11月下旬になってから、復帰50周年記念の奄美大島に行こうということになり、インターネットで調べた旅行社にメールを出すと、30分で電話がかかってきた。申込むと翌朝には航空券と旅行クーポンが2枚送られて来た。便利な世の中である。
さあ、旅行に行くまでの間、奄美旅行センターのHPなどで情報あれこれ調べてみる。
調べているうち、奄美大島にゆかりの、田中一村という画家の生き方に興味がわいてきた。
企画宣伝関係の仕事をしていた20年ほど前に、本物の絵を何点か見たことがあるが、その時の印象はあまり憶えていない。そこで今回、「神を描いた男・田中一村」小林照幸(著)を読み、続いて「アダンの画帖田中一村伝」南日本新聞社編と、「田中一村の彼方へ」加藤邦彦(著)を一気に読んだら、今度は興味がわいてきた。奄美大島の田中一村記念美術館で久しぶりに本物の絵に会いたいと思う。
12月8日(月)JAS直行便;伊丹11:50発で奄美13:40着。
奄美の旅はレンタカーで出発。まず、けいはん(といっても京阪電車でなく?)を食べて奄美大島の味の洗礼を受ける。見ると12月だというのに、青々と茂る緑と大きな花にびっくり。
笠利町の歴史民族資料館で、ゼロ戦のプロペラと、田中一村のレプリカをパチリ。そして笠利崎・あやまる岬を散策のあと、奄美パークの田中一村記念美術館で本物の作品(これは写真撮影不可)に会い感激。会場ではボランティアのTさんに丁寧な案内をしていただいた。
ホテルのネイティブシー奄美は、部屋からの眺めもいいし食事もおいしいが、それより何より、スタッフのみなさんの気持ちのいい応対がとても有難かった。あの優しいサービスマインドはどこから生まれるのだろうか。
その夜、珍しい郷土料理をいただいている時、突然私のテーブルにバースデーケーキが運ばれてきた。写真は、うっかり撮り忘れに気づいてのショットである。隣の席のTさんYさんや、ほかのテーブルの方からも乾杯・おめでとうを云っていただき、奄美焼酎が格別おいしい満月の夜だった。
翌朝は名瀬を通って住用村のマングローブパークへ。私の興味はマングローブよりも琉球鮎の群れに。それから国道沿いのみかん(ぽんかん)の販売所で宅急便を頼んでから、くねくねした山道を走って奄美南端の瀬戸内町へ。グラスボートの船底から生きた珊瑚礁と魚の群れに見とれること1時間。次はホノホシ海岸でなにやら養殖場のようなものがあり、聞くと車えびの養殖だという。近くのヤドリ浜でそのエビフライと塩焼きを食べる。美味いうえに安い。12月中旬なのに日差しが暑い。
翌朝、ホテルの周辺を、ボランティアの方(なんと偶然、田中一村美術館で案内していただいたTさんだった)の案内で、植物・野菜・果物や野鳥(ギャーギャーとうるさいルリカケスが鳴いていた)のことなど、聞かせていただいた。Tさんは定年退職のあと大阪から奄美に移られたとのこと。花を育てるのが好きな奥様と一緒に住まわれてとても幸せそうであった。アドレスもお聞きしたので、これからもメール交信をお願いしようと思っている。
おいしい朝食をいただいき、ホテルの皆さんに見送られてから、まず大島紬村で泥染めや摺り込み(田中一村がやっていたという)の作業を見学した。よく手入れされたアダンの木やハイビスカスやビロウやクワズイモやダチュラなど、みんな田中一村が描いた植物ばかりである。ばしゃ山で郷土料理のあとは、再び奄美パークの田中一村ロードを歩いた。
帰路は奄美15:35発。空から、いつか行きたい屋久島も見えた。おなじ鹿児島県でも、やはり、また奄美大島に行くことになる予感がする。理由?それはわからない。
12月10日、大阪伊丹17:05着。大阪も京都も寒い。かばんの底のジャケットをはおって我が家へたどりついた。