観音講

毎月17日に開催

院主さんに合わせて読経、その後院主さんから御法話がある

25年の4月から参加させていただいた

 

26年3月24日 春期彼岸会・伝法ざらえ

礼拝式 塔婆回向 お説教(誡師 福井邦典師)

弥陀所伝 融通念仏 億百万遍 功徳円満 南無阿弥陀仏

チィーーィーーィーーン

「世の中に思いはあれど 子を思う心に 勝る思いなし」

 

「1人暮らしで自宅トイレに8日間閉じ込められた 都会の死角」 朝日新聞から

1人暮らしの63歳の女性が11月4日午前1時ごろ、寝る前にトイレに入った。

トイレのドアを閉めた。ガチャン!

しばらくしてパターーン!   ・・・?  驚いてドアを開けようとしたが、びくともしない。

  ドンドンとドアをたたき、大声で何度も叫んだが反応はない。

11階建てマンションの8階。

「助けてーーー! 誰か助けてーーー!」

誰も来てくれない。

窓も時計もない。どれだけ時間がたったのか。便座に座り、夜が明けるのを待った。  

天井の換気扇から聞こえる建設工事の音で時間がわかった。

朝8時に始まり、夕方6時に終わる。

換気扇に向かって助けを求めたが聞こえない。

呼べども、叫べども誰も気づいてくれない。10月のことでさすがに夜は寒くなる。

着ていたのは寝間着1枚。

トイレットペーパーを手にも足にも巻いて寒さをしのいだ。

顔にも巻いた、まるでミイラだ。

暖房便座で体を温めた。体をくの字に曲げ、横になって眠った。

「きっと誰かが叫び声を聞いて助けてくれる」と最初の内はそう思っていた。

口にできるのは手洗い用の水だけ。

 何日か経った。「餓死するのか」日増しに不安が強まる。

マンションの管理人は非常勤で、8階に来ることはまずない。

泣きたくても、涙すら出なかった。

 

死を覚悟した。その時母を思い出した。

一緒に暮らしていた97歳の母は肺炎で10月から入院していた。

入院後毎日毎日見舞いに行き、夕方になれば「また、明日来るわな」と帰って来る。

それがピタッと行けなくなった。

母もキット心配してくれているだろう。

頼みの綱はお母さんだけだ。

「お母さーーん!私はここにいますよ!生きていますよ!」

 

一方母親は、3日までは毎日来てくれていたのに?

4日から全く姿を見せない。

来なくなってから二日目、何かあったのだろう。忙しいんだろうか?

三日目になった。だんだん不安になってきた。

どうして来てくれないのか。

何故か。色々考えた。

人間は考えると悪い状況しか考えない。

悪い方へ悪い方へと考える。

手の届く範囲は、良い方に考えるが、手が届かなくなると悪い方に考える。

とうとう私も見捨てられたのか?

そんなことはない。あの娘に限って。

来たくても来れない事情が。事故に遭ったのか。

何とかしなければ。

看護婦さんを捉まえて「すまんねけど ここに電話して欲しいね」

「毎日娘が来ていたのにプッツリ来なくなった。電話して欲しい」

看護婦さんが電話しても誰も出ない。

そのように母親に報告すると、また、違う看護婦さんに「電話して」と頼み込む。

娘はトイレの中で電話の呼び出し音を聞いていた。

4日目誰彼なしに頼んだ。

「すまんけど電話して!」「通じなかったら警察に電話して!」

「警察にここへ行ってと言って!誰も出てこなかったら、扉を破って中に入ってください!と言って」

「取り返しのつかないことになったら私が困る」

 

警察が到着。ピンポーン!返事がない。

母親が言っていたように、扉を破って中に入った。

電気コタツの包装段ボール箱がトイレのドアと壁の間に、ぴったり はまっていた。

トイレのドアの向かい側の壁に立てかけてあったのが床に倒れてドアが開かなくなっていた。

トイレの中に娘さんが横たわっていた。

午後4時ごろ、無事に救出された。

閉じ込められて8日後、ようやく助けられた。

「お母さんが心配されていますが、お母さんのところに行きますか?」

「それとも先に病院で診てもらいましょうか?」

 

ふらふらしながらお母さんの所へ

「よかった、よかった。あんたも疲れたやろ」と母親。

それまでは必死の形相であった。娘の無事を確かめた。

それから2時間後。

午後6時。母親は亡くなった。

娘の張り裂けるばかりの思いはいかばかりか!

自分の命を縮めてまでも娘を助けようとした。

これこそ御仏の心である。慈悲である。

娘が「助けてください」と言った時、御仏は娘のすぐ横にいた。

 

慈の茲は「この」→この心

悲の非は「あらず」→心に非ず

自分の心は、自分のものではない

慈=与楽  悲=抜苦

御仏の心は、衆生縁の慈悲、法縁の慈悲、無縁の慈悲と三つある

 

 



 
 

 

 

26年2月

2月の観音講は非常に寒くて厳しいものがある

この本堂に掲げているのはお釈迦様の涅槃会のお軸である

村嶋さんのご先祖さんが寄付していただいたものである

昔は、涅槃会には子どもが当番の家に集まり遊んで暮らしたものだ

今はもうなくなってしまった

4月8日は花祭り、お釈迦様がお生まれになった日

12月8日はお釈迦様が悟りを開かれた日

2月15日はお釈迦様がお亡くなりになられた日

35歳で悟りを開かれ80歳まで45年間インドの隅々まで裸足で回られた

今でこそ80歳、90歳は普通であるが、2500年前の80歳は超人的なものであった

何を教え何を説かれたか

8100の経典がある その一つ

世の中はすべて苦である

生きているというのは苦の中にいるということである

全てのものが自分の思い通りにならない これが苦である

般若心経の中に「故心無圭礙無圭礙故」というのがある

こだわりの心、とらわれの心

これらの心は人を作りなしている

お釈迦様は四苦八苦と説いている

四苦=生老病死 人間としての根本的な四苦である

これに愛別離苦・怨憎会苦・求不徳苦・五蘊盛苦が加わり八苦となる

八つの苦しみの中で一生を通していくことになる

人間生きていくにはいろんな苦しみがある

一日一日年を取っていくことになる

昨日の自分は今日とは違う

怪我をしたいと思い怪我をする人はいない

なりたくないと思っていてもなってしまう

そんな苦しみの中で生かしていただいている

その苦しみをどのように和らげていくか

今日、今の縁を大事にしていく、大切にしていく

行雲流水 (こううんりゅうすい

雲は悠然として浮かび、しかもとどまることなく、水はまた絶えることなく

さらさらとして流れて、また一処にとどまることがない。

三角にも四角にも丸にもなる

全て自然体である

逆らうこともなくその形になる

こんなことは悟りを開かなければできない

思い通りにならない

現実を見て新しいものを求めていくのが幸せというものである

介護施設を経営している人が言っていた

入所者で扱いにくい人は偉い人、高学歴、議員、社長で

とかく高い地位の人はやりにくい

人の世話を受けることを認められない

今まで人を指図してきた

若い人に指示されるのは受け入れられない

唄を歌おう、ゲームをしよう、絵を描こう、山に登ろう

ことごとく断る、グループに入らない、入れない

一人になる 余計に悪くなる

その場に対応していくことが大事である

年をいけば人の厄介になる

良寛和尚

「災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。」

と言っている。

柔軟心 頑なな心から受け入れる心

こだわり、とらわれ、傲慢な心を柔軟に受け入れる心にすべきである

 

参考:般若心経 (三蔵法師玄奘訳)

かんじざいぼさつ
観自在菩薩             (観音菩薩が、)
ぎょうじんはんにゃはらみったじ
行深般若波羅蜜多時     (深遠な知恵を完成するための実践をされている時、)
しょうけんごうんかいくう
照見五蘊皆空           (人間の心身を構成している五つの要素がいずれも本
             質的なものではないと見極めて、)
どいっさいくやく
度一切苦厄             (すべての苦しみを取り除かれたのである。)
しゃりし
舎利子                 (そして舎利子に向かい、次のように述べた。舎利子
             よ、)
しきふいくう
色不異空               (形あるものは実体がないことと同じことであり、)
くうふいしき
空不異色               (実体がないからこそ一時的な形あるものとして存在
             するものである。)
しきそくぜくう
色即是空               (したがって、形あるものはそのままで実体なきもの
             であり、)
くうそくぜしき
空即是色               (実体がないことがそのまま形あるものとなっている
             のだ。)
じゅそうぎょうしき
受想行識               (残りの、心の四つの働きの場合も、)
やくぶにょぜ
亦復如是               (まったく同じことなのである。)
しゃりし
舎利子                 (舎利子よ、)
ぜしょほうくうそう
是諸法空想             (この世の中のあらゆる存在や現象には、実体がない、
             という性質があるから、)
ふしょうふめつ
不生不滅               (もともと、生じたということもなく、滅したという
             こともなく、)
ふくふじょう
不垢不浄               (よごれたものでもなく、浄らかなものでもなく、)
ふぞうふげん
不増不減               (増えることもなく、減ることもないのである。)
ぜこくうちゅうむしき
是故空中無色           (したがって、実体がないということの中には、形あ
             るものはなく、)
むじゅそうぎょうしき
無受想行識             (感覚も念想も意志も知識もないし、)
むげんにびぜつしんに
無限耳鼻舌身意         (眼・耳・鼻・舌・身体・心といった感覚器官もない
             し、)
むしきしょうこうみそくほう
無色声香味触法         (形・音・香・味・触覚・心の対象、といったそれぞ
             れの器官に対する対象もないし、)
むげんかいないしむいしきかい
無限界乃至無意識界     (それらを受けとめる、眼識から意識までのあらゆる
             分野もないのである。)
むむみょう
無無明                 (さらに、悟りに対する無知もないし、)
やくむむみょうじん
亦無無明尽             (無知がなくなることもない、)
ないしむろうし
乃至無老死             (ということからはじまって、ついには老と死もなく)
やくむろうしじん
亦無老死尽             (老と死がなくなることもないことになる。)
むくしゅうめつどう
無苦集滅道             (苦しみも、その原因も、それをなくすことも、そし
             てその方法もない。)
むちやくむとく
無知亦無得             (知ることもなければ、得ることもない。)
いむしょとくこ
以無所得故             (かくて、得ることもないのだから、)
ぼだいさった
菩提薩垂               (悟りを求めている者は、)
えはんにゃはらみった
依般若波羅蜜多         (知恵の完成に住する。)
こしんむけいげ
故心無圭礙             (かくて心には何のさまたげもなく、)
むけいげこむうくふ
無圭礙故無有恐怖       (さまたげがないから恐れがなく、)
おんりいっさいてんどうむそう
遠離一切転倒夢想       (あらゆる誤った考え方から遠く離れているので、)
くきょうねはん
究境涅槃               (永遠にしずかな境地に安住しているのである。)
さんぜしょぶつ
三世諸仏               (過去・現在・未来にわたる”正しく目覚めたものた
            ち”は)
えはんにゃはらみつたこ
依般若波羅蜜多故       (知恵を完成することによっているので、)
とくあのくたらさんみゃくさんぼだい
得阿耨多羅三藐三菩提   (この上なき悟りを得るのである。)
こち
故知                   (したがって次のように知るがよい。)
はんにゃはらみった
般若波羅蜜多           (知恵の完成こそが)
ぜだいじんしゅ
是大神呪               (偉大な真言であり、)
ぜだいみょうしゅ
是大明呪               (悟りのための真言であり、)
ぜむじょうしゅ
是無上呪               (この上なき真言であり、)
ぜむとうどうしゅ
是無等等呪             (比較するものがない真言なのである。)
のうじょいっさいく
能除一切苦             (これこそが、あらゆる苦しみを除き、)
しんじつふこ
真実不虚               (真実そのものであって虚妄ではないのである、と。)
こせつはんにゃはらみつたしゅ
故説般若波羅蜜多呪     (そこで最後に、知恵の完成の真言を述べよう。)
そくせつしゅわつ
即説呪曰               (すなわち次のような真言である。)
ぎゃていぎゃていはらぎゃてい
羯帝羯帝波羅羯帝         (往き往きて、彼岸に往き、)
はらそうぎゃてい
波羅僧羯帝             (完全に彼岸に到達した者こそ、)
ぼうじ
菩提                   (悟りそのものである。)
そわか
僧莎訶                 (めでたし。)
はんにゃしんぎょう
般若心経               (知恵の完成についてのもっとも肝要なものを説ける
             経典。)

 

26年1月

観音講の新年会も兼ねた楽しみの日である

檀家総代さんともども一緒に飲める それだけではなかった

初めての正月の観音講の参加であるが、みなさんと同じように お年玉をいただいた

センスの良いマフラーだった

御法話

1月15日も過ぎた 元の生活に戻る

1年365日 いろんなことが起こる 毎日毎日が縁である

良い縁もあるが、悪い縁もある 縁の積み重ねである

「世の中の出会いうれしき法の道 旅路はるかに光求めて」

自分の縁、自分の出会いは心の持ちようにより良い方に向く

「一寸先は闇」とよく言われるが、「一寸先は光」と思えば光が差してくる

檀家さんの一人に、物事に当たっていくが良い方良い方に考えておられる人がいる

今年は野菜が昨年よりも集荷が悪かったと色んな家で聞いたが

その人は野菜は安かったが健康でいかさせてもらっている

冬は山に入り、森林の世話をされている

ちょっとでも手入れしていると山もよくなってくる

この前少し売らせてもらったがよい値段で売れた

手入れし、子や孫へと思えば光が差してくる

癌が見つかり半年間入院されたが

半年間休ませてもらった

常にこのような考え方である

限界集落である にもかかわらず7人家族

おじいさん おばあさんの心の向け方が今の家を作っている

自分の自由になるのは 自分の心だけである

 

25年11月10日 十夜法要

御法話 双盤念仏 新亡回向 新穀感謝 塔婆回向 御法話 本回向 念珠くり

御法話 稱名寺 住職徳田泰秀

光明遍照十方世界念仏衆生摂取不捨

杖言葉 絵心経

「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」

 ゆく河の水の流れは絶える事がなく流れ続ける状態にあって、それでいて、それぞれのもともとの水ではない。河が流れて行く様子を見ていると、池や沼とは異なり、とうとうと流れて行き、その水の流れは、河がなくならない限り絶えることはありません。『方丈記』の作者とされる鴨長明は、流れる河の水が、二度と戻らない事を見、「無常」という仏教の言葉と重ね合わせて、「常に同じものはこの世には無い」と強く感じて、この冒頭の文章を書き始めたと多くの人に解釈されています。鴨長明の生きた時代は、戦乱が多く、天災や火災も多かったということが、『方丈記』の中に描かれています。 世の中に常なるものがないけれども、河の流れ自体は耐えないというある種の「歴史観」を、鴨長明は河にたとえて描きました。

「諸行無常」

  諸行無常とは、この世に存在するすべてのものは、同じ状態を保つことなく移り変わっていき、永久不変なものなどないということ 仏教の思想にある根本的なもので、あらゆるものは刹那(きわめて短い時間。一瞬)の間にも変化をくり返しているということ。人生のはかなさを表す言葉であり、一般的には、世の中の移り変わりの激しさや人の死を嘆くときに使われる。

 「諸行」とは、この世の一切の事物・現象のこと。「無常」とは、この世にある一切のものは常に移り変わり、不変のものはないということ。

 『いろは歌』にある「いろはにほへとちりぬるを」は「諸行無常」を表す。

 『平家物語』の冒頭にも使われている。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理(ことわり)をあらわす(祇園精舎の鐘の音は「世の中に不変はないと言っているように聞こえる。沙羅双樹の花の色は、盛んな者は必ず衰えることを表している。思い上がった者は長く続かない)」 

 「裏を見せ 表を見せて 散る紅葉」

 秋も深まり、風もないのにヒラヒラと散っていく落葉の風情が浮かびます。また、秋が過ぎて、もうすぐ寂しい冬がやってくるのを示した句ともとれましょう。この句は、単なる俳句というよりも、人間の生きる姿を句に託したものとして、味わい深いものがあります。
よく「人間は棺を入ってはじめて価値が定まる」などと言います。つまり、いよいよ最後に死ぬ時を迎えると、これまでに行なってきたことの洗いざらいが見えてきて、その人かどのくらいの人であったか分かる、というわけですね。それが「裏をみせ表をみせて散る紅葉」です。
 『西遊記』をご存知ですか。あの中で孫悟空か、お釈迦さまと飛び比べをします。どちらが遠くまで飛べるか、を競争しようというわけです。うぬぼれ屋の悟空はキントン雲に乗って力いっぱい空中を駆けました。もうここまでくれば、俺さまにかなうものはあるはずかない、と、ふと雲の中に立っている五本の柱に、ここまできた証拠の印をつけて、お釈迦さまのもとへ引き返します。そうして、自慢げに報告をしながら、お釈迦さまの手をなにげなく見ると、指にその印がついていた、というわけです。
「これは仏さまは、なんでもかんでもお見とおし」ということです。いつでも、どこでも見てござる、限りもない大きな愛に私たちは守られているのです。
 慈悲の光の当たらない人も場所もありません。だから仏さまにすべてをおあずけして安心して生きていきましょう。何も怖れることのない、心安らかな世界。それに気づくように教えてくれるのが、「裏をみせ表をみせて散る紅葉」 
よくよく味わってください。

「忘己利他(もうこりた…己を忘れて他を利する)」  

  「人間の性(さが)として、私たちはどうしても自分中心に考えてしまうことがあります。もっと欲しい、こうして欲しい、とまわりに望むことが多くなりがちなのです。」 我欲が先立つのです。

  伝教大師最澄(でんぎょうだいしさいちょう)さまの言葉に『己(おのれ)を忘(わす)れて他(た)を利(り)するは慈悲(じひ)の極(きわ)みなり』という言葉があります。自分のことは後にして、まず人に喜んでいただくことをする、それは仏さまの行いで、そこに幸せがあるのだという言葉です。つまり我欲が先に立つような生活からは幸せは生まれないのだということです。

「亡き人の為とて手向けし念仏は 生るわが身の教えなりけり」

 寺院をお参りするときや、仏壇に対するときには、両方の手のひらを合わせ、目を閉じて静かに礼拝します。これが合掌です。仏前に対する基本的な動作です。では、なぜ合掌が行われるのでしょうか。当たり前に行われているのでなかなか考えることもないかもしれません。仏様の前に限らなくとも、人は何かに向かって祈る時、必ず手を合わせます。そして、念じます。目に見えないけれども、偉大な神や仏を信じて無心になって祈ります。これが合掌です。

  合掌は両方の手のひらを合わせます。この礼法はインドから来ていて、現在のインドでも人々は挨拶をするときに合掌します。この合掌が仏教にも取り入れられています。

 「右ほとけ、左われぞと合す手の、中ぞ 床しき南無の一声」

 右手は清浄、神聖、真理、仏を表し、左手は、不浄、世俗、いつわり、煩悩、衆生、わたしたちを表わします。そして両手を合せるところに人の本当の姿、真実をみるのです。簡単に言えば、合掌することにより仏様と私が一つになり心を通い合わせ、仏の存在と安心を得るのです。そして「仏様が一緒だ」と考えると、心が豊かになり苦しいことも乗り越えることができるのです。

 合掌することは、人の垢となる貧欲(とんよく:むさぼる)・瞋恚(しんに:はらだち)・愚痴(ぐち:おろかさ)を、仏の世界へと導きます。自分の心や他の人々の心を洗い清める姿です。仏様を迎え入れ各自の家庭を平和な極楽浄土にする合掌の生活は仏教の到達点にもなっています。

「極楽は西にあれども東にも北道探せ南にぞある」

蜘蛛の糸

「目連尊者(もくれんそんじゃ)の親を思う孝順心」

  おしゃか様がいらっしゃった時のお話で、お弟子の一人に目連尊者という方がいらっしゃいました。目連尊者は修行を重ねられる中で神通力を得られたという方です。その力は人々のために活かされ、多くの人々から尊敬されていました。

  有る夏の暑い日のことです。木陰で休んでいる目連尊者の前を楽しそうに話ながら母子が通っていきました。その姿に、何年も前に亡くなってしまった母親を思いだした目連尊者は、神通力の一つ天眼を利して会いに行くことにしました。

 「あのやさしかったお母さん、今はいずこに」

 探し探す間に地獄の入り口にたどりついた目連尊者はまさかと思いながら入ってみ ました。

  地獄にはいろいろあるそうです。お湯が煮えたぎって人間が苦しんでる地獄。針山 地獄。血の池地獄。楯刀を持たされて争っている地獄。人間が切り刻まれる地獄。 そ んな地獄が際限なく続くそうです。

  焦熱地獄を覗いた時です、そこに横たわっているのはお母さんではありませんか。 目連尊者に駆け寄る母親は一杯の水を頼みました。しかし、水器で運んだ水は熱 さで 煮えたぎり、持ち寄った食事は火と化したと経典には記されています。

 大泣、悲号する目連尊者はおしゃか様の前に進み出、ことの子細を話しました。 が、そこで仲間から聞かされたことは目連尊者の母親の悪業だったのです。

  目連尊者の母親は目連を大変かわいがりましたが、そのあまり、道理がわからなく なってしまっていたようです。

  夏のある日、目連尊者の家の前を通りかかった人が一杯の水をめぐんでくれるよう に頼みました。水瓶の水はあふれんばかりでしたが、母親はふたを取ろうとしま せ ん。何度も乞う声に母親は「この水は目連の水」とこたえたのでした。

  インドは暑く、特に水はどこにでもあるというわけではありません。

  おしゃか様は、布施(物を施すこと)は執着心を離れることとして奨励されました が、あながち「心」の問題ばかりでなく、社会の貧困を解決すること(助け合う こ と)を教えられていたように思えるのです。

  もくれんを思うあまり施しを忘れ、道理を見失った母親は、その「おろかさ」を もってあの世に行ったのでしょう。結果は地獄でした。目連尊者にとって、自分 のた めに地獄にいる母親はおどろきであり、辛く苦しいことだったのでしょう。この 気持ちは私達もわかるような気がします。

  悲しみに打ちしおれる目連尊者は再びおしゃか様をたずねました。

  おしゃか様は過去を取り返すことはできないが、母親のできなかったことをするこ とはできると話され「七月十五日(八月に行う地方も多い)は雨期もあがり僧侶 も夏 の修行に一段落つく日である。人々も町に出てくる。この人たちに母親の出来なかっ たするがよい」と示されたのです。

 この日、目連尊者は百味、百果の食べ物を用意したそうです。誰にでも食べて いた だこうとしたのでしょうね。

  食事には多くの人々が集まってきました。おしゃか様を中心に法要も行われたことでしょう。法要は「さとりの心をよりどころにしなさい」ということですね。

  楽しい食事も終わり、目連尊者は再び母親を訪ねました。

  白い雲に包まれた母親がうれしそうに空に登っていくところでした。目連尊者は飛 び上がらんばかりに喜び、おしゃか様に、 「もし後の世の人々がこのような行事をすればたとえ地獄にあろうとも救われようか」と尋ねました。

  おしゃか様もうれしそうにこたえられました。「いま、わたしが話そうとしたところだ。もし孝順心を持ってこの行事を行うなら必ずや善きことがおこるであろう」

  その日、村のあちこちから歓声がきこえ、喜びのおどりはいつまでもつづいたそうです。

 「六道輪廻」

地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道の六つの世界で、生と死を繰り返していると考えられています。それは仏になるまで永遠に繰り返し、現在へ続いています。つまり、今の命は自分だけではなく、過去の世界から引き継いでいるものなのです。私達が生きている世界は人道です。せっかく生まれたのに、日頃の生活に追われ、本来の目的である「仏と成るための修行」が出来ていないというのが現実ではありませんか?

 

七仏通戒偈(しちぶつつうかいげ) 

 仏教には八万四千もの法門があるそうです。 

 登山をイメージしていただくとわかり易いと思います。たとえば富士山の頂上を目指すとします。その時にもっとも大切なことは、どの登山口から登るということではありません。 

 頂上に向かって前進していきたいという不動の意思が大切なのであります。極端な話、西口からでも東口からでもかまわない。どこから登ろうと、頂上は一点であります。まずは、目標を見定めることですね。具体的な方法論は、その次になってくるのです。どのルートで登るか?急斜面を一気に這い上がっていくのか、それともゆっくりとマイペースで進むのか?こうした選択は、各人の自由意志で良いのです。この道のほうが近道だからと、誰かに強要するのは良くないし、誰かに強要されても従う必要などないのです。   

 仏教も同じことで、どの宗派でなければならないということはない。他力門でも自力門でもいい。阿含経でも法華経でも阿弥陀経でも般若心経でも何でもいい。そこに仏教の真髄が刻まれているのであるならば、それを学び実践する者たちが目指す頂上は同じだということです。そして、同じ頂上を目指すものたちは、みな仲間であり、いがみ合う必要などどこにもないということです。これは、もっと大きな視野で見るならば、キリスト教でもイスラム教でも仏教でも儒教でも神道でも、それが真に根本神から流れ出ているものであるのなら、それぞれが目指す頂点は同じであるということができるでしょう。  

 さて八万四千もの入り口があるという仏教ですが、そのすべての教えを貫く根本精神があるといわれています。それが有名な七仏通戒偈といわれる詩です。 

 お釈迦様の以前に、過去六度、仏陀が出現して教えを説かれたそうですね。そして七仏通戒偈とは、それらすべての仏陀の教えに貫かれている根本精神だといわれています。 

 「諸悪莫作  衆善奉行  自浄其意  是諸仏教」

 悪しきことをなさず、 善いことをして、 自分の心を浄めること、 これが諸々の仏の教えである。

「白楽天と道林禅師」

 昔、中国に白楽天(本名は白居易、772年(大暦7年)- 846年(会昌6年)、中唐)という詩人がいた。その白楽天が、これまた仏教で名高い道林禅師(鳥?道林(741 - 824年)、中国・唐代の禅僧)を訪ねた。

 道林禅師は松の木の上で生活しながら、仏教の真髄を追及したと伝えられる高僧。白楽天はこの禅師に会う機会を待ちかねていた。

 白楽天が江西省の知事になって、秦望山に道林を訪ねることとなった。

 白 「そんな高い所での生活、危ないぞ」

 道 「危ないのはそっちの方だ」

 白 「木の上が危なくなく、地上が危ないとは何故?」

 道 「仏教を知らず、心の定まらぬ者は、地上にいても危ない」

 白 「その仏教とは何か?」

 道 「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教(諸もろの悪は作さず、

    衆もろの善を奉行し、自らその意を浄よめる、是れ諸仏の教えなり)」

 白 「斯様な事は三歳の童子でも知っている」道 「三歳の童子これを知る

   といえども、八十の老翁なおこれを行うこと能わず」

 白楽天は心を打たれて返す言葉を失い、やがてその意を理解し、竹閣(広

 化寺)を建て、以後、朝に夕に訪れては、参禅したという。

 

「はけば散り はらえばまたもちりつもる 人の心も庭の落ち葉も」 

 目についた一つの塵を拾うことが自分の心中の塵を払うのです。 

 履物の乱れを整頓するのが、自分の心を整理するのです。 

 禅では、日常のそうした一挙手一投足をとても重視します。 

 特別な修行ではなしに、日常の生活を通して、心の鈴が汚れぬよう、そして仏心と私が響きあうよう、いつも努めていきたいものです。 

 日々の暮らしこそ、その人にとっての修行に他なりません。

「七つの布施」

一、眼施(慈眼施)

  慈(いつく)しみの眼(まなこ)、優しい目つきですべてに接することである。

二、和顔施(和顔悦色施)(わがんえつしきせ)

  いつも和やかに、おだやかな顔つきをもって人に対することである。

三、愛語施(言辞施)

  ものやさしい言葉を使うことである。しかし叱るときは厳しく、愛情こもった厳しさが必要である。思いやりのこもった態度と言葉を使うことを言うのである。

四、身施(捨身施)

  自分の体で奉仕すること。模範的な行動を、身をもって実践することである。

  人のいやがる仕事でもよろこんで、気持ちよく実行することである。

五、心施(心慮施)(しんりょせ)

  自分以外のものの為に心を配り、心底から、共に喜んであげられる、ともに悲しむことが出来る、他人が受けた心のキズを、自分のキズのいたみとして感じとれるようになることである。

六、壮座施(そうざせ)

 わかり易く云えば、座席を譲(ゆず)ることである。疲れていても、電車の中ではよろこんで席を譲ってあげることを言う。さらには、自分のライバルの為にさえも、自分の地位をゆずっても悔いないでいられること等。

七、房舎施(ぼうしゃせ)

  雨や風をしのぐ所を与えること。たとえば、突然の雨にあった時、自分がズブ濡れになりながらも、相手に雨のかからないようにしてやること、思いやりの心を持ってすべての行動をすることである。

 「南無とは・・・」

 どの宗派のお経にも出てくる「南無」には一体どの様な意味があるのでしょう? 「南無」とは梵語のnamasからきており、「身命を捧げて服従し、おすがりします。」という意味を持ちます。

  それでは、南無阿弥陀仏、南無妙法蓬華経、南無太師遍照金剛、南無釈迦牟尼仏、南無………………等という時の「南無」も同じ意味なのでしょうか…?。

  私は、自身が苦しみ、つらい時の「南無」には「おすがりいたします・助けて下さい」という帰命の意味を持ち、楽しい時、嬉しい時の「南無」には「有難う御座います・貴方様のおかげです」といった感謝の意味を持つと考えます。つまりは、この世界の全てをお造りになられ、生きる上での試練もありますが、喜びも与えて下さる仏様に棒げる感謝と祈りの言葉であると考えます。

  ですから、宗派宗派の経文の前に「南無」という言葉がありますのは、宗派宗派のご本尊である仏様を「絶対に信じます」ということ、「ご本尊である仏様への感謝と祈りの心」、更には「貴方を信じます、決して疑う事などありません」といった、私達自身への厳しい呼びかけでもあるのです………。

 「目に見えぬ 神のこころに通うこそ 人の心のまことなりけり」

 明治天皇が「神祇」(天地の神々)の題で詠まれた御製

  目に見えない神の心に通じることこそ、人間の心の誠である

ほしと たんぽぽ」

 あおい おそらの そこふかく、 うみの こいしの そのように

 よるが くるまで しずんでる、ひるの おほしは めに みえぬ。

 みえぬけれども あるんだよ、みえぬ ものでも あるんだよ。

 ちって すがれた たんぽぽの、かわらの すきに だぁまって、

 はるの くるまで かくれてる、つよい その ねは めに みえぬ。

 みえぬけれども あるんだよ、みえぬ ものでも あるんだよ。

 

25年10月のありがたいお話

来月は十夜法要

 十夜は〈無量寿経〉巻下の「この世において十日十夜の間善行を行うことは、仏の国で千年間善行をすることよりも尊い」というのによる。天台宗、浄土宗、融通念仏宗の三つの宗派が10月から11月にかけて行う。

 今から550年ほど前( 永享 (えいきょう) 年間) 伊勢守平貞経  の弟 貞国 が、京都の天台宗の 真如堂 (しんにょどう) で修したのがその始まりとされている。その後、 明応 (めいおう) 4年(1495)に、現在浄土宗の大本山の一つになっている鎌倉光明寺の第九世 観誉祐崇上人 (かんよゆうそうしょうにん) が、後土御門(ごつちみかど)天皇に招かれ、宮中で、阿弥陀経 (あみだきょう) の講義をされ、さらに真如堂の僧といっしょに 引声 (いんぜい) 念仏を修し、 勅許 (ちょっきょ) を得て、光明寺で法要を行うようになり関東全域に広がった。

 お十夜は、お念仏の尊さを知り、感謝の気持ちを込めてこれをお (とな) えする大切な法会である。新道の新嘗祭と同じ意味を持つものである。

「極楽は いつも月夜に 十夜かな」 11月15日は満月となる

十夜法要には双盤念仏がつきものである。節回し、作法がキチット残っているのは、ここ興善寺だけである。白石の双盤念仏、 興善寺鉦講は奈良県指定無形民俗文化財となっている。

「十夜鉦 たたかれどおし 鳴り通し」 秋の収穫を終え、一晩中余興を楽しんだ。室町時代は一日一日が大変な苦しみであった。来世は極楽に行きたいという願いがあった。信一念の念仏

毎日毎日一人ではない。生かされている。この講に出ていること自体がありがたいことである。

当たり前のことではない。収穫一つのコメも当たり前に出来るものではない。色んな力を得て出来ている。

当たり前と思っていると手を合わせることはない。今日一日健康でいることは大変なことである。

「自覚悟心」 自分の心に、喜びの心、お陰様と手を合わせることである。

 

白石 興善寺の「双盤念仏」  (この記事は西谷征夫先生のレポートより転載しています)

 824日(日)午後2時より、白石の興善寺では、近郷の檀家総代の参列のもと、施餓鬼会が盛大に行われた。

 興善寺は融通念仏宗の寺で、都祁地区および隣接の山添村、室生地区、榛 原地区、旧上之郷地区など30に近い村々に檀家を持ち、総代数は50数人に及ぶという。この日は、蔵福寺(天理市蔵之庄)、光明寺(大宇陀)、宗祐寺(榛原)、西念寺(福住)本願寺(天理市岩屋)などの僧侶も加わり総勢9名の僧が読経をあげた。

 

この施餓鬼会の冒頭に、この度奈良県の指定民俗文化財になった「双盤念仏」が唱えられた。

双盤念仏は、地元の「鉦講」の人たち(現在は6人)が永年伝えているもので、民間念仏信仰の古風な形が残る珍しいものである。本堂真ん中左右に据えられた鉦は、直径40cmぐらいのもので、二つあることから双盤という。住職の話では、その鉦は300有余年前から伝わるものという。

 僧9名が本尊の前に座し、しんと静まり返った中、左右の鉦講の二人が、カーン、カーンと驚くほどの大きな音で鉦を叩き、念仏を始める。念仏は、「ナァンマーアーイーダァーアー。ナァームーハーィ、ダァー、ムァーハィ。」と左右交互にゆっくりゆっくりと唱えられる。鉦もそれに合わせてゆったりゆったりと打たれる。

融通念仏宗の総本山は大阪平野区の大念仏寺であるが、このような双盤念仏を伝えるのは県内には3ヶ所しかなく、白石の双盤念仏は畿内でも代表的なもので、必要なときは大阪まで呼ばれて出向くという。

15分ほどこの念仏と鉦の音が響きあった後、9名の僧の読経、本尊の前での散華、読経、住職による施餓鬼棚の前での読経、檀家総代による焼香と続き、施餓鬼塔婆が各村の代表総代に渡される。その後さらに、荘厳な僧たちの読経が響くなか、興善寺住職による各檀家先祖代々追善法要の称名が延々と続く。称名読み上げが終わり、僧一同が一斉に融通念仏を唱える。鉦講2人が再度鉦の座につき、カーン、カーンと鉦を打って、約1時間半に及ぶ施餓鬼会は終わりとなる。

この日はまた、施餓鬼会の後しばらく休憩して、地蔵盆会も行われた。このときも、はじめと終わりに鉦講による双盤念仏が唱えられた。2時から始まった二つの会式は515分に終わった。

その後、近所の子どもたちが集まってきて、子供の成長・健康祈願のため、地蔵盆の「念珠くり」と花火などが行われた。

 

25年5月のありがたいお話

ずっと以前の観音講の5月17日は田植えがまだ終わっていなかった

観音講は20日とか25日にしていた

この頃は早く終わるようになった

昨年、一昨年の東北地方、仙台平野は何百町歩の田が草茫茫となっていた

福島地方は除染が進んでいなかった

いつになれば田になるのか見通しがついていない

太陽・水・大地の恵みをもらい生活している

二千年前からである

お釈迦様は五大の教えを説いておられる

キャカラバアである 空風火水地を表している

どれ一つとっても生きていけない

人間だけでは生きていけない

生物の命をもらって生きている

五大の大自然の恵みに感謝しなければならない

永平寺の山門の石柱に「杓低一残水 汲流千億人」とある

  曹洞宗大本山永平寺(1224年道元禅師開創) 正門の石柱に この文字が刻まれています 「しゃくていのいちざんすい ながれをくむせんおくのひと」 と読みます
道元禅師は 毎朝仏様にお供えする水を 門前を流れる谷川から 柄杓で汲み取っておられました 永平寺付近は 日本三山の一つと言われる 加賀の白山からの水が 谷川となって豊富に流れています この水のお陰で 周辺の土壌も豊かです 人々は 白山の霊水として あがめています
  ところで 禅師は いつも柄杓で汲み取った水を 半分だけ 谷川に戻されていました 何もそんなことをしなくても 谷川の水は豊富で 涸れる心配はありません しかし どんなに水が沢山あっても 一滴の水も粗末にしない という禅の教えです 
  さらに 柄杓の水を少し残して川に返せば その水を 下流の多くの人々も 受け止めることが出来る という教えでもあります
  道元禅師は 「今自分がここに生きていて 何か得たものがあるならば どんな小さなことでもよいから それを 人のために伝えていきなさい」 と言われます 同じ川の水を飲んで 共に生きるだけではなく 同じ喜びや悲しみを 分かち合えるようにとも 諭されています
この教えは 茶道にも生かされています 柄杓で 釜から湯を汲み取ったとき 半分だけ注いで 残りの半分を釜に戻します 「杓底一残水 汲流千億人」 の心です「幼児教育を語るひろば」から

というお話をされました

自然の恵みは当然だとして感謝を忘れている

昔から信仰の対象は山、岩、動物、自然色々ある

感謝し畏怖の念をもって手を合わせている

にもかかわらず、空気を汚し水を汚し大地を汚している

この村に住んでいる以上は太陽、水、川、山、大地の恵みを忘れてはならない

 

 

25年4月のありがたいお話

4月は出会い或いは別れの季節である

お釈迦様は分かれは四苦八苦の一つにあると説いている

四苦=生老病死 人間としての根本的な四苦である

これに愛別離苦・怨憎会苦・求不徳苦・五蘊盛苦が加わり八苦となる

今日はこのうちの愛別離苦についての話である

ある特別施設の母子寮にタミちゃんという女性がいた

タミちゃんには3歳の子どもがいた

タミちゃんはプロの歌手を目指して勉強していた

母子寮ではスター的な存在であった

子どもが7歳になり4月には入学式を迎えるというその3か月前のことである

タミちゃんは舌の先に違和感を覚えた

医者に診てもらうと舌癌の診断であった

舌の先を切る治療をした 味覚は一切なくなった

放射線治療を受けた 痩せてきた 体力もなくなってきた

舌癌から喉頭癌に転移した 声が出せなくなった 話もできなくなった

入退院を繰り返した

3月には食べ物が喉を通らなくなった 食事が苦痛になった

入学式まではどうしても頑張らないとと苦しくても食べた

流動食では体力がつかないと言い張った

こんな中、一日退院して入学式の準備をした

しかし体力が持たず亡くなった

4月8日の入学式の3日前だった

 入学式まで頑張ると言っていたのに、あれだけ頑張ったのに

それでも別れになった

どんな時でも別れはある

だから一期一会を大切にしなければならない