「分かりあえる年代」の厚い壁について

よく、「話せばわかる」という。

しかし、この頃は、話しても分かり合えない事のほうが多い。言葉の意味は理解できても納得・共感できない世界があるのである。

私は、「分かりあえる同世代」とは自分を中心にして3才年上から3才年下までではないかという仮説をもっている。つまり学生時代に自分が入学したときの最上級生から、自分が卒業する前の新入生までの年代である。同じ時代背景・流行・世相のなかで共有体験をしたことが、彼の行動思考様式を規定したのだと思う。そこで、この6歳の年代層だけが、その人と分かりあえる人達ということである。

6歳の年代層を超えて話をしても、充分に通じないというという前提を持ったほうがわかりやすい。逆に、その同世代の人なら、少々エキセントリックな人のことも結構わかるものである。学生時代にもそういう変な奴が身近にいたから、まだそいつの行動パターンは読めるし、彼の存在も黙認できるのである。

国の税金のことから、会社の制度のことも、新聞・テレビのバトルにいたるまで、みんな世代間で争っているように見える。自分と同じ6歳幅の層なら、反対意見も容認できる気がする。それより遠い層の反対意見など、お互いに全くとんでもない意見に聞こえる。

そこで問題は、6歳の年代層と離れた人達とつきあう方法があるかどうか。考えてみればちゃんとある。

一つは、何となく好きなタイプの人、これはすべて許せる。いつの時代にも愛情はすべてに優る。

二つ目は、同じ趣味を持つ人達。これも安心でるきので、一緒にいても気分がよい。

三つ目は、同窓とか同じ組織・グループの出身であることである。これもなかなかよい。しかしこれは、利権や特権にあずかりたいとか、利益誘導やおこぼれにあずかろうというという不純な動機がかくれていることがあり、要注意。

四つ目は家族や夫婦。これは与件としての神の意志か仏の縁に従って、決して疑うことなく?精進するしかない。

さあ、人生、まだまだ考えることは多い。