私の「第1の人生」は、大学を卒業するまでの 23年間
小・中・高校時代は、生きている実感などなく、まるで浮遊人か宇宙人であった。親元を離れた4年間の大学時代も金の心配はなく、本も読み議論をしサークル活動をやり、何でも自由になるような夢のような時代だった。但し、生活感はなく、生きているという手ごたえのない、不安な時代であったともいえる。
私の「第2の人生」は、会社に就職してサラリーマン生活 37年間
これは、A.サラリーマンとしての会社生活と、
B.夫・父親としての家庭生活、に分けられる。
A.会社は利益をあげる為の組織であるから、サラリーマンは、与えられた役割だけを評価されるという限定された人生である。目の前の目標値にむかいライバルに勝ちシェアをあげることをよしとする無限競争の世界にとりこまれる。成果と肩書きを競いながらサラリーマンは「会社人間」になっていく。立ち止まって正義や人間愛を議論しているヒマはない。
しかしサラリーマンは面白かった。特定な状況に適応することを求められるから為のノウハウであろうから、他の世界では通用しないと思うが、、。
従業員は、会社の方針・目標を常に理解すること、予算・権限や役割・規則をわきまえること、決まったことには文句を言わないこと、部下を鼓舞して上司の意向に沿うように努力しなければならない。(この営利集団組織は、まるで社会主義のようである)。社内での職歴、昇進履歴をみれば、どんな人か想像が出来るのは、そのポストに合う人を就任させたからである。
予算や権限を超えていい仕事をした人も、ボスの意向に沿わない時は異動する。みごとな社会主義(いや、会社主義)である。
サラリーマン時代に求められるものはすべてではない、と、強がりに思えば楽である。
B.結婚してからの32年間、わが家では二人の子供は育ち、学校を卒業してそれぞれ結婚し独立した。
しかし、子供達のしつけをし世話をやき、保護者の役割を果たしてきたのは主に妻である。私は給料はもらってきたが、こうして平穏な家庭生活を保てたのは、公平に見て妻のお蔭である。私の、夫・父親として存在感は、その程度であったということになる。
私の「第3の人生」とは、定年退職してフリーになって、これからの18年間?(男性の平均寿命78才として)
まず私は、カネを稼ぐための会社勤めはやめることに決めていた。理由は、、
1、60才の意欲や体力も残っているうちに好きなことを始めないと、4〜5年経ってからでは意欲・行動力も楽しみも半減する。
海外旅行や車やバイクも、声も腕も耳も目も舌も、これからしばらくならまだ大丈夫だと思うからである。
2、金は、退職金や年金など、うまく使えばなんとかやっていける。
3、給料が少なくなったからといって慣れた職場で気楽な勤務をすれば、会社にも職場にも迷惑をかける。
さて、「会社人間」でなくなると、人から命令されない、会議もない、電話もかからない、就業規則もない、通勤しなくてもよい、嫌な人に会わなくて良い、、、、、、素晴らしい世界ではないか。
そして、第3の人生には見本がなく、自分で考え話し行動する「自己責任」の世界である。自分のしたいことをしてもよい、しなくてもよい、、、、素晴らしい世界である。
現役時代に、やっておけばよいことなどほとんどない、と思う。
同じ職場だった人たちとは疎遠になったとしても、次の自由な世界で出会う人が、これからの大事な友人になるはずである。
そして、趣味が続けられるのは有難い。
@コーラスは、大学の合唱団OBとしてのつきあい以外に、地域の混声合唱団に入った。練習は毎週土曜の夜。Aテニスは、家の近くのテニスクラブに入会した。Bバイクで西国観音めぐりや、夏の鮎釣りは続ける。Cその他、借りた菜園もあり、公民館での気功教室もある。Cドライブや旅行は随時できる。
しかし、ほんとにやりたいのは、
今までお世話になった親戚・知人の人達に、ボランティアのようにおつきあいさせてもらいたい、と思っているが、突然現れてイヤがられないように、私のボランティアマインドを養うことが先決である。
名詞の肩書きがないカロヤカな世界が始まる。さあ、体力・気力のなくならないうちに、ゆっくりと行動しよう。
閑話休題。
第3の人生で重要なことは、妻と円満なおりあいをつけていくことであろう。私が会社勤めしているうちに、個人としては妻の方が思考も行動パターンも先に進んでいるようである。このことを認めてつきあうこと、これが私の課題である。