときは仏様になる

心の中で手を合わせている これは間違いである

 

喜びを感じる

人に喜んでもらえることをした時は喜びを感じる

ほんの些細なことでも人様を勇気づけた 手助けして喜んでいただいた

子どもにご苦労様といえば 子どもは役に立ったのだなと思う

相手が喜んでくれたときは 自分の喜びとなる