ブログ

Weblog of HK

日々の記録や雑感を気の向くままに記述していきます。 私は科学研究者たらんとして40年余を過ごしてきました。研究は新規でなければならないの で、出来るだけ他の人と異なった視点を持とうとし、孤立をおそれず自分の信じる道を 進むことを信条としてきました。この長年の生活習慣で、時として変人となり、社会生活 では障害となりかねません。したがって、ここに記すことも、独りよがりのことが多々 あると思いますが、一人の人間の独断と偏見として、ご批判・ご高評を下されれば幸いです。   連絡先:h-kato@kcn.jp 加藤 肇


2021年末までのブログは 2006年10月から2010年末迄, 2011年初から2015年末迄, 2016年初から2021年末迄 をクリ ックして下さい。



2024.4.20

伊吹山

イブキスミレを見ようと伊吹山ドライブウェイの開通初日に出かけて行った。愚妻は足が痛いと整体院へ行ったので一人で行った。 9:01に車で家を出て10.44多賀SAに着いた。昼飯用に焼きそば(300円)を買った。10:56に多賀SAを出て11:48伊吹山山頂下の駐車場に 着いた。登山靴を履きリュックサックを担いで、カメラとステッキを手に、イブキスミレの生息地として教えて頂いた地域へ行った。 だが、イブキスミレは見つからなかった。ニリンソウ、イチリンソウ、キバナノアマナ、エンレイソウ、ショウジョウバカマ、 ミヤマカタバミ、タチツボスミレ、等々、そしてアオイスミレを観ることが出来ました。ドライブウェイからは沢山の山桜、山吹を見るこ とが出来ました。
115:46伊吹山山頂下の駐車場を出て、17:10草津PA着、17:23草津PAを出て、18:20奈良の我が家に帰着した。また、日を改めて、 イブキスミレを見に出かけたい。


2024.4.12

須田国太郎

"生誕130年 没後60年を越えて「須田国太郎の芸術―三つのまなざし―」展"が西宮市大谷記念美術館(西宮市が故大谷竹次郎氏より、土地建物・ 美術作品の寄贈を受け、そのコレクションを公開するため1972年に開館した美術館)で開催されていることを知り、観覧に行った。須田国太郎 さんは私が大学に入学した年に亡くなったが、京大図書館の閲覧室に"須田国太郎画伯による元京大学長(どなたであったか記憶にない)の肖像画" が掲げてあったので、印象が深い。

10:50に奈良の我が家を出て、12:20に西宮香櫨園に着いた。私は神戸大学に奈良から20年間通ったので、神戸へ行くことはなんでもない。 駅の近くの寿司屋さんで鉄火巻(800円)を食べた。12:45大谷記念美術館に入館した(1200円)。
展覧会は4章で構成されていた。
第1章 画業の歩み: 初期から絶筆までの作品で構成し、須田国太郎の創作活動の展開を紹介。
第2章 旅でのまなざし: ヨーロッパ留学中に須田国太郎が撮影した写真資料と関連する油彩画作品で構成し、美学者としての知見の検証。
ここまで観覧して一息。館内のカフェでケーキセット(ケーキとコーヒー)を戴いた。次いで、
第3章 幽玄へのまなざし: 幼少時から親しんだ能・狂言への造詣の深さを示したデッサンと、関連する油彩画を展示。
第4章 真理へのまなざし: 須田国太郎が追求した造形上の芸術的真理の追究として、代表的な「黒の絵画」を核とした油彩画作品(私は、 作品「鵜」が一番気に入った)、学術的な真理の追究としての著作などを展示。

須田国太郎さんの深い精神文化・真摯な人柄を感じることの出来る素晴らしい展覧会であった。15:15香櫨園発の電車に乗って奈良に帰った。


2024.4.1

熊野路

3月29日に天気予報を見て、3月31日の宿泊を予約しようと川湯温泉の富士屋に電話したらOKであった。
3月31日9:37に車で奈良の家を出て、近くのガソリンスタンドで満タン給油をお願いした。五条ICを経て11:09に道の駅吉野路大塔に着いた。 プリンとコーヒーを戴いて休憩した。11:25に出発し11:50に道の駅十津川郷に着いた。なめこおろし蕎麦(1100円)を戴いた。美味しかった。 12:20に出発し13:33に熊野本宮大社に着いた。桜は8分咲きで見ごろであった。奈良市内ではチラホラにもなっていなかったので驚いた。 広々とした大斎原(おおゆのはら)の河原を散策した後、大斎原に参拝した。15:25に出発15:32川湯温泉の富士屋に着いた。富士屋を選んだ理由は "日本秘湯の会のメンバーでかけ流し温泉"とあったからである。チェックイン後、温泉に入った。広い湯殿に私だけであった。宿のすぐ前を 流れる大塔川を見ると、10人余の外国人観光客が水着姿で河原に穴を掘って入浴していた。18:00から夕食。多々工夫がみられる 美味しい料理であった。宿泊客は大半が外国人観光客であった。食後、再度温泉に入った。今度も私だけであった。外国人観光客は熊野古道に 興味があり、温泉は好きでないらしい。一人の外国人観光客に尋ねたら「風呂は好きでない」と応えた。

4月1日7:00起床。温泉に入った。入浴者は私だけであった。綺麗な源泉が滔々と流しばなっしであった。8:00から朝食。まあまあの内容であった。 外国人観光客は大半が、チェクアウトし、熊野古道を歩くのに出かけたり、観光バスに乗り込んだりしていた。9:20にチェクアウト。宿のおかみさんに 「水の綺麗な川で河鹿がないてますね」と言ったら、「ここは河鹿の名所なんですよ。だけど、誰も気付いてくれません。有難うございます。」と 言われた。この宿、とても気にいった。何度も訪れたい宿である。
9:24出発、10:03神倉神社駐車場に着いた。神倉神社は、神倉山(標高120m)に鎮座し、急勾配の石段538段を登らなければならない。入口に「高齢の方、 足腰の弱い方、小さい子供連れの方は絶対に登らないで下さい。」と書いてあった。愚妻に「下で待っている様に!」と言ったが、「ゆっくりなら登れる」 と言った。とても急な階段であったが、なんとか山上についた。山上にはゴトビキ岩と呼ばれる巨岩が神体として祀られていた(右の写真)。 最近、菫に関心を持った私は、フモトスミレが沢山生え花を咲かせているのを見付けて、夢中になって写真を撮った。下山も大変であったが、なんとか 無事下山できた。14:05神倉神社駐車場を出発、15:21道の駅十津川郷に着いた。再度"なめこおろし蕎麦"を戴いた。15:32道の駅十津川郷を出発、 16:46奈良の我が家に帰着した。


2024.3.18

広橋梅林

広橋梅林は月ヶ瀬、賀名生とならぶ奈良県三大梅林の一つである。私はこれまで訪れたことはないので出かけることにした。 11:22に車で家を出て、御所南ICを経て13:00に広橋梅林観光駐車場(無料、標高450m)に着いた。空いていて先着の老齢のご婦人3人の後を付いて行った。 梅はほぼ満開で見ごろであった。近くの"梅茶屋で食事を"と思っていたのだけど、生憎閉まっていた。しばらく行くと、農家の軒先で゛干柿、 らっきょう漬け、梅干し、蕗の佃煮、等"を売っていた。残念ながら昼飯はなかった。私は天守の森(広橋城址)まで行くことにし、さらに歩いていった。 しばらく進むと、道路脇の山林にセリバオウレンの群生地があった。雌花、雄花、両性花が花盛りであり、私はカメラを取り出し、美しい花を撮影した。 しばらく進むと高野槙の群生地があり、広橋城址(標高500m)が頂上であった。頂上は高野槙の老木に囲まれており展望は無かった。 しばらく進むと梅林があり、金剛山・葛城山を一望しながら 満開の梅を楽しむことが出来た。

独り占めの眺望を楽しんでいると、先程、農家の軒先で店番をしていた老婦人が登って来て、梅の木の下に生えている蕗の薹を採取しはじめられた。 梅の木の下には蕗の薹がいっぱい生えていた。私は老婦人に「その蕗の薹、少しわけていただけませんか?」と尋ねた。「いいですよ。どの位いりますか? 」とおっしゃった。私は「300円位戴けませんか?」とお願いした。籠の中から収穫した蕗の薹を取り出して「200円でいいです」とポリ袋に包んでくださった。 「黙って採っていく人が多いんですよ」とおっしゃっていた。私は"干柿とらっきょう漬け"も買って帰ったが、格安であった。

14:58広橋梅林観光駐車場を出発、今度は飛鳥を通って帰った。17:00に奈良の我が家に帰着した。チョット遠回りだった。ポリ袋を開けて驚いた"蕗の薹は 50個以上あった"。格安で感謝・感謝である。蕗の薹20個を洗い、熱湯で1分湯がき、柚子みそを付けて戴いた。これ、絶品。


2024.3.5

お雛様

長女が生まれたとき、今は亡き義父と義母が高島屋へ行ってお雛様(右の写真)を買ってきてくれた。嵌め込みの立ちびなで丈夫で華麗である。 ガラスケースに入っているので出し入れも簡単である。二人の娘達も結婚して、それぞれの子供も大きくなっている。

誰も見に来ることはないが、毎年、私はこのお雛様を出して飾っている。菱餅も探さないと手に入らなくなった。桃の花と菜の花をお雛様に そえると、お雛様のおかげで部屋の中が華やかになる。娘たちの幼かった日々が浮かんでくる。

さらに、自分の幼かった頃の、ひな祭りの光景が浮かんでくる。友達と一緒に、お雛さんを飾っている家を訪問した。各家では、お菓子(お米、 大豆、高粱、トウモロコシ等のポン焼き、霰等)を用意していて、参拝・訪問者に配ってくれた。楽しい行事であった。この行事、4月3日であった。 ・・・で、私のお雛様は4月初旬までお出ましである。

そう、四月初旬には、池でモロコが良く釣れる様になったなあ。


2024.2.25

榊原温泉

愚妻が「足が痛い・膝が痛い」と言うので、久しぶりに榊原温泉に行こうかと"湯元榊原館"のホームページを見たら、 三重県のキャンペーンで二月中なら「一泊二万円で泊まったら、四千円のクーポンを渡す」とのことであった。 空室状況を調べると"2月25日のみ"空室があった。前日のことである。26日に歯医者さんの予約があったが、キャンセルして、 "2月25日の宿泊を予約した。榊原温泉は、清少納言が「枕草子」第百十七段に「湯は七栗の湯(榊原温泉)、有馬の湯、玉造の湯」 と書いているが、伊勢神宮の参拝前に榊原温泉で「湯ごり」をして身を清めたといわれる古い温泉である。

2月25日は雨であった。車で12:23に奈良の我が家を出て、14:03に湯元榊原館に着いた。チェックインは15:00からとあったが、 直ぐ入室出来た。休憩した後、温泉に入った。驚いたことに、浴場は混雑していた。調べると、日帰り温泉として 入浴料1000円で9:00-20:00の間宿泊客以外にも開放しているとのことであった。以前は屋上に露天風呂があったが、今は貸切展望 露天風呂となっていて、50分3300円となっていた。 17:30から夕食、七栗会席。適量で美味しい。5年ほど前とほとんど同じであった。19:30再度入浴。混雑は解消していた。 入浴後、チョット寝て、9:00にテレビをつけたら能「檜垣」が始まった。シテ金剛 永謹・金剛流二十六世宗家で、つい引き 込まれて11:00まで観てしまった。

2月26日朝日が差し込んできて、7:00起床。早速、入浴。混雑はなく、快適。8:00朝食。9:30チェックアウト。フロントで 「今までに何回お世話になっていますか?」と尋ねたら、「5回ご利用いただいております」とのことであった。 9:36湯元榊原館を出発。10:35イオン伊賀上野に到着。クーポン券で買い物をして、11:07出発、11:57奈良の我が家に着いた。


2024.1.30

ヤブツバキ

私の部屋の前の庭に一本のヤブツバキが生えている。赤い清楚な花(右の写真)で私は好きである。

このヤブツバキは、15年ほど前に亡くなった義母が、実家の庭から一枝切って来て挿し木して育てたものである。 実家の人が来て「美しいヤブツバキですね」とおっしゃったとき、義母は「お宅の庭から取ってきたものです」と応えた。 実家の人は「えっ、どこにある?」と驚いておられた。懐かしい思い出の花でもある。

ところで、このヤブツバキ、近年元気がなく、つける花が少ない。調べると「肥料が足りない」とのことであった。 で、私は根回りに、鶏糞・牛糞・化学肥料を撒いた。さあ、来年はどうなるか・・・。


2024.2.5

品格

嬉しいことがあった。テニススクールでの出来事である。看護師をしているテニス仲間から「加藤さんは品格がある」と言われた。 私は「えっ本当?」と言った。その時、もう一人のテニス仲間が「私もそう思う。以前から加藤さんは品格があると思っている」とおっしゃった。 私は「えっそんなこと言われたの初めて。私は普通の商人の息子なんですが・・・」と言った。

私は"品格ある人間にならなくてはいけない"。


2024.1.30

大寒

季節の指標である「二十四節気」の24番目の節季「大寒(だいかん)」:最も寒さが厳しい時期 は、今年は1月20日から2月3日のようです。 奈良の今冬は比較的に暖かったのですが、今期最強の寒気団の襲来で1月20日から寒さが厳しくなりました。愚妻は「足が痛いから買い 物に行けない」と言って、買い物リストを私に渡した。私は沢山の買い物をして帰ってきた。愚妻はその中に"おでん"用の物品が無いのを 見て機嫌が悪くなった。我慢に我慢を重ねていたようだが、それがついに1月28日に爆発した。私は「車で行ける近鉄奈良百貨店かイオンモール へ行こう」と提案したが、愚妻は「何時ものスーパーマーケットが良い。1月29日は暖かいから歩ける。買い物籠車を引いて付いてきてくれ」と 言った。で、私は付いて行った。沢山の買い物をして帰った。で、1月29日の夕、1月30日の昼、夕食と"おでん"を食べた。愚妻の機嫌も良くなった。

1月30日は快晴。洗濯日和。シーツ、枕カバー、タオルケット等を洗濯し干した。月末毎に行うのが私の流儀。14:30洗濯物を取り込んだ後、 散髪屋さんへ行った。月末毎に行くのが私の流儀。調髪して下さった顔馴染みの理髪師が「インターネットで登録して、知り合った人と結婚しました」と 語ってくれた。「何回ほど会って、結婚したのでか」と尋ねたら、「いや、会うより電話で何回か話して意気投合しました」とのことであった。 "世の中、変化している"と知った。

我が家の庭のセツブンソウが咲いていました(右の写真)。春は直ぐそこまで来ています。春よ来い。早く来い。


2024.1.23

家計調査

昨年11月、奈良県総務部の調査員の方が我が家に来られた。愚妻が不在で、私が応対した。「ランダム抽出でお宅が調査世帯として選ばれた。 総務省統計局による家計調査に協力していただきたい。」と言われた。私はそう言われれば協力しなければならないと思い、軽い気持ちで引 き受けた。昨年12月、調査員の方が来られて、記入すべき"家計簿と年間収入調査票、電卓、計量計"を置いていかれた。"家計調査は、国民生活における 家計収支の実態を把握することを目的とする国の基幹統計調査です。家計簿に記入いただいた日々の支出と収入、これらに伴う金銭の流れを 基に作成される家計統計は、経済政策・社会政策などの基礎資料として用いられる大変重要な統計です"とのことである。

さて、記入すべき家計簿を見て驚いた。日々の買い物:鯵(生)、豚肉、鶏卵、ほうれん草、緑茶(葉)、魚肉ソーセージ、合いびき肉、あんパン、 食パン等それぞれの重量を測って記入しなければならない。等々、大変である。愚妻は「貴方が引き受けたんでしょう。私は関与しない。第一、 そんな情報が役に立つとは思わない。」と全面的に私に押し付けた。・・・で、私はコツコツと家計簿に記入している。15日毎に、調査員の方 が家計簿を取りに来られる。半年間続けなければならない。報酬が出るそうで「月、2000円弱」だそうだ。


2024.1.11

散歩

テニススクールのコーチがインフルエンザに感染されて、テニススクールが休みになった。私は運動不足にならないように、昼食後散歩(Bコース) に出た。家を出て一条通りに出て、聖武天皇陵の前を東に進み、天平時代の建物である転害門の脇を進んで、正倉院に至る。 これは奈良時代、天皇が平城京から東大寺に行くのに使った道だと思えば、散歩も楽しい。正倉院の前をさらに東へ進むと、東大寺の塔頭・持宝院前にでる。 そこから南に100mほど進むと二月堂への道にでる。二月堂、法華堂、手向山神社、春日園地を経て、奈良国立博物館前に進んだ。博物館では特別陳列 「おん祭と春日信仰の美術」を開催していた。観覧料金700円をはらおうとしたら「70歳以上は無料」と言われた。"70歳以上に見えるんだ"と納得しながら 入館した。

博物館を出ると、春日大社一の鳥居、興福寺を経て東向中町、小西町のパン屋で食パンを買い、東向北町の菊屋で饅頭を買って帰宅した。歩数9661。


2024.1.7

正月

今年の正月は暖かい日が続いて快適であったが、元旦にお詣りを済ませて皆でお茶・お菓子を戴いている時に、大きな揺れを感じて "大きな地震だな"と思っていると、スマホで緊急地震速報が届いた。能登半島地震と名付けられたが、多くの犠牲者があり、多くの 被災者がいらっしゃる。支援は大切だと思う。

故郷の岐阜県関市に正月に行く事は、コロナ禍で2021年から休止していたが、長女達が来ていることもあり、今年も中止した。 父親が生きていた時には、"待っている"ので帰省する価値があったが、父親が亡くなり、多くの親類・友人が他界されると、 次第に帰省する意味が減少した。"歳をとる"ことは、寂しいことだ。
1月2日の昼食後、長女の長男は東京へと帰っていった。私は恒例の書初め(般若心経)をした。
1月6日テニススクールに行って、今年初のテニスをした。テニスが出来る健康に感謝・感謝である。
1月7日愚妻は"京都で琴の発表会がある"と、7:00家を出て行った。 長女と長女の長女は11:00に東京へと帰って行った。私は布団を干した。その時感じた「布団干しも簡単でない。無理をすると腰を傷める」と。


2024.1.1

2024年元旦

新年おめでとうございます。皆様のご多幸をお祈り申し上げます。今年もよろしくお願いします。

私も82歳、歳を取ることは寂しいことだと感じます。この歳になると先輩は勿論、同輩、後輩が亡くなることがあります。とても寂しいことです。 歳と共に体力も歳相応に衰えていますが、何とか元気に過ごせることを祈念しています。

ロシアによるウクライナ侵攻、イスラエルによるガザ地区でのパレスチナ人の大量虐殺等大変なことが起こっていますが、強い武力を持った者の横暴を許してはいけないと思います。


右の写真は恒例の我が家の床の間。掛け軸は、2023.10.31に記した江戸時代の学僧・法隆寺叡弁律師の遺墨・絶筆の書。私はとても気にいっていて、大切に今年一年観賞させて頂きます。

三阿弥陀
称ふ念仏に
有難し 闇路を
照らす 弥陀の名号

名僧ならでは、この境地にたどり着けません。花器は唐招提寺でつかわれていた古銅仏器、花はHK流。

元旦11:30に、私と愚妻、長女とその子供2人の5人で初詣に出かけた。先ず氏神様である漢国神社に参拝、ついで興福寺、その後春日荷茶屋で昼食をとった。ついで春日大社、手向山神社、 東大寺二月堂・大仏殿に参拝し、大仏殿で絵馬を買って、帰宅した。歩数13130。長女とその子供2人は私の通常の歩行速度よりかなり早く歩くので、その速度に合わせて歩いたので疲れた。


2023.12.30

長女とその子供達の来訪

東京に住む長女とその子供達が年末年始を過ごすため奈良の我が家に来てくれた。子供達とは一男一女で二人とも働いている。
12月24日に長女の長男が奈良の我が家に来てくれた。年始は3日から働く必要があるそうで、年休を取得して早めに来たようだ。

12月26日に長女が来た。長女の長男と一緒に来る予定であったが、勤務先の用件があってそれを終えてからの来訪で夕食時に奈良に着いた。

12月27日の22時過ぎに長女の長女が奈良の我が家に来てくれた。仕事が忙しそうで、28日も一日中テレワークで働いていた。

12月30日昼に愚妻も入れて5人で、東大寺西大門跡の石碑の脇にある吉野本葛の老舗が経営している葛料理のレストランへ行った。出発前に我家の庭で 撮った写真を右に示す。食後、長女の長女が「以前に食べた豆腐屋の豆腐が食べたい」と言ったので、私はその豆腐屋へ直行した。他の4人は「奈良町を 歩きたい」と私を置いて行った。私は豆腐屋で木綿豆腐、絹ごし豆腐、揚げ出し豆腐、絹揚豆腐、おぼろ豆腐、がんもどき、卯の花を買った。今日の夕食は 「豆腐ずくし」だ。


2023.12.28

桃紅百年

最近はパソコン・タブレット・スマホを観ている時間を減らそうと、印刷された本を読むべく努力をしている。そして、最近とても良い本に巡り合えたので紹介します。
篠田桃紅著(世界文化社,2013.ISBN978-4-418-13506-6).定価は1700円だけど、私は古本屋で800円で買った。
篠田桃紅さんは、自分で「抽象画家、水墨作家、美術家、書家、エッセイストと自分でも分からない」と紹介していらっしゃるが、2021年108歳を目前にして亡くなった。 「桃紅百年」は篠田桃紅さんが百歳の年に発刊された本で、桃紅66-79歳、80-89歳、90-99歳の三部に分けて、それぞれの時代に書かれたエッセイが集められている。

私の様に80歳を越すと、若い時には分からなかった"年取った人間・体力の低下した人間"の考え方・生き方を理解・知る事が出来るようになる。且つ、先人の考え方・生き方から 学ぶことが出来たらと希求する。その様な本としては、私は武者小路実篤さんや中川一政さんの本を愛読してきた。そして、今回篠田桃紅さんの「桃紅百年」に巡り合えた。 各年代での篠田桃紅さんの素直な気持ち・考え方・生き方を伺い知ることができました。


2023.12.25

我が家の太陽光発電

福島の原発事故を契機に我が家では太陽光発電装置を導入した。設置してから5年間のデータは2016.5.19のブログに記載した。その性能に満足したので、 我が家で使う電力の全てを太陽光発電でまかなおうと、2016年9月に太陽光発電装置を増設した。2019, 2020, 2021, 2022, 2023年の月別データを 記載する(注:12月は前年のもの)。

月別太陽光発電量を図1に、月別電力消費量を図2に示す。この1年間の
総太陽光発電量は6400kWh (2022年は6577kWh, 2021年は6372kWh,2020年は6279kWh,2019年は6434kWh)であった。
総電力消費量は7017kWh (2022年は8467kWh, 2021年は7499kWh,2020年は8151kWh,2019年は7620kWh)であった。
我が家はオール電化で、冷暖房・調理・風呂・家電・照明全て電気である。"全電力消費量を太陽光発電でまかなう"という目的は達せられていないが、まずまずである。



太陽光発電量の内、発電中に我が家で消費する電力は太陽光発電の電力を使用する。その量を図3に示す。 残りを関電に売る。月別の関電に売った電力の料金を図4に示す。発電中でも足りない部分と発電の無い時の 使用電力は関電から買う。月別の関電に支払った料金を図5に示す。
関電に売った電力の料金は:2023年は38,752円 (2022年は39,432円, 2021年は112,712円,2020年は217,296円,2019年は226,272円)
関電から買った電力の料金:189,591円 (2022年は174,774円, 2021年は123,043円,2020年は137,840円,2019年は135,800円)であった。

固定価格買取制度の契約は10年間であるので、2021年5月で契約期間は終了した。売電価格は1kWhあたり2021年5月までは44円、その後は8円である。 この為に、2023年,2022年は関電に売った電力の料金は大幅に減少した。
関電から買っている電力の1kWh当たりの料金は デイタイム(10-17時)は26円、ナイトタイム(23-7時)は15円、リビングタイム(7-10,17-23時)は23円 である。
初期投資金の回収率は80%位だろう。でも

福島原発では、12年たっても「原子炉の外にある燃料プールからの使用済み核燃料さえ取り出し得てない。 原子炉内部の処置は見通しもたっていない」。危険な状態が今も続いています。
福島の原発事故の直後に、我が家の太陽光発電システムを設置した。設置から12年を過ぎても"発電性能の低下がほとんどない"ことは驚きである。 太陽光発電装置が優れものであることを実感することができた。
「危険な原子力発電をやめて、再生可能な自然エネルギーによる発電に切り替える」べきだと考えます。


2023.12.23

米国に住む次女の次女の来訪

次女の次女は米国の高校1年生である。冬休みを利用して日本に遊びに来たのだ。一人旅で大したものだと思う。
彼女はアトランタの名門サッカークラブに所属してサッカーを楽しんでいる。今年、ジョウジア州の決勝戦まで行き、決勝戦でゴールを放ち優勝した。ヒロインである。
12月16日夕方、アトランタ、ロスアンゼルス、羽田に飛来し、品川から新幹線に乗り、京都から奈良へとやって来た。私の風邪がうつるといけないので奈良駅前の別宅に泊まってもらった。
12月17日東大寺から春日大社を歩いたようである。この日も、奈良駅前の別宅に泊まってもらった。
12月18日大阪へ行くと出かけて行った。この日から、我が家に泊まるようになった。
12月19日奈良で買物・映画に行ったようである
12月20日京都へと出かけて行った。
12月21日奈良に滞在。
12月22日米国での友達を東大寺・春日大社に案内すると出かけて行った。夜は愚妻と私と三人で日本食レストランに行った。美味しかった。
12月23日9:00発の電車で京都を経て東京に行き、東京に滞在し28日にはアトランタに帰ると出かけて行った。とても元気で、活動的で、明るく素敵な若者である。



2023.12.5

遂に私も、コロナ(COVID-19)に感染?

12月1日15:00からのピアノ教室へ行った。教室の推奨で私もマスク着用した。レッスン中にクシャミが出た。その直後、水洟が出だした。15:30レッスン終了。 少し買い物をして16:15自宅に帰着した。喉に違和感があり水洟が止まらない。私は「4年ぶりに風邪をひいたかな」と思った。熱はなかった。入浴して 風邪薬ルルを飲んで、10:00に就床した。
12月2日鼻水は止まったが、喉に違和感があり、咳をすると息苦しくなった。私は「これはいつもの風邪と違う」と思った。体温を測ると35.5℃、「体温計が壊れているのか」と 思ったが、発熱の自覚はないので、風邪薬は飲まず、自宅でおとなしく過ごした。10:30に就床。
12月3日咳はおさまらない。喉に違和感があり、咳をすると息苦しい。空咳と言っていい。私は「コロナ(COVID-19)に感染した」と思った。体温を測ると36.0℃、発熱の自覚もない。 私は「次女が置いて行ったCOVID-19 Antigen Home Test」で検査をした。陰性であった。自宅でおとなしく過ごした。10:30に就床。
12月4日まだ、咳はおさまらない、喉に違和感があり、咳をすると息苦しい。再度「COVID-19 Antigen Home Test」で検査をした。陰性であった。体温を測ると36.5℃、 「体温計は壊れていなかった」。散歩をした。歩数:6975。10:30に就床。就床時に咳はおさまった。
12月5日少し元気になった。咳は時折出るが息苦しさは減少した。散歩をした。歩数:5480。

「COVID-19 Antigen Home Test」では陰性であったが、私は「コロナ(COVID-19)に感染した」と思っている。私が風邪をひいたとき体験する症状と随分異なっているから・・・。 今回の自粛期間に、村上華岳さんの「畫論」(弘文堂書房、昭和16)を読んだ。村上華岳さんは日本画家だけど、求道者・修行僧の様に、精神的に深く考察・探求して 作品を制作・完成していらっしゃることを知った。

その後、コロナの後遺症(私は後遺症ではなく継続していると思う)に悩まされた。
12月6日テニススクールに行った。
12月7日少し元気。散歩をした。歩数:4761。
12月8日少し元気。散歩をした。歩数:7583。
12月9日テニススクールに行った。
12月10日奈良マラソンで車で出ることは出きない。見物に行った。歩数:3679。
12月11日散歩をした。歩数:5348。
12月12日散歩をした。体がだるく倦怠感があった。歩数:4103。
12月13日朝起きたら手指の節々が少し痛く、体がだるく倦怠感があった。テニススクールを休み自宅で静養。
12月14日朝起きたら手指の節々が少し痛く、体がだるく倦怠感があった。自宅で静養。
12月15日ピアノ教室を休み、自宅で静養。
12月16日病院へ行く。あまり熱はないけど感染症だといけないので、分別診療とのこと。分室で鼻に棒を突っ込んで検体採取。医師が着て「SARS-COV-2抗原検出(コロナ検査)も インフルエンザウィルス抗原精密測定の結果、どちらも陰性でした。」と言われた。私は一般病棟に入れるようになり、鎮咳剤(コルドリン錠12.5mg)と倦怠感静止の薬(ツムラ41補中益気湯2.5g) をいただいてきた。
12月17日朝起きたら手指の節々が少し痛く、体がだるく倦怠感があった。ピアノを弾くと、手指の節々が少し痛ぃ。体温37.5℃。自宅で静養。
12月18日少し元気。体温36.7℃。聖武天皇陵まで散歩した。
12月19日少し元気。体温36.5℃。聖武天皇陵まで散歩した。
12月20日少し元気。体温36.2℃。テニススクールは自重して休んだ。聖武天皇陵まで散歩した。
12月21日少し元気。体温36.2℃。歩数4895。
12月22日ほぼ元気。手指の節々が痛いのはなくなった。でピアノが弾ける。歩数5691。
12月23日ほぼ元気。食欲が出てきたらと思う。散歩した。歩数8373。
12月24日ほぼ元気。昼食後元気が出たので散歩Aコース:我が家-焼け門-大仏殿裏-二月堂-法華堂(久しぶりに入堂し不空羂索観音を拝した)-手向山八幡宮-春日園地 -丸窓梅園-片岡梅園-春日大社一の鳥居-興福寺-東向商店街とあるきスーパーマーケットで買物をし菊屋で饅頭を買って帰宅した。歩数9077。
12月25日元気。久しぶりに車に乗って買い物にいった。
12月26日元気。大掃除の手始めとして、外部の窓ガラスを拭いた。
12月27日完全回復。テニススクールに行った。無事テニスが出来た。
今回の風邪には参った。年齢による衰えもあるのか色々考えさせられた。テニスの出来る健康の有難さをしみじみと感じた。美味しいものを食べられるのも健康であってこそと思った。 さあ、いつまで健康で居れるのか分からないが、留意して生活したいと思う。 この連載、おわり。



2023.11.14

蟹尽くし

ここ20年以上、毎年北陸・山陰へ冬の味覚「蟹」を味わう旅を重ねてきたが、経験から私は岩井温泉岩井屋の「蟹」が一番美味しいと思うようになり、最近は 岩井温泉岩井屋へ「蟹尽くし」を食べに行くことにしている。チョット値段が高いのだけど、私の人生も残り少なくなってきたので「もう何回も行けないから良いか。 行けるうちに行こう。食べられるうちに食べよう。」と、出かけて行った。

11月13日9:20に奈良の我が家を出発、東大阪JCTから近畿自動車道、吹田ICから中国自動車道、佐用ICから一般道に出て12:08道の駅"宿場町ひらふく"に 着いた。そこの食堂で、夕食に備えて軽い食事にしようというので"きつねうどん"を食べた。その後天気が良かったので、佐用川沿いに歩いて連なる川座敷や土蔵群などを眺め、 因幡街道を歩いて宿場町として栄えた名残が多く残る平福の街を見物した。何故"平福"へ行ったかというと「天気予報では13日は鳥取は雨、平福は晴れ」だった からである。13:19道の駅"宿場町ひらふく"を出発、鳥取自動車道、国道53,9,山陰近畿自動車道経て岩美ICから山陰道に入り"道の駅きなんせ岩美"で休憩、 15:10岩井温泉岩井屋に着いた。「雨が止んだところ」であった。

案内された部屋で一息ついたら、温泉に入った。直立してもお湯が胸まで浸かる深い浴槽、高い天井・太い梁の浴室は開放感と情感がある。 湯底に敷いた松板の真下から湧く温泉・源泉かけ流しで、源泉100%・泉質:カルシウム・ナトリウムー硫酸塩泉の湯はとても良い。私のお気に入りである。 18:00から冬の特選コース「蟹尽くし」をいただいた。ゆで蟹、蟹刺し、炭火焼き蟹、蟹すき鍋が饗された。何といっても蟹の質が良い。寄る年波で「蟹尽くし」が食べ切れるか 心配であったが、お陰様でしっかり食べきることができた。感謝・感謝である。食後、一服した後、再度温泉に入った。浴室は20時で男女交代。こちらには露天風呂が付いていた。

11月14日7:00起床。温泉に入った後8:00朝食。9:20チェックアウト。山陰道(国道9)を通って10:38道の駅"ようか但馬蔵"に着いた。10:57出発、八鹿氷ノ山ICから高速道路に入り 丹南篠山口Icで出て11:26篠山城跡に着いた。私はこれまで丹波篠山を訪れたことは無かったので、この際訪れた。「篠山城は、1609年(関ヶ原の戦いは1600年)に徳川家康が天下普請 の城として、二十の大名に夫役を命じ、豊臣家ゆかりの諸大名を抑えるために築城された。」様だが、石垣・堀だけで、城としての建物は何もなかった。堀内の城址を散策した後、御徒士町 武家屋敷群を散策し、丹波篠山市立武家屋敷安間家史料館を見学した。「安間家住宅は篠山藩主青山家の家臣であった安間家の住宅で、規模としては標準的な徒士住宅です。」 とあったが、小規模ながらさっぱりとした気品ある住宅であった。
14:00篠山城跡を出発、西宮名塩で"きつねうどん"を食べ、15:47奈良の自宅に帰着した。

私の加盟している自動車保険会社の通信車載機器により、私の運転の診断がなされ、運転のレポートが送られてくる。その報告書を見ると、今回の旅行での運転の診断結果は全てA判定であった。 "良い運転が出来ている"との判定で、少しホッとした。ところで、すいている高速道路や一車線の高速道路では自動運転システムを活用した。とても良いシステムで"疲れが軽減"したと思う。 一般道路では最高速度を設定して走行した。混んでいる高速道路では通常運転で走行した。私は新しい車に乗り換えて良かったと思う。過去20年で自動車は随分進化している。


2023.11.7

千家元麿詩集

私は武者小路実篤編輯の「千家元麿詩集」を拝読させていただいている。序文が長與喜郎、表紙が梅原龍三郎、扉並びに題簽が中川一政という 豪華な本(昭和24年発行、定価450円)が古本屋でなんと300円で手に入った。読んで、その詩の素晴らしさに、一層の感激をした。そのうちの、一つを 紹介する(短いものを選んだ)。

夕日

夕日の中で
農婦が耕しているのを見た
静かなポーズ!
夕日の光りと共に
永久の姿!
鍬をもち耕す女の姿!
忘れられていた此の姿は
私の頭に広大の神の区域をひろげ
敬虔の念を生むだ。




2023.11.1

フジコ・ヘミング スペシャルコンサート

11月1日15:00から奈良100年会館で"フジコ・ヘミング スペシャルコンサート"があった。フジコ・ヘミングは1932年生まれで90歳、今も日本とヨーロッパ・アメリカで 活躍するピアニストである。「老齢でどうやってピアノを弾くのだろうか?」という興味もあってチケットを購入した。9月14日に申し込んだのだけど殆ど売り切れていてS席 (12000円)しか残っていなかった。私はテニススクール(11:00-12:30)の後なので、眠らないかと心配であったが杞憂であった。
15:00開演、フジコ・ヘミングさんは歩行器を押しながら現れ「今日は体調不良で身体の各所が痛いので、どうなるか分かりませんがよろしくお願いします」と挨拶された。 先ず、モーツアルト:ピアノ協奏曲 第21番ハ長調 K.467 第1-3楽章 が関西フィルハーモニー管弦楽団(指揮 マリオ・コシック)との共演で演じられた。
次いで、リスト:ラ・カンパネラ フジコ・ヘミングさんの愛演曲?の独演があった。
ピアノの演奏となると、年齢を感じさせない名演奏で、楽しませていただいた。
休憩(15分)時にピアノは片づけられ、関西フィルハーモニー管弦楽団(指揮 マリオ・コシック)による ブラームス:交響楽第2番 ニ長調 Op.73 第1-4楽章が 演奏された。演奏後、フジコ・ヘミングさんが出てきて手を振っておられた。私は"フジコ・ヘミング コンサート・セレクションCD"を買って帰った。


2023.10.31

高僧の遺墨・絶筆の書

縁あって、江戸時代の学僧・法隆寺叡弁律師の遺墨・絶筆の書(右の写真)を手に入れることが出来た。詞書が付いており解読出来た?。

茶菓一箱
御老師様へ指上候 一統も味被成候

三阿弥陀
称ふ念仏に
有難し 闇路を
照らす 弥陀の名号

八十八叟文十三夏叡弁

「注」 叟(そう):翁

さらに、大和国の興福寺末寺延寿院の住僧・直定による軸裏書があり
法隆寺北室院叡弁大和上こそ(去年)文政十二丑年
秋ノ頃より所労にて霜降月に到り増気したまふ
然ルに老師聖阿当院を留錫の折から
なれは病床を訪ひ参らんとて我を具して
参院対顔あり、明日老師未だ参り給は
さるに、和上ノ方より菓子一箱に此書を添て
我か方迄心さし給ふ。然ルに和上は十九日に遷
化し給ふ、依て此一書ハ生前ノ絶筆なれ
わきて尊重スヘキモノ也
  庚寅とし孟夏 延寿院直定記す
とある。これよりこの書は、文政十三年、叡弁の孫弟子にあたる聖阿上人が延寿院に留錫した折、永らく体調を崩していた叡弁を見舞い、その礼として茶菓とともに贈られたものである ことが分かります。この書は文政十三年夏十三日の筆であり、十九日には叡弁和尚が遷化したと述べられていることから、絶筆である。

念仏の境地を詠った心安らかな和歌(辞世の句?)は聖阿上人へ遺墨であると思う。死期を悟った高僧が最後の気力・魂魄をこめて書かれた熾烈な気魄が感ぜられる。

付記
叡弁律師:江戸後期の学僧。法相宗。日向の人。13歳で得度し、19歳から高野山で修学。ついで大和国桜井の聖林寺で学ぶ。法隆寺山内北室律院に招かれ、弟弟子の一源とともに一源派の隆盛をもたらした。文政13(1830)年没、88歳。

聖阿上人:江戸後期の浄土僧。鹿ヶ谷法然院17世、1807年當麻寺奥院第41世住職。徳本上人の弟子として江戸末期、荒廃がすすむ寺をいくつも復興した名僧として知られる。1837年没、70歳。


2023.10.15

良弁僧正1250年御遠忌

東大寺開山良弁僧正1250年御遠忌法要が10月14-16日に大仏殿前庭で行われている。私は東大寺友の会に入っているので招待状が来た。10時からと思って 9:55に大仏殿中門に着いたら、入場は9:30からだったようで、大仏殿前庭はほぼ満席であった。良弁僧正は、東大寺の創建や大仏の建立に尽力し、東大寺の 初代の別当を務めた僧で、亡くなってから今年で1250年になります。良弁僧正の威徳を偲ぶ法要が行われていてこの日は中日の法要でした。

惣礼、越前米奉納、「盧舎那仏讃歌」奉唱、献花、献茶、唄匿、散華とつづいて、現東大寺別当橋村公英師による表白があった。このあと、伎楽「良弁上人、 華厳の悟り(慈悲)」が奉賛された。

大仏殿を後にして、興福寺の方へ歩いて行ったら、県庁前の広場で"シェフェスタ:奈良の食材とシェフの祭典"が行われていた。家にいる愚妻に「昼飯は要らない」と 電話して、ミッシェラン一つ星のシェフがキッチンカーでやっている店でランチセットを注文した。3000円、トリフが付いていたが全然美味しくなかった。このシェフ、駄目。

菊屋で"秋の実り(栗きんとんの和菓子)"を買って帰った。これ絶品です。


2023.10.5

祇園のど真ん中のお茶屋と京料理

5月に京都、大阪、奈良に住む"化学反応研究会"の元メンバー4人で法隆寺とその近郊散策をした。そのメンバーの一人・京都に住むIさんが 「写真仲間と写真展を祇園のお茶屋でする。"祇園のど真ん中のお茶屋と京料理"を楽しむ会をしないか」と誘ってくれた。前回のメンバーに、 兵庫に住む1人を加えて5人で京都祇園で会食をした。Iさんの写真仲間の一人がお茶屋の女将さんなので、お茶屋での写真展が出来たようであった。 祇園花見小路に面するお茶屋の建物・構造をじっくりと見物させていただいた。右はそこでの記念写真
隣のお茶屋で京料理・懐石料理をいただいた。板前さんのオリジナルという料理がとても美味しかった。"化学反応研究会"の元メンバーとの現況報告や 情報交換・意見交換に花が咲き三時間余をお茶屋で過ごした。その後、建仁寺を散策した。楽しい会合であった。


2023.9.30

読書の秋

日の暮れるのが早くなりました。読書の秋"秋の夜長に読書"となりました。私の場合は"ゆったり・のんびり"暮らしていますので、何時でも読書することが出来ます。 パソコンやスマホから離れて"のんびり読書をしょう"と思い立ちました。
先日、小杉未醒著「大雅堂」を買った際、古書店主が「今はうちにないけど、武者小路実篤も"池大雅"について書いてますよ」と教えて下さった。インターネットで調べると、
1).武者小路実篤著"齢"(短編小説集)に短編小説"池の大雅"があることがわかった。値段がなんと500円、昭和16年出版の初版本(320頁、装丁武者小路実篤)である。 こんな立派な本が余りにも安価なのにビックリ。ついでに私は、
2).武者小路実篤著 詩集 人生の特急車の上で一人の老人  昭和44年  皆美社 初版 装幀:中川一政、
3). 中川一政著 歌集 向ふ山  昭和11年 昭南書房 初版 装幀:中川一政、
4).武者小路実篤編 千家元麿詩集 昭和24年 一燈書房 初版 装幀:梅原龍三郎、
5).朝永振一郎著 わが師わが友 昭和51年 講談社学術文庫を買った。
私は1)~5)を並行して読んでいる。一つの本に飽いたら次の本を読む。これが結構楽しい。5)を読んでいると仁科芳雄先生が立派な方だとわかったので、インターネットで調べて、
6).朝永振一郎・玉木英彦編 仁科芳雄 伝記と回想 1952年 みすず書房 を手に入れた。  


2023.9.23

四天王寺

大阪に住む末弟が、「大阪の四天王寺で、大阪の材木商の講が開催するお彼岸行事"木樹精霊供養"法要がある。よかったら同行しないか」と言ってきた。 末弟は大阪南港にある木材会社に勤めていた関係で、この行事に参加出来る様だ。私は四天王寺参拝をした経験が無いし、"木樹精霊供養"法要に参列できる好機会 だと思い同行させていただくことにした。

約束時間13:30より10分ほど前に集合場所に着いたが、末弟夫妻は先着であった。参道を歩いて数分で四天王寺があった。"木樹精霊供養"法要は15:00から開催との ことで、先ず四天王寺伽藍を拝観することにした。その伽藍配置は「四天王寺式伽藍配置」といわれ、南から北へ向かって中門、五重塔、金堂、講堂を一直線に並べ、それを回廊が囲む形式である。 伽藍配置はそのままであったが、全て建物が戦後建てられたものでコンクリート造りであった。先ず金堂に入堂、救世観音が祀られていた。次いで五重塔入堂、階段を歩いて5階まで上がったが外に出られず 暑いので直ぐ下った。中門には仁王像があった。講堂に入堂すると東に十一面観音、西に阿弥陀如来がお祀りしてあった。しかし、どれも新しく、私は失われた仏像を想像しながら拝観した。

"木樹精霊供養"法要は本坊に隣接する五智光院(数少ない戦災を免れた江戸時代の建物)で行われた。四天王寺管長が導師、僧侶10人余が参列しての法要であった。 木材にするため伐採した木樹の精霊を供養するお祈りで、三百年余続く法要であった。大阪の木材商といえば、主要産業の担い手で、その権力・財力は凄かったことが想像出来る。 貴重な体験をさせて頂いた。


2023.9.14

大雅堂

少し暑さも和らいで、秋の訪れを感じられる様になりました。先日"読書の秋"だと、久しぶりに古書店に入った。店主に「池大雅に関係した本ありますか?」と尋ねたら、 分厚い画集と小杉未醒著「大雅堂」を出してこられた。パラパラとめくってみて小杉未醒著「大雅堂」を買った。店主も「これ良いですよ」とおっしゃった。
この本は、小杉 未醒(放庵、1881-1964、洋画家・日本画家・歌人・随筆家、フランスに留学中、池大雅の「十便図」を見たことがきっかけで、日本画・墨絵も描き始める)による 池大雅に関する研究・解説が書かれており、まさに私が求めていた本であった。古書店主の見識にも感服し、感謝・感謝である。


2023.9.4

82歳の誕生日

私は今日82歳の誕生日を迎えました。特に感慨は有りませんが、少しずつ歳をとっているわけで知力も体力も衰えていくわけですが、 それでも少しは成長する部分もあると思っています。
聴力の衰えた人に「しっかり聴け」と言っても無理です。体力の衰えた人に「しっかり歩け」と言っても無理です。・・・という事が分かるようになりました。 注意して効果のないことを、言うことは控えるようになりました。そういうことは気が付いたら、自分で黙ってやるようになりました。
幸運なことに、私は元気に生活させていただいております。週2回程度のテニススクールも楽しめております。ピアノも一向に上達しませんが、 最近は"コードを覚えて簡単に弾く"方法を学び始めました。最近は暑くて、1日に平均4000歩ほどになっていますが、涼しくなったら、 1日6000歩の歩行は再開したいと思っています。


2023.8.27

大台ケ原

暑い日が続くので、大台ケ原へ行くことにした。9:32に家を出て、10:35に宇陀の道の駅に着いた。農産物直売所でトマトとキュウリを買った。 10:46宇陀の道の駅を出発し11:14大滝茶屋に着いた。大滝茶屋で柿の葉寿司(6個)と山菜巻き寿司(1本)を買った。11:20大滝茶屋を出発し 12:27大台ケ原の駐車場(標高1574m)に着いた。リュックサックに食料・雨具を入れて担ぎ、登山靴を履き、カメラを首にかけ、ステッキを手に、日出ケ岳 山頂(標高1695m)目指して歩き出した。平坦な遊歩道で、木陰で涼しい。自然の涼しさで快適。1.5km程歩くと標高1600m、日出ケ岳山頂への登りと なる手前に水場があり、清水が流れている。そこでリュックをおろし、キュウリとトマトを清水に投げ込んで、腰を下ろし、柿の葉寿司(4個)と山菜巻き寿司 (2/3本)を食べた。残りは愚妻への土産。その後、よく冷えたトマトとキュウリに塩を付けて食べた。・・・これ、私の大台ケ原へ行った時の"定食"。その後、 日出ケ岳山頂へと行った(その途中にトリカブトが咲いていた。右の写真)。何故かこの日は登山者が少なく、山頂辺りには私だけであった。14:25山頂を 出発し、15:25大台ケ原の駐車場に着いた。山頂付近は太陽光を遮るものがなく暑かったが、他は涼しくて快適であった。私の避暑地である。
大台ケ原ドライブウェイの脇に生えている山草の写真を撮りながら家路に着いた。途中、どしゃ降りの雨にあったが、18:28奈良の我が家に帰着した。 奈良の我が家に雨の形跡は無かった。


2023.8.19

小学校の同窓会

「8月19日12:00から倉知小学校昭和28年卒業生の同窓会を開催する」との連絡を世話人がくれた。倉知小学校の同級生は50名で男子30名、女子20名で 6年間同じクラスで一緒に学び遊んだ。幼少期、互いに影響し・影響されて育った。私はこの小学校時代の同窓会には事情が許す限り出席している。

7:14に車で家を出て、御在所SAで休憩し、10:09に岐阜現代美術館に着いた。「岐阜現代美術館は世界有数の篠田桃紅作品を有する美術館です。」と教えて 頂いていたが"生まれ故郷にあるのに"、私はこれまで訪れたことがなかった。調べると2023年7月18日~9月8日に篠田桃紅企画展"hello TOKO! 桃紅さんこんにちわ" が開催されている事が分かった・・・で、この機会に訪れることにしたのである。 "夏休みの親子・こども向け企画"とのことであったが、篠田桃紅さんの凄さを実感すること が出来た。私はミュージアムショップで"篠田桃紅 自分だけのかたちを求めて (別冊太陽 日本のこころ-302)"を買った。

11:30同窓会の予定されていた店に着いた。丁度、世話人が来られたところであった。コロナ禍で4年ぶりの会であったが、参加者全員、見れば直ぐ分かった。参加者は11名。 名簿を頂いて、愕然とした。男子16名が他界していた。寂しい・淋しい。「歳をとるということはこうゆうことだなあ」と思う。互いに影響し・影響されて育った友達が居なくなるのだ。 会食は楽しかった。幼い頃を思い出し、懐かしむことが出来た。私は15:00に皆に別れを告げ、帰路に着いた。「皆どうか元気でいてください」と祈りつつ・・・。


2023.8.14

故郷での墓参

コロナ禍で3年欠礼した故郷での"お盆の墓参"に行ってきた。台風7号が翌日近畿地方に上陸するとの天気予報だったので、私は7:02に車で家を出た。途中、御在所SAで20分ほど休憩して 9:48次弟が跡を継いでくれた岐阜県関市の家に着いた。仏前で経をあげた後、次弟と共に近くに住む妹の家へ行った。その後、次弟と妹と私の3人で、今年99歳になるという母が入所して いる施設へ行った。母は私の顔を見て「肇さ やな」と言った。自力で動けなくなった母を、車椅子に乗せたり・寝かせたり世話をしている若い女性は中国人であった。日本語も流暢で、親切な人で あった。私は"こんな田舎でも、外国の人にお世話になる様になった"と感慨した。

その後、次弟の娘、息子とその家族、8人で墓参に行った。炎天下では気温40℃を超す暑い日であった。建築会社で働く次弟の娘が、扇風機付のベストを貸してくれた。近頃、建設現場で働く 人達が身に着けていらっしゃるのを見ていたが、私は初めて身に着けた(右の写真)。涼しくて、猛暑に耐えることが出来た。墓参の後、近くの蕎麦・うどん屋さんへ行って、皆で昼食とった。店主は 次男の息子の同級生とのことであった。私は"天婦羅おろし蕎麦"を食べたが美味しかった。

皆に別れを告げた後、90歳でコロナに罹り亡くなった叔父の家に行き、仏前で経を唱えた。その後、美濃市の長良川河畔にある母の墓に参った。河原の石が墓標になっているこの墓に参ると、私は いつも、4歳の時亡くなった母の土葬の光景を思い出す。父は戦争に行っていていなかった。死を悟った母が"ひとり息子を残して逝くことを心配して泣いていた"のを、私は幼かったのに記憶している。 その墓を守っていてくれる従兄弟は元気であった。79歳と言っていた。老夫婦で専業農家を営んでいる。農作業で鍛えた身体は元気だそうであった。
台風が近づいているので先を急ぎ、14:29美濃を出発、17:40奈良の我が家に帰着した。途中、一宮辺りで少し渋滞があった。


2023.8.5

ピアノの発表会

奈良にあるカワイ音楽教室の合同発表会が"やまと郡山城ホール"で開催され、私は8月5日11:45開演の第Ⅱ部で"サントワマミー"を演奏した。まあまあ、実力通りの演奏で あった。成功とはいえないが、最後まで弾けたので"良し"としょう。とても上手な人が多く、私のようなのが参加しては申し訳ない気もするが"まあ愛嬌"としていただこう。



2023.7.31

恐れていた失策・その対策

昨日のことである、暑い日差しの中を、いつも行く食品スーパーマーケットへ買い物に行った。美味しそうな牛肉があったので買った。牛蒡、糸こんにゃく、人参も買った。これを愚妻に渡せば、 愚妻は"牛肉を炒め、牛蒡、人参、糸こんにゃくを加え、醬油、砂糖で味付け"して主菜が出来る。これは我が家の定番料理の一つである。さて、夕食になって口に入れたら 極端に塩辛い。愚妻は「砂糖と塩を間違えた」と言った。そう言えば、我が家では"塩と砂糖は同じ形の容器に入れてある。塩の容器の蓋は白、砂糖の容器の蓋はピンク色"。 砂糖も塩も白いので間違えたのだ。起こりうることと恐れていたが、起こってしまった。

今日、私は東急ハンズに行って"砂糖入れ"と"塩入れ"を買った。"砂糖入れ"は四角、"塩入れ"は丸いのにした。愚妻はこれを見て「これなら間違わない」と言った。 私は"そうあってほしい"と願うばかり。


2023.7.29

盛夏

暑い日がやってきましたね。歯医者さんに行くとか、買い物に行くとか、必要がなければ、もうほとんど外に出る気がしません。1日に6000歩の目標は達成できていません。 外で働いている人達には頭がさがります。
それでも、家にこもってばかりでは健康に良くないと、7月26 日と29日のテニススクールには行って来ました。体調が悪くなれば中止するつもりで・・・。炎天下のテニスで 家に帰って、テニスウェアを洗濯して干したら、2時間ほど横になって休憩です。
8月5日にピアノ教室の発表会があるので、今はその練習をしています。私は"サントワマミー"を演奏することになっています。いっこうに上達しませんが、その練習で "暑さを忘れる"ことが出来ています。


2023.7.16

次女らの帰米

大阪・広島・四国・淡路島とドライブ旅行していた次女が二人の子供達と13日に奈良に帰って来た。
14日、次女と二人の子供達は京都へ、銀閣寺・南禅寺へ行ったと言った。
15日は奈良と言ったので、「薬師寺・唐招提寺へ行こう」と出かけて行った。薬師寺はキラキラしていて"もうひとつ"と思っていたが、建物の色もだいぶ落ち着いてきていた。 私は東塔の解体修理が終わってから初めての訪問でした。東塔・西塔の一階内部に入れる特別公開をしていた。創建時の東塔・西塔の内陣には゛釈迦八相像゛が祀 られていたのにちなんで、中村普也氏作のブロンズ製の゛釈迦八相像゛が祀られていた。法隆寺の五重塔内陣の塑像群を観た印象が強くて、その素晴らしさには及ばないが、 年月がたてば馴染んでくることを期待したい。右の写真は薬師寺金堂前で。
16日12:00近鉄奈良発の電車で、次女と二人の子供達が東京へ行った。東京にしばらく滞在した後、米国へ帰っていくようである。我が家は後始末、掃除・洗濯である。 年寄りのペースで、ゆっくり・ゆったりと・・・。


2023.7.13

車輪付き買い物籠

一年前、次女が"車輪付き買い物籠"を手に入れたのを見て、私は愚妻が買い物に行くのに丁度いいと思い「母さんにプレゼントしてくれ」と恃んだ。 愚妻もその時は喜んだが"年寄りじみてカッコ悪い"と思ったのか(実際年寄りなのに)、一度も使うことなく一年が過ぎた。それを見て次女は「返してくれ」と言った。

次女のアドバイスで自転車に乗って買い物に行くことを止めた愚妻が買い物に行った。その愚妻から電話がかかってきた「荷物が重くて足腰が痛い。迎えに来てくれ」と。 私は"車輪付き買い物籠"を引いて迎えに行った。「買い物を沢山したのか」と思って行ったが、ほんの2~3kg程度であった。足腰が弱っているのだ。"車輪付き買い物籠" に持ち物全部入れて愚妻は歩き出した。「これは良い。指一本で引いていける」と言った。

私は次女に「"車輪付き買い物籠"は置いて行ってくれ」と恃んだ。以後、愚妻は"車輪付き買い物籠"を愛用している。頑固な愚妻が変心した。大成功・大成功だ!


2023.7.10

次女一家の来訪

次女の夫が7月7日の夕刻、奈良に来た。早速、予約していた伊賀市島ヶ原のレストラン"レチュード"へ行った。次女の一家5人と私と愚妻(右の写真はレチュードの前で)の7人なので 私の車に乗れない。それでレンタカーを借りて行った。"レチュード"は私のお気に入りのフレンチレストランである。予約していた18:00に着いた。7人で貸切とのことであった。 料理は期待通りに美味しかったが、次女の夫は前日にカナダから東京に来たとのことで、時差ボケと睡眠不足で時々コックリ・コックリとしていた。

7月8日に次女の長女が東京に行き、次女の夫は7月9日に東京に行った。すぐロンドンに行くとのことであった。次女と2人の子供は7月10日USJで遊んだ後、広島へ行くと出かけて行った。 7月13日に奈良に戻るそうである。私は「元気だなあ」と感心するばかりだ。




2023.7.6

洞川温泉

次女の長女(高3)が6月29日に奈良の我が家に来た。次女は5人(私、愚妻、次女とその長女と次男)で洞川温泉に行く一泊旅行をしようと言った。 洞川温泉は大峰山に登る修験者の基地で、この時期は混雑している。一軒だけ空きがあったので予約して7月1日に出かけて行った。7月1日は雨天で あったので13:13に車で家を出て14:47に道の駅「黒滝」に着いた。15:13に出発、15:36洞川温泉の宿に着いた。小雨になっていたので、温泉街を散策した後、 温泉に入った。無色透明・無臭のかけ流しの温泉であった。17:30夕食。湯豆腐会席料理。まあまあであった。

7月2日快晴であった。8:00朝食。9:00チェックアウト。ゴロゴロ水まで車で行き、そのご山上川添いの遊歩道(そこでの写真を右に示す)を歩いて「従是女人結界」の 結界石碑まで行った。その後、戻って洞川温泉で昼食。13:12洞川温泉を出発、13:39山上川と白倉川と弥山川の合流する地点にある"みたらい休憩所"へ行った。 山上川沿いの遊歩道を歩いて、5月6日に長女達と行った場所の近くまで行った。滝が幾つかあった。15:08"みたらい休憩所"を出発、17:24奈良の我が家に着いた。

7月3日夕方、次女の次女が奈良の我が家に来た。

7月4日愚妻が「喉が痛い・熱がある・しんどい」と言った。次女や孫達が来て"頑張り過ぎたのだ"。私の言うことはきかない愚妻は、次女の言うことは素直にきくので、 私は次女にたのんで"愚妻をコントロール"することにした。素直に床に就いた。それでも「一日寝ていると腰が痛い」などと言って、密かにパソコンをいじっている。 我が家は6人前の食事を必要とするようになった。腕の見せ所である。

7月5日次女の二人の娘は朝食前に「奈良公園を走ってくる」と出かけて行った。「6km走った」と帰って来た。元気だね! 私は11:00-12:30にテニススクールでテニスをした。 愚妻はおとなしく寝ている。私は次女の長女と夕食を作った。

7月6日愚妻がこのまま寝付いてしまうといけないので起きるように促した。意外に元気だ。


2023.6.27

鳥居本

次女の息子(次男、長男は早逝)は小学校へ行くようになった。小学校に行っている間、次女は自由である。その間、次女は友達に会ったり、買い物に行ったり、 奈良・京都・大阪と活動範囲は広い。私は次女に「京都祇園の鳥居本へ昼食に行かないか」と誘ったら「行く」と言った。愚妻も「行く」と言った・・・以前に 誘った時には気の無い返事をしてたのに・・・。

10:00に奈良の我が家を出て、11:10祇園四条駅に着いた。予約は12:00からなので、花見小路から建仁寺へと辺りを散策した後、11:50鳥居本に入った。 "「鳥居本」は江戸中期享保年間に卓袱料理に着目した初代・田畑與兵衛は、これを京風に改良して料理店を創業した。「鳥居本」と名付けられたのは、 当初、八坂神社の鳥居の前に店を構えたためである。"とのこと。若い女将が迎えて下さって、素敵な座敷へ案内してくださった。庭園を眺めながら「祇園料理」 を堪能した。帰り際に、女将さんに撮っていただいた写真を右に示す。

食後、次女は「建仁寺を参観する」と言った。愚妻は「次女と一緒に行く」と言った。私は次女の息子が小学校から帰るので家に真っ直ぐ帰った。次女と愚妻は 17:00頃、帰宅した。愚妻は「建仁寺参観の後、三十三間堂まで歩いて行った。噫!疲れた。」と言った。私は夕食の準備を調えて待っていた!


2023.6.18

伊吹山

私は5月22日に伊吹山に行ったが、イブキスミレを観ることが出来なかった。スミレのベテランの人が「昨年6月9日に伊吹山でイブキスミレを観た」とおっしゃつたので、 次女に「伊吹山へ行かないか」とさそったら「行こう」と言った。次女と次女の息子、愚妻と私の4人で9:39に家を出た。次女の運転で、私は助手席でアドバイザー。 11:02菩提寺PAで休憩、昼の食糧を買った。11:15菩提寺PA発、12:10山頂直下の駐車場に着いた。私はカメラを手にイブキスミレが生えてると教えていただいた 場所へ行った。でも、イブキスミレは見つからなかった。丁度近くに、植物の写真を沢山抱えたガイドさんがいらっしゃったので尋ねたら「イブキスミレは4月末から5月初 旬です」とおっしゃった。説明を聞いていると、まさにベテランの山岳ガイドさんであった。ウム"来年だな"と思った。

4人で、ゆっくりと西登山道を登って行った。グンナイフウロ、ウマノアシガタ、ヒメフウロ、カノコソウ、イブキシモツケ、ミヤマコアザミが咲いていた。そして一面の花盛りは クサタチバナであった。頂上付近で昼食をとり、頂上の茶店でソフトクリームを食べた。快晴で暑かった。次女と次女の息子は元気であったが、愚妻は足腰が弱って いるようであった。中央登山道を下山した(右の写真はその途中)が、途中でアナグマの親子に出会った。

15:26山頂直下の駐車場を出発、16:52草津PA着、トイレ休憩後17:12出発、18:02奈良の我が家に着いた。次女は車に慣れ、運転も上手になった。


2023.6.17

次女

長女はおおらかであるが、次女は口うるさい。愚妻は次女が来るときは事前にダスキンにたのんで台所・風呂場・トイレの掃除をお願いします。 ところが、この度次女は"愚妻がフラフラと自転車に乗っている"ことに気が付いた。で、「自転車はやめろ」と言った。愚妻は「買い物に行くのに必要。 重い物は歩いて運べない。」と言った。次女は「重い物は自動車でまとめて買えば良い。歩くことは健康維持に大切で、毎日行って、軽いのを 少しずつ買いなさい。」と言った。暫く論争した後、愚妻は「次女の言うことはモットモだ」と言った。

翌日、愚妻は歩いて買い物に行った。帰って来て「重い。ダメだ。膝が痛くなった」と言った。次女は「そんな大きなキャベツを買って来るからだ。 "安い"と思っても我慢して軽い物だけにしなさい。健康の為に行っているのだから・・・」と言い含めていた。

その翌日。愚妻はまたもや、歩いて買い物に行った。今度は軽い物だけ買ってきた。

私が何度言っても、聞く耳を持たなかった愚妻が"次女の言うことは聞いた!"。"次女のいる間に習慣にしてしまわなければ"と思う。 そういえば、私も次女の助言に従って"最新の安全装置のついた自動車"を買ったね!


2023.6.11

次女の来訪

6月8日に米国に住む次女とその息子(小学6年生)が奈良の我が家にやって来た。米国の学校が夏休みになったので、日本の小学校に入れていただいて "日本語に慣らせる"のが目的のようだ。次女の長男は反抗期がまだのようで、次女の指導に従って渋々15日から小学校に行くようである。

時差ボケがまだ少しある様だが、連日、親子二人で奈良・京都を歩き回っている。「若くて元気だなあ」と私は眺めている。右の写真に見る様に、次女の息子は 母親に甘えている。また、母親も息子を溺愛している。でも、こんな関係も"もう少しで終わる"だろうと思う。それにしても、幼くして母親に他界された私は "こんな母親の愛情は知らない"と、少し寂しく思う。

次女の長女(18歳)は6月28日に、次女の次女(15歳)は7月5日に、奈良の我が家に来る予定。


2023.6.5

高見山登山

私は86歳まで生きたいと願っています。健康状態で生きたいと願っています。私なりの基準としては"高見山(標高1248m)に登頂出来る"ことを目安としています。 高見山には60年余前に登って以来、100回以上登っています。高見峠(標高900m)まで車で行けます。登山道もしっかりしています。若い時は高見峠から高見 山頂まで約40分で行くことができました。独立峰で頂上からの景色も素晴らしく、手軽に登れる私のお気に入りの山です。

9:50に家を出て、菟田野のアグリーマートで昼食用に巻き寿司・草餅・ミカンを買い、11:35に高見峠の駐車場に着いた。登山靴を履き、リュックサックを担ぎ、 片手にカメラ、もう一方の手にステッキを持って11:40登山を開始した。単独行なので自分のペースでゆっくり・ゆっくりと歩いた。快晴で新緑が美しくカッコーの鳴声を聴き ながらの登山で心地よかった。12:05見晴らしの良い展望所に着いた。そこから少し進むとブナの林になる。60年前は笹と馬酔木が茂っていた。時と共に林相も変化 していく。ブナの林ではキビタキが盛んに鳴いていた。私はスマートフォンを出して録音した。頂上近くに行くと、数年前まではササユリの見られた場所は馬酔木がすっかり 占拠していた。12:55高見山頂上に着いた。私の他に登山者が3人いらっしゃった。快晴で見通しも良く、素晴らしい眺望(右の写真は東方、富士山は霞で見えない) を楽しみながら昼食をとった。頂上から家に電話したら通じた。緊急時には電話連絡できるようだ。13:35下山開始。14:45高見峠に着いた。

ゆっくり・ゆっくり歩いたので無事"高見山登山"をすることが出来た。この日出会った登山者は6人。携帯電話があれば途中からでも電話が出来ることを確認した。 86歳まで"高見山登山"が出来ることを"天に祈る"。


2023.5.30

人間ドックの結果

私は5月18日に"人間ドック(基本ドック:胃内視鏡)"を受診した。今日病院へ行って「健康診断結果報告書」をいただいてきた。 それによると
身体測定、診察、眼科系、血圧、血液一般、痛風、炎症反応、感染症、腫瘍マーカー、便検査、心電図、胸部レントゲンはA(異常なし)
尿検査(比重1.030、PH5.0、尿糖-、尿蛋白+-、ウロビリノーゲン+-、ビリルビン-、ケトン体-、潜血ー)はB(わずかに異常)
視力、聴力、肝機能、脂質、糖代謝、膵機能、腎、腹部検査はC(異常を認めます。生活習慣の改善に努め経過を観察してください。)
胃部内視鏡検査はD2(異常を認めます)-> 胃組織を採取:ピロリ菌なし、平坦型びらん性胃炎。
医師は「健康ですね。定期的に検査を受けてください」とおっしゃった。でも、私は"後5年は生きたいと思ったので検査を受けた。これが最後の人間ドック" と思っている。


2023.5.22

伊吹山

スミレ(董)の先輩から「2022年6月9日に伊吹山でイブキスミレを見た。」と、イブキスミレの写真と撮影した場所を教えていただいた。今年は例年より早く 暖かくなったので"今が見頃だろう"と推定して出かけて行った。9:52に車で家を出て11:21に多賀SAに着いた。昼食用弁当を買った。11:34に多賀SAを出て、 12:26に伊吹山山上駐車場(標高1260m)に着いた。登山靴を履き、弁当・水筒をリュックサックに入れ、ステッキとカメラを手に、早速教えて頂いた場所へ行ってイブキスミレを 探す。董は直ぐ見つかった。喜んで写真を撮った。"これで目的は達成した"と西遊歩道を登って行った。さすが伊吹山! 沢山の高山植物 ニリンソウ, イブキハタザオ(右の写真), フデリンドウ, ヤマエンゴサク ,コキンバイ, ヤマガラシ, コバノミミナグサ 等が花を付けていた。董も沢山・至る所にある。どうもタチツボスミレである。イブキスミレと思ったのも自信が なくなってくる。15:00頃、山頂(標高1377m)で弁当を食べた。お腹が空いて美味しかった。中央遊歩道を下山した。

15:57に山上駐車場を出発17:21草津SA着、17:30草津SA発18:18奈良の我が家着。今の車は自動サポートで"前走車との最適距離を維持、車線中央をキープ、最高速度の設定、 一定速度での走行 等"が出来るので、高速道路での走行はらくである。

家で確かめたら"イブキスミレは無かった"、残念・残念。 他日、再挑戦するぞ!!


2023.5.18

人間ドック

私はほぼ80歳まで生きることが出来たのとコロナ禍で"人間ドック"の受診をやめていた。ところが、最近になって"あと五年は生きたい"と思うようになった。 そうなると「ここで一度"人間ドック"の受診をしておこう」という気になった。で、今日いつもの病院へいって"人間ドック"を受診した。病院も前回より組織 の改善をしたようで、手際よく検査をしてくれた。内視鏡による胃の検査で組織を採取された。「胃炎のようだからピロリ菌の検査をする」と。私は以前に 「ピロリ菌があると言われて薬を飲み撲滅した」と言ったのに組織を採取された。

「5月30日に来てください。結果をお知らせします。」と言われた。人間ドック費用39,600円、追加(検査+病理診断)料金3,900円であった。


2023.5.11

法隆寺とその近郊散策

昨年11月に京都、大阪、奈良に住む"化学反応研究会"の元メンバー4人で「明日香村の天香久山と談山神社」へ行った。これが好評で「次の計画を立てろ」となって、 私は「法隆寺とその近郊散策」を提案した。5月11日10:00JR奈良駅前に集合ということになった。ところで、メンバーから注文が入った。 「最近足の関節痛がひどくなったので、上り下りが苦痛、平地をゆっくり歩くこと」、「最近早歩きすると息が切れる、ゆっくり散策しましょう」と、全員80歳を超えているのだ。

5月11日快晴。10:00JR奈良駅前に全員集合。私の車・運転で10:01奈良駅前発、10:48法隆寺前の駐車場に着いた。南大門を入ると、正面に中門、その後ろに 五重塔と金堂が目に入る。 「噫! 法隆寺だ。 良いなあ!」と思う。 中門は四間二戸・入口が二つある。、左右に塑像の金剛力士が立つ。西院伽藍に入る前に その北西の小高い所に立つ八角円堂の西円堂に行き薬師如来を拝観した。西院伽藍に入って驚いたのは、大講堂前に大きな舞台が設置中であった。"5月18-21日夜、 野外オペラが開催される"とのことだった。西院伽藍の金堂・五重塔・中門・回廊は飛鳥様式の特徴:胴張りのある(エンタシス)の柱、雲斗・雲肘木・皿斗を用いた組み物、 卍崩しの高欄、人字形割束 が観れる。五重塔北面の釈迦涅槃・号泣する弟子塑像が人気のようで行列が出来ていた。大講堂で薬師三尊像を拝観した後、金堂に入 れていただき、薬師如来坐像、釈迦三尊像、阿弥陀三尊像、四天王像、天蓋、壁画 等を拝観した。

西院伽藍を出て、聖徳太子を祀っている聖霊院を拝した後、大宝蔵院へ行った。大宝蔵院には、観音菩薩像(夢違観音)、六観音「観音・勢至菩薩」「日光・月光菩薩」 「文殊・普賢菩薩」像、観音菩薩立像(九面観音)、梵天・帝釈天立像、四天王立像、玉虫厨子、観音菩薩立像(百済観音)、阿弥陀三尊像及び厨子(橘夫人厨子)、 金堂の火災の際取り外されていたため難を免れた小壁の天人の壁画、等が展示されていた。これらの拝観を終えた後、三棟造りの東大門をくぐり東院伽藍へと歩いて行った。 時刻は13時を過ぎていて、腹が減っていた。東院伽藍の四脚門の前の道を南に100mほど行ったらイタリアンの店があったので入店した。私はラザニア(1200円)を食べた。とても 美味しかった。他のメンバーも「美味しかった」と言った。此処"フェリーチェ ピッチョーネ"、お勧めします!。食後、東院伽藍に入った。廻廊は修復中であった。八角円堂の夢殿で 道詮律師坐像(塑造)、行信僧都坐像(乾漆)、折よく特別開廟されていた観音菩薩立像(救世観音、木造)を拝観した。

その後、四脚門の前の道を北に進み、法輪寺へ行った。法輪寺の三重塔は1944年に落雷で消失したが1975年に再建された。その直後に私は訪れたことを記憶している。 塔は新しいが、講堂(兼収蔵庫)には、木造・彩色の素晴らしい仏像:薬師如来坐像(飛鳥時代),虚空蔵菩薩立像(飛鳥時代),十一面観音菩薩立像(平安時代),弥勒菩薩立像(平安時代), 地蔵菩薩立像(平安時代)が祀られていた。

法輪寺を出て、法起寺へと進んだ。途中で、私一人は駐車場に戻った。車を運転して法起寺へ行き、法起寺の拝観を終えた3人を車に乗せ、17:30JR奈良駅前に着いた。 同じ年代、共通のバックグラウンドを持つ者同士で会うのも、なかなかいいものである。再会を約して別れた。


2023.5.6

長女とその長女と長男とのの日々(2)

5月4日 私と愚妻、長女、長女の長男の4人で、天川村の洞川龍泉寺とみたらい渓谷に行くことにした。車で10:00に家を出て12:00道の駅"吉野路黒滝"に着いた。 連休中で臨時駐車場が出来ていて賑わっていた。私は"ウド(500円)とタラの芽(300円)"を買った。12:30洞川に着いた。美味しそうな店には行列が出来ていた。 並んで時間を無駄にするのは嫌なので、並ばなくて良い店を探して"柿の葉寿司定食(1200円)"を食べた。龍泉寺に参拝した後、観音峯登山口へ行った。 車をとめて、山上川沿いの遊歩道(右の写真はそこで休憩する親子)を歩いた。新緑が美しく、さわやかな気候で、ヤマシャクヤクもきれいな花を咲かせていた。

5月5日 長女と長女の長男は昼食をとりに贔屓のお好み焼き屋へ行った。評判の店で長い行列ができる(「40分並んだ」と帰って言った)。私と愚妻は並ぶのは嫌いで家でとることにした。 17:30近鉄奈良駅ビルにある中華料理の店で"夕食をとる"ため出かけて行った。食後"腹減らしの運動"のため、興福寺へ散歩に行った。大きな丸いお月様が高円山の上に出てきたので、 飛火野へ行き、暫し"美しい満月"を観賞した。その後、東大寺南大門・勧学院・入江泰吉記念館を経て自宅に戻った。

5月6日 昼食後、 長女と長女の長男は東京へと帰っていった。


2023.5.2

長女とその長女と長男とのの日々(1)

5月1日 昼食は近くにある豆腐屋さんが経営する豆腐料理の店で田楽定食(1200円)を食べた。その帰りに豆腐屋で"おからの煮物、ひじき煮、揚げ出し豆腐、 汲み上げ豆腐、厚揚げ豆腐、木綿豆腐、等々"を買い「今日は豆腐尽くし」でいこうということになった。ところが店の前で"山城産の筍"を売っていた。2kg程の特大筍が 450円!・・・安い・・・ので買ってしまった。家に帰って、長女の長女とタケノコ調理。夕食は"豆腐尽くし"に"タケノコの地かつをと若竹煮"が加わった。

5月2日 11:00車で笠置へ行き、蕎麦屋で蕎麦定食を食べた。その後、笠置山(標高288m)にある笠置寺に行き、高さ16mの弥勒磨崖仏を中心とする行場巡りをした(写真左)。 帰り道で柳生へ行き、旧柳生藩家老屋敷を見物した。その田舎道で長女が蓬を摘んだ。家に帰って、そのヨモギを茹で蓬餅を作ってくれた(写真右)。中には小豆餡が入っている。 23:10に東京で仕事を終えた長女の長男が、奈良の我が家に来てくれた。5人でこの蓬餅を一個づつ食べた。

5月3日 昼食後、長女の長女が「韓国に旅行に行く」と奈良の我が家を出ていった。私と長女の長男は散歩で、大仏殿裏・二月堂・法華堂・正倉院・転害門・聖武天皇陵と歩いた。




2023.4.30

タケノコ御飯

私は9:00に散髪屋さんへ行った。その後、11:00-12:30のテニススクールへ行った。愚妻と長女とその長女は春日大社へと出かけて行った。 万葉植物園での写真を右に示す。

14:30頃、電話連絡があり、私は車で迎えに行った。合流した後、柳生へ行った。其処でタケノコを得た。 家に帰って、長女の長女と、タケノコを湯がき「タケノコ御飯」と「若竹煮」を作った。

長女の長女は、米国で生まれ、中学生の時帰国し日本の中学校で学んだが、高校・大学は米国に行って卒業した。それですっかり米国食に慣れて、 魚は嫌いである。ところが今回、「豆腐が好きだ」、「湯葉がおいしい」、「タケノコ御飯が食べたい」、「山蕗の佃煮が美味しい」と言うのには驚いた。 日本人化が進んでいると思った。ヒョツトシタラ、そのうち「刺身が美味しい」と言うかもしれない。


2023.4.29

びわ湖の春 音楽祭

滋賀県立芸術劇場びわ湖ホールは、4面舞台を備えた大ホールを持ち、オペラ、バレエ、ミュージカル、クラッシックなどが開催されている。 阪哲朗さんが、2023年4月より、びわ湖ホールの芸術監督に就任された。阪哲朗さんの父君は、京大理学部の教官をされていて、愚妻の指導者の1人で、 阪哲朗さんの幼少期から知っていた。父君は60歳くらいで早逝されたが、自慢の息子さんであった。

阪哲朗さんがびわ湖ホールの芸術監督に就任されて "びわ湖の春 音楽祭2023 ~ウィーンの風~" が開催され、そのオープニング・コンサートが4月29日11:00開演 と知って、そのチケットを手に入れた。4月28日夜遅く、東京から長女とその長女が奈良の我が家に来るとの連絡があった。で、急遽、二人のキップも手に入れた。

4月29日4人そろって奈良の我が家を9:00に出て9:25近鉄奈良発の列車に乗り、10:40にびわ湖ホールに着いた。11:00阪哲朗指揮 京都市交響楽団演奏  ソプラノ歌手 中嶋彰子による J.シュトラウス二世 ヴェネツィアの一夜序曲"ほろ酔いの歌"で開演。その後、"びわ湖の春 音楽祭2023 ~ウィーンの風~"の開催宣言、 阪哲朗さんの紹介があり、続いて「ウィーン、わが夢の街」、「シーヴェリングのリラの花」、「蝙蝠のチャールダッシュ」、「ハイヤー山こそ我が故郷」、「騎士バズマンのチャールダッシュ」 が演奏された。どれも素晴らしく、阪哲朗さんの指揮・構想で"びわ湖ホールの益々の発展"が期待出来ると思った。父君が生きておられたら"さぞかしお喜びだろうな" と感慨無量である。

終演後、琵琶湖の湖畔を散歩し、美しい景色を楽しみながら"わらび餅"を食べた。京都駅伊勢丹店で"ゆば料理"を食べ、16:00奈良の我が家に帰着した。


2023.4.24

救急搬送

私はテニスに行くべく用意していた。愚妻がゴミ収集に出すべくゴミ袋を持って出ていった。我が家から10mほどの所に収集籠がある。生ゴミ収集は月曜日と木曜日である。 我が家では、ゴミ袋を持っていくのは愚妻の仕事としている。愚妻は月曜日と木曜日を意識することによって、"今日は何曜日"が分かり"、ボケ防止"になるからである。 さて、家に帰って来て「転倒した。気分が悪い。」と言って、座り込んだ。しばらく様子をみていると、愚妻は「気持ちが悪い。吐き気がする。救急車を呼んでくれ」と言った。 愚妻は30年ほど前に自転車で転倒して頭を打ち、数時間後に"気持ちが悪い。吐き気がする。"と言って病院に行き「脳内出血があり、止まっていない」と診断され、 切開手術をうけたことがある。その再来かと驚嘆した。救急車で脳外科のある病院へ搬送していただいた。検査をしていただき、様子を診て頂いて「外傷だけです」との 診断をえて、自宅に帰ってきた。よかった・よかった。

翌日、愚妻は「ゴミ袋を出すのは危ないから止める」といった。私は「ゴミ袋を出すのは、唯一無二の大事な"ボケ防止の仕事"だからやめてはいかん。ついて行ってやるから 続けなさい!」と言った。


2023.4.20

スミレ観察旅行

Facebookの"すみれ想いから"のグループで知り合ったAさんがスミレ観察に私を連れて行ってくださった。行先はB(非公開とのこと)。 9:00に近鉄奈良駅前に行き、Aさんの車に乗せていただいた。12:00Bに着いた。少し歩くと、目的としていたヒナスミレがあった。 シハイスミレもあった。ベテランのAさんに説明・解説していただいて、納得・感服。車に戻ってさらに進み、蕎麦屋さんを見つけてランチセット( ザル蕎麦、柿の葉寿司、奴豆腐、蒟蒻と牛蒡の煮物、漬物:1450円)を食べた。美味しかった。
その後、狭い山道を進み、各所で、エイザンスミレ、マルバスミレ、タチツボスミレ、シコクスミレ、トウカイスミレを観察させていただいた。 私にとって、タチツボスミレ以外はすべて初見で、感動・感動であった。Aさんは、各種の植物を知っていらっしゃった。感服・感服であった。 奈良まで送っていただいて、18:00自宅に帰着した。楽しい一日であった。Aさんには感謝・感謝である。


2023.4.16

洞川自然研究路

奈良県天川村洞川(どろかわ)は修験道・大峯登山の基地である。戸開が5月3日であるというので、賑わい混雑する前にと、出かけて行った。

9:46に車で家を出て11:46に洞川温泉センター駐車場に着いた。食事処「うえき」で釜揚げうどん定食(950円)を食べた後、洞川八幡宮参道を 登って行った。両側には、各種スミレ・山草が生えており、写真を撮りながら登って行った。登り路の終点に"面不動鍾乳洞"があった。標高878mの 高地にあって延長280mというので料金450円を払って見物をした。その後、山腹沿いに進む"洞川自然研究路"を進み"大原山展望台(標高893m)" へ行った。そこから撮った山上ヶ岳(一番奥)方面の写真を右に示す。前日降った雪で白くなっている。 その後"龍泉寺(大峯山の第一の水行場があり、大峯山・山上ヶ岳に登る行者はここで水行をし、八代龍王尊に祈願してから登る)"へ 行き参拝した。15:50に洞川温泉センター駐車場を出発し 17:36に奈良の自宅に帰着した。

大原山付近で撮った董の写真を、ヒナスミレと同定してベテランに見せたら、シハイスミレと修正された。


2023.4.9

クレジットカード・・・その後

新しいクレジットカードが簡易書留で送られてきた。クレジットカードが停止になると、クレジットカードで支払う手続きをしていたところから 「・・・の請求は失敗しました。継続利用をご希望の場合は支払い情報の更新をしてください」といってきた。これは必要なので、早速 新しいクレジットカードで支払いが出来るようにした。さあ、この過程ではクレジットカード情報が盗まれていないことを祈る。

今回の失敗を考えると"極力、クレジットカード情報を入力するのは少なくする"必要がある。メールで"クレジットカード情報の入力"を誘う巧妙な手口が氾濫している。 心して対処しなければならない。


2023.3.27

クレジットカード

私は3月6日にクレジットカードの更新申請をした。3月10日に新しいクレジットカードが送られてきた。3月12日にYahoo!ウォレットにそのクレジットカードを登録し、 その直後、ヤフオク!で買物をし支払いをした。
3月24日クレジットカード会社からメッセージ「カードのご利用確認に関するメールをお送りいたしましたので、ご確認をお願い致します。」が届いた。クレジットカードの 支払い請求明細書を調べてみると、身に覚えのない 「東京ディズニーリゾート(チケット通販) 24,400円」 があった。で、直ぐに、「カード停止・再発行」の申請をした。
私が新しいクレジットカードを取得してから登録・使用したのは、上記"Yahoo!ウォレットへのクレジットカードを登録とヤフオク!での買物の支払"だけであるので、 その間に、クレジットカードの情報が盗まれたことになる。1) パソコンのセキュリティを改善することと 2) Yahoo!での登録セキュリティの改善をすること が必要があると思う。



2023.3.16

賀名生梅林

賀名生(あのう)は奈良県五條市西吉野町にある。梅林で有名で、今満開だという情報を得たので出かけて行った。11:09に家を出て12:32に"賀名生の里 歴史民俗資料館" に着いた。入館し西吉野の歴史とくらしについて学んだ。 すぐ近くに、1336年に後醍醐天皇、1348年に後村上天皇、1373年に長慶天皇、1392年に後亀山天皇の行宮と なった賀名生皇居跡があつた。そこにレストランがあったが、混雑していたので、近くの農家が経営している店で"きつねうどんと握り飯"を食べた。

登山靴に替えて、梅林散策コースを歩いた。ここの梅林(右の写真)は壮大で"月ヶ瀬梅林の数倍"という感じであった。田圃や畑がほとんどなく、私は"厳しい生活環境の中で、 よくぞ急な山地をここまで開拓された"と感銘を受けた。途中の農家売店で訊いたら「梅の実をとるための梅林で、さらに奥には柿を植えている」とのことであった。15:49賀名生の里を 出発、17:18奈良の自宅に帰着した。標高差250m,歩行距離5.2km,歩数10,857であった。土産物の干し柿を愚妻に渡した。


2023.3.14

抜歯・・・その後

抜歯1日後(3月8日)。 抜歯箇所が痛い。鏡を見ると腫れて、顔が歪んでいる。痛み止めの薬(ロキソニン錠)を服用。服用後30分程で痛みは和らぐ、しかし6時間余で痛みが増してくる。 抗生薬(メイアクトMS錠100mg)を毎食後に飲む。
抜歯2日後(3月9日)。 やはり抜歯箇所が痛い。顔が歪んでいる。1日に3回痛み止めの薬を服用。服用したら痛みは和らぐ、でも痛い。抗生薬を毎食後に飲む。昼食後、散歩に出て、 途中、東大寺ミュージアムに入って特別展示"二月堂修二会"を見た。次いで奈良国立博物館"仏像館"に入館した。 金峯山寺仁王門の金剛力士像が特別展示してあった。"東大寺南大門の仁王像に次ぐ大きさ"とのことだった。帰り道、またもや抜歯箇所が痛む。この日は"歯医者さんは休日"。我慢するしかない。
抜歯3日後(3月10日)。 9:00歯医者さんに電話したら「10:30に来て下さい」とのことであった。歯医者さんはレントゲン撮影もして「取り残しも無く、抜歯箇所も閉じ、化膿もなく順調です。時間薬です。 もう少し我慢して下さい」と、おっしゃった。そして、次回診療日(3月14日)までの薬を追加支給して下さった。私は安心した。もう少しの間、我慢すれば良いのだ。
抜歯4日後(3月11日)。 痛みは少し減少した。痛いが我慢できそうなので痛み止め薬は止める。朝食後、12回目の抗生薬を飲む。10:00-11:30テニススクールでテニス。午後は庭仕事。 メダカの水槽が水漏れしだしたので、継ぎ目のないガラス瓶の水槽を買ってきてメダカを移した。痛い歯の辺りの頬が腫れているが、その周りの顔の表面がひりひりする。神経過敏になっているのか?
抜歯5日後(3月12日)。 痛みはさらに少し減少した。でも口を大きく開くと痛い。薬は飲むのを止めた。11:00-12:30テニススクールでテニス。午後は庭仕事。歯の痛み、やっと山場を越えた? イヤー、まいりました。こんな痛みを経験したのは初めてです。
抜歯6日後(3月13日)。 痛みはさらに少し減少した。
抜歯7日後(3月14日)。 痛みは残っている。抜歯した日に予約していた時間9:00に歯医者さんへ行った。検診して「順調に回復しています。2週間後に来て下さい。今よりも痛くなったら何時でも来て下さい」と おっしゃった。

右の写真は、我が家の庭に自生するタチツボスミレの花です。ニオイスミレに次いで、花を咲かせてくれました。


2023.3.7

抜歯

昨日の夕方から、右下の奥から二番目の歯が痛み出した。床についても痛むので、以前にいただいていた鎮痛剤を服用した。今朝起きた時点では痛みは弱くなっていたが、 前日の様に痛くなると困るので、かかりつけの歯医者さんに電話した。「10:00に来てください」とのことで出かけて行った。歯医者さんは「出来るだけ抜かないできましたが、 もう抜いたほうが良いと思います。どうですか?」とおっしゃった。「私は素人ですから、良いと思う処置をして下さい」とお願いした。麻酔薬を注射して、30分ほどで抜歯は終了した。 「抗生薬をお渡ししますので毎食後、4日間飲み続けてください。一週間後に来院して下さい」と言われた。ナント簡単に出来るのだなと感心した。

12:00に車で家を出て、月ヶ瀬梅林へ観梅に行った。月ヶ瀬梅林の売店で草餅と梅うどんを食べた。歯が良くないので美味しくない。梅は七分咲きで見頃であった。 16:30帰宅した。

昨年菫(スミレ)に魅せられて、少し植木鉢に植えて、観察している。これが結構楽しい。右の写真の菫は我が家で最も早春に咲く菫で、ニオイスミレ V. Odorata。 外来種の董で 英名はSweet Violet。ヨーロッパでは香料をとるべく栽培されているようで、鼻を近づけるとよい香りがします。花の直径は5cmほどで大きなものです。我が家の庭に30年ほど前から 自生しています。


2023.3.1

今日から三月、暖かい日でした。春の到来と感じました。庭にリュウキンカ、ユキワリイチゲ、フクジュソウ等、早春の花が咲いています。朝、シーツを洗って干したら昼には完全に乾いていました。 11:00から12:30までテニススクールでテニスをしました。花粉症の人が嘆いていましたが、歳をとって鈍感になった私は感じなくなりました。

メダカの入った水槽を洗い、水を替えました。メダカも元気に泳いでいました。その後、フェンスドアの修理をしました。隣の人に「そんなことも出来るんですね」 と声をかけられた。


2023.2.9

インターホン(ドアホン)

我が家の門塀にインターホンの呼び出し機が取り付けてある。そのボタンを押すと台所にある室内機が"ピンポン"と鳴る。 最近、愚妻の聴力が衰えて、台所以外に居ると"ピンポン"が聴こえない。家の中に居ても、宅急便の不在票が常駐化する 様になった。愚妻は「もっと大きな音の出るのに換えてくれ」と言う。

私は家電量販店へ行った時に、インターホン(ドアホン)の販売コーナーへ行った。便利な機器があった。 「ワイヤレスモニター付きテレビドアホン」というそうで、カメラ玄関子機、モニター親機、ワイヤレスモニター子機から 成る。カメラ玄関子機は防犯カメラとしても使えし、録画も出来る。ワイヤレスモニター子機は愚妻の良く居る部屋に置い ておく。庭仕事をする時にはワイヤレスモニター子機を携帯すれば呼び出しに応じることが出来る。

で、早速、設置をした。費用5万2千円。

後日追加。 大成功でした。愚妻も"インターホンの呼び出し"に反応出来る様です。


2023.2.3

節分

寒い日が続いていますが、今日は節分。我が家では夜に家の中の各部屋で「福は内、福は内」と言って豆を撒きます。 そして最後に、玄関ドアを開けて「福は内、福は内、鬼は外」と言って屋外へ豆を撒きドアを閉めます。その後、自分 の歳の数だけ豆を食べます。私は81個も食べることになります。

庭のセツブンソウ(節分草)が咲いていました(右の写真、今朝撮りました)。時節を忘れず、毎年節分には咲きます。 そう言えば、隣家の白梅も沢山の花をつけていました。我が家の梅はまだまだ先です。明日は立春ですから、まもなく 暖かくなりますね。

私は昨年末に軽い捻挫を患いましたが、漸く完治しました。反省してみるに、寒くて筋肉に血液があまり流れていないのに 急激な運動をしたことがいけなかつたと思います。寒さに負けて"日々のウオーキングをサボっていたので筋肉が劣化していた"と 反省しました。それで、私は"1日に6000歩"を義務づけることにしました。以前は1日に8000歩を目標にしていましたが、 これは毎日には難しい・・・が私の経験。"1日に6000歩"だと、チョット散歩・・・で達成できます。さあ、どうなることか!


2023.1.25

奈良の雪

10年に一度の寒波ということだが、奈良でも久しぶりに雪が降った。我が家の庭の今朝の積雪状態の写真を右に示す。 大したことはない、ほんの少しだ。20年ほど前なら、こんな時は豪雪地帯へと出かけて行ったが、今はその気にならない。 元気がなくなったらしい。

今日はテニススクールの日なのであるが"テニスコートが雪で覆われている"とのことで、お休みになった。 "車の上の雪を解かそう"と水道の蛇口をひねったが、氷結していて水が出ない。気温が低いので雪はサラサラ、手で払った らサラサラと落ちた。メダカの入った水槽に厚い氷が張っている。水槽が割れていないか心配だが、解けないと分からない。

15:30にかかりつけの歯医者さんへ定期検診にいった。この定期検診は3ヶ月ごとにあるのだけど、とても良いシステムであると 思う。この歯医者さんの治療方針も良いが、この定期検診を受けるようになって10年以上になるが、歯の具合がとても良い。

歯医者さんの後、行きつけの魚屋さんへ行った。そしたらナント! "閉店しました" の張り紙があった。良い品物をそろえている店で 気に入っていたのに残念である。残念・残念。 


2023.1.21

二月堂

昨年末にテニススクールで左足の筋肉を少し痛めて階段を昇る時に痛みを感じていたが、それも無くなったので、昼食後の 散歩で二月堂へ行くことにした。我が家から歩いて、東大寺焼け門、大仏殿裏を通って二月堂へ行った。百段以上の石階段 を登るのであるが大丈夫であった。階段を降りた所に右の写真に示すような告示板が建っている。いつもこれを読むのを 楽しみにしているのですが、今回は「梅経寒苦発清香 梅は冬の寒さを乗り越え清らかな香を放つ」と書いてあった。

その後、久しぶりに10体の国宝像立像が祀られている法華堂に入り、不空羂索観音をはじめとする天平像を拝観させていた だいた。次いで、手向け山八幡宮に参拝、春日野園地を通り、奈良国立博物館へ行った。博物館では「式年造替記念特別展 春日大社 若宮国宝展―祈りの王朝文化―」を開催していたので入館した。流石、春日大社、見ごたえのある展示品であった。 社殿の様子も良くわかる展示で、堪能させていただいた。


2023.1.7

プロの写真

「お爺さん」の記念にしっかりした写真を残しておこうと思い立って、写真館へ行って写真を撮ってもらった(右の写真)。 プロのカメラマンは上手に誘導して、いい顔の写真を撮ってくれた。しかし、出来上がったものを見ると、何だか色白で 生気がない。わたしはもっと日焼けしている。加工しているんじゃないか思う。でも、自分で撮った写真よりはいい顔に 写っている・・・で、これを「お爺さん:加藤肇」の写真として使うことにした。

プロのカメラマンは60歳位と推定した。先ず「どんな写真が欲しいか?」、「何に使うのか?」を尋ねられた。 私が「デジタルデータで良い」というと、「それではCDで渡したらよいですか?」と。私が「ハイ」と言うと、 「料金は3000円」。

撮影室に連れていかれた。「背景は白でいいですか」、「座って撮りますか」、「背筋を伸ばして下さい」、 「口を横に広げてください」、「目を大きく開けてください」・・・と言いながら10枚程撮影。その後、 撮影された写真の画像を並べて「一番気に入ったのを選んで下さい」と言われた。

後日、追加
あんまりだ!・・・というので、写真館へ行って「修正していないオリジナルの写真を下さい」と言ったら、 「男前にし過ぎましたか」と言って、オリジナルの写真(無修正)を下さった。それが左の写真です。シミもあるし、シワもある。 これが本物の私である。歳を取らないと、こういう顔にはなれない。私は満足である。


2023.1.3

お爺さん

昨年12月27日に奈良の我が家にやってきた長女とその子供達(それに私を加えて、家の庭で撮った写真を右に示す)は 1月2日に東京へ帰って行った。そのあと、私は恒例の書き初めをして、昨年のものと取り替えた。行が乱れている。 書き直したいがやめた。昨年からの進歩はあまりないなあ。

昨年末に近鉄百貨店に寝具を買いに行った。そこの店員さんが「あら、お爺さん」と私を呼んだ。「えっ私を知ってるの?」 と尋ねると「9月末に羽毛布団を買って下さいました。Paul Smithの素敵なシャツを着ていらっしゃいました。」 と応えられた。私は"「お爺さん」でなくて「お客さん」と呼んでほしい"と思ったが、"実際、誰が見てもお爺さんなんだ" と納得した。




2023.1.1

2023年元旦

新年おめでとうございます。皆様のご多幸をお祈り申し上げます。今年もよろしくお願いします。

昨年2月にロシアはウクライナ侵攻という暴挙を開始しました。武力で他国の人を従わせようとすることは間違っている と思います。私はウクライナを支持・援助して、何としてもロシアの人々が考え方の誤りを悟るまで、頑張らねばと 思っています。早く悟って欲しい!

新型コロナ(Covid-19 infections)の新規感染者は、まだ増えていますね。もうそろそろ下火になって欲しいと願って いるのですが・・・。私は4回のワクチン接種を受けましたが、5回目のワクチン接種はまだ受けておりません。 感染による重症化リスクがあまり高くない様なので、少しづつ慣れてきたようです。

年末に、長女が二人の子供(二人とも社会人として働いている)と共に奈良に来たので、急に賑やかになりました。 元旦の今日は五人でお雑煮を頂いた後、皆で興福寺中金堂(最近は閉められていますが今日は公開されていました。 釈迦如来坐像と薬王・薬上菩薩、四天王立像等が祀られている)に参拝したのち、春日大社荷茶屋で昼食、その後、 東大寺大仏殿を参拝しました。歩数9685。昨年末に軽い捻挫をしたので、帰ったらぐったりでした。

右の写真は恒例の我が家の床の間。花器は唐招提寺でつかわれていた古銅仏器、花はHK流。掛け軸は中宮寺門跡: 日野西光尊の作品:唯佛是真(聖徳太子の言葉)

私は昨年9月に81才になりました。お陰様で、現在なんの薬を飲むことも無く、元気に過ごさせていただいております。 高校の同級生が今年の年賀状で"前向き思考"の大切さを書いていましたが、私も全く同感です。昨年、思うところがあって、 "これから五年は元気に人生を楽しむぞ"と、心を入れ替えました。すると、不思議に元気が出て来ました。 体力も頭も歳相応に老化していますが"前向き思考"で元気が出てきます。これは大事なことを学んだと思っています。




2022.12.26

我が家の太陽光発電

福島の原発事故を契機に我が家では太陽光発電装置を導入した。設置してから5年間のデータは 2016.5.19のブログに記載した。その性能に満足したので、我が家で使う電力の全てを太陽光発電で まかなおうと、2016年9月に太陽光発電装置を増設した。2017, 2018, 2019, 2020, 2021, 2022年の月別データを 記載する(注:12月は前年のもの)。

月別太陽光発電量を図1に、月別電力消費量を図2に示す。この1年間の
総太陽光発電量は6577kWh(2021年は6372kWh,2020年は6279kWh,2019年は6434kWh,2018年は6795kWh,2017年は6455kWh)であった。
総電力消費量は8467kWh(2021年は7499kWh,2020年は8151kWh,2019年は7620kWh,2018年は7900kWh,2017年は7133kWh)であった。
我が家はオール電化で、冷暖房・調理・風呂・家電・照明全て電気である。"全電力消費量を太陽光発電で まかなう"という目的は達せられていないが、まずまずである。



太陽光発電量の内、発電中に我が家で消費する電力は太陽光発電の電力を使用する。その量を図3に示す。 残りを関電に売る。月別の関電に売った電力の料金を図4に示す。発電中でも足りない部分と発電の無い時の 使用電力は関電から買う。月別の関電に支払った料金を図5に示す。
関電に売った電力の料金は: 2022年は39,432円( 2021年は112,712円,2020年は217,296円,2019年は226,272円,20018年は235,296円,2017年は235,728円)
関電から買った電力の料金: 2022年は174,774円(2021年は123,043円,2020年は137,840円,2019年は135,800円,20018年は134,368円,2017年は120,812円)であった。

固定価格買取制度の契約は10年間であるので、2021年5月で契約期間は終了した。売電価格は1kWhあたり2021年5月までは44円、その後は8円である。 この為に、2022年は関電に売った電力の料金は大幅に減少した。
関電から買っている電力の1kWh当たりの料金は デイタイム(10-17時)は26円、ナイトタイム(23-7時)は15円、リビングタイム(7-10,17-23時)は23円 である。
初期投資金の回収率は80%位だろう。でも

福島原発では、11年たっても「原子炉の外にある燃料プールからの使用済み核燃料さえ取り出し得てない。 原子炉内部の処置は見通しもたっていない」。危険な状態が今も続いています。
福島の原発事故の直後に、我が家の太陽光発電システムを設置した。設置から11年を過ぎても"発電性能の低下がほとんどない"ことは驚きである。 太陽光発電装置が優れものであることを実感することができた。
「危険な原子力発電をやめて、再生可能な自然エネルギーによる発電に切り替える」べきだと考えます。


2022.12.15

L´Etude(レチュード)

L´Etude(レチュード)は三重県伊賀市島ヶ原のフレンチレストランです。ミッシュランの一つ星に選ばれて有名になり予約がなかなか とれなくなってしまいましたが、料理が独創的で美味しく、私の一番のお気に入りである。12月15日12:30からなら予約ができるというので お願いした。コロナ禍対策でテーブル数を少なくしてあるので、余計に予約が難しくなっている。

12:20にお店に着いた。木津川沿いの田舎道の脇にお店はある。私の家から一時間弱で着ける。5000円余で本格的なコース料理が頂ける。 この日は「黒トリフが手に入ったので+1500円でお付けできます」とのことだつたので、お願いした。シェフの腕と工夫で、美しく美味しい 料理が供されて嬉しい。堪能させていただいた。

14:00に店を出て、そこから車で5分ほどで行ける天然温泉島ヶ原やぶっちゃの湯へ行った。この温泉の泉質はナトリウム炭酸水素塩温泉で、 これも私のお気に入りである。ゆっくり温まって15:10帰路に着いた。これで、今年中における私の予定行事は無くなった。 のんびりと年末を過ごすことにする。


2022.12.11

顔見世

京都南座で行われている「當る卯歳 吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎」の観劇に行った。今年も新型コロナウイルス感染防止対策 の一環として、三部制各2演目で行われていた。私は演目をみて、第二部を選んでインターネットで切符を買った。開演時刻14:10の 20分前に南座に入った。館内では「食事は禁止、マスク着用」とのことであった。観客席は満席、女性が9割、着物姿の人が2割弱で 華やかな雰囲気はあった。

第一演目(2:10-3:35は"恋飛脚大和往来 玩辞楼十二曲の内 封印切(ふういんきり)新町井筒屋の場"で 亀屋忠兵衛を鴈治郎、傾城梅川を扇雀が演じていた。
第二演目(4:00-5:15)は"秀山十種の内 松浦の太鼓(まつうらのたいこ)"で 松浦鎮信を仁左衛門、大高源吾を獅童、宝井其角を歌六が演じていた。
両演目とも楽しく観覧させていただいた・・・が、途中、愚妻が居眠りをして居るの気付き小突いてやった。 帰り道「耳が遠いので声が聞こえない・・・」と弁解していた。高い観劇料が勿体無い・勿体無い。

観劇後、折角だからと八坂神社境内にある"いもぼう"へ行った。予約なしであったがOKであった。20:00奈良の自宅に帰着した。


2022.11.28

大和散策

昨年12月に京都、大阪、奈良に住む"化学反応研究会中年の会"の元メンバー3人で京都で会食した。今年も会おうと呼びかけて 「明日香村の天香久山と談山神社」へ行くことを提案したら賛成をいただいた。南山城で農業をしているもう一人の元メンバーに 声をかけたら「参加したい」との返事をいただいた。11月28日10:00にJR奈良駅西口に集合し、私の車で出発した。

10:50藤原京跡に着いた。少し散策した後、500m程離れた場所にある天香久山の脇にある駐車場に行って車を降り、標高152mの山頂へ行った。 持統天皇の歌「春過ぎて 夏来たるらし 白たへの 衣干したり 天香具山」(巻1-28)は皆知っていたが、 舒明天皇の歌「大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙り立ち立つ 海原は  かまめ立ち立つ うまし国ぞ あきづ島 大和の国は」(巻1-2)については、私が解説してやった。皆、学業成績優秀者なのに・・・。

12:16に天香久山の脇にある駐車場を出発、12:24石舞台近くにある農村レストラン夢市茶屋で昼食。13:18夢市茶屋を出発、13:30談山神社駐車場 (標高500m)に着いた。談山神社は藤原鎌足公が祀られています。本殿に参拝したのち、本殿裏山にある「談山(かたらいやま)」:中大兄皇子と 藤原鎌足が国家改新の密談を交わした場所(標高566m)へ行った。さらに登って藤原鎌足公の墓がある御破裂山山頂(標高605m)まで行った。 15:30談山神社駐車場を出発、17:00JR奈良駅に帰着した。右の写真は談山神社にて。

久しぶりの同年代・研究仲間との語らいは楽しいものであった。そして、皆さん元気であったのは嬉しい!


2022.11.27

Special concert

11月27日10:30からカワイ音楽教室西大寺センターでSpecial concert(こじんまりとした少人数のピアノ発表会)があった。 私は練習のモチベーションになるので"赤とんぼ"を弾くことにして申し込んだ。出演者は10人(そのうちの一人は中止)であった。 私が最高齢者かと思っていったが、なんと90歳を超えていると思われる人がいらっしゃった。そのかたは"めだかの学校"を演奏 された。さて、私の出来ばえは「まあまあ」、上手とは言えない。ショパン作曲のマズルカを弾いた若い女性が一番上手であった。


2022.11.11

岩井温泉へのドライブ旅行

今年も松葉蟹のシーズンがやって来た。一ヶ月余前に岩井温泉岩井屋にインターネットで"特選松葉蟹尽くし"を予約した。 一ヶ月も前の予約だから天気は運任せであったが、幸運にも10,11日とも快晴であった。新車にもだいぶ慣れてきたので、 愚妻と2人でのドライブ旅行である。

11月10日9:15に家出て、阪奈道路、近畿自動車道を経て吹田まで行ったら、中国自動車道は吹田JCT-中国池田IC間は通行止めに なっていた。それで急遽、豊中、宝塚を経て中国自動車道に入り10:34西宮名塩SAに着いた。途中、少しモタモタしたが大きな ロスは無くて幸いであった。10:46西宮名塩SAを出発、佐用JCTを経て鳥取自動車道に入った。またもや、大原ICから通行止めに なっていた。国道373線を走り12:08西栗倉の道の駅に着いた。五目御飯を買って、渓流吉野川の川端で食べた。12:58道の駅 "あわくらんど"を出発、智頭南ICから鳥取自動車道に入り鳥取ICで出て鳥取市の中心街にある鳥取民芸美術館に13:42に着いた。 見物後、隣にある"たくみ工芸店"で、布志名焼湯町窯のマグカップを買った。14:25鳥取民芸美術館を出て15:08岩井温泉岩井屋 に着いた。チェックイン後、早速入浴。岩井屋の湯屋はとっても素敵。湯も源泉かけ流し温泉で、私のお気に入りで何度も お世話になっている。18:00から夕食、茹で蟹、蟹刺し、焼き蟹、蟹すき鍋・・・と"松葉蟹尽くし"を堪能させていただいた。 なんといっても"蟹"の質が良い。欲をいえば、茹で蟹が熱々の茹でたてであったらもっと良いと思う。21:30温泉につかった後 就床。

11月11日6:40起床。温泉入浴後、8:00朝食。9:00チェックアウト。車を旅館に置いて、近くの愛宕山(標高166m)に登ることにした。 麓にある東源寺からの登山道は登る人はほとんどないと思われるほど踏み跡はなかったが、道はしっかりしていた。頂上近くには センブリが沢山生えており花盛りであった。頂上の展望所からは岩井温泉が一望できた。岩井温泉を背景にして頂上で撮った写真を 右に示す。10:21岩井温泉を出発、11:03道の駅村岡ファームガーデンに着いた。11:19村岡ファームガーデンを出発、11:33但馬高原 植物園に着いた。植物園内を散策した後、13:04但馬高原植物園を出発、国道9号線を走って福知山ICで舞鶴若狭自動車道に入り、 14:48六人部PAで休憩し"きつねうどん"を食べた。15:21六人部PAを出発し、神戸JCTから新名神高速道路に入り京滋バイパス、 京奈和道を通って17:20奈良の我が家に帰着した。

今度の車には、自動車保険の会社が送ってきた車載器が付けてあり、運転記録が取られている。その為、正確な出発時間・到着時間が 分かるので、それを記した。さらに各運転の総合評価も送られてくる。今回のドライブでは、但馬高原植物園から六人部PAまでの運転が 総合評価B (急ブレーキ5回、急アクセル3回)、他の区間の総合評価は全てAであった。新車の運転もだいぶ慣れてきた様だ。

今回の宿泊金に対し(一人当たり)、ワクチン接種証明書と身分証明書の提示を条件にして、 全国旅行支援が5000円、岩美町冬の味覚キャンペーン支援が10,000円、買物クーポン券が4000円であった。


2022.11.6

長女とその長男の来訪

10月29日の22:30頃、東京に住む長女が奈良の我が家に来た。長女は奈良高校の卒業生で奈良高校の平城への移転に反対して "移転の反対運動"をしていたが、あえなく敗退して、奈良高校は今春平城へ移転した。10月30日に"旧校舎でお別れ会"と その後に同窓会があるというのでやって来た。10月30日9:30に家を出ていった。

11月3日長女の長男が東京から奈良の我が家に16:00頃来た。4日に有給休暇をとって4連休にして来てくれた。IT企業で働く彼は、 殆ど自宅で働いているようで、外出しての気分転換? 
11月4日12:00頃、私と彼は昼食をとるべく家を出た。自宅近くの奈良女子大学の前を通ると、学園祭であった。入構して合気道部が 開いている屋台で焼きそばを買って食べた。これは学生への貢献で、街に出て、私は鉄火巻、彼はカツ丼セットを食べた。 その後、彼は興福寺、春日大社、東大寺と散策したようだ。私は自宅に帰ってピアノの練習をした後ピアノ教室へ行った。
11月5日11:00、愚妻も加わって3人で飛鳥へ行った。私の運転で。先ず、香具山に行き、標高152mの頂上で国常立神社(くにのとこたちじんじゃ) を拝し、北端にある天香久山神社へ行った。その後、石舞台古墳近くにあるレストランで昼食をとった。次いで、多武峰の 談山神社へ行った。十三重の塔の前での写真を右に示す。談山神社は藤原鎌足を祀った神社である。本殿裏山に、中大兄皇子と 鎌足が極秘の談合をしたという談山があります。私達はその談山、さらにその奥にある御破裂山(標高607m)へと行った。山頂には 鎌足公墓所があった。その後、下山し奈良の我が家に17:30帰着した。
11月6日昼食後、長女の長男は東京へ帰って行った。連休最終日で列車は混むのではないかと心配したが「無事帰着した」と連絡してきた。


2022.10.31

十津川村上湯温泉神湯荘

新車の運転にもだいぶ慣れてきたので、一泊旅行で温泉にでも行こうかと"日本秘湯を守る会"の本を調べていて、 十津川村上湯温泉神湯荘が近くて良さそうだと思い電話したら「殆ど予約でいっぱいなのだけど、10月30日はキャンセルが 出て一部屋空いています」とのことだつたので予約した。前日のことである。

10月30日10:00に奈良の家を出て、11:30道の駅「吉野路大塔」で"しるそば"を食べた。14:00十津川村上湯温泉に着いた。 上湯温泉は温泉旅館が2,3軒あるだけで、他には建築会社が一軒あるだけ。山奥にある"秘湯"であった。神湯荘のチェックイン は15:00からであった。宿の駐車場に車を止めて、リュックサックにミカンと水筒を入れ、カメラを手に谷筋の林道を上流の 方へと歩いて行った。アケボノソウ、ヨシノアザミ、ノコンギクがある程度で、しばらく行くと林道も行き止まりとなり、 それ以上進むと熊でも出てきそうだったので引き返した。神湯荘に戻ったら15:30。チェックインして早速温泉に入った。 8つの温泉があるということでしたが、私は内湯の大浴場に入った。大きな窓があって、窓も開いてあったので、まるで露天風呂に 入っている様な感覚であり、果無集落のある山塊を正面に観ることが出来た。ナトリウム炭酸水素塩泉で無色透明、源泉かけ流し 温泉で、肌はつるつるになった。

17:45夕食。大広間で、宿泊客全員(16名)がいた。凄いご馳走ではないが、美味しく、量も適当で、対応も良く、私は満足であった。 20:00温泉に入り、就床。山奥なので、車の通る音も皆無。水の流れる音のみで心地よかった。

10月31日6:45起床。温泉に入った後、7:30朝食。山里らしい料理で美味しかった。神湯荘は良い。お気に入りの宿としてまた訪れたい。

9:00チェックアウト。熊野本宮大社の旧社地"大斎原(おおゆのはら)"のすぐ南にある橋を渡り、河原に車を止めた。そこは大峯奥駆道 で、玉置神社から七越峯を経て大斎原へ行く古道である。河岸で撮った写真を右に示す。熊野川の向こう左の森が大斎原です。 大峯奥駆道を少し登って引き返し、河原で石を拾って10:40帰路に就いた。11:30道の駅「十津川郷」で"炊き込みご飯"の弁当を買い、 帰路景色の良い所で食べた。15:00奈良の自宅に帰着した。


2022.10.28

先輩宅訪問

京大理学部量子化学研究室の先輩Yさん夫妻と同級生のT君とは、定年退職後、毎年京都北部・西部や滋賀・奈良の山へ、 主としてT君の車で出かけて行き、日帰り登山を楽しんできた。2019年12月5日に、私より三才年上のYさんが登山は無理と のことで、奈良公園を散策した。その後コロナ禍もあって、この集まりは無かった。最近、少しコロナ禍も下火になっ てきたので、私はYさんに電話した。 Yさんは「気力・体力も衰えて、週3回デイサービスに行っている。でも、家へ来 てくれれば嬉しい」とおっしゃった。細君も「是非来てください」とおっしゃった。

私はT君に電話した。T君は「階段を踏み外して膝を痛めた・・・で杖をついて歩いている。Yさんにも会いたいのでバイク で行く」と言った。

10月27日11:00にYさんの自宅へ愚妻と共に伺った。T君は先着であった。T君と愚妻は耳が遠い。大きな声で何度も言い直し、 物忘れも進んでいるので、コミュニケーションも大変である。でも、懐かしく親しい友情を感じる会話が出来た。12:40、 Yさんが「外を歩きたい」とおっしゃった。Yさんのお宅は下鴨神社の近くである。途中、高野川にかかる橋の上で記念写真 を撮った(右に示す)。鯖街道の京の入り口にある鯖寿司の名店"花折"で鯖寿司をいただいた。

15:30出町柳で別れた。みんな、私も含めて、年を取った。これが最後になるかもしれない。固い握手をして別れた。


2022.10.25

後期高齢者健康診査

奈良市役所福祉医療課から、私が7月14日に受診した後期高齢者健康診査の"受診結果通知表"が郵送されてきた。 受診してから3ヶ月後の通知で、チョット時間がたちすぎと思う。

医師の判断は「血圧、尿検査、血糖検査、肝機能検査は正常です。脂質検査に異常が認められます。」、医師の 総合判断は「要指導」であった。大腸がん検診も同時に受けたのだけど、何の記述も無かった。それで、病院へ 行って結果を訊いた。判定「異常なし」であった。私は「あと五年はテニスをし、自動車の運転をしたい。」と 思うようになったので、来年は"人間ドック"を受診したい。

病院でついでに「インフルエンザ予防接種を受けたい」と言ったら「予約して明日来てください」と言われた。 テニススクールで知り合ったお医者さんに電話したら「これから来てください」と言われた。で、私は出かけて 行ってインフルエンザ予防接種を受けた。


2022.10.14

高見山

天気予報で大台町も快晴だったので、久しぶりに高見山に登ることにし、9:00に車で家を出た。新車にもだいぶ慣れてきた。 途中、菟田野のアグリーマートで巻き寿司、草餅、トマト、ミカンを買った。11:00に高見峠の駐車場に着いた。先着者の車が 2台止まっていた。登山靴を履き、リュックサックに水筒、双眼鏡、巻き寿司、草餅、トマト、ミカンを入れ、首からカメラ を提げ、ステッキを手に登りだした。一人なので、ゆっくり・ゆっくりと歩いた。登りだして間もなくすると、昨年、ギョウ ジャアザミと同定したアザミに出会った。でも、鹿に食べられて、根元近くの葉っぱしか残っていなかった。今回の登山の 目的の一つは、アザミの写真を撮ることなので、アザミを探しながら、ゆっくり・ゆっくり登った。

昨年の今頃、"80歳の記念"と高見山に登ったが、今年は86歳まではテニスをし、車の運転をすることにしたから、"81歳の記念" などと言っておれない。12:30山頂(標高1248m)に着いた。山頂からみた富士山方向の写真を右に示す。この写真では見えないが、 双眼鏡で見ると"富士山"が見えた。頂上で野鳥観測していた人も「そう思ってみれば富士山だ」とおっしゃった。 頂上で、巻き寿司、草餅、トマト、ミカンを食べた後、ゆっくり・ゆっくり下山した。

15:00高見峠を出て、17:00奈良の自宅に帰着した。京都へ行った愚妻は帰宅しておらず、私は夕飯を炊いた。17:46「今、西大寺です」 とのメールが届いた。


2022.10.9

探鳥会

10月2日に奈良野鳥の会による"五條市5万人の森公園探鳥会"に参加した。7:30に家を出て8:30に五條市5万人の森公園に 着いた。会場には40名余の人が既に来て、ブロミナー・双眼鏡で観察しておられた。この日は快晴であった。サシバ達は 金剛山に風がぶつかってできる上昇気流を利用して和歌山方面へ飛び、さらに四国・九州を経て、遠く東南アジア諸国へ 渡って行くのである。担当リーダーの報告によると、8時半から13時に認めたタカ類の羽数は、ハチクマ7羽、ツミ3羽、 オオタカ1羽、サシバ643羽、ノスリ9羽、ハヤブサ1羽 合計664羽とのことである。公園内にレストランがあり、私は其処で 昼食をとった後、帰宅した。

10月8日は奈良野鳥の会による"奈良公園・定例探鳥会"があり、私は担当リーダー2名の1人に指名されていたので、集合場所の 近鉄奈良駅行基噴水前に8:50に行った。もう1人の担当リーダー(この人が主リーダーで私は付録)は既に来ておられた。 9:00が集合時間で、参加者は40名。興福寺境内を通って、荒池まで行ったら雨が降り出した。主リーダーが「中止にしましょうか」と 言われたが、私は「まあ、そこの浮御堂まで行って、雨宿りしましょう」と言った。浮御堂に着く頃には雨は止んだ。 飛火野で"鳥合わせ(探鳥会で観察した鳥の名前を読み上げ・確認する)"をして、11:00解散した。


2022.9.24

お彼岸

9月23日お彼岸の中日は天気予報で雨だったので、お墓参りに22日に愚妻と共に行った。お墓は愚妻の先祖のもので、 義母が生前に大切に育てていた庭の花を摘んでいった。お墓は大和郡山にあり、途中、唐招提寺や薬師寺を眺めなが ら行ける。

墓を管理している寺が、掃除をしていてくれるので(どうも、除草剤をまいているらしい)、墓掃除をする必要はない。 花筒に花を挿し、お線香をあげて読経をし、頭を垂れる。お墓詣りをすると、お世話になった義父・義母を思い出す。 感謝して、冥福をお祈りする。お墓は亡くなった人の為にあるのでなく、生きている者の為にあると思う。 感謝し祈ると、心が浄められる。

9月24日運転練習を兼ねて、明日香のキトラ古墳へ行った。連休であるからか、結構賑わっていた。彼岸花が畦道に 沢山咲いていた。それを目当てのカメラマン?やハイカーも大勢であった。さて、奈良の家に帰宅して"自動・車庫入れ" の練習をしてモタモタしていたら、隣の人が出てきて「なにしてはりますの? 私、車を出したいのですが・・・」 と言われてしまった。


2022.9.12

伊吹山

新しい車は、以前の車と比べて、随分運転の仕方が変化している。私はそれに慣れるべく、毎日運転練習をしてきた。 少し慣れてきたので、伊吹山へ行くことにした。

奈良の自宅を9:10に出発。京奈和道、京滋バイパス、名神高速道路(途中、多賀PAで休憩、昼食用に巻き寿司を買った)、 伊吹山ドライブウェイを経て、山頂直下の駐車場に12:00に着いた。今度の車は、自分が望む速度の車を見つけて、追走 指令をすると、一定距離(これも指定)を保って自動運転で走ってくれる。高速道路ではとても有用だと知った。自動駐 車もしてくれるので、山頂直下の駐車場で試みたら、車が少なく空きスペースが多かったので、駐車場所を見つけられ なかった。まだまだ、私が使いこなせていない!

登山靴を履き、リュックサックをかつぎ、カメラ・ステッキを手にして、山頂への遊歩道を歩いた。イブキトリカブト、 オトギリソウ、イブキトラノオ、ハクサンフウロ、シモツケソウ、ヒメフウロ、クサボタン、ミツバベンケイソウ、 イワアカバナ、ルリトラノオ、ツリガネニンジン、リュウノウギク、サラシナショウマ、コイブキアザミ(右の写真)、フジテンニンソウ、 アキノキリンソウ、ゴマナ等の花を拝見することが出来た。流石、伊吹山だ! でも、鹿・イノシシによって荒らされていた。 "このままではいけない"と思った。そう、途中でイブキスミレ(伊吹菫)を見つけた! 夢中で写真を撮った。その後100m程 進んだ所で気が付いた「シマッタ! ステッキを忘れた! 」。急いで、戻ると「あった!」。山頂で昼食。山頂は寒いか?と 予想して出かけて行ったのだけど、この日は快晴で暑く、琵琶湖から吹き上げてくる風が心地良かった。

15:00山頂直下の駐車場を出発、途中、草津SAで休憩し、17:30奈良の自宅に帰着した。"下山するときギアチェンジして、 エンジンブレーキを効かせなくて良いのか?"と心配したが、"自動的にギアチェンジ"しているようだ。運転もだいぶ慣れた。 "いい時に車を替えて良かった!" 訂正:イブキスミレの写真をベテランの人に見せたら「タチツボスミレの返り咲きだ」と指摘されました。


2022.9.4

81歳の誕生日

私は9月4日に満81歳になりました。今はなんか新鮮な気分になっています。 きっかけは新車の購入です。私は余命は長くないので、これ迄20年間愛用してきた車の悪い部分は新調して終わるつもりでいました。 カーナビゲーションシステムも新調して・・・満足していた。ところが、次女が「東京で老人がブレーキとアクセルを踏み間違えて暴走した ニュースを知ってる? 人に害を及ぼすのはやめてほしい。今後も運転するなら、先進の安全装置の付いた車を買いなさい! ・・・」と 言われて、私は"それはそうだ"と納得した。少しでも事故の確率を減らすことが出来る。購入しょうとしたら、業者は「半導体不足の 影響で・・・直ぐには納車出来ない」と言う。私は余命少ないのだから、早く手に入れないと意味が無い。一番早く手に入れることの 出来る車を注文した。その車が9月1日に届いた。右の写真

その車に乗ってみて驚いた。20年前に購入した車と比べて随分変化している。エンジンブレーキ、ハンドブレーキが無い。前進D、後進R、 駐車Pのスイッチがあるだけ。キーもポケットに入れているだけ。"スマートフォン、パソコンの手法を駆使しての運転?"になっている。 新車への切り替えは、今が私が出来る"最後の機会"であった様だ。・・・で、私はこの車に慣れようと、あっちこっちに出かけて、 身体が覚え・慣れるべく務めている。

この車の"メンテナンス&保証"期間は5年である。私の今の運転免許証は3年間有効。5年間運転しようとすると、3年後に更新して87歳の誕生日 まで有効になる・・・生きておればだが・・・。さて、この際、私は"あと5年は運転したい"と思うようになった。すると、私は"あと5年は テニスをしたい"と思うようになった。・・・ウム "5年は長い。なんか新しいことを始めよう。そうだ、フランス語を学ぼう!  85歳になったらパリへ行って「ボンジュール」と言おう"と決めた。"噫! これはグッドアイデアだ"と思う。

私は予期しなかったのだが、こう決心すると、背筋がピンとして元気になった。新鮮な気分になった。
"願わくば、この健康が続きます様に!"


2022.8.29

イワタバコ

私は高見山山系の水気の多い岸壁にイワタバコの大群落があるのを、その葉っぱ(牧野富太郎植物記によると「イワタバコ という名は、岩に生えるタバコという意味で、葉の姿が煙草の葉に似ているからの命名」)を見つけて知っていた。その花を 見たいと何度も行ってみたのだけど、見ることが出来ないでいた。私は"イワタバコの花は初夏に咲く"と思い込んでいた。 最近"今頃に咲く"と知って、出かけて行った。そしたらナント"花盛り"。右の写真。すこぶる美しい花であった。

奈良では、昨日から涼しくなってきました。昨日は11:00-12:30にテニススクールでテニスをしたのですが快適でした。私は、 すっかり日焼けしていて、テニスコーチにさえ「ガンジス河で沐浴している人の様に黒い」と言われてしまいました。 「盛夏にも炎天下で週3回テニスをしたのですから・・・。テニスのお陰で元気でおれます。感謝・感謝です。」と言った。


2022.8.16

フランス語入門

私は最近、2027年9月まで生きたいと思うようになった。これから5年である。5年も生きるなら、何か新しいことを始めようと考えた。 それで、思いついたのが"フランス語の学習"である。私は大学一年生のときフランス語の授業に1,2度出て、発音が難しいとのことで 断念した。最近、ピアノでシャンソンの曲"雪が降る、愛の讃歌、枯葉"を練習してきた。「そうだ、この際、フランス語を学ぼう」 と思い立った。

さあ「どうやって学ぼうか」と考えた。まず「はじめてのフランス語、CD付」を買った。CD付なので発音練習ができる。CDをパソコンで 読み込んで、ipadに取り込んだ。これはもう、便利だ。手軽に発音を学ぶことができる。
私がフランス語を学び始めたことに気が付いた愚妻が「なんでフランス語を学ぶの?」と訊いた。私は「85歳になったらパリへ行って "ボンジュール"と言うんだ」と言った。愚妻は「ホホ、良いアイデア! ハッハッハ」と言った。
一年間自習して、少し進歩したと思ったら、次は「フランス語の会話教室に行くんだ!」。


2022.8.11

COVID-19の新規感染者数

COVID-19の新規感染者数は7月になってから急増し、まだ減少傾向にあるとはいえない。これからお盆になって多くの人が帰省すると 更に拡がらないかと心配である。私は今日、故郷、岐阜県に住む、弟、妹、従兄弟に電話して話し合った。そして、今年の夏も、 お盆の帰省・墓参りは控えることにした。

奈良の市街地に出ると、観光客が多いのにはビックリする。もう皆、慣れてしまい"罹っても大したことない"と思いだしたのか、 グループ、家族で出かけてきている人が多い。行政も「外出を控えるように!」とは言わなくなった。

私と愚妻は8日に大和郡山にある愚妻の先祖の墓に、盆前の墓掃除・お参りに行った。暑い日で、墓地は閑散としていた。帰りに、 墓地を管理している寺に管理料(年5千円)を納めた。

9日には13:30-15:00、10日には11:00-12:30にテニススクールに行き、炎天下でテニスをした。終えた時 「噫! 無事終了!」 と 安堵の声が出た。8月11-20日はテニススクールも盆休み。それが終われば、厚さのピークは過ぎているだろう。どうやら、今年の夏 は無事乗り越えられそうだ!


2022.8.4

運転免許証更新

奈良県橿原市にある運転免許センターへ運転免許証の更新に行った。9:00に行って9:40に更新された免許証をいただいた。 多くの人が行っているのだけど、流れ作業で効率よく行われていた。私は前もって高齢者講習を済ませているので、この 日は講習を受ける必要がなく短時間で終わった。

新しい免許証の有効期限は2025年10月4日。私は今月末に新車を買うことになっている。新車を買うことにしたのは"最新の安全装置の 付いた車"にする為である。この新車の"メンテナンス保証期間"は5年である。ということは、私は"もう一度運転免許証の 更新をしなければならない"。この9月4日で私は81歳になる。次の更新期には84歳。86歳までは運転。うまくいけば87歳まで 運転することになるらしい。これはもう"シャンとしなけはならない"。そう思うと、何だか元気が出てきた。これはもう、 予想外の出来事で自分でも驚いている。私は"いつ死んでも良い"と思っていたのに・・・。こりゃあ90歳まで生きるかも・・・。


2022.7.30

ピアノの発表会

私の習っているピアノ教室の「2022カワイ音楽教室発表会」がやまと郡山城ホールで行われた。私は7月30日14:45開演の 第Ⅲ部ピアノ独奏の三番目の出演で Joseph Kosma作曲"枯葉"を弾いた。人様に聴いて頂く様な腕前の演奏ではないが、 私自身の練習の励みになるので、毎年出演させて頂いている。愚妻に「聴きに来るか」と尋ねたら「いや結構です」と 言った。

14:00に車で家を出て、14:30に会場に着いた。COVID-19の新規感染者数が急増しているので、検温をし、手の消毒、 マスク着用での入場であった。演奏時だけマスク脱着であった。今年は来場者の中で知り合いは先生だけであった。 で・・・、あまり緊張することもなく、まあまあの演奏ができた。決して上手ではない・・・念の為。 ショパン作曲"バラード 第三番"を見事に演奏した人がいた。私は精一杯の拍手をした。


2022.7.21

車の買換え

次女が「乗用車を買換えろ!」と言う。私は「もう長いこと生きるわけでもなく。運転をすること出来る期間が長いわけでもないから 今の車で良い」と言った。次女は「でも、暫くは運転するのやろ? そやったら、最新の安全装置の付いた車を買いなさい!」と言う。 私は聞き流して無視した。でも「買うなら電気自動車だね」と言った。
次女は愚妻を連れて車のディラーに行った。帰ってきて「半導体不足で直ぐ買える車はほとんど無い。最新の安全装置は良い! すぐ車が買える訳でも無いから、試乗に行ってきなさい!」と言って、私の同意も得ず、試乗の申し込みを勝手にした。そして、 米国に帰る前に少し滞在する東京へ行った。
私はそれも無視するつもりでいた。でも、考えてみると"次女の言う事にも一理ある"。それで、試乗に行った。ディラーは「電気自動車 は販売できるとしても来年。来月末にガソリン車のクーペが一台入る。同じ型の試乗車があるので乗ってみますか?」と言った。 私は"歩行者との衝突防止、危険回避、体調不良で運転出来なくなった時の自動安全停止、等々"を体験し、買う気になった。
8月末に新しい車を買うことになった。次女に報告すると「アハハ、良かったやん! あたしの念が通じたんやわ。」と言った。


2022.7.14

健康診査

後期高齢者を対象として市町村が実施する検診を"健康診査"と呼んでいる様で、このたび奈良市から案内が来た。 私はその基本項目(500円)と大腸がん検診(1000円)を受けることにし、近くの病院へ行った。
10:00頃に病院に行ったら、待合室には20-30人程の人がいらっしゃった。あまり効率良くテキパキとすすむ病院ではないので、 私は周りの人たちを観察して無聊を慰めた。内科と整形外科が主体で5人の医師が外来患者を診察しておられた。90%位が70才 以上の高齢者と拝察した。三分の一程度の人が、伴侶か子供(と言っても60才以上?)に付き添われての来院であった。 診察を受けに来ている人の多くは何らかの障害を持っているから、その姿勢、歩き方、会話を観察すると"噫! ああなりたいな" と思う人は少ない。
ところが、この日は素敵な人を見た。一人は90才以上と思われるご婦人が、娘さんと思われる人(60才以上?)に腕を掴んでもらって、 歩いていらっしゃった。とっても素敵なブラウスとスカートを着ていらっしゃって"病院へ行くからドレスアップして・・・"との 雰囲気があった。もう一人、これも90才以上と思われる男性。この方も息子と思われる人(60才以上?、親子に間違いなし・・・ とても良く似ていらした)に腕を掴んでもらって、そろそろとあるいていらっしゃった。その姿が親子共、凛として品格があった。

検尿検査、採血、心電図検査、内科医の検診、15分で済むことに2時間かかった。もう少し効率よく運営したら・・・と思いながら、 帰宅した。


2022.7.8

4回目のワクチン for COVID-19 の接種

COVID-19も漸く収まるかと思っていたが、また新規感染者数が増加傾向になった。4回目のワクチン for COVID-19 の接種券が 送られてきた。私は1-3回目のワクチン for COVID-19 の接種はファイザー社製のもので行い、副作用もほとんどなかった。 それで、4回目のワクチン for COVID-19 もファイザー社製のものを接種していたたくことにした。
7月8日14:15に接種の予約がとれた。会場は我が家からくるまで20分程で行ける奈良医療センターであった。会場に14:00頃着いた。 10人程の人が受付に並んでおられた。14:10に接種は終わった。「接種後15分会場に居て、何にもなければ帰って下さい」とのこと であった。14:50我が家に帰着した。
今は7月9日20:30である。今朝起きた時、注射した腕を上げると注射した場所が少し痛いと感じたが、ワクチン接種による副作用は なかった。副作用がないから効果が無いのか? まあ良い、少し安心! 5回目のワクチン接種はあるのだろうか?


2022.7.7

次女の来訪(2)

次女の15才の娘が6月30日にアメリカから一人でやって来た。愚妻は京都駅まで迎えに行った。次女の17才の娘はこの日 東京からオーストラリアへ行った。

次女の10才の息子は小学校に通っている。ランドセルは重い。パソコンと水筒が入っているかららしい。 今日は小学校が13:00に終わったので、次女と2人の子供,愚妻と私の五人で浄瑠璃寺へ行き、門前の茶屋で昼食をとり、 浄瑠璃寺拝観をした(右の写真は本堂前で)。本堂には九体阿弥陀如来坐像が祀られている。堂・像共に平安時代のものである。
その後、岩船寺拝観に行った。本堂には丈六の阿弥陀如来坐像が祀られており、住職が「宇治の平等院のものより百年ほど古い」 と説明しておられた。
その後、次女が「可愛がって育ててくれたおばあちゃんの墓に参りたい」と言ったので、奈良の家に帰って、供花として庭の花 を切り、大和郡山にある光傳寺へ行って墓参りをした。
その後、大和郡山の旧市街地にあるイタリアンレストランへ行き、夕食を摂った。其処で乗馬クラブで知り合った友人に偶然会った。 その友人は「まだ乗馬を続けている」と言っていた。乗馬は楽しかった。また乗馬をしたいが、もう私には無理だ???


2022.6.26

次女の来訪(1)

米国に住む次女が、17才の娘と10才の息子を連れて、6月16日に奈良の我が家に来た。コロナ禍で昨年も一昨年も来ることが出来ず、 三年ぶりの帰国である。久しぶりに会うと、孫達は随分成長していて、もうすぐ大人だなと実感する。

次女の10才の息子は6月21日から、次女も通った小学校へ行くようになった。五年生のクラスに入れていただいた様だ。帰国の第一 目的は"日本の学校に通わせて、日本語に慣れさせる"ことではないかと、私は秘かに推察している。小学校は迷惑だろうが、 快く受け入れて下さった。次女が送り迎えしょうとすると「一人で大丈夫」と、次女の10才の息子は拒否した。小学校の給食も 「美味しい」と言った。

次女の17才の娘(高2)は、日本の学校に行くことは拒否。もう殆ど大人で爪にマニキュアをして、携帯電話で音楽を聴き、アメリカ にいる友人と頻繁に話している。「FaceTimeを利用している」そうで"これはもう異文化だな"と感じる。7月にオーストラリアの 建築会社で二週間インターンとして働くそうである。「大学で何を専攻するかの参考にする」と言っていた。その前に「東京に住む 長女の家に泊まっていく」と言って、6月25日に大きなリュックサックを担ぎ、でっかいスーツケースを引っ張って、奈良の家を一人 で出て行った。右の写真は出発前に撮った次女の17才の娘と10才の息子。

次女にはもう一人、15才の娘(中3)がいるが、サッカーのクラブに入っていて合宿中とのことである。6月30日に一人で奈良に来る予定 である。


2022.6.11

庭木の剪定(2)

私の行っているテニススクールのオーナーが以前に造園業者であった(今は廃業)ときいていたので、その子である 現在のオーナーに造園業者を紹介してくださいと頼んだら、直ぐ紹介して下さった。その造園業者に電話したら 「予定が詰まっているので直ぐにはいけないけど、都合をつけて行かしていただきます」とのことだった。 一週間前に「6月11日は如何?」と連絡があったので「お願いします」と言った。

6月11日8:00に二人の植木剪定職人が来られた。私は「今迄、自分で剪定していましたが御覧の様にしげっています。 専門家の目で見て、良いように剪定してください。特に梅とサンシュウは大きくなっているので背を低く剪定して下さい」 とお願いした。梅、金木犀、椿、ヒバ、木蓮、柊、蠟梅、オオデマリ、サンシュウ、藪ツバキ、クロガネモチ、 百日紅、石楠花、ヒサカキ、大山蓮華、芙蓉、馬酔木、トサミズキ、槙、蘇芳、テイカカズラ、山椒、南天、サネカズラ 等々、狭い庭に一杯植えてある。これを二人の職人さんが手際よく剪定していかれた。15:00頃「剪定はほぼ終わりました。 何処か切ってほしい所ありますか?」と訊ねられた。愚妻が少し要望を述べた。その後、切断した植木をトラックに積み込み、 庭の掃除をして16:00過ぎに「全て終了しました。料金は57200円です」とおっしゃった。

鬱蒼と繁っていた我が家の庭が、サッパリとして明るくなった。"流石プロ! 素人の私にはとてもできない!"と思った。 とてもセンスの良い、確かな腕の職人さん達であった。それに、丁寧で、後の掃除も見事であった。樹下にある沢山の山野草にも 配慮して仕事をして下さった。感謝・感謝である。


2022.5.28

高見山

新緑の美しい季節になった。体調も良いので高見山(標高1248m)に登ることにした。9:45に車で家を出て、 途中、菟田野のアグリーマートで柿の葉寿司・草餅・ミカンを買った。11:20に高見峠(標高899m)に着いた。
登山靴を履き、昼食・水筒・雨具の入ったリュックサックを担ぎ、一眼レフカメラを首にかけ、ステッキを 持っての単独登山である。年齢を考えてのゆっくり登山である。"YAMAP"という山と渓谷社のソフトウェアは とても良い。行程の記録が出来、地図上に現在地も知らせてくれる。私は高見山には百回以上登っているので 地図は必要ないが・・・。11:30に高見峠を出発して12:30に高見山山頂に着いた。山頂には小さな社があり、 ゛吾妹子をいざ見の山を高みかも大和の見えぬ国遠みかも"(万葉集 巻1-44 石上大臣)の碑が建っている (右の写真)。13:40に頂上を出発、14:40高見峠に帰着した。驚いたことに、登りも、下りも丁度一時間であった。

途中で、フタリシズカ、カマツカ、フモトスミレ、レンゲツツジ等の写真を撮り、オオルリ、ヒガラ、ヤマガラ、 ツツドリ等の声を聴き・姿を拝見してのゆっくり登山である。ゆっくりであれば、まだまだこの程度の登山なら 出来る体力はあるようだ。ありがたいことだ。感謝・感謝である。



2022.5.28

庭木の剪定(1)

我が家には梅の大木がある。立派な梅の実がなって、毎年6月初旬に収穫している。ところが、今年は梅の実が 殆どなっていない。これを機会に、梅ノ木を強く剪定することにした。私も80歳になったので、高い木に登って 剪定するのは危険である。それで、専門家(造園業者)にお願いして、わが家の庭木を剪定していただくことにした。


2022.5.22

高齢者講習

運転免許証更新に必要な"認知機能検査"を4月21日に受けて「記憶力・判断力に心配ありません」との判定をうけたので、 今度は高齢者講習を受けに運転免許センターへ行った。講習内容は講義(30分)、運転適性診断(30分)、実車指導(60分)。 実車指導は今年5月13日以降に適用される様になった「違反暦がある高齢ドライバーが免許を更新する際に義務付けられ る"運転技能検査"」と同じで、「指定された速度での走行」、「一時停止」、「右折と左折」、「信号機の通過」、 「段差乗り上げ」をおこなった。指導員は「これは講習で検査ではありませんから採点はしないのですが、採点すれば 100点満点です」とおっしゃった。さあ、こんな簡単な検査で効果があるのだろうか?


2022.5.7

長女の来訪(2)

5月1日 雨 長女達は"金柑の甘露煮"を作った。
5月2日 長女の長女はテレワークで仕事。 23:00頃、仕事を終えて長女の長男が、東京から奈良の我が家に来てくれた。
5月3日昼食時に車で浄瑠璃寺へ行き、門前の茶店で昼食を摂った後、浄瑠璃寺へ参拝に行った。折よく、秘仏・ 吉祥天女像が特別開廟してあった。参拝・散策した後、岩船寺へ行った。岩船寺本堂の阿弥陀如来坐像(平安時代 重文) は丈六の木造佛で見応えがある。いつも、ご住職が説明をしてくださる。三重塔(室町時代 重文)が特別開扉されていて、 来迎壁正面の十六羅漢図、背面の五代明王図を拝観することが出来た。度々行っている私でも、拝観したのは初めてである。
5月4日 11:00車で家を出た。奈良市内は観光客で混雑しているので、遠回りをして神野山へ行った。レストランは、 持ち帰り弁当だけの販売であった。その弁当を買って、見晴らしの良い所で食べた。神野寺はクリンソウの最盛期であった。 愚妻は「足の調子が悪い」と言うので、一人残って「神野寺から車のところまで帰る」ことにして、他の4人は神野山山頂まで 行った(右の写真)。
5月5日 昼食はお好み焼き屋へ行った。その後(午後三時頃)、長女と長女の長男は東京へ帰って行った。 5月6日 長女の長女はテレワークで仕事。 5月7日 11:15徒歩で家を出て、東大寺大仏殿前を通り、春日大社参道脇にある春日荷茶屋へ行った。万葉粥(タケノコ・ヨモギ入り) とわらび餅をいただいた。その後、万葉植物園を散策した。午後三時頃、長女の長女は東京へ帰って行った。愚妻は 「疲れたけど、今日は一万歩歩いた。大丈夫、寝たきりにはならない」と言った。



2022.4.30
 

長女の来訪(1)

4月29日(昭和の日)に東京に住む長女とその長女が奈良の我が家にやって来た。長女の長男は仕事の都合で 5月2日か3日にやって来るようだ。・・・で、愚妻は「足が痛い。腰が痛い。」と言っていたが、突然元気に なった。でも"耳が遠い"のは治らない。

4月30日 二人に手伝ってもらって、庭の金柑の実を収穫した。私は剪定作業もした。棘があるので大変であった。 愚妻と長女の長女は、2kgの金柑の実の種を取り出し"金柑の甘煮"を作った。まだまだ沢山の金柑の実がザルに 残っている。どうするのだろう?

午後一時半頃、昼食を摂ろうと車で忍辱山町の円成寺へ行った。寺に隣接する茶店は「午後二時閉店です」と 言われた。仕方がないので、もう少し行って"きつねうどん二つ、玉子丼二つ"を注文した。食後、円成寺へ 参拝に行った。本堂は春日造社殿両庇付寝殿造阿弥陀堂です。堂内には本尊阿弥陀如来坐像(重文・平安後期)、 その四方に四天王立像(重文・鎌倉)が祀られている(本堂前での写真を右に示す)。大日如来坐像(国宝)は 運慶の初期作で多宝塔の本尊であるが、現在は防火設備のある収蔵庫に祀られていた。

円成寺参拝の後、近くの湿地帯を散策し、次いで柳生山口神社へ行き参拝・散策した。


2022.4.22

認知機能検査

奈良県公安委員会から「運転免許証の有効期限満了日の年齢が75歳以上の方は、認知機能検査を受検した後、 高齢者講習を受講しなければ運転免許証の更新ができません。」という通知がきた。私は"認知機能検査"を うけるべく"運転免許センター"へ行った。予約時間の10:30より30分以上前に会場についたが、既に10名 以上の方がおられた。定刻より①検査時の年、月、日、時刻を答える。②16枚の絵を記憶し答える。③時計を描く。 というもので、私は「記憶力・判断力に心配ありません。」という認知機能検査結果通知書を頂いて帰って来た。 ・・・当たり前だ。簡単な検査で、こんなのを自慢したら、認知機能が低下している証拠だ。
"運転免許センター"は橿原市にあって、飛鳥に近い。私は"運転免許センター"近くで昼食を摂った後、"折角だから 天香久山にでも登ろう"と出かけて行った。新緑が美しく、レンゲも満開であった。右の写真は天香久山の頂上に 祀られている国常立神社(祭神は天地開闢とともに現れた国土形成の神)。

さて、次は"高齢者講習"を受講しなければならない。我家の近くの自動車学校に電話したら「満杯で現在予約 を受け付けることは出来ません」とのことだった。それで"運転免許センター"へ電話したら「5月17,18,19・・・日 で如何ですか?」と言われた。で、私は5月19日を予約した。


2022.4.12

長倉三郎先生を偲ぶ会

尊敬・敬愛する長倉三郎先生が2020年4月にお亡くなりになった。コロナ禍の緊急事態宣言の出された時であったので 葬儀は近親者だけで行われ、コロナ禍が収まらないので今日に至った。しかし三回忌というので4月11日日本学士会館で "長倉三郎先生を偲ぶ会"が開催された。

長倉三郎先生は立派な研究者であると共に、優れた指導者であった。分子科学研究所の創設を主導し、東京大学を退官後 分子科学研究所の所長になられた。その際、自らの研究テーマ"化学反応に対する外部磁場効果"に関する小研究グルー プを作られた。私はその時、分子科学研究所の客員助教授にして頂いていたので、お願いしてその研究会に入れていただいた。 所長としての多忙な時、暫し"自らの希求する研究に集中する"ことを楽しみ・安らいでおられると思った。私は"本質的で 重要なこと、先駆的で独創的なことを目指し洞察・追及する姿勢"を学ばせていただいた。

私は高分解能分光で"分子に対する外部磁場の影響"に関する研究をしていた。それで、長倉三郎先生は私の研究に関心を持って 観察して下さったと拝察する。多額の科学研究費(特別推進研究)を頂き、その成果を報告した時、激励していただいたのは 忘れられない思い出である。

尊敬・敬愛する方が亡くなった時、葬儀にも参加できず、何の儀式も無いと、私は自分自身で"お別れと感謝する"の区切りが つきかねて困惑する。私は9:00近鉄奈良駅発の列車に乗り、12:15東京駅に着いた。東京駅近くの大手町から地下鉄半蔵門線に 乗り神保町で下車、12:45学士会館に着いた。13:30から"長倉三郎先生を偲ぶ会"。遺影に献花して黙禱をした。私なりに 敬意・謝意を表し、お別れをすることが出来た。会には懐かしい面々が来ておられたが、あまりお話する気にもなれず、終了後、 早々に帰路に着いた。15:39東京駅発の列車に乗り18:40近鉄奈良駅に帰着した。


2022.3.4

神戸大学の桜

今、桜が満開である。4月2日土曜日に私は神戸大学へ行き文学部のテニスコートでテニスをした。 丁度、テニスコート脇の桜も満開であった。その桜の写真を撮るのを忘れたのは残念ですが、 その桜について、ここに記しておきたい。そう思い立ったのも、こんなことを知っているのは、 もう数人しか生きていないと気付いたからであります。

今から約50年前、理学部化学科にいらっしゃった兎原逸郎教授が定年退官されるとき、農学部の方に頼んで 沢山の桜を主とする植木の苗を私費で購入された。その頃は、文学部、理学部、農学部は主要建物が建って 日が浅く、周りは広々とした空き地であった。文学部、理学部、農学部の了解を得て、その植木の苗を、 化学科の教職員・学生が、文学部、理学部、農学部の周りに植えました。私も参加・お手伝いをしました。 その後、半数以上が枯れたり切られたりして消滅しましたが、生き残った桜は丁度今が盛り(桜は人間と 似ていて50-60才が盛りだそうだ)で、綺麗な花を咲かせています。


2022.3.17

春の到来

東大寺二月堂の修二会(お水取り)も終了し、暖かい春の到来となりました。庭の草花も芽を出し花を咲かせる 様になりました。これでコロナ禍が収まれば、身も心も明るくなるのですが・・・。

我が家の庭の梅の花も満開なので、"月ヶ瀬梅林"に行くことにした。11:00に家を車で出発して一時間弱で "湖畔の里つきがせ"に着いた。丁度"梅の花は満開"であった。辺りを散策した後"ロマントピア月ヶ瀬"へ 行った。売店で昼食をとった後"月ヶ瀬梅渓(右の写真)"を散策した。毎年訪れているが、今年はまさに "梅の満開"のときであった。


2022.3.15

80才の手習い

最近、7年前に買ったパソコンのスピードが遅くて、困っていた。7年前には、自分の寿命は80才と思っていた のだが、昨年9月に80才になってヒョットしたら90才まで生きるかもしれんと思うようになった。すると パソコンも今が新しくする時だと思った。今迄、私はWindowsのパソコンを使ってきた。でも、最近iPadやiPhone を使っているので、連携性からAppleのiMacに変えた方が良さそうだと思い、デスクトップのiMacを購入した。 ディスプレイ(本体内蔵)には電源コードが付いているが、キーボード、マウスに配線はなく無線である。 非常にスッキリしていて気に入っている(右の写真。ディスプレイの写真はアイガー・メンヒ・ユングフラウ)。

とは言え、Windowsを長年にわたって使ってきたから、Macの使い方に慣れるのは大変である。私が日頃に使う操作が 出来る様にするのに一週間かかった。でも、ひと安心。後は慣れていくことだと思います。


2022.2.25

ロシヤのウクライナ侵攻に抗議する

ロシヤは隣国のウクライナに侵攻した。武力で他国を制圧し、自国に都合の良い傀儡政権を樹立するのが 狙いであると思われる。隣国で、文化的にも、民族的にも近い、果っての同盟国を武力行使で従わせよう とするのは誤りであると思います。その徳行で仲良く共存共栄を図るべきと思います。

我が国の隣国である北朝鮮や中国の軍備増強をみていると、対立・制裁だけではだめで、共存共栄・友好的 関係の構築に努めなければならないと思います。中国・北朝鮮・韓国の人達との交流を盛んにして、相互理解・ 友好関係の構築に努めることが大切と思います。

戦争抑止力としての最低限の武装は必要と考えます。核武装はダメですが、攻撃された場合に反撃するための ミサイル開発は重要と思います。

硬い話になったので一服。右の写真は、私の大好きな太田垣蓮月尼作の茶碗。自作の歌 "水清き かわべにすみて  つみとがを その日その日に かきながさばや" が釘彫りしてあります。この歌がいい!



2022.2.15

テニスが出来た

腰を痛めてから二週間経った。腰の痛みは感じなくなったので、テニススクールに行った。 慎重に、おそるおそるテニスを始めた。最初は力一杯打つことはせず出来るだけ良い姿勢で打つように 心がけた。フォアもバックも大丈夫。サーブも出来た。身体が温まってきたら試合もした。 有り難い・有り難い。感謝・感謝である。


2022.2.4

腰を傷める!

私は2016年6月に腰椎椎間板ヘルニアを患い入院した。それは手術もせず完治した。それ以前より腰の状態は完璧に良くなり、 爾来、腰の痛みに悩まされることは無かった。ところが、終にやった。その顛末を詳細に記して今後の生活に役立てたい。

2月1日13:30からテニススクールでテニスを始めた。準備体操をしてからコーチの出してくれる球をフォアとバックで9球ずつ打った。 次に、コーチが出してくれる高く弾む球を高い所で力一杯打った。そのとき、腰に強い痛みを感じた。"しまった"と思ったが、後の祭り。 次いで、2,3球打ったが力が入らない。テニスを中止し、時間が経つと痛みが増すおそれがあるので、早々に車を運転し家に帰った(運転時間は10分)。 反り返った姿勢をとると、ガクッときて痛みが走った。座ったり、寝ていると楽なので、夕方まで転がっていた。そろそろとなら歩けた。 私は2016年より前に、数回"ぎっくり腰"を経験しているので、それよりは軽いと思った。18:30夕食、その後入浴。20:00就床。

反省点: 寒い時なので血行が悪い。力一杯打つのは身体が充分温まってからにしなければならない。 "最初の20-30分は力いっぱい打ってはいけない"。これは肝に銘じておこう。

2月2日8:00起床。前日より少し改善しているが、反り返った姿勢をとると、ガクッときて痛みが走った。朝食後、近くの聖武天皇陵まで ソロソロと歩いて行った。後ろ手を組むと楽に歩けた。昼食後にも、聖武天皇陵まで歩いて行った(往復で1500歩余)。ピアノの練習は出来た。 夕食後入浴し21:00就床。この日の歩行数3419

2月3日9:00起床。反り返った姿勢をとると、ガクッときて痛みが走った。朝食後、近くの聖武天皇陵までソロソロと歩いて行った。 前日よりほんの少し改善?
この日は14:45にコロナワクチンの三回目の接種が予約してあった(二回の接種はフアイザー製で受けて副作用はなかったので、 三回目もフアイザー製を希望し、ネットで探して予約した)。聖武天皇陵への往復で"大丈夫"と思ったので、車を運転して(片道20分)、 医院へ行った。この日は"ワクチン接種専用"としていらっしゃっていて、スムーズに接種をして頂くことが出来た。夕食後入浴し22:00就床。 この日の歩数4991

2月4日9:00起床。反り返った姿勢をとると、ガクッときて痛みが走った。朝食後、近くの聖武天皇陵までソロソロと歩いて行った。 前日よりほんの少し改善?
この日は15:00-15:30がピアノ教室(我が家から歩いて10分)。ボチボチと歩いて行った。その後、八百屋さんへ行って少し買い物(重いもの は持てない)をして帰宅。午前中より少し改善? 夕食後入浴し22:40就床。この日の歩数6183

2月5日8:00起床。だいぶ良くなった。朝食後、聖武天皇陵まで歩いて行った。ガクッときて痛みが走ることが無くなった。背を伸ばして 両手を振って歩けるようになった。しかし、しゃがんだりすると腰が痛い。昼食後、八百屋・スーパーマーケット・パン屋さんに買い物に 行った。まだ重い物を持てない。夕食後入浴し23:00就床。この日の歩数6422

2月6日 大失敗? 8:00起床。さらに良くなった。しゃがんだりすると腰が痛いがそれもだいぶ軽くなった。調子に乗って、昼食後、散歩に出た。 焼け門を通り、大仏殿裏から二月堂へ行った。86段の階段も難無く登れた。それで、法華堂、手向山神社、春日野園地、丸窓梅園、片岡を経て 興福寺へ行った。スーパーマーケットで牛乳パック二個、菊屋で饅頭を買って帰宅した。歩数9486。その後がいけない。だんだんと腰の痛みが 増してきた。疲れたのだ。やり過ぎた。後悔もあとのまつり。夕食後入浴し22:40就床。

2月7日8:00起床。 助かった! 悪化はなく、腰の痛みも殆ど感じなくなった。朝食後、聖武天皇陵まで往復。普通に歩けるようになった。 午後、近鉄奈良駅近くへ買い物に行った。歩くことがこんなに気持ち良いことかと感じた。夕食後入浴し23:00就床。この日の歩数7722

お陰様で元気になることが出来ました。まる一週間で回復した。感謝・感謝! もう一週間はテニスを自粛するつもりです。  
2022.1.28

レストラン L'Etude(レチュード)

三重県伊賀市島ヶ原にレストラン L'Etude(レチュード)がある。昔懐かしい山間・田舎で、食堂から木津川が観える。 そんな田舎にこのフランス料理店がある。若い夫婦二人で営んでおられて、ご主人がシェフ、奥さんがウェイトレス、 二人の息が合っている。料理は美味しいし、サービスも良い。欠点は、2019年にミシュラン一つ星に認定されて有名に なり、一ヶ月以上先でないと予約が取れないことである。

私は以前に訪れて美味しかったので、20日ほど前に電話したら、3月でないと予約が取れないとのことであった。 その時「キャンセルが出たら電話しましょうか」と聞かれたので「お願いします」と応えておいた。一週間程前に 「1月28日12:30から如何ですか」との連絡を受けたので「お願いします」と応えた。
右の写真はメインの"伊賀牛もも肉のロースト"。全ての料理が、シェフの考案・工夫に満ちていた。私がこれまでに 食べた料理の中でもトップクラスであった。
コロナ対策も万全で"ここなら大丈夫"と思った。

すぐ近くに島之内温泉"やぷっちゃの湯"がある。食後、木津川べりを散策した後、"やぷっちゃの湯"に入った。 これがまた「いい湯」である。感謝・感謝。  


2022.1.22

若草山山焼き

昼食後の散歩で東大寺大仏殿裏を歩いていたら、年配の御婦人が「今日は山焼きですよ」と教えて下さった。 コロナ感染者の急増で前日には閉じていた大仏殿門前の土産物屋が、この日は開いていた。臨時の屋台の店 も並んでいた。観光客も多かった。飛火野では"大とんど"が焚かれていた。

18:00にドドーンという音がしだした。「山焼きの開始だな」と私は我が家の二階に行き、若草山方向の窓を 開けた。花火が上がっていた。その後、点火。「最近は好天続きで乾燥しているので良く燃えるだろう」の 予想通り、美しい山焼きが観えた。我が家の二階から移した写真を右に示します。


2022.1.18

眼科医院

朝起きて顔を洗っている時気が付いた。右眼の白い部分の半分ほどが真っ赤になっている。これは大変と、白内障の 手術をして頂いた眼科医院へ行った。10時少し前であったが、待合室は200人程の人で満員であった。その医院は 白内障手術で著名で、8名の医師が同時に診察しておられ、原則として予約制である。私の場合の様に予約のないものは なかなか順番が回ってこない。12時頃、漸く診ていただくことが出来た。医師は「血管が破れて出血しました。 細菌性では無いから、薬はありません。二週間程で自然に治ります。」とおっしゃった。

退屈な待ち時間に、人々を観察した。スタッフは50人程、医師も含めて90%以上が女性であった。患者も90%以上が高齢者。 その高齢者の立ち居振る舞いを見ていると参考になる。先ず"服装はきちんとしないといけない"と思った。次に"姿勢を良 くしないといけない"と思った。そして"思いやりの心を大切にしなくてはならない"と思った。


2022.1.8

探鳥会

私は日本野鳥の会奈良支部の会員になってから45年余になる。野山を歩くと野鳥がいる。そうした時"鳴き声や姿から その鳥の名が分かったらより楽しいだろうな"と考えて、入会させていただいた。大学に勤めていた頃は、月一回の 探鳥会に頻繫に参加していた。鳥だけでなく、多様な職業・年齢・価値観を持つ人々と話し・接するのも楽しみの一 つであった。"退職後には、より足繁く探鳥会に行く"のかと思っていたが、予想に反して探鳥会に行く頻度は減少した。 私は"気分転換の必要性が無くなった"ことが原因かな?と思う。

さて、今日は"奈良公園・定例探鳥会"で、私は担当リーダー2人の内の一人であった。リーダーといっても、主リーダーの 付録みたいなものであるが、長年お世話になった会であるので断れずにいる。8:40に集合場所の近鉄奈良駅前に行った。 集合時間の9:00には30人程が集まった。参加者の大半は高齢者で若者は皆無であった。これは近年の動向である様だ。 さらに言えば、その中で私が最高齢者? コロナ禍の新規感染者が急増しつつあるので、密を避けマスクを着用しての 探鳥会である。興福寺境内を通り、拍子神社、みとりい池園地、水門町を経て、東大寺境内に入り、大仏池、講堂址、 手向山八幡宮一の鳥居を経て東大寺東塔址へ行った。そこで"鳥合わせ(その日見た鳥の名前を確認する)"をした。 この日見たのは、27種であった。その後解散、11:45。


2022.1.1

2022年元旦

新年おめでとうございます。皆様のご多幸をお祈り申し上げます。今年もよろしくお願いします。
地球温暖化問題、コロナ禍、技術革新によって、社会は急激な変化をしていますね。働き方の大きな変化は、 社会生活・構造の大きな変化をもたらすようですね。皆が幸福で健康に暮らせる平和な社会を築くための、 叡智・工夫・努力が極めて重要だと痛感しています。

新型コロナ(Covid-19 infections)の新規感染者は、日本では2021年12月には殆ど無くなりましたが、 欧米諸国では最高記録を更新しています。日本でも増大の兆しがでています。二回のワクチン接種を受けた人が 80%近くになったので、次の波は余り大きくならないで・・・と期待したいのですが・・・。

年末に、長女が二人の子供(二人とも社会人として働いている)と共に奈良に来たので、急に賑やかになりました。 元旦の今日は五人でお雑煮を頂いた後、皆で漢国神社、興福寺、春日大社、東大寺を参拝しました。歩数13223、 若者は早く歩くので、帰ったらぐったりでした。確実に年をとり老化しています。

右の写真は恒例の我が家の床の間。花器は唐招提寺でつかわれていた古銅仏器、花はHK流。掛け軸は上司海雲師の作品:   雲 うつりゆく はじめもはても しらくもの あやしきものは こころなりけり (太田垣蓮月尼の歌)

私は昨年9月に80才になりました。お陰様で、現在なんの薬を飲むことも無く、元気に過ごさせていただいております。 とっても下手なピアノと少しも上達しない習字を楽しんでいます。体力も歳相応に老化していますが、 嬉しいことに、まだテニスをすることが出来、週2・3回テニスを楽しんでいます。さあ、これも、いつダメになるかも しれませんが、この幸せの状態が続くことを祈念するのみです。