プロローグ
~16年5月。16日家族パーティー。5月17日〜19日は北海道でビールと地酒。23日には合唱祭のメンバーでビヤパーティー。24日〜26日は故郷で酒の歓待。外出しない日でもこの何年間か、酒のない日はなし、、、、。
その1、
5月末のある晩、我家に酒がなかった。(これがスタート?)
その2、
翌朝の新聞に「お酒の休日でさわやかな朝」のコラムが目についた。『3飲1休を始めて、アルコール抜きの夜はなぜか熟睡する。翌朝の目覚めは実にさわやかである』と。
その3、閑話休題、太宰治曰く、
『私は禁酒をしようと思っている。このごろの酒は、ひどく人間を卑屈にするようである。昔は、これに依って所謂浩然之気を養ったものだそうであるが、今は、ただ精神をあさはかにするばかりである。近来私は酒を憎むこと極度である。いやしくも、なすあるところの人物は、今日此際、断じて酒杯を粉砕すべきである。日頃酒を好む者、いかにその精神、吝嗇卑小になりつつあるか。』と。
その4、たまたま見つけた禁酒の法は、
『社会で受けるストレスから不快感を与えるノルアドレナリンが脳内で作られます。ノルアドレナリンが分泌されると、人間は不快感を和らげるため脳内麻薬のドーパミンを求める性質があります。つまりストレスを受ける事により、精神的な高揚を得たいという心理状態になってしまうのです。
そこで、禁酒の方法は、無意識の中に入っている情報を書き換えてしまうしか方法がありません。例えばお酒を飲むは<お酒=美味しいここち良い>と記憶されているはずです。これを<お酒=まずい気持ちが悪い>と置き換えてしまうのです。つまり止めるのではなく、禁酒術で自ら拒否・拒絶させてしまう方向に向けさせる事を実行させる事で結果的に止める事が出来るのです。
自分の意志をコントロールできる技術を身に付けた人なら、止める事は可能です。これは意思の力とはまた別の事です。』と。
1週間経ったが、飲みたい気にならず、禁酒は続いている。
こうなると、禁酒の動機についてもっと書いておこうと思う。
1、酒、特に冷たいビールは声を荒らす。これからも合唱を続けるには、酒はやめた方がいいと思う。
2、ビールより安いからと発泡酒を飲み、まだそれより安い「麦風」のようなビールもどきの酒を飲んだりしていたが、先日、北海道で、香りとコクの良いバイチェンビールを飲んだ時、今までニセモノを飲んでいた気がして、缶ビールに嫌気がしたこと。
3、晩酌をすると眠くなって本も読めない。時間がもったいない気がする。
4、酒を飲み進むと、せっかくの料理や食べ物のおいしい味が、どうでも良くなってしまう。
6月上旬、バーべキューパーティーがあり、気心の知れた人たちとのワインやビールの乾杯は格別であった。
しかし翌日からまた禁酒。いただいた日本酒やウイスキーがあっても、飲みたい気にならず、再び禁酒が始まった、、、、。
禁酒を破りました。6月20日〜24日、上海・蘇州・北京に旅行し、四川料理・上海料理・江南料理・北京料理などをいただきながら、毎日ビールと紹興酒をいただきました。ビールは、まるでサイダーみたいで美味しくなかったのですが、紹興酒はサイコーでした。
6月27日、大阪シンフォニーホールに、千住真里子バイオリンコンサートを聴きにいった帰り、大阪・鶴橋の焼肉屋さんに行き、焼肉を美味しくいただく為にと、冷たい生ビールを飲みました。いや、おいしかった。
7月15日〜18日、家族で秋田・青森に旅行した折、みんなでビールや日本酒をいただきました。
9月30日現在。何年も、毎日晩酌を欠かさなかったのに、晩酌の習慣が無くなりました。ホントです。
でも時々はわが家でも、何かの記念日とか、特別美味しい料理の時とかに、チョットだけ飲むことはあります。ほんのチョットです。
これが、酒をたしなむ程度、というのかもしれません。やれば出来るものです。
10月6日、何度目かの第九の練習が終わって帰宅すると、ちょっと飲みたい気になり、もうビールの季節ではないので、NHKの朝ドラのせいか焼酎のいいちこを買ってきました。久しぶりのお湯割りは、結構キマシタ。
家に嬉しい来訪者のあった時、めずらしいお酒をいただいた時、喜んで乾杯します。こんな美味しい酒を飲まない手は無いです、、。
つまり、禁酒の為の禁酒はやめました、、、、。