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Weblog of HK

日々の記録や雑感を気の向くままに記述していきます。 私は科学研究者たらんとして40年余を過ごしてきました。研究は新規でなければならないの で、出来るだけ他の人と異なった視点を持とうとし、孤立をおそれず自分の信じる道を 進むことを信条としてきました。この長年の生活習慣で、時として変人となり、社会生活 では障害となりかねません。したがって、ここに記すことも、独りよがりのことが多々 あると思いますが、一人の人間の独断と偏見として、ご批判・ご高評を下されれば幸いです。



2015.12.29

長女の長男の来訪

東京に住む上智大1年生の長女の長男が22日に奈良に来てくれた。父君(長女の夫)から「大掃除や力仕事など 手伝わせてください」と連絡があったので、24日には我が家のエアコンの掃除をすることにした。我が家には 東芝、三菱、Panasonicのエアコンが合計6台ある。フィルターの取り外し、取り付けを長女の長男に担当して もらい、私はフィルターの水洗いを担当した。長女の長男は器用で・頭を使って作業をしていた・・・で、 私は安心した。このエアコンの掃除が上手くいったので、ついでに近くのマンションのエアコンも掃除するこ とにした。そのエアコンは三洋製で4台あった。合計10台のエアコンを掃除した。「これでエアコンの掃除は マスターしたね。東京に帰ったら、自分の家のエアコンの掃除をしたら」と言ったら、「僕が監督して父にし てもらう」と言った。
25日には長女の長男と2人で長谷寺(右の写真)へ行った。寒牡丹が開花している頃だと思っていったのだが、 まさに最盛期で沢山の寒牡丹の花を観賞することが出来た。
26日、この日愚妻は琴の稽古を受けに京都へいった。私は長女の長男に料理の仕方を教えることにした。 昆布と削りかつをで"だし汁"を作り、"里芋の煮っ転がし"、菊菜の"おひたし"、白菜とあげの煮物、鶏肉のささみ の油炒めを作ってもらった。才能がありそうなので安心した。

27日には愚妻も加えて3人で二上山に登った。道の駅"ふたかみパーク當麻"まで車で行き、二上神社から登山道 に入り、急な山道を登ると大津皇子の墓がある雄岳山頂(517m)に出た。大津皇子の墓の前で昼食をとった。 大津皇子は天武天皇の第3皇子で,母は天智天皇の長女の大田皇女(持統天皇の姉)。天武天皇が崩御した後、 謀反の疑いをかけられ自害させられた。雄岳山頂から少し下ると"馬の背"とよばれる鞍部に出た。少し登ると 雌岳山頂(474m)に出た。"馬の背"まで戻り登りとは別のルートを歩いて祐泉寺経由で"ふたかみパーク當麻"に 戻った。全長6km程のコースであるが、ゆっくり歩く年寄りのペースは若者には遅すぎるようで、祐泉寺から は長女の長男は先に歩いて行った。
29日、長女の長男の好きな"お好み焼き"で昼食をとった後、新薬師寺まで歩いて行った。新薬師寺の本堂、薬師 如来坐像、十二神将立造はいずれも国宝で風格がある。私は散髪の予約があったのでそこから帰った。愚妻と長 女の長男は近くにある白豪寺へと歩いて行った。


2015.12.17

春日若宮おん祭

12月15日ー18日には春日大社の若宮のおん祭の中心神事が行われる。奈良ではこれが最大の祭行事で、 17日には学校も午後から休みになる。
17日には、午前0時 遷幸の儀(せんこうのぎ) :若宮様をお旅所へお遷し申しあげる神秘の行事。 お旅所には正面の一段高い所に若宮神の行宮(あんぐう)があり、その前に小高く約五間四方の芝舞台がある。 その前には左・右に太鼓が据えられ、それをとり囲むように周囲に幄舎が設けられている。
右の写真は舞楽{振鉾三節}が奉納されているところ。

午前1時 暁祭(あかつきさい) :お旅所へお遷りの若宮様に朝の御饌をお供えし神楽を奉納する行事。
午前10時 本殿祭(ほんでんさい) :若宮おん祭の無事斎行を祈る祭典。
正午 お渡り式(おわたりしき) :行宮へ遷られた若宮神のもとへ、芸能集団や祭礼に加わる人々が社参する行事。
午後1時 南大門交名の儀(なんだいもん きょうみょうのぎ)、松の下式(まつのしたしき)、 競馬(けいば) 、 稚児流鏑馬(ちごやぶさめ)。
午後2時半 お旅所祭(おたびしょさい) :神職が参進し、奏楽のうちに神様にお供え(神饌)が捧げられる。 続いて宮司が御幣を捧げ、祝詞を奏上してのち行宮の下に座を進め、神職が退いたあと日使の奉幣・祝詞があり、 稚児や願主投、大和士などの拝礼がおこなわれる。その後、10時半頃まで 神楽が舞われ、東遊(あずまあそび)・ 田楽(でんがく)・細男(せいのお)・猿楽(さるがく)・ 舞楽(ぶがく){振鉾三節(えんぶさんせつ)、萬歳楽(まんざいらく)、延喜楽(えんぎらく)、 賀殿(かてん)、長保楽(ちょうぼうらく) 、和舞(やまとまい)、蘭陵王(らんりょうおう)、納曽利(なそり)、 散手(さんじゃ)、貴徳(きとく)、抜頭(ばとう)、落蹲(らくそん)}など各種芸能が奉納される。
午後11時 還幸の儀(かんこうのぎ) :若宮様にお旅行より若宮御殿へお帰りいただく神秘の行事。

遷幸の儀と還幸の儀は、若宮さまがお遷りになる行事である。
浄闇の中で、大松明が道を清め沈香の香りが漂う中を、神官が榊の枝を以て神霊を十重二十重にお囲みし、 全員が口々に間断なく「ヲー、ヲー」という警蹕(みさき)の声を発しながら進行し、楽人たちが道楽(みちがく) の慶雲楽(きょううんらく)を奏でてお供をする。
この神霊をお遷しする古式の作法は、荘厳かつ神秘なもので、私は初めて拝観したとき、深い感動をおほえた。
お旅所祭は、日本の古い芸能の歴史を目のあたりにするようで、圧巻である。



2015.12.13

吉例顔見世興業

3日前に思い立ってネットで調べたら、12,13日では、13日の夜の部の一等席切符だけが 入手可能であった。出し物は、信州川中島合戦 輝虎配膳、四代目中村鴈治郎襲名披露 口上、 玩辞楼十二曲の内 土屋主税、歌舞伎十八番の内 勧進帳だというので、ネットで切符を購入 した。
13日は奈良マラソンの日で私の家の近くにそのコースがあり、9:00から15:00まで交通規制が あり、道路の横断が出来ない。元気に走っている人を横目で眺めながらテニススクールに行っ て、帰ってから15:30近鉄奈良発の電車に乗り16:15南座に着いた。"當る申歳 吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎 四代目中村鴈治郎襲名披露"のまねき看板は京都の師走の風景である。 学生時代に「せっかく京都にいるのだから・・・」となけなしの金をはたいて観覧させていた だいて以来、何度か観覧させていただいた。今年は"四代目中村鴈治郎(右の写真)襲名披露"が 華々しさを増大させていた。



2015.12.8

若狭への旅

毎年"蟹を食する旅"をしているが、昨年は越前へ出かけていって"不味い蟹尽くし"に出会って がっかりした。それで・・・今までに数回行って、いつも"美味しい蟹尽くし"を堪能できた 若狭三方五湖の奥の海縁にある旅館に行くことにした。数日前に天気予報を見て、12月7日の 宿泊と"蟹尽くし"を予約した。
7日11:00に車で家を出て、途中名神高速道路多賀ICで軽い昼食をとり、北陸・舞鶴若狭自動車 道を経て小浜ICから一般道に入って、14:30明通寺に着いた。明通寺は806年に、坂上田村麻呂公が 蝦夷征伐に際して創建したと伝えられている若狭の古刹である。境内には老木が沢山あった。 入り口近くには樹齢五百年という栢(カヤ)の巨木があり、貫禄であった。本堂と三重塔は国宝で 桧皮葺の豪壮な建物であった。本堂中央に 薬師如来坐像、その両脇に降三世明王(ごうざんぜ みょうおう)立像と 深沙大将(じんじゃたいしょう)立像がいらっしゃった。これらは平安時代の作で 国重文とのことであった。
16:10宿に着いた。海に夕日が沈んで行くのを眺め、潮騒の音を聞きながら、露天風呂で汗を流 した。18:00から"蟹尽くし"の夕食。本物の蟹を堪能させて頂いた。満足・満足・大満足であった。
8日7:00起床。入浴して8:00朝食。9:00チェクアウト。前日に続いてこの日も快晴。三方五湖周辺 をドライブして小浜に行き、伝統的建造物のある小浜公園周辺と小浜城址を散策。12:30小浜ICから 高速道路に入り、行きと同じ道を通って15:30我が家に帰着した。
右の写真は朝靄のただよう三方湖。


2015.12.6

歩く会

愚妻の従兄弟の細君が主宰する"歩く会"に入れていただいて、是までに羅臼岳、尾瀬・至仏山、 高千穂・開聞岳等に同行させて頂いた。先月28日には奈良県天川村のみたらい渓谷へのバスツ アーに久しぶりに参加した。そうしたら「来年1月の例会を"鳥を見る会"として計画して下さい」 と言われてしまった。多々お世話になったので、断れず引き受けることになってしまった。
この会はキッチリシテイルので、下見に行かねばならない。私は色々考えて古墳めぐりをするコース を選んだ。そして、本日、下見に出かけていった。JR奈良9:07発柳本9:27着の電車に乗った。 黒塚古墳から崇神天皇稜へいって、濠に浮かぶ鴨類を観察していたら日本野鳥の会大阪支部の 人達が来られた。その中に奈良支部の若くて有能な女性がおられた。大阪支部の人が「ヘッド ハンティングした」と私に囁いた。次に、景行天皇陵を経て檜原神社へ行き、境内で昼食。 その後、箸墓古墳へ行きカモ類を観察。最後に纏向遺跡を見物して、JR巻向駅14:06発の電車に 乗り奈良に帰った。"歩く会"のメンバーも高齢化が進んでいるので、これくらいが適当でしょう。


2015.11.23

世良先生

神戸大学で有機化学の教授であった世良明先生の奥様が今年3月にお亡くなりになったことを 有機化学の助手であった伊藤邦明さんが知らせて下さった。私も神戸大学に勤務している時に 大変お世話になった先生であり、尊敬・敬愛していた方なので、お話をさせていただきたいと 先生の御都合を尋ねてご自宅へお伺いさせていただいた。

私の京大での同級生で、世良先生が京大の助教授時代に指導を受けたY嬢と、2人で訪問した。 ご自宅近くでタクシーを下りて歩いていたら、先生が玄関前へ迎えに出て下さった。先ず仏前で 頭をたれた。「筋肉の衰えていく病になられた奥様に付き添って、退職後20年間、毎日食事を作っ てきた。料理することは好きだけど、一人になって作る張り合いがなくなった。50年余を一緒に 過ごしてきたけれど、仲が良くて、体が不自由になってからも楽しい日々であった・・・」等、 淡々と語ってくださった。

「年内に、長女一家の住む亀岡に移る。長女の家の目の前の家を買った。好きな京都を離れる のは辛いが、この広い家に1人で住むのもねえ」とおっしゃっていた。昼食にと、鷹ヶ峯の レストランへ連れて行っていただいた。京都人に育てられ・共生していくお店という感じて 楽しい一時を過ごさせていただいた。世良先生は私より10才年上である。歳はとってみないと その歳の状態は分からないが、その後ろ姿を仰ぎ見ながら・規範としながら、生きて行きたい と思う先生である。

右上の写真は、庭のサンシュウの実を食べに来たジョウビタキ。


2015.11.22

ピアノの発表会

今年の春からカワイ音楽の奈良教室に移ってピアノを習っている。そのミニ発表会がカワイ 西大寺センターであった。私はアダモ作曲の"雪が降る"を演奏した。上手とはいえないが、 冷や汗をかきながら何とか演奏した。久しぶりに緊張した。自分でも、その緊張に感心した。 この発表会で、私が5月の郡山城ホールでの発表会で楽譜を忘れて演奏出来なかった"聖夜" を演奏した人がいた。その人は暗譜で演奏された。"まいった・まいった"であった。

発表会は15:30頃終ったので、急いで唐招提寺へ行った。唐招提寺では、御影堂が修理される のを前に、11月21-23日だけ、国宝の鑑真和上坐像や日本画家、東山魁夷が描いた襖絵や障壁画が ある御影堂の特別公開が行われています。しばらく拝観ができなくなるので、私は行った。 唐招提寺に着いたら、門前の看板に、御影堂の公開は9:00から16:00迄と書いてあった。諦めて、 帰ろうかと思ったが、受付で訊いたら「16:30まで延長した」とのことであった。鑑真和上坐像 に香を上げ頭をたれた。東山魁夷さんの傑作にも久しぶりに対面することが出来た。


2015.11.16

八ヶ峰

京大理学部で学部・修士課程時代に属した研究室の先輩Yさん夫妻、同級生のT君、私と愚妻 の5人で、福井県と京都府の県境尾根にある八ヶ峰(はちがみね)登山をすることになった。
6:40近鉄奈良発の特急に乗り7:20竹田駅に着いた。T君の車に乗せていただいて、沓掛から京都 縦貫自動車道に入り園部から一般自動車道に出て、スプリング日吉、次いで茅葺の里北村(茅葺の 家が30戸ほど並ぶ美しい集落)で休憩。田歌(とうた)から遊車道ビレッジラインに入り、10:00五波峠(ごなみとうげ、 標高600m)に着いた。
峠から、杉の植林帯にある、ゆるやかな傾斜の尾根道を登ると標高700mのピークに出た。その付近 からはブナ、ミズナラ等の自然林であった。ゆるやかなアップダウンを繰り返す稜線沿いの道は、 まるでハイキングコースであった。稜線付近の木々の落葉は済んでいて、下方にある山塊の美しい 紅葉を楽しむことが出来た。山道にスミレの花が咲いているのをT君が見つけた(右の写真)。返り 咲き(秋を春と勘違いして咲く)のミヤマスミレだろう。美しい!。思わぬ所で麗人に出合った感じ である。見惚れてしまった。
染ヶ谷からの登山道との合流地点で数人の登山者グループと出会った。そこら少し進んだところで 12:30昼食をとった。八ヶ峰の頂上は間近であった。頂上を目指して歩き出した。しかし、頂上へ 行くには少し下ってから登らなければならなかった。同行の人達は慎重な人々で「無理はしない」 とおっしゃった。そこで、私とT君の2人だけで、八ヶ峰の頂上(標高800.1m)まで行った。頂上で 写真を撮って、すぐ帰った。往復30分。皆と合流し、美しいブナの原生林を愛でながら、15:30五波峠 に戻った。
帰途、スプリング日吉の野菜直売所で買い物をし、18:30竹田に帰着した。"福井県と京都府の県境に ある八ヶ峰は遠い"と思っていたが、京都縦貫自動車道のおかげで、短時間で往復できた。何もかも T君にまかせていたが、今度行くときは、集合場所を長岡京にしたら、T君の負担も少なく、時間も 節約できるのではないかと思う。楽しい山行であった。感謝・感謝。


2015.11.10

柚子ジャム

今年も無農薬・ワックス無しの柚子をいただいたので早速ジャムを作った。3.5kgの柚子から 直径8cm高さ8cmの壜12個満杯の柚子ジャムができた(写真参照)。酸味・苦味・甘味がほど良く、 とっても美味しい。トーストに付けて食べる。1ケ月に1壜。これで1年間毎朝楽しむことが 出来る。風邪気味のときには、これを湯に溶かしてハチミツを加えて飲む。体が温まり、水分 補強・滋養供給にもなる。
作り方は2011.11.15のブログに掲載したが、若干の改訂をしたのでここに記す。

柚子ジャムの作り方
1. 柚子(3.5kg)を水で洗い、布巾で拭いて乾燥させ、ヘタを取り除く。
2. 柚子を上下半分に切って、凸形のレモン絞り器でゴリゴリとやり、汁を絞り出す。
3. 絞った汁をザルで漉す。漉し汁をステンレス製の鍋(7.5リットル)に入れる。
4. ザルに残った種を取り出しボウルに入れる。
5. 汁を絞り出した柚子の外皮に入っている種を指で押し出す。
6. ザルに残った内袋のくずれたものをきざみ、ステンレス製の鍋に入れる。
7. 種の入ったボウルにカップ1の水を加え、かき混ぜる。よく掻き混ぜたらザルで漉し、 漉し汁はステンレス製の鍋に入れる。種は捨てる。
8. 柚子の外皮(内袋の一部が付いている)を細かく千切りにする。厚さ1mm程度に心をこめて刻み、 ステンレス製の鍋に入れる。
9. 使用したザル・ボウルをカップ2の水で濯ぎ、濯いだ水をステンレス製の鍋に入れる。
10. グラニュウ糖(1.75kg)をステンレス製の鍋に入れる。
11. 全ての材料が入ったステンレス製の鍋を中火(IH目盛り:7)で熱し、木べラで掻き混ぜる。 一瞬たりとも手を止めない。
12. グツグツ煮立ってきたら、弱火(IH目盛り:6)にし、掻き混ぜながら30分程度煮つめる。 柚子の千切りが黄色から半透明なったら火を止める。
13. 熱いうちに、安全弁付の蓋のある瓶につめる。最初に少量入れ、瓶が暖まって きたら少量入れ・・・と段階的に入れれば瓶は破損しない。壜内の空気を出来るだけ少なく するためにジャムを満杯にして蓋をしっかり閉める。これで室温で一年間保存できる。
14. ジャムを煮た鍋に2カップの水をいれて熱しながら濯ぐと、美味しい柚子湯となる。 勿体無いので念のため・・・鍋も綺麗になる。
(注) 安全弁付の蓋のある瓶とは、蓋の真ん中にペコポコと動く部分があって、熱いジャムを満杯に して蓋を閉めておくと、冷めたときにへこみます。もしジャムが腐ったら、醗酵するので膨らみます。 へこんでおれば安心して食べられます。開ける際には、マイナスドライバー等で、蓋をこじ開ける ようにして空気を入れないと開けられません。


2015.11.9

法隆寺

朝から小雨であった。法隆寺夢殿の秘仏"救世観音"が秋季特別開扉中であることを思い出し、 11:15車で家を出て、法隆寺へ行った。雨だから観光客も少ないだろうと推定して出かけて 行ったのだが、期待どおりであった。南大門を入ったら鐘の音が聞こえてきた。時計を見る と12時であった。子規の「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」を思い出し、子規が柿を食べたと いう茶店の前から鐘の音の聞こえてくる西円堂の方へ行くと、西円堂の東にある鐘楼で、 寺童子と思われる人が鐘を撞いておられた。

西院伽藍(五重塔、金堂、講堂)を拝観した後、聖霊院、大宝蔵院を拝観した。ついで、 東院伽藍(夢殿)へ行った。夢殿の南面の扉が開かれており、厨子が開扉されており、 "救世観音"を拝することができた。厨子内に照明灯があり、お姿をはっきりと拝見する ことができた(右の写真)。金箔が綺麗で、従来より綺麗なお姿になられたような気がした。

次に、中宮寺へ行った。本尊"如意輪観世音菩薩"を拝した後、天寿国曼荼羅繍帳を拝した。 亀甲の1つに「仏是真玩」の文字を見つけたが、「世間虚仮、唯仏是真」の文字は無かっ たので、説明員の方に訊ねたら「展示物は天寿国曼荼羅繍帳の一部の複製で、本物はもっと 大きくその中にある」とのことであった。



2015.11.6

珍味

岐阜県関市に住む小学校時代の同級生のひとりは、毎年10月になると同好の仲間と、刺されたら 死ぬこともあるというオオスズメバチの巣を探し出し、その巣をとるそうである。お目当ては、巣 の中にある蜂の子である。
その同級生が、珍味中の珍味"オオスズメ蜂のから揚げ(右の写真)"と"オオスズメ蜂の子の佃煮"を 送ってくれた。愚妻は「見るのも嫌」というけれど、これがとても美味しい。から揚げはポリポリと 香ばしい。蜂の子の佃煮はもっちりとして濃厚な味である。命がけで獲ったものと思えば、一層貴重 な品である。
私は子供の頃、クロスズメ蜂(地面中に巣を作る)の巣を獲り、蜂の子御飯を食べたことがある。 蜂の子は滋養があり、昔も貴重なものであった。その概念は体にしみついており、今でも美味しい・ 美味しい珍味である。


2015.11.3

御飯

愚妻のことば使いが年を取るにつれ、ぞんざいになり横柄になってきた。 10月30日、神戸でのテニスを終えて帰宅した。愚妻は外出していたので、夕食を調えた。 その後、ピアノの練習をしていたら愚妻が帰宅した。お茶を沸かしただけの愚妻が台所で 「御飯!」と叫んだ。曲の途中だったので私は弾きつづけた。再び大きな声で「御飯!」と叫んだ。 私は台所へ行き、お願いした。"「御飯!」と叫ばす「御飯よ」とせめて「よ」を一字足して欲 しい。「御飯!」ではまるで犬を呼んでいるようだ。大きな声で「御飯!」と叫んでは隣の 人もあきれておられるよ・・・"と。
10月31日「御飯よ」と言った。 11月1日「御飯よ」と言った。 11月2日「御飯よ」と言った。
11月3日「御飯ですよ」と言った。



2015.10.28

「琳派 京を彩る」展

京都国立博物館で、琳派誕生400年記念特別展「琳派 京(みやこ)を彩るが10月10日から11月23日 まで開催されている。"10月27日から11月8日までは、俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一による3組の 「風神雷神図屏風」がそろって公開される"とのことで、28日の午後に出かけていった。  江戸初期に宗達が描いた風神雷神図を約百年後に光琳が模写し、さらに約百年後に光琳筆の 風神雷神図を抱一が模写したとされるもので、三点が同室に展示してあった。右の写真の上が 俵屋宗達、中が尾形光琳、下が酒井抱一の「風神雷神図屏風」である。私はやはり俵屋宗達の 作品が一番だと思う。

私は15:00頃入館したが、行列もなくすんなり入れた。展示作品は豪華であった。 本阿弥光悦作の舟橋蒔絵硯箱、俵屋宗達筆の唐獅子図杉戸、本阿弥光悦筆・俵屋宗達画の 鶴下絵三十六歌仙和歌巻、尾形光琳作の八橋蒔絵螺鈿硯箱、尾形乾山作の松波文蓋物、 酒井抱一の八橋図屏風、鈴木其一の三十六歌仙図屏風等々優品が盛り沢山であった。


2015.10.26

正倉院展

「第67回 正倉院展」が10月24日~11月9日の間、奈良国立博物館で開かれている。私は奈良に50年 弱の間住んでいるので、ほぼ毎年「正倉院展」を拝観させていただいている。今日は月曜日である から休館日と思う人もあって、空いていることを期待して昼食後に出かけて行った。
行列にそなえて日よけテントが100m程張ってあったが、行列もなく、すんなり入場することが出来た。 入館したら13:30から館内の講堂で「第67回正倉院展のみどころ解説がある」との案内があった。 5分後にはじまるとのことであったので入場した。ところが奈良国立博物館ボランティアによる解説で "原稿を丁寧に読む"もので、内容も殆んど知ってることで期待はずれ。30分の解説時間の殆んどを 居眠りしてしまった。
今回の正倉院展は、聖武天皇の遺愛の品々、天平の音楽と舞踊、法会に用いた仏具、献物に関わる品々、 装束と装身具、動物の毛を使用した宝物、文書と地図、年中行事に関わる宝物、聖語蔵の経巻と分類 して配列展示してあった。すっきりして、分かりやすく、展示の工夫が良くできていると思った。


2015.10.20

シェイクスピア ストーリーズ

児童文学者の島式子さんとその令嬢島玲子さん訳の"シェイクスピア ストーリーズ (BL出版)"を 読ませていただいた。これは"The ORCHARD BOOK OF CLASSSIC SHAKESPEARE STORIES" by Andrew Matthews の訳書である。シェイクスピアの戯曲:夏の夜の夢、ヘンリー五世、ロミオとジュリエット、 マクベス、アントニーとクレオパトラ、十二夜、ハムレット、あらし を児童(小学生?)の為に 書いた本で、Angela Barrettさんによる挿絵も美しい。和訳もすばらしく、製本も立派である。 私はシェイクスピアの戯曲はそれなりに知ってはいたが詳しく読んだことは無い。この本を手に したとき、これなら読めそうであると思って読み出した。面白いので再読した。2度読むことにより、 より良く理解できた。

これでストーリーの概略は掴めたので、オペラか演劇を観て見たいと思っている。


2015.10.18

木梶山

大学の研究室の先輩Yさんと同級生のT君との山行について数度このブログに書いた。 それを読んだ野鳥の会での知人Mさん(女性)から"山行に同行させていただきたい"との 申出があった。T君にお願いしたら快く引き受けてくれた。それで高見山の南にある 木梶山に行くことになった。

私は近鉄奈良7:06発の電車に乗り7:40に近鉄田原本に着いた。高槻から来たT君の車に 乗せていただき、桜井でMさんを乗せ、9:00に木梶三滝の近くにある展望休憩所に着いた。 美しい渓谷沿いの林道を歩き、10:00木梶山登山口に着いた。急な登山道を登りつめると 美しい自然林の尾根に出た。なだらかな尾根の登山道を登りつめたら木梶山の頂上(標高1230m) に着いた。11:40-12:20頂上で昼食・休憩をとった。「もう少し行くと展望が良い」という T君の勧めでヘイベイ平の方へ歩いて行った。紅葉の始まった美しい山容が一望できる ススキの生える広場があった。右の写真はそこからの景色。美しい展望を楽しんだ後、 来た道を引き返し、15:30車の止めてある展望休憩所に帰着した。

T君が木梶山付近の山を熟知しているのには感心した。自然林の美しいところで素晴らし かった。彼の案内があった御蔭で行くことが出来た。感謝・感謝である。
T君に言われた。「テニスや乗馬では脚力はつかない。そんなの止めて、山歩きに行け ・・・」と。彼の脚力にはかなわないので返す言葉が無い。「散歩も良いが、早く歩か ないと意味が無い」とも仰った。


2015.10.17

南円堂特別開扉

今日は神戸大学でのテニスに参加する予定であったが、女性参加者がゼロだというので、参加を中止した。
毎年10月17日は、年に一度の興福寺南円堂の特別開扉の日である。興福寺南円堂は西国三十三所観音霊場 の第九番札所で多くの参拝者がある。ここのご本尊・不空羂索観音は秘仏で、南円堂の正面の扉は通常閉 じられている。しかし、10月17日は13時から約1時間程、堂内にて大般若経転読法要が執り行われので、 年に1度だけ開扉となる。
私はカメラを片手に、食後の散歩を兼ねて、南円堂へ行き参拝した。12:58頃一山の僧10人程が行列を作って本坊 から南円堂へとやってきて入堂し、法要が始まった(右の写真は、正面から見たもの。中央高所に不空羂索観音 が両手を合わせて居られるのが拝観できる)。
法要後には堂内に入れるというので、14:30頃再度南円堂へ行った。正面の扉はもう閉じてあったが、横の扉 は開いていて、入堂料300円で17:00まで入れるとのことであった。しかし、200m程の行列ができていたので、 入堂参拝を断念して家に帰った。15:30からテニススクールに行った。スクールには、多くの女性がいらっ しゃった。


2015.10.15

唯仏是真

平成27年9月5~6日に奈良県文化会館で、奈良県肢体不自由児者 父母の会主催の第13回南都諸大寺チャリティー墨書展 があった。6日に行ったが、まだ沢山の墨書があった。その中で気に入った中宮寺門主・門跡である日野西 光尊 (ひのにし・こうそん)さんの書(右の写真)を、献金も兼ねて購入した。その表装ができあがって本日とどいた。
聖徳太子の言葉として伝えられている「世間虚仮、唯仏是真」(せけんこけ ゆいぶつぜしん : この世の物事はすべて 仮のものであり、仏の教えのみが真実である)からとった"唯仏是真"で、これらの文字は中宮寺に伝わる天寿国曼荼羅に 記されている。光尊門主は現在85才であるが、この字はとても力強く元気を頂くことができるような気がする。



2015.10.10

井上楊彩さん

先日NHKの日曜美術館で「日本伝統工芸展」を紹介・報道していた。その最初に"人形"が出てきた。 "あっ、井上さん作品だ"と思った。すると"日本工芸会会長賞 井上 楊彩"と字幕が出てきた。
私は平成10年の日本伝統工芸展に出品されていた井上 楊彩(いのうえ ようさい)さんの桐塑人形「予感」 を奈良そごう百貨店での工芸展で拝見し、大変気に入ったので、折りよく会場にいらっしゃった井上さん にお願いして譲っていただいた。爾来、その作品は私の部屋に鎮座していらっしゃる。モダンで美しい フォルムの桐塑人形である(右の写真)。

その「日本伝統工芸展」が京都高島屋で開催されているというので出かけて行った。入場料は500円。 第62回日本伝統工芸展の入場券には、日本工芸会会長賞 桐塑彩色「目覚めの刻」井上 楊彩の印字と 作品写真が印刷してあった。一通り工芸展作品を拝見して、井上さんを探したが、その姿は見つから なかった。係りの人に尋ねたら「先ほどまでいらっしゃったのだけど・・・」とおっしゃつた。 私は「奈良の加藤ですけど、宜しくお伝え下さい」と帰ろうとしたら、「電話連絡できました」と。 まもなく井上さんが来られた。私は受賞に対し祝意を述べ、受賞作品についてのご説明をお願いした。 私は「井上さんが、精進・努力されて、ここまで認められるようになられたことは立派ですね。私の 譲っていただいた作品は随分前のだけど、とても良く、気にいっています」と言った。井上さんはその 桐塑人形「予感」を鮮明に且つ詳細に記憶していらっしゃった。「まだ駆け出しの頃の作品で、購入 していただいて大変嬉しかった」と言って下さった。暫く話し込んで別れを告げた。「還暦をすぎた」 とおっしゃっていたが、ますますのご活躍を祈りたい。

その後、折角京都まで来たのだからと、泉屋博古館へ行き"住友春翠生誕150年記念 邸宅美術館の夢" を拝観した。しかし、これは"期待はずれ"であった。


2015.10.7

ノーベル賞

"熱帯病治療薬の開発"に対して北里大の大村智さんが2015年のノーベル生理学・医学賞を、 "ニュートリノ振動の発見"に対して東大の梶田隆章さんが2015年のノーベル物理学賞を受賞されることが 決まった。昨年に続いての日本人の受賞は嬉しいニュースである。
大村智さんの記者会見のニュースを拝見していると氏の優れた人格と科学者としての姿勢が良く感じられた。 優れた薬の開発は多くの人を救うことが出来るので、重要で且つ実際に役に立つ。こうした研究だと、 これからも日本人がノーベル賞を受賞することは、まだまだ数多くあるだろう。
梶田隆章さんの研究は、一般人の実生活で直接役に立つことには無いが、科学の基本に関わる、基礎的で 重要な貢献である。ノーベル賞がこうした基礎科学の研究に与えられたことは良い事だと思う。梶田隆章さんの 記者会見のニュースを見ていて、このような大規模な実験は多くの人の協力・貢献があってできるのだから、 共同研究者に対する謝辞をもう少し述べたほうが良いと感じた。
右の写真はシュゥカイドウ(秋海棠)


2015.10.1

氷室神社例祭夕座

奈良氷室神社は712年に鎮祀された歴史ある神社で奈良国立博物館の前にある。10月1日の18:30 から社殿で舞楽があるというので行った。この舞楽は、秋祭りに際して、神々に美しい舞を 奉納し、豊作への感謝と世の平和を祈願する神事芸能とのことである。
早めに夕食をすませ18:10家をでた。奈良氷室神社は、奈良時代4月1日より9月30日まで毎日平城宮 に氷を献上したとのことで、境内には氷献灯(約15cm角の氷に穴をあけその中にろうそくを灯す。写真1) が美しく並べてあった。18:30頃着いたのに、社殿の周りは意外にすいていて、最前列に席をとることが できた。

氷献灯 雅楽を奏する楽人 東遊
舞楽の前後に適切な説明があり、全くの素人の私も、楽しく拝観させていただくことができた。ここで 得た知識をまとめておく。
舞楽では、3管(笙、篳篥、龍笛)・3鼓(楽太鼓、鉦鼓、三の鼓)・2弦(楽琵琶、楽筝)の合奏による 雅楽にあわせて舞が舞われる。伝来の経路や特徴から、国振りの歌舞(日本古来の歌謡・神へのささげ舞)、 左舞(さまい、中国・天竺系の唐楽)、右舞(うまい、朝鮮・渤海系の高麗楽)に分類される。

演じられた順に記述しておく。
東遊(あずまあそび) : 駿河の有度浜に天女が降り舞い遊んだという故事から起こった東国の風俗舞。 4人の舞人が巻嬰の冠に白色の袍を着て太刀をつけて駿河舞を舞い、袍の右肩を脱いで求子舞を舞う。 (注) 枕草子に「舞は駿河舞。求子、いとおかし」とある。
振鉾(えんぶ) : 鉾を持った赤袍の左方舞人、ついで緑袍の舞人が舞台に出て鉾を三度ふり、舞台を祓い 清め、国土安穏、雅音成就を祈る。
万歳楽(まんざいらく) : 鳳凰が万歳を唱えるのを舞いにしたもの。祝賀の宴で演じられる平舞(おだやかな動きの舞)。 唐楽
延喜楽(えんぎらく) : 延喜年間に作られた。万歳楽のあとで演ずる慶賀の舞。平舞。高麗楽
賀殿(かてん) : 隋の楊帝作曲の「河伝」を原作とする変化のある動きの早い舞
登天楽(とうてんらく) : 平安時代の武官の正装の装束で舞う4人舞。平舞。
蘭陵王(らんりょうおう) : 中国・北斉の王、蘭陵王が仮面の姿で戦いを指揮し、戦いの終ったとき、諸軍士と 平和を寿いだという舞。走舞(活発な動きをする舞)。
納曾利(なそり) : 龍の舞い遊ぶさまを表した舞。 左舞の蘭陵王とつがいにして舞われる右舞。
抜頭(ばとう) : 太鼓と笛の部分は獣と格闘する場面、合奏の部分は復仇をおえ山路をわけつつ喜踊して降りて くる様子を表す。走舞
落尊(らくそん) : 雌雄の龍が楽しげに遊ぶ姿の舞。
長慶子(ちょうげいし) : 舞はなく、舞楽公演のしめくくりに奏される後奏曲。管楽器と打楽器のみ。

万歳楽 蘭陵王 納曾利

21:30に終了した。帰りにおみやげ(清酒1合と乾パン)を頂いた。私はお賽銭(100円)だけしか志納していないので 恐縮した。"氏子と製氷業者の寄付でまかなっている"とのことであった。「代表的な舞楽を一通り拝見させて いただいた」という感じで大満足であった。12月17日の春日大社のおん祭りほど大々的でないけれど、 寒くない秋の夜に、ゆったりと舞楽を堪能させていただいた。帰り道で一人見た"半弦の月と東大寺"も良かった。 雌鹿を求めて鳴く雄鹿の声が夜の闇に響いていた。


2015.9.30

マンホール点検

ピアノの練習をしていたら「近くで下水道の工事をしている者ですが、マンホールの点検をさせて下さい」 と身分証のようなものをかざしてやってきた。何か"胡散臭い"と思ったが、点検だけなら良いだろうと 許可した。我が家の下水道の点検口の蓋をあけて見ていた。そして、「随分汚れていますね。クリーニング した方がよいですね」と言った。ヤッパリと思いながら「料金は?」と訊いたら「通常は4万円ですが、 近くに来ているから2万1000円でさせていただきます」と言った。私は「否、結構です。それにお金も無い」 と言った。向こうさんは「こんな高価な車があるんだからお金が無いことは無いでしょう」と言った。 私は「否、見栄っ張りで・・・、実は借金だらけです」と断った。


2015.9.23

松尾優さんのCD

今年の2月までヤマハの教室でピアノを教えていただいていた松尾優さんは、自ら歌う歌の作詞・作曲を行う "シンガーソングライター"である。自分で作詞・作曲した歌をピアノを演奏しながら歌うのである。彼女の ピアノ曲は、聴いていてとても快い。私はヤマハの奈良市内の教室が閉鎖されたので、カワイのピアノ教室に 移ったが、松尾優さんに「新しいCDを出したら教えてください」とお願いしておいた。彼女から「新しい CDを出した。今度奈良に行くときお渡しできる」との連絡をいただいた。

右がそのCDの写真である。9曲入っていて2000円。とても良い曲である。「10月からヤマハ西大寺の教室の 講師を辞めて、日本の各地をライブツァーでまわる」とのことであった。私は"彼女の大成"を祈りたい。 ちなみに、彼女の歌"君が大人になって"が、サカイ引越センターのテレビコマーシャルのバックグランドで 流されています。


2015.9.14

伊吹山

天気が良いので久しぶりに伊吹山に行くことにした。10:00に家を出て、途中のSA多賀で昼食用に松茸炊き込みご飯と 巻き寿司を買い、12:30に伊吹山の駐車場(標高1260m)に着いた。駐車場手前の道路沿いに、大きな望遠レンズ付きのカメラを設置 した人が50人ほどいた。イヌワシの写真を撮ろうとしているのだと推察した。伊吹山では入山協力金300円を徴収されると 思っていたが、訊ねると「土日・祝日だけ」とのことであった。評判が良くないらしい。

"山上では寒い"と予想していたが、好天で暖かく、長袖シャツ一枚で十分であった。伊吹山は各種の高山植物で知られているが、 なんと! 鹿に食い荒らされていた。鹿の足跡が各所にあった。そのためであろう・・・鹿が入れないようにネットフェンスを設置 する工事が進められていた。なんかブザマで、興ざめの光景であった。もっと大々的なフェンスの設置が必要と感じた。

お花の季節も終わりに近づいていたが、それでもサラシナショウマ、シモツケソウ、キリンソウ、イブキトリカブト、アケホノソウ、 イブキアザミ、フジテンニンソウ、リンドウ、ジンジソウ(右の写真)等々の花を楽しむことが出来た。山頂(標高1377m)近くの展望の 良い所で昼食をとり、山頂の茶店でトマトを買って食べた。

15:30駐車場を発ち、18:00奈良の家に着いた。


2015.9.9

テニス

USオープンテニスをテレビ観戦で楽しませていただいている。観戦していて、私は自分のサーブの修正を思い立った。 それを実戦で試みたら、ますます変になってしまった。それで・・・テニススクールのコーチに"サーブについての 個人レッスン"をお願いした。それを知ったテニススクールの友人が、驚いたのか?呆れたのか?、私に「オリンピ ックにでも出るつもりか?」と言った。
そんなことには動ずることなく、コーチの個人レッスンを受けた。1時間5000円である。親切丁寧な指導で、私の フォームの改善すべき所は良く分かった・・・しかし実行はムツカシイ。私は、ジョジョにマスターしていくつもり である。私の体は固まっているので、急激には修正できない。徐々に体をならして、修正していくツモリデアル。 乞う!ご期待!!!


2015.8.27

ブルーベリージャム

今年もブルーベリージャムを作った。作り方は以前にも書いたが、簡単だから再度記載する。

1. ブルーベリー 3.3kg を水で洗い、ザルにあけて水をきる。

2. 容量7.5リットルの鍋に、上記ブルーベリーを入れ、その上にグラニュウ糖 1.65kg をのせ、中火(クッキングヒーターメモリ7) で加熱。木べラでかき混ぜる。砂糖が融け、液状になったら、焦げ付かないようゆっくり木べラでかき混ぜる。40分ほどすると 沸騰してくるので3分ほどで火を止める。

3. 熱いうちに、壜につめる。ほぼ、満杯にして蓋をし、しっかり閉める。さめたら、蓋の安全ボタンが凹む。凹んだら 室温で、1年間保存できる。

上記の量で、右の写真に示すだけのブルーベリージャムが出来た。壜の大きさは直径8.5cm, 高さ8.3cm。1ヶ月に1瓶。 1年間、毎朝ヨーグルトに混ぜて楽しむことが出来ます。


2015.8.26

長女の長男の来訪

東京に住む長女の長男(上智大1年生)が、22日に奈良に来た。"自動車の免許が取れたら来る"とのことで 待っていたが、漸く取れたらしい。
23日 体を鍛えようと高見山(1248m)に登ることにした。途中のコンビニで昼食を調達し、12:00に高見大峠(900m) に車を止め、登山開始。風がさわやかであったがブトハエがつきまとって、それを払いながらの登山であった。 山頂(右の写真)で360度の展望を楽しみながら昼食。下山の途中、私は転倒・一回転して止まった。幸い、足首に 軽い擦り傷だけで済んだ。ステッキを持っていないのがいけなかった。15:30高見大峠に帰着。途中、ブルーベリー を注文していた宇陀の農家に立ち寄り、見事なブルーベリーを分けていただいた。
24日 元興寺の地蔵会に行った。極楽堂の須彌壇に地蔵尊が奉安してあった。グルメ屋台を期待して行ったが "いまひとつ"であった。
25日 奈良国立博物館で開催中の"特別展「白鳳 花ひらく仏教美術」"を観にいった。私はこれが4回目である。 長女の長男に仏像の説明をしていたら、数人の女性が「私達にも聴かせて下さい」と言ってこられた。「私は素 人で、間違っていることもあると思いますがよろしかったらどうぞ」と言った。ずっと付いて来られたから、 私の説明は面白かったらしい。
26日 昼食後、長女の長男は東京へ帰っていった。その後、愚妻は、力が抜けたのか? 疲れが出たのか? 「頭が痛い」 と言って寝てしまった。


2015.8.18

会食

愚妻は仲の良い元同僚2人と3人で時々美味しい料理を食べているようである。それで"申し訳ない" と思うのか、それぞれの夫を加えて6人での会食をしてくれる。以前は年1回ほど宿泊しての会食で あったが、元同僚の1人が"杖をつかないと歩けなくなった"ので、宿泊なしでの会食となった。

今回は、京都金閣寺の近くの京料理のお店で・・・とグルメな元同僚の提案であった。美味しい豪華な 料理が次々と出てくるにつけ"愚妻たちはこんな豪華な料理をいつも食べているのか"と思えてきてしま った。私の男友達で食通なのは・・・1.乗馬クラブの友達、2.???他に無い???。・・・そういえば、 日頃のランチでも、ちょっとしたお店なら大半は女性だ。

個室で大きな笑い声をたてて談笑していたら、店の女将さんが「これはどのようなお集まりですか?」 と訊ねられた。ちょと変わったグループらしい。一番若いのは、風格あるヒゲを蓄えた背の高いハンサム な男性である。最近、謡曲を習いはじめられた様で、私に「謡曲を習わないか」と熱心にお誘いになる。 私は「私は音感もリズム感も悪く、ピアノで精一杯です」と言った。「ピアノ?、ドンナ曲を?」。 「きよしこの夜」。「この夏に?」。「12月からはじめて、まだ出来ないんですよ」・・・で納得???。

21:00を過ぎた頃、解散。


2015.8.13

お盆

パリ・スイスの旅から帰って暑さに順応していない体でくたばっていたが、テニスと乗馬を再開し、 炎天下に墓参りにも行った。運動して疲れた時には昼寝をすることにしている。農作業をして疲れた 体を、昼寝で癒していた農家の人たちから学んだ知恵である。

13日 14日 17日
庭の鉢に植えていた大白蓮が今朝起きてみると、開花していた(右の写真)。唐招提寺から二段階を経て 我が家に遣ってきた蓮である。清楚で気品ある花である。この蓮の葉っぱも濃い緑で美しい。

盂蘭盆会のお供え(2014.8.15のブログに記載)に、大白蓮の葉っぱを切ってきて使用した。一段と豪華 なものとなった。

8月14日8:00に家をでて11:30岐阜県関市の弟の家に着いた。仏前で経をあげた後、妹の家に行った。 妹一家も勢ぞろいで、皆元気の様子で大慶であった。弟の家に戻ったら、大阪に住む末弟が娘・孫達と 来たところであった。皆で菩提寺に行き、墓参りをした。その後、近くの料理屋で昼食をとった。総勢 13人であった。15:00皆に別れを告げ、亡母の実家へ行った。従兄弟の一家に加え、叔父夫妻、従姉妹達 も来ていて旧交を温めることが出来た。亡母の墓参りを済ませた後、墓脇を流れる長良川で泳いだ。 小学生・中学生の頃、毎年8月14日から8月24日まで亡母の実家に滞在し、毎日泳いだ場所であり、身も 心も清められる思いがした。20:00無事奈良の家に帰着した。

鉢植えの大白蓮が2個目の花を付けました。まだ蕾が二つあります。植えてから三年目です。毎年二月末頃 土を換えます。この苗(蓮根)の欲しい方、来年の二月末頃差し上げます。ご連絡(h-kato@kcn.jp)下さい。

2015.8.7

パリ・スイス(Grindelwald)の旅

愚妻は昨年の末頃から「膝が痛い」、「腰が痛い」、「頭が痛い」、「咳が出る」、等々と と言って・・・「今年は海外旅行は止めて国内旅行にしよう」と言っていた。私は諦めかけ ていたが、5月22日にNHK BS103で"美しい山々「スイス・アイガー」"という番組を見て、 "スイスへ行こう"と決め作戦をたてた。愚妻に「もう老年期だから、今年行かないと行けなくなる」、 「40年前、子供達と一緒に行った懐かしい場所だ」、等々と説得した。

"ヨーロッパへ行くならパリ経由"が私の長年の原則。エールフランスのホームページで調べると、 プレミアム・エコノミーという座席があって"通常のエコノミーより座席が広い"とあった。料金は エコノミーより少し高いだけ。それじゃ試しに・・・とプレミアム・エコノミーの切符を買った。
パリの宿泊ホテルは、これまで数回泊まって気に入っているホテルを調べたら、空いていたので予約した。 問題はスイス・グリンデルワルトのホテルであった。"アイガーが部屋から見える・駅から近い"の 条件で探し、7泊8日・ハーフボード(朝食・夕食付き)を予約した。パリ・グリンデルワルト間の 鉄道切符の予約。これら全てをインターネットでおこなった。便利になったものだ。

(1). パリのホテルの部屋から観た凱旋門 (2). パリとベルン間の列車で出されたランチ (3). Grindelwaldのホテルの部屋から観たアイガー峰
7月24日 6:00起床。8:05近鉄奈良駅前発のバスに乗り9:25関空着。11:25発のAF291で17:00パリCD空港着。プレミアム・エコノミー の席はエコノミー席より広く、足も伸ばすことが出来たが、長時間の乗機では足を高く保ちたくなるので、座席をもう少し改良 した方が良いと感じた。CD空港から凱旋門行きのバスに乗り、19:00ホテル着。このホテルは凱旋門のバス停から100m程の所に ありとても便利である。写真(1)はホテルの部屋から撮ったものである。気温22℃。21:00就床。歩数4000。

7月25日 6:45起床 7:30朝食(1人15Euro 美味しい)。この日はオルセー美術館で終日過ごす予定であったが、愚妻が「ブーロー ニュの森に行きたい。1人では不安なので付いてきて」と言う。9:45オルセー美術館に入館、2015.3.1に記載した "19世紀の西洋絵画・・・オルセー美術館を中心にして"を印刷して持って行った。3年前と随分配置が変化していた。"絵画寄贈者 に配慮しすぎ"と感じた。14:00出館。地下鉄でブーローニュの森へ行った。森の広場で数人がグループで数メートル先に 白い直径5cm程の球を置き、それに向かって直径10cmの鉄球を投げていた。何と言うゲームか尋ねたら「ボウル」と答えてくれた。 植物園を見学したら、その隣に、ローラン・ギャロステニス場(フレンチオープンテニスの行なわれるところ)があった。約1時間 の見学ツアーがあったが"フランス語だけの案内"というので止めた。17:00ホテル着、スーパーで買い物しそれで夕食。21:00就床。 この日の気温23-18℃。歩数16000。

7月26日 7:00起床。部屋で朝食。8:30チェックアウト。10:23リヨン駅発Zurich行きの列車に乗った。一等車に乗ると昼食が付い ている。前回乗った時に美味しかったので一等車を予約しておいた。列車は満席であった。写真(2)はそのランチ。13:25Baselに 着いた。13:31Basel発15:28Interlaken着に乗り、15:35Interlaken発16:09Grindelwald着。駅から200m程の山腹にあるホテルに チェックイン。駅前にある日本語観光案内所に行って相談したら、"6日間有効な、周辺のバス・登山電車・ゴンドラ・ケーブル カーが乗り放題のパス: Jungfraubahnen Pass 33,522円"を勧められ購入した。後で分かったのだが、この券は極めてお得で有用 (乗車券を毎回買う手間が無い)であった。18:00より夕食。22:00就床。気温20℃、ホテルでは暖房設備が稼動していた。歩数5300。

7月27日 6:00起床。7:30朝食。写真(3)はホテルの部屋から観たアイガー。8:45Grindelwald発のバスに乗り9:20Grosse Scheidegg (1861m)着。寒いのでレインウエア(上下)を着た。神戸から来たという一人旅の若い女性が「霧が濃く、心細いので、ご一緒させて 頂けませんか」と声をかけてこられた。「どうぞ・どうぞ」と暫く一緒に歩いたが、霧が晴れて明るくなったら「もう大丈夫です」 と足早に去って行かれた。私と愚妻は、美しい高山の花や雄大な風景の写真を撮りながら、ゆっくり歩いて14:00にFirst(2168m) に着いた。Firstのレストランで休憩、散策した後ゴンドラでGrindelwaldに戻った。18:00夕食。21:30就床。気温20-13℃、 歩数12000。

(4). 持参の昼食 (5). 雲の間から一瞬現れたEigerの頂 (6). 長時間待ってやっと現れたJungfrau峰

7月28日 6:00起床。7:30朝食。8:30Grindelwerd発のゴンドラに乗り9:00Mannlichen(2227m)に着いた。この日のハイキングコースは 晴天ならEiger(3970m), Monch(4107m), Jungfrau(4158m)を遠望できるコースなのだが、霧がたちこめて視界が悪く、残念であった。 眺望が悪くても、高山の花は楽しむことが出来る。花の写真を撮りながら歩いて、持参の昼食(写真(4))を食べていたら、雲の間から Eigerの頂が一瞬現れた(写真(5))。14:00Kleine Scheidegg(2061m)に着いた。Kleine ScheideggにはJungfraujoch(3454m)への登山列車 の基点駅がある。展望の良い草原に腰をおろし、雲の切れるのを待った。写真(6)は長時間待ってやっと現れたJungfrauの山容である。 17:03発の登山列車に乗り17:45Grindelwaldに戻った。この日はホテルの夕食は休みとのことで町へ出て、18:30夕食をとった。 22:00就床。気温22-13℃、歩数12000。

(7). Kleine Scheidegg駅 (8). 北壁にいどむクライマーの登山口。右はアイガー氷河。 (9). 朝日に輝くアイガー。左にのびる稜線がミッテレギ稜。右の陽のあたってないところが北壁。

7年29日 6:45起床。7:30朝食。曇りで天気予報は"曇り時々雨"。8:47Grindelwerd発の登山列車に乗り9:19Kleine Scheidegg駅 (右の写真(7))に着いた。Monch峰, Eiger峰の頂上が見えるのを待ったが叶わず。10:30Kleine Scheidegg発の登山列車に乗り、 1040Eigergetscher に着いた。Eiger北壁の真下を歩くハイキングコース"Eiger Trail"を歩き、Eiger北壁直下の入り口まで 行った。道脇の岩壁に四人の登山ガイド・救助隊員のレリーフが嵌め込んであった。少し進んだところで雨が降り出した・・・ で引き返した。写真(8)は北壁にいどむクライマーの登山口。13:1040Eigergetscher発の登山列車に乗り14:12Grindelwerdに 着いた。18:00より夕食。22:00就床。気温20-12℃、歩数6000。

7月30日 6:50起床。霧雨。7:30朝食。8:30Grindelwerd発のゴンドラに乗り9:00Mannlichen(2227m)に着いた。霧の中を高山の花の写真を 撮りながら歩いてMannlichen山頂(2342m)に登った。眺望ゼロ。引き返してMannlichenからロープウェイでWengenへ行きそこから 登山列車で13:00Lauterbrunnen(796m)に着いた。レストランで昼食を済ませ、Staubbach-fallの見物に行った。 15:07Lauterbrunnen発の登山列車に乗り、Kleine Scheidegg経由で16:45Grindelwardに戻った。18:00夕食。22:00就床。 気温18-10℃、歩数9000。

7月31日 6:30起床。快晴。ホテルの部屋からアイガーが良く見えた(写真(9))。この稜線の左端にミッテレギ山荘があり、夜にはその 灯りがホテルの部屋から見えた。ミッテレギ稜は槙有恒さん(マナスル登頂隊長)が初登頂したルートで、槙有恒さんの寄贈により 立てられたのがミッテレギ山荘だそうである。この山荘の様子は、NHKの"美しい山々「スイス・アイガー」"でも報道された。 7:30朝食。8:19Grindelward発の電車に乗りZweilutschinenで乗り換え8:50Lauterbrunnenに到着。ケーブルカーでGrutschalpに行き、 そこから電車に乗りMurren(1645m)に行き、さらにロープウェイで10:00Schilthorn(2960m)の山頂に行った。好天で360度の大パノラマ であった。山頂の展望台で毎夏3ヶ月間Grindelwaldに滞在しているという日本人の写真家にお会いした。私のカメラが不具合だった ので相談したら、的確なアドバイスをして下さった。さわやかで、ハンサムな好青年であった。11:00ロープウェイに乗りMurren に戻り、ケーブルカーでAllmendhubel(1907m)山頂に行った。Flower parkを散策した後、山頂で昼食をとった。14:00Lauterbrunnen発の 登山列車に乗り、天気が良いので急遽Wengernalp(1873m)で途中下車し、Kleine Scheidegg(2061m)まで歩いた。 写真(10)はその道。16:30Kleine Scheidegg発の登山列車に乗り、17:15Grindelwardのホテルに帰着した。18:30より夕食。 21:30就床。気温24-13℃、歩数12000。

(10). WengernalpからKleine Scheideggへの道、右がMonch峰,左が Eiger峰 (11). 後方がBachalpsee。 (12). Cmpanula cochleaifolia

8月1日 6:30起床。小雨。7:30朝食。9:15ゴンドラに乗り10:00First(2168m)まで行った。霧のハイキング路を歩き、 Bachalpsee(2265m)まで行った。湖畔(写真(11))で昼食をとった。14:30Firstに戻りゴンドラに乗り15:30ホテルに帰着した。 18:00夕食。この日はスイスの建国記念日とのことで特別メニュー、小さなスイスの国旗が沢山テーブルにおいてあった。 21:30就床、ところ22:00から花火が打ち上げられ、飛び起きてしまった。22:30就床。気温22-13℃、歩数17400。

8月2日 7:00起床。晴。気温20℃。8:00朝食。9:30Lutschine川まで行き10:10ホテルに戻りチェクアウトした。ハーフボードで 7回の朝食、6回の夕食をこのホテルでとったが、アイガーを見ることの出来るテーブルが定席で、料理もとても美味しかった。 11:19Grindelwald発の電車に乗り11:54Interlaken Ost着。12:00発の電車に乗り13:59Basel SBB着。14:34発の電車に乗り 17:37Paris Gare Lyonに着いた。気温28℃。歩数7000。

8月3日 6:45起床。晴。7:30朝食。8:45ルーブル美術館に到着。9:00開館なのに300人程が列んでいた。昼食後、 愚妻は美術館を出て何処かへ行った。私は2015.1.23, 2015.1.28, 2015.2.3, 2016.2.8に記載した"西洋絵画(1)-(4)"を 印刷して携行し、ゆっくりと観賞させていただいた。この日はオルセー美術館の休館日であるせいか、ルーブル美術館は とても混雑していた。17:00愚妻と合流して美術館近くのカフェで夕食。地下鉄に乗ったら、若者がすっと立って席を 譲ってくれた・・・外国人が見ても"私は老人に見えるらしい"。19:00ホテルに帰着。気温32-22℃。歩数9500。

8月4日 7:00起床。晴。気温23℃。9:30チェクアウト。9:45凱旋門バス停よりバスに乗り10:45CD空港着。自動チェクインして 搭乗券を見て喜んだ。ビジネスクラスの搭乗券になっていた。カウンターに行ったら、離れていた席を隣接した席に換えてく れた。エアーフランスは良く出来ている・・・と感心・感謝。8月5日8:40関空に無事帰着した。気温30℃。奈良の家に帰った ら気温35℃。「暑い! 暑い!」と思わず叫んだ。

今回の旅行は、何も失敗することなく無事おわった。御蔭さまで2人とも元気であった。感謝・感謝である。
愚妻は写真狂である。今回の旅行で、数千枚の写真を撮ったのではないか。写真を撮っておれば"幸せ"なのだ。 私も、愚妻が写真を撮っておれば"安心・幸せ"である。
愚妻は金持ちなのに貧乏性である。私は金持ちでないのに金持性である。Grindelwaldで乗り物乗り放題の切符を買ったが、 愚妻は「乗り放題だから、沢山乗らなくちゃ」という。私はそんな気はおこらない、「ゆったり座って美しい景色を 眺めて居れば良い」である。・・・それでも、愚妻に従って、毎日何処かへ出かけた。まだ元気なのか??? 愚妻は奈良の家に帰着して言った「来年も行こう・・・」と。


2015.7.23

特別展「白鳳 花ひらく仏教美術」

奈良国立博物館で"開館120年記念特別展「白鳳 花ひらく仏教美術」"が7月18日から9月23日まで開催 されている。孫娘が帰った後、私はこの特別展を拝観に行った。予想していた以上に素晴らしかった。

兵庫県鶴林寺の観音菩薩立像と法隆寺の観音菩薩立像(夢違観音)を同じ会場で拝観できた。私は行った り来たりして、じっくり比較・拝観させていただいた。前から・横から・後ろからとその美しいお姿を 拝観することが出来た。
薬師寺の東塔(解体修理中)の相輪水煙および相輪基部を間近に拝観できるのも圧巻であった。
沢山の白鳳金銅仏が日本全国から集めてあり、仏像の背後に鏡を置いてあったり、背後から拝観できる ようにしてあった。
法隆寺の阿弥陀三尊像(橘夫人念持佛)および厨子。後扉と蓮池が外して展示してあり、文様をはっりと 観ることが出来た。
私はイヤホンガイドを借りて、ゆっくりと拝観させていただいた。日本の仏教文化が花ひらく頃の優品が 一堂に集めてあると思った。この機会に是非、奈良国立博物館を訪れることをお薦めします。私も再度、 この特別展にいきたいと思っています。


2015.7.22

孫娘の来訪

東京に住む長女の長女は、東京都の米国派遣プログラムに応募して、1年間米国でホームステイ をして米国の高校で学んでいた。それが終って6月に日本に帰っていたが、米国の教育システムの方が 好きだというので、今度は米国に住む次女の家にホームステイして、米国の高校へ編入し、 米国の大学に進学することをめざすそうである。今月の26日には渡米するというので、その前にと 奈良に遊びに来てくれた。彼女と話していると"人生に対する自分の目標・考えをしっかりと持って いる"のには感心し、嬉しく思った。"どうか健康に気をつけて、精進・努力をしてほしい"と私は 願っている。

20日の午後に奈良に来てくれたので、昼食の後、興福寺へ行った。北円堂の特別公開をしていたので 入堂した。北円堂は建物も優美だけど、運慶作の阿弥陀如来坐像、無著・世親菩薩立像は白眉である。 東金堂、国宝館も拝観させていただいた。
21日、私は翌日にピアノの発表会をひかえており、午後にピアノ教室の直前練習会があった。 愚妻と孫娘は東大寺、春日大社へと出かけて行った。
22日、この日は16:00から大和郡山城ホールでピアノの発表会が予定されている。孫娘と愚妻が "聴きに来てくれる"と言う、そして時間があるからと奈良国立博物館へ"開館120年記念特別展「白鳳」" を2人で拝観にいった。私は練習に必死である。15:00に3人揃って車で家を出た。15:35に大和郡山 城ホールに着いた。ホールに入って私は気が付いた"楽譜を忘れた"と。動転して、取りに引き返した ・・・が途中で気が付いた。時間が無い・・・で楽譜はあきらめた。仕方が無いから"暗譜"で弾こう と決意した。さて、本番。"指が覚えていてくれる"と思っていたのに、全然駄目。何度か試みたが ・・・。先生が出てきて助けて下さるのだが・・・頭がパニック。
発表会の後、"美味しいレストランで食事"を予定していたのだけど、そんな気になれない。中止して 家に帰った。家で、楽譜を使ってピアノを弾いて、孫娘と愚妻に聴いていただいた。この演奏も完璧 ではなかった。「嗚呼、残念! 残念! またの機会に、汚名を挽回しょう」。 ちなみに、演奏曲は"聖夜"。
23日、孫娘は東京に帰る。


2015.7.13

山門水源の森

今年の春に小塩山に登った5人(2015.4.18のブログ参照)で、滋賀県北部の長浜市西浅井町 にある山門(やまかど)水源の森へ行った。行き先は同級生のT君が見つけ、7:30に 丹波橋駅の東口に集合と指示してくれた。前回1時間も遅刻したので、今回は7:12に丹波橋駅 に着いた。T君の車に乗せていただいて7:40に丹波橋を出発し、名神高速・北陸道を通って 10:00に山門水源の森に着いた。

コースの入口に管理事務所があり、パンフレットを頂いた。管理事務所に隣接して"付属湿地" があった。山門湿地の中には入れないので動植物の観測を容易にする目的と山門湿地の生態系 を再現・湿原再生の実験を目的として"付属湿地"を作ったとのことであった。係員の説明が とても良かった。そして"付属湿地"は小さいけれどとても良く設計・管理されていた。係員 の能力が高く且つ熱意があふれている結果だと思い・敬服した。

時間をかけて"付属湿地"を見学した後、登山口(標高226m)から尾根道を登りアカガシの森 (標高350m)に着いた。其処で昼食をとった。歩行速度の遅いのを気に掛けていた同級生の T君が「湿地周辺を歩く、少し容易なコースに変更しようか?」と言った。私は先輩のY さんに意見を訊いた。するとYさんの細君が「予定通り健脚コースを行きましょう。少し くらい無理をさせた方がよろしい。」とおっしゃった。

それで健脚コースに決まった。尾根筋の登山道で風が強く、汗の出る体を冷やしてくれて、 心地良かった。琵琶湖や伊吹山を眺望できる場所もあり、予想より容易に、守護岩のある 最高地(標高512m、右の写真)に着いた。ブナの森を経て湿原(標高285m)まで下った。 湿原の側道を通り、沢道を経て、15:00登山口に帰着した。全体になだらかで、樹間の道で 日差しが強くなく、とても良いコースであった。ここを探し出し・選んでくれたT君に感謝 ・感謝。行きと同じルートで近鉄竹田駅に17:10に帰着し、別れを告げた。


2015.7.12

テニススクール

土曜日にテニスが出来なかったので、11:00-12:30に開催されるテニススクールのクラスに 振り替え参加させていただいた。足腰を鍛えようと10:25に家をでて、徒歩でスクールまで 行った。炎天下であった。私は気を引き締めて歩いて行った。
途中に、庭木の剪定をしている家があった。本職の庭師で、高い台の上に立って、何にも 掴らずに、両手で剪定鋏を軽快に扱って剪定をしておられた。"うーん、あのまねを出来な い、いや、してはいけない"と思いつつ通り過ぎて行った。
鴻ノ池陸上競技場の脇を歩いていると、1,000人を越えるかと思われる中学生が、陸上 競技場にいた。その時、800m競走が行われていて、大きな歓声があがっていた。この炎天下、 "元気だなあ。若さだなあ"と感心しながら、私は汗を拭き拭き通り過ぎていった。
テニスコートの手前に畑がある。その畑で、草を引いている人がいた。"炎天下ですごいなあ" と感心しつつ良く観ると"なんと、私と同年代の人"であった。私の先祖は農夫であったのに "なんと私はヤワクナッテシマッタノダロウ”と思いつつテニススクールに着いた。
私の通っているテニススクールは室外コートしかない。炎天下のテニスで汗をビッショリ かいた。帰りはバスに乗ってしまった。


2015.7.7

庭木の剪定

庭木が随分伸びたので剪定することになった。危ない仕事なので庭師にお願いして剪定して いただいた方が良いのであるが、庭木の下に愚妻が大切にしている野草が所狭しと植えてあ るので、愚妻が"監視をして文句が言える"というので、私がその任に当たることになった。

晴天の日は暑いので、梅雨の間の曇りの日を選んで剪定作業をした。一番大変なのが、 根元の直径が30cmを越える梅の木である。毎年沢山の実を付けていたのだけど、今年は全く 収穫できなかった。この老木に登って剪定をした。"梅は裸で登れるように剪定せよ"の金言 に従って、徒長枝だけでなく込み合った太い枝も思い切って剪定した。梅の木は丈夫なので 、枝が折れて落下することはなかったが、曲芸のような姿勢をとることもあり、この木の 剪定を終えたときはホッとした。

次いで、ロウバイ、ツバキ、ハナズオウ、サンシュウ、モチノキ、マキ、紅梅、モミジ等を 順次剪定した。これらは脚立に乗っての剪定で、落ちても高々2m位の落下である。それでも、 これらを終えたときには"わが身の無事に感謝・感謝"であった。簡単なようで結構疲れる。 日頃使わない筋肉を使うからだろう。・・・それにしても・・・こんな作業いつまで続ける ことが出来るのだろうか??????

右の写真は紅梅の下で咲くチダケサシ。


2015.6.23

大学卒後50年同窓会

京大の楽友会館で京都大学理学部卒業後50年同窓会があった。卒業後50年となると殆んどが 引退しており"それぞれの人生をどのように過ごしているか"知るのも参考になるかと参加した。 12:30頃会場に到着したら、玄関前で記念撮影のため皆が並んでいた。急遽端っこに並んで記念 撮影に加わった。理学部の同級生は180名であったが、60名が参加していた。物故者が26名だ ということなので、参加率は高い。

話していると、その人の歩いてきた人生・その生き様・人格がうがえて、立派な人に会うと それほど親しくなかった人でも楽しい。

先日亡くなった陳舜臣さんの弟(舜臣さんは長男で、同級生は10人兄弟の末弟)が、一家の出自・ 舜臣さんの思い出を語ってくれたのも興味深く拝聴した。

とても元気な人も、障害を持った人もいた。この同窓会での最大の収穫は"よく歩いて、足腰を 鍛えること"の大切さを再認識したことである。

右の写真はヒメユリ。


2015.6.21

田中一光

奈良県立美術館でグラフィックデザイナー田中一光(1930-2002)さんの特別展が開催されているので 観覧させていただいた。右の写真は入場券であるが"田中一光 美の軌跡"の文字は田中一光さんが 完成した"光朝体"の文字である。細くするどい横画、三角形のウロコ・たっぷりとしたおさえ、 太く力強い縦画で構成されている。洗練された品格と美しさを兼ね備えた文字で、タイトルやポスター などで使用されているから、誰もが見ている文字である。ついでに・・・左の杜若、右の椿は 成田国際空港第二旅客ターミナルビルの壁画デザインである。この展覧会では、田中一光さんの創造の原点・ 日本の伝統美術と美意識に焦点を合わせたものであり、見ごたえのあるものであった。

時間があったので、奈良国立博物館へ行き"特別陳列 名匠三代 木内喜八・半古・省古の木工芸"を観た。 正倉院御物の修補・模作に腕を振るった名工の展覧会であった。

家に帰る途中、興福寺の参道を歩いていたら雨が降り出した・・・で興福寺の国宝館に駆け込んだ。 立派な国宝の数々を拝観して、外に出たら雨が止んでいた。なんとも贅沢な雨宿りであった。


2015.6.14

映画"あん"

「萌の朱雀」でカンヌ国際映画祭新人監督賞、「殯の森」ではカンヌ国際映画祭グランプリを 受賞した河瀬直美監督が、ドリアン助川の小説"あん"を脚本・監督・編集した映画"あん"を観 にいってきた。

河瀬直美さんの監督作品は、これまでは自分で発案した主題で脚本・監督・編集してこられていて、 題名も内容も漠然とした映画であったが、"あん"は主題も物語も明確で、これまでの作品とは変化 したものであった。
どら焼き屋の雇われ店長として日々を過ごしていた千太郎(永瀬正敏)のところへ、店で働くことを 懇願する老女、徳江(樹木希林)が現れ、彼女が作る粒あんの美味しさが評判を呼んで店は繁盛していく。 しかし、徳江がかつてハンセン病を患っていたという噂が流れ客足が遠のいてしまい、徳江は店を去った。 彼女のことが気にかかる千太郎は、徳江と心を通わせていた近所の女子中学生ワカナ(樹木の孫娘である 内田伽羅)とともに、徳江を訪ねる・・・。
プロの優れた俳優:樹木希林、永瀬正敏、市原悦子らの演技も見事で、良い映画だと思った。人気もあるようで、 映画館の観客数は、これまでの河瀬直美さんの監督作品より多かった。

暑い日で薄着でいったが、映画館の中は涼しく、羽織る上着を持って行ったほうが良かった。


2015.6.9

削り鰹

私が長年愛顧にしていた"削り鰹の専門店"が、店主が高齢になって閉店になった。行きつけの 魚屋の店先で、私が「西口鰹店が閉店になって困っている」と言ったら、隣にいたご婦人が 美味しい"削り鰹を売っている店"を教えてくださった。

その店に行ったら、長崎から直送で仕入れているという"削り鰹"があった。その"削り鰹"を 買って「削り鰹と昆布でダシをとる」と言ったら、女店主が"上かつお厚けづり"を薦めて、 「最初にこのかつおと昆布を水にいれて、ゆっくり熱してダシをとると、風味が良いコクの あるダシがとれる」とおっしゃった。そのまま食べても美味しそうだったので買った、80gで 510円であった。上かつお厚けづり20gと昆布10gを2リットルの水に入れ、20分程かけてダシを とった。ダシをとった後の"かつおと昆布"が「捨てるには勿体無い」と思い、四角に切って、 水100ccと醤油・砂糖少々を加えて弱火で15分焚いた。これ(右の写真)、結構美味しかった。

上かつお厚けづりを"HK式濃縮だし醤油の作り方(2010.5.11)"に使用したら捨てるものが無くなる 。


2015.6.2

愚妻の"腰痛"

最近、愚妻が「腰が痛い」と言い出した。私は何度も"ぎっくり腰"を体験し、3年前にはそれを こじらせて長い間"腰痛"に苦しんだ。御蔭さんで私は快調な生活を楽しませていただいているが、 今度は愚妻の"腰痛"である。愚妻のは"ぎっくり腰"でなくて"老化による腰痛"と思われる。嗚呼! 困ったことだ。

「腰痛治療に温泉に行こう」、「昨年、友達と行った"奥伊勢フォレストピア"が良い」と愚妻が言 った。「友達と行った時は列車・バスで行ったが車で連れてって」とも。調べてみると"車の方 が便利"と分かった。前日に予約し、6月1日10:15に家を出た。途中の菟田野のアグリマーケット で1個350円の散らし寿司を2個買った。12:30途中の景色の良い所で、その散らし寿司を食べた。 量が多く満腹になった。少し"腹減らしの散歩"をと・・・歩いて驚いた。なんと"美しいササユリ" が沢山、路傍に咲いていた(右の写真)。

13:45"奥伊勢フォレストピア"に着いた。「チェクインは15:00から」ということだったので、 周りを散策することにした。清流沿いの林道を歩いた。サンコウチョウの鳴き声を聴くことが できた。何度も・何度も!!!
16:00チェクイン。早速、温泉(鉄分の多い茶褐色の湯)に入り、18:00から夕食。本格的なフランス 料理で美味しかった。食後に再度入浴し、21:00就床。寝る前に外に出てみたが、カジカの合唱だけで コノハズクの鳴き声は聴けなかった。

6月2日7:00起床。温泉に入り、8:00朝食。9:00チェックアウト。愚妻の"腰痛"が治っていたら、 総門山(948m)に登る予定であったが「腰痛は治っていない」とのことで断念。宮川沿いの道を大杉谷の 方へと進んだが、大熊谷出会いから引き返した。422号線に入ったところにホテルで推薦された大陽寺が あった。参拝して、ふと見ると脇にある地蔵様の花筒にササユリ3本とアザミがさしてあった。本堂の裏 山にまわると、ササユリが何本も咲いていた。それで納得・納得。
166号線に入ったら、道路わきに黒滝神社があった。参拝すると社殿の脇に樹齢800年という杉の大木が 鎮座しておられた。境内で、近くにお住まいだという老婦人に会った。「83才で1人暮らしをしている。 近所の同じく1人暮らしをしている友達を見舞ってきたところです・・・」とおっしゃった。いろいろとお 話をした。"年上の人の話は多々参考になる"。15:00奈良の自宅に帰着した。


2015.5.31

ゆすらうめ(山桜桃)

庭にある"ゆすらうめ"が真っ赤な実を付けた。そろそろ食べ頃かなと摘まんで食べた。甘酸っぱくて美味しい。 甘さがゆるいので、あまり人気が無いようだが、この淡白な甘酸っぱさが上品で私は大好きである。木からもぎ 取りながら食べるのが最高である。もぎ取って食べていて気が付いたのだけど・・・太さ1cm程の枝が折れていた。 地面に直径5cm程の塊が2個あり、ゆすらうめの種が沢山入っていた。なんかの獣がゆすらうめを食べているよ うだ。ヒヨドリが食べるのは分かるけど、これにはびっくり。昨年、ゆすらうめのジャムを作って美味しかっ たので、獣にとられる前に収穫しようと摘み取った。少し生で食べて、残りでジャムを作った。昨年はレシピ を書き留めるのを忘れたようなのでここに記す。

HK式ゆすらうめジャムの作り方
1. ヘタを取り、水で良く洗い計量(1.6kgあった)
2. ゆすらうめを鍋に入れ(右の写真)、ヘラでかきまぜてつぶす(水は加えない)。沸騰してきたら弱火にし、 ヘラでつぶす。10分ほど煮たら、金網ザルに移し、ごしごしとやって種と果肉・汁を分離し鍋に入れる。
3. 種をプラスチックの網袋に入れ、種に付着し残ってている果肉・汁を綺麗に採り、種(300gあった) は捨てる。
4. 金網ザルとプラスチックの網袋をカップ1杯の水で濯ぎ、果肉・汁の入った鍋に加える。
5. グラニュー糖(0.8kg)とレモン2個の絞り汁を加え、中火で加熱。沸騰してきたら弱火にし、20分煮る。
6. 暑いうちに壜に入れ、空気を出来るだけ少なくするようギリギリまで入れて安全ボタンの付いた蓋をする。
直径8.5cm高さ9.0cmのガラス瓶5個の"ゆすらうめジャム(液体なのでシロップ?)"が出来た。毎朝、小さじ1杯を トーストにつけて食べる。これ、とっても美味しい。


2015.5.26

夏の訪れ

今日、奈良では最高気温が30℃になった。テニススクールへ行くのに車で行こうか迷ったが、"健康のため" と歩いて行った。炎天下を歩きながら、小学生の頃"津保川(長良川の支流)"まで泳ぎに通った炎天下を思い出し、 自分の生活が次第に子供の頃に帰っているなと思いつつ、"子供と違って次第に衰えていくのだから何時まで歩 けるのだろうか"との思いがよぎった。・・・しかし"そんなことは心配してもしょうがない。なるようになる しかない。"と両手を振って25分程でテニススクールに着いた。

この日は生徒が3人。コーチを入れて4人であった。屋外のコートなので、日焼けを気にして?生徒が減って いる。しかし私の行っている"佐保山テニスクラブ"は元正天皇陵の傍にあり、ホトトギス、コジュケイ、ウグイス 、キジ等の鳴き声を聴きながら、テニスを楽しむことが出来る。"すばらしい環境にある"と私は思うのだが・・・。

炎天下で1時間30分テニスをした。水分補給に最近考案したスペシャルドリンク(スポーツドリンクにヤクルト・ 氷を入れたもの;胃に優しい)を1リットル飲んだ。楽しかったが疲れたので帰りはバスに乗ってしまった。

右の写真は、再度登場。オオヤマレンゲ。


2015.5.24

曽爾高原

「雨」の予報が「曇りのち晴れ」になったので、急遽"曽爾高原"に行くことにした。10:00に家を出て11:40に 曽爾高原ファームガーデンに着いた。館内のレストランで昼食をとった後、国立曽爾青少年自然の家の駐車場 に車を止め、曽爾高原へと歩いて行った。200名ほどの小学生がずらっと並んで、お亀池(710m)から亀山峠(810m)、 二本ボソ(996m)へと歩いていた(右の写真の正面頂上が亀山峠、尾根を左に登ると二本ボソへ着く)。下山して くる一団の子供達に尋ねたら「奈良市から来た小学五年生です。二本ボソまで登ってきました。眺めがとても 良かったですよ。」とのことであった。それでは・・・と私も二本ボソまで行くことにした。
数人でグループを組んでの、自由行動のようで、大きな声をはりあげながら楽しそうにそれぞれが歩いていた。 こうした子供達の叫び声を聞くことは、私の今の生活には殆んど無いことで、とても快い響きであった。子供 達にも、こうした体験は楽しい思い出になることだろう。健康的でとても良い事だと感じた。引率する先生達に 敬意を表したい。
新緑の曽爾高原は美しく、カッコウ・ツツドリ・ホトトギスなど鳴き声も聞くことが出来た。風の無い所では 蒸し暑かったが、尾根筋では涼しい風が吹いていた。


2015.5.15

人間ドック

退職して職場での定期健康検診が無くなったので、毎年四月に半日の人間ドックに行っている。気休め程度の軽い 検査であるが、胃カメラだけは苦痛である。胃カメラを見ながら医師が「少し荒れてますね。組織を採り検査しますよ。 ピロリ菌の検査もしますよ。」とおっしゃった。そして「これらは別料金です・・・」と。

その検査結果を今日訊きに行った。B判定だったのが、総コレステロール 227mg/dl H、LDLコレステロール 162 mg/dl H、 血清アミラーゼ 141IU/l Hであった。何だか良く分からないが、医師は「特に問題なところはありません」と言われた。 私は「胃は如何ですか? テニスをして水をがぶ飲みすると胃の調子が悪いですけど・・・」と訊ねた。医師は「水を沢山 飲めば胃液が薄くなりますね。飲まないわけにはいかないでしょうから少し控えることですね・・・」と。私は 「"胃が荒れている"と言われたんですが、薬は飲まなくて良いんですか?」と訊ねた。医師は「慢性胃炎ですね。でも薬は 飲む必要はありません。あっ、ピロリ菌はいなくなっていますね。」とおっしゃった。なんとも頼り無かったが、 昨年飲んだピロリ菌除去の薬は効果あったようだ。

気分転換。右の写真はオオヤマレンゲ。花器は天平古材:東大寺転害門の垂木。亡くなった義母が植えた大山蓮華が、 今年は格別沢山の花を付けた。いま、花盛りである。清楚な此花の白は格別である。


2015.5.13

春日大社御本殿特別公開

春日大社では4月1日から6月30日まで、第60次式年造替(20年毎におこなわれる御殿の建て替え・修繕と御神宝の新調) を記念して"国宝御本殿特別公開"が行われている。テニススクールが終ってから出かけて行った。 我が家を出て、東大寺の焼け門跡、大仏殿裏、二月堂前、手向山神社、三笠山山麓、水谷神社を 通り、春日大社御本殿に着いた。

春日大社では本殿の位置は変えずに建て替え・修復が行われるようで、現在は本殿の修復(今回は屋根の葺き替え) が行われているので神さまは"移殿(うつしどの)"へ「仮殿遷座中」であった。仮御殿に参拝した後、140年ぶりに 公開されたという御本殿の背後にある"後殿(うしろどの)"に進んだ。後殿には御本殿の創建に深く関わりがあると 考えられる神秘の石"磐座"が祀られていた。

次いで、御本殿がある内院に入れていただいた。神々様が仮殿遷座中なので内院への参入を許可しているとのこと であった。春日大社の御本殿は、日本の代表的な神社建築様式のひとつである春日造の本家で、四棟が横一列に並 んでいた。屋根は檜皮葺で、柱はあざやかな本朱で塗られており、社殿の間にある御間塀には獅子と牡丹(中央の塀)、 神馬(両脇の塀)が描かれていた。品格のある美しい絵であった。

御本殿中門を出て、影向門を出て北に進むと、御本殿の東側に"御蓋山浮雲峰遥拝所"があった。禁足地であるが、 特別に公開しているとのことであった。桜門から回廊内に入り南門から出た。記念品(お清めの香)付きで拝観料1000円。

次いで、若宮に参拝した。神官が木箱を提げて来られたので拝観していると、神饌を供える儀式を始められた(上の写真)。


2015.5.9

雨でテニスはお休み

毎週土曜日の午後神戸大学でテニスをしている。ところが今日は雨で中止になった。それで午後 に奈良公園を散歩することにした。
興福寺の南円堂へ行った。右近の橘が美しい白い花を付けていた。南円堂に参拝したら"北円堂公開中" と書いた看板があった。それではと北円堂へ行った。北円堂は興福寺に残る伽藍堂宇の中では最も古く 、均整のとれた美しい八角堂であり、国宝である。堂内には中央に弥勒如来坐像、その後方両脇に 無著菩薩立像、世親菩薩立像が祀られている。無著・世親菩薩立像は堂々とした体躯で量感があり高貴 で高い精神性を持った像で、ミケランジェロの彫像と見比べても劣らないと思う。さらに、木心乾漆造の 四天王立像がその周りにおわします。これら全てが国宝である。
北円堂を出て奈良国立博物館の方へ歩いて行った。博物館では特別展"平安古経展"を開催していた。 「習字の参考になるかな」と思って入館した。平安古経ではあまり分からないのでイヤホンガイドを 借りて説明を聴きながら観覧することにした・・・これが良かった。習字の参考にはならなかったが、 平安時代の経典の歴史と多様性を知ることが出来、且つ平安時代を通じて培われた製作技術の粋を尽く した写経遺品「久能寺経」を拝観することが出来た。
右の写真は庭に一輪だけさいた紅い一重のシャクヤク。


2015.5.8

我が家の太陽光発電: 設置から4年

福島の原発事故を契機に我が家では太陽光発電装置を導入した。シャープ製住宅用太陽電池 モジュール(ND-163AW: 1165x990x46mm, 14.5kg)を18枚(: 最大出力2.934kW)を設置した。 費用は280万円であった。設置から4年経過したのでその結果を整理した。

月毎の発電量を棒グラフで右に示す。青(最左)が1年目の発電量、緑(左から2番目)が2年目の発電量、 濃紺(左から3番目右)が3年目の発電量、薄緑(右端)が4年目の発電量である。 天候により発電量は変化するが発電性能の劣化は見られないと思う。発電量は冬季の11,12,1,2月に かなり減少した。
我が家の月別電力消費量を同様の棒グラフで右端に示す。4-10月は太陽光発電でほぼ我が家の 消費電力をまかなうことが出来るが、11-3月は25%程度しかまかなえていない。我が家で使う電力の全てを 太陽光発電で補うためには現在の2倍量のパネルを設置すべきであった。

採算面から見てみよう。関電に売った電力の月別金額、関電から買った使用電力の月別料金、 関電に売った電力の金額から関電から買った使用電力の金額を引いた月別金額をそれぞれ棒グラフ にした。青(最左)が1年目、緑(左から2番目)が2年目、濃紺(左から3番目右)が3年目、 薄緑(右端)が4年目を表す。

関電に売った電力の月別金額 関電から買った使用電力の月別料金 関電に売った電力の金額から関電から買った使用電力の金額を引いた月別金額
関電に売った電力の代金と関電から買った電力の代金が年平均でほぼ同じであったのは、購入電力の 料金が消費時間により異なること(1kWhの料金はデイタイム:10-17は33.51円(昨年は28.02円), ナイトタイム:23-7は11.07円(昨年は8.19円), リビングタイム:7-10,17-23は25.29円(昨年は21.64円)であった。お湯は料金の安いナイトタイムに沸かして貯蔵)と 関電に売る電力の料金は、太陽光発電を奨励するために値段を高くしてある(我が家に太陽光発電装 置を設置した時点では1kWhの料金は48円(10年間固定))ことによる。
1年目に関電に売った電力の代金が 97,680円、関電から買った電力の代金が94,114円であった。 2年目に関電に売った電力の代金が105,600円、関電から買った電力の代金が91,258円であった。 3年目に関電に売った電力の代金が 97,680円、関電から買った電力の代金が123,082円であった。 4年目に関電に売った電力の代金が 95,052円、関電から買った電力の代金が129,477円であった。 合算すると、4年間でオール電化の生活をさせていただいた上で、関電に総計41,929円支払った。
太陽光発電装置を導入する以前の1年間に我が家では、電気代を122,646円、ガス代を95,855円、 合計で218,501 円払っていた。太陽光発電装置を導入したことにより、1年間で約21万円の光熱費 が浮いたことになる。初期投資が280万円であるから13年間で初期投資が回収されることになる。
本装置の保証期間について、シャープから"一時金55,860円を支払えば10年保証から15年保証に切替える" との提案があり、我が家の太陽光発電装置は15年保証となった。
我が家の月別の電力消費量が3年目の冬から増加したのは、床暖房と電熱ストーブを導入したことによる と思われる。我が家も老齢化が進んで環境適応能力が減少しつつあり、光熱費も増加する。


2015.5.5

五月の連休

先日の奈良市の発表では、奈良市の観光客で外国人が占める割合が50%を越えた様である。 この連休中は、日本人観光客が増えて奈良は混雑している。うどん屋でも行列なので、 もっぱら家で食事をし、家に籠もっている。
家の中だけにいることも出来ないので、コンポストに溜まった生ゴミを庭の畑に埋め、 その脇にキュウリを植えた。蓮(大賀蓮と大白蓮)の植え替えをし、メダカの水槽を きれいにした。オオヤマレンゲの葉っぱを食草とする虫が見つかったのでこれを駆除 ・・・等々の仕事に従事。
我が家の庭は花盛りである。私の好きなシャクヤクも沢山花を付けてくれた(右の写真)。 オオヤマレンゲも美しい花を咲かせている。
今日は五月の節句。菊屋で柏餅を買い、先日大宇陀の農産物直売所で買った粽を蒸して いただいた。両者とも絶品である。


2015.5.1

日本さくら草

乗馬クラブへ行った後、少し足を延ばして高鴨神社へ行った。高鴨神社の宮司さんが、 現存している日本さくら草の殆ど(五百余種)を保存栽培しておられ、毎年この時期に 展示されている。私は高鴨神社に参拝した後、境内に展示してある日本さくら草を拝 観させていただいた。約400種の日本さくら草が展示してあり、見事であった。帰り際 に、特別分譲販売されていた日本さくら草3種(3鉢)を買った。
40年程前に妹の家から日本さくら草を頂いた。そのピンク色が美しく大事に育ててきた。 先日、妹にそのことを話したら、妹の家では無くなってしまったと言っていた。高鴨 神社にも何回か拝観に行っており、そのたびに日本さくら草を買ってきたので、我が 家には約20種の日本さくら草がある。
愚妻は園芸種の日本さくら草は好きでないというが、私は高山に咲くコザクラのような 紅みの濃いピンク色の日本さくら草が大好きである。以外にこの花は切花にしても日持 ちが良い。右の写真は、ハナイカダと組み合わせて生けた。緑とピンクの組み合わせが 良い。この他、私の部屋には、マイヅルソウと日本さくら草、スズランと日本さくら草 の組み合わせで生けた花器がある。春爛漫で、この幸せに感謝・感謝。


2015.4.24

バッハ、春の目覚め

「4月24日に19:00から京都の青蓮院の門前にある会館で"バッハ、春の目覚め"と題するヴァイオリン とチェンバロによるコンサートがあるけど行かないか?」と誘われた。私はチェンバロという楽器も 良く知らないけれど、会場の周りを逍遥するのも好い・・・と思い、行くことにした。前売り券の 料金は4000円(ドリンク・アミューズ付き)であった。
24日はピアノ教室の日であった。あっ、そうだ、この4月にヤマハのピアノ教室の奈良校が閉鎖になった。 西大寺校に移って欲しいと言われた。電車と徒歩で片道20分程余計にかかる。先生も優れた方だったので、 私は迷った。しかし、家から徒歩で10分の所にカワイのピアノ教室がある。異なった先生の、異なった視 点での指導を受けるのも良いかもしれないと考え、今月からカワイのピアノ教室にお世話になった。 初めての教室で、私のレパートリーの"月の砂漠"を弾いたら、訂正すべき箇所を指摘された。これが的を 得ていたので、納得・納得。私のピアノのレッスン時間は15:00-15:30である。レッスンを終えてから 京都への電車に乗った。
京阪三条駅の近くで、少し早いが夕食をとった後、青蓮院まで歩いて行った。学生時代に何度も歩いた道で 懐かしさがこみあげてきた。特に"東山三条"は、初恋の人にプロポーズして断られ、別れた場所である。 50年余前の懐かしい・懐かしい場所だ。青蓮院には18:20に着いた。会場のパビリオンコートは古風な 日本建築の様であったが、中に入ると、レンガ造りの洋館であった。大正時代に建てられたということで あったが、風格ある建築で、アンティークの調度品が良い調和をかもし出していた。2階の広いホールに チェンバロが置いてあり"貴族の館のホール"といった雰囲気であった。
木下知子さんがヴァイオリン、井幡万友美さんがチェンバロで、バッハの"ヴァイオリンとチェンバロの ためのソナタ"の室内二重奏を演奏された。息の合ったお二人の演奏は楽しく"居眠りしてしまうんじゃないか" という私の懸念は杞憂であった。


2015.4.18

小塩山

2013年4月12日に大学時代に所属していた研究室の同級生と先輩の3人で高槻の北方にある 小塩山(おしおやま、標高642m)に登った。その時見たカタクリの見事さを愚妻に話したら 「私も是非行きたい」と言ったので同級生にお願いしておいた。同級生から「カタクリが満開、 18日が最後の機会」との連絡があり、前回の3人に愚妻を加えて行くことになった。9:00に JR高槻駅北口に集合と同級生が指示してきた。6:30に起床し7:30に家を出て、7:45近鉄奈良発の 電車に乗る予定であった。ところが・・・7:00朝食を食べようとして時計を見たら、なんと8:00 であった。私も愚妻も動転した。同級生も先輩も携帯電話を持たない個性あふれる人物である。 えらいことになったと。急いで同級生に電話したら、幸いまだ家にいた。急いで家を出て、8:28 近鉄奈良発の特急に乗り9:05京都駅に着いた。9:14京都発の新快速に乗り、9:30に高槻駅に着い た。同級生も先輩も寛大に許して下さった。
同級生の車で、大原野森林公園まで行き、そこから谷沿いの登山道を登って行った。ニリンソウや フタバアオイの大群落があり、愚妻は感激していた。遅々として進まないので、同級生は「目的地 まで行けない」とこぼしていた。途中昼食をとり、12:30頂上近くのカタクリの大群落地に着いた。 その入り口近くに、ギフチョウがいた(上左の写真)。ギフチョウはカタクリの蜜をこのむようだ。 西山自然保護ネットワークの人たちが「カタクリ・ギフチョウを守る」ボランティア活動をして おられた。沢山のカタクリが美しい花(上右の写真)を咲かせていた。
下山の途中で出会った登山グループの人が、同級生の下げている白いビニール袋を見て「どんな 野草がありましたか?」と訊ねられた。私は「彼は途中に落ちている空き缶やペットボトル、 ゴミを拾って持ち帰っているんです。感心な人物です」と言った。同級生は「彼は感心するだけで ゴミを拾わないんです」と私を評した。私は気が付いた。同級生は透明な袋を持つべきだと・・・ でないと・・・誤解で、他の人に野草採取を誘発しかねないと。
帰りの車中で知った。先輩は携帯電話を細君から持たされたと・・・「散歩の途中で倒れた時のた めにと」・・・これで安心。次に遅れたときには連絡できる。


2015.4.1

河辺の森・百済寺

キクザキイチゲが咲いているとの情報を得て、東近江市にある"河辺いきものの森"に行くこと にした。9:45に家を出て、名神高速道路八日市ICから10分ほどの所にある"河辺いきものの森" に11:15に着いた。ネイチャーセンターを訪ねた後、キクザキイチゲが咲いている(右の写真) 場所へ行った。愛知川の河辺にある森に可憐な花が咲いていた。この森は平地の里山を保全 するために設立されたようで、縦300m・横500mほどの土地に、水辺の林・ケヤキの林・淡竹の 林・カシの林・くさはら広場などがあった。1時間ほど散策した後、愛知川の河原を散策した。
次いで、近くにある百済寺(ひゃくさいじ)を訪問することにした。途中、愛知川べりにある 食堂により"てんぷらザルうどん(1000円)"を食べた。美味しかった。田舎にも美味しい店は あるのだ。
百済寺は、聖徳太子により百済人のために創建された古刹である。1400年前、東近江には 多くの渡来人が住んでおられたようで、渡来系氏族の氏寺として開創されたようである。 現在の建物は、江戸時代に再建されたものであったが、寺は綺麗な山容の山頂直下にあった。 三椏が沢山植えてあり花盛りであった。境内は良く整備されており、本堂脇の千年菩提樹は 見事であった。本尊十一面観音と金銅弥勒半跏思惟像は秘仏で拝観できなかったが、 如意輪 観音半跏思惟像、聖観音座像、聖徳太子孝養像は拝観することができた。


2015.3.29

タブレット

私が使っているパソコンのOSは、家のはWindows XP、オフィスのはWindows 7である。 Windows XPは保証停止になったので、アクセスを拒否するサイトも増えてきて、不都合 なことが増えてきた。データー整理や書類作成はこれまでのパソコンで行うことにし、 インターネット関連に使用する目的で、タブレット型パソコンを購入することにした。 携帯電話やスマートフォンと同じモバイルデータ通信機能を持った機種は便利だけど、 モバイル事業者に月々4000円程を支払わねばならないので、無線LANが設置されている 自宅や公衆無線LANアクセスポイントでのみインターネットを使える製品を選ぶことに した。
製品を見て機種を選ぼうと電器屋さんに行った。店員さんに説明を受けた後、迷っていた。 選ぼうとしていた製品の所で、大学生らしい2人の若者が製品について議論していた。 その若者に話しかけて、意見を訊いた。店員さんより明確で分かりやすい返事が返ってきた。 で・・・、私はiPad Air2 64G Wi-Fiモデルを買った。
通信速度は速い。軽くて使いやすい。音質もよくiPodはいらなくなった。電子書籍が便利 (古典:たとえば夏目漱石の小説などは無料、本を持ち歩かなくてもタブレットだけで良い。 文字も大きくできる。)等々で、私も文化の変化を改めて知った。
右の写真はトウゴクサバノオ。


2015.3.15

月ヶ瀬梅林

月ヶ瀬へ観梅に行った。家から車で30分ほどで月ヶ瀬の太郎谷に着いた。梅は"ちらほら咲き" であった。売店レストランで日替わり定食を食べ、さらに匂いに惹かれて焼餅を食べしまった。 その後、ロマントピア月ヶ瀬の駐車場に車を止め、天神梅林から帆浦梅林へと散策した。 見物人は多かったが、梅は来週が満開であろうという状態であった。
天神神社の近くの露店で"たけのこ"を売っていた。直径5cm長さ10cm程の竹の子6本だけが並 んでいた。店の人は「大きいのは売れてしまいました。これだけです。全部で300円にしときます」 と言った。私は喜んで買った。さらに、ロマントピア月ヶ瀬の農産物直売所で生シイタケと手作り コンニャクを買った。
竹の子は水洗いして土を流し一個一個アルミホイルで包みオーブングリルで30分焼いた。 焼きあがった竹の子をたてに半分に切り、竹の皮をはがしながら、天然塩をつけて食べた。これ絶品 であった。
コンニャクは5mm程の薄さに切り湯掻いた。これにフキ味噌(赤味噌に本みりん・酒・砂糖・フキノ トウのみじん切りを加えてひと煮したもの)を付けて食べた。
生シイタケはフライパンで焼き、生姜醤油で食べた。



2015.3.9

長女の長男の来訪

6日に長女の長男が奈良に来てくれた。彼は今年大学入試を受け"上智大学に入学が決まった" ということであった。7日には大阪へTOEFLの試験を受けに行った。何点か以上とると、大学 の英語の単位をとる必要がないそうである。彼は米国で中学入学前まで教育を受けたので 英語力に問題ない。8日には私と一緒に、興福寺の東金堂と国宝館を拝観し、その後奈良国立博物館 へ行き特別展「お水取り」を拝観した。二月堂後堂に安置されていた十一面観音菩薩像が3月15日 まで特別展示されているというので東大寺ミュージアムへ行き拝観した。次いで二月堂に行き 練行衆(籠もりの僧)の行を寸見して家に帰った。同窓会から帰った愚妻と三人で17:30に家を出て、 二月堂下で19:00から始まる"お松明"の行事をまった。「見物人であふれるから1時間前には到着 しているように」とのアドバイスに従ったのである。"お松明"は、二月堂に上堂する練行衆の 道明かりとして灯されるので、修二会期間中の3月1日から3月14日に毎日あげられている。 撮影した写真を右に示す。9日高校へ行かなければならないと東京へ帰って行った。


2015.3.1

西洋絵画 (5) 19世紀の西洋絵画 ・・・オルセー美術館を中心にして

早くも三月になった。鉢植えの福寿草が満開である(右の写真)。
「夕食」と言う愚妻の声に促されて食卓に座った。食事をしていてお茶が飲みたくなったので 「お茶」と私は声をあげた。愚妻が言った「何よ。偉そうに。私は"お茶汲み"ではありません」。 私は「すまん。すまん。お茶をいただきたいのですが・・・」と言った。キゲンか良くなって 、お茶を沸かしに行った。

漸く、オルセー美術館のガイドブック三冊を参照して、"19世紀の西洋絵画 ・・・オルセー美術館を中心にして" を纏める事ができた。これを頭に叩き込んでオルセー美術館へ行こうと思う。


19世紀の西洋絵画 ・・・オルセー美術館を中心にして

ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル(Jean-Auguste-Dominique Ingres 1780-1867) 新古典主義。アカデミー派:「泉」

アレクサンドル・カバネル (Alexander Cabanel 1823-1889) 新古典主義。アカデミーに君臨した歴史、肖像画家。 正確なデッサンに基づいた、甘美で官能性に溢れた裸婦や神話的女性像。:「ヴィーナスの誕生」

トマ・クチュール(Thomas Couture 1815?1879)アカデミー派、折衷主義(ラファエロやヴェロネーゼなど先駆者の異なる エレメントを作品の中に混在させる)。ナポレオン三世の宮廷画家、歴史画 :「退廃期のローマ人」

ジャン=レオン・ジェローム(Jean-Leon Gerome 1824-1904)アカデミー派、歴史やオリエント地域の描写。: 「闘鶏をする若いギリシャ人」

ローザ・ボヌール(Rosa Bonheur 1822-1899)アカデミー派、写実主義画家。動物の姿をありのままに捉えた作品。 :「ニヴェルネ地方の耕作、初のすき入れ」

テオドール・シャセリオー(Theodore Chasseriau 1819-1856) ロマン派。 : 「テピダリウム、ボンヘイの女性達が浴室から出て 休息し体を乾かした部屋」

ウジェーヌ・ドラクロワ (Fedinand Victor Eugene Delacroix 1798-1863 ) ロマン主義最大の巨匠 。: 「ライオン狩り」

ギュスターヴ・モロー(Gustave Moreau 1826?1898)ロマン派にして最初の象徴主義の画家。 聖書や神話に題材をとった幻想的な作風。: 「オルフェウス」

ジャン=バティスト・カミーユ・コロー(Jean-Baptiste Camille Corot 1796-1875) バルビゾン派。 森や湖の風景を詩情ゆたかに描く。:「朝、ニンフの踊り」、「林間の空地、ヴィル・ダウレーの思い出」、 : 「コローのアトリエ、マンドリンを持つ若い女」

テオドール・ルソー(Theodore Rousseau 1812-1867): バルビゾン派。野外で写生しアトリエでしあげた。 : 「道、リラダンの森」。

シャルル=フランソワ・ドービニー(Charles-Francois Daubigny 1817-1878)バルビゾン派。 戸外での観察を重視して風景画を多く描いた。印象派につながる重要な先駆け。: 「アルクの谷」、「オワーズ川に沈む太陽」

ウジェーヌ=ルイ・ブーダン(Eugene-Louis Boudin 1824-1898)外光派。青空と白雲の表現に優れ印象派に影響。 : 「トルーヴィルの海岸」、「トルーヴィルの突堤」

ジャン=フランソワ・ミレー(Jean-Francois Millet 1814-1875 フランス) バルビゾン派。大地とともに生きる農民の姿を、 崇高な宗教的感情を込めて描いた。: 「晩鐘」、「羊飼いの少女」、「箕をふるう人」、「落穂拾い」、「春」、 「グレヴィルの教会」

ギュスターヴ・クールベ (Gustave Courbet 1819-1877) 写実主義。生きた芸術を作る。:「オルナンの埋葬」、「世界の起源」、 「嵐のあとのエトルタの断崖」、「画家のアトリエ、芸術的で道徳的な我が生活の7年にわたる一時期を定義する現実的寓意画」、 「泉」

オノレ・ドーミエ(Honore-Victorin Daumier 1808-1879) 現実を辛辣に見つめ続けた画家。都市で暮らす人々の暮らしを描き 出す写実主義であると同時に、その画風や題材はロマン主義。 : 「クリスバンとスカバン」、「ドン・キホーテとロバの死骸」、 「洗濯女」、「弁護人」

ジェームズ・アボット・マクニール・ホイッスラー(James Abbott McNeill Whistler 1834-1903)アメリカ人の画家。 印象派の画家たちと交流したが、印象派とも伝統的アカデミズムとも一線を画した独自の絵画世界を展開した。 :「母の肖像」

アンリ・ジャン・テオドール・ファンタン=ラトゥール(Henri Jean Theodore Fantin-Latour 1836-1904) 古典に倣う写実的表現と洗練された調和的な色彩描写で人物画、集団肖像画、静物画、風景画。 : 「パティニョール街のマネのアトリエ」、「テーブルの片隅」

ギュスターヴ・カイユボット (Gustave Caillebotte 1848-1894) 観る者に現代性を強く喚起させる独特の自然主義的作品を制作。 クロード・モネやルノワール、カミーユ・ピサロ、アルフレッド・シスレー、ポール・セザンヌなどの作品を購入することによって、 経済的に彼らを支えた。: 「床に鉋をかける人びと」、「自画像」

ジャン・フレデリック・バジール (Jean Frederic Bazille 1841-1870) 印象派。 戸外制作で描いた風景の中に主題の人物を配置。: 「家族の集い」、「バラ色の服の女」、 「ピエール=オーギュスト・ルノワールの肖像」、「コンダミーヌ街のアトリエ」

エドゥアール・マネ (Edouard Manet 1832-1883) 印象派の先駆的画家。筆跡を感じさせる流動的な線と伝統的な形式にとらわれ ない自由で個性的な色彩を用い、近代の日常、風俗、静物、歴史、肖像、裸婦、風景など様々な画題を描く。: 「草上の昼食」、「オランピア」、「笛を吹く少年」、「ローラ・ド・ヴァランス」、「闘牛」、「アンジェリーナ」、 「バルコニー」、「スミレの花を持ったベルト・モリゾ」、「浜辺にて」、「小さな台上の牡丹の入った花瓶」、 「白い牡丹の枝と剪定バサミ」、「読書」、「クレマンゾーの肖像」、「給仕する女」、「エミール・ゾラの肖像」、 「ステファヌ・マラルメの肖像」、「アスパラガス」、「レモン」、「ガラス花壜の中のカーネーションとクレマチス」

エドガー・ドガ(Edgar Degas 1834-1917)印象派。バレエの踊り子と浴女を題材にした作品が多く、彼女らの一瞬見せた何気 ない動作を永遠化する素描力は秀逸。競馬場など人々の多く集まる場所・野外の風景。彼の関心の対象は都会生活とその中の人間。 : 「ベレッリ一家」、「競馬場」、「馬場行進」、「オペラ座のオーケストラ」、「カフェにて」、「アイロンをかける洗濯女」、 「青い衣装の踊り子たち」、「バレエの授業」、「舞台で花束を持って挨拶する踊り子」、「舞台稽古」、「聖歌隊」、 「オペラ座の稽古場」、「挨拶する踊り子」、「舞台の踊り子」、「踊り子たち」、「株式取引所にて」、「足の治療医」、 「鏡の前のジャント-夫人」、「カフェのテラスにいる女たち、夜」、「アンバサドゥールのカフェ・コンセール」、「浴盤」、 「浴槽からでる女」、「うなじを拭う女」、「浴後、「背中を向けうずくまる裸婦」、「左足を拭きながら身繕いする女」

クロード・モネ (Claude Monet 1840-1926) 印象派を代表する巨匠。自然の中で輝く外光の美しさに強く惹かれ、その探求と 表現に生涯を捧げる。混合させない絵具での筆触分割(色彩分割とも呼ばれ、細く小さな筆勢によって絵具本来の質感を生か した描写技法)によって自然界の光(太陽光)と大気との密接な関係性や、水面に反射する光の推移、気候・天候・時間など 外的条件によって様々に変化してゆく自然的要素を巧みに表現した作品を手がける。 :「サンタドレスの花咲く庭」、「庭の女たち」、「草上の昼食」、「かささぎ」、「サン・ラザール駅」、「ひなげし」、 「外光における人物の試み」、「トルーヴィルのロッシュ・ノワール・ホテル」、「エトルタの荒れた海」、「積み藁」、 「ポプラ樹」、「ルーアン大聖堂」、「睡蓮」、「睡蓮の池、バラ色のハーモニー」、「ジヴェルニーの画家の庭」、 「青い睡蓮」、「アルジャントゥイユの橋」、「睡蓮の池、緑のハーモニー」、「ロンドン、霧の議事堂」、 「アルジャントゥイユの歩道橋」、「アルジャントゥイユのヨットレース」、「アルジャントゥイユの池」、「昼食」、 「モントルグイユ街、1878年6月30日」、「石炭降ろし」、「セーヌ河の解氷、氷塊」、「べトゥイユの教会、雪」、 「田園を行く汽車」、「黒い帽子の女」

ピエール=オーギュスト・ルノワール (Pierre-Auguste Renoir 1841-1919) 印象派を代表する巨匠。 流動的かつ奔放な筆勢や、明瞭で多様な色彩、豊潤で官能的な裸婦の表現、揺らめく木漏れ日による人物や風景への効果を研究 した斑点状の描写。田舎的で素朴な姿容や風情。 : 「読書する女」、「草原の坂道」、「日のあたる女の上半身」、 「ポール・ダラス夫人」、「ベールの女」、「座る女」、「ジョルジュ・シャルパンティエ夫人」、「ぶらんこ」、 「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」、「ジュリー・マネ」、「母性」、「フェルナン・アルファン」、「ピアノを弾く娘達」、 「猫と少年」、「都会のダンス」、「田舎のダンス」、「フレデリック・バジールの肖像」、「浴女たち」、 「バラを持つガブリエル」、「大裸婦」、「化粧、髪をとかす女」、「ジョス・ベルネーム・ジュヌ夫人とその子供アンリ」、 「麦わら帽子の少女」

アルフレッド・シスレー(Alfred Sisley 1839-1899)印象派。パリ周辺の風景を題材にした穏やかな風景画 : 「モレジーの競艇」、 「雪の積もったマルリーのクール・ヴォランの坂道」、「雪のルーヴシエンヌ」

ジャコブ・カミーユ・ピサロ(Jacob Camille Pissarro 1830-1903)印象派。構図をしっかりとし土地やそこに働く人間を描いた。 : 「赤い屋根、村の一角、冬の効果」、「白い霜、アヌリーの旧道、ポントワーズ」、「エラニーの雪の効果」、「羊飼いの娘」、 「火をおこす若い農夫、白い霜」、「耕作地にいる女、小牧草地の春の太陽」

ベルト・モリゾ(Berthe Morisot 1841-1895)印象派の女性画家。穏やかで、母子の微笑ましい情景・肖像画。 : 「揺り籠」、「舞踏会の装いの婦人」、「蝶ちょ採り」、「白粉をつける娘」

メアリー・カサット (Mary Cassatt 1845-1926) 印象派の女流画家。アメリカ出身。近代における日常生活での身近な情景 や人物の姿を独自の視点で描く。: 「庭で縫い物をする女」、「母と子」

ポール・セザンヌ(Paul Cezanne 1839-1906) 後期印象派を代表する画家。 多角的な視点の採用、対象の内面に迫る心情性に富んだ形体・色彩の表現、単純化された堅牢な造形性など、独自性に溢れた 革新的な表現方法によって絵画を制作。自然などのモティーフを前にしたときの感覚を重要視した表現は、20世紀初頭の絵画様式、 特にパブロ・ピカソやジョルジュ・ブラックによって提唱・創設されたキュビスムの形成に多大な影響を与えた。 : 「レスタック、マルセイユ湾の眺め」、「オーヴール・シュル・オワーズの首吊りの家」、「自画像」、「トランプする人たち」、 「水浴する男たち」、「コーヒーわかしのある婦人像」、「りんごとオレンジ」、「青いりんご」、「たまねぎのある静物」、 「青い花瓶」、「サント・ビクトワール山」、「セザンヌ夫人の肖像」、「ギュスターヴ・ジェフロワの肖像」、 「オーヴールの農家の庭」、「マンシーの橋」、「ポプラ」

フィンセント・ファン・ゴッホ (Vincent van Gogh 1853-1890) 後期印象派。絵の具の質感を顕著に感じさせる力強く荒々しい、 やや長めの筆触や、絵の具本来の色を多用した強烈な色彩による対象描写で数多くの作品を制作。画家の内面をそのまま反映 したかのような迫真性の高い独自の表現。 : 「イタリア女」、「アルルの女」、「アルルのダンスホール」、「星月夜」、「アルルの寝室」、「昼寝」、「自画像」、 「コードヴィルのわらぶきの家」、「医師ガシェの肖像」、「オホヴェール・シュル・オワーズの教会」、 「モンマルトルの野外酒場」、「アニエールのレストラン・シレーヌ」、「ベルギーの画家」、「サン・レミの病室」、 「庭のマルグリート・ガシェ」、「医師カシェ家の庭」、「バラとアネモネ」、「2人の少女」、「アリスカン」

ポール・ゴーギャン(Paul Gauguin 1848-1903) 後期印象派・象徴主義。印象主義の筆触分割への反発としてポール・ゴーギャン とエミール・ベルナールが提唱し、生み出した描写理論"クロワゾニスム(対象の質感、立体感、固有色などを否定し、 輪郭線で囲んだ平坦な色面によって対象を構成する描写)"と表現"サンテティスム (クロワゾニスムを用いながらイメージ を象徴として捉え、平面的な単純化を目指す表現主義)"によって新たな様式を確立。 : 「黄色いキリストのある自画像」、「美しきアンジェール」、「食事」、「タヒチの女たち」、「白い馬」、 「そして彼女らの肉体の黄金」、「セーヌ河とイエナ橋」、「ポン・タヴェンの洗濯女たち」、「マンドリンのある静物」、 「扇面画のある静物」、「シェフネッケルの家族」、「黄金の積みわら」、「アレアレア」、「帽子をかぶった自画像」、 「ブルターニュの農夫達」、「雪のブルターニュ」、「ブルターニュの風景」、「ヴァイルマティ」

ピエール・ピュヴィ・ド・シャヴァンヌ(Pierre Puvis de Chavannes 1824-1898)象徴主義。 物語風の伝統を受け継ぎつつ、自然の風景と人物像が調和した独自の作風を確立。 : 「貧しき漁夫」、「夏」、「海辺の娘たち」

エミール・ベルナール (Emile Bernard 1864-1941 ) 象徴主義(総合主義)。ポール・ゴーギャンと共に研究・考案した 描写手法"クロワゾニスム"を用いて、イメージを象徴として捉え、絵画上で平面的に単純化された作品を制作。 : 「愛の森のマドレーヌ」、「刈り入れ」、「水浴の女たちと赤い雌牛」

アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック (Henri de Toulouse-Lautrec 1864-1901) 世紀末芸術。 的確に対象の形態を捉える才能や、人物の内面や社会的内情を見出す観察力に秀で、世紀末独特の厭世的・退廃的空気に覆われた モンマルトルなどパリの歓楽街で生活する人々を、独特な現代的感覚によって表現。 印象派の画家、特にエドガー・ドガの斬新な構図、都会的な光の表現、明確な線描に大きな影響を受けながら自身の様式を確立 : 「踊るジャンヌ・アヴリル」、「ルイ・ブーグレ」、「ムーラン・ルージュの踊り」、「化粧」、「女道化師、シャ・ユ・カオ」、 「ムーア人の踊り」、「髪を結う女」、「ポール・ルクレルクの肖像」、「ジュスティーヌ・デュール」、 「黒い羽毛のショールの女」

オディロン・ルドン (Odilon Redon 1840-1916) 象徴主義。 無意識下の世界を描写し、幻想性と夢想性に溢れた独自の世界観による絵画を制作。 : 「目を閉じて」、「狂人」、「貝殻」

ウジェーヌ・カリエール(Eugene Carriere 1849-1906) 肖像画を靄のかかったような茶褐色の画面に明暗を強調し、神秘的で独特 な絵画を制作 : 「病める子」

ジョルジュ・スーラ (Georges Seurat 1859-1891) 新印象派。 点描表現を用い、新たな表現様式を確立した画家。 : 「サーカス」、「黒い結び目」

ポール・シニャック (Paul Signac 1863-1935) 新印象派。 スーラに感銘を受け、厳密厳格な色彩分割を用いた点描表現による作品を制作。次第に装飾性が顕著な斑点模様が特徴的な独自 の様式へと変化。 : 「赤いブイ」、「ランプの下の女」、「緑の帆船、ベェネチア」、「井戸端の女たち」

アンリ=エドモン・クロッス (Henri-Edmond Cross 1856-1910) 新印象派。 明瞭な色彩とモザイクや織物を思わせる正確な点描。象徴主義的表現への様式の変化など新しい点描の可能性を模索し、 独自の様式を確立。後のフォービスム(野獣派)の画家たちに影響を与えた。 : 「夕方のそよ風」、「金色の島々」、「長い髪」

アンリ・ルソー (Henri Rousseau 1844-1910) 素朴派(伝統的な美術知識の乏しさゆえの素朴な作風)。 夢想的で異国的な密林の情景、都会の風景、その中に配した人物像などを描いた。 : 「蛇使いの女」

ピエール・ボナール (Pierre Bonnard 1867-1947) 後期印象派・ナビ派・親密派(装飾性と平面性を融合させた表現様式で、 物語性の希薄な日常の室内生活空間を画題とする画派)。 幻想性と非現実性を調和させた柔らかな色彩を効果的に用いた独自の表現様式を確立し、明瞭な光と華やかさが満ちた絵画を制作。 : 「格子のワンピースの女」、「砂遊びの子供」、「化粧台」、「ヴュイヤールの肖像」、「庭の女たち」、「格子縞のブラウス」、 「夕暮れ」、「白い猫」、「身繕い」、「青色の裸婦」、「まどろむ女」、「男と女」、「家の中」、「桟敷席」

エドゥアール・ヴュイヤール (Edouard Vuillard 1868-1940) 後期印象派・ナビ派・親密派。 大胆に切断される構図展開や短縮法、調和性を重要視した色彩表現などを用いて繊細で装飾性の高い絵画作品を制作。 : 「ケル・グザヴィエ・ルーセルの肖像」、「フェリックス・ヴァロットンの肖像」、「緑色の帽子をかぶった横向きの女」、 「寝台で」、「自画像」、「公園」、「ベランダの下で刺繍する2人の女」、「リネン製品入れ戸棚」、「ジャンヌ・ランヴァン」

ポール・セリュジエ(Paul Serusier 1864-1927) 後期印象派・ナビ派。 鮮やかな原色を使用した色面のみによる平面的画面構成と、抽象性の高い単純化された形象表現で絵画を展開。 : 「護符(タリスマン)」、「にわか雨」

モーリス・ドニ (Maurice Denis 1870-1943) 後期印象派・ナビ派・フランス象徴派。 装飾性に富んだ叙情性豊かな象徴的絵画。 : 「ミューズたち」、「セザンヌ礼賛」、「裸婦、背中を見せて座る女」

フェリックス・ヴァロットン (Felix Edouard Vallotton 1865-1925) 後期印象派・ナビ派。 実験的要素の強い奇抜で幻覚的な構図・展開による油彩画を制作。後の超現実主義(シュルレアリスム)を予感させた : 「月光」、「シャトレ劇場の4階桟敷」、「ボール」、「夕食、ランプの効果」、「家の中の情景、ネグリジェを脱ぐ女」

フェルディナント・ホドラー(Ferdinand Hodler 1853-1918 スイス)世紀末芸術の巨匠。 画面の構築的性格、相称性、平行性とリズム感があり、明確な輪郭線を持つ形態的構造は、神話的で感傷的な印象をに与える。 : 「アンデーの頂、アルヴ渓谷」

グスタフ・クリムト (Gustav Klimt 1862-1918 オーストリア) 象徴主義・ウィーン分離派。 黄金色を多用した豪華で装飾的な画面構成と明確な輪郭線を用いた対象描写、平面的な空間表現と、人物の顔や身体での 写実的描写を混合させた独自の絵画表現。世紀末独特の退廃・生死・淫靡的要素を顕著に感じさせる作風。 : 「樹下の薔薇」

エドヴァルド・ムンク(Edvard Munch 1863-1944 ノルウェー) 表現主義。 生と死の問題、人間存在の根幹に存在する、孤独、嫉妬、不安などを見つめ、人物画に表現した。 : 「アースガールシュトランドの夏の夜」、「叫び」

アンリ・マティス(Henri Matisse 1869-1954)フォーヴィスム(野獣派)。自然を愛し「色彩の魔術師」と謳われ、緑あふれる 世界を描いた。 : 「豪奢、静寂、逸楽」

モーリス(モリス)・ド・ヴラマンク(Maurice de Vlaminck 1876-1958)フォーヴィスム(野獣派)。 絵具チューブから絞り出した原色を塗りつけているように見えて、その画面には明るさよりは陰鬱さがただよっている。 : 「ブージヴァルのレストラン、マシーヌ」

アンドレ・ドラン(Andre Derain 1880-1954)フォーヴィスム(野獣派)。 ポール・シニャック風の点描に近い技法を用いた風景画から、キュビスム風の静物画まで幅広い。 : 「チャリング・クロス橋」


付録

パブロ・ピカソ(Pablo Picasso 1881-1973)スペインに生まれ、フランスで制作活動。
ピカソは作風がめまぐるしく変化した。
青の時代(1901-1904) 親友カサヘマスの自殺に衝撃を受け、無機顔料のプロシア青をベースとする暗青色を基調として、カサヘマス、軽業師、 アルルカン、売春婦、乞食、盲人、裸婦、芸術家などを描いた。
ばら色の時代(1904-1907) フェルナンド・オリヴィエという恋人を得て、明るい色調でサーカスの芸人、家族、兄弟、少女、少年などを描いた。
アフリカ彫刻の時代(1907-1908) アフリカ彫刻の影響を受けた時代。このとき、キュビスムの端緒となる『アビニヨンの娘たち』が生まれた。
セザンヌ的キュビスムの時代(1909) スペインのオルタ・デ・エブロに旅し、セザンヌ的な風景画を描いた。
分析的キュビスムの時代(1909-1912) モチーフを徹底的に分解する、禁欲的で抽象的な作風になった。
総合的キュビスムの時代(1912-1918) 装飾性と色彩の豊かさが特徴で、ロココ的キュビスムとも呼ばれる。
新古典主義の時代(1918-1925) 古典的で量感のある母子像を描いた。
シュルレアリスム(超現実主義)の時代(1925-1936) 化け物のようなイメージが描かれた時期で、妻オルガとの不和が反映。
ゲルニカの時代(1937) ゲルニカ爆撃を非難した大作『ゲルニカ』および、そのための習作(『泣く女』など)を描いた。
晩年の時代(1968-1973) 油彩・水彩・クレヨンなど多様な画材でカラフルかつ激しい絵を描いた。自画像も多く手がけた。

ジョルジュ・ブラック(Georges Braque 1882-1963)キュビズムという革命的な様式をピカソと創始。 ブラックはピカソが始めた分析的キュビズム(画面はまだ奥行きがある)から、 総合的キュビズム(画面から奥行きを完全に廃し、新しい空間概念を作った)へと発展させた。 第一次大戦後は、絵画から物語性を排し、絵画的現実を確立。

ワシリー・カンディンスキー(Wassily Kandinsky 1866-1944)抽象絵画の創始者。ロシア出身。ドイツ・フランスで活躍。 表現主義の流れをくむ「熱い抽象」。

ピエト・モンドリアン(Piet Mondrian 1872-1944)抽象絵画の最初期の画家。オランダ出身の画家。 アムステルダム・パリ・ニューヨークで活躍。 水平と垂直の直線のみによって分割された画面に、赤・青・黄の三原色のみを用いるというストイックな原則を貫いた 「冷たい抽象」。




2015.2.24

法事

「22日に叔母の27回忌の法要をする」と、岐阜県美濃市の私の母の実家に住む従兄弟から連絡があり、 出かけて行った。5:00に起床、6:00に車で家を出た。9:45に従兄弟の家に着いた。10:00にお寺に参拝。 10:30に長良川畔にあるお墓に参拝。そこに私の母の墓もあり、家から持って行ったスイセンとビシャコ を奉げた。母が亡くなったとき父は出征していて不在、私は喪主として"土葬の棺に最初に土をふりかけた" こと・・・が墓参の折毎に思い出される。11:00従兄弟の家で仏壇・位牌に参拝。11:30美濃市の長良川畔の 料亭で会食。25名ほどの集まりであるが、このような機会でないと会えない人もあり、楽しい一時を過ご させていただいた。

14:00 皆に別れを告げ、犬山市で"お店"を開業した姪(妹の娘)の所へ行った。犬山駅で妹と落ち合い、 その案内で姪の"お店"へ行った。素晴らしい"旧い町並み"があるのにはびっくりした。その一隅に姪の"お店" があった。旧い民家を改装して"お店"としていた。彼女は宝飾品細工師で、自分で作ったイヤリング・ ブローチ・指輪・ネックレス、自分のセンスで選んだ食器・化粧品・等々を販売していた。大変洗練された 好い感じの店であった。利益が出るのはまだ先・・・のようであったが、楽しんでいるようで"大慶"。 成功を祈る。

16:00 下呂へと向かった。折角だから"下呂温泉"で温泉を楽しもうと計画したのだ。 犬山では小雨であったが、車で走り出したら雨が激しくなった。18:00 下呂の温泉旅館に着いた。 入浴して19:00より食事、料理も給仕も良かった。
23日 7:00起床。入浴して8:00大広間で朝食。大広間には100名程の人がいた。その70-80%の人が中国語を話す 団体客であった。「中国の"春節"の時期なので、特に中国からのお客さんが多い」とのことであった。 この旅館は"天皇の宿"として知られる老舗旅館であるが、中国・台湾・韓国からのお客さんが半分以上とのこ とであった。10:00チェックアウトし、下呂を流れる飛騨川畔に車を止め、川沿いを歩いた。右の写真は 河原に咲いていたネコヤナギ(美濃ではヨネコロ)である。16:00奈良の自宅に帰着した。


2015.2.21

その後・・・

13日に本箱を作ったとき "からだじゅうが痛くなった"と書いた。14日の午後、神戸大学へテニスを しに行った。少しストロークの練習をしたら背中に"痛み"を感じた。試合を始めたら痛くてサーブが できない。早々にテニスを止めて帰宅し、整骨院へ行った。"前日に寒いところで仕事をして背中の筋肉 を傷めたようだ"と自覚した。
15日 咳をすると"背中に痛みがはしる"。前かがみの特定の姿勢で立とうとすると"背中に痛みがはしる"。 近くの店に買い物に行く以外は家で謹慎。
16日 大人のピアノの教室へ行った。ピアノを弾くときの姿勢が悪い。立つときに"背中に痛みがはしる"。 夕方、整骨院へ行った。
17日 腕を上げてテニスのサーブの運動をすると少し痛い。テニススクールを休む。
18日 だいぶ治まって来たが、自重してテニススクールを休む。
19日 乗馬スクールの日である。随分迷ったが、馬の突然の運動があったら、痛みがあっても控えること ができないので、乗馬スクールを休んだ。
20日 この日は神戸でのテニスの日である。テニス仲間の魅力に負けてテニスに行った。満を持しての テニスである。心配したが無事テニスをすることができた。暖かいご配慮の下、楽しいテニスを堪能した。 "嬉しいね ! 元気にテニスが出来た。健康であることは幸せ・幸せである"。感謝・感謝。
21日 菊屋で饅頭を買ってきて、美味しいお茶を入れ、一人で全快を祝った。
アオジ(右の写真)が庭にきて、全快を祝ってくれた。感謝・感謝。



2015.2.13

本箱

予てからの懸案であった本箱を作った。我が家の廊下に本箱を設置することにした。狭いスペースに 出来るだけ沢山の本を入れたいので自作することにした。設計図を描き、ホームセンターで材木を買って切断していただいた。 ドリルで穴をあけ、ねじ釘で止めるだけである。簡単ですぐできると思ったのだけど、意外に大変であった。材木に目印をいれ、 穴をあけ、組み立てるだけであるのだけど・・・なれない姿勢をとったり、ドライバーで締め上げるだけで、からだじゅうが 痛くなった。ドライバーで締め上げるのに、腕の力だけでなく腹筋まで使っていることが良く分かった。屋外で組み立てたの だけど・・・途中で雪が降り出した。やっと作り上げて、室内に設置した。床から天井すれすれまでの本箱ができた。ねじ釘で 壁に固定した。それを待っていたように愚妻が本を運んできた。あっという間に一杯になってしまった。「もう一個つくれ」と 言う。じょうだんじゃない・・・しばらく休憩。・・・それにしても・・・「なまった体になってしまったなあ」と痛感。
右の写真はロウバイ(蝋梅)。香りが良い。ヒヨドリがきて花を食べる。


2015.2.8

西洋絵画 (4) 19世紀前期

右の写真はセツブンソウ。節分の頃に咲く早春の花である。
さて、この"西洋絵画シリーズ"評判が良くない。私自身の整理帳であるのでお許し下さい。 今回でルーブル美術館に展示してある領域は終わりである。これ以降の絵画はオルセー美術館 に展示してある領域である。私はヨーロッパへ行ったら、パリへ行き、ルーブル美術館 とオルセー美術を訪れるように心がけている。従って、両美術館には30回以上訪れている。 その配置・展示の様子もずいぶん変化してきた。より良くなってきていると思う。ガイドブック も改良されてきている。19世紀中葉以降の西洋絵画については、暫く日を置いてまとめてみたい。

2015.2.3の続き・・・。

19世紀 前期

西欧では、フランス革命の影響により自由主義とナショナリズムが広がった。19世紀初頭のナポレオン(在位1804-1814)の興亡や 反動的なウィーン体制、数々の市民革命の勃発の後、ナショナリズムの高揚によりドイツ、イタリアなどの新たな統一された強力 な国家が登場した。イギリスは工業化による生産力の増大により得た、圧倒的な経済力と軍事力で世界の覇権を握った。

19世紀の後期には、西欧絵画は多様化し個性あふれる画家が数多く登場してくる。フランスでは19世紀の前期までの絵画を 主としてルーブル美術館で展示し、19世紀の中葉・後期以降の絵画はオルセー美術館で展示している・・・若干の重複はあるが。
ここでは、19世紀 前期の概観をまとめておく。

フランス
知略に優れたナボレオン1世は、英雄ナボレオンのイメージ作りに絵画も活用した。皇帝の画家としてジャック=ルイ・ダヴィッド は、華麗な大作「皇帝ナボレオン1世と皇后ジョゼフィーヌの戴冠」を制作した。
19世紀初頭のフランスでは、伝統的アカデミーで重きをなしたアングルを中心とする新古典派(素描・デッサンを重視し、正確な形と 微細な線を信奉)と絵画の伝統的階層(大規模な歴史画、宗教画を美術の高位おく)を覆しアカデミーの権威に挑んだドラクロアを中心 とするロマン派(鮮やかな色彩と印象的な色使い)が活躍した。1830年にフランスはアルジェリアを占領し、オリエントは多くの画家 達の画題となった。

アントワーヌ=ジャン・グロ (Antoine-Jean Gros 1771-1835 フランス): 皇帝ナポレオンの偉業を称える大作。 燃えるような激情的な色彩と、叙事詩を思わせる壮大で威風堂々とした場面展開による歴史画や肖像画を制作。 師であるジャック=ルイ・ダヴィッドの新古典主義に忠実であったが、革新的な作風は新たな流派であるロマン主義の礎を築く。

ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル(Jean-Auguste-Dominique Ingres 1780-1867 フランス): 台頭してきたドラクロワらのロマン主義絵画に対抗し、ダヴィッドから正確な形と微細な線という新古典主義を継承、 ダヴィッドが1816年に亡命した後、古典主義的な絵画の牙城を守った。第二共和制美術委員、国立美術学校長、元老院議員 など要職の座についた。

テオドール・ジェリコー (Jean Louis Andre Theodore Gericault 1791-1824 フランス): ロマン主義の先駆者。確かな写実的描写力 に裏打ちされた、厳しく劇的な明暗対比による光の表現や、激しさや感情の瞬間を捉えた躍動的な運動性、ドラマティックな場面展開 などの表現を用いて、人物画、歴史画、事件的主題、風景画、動物画などを制作。

テオドール・シャセリオー(Theodore Chasseriau 1819-1856 フランス): ロマン主義。自画像、歴史画、宗教画、寓意的な壁画、 オリエンタリズム溢れる作品が有名。

ウジェーヌ・ドラクロワ (Fedinand Victor Eugene Delacroix 1798-1863 フランス): フランス・ロマン主義最大の巨匠。 色彩表現に優れ、輝くような光と色彩の調和による対象表現や、荒々しく劇的でありながら内面的心象を感じさせる独自の 場面展開で、文学的主題、歴史画、宗教画、肖像画、動物・狩猟画、風景画、静物画などの作品を制作。 当時の西欧全体に広がりつつあったロマン主義や新様式の先駆として注目され、後世の画家たちに多大な影響を与えた。

ジャン=バティスト・カミーユ・コロー(Jean-Baptiste Camille Corot 1796-1875 フランス): 詩情あふれる森や湖の風景画。 理想化された風景でなく、ありふれた風景を詩情ゆたかに描き出す手法はのちの印象派の画家たちにも影響を与えた。 コローは、ミレーやテオドール・ルソーなどの画家と親交があり、バルビゾンで作品を描く事も多かったので、バルビゾン派の 一人に数えられている。また、晩年にはドーミエなどの貧しい画家に援助を与えて、多くの画家から慕われた。

テオドール・ルソー(Theodore Rousseau 1812-1867 フランス): バルビゾン派の代表的な画家。西洋絵画においては、 「歴史画」がに上位におかれ、肖像画、風俗画などがこれに次ぎ、風景画は一段落ちるジャンルと見なされていた。 現実の風景そのものを芸術的表現の主題とした。

ジャン=フランソワ・ミレー(Jean-Francois Millet 1814-1875 フランス): バルビゾン派。大地とともに生きる農民の姿を、 崇高な宗教的感情を込めて描いた。

ドイツ
カール・シュピッツヴェーク (Carl Spitzweg 1808-1883 ): 小市民の生活をユーモアとペーソス、愛と優しさを込めて描く。
カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ(Caspar David Friedrich 1774-1840 ドイツ): 宗教的含意をふくむ風景画。 自然の冷酷さと死のイメージを重ね合わせた作品。

イギリス
ウィリアム・ターナー (Joseph Mallord William Turner 1775-1851 イギリス): ロマン主義。英国最大の風景画家。 大気感を感じさせる独特な風景表現と、光を波長順に分解したスペクトル的な色彩理論を用いて数多くの油彩画・水彩画。 水彩技法をも駆使した独自的な風景表現はクロード・モネなど印象派の画家やその様式の形成に多大な影響を与えた。
ジョン・コンスタブル (John Constable 1776-1837 イギリス):風景の中に己が感じる美しさを独自の感覚で捉えた 英国的な美しさに溢れる風景画。
リチャード・パークス・ボニントン (Richard Parks Bonington 1802-1828 イギリス): ロマン主義絵画の後半期を代表。 あふれる光と影の織りなすコントラストが、清新なイメージをもたらした。

アメリカ
トマス・コール(Thomas Cole 1801-1848 イギリス出身のアメリカの画家): ロマン主義と自然主義のテーマを備えた、 現実的かつ詳細な描写によってアメリカの風景と自然を描いた。



2015.2.3

西洋絵画 (3) 18世紀


2015.1.28の続き・・・。19世紀以降は後日に・・・。


18世紀

オランダの自由貿易は衰え、イギリスとフランスが台頭。1776年アメリカが独立宣言。 18世紀のヨーロッパでは、自然権や平等、社会契約説、人民主権論など理性による人間の解放を唱える啓蒙思想が 広まっていた。この帰結として、フランス革命といった市民革命がおこり、市民社会への流れが始まった。
17世紀の豪壮華麗なバロック様式に代わって、曲線的、装飾的で甘美・繊細優美なロココ様式が全盛となった。 絵画の主題においても歴史画や宗教画から、男女の愛の駆け引きを主題にした風俗画が目立つようになった。 この世紀の後半にはポンペイの遺跡発掘に始まる古典・古代への憧憬が高まり、新古典主義様式が隆盛に向かう。

フランス
ロココ様式が全盛。1715年ルイ15世即位。1766年ロレーヌ公国を併合。1774年ルイ16世即位。 1789年フランス革命( - 1794年)。1795年オランダを占領。1798年教皇領・スイスを占領。ナポレオンのエジプト遠征。 1799年統領政府成立。フランス革命による体制の大変革とともに、時代の好みも変わり、ロココ美術も次第に下火に なり、新古典主義が台頭した。
ジョゼフ・パロセル (Joseph Parrocel 1646-1704 フランス): 宮殿を飾る絵画。
ジャン・ジュヴネ (Jean-Baptiste Jouvenet 1644-1717 フランス): 厳格な古典主義的表現に基づき劇的で運動性に富んだ 宗教画や装飾画、神話画などを制作した。
アントワーヌ・コワペル (Antoine Coype 1661-1722 フランス): 古典主義とロココ美術初期の境界期に活躍。光沢を感じさ せる硬質的な色彩と、劇的で大げさな人物の姿態と堅牢な画面構成による古典主義。神話画や宗教画、寓意画、人物画のほか 大規模な装飾画。
ニコラ・ド・ラルジリエール (Nicolas de Largilliere 1656-1746 フランス): ロココ美術。理想化された流麗で軽快な描写 による洗練された肖像画。花などの小物を活かし、豪奢でありながら愛らしさと官能性が混在する色彩豊かな女性の肖像画。
ニコラ・ランクレ (Nicolas Lancret 1690-1743 フランス): ロココ美術。雅宴画の代表的画家。軽やかで明瞭な色彩による 典雅的表現や、機転の利いた当意即妙な場面描写、抒情的な雰囲気を醸し出す田園風景。
アントワーヌ・ヴァトー(Antoine Watteau 1684-1721 フランス): 雅やかで愛劇に溢れる独自の作風。ロココ絵画の ジャンル『雅宴画』を確立。
フランソワ・ブーシェ(Francois Boucher 1703-1770 フランス): 軽快で官能性や装飾性に富んだ作品はロココ様式の典型。 神話画、肖像画、寓意画、宗教画、風俗画、田園画、風景画。
カルル・ヴァン・ロー (Carle Van Loo 1705-1765 フランス): 優美な趣味が強い典型的なロココ様式、後に古典主義的な 大様式による作品。
ピエール・ユベール・シュプレイラス (Pierre Subleyras 1699-1749 フランス): ロココ、 歴史画。
ジャン・シメオン・シャルダン(Jean-Baptiste Simeon Chardin 1699-1779 フランス): 台所の食器類や食材などを題材 とする静物画。
クロード=ジョセフ・ヴェルネ (Claude-Joseph Vernet 1714-1789 フランス): 各地の港の風景画・新古典主義。
ユベール・ロベール (Hubert Robert 1733-1808 フランス): 新古典主義の風景画家。廃墟や古代建築物のある風景、 生命力溢れる人物を配置する知的で叙情豊かな風景。
ルイ=ジャン=フランソワ・ラグルネ (Louis Jean Francois Lagrenee 1725-1805 フランス): ロココ美術・新古典主義。 豊かな色彩表現と優美で古典的な描写・構図による作品を制作し、特に神話画で成功。
ジャン・オノレ・フラゴナール(Jean Honore Fragonard、1732-1806 フランス): ロココ期のフランスを代表する画家。 的確な描写技法や構図・構成を駆使し、不道徳性の中に甘美性や官能性を感じさせる風俗的主題や寓意的主題を扱った。
ジャン=バティスト・グルーズ (Jean-Baptiste Greuze 1725-1805 フランス): 市民生活に題材を求めた風俗画。
ジャック=ルイ・ダヴィッド(Jacques-Louis David 1748-1825 フランス): 厳格で理知的な構図・構成と非常に高度な 写実的描写、運動性の少ない安定的場面展開などを用いた絵画を制作した。フランス絵画界における新古典主義の確立者。
ピエール=ナルシス・ゲラン ( Pierre-Narcisse Guerin 1774-1833 フランス): ダヴィドに次ぐ新古典派の画家。 甘美な、時にセンチメンタルともいえる情感をたたえたものが多い。
ジャン=ジェルマン・ドルーエ (Jean-Germain Drouais 1763-1788 フランス): 新古典派。女流画家、聖書の物語・ギリシャ神話。
ピエール=ポール・プリュードン(Pierre-Paul Prud'hon 1758-1823 フランス): 神話・寓話を元とした絵画・肖像画。
アンヌ=ルイ・ジロデ=トリオソン(Anne-Louis Girodet de Roussy-Trioson 1767-1824 フランス): 新古典主義・ロマン主義。
フランソワ・ジェラール (Francois Gerard 1770-1837 フランス): 新古典主義。
ルイ=レオポルト・ボワイー (Louis Leopold Boilly 1761-1845 フランス): 重要な社会的地位を自覚した画家の姿を描いた。
フランソワ=アンドレ・ヴァンサン (Francois-Andre Vincent 1746-1816 フランス): 新古典主義。

イタリア
18世紀のローマでは、栄光に輝く古代ローマが脚光を浴び、古代の理想美が探究された。
アレッサンドロ・マニャスコ(Alessandro Magnasco 1667-1749 ミラノとジェノヴァ): イタリア後期バロックの画家。 荒涼とした自然を背景に盗賊やジプシーや狂人を描いた。
ジュゼッペ・マリア・クレスピ(1665-1745 ボローニャ): 宗教画、風俗画、何かを象徴的に描く。
ジョバンニ・パオロ・パンニーニ(Giovanni Paolo Pannini 1691-1765 ローマ): 祝祭画、古代ローマの廃墟の風景を活写 した景観図。新古典主義。
フランチェスコ・ソリメーナ (Francesco Solimena 1657?1747 ナポリ): 後期バロックの画家。
ポンペオ・バトーニ (1708-1787 ローマ): 官能性豊かな古典主義的作風。
ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ(Giovanni Battista Tiepolo 1696-1770 ヴェネツィア): ルネサンス期の美術絵画 の伝統を締めくくる最後の巨匠。
ジョヴァン二・バッティスタ・ピアッツェッタ(Giovanni Battista Piazzetta 1682-1754 ヴェネツィア): バロック後期~ロココ初期のヴェネツィア派の画家。
ジョヴァンニ・アントーニオ・カナール(Giovanni Antonio Canal 1697-1768 ヴェネツィア): ヴェネツィア共和国の景観画家。
フランチェスコ・グアルディ (Francesco Guardi 1712-1793 ヴェネツィア): ヴェネツィアの風景画家。

イギリス
1707年イングランド王国とスコットランド王国が合併。 1721年責任内閣制の開始。 1775-1783年アメリカ独立戦争。
農業生産の飛躍的向上により人口の増加をもたらした農業革命に続き、産業革命が起こったことにより、 イギリスの生産力が飛躍的に向上した。
ジョシュア・レノルズ(Sir Joshua Reynolds 1723-1792 イギリス): ロココ期の肖像画家。
トマス・ゲインズバラ (Thomas Gainsborough 1727-1788 イギリス): 繊細かつ優雅な筆触と調和性の高い色彩の表現による 風景画や肖像画。
ジョージ・スタッブス(George Stubbs 1724-1806 イギリス): 馬の絵画、肖像画、グループ肖像画。
サー・トーマス・ローレンス(Sir Thomas Lawrence 1769-1830 イギリス): 王侯や外交官たちの肖像画。
ジョセフ・ライト(Joseph Wright 1734-1797 イギリス): 風景画や肖像画。
ヘンリー・フュースリー(Henry Fuseli 1741-1825 イギリス): 光と闇の対比を強調する明暗法に優れ、 ロウソクで題材を照らした。

スペイン
18世紀に入るとスペインハプスブルク家が断絶し、スペイン継承戦争が始まった。この戦争は12年に及び、 1713年フェリペ5世が即位、しかしイギリスにジブラルタルを割譲。対外的には衰えを見せたが、国内では 産業の成長が進んだ。1759年にカルロス3世が即位し中興を果たした。
ルイス・メレンデス(Luis Egidio Melendez 1716-1780 スペイン): 静物画家。構成や光の表現の見事さ、 個々の対象の質感と量感を捉える卓越した技量が台所用品や果物を感動的なイメージに変容させている。
フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス(Francisco Jose de Goya y Lucientes 1746-1828 スペイン): ロマン主義の画家。聴覚を失いながらも、宮廷画家として王室や貴族の肖像画を描き、フランスとの戦争に関連する絵画も数多く 残した。

アメリカ
アメリカの画家たちはまだ、ヨーロッパのような社会的地位はなかった。
ジョン・シングルトン・コプリー (John Singleton Copley 1738-1815 アメリカ): 写実主義 。1774年イギリスに移住。 重要な肖像画家となる。
ベンジャミン・ウエスト (Benjamin West 1738-1820 アメリカ): 歴史画を描いた新古典主義の画家。 1760年にイタリアへ、1763年にイングランドへ引っ越した。ジョージ3世にイギリス王室の画家として雇われた。
ギルバート・チャールズ・ステュアート(Gilbert Charles Stuart 1755-1828 アメリカ): アメリカにおける最初期の肖像画家。 6人のアメリカ大統領を含む1000人以上の肖像画を描いた。



2015.1.28

西洋絵画 (2) 17世紀

昨年の12月9日のブログに載せたサンシュウの花芽が膨らんできてついに花を咲かせました(右の写真)。 室内は暖かいので春の到来と感じたのでしょうか。それにしても、その生命力には感心します。

全豪オープンテニスで錦織圭選手が大活躍。"凄いなあ"と感心しながらテレビ観戦をさせていただいて おります。錦織圭選手のさわやかな人柄も良い。それを補うコーチのマイケル・チャンさんの真剣な 姿も印象的だ。日本人観客のマナーはもう1つだ。日の丸の旗はあまり目立たないほうが良い。世界中 の人々が観ている・応援している。残念ながらワウリンカに負けた。でもよくやった。次回は これをバネにして頑張ってくれることを期待する。

さて、2015.1.15の続き・・・。18世紀以降は後日に・・・。

17世紀

バロック絵画の全盛期で、劇的な描写技法、豊かで深い色彩、強い明暗法などで特徴づけられる。ルネサンス美術とは異なり、 バロック美術では大げさで芝居がかったような場面描写が好まれ、動的な躍動感あふれる作品が多く制作された。 盛期ルネサンスの代表的な芸術家ミケランジェロは彫刻ダビデ像を、ゴリアテとの戦いを控えて沈思する人物として表現した。 一方、バロックの代表的な芸術家ベルニーニは、ゴリアテに向かって石を投げつける瞬間をとらえたダビデ像 を制作している。ルネサンス美術で賞賛された冷徹な理性ではなく、バロック美術では一瞬の感情や情熱の表現を追求した。

イタリヤ
 17世紀初頭のローマはカトリック教会の本拠地として隆盛を極め、多くの芸術家が集まった。
アンニーバレ・カラッチ (Annibale Carracci, 1560-1609 イタリア ボローニャ派): アルカディア(古代の詩 や神話の理想郷)の風景画
カラヴァッジオ(Michelangelo Merisi da Caravaggio 1571-1610 イタリア): 明暗法を駆使し、題材を見えるとおりに表現し、 対象を理想化することなく欠点や短所も描いた。
ニコラ・プッサン(Nicolas Poussin 1594-1665 ローマ): フランス出身。バロック的な激しい感情や劇的な明暗の表現は抑制 されており、古典主義的で深い思想的背景をもった歴史画や宗教画。英雄的風景、あるいは悲劇的風景と呼ばれる荘重な風景画、 寓意的な内容を持った神話的風景を描いた。
クロード・ロラン(Claude Lorrain 1600-1682 ローマ): フランス出身。理想風景を追求する画風。
ホセ・デ・リベーラ(Jose de Ribera 1591-1652 ナポリ): スペイン出身。当時のナポリはスペイン副王の支配下にあった。 副王の庇護を受けつつ、聖人、殉教者などをカラヴァッジョ風の劇的な表現で描いた。

オランダ
 1602年に東インド会社を設立。アムステルダムは経済と金融の大拠点となる。オランダの画家達は"カメラに近い 光学装置(片面の小さな穴から室内の光が箱の中に入り、レンズを介して光線が集束し、白い紙に室内の像が映る)"を駆使し、 巧みに奥行きを配し室内の光景を再現した。1672年のフランスのオランダ侵略までが、オランダ絵画の黄金時代。
フランス・ハルス(Frans Hals 1581-1666 オランダ): オランダ絵画の黄金時代を代表する画家の1人。人々の生き生きと した表情を捉える描写力は卓越。『陽気な酒飲み』はモデルの人柄まで伝わってくる。肖像画も多い。
ヤン・ブリューゲル(父)(Jan Brueghel the Elder 1568-1625 フランドル): 色彩豊かで光溢れる細密描写を用いて、 花や森、自然、動物などを描く手法を得意とし、その高い表現力から「ビロードのブリューゲル」と称された。 ピーテル・ブリューゲル(大ブリューゲル)の次男。
ヤン・ブリューゲル (子) (Jan Brueghel the Younger 1601?1678 フランドル): 細部まで描写した風景画や寓意画。
ピーテル・パウル・ルーベンス(Peter Paul Rubens 1577-1640 フランドル): 外交官。祭壇画、肖像画、風景画、神話画 や寓意画も含む歴史画。ルーベンスはアントウェルペンで大規模な工房を経営し、ヨーロッパ中の貴族階級や収集家に高く 評価された。
ピーテル・デ・ホーホ(Pieter de Hooch 1629-1684 オランダ): 風俗画家。初期は、非番に賭け事や酒、タバコを楽しむ 兵士や女中を描いたが、透視画法(遠近法)を用いた室内空間に人物を配置したような絵に変化。
サミュエル・ファン・ホーホストラーテン(Samuel van Hoogstraten 1627-1678 オランダ): 風俗画家。空間が続く様子を 見事な奥行き効果で描いた。
レンブラント・ハルメンス・ファン・レイン(Rembrandt Harmensz. van Rijn 1606-1669 オランダ): 大画面と明暗を 画面上に強く押し出したルミニズムの技法を得意とし、「光と影の画家」の異名をもつ。人物画の黒々とした瞳が特徴。
ヘラルト・ドウ(Gerard Dou 1613-1675 オランダ): 正確さを期す筆遣いが用いられ、調和がとれている。彩色は新鮮で 透明感がある。
ヤン・ステーン(Jan Steen 1626-1679 オランダ): 静物画、肖像画、歴史画、宗教画、農民を描いた風俗画。
ヤーコプ・ファン・ロイスダール(Jacob Izaaksz van Ruisdael 1628-1682 オランダ): 風景画。地平線を低めにとって空 と雲の表情を描写し、光と大気の効果を追求。
ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer 1632-1675 オランダ): レンブラントと並び17世紀のオランダ美術を代表する 画家。物語画家として出発したが、風俗画家へと転向。静謐で写実的な迫真性のある画面は、綿密な空間構成と巧みな光と 質感の表現に支えられている。

スペイン
 スペイン王国は1492年「アメリカ大陸の発見」によって新たな領土を獲得し、国家としても隆盛を極めていた。 1532年にはインカ帝国を滅ぼし、アメリカ大陸はそのほとんどがスペインの植民地となっ ていた。1580年から1640年にかけてスペイン王がポルトガル王も兼ねるようになり、中南米やアジア・アフリカ沿岸に点在 するポルトガルの海外植民地を獲得した。ネーデルラントや南イタリアなどを属領とし、フィリピンなどの従来植民地と 併せた広大な領土を統治する大国となった。1588年のアルマダ海戦にて、スペインの無敵艦隊がイングランド海軍に敗れると、 スペインの衰退は顕著になっていった。イングランドはこの後急速に国力を高め、17世紀後半には史上最大の帝国へと発展。
フランシスコ・デ・スルバラン(Francisco de Zurbaran 1598-1664 スペイン): スペイン絵画の黄金時代と言われる17世紀 前半に活動した画家。宗教画、静物画。
バルトロメ・エステバン・ペレス・ムリーリョ(Bartolome Esteban Perez Murillo 1617-1682 スペイン): 画面全体が薄 もやに覆われたような夢幻的な作風。聖母マリアの純潔性をあらわした『無原罪の御宿り』。貧しい少年たちをありのまま に描いた風俗画、子供達を愛しむかのように子供を描いた絵も多数残している。私はこの画家が好きである。

フランス
 17世紀前半のフランスはマリー・ド・メディシスの摂政末期に始まり、1643年にルイ13世死去。1661年に ルイ14世が親政を開始した。ルイ14世の治世下でフランスはアカデミックな国となり、芸術家や学者を育てた。
アントワーヌ・ル・ナン (Antoine le Nain 1588-1648 フランス パリ): 肖像画や農民生活を描いた。
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(Georges de La Tour 1593-1652): ロレーヌ地方で活動。明暗の対比を強調し、 単純化・平面化された構図や画面に静寂で神秘的な雰囲気がただよう。
フィリップ・ド・シャンパーニュ(Philippe de Champaigne 1602-1674 パリ): 宗教画、肖像画。最初ルーベンスの影響を 受けていたが、後にはより禁欲的な作風になった。
シャルル・ル・ブラン(Charles Le Brun 1619-1690 パリ): 室内装飾。美術理論。ルイ14世の第一画家としてヴェルサイユ宮殿、 ルーヴル宮殿等の内装を担当。
イアサント・リゴー (Hyacinthe Rigaud 1659-1743): ルイ14世時代の重要な肖像画家。衣装と背景を正確描いた。

イギリス
ピューリタン革命(1642-1649)、名誉革命(1688-1689)、17世紀を通じて国王と議会が対立。議会が優勢。 イングランドは17世紀後半、急速に国力を高め、イギリス帝国へと発展していった。
アンソニー・ヴァン・ダイク(Anthony van Dyck 1599-1641 イギリス): フランドル出身。チャールズ1世をはじめ、 イングランドの上流階級を描いた肖像画、歴史画、宗教画、神話画。




2015.1.24

若草山山焼き

土曜日午後からの神戸大学でのテニスに参加した。参加者は10名ほどである。16:00にテニスを終えて シャワーをし近鉄奈良駅に18:10に着いた。外へ出ると花火の音が若草山の方から聞こえてきた。 "今日は若草山山焼きの日だ"と気が付いた。若草山への展望がある道では多くの人が花火を見ていた。 私は足を速めて自宅へと急いだ。ところどころで花火をながめながら・・・。

自宅に18:30に到着した。2階に昇ると、既に愚妻が窓を開けて見物していた。花火が終わり、山焼きの 点火が始ったところであった。我が家の2階は"若草山山焼き"を見物するには絶好の場所である。 右の写真は2階から撮ったものである。ご了解いただけるでしょうね・・・。

ちょっと遠くて迫力はないけれど、東大寺二月堂のお水取りの"お松明"も、この2階から見物することが出来ます。


2015.1.23

腰痛その後

20日にテニススクールに行った。用心のため、先日買った"腰全体の違和感に"というサポーター を付けていった。何の違和感もなくテニスが出来た。
21日にもテニススクールに行った。この日もサポーターを付けていった。何の違和感もなくテニス が出来た。
22日乗馬クラブにいった。乗馬の前にサポーターを付けた。雨の中の乗馬で雨具を着ての乗馬である。 馬場は泥んこで馬の足が泥の中に15cm程沈んでいた。馬が蹴躓くこともあるので用心しての乗馬である。 馬で駆けていると腰を使う。駆けながら「こんなに腰を使っているんだ」と気が付く。用心して慎重に 乗り、無事に終了した。
今回の腰痛は軽傷であった。"ぎっくり腰"のような激痛もなく治りも早かった。元気なときにしっかり 筋肉を強くしておく必要がある。日頃の生活の中で工夫していこうと思う。


2015.1.15

西洋絵画 (1) 12-16世紀

昨年、ワシントンDCの National Gallery of Art を訪れた際、ガイドブック"A world of Art (M. Richler著)" を購入した。これがとてもよく書かれていて面白かった。・・・で、次いで、"ルーヴル美術館 ヨーロッパ 絵画(みすず書房)"、ルーヴル美術館で購入したガイドブック"ルーヴル・・・700年の絵画の系譜"を読んだ。 これらもとても面白かったので、これらを参考に、私自信の"絵画鑑賞の為"のメモ(あまり正確でない)を 作った。

12-14世紀

12世紀は禁欲的なロマネスク様式の彩色画が主流。その特徴は、奥行きのない空間を相対比率を無視して 思いのまま利用することと、明快な輪郭を持つ色彩豊かな形の構成にある。
13世紀には、1204年の十字軍によるコンスタンチノーブルの略奪があり、ビザンティン、イスラム、エジプトや シリアなど東方キリスト教美術の影響も受け、青、赤、黄の顔料、金箔が使われ色彩豊かな聖母子や聖人が 描かれた。
14世紀はビザンチンの伝統の聖美術の形に空間と生命が付け足された。
シマブェ(Cimabue 1240-1302 イタリア): ビザンチン様式により自然な人体表現を導入した。
ジョット(Giott 1266-1337 イタリア): 伝統的な「聖美術」に写実的な細部を加え、人間味を加えた。
シモーネ・マルティーニ(Simone Martini, 1284- 1344 イタリア): 幻想的で細密なゴシック様式の絵画。
(注)中世ローマ教会は、神へは崇拝、キリストには礼拝、聖人には崇敬、聖母マリアには超崇敬を行う。偶像崇拝は禁止。
東方キリスト教会は、5世紀頃からキリストと聖母マリアと聖人達の聖像を崇拝してきた。

15世紀

初期ルネサンス
フラ・アンジェリコ(Fra Angelico 1406-1455 フィレンツェ): 単純で幾何学的な力強い構図、華麗な宗教画。
フラ・フィリッポ・リッピ(Fra Filippo Lippi 1457-1504 フィレンツェ): ひだの多い衣服、優美な体の線、肉体的な存在 感をもった聖母。
パオロ・ウッチェロ(Paolo Uccello 1397-1475 フィレンツェ): 中心点に収束する消線をもちい、遠近両者を交互に配し画面に奥行きをもたらす。
アンドレア・マンテーニャ(Andorea Mantegna1431-1506 イタリア パドヴァ): 遠近法を駆使した厳格な画面構成、硬質な線描、彫刻的な人体把握。
サンドロ・ボッティチェリ(Sandro Botticelli 1445-1510 フィレンツェ) : 明確な輪郭線と優美で洗練された線描手法を用いた宗教画・神話画。
ペルジーノ( Perugino 1448-1523 フィレンツェ、ローマ): 祭壇画・壁画制作にあたり棟梁的な役目、若きラファエロの師でもあった。
ヴィットーレ・カルバッチオ(Vittore Carpaccio 1455-1525 ヴェネツィア): 幻想的人物、建築的遠近法、光の描写や格調高い鮮やかな色彩。
ジョルジョーネ(Giorgione、1477-1510 ヴェネツィア): 詩的な作風の画家
ルカ・シニョレッリ(Luca Signorelli 1445-1523 イタリア): ダイナミックな線描と正確な人体表現が特色
アルブレヒト・デューラー(Albrecht Durer 1471-1528 ドイツ): ドイツルネサンス期に活躍したドイツ美術史上最大の画家
ドメニコ・ギルランダィオ(Domenico Ghirlandaio 1449-1494 イタリア): 宗教画が主であるが、実在の人物や日常生活を描き込んだ。
マティアス・グリューネヴァルト(Matthias Grunewald 1470-1528 ドイツ): 肉体に理想化を施さない、凄惨で生々しい描写。イーゼンハイム祭壇画。
(注) フィレンツェは1434-1494の間、メディチ家が実権。絵画は 聖人を称える祭壇画、愛情・優しさ・謙譲の化身としての 聖母マリアが主体。

初期フランドル派
ジャン・マルエル(Jan Maelwael 1365-1415 フランス ブルゴーニュ):宮殿のための装飾絵画・祭壇画。
アンリ・ベルショーズ(Henri Bellechose ?-1445 ディジョン, フランドル): 祭壇画、宮廷画家。
ファン・エイク(Jan Van Eyck 1390-1441 フランドル): 油彩技法を確立。神々しい色彩と光。
ディーリック・バウツ(Dirk Bouts 1410-1475 フランドル): リアルで正確な描写による宗教画で信仰心を高めるのに寄与。
ハンス・メムリンク(Hans Memling 1430-1494 フランドル): 宗教的な主題を、華麗な色彩と、細部までゆるがせにしない写実 表現をもって描いた。
ジャン・フーケ(Jean Fouquet 1415-1490 フランス): 肖像画・宗教画でポーズ、仕草、モチーフ、品物が画面に関する情報を提供。
アンゲラン・カルトン1(?-1466 プロバンス): 人体の解剖学的特長をつかんだ宗教画。
(注) フィリップ2世はディジョンに宮廷をおき、14世紀末のブルゴーニュを文化の一大拠点にした。1419年にフィリップ3世が フランドルに遷都を決めたため、フランドルに文化の拠点も移動した。
(注) フランドル: オランダ南部、ベルギー西部、フランス北部にかけての地域。中世に毛織物業を中心に商業、経済が発達し、 ヨーロッパの先進的地域として繁栄した。


16世紀

16世紀初頭、主要な通商路が地中海から大西洋に移った。イタリアのほとんどの弱小国家はスペインなどの外国勢力に敗れた。 ミラノ公国やナポリ王国は併合され、ヴェネツィア共和国、ジェノヴァ共和国、フィレンツェ共和国等は生き延びたが、 弱体化していった。
こうした中で、ルネサンス(再生、復活、ギリシア・ローマの文化を復興しようとする文化運動)は最盛期となり、 キリスト教の洗脳による先入観から解放するために、キリスト教が罪とする裸、「裸を見る」行為を奨励し、裸図や裸像を作った。

レオナルド・ダ・ヴィンチ(Leonardo da Vinci 1452-1519 イタリア): 活動拠点はフィレンツェ、ミラノ、ローマ。 1516年はフランソワ一世の招きによりフランスへ渡り、67歳で客死。代表作:"モナリザ"、ミラノにあるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ 修道院の食堂の壁画"最後の晩餐"

ラファエロ・サンツィオ(Raffaello SAnti 1483-1520 イタリア): 明確で分かりやすい構成、雄大な人間性を謳う新プラトン主義 を美術作品に昇華。聖母マリアと幼子イエスを描いた作品が有名。

ミケランジェロ(Michelangelo Buonarotti 1475-1564 イタリア): イタリア盛期ルネサンス期の彫刻家、画家、 建築家、詩人。 代表作: システィーナ礼拝堂の"礼拝堂天井画"と祭壇壁画"最後の審判"、ユダヤ王"ダビデの像"のペニスを割礼のない様相を 強調して彫り、ダビデがパレスチナ人であると主張。

ヴェネツィア派(色彩を重視)
ジョヴァンニ・ベッリーニ(Giovanni Bellini 1430-1516): 新しい技法である油彩を用い、柔和な表現と華麗な色彩が特色。
ティツィアーノ・ヴェチェリオ(Tiziano Vecell 1488-1576 ヴェネツィア): 盛期ルネサンス期に最も活躍したヴェネツィア派の巨匠。
ロレンツォ・ロット(1480-1556 ヴェネツィア): 色彩豊かな表現を用い、反古典主義的な思想と対象の内面へ迫る心理描写。
ティントレット(1518-1594 ヴェネツィア): 強烈な明暗対比と動感あふれる表現。
パオロ・ヴェロネーゼ(Paolo Veronese 1528-1588 ヴェネツィア): 明暗対比を抑え、補色を並置するなど、画面の中に明るい光彩を置く。

フィレンツェ派(デッサンを重視)
アンドレア・デル・サルト(Andrea del Sarto 1481-1531 フィレンツェ): ダ・ヴィンチに倣うぼかし技法と安定的でリズミカルな構図を基礎。
ヤン・ヴァン・デル・ストラート(1523-1608 フィレンツェ): 寓意的情景。

マニエリズム(節度・調和・幻想など優美な手法)
コレッジオ(Correggio 1489-1534 イタリヤ): 下方から主対象を見上げた構図の使用や、短縮法で人物を描くなどマニエリスム的な 作品を制作するほか、深い明暗対比で描かれる光の効果を生み出した。
ジョゼッペ・アンチンボルド(1523-1593 イタリヤ): 野菜や果物、木の根といったもので構成された奇想な肖像画。

北方ルネサンス
ヘラルト・ダーフィット(1460-1523 フランドル): 初期オランダ・ルネサンス期に祭壇画・風俗画を描く。
クエンティン・マセイス(Quentin Metsys 1465-1530 フランドル): 宗教画、風俗画、肖像画等に示惷に富む多数の品々を描き加えた。
ヨース・ファン・クレーフェ(1485-1540 フランドル): キリストの苦しみ・死を暗示する品々を加えた祭壇画。
ピエロニムス・ボッス(1450-1516 フランドル): 教会勢力を痛烈に批判した異端の描写。道徳教訓画。
ピーテル・ブリューゲル(Pieter Breughel 1525-1569 フランドル): 狂気に満ちた奇怪な情景・世の中の無秩序・農民を描いた。
ルーカス・ファン・レイデン(1489-1533 ライデン): 画面の構成要素にだまし絵。
ピーテル・ハイス・ルーベンス(Petrus-Paulus Rubens 1577-1640 フランドル): 祭壇画、肖像画、風景画、神話画や寓意画も含む歴史画。
ルーカス・クラナハ(1472-1553 ドイツ): 宗教改革者マルティン・ルターの友人であリ、彼とその家族の肖像画、宗教画。
ハンス・ホルバイン(Hans Hilbein 1497- 1543 ドイツ、後にイングランド): モデルの容貌・職業も巧みに特徴づけた肖像画。
ヤン・マセイス(1509-1575 フランドル): イタリアのマニエリスムの影響を受け、男を滅ぼす妖艶な女性を描いた。

フォンテーヌブロー派(フォンテーヌブロー宮で制作していた芸術家たち)
ジャン・クーザン(1495-1593 フランス): 官能的な裸身を特徴とする女性像。
ニッコロ・デッラパーテ(1509-1571 フランス): フォンテーヌブロー宮殿の室内装飾、神話的物語を含む風景画。
ジャン・クルーエ(1510-1572 フランス): フランス・ ヴァロワ王家の肖像画。
コルネイユ・ド・リヨン(1510-1571 フランス): 肖像画家、リヨンで活動。
アントワーヌ・カロン(1520-1600 フランス): 宮廷画家。

エル・グレコ(El Greco 1541-1614 ヴェネツィアやローマで修行、1577年スペインに移住): ヴェネツィア派の色彩やミケランジェロ の量体表現、マニエリスト特有の引き伸ばされた人体比率を学び、奇抜な構図と非現実的な色彩・酸性の色調を追求した。

(注) 洗礼者 聖ヨハネ:ヨハネの母エリサベトとイエスの母マリアは親戚。メシアの到来を予言し、キリストに洗礼を授けた。 ヨハネは領主ヘロデ・アンティパスが弟の妻ヘロデヤとの結婚を非難したため、首をはねられた。ヘロデヤの娘サロメは その首を要求・獲得する。イエスの弟子である使徒ヨハネとは別人。
(注) 画面に表された鏡: 鏡は美的喜びと虚栄の品。"まやかし"を意味したり、"魔力"を持つ。





2015.1.13

腰痛・雪見・湯治・整骨院・その後の経過

8日に乗馬に行った。家に帰ると腰に違和感を感じた。"ぎっくり腰"ほどではないが、腰をまげて 地面にあるものを取ろうとすると腰に痛みを感じた。3年前に"ぎっくり腰"をやって、悪化させて 苦労したので"慎重にしなければならない"。

9日 朝起きると、悪化はしていないが良くもなっていない。翌日のテニスは休むことにした。

10日 朝起きると、悪化はしていないが良くもなっていない。歩くのには支障がないので、温泉に 行ってゆっくり休養をしようと思い、インターネットで温泉宿を探した。11,12日は連休なので なかなか良い宿が見つからない。特に"一人旅"となると駄目な宿が多いのだ。愚妻は11日に一泊旅行 を予約していた。私は"同行してくれる素敵な女性"もいないので、散々苦労して"一人旅・温泉・雪見 ・蟹尽くし"の条件を満たす宿を探し予約した。

11日 朝起きると、悪化はしていないが良くもなっていない。9:00近鉄奈良発の電車に乗り、JR京都 9:45発敦賀行きの快速列車に乗った。「北小松」を過ぎるころから雪景色となった。敦賀から福井行き の普通列車に乗り、雪の多い「今庄」で途中下車した。前回も食べた駅前の蕎麦屋「忠兵衛」に入り、 "天然キノコ入り猪蕎麦"と"煎りムカゴ"を注文した。美味くてまだ食べれそうであったので"おろしな めこ蕎麦"を追加注文した。12:53今庄発の列車に乗り、14:01芦原温泉駅に着いた。送迎バスに乗り、 14:15温泉宿に着いた。湯治が目的なので早速、温泉に入り体を温めた。18:00から"蟹尽くし"の夕食。 蟹の量はたっぷりあったが、味が物足りない。「"越前蟹"はこんなものでない?」と訊ねたら「連日海 が荒れていて蟹が採れなくて、これは"冷凍もの"。その分、料金は安い」とのことであった。食後、 再度温泉に浸かって就床。

12日 朝起きると、悪化はしていないが良くもなっていない。少しガッカリ。朝食後、温泉に浸かって 10:00送迎バスに乗り、10:30芦原温泉発の特急列車に乗り12:08京都着。京都駅で昼食を摂り、14:00 近鉄奈良駅着。夕食の材料を買って帰宅。夕食の出来た頃に帰宅した愚妻に「メールで依頼したミル クは?」と訊いたら「あっ、忘れた」だって・・・ナントイウコッチャ。

13日 少しは良くなったかと思えば思えるが大差なし。午前中に車を"車検"にディラーへ持って行き、 帰り道で"モンベル”に寄り"腰全体の違和感に"というサポーターを買った。午後に3年前にお世話に なった整骨院へ行った。帰り際に「明日、テニスに行ってもよろしいですか?」と訊いたら、「駄目!」 と言われた。

14日 少しは良くなったかと思えば思える。 整骨院へ行った。18日までのテニス、乗馬をキャンセルした。

15日 少しは良くなった。前かがみで物が取れるようになった。治ったら"前かがみで物を拾う筋肉を 強化する"必要がある。治ると忘れてしまうのでここに記す。

16日 痛みはほぼ無くなった。整骨院へ行った。「御蔭さんで痛みが殆ど無くなりました。テニスをやって もよろしいか?」と訊いた。「来週からですね。ぼちぼちやってくださいね。」と返ってきた。嬉しいね。 ありがたい・ありがたい。感謝・感謝である。




2015.1.1

2015年元旦

あけましておめでとうございます。本年もよろしくおねがいします。

我家の今年の正月は愚妻と二人だけの静かな正月である。暮れには大掃除をし、玄関のドアを 磨いて柿渋を塗った。例年通りのおせち料理を用意し、元旦には朝日を拝んでから火を熾し、 炭火で焼いたまる餅を味噌仕立てのだし汁で炊いた大根・豆腐・里芋の中に入れて一煮したのが愚妻 の家の伝統的なゾウニである。岐阜県関市で生まれ育った私は、最初このゾウニにはとまどっ たが、今ではスッカリこれに順応した。

11:00に家を出て、先ず氏神である漢国神社に御参りをした。次いで、興福寺を経て春日大社 に参拝。参道にある春日荷茶屋(かすがにないぢゃや)で七草粥をいただき昼食とした。その後、 東大寺大仏殿に参拝。帰宅したら15:00であった。歩数12000。例年通りの行程である。

昨年末、中国の精華大学の教授であった李麗さんから"My Scientific Career"というA4 25ページ の履歴・報告書をいただいた。拝読して感銘を受けたのでそのさわりをご紹介する。
彼女は中国の寒村で生まれた。その村には小学校は無く、村が先生を雇って読み書きと算盤・計算 を教える塾だけであった。少数の男子だけが村外の小学校に行き、女子は行かなかった。女子は農業 の助けをし、貧しい農夫の妻となるのが普通であった。そうしたなかで、彼女の両親は彼女に小学 校に行くように指導し、そのために転居もしてくれた。中学校、高等学校へ進み、1960年北京大学 化学科に入学した。1966年(北京大学は学部が6年間)に文化大革命が起こり、大学院入試・講義も 無くなった。1968年に中国科学院の研究所に職を得たが、その三ヶ月後"労働者・軍人・農民による 再教育"が始まり、その後の6年間、研究は何も出来なかった。科学者になる夢はついえたかに思わ れたが、1976年レーザーによる同位体分離の研究所に職を得ることが出来た。1982年に米国MITに 研究員としていき、それからアルカリ2原子分子の研究を開始した・・・。
それ以後の研究は、私は熟知しているが、実験装置の劣る中国で世界中の科学者と連携しながら 優れた研究成果を上げてこられた。非常な困難・苦難・障害を乗り越えて、優れた研究者となられ た彼女にエールを送りたい。彼女も定年退職後の生活に入られたようだがご多幸をお祈りする。


2014.12.29

STAP細胞論文事件について

12月19日に理化学研究所から「STAP現象の検証結果」、12月26日に理化学研究所の「STAP細胞論文に関す る調査委員会」による調査報告書が公開された。これらを拝読した。私の専門外なので実験の詳細、 研究論理の展開はあまり理解できないが、今回の"STAP細胞論文事件"について私なりの考え・感想を記述する。

1. 当初"若い研究者により素晴らしい研究業績が上げられた"と喜んだのだが、今回の調査報告書を拝読すると "STAP細胞を実証する実験事実は無い"ということで、驚くと共に落胆している。"科学実験は再現できなければ ならない"。"再現できなければ科学ではない"。

2. 小保方さんは科学者としての基本、基礎学力、細心な注意、丁寧で緻密な研究展開に欠けており、粗雑 であり、研究者ではないと思う。

3. そのことを、STAP論文の研究の中心的な部分が行われた時に小保方氏が所属した研究室の長であった 若山氏が認識していなかったのは不可解である。若山氏も研究者ではないのではないか?

4. 実験記録やオリジナルデータがないことや、見ただけで疑念が湧く図表があることを、共同研究者や 論文の共著者が見落とした。STAP幹細胞やキメラについて明らかに怪しいデータがあるのに、それを追求 する実験を怠った問題も指摘されている。最終的にSTAP論文をまとめるのに主たる役割を果たした笹井氏 の責任は大きく、記者会見でも「慙愧にたえない」と語っておられた。

5. 今回の事件で、「捏造、改ざん、盗用」を故意によるものだけでなく、ミス・不注意によるものまで 含めるよう"より厳しい認識"をうながされた。

STAP細胞論文に関する調査委員会は "理研だけでなく全ての研究者は、STAP問題を自分の研究室にも 起こり得る問題と考え、今までよりいっそう思慮深い教育と研究室運営を行うべきだろう。不正防止が大 きな流れになるためには、「捏造、改ざん、盗用」を重大な違反と考えるのは当然だが、それだけでなく 「研究における責任ある行動」ないし「研究における公正さ」という観点から、より広い視野で研究者倫理 を考え、教育を行う必要がある。そこで基礎となるのは、論文のインパクトファクターでも、獲得研究費 の額でも、ノーベル賞の獲得数でもなく、自然の謎を解き明かす喜びと社会に対する貢献である。"と報告書 で述べておられる。私も同感である。この調査委員会のご努力に敬意を表したい。

科学者たらんとするものは"自然に謙虚に立ち向かい、自然の真理に迫る研究を推進する"ことだと思う。


2014.12.19

Guacamole

ワシントンDCのメキシコ料理店(Oyamel Cocina)で食事をした際、ほとんどのテーブルに黒い石の三本足の器が乗 っていて、グリーンの食べ物が黒の器の中にあり美しくて美味しそうだったので、店員さんに「あれと同じもの」 といって注文したのがGuacamole(グアカモレまたはワカモレ)という料理であった。店員さんが目の前で作ってく れた。美味しくて、簡単に作れそうなので、私はこの料理を作ってみた。我が家に李朝期に薬草を煎じるのに使わ れた石鍋があったので活用した。

1. アボガド1個を半分に切り、種を出して捨て、果肉をスプーンで小さくしながら削り採り石鍋に入れた。
2. 玉ネギ 1/4個をみじん切りにした。
3. 柚子1個の果汁を搾り取った。
4. 柚子の皮が勿体無いので、表皮を削り取りみじん切りにした。
1.に2.3.4.を加え食塩を少々加えてかきまぜた。料理店ではライムの果汁を使っていたが私は柚子を使い、柚子の 皮もいれた。コリアンダーも無かったので大根を少し千切りにして入れた。出来上がったのが右の写真。手軽で 美味しい私の料理が1つ増えた。スパイスも加えて、トルティーヤ・チップスに付けて食べるのが本場だが、 和食にも良く合う。私は最後に、石鍋に付いたGuacamoleを食パンでぬぐって食べた。




2014.12.14

ピアノの発表会

今日、"大人のピアノ"教室の発表会があった。発表会に行く直前に愚妻が言った「"上を向いて歩こう"の 練習しているのを聴いたけど、七歳の孫娘のほうが上手ね・・・」と。私は"少しは旨く弾ける様になった" と思っていたのに出鼻をくじかれた。下手なのは分かっているけど、発表会の直前にそれはないでしょう。 せめて「少し上手になってきたね。頑張ってきてね」くらいの言葉をかけるのが"思いやり"だと思うので すが・・・。

そのことをピアノの発表会で聴衆に訴えてから、私は"上を向いて歩こう"を弾いた。完璧とはいかなかっ たが、ますまずの結果だと私は思った。ピアノを弾いて聴衆席に戻ったら、隣席の女性が「良かったですよ。 私も口ずさんでいました」と言って下さった。そうだ・そうだ。お世辞でもいいからこんな言葉が聞きたいね。

今年は庭の侘び助が沢山花を付けた。メジロやヒヨドリが蜜を吸いにくる。蕾の付いた枝を挿して置いたら 開花した(右の写真)。


2014.12.9

ピアノ

もうすぐ私が通っているヤマハの"大人のピアノ"教室の発表会がある。その会で私は"上を向いて歩こう" を弾くことになっている。・・・で私は毎日その練習をしている。私がピアノを弾きだすと、決まって ヒヨドリがやってきて「ピーピー、キーキー」と鳴く。庭のサンシュウの実を食べにきて「これはオレ の物だ。他のの奴はだめだぞ」と鳴いているのだと思うが・・・、これが「下手なピアノ、下手なピアノ」 とも聞こえる。そこで今日はサンシュウの実を採った。この実で美味しい果実酒が出来るのだ。実を全部 採るとヒヨドリも怒るだろうから、半分ほどは残しておいた。それでも、がっかりするだろうな・・・ 許しておくれ。

ついでに、実のなった枝を切ってきて生けた(右の写真)。花器は東大寺大仏殿の古材である。

気分良く"上を向いて歩こう"を弾いていたら、今度は愚妻がやってきて「もっと他の曲も弾いたら」と 怒鳴るように言った。私は「今度の発表会で"上を向いて歩こう"を弾くんだよ・・・」と言った。 「へぇー発表会!"上を向いて歩こう"をね!」と言って何処かへ行ってしまった。

でも・・・私はへこたれない。私は自分に音感もリズム感も無いのは分かっている。童謡や唱歌をピアノで 弾けるようになりたいと願っているのだ。ピアノの練習は楽しいのだ。


2014.12.2

米国在住の次女一家を訪ねる旅

今年の1月に米国アトランタに移住した次女から「Thanksgiving day(11月の第4木曜日)前後は小学校が 休みになるから、その頃来たら・・・」との誘いに従って、愚妻と出かけていった。

11月19日10:50近鉄奈良駅前発の伊丹空港行きのバスに乗り、関空14:15発のNH2178機で成田に15:35に着 いた。17:30成田発14:05シカゴ着(飛行時間11時間35分)、16:15シカゴ発19:13アトランタ着(飛行時間1時間58分) の飛行機に乗るべく成田の待合室にいたら、次女の夫君が声をかけて来た。彼は「商用で東京に来ていて、これから 自宅に帰るところ」と言った。全くの偶然の一致でアトランタまで同行となった。彼はビジネスクラスで、 こちらはエコノミークラスであったが・・・。

次女には小学校に通う9才と7才の女の子と幼稚園に通う3才の男の子がいる。アトランタの家は広大で建坪は 400m2以上で使っていない部屋もいくつかあった。1000m2を越える庭付きで周りの家も 同様のようで、広大な雑木林を開発して作られた住宅地にあり、借りているとのことであった。前日までは、0℃ 以下の寒い日であったらしいが、私達の滞在中は15℃ほどの暖かい日々であった。

1: 家の前で遊ぶ子供達 2: ベランダのエサ台に来たルリビタキ 3: キューバの太鼓の叩き方を教わる

11月20日 次女と3人の子供達と水族館へいった。水族館の隣にCocaColaの博物館があった。アトランタは CocaCola発祥の地で本社があるとのことを私は初めて知った。帰りにFarmer's Marketという食品スーパーに行った。 巨大なスーパーで世界中の食品が売られていたのには驚いた。

11月22日-24日 次女一家とアトランタの南方にあるCallaway Gardensに2泊3日で出かけた。アトランタの次女 の家から車で2時間ほどの所にあるリゾートセンターであった。2人の女の子はAerial Challenge(樹間に渡した ロープや梯子等々を渡るターザンの様な遊び)を楽しんでいたが、私は林間の散歩を楽しんだ。

池端の広場では、ワシ、タカ、フクロウを訓練して、鷹匠のように腕に布を着けた人達が食べ物を置いて、 それぞれの間を飛行させるショウをやっていた。

夜にはイルミネーションで林間の車道を飾り、トレイルカーで見物させ、屋台で食事をさせるイベントもやっていた。

広大な林間の遊園地という感じの所であり、私達はその中の山荘ホテルに宿泊した。

4: Callaway Gardensの湖畔で遊ぶ子供達 5: Fulton County Parkでの散策 6: Leita Thompson Parkでの散策

11月25日 次女と3人の子供達とFulton County Parkへ行き、カナダ雁の遊ぶ川畔、nature centerを散策した。 Whole Foods Market で食料品を買った。ほとんどの品物が日本より高いのには驚いた。1ドルが80円位で 同じ値段になると感じた。"円安の進行で日本の株価が上がるのは、外国人が買いに入るからで景気が良くなった わけではない"のだ。夕食は私が作った。生鮭のオイル焼、ほうれん草のオヒタシ、ジャガイモの丸揚げ、味噌汁。 皆「おいしい・おいしい」と言った。私は「明日も作って・・・と言わないで欲しい」と釘を刺した。

11月26日 次女一家と次女の家から車で10分ほどの所にあるLeita Thompson Parkに行き、全長2マイルのコース を選んで散策した。巨大な松や橡の雑木が茂る森の中の道で、空には数羽のワシ・タカが旋空しており、 自然の豊かさを立証していた。夕方、次女達の住む町Roswellの旧市街に出かけていき夕食をとった後、街を散策した。

11月27日 5:30に起床し、6:45に次女の家を出発し7:45にアトランタの空港に着いた。次女一家の全員とハグをし 別れを告げた。ハグは良いものだと思った。ジンとくるものがある。"どうか皆、元気あっておくれ"と祈りつつ別れを 惜しんだ。

7: リンカーン記念館内のリンカーン像 8: リンカーン記念館 9: ワシントン記念塔、その後方に国会議事堂

9:37アトランタ発 11:25ワシントンDC着の飛行機に乗った。折角、米国へ行ったのだからどこか見物したら・・・と いうのでワシントンDCに行くことになった。空港からバスに乗り、市中心部にあるL'Enfant Plazaまでいった。そこから100m 程の所にあるホテルに14:00チェクインした後、モールと呼ばれる東西約4km 南北約1kmの長方形の広場へ行った。 モールの中心にワシントン記念塔(初代大統領の偉業をたたえる石造の記念塔, 高さ169m)があり、東端に国会議事堂、 西端にリンカーン記念館があった。ホテルから歩いてリンカーン記念館まで行ったら17:00で薄暗くなっていた。 ホテルに帰って、ホテルのレストランで夕食。美味しくなかった。

11月28日 8:30にホテルを出て、国会議事堂前まで散策し、10:00にNational Gallery of Artに入館。愚妻とは12:00に 館内のカフェで会うことにして、別行動。12:00に愚妻に会うと全館見てしまったから、外へ出ると言った。私は三分の一 程度しか観ていなかったので17:00まで館内にいることにした。13-20世紀のヨーロッパとアメリカの優れた絵画が沢山あり 堪能し感心した。17:00に出館して携帯電話で愚妻に連絡し、市内のメキシコ料理の店で夕食をとった。これは美味しかった。

11月29日 11:20ワシントンDC発30日15:25成田着(飛行時間14時間05分)、17:10成田発18:30伊丹着(飛行時間1時間20分)の 飛行機で大阪に着き、20:30奈良の自宅に着いた。


2014.11.11

柚子ジャム

今年も沢山の柚子を頂いた。送ってくださるのは、徳島生まれのテニス友達である。柚子ジャム の美味しさを私に教えてくれた人でもある。爾来10年以上になるが、毎年徳島の田舎へ帰って摘まれた 柚子をおすそわけしてくださる。ワックスも付いていない新鮮な柚子である。新鮮なうちの方が きざみやすいので早速"柚子ジャムを"作った(右の写真、作り方は2011.11.15のブログに記述)。 これで1年間毎朝トーストにつけて楽しむことが出来る。調理に使った鍋や杓子を濯いでできた ジュースも美味しい。


2014.11.1

テニス合宿

10月31日-11月1日に、神戸大学でのテニス仲間と兵庫県の生野高原での、テニス合宿に行った。 9:45に六甲に集まり、2台の車で8人で出かけていった。篠山にある美味しい蕎麦屋さんに寄 って昼食・・・という予定であったが、"夕方から雨"という天気予報であったので、テニスコ ートのある宿泊所"レストラン&スモールイン カッセル"に直行した。欧風の洒落た作りの立派 な建物が、紅葉の始まった美しい景色の中に建っていた。11:15にチェクインし、レストランで 昼食。私はカルボナーラスパゲティを食べた。厚く切ってよく炒めたベーコンが美味しかった。 12:15からテニスをはじめた。2面の砂入り人工芝コートは貸切であった。3時間ほどテニスを し"くたびれてきたな"と感じた頃、雨が降り出したのでテニスを止めた。入浴して汗を流し、 休憩。18:00から夕食。オードブル・サツマイモのポタージュスープ・グリーンサラダ・但馬牛 のステーキ・ライス・デザート・コーヒーのフルコースディナーで美味しかった。19:30から 22:00までワイワイお喋りし遊んだ。雨は本降りとなり、翌日のテニスは絶望と思われた。

11月1日7:00起床。小雨が降り、テニスコートには水溜りが出来ていた。入浴の後、8:00朝食。 イングリッシュブレックファーストにちかく、ボリームもあり美味しかった。この宿のシェフは 相当な人だと思った。さて、この日のテニスはあきらめ9:30チェックアウト(右の写真は玄関先 でのスナップ)。史跡"生野銀山"へ行った。生野銀山は807年に発見されていたが、1542年頃から 本格的に採掘されはじめ、織田・豊臣から徳川時代にかけて開発され最盛期となった。明治時代 になり政府直轄で近代技術を導入。明治29年に三菱合資に払い下げられ、国内有数の鉱山として 稼業。1970年崩壊事故。1973年閉山。生野銀山の近代坑道"金香瀬抗"が公開されていたので 見物した。近代の工法や江戸時代の人力による採掘の様子を知ることが出来た。 さらに吹屋資料館では、鉱石から銀を抽出する手法を学ぶことが出来た。11:15生野銀山に別れを 告げ、11:45砥峰高原に着いた。湿地植物とススキの広がるこの高原は、近年、数多くの映画・ ドラマの撮影に使用されているようで、小雨でも観光客で賑わっていた。砥峰高原を散策 (リンドウ・ウメバチソウ等が咲いていた)した後、13:45高原内のレストランで昼食(私はザル蕎麦)。 14:30砥峰高原を出発、15:30白雲谷温泉に到着。入浴・休憩の後、16:30白雲谷温泉を出発。 17:45六甲に帰着。この頃から雨が降り出した。19:15帰宅。

2日目はテニスは出来なかったが、楽しい旅行であった。良い仲間にめぐり合えて幸せである。 皆さん、体に気をつけて、許される限り、この人生を楽しみましょう。


2014.10.29

秋の好日

先日友人が「今、紅玉林檎がスーパーで売られている」と教えてくれた。紅玉林檎は短期間しか 市場に出ないので、私は早速いきつけの八百屋さんに行き、赤色の濃い紅玉林檎を選んで12個買 ってきた。この紅玉林檎を用いて、2012.10.25のブログに記載した方法で林檎ジャムを作った。 出来たジャムとジュースの写真を右に示す。これで1年間、毎朝トーストにのせて食べることが 出来る。林檎洗いから壜詰め・後片付けまでで三時間半かかった。もちろん1人で・・・。

昼食後、前日に耕しておいた庭の隅に、ほうれん草と小松菜の種を蒔いた。何回も愚妻にせかさ れていた仕事である。愚妻の留守の間に手早く済ませた。これで気楽になった。

気楽になったので、正倉院展を観にいくことにした。私の家から徒歩で20分ほどで奈良国立博物館 に行ける。行列が長かったら散歩に切り替えることにして出かけていった。50mほどの行列であっ たので私は並んだ。5分程で入館することができた。15:00頃である。解説22件・30分というオー ディオガイドを借りた。簡潔で主要な展示物の解説があって良かった。最近の正倉院展は焦点をし ぼって展示・解説してあり、快適に楽しく観覧することができる。今年もそうであった。16:30に 博物館を出て、東大寺南大門、大仏殿前・横、焼門を経て、自宅へ帰った。幸せな秋の好日である。 感謝・感謝。


2014.10.17

芦生杉群落再訪

2012年5月27日に大学時代の同級生と京大理学部量子化学研究室の先輩と3人で京都大学 フィールド科学教育研究センター芦生研究林へ行った。"樹齢数百年と思われるアシウスギ の大群落を先輩の細君にも見せたい"との同級生の願望もあって、前回の3人に先輩の細君 を加えた4人で出かけていった。8:00に烏丸北大路に集合し、鞍馬、花背峠、広河原を経て 、佐々里峠標高(735m)に9:45に着いた。花背あたりでは小雨であったが青空が見え出して いた。気温は8℃で予想していたより冷たかった。峠に車を止め、日本海と太平洋への分水 嶺だという尾根を歩いた。ブナやミズナラの大木が生い茂る自然林でとても気持ちが良い。 登山者はあまりいないようで道が明瞭でなく、道標も少なく、何度も来ているという同級生 が頼りであった。11:30に樹齢数百年と思われるアシウスギが密生する地点(標高832m)に着 いた。そこで昼食をとり、立派な杉の幹に触れ、写真を撮るなどしてゆっくり遊んだ。同級 生はそこから2.5km程のところにある小野村割岳(標高932m)まで行くことを考えていたよう だが、これで満足・満足というのでそこから引き返した。15:00に佐々里峠を出発し16:45に 地下鉄に乗り18:00奈良の自宅に帰着した。

高低差のない平坦な尾根道を歩く行程で、屋久島の屋久杉の森に比肩する素晴らしい杉の森・ 自然林を堪能することが出来た。

この日に出会った登山者は2名だけであった。


2014.10.13

やすらぎの休日

愚妻は12日に一泊の予定で金沢へ行った。愚妻は年齢と共に偉くなって「鏡台の脚が取れ たからくっつくけてくれ」とか「庭木の切断したのや引っこ抜いた草木が通行に邪魔だか ら片付けてくれ」という。私は亡くなった祖母は鏡台の脚くらい自分で接着材でくっつけ ていたと思いながら修理する。愚妻に「庭木の切断したのや引っこ抜いた草木は自分でや ったのだからついでに片付けたら」と言ったら、「私は忙しいし膝も痛いのよ・・・」と 倍返しだ。私は庭仕事は高い木の剪定以外は手伝わないことにしている。庭仕事は愚妻の 趣味。その領域を侵してはいけない。手伝い出したら底無し沼に落ちたようになる・・・。

大型の台風19号が近づいてきているが、奈良は今のところ穏やかである。庭に出て、シュウメイギク・ シュウカイドウ・シオン・ワレモコウ・ヤマホトトギス・フジバカマ・ノコンギク・サネカズラを 切ってきて幾つかの花器に生けた。これだけの花が揃うのは愚妻の御蔭だ。感謝・感謝。 お茶を入れて、美味しい和菓子を戴きながら、心静かに本を読む。至福のときだ。

愚妻には「台風近づいたらもう1泊するように」と言ってある。


2014.10.3

金沢外乗

私の属する乗馬クラブが主催した"金沢外乗"に参加した。私にとって5回目の"金沢外乗"である。 この"金沢外乗"の参加者人数は少しずつ減ってきて、今回は男4名・女2名、指導員1名が20人 乗りのマイクロバスで行った。参加人数が少なくなり、参加費が高くなって、ジリ貧である。 それでも私は能登の千里浜を駆ける快感が魅力で参加した。10月2日8:00に近鉄八木駅前からマイ クロバスに乗り13:30に金沢内灘にある乗馬クラブに着いた。3名ずつの2班に別れ、金沢の乗 馬クラブの指導員に先導されて、内灘の海浜を乗馬で駆けることになった。14:00に1班が出発 したら、生憎の雨がふりだした。私は2班であった。レインウェアを着て、私達2班は出発する ことができたが1班の人達はずぶ濡れで帰ってきた。17:00和倉にある温泉旅館に到着し、入浴 の後18:30から夕食、22:30就床。

10月3日6:00起床。入浴後6:50より朝食。7:40乗馬用の服装で出発、8:20千里浜に着いた。生憎の 雨であった。千里浜の砂浜が強い波で洗われていない限り乗馬は決行とのことであった。 金沢の乗馬クラブから車で運んでこられた馬は、前日内灘で乗った馬と同じで、各自前日と同じ 馬があてがわれた。土砂降りの雨の中を1班が出発していった。私達2班が出発するときも土砂 降りの雨であったが、10分程駆けていたら小雨になってきた。そして終ったときには雨は止んで いた。生憎の雨であったが、広い千里浜を一直線に駆けるのは気持ちが良かった。

金沢の乗馬クラブに行き、風呂に入り、着替えをして、11:30から食事。金沢の乗馬クラブには 腕利きのシェフがいらっしゃって、美味しいイタリアン料理を味わうことができた。18:30奈良の 自宅に帰着した。


2014.9.30

歩くこと

健康は天賦のものであるが、私のように70才を越えると自分の責任であることも重要な要素となる と思う。健康であるために歩くことは大切だと思う。私は暑い時期には速歩すると汗をかくのでゆ っくりと歩いていた。まさに年配者の歩きである。少し涼しくなったので、テニススクールにも歩 いて行く様にした。テニススクールまで速歩(手を振って大股で歩く)で行った(約25分)。ところが、 突然速歩を25分も続けたので筋肉痛をおこしてしまった。
先日、NHKの"ためしてがってん"で"3分間の速歩"を推奨していた。これは良い考えだと思って、 "3分間速歩"して次に"3分間ユックリ歩く"、"3分間速歩"して次に"3分間ユックリ歩く"を繰り 返すことにした。このほうが長続きする。

"特別に歩く運動"をするというより、テニスに行くとき、買い物に行くとき、散歩のとき等に、 "3分間速歩"して次に"3分間ユックリ歩く"様にしている。両手を振れるようにしておきたいので、 荷物は背負うようにした。"背筋を伸ばして、両手を振って、大股で歩く"をこころかげている。

速歩は人通りの多いところでは出来ない。人通りの少ない道を選ぶ必要がある。ゆっくり歩いていて 若い人に追い抜かれたら"10歩ほど遅れて速歩でついていく"ことも面白い。・・・でも、痴漢とまち がえられないように!!!。(右の写真はトリカブト)


2014.9.17

父の七回忌

父が亡くなってから早くも満6年が経過した。七回忌の法要が15日の10:00から岐阜県関市の菩提寺 で行われるというので5:00に起床し、6:00に奈良の家を出発し、9:00に家を継いでくれた次弟の家に 着いた。仏前で経をあげた後菩提寺に行った。本堂での読経・法要についで墓参をした。子供達だけ の簡素な法要にしようとのことで、私と弟2人と妹、その家族で合計15人が集まった。89才の母はデ イケアセンターでのショートステイになって出席できなかった。11:30から寺の近くにある料理屋で 坊さんを囲んで会食をした。次回は13回忌の法要だが、そのとき私は生きているのだろうか・・・。

小学校の同級生の一人が、今年の3月の同窓会で日本密蜂のハチミツをくれた。その時「秋になったら 収穫できるので欲しかったらわけてやる」と言われた。電話連絡してこの日に頂けることになってい たので、会食の後に受け取りに行った。私が奈良で買っている値段の30%程なので恐縮した。3月の 同窓会以後に叉1人同級生が亡くなったと知らせてくれた。長生きすれば寂しくなる。

同級生と別れた後、途中「うだつのあがる歴史的町並み」のある美濃市の旧市街を見物し、17:00郡上 八幡の宿に着いた。郡上八幡は「郡上の八幡出てゆく時は、雨も降らぬに袖しぼる・・・」の歌詞で 知られる郡上おどりで有名であり、私も若いとき徹夜盆踊りに3回ほど行ったことがある。郡上八幡は城下町で、 古い町並みが残されており、町の各所に清水の流れる水路があり、とても美しい街である。宿にチェッ クインした後、旧市街を散策した。入浴後、16:30夕食。郡上八幡で最も古いという宿の廊下は、幅1m・長さ 5mもある栃の一枚板で覆われていた。私は素足で歩いてその感触を楽しんだ。夕食も朝食も美味しかっ たし、料金も安かった。温泉ではないけれど、お風呂も良かった。この宿(備前屋)はおすすめ。

16日は7:00起床。8:00朝食。9:00チェックアウト。郡上八幡のお城(昭和8年に再建された木造の天守閣) を見物した(右の写真は天守閣から見た郡上八幡の町とせせらぎ街道)。11:30にひるがの高原に着いた。 手付かずの自然を残す湿原を整備した"ひるがの湿原植物園"を見物した。サワヒヨドリ、サワギキョウ、 ビッチュウフウロ、シラヒゲソウ、ナガボノワレモコウ、エゾリンドウ、オミナエシ、等々の草花が沢 山咲いていた。ひるがの高原ファームでパン・牛乳・チーズを買って高原の美しい景色を眺めながら昼食 を摂った。13:30ひるがの高原を出発し17:30奈良の自宅に着いた。


2014.9.14

なら国際映画祭

9月12日から15日まで奈良で"なら国際映画祭"が開催されている。私はそのプログラムの中から 14日10:30から奈良女子大学講堂で上映されたSTILL LIFE (日本語題名:おみおくりの作法)を 選んで観てきた。脚本・制作・監督:ウベルト・パゾリーニ(2013年/イギリス=イタリア/87分/ 配給:ビターズ・エンド)の作品でヴェネチア国際映画祭オリゾンティ部門で監督賞・最優秀作品 賞等を受賞した作品である。
【Story】 ロンドンの民生係ジョン・メイは、身寄りなく亡くなった人・孤独死した人を見送るのが仕事である。 44才・独身の彼は慎ましやかに孤独な生活をしながら、事務的に処理することもできるこの仕事を、 22年間実直に誠意をもってこなしている。しかし、効率を重んじる上司から解雇を通告される。 その最後の案件が、ジョン・メイの家のすぐ近くに住んでいて孤独死したビリー・ストークとなる。 ビリーの人生を紐解くために、これまでデスクワーク中心だったジョン・メイは故人を知る人々を 訪ねる旅する。死者を通じて生きている人間と関わり、「死」と向き合うことで「生きる」ことを知る。 孤独、死、人との繋がりといった重い課題を見事には描いていた。
主演のエディ・マーサン(右の写真)はイギリスを代表する実力派俳優。本作の感情の機微を見事に 表現した演技には感心した。2015年1月 シネスイッチ銀座他全国で順次ロードショーされるようである。
上映終了後、ウベルト・パゾリーニ監督と30分ほど話をすることが出来た。監督は7年前に離婚し、 孤独を痛切に感じているとき、ロンドンの民生係の孤独死した人を見送る仕事を知り、民生係の仕事を 7ヶ月間密着して観察・取材し、本作品を制作したとのことであった。


2014.9.7

秋の訪れ

今年は太平洋高気圧が弱くて、梅雨の終盤のような雨の日が多く比較的涼しい夏で、早くも秋の 訪れを感じさせてくれる。乗馬クラブの帰りに立ち寄った葛城の農産物直売所で栗とイチジクを 買ってきた。栗は湯でて包丁で半分にしてスプーンでほじくって食べる。これぞ秋の味覚である。

仲秋の名月は明日である。奈良の猿沢池のほとりに采女神社がある。猿沢池に入水した采女の霊 を祀る神社で、明日18時に采女神社例祭、19時に花扇を管絃船に移し、雅楽の調べとともに池を巡り、 最後に花扇を池に浮かべて采女の霊を鎮め、同時に人々の幸せを祈る行事がある。今日、猿沢池 のほとりに行ったら"1000円奉納すると管絃船に乗せる"ということであった。大変な人気で"本日 の乗船券は売り切れ"とのことであった。(右の写真は萩)

テニスの錦織 圭選手(24)が、全米オープン準決勝で世界ランキング1位のノバク・ジョコビッチ選手を破り、 シングルスでは日本人初の決勝進出を果たした。我が家ではWOWOWとの契約に愚妻が反対して いて、全米、全仏、全豪のテニス中継放送を観ることが出来ない・・・忸怩たる思いを重ねていた。 ところが錦織選手が決勝進出を果たしたことを知った愚妻が喜んで「決勝戦は見なくちゃ・・・」 と言った。気が変わらないうちにと、私は早速WOWOWとの受信契約をした。良かった・良かった。 錦織選手に感謝・感謝。決勝でも頑張ってね!


2014.8.23

神戸大でのテニス

毎週土曜日の午後、神戸大のコートでテニスを楽しんでいる。今日は久しぶりの晴天で 出かけていった。JR六甲道駅で下車し、市バスに乗った。隣に座った人が私に話しかけてきた。 「よく日焼けしてますね」と。私はテニスのコーチにも「私と同じくらい黒いですね」と言われ るくらい日焼けしている。隣席の人はよく喋る人であった。「この頃の天候は異常ですね。広島 の崖崩れは凄いですね・・・」と。私が「航空写真を見ていると、とても危険な場所に宅地が 造成されていた様ですね。神戸は大丈夫でしょうか」と言ったら、隣席の人は深刻な顔をして だまってしまわれた。自分の家が心配になったのだろうか???
右の写真はレンゲショウマ。花がハスの花に、葉がサラシナショウマに似ている。


2014.8.17

特別展「醍醐寺のすべて」

奈良国立博物館では特別展「醍醐寺のすべて -密教のほとけと聖教-」が開催されている(9月15日まで)。 今日の午後、散歩がてらに行ってきた。
醍醐寺は、貞観16年(874)に理源大師聖宝(しょうぼう)が、京都山科の笠取山山上に准胝(じゅんてい)・ 如意輪(にょいりん)の両観音像を安置したことに始まり、以後山上の上醍醐からふもとの下醍醐に寺域を 広げ、真言宗小野流の中心寺院として発展してきた。聖宝が若き日に東大寺で修学したこと、 鎌倉時代に東大寺再興を指揮した重源上人が醍醐寺の出身で醍醐寺から援助をうけたこと、 西大寺中興の叡尊上人が醍醐寺で学んだこと・・・等々を私は始めて知った。
醍醐寺は空海の説いた真言密教の寺院で、真言密教の仏像・曼荼羅・法具を拝観することができた。幸運にも 私が拝観している時に、五大明王の前で醍醐寺の5人の僧による祈祷・読経があった(約30分)。源氏物語 にも祈祷の場面がたびたび登場するが、こんな様子かと想像をたくましくして拝聴した。
今回の展覧会には、拝観の機会が少ない聖教(しょうぎょう):密教修法(しゅほう)や灌頂(かんじょう)など 密教儀礼の典拠・手順・所作・道具などを記した記録 が多数展示してあり、興味深く拝観させていただいた。

右の写真は、醍醐寺三宝院の本尊 弥勒菩薩坐像 (快慶作 木造 金泥塗・截金 鎌倉時代 重要文化財)である。 両目を見開いた明快な顔立ち、左右相称に配された衣文、・・・には品格がある。付言:私の本籍のある奈良市 林小路町自治会が所有し、今は奈良国立博物館に寄託されている弥勒菩薩立像 (鎌倉時代 2007.1.10のブログに記載 )も、本像に並ぶ優品である。



2014.8.16

ブルーベリージャム

近年、毎年購入している奈良県宇陀のブルーベリーが送られてきた。「今年は雨の日が多いので・・・」 と連絡は受けていたが、立派なブルーベリーが送られてきた。大粒のブルーベリーだけが選果されていて しかも綺麗に洗ってあった。生産者の人柄が感じられて感謝・感謝である。
我が家でもブルーベリーは1kg程は収穫できるが、もっばら生食にしている。生っているのを摘まんで食 べるのが一番である。まとめて採ることもあるが、暑い日に収穫するのは大変で、粒も色々である。 それが分かっているので、生産者には頭が下がる。
昨年はブルーベリージャムを作る際に、塩のまじった砂糖を使って大失敗したので、今年は注意した。 昨年は3kgのブルーベリーを使用したが5月末にジャムが無くなってしまったので、今年は4kgのブルー ベリーを注文した。
4kgのブルーベリーに2.5kgのグラニュー糖を加えて、右の写真に示すようなブルーベリージャムが出来た。 壜の大きさは直径8.5cm、高さ8.3cmである。15個できた。毎朝、ヨーグルトに混ぜて頂く。これで1年間は 十分であると思う。


2014.8.15

お盆のお供え

亡くなった義母が伝えてきたお盆のお供えには規則がある。愚妻がボケた場合と私より早く逝った場合 に備えて、その規則をメモとした。

13日 仏壇の前に小机を置き、蓮の葉を敷いてその上に素麺を11束とオガラで作った箸を11膳そえる。 野菜一式(かぼちゃ、きゅうり、なす、ささげ、三度豆、とまと)を蓮の葉のうえにのせる。 さつまいも、桃、そうめんを皿にのせる。お迎え団子、干菓子を供える。シキミの葉を水にそえる。午後に、 オガラたいまつを燃やし、その火で線香をつけ、仏壇に供える(線香の煙に乗ってご先祖様が帰ってこられる)。 夕方に、お経をあげる。
14日 朝: ササゲ入り御粥と奈良漬、昼: おはぎ、夜: 茄子のごまあえをお供えする。
15日 朝: ササゲ入り御粥と奈良漬、昼: 野菜の煮物(かぼちゃ、こぼう、さといも、かんぴょう、おあげ)、 夜: 冷やし素麺をお供えする。夕方 読経の後 線香とお供えを川端に持って行ってオガラを焚いて ご先祖様をお送りする。


2014.8.7

孫娘の来訪

春に奈良に遊びに来た東京に住む長女の長女(高1)が、8月4日に奈良に来てくれた。東京都の米国 派遣のプログラムに応募して、1年間の予定でホームステイしながら米国の高校で学ぶことになっ たそうである。この8月15日に日本を離れるようで、その前に奈良を訪問してくれた。

8月5日に大和郡山にある墓所へ一緒に墓参りに行った。炎天下の墓参であったが「東京より涼しい」 と言って、不平も言わなかった。帰りに唐招提寺へ行った。南大門を入ると、現存するわが国最大の 天平建築で量感豊かな金堂を拝することが出来る。金堂の内陣には慮舎那仏、薬師如来、千手観音、 梵天、帝釈天、四天王といった創建以来の天平の御仏がいらっしゃる。ここで頭をたれ手を合わせた。 いま唐招提寺には蓮の花が咲いてる。唐招提寺のまねをして、奈良の幾つかの寺でも蓮を生けているが、 ここが本家である。以前は、本坊内と池だけであったが、戒壇院の横や休憩所の横にも蓮を植えた鉢が 沢山おいてある。多種類の蓮があり美しい花を拝することができた。開山堂で鑑真和上の身代り像 (国宝の鑑真和上像のコピー)も拝することができた。

8月6日夕食を早くすませて東大寺の方へ歩いて行った。大仏池の北側・正倉院の南側で沢山の鹿が夕 涼みをしていた(右の写真)。二月堂に着いたら日没となった。大仏殿前から南大門をくぐると、仁王 像がライトアップされていて、日中に拝するのとは異なった雰囲気であった。奈良では近年、「燈火会」 と称して、8月5日から14日まで約2万個のろうそくの灯りを各所においたイベントをおこなっている。 19:00に点灯され、多くの見物客でにぎわっていた。私達は春日園地、奈良県新公会堂、浅茅が原、 浮見堂、興福寺とめぐって帰宅した。

8月7日この日の午後には東京に帰るというので一緒に海龍王寺に参拝することにした。海龍王寺は 航海の安全祈願の寺で、弘法大師空海も渡唐の安全祈願をしたという寺である。孫娘の安全祈願も 兼ねて出かけていった。参拝の後、近くにある法華寺を参拝した。その後、近鉄駅まで送り別れを 告げた。


2014.8.6

笹井 芳樹氏の死を悼む

優れた研究者であった"笹井 芳樹氏自殺"の報に接し、非常に残念である。7月27日21:00-21:50 に放送されたNHKスペシャル「調査報告 STAP細胞 不正の深層」を稚内のホテルで観た が、若山氏を"優れた成果を挙げた"人と紹介し、それよりもっと優れた成果を挙げている笹井氏 に対してそのような言葉は無く、笹井氏を「論文執筆の天才」とか「プレゼンテーションが旨く、 予算をとるマルチタレント」とか報道していた。非常に偏見のある番組と思っていたが、笹井 芳樹氏が自殺なさるほど苦悩していらっしゃるとは思いいたらなかった。
笹井 芳樹氏に"STAP細胞問題に決着"を期待していたのに残念である。STAP細胞だけでな く再生医療の進展に大きく貢献できる人材を失ったことは本当に残念である。このようなことが 起こらないような配慮のできる理化学研究所になって欲しいと切望する。
笹井 芳樹氏には"軽輩の雑音は無視・・・重い責任ある立場だとそれも難しいのだろうが・・・" してもう少し頑張って欲しかったと思うが、今はただご冥福をお祈り申し上げる。


2014.8.3

北海道の旅

今年の夏は次女の居るアトランタを訪る旅を計画していたが、アトランタの7,8月は暑そうなので 11月頃訪れることに変更し、避暑を兼ねて北海道へ行くことにした。私は2002年7月15-19日に大学時代 の同級生の案内で利尻山登山・礼文島散策の旅行をしたことがあり、礼文島がとても良かったので、 今回の計画の主目的地とした。2002年には不参加であった愚妻との2人旅となった。
愚妻は写真狂で写真を撮っておれば幸福である。愚妻が写真を撮るのに同行していると手持ち無沙汰で 退屈していたが、それなら私も写真を撮ろうとマクロレンズ付きのカメラを買って花の写真を撮りはじめた。 写真と図鑑を見比べながら、花の名前を調べたりしていると、花の名前も覚えることが出来るし花への 注目度も増大した。2002年にはカメラを持参しなかったが、今回は持参した。

7月24日関空10:00発のANA1795機で女満別に12:05に着いた。レンタカーでサロマ湖ワッカ原生花園へ と向かった。14:00能取湖岸の食堂でテッポーラーメン1200円を注文した。テッポーとは蟹のことらしく、 大きな丼に毛蟹が一匹入ったラーメンが出てきた。空腹だったので全部食べたが満腹になった。食事 中に漁師が食堂の女主人に「差し入れだよ」と言って、シマ海老を沢山持ってこられた。会話を聞いて いると、隣人同士の助け合いが自然に行われているようで、心地よかった。
15:00サロマ湖ワッカ原生花園(げんせいかえん:人為的な手を加えず、自然そのままにした、種々の花 が咲く湿地・草原)に着いた。ワッカ原生花園はオホーツク海とサロマ湖のあいだに幅200-700m, 約20kmに及ぶ砂州にひろがる海岸草原である。観光馬車やレンタサイクルがあったが、花を観るのが主目的 なので、徒歩でネイチャーセンターの周りを巡った。春の花はほぼ終っていたが、ハマナス、エゾフウロ、 ムシャリンドウ、・・・等々の花を観る事ができた。16:00にワッカ原生花園に別れを告げ、16:30紋別市の ホテルに着いた。つるつるした湯当りの温泉で汗を流し、18:00から夕食、21:00就床。
1: 能取湖 2: ワッカ原生花園 3: サロマ湖

7月25日6:00起床。7:00朝食。8:00チェックアウト。途中の道の駅で果物と弁当を買う。11:50北見神威岬 (カムイエトゥ:アイヌの人達は岬を神霊の宿る地として敬っていた)公園で昼食をとった。
クッチャロ湖近くにあるベニヤ原生花園に13:00に着いた。クッチャロ湖は白鳥が沢山飛来する湖として知 られているが、ベニヤ原生花園は湿地・海岸・高山の植物が見られることで有名である。期待通りに沢山の 美しい花々を観る事が出来た。14:15にベニヤ原生花園に別れを告げ、15:20に日本最北端の宗谷岬に着いた。 宗谷岬は1989年9月に北大で学会があった機会に、父と母を連れてきたことのある思い出の場所である。 一緒に歩いた記憶の場所を歩いて、独り感慨にふけった。17:00稚内のホテルに着いた。18:00から夕食、 21:00就床。
4: カムイ岬 5: ベニヤ原生花園 6: 宗谷岬灯台

7月26日5:30起床。6:30朝食。7:30ホテルを出立。この日は午後から雨の天気予報であったので早めに出立した。 北海道では日の出が奈良より1時間ほど早いので、住民の皆さんも早朝に働き始める様であった。 8:20サロベツ原野(稚内の南に広がる厚さ6-8mの泥炭層が70%を占める沖積平野・湿原)内にあるサロベツ湿原 センターに着いた。広大な湿原に木道が設置してあった。利尻富士を背景にエゾカンゾウが咲く景色を期待してい たのだけど、エゾカンゾウは咲き終わり、利尻富士は雲の中であった。タチギボウシ、ノハナショウブ、サワギ キョウ・・・等々花が咲いていた。
9:30この湿原の西南に車で5分程行った所に木道があったので下車し1km程散策した。 その後、アクシデントがあった。車道に戻るには幅80cm位の溝を飛び越えなくてはならなかった。愚妻はカメラを 私に手渡して飛び越えた。成功したかに見えたが、飛び越えたところの草地がズブズブと沈んでいった。泥炭層で 底なし沼のように沈んでいった。下半身ずぶ濡れで泥炭が付着している。まわりに人影が無かったので、愚妻は持参して いた防水ズボンに着替えた。10:30であった。
その後、幌延ビジターセンターに行き、靴を洗い手足を綺麗にした。 トイレットペーパーを1巻いただいてきて靴の中に入れていた。11:30バンケ沼園地まで歩こうと木道を1km程進ん だら雨が降ってきたので引き返した。
12:00幌延ビジターセンターを出立し、海岸沿いのレストランで、ラーメンと ポテト餅(これ知ってますか? 茹でたジャガイモをつぶし、ジャガイモ1個にたいして片栗粉を大サジ2入れて混ぜ、 コロッケのような形にして、油であげたもの:3個で300円、美味しかった)で昼食とした。
14:00こうほねの家原生花園 に着いた。海岸から約50m内陸に沼があり、コウホネが群生していた。雨がふりつづいていたので15:00稚内のホテルに 帰着し、レンタカーを返却した。18:00から夕食、22:00就床。
7: サロベツ湿原 8: 幌延ビジターセンター長沼 9: コウホネの家原生花園

7月27日6:30起床。7:30朝食。この日は早朝に礼文島に渡る予定であったが、台風くずれの低気圧が北海道北部を 通過し悪天候の天気予報であったのでゆっくり出立することにした。強風注意報がでていたがフェリーは通常運航 とのことであった。10:00にチェックアウトし、11:00稚内発のフェリーにのり12:55礼文島の香深港に着いた。港の すぐ近くのホテルにチェックインし、香深港のレストランで昼食を摂った。中国語を話す高校生の40名程の団体が いた。昼食後、小雨であったが海岸沿いの道を散策し、15:00ホテルに戻った。温泉で汗を流し、18:00から夕食、 21:00就床。

7月28日6:00起床。7:00朝食。ホテルでにぎりめし弁当を作っていただいて8:00タクシーで礼文林道元地側入口 (標高100m)まで行き、レブンウスユキソウの群生地まで歩いた。礼文島の厳冬季は厳しく、特に西からの冷たい 風が当たる地域では雪は吹き飛ばされ地表がむきだしになるので高山性植物が生きのび、標高の低い土地でも高山 植物が見られる。礼文林道の両側には多様な高山植物が花を咲かせていた。レブンウスユキソウはエーデルワイス と酷似しているがヨーロッパアルプスより沢山生えていると思った。
レブンウスユキソウの群生地から元地側入口 まで引きかえし、桃岩展望台(標高244m)まで登山道を登った。11:30桃岩や利尻富士を眺めながらにぎりめし弁当 を食べた。大半のツァー客は桃岩展望台からお帰りになったが、私達の本番はここからであった。草原・湿地・ 岩場と変化に富むなだらかで広大な丘をめぐるような道(桃岩歩道)には多様な高山植物が群生していた。この日は 晴天であったが、道は粘土質で滑りやすく、悪天候の日は避けたほうが良いと感じた。キンバイの谷(標高180m)、 つばめ山(標高233m)、元地灯台(標高210m)を経て、知床港バス停(標高5m)まで歩いた。知床14:51発のバスでホテル に帰着した。この日の歩数は18225。
 ホテルの温泉風呂は"16:00から"とのことであったが、15:30に湯殿を見に行ったら暖簾は架かっていなか ったがお湯は入っていた・・・で私はお風呂に入った。湯船に浸かりながらふと気が付いた"朝は男湯であったが 夕方も同じだろうか?"と・・・で私は軽く汗を流して急いで出た。服を着て外へでたらホテルの湯殿係りの人が 来られた。私は「お風呂は何時からですか」と訊ねた。「16:00からです。もう少しお待ち下さい」とおっしゃった。 私は「ここは男湯ですか」と訊ねた。「いえ、こちらは女湯です」という返事がかえってきた。 18:00から夕食、21:00就床。
10: レブンウスユキソウ群生地 11: つばめ山から観た元地港 12: 桃岩歩道
13: レブンウスユキソウ 14: レブンソウ 15: 元地灯台から知床港への道 遠方は利尻島

7月29日6:00起床。7:00朝食。この日は16:05香深港発のフェリーで利尻島に渡る予定であったが、愚妻が「長時間 は歩きたくない」と言うので、行程を短縮した。7:30にチェックアウトし、7:45フェリーターミナル発8:47スコト ン岬着のバスに乗った。スコトン岬から鮑古丹入口、ゴロタ浜、ゴロタ山下、ゴロタ岬・山頂まで行き、ひき帰してゴロタ山下 を経て江戸屋迄行きバスに乗り12:51香深港フェリーターミナルに着いた。
13:20香深発14:00鴛泊着のフェリーで 利尻島に渡った。鴛泊フェリーターミナル近くのホテルにチェックインした後、翌日のレンタカーを予約した。 その後、高山植物園を観覧し、利尻山神社に参拝した。17:00ホテルに戻り、温泉で汗を流し、18:00から夕食、 21:00就床。
16: ゴロタ浜への歩道 17: ゴロタ岬への歩道 18: 鴛泊フェリーターミナルから観たぺシ岬

7月30日6:00起床。7:00朝食。8:00レンタカーを借り、利尻島一周に出かける。周囲62kmの島だから海岸沿いの道を ゆっくり走っても1日あれば十分である。先ず、原生林の中にある周囲1kmほどの姫沼に行き遊歩道をあるいて沼を 一周した。利尻島郷土資料館では縄文遺跡の出土品・明治以降の生活民具などを観覧した。赤エゾマツ原生林に囲ま れたオタトマリ沼と爆裂火口の底が泥炭地となった南浜湿原の遊歩道を散策した。オタトマリ沼にあるレストランで 生うに丼を食べた。ここ10日ほど海が荒れてウニ漁ができないとかで、小丼しか食べられなかった。仙法志御崎公園、 麗峰湧水を経て沓形岬公園にいった。利尻富士の山頂が見え出したので登山道の五合目にある見返台園地にいき100段 階段を登って展望台へ行った。その後、鴛泊フェリーターミナルまで行きレンタカーを返却した。17:00であった。 18:00から夕食、21:00就床。
19: 姫沼 うしろは利尻富士 20: オタドマリ沼 うしろは利尻富士 21: 見返台展望台から観た利尻富士

7月31日6:00起床。7:00朝食。40人程の中国語を話すツァー客がいた。観光地は国際化しているようだ。9:30にチェッ クアウトし、鴛泊フェリーターミナルにある小高い(標高93m)ぺシ岬へ行った。頂上では風が強く吹き飛ばされそう であった。下山の際、写真家松井久幸さんのフォトギャラリーでコーヒーをいただきながら、利尻島に移り住んだい きさつや冬の島民の生活等に関するお話をうかがった。11:40鴛泊フェリーターミナル発のバスで利尻空港へ行き、 14:30利尻発15:20千歳着、16:35千歳発18:30神戸空港着で帰った。

道東・道北は道路は良く整備されており、最高速度80km/hを厳守して、楽しいドライブ旅行ができた。イギリスの田舎 に良く似た景色が多かった。礼文島はフラワートレッキングを主目的にしていたのでレンタカーは借りなかった。車だ と車を止めたところまで戻らなければならない。バスの時刻にあわせて行動しなければならないので少し不便だけど、 いざとなったらタクシーを呼べば・・・と考えた。
利尻島は利尻富士に登るのが一番だと思うが、2002年には頂上まで行けたが、今の私が登るには相当のトレーニングが 必要だ・・・否、もうだめかな。
26,27日は小雨が降ったが、あとは天気も良く、奈良で35℃と報じているときも25℃以下で快適であった。

昨夜、友人が呉れた"2002年の利尻山登山・礼文島散策"のビデオを見た。利尻島は風が強い。"天候に恵まれて登頂で きたんだ"と改めて思った。

花の写真は"野の花写真集 北海道:道東・道北、利尻島・礼文島"をご覧ください。



2014.7.21

ICOCA

ICOCAはタッチするだけで自動改札が通れるJR西日本のICカードである。JR西日本だけでなく関西の 私鉄・市バスにも使えるので愛用している。土曜日の神戸大でのテニスに行くときにも愛用している。 19日には夕方から雨と予報が出ていたので14時からテニスに参加した。家を出るとき隣の奥さんに 出会った。挨拶したら「真っ黒ですね。テニスのし過ぎですよ!」と言われてしまった。この炎天下 でテニスをするにも理由がある。私は今、バックハンドで打つ練習をしていてこれが面白い。左をあ けて誘っているのに右に球がくると調子が狂ってしまう。"左にきたら右肩を出して球を良く見て・ ・・"と練習している。少しずつ進歩がある気がするが・・・。

神戸大からの帰路、六甲道駅17:14発の快速列車が5分遅れできたので17:16に駅に着いた私は快速列車 に乗ることが出来た。窓側の座席に座った。その後がいけなかった。胸のポケットからipodを取り出し たら、ICOCAカードがイヤホンのコードにひっかかって飛び出してきた。コラコラと思って拾おうとし たら、スルーと滑って座席と窓下の側面の隙間にポトンと落ちてしまった。これが取り出せないのだ。

大阪駅で下車し、改札で事象を話した。「六甲道駅17:14発の米原行の快速に乗った。先頭列車の真ん 中の乗車口から後方4列目の進行方向に向かって右側の座席と側面の隙間にICOCAカードを落としてしま った・・・」と。駅員も信用してくれて、六甲道から大阪駅までの料金で出札させてくれた。そして 「ICOCAカードは遺失物扱いで、米原駅で座席を解体して探します。出て来たら連絡しますので連絡先を ・・・」と。20日に米原駅の遺失物係りの人から電話があった。「ICOCAカードが見つかりました。 大体いくら位入っていますか?」と。「3000円から5000円位と思いますが・・・」と答えた。「4200円 入っています」と。着払いで宅急便で送っていただいた。それが本日届いた。送料720円であった。 JR西日本の職員の方々の対応は見事であった。感謝!感謝!


2014.7.13

FMトランスミッター

私の自動車についている音響機器のMD部分が壊れた。最近はiPodという便利な物があるから、 iPodを活用できないか調べていたら、FMトランスミッターという物があることが分かった。
iPodからの音響信号がFMトランスミッターを使うとFMラジオの電波に変換されて発信される。 その電波を車載のFMラジオで検知して、音楽が聴こえる。FMトランスミッターの電源は、 車のシガーソケットから取ることが出来る。
電気店へ行ったらFMトランスミッターは2,700円で買えた。iPodをFMトランスミッターに繋ぎ、 FMトランスミッターの発信周波数に、車載のFMラジオの検知周波数を合わせたら綺麗な音楽が 聴けるようになった。
こんな便利な物があることをはじめて知った。こんなことは若者には常識? 私が歳を取った証拠?


2014.7.12

野鳥の会奈良支部定例探鳥会

私は1976年に野鳥の会奈良支部主催の探鳥会に参加させていただいて以来、野鳥の会奈良支部の 会員にさせていただいている。初期の20年間ほどは毎月の例会に参加させていただいた。最近は 年数回だけ参加させていただいている。この日は奈良公園・定例探鳥会で私は担当幹事となって いたので"今日は暑いぞ"と思いながら集合時間10分前に集合場所の近鉄奈良駅行基菩薩像前に 着いた。30名ほどの人が既に待機しておられ、もう1人の担当幹事が名簿を作り、配布資料を配っ ていて下さった。要するに、私は自他共に認める"付録のような担当幹事"である。

探鳥会に久しぶりの行っても、知っている古顔の人が意外に多かった。参加者の平均年齢は60才 を越えている。ああ、ここでもだ・・・と思った。「お久しぶりですね。お元気ですか。何歳に なられました?」、「85才です」といった調子。いつも夫婦で参加されていて、今回1人で参加さ れていたご婦人に「ご主人は?」と訊ねたら、「今年1月に亡くなりました・・・」。前回は"退職 した閑人が多くなったな"と感じたが、今回は"これだけ老人が多いとそのうち会員は激減する"と 思った。私もその1人である。


2014.7.10

乾燥そら豆の煮物

昨年、葛城の農産物直売所で"乾燥そら豆"を見つけ、懐かしさと珍しさで購入した。そして、 直売所の女性に調理の仕方を教えていただいた。それが美味しかった。で・・・再度購入 しようとしたが「乾燥そら豆は滅多に入荷しません。知る人ぞ知る珍品です。また来年・・・」 と言われた。それで今年、乗馬クラブへ行ったら葛城の農産物直売所に立ち寄り、乾燥そら豆 はないかと探していた。そして、終に念願の乾燥そら豆を手に入れることが出来た。スーパー などで、そら豆の煎ったもの等売っているが、国産のそら豆のものを私は見たことが無い。 国産のそら豆は貴重なのだ。

乾燥そら豆の煮物の作り方
1. 200gの乾燥そら豆を鍋(乾燥そら豆の体積は4倍ほどになるので2リットル程の容量のもの)  に入れ、たっぷりの水を注いで一昼夜おく。
2. 1 の水を捨て、水を含んで膨らんだそら豆が十分つかる程の水を入れ、重曹を少し加え中火で熱 する。沸騰してきたら弱火にし5分程放置した後湯をすてる。再度、水を入れ、今度は重曹を入れず、 中火で熱し沸騰してきたら1分程放置した後、湯をすてる(煮こぼし。重曹はそら豆の皮を柔らかく する)。
3. 2の湯を捨て、昆布・かつをからとった"だし汁" 2カップ、酒 大匙2、薄口醤油 大匙1、 砂糖 大匙2(三温糖 大匙山盛り2)、本みりん 大匙1、塩少々を加え、中火(IH7)で熱する。 沸騰してきたら弱火(IH4)にし煮詰める・・・汁を少し残して火を止める・・・弱火でじっくり煮る のがポイント。
約一時間で出来上がる。


2014.7.7

歯医者

ここ7,8年お世話になっている歯医者さんから"三ヶ月検診に来るように"との葉書がきた。 予約をとって出かけていった。歯ぐきの点検と歯石をとる掃除をして「次は1ケ月後に来なさい。 歯茎のメインテナンスをします。」と言われた。この歯医者さんは私に"歯茎の大切さ"を理解 させてくれた。治療も的確で"自歯を出来るだけ残す"方針も気に入っている。ずるずると治療 して何回も通院させることが無い。"良い歯医者さんにめぐり会えた"と感謝している。


2014.7.6

家族写真

今年の正月、2人の娘とその子供達が奈良に来たので、こんなにメンバーが揃うことは滅多 に無いと思い写真屋さんで記念写真を撮った。その写真屋さんから電話がかかってきた。 「正月に撮らせて頂いた家族写真を、今年の夏の間店頭に飾らせていただけませんか?」 と・・・。私はその写真屋さん店頭で何度か写真を見た覚えはある。で・・・"私達を知っ ている誰かがそれを見ても、私達だと気づくほどしっかりと見ることはあるまい"と思った。 それで・・・「結構です」と返事した。今日、その写真屋さんの前を通ったので、覗いて みると、沢山の家族写真が飾ってあった。これなら私達だと気づく人は無いと確信した。


2014.6.30

テニス

神戸の住吉公園にある神戸市営テニス場でのテニスに出かけていった。少し早く着いたので着替えを 済ませてから、よく見かけるグループのテニスを観覧させていただいた。70才を越えていると思われ る人達のテニスである。なんとも穏やかなテニスで山ボールのテニスで誰も打ち込まない。山ボール をまた山ボールで返球し、あまり走ったりしない。どちらかがミスをするまで続けているのだ。私は "目が覚める"様な思いがした。"年寄りのテニスはこれでいいのだ"と・・・。そのグループのお一人 にお尋ねした。「おおらかで好いテニスですね。皆さん何歳くらいですか?」と。「私が一番若くて 68才です。最高齢が84才。大半が70才代前半です」とおっしゃった。

さて、私達のメンバーも揃い、テニスを始めた。先ほど観戦したテニスの真似をしょうかと考えたが ・・・、私達のメンバーは容赦してくれない。甘ければ打ち込まれてしまう。すっかり夢中になって 汗をかいてしまった。でも・・・楽しいテニスである。感謝!感謝!

右の写真は、我が家の庭に咲く"キツリフネ"である。


2014.6.16

生杉ブナ原生林

京大理学部量子化学研究室の同級生の案内で、京都北山を歩くことを数回おこなった。 今回は「生杉(おいすぎ)ブナ原生林に連れて行ってください」と私がお願いして、先輩とその細君、 同級生と私の4人で行くことになった。朽木の観光案内所でいただいた"生杉ブナ原生林"のパンフ レットを見た愚妻が是非参加したいと言うので同級生に頼み込んで5人で出かけた。

6:20に家を出て、8:00に京都北大路で同級生の4WDの新車に乗せていただいた。梅ノ木から針畑川沿 いの道を進んで9:30に朽木生杉の入り口に着いた。針畑ルネッサンスセンターというのがあったので 覗いてみたら、"鯖のなれずし(塩と米飯で乳酸発酵させたもの)"や"鯖のへしこ(塩と糠で乳酸発酵 させたもの)"を製作していた。「寒暖差の大きい気候・空気が綺麗で雑菌の無い環境が良くてここで 製作している。私で三代目です。今、来年の分を漬け込んでいます。」とそこの主人がおっしゃった。 見るからに美味しそうだったし、年代を経た漬物石に古格があったので、少し分けていただいた。
10:00生杉原生林への入り口(標高560m)に車を止め、三国岳(標高776m)への登山道に入った。ブナや ミズナラの大木が茂る山道は階段を登るというより梯子を登るような急坂で、足を痛めている愚妻が 悲鳴をあげた。ゆっくり・ゆっくり登って、頂上近くの稜線に出た時には12:00であった。そこで昼食 をとった。同級生は「普通1時間でこれるところに2時間かかった。距離にしたら全行程の20%程しか 来ていない。引き返そうか?」と言った。あの急坂を下りるのは大変だ。距離は長くても傾斜の緩 い道のほうが良い・・・と結論付けて予定のコースを進んだ。ブナ・ミズナラ・トチ・サワグルミ の大樹が茂る枕谷(京大の演習林内)を下り、地蔵峠・林道を経て出発地点に着いた。15:15であった。

コアジサイ、ヤマボウシ(山法師、右の写真)、ケナシヤブデマリ、サワフタギ、ホウノキ、ツルアジサイ、 ウツギ、エゴノキ・・・等の樹花が沢山咲いていた。このコース全般にオオイワカガミの大群落が あったが花期を過ぎていたので花を見ることが出来なかったのは残念であった。ササユリは可憐な 花を咲かせていた。15:30朽木生杉を後にし、17:15京都烏丸で同級生に降ろしていただき、地下鉄・ 近鉄を経て19:00自宅に帰着した。梅雨の時期、好天に恵まれたのは同級生のお陰だ。感謝・感謝。 夕食で、熱い御飯で"鯖のなれずし"をいただいた。美味しかった。
追記・・・翌日の夕食で"鯖のへしこ"を食べた。鯖が発酵により味良く変化していて美味しかった。 先人の知恵・工夫に感心・感心である。


2014.6.15

映画「レ・ミゼラブル」

近鉄奈良駅から我が家に帰る途中、奈良女子大の前を通った際、大学の講堂で奈良国際映画祭 実行委員会主催で英国映画「レ・ミゼラブル」の上映が11:00からあることを知り出かけて行った。 映画「レ・ミゼラブル」は、1985年にロンドンのウエストエンド、その後ニューヨークの ブロードウェイでロングランヒットしたミュージカルを映画化したもので、上映時間158分の力作 であった。 アン・ハサウェイが歌う「夢やぶれて」、エディ・レッドメインらが歌う「民衆の歌」は圧巻で ミュージカルの凄さを知らされた。映画ならではのスケールの大きな光景・音量・表現には感動した。


2014.6.14

葛飾北斎

神戸大学でのテニスに参加する前に、神戸市立博物館で開催されている"ボストン美術館  浮世絵名品展「北斎」"を観にいった。博物館の入口で整理員に「只今入場までの待ち時 間は75分です」と言われた。75分も並ぶのは嫌なので帰ろうかと思ったが22日までだし、 折角来たのだからと覚悟を決めて並んだ。60分余りで入場することが出来た。 ボストン美術館は浮世絵を5万点以上所蔵している様で、今回の「北斎」にも優品が勢揃 いしていた。私はテニスに15時から参加すると約束していたので、30分ほど観賞しただけ で、出口へ向かった。
右の写真は"富嶽三十六景 駿州片倉茶園ノ不二"である。これと同じ物を私はオランダ・ アムステルダムの浮世絵専門店で買った。図中の馬に版元永寿堂西村の「永」「寿」の字 や商標(山形に三つ巴)が忍ばせてある。前北斎為一(いいつ)筆とある。茶摘み女たちが 菅笠をつけて一列に並んで働いている。その右には縁台にかけて休憩している一団がいる。 それを入れ替えた姿で遠くの茶園にも一団が配置してある。荷駄で摘み茶を運ぶ者、馬の いななき等、茶所片倉の風俗が細微に描かれている。


2014.6.8

ゆったりとした土日

ピロリ菌除菌薬を服用中のため神戸大での土曜日午後のテニスを休んだ。愚妻は京都へ出かけて 行った。私は庭を眺めながらゆったりと菊屋の和菓子と煎茶を楽しんだ。その後、春日大社の 万葉植物園へムラサキの花を観に出かけていった。万葉植物園へは家から徒歩で20分程で行ける。 焼門跡から東大寺境内に入り、戒壇堂の前を通った。そこで戒壇堂の四天王像を拝観しようと思 い立ち入堂した。私は東大寺友の会に入っているので無料である。戒壇堂の四天王は天平時代の 塑像で、身にまとう甲冑は中央アジアの様式であり、凛々しく美しい。拝観後、大仏殿前から 南大門を経て万葉植物園へ行った。ムラサキの花は白い小さな花で、根が紫色に染める原料となる。 ムラサキの花の写真が万葉植物園への入場券に、笠郎女の歌「託馬野に 生ふる紫草 衣に染め  いまだ着ずして 色に出でにけり」と共に印刷されていた。ムラサキの花には、モンシロチョウと キチョウがきて蜜をすっていた。

日曜日には京都国立博物館で開催されている"南山城の古寺巡礼"を観にいった。南山城の古寺は 奈良から近いので何度か訪れているのであるが博物館へ行けば「間近に拝観できる」と思って行 ったのであるが、予想した以上に良かった。寺院では拝観出来ない様なものや公開されていない 寺院の仏様を拝することができた。右の写真がその1つで、現光寺の十一面観音坐像(鎌倉時代、重文) である。十一面観音は通常立像であるが、これは珍しく坐像である。天平佛のような洗練された 雰囲気と少年のような涼やかなまなざしには感動した。先日、奈良国立博物館で特別展「武家のみやこ  鎌倉の仏像」を拝観したが、鎌倉の仏像と比べて南山城の仏像は格段に洗練されていると思った。 私がまだ訪れたことの無い宇治田原の禅定寺の仏像も優品であった。是非、近日中に訪れてみたい。


2014.6.5

ピロリ菌

先日人間ドックに入った際、内視鏡で胃の検査を受けた。そのとき、胃の組織を採取された。 その結果、ピロリ菌に感染していることが分かった。担当の医師は、私にピロリ菌に関する パンフレットを手渡された。それによると、私の年代では80%程の人がピロリ菌に感染してい るらしい。私は何の症状もなく元気に暮らしているのでほっといた。ところが、テニススク ールの友達で医師の人に訊ねたら「除菌療法を受けた方が良い」と言われた。それで、人間 ドックを受けた病院の担当医に会って相談したら「2種類の"抗菌薬"と"胃酸の分泌を抑える薬" を同時に1日2回、7日間服用して下さい。」と言われた。さらに「服用中は冷たい水など 大量に飲まないで下さい」と・・・。私は「テニスをしたら水を飲むのですが・・・」と言 ったら「黒く日焼けしているのはテニスですか。テニスをして水を飲まなかったら倒れます。 服用中は激しい運動はしないで下さい。」と言われた。昨夕から薬を飲みだしたので、今日は 乗馬をキャンセルして家にいた。愚妻が「庭木の剪定をして・・・」と言ったので、曇りだし 剪定日和だと思って、剪定をはじめた。ところが、これが大変な仕事で、疲れてしまった。 疲れて休んでいたら「後片付け・・・」と言われた。こんなことなら、乗馬に行っていた方が 楽であった。
右の写真は、アサザである。午前中だけの花であるが、毎朝綺麗な花を見せてくれる。


2014.5.28

山菜料理の宿

白山の麓にある"山菜料理が美味しい"という温泉宿を紹介していただいて出かけていった。 27日10:00に車で家を出た。名神高速道路が改修作業をしていて渋滞があり多賀PAで昼食を摂ったときに は12:30であった。小松ICまで高速道路を通り、白山麓の宿に15:30に着いた。気温が28℃と暑く、 宿で出された"冷たい甘酒"が美味しかった。チェクインをした後、カメラだけを持って近くの散策に でかけた。宿の女主人に「熊がでるといけないからあまり奥まで行かないように!」と注意された。 人だけが通れる川沿いの小道を進んでいくと、朴の大木が沢山の白い花を付けていた。さらに進んで 小さなつり橋に行くと30匹ほどの猿の群れに出くわした。猿がつり橋の上で跳ねてつり橋をゆらして 遊んでいた。湿地帯でミヤマカラスアゲハが集まって水を飲んでいた(右の写真)。これだけ多くのミヤマカラスアゲハが 集まっているのを見たのは初めての経験であり、壮観であった。17:30に宿に戻り、温泉で汗を流した。 18:00から夕食。聞きしに勝る山菜料理であった。その内容をここに記す。
前菜:アマナの味噌和え、ヨモギの葛餅、ソバナの御浸し、カタクリの葉と花の胡麻和え、フキノトウの辛し和え。
岩魚の刺身、コシャクの花とワサビの葉っぱ添え。鮎の甘煮、梅の甘煮、ユベシ、土筆の佃煮。
ひろうす(豆腐にギンナン、ユリネ、シイタケ、ニンジンを入れて揚げたもの)。 岩魚の炉辺塩焼。スズタケの竹の子とヤマウドの木の芽味噌和え。
てんぷら:ゴマナ、ヤマウド、タラ、モミジガサ、コゴミ、フキノトウ。ザル蕎麦。
ヨメナをまぶした御飯、コシャクの胡麻和え(揚げとシイタケ入り)、カタハ・キュウリ・キャベツの漬物。 デザート:柚子のシャーベット。
夕食が終ったのは21:00。温泉に再度入って、22:00就床。
28日7:00起床。アカショウビンの美しい鳴き声が山に響いていた。温泉に入って髭をそった。8:00より 朝食。その内容は:揚げ豆腐(豆腐の揚げたて。厚揚げの一歩手前)。アザミの御浸し。ヤマウド・フキ・ ゼンマイ・コンニャク・揚げの煮物。カタハとミョウガの醤油付け。ヤマウドの味噌和え。 モミジガサ・ギボシの酢味噌胡麻和え。アザミのお吸い物。梅干。 スズタケの竹の子・カタハ・ワラビ入りの味噌汁。
見事な山菜料理であった。いわゆる田舎の山菜料理ではない。洗練されていて素材の良さを生かしていた。 例えば、ヤマウドの木の芽味噌和えではヤマウドは生で皮を剥いただけであり、ウドの香りが強烈であった。 女主人が山菜料理を担当。男主人が魚料理と蕎麦を担当。・・・ということであった。女主人は京料理の老舗:瓢亭 で基礎を学び、地元の豊富・新鮮な山菜を生かした料理を・・・と工夫し、心をこめて作っていると話してくださった。 それで納得・納得。
9:30チェクアウト。白山スーパー林道を通り、白川郷、ひるがの高原を経て帰る予定であったが、白山スーパー林道の 入り口まで行って、ガックリ。"5月30日から開通"という立て札を見て引返した。16:30奈良の自宅に帰着。
この宿を紹介して下さった方は、もう20年以上前から、毎年春と秋に訪れているとおっしゃっていた。この宿、 通常1日に一組の客しかとらないそうだ。私達が行った日は2組4人。「いつもより多い」と50年勤めている というお手伝いの老婦人がおっしゃった。紹介者が頼み込んでくださったのだ。


2014.5.23

行者還岳

大学時代の同級生に"行者還岳の尾根に咲くに白ヤシオを見に行きませんか"とさそわれて出かけていった。 近鉄田原本駅に7:45に着いたら友人が車に乗せてくれた。4WDの新車であった。10:30に行者還トンネル の西口に着いた。ここの高度はほぼ1100m。弥山への登山道を、高度1500mの奥駆出合まで 急登した。シャクナゲの花が見頃で、新緑と共に見事であった。シロヤシオの群生地であったが、花は 下部では満開であったが上部では蕾であった。12:00奥駆出合の景色の良いところで昼食を摂った後、 稜線を通る行者還岳への奥駆道を"一のタオ"を経て"しなの木出合"まで歩き、そこから急な下山道を下り、 15:00行者還トンネルの西口にある駐車場に着いた。新緑の美しい自然林を堪能し、ミソサザイ、ツツドリ、 ジュウイチ、コマドリ、オオルリ・・・等の野鳥の鳴声を楽しむこともできた。15:15駐車場を出発し 17:30近鉄田原本駅に着いた。連れて行ってくれた同級生は「右肺の三分の一を切除した」と言っていたが、 とても元気で健脚であるのには感心・感服である。
1: シャクナゲ 2: シャクナゲの花 3: シロヤシオ(ゴヨウツツジ)の花



2014.5.21

人間ドック

4月30日に受けた人間ドックの結果を聞きに行った。9:00の予約だったが9:05に着いた。 「9:00の予約なのに来ていらっしゃらなかったから順番待ちしていただきます」と言わ れた。それでも30分ほど待ったら私の番になった。「変形性腰推症が疑われますので、 腰痛があれば、整形外科を受診してください」と言われた。前回"ぎっくり腰"をやって から満2年たった。そろそろ起こるかなと警戒しているところなので"これが原因か"と 思いいたった。"ぎっくり腰"の予防には"歩くこと"が一番と思って心がけている。他に 大きな問題点も無く、感謝・感謝である。


2014.5.16

白内障

半日人間ドックに行ったら「眼底検査で白内障があると思われるから、眼科医へ行って検査を 受けなさい」と言われた。奈良には白内障の手術で高名な眼科医院がある。その医院へ行って 看ていただいた。眼科だけの医院なのに、100人を越す人が待合室にいた。"これは時間がかかるぞ" と覚悟した・・・が。紹介状も無く始めていったのであるが、聞き取り、視力検査、瞳孔検査 のための点眼、医師による検査、眼底検査、網膜断層写真検査、そして再度医師による検査と 流れるように進んでいったのには感心した。最後に医師から「白内障があります。他に目の病気 はありません。白内障については、それほど重くないので手術はしなくて良いでしょう。もう 少し進んで"是非手術をしたい"と思われてからに手術しましょう。」と言われた。この日は、6人 の医師が看ておられた様だが、こんなにてきぱきと進み、医師・看護士・技官・事務の人達の対応 ・連携の良いのには感心した。凄く良い医院だと思った。なお、医院のホームページに"受けてい ただく検査の内容によっては、帰りの運転に支障を来す場合がございますので、ご自身での運転 の来院はご遠慮ください。"とあったのでタクシーで行ったが正解であった。帰りにはまぶしくて "これでは車の運転は危険"だと思った。
右の写真は何だか分かりますか?・・・・・・・タチバナの花(興福寺南堂の右近の橘)です。


2014.5.9

我が家の太陽光発電: 設置から3年

福島の原発事故を契機に我が家では太陽光発電装置を導入した。シャープ製住宅用太陽電池 モジュール(ND-163AW: 1165x990x46mm, 14.5kg)を18枚(: 最大出力2.934kW)を設置した。 費用は280万円であった。設置から3年経過したのでその結果を整理した。

月毎の発電量を棒グラフで右に示す。青(左)が1年目の発電量、緑(中)が2年目の発電量、 濃紺(右)が3年目の発電量である。 天候により発電量は変化するが発電性能の劣化は見られないと思う。発電量は冬季の11,12,1,2月に かなり減少した。
我が家の月別電力消費量を同様の棒グラフで右端に示す。4-10月は太陽光発電でほぼ我が家の 消費電力をまかなうことが出来るが、11-3月は25%程度しかまかなえていない。我が家で使う電力の全てを 太陽光発電で補うためには現在の2倍量のパネルを設置すべきであった。

採算面から見てみよう。関電に売った電力の月別金額、関電から買った使用電力の月別料金、 関電に売った電力の金額から関電から買った使用電力の金額を引いた月別金額をそれぞれ棒グラフ で右に示す。青(左)が1年目、緑(中)が2年目、濃紺(右)が3年目を表す。

関電に売った電力の月別金額 関電から買った使用電力の月別料金 関電に売った電力の金額から関電から買った使用電力の金額を引いた月別金額
関電に売った電力の代金と関電から買った電力の代金が年平均でほぼ同じであったのは、購入電力の 料金が消費時間により異なること(1kWhの料金はデイタイム:10-17は28.02円, ナイトタイム:23-7は8.19円, リビングタイム:7-10,17-23は21.64円であった。お湯は料金の安いナイトタイムに沸かして貯蔵)と 関電に売る電力の料金は、太陽光発電を奨励するために値段を高くしてある(我が家に太陽光発電装 置を設置した時点では1kWhの料金は48円(10年間固定))ことによる。
1年目に関電に売った電力の代金が 97,680円、関電から買った電力の代金が94,114円であった。 2年目に関電に売った電力の代金が105,600円、関電から買った電力の代金が91,258円であった。 3年目に関電に売った電力の代金が 97,680円、関電から買った電力の代金が123,082円であった。 合算すると、3年間でオール電化の生活をさせていただいた上で、関電に7,504円支払った。
太陽光発電装置を導入する以前の1年間に我が家では、電気代を122,646円、ガス代を95,855円、 合計で218,501 円払っていた。太陽光発電装置を導入したことにより、1年間で約22万円の光熱費 が浮いたことになる。初期投資が280万円であるから13年間で初期投資が回収されることになる。
本装置の保証期間について、シャープから"一時金55,860円を支払えば10年保証から15年保証に切替える" との提案があり、我が家の太陽光発電装置は15年保証となった。
我が家の月別の電力消費量が3年目の冬から増加したのは、床暖房と電熱ストーブを導入したことによる と思われる。我が家も老齢化が進んで環境適応能力が減少しつつある。


2014.3.25

春日大社の万葉植物園

春本番で、我が家の庭も花盛りである。部屋の前にこしらえた藤棚の藤も300個以上の花房を 付け見事に咲いている。うららかな日よりに浮かれて、春日大社の万葉植物園へ藤の花を観に 行こうと思い立ち出かけて行った。しかし万葉植物園の藤の花はまだ3分咲きであった。その かわり緑色の花を付ける桜:御衣桜、黄色い花を付ける椿:平果金花茶(右の写真)が咲いてい た。そして・・・美しい和装の女性がいらっしゃった。それがとても似合っていたので、思わ ず「凄く素敵なWearですね。とてもお似合いです」と声をかけてしまった。
家に帰って夕刊を見て驚いた。理研のSTAP細胞の論文問題に対する調査委員長で先日、小保方 さんに"改ざんや捏造の研究不正をした"と言った石井俊輔氏が、小保方さんと同じ事をしていて 今度は"研究不正でない"と言っているというのだ。それで・・・調査委員長を辞任するという のだ。それなら先ず"小保方さんの名誉を回復する責任を果たすべき"と思う。調査委員長として 小保方さんの場合も"改ざんや捏造でなく、ミスであって、研究不正ではない。陳謝する"と言う べきだと思う。


2014.4.22

アケビの花

山でアケビの実をとってきて、その種を庭にばら撒いていたら芽を出して大きくなり今年も花を 沢山付けた。アケビにも2種類あるようで、小葉が5個あり淡紫色の花を付けるのがアケビ。 小葉が3個あり黒紫色の花を付けるのがミツバアケビ。この2種類が我が家の庭に生えていた。 共に雌雄同株で雌花は雄花より大きい。美しい花である。手折ってきて花器に生けても風情 がある。
1: アケビの花 2: ミツバアケビの花 3: ミツバアケビの花を花器に生けた。



2014.4.19

松尾優ライブ

ヤマハ大人のピアノ奈良教室における私のピアノの先生である松尾優さんはシンガーソング ライターである。作曲されたピアノ曲の演奏CDや作詞作曲された歌のCDを購入して家で 聴いていたら愚妻が聴いてえらく気に入り「ピアノ曲はショパンの曲を聴いた後でも見劣り しない」とまで言った。作詞作曲された歌もコピーしてよく聴いていて"素晴らしい"と言う。 松尾優さんにそれを告げたら、4月19日18:00から京都四条河原町のシャンソンパブ・巴里野郎で ヒグチアイと松尾優によるライブ『光も影も』を開催すると教えてくださった。愚妻に告げ たら「聴きに行こう」ということになった。私は神戸大学でのテニスを早めに切り上げて出 かけて行き愚妻と会場で落ち合った。この種のライブに行くのは、米国シカゴで次女に連れ られてジャズを聴きに行っただけで、日本では始めての経験である。40人ほどで一杯になる 狭い会場で少し高いところにピアノとマイクがおいてあるだけ。端っこにカウンターがあ って飲み物を売っていた。会場は一杯になったが、入場者の90%が男性であることには驚いた。 30-40才の男性が大半。劇場もレストランも美術館も女性が大半・・・であるのに、男性が大半 ・・・というところもあるのだと思い知った。ちなみに入場料は2500円。ビールが700円。 松尾優さんは自身で作詞作曲したのをピアノを演奏しながら歌う・・・のが大半で、ピアノ だけは一曲だけであった。帰路で愚妻は言った「素晴らしかった。 あんたのピアノの先生には もったいない・・・」と。


2014.4.17

STAP細胞に関する論文と理化学研究所(理研)の対応について

STAP細胞については私の専門外で良く分からないが、その発見が正しければ極めて重要な 貢献の様である。論文発表の後、論文についての幾つかの疑問点が出された。理研は"論文 の疑義に関する調査委員会"を設置した。3月31日に調査委員会の報告書が出され、4月1日に 野依理事長より"STAP細胞研究論文にかかる調査報告をうけて"が発表された。4月9日に 論文の第一著者である小保方晴子氏の記者会見があり、4月16日に論文の共著者で理研発生・ 再生科学総合研究センターの副センター長である笹井芳樹氏の記者会見があった。
これらを拝見しての私見を記述する。
1. 重要な論文において、あまりにも重大な欠点があったのは残念である。小保方晴子氏は もっと細心の注意を払って論文を書かないといけない。研究の総仕上げである。身を削る様に 念には念を入れてやって欲しい。今回の様なミスがあると"こんなミスがあると他は大丈夫?" となり、論文の信頼性がゆらぐ。
2. 理研の"論文の疑義に関する調査委員会"は小保方晴子氏に対し"改ざんにあたる研究不正"と "捏造にあたる研究不正"があったと判断した。調査委員会が結論付けたその根拠が納得できない。 私は"研究不正にあたる故意の改ざんや捏造ではない"と判断した。不注意・粗雑さによるミス と思う。"研究不正"の宣告は科学者にとっては"死刑”宣告である。
3. 理研は"研究不正"と決め付け、"研究不正再発防止のための改革委員会"を発足させた。 「再発」の文字を除去すべきだ。私は今回の様な問題を防ぐには、理研内に、論文に対する アドバイス・英文のチェック・査読のできる専門職員をおくのも一策ではないかと思う。 優れた先人による「科学研究の進め方」、「科学論文の書き方」に関する著作を科学研究を 志すときに読むことも大切と思う。
4. 共著者も問題で"投稿前に論文を読んでいないのではないか"と思われる様な、無責任な 共著者がいる。著者の意識改革が大切。科学に志す者には、謙虚で真摯な高い志が必要と思う。
5. 論文の主著者は小保方晴子氏とバカンティ米ハーバード大教授である。この2人が論文の 撤回はしないと言っている以上、撤回する必要は無い。STAP細胞の存在が確認され、その重要 性が認識されてノーベル賞となれば、受賞者はこの2人だろう。野依理事長は論文の取下げの 勧告をする必要は無いと思う。論文の真偽はまだ明確ではない。偽物ならこの2人が責任をとら れるだろう。
6. 優れた実績を持つ笹井芳樹氏もSTAP現象の存在を実証するような現象があると述べておられる。 理研は小保方晴子氏を"研究不正をした"と決め付けて処分しないで、小保方晴子氏や笹井芳樹氏の 自由な研究を援助し、検証研究・真偽の解明に力を注ぐことが大切だと思う。
7. 理研はわが国における科学研究の重要な拠点である。今回の事件で理研の種々の問題点が浮 かび上がってきた。これを好機として、理研組織の総点検が必要と考える。


2014.4.3

孫娘の来訪

春休みを利用して東京に住む長女の長女(この4月から高校1年生)が奈良に来てくれた。 長女の長男は来年大学受験でのんびり遊んでいるわけにはいかないらしい。1人で3月31 日の14:10に近鉄奈良駅に来た。私は駅で出迎えた。若い孫娘の来訪はとても嬉しい。
4月1日 9:30に家を出て浄瑠璃寺へいった。美しい九体阿弥陀如来像を孫娘に見せたいと 思っての訪問であったが、秘仏吉祥天女像も開廟されていた。さらにラッキーだったのは 浄瑠璃寺の門前にある茶店の広い庭の花木(白木蓮、サンシュウ、コブシ、青モジ、スモモ、 レンギョウ、紫木蓮・・・等々)が花盛りで見事であった。ウドン定食を食べ、庭を散策さ せていただいた。テニススクール(13:30-15:00)から帰った後、佐保川べりの桜並木を散策 し満開の桜を楽しませていただいた。
4月2日 テニススクール(11:00-12:30)から帰った後、明日香へ行った。孫娘の名前は"飛鳥” である。飛鳥川の上流にある美しい集落、入谷・栢森まで行き、飛鳥川に沿って下って行っ た。稲淵の勧請縄の内の女綱付近でのスナップ写真を右に示す。男綱わきのコブシも満開で 見事であった。石舞台にある農産物販売所でいちご(あすかルビー)を買って広場で食べた。
4月3日 10:00私は乗馬スクールに行った。15:00家に帰ると愚妻と孫娘は庭の金柑を採って いた。愚妻は私に「手伝え」と言った。沢山採れたので東京の長女の家に宅急便で送ること になった。16:00に家を出て法華寺へ行った。我が家から車で15分ほどで行ける。国宝十一面 観音菩薩立像の特別開扉が行われており且つひな会式の期間なの本尊前に五十余体の善哉童 子が並べてあった。16:30から樋口教香住職の読経があった。
4月4日 9:30に家を出て法隆寺へ行った。孫娘は中学の修学旅行で法隆寺と東大寺へ行ったと 言った。良い選択だと思う。奈良では法隆寺は出色だと思う。建物が良い。飛鳥佛が良い。 講堂で唐草模様の軒平瓦を寄進した。それに私は"・・・飛鳥 高く翔べ"と墨書した。夢殿 を拝観した後、中宮寺へ行って如意輪観音菩薩を拝観した。如意輪観音菩薩がおわす中宮寺 本堂は良くないと私は思う。著名な吉田五十八氏の設計であるが、如意輪観音菩薩に対する 外光のあたり方が最悪である。仏像を拝む人に、やさしく荘厳なこの如意輪観音菩薩のまな ざしが伝わらない。
先日、小学校の同窓会に行った折、同級生の1人から蒟蒻を作る材料(コンニャク芋をスラ イスして天日乾燥させ粉末にしたものと凝固剤:水酸化カルシュウム)とレシピを戴いた。 孫娘に「蒟蒻を作ってみるか?」と訊ねたら「作りたい」といった。簡単に"見事な蒟蒻が できた"のには驚いた。
4月5日 13:00奈良発の列車で孫娘は東京へ帰って行った。自分で作った蒟蒻も持って行った。 我が家の夕食でもこの蒟蒻を食べた。湯豆腐のように温めながら、山椒の若芽を入れた味噌 だれをつけて食べた。これまでに食べたどの蒟蒻よりも美味しかった。


2014.3.30

インチキサイトに嵌ってしまった

数年前に購入して気に入っていたThe North Faceのシャツがくたびれてきたので新たに買おうと インターネットで探した。もう廃盤になっているようであったがThe North Faceの正規販売店を なのるサイトで私の捜し求めている品物があった。クレジットカードで支払った。クレジットの 受付が中国の会社だった。はたして品物は上海から送られてきた。その品物は私の注文したのと は全く違う品物であった。返品しようとしたが返品先が不明である。購入したサイトを調べると 何処にある店か分からない。e-mailでも片言の日本語で原因探索中と返事するだけでナシノツブテ。 クレジットカード会社に連絡して"支払いを止めれないか"訊ねたら、「カード番号を知らせた段 階で支払いは終っている。さらなる悪用を避けるため即刻現在のカードを廃止にして、番号を変 えましょう」となった。インターネットでいろいろ買い物をしているがこんなこともあるのだ。 チャンとした会社か良く調べないといけない。"良い教訓になった"。


2014.3.25

小学校の同窓会

卒業後60年たった小学校の同窓会を行うとの案内状を頂いて、懐かしい仲間に会いに出かけ て行った。6:00に起床し7:00に車で家を出た。10:30に弟の家に着いた。母はディサービスに 出かけて不在であった。近くに住む妹もやってきたので、3人で墓参りに行った。11:30弟・妹に 別れを告げて、同窓会会場へ行った。
私は岐阜県武儀郡関町立倉知小学校を卒業した。倉知小学校は農家の子が大半で、農繁期には 子供も手伝うので、小学校は春と秋の農繁期には1週間休みになった。1学年1クラスで、私達 の学年は50名であった。1年生から卒業するまで6年間、同じ仲間と過ごした。幼少期・成長期 を互いに影響し合い過ごしたので近親感は大きい。その仲間も、既に9名が他界した。教えを受 けた先生も、ただ1人だけが存命とのことであった。出席者は22名であった。懐かしい人々と楽 しい会話をすることが出来た。大半の人が体のどこかに障害があり"皆よく働いてきたんだなあ" と思った。健康であることは運まかせだけど、"どうか皆元気で多幸な生活を・・・!"と祈念しつ つ、15:30皆に別れを告げ帰途に着いた。19:00奈良の自宅に帰着した。


2014.3.21

春の彼岸

21日は春のお彼岸の中日なので、庭の花(ムラサキダイコン、スイセン、ツバキ、サンシュウ、 リュウキンカ、トサミヅキ、ビシャコ)を切って、墓参りに行った。愚妻に「天国で義母が そんなダンナほっといて早くおいで・・・と呼んでるよ」と言ってやったら大笑いしていた。 帰りに、大和郡山の旧市内にあるイタリアンレストランへ昼食を食べに行った。乗馬クラブで 知り合った大和郡山在住の友達が教えてくれたお店だが、ピツァが美味しい。"ピツァの正しい 食べ方"を印刷した紙がテーブルの上にあった。
帰宅してから菊屋へ行って"ぼたもち"を買ってきて仏前に供えた。彼岸の中日なのに奈良は 寒い日で、暫時ではあったが雪がちらついた。


2014.3.14

のりこぼし椿

昼食の後、散歩に出た。東大寺の方へ歩いて行った。二月堂のお水取りも終わりに近い。 二月堂へ行こうと思い立った。二月堂の裏参道を歩いていくと、湯殿脇の駐車場にはカメラ を三脚に設置している人が20人ほどいらっしゃった。今夕が最後のお松明の日である。 写真を撮るための好位置を確保するためらしい・・・その努力に敬服する。二月堂の堂内 では練行衆による行・読経が行われていた。私は参拝の後、開山堂へいった。東大寺の名 椿「のりこぼし」を拝観したいと思ったが中には入れない。隣の四月堂からのぞかせていた だいた。開山堂の横に椿があり、沢山の花をつけていた(右の写真。赤い花びらの中に白い 糊をこぼしたような模様がある。大柄の花で赤色が美しく、高雅で気品がある)。 ついでに記述しておくと、今年は我が家の庭の藪椿も侘助も沢山花をつけた。椿は蕾が大きくなったら 花開く前に切り取って花瓶に生けると良いと思う。鳥につつかれることも無く美しい花が開くし、 長期間楽しむことが出来る。
次いで東大寺ミュウジアムへいった。釈迦誕生仏は、アベノハルカスでの東大寺展に出品で拝観 できなかったが、「お水取り」のビデオを上映していたので拝観した。通常では拝観でき ない行法の様子を観る事が出来た。


2014.2.28

初春

早くも今日で2月も終わり。日差しも強くなり日も長くなってきた。鶯が「ホーホケキョ」と 鳴き始めている。我が家の庭をテリトリーにしているツグミの食べ物も、サンシュウの実から、 サネカズラの実へ、次いでモチの実と変わってきた。メジロ、シジュウガラ、アオジもやってくる。 庭の草花も芽吹き始めている。スイセン、セツブンソウ、スミレ、福寿草(右の写真)、雪割草、 リュウリンカなどの花が咲いている。
花粉が舞い、黄砂(近年、PM2.5と呼ぶようになったらしい。中国の公害物質を強調する感がある。敵対感情が 感じられてPM2.5と強調するのは私は好きでない)でドンヨリと曇ったような晴天の日があるようになった。 古の人はこれを花曇りと言ったらしい。私は花粉症に悩まされることは無くなってきた。歳をとって、 鈍感になり、異物に対する対応能力が無くなった証拠だろうか・・・? それでも、お蔭様で、テニスや 乗馬をすることができる。この健康に感謝・感謝である。


2014.2.14

奈良の雪景色

7:00に目覚めて外を見ると真っ白、雪が5cm程積もっており、粉雪が舞っていた。待ってましたと 飛び起きた。9:00長靴を履き、カメラを携え、傘をさして出発した。焼門(中御門)跡から二ツ池 を周り正倉院前へ行った。真っ白の雪景色は見事であった。東大寺大仏殿の裏・講堂跡を通り、 大仏殿の東回廊脇を経て鏡池の南を通り、東大寺南大門へ行った。雪の舞う東大寺南大門はとて も美しい。鏡池の南まで引き返し、二月堂参道を通って鐘楼へ行き、行基堂のわき道を下って大 湯屋へ行った。このとき若い坊さんと擦れ違った。後姿が美しかった。中性院の前を経て二月堂 に行った。参篭所の前にはお水取りで使う篭松明を製作するための竹が並べてあった。二月堂に 参拝、展望を楽しんだ後、法華堂前をとおり手向山八幡宮に参拝した。その後若草山山麓を経て、 春日大社に行き参拝した。春日大社参道から地僧道(じそうみち、興福寺大乗院の僧が春日大社に 参拝するとき通った道)に入り、飛火野に出た。小学校の上級生らしき子供達が楽しそうに雪合戦 をしていた。私は丸窓梅林を経て、浮御堂に行き、鷺池、片岡を経て、興福寺境内に入り、興福寺 南円堂に参拝した。猿沢池に映る興福寺五重塔を眺めたあと遅い昼食を摂った。家に帰ったら15:00 であった。雪はこの間降り続いており、家の庭には20cmほどの雪が積もっていた。この日の歩数 は16000を少し超えていた。雪の奈良を堪能することが出来た。私が生きている間に、こんなに 雪が降ることはもうないのじゃないか・・・。
1: 鏡池の南から大仏殿 2: 東大寺二月堂、手前に良弁杉 3: 手向山八幡宮
4: 春日大社の正門 5: 浮御堂 6: 興福寺南円堂



2014.2.8

初雪

奈良では今冬雪がチラチラ降ることは数回あったが積もったのは今回が初めてである。 もう少し沢山降ったら東大寺へ写真を撮りに行こうと思っていたが残念であった。我が 家の庭に積もった雪(右の写真)を眺めて満足することにした。
愚妻が「膝が痛い」と言って、喜んで行っていた"カルチャーセンターの野草観察会"に も行けなくなった。整形外科や整骨院にせっせと通っているがなかなか良くならない。 某大学の整形外科の教授だった長女の義父に電話してアドバイスを受けることまでした。 「原因は何でしょうか?」と訊ねたら、「老化ですね」と言われてギャフンとしていた。 膝の痛いのは短期では治らない。気長に治していくしかないと思う。私も出来るだけ歩 くように心がけ、買い物にはナップサックを持っていって肩に担ぐようにしている。 年齢を重ねると、少しずつガタがくる。それを少しユックリさせる工夫が必要になる。


2014.2.2

神戸市立博物館

神戸市立博物館で特別展「ターナー 英国最高の風景画家」が開催されているというので 神戸大学でのテニスに参加する前に、観覧に行った。40年ほど前、ケィンブリッジで研究員 として学んでいたときに、J.M.W.ターナー(1775~1851年)の膨大な作品をテート・ギ ャラリーで見たことがある。砂糖精製・製造で財を成したヘンリー・テートが自身の絵画の コレクションをナショナル・ギャラリーに寄贈したことより、テート・ギャラリーと名づけ られた様である。ターナーの海・帆船・風景の絵が沢山あったのは覚えているが、それほど 感銘を受けた記憶は無い。ターナーは、英国を代表するロマン主義絵画の巨匠で、後のフラ ンス印象派に影響を与えたとはいえ、英国の絵画が貧弱なのはなぜだろうと思った記憶がある。 神戸市立博物館でのターナー展については、インターネットで"みどころ"を予習し、イヤホン ガイドを聴きながら観覧させていただいた。油彩約30点と水彩等計約110点と適当な数の作品 で、展示が良く整理・工夫してあり結構見応えがあった。


2014.1.26

奈良県立美術館

奈良県立美術館では1月25日から3月9日まで「開館40周年記念名品展 上村松園、富本憲吉、 田中一光・・・美の世界~近現代美術の100年~」が開催されているというので出かけて行った。 入り口で入場料は400円・・・安いと思って千円札をだしたら「65才以上の方は無料ですが・・・」 と言われた。受付の女性から見ても"65才以上に見えるのだ"と、自分の姿を認識しながら無料で 入館した。"奈良県立美術館が所蔵する近・現代美術の中から、日本画、洋画、版画、彫刻、工芸・ デザインなど各分野の名品約120点を展示"と宣伝していた。上村松園、富本憲吉、田中一光は 奈良県出身だから名品はあるが、他は大したこと無いだろうと予想して行ったが、予想に反して 充実した質の高い展覧会であった。先ず最初に、橋本雅邦の琴棋書画に魅せられた。狩野芳崖、 竹内栖鳳、小野竹喬、池田遥邨、平山郁夫、黒田清輝、梅原龍三郎、須田国太郎、須田剋太、絹谷 幸二・・・といった面々の良品が展示してあったのには驚いた。開催期間中に再度拝観させて頂こ うと思う。65才以上と証明する免許証を持って・・・


2014.1.25

若草山山焼き

数年前まで若草山の山焼きは1月15日と決まっていたが、最近は1月の第4土曜日に開催される ことになっている。神戸大学でのテニスをおえて近鉄奈良駅に18:15に着いた。地上に出ると 打ち上げ花火が始まった。急いで家に帰ると18:30。若草山に点火されて山焼きが始まった。 早速、我が家の2階から見物した。ここ数日好天が続いていたのでススキも良く乾燥してい るのか、勢い良く燃えていった。その写真を右に示す。奈良の一大行事を我が家の2階から 堪能できるのはありがたい。
(注) 花火の前に、春日大社の神職の手で運ばれた神火が水谷社近くの空き地でかがり火に点され、 松明に移される。その松明を掲げる興福寺と東大寺の僧を先頭に、野上神社へ向かう。無事を祈る 神事が済むと、背丈を超える大松明に火が移されて山麓の大かがり火へと運ばれ点火される。 その後、奈良市消防団員300人がいっせいに枯れ薄に火を放つ。


2014.1.23

銀閣寺界隈

愚妻の女友達とその夫たち6人で"昼食会をしょう"ということになって銀閣寺近くの料亭に 集まって京料理を楽しんだ。このメンバーは女性達が主役で、男性達は付録である。女性達 だけで美味しいものを食べるのも気が惹けるのか、ときどき男達にも声が罹る。このメンバ ーの内の一組のご夫妻が暫くドイツに滞在しておられて帰ってこられたのを機会に集まろう ということになったそうである。著名な画家の絵が随所に飾ってある古い建物の中で、ご馳 走を頂き、楽しい会話を楽しんだ。食後、白沙村荘 橋本関雪記念館を観た後、北白川にある 一組のご夫妻の自宅を訪問した。約40年ぶりに歩く銀閣寺・北白川界隈の変貌には驚くばかり であった。沢山のおみやげを頂いて帰った。その一部が夕食となった。暫く、粗食の生活をし ようと思う。


2014.1.17

阪神大震災での思い出

阪神大震災発生から19年が経過した。神戸大学の私の研究室では数千万円もするレーザー機器が 乗載・設置してあった除振台が倒れ、レーザー機器が落下した。除振台は、外を車が通った時な どの振動を機械が受けない様に、空気バネで500kg程の定盤台をささえている。空気バネの足が倒 れ、その定盤台が傾いたのだ。定盤台は重いし、余震でさらに崩れる恐れがあって危険である。 18日の朝、除振台を設置して下さった精密機械の運送会社に電話して、除振台を正しく設置して 下さる様お願いした。運送会社の方も事態を理解してすぐ参上してくださることになった。とこ ろが震災で交通事情が悪く、運送会社の方も大阪の会社を車で出発したのだけど、神戸大学まで なかなかくることが出来ない。夕方17時頃電話連絡があって「今そちらに向かっているが何時頃ま で大学におられるか?」と訊ねられた。私は「どんなに遅くても大学にいます。是非お願いします」 と応えた。運送会社の方は19日に日付が変わる頃大学に到着し、深夜に空気バネの足を立て定盤台 を固定して下さった。これは本当に有難かった。忘れえぬ震災の思い出であり、運送会社の方への 感謝の念を私は生涯持ち続ける。1月17日が来るたびに思い出し頭をたれる。


2014.1.7

2014年の正月

2013年の12月28日に奈良に来る予定だった次女が「2才の子供が嘔吐したので今日は行けない」と 電話してきた。この時点で私は"まさかこれが私に密接な事件となる"とは思い至らなかった。 長女と2人の子供が29日に奈良に来て、次女と3人の子供が30日に奈良に来た。次女の夫君が元旦 に加わった。元旦の様子は2014.1.1のブログに書いた。2日の早朝、次女一家は3日に成田発の飛行 機で米国アトランタに行くというので、東京へと移動して行った。2日の昼は"お好み焼き"が食べ たいというので、長女のなじみのお好み焼き専門店へ出かけて行った。しかし、そのお店は営業して いなかった・・・で、となりのイタリヤンレストランに入った。昼食後、長女とその娘は仲良く腕 を組んで東大寺の方へ歩いて行った。長女の長男は来年大学受験で・・・勉強をするつもりか・・・ 私と一緒に家に帰った。3日朝起きると、長女の娘が「体調が悪い」と言った。それでも、昼食には 前日閉まっていたお好み焼き専門店へ出かけて行った。一時間ほど並んで念願のお好み焼を食べる ことが出来た。4日の早朝、長女と2人の子供が東京へと帰って行った。
4日の9:00車で家を出て12:30 岐阜県関市の弟の家に行き、仏壇で経をあげた。母も元気で台所まで歩いていける様であった。弟は 大変であろうが「何卒よろしく」とお願いするばかりである。妹の家に行ったあと墓参に行った。 弟の家に戻ると、大阪に住む末弟が来ていた。その後、美濃市の亡母の実家に行き従兄弟に挨拶し た後墓参に行った。その後、奈良を出る前に予約した榊原温泉の温泉宿に向かい18:00に着いた。 夕食前に入浴したら少し気分が悪くなった。"のぼせたのかな"と思った程度であった。19:00から 夕食。最初は美味しかったのだけど、次第に食欲がなくなった。それでも、一応全部食べた。 食後、再度入浴して就床した。深夜に気分が悪くなりトイレに着くなり嘔吐した。並の嘔吐ではない。 ゲーゲーゲーゲーと嘔吐して"こんなに胃の中に入っていたのか"と思うほど嘔吐した。これで胃の 中は空っぽになったと思った。ところが今度は下痢がはじまった。"こんなに体の中には水分があ るのか"と思うほど下痢をした。これで胃も腸も空っぽだとなってから眠ることが出来た。
5日8:00 に起床。入浴して身を清め、水分補給にスポーツ飲料を少しずつ飲んだ。1時間で1リットル飲ん だ。幸い便意も催すことも無くなった。で・・・10:00チェックアウトして、11:30ノンストップで 奈良の家に帰着した。途中便意を催すことも無かった。ラッキー・ラッキー。それでも、トイレへ 行けば水便。これはノロウイルスに感染したのだ。次女の2才の子供から私に来たのだ。ひょっと したら長女の娘もノロウイルスにやられたのではないか??? 他の者は大丈夫か?心配になる。 この日は夕食も御粥にして早々に寝た。
6日8:00寝疲れで寝てても体が痛いので起床。いつもの サラダ、トースト、ジャム、ハチミツ、ミルクティ、ヨーグルト、チーズの朝食をとる。家でブラブラして いたが、退屈なので5km程の散歩・買い物をした。夜、次女から電話があり「アトランタに無事着 いた。子供達は明日から学校だ」と言った。良かった・良かった。私のノロウイルス感染については 何も言わなかった。
7日便も正常になった。今年初めてのテニススクールにも行った。やれやれである。健康であることは 本当に有難い。有難い・有難い。


2014.1.1

2014年元旦所感

2013年は米国の株価の高騰があり、日本の株価も高騰した。国債の大量発行で円安が進行し、 輸出産業が進展することが期待されている。私は経済のことは良く分からないが、アベノミ クスというのは本当に良いのか不安である。首相の靖国神社への参拝はそんなに大切なこと だろうか? 中国や韓国の人達が極めて不快と感ずることをあえて実行するに値するとは 私には思えない。韓国の前首相が竹島に上陸してみせたのと同じレベルまで落ちた行為だ と恥ずかしく思う。尖閣諸島の問題については私は玉虫色の解決で良いと思っている。前東 京都知事の石原さんの発言に始まって国有化を進めて中国の理解が得られずこじれてしまっ たが、大局的な見地で解決して、日中両国の交流を深め互恵の良好な関係を築くべく努力し て欲しいと願う。
原子力発電は事故が起こったときの被害が甚大で取り返しのつかない事態が起こり得て余り に危険であること、人間はミスを起こす・完全ではありえないことを考えると事故は起こり うること、核廃棄物の処理が困難であることを考えると、即時全廃が一番望ましいと思う。 たとえ再開するにしても、"使用期間30年で廃炉、新設はしない"の方針を明確にし、近未来 での全面廃止へと進むべきだと思う。
我が家はお蔭様で平穏無事な正月を迎えることが出来た。長女と2人の子供、次女と3人の 子供と夫君が来てくれたので賑やかな正月となった。10人でお雑煮を食べた後、10人揃うこ とはもう無いのではないかと思ったので、写真館へ行って、記念写真を撮った。その後、興 福寺に参拝し、春日大社へ向かった。春日荷茶屋(かすがにないぢゃや)で"七草かゆとぜん ざい"をいただき昼食とした。春日大社の参道は沢山の人で、交通規制があり、本殿に入るの に1時間ほど並ばねばならなかった。春日大社で次女はお守りを3個買った。その後、東大寺 へ行き参拝した。私は昨年買った絵馬を返納し2014年の絵馬を買った。家に帰ったら17:00で あった。


2013.12.24

思い込み病

このことはブログに書いてはいけないと思っていたが、記録として残しておいたほうが良いと 考えここに記す。キッチンを改造することにした際、ショウルームに行ってシステムキッチン を選んだ。水栓金具の選択のとき"つま先らく押し水栓スイッチ"を照会された。"調理台で作業 をしながらでも手を止めずに足で操作して水の出し止めができる"ものである。これは便利だと "つま先らく押し水栓スイッチ"付きを導入した。ところが・・・これが予期せぬ問題を起こし た。愚妻は従来どおり「ハンドレバーだけを操作して使う」ことに固守した。「手だけで出来る ことをなぜ足まで使わなければならないか」、「レバーだけで水を出そうとしても出ない」 ・・・そりゃそうだ、足元スイッチでみずを止めている。「これは欠陥商品だ」と言うのだ。 私は「手が汚れているときにもレバーに触らずに水の出し止めができる。とても便利だ」と 言っても受け付けない。・・・でも、暫くすればなれて"つま先らく押し水栓スイッチ"の良さを 知ってくれると思っていた。ところが日ごとに不機嫌になり「こんなのをこれからずっと使わ なければならないかと思うとたまらない」、「胃が働か無くなって食欲が無い」といって 御粥を炊いて食べだした。「夜も寝られない」と言い出した。私は睡眠不足で脳梗塞でも起こ されたら困るので"つま先らく押し水栓スイッチ"を外すことに同意した。"歳をとると共に 頑固になり、新しい物に適応が難しくなる"ことはよくあることだが、これは愚妻の"思い込み 病"と命名した。近年、愚妻はこの傾向が強くなってきた。困ったことだ。・・・それにしても ・・・"つま先らく押し水栓スイッチ"を外したら、すぐに元気になり食欲も増した。・・・ 愚妻の深慮遠謀にやられたのだろうか?????


2013.12.15

大人のピアノ教室の発表会

今日はお世話になっている"大人のピアノ教室"の発表会があった。定年退職後からピアノ を習い始めて、意外にも今日まで続いている。私はドレミの音程を声に出すことが出来ない。 ピアノはドの鍵盤を叩けばドの音が出る、レの鍵盤を叩けばレの音が出る。有難いことだ。 私はピアノで童謡や唱歌を弾けるようになりたいと思っている。一向に上達しないが弾ける 曲は少しずつ増えている。ピアノの練習は楽しい。今回の発表会で、私は熊本県民謡「五木 の子守唄」を弾いた。先日の練習のとき先生に「発表会ではピアノの演奏と同時に歌も歌い たい」と言ったら「歌ったらピアノの演奏がおろそかになるから止めときなさい」と言われた。 今日の演奏会で私は「五木の子守唄」ピアノの演奏に続いて、先生の忠告を無視して、 ピアノの演奏と同時に歌も歌った。
おどま盆ぎり盆ぎり 盆から先ゃおらんど 盆が早よ来りゃ 早よもどる
おどまかんじんかんじん あん人達ゃよか衆 よかしゃよか帯 よか着物
おどんが打死(うっちん)だちゅて 誰(だい)が泣(にゃ)てくりゅきゃ 裏の松山 蝉(せみ)が鳴く
蝉じゃごんせぬ 妹(いもと)でござる 妹泣くなよ 気にかかる
おどんが打死(うっちん)だば 道端(みちばた)いけろ 通る人ごち 花あぎゅう
花はなんの花 つんつん椿 水は天から 貰い水
これは子守唄では無い。悲しみと反抗の歌ではないか!!!
発表会の後、先生は仰った「歌が良かった。歌いだしたら会場がざわついたで・・・」と。


2013.12.11

台所

台所の改装が終った。床暖房を設置すると共に、使い勝手が改善され収納スペースが増えることを 期待してシステムキッチンを入れ替えた。ついでに壁・天井のクロスを張替え、照明器具も新しくした。 部屋は見違えるように明るくなった。愚妻は次女の住む東京へ出かけていっていない。私は移動していた 食器や鍋・調理器具を新しいシステムキッチンや古い茶箪笥・食器棚に戻した。使い勝手を考えて せっせと移動・収納した。愚妻が戻ってきて、文句を言い・怒るのが想像できたが、私なりに考えて 整理した。整理整頓では愚妻より私が上だ。
愚妻が東京へ行ったのは"次女一家が米国アトランタへの転勤で引越し作業をする"のを助ける為だ。 愚妻が帰ってきて言った「引越しは大変だ・・・」と。私は言った。「お前のいない間に食器や鍋・ 調理器具を収納したけど大変だった・・・」と。愚妻は台所へ飛んで行って戸棚を開け「鍋・調理器具 の置き方が悪い・・・」と言って、並べ変えた。私は「使い勝手を考えて置いたんだけど・・・」と 言って台所から出た。


2013.12.10

たくあん

昨年漬けた"たくあん"も最後の1本となった。酸っぱくなっているが、私には美味しい。 今年も漬け込む時期になり、当尾の農家に大根を注文した。「今年は高いで・・・。 1本100円いただきますよ」と言われた。
私の"たくあんの漬け方"
1) 葉っぱのついた大根を手に入れたら二本ずつ葉っぱのところで括って洗濯竿につるして干す。 この干し加減でたくあんの硬さ・歯ごたえが決まる。私は生産者の農家から買って5日間干した。
2) しんなりした大根の葉っぱを切り落とす。6Kg(10本)の大根に対し300gの塩(あらしお)と1Kgの 米ぬかを用意する。昆布(だし汁を作るのに用いた昆布を捨てずに、冷凍庫に保管し一年間ためる) を冷凍庫から出し解凍する。
3) 漬物用の樽の底に米ぬか・塩・昆布をパラパラと撒き、その上に大根をならべる。大根の上に 米ぬか・塩・昆布をパラパラと撒く。その上に大根をならべる。大根の上に米ぬか・塩・昆布を パラパラと撒く。その上に大根をならべる。大根の上に米ぬか・塩・昆布をパラパラと撒く。 その上に、たかのつめ(唐辛子)を10本ほどほぐして撒く。
4) 押し蓋をのせ、重石(8,5Kg)を置き、蓋をする。大きなビニール袋を被せ、日陰に置く。
約1ヶ月で食べられる。 2樽漬けた。


2013.12.2

台所の改装

もう12月である。月日のたつのは早い。我が家では台所に床暖房を設置することにし、その工事作業が 今日から始まった。床暖房の設置にあわせて、キッチンシステムを新しくし収納を便利にすると愚妻が 主張し、私は勿体無いと思ったが従うことにした。工事は一週間ほどかかり、その間は台所が使えない。 それで朝食以外は外食となった。
3日ほど前から台所の物品の一時移動にとりかかった。皿、カップ、椀、重箱・・・と日頃使わないもの が沢山でてくる。古道具屋も持っていかないようなガラクタが沢山でてくる。古いいわく有りそうな物 も出てくるが、訊ねることのできる義母も今は他界している。再納するときには整理したいと思うの だが・・・。


2013.11.21

朽木の蛇谷ヶ峰

2013.9.24のブログに記した4人のメンバーで滋賀県高嶋市朽木にある蛇谷ヶ峰(じゃたにがみね、 標高901.7m)に登った。5:15に起床し、6:20に家を出た。8:00に京都の北大路に着いた。同道の3 人は既に来ていた。私が歩いていくと嬉しそうに笑っていた。「私の歩き方がおじいさんそのものだ」 、「歩幅が小さくて老人のヨチヨチ歩きだ」と同級生が言った。72才だから老人で普通だ・・・ と私は異議が無い。同級生の車に同乗させていただいて、9:45朽木いきものふれあいセンターに着 いた。登山届をだしたら「カツラの谷経由ルートは通行止」と注意された。それでヒダサンショウ ウオの谷の西側の尾根を進む登山道を登った。丸太で作った階段道が続き、急な斜面を直登すると いった道であったが、ブナ・ミズナラ・コナラ・トチ・カエデ等を主体とする自然林が紅葉の真っ 盛りで、太陽が照らすと美しい色合いになった。少し興ざめだったのは、高島基地での自衛隊の砲撃 演習の音が雷鳴のようにひっきりなしに聴こえた事だ。折角、自然の色濃い地域に来ているのに、 鳥の声・風の音でなく"砲撃音"では残念であった。13:00蛇谷ヶ峰の頂上に着いた(右の写真、背景 は琵琶湖方面)。360度の視界・美しい景色を堪能した後、来た道を引き返した。朽木温泉てんくうで コーヒーを頂いた。偶然にもこの日、愚妻が中学時代の友人達と山荘くつきに宿泊し朽木散策1泊旅行 に来ることになっていた。バッタリいやな光景を見てしまったら・・・と恐れたが、出会うことは 無かった。京都に帰って、先輩夫妻のお宅へお邪魔し、夕食をご馳走になった。恩師の油絵が飾って あった。この先輩、学生時代には恩師と延々議論していらっしゃったが"恩師も先輩を好いていらっし ゃたのだ"と気が付いた。楽しいひと時を過ごさせていただいた。


2013.11.17

若狭のみほとけ巡りとカニ料理

神戸大学に勤めいてる時、豊岡出身の学生さんに案内していただいて、私の研究室のメンバーと カニを食べに久美浜に行った。それ以来、カニの美味しさに魅了され、毎年日本海側へカニ料理 を味わいに行くようになった。今年も"雪の降る前に車で行こう"と考えていた。天気予報も良く 宿泊の予約もとれたので出かけて行った。予約がとれたのは、一昨年にも行ったことのある福井県 三方上中郡若狭町塩坂越にある宿である。一寸量が多すぎるがカニの質は極上と記憶していた。 予約の際、宿の主人に「質は落とさず量を少なくすることはできないか?」と訊ねたら「休憩せずに 一気に食べてください・・・」と。
若狭に行くのだから"みほとけ巡り"をしようと、白洲正子著"私の古寺巡礼"の中の"若狭紀行"を 再読し旅行計画を立てた。
16日9:30に家を出て、京奈和道を経て、京都南から京都東まで名神道、西大津バイパスを経て湖西道路・ 161号線で近江今津へ行き、その後若狭街道(303,27号線)を通って若狭国分寺(8世紀中頃に創建)跡に 13:30に着いた。その後遠敷川(おにゅうがわ)沿いにある若狭彦神社(714年に創建、山幸の神)、 若狭姫神社(718年に創建、海幸の神)、神宮寺(714年に創建、若狭彦神社と若狭姫神社の神願寺)に行った。 神宮寺は奈良東大寺二月堂に香水を送る"お水送りの神事"を行う寺であり、本堂で住職の"有難いお話" を拝聴した。15:50に多田寺へ着いた。拝観は9:00から16:00迄とあったが閉扉されていたので、諦めて 宿に向かった。17:00海岸ベリに建つ宿(部屋から観た景色を右の写真に示す)に着いた。入浴の後、 18:00から"カニ尽くし"のフルコースをご馳走になった。"越前がに(福井県沖で水揚げされるズワイガニ の雄)"を堪能させていただいた。
17日6:30起床。快晴であった。朝風呂の後7:30朝食、8:30チェックアウト。宿でレインボーラインの無料 切符を頂いたので、梅丈岳山頂公園迄行った。三方五湖と日本海を一望することができた。11:00多田寺に 着き、前日拝観できなかった薬師如来立像、十一面観音菩薩立像、月光菩薩立像(三体とも平安初期に若狭 でつくられた桧材の一木造)を拝観させていただいた。12:00羽賀寺に着いた。室町中期に再建されたとい う簡素で且つ重厚な本堂の中で間近に、元正天皇(在位715~724 の女性天皇)のお姿を模したといわれる 極彩色で等身大の十一面観音菩薩立像を拝観することができた。元正天皇に次ぐ聖武天皇の皇后だった 光明皇后(700-760)のお姿を模したといわれる奈良法華寺の十一面観音菩薩立像より色鮮やかであった。 "若狭で一番美しい十一面観音菩薩立像"といわれるのもなるほどと思う。13:30小浜で蕎麦定食を食べた後、 舞鶴若狭自動車道・中国自動車道・近畿自動車道・第二阪奈道路を経て16:00奈良に無事帰着した。感謝・感謝。


2013.11.9

秋の恒例の行事:正倉院展を6日に拝観させていただいた。今年の目玉は漆金薄絵盤(うるしきんぱくえのばん) の様で、宣伝ポスターにも使われている。仏前に供える香具の台座として使用された物で仏像の蓮華座 (れんげざ)のような形の木工品である。岩形の基座の上に華麗な蓮弁(れんべん)を葺(ふ)き、 盆状に作った蓮肉(れんにく)をのせている。蓮弁は黒漆(くろうるし)を塗り、外側は金箔を押し、 唐花文(からはなもん)や迦陵頻伽(かりょうびんが)、花喰鳥(はなくいどり)、鳳凰、鴛鴦(おしどり) 、獅子などを彩絵している。彩色が美しく多くの人だかりができていた。
7日大和文華館でおこなわれている特別展「宮川長春」を拝観させていただいた。宮川長春は、18世紀前半 に肉筆画を専門に活躍した人で、独自の色香を湛えた優麗な美人画、江戸風俗図、新しい物語図を主題に活躍 した。国内にある長春作品のほとんどが集められており、見ごたえがあった。
今年も沢山の柚子を頂いた。早速、柚子ジャムを作った(右の写真、作り方は2011.11.15のブログに記述)。 8日の朝届いたので、8日の夕食後に作りはじめて、深夜に完成した。これ、とっても美味しい。愚妻は「とう さんがよなべをして、柚子ジャムをつくってくれた・・・」と歌いながら先に寝た。


2013.11.3

忍阪

忍阪(おっさか)には桜井市の中心部から南東へ歩いて約30分で行ける。宇陀へ通じる国道166号線 沿いの山麓に広がる集落で、中大兄皇子(後の天智天皇)の父である舒明天皇の陵墓(舒明天皇の母 である田村皇女と合葬、わが国最初の八角墳)、藤原鎌足の正室となった鏡王女の墓、舒明天皇の 皇女である大伴王の墓がある。さらに、日本最古の石仏とされる"薬師三尊石仏像"(奈良時代前期 ・重要文化財)がある石位寺がある。現在、石位寺は無住の寺院となっていて、集落の区長さんに 拝観予約をして出かけて行った。ところが、この日は区長さんに急用が出来たそうで、石仏のある 収蔵庫、礼拝堂、庫裏の鍵を手渡されて「ご自由に拝観してください」ということになった。石仏 はコンクリートの収蔵庫の中におまつりしてあった。薬師三尊(右の写真)は丸味のある三角形の砂 岩に半肉彫りされていた。中尊は方形の台座に腰掛けた如来形で、頭上に天蓋が描かれており、背 後に頭光と凭掛が薄肉で表示されている。両脇侍は合掌して立ち、頭光が描かれている。三尊とも 薄い法衣を通して内部の肉体の起伏がよく現れ、布の質感も巧みに描かれている。そして、彩色の 痕が像の唇と着衣に僅かに残っている。白鳳時代に製作されたものとは思えないほど鮮明で、大切 に保存されて来たことが分かり、先人の尽力に感謝・感謝である。記紀万葉の里・古い歴史のある 集落を散策させていただいた。


2013.11.1

利根川進さん

分子生物学者でノーベル医学生理学賞の受賞者である利根川進さんが日本経済新聞の"私の履歴書" 欄に10月31日まで30回にわたり書いておられた。科学者としての姿勢、研究を進める態度・心情等 大変興味深く読ませていただいき、感銘をうけた。若い人達に読んで欲しいと思う。


2013.10.25

静かな1日

「娘達が暖かい家で住んでいるのに、親である私達がなぜ寒い家に住まなければならないか・・・」 と愚妻が叫んで、今年の初めに窓ガラスの一部を二重ガラスに変えた。それでも寒かったので「台所 を床暖房にする」ことになり、業者に見積もりを依頼した。その業者との会合の後、愚妻は「京都で 夕食会」と出て行った。今日は台風27号の影響で1日雨である。先日撒いたほうれん草と小松菜にと っては恵みの雨で一斉に芽を出していた。庭から花を切ってきて生け、美味しい茶を啜りながら本を 読み、つれづれにピアノの練習をして静かな1日を過ごさせていただいている。平和な、幸せな一日 である。感謝・感謝!
右の写真はホトトギス(花器は法隆寺からでた古材を船に見立てて作成されたもの。古材をとても上手に 活用していると思う。道端に生えている野の花を生けると花の美しさが引き立つ。私のお気に入りである)。


2013.10.18

大当たり

乗馬クラブの帰りにJAの農産物直売所に寄って、生椎茸、栗、里芋を買ってきた。生椎茸は小ぶり の原木椎茸で、乾燥させ、濃い口だし醤油(作り方は2010.5.11のブログ)を作る際に使う。小ぶり の乾燥椎茸が手に入りにくいので自分で作るようになった。里芋は今が旬である。掘り出して間の 無い里芋は、包丁の背でこすると容易に皮がとれる。栗を茹でながら、里芋の皮をむき"里芋の煮っ 転がし"を作った。出来上がって味見をしているところへ愚妻がやってきて「私も味見してあげる」。 「わぁ美味しい。温かいうちの方が美味しいからもう1つ」と言った。「あっ栗もある。これも温 かいうちの方が美味しい」と叫んで食べた。「こんな特技がある男とも知らず結婚して、お前も"大 当たり"だね」と言ってやったら「あら、そうかしら?」だって。罰当たりめ・・・。
右の写真は上臈ホトトギス(花器は東大寺転害門からでた天平古材)。


2013.10.16

魚屋さんへ"さんま"を買いに行った。美味しそうな秋刀魚が一匹190円。2匹買った。 その際、魚屋のご主人が「鰯を開いて骨をとりました。如何ですか?」と・・・。 見ると、新鮮できれいであったので買うことにした。4匹で130円であった。家に帰っ て、皿の上にならべ、塩をパラパラとふった後メリケン粉に薄く塗した。フライパン にサラダオイルを3mmほどの深さ迄入れ、中火で温まったところへ鰯を入れて揚げた。 こんがりとなったら出来上がり(右の写真)。これ美味しかった。サラダオイルの代わ りにオリーブオイルを使うともっと美味しいかな・・・。魚屋さんがさばいて下さっ たので簡単・簡単。レパートリーが1つ増えました。嬉しいね!!!。愚妻に「写真 を撮るからちょっと待て」と言ったら、「あほらし・・・」とおっしゃった。でも、 これ我が家では食べたことが無いのです。


2013.10.13

シュウカイドウ

ようやく秋らしいさわやかな気候になった。連休で奈良は観光客で賑わっている。こんな時は 遠出せず、家に籠もっているのが一番と1日家にいた。それでも運動不足を解消するため買い 物に出かけ、秋の味覚"栗"を買ってきた。鍋で20分ほど茹で、冷めたのを包丁で半分に切り、 スプーンでほじくって食べる。食欲の秋だ・・・。 先日、テレビで映画"プライドと偏見"を観た。この際小説を読もうと岩波文庫の"高慢と偏見 (Pride and Prejudice, Jane Austen 1813、富田 彬訳)"を読み始めた。読書の秋だ・・・。 庭も花盛りである。タマザキフジバカマ、ホトトギス、シオン、シュウメイギク、フジバカマ を切ってきて部屋の中にある花瓶に生けた。右の写真はシュウカイドウ(秋海棠)を、明治期の 東大寺大仏殿修理の際記念品として東大寺が配った"東大寺転害門からでた天平古材を用いて 作られた花器"に生けた。秋の花々に囲まれて・・・感謝・感謝である。


2013.10.6

我が家の太陽光発電 報告(22)

我が家の9月の電気使用量(太陽光で発電している時はそれを使用しているので、関西電力から 買った電力量)は212kWh,電気代金は5,589円、関西電力に売った太陽光発電の電力量は230kWh, 売却代金は11.040円であった。9月は晴天の日が多かったようでオール電化の生活で収支は、 関西電力から5,451円いただいた。


2013.10.4

かもめ

某女史にさそわれてシアターBRAVA!で公演されている"かもめ"を観に行った。私はこの種の観劇は、 初めてで"かもめ"はロシアの劇作家チェーホフ(右の写真)の戯曲である・・・程度の知識しかなかったので、 少し予習して出かけて行った。18:30からの公演でその前に食事をしようと17:30に会場についた。 某女史に電話しても「電源が入っていません」と通じない。劇場の開演は18:00で、私はひたすら待 ち続けた。某女史は18:00に現れた。「食事は近くで済ませた」と・・・で、私は劇場内でサンド イッチとコーヒーの夕食となった。今回の公演は、台本・演出がKERA、俳優は生田斗真・蒼井優・ 野村萬斎・大竹しのぶ・山崎 一 等々であった。 チェーホフの意図するところを、KERAが近代の 音響・照明を活用し・演出し、俳優が作家の意のあるところを観客に伝える役者として協力し、 作者の考えた世界を現出させる舞台の面白さを味あわせていただいた。21:00公演終了。観客は若い 女性が大半であった。私は近鉄奈良駅前のコンビニで握り飯を買って夕食の足しにした。


2013.9.24

八丁平

大学時代の研究室の同期生に「昨年、途中までいって雨で引き返した峰床山に行かないか」と 誘われて出かけて行った。昨年一緒に行った先輩とその細君も参加されて四人でいった。京都 の北大路駅で同期生の車に乗せていただいた。同期生は「3日前に下見したけど、18号台風で 道が寸断されている。昨年行った所までは行けるが、その後の登山道はどうなっているか 分からない。」と言った。「行ける所まで行こう」と出かけて行った。同期生は山道の運転に なれているのか狭い道でも結構なスピードで走る。前の車にも接近して走る。前の車は危険を 感じて道を譲る。私は「10m位は車間距離をとれ」とアドバイスしても馬耳東風。彼の住む地域 では"10mも車間距離をとったら割り込まれる"と習慣付けられているのかな・・・。10:30登山 口に車を止めて、歩き出した。登山道が土砂で寸断されたり、えぐられたりしていて、18号台 風の影響が随所にみられた。自然林の登山道に入ると、木の小枝や栗・朴の実が沢山落ちていて 風が強かったを想像させたが道は安定していた。"峰床山山頂へ1.1km、八丁平へ0.4km"の標識の ある峠の分岐点に13:00に着いた。体力も結構消耗していたので"八丁平"を選択した。「八丁平は 八丁トンボの生息地だ」と同期生が教えてくれた。八丁平に咲いていたトリカブトと大きな栃の 木の写真を右に示す。16:00登山口に戻り、19:00奈良の自宅に帰着した。翌日の今朝は足の筋肉 が痛い。歳をとった証拠か?????


2013.9.21

剣山

四国の最高峰:石鎚山(1982m)には10年程前に登ったことがある。四国第2の高峰:剣山(つるぎさん1955m) に登りたいと長年考えていたが、今年こそはと、天気予報を見ては機会をうかがっていた。台風18号が通 過した後の晴天をねらって20日朝奈良を出て、21日の早朝に剣山に登り、その後奈良に帰ることを考えて 20日夜の宿を剣山の登山口に近い「いやしの温泉郷」に予約した。18日夜の天気予報で"四国は20日までは 晴天だけど21日から天気が悪くなり雨"との予報が出た。悪天では剣山に登れないので、急遽20日に剣山に 登ることにした。
19日は乗馬が予約してあったので、乗馬クラブから帰ってから車で剣山の出来るだけ近くへ行って、泊まる ことにした。淡路島の鳴門大橋に近いホテルを予約し、15:00に家を出た。途中少し渋滞もあったが18:00に ホテルに着いた。夕映えの湯という露天風呂があったが残念ながら陽は沈んでしまっていた。中秋の名月を 眺めながら、広い露天風呂に私はただ一人身を沈め、名湯を堪能した。
1: 西島から見た剣山 2: 剣山山頂(注連縄の中に一等三角点がある) 3: 剣山山頂から見た三嶺(みうね1893m)
20日6:30起床。7:30朝食。8:30ホテルを出発。美馬ICから貞光川沿いを行く道は国道ではあるが単線部が多 く、以外に時間がかかった。12:00見ノ越駐車場(1420m)に着いた。昼食の後、登山リフトで12:50西島(1750m)に 着いた。頂上まで標高差200m、まっすぐ登ればすぐなので、気をぬいて地図も見ずに歩き出したのがいけな かった。山腹をぐるっと周って、剣山から次郎笈(じろうぎゅう1929m)への従走路の途中:二度見展望所まで 行ってしまった。剣山頂上に着いたときは14:30であった。視界360度の美しい景色を楽しんだ後、頂上ヒュッ テで"あめ湯"をいただいた。美味しくて疲れがふきとんだ。15:00ヒュッテの脇にある宝蔵石神社に参拝した後、 刀掛ノ松を経て15:40西島に着き、リフトで見ノ越駐車場に帰着した。途中、二重カズラ橋(観光用で鉄のロー プが見え隠れしていた)を見物し、17:00祖谷川沿いにある温泉宿に着いた。入浴の後、夕食。再度入浴して 21:00就床。
4: シコクフウロ 5: ミヤマクマザサの中で咲くリンドウ 6: シコクブシ(トリカブトの一種)
21日6:30起床。7:30朝食。8:30ホテルを出発。ホテルの近くにある旧小采家住宅(国指定重文)を見学したのち 落合集落(江戸中期から明治期につくられた民家が山の上から谷底まで数多くのこる)を観た。9:30東祖谷歴史民族 資料館を見学した後、県道32,45号線を経て、11:00大歩危・小歩危を通り、井川池田ICから徳島自動車に入り、 上板SAで"たらいうどん定食"を食べた。淡路SAで休憩し、16:00無事奈良の自宅に帰着した。天気予報に反し、 この日も晴天であった。でも、最初の予定どおりにこの日に剣山に登って、その後に自宅まで帰るとなると、 強行軍すぎると思う。計画変更で良かった・良かった。
7: 奥祖谷二重かずら橋 8: 落合集落と矢筈山(1849m) 9: 小歩危



2013.9.14

2020東京オリンピックと原子力発電

東京電力福島第一原子力発電所の廃炉作業の見通しの無い時に"東京オリンピックで衆目を原子 力発電所の問題からそらすのか?"と懸念していたが、安部首相が国際オリンピック委員会総会で の東京五輪招致演説で「原発の汚染水はコントロールされている」と発言したことで、汚染水 問題が注目されるようになった。汚染水問題は"汚染水タンクからの水漏れ"というお粗末なミス でクローズアップされたが、一番深刻なのは"原子炉建屋付近からの地下水が放射性物質で汚染 され海に流れ込んでいること"だと思う。これについては"1-4号機周辺の地中に凍土壁を作って 地下水の流入を減らす"ことが検討されている様で、良い方法が見つかれば・・・と期待している。 根本的解決は"使用済核燃料貯蔵プールと原子炉から核燃料を取り出す"ことであるが、"使用済 核燃料貯蔵プールと原子炉がどうなっているかその実態はまだ分かっていない"様である。この事を 政治家の皆さん・多くの国民に知っていただく良い機会が出来たと私は思う。原子力発電所の事故 は深刻なもので、その実態を政治家・国民は理解しなければならない。東電・政府は事実を公表し なければならない。マスコミは実態を報道し続ける義務がある。それが世界・人類への責務である。


2013.9.6

我が家の太陽光発電 報告(21)

9月に入って、台風の影響で涼しくなった。今年の夏は猛暑で、私などはエアコンのお世話に なりっぱなしで"エアコンが無いと生きていけないんじゃないか"と思うほど体力も鈍ってしま った。福島の原子力発電所の事故の後、原子力に頼らない生活を目指す試みの一つとして、我 が家では太陽光発電装置を導入した。我が家の5,6,7,8月の関西電力に払った電気代はそれぞれ 5,197円, 4,921円, 5,544円, 7,967円であった。5,6,7,8月に関西電力に売った電力の代金は それぞれ14,256円, 10,992円, 11,424円, 9,408円で、差し引き我が家には5,6,7,8月それぞれ 9,059円, 6,071円, 5,448円, 3,457円の収入があった。今年の夏は暑かったけれど、晴天の日 も多かったので、太陽光による発電量も多かった。昼間は発電した電気を使用し、余った電力を 関西電力に売却しているので沢山発電していても沢山消費していると売却代金は少なくなる。 それにしても、オール電化で生活して、電気代が入ってくるとは、太陽光発電も凄いと思う。
福島の原子力発電所での汚染水の貯蔵タンクからの水漏れが問題になっているが、モット深刻な のは、原子炉と核燃料の貯蔵施設の実態が未だ把握されていないことだと思う。それにしても、 電力会社は無責任でありすぎる。原子力発電はやめるべきだと思う。


2013.8.31

訃報

神戸大学でのテニスを終えて帰宅し、夕食を食べていたら電話がかかってきた。乗馬クラブの 指導員の方からであった。「悪い知らせです。ヴルガが体調を悪くして・・・死んでしまいま した・・・。加藤さんが愛用してくださっていたのでお知らせします・・・」と、指導員の方 も涙声であった。ヴルガは乗馬クラブの馬で、私はここ一年ほど専用馬として駈足の練習に愛用 させて戴いていた馬である。一昨日もお世話になった。元気に駆けてくれていたのに・・・。 冥福を祈るのみである。・・・・・・・死は突然やってくる。私の命も明日はあるとは限らない。 その時はどうぞよろしく。"皆様、大変お世話になりました。厚く御礼申し上げます。感謝・感謝。拝。"


2013.8.28

大失敗

今年もブルーベリージャムを作った。3kgのブルーベリーに2kgのグラニュウ糖を入れた。 このグラニュウ糖の内1kgは袋から出して入れた。残りの1kgは壜にあり、蓋にグラニュウ糖 とメモ書きしてある二つの壜から入れた。そのうちの小さい方の壜は空っぽにした。 出来上がって味見をして驚いた。塩味がするのだ。どうも小さい方の壜に塩が入っていた ようだ。思い出すと、先日、蓋に"精製塩"とメモ書きしてある壜に砂糖が入っていた。 「誤って砂糖が入れてある。愚妻のバカ・・・」と思ったのが間違いであった。蓋をトリチ ガエテイタのだ。あの時気が付くべきであった。二つの壜は同じ形・同じ色であった。 嗚呼、これから1年間塩味のするブルーベリージャムを食べねばならない。


2013.8.21

障子

お盆に家に来た小さい子供が、家の障子を沢山破ってボロボロにして行った。暫くはそうした子供は来ないだろ うから、障子を張り替えることにした。近所の襖屋に恃んだら、年配のご主人と感じの良い若者が来て下さった。 「天気が良いから、夕方には持ってまいります。」と言って、障子をはずして持って帰られた。夕方にきれいに 張り替えられた障子が来た。ご主人に「良い後継者か゛いらっしゃって良いですね」と言ったら、「後継者は いるんですが、この頃は日本間のある家がすくなくなりましてねぇ・・・」とおっしゃった。


2013.8.18

お盆

8月10日庭の花を切って大和郡山市九条にある光伝寺に墓参に行った。
8月11日10:00より12:00までテニススクール。炎天下で気温は38-39℃。よく倒れなかったものだ。帰って昼寝。 17:00より奈良県文化会館へ"なら燈火会プロムナードコンサート(奈良フィルハーモニー管弦楽団、指揮:阪哲朗、 テノール:錦織健)"に行く。阪哲朗さんは京大時代にお世話になった阪敏朗さんのご子息である。阪敏朗さんは 若くして夭折されたが、立派になられたご子息を、天界から嬉しく見守っておられることだろう。
8月13日東京に住む次女と3人の子供及び長女の長女が奈良に来た。
8月14日私は1人で車を運転して、故郷の岐阜県関市の実家へ帰り、弟と一緒に墓参に行った。母も少し歩けて 食事もすすむ様で以前より太っていた。弟とその妻は世話で大変な様だが、私は"何卒宜しく"とひたすらお願い するばかりである。近くに住んでいる妹にも会った。その夫君は「前立腺がんの手術をした」と元気そうに仰っ た。その後、母の実家へ行き従兄弟達と母の墓(私の実母は5才の時他界した)参りをした。途中、長良川で泳いだ。 清流である。とても気持ち良かった。
8月16日次女に恃まれて、小2と幼稚園児の2人を連れて、室内温水プールへ行った。孫と思われる子供を連れ てプールにきている年寄りが多いのに驚いた。きっと私と同じ立場の人達だと思った。子供の親は休憩している ことだろう。
8月17日東大寺へお参りに行った。東大寺大仏殿内の柱の一つに人間がくぐれる穴の空いているのがある。先ず、 小2と幼稚園児の2人がくぐり抜け、次にもうすぐ2才になる子の番になった。こわがって穴に入らないので、 次女がくぐり抜けて見本をみせた。それでも入らないので、姉である小2と幼稚園児の2人が協力して、怖がっ て泣く男の子を無理やり押し込んだ。これが成功した。外国から来た観光客はこの様子が面白いので大笑いをし ていた。次いで長女の長女もくぐった。私は自重した。
8月18日8:00近鉄奈良駅発の電車で5人揃って東京へ帰っていった。布団を干して、シーツを洗った。重い布団で もう少し年を取ったら、布団干しも出来なくなる。



2013.8.10

北欧の旅

定年後、年に一度は海外への旅行をして楽しませていただいた。もう殆ど行きたい所へは行った ので、国内旅行にしようかとも思ったが、体力のある内に・・・と今年は北欧探訪の旅を計画した。 航空券・ホテルの予約は全てインターネットでおこなった。
出発の前日には、愚妻が珍しく散らばっている物を整理し掃除をした。さらに「旅行保険に入る」 と言った。私は"旅行中に脳梗塞でも起こすのか???"と心配しながら出かけて行った。
7月26日7:05近鉄奈良駅前発のバスで関空に着いた。チェックインは家のパソコンで済ましていた のでBaggage drop-inの窓口に行ったら「ビジネスクラスの切符に変えてあげる」と言われた。 ラッキー・ラッキー。15:00ヘルシンキ空港(日本とフィンランドとの時差は6時間)に、16:00中央 駅近くのホテルに着いた。早速、インフォメーション・センター(ⅰ)に行き、ヘルシンキの西約35km のところにあるヌークシオ国立公園への行き方を教えていただいた。17:00中央駅内のレストランで 夕食(不味かった)をとり、牛乳・水・ブルーベリー(1リットル桝に一杯が6ユーロ)を買ってホテルに 帰り、20:00就床。この日の歩数:6014
1: ヌークシオ国立公園 2: エスプラナーディ公園。中央は詩人Johan Ludvig Runeberginの銅像 3: 観光船から見たストックホルム旧市街

7月27日5:00起床。ホテルの近くを散策。7:30ホテルで朝食。9:30マンネルへイム(第一次ソビエト・ フィンランド戦争時の元帥)像前のバス停を出て10:00ヌークシオ国立公園内のHALTIA(Finnish nature centre) に着いた。HALTIAを見学した後、湖畔のハイキングコースを歩いた。しかし、晴天で暑いので(28℃) 12:30HALTIA発のバスでヘルシンキへ帰った。ホテルで少し休憩した後、中心街・エスプラナーディ公園、 食料品・民芸品を売る屋台で賑わうマーケット広場を散策した。帰り道でアテニウム美術館に立ち寄った。 民族叙事詩「カレワラ」を題材とした作品が見ものであった。ホテルに帰りシャワーを浴び、着替えた後、 18:00レストランで夕食。北欧グルメは魚が豊富。中でも鰊が中心。必食メニューと聞いていたstekt sill (鰯くらいの小ぶりの鰊をカリカリに揚げたもの。レモンを絞り、ガーリックソースをつけて食べる)を注文 した。これは美味しかった。21:00就床。この日の歩数:21694

7月28日5:00起床。5:50発のバスで空港へ。8:00ヘルシンキ発8:00ストックホルム着(フィンランドとスウェー デンとの時差は1時間)。9:00ストックホルム中央駅近くのホテルに荷物を置いて、徒歩で旧市街のガムラ・ スタンへ行き、宮殿を見学した後宮殿内のカフェで昼食。宮殿前から観光船(Hop on Hop off Boat)に乗り 沿岸を巡った。:下船後、王立公園・セルゲル広場を経てホテルに帰った。シャワーを浴び、休憩した後、 18:00ホテル内のレストランで夕食。北欧名物:鰊のピクルス(ハーブ酢漬け、マスタード和え、オリーブ オイル塩漬け、南蛮漬け風・・・等各種)をいただいた。21:00就床。この日の歩数:12237
4: キルナの鉄鉱山 5: Abisco Mountain LodgeからTornetrask湖方面の景色 6: Abisco Mountain Lodgeの下方からニューラ山(1169m)を望む

7月29日5:00起床。6:10発のバスで空港へ。8:30ストックホルム発10:00キルナ空港着。今回の旅行の目玉は、 この日の目的地アビスコである。スウェーデンのラップランド(スカンジナビア半島北部の地域。トナカイの 飼育、狩猟、漁労をおこなうサーミ人が居住。夏にはツンドラと呼ばれる永久凍土が溶けてコケ類や地衣類が 生える。農産物の生育には不適。南部はタイガと呼ばれるエゾマツ・トドマツなとの針葉樹林帯)にあるアビス コ国立公園の自然散策が主要目的である。キルナ空港からアビスコ行きのバスは13:50発である。キルナ市内行き のバスの運転手さんに確かめたら「その通りだけどそのバスはキルナ市内を通る。まだ時間があるからキルナ市内 迄行って少しキルナ市内を見物したら・・・」と言われたのでキルナ市内まで行った。キルナは世界最大の鉄鉱石 の産地で、採掘された鉄鉱石は鉄道でノルウェーの港町ナルヴィークまで運んで輸出しているようであり、30両ほどの 運搬車両を連結した列車が約1時間間隔で走っていた。14:10キルナ市内からバスに乗り15:20アビスコに着いた。 バスの運転手さんにAbisco Mountain Lodgeは何処かと訊ねたら「先ほどとまった所だ」と・・・"困ったえらい ことになった"と思っていたら、運転手さんがバスが運んできた荷物を取りに来ていた人に「Abisco Mountain Lodgeまで乗せてやってくれ」と恃んで下さった。その人も二つ返事で「2-3分で行ける。なんでもない」と乗せ ていって下さった。タクシーもない田舎町で、重い荷物をもって2km余を歩くのは大変であったのに助かった。 感謝・感謝である。宿に荷物を置き、Turist Informationに行き、五万分の一の地図を買った。Abisco Mountain Lodgeで18:00夕食。カニ入りスープとムース・トナカイの肉料理を食べた。前者は美味しかったが、後者は珍味 として食べた。この宿の主人はサーミ人??? 訊ねることはしなかったが、なんとなくその雰囲気があった。 21:30就床。この日の歩数:16860
7: ニューラ山から見たアビスコ方向の景色 8: ニューラ山の自然散策 9: 雪渓直下の湿地に咲くSaxifrga stellaris

7月30日6:30起床。7:30ホテルで朝食。快晴で遠くの山々が見えるので、ニューラ山(1169m)を散策することにした。、 Abisco Mountain Lodgeから約3kmの所に、スキー場によくあるチェアリフトの乗り場があった。リフトは片道2km、 約20分で山頂近くまで行けた。山上からの景色は絶景で、万年雪を戴いたアビスコ・アルプスと呼ばれる山々が一望 できた。あたりに樹木は全く無く、コケ類や地衣類と高山植物だけであった。なだらかで見通しが良く、自分の行き たいほうへ歩いていけた。湿地が多いので、長靴をはいている人もいた。気ままに自然散策して、宿から頂いてきた パンと果物・チーズ・玉子・ハムで昼食をとった。首に標識をつけたトナカイが1頭だけ目の前を横切って行った。 15:00チェアリフトで下山した。ああ、これで今回の旅は成功!満足・満足であった。アビスコは小さな町でホテルは Abisco Mountain LodgeとAbisko Turiststationだけであった。私はAbisko Turiststationに泊まりたかったのだけど 3連泊できる部屋が空いてなかった。Abisco Mountain Lodgeは部屋が小さく山小屋という感じであった。食堂は立派 であったが前日と同じメニューだったので、近くのお店でパン・牛乳・チーズ・ハム・キュウリ・トマトを買ってきて 夕食とした。20:00就床。この日の歩数:17638
10: アビスコ川沿いのKingsleden 11: 白樺林の中のKingsledenを行くトレッキングの人達 12: コケ類や地衣類が生える湿地の中のNaturstig

7月31日6:30起床。7:30ホテルで朝食。曇りでニューラ山も雲の中。この日は"王様の散歩道(Kingsleden)"と呼ばれる ルートをトレッキングすることにした。気温は22℃。9:00出発。写真6の道を歩いてアビスコ川沿いのKingsledenまで 行き、写真11のような白樺林の中の道、ときには川沿いの道となる"王様の散歩道(Kingsleden)"を歩いて行った。 Kingsledenは日本の東海自然歩道のようなもので、15-20kmおきにある山小屋やキャンピングサイトに宿泊しなから トレッキングを楽しむことができる。12:15川沿いの景色の良いところで昼食をとっていたら小雨が降ってきた。来た道 を引き返した後、Naturstig(自然歩道)と標識のあるところから、地図でその位置を確かめて・・・、Naturstigに入った。 暫くすると、同行の愚妻が狂ったように足早になった。"嗚呼またパニックになった"と思った。道が不安になったのだ。 地図を示して"今ここにいるんだ"と言っても収まらない。「そんな風になると道を間違えたりして遭難するんだ」と説得 しても効果がない。途中で四人連れのハイカーに出会って少し落ち着いた。やれやれであった。雨も止んできた。 15:30ホテルに帰着。シャワーを浴び、休憩した後、18:00ホテル内のレストランで夕食。湖でとれた魚の料理を食べた (美味しかった)。19:00晴天になったので湖畔まで散歩した。20:30就床。この日の歩数:24907

8月1日6:30起床。晴天。7:30ホテルで朝食。この日はノルウェーのベルゲンへ移動する日であるがバスに乗る時刻まで 時間があったので、ホテルの裏にある山へのトレッキングコースを歩くことにした。帰り道でCanonの小型カメラを拾った。 途中ですれちがった登山グループが落としたものだと推定できたが追っかけて行くのも出来ないのでホテルに届けた。 11:30発のバスで13:00キルナ空港に着いた。バスから眺めていると牧草地は何処にも無かった。コケ類や地衣類だけの所、 白樺の生えた所、そしてサラに南下すると針葉樹林帯と、変化が歴然としていた。14:40キルナ空港発16:15ストックホルム着、 19:45ストックホルム発21:05ベルゲン空港着。22:00ホテル着。24:00就床。この日の歩数:7696
13:ベルゲン湾。左下が魚市場、右がブリッゲン地区。 14: 魚市場内の魚屋。真ん中の赤いのがKing Crab。 15: ブリッゲン地区の建物

8月2日7:00起床。8:00ホテルで朝食。魚市場の傍にあるTurist Informationに行き、翌日のフィヨルド観光の切符を買った。 その後、ケーブルカーでフロイエン山(320m)に登った。そこから観たベルゲン湾を写真13に示す。下山後、魚市場で大きな King crabの足を2本買った。その場でぶつ切りにし、白ワインをかけて鉄板の上で焼いてくれた。これは美味しかった。 夕食でも、他の店で食べたがあまり美味しくなかった。それで、再度昼に食べた店へ行って、King crabを食べた。美味し かった。ナニが異なっているのか分からないが、味が全く異なっていた。
ベルゲンは1070年にノルウェー王オーラブ3世によって建設され,バイキング時代の交易の中心地として発展した。13世紀 から16世紀にかけてハンザ同盟(ドイツ商人を中心として、商業上の共同利益の保全、海上交通の安全保障、共同防衛など を目的として結成された北ドイツ・北欧の都市同盟)の商館が置かれ、干しタラの輸出により繁栄した。ハンザ商人の家や 事務所・倉庫として利用されていた木造家屋が並ぶ一帯はブリッゲン地区と呼ばれている。その中にあるハンザ博物館と ブリッゲン博物館を見物した。ハンザ博物館の職員による30分余にわたる説明ツァーはとても良かった。20:00就床。この 日の歩数:11791
16: Vikの町 17: Balestrandkの町、中央は氷河Jostedalsbreen 18: Flamの町

8月3日6:00起床。7:00ホテルで朝食。この日はフィヨルド(氷河による侵食で作られた谷に海水 が入った内陸部へ深く入り込んだ湾)観光である。8:00にTurist Informationの北から出発する ソグネフィヨルド観光のフェリーに乗った。ベルゲンからノルウェーの西岸のフィヨルドを北上 し、ノルウェーで最大(長さ204km, 最深部1308m)のソグネフィヨルドを東進し、その支フィヨルド であるアウルランドフィヨルドを南下してベルゲンへの鉄道駅のある町フロムへ到るクルージング である。途中の景色(写真16-18)は常に絶景であった。13:25にフロムに着いた。フロムで散策に 出かけたら急に雨が降り出したので引き返した。雨はまもなくやんだ。14:50Flam発15:46Myrdal着、 15:51Myrdal発17:53Bergen着の列車でベルゲン駅に着いた。車窓から観れる雄大なU字谷や氷河、 雪を戴いた山、雪解け水をたたえた湖や清流の景色は美しかった。落差93mのショース滝が真近 にせまるところで列車は5分ほど停車した。18:30ホテルで夕食。21:00就床。この日の歩数:7313

8月4日6:30起床。7:30ホテルで朝食。この日はヘルシンキへ移動する日である。9:00ベルゲン空港 行のバスに乗り、11:00ベルゲン発、ストックホルム経由で14:55ヘルシンキ空港に着いた。16:00 ホテルに荷物を置いて、翌日のタリン(エストニアの首都)行きの船の往復切符を買った。その後、 マーケット広場で、湖産の小魚をカリカリに揚げたもの・鮭の鉄板焼・丸ポテトのフライを食べて 夕食とした。21:00就床。この日の歩数:6853
19: 船上から見たタリン、左端の船が私の乗った船と同型船 20: タリンの旧市街、一番右の塔が聖オレフ教会 21: 聖オレフ教会の塔の上から観たタリンの旧市街
8月5日6:30起床。7:30ホテルで朝食。8:30路面電車に乗りTallink Lineの乗船場であるランシ・ターミナル へ行った。10:30発の大型フェリーで出発、12:30にタリン港に着いた。タリンはバルト3国の中で最も北にある エストニアの首都で、ハンザ同盟時代に栄えた美しい古都で、世界遺産に登録されている。ヘルシンキから 手軽に訪問できることを昨年ウイーンで夕食を共にした女性が教えて下さった。タリン港から15分ほど歩くと 城壁に囲まれた旧市街に入った。早速聖オレフ教会に行き見学の後タリンで一番高いという塔に登らせていた だいた。狭い石造りの螺旋階段で、一番上に着くころには息が切れていた。狭い屋上からの景色は素晴らしか った(写真21。左の丸い屋根の建物がロシヤ正教の教会、真ん中の筒状の建物がトームペア城、右の尖塔は旧 市庁舎)。狭い街なので30分も歩けば端から端まで行けた。繁華街のカフェでアイスクリームを食べて昼食と した。16:30タリン港を出発18:30ヘルシンキのランシ港に着いた。私はエストニアを"旧ソ連邦の端っこにある 国"といった認識しかなかったが、今回の訪問で"ヨーロッパの一部で手軽に訪問できる国"ということが良く 分かった。19:00ホテルに荷物を置いて、地元紙から「ベストレストラン」の称号を獲得したという老舗レスト ランに行きフィンランド料理を楽しんだ。23:30就床。この日の歩数:17880

8月5日6:30起床。7:30ホテルで朝食。ホテルの名前はHotelli Seurafuone(セウラフオネ)。 とっても良かった。 ロビー・食堂はアールヌーヴォー調の内装、客室の家具はアンティーク調、3枚の絵画は全てクリムト作品、朝食も 美味しかった。残念ながら私が宿泊した2日間は夕食レストランはお休みであった。ヘルシンキに宿泊する機会 をつくって、このホテルに泊まりディナーをいただきたいと思う。・・・と! 9:20植物園、11:00デザイン 博物館を見学して、14:30ヘルシンキ空港行のバスに乗った。この日の歩数:12342。17:20ヘルシンキ発7日8:55 関空着、10:40関空発のバスで12:00近鉄奈良駅前に着いた。楽しい旅を無事終えることが出来た。感謝・感謝。


2013.7.18

???

参院選で民主党が惨敗した。民主党が公認を取り消した大河原雅子氏を支援した菅直人元首相 の処分なんか言ってる党首や幹事長は駄目だと思う。民主党は人材を発掘し集める努力をする 必要があると思う。自民党に対抗できる政策と理念を確立し、国民の期待に応えられる党にな って欲しいと願う。
気分転換。
右の写真、なんだか分かりますか? 我が家の庭に落ちていました。私は最初見たとき「これは なんだ?」と思いました。鮮やかな赤・濃紺の実。「鳥が何処からか咥えて来て落とした?」 と思いました。ところが・・・さにあらず。そばに山シャクヤクがありました。硬い実がつい ていました。これは山シャクヤクの実が弾けたものだと判明しました。あの白い花からこの鮮 やかな実が想像できますか?


2013.7.18

参議院選挙

参議院選挙の投票日が近づいてきた。私は、比例区では政党の名前を書くだけでは駄目で、 政策・政治への姿勢・人格を知って、人物を重視して投票したいと考えている。それで選 挙公報を読んでみたが、殆ど参考にならなかった。それで政党のホームページに入ったら、 候補者のリストがあり、各候補者のホームページに入った。それを読んで、候補者の人格・ 考え方・政策・政治への姿勢を知る努力をした。私なりに判断して投票する候補者を決めた。 それにしても・・・良い人材は少なかった。


2013.7.15

雨のめぐみ

前日に、一時的ではあるが激しい雨が降り、1日家で過ごした。15日にも朝に激しい雨が降 った。そのおかげで厳しい暑さも幾分和らいだので、昼食後、散歩に出た。家で、エァコン の利いた部屋で、過ごすのは快適だけど、少し歩いて汗を出したほうが体調が良い。
曇っていて幾分過ごしやすかったが、念のため雨具とタオルを持って出かけて行った。 興福寺の境内を歩いていて、ふらっと東金堂に入った。東金堂は室町時代に再建された建物 であるが、寄棟造り・本瓦葺きの建物で、正面7間・側面4間、唐招提寺の金堂を参考にし た天平様式の重厚な建物である。この堂内のご本尊の両脇に、大仏師定慶の名作、文殊菩薩 坐像(頭上に梵篋(ぼんきょう:経典を納める箱)を乗せ、体に甲を着て上衣をまとう。二重 円相の光背の前で蓮華座に結跏趺坐)と維摩居士坐像(頭巾をかぶった老貌の維摩が眉根を 寄せ文殊菩薩と法論をしている。衣桁形の後屏の前で、獅子や牡丹の浮彫を貼付けた宣字座 に結跏趺坐)がいらっしゃる。四天王像、十二神将像もすごい。東金堂は常時拝観でき る国の宝である。博物館で拝するのとは、全く違う尊厳がある。その後、東大寺境内を散策し た。歩いたのは8500歩であった。


2013.7.10

私の好きな食べ物 (26) キュウリの梅酢もみ

2013.6.19のブログに半白キュウリについて書いた。5本の苗を植えたのであるがキュウリが なるときは一斉に生り、2人だけでは食べきれなくなる。直径が4-5cmの半白キュウリを友人 に貰っていただいたが、あまりの大きさにとまどわれるようである。でも、中には昔懐かしい キュウリと喜んで下さる人もいる。そして、その人なりの昔の味を再現しょうとされるようで ある。私も、子供の頃に食べた"甘酢塩もみキュウリ"が脳裏にあり、それをイメージして一工夫 したのが"キュウリの梅酢もみ(右の写真)"である。再記述する。皮を剥いてスライスする。それに 梅酢・梅干を作るときにできた紫蘇・梅干を細かくきざんだものを加えて、一揉みする。その際、 砂糖をほんの少し加える。これ歯ざわりも良いし、味も良い。暑くて食欲の無いときでも美味し い。冷蔵庫に保存しておくと、"おやつ"のようにツマミ食いしたくなる。愚妻も私の目を盗んで 食べている。私は目を瞑って、せっせと補給している。


2013.7.8

原子力発電について

電力各社が原発の再稼動申請をしている。"世界最高水準の安全性をめざして取り組んでいる" ことを電力各社は宣伝している。二重・三重の安全対策をしているといっていた関電でも、 点検漏れで平成16年に美浜発電所3号機において、配管破損事故が起こっている。人間であ るからミス・想定外の事故は避けられない。原子力の場合は、取り返しの付かない重大な事故 が起こりうる。あまりにも危険である。私は「建設してしまった原子力発電所は最高水準の安 全性を確保した施設にして"稼動期間を設置後40年"と限定して行う。新設は認めない。近未来 に原子力発電は廃止する。」という国家指針を確立すべきと考える。・・・だけど・・・ いったん再稼動すると国民は安全だと錯覚してしまいがちなので、犠牲を払っても、直ちに中止。 再稼動はしない。・・・それでもやって行けるのではないかという気もする。"原発なしでは日本 経済はなりたたない"と宣伝されてたことは嘘だと現在実証されている。
でもでも、まだ問題は残る。「放射性廃棄物をどうするか」である。使用済み核燃料は各原子力発電 で数年水冷保存した後、青森県むつ市(?)に保管される。そこが一杯になれば、引き受ける所が 無いから(福島の汚染土の様に)、多分、各原子力発電所の敷地内に保管される。廃炉にした原子 炉の廃材の保管場所も同様だろう。使用済み燃料に含まれる放射性物質であるセシュウム137の 半減期は30年、プルトニウム239の半減期は24100年である。ガラスで固めて地下のコンクリート 室に埋めるとしても10万年管理し続けなければならないのだ。



2013.6.26

朝起きると土砂降りであった。テニススクールも休みとなった。こんな日はのんびりと過ご すことができる。朝食の後、メダカの水を換えることにした。今年生まれたメダカが100匹 ほどいる鉢である。水を換えた後、餌を遣りながら観察していると、メダカの様にゆったり とした気分になる。庭の花を切ってきて一輪挿しに生け、雨の庭を眺めながら玉露を喫する。 1人なので菊屋の饅頭を2個食べてしまった。家の裏を流れる佐保川が久しぶりに増水して 勢い良く流れていた。私は少しピアノの練習をした後、長靴を履き、大きな傘をさして、 土砂降りの中を奈良県立美術館へ行った。特別展「正倉院宝物と近代奈良の工芸」を観る為 である。正倉院宝物の修復と模作にたずさわった人達の技術の伝承と創作に焦点をあてた展 覧会であった。ビデオでの解説が面白かった。


2013.6.19

半白キュウリ

市販のキュウリは細くて味が無いと思う私は、庭に半白キュウリを植えて、直径が4-5cm 程(右の写真)になってから収穫する。皮を剥いてスライスする。それに梅干を作るとき にできたシソウを細かくきざんだものを加えて、一揉みする。その際、砂糖をほんの少し 加える。これ歯ざわりも良いし、味も良い。暑くて食欲の無いときでも美味しい。
長女の要請で愚妻が東京に住む長女の家へ3泊4日の予定で出かけて行った。それを知った 次女がその後次女の手伝いに・・・と要請してきた。それで結局27日まで東京にいることに なった。それで、長女の所へは"半白キュウリ"を、次女の所へは"梅干と沢庵"をお土産とし て持たせてやった。"梅干と沢庵"は次女が要請してきたのです・・・押し付けではありません。


2013.6.14

鑑真和上1250年御遠忌

本年は鑑真和上(688-763)没後1250年に当り、本日10時から大仏殿で唐招提寺式衆と東大寺式衆 による御遠忌法要が行われたので、私も参列させていただいた。大仏の前に鑑真和上の画像が 飾ってあった(右の写真)。3礼の後、両寺式衆による梵網経の読経、東大寺式衆による鑑真講式 ・伽陀、唐招提寺式衆による鑑真大和上和讃、般若心経・如心偈・回向文の読経、3礼と続いて 約1時間半の法要であった。
大仏殿内で瓦の寄進を受け付けていた。一枚千円で、裏に祈願文を書くことが出来た。それで 千円だして"脱原発・世界平和"と書いた。
近くのレストランで昼食をとった後、奈良国立博物館に行こうとしたが、あまりに暑いので止めて、 通り道にある東大寺ミュージアムに入り、法華堂から移られた日光・月光菩薩立像を拝観させてい ただいた。あふれでる汗を鎮めることができた
その後、法要終了後から午後三時まで公開されている戒壇院千手堂に行き、鑑真和上像(重文、唐招提寺 の鑑真和上像に似ている)に参拝した。
家に帰ったら、汗びっしょりであった。こんな暑さの中でテニスをしたら熱中症になりそうである。 さあ、どうしょう・・・。


2013.6.11

庭木の剪定

例年、梅の実を採った後、庭木の剪定をしている。私も年を取ってきたので危険な作業である。 今年は梅の実のなりが悪く、家で漬けるのにも足りない。花の時期に雨が降り続き、寒くもあ ったのでミツバチの飛来が少なかった為と思われる。なりが悪くても剪定はしなくてはならない。 徒長枝を切り、密生した枝を切除した。脚立に立ったり、木に登ったりで危ない。終ったら、 無事であることに感謝・感謝である。次いで、クロガネモチ、サンシュウ、ツバキ、マキ、 カエデ・・・と剪定したらグッタリ疲れてしまった。テニスをするよりキツイ。ところで、 サンシュウの茂みの中にオオスズメバチの巣(右の写真)があった。まだ女王蜂一匹で巣を作り 始めたところである。"働き蜂が生まれる前に退治しょう"と決心し、蜂の動きが鈍い夜を待った。 私は高校生時代に一度刺されたことがあり"2回目に刺されたときはショックが大きく危険だ" ということなので、暑いのにズボンを2枚着て長靴を履き、フウド付きの冬服を着て虫除けネット をかぶり、スキー用の手袋をして、巣のある枝を切り落とした。蜂が暗闇の中でブンブン飛んで いたが幸い刺されなかった。蜂が可哀想であるが、家の前は通学路でもある。致し方ない・・・ 蜂さんどうぞ許してください。


2013.5.30

興福寺国宝特別公開2013

現在、興福寺では2018年の落慶をめざして中金堂の再建をおこなっている。その資金を集める 必要があって、近年には種々の特別公開を実施している。今年は南円堂と北円堂の特別公開を している(6月2日まで)。南円堂は西国三十三所第九番札所として知られているが、現在の建物は 江戸時代に再建されたもので唐破風が付いている。普段は扉が閉められているが、中には鎌倉 時代の立派な不空羂索観音菩薩坐像(康慶作、右の写真)のと四天王立像(運慶作)が祀られている。 私はこれらを初めて拝観したとき"えっ、南円堂の中にこんな立派な仏さんがいらっしゃつたの か!"と驚愕した。北円堂は1210年に再建された建物で、興福寺伽藍で今残る堂宇の中で最も古い。 鎌倉時代の建物であるが、奈良時代創建当初の姿を良く残し、華麗で力強く、優美な建物である。 中には、運慶の代表作といわれる弥勒如来坐像と無著・世親菩薩がおわします。さらに、平安時代 初期の作といわれる木心乾漆造の四天王立像が祀られている。興福寺は何度も戦火・火災にあい ながら、これだけ多くの古い仏像を護持してきたものだ・・・と感心すると共に先人の努力に頭 が下がる。


2013.5.27

好日

四月に人間ドックにいって、赤血球数が381, ヘモグロビンが11.8, ヘマトクリットが34.6で 貧血症だと言われ、再検査を1ケ月後にするようにと指示された。先週再検査に行き、今日その 結果を聴きに行った。今回は正常値だった。前回の結果は、"竹の子づくし"の食事を連日してい た所為か???
私の通っている"大人のピアノ"教室の先生が変わられた。今度の先生はこの春に大学を卒業した という若い先生である。シンガーソングライターで「自分で作曲・作詞して、ピアノ を弾きながら歌う」とおっしゃる。日本全国をライブで回っておられるようで、なかなかの人 である。教えるときは「三拍子なのに四拍子のところがある・・・」などと手厳しいが、素敵な 先生である。レッスンの後に「New mini album "恋をしていた"(右の写真)を7月に出す。ワンマ ンライブを大阪のSoap opera classicsでする」といってパンフレットを下さった。「それじゃあ、 一曲弾いて歌ってください」とお願いしたら、ピアノを弾きながら歌って下さった。曲も歌詞も よかった。私はalbumがでたら買うことにした。


2013.5.17

花橘

昨年6月に武田尾温泉に1泊旅行した愚妻の女友達とその夫たち6人で1泊旅行を計画したのだけど、 1人が肺癌であると判明して中止になった。幸い手術が成功して元気になられた。"まだ1泊旅行は無理 なので昼食会をしょう"ということになって、今日、奈良公園内にある料理旅館"江戸三"に集まった。 食台の上に"五月の 花橘を 君がため 玉にこそ貫け 散らまく惜しみ (大伴坂上郎女 万葉集・巻8 1503)" と書いた紙が敷いてあった。そして、床の間には"薬玉"の絵の掛け軸が掲げられていた。なんとも奥ゆかしい 料理旅館で料理も美味しく接待も良かった。
食後、皆さんに我が家へ来ていただいて、花盛りの庭を見ていただいた。今年はシャクヤクが花を沢山つけて くれた。右の写真は、私が長年捜し求めて手に入れた、一重の白のシャクヤクで、その白の色合いが良く "高貴で品のある花だ"と思う。あなたのようだ!!!


2013.5.16

東大寺法華堂の拝観再開

平成22年から3年かけて東大寺法華堂の須弥壇の解体修理がおこなわれると共に諸尊像の補修がおこなわれた。 5月18日から一般公開が再開されることになり、その前の16、17日に報道陣・関係者に拝観させるというの で招待状を頂いた。それで、乗馬を終えたら早々に家に帰って、東大寺法華堂へと歩いて行った。私の家から 15分ほどでいける。途中に、東大寺大仏殿の裏を通る。強い風が吹いていて、東大寺大仏殿の風鐸(仏堂や仏 塔の軒の四隅などにつるす青銅製の鐘鈴)がガラン・ガランと大きな音をたてていた。風鐸の音を聴 くのは久しぶりで、私は立ち止まって、暫く耳を傾けた。東大寺法華堂には15:20頃着いた。堂内には、 不空羂索(ふくうけんさく)観音菩薩、梵天、帝釈天、金剛力士(阿・吽)、四天王から為る9躰の乾漆像 、背面の厨子内に執金剛神(秘仏)が安置されていた。埃が無く"綺麗におなりになったなあ"と感じた。 塑像である日光菩薩、月光菩薩、弁財天、吉祥天、木造の地蔵菩薩、不動明王は免震装置を完備した東大寺 ミュージアムに安置することになったようで、法華堂では拝観出来なくなっていた。少し寂しいが、保存の ためにはやむをえないのであろう。不空羂索観音像の前・両脇に日光菩薩像と月光菩薩像がお並びになった 以前の写真が貴重になった。記念品としていただいたDVDには、修理の様子が詳細に記録されていた。


2013.5.10

我が家の太陽光発電: 設置から2年

福島の原発事故を契機に我が家では太陽光発電装置を導入した。シャープ製住宅用太陽電池 モジュール(ND-163AW: 1165x990x46mm, 14.5kg)を18枚(: 最大出力2.934kW)を設置した。 費用は280万円であった。設置から2年経過したのでその結果を整理した。
月毎の発電量を棒グラフで右に示す。青(左)が1年目の発電量、緑(右)が2年目の発電量である。 天候により発電量は変化するが発電性能の劣化は見られないと思う。発電量は冬季の11,12,1,2月に かなり減少した。
採算面から見てみよう。 1年目に関電に売った電力の代金が 97,680円、関電から買った電力の代金が94,114円であった。 2年目に関電に売った電力の代金が105,600円、関電から買った電力の代金が91,258円であった。 2年間でオール電化の生活をさせていただいた上で、関電からは17,908(=3,566+14,342)円頂いた。 平均で1年に8,954円頂いた。さて、太陽光発電装置を導入する以前の1年間に我が家では、 電気代を122,646円、ガス代を95,855円、合計で218,501 円払った。太陽光発電装置を導入したこ とにより、1年間で約20万円(218,501+8,954=227,455)の光熱費が浮いたことになる。初期投資が 280万円であるから14年間で初期投資が回収されることになる。ちなみに、本装置の保証期間は10年 である。
我が家の月別の電力消費量を棒グラフで右に示す。青(左)が1年目の電力消費量、緑(右)が2年目 の電力消費量である。冬季11,12,1,2,3月の電力消費量が我が家の太陽光発電量を大きく上回っている。 1年目の発電量の総量が3141kWhで電力消費量の総量が5971kWh、 2年目の発電量の総量が3326kWhで電力消費量の総量が5805kWhであった。我が家で使う電力の全てを 太陽光発電で補うためには現在の2倍パネルを設置すべきであった。
関電に売った電力の代金と関電から買った電力の代金がほぼ同じであったのは、購入電力の料金が 消費時間により異なること(1kWhの料金はデイタイム:10-17は28.02円, ナイトタイム:23-7は8.19円, リビングタイム: 7-10,17-23は21.64円であった。お湯は料金の安いナイトタイムに沸かして貯蔵)と 関電に売る電力の料金は、太陽光発電を奨励するために値段を高くしてある(我が家に太陽光発電装 置を設置した時点では1kWhの料金は48円(10年間固定))ことによる。


2013.5.3

信楽作家市

毎年5月の連休に滋賀県の陶芸の森で「しがらき作家市」が開催されている。100名を超える 陶芸家が出展し、作家自らが作品を展示販売している。作家に作品について色々訊くこと が出来て楽しいので、私は都合のつく限り出かけることにしていて、今年も行った。数年前の 「しがらき作家市」で知り合い、その窯も見学させていただいたこともある"藤本秀"さんの作品 を今年も買った(右の写真の壺で、庭からオオヤマレンゲを切ってきて挿した)。一昨年に枡形花器 を買って随分値引きしていただいたので「今年は値引き交渉せずに買います」と言ったら、 「それじゃあ、ぐいのみ一つ差し上げます」とおっしゃった。私は「それより、この皿をいただけ ませんか?」と訊ねたら「いいですよ」との返事が返ってきた。
一輪挿し、食器、睡蓮鉢、植木鉢を買い、伊賀焼の陶器市も観て、帰ってきた。骨董品もいいけれど、 現在活躍し且つこれから伸びようとする作家の作品を自分の目で見て買うことも大切だと思う。 信楽や伊賀には優れた作家がいらっしゃる。


2013.4.28

九重・阿蘇・高千穂・竹田

愚妻に「阿蘇に連れて行く」約束をしてから数年になる。やっと今回それを実行した。 自由人なので連休は避けることにした。さらに、天気が良くないと駄目なので、天気予報を見て 出発の5日前に決定し、レンタカーと旅館の予約をした。
24日7:57近鉄奈良発の電車に乗り、12:48に別府に着いた。家を出る時は小雨が降っていたが、 別府では雲の間から青空が見えた。今回はレンタカーの旅行である。有料道路は一度も通らなかった。 13:30に別府を出発し、湯布院、水分峠を経て、やまなみハイウェイに入った。途中の由布岳登 山口では 由布岳(ゆふだけ、標高1,583m)の山頂は雲の中であったが、16:00飯田高原の長者原 ビジターセンターに着いたときには三俣山(みまたやま、標高1,744.8m)の山頂を見ることが出 来た。センターの係員に尋ねると「隣接する"タデ原湿原(九重火山群の山麓湧水地につくられた 湿原)"にキスミレ、サクラソウ、リュウキンカ、ハルリンドウが咲いている」と言われたので、 見学に行った。17:00迄に到着されたいと言われていた筋湯温泉の旅館にギリギリセーフで到着し た。温泉に入って汗を流したのち18:00から夕食。
1: タデ原湿原 2: 杵島岳山頂にて、背景は阿蘇 中岳・高岳 3: 中岳火口
25日7:00起床、入浴。8:00朝食。9:00チェクアウト。再度"タデ原湿原"に行き、10:10まで木道を 散策し、美しい景色を楽しんだ。再びやまなみハイウェイを進んだ。イギリスの田園を思わせる なだらかで広大な牧草地の広がるスケールの大きな景色であった。途中の湿地的な牧草地にピンク の部分があったので、車をとめて見に行ったら、サクラソウの大群落であった。エンゴサクの 大群落もあった。城山展望所からミルクロードに入り12:30"大観峰"に着いた。大観峰のレストラン で"だご汁定食"を食べた。"だご汁"とは団子汁で、熊本・大分の庶民の食べ物らしい。今回の旅行 で私は4回食べた。里芋、大根、人参、牛蒡、団子(米粉または小麦粉でつくった団子で、丸いもの、 平たいもの、細長い板状のもの等があった)を白味噌とだし汁で煮たものであった。13:10"大観峰"を 出発、阿蘇を経て、阿蘇パノラマラインに入り14:30草千里ヶ浜に着いた。そこから杵島岳(きじまだけ、 標高1,270m)に登った。今から25年程前に、父と母を連れて阿蘇に行って、杵島岳に登った。 父も母もよく登ったとその時思ったが、私の今の年齢がその時の父の年齢だと思い至って感慨一入で あった。18:30阿蘇市坂梨の宿に着いた。この宿の部屋や廊下に素朴な"野の花"が美しく生けて あった。
4: ハルリンドウ 5: キスミレ 6: サクラソウ
26日7:00起床、入浴。8:00朝食。9:00チェクアウト。宿の庭に種々の野の花が植えられており 「それを摘んで部屋や廊下に生けている」とのことであった。出発前に宿の女将さんが庭を案内して 下さった。「今日は何処へお出かけですか」と訊かれて「九重・阿蘇を周ったのだけど何処か良い所 ありますか」と訊ねた。「阿蘇中岳から高千穂へ行ったら如何ですか。高千穂から蘇陽へ行って 幣立宮へ行ったら如何ですか」と言われた。"それは良い案だ"と阿蘇中岳へ行き火口を見物した後、 高千穂へ行き、天孫降臨の伝承地である高干穂神社に参拝した。この神社を周遊する遊歩道で、宿で 手渡された"握り飯と水"で昼食を摂った。その後、蘇陽へ行って幣立神宮(へいたてじんぐう)に参拝 した。幣立神宮は「高天原・日の宮」で主祭神は神漏岐命(かむろぎのみこと)・神漏美命(かむろみのみこと) であった。境内には樹齢二千年という五百枝杉(いおえすぎ) が生えており、神社の古さを実証していた。 参道脇にはイチリンソウが美しい花を咲かせていた。ここを教えてくださった宿の女将さんに感謝・ 感謝である。その後、狭い山道を心細い思いをしながら通り抜け、この日の宿泊地竹田に17:30に着いた。
7: 高干穂神社の御神木 樹齢800年 8: 幣立神宮の御神木:五百枝杉 樹齢2000年 9: 岡城址に建つ滝廉太郎の像 後は九重連山
27日7:00起床、入浴。8:00朝食。9:00チェクアウト。竹田(たけた)は岡藩七万石の城下町として開けた 歴史ある町である。宿は文人画家田能村竹田(たのむら ちくでん、1777-1835年)の生家に隣接した 高台にあった。宿から徒歩で武家屋敷通りを経て、岡城址まで行った。竹田で少年時代を過ごした 滝廉太郎が「荒城の月」を作曲する舞台として知られている岡城址は、石垣のみが残っていたが 予想以上に大きくて立派であった。天守閣跡からは九重連山・阿蘇山・祖母山を眺めることが出来た。 11:30宿を立ち12:30別府に着きレンタカーを返却した。14:20別府発の列車に乗り20:00奈良の自宅に帰着 した。連休前で道路も宿も閑散としていた。天気にも恵まれて楽しい旅行が出来た。感謝・感謝。


2013.4.21

アケビの花

数年前の秋、山へ行ってアケビの果実を採ってきた。白い果肉を食べた後黒い種を吐き出して 庭にばらまいておいた。そしたら芽が出てきたので支柱を立てておいた。そのアケビが今年 沢山の花を付けた。こんなに沢山花が咲いたら実も沢山なるだろうがツルが細すぎるなと思っ た。美しい花なので写真に撮った。図鑑で調べると"花には3個のガク片があり雌雄同株。 雄花は花序の先に数個付く、雌花は花序の基部に1個付き雄花より大きく柄も長い。"とあった。 右の写真の上部が雌花、下部が雄花と判明した。注意して観ると、雌花は少なく数個しかなかった。 実がなっても数個である。それなら"今のツルでもその重みに耐えられる"と納得した。 果実が大きくなっていくのが観察出来そうで、楽しみである。


2013.4.12

カタクリの花

私は大学四年生・大学院修士課程時代に量子化学研究室にいた。同級で同じ研究室にいた 友人から「高槻の北の方にある小塩山にカタクリの花が咲いているから行かないか?」と 誘われた。それは面白そうだから連れて行ってくださいとお願いした。もう一人の先輩も 参加されることになり三人(昨年、芦生の森へ行ったのと同じメンバー)で出かけた。 大原野森林公園の入り口付近に車を止め、谷川沿いに小塩山山頂方面へと登って行った。 ニリンソウの群落があり花がチラホラ咲いていた。さらに進むと道沿いにカタクリの群落 があり美しい花を付けていた。 花を付けた"エンレイソウ、ミヤマカタバミ、フタバアオイ、アオイスミレ、シハイスミレ、 ツクバキンモンソウ"も見ることが出来た。尾根に出たところで昼食をとった。小塩山山頂 付近の谷にカタクリの大群落があった。西山自然保護ネットワークの方々のボランティア 活動のおかげでこの大群落が保たれている様であった。有難いことだ。カタクリの花も最 盛期一歩手前で、最も美しい時であった。連れて行ってくれた同級生が良いタイミングを 選んでくれていたのだ。ナント、彼は「今週で三回目」と言っていた。"ギフチョウも舞う "ということであったが、少し寒い天気で、残念なが見ることは出来なかった。サクラ、 タムシバ、キブシ、コバノミツバツツジ、ミヤマシキミ、クロモジ等の樹木の花も見ること が出来た。感謝・感謝。


2013.4.10

山シャクヤク

義母がヤマシャクヤクを庭に植えて大切にしていたが、その花を見ることなく亡くなった。 そのヤマシャクヤクが今年になって初めて花をつけた(右の写真)。庭に植えてから10年ほど たって漸く花をみせてくれた。美しい清楚な花で、心をさわやかにしてくれる。
我が家の庭も花盛りである。ロウバイ、ウメ、サンシュユ、ヒュウガミズキ、ユスラウメの花 が散り、今はヤマブキ、シュモクレン、シャクナゲ、スオウ等の花木に加え、ユキワリソウ、 イチリンソウ、ニリンソウ、スミレ、サクラソウ、イチハツ、ヒトリシズカ、マイズルソウ、 ムスカリ、バイモ・・・等々の草花が咲いている。一年で一番はなやかな季節である。この うちの幾つかの花を切ってきて花瓶に生け、のんびりと幸せな時を過ごさせていただいている。 感謝・感謝。


2013.4.6

映画 Amour (愛)

映画好きの友人がハエケ(Michael Haneke)監督の映画「愛、アムール」のことを知らせてくださった。 「パリの高級アパルトマンで悠々自適の老後をおくる夫妻(夫を演じるのはJean-Louis Trintignant:写真左 、 妻を演じるのは Emmanuelle Riva:写真右)の日々が、妻の発病で一転する。そして・・・」と。 この映画を観ようと決めた私は、恒例のテニスが雨で中止になったので、本日京都まで出かけていった。 車椅子生活になっても、誇りを失わず毅然と気高く過ごし、それを支える夫との生活。それも、病状の悪化、体力 の衰えとともに困難になっていく・・・。誰もが避けて通ることのできない「老い」、「死」と「尊厳」、 「思いやり」、「愛」を考えさせてくれる映画であった。フランスでも直面する事態は日本と似ているね・・・。 さあ、私はどのような死に方ができるのだろう・・・。


2013.4.5

竹の子

今年も竹の子のシーズン到来である。山城産の竹の子をいただいたので早速調理した。 竹の子ごはん、竹の子の土佐煮、竹の子の若竹煮を作り、庭から山椒の若葉を摘んで来て ふりかけた(右の写真)。これに菜の花の油炒め、土筆の油炒め、わさびの花・若葉の醤油漬 けを加えて我が家の食卓は春満載である。これだけでは動物性蛋白質が無いので、うるめいわし を焼いて加えた。これらは私の大好物で満足・満足である。
愚妻はにんまりしながら「貴方の竹の子料理は美味しいから、錦水亭(京都の竹の子料理の老舗)へ 行かなくてもいいね」と言った。私は応えた「いや、調理の参考になるから行かなくてはならない・・・」 と。


2013.4.3

法華寺のひな会式

法華寺では毎年4月1日から1週間、善財童子の小像55体をご本尊十一面観音像の前 にお祀りして、光明皇后御忌の法要がおこなわれる。善財童子の小さな人形(高さ20~30cm) が「ひな」と言われていたことに由来して"ひな会式"と呼ばれるようだ。この期間には、 国宝十一面観音像が特別開扉され、毎日1回法華寺尼僧と全国各地から出仕した尼僧による 法要がおこなわれる。本日は14:00から・・・というので私は13:30に法華寺に行った。混雑 しているかと予想していたが、50人程の参拝者がいただけであった。ご本尊の前に腰を下ろし 右の写真のように祀られたご本尊十一面観音像や善財童子の小さな人形を拝観しながら法要の 開始を待った。14:00きっちりに9人の尼僧が、入堂され堂内をゆっくり回られた後、読経・ 散華・転読がおこなわれた。優しい響きのゆっくりと唱和したお声明は、美しいお姿と相ま って、うっとりするくらい優しく心に染み入った。樋口教香尼の法衣の姿は凛として美しい。


2013.3.30

長女の子供達の来訪

29日に東京に住む長女の2人の子供達:男の子(16才)と女の子(14才)が奈良に遊びに来た。もう 大きいので2人だけで来て、長女は来なかった。2階に寝室を与えた。階段を降りてくるとき "パタパタパタ"と軽快に降りてくる。私は手すりを持って一歩一歩慎重に降りてくる癖がついて いるので"パタパタパタ"という音を聞いて、「若いのはあれだな。自分は歳をとったな。」と感 じた。
今日は快晴であったので、明日香へ行った。観光客で賑わっていた石舞台を通り越して、 稲淵から栢森へ行った。女の子の名前は飛鳥である。飛鳥川の源流まで行った。細い道であるが、 吉野へ貫ける古道で歴史を感じさせる。栢森の古民家で昼食をとった後、甘樫の丘へ行った。 右の写真は、頂上で畝傍山を背景にとったものである。スモモの白い花が花盛りであった。 その後、天の香具山に行き、頂上の神社に参拝して、帰路についた。


2013.3.24

次女と子供達の来訪

21日に東京に住む次女が3人の子供を連れて奈良に来た。7才と5才の女の子と1才の男の子を連れて きたので我が家は子供達の声が響きわたっている。障子もボロボロになった。22日の朝、みんなで 土筆採りにテニススクールに隣接する田んぼの畦道へ行った。写真は元正天皇佐保山陵の脇を歩い ているところである。重い心臓障害で生まれ、生後7ヶ月で亡くなった長男が生きておれば3才であ る。幸いにして、3人の子供は元気で、次女も幸せそうで大慶である。ありがたい事である。感謝・ 感謝。米国から夫君が帰ってくるというので25日に東京へ帰っていく。


2013.3.13

お水取り

私は奈良に長年住んでいるが、13日の午前1時半頃に若狭井から観音さまにお供えする「お香水」 を汲み上げる儀式「お水取り」は拝観したことが無かった。天気予報をみると13日深夜の最低気温 は6℃と例年に無く暖かであったので出かけて行った。13日の午前0時頃に二月堂に着いた。 練行衆とならなかった東大寺の坊さんも袈裟を着て二月堂へと向かわれていた。私は局(つぼね)と 呼ばれる二月堂の内陣の外側にある部屋の一つに入って、内陣でおこなわれていた練行衆による 悔過作法、大導師の祈り、咒師(しゅし)作法、走りの行法を拝観させていただいた。この間に「お香水」が 参詣者に分け与えられた。私の前に座っていた女性が手を差し出して、香水杓から少しの「お香水」 を掌にたらしていただかれた。その女性は私に「少し分けてあげる」と言って、差し出した私の掌 を叩いてくれた。私は少し湿ったその掌に唇をあてた。
1:40に勤行を中断して「お水取り」が始まった。灑水器と散杖を携えた咒師が先頭となり、牛玉杖 と法螺貝を手にした5人の練行衆が南出仕口を出ていかれた。咒師童子が抱える咒師松明が行列を 先導し、篝火と奏楽の中、堂童子、御幣を捧げ持つ警護役の講社の人たちや、汲んだ水を入れる 閼伽桶を運ぶ庄駈士(しょうのくし)も同道して石段を下り、途中興成神社で祈りを捧げ、 閼伽井屋(若狭井)に到着した。咒師、堂童子等が閼伽井屋の中に入り水を汲まれた。この水は 「お香水」と呼ばれ、二荷ずつ、閼伽井屋と二月堂の間を三往復して、お香水が内陣に納められた。 写真は閼伽桶を運ぶ庄駈士。この後、堂内では「達陀(だったん)の行法」があるようであったが、 時刻は2:20であったので家に帰った。


2013.3.8

修二会

東大寺では3月1日から14日まで二月堂において修二会の本行が勤められる。行中の3月12日 深夜(13日の午前1時半頃)に若狭井(わかさい)という井戸から観音さまにお供えする 「お香水(おこうずい)」を汲み上げる儀式が行われる。それで、修二会は「お水取り」と も呼ばれている。この行を勤める練行衆(れんぎょうしゅう)の道明かりとして、本行が勤 められる夜毎19:00に大きな松明(たいまつ)に火がともされる。3月12日は多くの見物客で 混雑するので、私は夕食を早く済ませて、今夜出かけて行った。我が家から20分ほどで二月堂に 着いた。18:45であったが、二月堂の前は拝観者で一杯であったが、少しは余裕があり、階段 に腰を下ろして松明を待った。19:00に周りの照明が消され、11本の松明が二月堂の前を走っ た。11本の松明は、11人の練行衆それぞれが二月堂に参内する足元を照らすためのようである。


2013.3.4

国見山

愚妻は"野草散歩の会"に参加で早朝から出かけて行った。私は家でピアノを弾いていたが、あまりにも いい天気なので、急遽弁当を作って、以前から登りたいと思っていた国見山に登るべく出かけて行った。 国見山というのは奈良にも幾つかあるが、今回の国見山は家から車で20分ほどで麓の長谷町に着ける。 麓の道路わきに車を止め、20分ほど歩くと日吉神社に着いた。途中にある数軒の農家は廃屋となっていて、 竹が屋根を突き抜けて生えていた。さらに10分ほど歩くと海抜660mに位置する"搭の森"に着いた。 そこには台座のうえに六重の笠石が重ねられた石造塔があった(右の写真)。説明書によると「元は二重 基壇の上に建つ六角十三重塔で奈良時代末製作の経塚と推定される。」とのことである。さすが奈良で ある。"こんな山中に立派な史跡がある"と感心した。そこに"国見山まで25分"の道標があった。ところが そこからが大変であった。熊笹が道を覆っていた。途中で断念しようかと思うほどの"藪こぎ"をしなけれ ばならなかった。古道なのだけど、最近は通る人が少ないようだ。40分ほどかかって国見山山頂(海抜680m) に着いた。生駒、葛城、金剛、大台の山々が一望できた。そこで弁当を食べて、もと来た道を戻った。 途中で"フキノトウ"を摘んで、夕食の菜とした。香りがいいね。


2013.3.1

古い柱時計

結婚祝いに友達から頂いた古い柱時計が動かなくなった。結婚祝いだから45年ほどになる。身近に あったものなので愛着もあり、修理のできる時計屋さんに持っていった。顔見知りの店主が一目見て 「古いですなあ。40年以上前のトランジスター時計ですね。これは部品が手に入らないので直りま せん。」と言われた。以前には60年以上古いのを修理して頂いたのであるが、トランジスター時計は 駄目らしい。「ボーン、ボーン」という打音が気に入っているので残念である。諦め切れない私は 家に帰って、長針・短針を外し、文字盤を外して時計油をさした。何度か調整している間に動くよ うになった。動き出して今日で3日になる。暫く、使えそうである。メデタシ・メデタシ。


2013.2.22

大竹しのぶのピアフ

2011年秋に初演で好評だつた大竹しのぶの舞台『ピアフ』の再演の切符を手に入れることが出来たので 行ってきた。場所は大阪森之宮ピロティホールである。12:00に家を出てJR森之宮駅に13:00に着いた。 森之宮ピロティホールの近くの食堂でトンカツ定食を食べた。まさに30年以上前の"洋食"でボリューム たっぷりであったが結構美味しくて綺麗に食べた。料金は900円であった。13:40会場に入った。エディット ・ピアフの歌と恋に生きた激動の人生を数多くの名曲とともに綴ったこの舞台は、大竹しのぶならではの 迫力みなぎる演技と歌唱で観客を魅了した。会場は満席で立見席も人であふれていた。こうした場所で いつも感じるのは男性が少ないことである。ウイークディだからそうなるのであろうが、男性は10%にも 満たなかった。


2013.2.18

法事

岐阜県美濃市で叔父の33回忌の法要があるというので出かけて行った。車で6:30に家を出て9:50に 美濃市の従兄弟の家に着いた。そこは私の母の実家で、私は母が亡くなってから父が戦争から帰還 するまでお世話になった。また、小学校、中学校時代は、毎年1月1日から7日まで、4月3日から6日 まで、8月14日から24日まで滞在して従兄弟たちと遊んだ。農家であったので、農家の生活も体験さ せていただいた。10:00から近くの菩提寺で法要。10:30に墓参。その墓地には私の母が葬られており、 私は家から持参したビシャコとスイセンを供えて手を合わせた。母が亡くなった時私は4才であっ たが、深く掘った穴に母の遺体を埋めた時の悲しさと寂しさが、今でも蘇ってくる。11:00から従兄 弟の家で法要。12:00から美濃市のホテルで食事。年寄り同士が集まって"昔話"や"近況"を語り合っ た。15:00に皆に別れを告げ、関市にある墓に参り、88才になる母(父は再婚した)を見舞った。16:00 関市を発ち19:00奈良に帰着した。


2013.2.16

フィンランドのくらしとデザイン展

今日は神戸大学でテニスをする日である。大学から少しはなれたところに兵庫県立美術館がある。 そこで「フィンランドのくらしとデザイン ムーミンが住む森の生活」展が開催されているとい うのでテニスの前に観覧させていただこうと出かけていった。小雪のちらつく寒い日であったが 会場は賑わっていた。国土の80%が森と湖だという"スオミ(フィンランド語でフィンランドの通称)" の文化・精神を伝えようと企画されていて、堪能させていただいた。今年の夏は北欧に行こうかな。


2013.2.8

我が家の断熱対策

我が家は断熱性能が悪く、寒い日にはエアコンを運転し続けても12゜C 程度にしかならない。これを 改善すべく、先ず窓ガラスをガラスとガラスの間に真空層をもうけた日本板硝子社の真空ガラス:スペ ーシアに換えることにした。その断熱性能は一枚ガラスの約4倍、一般的な複層ガラスの約2倍であり、 従来のサッシがそのまま使えるというので、これを選んだ。今回は、ピアノのある応接室、台所、テレ ビのあるリビングルームに絞って実施した。費用は39万円、3時間ほどで設置は完了した。
今日は寒く、日中に雪がちらついていた。窓ガラスを真空ガラスで置き換えた効果をためすには絶好で ある。エアコンを運転し続けたら20゜Cになった。もう少し寒い日もあると思うが、私はこれで十分で ある。良かった。良かった。
満足して庭を眺めていたら、ヤマガラ(右の写真)が飛んできてサンシュウの木にとまりツーピー・ツー ピー(良かった・良かった)と鳴いてくれた。 

2013.2.4

我家の太陽光発電 報告(19)

関西電力から昨年12月と本年1月の受給電力量(こちらから関電に売った発電量)と使用電力量(こちらが関電 から買った電力量)の通知があった。昨年12月の受給電力量が64kWh、使用電力量が775kWh(デイタイム:70kWh, ナイトタイム:269kWh, リビングタイム:436kWh, 1kWhの料金はそれぞれ28.02円, 8.19円, 21.64円)であった。本年1月の 受給電力量が60kWh、使用電力量が655kWh(デイタイム:74kWh,ナイトタイム:236kWh, リビングタイム:345kWhであった。 関電に売った発電量の値段が昨年12月が3,072円、本年1月が2,880円(1kWhの料金は48円)。関電から買った 電力の料金は昨年12月が14,119円、本年1月が12,113円であった。我家の昨年12月と本年1月の各日の 発電量/消費量を示すモニターの画面を写真に示す。やはり12月と1月は消費量が発電量を大幅に超えている。 ちなみに・・・2011年12月の受給電力量は65kWh、2012年1月の受給電力量は69kWhであったから発電性能は 衰えていないと思われる。
太陽光発電を奨励するために、受給電力の値段は高くしてある。我が家に太陽光発電装置を設置した時点では 1kWhの料金は48円(10年間固定)であったが、現在は1kWhの料金は42円(10年間固定)となっている。来年度から はさらに引き下げられる様相である。


2013.1.27

田中一光

愚妻は短大時代の教え子の結婚式だと言って出かけて行った。そういうば、私は結婚式にでることも 殆ど無くなった。昔は年数回という年もあったのだけど・・・。年賀状で、卒業生のお子さんが、 小学生、中学生、高校生、大学生・・・と知って驚くのだから当然である。
風邪も少しだけ良くなったので、奈良県立美術館で開催されている"世界的グラフィックデザイナー 田中一光の没後10周年となる回顧展"を観に行った。田中一光氏の造形的な業績にスポットを当て、 版画・グラフィックアートを中心に展示してあり、創意の軌跡をたどれるよう工夫してあった。 また、休憩室で上映されていたビデオは、田中一光氏のお人柄を知るのに有用であった。
1月の第4土曜日は若草山山焼きの日である。18:00から花火が打ち上げられ、18:15に点火される。 この山焼きは我が家の2階から見物することが出来る(右の写真)。今年は天気も良く、ススキも良く 乾燥していたようで、勢い良く燃える"火の祭典"を見物させていただいた。  


2013.1.25

我が家の防寒対策

昨年末、娘の家から帰ってきた愚妻が「娘の家は暖かくて汗がでてくる。ナンデ私達がこんな寒い 家に住まなければならないの!」と吼えた。「暖かくて快適なマンションに引っ越そうか?」と言っ たら「イヤよ。あと10年間はここに住む」と宣言した。我が家は築後30数年の家で、最近の新築の 家と比べると断熱性・気密性で劣る。私は「窓ガラスを真空ガラス(2枚のガラスの間に0.2mmの真 空層と熱の放射をおさえるコーティングしたもの)にしよう」と提案した。愚妻は「床暖房にし、 天井に断熱材入れ、壁も・・・、真空ガラスにしても寒かったらどうするのよ」と主張する。 「愚妻は思い込みが強くなって困る」と友達にぼやいたら「女は年をとるとそうなるの・・・」だって。 建築屋さんに来ていただいて「真空ガラスで駄目だったら、天井の断熱、それで駄目だったら床暖房 をしたら如何ですか」と愚妻の納得が行くように説明していただいた。私が論理を尽くして説得しても 納得しない愚妻が、なぜか納得した。メデタシ・メデタシ。


2013.1.23

風邪を惹いた

気の緩みか・・・???風邪を惹いちゃった。病院へ行って診察していただき薬をいただいて ぐったりとして寝転び小説を読んでひたすら安静にしている。鼻水が出て喉が痛く無気力でピ アノを弾く気にもならない。ピアノも元気でないと弾けないんだ・・・と実感している。亡く なった父が風邪が治りかけたとき「お茶が美味しくなったからもう大丈夫だ」と言っていたが、 お茶さえ飲みたくない。健康であることがどんなに有難いことか・・・と思い知らされている。
ボウーとしながら庭を眺めていると、クロガネモチの実をシロハラ(写真の鳥)が食べに来た。 シロハラが去ると、メジロがきた、次いでヒヨドリが来た。それをシロハラがおっぱらって自分 のものだというように見張りをしていた。そこへ2羽のヒヨドリが来た。シロハラは追っかけて 行った。その隙をついて、もう一羽ヒヨドリが来てクロガネモチの実を食べた。


2013.1.15

予期せぬ出来事

近くにありながら一度も泊まったことのない有馬温泉の旅館に宿泊してゆっくり温泉に浸ろう と計画した。TV番組「料理の鉄人」でも名を馳せた大田忠道監修の本格料理を味わう事のできる ”お料理に主眼を置いた有馬の湯宿、部屋は寝るだけで・・・”の宿を選定し、14日の14:00に 愚妻を車に乗せて家を出た。15:30に有馬の温泉宿に着いた。宿のあたりには雪が数センチ積も っていた。早速、温泉に入り、ゆっくりくつろいで,18:00から夕食をいただいた。創作料理と いう感じであり、食事の進行状態を見ながらタイミング良く料理が出てきたし、美味しかった。 満腹の後の散歩をしたかったが外は寒すぎるので断念し、再度温泉に入った。金泉という鉄分の 多い赤茶けた湯と銀泉という透明で塩分の強い湯があり、温泉も上質であった。寒い奈良の我が家 と比べて、暖房が利きすぎて、エアコンのスイッチをLOWにしても暑くOFFにして眠った。8:00から 予約していた朝食の前に、温泉に入り部屋に戻ると、先に温泉から戻っていた愚妻が「手がしび れて、気分が悪い」といった。彼女は高血圧であり、脳梗塞をおそれて・・・「朝食はやめて、 近くの病院へ行こう」ということになった。車で10分程で兵庫県立済生会病院に着いた。「この 病院には脳外科は無いので近くにある病院に行かれたら・・・」と言われた。愚妻は少し落ち着 いてきたのか「奈良まで帰っていつもの病院に行く」と言った。10:30に奈良に着き、罹り付けの 病院で看ていただいた。「MRIとCTを見て、異常はありません」と言われて、薬だけ頂いて帰って きた。年をとるといろんな予期せぬ出来事が多くなります。


2013.1.10

私の好きな食べ物 (25) 豆乳鍋 

乗馬クラブへ行った帰りに、葛城山麓にある豆腐屋さんに寄り、豆腐、厚揚げ、薄揚げ、豆乳を 買った。「今日は豆乳鍋だ」と宣言し、家にあった野菜から里芋、かぶら、人参、エノキダケ、 カリフラワーを選び、適当にきざんで鍋に入れ、厚揚げと豆腐を加え、だし汁と薄口醤油で炊いた。 野菜が煮えたら豆乳を加え、IHヒーターで温めてフーフー言いながら、熱々の豆乳汁を食べた。 お碗に3杯も食べた。殆どこれがメインの夕食であった。完全な精進料理である。寒いときは、 体が温まり且つ美味しい。


2013.1.5

神戸大学でのテニス

今年最初のテニスをしようと神戸大学へ行った。着替えをしようと理学部の学舎に入った。 そこで理学部化学科の若い教授に会い挨拶を交わした。1月5日土曜日の午後1時頃であっ た。着替えをすませてセミナー室を覗くと、先ほどの教授と学生さんがセミナーをしていた。 ああ、頑張っていらっしゃるな・・・と嬉しく且つ頼もしく思った。
テニスには8名のメンバーが揃った。神戸大学のテニスコートも昨年夏にオムニコートにな った(右の写真)。厳寒に備えて行ったのであるが、快晴で暖かくテニス日和であった。"今年 も元気で楽しめますように・・・"と祈りつつ初テニスを楽しんだ。
テニスを終えて、着替えに学舎へ行く途中で、美しい女性にこえをかけられた。「加藤先生・ ・・」と、だが私には誰だか分からない。すると「・・・です。・・・」と言われて、ようやく 分かった。神戸大学でも、数少ない女性教授の一人であった。ああ、この人も元気で頑張って いらっしゃるな・・・と嬉しく思った。


2013.1.1

年の初めに

2013年元旦の奈良は快晴であった。起きて顔を洗い、初日を遥拝した。コンロで炭をおこし 御餅を焼いた。大根と小芋を煮込んだ白味噌の汁に焼餅を入れると我が家の雑煮は出来あがる。 岐阜県関市で生まれ育った私は、結婚当初はこの雑煮にとまどったが、飼いならされて今では この雑煮も美味しくなった。今年は愚妻と2人だけの正月で、静かで落ち着いた元旦である。 正午に家を出て、漢国神社、興福寺、春日大社、手向山神社、東大寺を参拝して家に帰ったら 16:00であった。参拝の人を見て気が付いたのは、1) 着物を着た人が殆どいない。2) オーバー コートを着た人が少なく、ダウンジャケットやウインドコートの人が大半。3) エレガントある いは粋と感じさせる装いの人が皆無。・・・なんだか少しつまらいと思った。スカーフや帽子 等を旨く使った素敵な人が少ないのはどうしたことだ。神戸へ行けば・・・よく目にすることが できるのに・・・。
誰もが楽しく穏やかに元気に生活できる年であって欲しいと願う。人間は一人では生きて行く ことが出来ません。私も皆様に支えられて生活させていただいております。今年も宜しくお願い 致します。
正月の床の間に飾った写真の書は、恩師日野誠憲先生の作品である。先生の寺に伝わる蓮如筆の「南無阿弥陀仏」を サンスクリット語の経典を書き込んで浮かび上がらせたものである。細かなサンスクリット文字 を丁寧に書き込んで仕上げられた力作でそのお人柄をひしひしと感じることが出来る。


2012.12.27

年の瀬

昨日は今年最後のテニス、今日は今年最後の乗馬を楽しんだ。今年は三月に"ぎっくり腰"の 再発を経験し、それがもつれて四月末まで苦しんだ。"歳をとるということはこうなることだ" という体験をした。もうテニスも乗馬も出来なくなるかと思ったが、幸いテニスも乗馬も楽し めるようになった。しかし"ぎっくり腰"は何時再発するか分からないので用心・用心である。 テニススクールまで歩いて25分かかるが、歩いて行くようにして今も続けている。元気に歩い て行ける事に感謝している。歩きながら幸せを感じる。以前はなんでもなかったことが、快い ことだと感じるようになった。無理をせず、しかし、衰えないよう鍛えて行かねばならない。
右の写真: 庭のサネカズラの実をメジロが食べに来た。


2012.12.14

私の好きな食べ物 (24) カニなべ

愚妻が「今日は忘年会で京都に行くから夕食はいらない」と言った。私は「それでは少し豪華な夕食 を・・・」と買い物に行った。"カニなべ"をすることにしたが、簡単に食べられるようにと、ロシヤ 産のカニの抜き身(冷凍)をスーパーで買った。テーブルの上にIHヒーターを置き、ホーローのなべ に水を入れ、昆布・薄口醤油・日本酒を入れ、煮立ったところへ豆腐と白菜を入れ、再度煮立ったら、 カニの抜き身(水につけて解凍した)をシャブシャブとして、だし汁・みりん・薄口醤油・柚子の絞り汁 を合わせた漬け汁につけて食べた。カニが無くなったら饂飩をいれて食べ、次いで御飯を入れ煮立った ら玉子を入れてかき混ぜ雑炊にして食べた。この熱々の雑炊は冷えた体を暖かくしてくれて美味しかっ た。しかし、冷凍のカニを買ったのは失敗であった。カニでも"似て非なるもの"であった。魚屋さんで 生のズワイガニを買い、さばいていただくべきであった。

2012.12.12

衆議院議員総選挙

政治は多くの国民の生活に関する重要な決定をするだけに極めて重要である。政治家の役割は 重く重要であるが、私は政治家に不向きな人間であり、自分で判断して選挙で一票を投じるこ とで、国民の一人としての責務をはたしているだけである。新聞の報じる世論調査の結果によ ると、右翼的な政党が圧勝しそうで、困ったことだと感じている。最近の争点で重要と思われ る事項について私の考えを述べる。
(1) 憲法改正について
戦後の日本の平和と繁栄は、現在の憲法でもたらされた。改正を唱える人は右翼的・好戦的 な人が多く危険であると思う。軍事国家にならないためには現在の憲法は有用であると考える。 従って、憲法改正には私は反対である。
(2) 原子力発電について
安全のためには原子力発電を直ちに廃止するのが一番であるが、経済的なことを考慮して、 "原子炉の稼動40年を限度として廃炉にする。新設はしない。"と決め、徐々に原子力発電を 減らして行く。そして、太陽光発電など新しいエネルギー・技術開発をすすめていく。
(3) 外交・安全保障について
尖閣諸島問題を契機として、先鋭的な意見を述べ中国に対し強気に対応することを発言する人達が いますが、冷静に対応し実効支配を堅持しつつ、ジックリ中国の沈静化を待ち、共存共栄の道を 追求するのが良いと考える。日米同盟は安全保障の機軸。
(4) TPP交渉について
私はTPPのことは良く分からないが、米国、カナダ、オーストラリア等11ヶ国が環太平洋経済 連携協定(TPP)の交渉をしているのに、貿易立国で成り立っている日本がそれに参加しなくて良い とは思われない。農業団体などが中心になって反対しているが、"オレンジやグレープフルーツを 自由化したら日本のミカン農家は壊滅する"と宣伝されたことを思い出すと複雑な思いである。 TPPに参加したほうがより安全な経済圏を構築できるのでは・・・???
これらのことを考慮して、選挙公報と党首の発言を分析して私は、一番ましなのは民主党という 結論に達した。
右の写真は、春日大社で食事したとき付いていたお酒の入れ物に挿したサネカズラの実。

2012.12.7

我家の太陽光発電 報告(18)

関西電力から本年11月の受給電力量(こちらから関電に売った発電量)と使用電力量(こちらが関電 から買った電力量)の通知があった。受給電力量が114kWh、使用電力量が477kWh(デイタイム:22kWh, ナイトタイム:205kWh, リビングタイム:250kWh, 1kWhの料金はそれぞれ28.02円, 8.19円, 21.64円)であった。 関電に売った発電量の値段が5,472円(1kWhの料金は48円)。関電から買った電力の料金は8,720円 であった。我家の11月の各日の発電量/消費量を示すモニターの画面を写真に示す。10月と比べ、 発電量は半減、消費量は倍増した。22-24日の消費量が多いのは次女一家が滞在したためであり、 月末になるに従い消費量が増えているのは寒さが増してきたためである。


2012.12.2

当尾

当尾(とうの)の農家へ、先週に電話で予約しておいた漬物用の大根を戴きに行った。ついでに干し柿、 白菜、しいたけ、牛蒡も分けていただいた。その後、岩船寺の門前のお店にいった。そのお店は80才 位の姉妹が経営していて、昔懐かしい"団子汁”を食べさせてくれるので、私は何度か行ったことがあ る。80才位のおばあさんに"団子汁”を注文したら・・・「ねえさんが死んでしもたので"団子汁”は もうできませんのや。悪いですなあ・・・」とおっしゃった。「それは残念。あれどうやって作ります の?」と訊ねて、作り方を教えていただいた。そうこう話している間に、「姉さんの所へ行ったら、死ん でましてなあ・・・」と泣き出してしまわれた。私はカヤク御飯と御餅を買った。おまけに"ワサビの葉っ ぱの浅漬け"を下さった。さらにもうこれだけだからと"ワサビの葉っぱ"まで下さった。
帰り道に車を止めて、紅葉の美しい当尾の田んぼ道を散策した。畦道に腰を下ろして"カヤク御飯"を食べ た。だし巻きと柿が添えられた心のこもった"カヤク御飯"であった。美しいリンドウが畦道に咲いていた。


2012.11.25

七五三

22日に小学校と幼稚園が終ってから、次女が3人の子供を連れて奈良に来た。七歳になった次女の 長女の七五三参りに春日大社に行くためである。愚妻は要請に従って京都駅まで迎えに行った。 私は夕食の準備をして待っていたが「車中で少し食べた」とかで、あまり食べなかった。23日の 午後に、次女の夫君が奈良に来た。次いで彼らの友人であるアルゼンチン国籍とガテマラ国籍の 夫妻とその子供の4人が来た。一緒に食事をして家に帰ったら22:00であった。夫妻の子供の一人 は次女の長女と仲良しらしく我が家で枕をならべて寝た(2人は共に七歳で七五三参りにやってきた)。 24日11:00に春日大社へ行った。七五三の御祓い・祈祷を受けた後、社殿前で記念写真を撮った。 その様子のスナップ写真をご覧下さい(左が次女一家、右にその友人一家)。次女の長女が着ている のは、愚妻の子供の頃の着物である。レトロで最近の着物より趣があると思うが如何ですか。 次女に「七五三参りの記憶はあるか」と訊いたら「一度も無い」と断言した。「漢国神社に一度 行った記憶があるが・・・」と言ったら「それ姉ちゃんと違う?」と断言した。長女はなんと言う だろうか?25日私の作った"林檎ジャム"と"新生姜の梅酢漬け"が欲しいと言ってカバンに入れ東京へ 帰っていった。
(後補)・・・・・・娘達の七五三参りについて愚妻に尋ねたら「2人共行ってない。生後のお宮参り には2人共行った」そうだ。


2012.11.19

丹後半島・間人カニの旅

今年の松葉カニが解禁になった。雪の降る前に車で行こうと待ち構えていた。天気予報も良かった ので出かけていった。"いいものを少しだけ・・・本場の間人(たいざ)カニプラン"を選んだ。歳を とってきたので"満腹・・・もう食べられない"は止めた方が良いと思ったのだ。18日10:30に家を出 て13:00宮津に着いた。そこで昼食をとり、舟屋で知られた伊根行った。この頃から雨が降り出した。 この地方の冬の天候で降ったり止んだりが続いた。丹後半島をぐるりと周って、16:00に立岩のすぐ 近くにある温泉宿に着いた。これを料理しますと生きたカニを見せてくれたが、なんだかかわいそう であった。夕食は18:00からにして、早速海岸を歩きに出かけた。雨は止んでいたが、風が強く立岩に は大きな波が打ち寄せていた(左の写真)。宿に帰り、温泉に浸かってホッカリした後、カニ刺し、 焼カニ、湯でカニ、カニ鍋等のフルコースでとっても美味しいのだけど量が少ない・・・満腹感が無い。 なんか少しものたりない。・・・まあ、でも、これが好いんだと自分に納得させた。
19日7:00起床。快晴であった。8:00朝食、9:30チェックアウト。折角の快晴だから、丹後半島をゆっくり 周ることにした。先ず、城島へ行き水天宮に参拝、次いで間人港、そして前日のコースを逆戻りし、 屏風岩、犬ヶ崎、丹後松島等の美しい海岸線の各所を見物、京都府最北端の経ヶ崎に行き、山の中腹・北端 に建つ灯台(右の写真)を見物した。晴天で紺碧の海・青い空を背にした白亜の灯台は美しかった。 13:00天橋立・宮津湾を一望できる高台のレストラン(以前に食べて美味しかった。今回も美味しかった)で昼食。 その後、高速道路で、途中赤松PAで休憩。16:30奈良に帰着した。天候に恵まれ、丹後半島を満喫することができた。


2012.11.17

松野真理さんの個展

素敵な女性の裸体画を描き続けている神戸在住の画家"松野真理"さんの個展が神戸のGallery北野坂 で開かれている。私は毎週土曜日の午後、神戸大のテニスコートでテニスを楽しんでいる。その恒例 のテニスの前に、"松野真理"さんの個展を観にいこうと出かけていった。ところが神戸へ着いたら雨 であった。雨だからすいていると思って会場にいったら盛況であった。コラージュや油画の大きな作 品が素敵であるが、女性の裸体画なので、私の家では飾る所が無い。"松野真理"さんは近年陶芸教室 に行って、皿、花瓶等に得意な女性の画を描いていらっしゃる。これが特色あるものなので人気の様 であった。私もそのうちの一つの鉢を譲っていただいた。飴玉でも入れるのに使うつもりであるが、 花を生けてみた。個性の強い鉢なので、花を選ばなければならないが、面白いと思っている。


2012.11.15

柚子ジャム

私に柚子ジャムの美味しさを教えてくれた徳島出身の女性から毎年柚子を頂いている。毎日の 朝食で柚子ジャムを食べだしてから10年にはなると思う。"柚子を送る"との連絡を受けたので、 包丁を研いで待っていた。届いたその日に、2011.11.15のブログに書いた方法で柚子ジャムを 作った。2.5kgの柚子から写真の量だけの柚子ジャムが出来た。昨年作った柚子ジャムが少しだけ 残っている。食べ比べると、今年の物の方が香りが強かった。葉っぱの付いた柚子を一個だけ 残して部屋に飾った。


2012.11.11

法華寺の国宝十一面観音立像特別開扉

法華寺で10月25日(木)から11月12日(月)まで国宝十一面観音菩薩立像の特別開扉が実施され ており、最終日に近づいたので雨の中を夕方出かけていった。まず境内の慈光殿で国宝"絹本着 色阿弥陀三尊および童子像"を拝観した。わが国の最も優れた仏画の一つであり、毎年一回だけ この期間に公開されている。ついで法華寺庭園を拝観した。そろそろ副住職の樋口教香尼の読経 ガ始まる時間だと思って本堂に行ったら、既に読経が始まっていた。いつもは16:30頃に始まる のでそれに合わせて行ったのだけど、この日は16:20頃に開始された。樋口教香尼の美しい読経 に耳を澄ましながら、国宝十一面観音菩薩立像に頭を垂れた。法華寺に行くなら、是非この時間 に合わせて、拝観に行かれることを推奨します。
第45世 法華寺門跡 久我高照尼公様が平成23年10月31日にご遷化された(享年91歳)ことを知った。 ご冥福をお祈り申し上げます。法華寺の御門跡は代々、皇室ゆかりの姫君が幼いときに剃髪して、 その座につくのがならわしの様で、貞明皇后さまの強い要請で、元侯爵・久我家の姫君である高照尼 が14才のとき法華寺に入られた。高照尼は仏門の修行を続けるかたわら、和歌、書道、絵画、生け花 (門跡が『法華寺小池御流』の家元)などを学び、多くの人々に崇拝されていた。
ちなみに高照尼は女優・久我美子ざんの叔母であり、若い頃はとても美しい人であった様である。

2012.11.5

我家の太陽光発電 報告(17)

関西電力から本年10月の受給電力量(こちらから関電に売った発電量)と使用電力量(こちらが関電 から買った電力量)の通知があった。受給電力量が213kWh、使用電力量が250kWh(デイタイム:6kWh, ナイトタイム:127kWh, リビングタイム:117kWh, 1kWhの料金はそれぞれ28.02円, 8.19円, 21.64円)であった。 関電に売った発電量の値段が10,224円(1kWhの料金は48円)。関電から買った電力の料金は5,029円 であった。我家の10月の各日の発電量/消費量を示すモニターの画面を写真に示す。10月は晴天の 日が多く、発電量は昨年の10月の発電量189kWhより多かった。


2012.10.30

興福寺

興福寺境内の西隅に美しい北円堂(八角円堂)がある。当初の建物は治承4年(1180)に被災・焼失 したが、奈良時代創建当初の姿をよく残して承元4年(1210)頃に再建されということである。本瓦 葺きの華麗で力強い鎌倉時代の建物であり、堂内には本尊弥勒如来(みろくにょらい)像(国宝、運慶 の晩年の代表作、右の写真中央)、無著(むちゃく、写真右)・世親(せしん、写真左)菩薩像(国宝、 運慶作)、四天王像(国宝、平安初期の木心乾漆像)等が安置されている。10月27日(土)から11月12日 (日)まで特別開扉されているというので、私はピアノ教室の後に拝観に行った。無著・世親像は、大地 を踏み占めて立つ、堂々とした品格ある学僧の像であり、何度拝観しても感銘をうける。北円堂を拝観 した後、普段公開していない仮金堂が10月13日(土)から11月25日(日)まで開扉しているというので拝観した。 この仮金堂は薬師寺旧金堂(室町時代)を移建したものである。堂内には本尊釈迦如来(しゃかにょらい)像、 薬王(やくおう)・薬上(やくじょう)菩薩像(重文)、四天王像(重文)、大黒天像(重文)、 吉祥天像(重文)が祀られていた。金堂は現在再建中で平成30年に完成予定である。再建費用を捻出する ため興福寺さんも多々努力していらっしゃる。お賽銭をはずもう。


2012.10.28

正倉院展

10月27日(土)から11月12日(月)まで第64回 正倉院展』が奈良国立博物館において開催されている。 今日は日曜日であるが土砂降りの雨だったので混雑は無いだろうと推定して、長靴を履き大きな傘をさ して奈良国立博物館まで歩いて行った。私の家から15分ほどで到着した。推定どおり20m程の行列がある だけですんなり入館することが出来た。装飾が美しい弦楽器 「 螺鈿紫檀琵琶(らでんしたんのびわ)」 と「紅牙撥鏤撥(こうげばちるのばち)」,宮廷で用いられた遊戯具である 「木画紫檀双六局」, 正倉院を代表するガラス器で西方よりもたらされた 「瑠璃坏(るりのつき)、右の写真」には多くの人が 魅了されていた。今回はガラスが一つの目玉のようで、種々のガラス製品・材料が展示してあった。 最古の戸籍の一つである大宝2年(702)の御野国山方郡三井田里戸籍(みののくにやまがたぐんみいだり こせき)が出陳されていた。美濃国山県郡は私の生まれ育った岐阜県関市に隣接する所なので興味深く 拝見させていただいた。


2012.10.25

林檎ジャム

愚妻は次女の手伝いで22日に東京へ行った。27日に帰るそうだ。その間の食材を買いに行って、 美味しそうな紅玉林檎を八百屋さんで見つけたので12個買い、林檎ジャムを作った。昨年の作り 方ではジャムに林檎の皮が若干残ってしまうので、林檎の皮を木綿の袋に入れて、ジャムに皮が 残らないようにした。綺麗なルビー色のジャムが出来た。作り方を記す。

林檎ジャムの作り方

1) 新鮮で全体が赤い紅玉林檎(小ぶり、硬くて水気があり甘酸っぱい:12個、1個が230-250g) を手に入れる。
2) 林檎を洗い、布でよく拭いてワックスを除去する。
3) 林檎の皮を剥ぎ、皮を木綿の袋に入れ閉じる。
4) 皮を剥いた林檎を縦に八等分し、種部分を除去した後、厚さ4-5mmに切る。
5) 切断した林檎の重量を量り(2.1kgあった)、その50%の重量のグラニュウ糖(1kg)をナベに入れる。
6) その上に切断した林檎を入れる。
7) レモン(大きなもの2個、多いとジャムのピンク色が濃くなる)の絞り汁を加え、弱火(IH:4)で熱する。  砂糖が融け、林檎から汁が出てきたら、林檎の皮の入った木綿の袋を入れる。中火(IH:7)にして、 時々木べラで攪拌する。沸騰してきたら、弱火(IH:4)にして蓋をし、時々木べラで攪拌する。絶対に調理 室から出ないこと!!!
8) 30分ほどして林檎が透き通るようになったら、林檎の皮の入った木綿の袋を取り出して絞った後、火を 止める。これで林檎ジャムの出来上がり。皮から出た色素で美しいピンク色の林檎ジャムが出来る。
9) 蓋に安全ボタンの付いた壜を用意しておき、各壜に少しずつ熱いジャムを入れていく。 こうすれば壜は割れない。 壜がジャムで満杯になり、蓋をしたら空気が殆ど残らない様になったら、 安全ボタンの付いた蓋をし、しっかりと閉める。しばらくして冷めると安全ボタンが凹む。安全ボタンが 凹んでいる限り安心して食べられる。・・・これで一年以上室温で保存できます。・・・ただし、 開けるときはマイナスドライバー等で、蓋と壜の間をひねって空気を入れる必要があります。
12個の林檎から写真に示すように6個の瓶詰めジャムが出来た。これで一年間、毎朝トーストに付ける事が 出来るし、お湯で薄めれば美味しいジュースとなる。
10) 絞った林檎の皮の入った木綿の袋をジャム作成に使用したナベに入れ鍋に入れ、水(5カップ)を注いで 漱いだのち沸騰させる。冷まして壜にいれ、冷蔵庫に保管する。・・・林檎ジュース



2012.10.19

朽木の駒ケ岳

白洲正子さんの著書「かくれ里」に"近江の朽木谷には古くから木地師とよばれる木工を専門とする 集団がいて「朽木盆」とか「朽木碗」を生産していた"とある。その「朽木にある駒ケ岳に行か ないか」と大学時代の同級生(前回は芦生の森へ連れて行ってくれた)が誘ってくれたので行っ てきた。6:30に家を出て、8:10に京都の地下鉄北大路駅に着いた。外に出て友人の車を探して いたら「おい」と友人が後ろから呼んだ。そして言った「お前、ほんまに"おじいさん"やな」。 ・・・私は訊ねた。「服装か?、姿勢か?」と。彼は答えた「全部や。服装も、姿勢も、顔も、 向こうから手を振っても気が付かへんし・・・」と。自分では気が付かないことを言ってくれ る友人はありがたい。さて、その友人の車で朽木の駒ケ岳の麓にあるバス停"木地山前"に10:00に 着いた。なんと「地図にはルートが書いてない所を登る」というのだ。国土地理院の1/25000の 地図で「この尾根伝いに行けば稜線に出る」と説明してくれる。山深いこんな所で大丈夫?と思う のだけど、友人は「何度も来ている」というので、道なき道を登って行った。高度差400mを1時間余 で登ったら稜線の登山道に出た。そこから少し下ったところに周囲100mほどの池があり、オシドリが 10羽ほどいた。その池を観ながら昼食弁当を食べた。12:00にそこを出発し、13:00に駒ケ岳山頂に 着いた(おじいさんの写真をご覧下さい)。琵琶湖や伊吹山も望める絶景であった。駒ケ岳山頂から 20分ほど西へ縦走して(この途中で小浜や日本海を見ることができた)、木地山へ下る尾根に入り、 15:00に出発地の"木地山前"に着いた。このコースはブナ林などの美しい自然林を満喫できるコー スであった。16:40に北大路駅に着き、友人と別れて18:00奈良に帰着した。美しい自然林を選んで 連れて行ってくれた友人に感謝・感謝。無事に登山できたことに感謝・感謝。


2012.10.14

我家の太陽光発電 報告(16)

関西電力から本年9月の受給電力量(こちらから関電に売った発電量)と使用電力量(こちら が関電から買った電力量)の通知があった。9月の受給電力量が185kWh、使用電力量が217kWh。 関電に売った発電量の値段が8,880円、関電から買った電力の料金は7月が5,012円であった。 我家の9月の各日の発電量/消費量を示すモニターの画面の写真を右に示す。その左に各日の売電 量/買電量を示すモニターの画面を示す。発電している時に自家で消費している時は、その発電量 を自家で消費し、その分は売電・買電に関与していないようである。


2012.10.11

笛吹神社

私の行っている乗馬クラブは葛城市にあり、葛城古道ぞいで、古事記や日本書紀にも登場する 神話・古代史の舞台である。その乗馬クラブの近くに笛吹神社があることは知っていて、一度 訪ねたいと思っていたが、今日時間があったので帰り道に立ち寄った。笛吹神社は正式には「葛 木坐火雷神社(かつらぎにいますほのいかづちじんじゃ)」というそうで、火雷大神(ほのいかづち のおおかみ)を祀る火雷神社と、朝廷の笛吹きをつとめた笛吹連(むらじ)の祖神である天香山命 (あめのかぐやまのみこと)を主祭神として祀る古い神社であった(852年『文徳天皇実録』に記載)。 イチイガシの巨木が生え、うっそうとした森の中には、古代に占いに用いた波波迦木(ははかのき) も生えていた。そして、本殿の北西後方には「笛吹神社古墳」(右の写真)があった。これが神社の 起源だと素人の私にも推測できた。


2012.10.9

山中伸弥教授へのノーベル医学生理学賞

8日の夕方、嬉しいニュースが入った。"スウェーデンのノーベル賞委員会が2012年のノーベル 医学生理学賞を京都大学の山中伸弥教授(50)と英ケンブリッジ大学名誉教授のジョン・ガードン博士 (79)に授与すると発表した"と。山中伸弥教授の記者会見のニュースを拝見して、とても真面目で 研究者としての姿勢・態度も立派であると感じた。高い志を持って、地道な努力を重ねる。そうした 中で、幸運に恵まれたものが、重要な科学的発見をすることができる。自然科学は偽りの無い真理の 探求につながる楽しい世界でもある。山中伸弥教授のノーベル賞受賞に誘発されて、多くの若い諸君 が自然科学探求の道への魅力を感じていただければと思う。


2012.10.5

金沢外乗

所属している乗馬クラブの主催する1泊2日の"金沢外乗ツァー"に参加した。外乗とは乗馬 クラブ以外での乗馬を意味する。4日8:00に集合場所の大和八木駅から中型バスに乗り、途中の サービスエリアで昼食を摂り、13:30に金沢の乗馬クラブに到着した。乗馬服に着替えて、14:00 から3人ずつのグループに分かれて、広々とした内灘海岸を走った。私は今回で4回目の"金沢外 乗"である。先導する金沢の乗馬クラブの指導員が「このグループはベテランだから一気に行 きましょう」と宣言し、いきなり2km余をノンストップで駆けた。17:00に中型バスに乗り、18:00に宿泊 地の和倉温泉に到着した。男性ばかり4人が同室で、いびきのひどい人が居て眠れなかった。朝、 温泉に浸かりながら、同様な思いをした人が私に嘆いた。5日7:00に千里浜海岸に到着。金沢の乗馬クラ ブから馬用トラックで運ばれてきた馬に乗り、前日と同じ馬・同じグループ分けで千里浜海岸の 波打ち際、1直線7kmを走った。私は今回は"ツーポイント"と呼ばれ乗り方(2本の足で体重を支え て前傾姿勢で乗る)の練習を心がけたので、両足の筋肉が疲れた。10:00に金沢の乗馬クラブに移 動し、入浴・着替えをした後、12:00から昼食。前回まではバーベキューであったが、本格的な シェフによるイタリアン料理で"ワタリガ二のスパゲティ"は美味しかった。18:00に大和八木駅 に帰着した。6日朝起きると"体じゅうが筋肉痛"なので整体治療院へ行った。治療後、院長に尋 ねた「今日テニスをしても良いでしょうか」と・・・、院長はおっしゃった「今日は止めときな さい。肉離れ等起こしやすい・・・」と。それで私は午後のテニス参加予定をキャンセルさせて いただいた。


2012.10.2

テニスの合宿

1日、2日と1泊2日のテニスの合宿に行った。宿泊施設は昨年も行った淡路島の"ウェルネスパーク 五色"である。山小屋風のログハウスで調理器具も揃っている。昨年は夕食に水ダキを同行の女性 達が作ってくださったが、今回は夕食はレストランで摂り、朝食には神戸の美味しいパンとサラダ・ ゆで卵・コーヒー・ミルク等を、昼食には新米で御飯を炊いておにぎりを作り、サラダ・ゆで卵・ 果物・お茶等を同行の女性達が用意して下さった。皆でワイワイおしゃべりしながらの食事は楽し かった。私は1日8:30に車で家を出て9:45に神戸市灘区本山に着き2人の女性を乗せ、10:00に本山 を出て10:50に待ち合わせ場所の"淡路ハイウェイオアシス"で、別の車で来た3人の女性達と合流 した。昨年立ち寄って美味しかったお寿司屋さんで昼食を摂り、13:00に"ウェルネスパーク五色" に到着、早速テニスを始めた。14:00頃雨が降り出したので屋内テニスコートに移動した。一時間 ほどしたら雨が止んだので、再度屋外コートに移動し、18:00までテニスを楽しんだ。その後、温 泉に入り、19:30から夕食、21:00から23:30までおしゃべりを楽しんだ。私はすぐ深い眠りに落ち、 2日7:00に起床したらベランダに美味しい朝食が用意されていた。快晴で、美しい景色を観ながら 美味しい朝食をいただいた。9:00からテニスを開始し、12:00テニスコート際の日陰で昼食を摂っ た。13:00から14:00までテニス。私は草臥れてきて、気力だけでテニスをしていた。テニスを終え て温泉に入りさっぱりとした後、レストランで飲み物・果物を摂り、お喋りを楽しんだ後、16:00 同行の皆さんに別れを告げ、私は一人車を運転して18:00奈良の自宅に帰着した。男性は私一人で、 夢か誠か・・・極楽にいる様であった。同行の皆様に感謝!感謝! 元気にテニスをさせていただ けることに感謝!感謝!である。


2012.9.29

三郎岳

ここ暫く、山登りに行ってないので、どの位歩けるのか自信が無い。少し山に登って体を鍛え ておかなくてはと思うのだけど、いきなり高い山に登るのも良くない。奈良の榛原にある 三郎岳(さぶろうがたけ、879m)に登ることにした。樹齢600年といわれる桜で有名な仏隆寺 まで車で行き、小峠(600m)から急登の山道を登って高城山(810m)の山頂に出た。小休止の後 40分ほど歩いたら三郎岳山頂(右の写真、後ろに高見山が見える)に着いた。360度の展望が あり、展望を楽しみながら昼食をとった。その後、急な潅木帯の道を下ると、日蓮上人 坐像が刻まれた岩壁があった。さらに急な山道を下ると、旧伊勢街道に出た。今は殆ど利用されて いないようであった。わらぶき屋根の多い集落を通って小峠(600m)に帰着した。調度4時間の 行程であった。


2012.9.25

私の好きな食べ物 (23) むかご(零余子)

秋に山道をあるくと"むかご"が目に付く。自然薯の蔓に付いている。晩秋になるとパラパラ と落ちるので傘を広げて下向きにし置き、蔓をゆすると簡単に手に入れることが出来る。 お店で売っている丸くて大きいのは栽培している山芋に付いているものの様だ。形はいびつ で小粒ではあるが天然物の方が私は好きだ。この天然物を洗ってザルで水をきり、鍋に油を 引きバターを加えて中火で熱する。バターが溶けたらムカゴを入れ、少しかき混ぜた後、 削り鰹と奨油を加えて3分したら鉢に移す。少しゴリゴリとした歯ざわりがあるくらいが私 は好きだ。、


2012.9.22

お彼岸

「暑さ寒さも彼岸まで」とは善く言ったもので、朝夕は涼しくなり、日中でも太陽光に直接あた らなければ快適な気候になってきた。庭の花にも沢山の蝶がやってくる。その中に、2012.5.25 のブログに書いたホシミスジがいた。その羽根裏の写真を撮ることが出来た。羽根裏にホシが あり、正真正銘"ホシミスジ"と同定することができた。
ヒサカキの枝を切り、シオン、コスモス、ヒャクニチソウ、ケイトウ等を摘んで墓参りに 行った。線香をたて、経をとなえて、頭を垂れた。その後、大和郡山のイタリヤンレストラン で食事をして帰ってきた。そして、菊屋へ行き"おはぎ"を買ってきて仏前に供えた。


2012.9.17

十七夜盆踊り

夕食後、1日8000歩の目標値に達していないので"東大寺の大仏殿まで歩こう"と散歩に出かけた。 大仏殿に近づいていくとなんか大きな音がする。ああソウだ、"二月堂の「十七夜盆踊り」"の日 だと気が付いた。私は毎年9月17日に二月堂下の広場で「十七夜盆踊り」が開催されることは知っ ていたが、それを見物したことが無かった。これはラッキー、見物に行くことにした。二月堂下 の広場で、河内音頭・江州音頭による「十七夜盆踊り」が行われており、私が到着したとき東大 寺の坊さんが挨拶をしておられた。河内音頭・江州音頭はテンポの早い踊りで軽快であった。 歌い手・はやし方はプロの人達(?)と思われる腕前で、踊り方の半分はこれもプロかと思われる イデタチと技で見事であった。自由に参加することが出来る様で、私も参加したいと見ていたが、 ちょっと難しい踊りであったので断念した。奈良ではこの「十七夜盆踊り」が「盆踊りの踊り納 め」だそうで"18時から二月堂本堂で法要がいとなまれ、盆踊りは18時半から21時頃まで行われる" とのことであった。久しぶりに"ゆかたで踊る人"を「美しいな・好いな」と思いました。二月堂 本堂内に万灯明がともされ、二月堂参道の石灯籠にも火が灯され、二月堂本堂周辺には願い事や 絵を描いた灯籠が配置されていた。


2012.9.15

ヒオウギ

ヒオウギの葉が長く扇状に広がることからヒオウギ(檜扇)と名付けられた。古代からヒオウギ は悪霊退散の厄除けの花として飾られ、祇園祭では疫病を流行らせている怨霊の怒りを鎮めるため に始められたことからヒオウギが家の軒先などに飾られる。花は直径5-6cm、花被片はオレンジ色で 赤い斑点があり放射状に開き(花の写真集:庭の花08-8-21)、午前中に咲き夕方にはしぼむ一日花である。 種子は5mm程度で黒く艶があり「ぬば玉」と呼ばれ、和歌では「黒」や「夜」にかかる枕詞である。 この種を庭に蒔いておいたら、右の写真のような黄色い花が咲いた。珍しいのでその種を蒔いたら、 やはり黄色い花が咲いた。写真の花器は、李朝時代に薬草を煎じるのに使われていた"取手付石鍋"を 転用したものである。重量があってなかなか面白い。


2012.9.13

私の好きな食べ物 (22) 栗

乗馬の帰りにJA葛城の農産物直売所に行った。その農産物直売所は新鮮な野菜を格安で売って いる。私は里芋、ささげ、イチジク、巨峰ぶどうを買った。新生姜の美味しそうなのがあった のでそれも買ってしまった。買い物をすませて、ふと見ると栗があった。昨年買って美味しか ったのを思い出し栗も買ってしまった。家に帰って新鮮なうちにと湯掻いた。沸騰してから 10分弱火で炊いて、さめたらザルにあける。包丁で半分に切ってスプーンで穿り出して食べる。 美味しい栗であった。秋の味覚である。食べ過ぎないように一回に10個と決めている。そして、 夕食は控えめに・・・。


2012.9.6

私の好きな食べ物 (21) 冷奴

乗馬クラブの近くに美味しい豆腐屋さんがある。乗馬の帰りにその豆腐屋に行った。辺鄙な所 にあるのに10人ほどが行列をつくっていた。私は薄揚げ、厚揚げ、木綿豆腐、絹濾し豆腐を買 った。夕食に薄揚げをフライパンで軽く焼いて生姜醤油で食べた。絹濾し豆腐は冷奴(右の写真)。 濃い口だし醤油をかけ、酢橘をしぼってかけた。スダチの味と香りが良く、豆腐を食べた後の 残り汁まで飲んだ。


2012.9.5

我家の太陽光発電 報告(15)

関西電力から本年7月と8月の受給電力量(こちらから関電に売った発電量)と使用電力量(こちら が関電から買った電力量)の通知があった。7月の受給電力量が248kWh、使用電力量が184kWh、 8月の受給電力量が247kWh、使用電力量が265kWh。 関電に売った発電量の値段が7月が11,904円、8月が11,856円(1kWhの料金は48円)。関電から買っ た電力の料金は7月が4,436円、8月が5,971円であった。我家の7月と8月の各日の発電量/消費量 を示すモニターの画面を写真に示す。7月26日から8月8日までの使用電力量が少ないのは家を留守 にしたためである。8月はエアコンを使うため使用電力量が受給電力量(発電電力量)を超えている。 もう少し多く発電パネルを設置すべきであった。


2012.9.2

私の好きな食べ物 (20) 笹カレイの一夜干し

昨夜は初秋の名月(月暦7月15日)で、雲間から時々美しい満月を観ることが出来た。折角だからと、 夕食後、運動を兼ねて出かけていった。猿沢の池に行ったら20人ほどが夕涼みを兼ねて観月に来て おられた。時々雲間からの満月を拝することができた。その後、三笠の山を背景に月を眺めようと 飛火野に行った。そこには誰もいなかったが、美しい満月が時々雲間から現れた。雲の無い空の月 も良いけど"雲間の月も良いなあ"と思った。
さて、9月、食欲の秋である。魚屋をのぞいたら、橙色の卵巣が透けて見える笹カレイの一夜干し が目に入った。電磁調理器の"魚焼モード"で8分で出来上がり。簡単で味も良い。この季節の便利な 美味しい食物である。


2012.8.31

私の好きな食べ物 (19) 冬瓜のカニあんかけ

冬瓜は夏の食べ物である。ひと夏に数回作る。先日は冬瓜の生湯葉あんかけを作った。今回は カニあんかけを作ろうと魚屋に行って、カニの抜き身を買おうとしたら売り切れであった。 仕方が無いのでスーパーに行って"生食用ボイルガニ”を買ってきて、自分でカニ身を取り出し た。この"冬瓜のカニあんかけ(右の写真)"、けっこう美味しかったのでその作り方を記す。

冬瓜のカニあんかけの作り方
1. 冬瓜は皮を剥き、3cm角に切り、背に十文字の切り込みをいれる。
2. 1の冬瓜を鍋に入れ、水を入れ、お米を大匙1だけ加え強火で加熱。煮立ったら落し蓋をし、 弱火にして15分程煮たのち、ザルにあけて水を切る。
3. 鍋にだし汁、塩、うすくち醤油、本みりん、2の冬瓜を入れ、煮立ったら弱火で30分ほど煮 た後、冷めたらそれぞれの食器(鉢)に適当量の冬瓜(煮汁は入れない。4、5で使う)を盛りつけ冷蔵庫 に入れて冷やす。
4. 本葛を冷めた3の煮汁で溶く。。
5. カニの身と3の煮汁の残りを鍋に入れ加熱、煮立ったら、うすくち醤油と本みりんで味を調える。 攪拌しながら、4の本葛の溶き汁を加え、透明になってきたら加熱をやめ、冷ます。
6. 食前に冷えた3の冬瓜鉢に5のカニあんかけをかけて食する。

冷たい冬瓜のカニあんかけは、食欲の衰えたときでも、美味しくいただくことが出来る。



2012.8.24

新生姜の梅酢漬け

残暑は厳しいですが、テニススクールで21日は13:30から16:00迄、22日は11:00から12:30迄テニスを 楽しんだ。23日は乗馬クラブで11:30から12:30迄障害、15:00から16:00迄駆足を楽しんだ。もう歳な ので、スポーツの後はぐったり、冷えたスイカを食べて昼寝をするのが一番である。
梅干の記述で「梅酢・紫蘇を新生姜の梅酢漬けに活用する」と書いたら、そのレシピも書けとの 要望があったので、ここに記します。新生姜の梅酢漬けは食欲をそそりますよ。

新生姜の梅酢漬けの作り方

1) 新生姜を洗い、包丁の背で薄い皮をそぎ取り、繊維に沿う方向に、スライサーで厚さ1mmほどに スライスする(指も一緒にスライスしないように注意)。
2) スライスした新生姜をボールに入れ、塩をふった後、手で揉む。
3) 大きな鍋に水を入れ沸騰したら、2)の塩揉みした新生姜を入れ、かき混ぜて5秒したらザルにあ けて、水気を取る。
4) 熱いうちに、3)の生姜を煮沸消毒した壜に入れる。冷めたら梅酢をかぶるくらい入れ、その上に 紫蘇を置き、蓋をして冷蔵庫に入れる。1日もすれば美味しい紅生姜が食べられる。

新生姜の梅酢漬けは白いカビが発生しやすいので冷蔵庫で保管する。2,3日に食べる分だけ小さい 容器に取り出しておき(右上の写真)、雑菌の進入に注意する。



2012.8.22

梅干

今年は庭の梅が不作で、梅が6kg余しか採れなかった。次女の娘たちに私の作った梅干が好評 で、「沢山漬けて送ってくれ」と言ってきている。そして次女は「貴方が死んだら私が作るから、 作り方を書いて残しておいて欲しい」と言った。"一子相伝"にするにはもったいないので、 ここにその作り方を記す。

減塩梅干の作り方

1) 新鮮な完熟梅2kgを水で良く洗い、ヘタを取り、布巾で水を拭き取る。日陰で一昼夜 干す・・・青梅が少し黄色に変化する。痛んだところのある梅は取り除く。
2) 50ccのホワイトリカーをどんぶりに入れ、梅を一つずつホワイトリカーに浸した後、熱湯 消毒した漬物容器に入れる。底面にぎっしり梅が並んだら、粗塩を振りかける。梅・塩・梅・ 塩・・・と全部漬ける。梅2kgに対し粗塩200gを使う。塩は上になるほど多目にし、最後に残っ た塩を梅の上からばらまく。
3) ホワイトリカー200ccを漬物容器の端から流し込む。
4) 重石(2kg)と重石(1kg)をして蓋をし、日の当たらない風通しの良い場所で放置。2,3日する と漬け汁が上がってきて、梅が全て漬け汁に浸かるようになったら、重石(1kg)だけにする。 漬け汁を梅酢と呼ぶ。こうして15日ほど放置した後、紫蘇を加える。
5) 表裏共に紫紅色で縮れが細かい新鮮な紫蘇を手に入れる。葉だけを摘み取り、たっぷりの 水で水洗いし、丁寧に砂を洗い流す・・・これはとても重要。
6) 洗った紫蘇(500g)の水気をとり、粗塩50gをふりかけた後強く揉む。揉みこむとアク汁がで てくる。紫蘇を絞ってアク汁を捨てた後、さらに粗塩50gをふりかけた後強く揉んでアクを出す。 アクは絞って捨てる。アクを取り除くことにより、鮮やかな紅色の梅干が得られる。
7) 揉んでアクを取り除いた紫蘇に4)で出来た梅酢を加え紫蘇をほぐした後、4)の梅の上に加え、 粗塩を20gを上からばら撒く。重石(1kg)をして梅・紫蘇が全て梅酢に浸かるようにする。梅・ 紫蘇が全て梅酢に浸かっているかぎりカビは生えない。
8) 蓋をし、日の当たらない風通しの良い場所で放置。土用の天気の良い日に梅を取り出し 日に干す。1-2日後、漬物容器の底のほうにあった色付きの悪い梅を、漬物容器に戻し、梅酢・ 紫蘇にまぶして数日漬ける(このときは重石はいれない)。再度、天気の良い日に梅を取り出し日 に干す。
9) 数日干して、ほどよくしっとりと乾燥した梅干となったら、綺麗な容器に入れ蓋をして保存する。
10) 紫蘇は乾燥して刻めばふりかけとなる。梅酢はキュウリの塩もみなどに添加したり 多々活用できる。また、梅酢・紫蘇を新生姜の梅酢漬けに活用することも出来る。
2kgの梅から出来た梅干しの写真を右上に示す。我が家の梅は大粒なので数は少ない・・・が 味は良い。今年は6kg漬けた。余談であるが・・・写真の竹ざる100円ショップで105円で買った。 こんなに安くてイイのかと思った。


2012.8.20

ブルーベリー

我が家のブルーベリーは、今年は大豊作で2kg以上採れた。我が家で採れたのは生食用と して、新鮮なのを採っては口に放り込むようにして楽しんでいるのであるが、今年は豊作で それでも余る。昨年はブルーベリーを3kg買ってきてジャムを作った。このジャムは毎朝 ヨーグルトに入れて、楽しんでいる。一年分としては、ブルーベリー3kgから作ったのでは、 少し足りなかった。それで、今年はブルーベリーを3kg買い、家で採れたのを1kg足して、 4kgのブルーベリーからジャムを作った(右の写真、皿のは生食用)。作り方は簡単だけど、 これだけの量を作るとなると少し大変である。でも、これで一年間毎日楽しむことが出来る。 気が付けば・・・、愚妻も遠慮することなく・・・食べている。


2012.8.17

残暑

盆前に奈良に来ていた長女とその娘が帰った後、長女の息子がやってきて昨日東京へ帰って 行った。庭のブルーベリーが沢山実を付けているが暑くてなかなか収穫する気にならない。 先ずは美味しい煎茶を・・・と茶を入れていたら、"くまぜみ"が飛んできて窓際の藤棚にとま った(右の写真)。元気良く鳴いて欲しいのになぜか鳴かない。それでは私のピアノの音でも 聴かせてやろうかと三週間ぶりにピアノを弾いた。指がなかなか以前の調子を取り戻さない。 それでもよくできた"くまぜみ"で、辛抱強く私のピアノを聴いてくれた。朝方は涼しくなった が日中は残暑が厳しく1日8000歩のノルマは達成できない。それで夕食後、近くの鴻池県立運 動場へ行って歩くことにして、どうにかノルマを達成している。


2012.8.12

フランス・オーストリアの旅

昨年のフランス・スイスアルプスの旅は良かったので、今年はオーストリアへの旅行を 計画した。ところが愚妻と私の思惑が一致しない。私はオーストリアアルプス探訪を主題と したが、愚妻はオーストリアの都市や湖畔の城の訪問を主題とし、私が目玉とした"オースト リアアルプス最高峰Grosglocknerの麓の村Heiligenblut行き”に強く反対した。愚妻は年齢 を重ねるごとに頑固になり、折中案も受け付けない。殆ど"今年は旅行取りやめ"となるところ までいったが"AFのマイルが関空・パリ往復無料だけ貯まっているのでこれを捨てるのは惜しい" というので妥協が成立した。途中大失敗もあったが、お蔭様で元気に楽しい旅行をすることが できた。

7月26日8:05近鉄駅前発10:20関空着のバスに乗るべく6:00に起床した。11:30関空発のAF291で 17:00パリCDG空港に着いた。気温25C。バスで凱旋門近くのホテル(右の写真のように,ホテル の部屋から凱旋門が見える。部屋は狭いが便利なので、近年私はパリの定宿にしている)に18:00 到着。パン、牛乳、果物を買ってきて夕食。20:00に就床。

7月27日7:00起床。ホテルで朝食(13Euro)。ルーブル美術館に10:00に入館、イヤホンガイドを 借り、絵画を主体に拝観させていただいた。館内のビュッフェで昼食、愚妻はオランジェリー美 術館に行った。17:30にコンコルド広場で一緒になり、カフェで夕食。21:00就床。この日の歩行数 16000。昼間の気温は28C、夕方は24C。

7月28日7:00起床。ホテルで朝食。9:00にチェックアウト。この日はパリからインスブルック に移動する日である。日本で10:23Paris Gare Lyon発14:26Zuerich着、14:40Zuerich発 18:06 Innsbruck着の列車をインターネットで予約し切符も手に入れていた。1等・座席指定・昼食付(右端の 写真)で1人27,300円であった。18:20Innsbruck HBFから300mほどの所にあるホテルに着いた。インスブ ルックは1964年と1976年の冬季オリンピック開催地として有名であるが、チロル州の州都である。 ホテルに荷物を置いて、町の中心街である旧市街まで歩いて行った。突然、雷雨となったので、 チロル料理のお店に走り込み、夕食をとった。帰る頃には雨はやんでいた。22:00就床。この日の 歩行数5000。気温は22C。

7月29日7:00起床。ホテルで朝食。その後Innsbruckの南にそびえるPatscherkofe山(2247m)への ロープウェイ乗場までバスで行き10:00に乗り場に着いた。そのころ雨が降り出した。雷雨だと のことで「ロープウェイは暫く運転停止。何時ごろ再開になるかは天候しだい」と言われた。 地元の登山グループなど20人ほどが運転再開を待った。11:00になると殆どの人が諦めて帰って行った。 私たちはもう少しと待った。11:30になると青空が見えてきて運転再開となった。乗客は3人であった。 山上駅のレストランで昼食をとった。すっかり晴れてきたので縦走路:Zirbenweg(ツェルベの小道)を 歩き、14:00にPoscheben(2035m)の山小屋に着いた。Zirbenwegの終点Tulfeinalmまで歩く予定であっ たが、愚妻が「引き返す」と言った。下山のロープウェイの最終便に間に合わないのを心配したのだ 。山上駅近くのInnsbruck大学の高山植物園を見学した後、ロープウェイで下山した。帰りに列車の駅 に行って、翌日の乗車券を買うことにした。駅員が「私達の予定していた便では目的地のHeiligenblut に行くバスがない。宿泊を予定しているホテルに電話してバス便について問い合わせなさい。」とおっ しゃった。こんな時、携帯電話は便利である。ホテルに問い合わせると「バスはLienzからのみ」との ことであった・・・でLienzまでの乗車券を買って帰った。18:00ホテルに帰着した。夕食はスーパーで 買ってきたパン・牛乳・果物ですませた。21:30就床。この日の歩行数15000。
1: Innsbruckのホテルから見たPatscherkofe(2247m) 2: Zirbeの生い茂るZirbenweg。Zirbeは松の一種で香りが良く、家屋や家具の材木となる 3: Zirbenwegから見たInnsbruckとNordkette連峰

7月30日6:00起床。ホテルで朝食。7:30にチェックアウト。8:24Innsbruck発の列車で9:31Kitzbuhel着。 9:45Kitzbuhel発のバスで11:35Lienz着。11:50Lientz発のバスで12:47Heiligenblut(標高1300m)に着いた。 美しいチロルの景色を眺めながらのバスの旅も好いと思った。Heiligenblutでの宿は、バス停から50m、美しい 尖塔のある教会の隣にあった。期待どおりの美しい村であった。Heiligenblutで一番の高級ホテルを予約 したのだけど、朝・夕食付で1泊2人で218Eurであった。料理も美味しく・部屋も広く、格安であった。 ホテルのレストランで昼食をとった後、村を流れるMell川沿いの道を散策した。途中で小雨が降り出した。 夕食は6:30から、隣のテーブルにいたウイーンから来たという話し好きの夫妻と知り合いになり、3日間 夕食時におしゃべりを楽しんだ。彼らは一週間滞在するとのことであった。20:00にフルコースの夕食は 終わった。22:00就床。この日の歩行数9000。気温は20C。
4: Heiligenblutの教会、後ろはオーストリアの最高峰Grosglockner(3797m) 5: Pasterzen氷河、右がJohannisberg(3460m)と私、左のGrosglockner山頂は雲の中 6: Schareck山(2606m)頂から観たGrosglockner
7月31日目覚めると快晴。外に出るとGrosglocknerがくっきりと姿を見せていた(写真4)。カメラで何枚もその美 しい姿を撮った。7:30朝食。9:30Heiligenblut発のバスに乗り山岳道路の終点Franz-Josefs-Hohe(2369m) に10:00に着いた。そこから落石を避けるためのトンネル(長さ200mほどのが5個)をぬけ、Nature Trail Gamsgrubeを歩いた。そこは別世界(写真5)で、美しい高山植物が咲き(写真7)、マーモットの親子(写真10)や アルプスで一番重要な動物といわれるスタインポック(写真11)、美しい蝶(写真8,9)を観ることができた。 もう少しで終点まで行けると思っていたら、またもや愚妻が「帰る」と宣言した。本当に残念であった。 「Franz-Josefs-Hoheからの最終バスは16:00だから大丈夫」と言う私の声には耳をかさない。それで最終バス より一つ前の15:00Franz-Josefs-Hohe発のバスでHeiligenblutに帰着した。22:00就床。この日の歩行数17000。
7: エーデルワイス:オーストリアの国花 8: Aglais urticas 9: Argyronome laodice
8月1日この日も快晴。思わずGrosglocknerの写真を撮った。8:00朝食。バス停の近くにゴンドラリフトの駅があり、 10:00始発のゴンドラリフトでSchareck山(2606m)頂上近くの駅(2556m)まで行った。そこから頂上までは 高山植物が多く見事であった。頂上で持参したパン・果物・チーズ等を食べていたら雲が移動し、Grosglockner の山頂が見えるようになった(写真6)。その後、ゴンドラリフトの駅Panoramabahnまで歩いて下山した。ゴンドラ リフトに乗り、中間駅Rossbach(1752m)で下車し少し散策して、ゴンドラリフトに再度乗車し、16:00Heiligenblut に帰着した。ゴンドラリフトの最終便に近かった。ホテルのレセプションで「明日Salzburgに行きたいのだけど、 どのような方法がありますか」と訊ねたら、「シャトルバスでMallnitz駅まで送ります。MallnitzからSalzburg行 の列車は12:03に出るから、10:30に玄関で待っていてください。」と言われた。ラッキー・ラッキーこれでSalzburg には予想していたより早く着ける・・・と喜んだのだが、翌日予期せぬ大失敗をしてしまった。22:00就床。 この日の歩行数12500。
10: マーモットの親子、穴から出てきた。 11: スタインポックの群れ、4頭います。 12: Panoramabahnあたりで放牧されていた牛

8月2日この日も快晴。8:00朝食。10:30シャトルバスに乗り、11:30にMallnitz駅に着いた。切符を買おうとしたら 自動販売機しか無かった。買おうとしてクレジットカードを入れたらスルーと中に入っていってしまった。なんと!!! お札を入れるところにクレジットカードを入れてしまったのだ。駅員を探して尋ねたら「担当係員を呼ばねばならない。 来るまで2,3時間かかる。」と・・・。マイッタ・マイッタ。愚妻には怒られるし、己のおろかさに情けなくなった。 それでも辛抱・辛抱。担当係員は13:30に来てくれた。お陰で14:03発の次列車に乗ることが出来、2時間遅れで15:48 にSalzburg Hbfに着いた。駅から500m程のところにあるホテルに荷物を置いて、さっそくSalzburgの市街地の散策に 出かけた。音楽祭に行くため盛装した人々が多数おられたが"すごいな"と見とれるような人は殆どいなかった。 なぜでしょうか??? 18:00音楽祭会場前のレストランで夕食。お客の大半が音楽祭前の腹ごしらえ?音楽会は20:00 から開始らしい。22:00就床。この日の歩行数12000。気温は25C。

8月3日7:00起床。8:00ホテルで朝食。快晴。9:00ホテルからホーエンザルツブルグ城塞をめざして歩いた。右の写真 中央の小高いところにあるのがそれである。写真左がミラベル宮殿、中央がミラベル庭園、城塞の手前に音楽祭会場: 祝祭劇場、St.アンドレー教会、大聖堂がある。小さな町で30分ほどで城塞にのぼるケーブルカー駅に着いた。城塞を 見物した後、歩いておりた。急斜面の坂道で、この日の夕方愚妻は「足を痛めた」とのたまわった。大聖堂の前を通る 際"A. Rosslerによるパイプオルガン演奏: J. S. BachのPiece d'Orgue BWV572 等5曲 約1時間 5Eur"がまもなく 開始と告げられたので聴かせて頂いた。大寺院での演奏は音響も良く格別であった。ミラベル庭園でハム・チーズバー ガーとコーラの昼食・休憩をした後、湖水地帯をバス・遊覧船でまわるバスツアー(所要時間4時間)に参加した。 21:30就床。この日の歩行数18000。

8月4日6:00起床。7:00ホテルで朝食。8:02Salzberg Hbf発10:44Wien西駅着、そこから地下鉄でウィーン中央駅に行き、 その横にあるホテルに11:00に到着した。このザルツブルグとウィーン間の列車で座席指定券を取らなかったのは大失敗。 満席で暫く座ることが出来なかった。ホテルに荷物を置いて、ウィーン南西部にあるシェーンブルン宮殿へ行った。 気温28C、暑かった。見物後、愚妻は「足が痛いからホテルに帰る」と言った。16:00私は一人ウィーンの中心部へと出 かけていった。気に入ったベルトがあったので買った。半額セールで50Eur。これが今回の旅での唯一の買い物品であっ た。ハム・チーズバーガー、果物、牛乳を買って帰って夕食とした。21:30就床。この日の歩行数19000。

8月5日7:00起床。8:00ホテルで朝食を摂ろうとレストランへ行ったら「宿泊代に朝食は含まれていない。一人30Eur」 と言われた。それでホテルの前にあるファ-ストフードの店に行って、サンドイッチとコーヒーの朝食を摂った。2人で 10Eur。市電に乗ってベルヴェデーレ宮殿上宮へ行った。ここの内部は20世紀のオーストリア絵画を展示した美術館にな っており、クリムトの代表作「接吻」、ウィーン世紀末の画家たちの作品が展示してあった。 この日は私に"大白蓮"を下さった知人:奈良で喫茶店を経営している女主人(彼女は毎年2週間ほど店を閉じて一人で海外 旅行をしている。今年は私達がウィーンにいるとき彼女もウィーンに滞在しているとのことで話がまとまった)と市中心 部にある有名なカフェで16:00に落ち合い、その後夕食をご一緒する約束になっていた。ベルヴェデーレ宮殿を出た後、 市中心部に行きシュテファン寺院を見物し、北塔に登った。それでも16:00には時間があったのでドナウ川を眺めに行った。 15:45に約束のカフェに行くと彼女は先に来ていらっしゃった。彼女曰く「ここで皆が食べてるのを食べると夕食が食べ れなくなる。夕食のレストランに行きましょう」。で・・・私が選んだ高級グルメレストラン(Restaurant Imperial)へ 行った。レストランは18:00開店だというので予約をとって、その横のカフェで水だけ恃んで、おしゃべりしながら開店を待った。 開店と同時に入店した。フランツ1世とエリザベート后妃の肖像画が掲げられた食堂は重厚であった。ワインで乾杯し、 シェフのサービス料理、スープ、メインと美味しい料理と会話を楽しんだ。愚妻が「満腹だからデザートは・・・」と 言ったが、左の女性が「私はデザートをいただく」とおっしゃったので、全員デザートも食べた。また、このデザートも 美味しかった。絶品といって良いと思う。ウェイターの許可を受けて写真を撮らせていただいた。ウェイターのサービス も見事であった。私達以外の客はスーツを着ていた。少し失礼したかな。22:30就床。この日の歩行数15000。
13: オマール海老のクリームスープ 14: 重厚な食堂でのディナー。左の美しい女性が"大白蓮"を下さった。 15: デザート

8月6日7:00起床。愚妻は「足が痛いからあまり歩きたくない」と言うのでホテルの近くの公園を散歩した。そこには シューベルト、ブルックナー、ヨハン・シュトラウス、ベートーベンの銅像があった。15:35Vienna/VIE発17:40Paris/CDG着 のAF1739でパリ空港に着き、先日と同じホテルに19:00に着いた。21:30就床。この日の歩行数9000。気温は25C。

8月7日7:00起床。8:00ホテルで朝食。10:00開館のオルセー美術館に10:30に着いたら長蛇の行列。入館するのに1時間かかった。 イヤーホンガイドを借りようとしたら品切れ。この日はルーブル美術館が休館だから混んでいるようだ。オルセー美術館は 大規模な改修を昨年末に終えた。改修により環境も配置も良くなったと感じた。2時間ほどかけて全展示を観た後、イヤー ホンガイドを借りて、説明のある作品を中心にじっくりと観て回った。これには3時間ほどかかった。18:00にベルサイユ 宮殿に行っていた愚妻と落ち合い、土産のお菓子を買い、夕食を摂って20:00ホテルに帰着した。22:00就床。この日の歩 行数20000。美術館を歩っきぱなし、立っばなしで足がだるくなった。気温は27C。

8月8日7:00起床。ホテルで朝食。9:30にチェックアウト。13:50Paris/CDG発8月9日8:25関空着のAF292で無事帰宅した。 「今度の旅で一番良かったのはHeiligenblut、一番美味しかったのはウィーンでのディナー」と愚妻は言った。Heiligenblutを 拒否し続けた過去も忘れて・・・。天候に恵まれ、腰痛もおこらず、楽しい旅を無事終えることが出来た。感謝・感謝。 高山植物の写真は整理できたら"野の花の写真集"に載せます。


2012.7.25

大白蓮開花

我が家のメダカ用の鉢の中にもう一つ鉢を入れて蓮を植えている。この蓮は某神社の蓮池に 植えてあった大賀蓮の実をいただいて来て、メダカの鉢に入れておいたら芽が出てきたのを 育てたものである。これを知人に話したら「唐招提寺の蓮のうちの"大白蓮"を某寺がいただ いて、それを分けてもらったのを育てているが一株あげようか」とおっしゃった。それをい ただいて育てていた"大白蓮"が花をつけた。しばらく旅行に行くので、それまでに咲いてほ しいな・・・と願っていたら本日開花した(右の写真)。とても清楚で気品があり美しい。 メダカ用の鉢の中にもう一つ鉢を入れて蓮を植えておくと、水が浄化されるのか、水の透明 度が良くなる。それに、花が無くても、葉っぱの緑が綺麗である。今年はお盆に仏前にかざ る蓮の葉は自宅で調達できそうである。


2012.7.16

伊吹山

またしても同じ失敗をした。朝起きて"つゆが明けて暑い一日になりそうだ"と思った。連休 2日目で何も予定がない。そこで"高山植物が咲いていて且つ涼しい伊吹山に行こう"と思い ついた。9:30に家を出て12:00に伊吹山頂の駐車場に着いた。濃いガスで覆われていたが、 時々切れて青空となる天気で、涼しくて心地よい気温であった。西遊歩道コースを登って 行くとグンナイフウロは花が咲き終わっていたがイブキトラノオ、アカショウマ、カノコソウ、 ミヤマコアザミが花盛り、夏の花はこれから・・・といった状況であった。山頂より少し下で、 イブキフウロ、キンバイソウ、メタカラコウ、・・・を眺めながら、途中のSAで買った山菜弁当 を食べた。山頂の売店で一個百円の冷やしたトマトを買って食べた。山頂の囲いをした岩地に イブキジャコウソウ(右の写真)が咲いていた。山頂からは下り専用の東遊歩道コースを下った。 入り口に"滑りやすく危険"との看板が立っていた所為か、人影は殆どなかった。ニッコウキスゲ、 キヌタソウ、シモツケソウ、エゾフウロ・・・が咲いていた。矢張り伊吹山は何時行っても好い。 16:00に山頂の駐車場を出発した。18:30には奈良の自宅に着けると思っていた・・・だが、 途中の名神高速道路が大渋滞。帰宅できたのは20:00であった。私のような自由人は連休に遠出 をすべきでないのだ。またしても同じ失敗をしてしまった。反省、反省。


2012.7.13

私の好きな食べ物 (18) ビーフシチュー

ビーフシチューの作り方(大庭英子著”基本の洋食”を参考にした)
1. 黒毛和牛のカレー・ビーフシチュー用の肉 (500g)をボールに入れ、塩(小さじ1/2)と 胡椒を適当にふりかけ手で揉み込む。
2. 玉ネギ(1/2個)とニンニク(1かけ)をみじん切りにする。
3. 煮込み用の鍋にバター(大匙1)を入れ、2の玉ネギとニンニクを加えて弱火で20分ほどきつね 色になるまで炒める。
4. 皿に小麦粉(大匙2)をばらまき、1の牛肉に小麦粉をまぶす。
5. フライパンを中火で熱してサラダ油(大匙1)を入れ、4の牛肉を入れ、全体にこんがりと焼き 色がつくまで返しながら焼く。
(4と5は3をしながら出来る)
6. 5を3の鍋に加え、赤ワイン(1カップ)、水(2カップ)、トマト(2個:赤く熟した大きなものを 1cm角にきざむ)を入れて中火で熱する。煮立ったらアクをとる。
7. 6にパプリカ粉末(中匙1、ハンガリー産)、砂糖(大匙1)、ローリエ(2枚)、ハーブ(今回は庭 に生えていたアオジソウ2枝)を加え、鍋に蓋をして弱火で2時間ほど煮込む。
8. じゃがいも(2個、メークインの大きなもの)、にんじん(1個)の皮を剥いて、2-3cm角に きざむ。玉ネギ(1.5個)をくし型に切る。
9. 5で使ったフライパンにバター(大匙1)を入れ、8のじゃがいも、にんじん、玉ネギを いれて全体に油が回るていどに炒める。
(7で煮込んでいる間に、8と9をおこなうと共に、片付けることのできるものは全て片付け、 まわりを綺麗にする・・・料理を楽しくするこつ)
10. 7の煮込みが終わったら9のじゃがいも、にんじん、玉ネギを再度熱した後7の鍋に加え、 15分ほど弱火で煮る。
11. 10にドミグラスソース(缶詰290g)を加えて混ぜ10分程煮て味をみて調味し火を止める。
(7の後半, 10, 11では焦げ付かないように時折攪拌すること。)
電磁調理器は火加減が精度良く出来とても便利である。


2012.7.11

平安な日々

東京での生活は私の奈良での生活とリズムが異なるのでなんとなく疲れる。奈良に帰って のんびりした平安な日々を過ごさせていただいている。庭のトマトのわき芽を切除し支柱を 立てた。メダカの水を換え、蓮に肥料をやり、メダカの稚魚を分離した。徒歩で片道25分か かるテニススクールにも、炎天下を歩いて往復している。ぎっくり腰に懲りて、足腰の鍛錬 と思って続けている。庭の梅は今年は不作であった。それでも丁寧に摘み取って少しでは あるが漬けることができた。この梅干、次女の娘たちに好評で"出来上がったら送ってくれ" とせがまれている。いまのところ順調に漬かりつつある。幸せを感じるのは、庭の花を切っ てきて生け、美味しい玉露を心静かにいただく時だ。感謝・感謝である。


2012.7.6

次女の手伝い

6月30日に神戸でテニスをした後東京へ行くことになっていたが神戸は雨で中止。東京の次女の 家に17:00に着いた。鍵がかかっていて留守。電話をしたら「ミュージカルに行っていて帰宅は 19:30」以後だと言う。仕方が無いから荷物を塀越しに投げ込んで、青山あたりを散歩して時間を つぶす。6月25日から手伝いに来ていた愚妻と20:00に渋谷で落ち合い夕食。9:30頃次女の家で眠 ろうとしていたら次女一家5人が帰宅。翌日もミュージカルに出演するという7才と5才の孫娘は 疲れ果てて眠っていた。まもなく生後8ヶ月になる男の子だけは、途中で眠っていたのか・・・、 元気であった。
7月1日12:00から開演のミュージカルを拝観させていただいた。年中組から中3までの36名の子供 たちが、のびのびと歌い・踊っているのには感心した。指導者の力量は素晴らしいと思った。 15:30愚妻は解放されて奈良に帰った。私も次女の家に帰った。次女一家5人は16:00から上演にそ なえて残った。生後8ヶ月になる男の子も大変である。22:30次女一家が沢山の花束とお菓子を 抱えて帰宅した。
7月2日私が7才の孫娘を小学校への付き添いに行くことになっていたが、孫娘は疲れて起きてこな いので、ギリギリまで眠らせて父親が車で送っていくことになり、私の役割は"18:30に食べられる 様に夕食を作ること"だけとなった。それで私は、次女の家から徒歩で15分程でいける国立新美術 館へ行き"エルミタージュ美術館展"を観に行った。私はイヤフォンガイドを借りて、ゆったりと拝 観させていただいた。作品を各世紀を象徴するキーワードを軸に紹介してあった。16世紀 ルネサンス: 人間の世紀、17世紀 バロック:黄金の世紀、18世紀 ロココと新古典派:革命の世紀、19世紀  ロマン派からポスト印象派まで:進化する世紀、20世紀 マティスとその周辺:アヴァンギャルドの 世紀。これも明快で良いのではないか・・・。昼食を館内のカフェで食べたが美味しくなかった。 私は夕食にビーフシチュウを作ったが、これの方がずっと美味しかった。
7月3日私が5才の孫娘を幼稚園へ連れて行くことになった。次女の家からタクシーで1350円、15分 程で着いた。帰りは電車、バスと乗り継いで30分ほどかかった。14:00に家を出て、5才の孫娘を幼 稚園へ迎えに行き、英語スクールへ連れて行った。次女が「"濃い口だし醤油"を作って欲しい」と 言った。どうせなら・・・と1.5リットル程作った。これで当分大丈夫だろう。夕食には、牛肉の そぼろを作りオムレツに散らした。ほうれん草のおひたし、こいもの煮っ転がし、とうもろこ しのゆでたもの、"濃い口だし醤油"を作る際に出来た"椎茸の煮物"、"昆布の煮物"、ブロッコリーと 枝豆。孫娘は「お母さんの料理より美味しい」と言った。次女は「なんていうことを云うの」と 言った。
7月4日私は7才の孫娘を小学校への付き添いで行くことになった。バスを乗り継いで40分、待ち時間 と徒歩の時間を入れると1時間弱かかった。次女の教育方針だから、私は何も言わない。 携帯電話の蓄電が無くなり、蓄電器も持参していなかったので、Docomoショップへ蓄電に行った。 待ち時間に、六本木ヒルズへ行って昼食。にぎり寿司を食べたが美味しかった。 14:00に家を出て7才の孫娘を途中の駅まで迎えに行き、7才の孫娘と共に次女の家から徒歩で5分程で いける根津美術館へ行った。展覧会"中世の人の花会と茶会"が開催されていた。それに合わせてか、 庭園内にある4棟の茶室で大規模な茶会が開催されていて、100人を超える和装のご婦人・家元衆が 庭園や展示館内におられて壮観であった。7才の孫娘の目的は"庭園内を走りまわることと庭園内のレス トランでハンバーグステーキを食べること"であった。夕食には、前日に好評だったほうれん草のおひたし、 こいもの煮っ転がし、とうもろこしのゆでたものに加え、茄子の煮物、真菜とあげの焚き合わせ、 豆腐とエノキのお吸い物、ソーセージの油炒めを作った。
7月5日次女は「7才の孫娘を小学校へ連れた行った後、夕食を作ったら奈良へ帰っても良い」と言った。 私は、肉じゃが、インゲン豆の煮物、牛肉のそぼろを散らした玉子焼きを作った後、18:00奈良の自宅 に帰着した。


2012.7.2

我家の太陽光発電 報告(14)

関西電力から本年6月の受給電力量(こちらから関電に売った発電量)と使用電力量(こちらが関電 から買った電力量)の通知があった。受給電力量が207kWh、使用電力量が181kWh(デイタイム:7kWh, ナイトタイム:92kWh, リビングタイム:82kWh, 1kWhの料金はそれぞれ28.02円, 8.19円, 21.64円)であった。 関電に売った発電量の値段が9,936円(1kWhの料金は48円)。関電から買った電力の料金は4,063円 であった。我家の6月の各日の発電量/消費量を示すモニターの画面を写真に示す。6月の発電量は 5月の発電量より若干少なかったが、使用電力量も若干少なかった。このため発電量(受給電力量) が消費量(使用電力量)より多かった。ちなみに、昨年6月の受給電力量は220kWhであった。


2012.6.29

ミュージカル

小学1年生になる次女の長女から電話がかかってきた。「6月30日と7月1日にミュージカルに 姉妹で出演するから観にきませんか?」と、私は「それでは7月1日に観に行かせていただきます」 と応えた。「ワァー、嬉しい」と孫娘は叫んだ。その後、次女が電話に出て「その後暫く東京 にいて食事作ってくれへん?」と言った。・・・と云う訳で、私は6月30日に神戸でテニスをした後、 東京へ行くことになった。カバンには料理の本を2冊入れて・・・。


2012.6.25

奥日光ハイキング

1: 金精峠から見た湯の湖、湯元温泉、戦場ヶ原、男体山(2486m) 2: 赤沼付近の自然研究路から見た戦場ヶ原と太郎山(2368m) 3: 丸沼高原ロックガーデン(2000m)から見た日光白根山(2578m)
大学時代の化学科の同級生7人とその友人・細君3人を加えた10人で、2泊3日(6月21-23日) で、奥日光ハイキングに行った。リーダーは大学時代はワンゲルで鍛え、日本百名山を全て踏 破し、今でも海外登山さえする頼もしい友人である。私たちはこの友人に案内していただいて、 屋久島、利尻礼文、草津白根山に行った。今回は我々の体力を考慮してか・・・登山でなくて、 奥日光ハイキングとなった。台風4号は直前に通過していたが、台風5号が北上していて、20日 の天気予報は"21,22日が雨、23日が曇りのち晴れ"であった。雨の中のハイキングを覚悟し、 雨・寒さ対策を万全にして出かけていった。
6月21日6:40近鉄奈良発の列車で京都に着き、7:42京都発のこだまで10:03東京、10:52東京発の 上越新幹線たにがわ407号で12:07に上毛高原駅に着いた。そこから2台の乗用車に10人が分乗 した。国道120号線沿いの蕎麦屋で昼食。舞茸天麩羅ザル蕎麦を食べた。この辺りは、舞茸の特 産地であり、蕎麦屋が沢山あった。14:00吹割の滝を見物した後、15:00武尊山(ほたかさん、2058m) の中腹にある武尊牧場(1500m)へ行った。蓮華ツツジ(写真4)、マイヅルソウ、アカバナイチヤクソウが 見頃であった。曇りであったが雨は降らなかった。金精峠(2020m、ここからの景色は写真1)を 経て、18:00日光湯元温泉の旅館に到着、この旅館で2連泊した。入浴の後、19:15夕食。19:00 の天気予報では"22日の午前は雨、午後は曇りのち晴れ"であった。
6月22日6:45起床。夜中に雨が降ったが、朝には雲はあったが時々青空が見えた。温泉に入った後、 8:00朝食。9:002台の乗用車に分乗。湯滝を見物した後、10:00三本松展望台から戦場ヶ原を展望。 11:30竜頭の滝を見物しながら昼食。12:30竜頭の滝近くの駐車場に車を置き、中禅寺湖周遊道を 赤岩、熊窪を経て千手ヶ浜まで歩いた。ミズナラやトチの巨木(右の写真はミズナラの巨木)が生い 茂る山道で、濃い靄が立ちこめ、新緑の美しい周遊道であった。千手ヶ原には沢山のクリンソウ (写真5)が咲き乱れていた。15:15千手ヶ浜から低公害バスに乗り石楠花 橋で下車、竜頭の滝近くの駐車場まで川沿いの道を歩いた。その後、車で赤沼まで行き、戦場ヶ 原の自然研究路を歩いた。湯川の両岸にはズミの木が沢山生えており白い花を咲かせていた。 戦場ヶ原にはワタスゲ、蓮華ツツジが咲いていた。この頃には写真2に見るように快晴。18:00 旅館に帰着。19:15夕食。
6月23日6:45起床。快晴。ラッキー・ラッキー。温泉に入った後、8:00朝食。9:00車で丸沼へ行っ た。多くの人が釣りを楽しんでいた。その後、丸沼高原スキー場(1380m)へ行き、日光白根山ロー プウェイに乗って白根山登山口である丸沼高原ロックガーデン(2000m)へ行った。ここの目玉は 白根アオイ(写真6)である。調度満開の時であった。我々のリーダーは白根アオイの咲く頃を狙って、梅雨 時であるにもかかわらず・・・、この時期に計画したのであろうと私は推定した。ロックガーデン ではコマクサ、クロユリ、エゾノツガザクラ、チングルマ、イワカガミ等も花盛りであった。 12:00に下山し、15:00上毛高原駅まで車で送っていただき別れを告げた。15:20上毛高原駅発の列車 に乗り20:05に近鉄奈良駅に帰着した。
予想外の好天に恵まれ、楽しいハイキングであった。何時まで元気でこのような旅を楽しむことが 出来るのだろうか。健康に感謝・感謝。リーダーおよび同行の諸氏に感謝・感謝。
4: 蓮華ツツジ 5: クリンソウの群落 6: 白根アオイ



2012.6.18

坂東玉三郎

京都南座で開催されている坂東玉三郎特別公演を観に行って来た。2週間ほど前に切符を手 に入れようとしたのだけど、特別席・1等席は売り切れていて2等席しか無かった。それで 双眼鏡を持って行った。出し物は「壇浦兜軍記:阿古屋琴責めの段」と「傾城」であった。 「壇浦兜軍記:阿古屋琴責めの段」はまさに玉三郎ならではの至芸であった。琴、三味線、 胡弓を演奏し、阿古屋の性根と心情を表現し、観客を魅了できる役者は今後も現れないの ではないだろうか。美貌な役者は生まれても、玉三郎のようにストイックで努力と精進の できる役者は希代である。私はイヤホーンガイドを借りて、解説を聞きながら観劇させて いただいた。とても分かりやすくて良かった。特に琴、三味線、胡弓の演奏が始まる直前に 「以後解説はしませんから、イヤホーンを外して両耳で演奏をお楽しみ下さい」とアナウンス されたのは良かった。この「壇浦兜軍記:阿古屋琴責めの段」は私が今までに観た歌舞伎で最高であった。 双眼鏡は手の動き・目の動き・顔の表情を最前列で観るより詳細に観ることを可能にしてくれた。 双眼鏡を持っていけば2等席で十分だと思った。「傾城」も玉三郎ならではの華麗な長唄舞踊 であった。幕間に観劇ロビーで開催されていた"玉三郎美の世界展"を楽しむことも出来た。


2012.6.16

武田尾温泉

今年の1月22日のブログに記したが、愚妻は神戸と京都にお住まいの仲の良い友達と時々集ま ってご馳走を食べ・お喋りを楽しんでいる。その三人組が今度は、それぞれの夫を加えて "武田尾温泉"への一泊旅行を計画した。"武田尾温泉"を私は知らなかったが、JR福知山線を 利用して大阪駅から1時間たらずで行けるのだけど、ひなびた山間の温泉であった。21日の 14:30頃宿に着き、荷を置いて散歩に出たところで、他の夫妻に出会った。川沿いの道で双眼 鏡で山の方を見ている三人組に出会った。何の鳥を見ているのだろうかと訊ねたら「ヨコグラ ノキを探しています」とのことであった。高いところなので写真には旨く撮れなかったが、黄 色い花が咲いていた。和名の由来は、高知県の横倉山で牧野富太郎博士によって最初に発見さ れたことによると説明してくださった。JRの廃線跡をあるいていたら野ウサギにも出会った。 17:30から夕食をいただき、19:40から蛍を見に行った。その頃から小雨が降り出したが、宿の 大きな傘を持っていった。沢山の蛍が乱舞していて堪能することが出来た。21:00宿に帰着し 、お喋りを楽しんだ後、源泉かけ流しの温泉に入った後床についた。この宿は、全室、離れ 形式であり、三組の夫婦は、別々の離れで寝た・・・念のため。22日は朝から小雨であった。 宿の前は武庫川の源流で(写真の右手に宿がある)、周りは深い自然林で新緑が美しかった。 温泉に浸かった後,8:30から1時間余をかけて朝食を楽しみ、10:00にチェックアウト。


2012.6.10

木曽御岳・開田高原探鳥会

日本野鳥の会奈良支部が主催する1泊2日の探鳥会に担当幹事の一人として参加した。実際は 他の2名の幹事の方が全てをやって下さったので、私は付録で、会費を集めただけである。 「貴方は担当幹事だからちょっと早めに着てください」と言われていたので、9日8:00の集合 時間より30分程前に集合場所の近鉄奈良駅前に着いた。驚いたことに、参加者38名の半数以上 の方が観光バスに乗車していらっしゃった。14:00木曽御岳の麓にある開田高原に着いた。生 憎の小雨であったが、高原の鳥と野草を楽しむことが出来た。17:00バスに乗り、18:00宿泊宿 である"名古屋市民おんたけ休暇村"に着いた。入浴、食事のあと22:00まで団欒。10日は4:15に 起床、朝食の握り飯をリュックに入れて、5:00にバスに乗り6:00御嶽山登山道:王滝口の起点と なる田の原(標高2180m)に着いた。小雨であったが雨具を身に着け・体勢を整えて出発した。 8年前の同時期に行ったことがあるのだけど、今回は残雪が諸所の窪みにあるのにびっくりした。 1km程登山道を行くと急な登りになった。登山道が一面雪で覆われていた。シマッタと思った。 アイゼンを持ってくるべきであった。ここで28名は引き返して"田の原天然公園"で鳥と花を見る ことになった。私はエッジの利く登山靴を履いていたので登山を続ける組に入った。途中で朝食 を摂り、森林限界を超えた標高2470mの8合目まで行くと雪は少なくなった。さらに上へ行くと また雪道となるので8合目付近で野鳥観察をして下山することにした。この頃、天気は良くなり、 継母岳(2867m)が見えるようになった(右の写真)。カヤクグリやライチョウにもお目にかかること ができた。全員無事下山し18:30近鉄奈良駅前に着いた


2012.6.8

私の好きな食べ物 (17) ウルメイワシの丸干し

この頃いろんなサプルメントが販売されているが、私はそれよりウルメイワシの丸干しを 毎日一匹いただく方が良いと信心して、食べている。写真の小さい方(10-12cm)のはスーパ ーでも売っている。大きい方(18-20cm)は魚屋さんで買っている。小さい方のはまとめて一 度に20匹位焼いて(電磁調理器の魚焼機能で4分)、食事時にポリポリと食べる。おやつにも なる。大きい方は惣菜に蛋白質が無いとき焼いて(電磁調理器の魚焼機能で6分)食べる。私 には一匹食べれば十分である。冷蔵庫に常備しているととても便利である。それに美味しい。 勿論、頭から尻尾まで食べる。子供のとき父親に「頭を食べないなら食べるな」と言われて、 泣きながら食べた思い出がある。


2012.6.5

私の好きな食べ物 (16) 破竹

近隣にお住まいになる次女の友達から破竹の竹の子を沢山頂いた。すぐに大きな鍋を二つ用 意し湯掻いた。破竹はあくが少ないので糠を入れる必要は無い。15分ほど湯掻いた後、1時 間ほど放置し、その後皮を剥いて流水に30分ほどさらした。
根元に近い部分は2mmほどの厚さに輪切りして、サラダオイルで炒めた後、だし汁、日本酒、 砂糖、醤油を加えて煮汁が殆ど無くなるまで煮つめ、最後に胡麻油を加えた(写真右)。
先端に近い部分は乱切りし、だし汁、日本酒、砂糖、薄口醤油を加えて10分ほど煮た。乾燥 ワカメを水で戻し、適当に刻んで加え、煮立ったらところで火を止めた(写真左)。
湯掻いた破竹はまだ沢山あるので、水に浸して冷蔵庫に保管した。


2012.6.4

我家の太陽光発電 報告(13)

関西電力から本年5月の受給電力量(こちらから関電に売った発電量)と使用電力量(こちらが関電 から買った電力量)の通知があった。受給電力量が260kWh、使用電力量が221kWh(デイタイム:7kWh, ナイトタイム:111kWh, リビングタイム:103kWh, 1kWhの料金はそれぞれ28.02円, 8.19円, 21.64円)であった。 関電に売った発電量の値段が12,480円(1kWhの料金は48円)。関電から買った電力の料金は4,608円 であった。我家の5月の各日の発電量/消費量を示すモニターの画面を写真に示す。5月の発電量は 4月の発電量とほぼ同じであったが、使用電力量が大幅に減少した(これはエアコンをほとんど使用 しなかったことが大きいと思われる)ため発電量(受給電力量)が消費量(使用電力量)より多かった。 これが理想である。しかし、6月はエアコンを使うので、こうはいかないだろう。昨年5月の受給電 力量は248kWhであったから、発電性能の劣化は無いと思って良さそうである。


2012.5.27

芦生の森

先日、木梶林道へ一緒に行った大学時代の同級生と京大理学部量子化学研究室の先輩の一人 に声をかけて、3人で京都大学フィールド科学教育研究センター芦生研究林へ行った。計画は 全て同級生が立ててくれて私は京都の北山へ行くとだけ聞いていた。7:30に家を出て9:00に 烏丸北大路に着いた。そこから同級生の車に乗せていただいた。鞍馬、花背峠を経て花背に 10:00に着いた。小休止の後、広河原を経て、佐々里峠標高(735m)に着いた。峠に車を止め、 日本海と太平洋への分水嶺だという尾根を歩いた。そこはブナやミズナラの生い茂る自然林で あった。少し進むと樹齢数百年と思われるアシウスギ(右の写真はそのうちの一つ)が群生し ていた。ツツドリ、ジュウイチ、アカゲラ、アカショウビン、クロツグミ等の野鳥の声も 頻繁に聞くことが出来、広大な自然林の中ならではのものであった。12:30に持参の弁当を食 べ、アシウスギの一つに頬をよせて別れのハグをした後、引き返して15:30佐々里峠にもどった。 烏丸北大路まで同級生に送っていただき、18:30帰宅した。新緑も美しく、広大な自然林の 芦生の森へ連れて行ってくれた同級生に感謝・感謝である。


2012.5.25

庭の蝶

庭を散策していてオャと思った。コミスジにしては大きい。早速カメラを取りにいって戻っ たら運良くシラネアオイの葉にとまった。孵化して間もないのか動きが遅い・・・それに 無傷で完璧形である。それの写真を撮ることができた。次にねむの木の葉裏にとまった。 羽根裏も見ることが出来た。図鑑を調べて、ホシミスジと同定した。美しい蝶である。
さらに、イブキジャコウソウにアカタテハが来ていた。小さな花だけど蜜は豊富なのか色々 な蝶がやって来る。


2012.5.22

健康管理

人間ドックの結果を聞きに病院に行った。担当医師から「結論から言えば、極めて健康」と 告げられ「有難う御座います」と言って帰ってきた。問題は腰である。ぎっくり腰は大変で ある。この腰を強くする必要がある。ぎっくり腰になると、クシャミをしても痛いしピアノ を弾くことも出来なくなる。楽しいテニスも出来なくなる。腰を強くするため、今、心がけて いることは、1) 姿勢良く腰掛けること。これがなかなか難しい。2) 歩くこと。歩数計を持 って一日に8000歩以上歩くことにした。テニススクールにも歩いて行くことにしている。 「いつまで続くか・・・」とテニススクールの仲間に言われたが、まだ続いている。両手に 何も持たず荷物は背負って、手を振って歩くことにしている。ぎっくり腰になって"歩くこと が快適"であることを思い知ったのである。歳相応に老化していると思うが、なんとかテニス が続けられる程度に、少しづつ鍛えていきたいと思うのでありますが・・・。
ことしは大山蓮華が沢山花を付けた。蕾を切ってきて花瓶にさしたら綺麗に花が開いた。


2012.5.15

美しい花

庭に地植えした一重の白い花のシャクヤクが今年も花を付けてくれた。何年も懸けて捜し 求めて、やっと手に入れることの出来た"一重の白い花のシャクヤク"である。清楚で 気品あるこの花が私はとても好きだ。


2012.5.7

テニス

今日は久しぶりに神戸へ行ってテニスをした。最初は自重していたのだけど、容赦なく攻めら れるので、徐々に熱くなり、つい自制心も失ってしまった。でも、どうやら無事に帰ることが 出来た。一緒に山へ行った同級生は「ゲーム性のスポーツ・球技はつい無理をするからやめろ」 と忠告してくれるのだけど・・・。今日の結果は、有り難いことだ。もう少しテニスをするこ とが出来そうである。感謝!感謝!


2012.5.6

我家の太陽光発電 報告(12)

関西電力から本年4月の受給電力量(こちらから関電に売った発電量)と使用電力量(こちらが関電 から買った電力量)の通知があった。受給電力量が267kWh、使用電力量が352kWh(デイタイム:16kWh, ナイトタイム:172kWh, リビングタイム:164kWh, 1kWhの料金はそれぞれ28.02円, 8.19円, 21.64円)であった。 関電に売った発電量の値段が12,816円(1kWhの料金は48円)。関電から買った電力の料金は6,500円 であった。我家の4月の各日の発電量/消費量を示すモニターの画面を写真に示す。4月の発電量は 太陽の日差しが強くなったため増大した。昨年の5月の天気の良い日の発電量と今年の4月の天気 の良い日の発電量を比較するとほぼ同じなので発電装置の劣化は無いと思われる。埃などが付い て発電量は減少するかと思っていたが、それは無いようで良かった。


2012.5.5

木梶林道

大学時代の同級生から「台高の木梶林道でも歩いてみましょうか」と声をかけられた。 木梶の滝は何度か行ったことがあるので、あそこなら行けそうだと思って同意した。 高見トンネルを越えたすぐ右手の駐車スペースに10:00集合の予定であったが二人とも 9:30集合に着いた。そこから同級生の車に同乗して、木梶の滝展望台まで行き、そこか ら川に沿った道を歩いた。新緑も美しく、各所に滝があって、とても綺麗な谷であった。 林道がなくなって、山仕事の人たちが歩いたと思われるような道を登って行って、12時 を少し過ぎたところで昼食をとり、そこから少し登った後、下山した。同行の同級生は 「昨年に肺癌の手術をした」と言っていたが、私より元気であった。あの深い谷筋のい ろんな道を知り尽くしているのには驚いた。そして、道端に"空き缶"や"飴の包み紙"が 落ちていたら拾っていた。私は感心するばかりで、自分で拾うことはしなかった。


2012.5.3

信楽作家市

信楽の「陶芸の森 太陽の広場」で「第6回 信楽作家市」が開催されている。私は昨年も、 一昨年も出かけていった。そして今年も行った。100人以上の陶芸作家が、それぞれ自分の 作品を持ってきて展示販売をしていらっしゃる。作家の方々と直接話をし質問できるのは 楽しい。昨年は所持金が少なくて"ちょっと値切りのやりすぎ"をしてしまった作家さんの 所へ行った。私の顔をみて挨拶されたから、今年は値切らずに買った。右の写真の花瓶が それである。愚妻から「アサザを植える鉢を買ってきて」と恃まれていたので、信楽焼ら しい緋色の美しい鉢を買った。作家さんに「申し訳ないけど、アサザを植える鉢にするん ですけど・・・」と言ったら「少し贅沢だけどおもしろいですよ」と許可が出た。家に帰 ったら、愚妻が「ナニ言ってるの。勿体無いから、菓子鉢かご馳走入れよ!」となった。


2012.5.1

テニス再開

待望の五月になったので、テニススクールに行った。痛みを感じるところも無く、テニスが できた。感謝!感謝!である。もう若くはないのだからペースを考えてやらなくてはいけな いと反省している。元気に生活できることがどんなにありがたいことか痛感した日々であった。


2012.4.29

私の好きな食べ物 (15) 竹の子の筑前煮

大きな山城の竹の子を2本いただいた。先端を切り落としても、我が家の一番大きな鍋では 湯掻けない。仕方が無いから一本は縦に2等分して湯掻いた。若竹煮との違いはワカメを入 れずに煮汁が殆ど無くなるまで炊いて、削り鰹を焦げないように煎って粉にしたのをかける だけだ。竹の子が良くないと手間隙掛けてもガッカリするが、これとても美味しかった。 竹の子御飯も、蕗との合わせ煮も作った。しばらく竹の子三昧である。


2012.4.28

人間ドック

今月中はテニスも乗馬も控えている。それで、今のうちにと恒例の半日人間ドックに行った。 定年退職後、毎年この時期に行くことにしている。人間ドックで一番イヤなのは内視鏡カメラ である。鼻から入れて後で鼻孔が痛かったことがあるので、口から入れるようお願いしている。 のどに通すのに苦しいし、胃から腸までかきまぜられるような感じでイヤだけど仕方がない。 血液検査の結果は5月18日に来院してくださいといわれた。この費用は37,800円であった。


2012.4.27

法隆寺

法隆寺夢殿の本尊"救世観音"が特別開扉されているので"連休前の混雑していない時期に"と思 って出かけていった。法隆寺の南大門をくぐると右の写真のような景色である。法隆寺は何時行っ ても"好いな"と感じる。五重塔も金堂も、その内部も・・・、良くこれだけのものが残されて きたと先人に感謝する。大宝蔵院は夢違観音、百済観音、玉虫厨子、橘夫人厨子、六観音等々 の崇高な宝物で充ちている。これらを拝観した後、夢殿に行き、救世観音、行信僧都像、道詮律 師像等を拝観した。夢殿の建物も美しい。その後、法隆寺周辺の田舎道・山道を周遊した。法隆寺 から1時間毎に、時をつげる鐘の音が聴こえてきた。


2012.4.25

私の好きな食べ物 (14) 握り飯の海苔巻き

解脱上人貞慶さんゆかりの笠置寺に行くことにした。弁当を持って行こうと思い立ち、古いアル ミ製の弁当箱を棚の奥から取り出した。夕食の残り御飯をにぎって、中に梅干しのつぶしたのを 入れ、それを海苔で包んだ。海苔をたっぷり使うとなんだか豪華な・美味しそうな握り飯になる。 これが食べやすく・本当に美味しいものとなる。これだけで良いのだけど、お菜箱がついている ので出し巻きを作り、残り物の菜の花の油炒めと沢庵とイチゴを入れた。笠置寺は木津川の南岸 にある標高289メートルの笠置山の上にある。麓のわかさぎ温泉“笠置いこいの館”まで車で行き、 そこから東海自然歩道でもある登山道を登って行った。笠置寺は磨崖仏の巨大な弥勒仏を本尊と する寺である。その磨崖仏の前で持参した弁当をいただいた後、巨石群からなる修験道の行場め ぐりをした。下山して温泉に浸った。


2012.4.24

解脱上人貞慶

昨年、東京国立博物館で、法然上人800回忌・親鸞聖人750回忌を記念して特別展「法然と親鸞  ゆかりの名宝」が開催されたが、本年4月7日から5月27日まで奈良国立博物館で貞慶(じょうけ い)の800回忌を記念して特別展「・鎌倉仏教の本流」が開催されている。 私はこの展覧会に行ってきた。イヤホンガイドを借りてゆっくりと拝観させていただいた。 阿弥陀の念仏をとなえれば救われるという法然・親鸞らによる新しい宗派が台頭してきた鎌倉 時代に、貞慶さんは興福寺で法相宗の唯識"すべてのものが心を離れて存在しない"を学び、戒 律・行を重んじ、興福寺、笠置寺、海住王寺、浄瑠璃寺、唐招提寺等の再興に功績のあった僧 である。ゆかりのある寺や神社の宝物が沢山集められ、良く整理されていた。右の写真は唐招 提寺蔵の紙本着色"解脱上人像"の部分である。


2012.4.20

私の好きな食べ物 (13) 若竹煮

美味しい"山城の竹の子"をいただいた。"山城の竹の子"は柔らかさが抜群である。他の産地 の竹の子を数日前に食べたが比べ物にならない。竹の子は大きいのが美味しく、先の方より 根元の肉厚なところの方が味が濃い。だだし、この場合柔らかいことが必須であり、竹の子 の品質が大事である。良いものは甘みがあり味が濃い。今回は茹でた竹の子をいただいたの で調理は簡単。竹の子(300g)を適当に切り、日本酒(大匙2)、だし汁(2カップ)、本みりん(大 匙2)、うすくち醤油(大匙2)を加えて、落し蓋をして10分余煮て冷ました。乾燥ワカメを水で 戻しきざんだ。冷まして味のしみ込んだ竹の子と煮汁にワカメと砂糖(大匙1)を加え、かき混 ぜながら中火で熱して、煮立ったら火を止めて出来上がり。


2012.4.21

またもや大失敗・・・

ぎっくり腰の症状は無くなったのだけど、椅子に30分も座っていると立つときに痛みがはしる。 痛みを感じるのは左の大腿骨の付け根あたりである。"歳をとって若いときのようにすぐには治 ら無いんだな"、"ジックリ時間をかけて治すしか仕方が無い"と思っていた。だが・・・
4月17日 腰痛が完治していないけどテニスがしたくてテニススクールに行った。十分注意して いたのだけど思わず変な姿勢で強打をした。"ズキッ"ときて"シマッタ"と思ったが遅かった。 いつも痛みを感じていた筋肉に激痛がはしった。テニスを中断して家に帰って寝た。"シマッタ・ シマッタ、えらいことしたと・・・"
4月18日 朝食の後、椅子から立とうとすると痛くてなかなか立てない。数分かけてジックリ立つ と痛みが弱まって行き、歩けるようになる。筋肉の伸縮に時間がかかり、その際に痛むようだ。 座ると立つときにとても痛い。困ったことだ。人間は立ったり・座ったりして生活していること が良くわかる。しかたがないからソファに寝転んで本を読んで過ごした。昼食の後、どうにか歩 けそうなので、近くの本屋さんへ行って”葉室麟さんの本"を買ってきた。葉室麟さんは最近直木 賞を贈呈されたのを機に読み始めたのだけど、とても優れた作家だと思う。その後、近くの整骨 院に行った。マッサージのあと超音波をつかった治療をしてくださった。なんだか楽になった。 夕食後、椅子から立とうとした際にもスンナリ立てた。"なんだか良くなったぞ"と思いながら 大事をとって21:00に床に入った。
4月19日 不思議である。朝食の後、椅子から立つ際にもスンナリ立てた。夢のようである。あの 痛みが全く無いのだ。大丈夫そうなので、メダカの水を替えた。何度も立ったり、座ったりするの だけど腰は痛くない。嘘のようだ。あの整骨院の院長さんには感謝・感謝である。だが・・・この 日は整骨院は休みでお礼に行けない。午後、若草山の麓にある一刀彫の店まで往復した。座る・立 つが自由に出来るようになった。ピアノの練習も出来るようになった。
4月20日 9:00整骨院へ行って、痛みが完全に無くなったことを報告しお礼を言った。超音波は画像 でモニターしながら当てているのでなく"感"でやっているとのことであった。この日はマッサージ だけで超音波を使った治療は無かった。 4月21日 長女の義父である整形外科医に電話し、経過を報告し、今後の対策を尋ねた。そして 「テニスをしてしても良いでしょうか?」と・・・。「一週間位はひかえて、それから徐々に始め られたら如何ですか」とのことであった。この助言に私は従うことにした。


2012.4.16

危ない!!!

京都駅に着いた愚妻からメールが来た。「近鉄奈良駅まで車で迎えに来て」と。私は「了解。 ひがしむき北町の出口付近で待っている」と返信した。私が車の中で待っていると、予定の 時間に愚妻はキャリーバッグを曳きながら出てきた。そこは、私の待っている場所の道路 (片側3車線・双方向道路で幅20mの幹線道路)の反対側である。愚妻は私の方を見ることなく どんどん東の方へ歩いて行った。私は携帯電話を取り出し電話したが気が付かない・・・耳が 遠いからしかたがない・・・と諦めていたら、方向が違うとと気が付いたのか、戻ってきて 私の車の方を見た。そして、いきなり急いで横断歩道を渡りだした。私はびっくりした。 赤信号なのだ。「あぶない」と叫んだが、気が付かない。平気で急いで歩いている。信号待ち していた車の運転手もびっくりし・あきれていたことだろう。愚妻は途中で気が付いた。双方 向道路の真ん中で止まった。歳をとると同時にいろんな事に注意が行かなくなる。あぶない・ あぶない。懇々と愚妻に注意したが・・・さて効果があるか分からない。私も同じようなこと をしているのかもしれない・・・。他の人が危険を避けてくれているために事故をまぬがれて いることは多々あるのだ。他の人がミスをしても事故を避けれるように注意しなくてはいけな い。歳をとると思い込みが強くなり、広く全体を見回して妥当な判断をすることが出来なくな る・・・ことがある。私も気をつけなくてはならない。「尖閣諸島を東京都が買う」などと喚 いている石原知事もそれだ・・・そんな人を選ぶ東京都民はもっと悪い。


2012.4.15

私の好きな食べ物 (12) 竹の子御飯

何度も手に入れることの出来た"山城の竹の子"は、掘り出すご当人が入院中とのことで 今年は期待できない。いつも行く無農薬野菜を販売している所へ行ったら竹の子が出ていた。 それを買ってきて竹の子御飯(右の写真)を作った。美味しくて満腹になるまで食べてしまった。
竹の子御飯の作り方
1. 竹の子の下処理: 洗って土を落とし穂先を切り落とす。大きな鍋に竹の子とぬかを入れ、 1時間強ゆでた後、ゆで汁に浸して1時間ほど放置する。皮を剥いてして1時間強水にさらす。
2. 炊飯器に米(3合)を入れてとぎ、水を流し出す。
3. 竹の子(300g)を切る: 穂先は縦に、根元は1cm程の厚さに輪切りにした後きざむ。
4. 薄揚げ(1枚)をきざむ。
5. 3と4を鍋に入れ、だし汁(1カップ)、本みりん(大匙2)、うすくち醤油(大匙2)を加えて10分 ほど煮て冷ます。
6. 2に5の竹の子・薄揚げ・煮汁を入れ、酒(大匙2)、本みりん(大匙1)、うすくち醤油(大匙2)、 水(1カップ)を加えて普通に炊く。
7. 炊き上がったら茶碗に盛り、木の芽をのせる。



2012.4.13

川路桜

猿沢池から興福寺へ行く52段の石段を登ると左手に"植桜楓之碑"がある。その碑には「幕末の 弘化3年(1846)から5年間奈良奉行を勤めた川路聖謨(かわじとしあきら)はその識見と善政 によって住民から深く敬愛された。彼の呼びかけで桜と楓の苗木数千株を東大寺・興福寺の両 寺を中心に南は白毫寺、西は佐保川堤まで植樹した」ことが記してある。川路聖謨の略歴を 調べると"下級幕吏からスタートし、支配勘定を経て御勘定に昇進。その後、寺社奉行吟味 物調役を経て、勘定吟味役に昇格、その後、佐渡奉行を経て、老中水野忠邦時代の小普請奉行 ・普請奉行として改革に参与した。水野忠邦が天保の改革で挫折して失脚した後、奈良奉行、 大坂東町奉行をへて、公事方勘定奉行に就任。1853年には、海岸防禦御用掛に任じられ、ペリ ー艦隊来航に際し開国を唱えた。また、下田で日露和親条約に調印。1858年には堀田正睦に同 行して上洛、朝廷に日米修好通商条約の承認を得ようとするが失敗。井伊直弼が大老に就任する と西丸留守居役に左遷。1863年に勘定奉行格外国奉行に復帰するも、僅か4ヶ月で役を辞する。 江戸落城の報に自尽して幕政に殉じた。享年67歳"とある。
「佐保川べりの桜が満開である」と聞いて、私はカメラを手にして出かけていった。我が家から 500m程でその桜並木の始点に行ける。平日にもかかわらず多くの人が見物に来ていた。その桜並 木は数km続いていて見事である。その中に数本、樹齢160年の桜があり"川路桜"と呼ばれている。 そのうちの一本の写真を右に示す。


2012.4.12

愚妻の留守

次女の要請で愚妻は東京へ行っていて私は一人暮らしである。先ず掃除をして家の中を綺麗 にし、庭の花を切ってきて、数個の花瓶に生けた(右の写真は、ニリンソウ、サクラソウ、ム スカリを藤本秀さん作の枡形花器に生けた)。菊屋で和菓子を買ってきて、上田直方さんに 譲っていただいた茶器で玉露を入れ、ゆったりと頂く。庭の草木に水遣りを恃まれていたの を思い出し、せっせと水を撒いた。小さな草花が沢山あって、良く見ると米粒の様な小さな 花を付けている。さっそくカメラを持ち出して、腹ばいになったり・膝を着いたりして、写 真を撮った。愚妻に報告すると「貴方の写真では駄目。自分で撮らなくちゃ・・・」と、口 実を作って週末に一時帰宅をするそうだ。愚妻は「貴方も東京へ手伝いに来たら・・・」と 言ったが、私は「ぎっくり腰がまだ完治していないので行きたくても行けない」のだ。


2012.4.8

仏生会

4月8日はお釈迦様の誕生日であり、花まつり(仏生会)が多くの寺院で行われている。私は 東大寺へ行った。大仏殿のいつもは線香盤が置いてある所に、右の写真に見るように、屋根 を杉の葉、仏舎を椿とアセビで飾った花御堂を築き、その中に潅仏盤を設置し誕生釈迦仏が おまつりしてあった。50人ほどの行列に並んで、甘茶をふるまっていただき、誕生釈迦仏に 甘茶をかけて手を合わせてきた。大仏さんに参拝した後、南大門北側の勅使門から東大寺本 坊に入り、一般公開されていた"天皇殿、聖武天皇・光明皇后御影、襖絵、庭園"を拝観させ ていただいた。天皇殿には聖武天皇座像がおまつりしてあり、僧侶の読経が行われていた。 普段は入れない本坊の庭には、校倉造の経庫があった。桜も七分咲きであり、堪能すること が出来た。


2012.4.6

5代上田直方

滋賀県立陶芸の森で開設20周年記念の特別展「しがらきやき-直方の茶陶 春斎の壺-」が 平成22年9月18日(土)~12月12日(日)に開催された。五代上田直方(1928-)と髙橋春斎 (1927-2011)は、焼締陶、穴窯焼成による信楽焼の伝統技法を守りながらも、独自の感性 を盛り込んだ作品を制作する現代信楽焼の二大巨匠である。私はその展覧会を観させていた だいた。その際に展示されていた煎茶器がとても気に入ったので、一度窯元を訪れて、気に 入ったのが在ったら手に入れたいと考えていた。今日、暇ができたので、出かけて行った。 信楽の鉄道駅前の駐車場に車を止めて"窯元散策路"を歩いて、上田直方さんの御宅に行った。 家の前に上田直方さんの奥さんがおられたので「五代上田直方さんの作品を見せていただき たい」とお願いした。20点ほどの作品が展示してあったが、私が欲しいと思っていた急須は 無かった。ガッカリしたが奥さんとお話をしているところへ、五代上田直方さん出てこられ た。私が「特別展で拝見した煎茶器がとても気に入ったのですが、ああした煎茶器は御座い ませんか」と尋ねたら「特別展に出したのは自分用に作った物で、何度もゆずってほしいと 恃まれたのだけど・・・どこにしまったかな・・・」といって奥に入られた。しばらくして 「ありました」と現物を持ってこられた。私は「これだ。形も善いし、灰被りも素敵だ。大き さもうまく手に収まって素晴らしい。」と言った。上田直方さんは「どの作品も自分で使っ たとき使いやすいように作っている。この作品、この形、他に無いでしょう」とおっしゃっ た。暫く話しながら「ぜひ譲って欲しい」とお願いした。話している間に互いに気が合う感じ になってきた。最後に「気に入っていただいた人につかって頂くのが良い」と言って譲ってく ださった。値段も格安であった。右の写真がその煎茶器。特別展の図録冊子には"寸胴煎茶器 (1965年制作 急須:高9.0x幅11.1x径8.6、湯呑み:高5.2x径5.6)"と記載されている。大切に愛用 したいと考えている。


2012.4.4

テニス再開

ぎっくり腰になって以来25日間テニスをひかえていた。「痛みがとれても完治したのではない。 損傷は瘢痕組織で修復される。瘢痕は形成されるのに3週間。しっかりした結合組織に変わる のにさらに3週間。痛みがとれても6週間たたないと治っていないと認識することが大切です」 は金言である。これを認識し、夢中になって激しい動きをしなければ、そろそろ運動しても善いの ではないかと思い、テニススクールに行った。二時間ほどテニスをしたが腰に痛みを感じること は無かった。ボールがくると体は自然に動いてしまうので少々危険ではあった。
ぎっくり腰の再発を防ぐにはどうしたら良いか考えた。今までの生活では、テニスと乗馬で運動 していたのだけど、歩くことが少ないと思った。そこで歩数計をポケットに入れて、毎日最低8000歩 は歩くことにした。8000歩に満たない日は、夕刻に近くの鴻池運動場まで歩くことにした。いつ まで続くかと冷やかされるが、一週間続いた。テニススクールへ行くのに車で通っていたのだけど これも歩くことにした。片道2km程なのでほど良い距離だ。今日の歩数計のカウントは16268.
右の写真は、水滴にユキワリソウの花を挿したもの。


2012.4.2

我家の太陽光発電 報告(11)

関西電力から本年3月の受給電力量(こちらから関電に売った発電量)と使用電力量(こちらが関電 から買った電力量)の通知があった。受給電力量が161kWh、使用電力量が602kWh(デイタイム:32kWh, ナイトタイム:228kWh, リビングタイム:241kWh, 1kWhの料金はそれぞれ28.02円, 8.19円, 21.64円)であった。 関電に売った発電量の値段が7,728円(1kWhの料金は48円)。関電から買った電力の料金は8,878円 であった。我家の3月の各日の発電量/消費量を示すモニターの画面を写真に示す。3月の発電 量は2月の発電量の1.8倍に増えた。太陽の日差しが随分強くなったのだ。使用電力量は2月と比べ て微減。寒い日があってエアコンによる暖房をオンにする習慣がまだ続いているためだろう。


2012.3.30

ウラギンシジミ

ピアノの練習に飽きて庭を眺めていたら、ヒラヒラと蝶が飛んできた。オヤッと思って良く 見るとウラギンシジミのメスだった。早速カメラを取り出してその姿を撮った。成虫で越冬 したものが、好天で活動しだしたものと思われるが、殆ど瑕の無い立派な秋型であった。 水を遣ったばかりのユキワリソウの植木鉢にとまって水を吸っていた。数日前には、モンシ ロチョウがリュウキンカの花にとまり蜜を吸っていた。梅の花にはミツバチが沢山来て、 ブンブンと羽音をたてている。春はもう真っ盛りである。


2012.3.28

私の好きな食べ物 (11) 土筆の油炒め

昨日は昼間に採った土筆のハカマを、夜にテレビを見ながら取った。土筆を採るのは楽しいが、 このハカマ取りは大変である。それでも、一本一本丁寧に取った。指先が真っ黒になった。2 時間程で3分の2程を終えたら、愚妻が出てきて横に座った。ハカマ取りをしないと食べれな いことを知っているのだ。私は、自分でハカマ取りをした土筆を水で綺麗に洗ってザルで水切り をしてから風呂に入り指先を石鹸で洗った。朝食の後、鍋にオリーブオイルをいれ、水切りし ておいた土筆をいれて炒めた。しんなりとしたところへ"HK式濃縮だし醤油(作り方は2010.5.11 のブログに書いてあります)と本味醂を加えて、中火で汁が無くなるまで炒めて出来上がり。春 に帰郷する度に、父が摘み母が調理してくれた懐かしい"季節の味"である。これはご馳走である。


2012.3.27

野歩き

愚妻は義母が親しくしていた叔母のお見舞いに行った。私は快晴の天気に誘われて野山を歩 きたくなったので出かけて行った。車で15分ほどでいける大慈仙まで行き、路傍に車を止め て、聖多林まで山道を往復した。この道は東海自然歩道の一部で奈良から柳生まで続いてい る。休日だと多くのハイカーを見かけるが、途中で遭ったのは二人だけであった。田んぼの 畦に土筆が芽を出していた。「そうだ・・・土筆を採ろう」と夜支布山口神社まで車で移動 した。そこは私が毎年土筆を採る所で、土筆の宝庫である。右の写真のように沢山の土筆が 生えていた。今年は野鳥が少ないな・・・と思っていたが、何処かへ移動していたのか・・・、 この日は沢山見かけることが出来た。土筆を採った後、双眼鏡を手にして畦道を歩いた。


2012.3.25

金春康之演能会

久しぶりに金春康之さんの演能会に行って来た。会場はいつものように奈良県新公会堂能楽 ホールである。奈良は能楽発祥の地であるので新公会堂には立派な能楽堂があり、金春一門 の演能会が定期的に行われている。演能会の前に、新公会堂内のレストランで昼食をとった が、値段が高く、味も最低であった。これなら"自分で作った方がずっと美味しいと思った"。 前回も値段が高くまずかったが、店が変わったというので、美味しいかも・・・と期待して 行ったのだが、期待はずれであった。演能会は14:00から始まった。金春穂高氏の仕舞「岩舟」、 金春安明氏の仕舞「田村」、善竹隆司氏をシテとしての狂言「茶壷」のあとに、金春康之氏 がシテをつとめる能「定家」が演じられた。藤原定家と式子内親王の恋を題材としたこの能 の後半、僧の弔いの御礼に舞う式子内親王の亡霊の舞は、奥ゆかしく華麗な舞で圧巻であった。 大鼓、小鼓、笛も良かった。終曲の謡「もとの如く這いまとわるるや定家かづら、這いまと わるるや定家かづらの、はかなくも、かたちは埋もれて、失せにけり」。


2012.3.24

私の好きな食べ物 (10) 蟹玉

美味しそうな蟹の剥き身が魚屋の店頭にあった。生食用と書いてあって、一盛り350円。一人暮 らしなのでこれで十分である。中火で温めたフライパンにサラダオイルをたらし、そこに蟹の 剥き身を並べた。玉子2個に醤油と砂糖をいれて掻き回し、蟹の剥き身の上に流し込んで出来 上がり。調理は簡単であるが、美味しい。砂糖を小さじ1杯位入れた。少し甘い方か私は好きだ。 蟹の季節はもうすぐ終わりであるが、剥き身などは冷凍保存してあるのか、年中手に入る。 大きな身のほうが美味しいが、そこは値段と相談である。


2012.3.23

私の好きな食べ物 (9) 牛蒡の煮物

いきつけの八百屋さんに行ったら「美味しい牛蒡があるで!、京都の当尾の牛蒡や!、これが 最後や、100円にしとくわ!」と言われて買った。当尾は浄瑠璃寺や岩船寺のあるところで、 私は時々出かけて行って、路傍でお百姓さんが野菜を売っているのを買ってくるので、当尾の 牛蒡が美味しいのは良く知っている。直径が3cmから4cmの太い牛蒡である。この牛蒡は金平ゴ ボウより煮物に適していると思う。水につけた後、束子でこすって綺麗にし、適当な大きさに 切って、塩水につける。鍋にサラダオイルを入れ、塩水から出した牛蒡を入れて炒めたら、だ し汁を牛蒡が浸るほどいれ、醤油と砂糖で味付けし、日本酒と本味醂を少し加え弱火で煮る。 汁が殆どなくなったら出来上がりである。柔らかくて、香りが強く、ほっこりしていて美味しい。


2012.3.21

春の到来

今年は春の到来が遅かったが、東大寺のお水取りが終ると、日差しも強くなり春の到来を実感する。 昨日は春彼岸でお墓参りに行った。美味しい菊屋のおはぎを仏前に供え、その御下がりをいただいた。 我が家の梅も咲きだし、サンシュウは花盛りである。椿にはひよどり・めじろが蜜を吸いに盛んに 来るようになった。亡くなった義母が生家から枝を取ってきて挿し木して育てた薮椿が、大きくなっ て沢山花を付けた。私はそれを手折ってきて天平古材の花生に入れた(右の写真)。愚妻は次女の長女 がミュージカルに出演するのを観に東京へ行った。ミュージカルは24日であるが「折角なら早く来て 子育てを手伝え」との要請に応えたものである。ぎっくり腰でおとなしくしている私を残して・・・。


2012.3.18

ぎっくり腰再発

空き家になっているマンションの空調機の室外機がベランダに設置してある。その内の一つ の下に鳩が巣を作り出した。鳥インフルエンザの心配もあるので、鳩を追い出し、ベランダ に鳩が入れないようにしようとコンクリートブロックを積んだり網を張ったりした。狭いベ ランダなので、変な体勢で仕事をしなければならなかった。その所為か、ぎっくり腰の症状 がでた。私は三ヶ月前にぎっくり腰を体験したばかりだ。これは"堪らない"。長女の義父が 整形外科医で、寄贈していただいた著書「肩こり、首・腰の痛みを自分で治す・予防する」 を読むと"最初の3日間は横に寝て安静としてください。起きるのは洗面、トイレ、食事だけ です。そうすれば4日目からは7割の痛みはおさまる。そこからは無理なく痛みの許す範囲 で段々元の生活に戻していってください。1週間から10日で大抵の方は痛みなく元の生活に 戻れます。"とある。
さて・・・私の場合は
1日目: すぐ布団を敷いて寝た。トイレに行くのも、寝返りするのも大変である。腰に力が入 ると痛みがズキッとくる。寝たきりの老人の心境がよくわかる。
2日目: まだ腰に力が入ると痛みがズキッとくるが、寝ているのも背中が痛くて辛い。そこ で、起きてソファにもたれながらテレビを見て過ごした。
3日目: 少し寝返りも歩行も楽に行えるようになったが、本を読んだり、テレビを見て過ごし た。
4日目: ほんと・・・7割の痛みがおさまった。近所の喫茶店へ昼食をとりに行った。
5日目: 立って歩くことは腰に負担が罹らないのか・・・楽に出来る。2km位の散歩をした。 しかし、椅子に座って立つ際に痛みが走る。
6日目: 5km位の散歩をした。ピアノの練習をしたが、長時間すると立つ際に腰が痛い。
7日目: 東大寺の戒壇堂、大仏殿、南大門、興福寺と歩いた。歩行は普通に出来るようにな った。
こんなことを3ヶ月毎にしていては堪らないので、長女の義父に電話して尋ねたら、「痛みがと れても完治したのではない。損傷は瘢痕組織で修復される。瘢痕は形成されるのに3週間。しっ かりした結合組織に変わるのにさらに3週間。痛みがとれても6週間たたないと治っていないと 認識することが大切です。」とおっしゃった。「6週経ないうちにスポーツや重労働をすると修復 が不十分にとどまってウイークポイントとなって残る。ぎっくり腰の癖がつくというのはこうし た状態として残したからだ。」と。なるほど・・・と納得できた。"痛みがとれても完治したの ではない"と認識することが大切なのだ。今月中はテニスも乗馬も自粛しよう。来月からぼちぼち 始めて、本気にプレーするのは4月中旬からだ。


2012.3.11

東日本大震災から一周年に際して

東日本大震災発生日から一年が過ぎた。多くの方々が亡くなられ、多くの方々が甚大な災害に遭 われ、悲しい思いをし、苦しい生活をしていらっしゃる。このことに思いを致し、そうした人達 を我々は援助していかねばならないと思う。
津波の恐ろしさを記録した映像を見るたびに、これらの貴重な映像をこれからの防災・再建に役 立てていかなければと思う。復興予算が新年度から本格的に投入される。是非、有効・効率的に 使って、人々の生活再建・復興に繋げて欲しいと思う。
今度の震災で事態を一層困難なものにしたのが福島第一原子力発電所の事故である。事故の結果 は甚大であるが、いまのところ・・・格納容器の爆発・再臨海による爆発という最悪事態は回避 できている(この点において、私は管さんの前内閣の対応を高く評価している)。最悪事態が起き たら、我々は現在のような生活はできていないし、他の国の人々にも放射能汚染の影響が及んで いた。科学者でありながら、私は今度の事故が起きて、原子力発電が非常に危険なものであるか を知った。私はしっかり管理すれば、核反応は安全にコントロールできると考えていた。しかし 今度の事故で、多重に安全対策をしているから絶対安全と宣伝し原子炉を運転していた当事者で ある東京電力の無責任さ・認識の甘さ・隠蔽体質を知るにつれ、"人間は完璧でありえない・長年 受け継ぐと安易になり、重大なミスをおかしかねない"ことに気が付いた。原子力は暴発すると 取り返しのつかない甚大な被害を起こす、長期にわたり放射線を放出し続ける、余りにも危険な ものなのだ。
私は"今ある原子力発電所は運転開始から40年を経たら廃炉にする"。例外的に20年延長という項目 は付けてはいけないと思う。"新しく原子力発電所は作らない"。従って、原子力発電所は少しずつ 減らしていき、40年後には全廃。"それまでに再生可能な自然エネルギー等の技術開発をする"。 ・・・という基本方針を決定したら良いと考える。


2012.3.2

我家の太陽光発電 報告(10)

関西電力から本年2月の受給電力量(こちらから関電に売った発電量)と使用電力量(こちらが関電 から買った電力量)の通知があった。受給電力量が89kWh、使用電力量が652kWh(デイタイム:73kWh, ナイトタイム:242kWh, リビングタイム:337kWh, 1kWhの料金はそれぞれ28.02円, 8.19円, 21.64円)であった。 関電に売った発電量の値段が4,272円(1kWhの料金は48円)。関電から買った電力の料金は11,904円 であった。我家の2月の各日の発電量/消費量を示すモニターの画面を写真に示す。2月の発電 量は1月より少し増えた。太陽の日差しが少し強くなったことによると思われる。それは晴れた日 の発電量が1月と比べて多くなったことから推察できる。使用電力量は1月と比べて増大した。 エアコンによる暖房がオンになっている時間が増えたためだろう。


2012.3.1

早春

今日は暖かいので奈良公園を散歩した。まず興福寺南円堂にお参りをした。堂前の向かっ て左側に植えてある橘の実が美しく色づいていた。右側には藤が植えてある。藤原氏の寺 だから藤の方が橘より格が上ということか?次いで、浅茅が原を経て、円窓の梅を観に行 った。なんと!!ここの梅は剪定のしすぎで花が殆ど付いていなかった。沢山ある梅の木の 殆どが丸裸にされていた。梅がうめいているようで痛々しくて悲しくなった。枯れてしま うんじゃないかと心配になるほど・・・こんな過度な剪定をする人は庭師じゃないと私は 思った。次いで、春日大社に参拝した。砂摺りの藤は花芽を沢山つけていた。我が家の庭 の藤の剪定の参考にと・・・じっくり観察してきた。次いで、手向山八幡宮を参拝し、二 月堂に行った。二月堂は今夜から籠松明の行事があり、お水取りの最中である。堂下の掲 示板(右の写真)に正岡子規の句「水とりや 杉の梢の 天狗星」が書いてあった。数人の 堂童子・講社の人たちが籠松明を作成しておられた。二月堂で参拝した後、大仏殿の裏を 通り、焼け門を経て我が家に帰った。途中暑くなりコートとベストを脱いだ。梅はまだチ ラホラ咲きであった。


2012.2.21

私の好きな食べ物 (8) 水菜とうす揚げの合わせ煮

今の季節の水菜が美味しい。霜で水菜が柔らかくなっているのだ・・・それは手で掴んでみ ても分かる。そんな水菜を菜園から獲ってきて、根元部分には土が入っているので、根元部分を ざっくりと切り落とし、葉っぱを綺麗に水で洗い、適当な大きさにきざんでザルに入れ水を 切る。これをサッと油で炒め、適当にきざんだうす揚げ・だし汁、醤油、砂糖少々を加えて 煮る。これ簡単だけど美味しい・・ザクザクとした食感も好い。今が旬だ。余ったら、冷蔵 庫に入れておいて、電子レンジで温めて食べても美味しい。


2012.2.19

私の好きな食べ物 (7) 菊菜のおひたし

私は菊菜の香りが好きである。菊菜はスキヤキや鍋物に入れても美味しいが、良く洗った菊菜 を沸騰した熱湯に入れてかき混ぜて、すぐザルにとって水気をとり、適当な大きさに切って器 に盛り、熱いだし醤油をかけてかき混ぜる。それに煎り胡麻をかける。自分で煎った胡麻をか けると香りが高い。出来合いのすり胡麻は便利だけど、煎りたての胡麻は格別である。菊菜は 茹ですぎてはいけない。生でも食べられるのだから、緑色の鮮やかな美しさと香りを食べるつ もりで茹でたのが私は好きだ。


2012.2.15

早春賦

"春は名のみの 風の寒さや・・・"とピアノでなかなか上手に弾けない。でも、春は確実に近 づいている様で、木々の芽も膨らみつつある。庭のリュウキンカ(立金花)の花が開いていた。 ロウバイとスイセンも花盛りである。これらを切ってきて花瓶に生けた(右の写真はリュウキンカ、 花言葉は「必ず来る幸福」)。部屋の中は快い薫香で満たされた。昨日・今日と雨でテニスが出来 ない。散髪に行ってきたら、頭が寒い。髪が無いようであったのだ。毛糸の帽子を被っている。 この雨で春はさらに近づいてくるだろう。そろそろお雛様を出して飾ろう。部屋が華やかになる。


2012.2.13

雪見の旅


私は雪景色を見るのが好きだ。今年は日本海側が平成18年以来の豪雪だというので、天気予報 を見ながら、雪の降りそうな日を期して"雪見の旅"をしたいと待っていた。11日と12日に新潟 地方は雪と予報がでたので急遽でかけることにした。生憎連休なので宿が心配になり、予約を 試みたらなかなかとれない。たまたま湯田上温泉の宿がとれた。雪で列車の運休・遅れもある ので、11日の7:00奈良発の電車で出かけた。8:10京都発のサンダーバードは指定席がとれなか った。・・・が、幸い自由席で座れた。立っている人も多くいて幸運であった。北小松あたり から雪景色に変わった。奈良は快晴であったから別世界である。車窓から美しい雪景色を見な がらの旅が私は好きだ。10:25金沢着。10:35金沢発13:23長岡着の北越3号は指定席がとれた。 北越3号は車内販売が無いというので金沢で駅弁を買った。列車が出発してまもなく駅弁を食べ 始めた。食べ終わって気が付いた。まだ11:00前だと・・・。長岡に近づくにつれ積雪量は増し ていき、1mを越す積雪の景色となった。長岡から新潟行きの普通列車に乗り、11番目の駅"田上" で14:45下車した。予定より20分だけの遅延で着けた。宿からの迎えの車に乗り、15:00に温泉 宿に着いた。宿の裏山が標高274mの護摩堂山で「眺望が良く地元の多くの人が登っている」 とのことだったので、私も登ることにした。カメラだけ持って出かけた。1m以上の積雪で、登山 道は踏み固められていたがすれ違うとき道を譲ると、腰までスブッと入ってしまう。地元の人 は慣れている人達で「毎日登っています」とおっしゃる。鋲の付いた長靴をはいていらっしゃる (左の写真)。私は登山靴であるがアイゼンが無い。つるつる滑って危険なので、中間点まで 行って断念した。矢張り"雪見の旅"にはアイゼンを持っていくべきであった。 温泉は良かった。雪の降る中での雪見の露天風呂は良かった。夕食は"新潟料理?"。京料理の 様に洗練されてなくて"地元の御馳走"であった。これはこれで善いのじゃないか・・・と思っ た。サービスは良かったし、料金も安かった。
12日は雪の予報がはずれて快晴であった。9:30に宿の車でJR駅"田上"まで送っていただいた。 駅から200mほど歩いたら右の写真の様な景色の所に行くことが出来た。一面雪で、遠くに見え るのは佐渡島である。10:40田上から普通列車に乗り11:25長岡に着いた。12:11長岡発の普通列車で 13:38直江津に着いた。駅で立ち食い蕎麦を食べた。美味しかった。14:25直江津発の"はくたか" に乗り16:15に金沢に着いた。10分遅れであったが乗り継ぎのサンダーバードは待っていてくれた。 18:50京都についた。駅で食事をして20:20奈良の自宅に帰着した。雪景色を堪能することができた。 さらに一泊したら、もっと良かったかな・・・。


2012.2.8

私の好きな食べ物 (6) 鯛の子の煮付

鯛の子というのは、鯛の卵でなくてスケソウダラの卵であるようだ。"鯛の子の煮付"は亡くなった 義母か何度も食卓にのせてくれた料理である。スーパーで手頃な値段で美味しそうな鯛の子を売 っていたので買ってきて調理をした。
"鯛の子の煮付"の作り方
(1). 鯛の子をさっと水で洗い、黒い糸のようなのが付いていたら切除し、鯛の子を2-3cmの長さに切る。
(2). 鍋に水を入れ、塩を一つまみ入れて、熱する。沸騰してきたら2-3cmの長さに切った鯛の子を入れる。 花が咲くようにパッとひろがる。沸騰したら、そっとザルに流し入れ、水を切る。
(3). 鍋に水100cc、砂糖大匙1、お酒大匙2、醤油大匙1、本味醂大匙1 (200gの鯛の子に対し)を入れ熱する。 沸騰してきたら、牛蒡と生姜を適当量だけ入れたのち、(2)で水を切った鯛の子をそっと加え、弱火でコト コトと煮しめたら、火を止める。
さめて、味がしみたら器に盛る。右の写真参照。これ美味しい。牛蒡も美味しい。


2012.2.6

私の好きな食べ物 (5) 塩鮭の焼き物

家の近くにあった魚屋さんが店じまいをしてしまったので美味しい魚を手に入れるのが 難しくなった。それで最近では、北海道産紅鮭(中辛)を買うのに百貨店の魚売り場へ行く。 そこで売っている北海道産紅鮭の美味しそうな切り身を買い、一切れは私にとって一回に 食べるには大き過ぎるので、半分に切っていただく。それをサランラップで一つずつ包んで 冷凍庫に保存しておき、必要なときにとりだして室温で解凍して、こんがりと焼く。 パリパリとなった皮が美味しい。脂ののった腹の部分も美味しい。


2012.2.5

私の好きな食べ物 (4) 里芋の煮っころがし

"里芋の煮っころがし"は、私の育った田舎では、大きな鉢に盛って、多人数が集まる祭や法要 での食事にだされた。最近の里芋は品種改良が進んだのか当たり外れが少なくなったと思う。 それでも私は福井県大野産の里芋を見つけたら買うことにしている。ホッコリとしていて美味 しい。里芋は水につけて包丁の背でこすって皮をとる。これを適当な大きさに切って鍋に入れ、 だし汁(昆布と削り鰹ぶし)を里芋が浸る程度に入れ、、お酒、砂糖、醤油(里芋500gに対し、 それぞれ大匙1,1,2)を加えて弱火で煮る。時々里芋をころがして煮汁が殆ど無くなるまで煮つ める。最後に本みりん(大匙1)を加えて里芋をころがし火を止める。写真の様に"醤油色が濃い" のが私が生まれた地方の特色だろうか? 懐かしい食べ物であり且つ美味しいと思う。


2012.2.3

我家の太陽光発電 報告(9)

関西電力から本年1月の受給電力量(こちらから関電に売った発電量)と使用電力量(こちらが関電 から買った電力量)の通知があった。受給電力量が69kWh、使用電力量が565kWh(デイタイム:47kWh, ナイトタイム:213kWh, リビングタイム:305kWh, 1kWhの料金はそれぞれ28.02円, 8.19円, 21.64円)であった。 関電に売った発電量の値段が3,312円(1kWhの料金は48円)。関電から買った電力の料金は10,365円 であった。我家の1月の各日の発電量/消費量を示すモニターの画面を写真に示す。1月の発電 量は前月とほとんど同じ。冬は太陽光が弱く発電量は少ない。日本海側や北日本では太陽光発電は あまり有効ではないと思われる。


2012.2.2

次女の手伝い

1月28日に次女の長男の三回忌が行われるというので、私は27日に乗馬クラブから帰って 18:30近鉄奈良駅発の列車で東京へ行った。28日は10:00から次女の住宅の近くにある長谷 寺で法要があり、その後墓参をした。次女の長男は重い心臓疾患を持って生まれたのに、亡くなっ てから2年後には次男を抱いての墓参であった。私には無い勇気を次女は持っているようだ。 29日は日曜日でFree、東京国立博物館へ行き特別展"北京故宮博物院200選"を観た。イヤフォ ンガイドを聞きながら、ゆったりと観た。本館横のレストランで食事をした後、愚妻は奈良 へ帰って行った。別れ際に「頑張ってね・・・」とニコニコしながら言った。その後、私は 本館の常設展を観た。ここの常設展は結構見ごたえがある。今年は辰年だというので"龍"に かかわる画・彫刻・工芸品が多数展示してあった。この日は次女の夫君がベルギー料理を作 ってくれた。数時間かけての力作で美味しかった。30日の朝、その夫君はロンドンへと出か けて行った。私の仕事は「次女が2人の娘を幼稚園に送って行っている間赤ちゃんを看てい る事と夕食を作る事、あとは自由」と次女は言った。それで1月30,31日と2月1,2日の夕食を 作って2日の夜に奈良に帰着した。2月1日は幼稚園が休日だったので2人の娘を連れて、近く の根津美術館へ行った。子供達は"美術品の鑑賞より、広い庭園を走り回ること"が目的であ る。雪の積もった上を歩いて、係員に注意されてしまった。昼食は庭園内のレストランで、 パスタ・サンドイッチ・ハンバーグランチを3人で分け合って食べた。味も良かったが、店 員のサービスも良かった。


2012.1.26

私の好きな食べ物 (3) 薄揚げの薄焼

"薄揚げ"と言っても色々ある。ホントに薄い揚げから厚揚げとまではいかないけれど豆腐 状態の部分がかなりある"薄揚げ"まである。豆腐状態の部分があるものは冷蔵庫に保管し ても2,3日でだめになる。私は"薄揚げ"の種類にはあまりこだわらないが、揚げたてで温か いのを豆腐屋さんで買ったら、フライパンに乗せて少し焼いて、生姜醤油で食べるのが好 きだ。電子レンジで1分温めても良い。調理といえないほど簡単で手軽に楽しむことが出 来る。美味しい豆腐屋さんを見つけて、新鮮で良好な"薄揚げ"を手に入れるのが肝要であ る。これがなかなか難しい。
明日から東京に行きます。このシリーズ、しばらくお休みにします。


2012.1.25

私の好きな食べ物 (2) 菜の花の油炒め

"菜の花"といっても色んな種類があるようで年間の半分位の期間手に入る。菜の花として出荷 するための品種も幾つかあるようだ。私は庭に植えた小松菜の花が好きだが・・・少し苦味も あり、その苦味を生かすため油でいため、削り鰹をふって醤油で味付けをしたのが好きだ。 今の時期に手に入るのは、菜の花として出荷するための品種であると思うが、結構美味しい。 見た目にも綺麗だし、味も好い。週の内に2-3回はこれを食べる。


2012.1.24

私の好きな食べ物 (1) 目玉焼

好きな食べ物というのは食習慣によるところが大で、人それぞれで異なると思う。子供の頃 良く食べた物や、子供の頃食べて美味しかったと記憶している物など、年をとっても美味しい と思う物がある。また、大人になってからの食習慣でも、美味しいと感ずる物が異なってくる。 これからシリーズで私の好きな食べ物を・・・自分で調理した物の写真を添えて・・・紹介して いきます。
私は"目玉焼き"が大好きである。卵は安価で栄養価が高い。私が幼い頃は安価ではなかったが、 以来、殆ど値上がりしていない。有精卵を求めても1個30円ほどだ。私は100円でも買うだろう。 そして、調理が楽だ。フライパンをあっためてサラダオイルをたらし、卵を包丁の背で叩いて 割り中身を落とす。ガラスの蓋をして、上の方が白くなったら皿に移す。私にとって重要なのは 半熟であること・・・真ん中はドロッとして液状であること・・・。そして、油の残っている 熱いフライパンにキャベツのスライスしたのを入れて炒め、目玉焼きに添える。生醤油を垂らし て、熱い御飯で食べる。これ、とっても美味しい。


2012.1.23

次女の要請

東京に住む次女から連絡があった。「次女の長男の三回忌を28日10:30から行う」と。 そして、「愚妻には22日から来て28日まで滞在して欲しい」と。次女は義母に幼いとき義母に 面倒を看て貰ったので、"愚妻は子育てを助けて当然"と思っているのだろうか? それは当然として・・・、私には「27日に来て、月の週は滞在して欲しい」と要請し てきた。私は「ピアノ教室に行かねばならない」と言ったが無視された。


2012.1.22

神戸の夜

愚妻と仲の良い友達が神戸と京都に住んでいて、時々集まってご馳走を食べ・お喋りを楽しん でいる。その三人組がそれぞれの夫を加えて夕食を食べようと計画した。16:00に神戸の住人宅 に集合した。その家には暖炉があって薪が燃え、暖かい雰囲気があった。お茶・お菓子とお喋り、 "占地"と書いて"シメジ"と読むことなど学習した後、住吉駅近くの四季菜居酒屋へ行った。ふぐ刺し、 明石だこの刺身、ガシラ、ノドグロ、サワラの煮付け、太刀魚、鱧の薄焼き、焼たけのこ、等々・・・ そして最後に釜飯と柚子シャーベットを頂いた。とても美味しかったし、おしゃべり・率直な議論 を楽しんだ。神戸の住人のお勧めで、神戸のホテルを予約していたのでゆったりと過ごすことが出 来た。写真は神戸のホテルの部屋から写した神戸の夜景である。


2012.1.13

蟹味旅行

ズワイガニの美味しさを笠原俊二さんに教えていただいて以来、毎年"蟹を味わう旅行"をしている。 年齢を重ねてくると"この旅行もあと何回できるか・・・"と思えてくる。出来れば雪の降っている 時が好い・・・と、天気予報を見て山代温泉の温泉旅館"べにや無何有"に電話した。昨年あたりか ら"蟹尽くし"を注文すると食べきれない体力になってきたので、旅館に相談したら「それなら"蟹懐石" がおすすめ」と言われた。他の予定をキャンセルし、急遽12-13日に行くことにした。10:05発の 京都行き近鉄特急に乗るつもりで近鉄奈良駅に着いたら、財布を持っていないことに気づいて家に帰り、 10:35発の特急列車で京都に着いた。11:45京都発の快速急行で敦賀へ、13:39敦賀発の普通電車で福井へ、 14:46福井発の普通電車で15:19に加賀温泉駅に着いた。車外の景色を楽しみながらの気楽なのんびり 旅である。天気が良く残念ながら雪景色を楽しむことは出来なかったが、白山はくっきりと見ること が出来た。宿に荷物を置いたのち、白山の見える小山に登ることにした。小道を歩いていると、ピー・ ピーと電子音をだしている所が何箇所かあり「熊が出没するのを防ぐ為の音、熊に注意」と書いてあった。 それで"小山に登ること"を断念し、温泉街を散策した。泉源近くに"薬王院温泉寺"(右の写真)があった。 温泉も仏さんの御かげ???。宿に帰り、温泉に入ってから、食事。"蟹懐石"は美味しかったし、量も 適当であった。この旅館、コンクリートの打ちっぱなしの建物であるのに、良く設計されていて、 ヨーロッパの古木家具が配置してあるのに、日本旅館として不自然でなく、"無何有"と名乗るだけ あってシンプルで、洗練された良い旅館であった。10:15に宿を出て、15:15に奈良の家に帰着した。


2012.1.5

我家の太陽光発電 報告(8)

関西電力から昨年12月の受給電力量(こちらから関電に売った発電量)と使用電力量(こちらが関電 から買った電力量)の通知があった。受給電力量が65kWh、使用電力量が965kWh(デイタイム:59kWh, ナイトタイム:323kWh, リビングタイム:583kWh, 1kWhの料金はそれぞれ28.02円, 8.19円, 21.64円)であった。 関電に売った発電量の値段が3,120円(1kWhの料金は48円)。関電から買った電力の料金は17,013円 であった。我家の12月の各日の発電量/消費量を示すモニターの画面を写真に示す。12月は発電 量が前月に比べ半減した。太陽光が弱くなっていることに起因すると思われる。他方、使用電力 は前月に比べ約3倍になった。26日に次女、29日に長女達が来たので消費電力は激増した。
娘たちは4日に一緒に東京へ帰って行った。孫たちも立派に育っていたので大慶である。感謝! 感謝!


2012.1.1

2012年元旦

2011年は東日本大震災があり大変な年であった。被災された方々の生活再建を我々は援助 していかなければならないと思う。
福島第一原子力発電所の事故は原子力発電の危険性に気づかせてくれる事件であった。 原子力発電が世界的に建設されるブームになるかと思われる時期の事であり、 原子力発電について再考する機会を与えてくれたと思う。私は現在ある原子力発電所を 継続運転するにしても、徐々に縮小・廃止する基本方針を決定すべきだと思う。
米国・ヨーロッパの経済情勢の悪化が報じられており、楽観できない情勢にある。 日本も過大な国債依存の財政状態を改善すべく努力していかねばならないと思う。 未来のために、いますべきことは果断に実行し、国家財政の健全化に努めねばならない。 2012年が、明るい未来への展望を開く年になってほしいと願う。
天平古材の花生(東大寺転害門の軒垂木の廃材を福岡木洞氏が加工。転害門は東大寺の 北西の門で、これと正倉院・経蔵・法華堂だけが東大寺に残る天平時代の建造物です。) に松・南天・菊を生けました。本年もどうぞよろしく。
昨年12月29日に長女が2人の子供を連れて我が家に来た。長女と次女が来たので、久しぶり の賑やかな正月で、そろって興福寺・春日大社・東大寺へ参拝に行った。暖かい日和で快適 であった。この穏やかで平安な日に感謝!・感謝!


2011.12.26

次女の来訪

10月24日に第4子を出産した次女が赤ちゃん(右の写真)を抱いて我が家にやってきた。夫君と第1子 と第2子はニュージランドに行っていて(第3子は他界)いるそうで2人だけである。私は"ぎっくり 腰"になったので東京に行くことが出来ず、今回が初対面である。もう随分大きくなっていて、その 成長に驚かされた。健康であってくれる様・・・ただそれだけを祈る。


2011.12.18

大人のピアノ・クリスマスコンサート

恒例の"大人のピアノ・エレクトーン クリスマスコンサート"がヤマハ西大寺センターで 開催された。このコンサートは近隣のヤマハの教室の生徒が集まっての発表会である。私は またもや"月の砂漠"を弾いた。28名の演奏者の中で男性は2人だけであった。世の男性も、 もっと人生を楽しむすべを学ぶべきだと思う。美術館へ行っても、劇場に行っても、洒落た レストランに行っても、テニススクールも乗馬クラブも、女性が多数派なのだ・・・。 コンサートの後、私が指導を受けている先生と生徒4人で"お食事会"に行った。大きな声で 話し・笑ったので、レストランから注意されるかと思ったが、こちらの勢いが強いので遠慮 されたのか・・・、注意されることはなかった。


2011.12.17

テニスの合宿

15-16日と淡路島のウェルネスパーク五色・五色温泉で開催された一泊2日のテニスの合宿に 行ってきた。神戸のテニス友達が声をかけて下さった。9:30に家を出て11:00に神戸の集合場所 に着いた。明石大橋を渡って最初のサービスエリヤ:淡路ハイウェイオアシスで昼食をとり、 13:00にウェルネスパーク五色に着いた。広々とした総合公園内に六面のテニスコート(オムニ) があった。立派な休憩室・着替え室・トイレがあり、快適な環境であった。早速、テニスを始め、 少し風はあったが快晴であり16:00までテニスを楽しんだ。宿泊施設のログハウスに荷物を置い た後、温泉に入って汗を流した。天然温泉で立派な施設であった。夕食は寒い時期にぴったりの 鍋パックが予約してあった。ログハウスにはガスコンロ・鍋・食器が用意してあったが鍋パック には食材(豚・牛・野菜)のみで、調味料や御飯・うどんが無いことが判明した(家に帰って調 べたら出汁・調味料・お箸は持参と書いてあった)。早速、近くのスーパーマーケットに行き、 赤飯・うどん・調味料を買ってきた。同行の人達は手際の良い人達で、あっという間に美味しい 鍋料理が出来上がった。ワイワイ・ガヤガヤお喋りしながらの食事は、大家族の楽しい食事を 思わせるものであった。食後の運動に公園内を散歩したら、ナイターでテニスをする人達がいた。 若ければ・・・私達もテニスをしたであろうが・・・散歩だけで終わった。さて、寝室を決める のが問題であった。私以外は全員女性なのだ。賢い人がいて「ベッドを一つ、寝室から食堂に移 して、そこで私が寝る」ことになった。食堂はオープンスペースであるが、着替えは浴室ですれ ば良い。名案であった。私はぐっすり眠ることが出来た。
16日は7:00に起床。朝食は8:00から施設内のレストランでとった。美味しかった。食後に公園内 を少し散歩し、9:30からテニスを始めた。風が強く、時々霰の降る、寒い天気であったが、ひるむ ことなく12:30までテニスを楽しんだ。温泉で汗を流し、14:00にウェルネスパーク五色を出発、 途中お寿司屋さんで昼食(美味しかった)を摂り、16:30に神戸、18:00に奈良の自宅に帰着した。
このテニスの友達は遠慮なく言いたいことを言ってくれる。私も言いたいことを言っている。 これらの女性は人生を楽しむことが上手である。だから私も仲間に入れて欲しいとお願いしている。 それにしても、健康でないと楽しいテニスをすることも出来ない。ぎっくり腰を体験すると、まっ すぐ背筋を伸ばして歩けるだけで"ありがたい"と思う。健康であることも"天命"に近いが、出来る だけ健康な生活を心がけ、残りの人生を楽しませて頂きたいと願う。皆さんの健康をも願う。


2011.12.5

ぎっくり腰・・・その後

私が"ぎっくり腰"になったのは今回で5回目位である。今後もなることがあると思うので 記憶の新しいうちに記録し次回の参考にしたい。
12日15時ごろ腰の痛みを感じて、その時はそれほど痛くなかったが、これは"ぎっくり腰"だ と思ったので、テニスを止めシャワーで汗を流した後、タクシー・電車・タクシーで神戸か ら奈良に帰った。奈良の自宅に着いた頃には、腰をかがめて歩くのがヤットであった。夕食 後、風呂に入らずに、9:00就床。寝返りをするのにも腰が痛くて大変であった。
13日 8:00起床。歩くにも前かがみでそろそろとしか歩けない。夕方になると、腰の 痛みは少しだけやわらいだが、依然と腰砕けの状態であった。風呂に入って9:00就床。 寝返りをするのにも腰が痛くて大変であった。
14日 8:00起床。歩くにも前かがみでそろそろとしか歩けないが、前日より少し改善。 庭をヨチヨチと歩いた。夕方になるとさらに改善。風呂に入って9:00就床。寝返りを するとき腰は痛いが少し楽になった。
15日 8:00起床。歩くにも前かがみでしか歩けないが、前日よりさらに改善。10:00から14:00 にかけて柚子ジャムを作った。夕方になるとさらに改善。歩行もスムースになってきた。 風呂に入って9:00就床。寝返りはかなり楽にできた。
16日 8:00起床。特定の体位では痛みが少しするが、背筋を伸ばして歩けるようになった。 午後、買い物に出かけ、4kmほど歩いた。夕食も作った。明日には全快?
17日 前かがみになると腰が少し痛い。まだ全快とはいえない。
18日 17日の夕刻、少し作業をして腰に力を入れたら、ガクッときた、15日の状態になってし まった。大失敗である。
19日 特定の体位では痛みがはしるが、背筋を伸ばして歩けるようになったので、午後に傘を さして、買い物に出かけ、3kmほど歩いた。自重・自重。
20日 前日と同じように特定の体位では痛みがはしる。背筋を伸ばして歩くと楽なので、散歩に 出かけ3kmほど歩いた。歩いたほうが調子が良い。でも、自重・自重。
21日 前日より少し改善。午後ピアノ教室に行った。発表会は23日。それまでに"全快"と思っ ていたが・・・怪しくなった。買い物と散歩で4kmほど歩いた。でも、自重・自重。
22日 前日より少し改善。寝返りもかなり楽になった。寝返りは腰の力を随分使っている事が 実感できた。腰を強くするには寝返りが有効と思われる。午前中には買い物に、午後には正倉院、東 大寺二月堂、南大門、勧学院と歩いた。合計で8km程。自重・自重。
23日 前日より少しだけ改善。ピアノの発表会に出演。
24日 前日より少しだけ改善。自重して乗馬を休んだ。
25日 前日より少しだけ改善。腰を曲げたときに痛むことがあるが歩くのに支障はないので、10:30 に家を出て、神戸の北野町のギャラリーで開催されている松野真理さんの個展を観に行った。その後、 東急ハンズ、元町の播新を覗き、大丸へ行った。洋服売り場で私の欲している物について概要を話したら 「ピッタリの物があったが売り切れた。"そごう"にあるか聴いてみます」とおっしゃつた。 「在庫あり」ということだったので"そごう"まで行った。帰宅したら18:00であった。
26日 前日より少しだけ改善。自重して神戸大でのテニスを休んだ。ところが・・・無性にテニスが したくなり、テニススクールに電話して臨時に参加させていただき、1時間半ほどテニスをしてしまった。 サーブは旨く打てないし、早く走れないし、ストロークも強く打てなかった。
27日 前日のテニスの為かあまり改善が無い。
28日 愚妻が次女の手伝いの為東京に行った。私は少し体調が良く感じられたので神戸まで行って テニスをした。
29日 前日に頂いた柚子で柚子ジャムを作った。16:00笠置の温泉に行き、18:00奈良の家に帰着。 もうすぐ全快か? I hope so.
30日 テニススクールに行った。まだ完全ではないがそれなりにプレイ出来るようになった。その後、 散歩の途中で麻の布に"OOOO整体"と綺麗な字で書いてある古風な家を見つけた。「整体へ行ってみたら・・・」 と勧める人がいたのを思い出し、入ってみた。整体なるものを体験するのは初めてである。マッサージを するのかと思っていたら、背中や腰のところどころを指先でおさえて「痛いか?」と聴く。私は「痛くない」と 答えた。何処をおさえられても全然腰の痛みを感じなかったのだ。"指で押さえているところは当然痛いはず"と 思っていた。「何処も痛くないなら大丈夫これで終わりましょう」と言われて立とうとしたら腰に痛みを感じた。 「痛い」と言ったら「何処が痛い?」「指先にそれほど力を加えてないから少しでも痛かったら言って下さい」 ということで最初からやり直し。40分で4000円。少し良くなったような、あまりかわらないような感じ。まあ、 良くなったと思うことにした。
12月1日 夜遅く愚妻が東京から帰ってきた。「少し良くなった様ね。14日から叉来いと言われた。自分が 遊ぶためらしい・・・」と言った。
12月2日 乗馬クラブへ行った。駈歩をしたら腰が少し痛んだ。その後、障害馬場もした。
12月3日 神戸へテニスに行こうと思って、神戸の天気を尋ねたら「今日のテニスは休んでシッカリ治しなさい」と 言われた。私は"温かいおもいやりを大切に・・・!"と忠告に従った。感謝!感謝!
12月5日 完治。今回は少しこじらせてしまった。最初の一週間は自重して大人しくしている事が大切と実感した。 "若くないのだから自重せよ"とのことだろう。それにしても"健康であることは本当に有り難い事"と改めて思い 知った。感謝!感謝!



2011.12.2

我家の太陽光発電 報告(7)

関西電力から11月の受給電力量(こちらから関電に売った発電量)と使用電力量(こちらが関電 から買った電力量)の通知があった。受給電力量が106kWh、使用電力量が350kWh(デイタイム:15kWh, ナイトタイム:153kWh, リビングタイム:182kWh, 1kWhの料金はそれぞれ28.02円, 8.19円, 21.64円)であった。 関電に売った発電量の値段が5,088円(1kWhの料金は48円)。関電から買った電力の料金は6,670円 であった。我家の11月の各日の発電量/消費量を示すモニターの画面を写真に示す。11月は発電 量が前月に比べ半減した。太陽光が弱くなっていることに起因すると思われる。他方、使用電力 は前月に比べ五割ほど増加した。本格的な冬になったらこの傾向はさらに増すと思われる。


2011.11.29

柚子

私に柚子ジャムの美味しさ・作り方を教えてくれた女友達から「先日あげたのは少し黒点が あったけど、今回、きれいな柚子が手に入った。欲しければあげるけど、何個くらいほしい ですか?」との連絡があった。私は少し厚かましいかな・・・と思いながらも「できたら 2kg欲しい」と言った。そしたら・・・右の写真の様な美しく瑞々しい柚子2kg余を下さった。 新鮮なうちに・・・と、朝食の後、先ず包丁をといで、心を込めて、柚子ジャムを作った。 作り方は2011.11.15と同じである。徳島で生まれ育った女友達の作る柚子ジャムは、柚子の 皮を主体とした洗練された美しいジャムである。私の作るジャムは"種とヘタ以外の柚子全部" を使っていて、ほろ苦く酸っぱい。少しドロッとしている。前回のと合わせて、私は、今後 一年間、毎朝、美味しい柚子ジャムを楽しむことが出来る。


2011.11.23

ピアノの発表会

私が通っているヤマハの"大人のピアノ"の先生が、個人的に開いているピアノ教室の発表会が 秋篠音楽堂であり、私は其処での出演に誘われたので、出させていただくことにした。ぎっくり 腰はまだ完治とはいえないが、歩いたり・座っているのには支障は無い。12:30開演で終わった のが20:00であった。幼児・小学生が大半で、皆のびのびと上手に演奏し楽しんでいるのには 感心した。母と子でそれぞれで演奏している人達もいた。幼い時からピアノに親しめば音感も 発達し、音楽をより楽しめるだろうと思った。私はエジプト旅行で買ってきたカーフィア(頭 につける白いスカーフ状の布)とヤスマグ(布が滑り落ちるのを止める輪)を頭に付けて"月の砂漠" を演奏した。上手く演奏できたとはいえないが実力からしてあんなものだ。プロの音楽家のゲスト 演奏も織り交ぜてあり、楽しい音楽の一日を過ごさせていただいた。音楽会の後、ピアノの先生 、ゲストの音楽家、この音楽会をお手伝いした人々、私達のような大人の出演者20名程が街の レストランに行き、この音楽会の余韻を楽しんだ。帰宅したのは23:00であった。右の写真は "大人のピアノ"の友人から頂いた花束の花。感謝・感謝。


2011.11.20

無農薬野菜

近鉄奈良駅から200mほどのところにビストロ プティ・パリという美味しくて安いフランス 料理のレストランがある。その店の前で、毎週水・金曜日の11:00-14:00の間だけ、季節の 野菜を売っている。私は10日ほど前に、その店でインゲン豆を買った。やわらかくて美味し かったので、昨日その店へ行った。そして、右の写真にあるような辛味大根(3本で100円)と インゲン豆(写真の量で100円)を4袋買った。私は「この豆、先日買ったけどとても美味し かった」と言った。そしたら、其処の主人「お好きな野菜を一つサービスであげます」と おっしゃった。それではと、あまり見かけないが美味しそうな人参を選んだ。ナントその袋 には4個(写真参照)も入っていた。あまり申し訳ないので代金を払おうとしたが固辞された。 そして「私の作る野菜は全部無農薬です」とおっしゃった。私はその人を全面的に信用する。 近日にまた買いに行こうと思う。辛味大根の一本は食べてしまった。この野菜、美しいので 部屋に飾っておいて、少しずつ食べようと思う。


2011.11.15

柚子ジャム

今年も無農薬・ワックス無しの柚子をいただいたので早速ジャムを作った。2.3kgの柚子から 右の写真に示すだけの柚子ジャムができた。ぎっくり腰も完治していないが、柚子が新鮮な うちにと挑戦した。これ、とっても美味しい。私の毎朝の食事にはなくてはならないものである

IHヒーターで調理したので、作り方を記す。
柚子ジャムの作り方 (2009.11.7の改訂版)。
1. 柚子を洗ってヘタを取り除き、重量を測る。
2. 柚子を上下半分に切って、凸形のレモン絞り器でゴリゴリとやり、汁を絞り出す。
3. 種を取り出し、きれいに洗ったボウルにいれる。
4. 内袋のくずれたものを取り出し細かくきざむ。
5. 外皮を細かく千切りにする。厚さ1mm程度に心をこめて刻む。
6. 柚子の重量の半分量のグラニュウ糖を琺瑯またはステンレス鋼製のなべに入れる。
7. 3の種の入ったボウルに1カップの水を加えて種を洗い、その水を6のなべにいれる。
8. 6のなべに 2の汁と 4の内袋のきざんたものと 5の外皮の千切りを加え、中火(IH目盛り:7)で熱し、木べラで掻き混ぜる。
(注) 焦げ付かないよう弱火で常にかき混ぜること。一瞬たりとも手を止めない。
9. グツグツ煮立ってきたら、弱火(IH目盛り:6)にし、掻き混ぜながら20分程度煮つめる。柚子千切り が黄色から半透明なったら火を止める。
10. 熱いうちに、安全弁付の蓋のある瓶につめる。最初に少量入れ、瓶が暖まって きたら少量入れ・・・と段階的に入れれば瓶は破損しない。壜内の空気を出来るだけ少なく するためにジャムを満杯にして蓋をしっかり閉める。これで室温で一年間保存できる。
11. ジャムを煮たなべに1カップの水をいれて熱しながら濯ぐと、美味しい柚子湯となる。 勿体無いので念のため・・・なべも綺麗になる。
(注) 美味しいジャムを作るには柚子の品質が大切である。ワックスの塗ってないもの、 香りの強いもの、皮厚のもの、汁の多いものを手に入れることが大切であると思う。 新鮮であれば刻むのも楽である。
(注) 安全弁付の蓋のある瓶とは、蓋の真ん中にペコポコと動く部分があって、熱いジャムを満杯に して蓋を閉めておくと、冷めたときにへこみます。もしジャムが腐ったら、醗酵するので膨らみます。 へこんでおれば安心して食べられます。開ける際には、マイナスドライバー等で、蓋をこじ開ける ようにして空気を入れないと開けられません。


2011.11.13

ぎっくり腰

毎週土曜日の午後に神戸大学でテニスをしている。テニスコートは砂土(clay court)で 昨日は前日の雨で水溜りがあった。スポンジで水を取り除き、乾燥するまでの時間にコート 整備をしローラーをかけた。ローラーをかけているときに腰を痛めたようで、テニスをし ている内に少し腰が痛くなった。これはいけないと思ってテニスを止め、奈良の自宅に 帰った。自宅にたどりついた頃には"前かがみで歩くのが精一杯"となっていた。筑波大学 の整形外科教授だった長女の義父から寄贈をうけた著書「肩こり、首・腰の痛みを自分で 治す・予防する」を参照したら"入浴せず横に寝て安静"とあった。横に寝ても寝返りも 困難なほどになり、トイレに行くにも腰砕けで渾身の力が必要なほどになってしまった。 "3日間横に寝て安静としてください。起きるのは洗面、トイレ、食事だけです。"と 書いてあったが、寝てばかりもしておれないので起きてこれを書いている。明日から "次女の手伝い"に行く予定であったが"こちらが助けに来て欲しい"状態になった。立って 自由に歩けることがどんなにありがたい事か・・・と思い知らされている。


2011.11.11

東大寺ミュージアム

東大寺は南大門横の旧東大寺学園跡地に東大寺総合文化センターを建設した。そして、その中に 「東大寺ミュージアム」を設立し、今秋オープンした。耐震構造の建物で、そこに 法華堂にあった「日光菩薩像と月光菩薩像」を移動・展示するとのことで、それを 拝観に行った。法華堂は現在「基壇」を修復中である。修復前には、「日光菩薩像と 月光菩薩像」は東大寺の他の建物から法華堂に持ってきたものと推定されていた。 ところがこのたびの「基壇」の修理の検査で、法華堂設立当初から「不空懸索観音」 と共に法華堂内にあったことが判明した。法華堂が修復中であるため「東大寺ミュー ジアム」に日光菩薩、不空懸索観音、月光菩薩がならべて展示してあった。立派な 展示ケースの中にあり、法華堂の薄暗い中で拝観するより、明確に観賞することが できた。拝観して、「東大寺ミュージアム」の外に出てから気が付いた・・・手を 合わせて参拝しなかったと・・・。頭を垂れるには、仏像はお堂にお祭するのが良い。 法華堂は東大寺の原点であり、崇高な祈りの場であると思う。「日光菩薩像と月光 菩薩像」は、法華堂の修復が終わったらお帰りいただくのが良いと私は思う。


2011.11.3

我家の太陽光発電 報告(6)

関西電力から10月の受給電力量(こちらから関電に売った発電量)と使用電力量(こちらが関電 から買った電力量)の通知があった。受給電力量が189kWh、使用電力量が232kWh(デイタイム:6kWh, ナイトタイム:117kWh, リビングタイム:109kWh, 1kWhの料金はそれぞれ30.72円, 8.19円, 21.64円)であった。 関電に売った発電量の値段が9,072円(1kWhの料金は48円)。関電から買った電力の料金は4,713円 であった。我家の10月の各日の発電量/消費量を示すモニターの画面を写真に示す。10月は エアコンを殆ど使っていないのでこれから寒くなると使用電力量は増えるだろう。


2011.10.28

一人暮らし

愚妻は次女の手伝いで27日に東京へ行った。一人暮らしで大切なのは出来るだけ規則正しい生活をすることだ。 そして、風雅に優雅に!。午後に、大和文華館へ開館50周年記念特別展Ⅱ"乾山と木米"を観に行った。 両者の代表作を殆ど集めたと思われる、極めて質の高い展覧会であった。

愚妻は林檎ジャムを作らなかったので、私は紅玉林檎を買い足しに行き、再度林檎ジャムを作った。 IHヒーターで調理し、改良もしたので、作り方を記す。

林檎ジャムの作り方

1) 新鮮で全体が赤い紅玉林檎(小ぶり、硬くて水気があり甘酸っぱい:10個、1個が230-250g) を手に入れる。
2) 林檎を洗い、布でよく拭いてワックスを除去する。
3) 林檎の皮を剥ぎ、鍋に入れる。
4) 皮を剥いた林檎を縦に八等分し、種部分を除去した後、厚さ4-5mmに切る。
5) 切断した林檎の重量を量り(2kg強)、その50%の重量のグラニュウ糖(1kg)をナベに入れる。
6) その上に切断した林檎を入れる。
7) レモン(3個、多いとジャムのピンク色が濃くなる)の絞り汁を加え、弱火(IH:4)で熱する。  砂糖が融け、林檎から汁が出てきたら、中火(IH:7)にして、時々木べラで攪拌する。沸騰してきたら、 弱火(IH:4)にして蓋をし、時々木べラで攪拌する。絶対に調理室から出ないこと!!!
8) 20分ほどすると林檎・皮が透き通るようになる。根気良く林檎の皮を取り出し(これをボールに保存)、 火を止める。これで林檎ジャムの出来上がり。皮から出た色素で美しいピンク色の林檎ジャムが出来る。
9) 蓋に安全ボタンの付いた壜を用意しておき、各壜に少しずつ熱いジャムを入れていく。 こうすれば壜は割れない。 壜がジャムで満杯になり、蓋をしたら空気が殆ど残らない様になったら、 安全ボタンの付いた蓋をし、しっかりと閉める。しばらくして冷めると安全ボタンが凹む。安全ボタンが 凹んでいる限り安心して食べられる。・・・これで一年以上室温で保存できます。・・・ただし、 開けるときはマイナスドライバー等で、蓋と壜の間をひねって空気を入れる必要があります。
10) 取り出した林檎の皮(ジャムも付いている)をミキサーに入れ、水(3カップ)を注ぎ、ジュースとする。 このジュースをジャム作成に使用したナベに入れ、味見しながら水(5カップ)を加えた後、沸騰させる。 冷まして、冷蔵庫に保管する。・・・林檎ジュース



2011.10.25

次女の出産

次女が出産し、母子とも元気だとの報を得た。前回は重い心臓疾患のある子供であったので、 私は心配していた。次女は勇気があるのか・無謀なのかと・・・。子供を授かるのは"天の思 し召し"であると思う。感謝!感謝!

秋の七草:萩の花 尾花 葛花 瞿麦の花 女郎花 また藤袴 朝貌の花(万葉集・巻八 1538)の 一つである藤袴が我が家の庭に植えてある。それに渡りの途中であろうと思われる蝶:アサギ マダラ(浅葱斑)が沢山やってくる(右の写真)。


2011.10.22

1961年京大理学部入学同窓会

入学後50年を機に同窓会が京大理学部セミナーハウス開催され、私は出席した。1961年に 京大理学部に入学した者は162名であった。その内、約一割が鬼籍に入り、出席者は60名で あった。入学後50年を経て、大半の者が一線を退いている。私は1年浪人してからの入学で あったので合格したときの喜びは大きかった。・・・と同時に"一生懸命勉強して立派な学者 になりたい"と決意して入学したのを思い出す。同級生には多様な人物がいて、若くて多感な 時期に、互いに影響しあったのだと思う。各自がそれぞれの人生を歩んできて、活動期を ほぼ終え、それぞれの人生観を持って、残りの人生を送ろうとしている。楽しい歓談の場で あった。


2011.10.19

林檎ジャム

昨年は12個の紅玉林檎を用いて林檎ジャムを作ったがこの9月に無くなってしまった。スーパー へ買い物に行ったら、美味しそうな紅玉林檎を売っていた。16個の紅玉林檎を買ってきて林檎 ジャムを作った。作り方は2009.10.19のブログに書いたとおりである。10個の紅玉林檎から 右の写真に示すだけのジャムができた。6個の紅玉林檎は愚妻に「食べたかったら自分で作る様に」 と言って渡した。ところが愚妻はそれを無視して私の作った美味しい林檎ジャムを食べた。 さらに美味しい林檎ジュースまで飲んだ・・・。一年間美味しい林檎ジャムを楽しもうとすると、 私はもう一度作らねばならないのだろうか・・・。


2011.10.17

興福寺散策

ピアノ教室の後、興福寺の南円堂へ行った。大般若経転読会の法要は終わっていたが、この日は 年に一度の内陣公開日で、不空懸索観音と四天王立像(共に国宝)を拝観できた。次に、三重塔の 初層内陣が特別公開されているというので拝観に行った。この三重塔は南円堂の西にあり小さ いので目立たないが優美な国宝建物である。内陣の東南西北にそれぞれ薬師如来、釈迦如来、阿弥陀如来、 弥勒如来が千体ずつ描かれているということであったが微かに痕跡が残っているほどであった。 東側に弁才天坐像(右の写真)が祭られていた。頭上に鳥居を戴き、八本の手に宝珠・三叉戟・法輪・ 弓と剣・鍵・宝棒・弓を持ち、15童子を従えていらっしゃった。11月23日まで公開されている様なので 再度拝観に行きたいと思う。次に、華麗で優美な国宝建物である北円堂に行った。この内陣には、 平安時代初期作:木心乾漆造の四天王立像、運慶の晩年の代表作:弥勒如来坐像、運慶の最高傑作 の一つで力強く高い精神性の溢れる無著(むちゃく)菩薩立像と世親(せしん)菩薩立像といった国宝が 祭られている。北円堂も11月23日まで公開されている。三重塔の初層内陣も北円堂も拝観料300円。 私は興福寺友の会に入っているので半額で拝観できる。


2011.10.11

ゆったり休日

愚妻が「頭が痛い」、「肩がこる」、「首が痛い」、「腰が痛い」・・・と嘆くので、何処か 近くの温泉に行くことにした。奈良の南部の温泉が魅力的と思ったが先般の台風の被害が大きく、 行くことが出来ない。そこで白浜の温泉に行くことにした。インターネットで調べて10月9日の 宿泊が可能であったホテルを予約した。9日の11:00に家を出て、途中のSAでラーメンを食べて、 14:00に「ホテル川久」(右の写真、地中海沿岸に立つお城のような建物)に着いた。チェクイン タイムより早かったが、部屋に案内して頂けた。気に入ったので連泊出来るか尋ねたら、OKだっ たので10日の夜も宿泊することにした。早速、温泉に入った。快適なホテルの部屋で読書と昼寝。 18:00から夕食。和食と洋食の内、洋食コース(地中海料理)を選択した。これが美味しかったし、 ウエイターの対応も良かった。食べ終わったらすぐ皿を下げに来て、すぐ次の料理を持ってきた。 待たせることをしないのには感心した。夕食後に、そして就床前に、温泉に入った。22:00就床。 10日7:00起床。温泉に入った。8:00朝食(バイキング)。10:00にホテルを出て京大臨海実験所の 水族館、南方熊楠記念館を見物した後、千畳敷を見物。白浜の老舗の寿司屋で昼食。14:00にホ テルに帰着した。温泉に入った後、読書と昼寝。17:00ホテルの周りの海岸を散歩。18:00から 夕食。この日も洋食コースを選択した。連泊の客には、前日と異なった料理を出すということ だったが、前日より上等という感じであった。食後、ウエイターに私の感想を告げたら、 「最初の日に洋食を選んだお客さんは、2日目は日本食にする人が多い。2日目も洋食を選ぶ人は 最初の日の洋食が美味しかったので選んでくださっている。その方たちに失望させないよう、 2日目の料理には一層工夫をしています。」との言葉が返ってきた。食後、満月の月光に照ら されている海岸を一時間ほど散歩した後、温泉に入って、22:00就床。11日7:00起床。温泉に入った。 8:00朝食(日本食)。10:00にホテルを出て、田辺の天神崎に行き岩礁を散歩した後、14:00に奈良の 我が家にに帰着した。ゆったりとした良い休日であった。


2011.10.7

野菜作り

"安心して食べられる野菜を作ろう"という気になって、暫く草が生い茂っていた庭の一部を耕した。 ほぼ一年間生ごみを捨てていたコンポストから、みみずの沢山いる発酵済みの廃物を取り出し、 深く掘った畑に埋め込んだ。"これだと腐葉土を買う必要もない"とコンポストからせっせと掘り出し、 大きなコンポストも空になった。その畑に、ほうれん草・小松菜・水菜の種を蒔いた。草臥れたが、 収穫を夢見て休憩。煎茶を飲み、菊屋で買ってきた"栗最中"(これ、私の大好物)を食べた。外出から 帰ってきた愚妻が「綺麗な畑が出来たじゃない」とおだて、空になったコンポストを見て"にんまり" とした。


2011.10.3

我家の太陽光発電 報告(5)

関西電力から9月の受給電力量(こちらから関電に売った発電量)と使用電力量(こちらが関電 から買った電力量)の通知があった。受給電力量が211kWh、使用電力量が263kWh(デイタイム:5kWh, ナイトタイム:104kWh, リビングタイム:154kWh, 1kWhの料金はそれぞれ30.72円, 8.19円, 21.64円)であった。 関電に売った発電量の値段が10,128円(1kWhの料金は48円)。関電から買った電力の料金は5,478円 であった。我家の9月の各日の発電量/消費量を示すモニターの画面を写真に示す。消費量が 発電量より多いので、発電パネルを既設量の1.3倍に増設しようとしての見積もりをとったら、 63万円となったので止めた。最初にしておけば良かったと反省している。


2011.9.22

朱花の月

河瀬直美監督作品の映画「朱花(はねづ)の月」、河瀬直美さんの何時も通りの読み難い 題名の映画、を観に行った。映画の展開も、河瀬直美さんの何時も通りの、言葉少なく、 飛鳥の美しい景色と中大兄皇子の大和三山歌「香具山は 畝傍を愛しと 耳成と  相争ひき 神代より かくにあるらし 古も しかにあれこそ うつせみも 妻を争ふらしき 」 を主体とした様な映画であった。観客が少ないのは残念であった。
2011.9.20

福島第一原発事故:冷温停止

細野原発相は「冷温停止を年内に達成すべく全力をあげる」と発表した。これが達成できれば 原子炉をコントロール下におけるわけで"一応の安心"となる。関係者の努力をお願いしたい。 原子炉格納庫が爆発したら大変なことになっていた。"危機一髪"で回避できた・・・と不幸中 の"幸い"に感謝しなければならない。
8月末に文部科学省の検討会で、福島第一原発事故で拡散した放射性物質による土壌汚染の状態 を調べたデータが報告された。それによると半径20km内の警戒区域以外に飯館村、南相馬市を加 えた6市町村の34地点で、チェルノブイリ原発事故での強制移住基準(40キュリー/m2=148万ベク レル/m2)を超えていると報告された。放射性セシウムを取り除くという意味で"除染"という言葉 が使われているが誤解をまねくと思う。表土を削り取って放射性セシウムを減少させることはで きるが除去は出来ない。"除染"で元の生活が出来るようになるとは思われない。チェルノブイリ 原発事故での強制移住基準を超えるような土壌汚染が観測された地域に住んでいた人達には、 経済的な補償をして・・・他の地域に移住することをお願いした方が、いつまでも無益な希望を 抱かせるより、良いのではないかと私は思う。福島第一原発の処理には何十年もかかるだろうし、 半減期30年のセシウム137の除去は不可能である。自然界に存在しなかった恐ろしい放射性物質を 私達は作ってしまったのだ。
2011.9.7

ブルーベリージャム

今年もブルーベリージャムを作った。我が家の庭にブルーベリーの鉢植えが10本ほどある。 今年は大豊作で1kg以上獲れた。このブルーベリーは獲ってすぐ生食する。ブルーベリージ ャム用のブルーベリーは菟田野の農産物販売所で3kg(実測したら3.2kgあった)買った。 これを半分ずつ2回にわけてブルーベリージャムを作った(右の写真)。これで一年間、 毎朝楽しむことが出来ます。

ブルーベリージャムの作り方 (とっても簡単約30分できる)。
1) 新鮮なブルーベリー1.6kgを水で良く洗い、ザルにとり水をきる。
2) 容量5リットルのステンレス鍋にブルーベリー1.6kg、グラニュー糖1.0kgを入れ, 弱火(IH:5)で熱しつつ、木ベラでかきまぜる。
3) グラニュー糖が溶け液状化してきたら、中火(IH:7)で熱しつつ、木ベラで絶えずか きまぜる。
4) 沸騰してきたら弱火(IH:5)にして3分間木ベラで絶えずかきまぜた後、火を止める。
・・・・・・・・・・ブルーベリージャムの出来上がり
5) 蓋に安全ボタンの付いた壜を用意しておき、各壜に少しずつ熱いブルーベリージャム を入れていく。・・・こうすれば壜は割れない。
6) 壜がブルーベリージャムで満杯になり、蓋をしたら空気が殆ど残らない様になったら、 安全ボタンの付いた蓋をし、しっかりと閉める(熱いので濡れタオルで包んで力を入れる)。
しばらくして冷めると安全ボタンが凹む。安全ボタンが凹んでいる限り安心して食べられる。 ・・・これで一年以上室温で保存できます。・・・ただし、開けるときはマイナスドライバー 等で、蓋と壜の間をひねって空気を入れる必要があります。
上記の量のブルーベリーとグラニュー糖から370cc入りの壜6個のブルーベリージャムが出来 ました。ペクチンを入れてないので固まりませんが、ヨーグルトに入れたり、トーストに付 けたりして味わうことが出来ます。

2011.9.4

70才の誕生日

70才(古稀)になりました。古稀は杜甫の詩「曲江」:朝より回りて日日春衣を典す 毎日江頭に酔いを尽くして帰る  酒債尋常行処にあり 人生七十古来稀なり 花を穿つケフ蝶は深深として見え 水に点ずる蜻テイは款款として飛ぶ  伝語す風光共に流転して 暫時相賞して相違うこと莫らん
が出典のようですが、杜甫はこの詩を47才の時に作り59才で亡くなっています。
私は、お蔭様で健康に恵まれ、70才まで生きることが出来ました。杜甫のようにお酒を楽しむ ことは出来ませんが、借金もなく、自然を楽しむ生活は出来ております。感謝!感謝!であります。 2005年3月末に神戸大学を定年退職し、その残務整理をした後、2006年9月にフランスでの 国際学会で招待講演をさせていただいたのを最後に研究生活から身を引きました。子供たち (2人の娘)も独立して家を出て行き、愚妻と2人で生活しています。元気なうちにと、定年 退職後は毎年ヨーロッパへ自由旅行をしています。何時まで続けられるかは"天の御意"です。 今は、週の内、3日はテニス(美しい女性が相手で楽しい。あまりに下手だと相手にしていた だけないので、コーチに指導をお願いしている)、1日は乗馬(始めてから6年余、昨年は英国の 湖水地方で乗馬を楽しみました。最近、障害馬場をはじめました)、1日はピアノ(定年退職後 からはじめて、ヤマハの大人のピアノ教室に通っています。暇があればいつでも練習できるの で便利。上手にはなりませんが、演奏できる曲は増えております)、残りの2日はフリー(これ が大切、これが無いと忙しくなります)。ゆったりと、優雅に、風雅に・・・と心がけており ます。人間は一人では生きていけません。皆様に感謝!感謝! 


2011.9.2

我家の太陽光発電 報告(4)

関西電力から8月の受給電力量(こちらから関電に売った発電量)と使用電力量(こちらが関電 から買った電力量)の通知があった。受給電力量が187kWh、使用電力量が346kWh(デイタイム:28kWh, ナイトタイム:99kWh, リビングタイム:219kWh, 1kWhの料金はそれぞれ30.72円, 8.19円, 21.64円)であった。 我家の8月の各日の発電量/消費量を示すモニターの画面を写真に示す。9日から19日まで使用 量が多いのは次女達が来ていた為である。関電に売った発電量の値段が8,976円(1kWhの料金は 48円)。関電から買った電力の料金は7,315円であった。なお7月の受給電力量は204kWh(関電に 売った発電量の値段が9,792円)、使用電力量は108kWh(関電から買った電力の料金は4,378円)で あった。7月の使用電力量が少ないのは留守にした期間があることによる。
2011.8.27

管直人首相の退任に際して

管直人首相はマスコミからも叩かれ人気が無かったが、原子力発電所の事故に対する対応は 悪くなかったと私は考えている。福島原子力発電所ではまだ冷温停止に至っていない。すな わち、まだ破損した原子炉の安全を制御・コントロールできる状態になっていない。そして、原子炉の破損の 実態がまだ掴めていないように推察される。このような状態では半径20km圏内で生活するこ とは、何かが生じた場合を考えると、危険である。さらに、放射性物質で高度に汚染された 半径数kmの地域には、戻って以前の生活をすることは不可能である。放出された放射性物質 の量は、局所的に見れば広島よりもはるかに多いと思われる。そのことを管首相は初期の段階で 言っていらっしゃる。だけど、それを周辺住民に周知させることが出来ていないのは残念である。 それでも、管直人さんが首相であったから、今度の事故の実態がよく公表されて来たと思う。 セシウムは水に良く解ける。水で洗えば流れる。汚染された校庭の表土を削って、放射線 による被爆を減らすことは出来ても、広大な山林・農地・住宅地の放射性物質の除去は、雨 で流され、地中に染込み、長年かかって海へ・・・を待つしかないのである。"除染"という 言葉が使われているが、放射線の放出を止める事は不可能である。だからこそ、原子炉格納 容器から外に放射性物質を放出することはあってはならないことと規制されている。でも現 実には漏れ出てしまった。
"原子炉事故に対する対応が遅い"と避難されている。住民への対応では多々問題点はあると 思う。しかし、原子炉事故の沈静化は時間のかかるものなのだ。スリーマイル島の事故でも 核燃料の撤去に10年以上掛かっている。福島原子力発電所では30年程はかかるといわれている。 原子力発電は1kWの発電に対する燃料費が、火力発電の1kWの発電に対する燃料費と比べて格安 と宣伝されている。今度のような事故に対する経費、安全対策・建設経費を考慮すればそんな に経済的とも思われない。管首相の提唱された"脱原発"の路線は正しいと思う。

追記(注):経済産業省原子力安全・保安院は、東京電力福島第1原発1~3号機と広島原爆 から、それぞれ大気中に放出された放射性物質の核種ごとの試算値を公表した。それによると、 セシウム137(半減期約30年)の放出量は、福島第1原発は広島原爆の168.5個分に 相当する。
2011.8.26

乗馬の試験

私の行っている乗馬クラブでレッスンカリキュラムに変更があって、私の受けたいレッスンを 受けるのに3級ライセンスがいることになった。今までは指導員の了解だけで受けていたが、 どうも肩身が狭いので、3級ライセンスの取得のための試験を受けることにした。その試験は 実技と筆記試験からなる。今日16:30から練習をし、その後、実技試験を受けることになった。 ところが16:00頃から雷が鳴り出した。馬が驚いて暴れると危険なので16:45から練習を始める ことになった。練習を始めた頃には、雷は収まっていた。しかし、まもなくして雨が降り出した。 そして、実技試験が始まる頃には本降りになった。しかし暑いときなので雨具を付ければ蒸し 暑くなる。それで、ずぶ濡れになりながら試験を受けた。十分に自信をもって受けたのだけど それでも緊張した。実技は合格、筆記試験の結果はまだ分からない。私のこの後の人生でまだ 試験を受けることがあるのだろうか?
2011.8.17

警官からの電話

10:30頃テニススクールに出かけようとしている時電話機が鳴った。受話器をとると警官からの 電話で「貴女の娘さんをスピード違反で検挙しました。ところが免許証を携行していないので 身元確認のため電話させていただきました。娘さんは貴方の車に乗っているようですが車種と 車のナンバー、出かけた時の服装、娘さんの名前・住所・生年月日を教えてください」と言わ れた。答えた後「ちなみに何キロオーバーですか」と尋ねたら、「速度制限60km/時のところを 94km/時で走っていました。34km/時オーバーです・・・」と言われた。暫くして、娘から電話 があった。「私の生年月日知らないの!!!」と・・・。
2011.8.15

奈良の灯り

8月15日は春日大社中元万灯篭(19:00-21:30、境内の石灯篭・釣灯篭3000基に灯火が入る)、 東大寺大仏殿万燈供養会(19:00-22:00、大仏殿に諸霊供養の箱灯篭2500が置かれ、観相窓が 開かれ大仏のお顔が屋外から拝せる)、奈良大文字送り火(20:00、高円山の大文字に点火) と奈良は"灯りの祭典"の日である。私と愚妻、次女とその子供2人の5人で6:30にタクシー で飛火野まで行った。飛火野は奈良大文字送り火の良く見える場所で、関連する行事が行 われていた。点火までには時間があるので、春日大社参道を歩いて、本殿まで行った。参 道脇の石灯篭には蝋燭の灯火が点いていた。本殿回廊の釣灯篭も点火されていいたが入場 料500円が必要であった。私は「止めよう」と言ったが、次女は「入りたい」と言ったので 皆で入った。参拝をすませて飛火野に戻ってきたら、大文字に点火されたところであった。 その後、東大寺大仏殿に行った。東大寺管長の読経が行われていた。東大寺大仏殿から焼門 に差し掛かったとき、灯していた提灯の蝋燭が倒れて、提灯は燃えてしまった。
2011.8.14

お盆の墓参り

14日8:00に家を出て、岐阜県関市と美濃市にあるお墓参りに行った。次女が奈良の家に来ている ので私一人で出かけた。出発前に家の庭でオミナエシ、キキョウ、百日草、ヒサカキ等を 切って持って行った。先ず関市の実家に行き仏前で頭をたれた。大腿骨を骨折して、これからは 病院暮らしになるかと思っていた母は少し歩けるようになって実家に帰り、次弟たちの世話でナ ントカ生活できるようになっていた。次弟が13日に奈良に来たとき「"呆け"が進行している」と 言っていたが意外に元気であった。近くに住む妹(10年余も寝たきりであった姑が先月亡くなった ので実母の面倒も見れると言っていた)も頻繁に訪ねて呉れている様で、次弟一家と妹に感謝・ 感謝である。大阪に住む末弟も墓参に帰っていて、一緒に墓参した後、長良川に行って泳いだ。 水の美しい川で、長良川で泳いでいるときは"幸せ"である。その後、私の実母の里へ行き、従兄 弟・叔父達と墓参にいった。そこでバッタリ幼い時一緒に遊んだ友達に逢った。脳梗塞で不自由 になった足を引きづり・杖を頼りに歩いておられた。頭はしっかりしておられて"思い出"を懐かし く話した。彼は私より年下である。私も"何時そうなるかわからない歳"になったのである。今日 の健康に感謝!感謝!である。私は真っ黒に日焼けしている。誰にあっても「真っ黒だね」と言 われる。それを気にしていたら外で遊べない。小学生の頃、夏休みが済んで学校へ行くと、私が 一番黒かった。今でもきっとそうだ。でも・・・テニスをするときは、できるだけ"日焼け止め クリーム"を塗っているんだけど・・・効果が無い。19:30家に帰着した。
2011.8.12

次女の来訪

次女が2人の娘(6才と4才)を連れて奈良に来た。昨夜は東大寺横の春日野運動場で開催されて いる燈火会に行った。孫娘たちは広い広場を走り回っていた。監督する方は"危ない"と思うの で大変である。でも孫娘たちは注意を無視して走り回っていた。東大寺裏の暗がりを提灯を灯 して歩くのは、風情のあるものだ。帰宅したら22:00を過ぎていた。子供達は風呂に入ってすぐ 寝たが、夜遅く寝たので今朝は遅く目覚めると期待したが6:30には起きてきて眠い私を叩き起 こした。今日は10:00から墓参りに行った。かんかん照りの炎天下で、庭から取った花を孫娘たち に供えられて、ご先祖様も満足!満足!であろうと推察した。その後、ピザが美味しい大和郡山の イタリアンレストランに立ち寄り昼食をとった。子供たちも沢山食べた。
2011.8.5

スイス・フランスの旅

フランス・イタリヤ・スイスの国境にあるヨーロッパ大陸の最高峰モンブラン(4810m)の麓に あるフランスのシャモニ(標高1035m)に3泊、名峰マッターホルン(4478m)の麓にあるスイスの ツェルマット(標高1620m)に4泊、日本からの往復拠点としてパリに前後2泊ずつという計画を 立てた。両峰の姿を眺め、美しいアルプスの高山植物・花を観賞することを目的とした。 パリからは全て列車で移動。シャモニとツェルマットのホテルは共にMountain Viewの部屋を 予約した。飛行機とホテルの予約はインターネットで、列車の時刻表・乗り換え駅もインター ネットで調べておいた。出発予定日の7月20日は台風の直撃があり、前日夕刻に航空会社から e-mailで「20日の便は中止・21日の便を確保した」と知らせてきた。早速、パリのホテルに 連絡したら「20日の宿泊はキャンセル了解ただし料金はいただく、21日の宿泊はOK」の返事が きた。パリに2泊の予定であったのでその後の予定は変更せずに済んだ。
7月21日11:25にOsaka/KIX発のAF291で17:00にParis/CDGに着いた。空港からバスで凱旋門(所要 時間35分)まで行き、バス停から100m程にあるホテル(昨年も泊まった。とても便利)に着いた。 21:00就床。

7月22日6:00起床。7:00朝食(料金13Euro、美味しい)。7:30ホテルを出て地下鉄でParis Gare De Lyonに8:00着。Chamonixまでの切符を買う。9:09Paris Gare De Lyon-11:46Bellegarde, 12:07Bellegarde-13:51St Gerevais, 13:59St Gerevais-14:39Chamonixの予定であったが、 13:48に停まった駅でSt Gerevaisと思い込み降りてしまった。同じ失敗をした人がいて、互いに 苦笑し慰め合った。
Chamonixには16:40に着いた。ホテルに荷物を置いて、インフォメーションセンターで情報を 仕入れた後、7月23-24日と2日間有効なMT Blanc M-Pass(60Eur,Chamonixの登山列車、ロープ ウェイが乗り放題)を買った。モンブランの初登頂に成功したBalmatと登頂に情熱を燃やした Saussureの銅像(写真1)がある広場周辺を散策した後、アルブ川べりにあるレストランAtmosphere で夕食をとった(30Euro, 美味しく、店員の対応も良かった)。21:30就床。
1: モンブランを指差すバルマとソシュールの銅像 2: メール・ド・グラス氷河 3: ピクニックランチ
7月23日6:00起床。Mountain Viewのテラスから眺めるとエギュイユ・ディ・グーテ(3817m)は雲の 間に望めるけれどモンブランを見ることが出来なかった。エギュイユ・ディ・ミディ(3842m)の山頂 までいけるロープウェイの乗り場まで歩いて行った。混雑していて30分ほど行列に並んで、ロープ ウェイに乗ることが出来た。しかし頂上は雲の中、何も見えないし、愚妻は軽い高山病で機嫌が悪い。 レストランで休憩して、すぐ下山ロープウェイに乗り、中間駅ブラン・ド・レギュイュ(2317m) で下車し、周辺を散策し、小雨の中で高山植物・花の写真を撮った。天気が良ければ其処から歩い て下山する予定であったが中止し、ロープウェイで下りた。 その後、シャモニ駅の裏から出ている登山電車に乗り、モンタンヴェール(1913m)に行った。メール・ ド・グラス氷河(写真2)は見えたがその奥に聳えるレ・グランド・ジョラス(4208m)の山頂は観る ことが出来なかった。氷河の中を見物できる様になっていたが、「大きいな」と思うだけであった。 モンタンヴェール駅周辺を散策し、持参したピクニックランチ(写真3)を食べ、高山植物・花を観賞 した。 その後、登山電車で下山し、シャモニの街を散策した後、19:00宿泊しているホテルのレストランで夕食をとった。 味もあまり良くなかったし、"マネージメントが良くいってない"と思った。 21:00就床。
4: モンブランを背景として 5: モンブラン(右から3番目のピーク) 6: ホテルの部屋から見た朝日に輝くモンブラン
7月24日6:00起床。あたりは雲で覆われていて何も見えない。7:00朝食。 8:30にホテルを出て、ブレヴァン(2525m)山頂の展望台までロープウェイで行った。山頂は新雪で覆われ ていたが、幸運にも雲が動いて、モンブランがくっきりと姿を見せてくれた(写真4,5)。山頂で1時間 ほど過ごして、来たときと同じロープウェイで途中の駅プランプラ(2000m)まで行き下車した。駅の近く にハングライダーの飛び立つ広場があり、10人余の人達が次々と飛び立って行った。勇敢な人達だ。 其処から上方に向かって歩き、雪がうっすらと積もっているところまで行って、ピックニックランチを 食べた。さらに上方へと登っていくと、愚妻に携帯電話で呼び戻された。こんな高山でも携帯電話は 使えるのだ。遭難したら携帯電話でヘリコプターも呼べると思った。行きと同じ道を通り、プランプラ駅 まで戻った。このコースには種々の美しい高山植物・花があり、堪能させてくれた。 14:30ホテルに帰着。翌日乗るシャモニからツェルマットまでの切符を駅で購入し、その後、シャモニの 街を散策した。18:30街のレストランで食事。21:00就床。

7月25日6:00起床。テラスから眺めるとモンブランの素晴らしい山容を観ることが出来た。頂上に朝日が当た りだした光景(写真6)は見事であった。Mountain Viewの部屋を確保した価値があった。 7:30朝食。9:00チェックアウト。9:00Chamonix-10:18Vallorcine, 10:23Vallorcine-11:17Martigny, 11:38Martigny-12:22Visp, 12:43Visp-13:52Zermattの予定であった。しかし、11:14にMartignyの一つ手前 の駅Le Buetで降りてしまった。駅名も確かめず、周りの人が降りたので降りてしまった。同じ失敗をする とはナンという事だ。情けない!「今回もまた失敗ね!」と愚妻は私を責める。「だけど、周りは良い景色 だ。ゆったり、楽しもう」と周りを散歩しながら次の列車を待った。
7: 山頂に朝日の当たったマッターホルン 8: 朝日に輝くマッターホルン 9: 早朝のマッターホルン
Zermattには14:52に着いた。ホテルに荷物を置いた後、インフォメーションセンターに行き、7月26-28日と 3日間有効なZermatt Peak Pass(192CHF=日本円で19000YEN,Zermattの登山列車、ゴンドラリフト、ロープ ウェイが乗り放題でお徳用)を買った。18:00街のレストランで夕食を済ませて、ホテルに戻ると、部屋から 夕日に映える美しいマッターホルンを観ることが出来た。21:00就床。

7月26日6:00起床。部屋から朝日に映える美しいマッターホルン(写真7,8)を観ることが出来た。シャモニでも 同様であったがMountain Viewの部屋を確保することは大切であると思った。良かった。良かった。7:00朝食。
10: 左からモンテ・ローザ、リスカム、カストール 11: 左からポリュックス、ブライトホルン、クライン・マッターホルン 12: 右端にマッターホルン
8:30にホテルを出て、ゴルナーグラート(3130m)山頂の展望台まで登山列車で行った。展望台では眼前にモンテ・ ローザ(4634m)、リスカム(4257m)、カストール(4228m)、ポリュックス(4092m)、ブライトホルン(4164m)と4000mを 超える山々があり、その右方の雲の中からマッターホルンが顔を出していた(写真10-12)。暫く観景した後、天気が良いので、 歩いていける所まで行こうと10:30に下山を開始した。下山といっても、高山植物・花を観察し写真を撮りながら のとぼとぼ歩きである。ローテンホーデン(2815m)近くにあり、逆さマッターホルンが見られるというリッフェル湖 まで行き、そこでピクニックランチを食べながらマッターホルンが見えるのを待ったが、マッターホルンの山頂 は雲の中のままであった(写真13)。さらにリッフェルベルグ(2582m)まで行き、そこで登山列車に乗ろうかと迷った が、もう少し歩こうとさらに進んだ。これは失敗で、リッフェルラップ駅(2211m)に着いたときには、"やっとたどり 着いた"という状態であった。それでも、このハイキングコースは標高3000mから2000mまでの高山植物の変化を 観察でき、満足・満足であった。19:00ホテルで夕食。美味しかったので以後このホテルにで夕食をとる事にした。 21:00就床。
13: リッフェル湖 14: テォドール氷河をスキーで下る人々 15: トロックナー・シュテークにて
7月27日6:00起床。この日も美しいマッターホルン(写真9)を観ることが出来た。7:00朝食。 8:00ホテルを出て、ゴンドラリフトでシュヴァルツゼー駅(2583m)を経てトロックナー・シュテーク駅(2939m)まで行き、 さらにロープウェイでクライン・マッターホルン駅(3883m)まで行った。展望台に登ったが雲で何も見えなかった。 ここからテォドール氷河をスキーやスノーボードで滑っていく人達が大勢いた。スキーのできない私は"凄いなあ"と 見とれていた。早々にシュヴァルツゼー駅までもどった。ここには雲もなかったので、シュヴァルツゼー湖まで歩き、 湖畔でピックニックランチを食べた(写真16)。その後、高山植物・花を観察し写真を撮りながら、フーリ(1867m)を 経てツェルマットまで歩いた(全長11km)。フーリには、高床式で平たい石の"ねずみ返し"の上に木造の家が建ち・ 屋根瓦は平たい石(写真17)・・・といった古い伝統的な家が沢山あり美しかった。19:00ホテルで夕食。21:00就床。
16: シュヴァルツゼー湖 17: "ねずみ返し"のある木造の家 18: マッターホルン初登頂者ウィンパーのレリーフ
7月28日6:00起床。マッターホルンはときどき見えたがすぐ雲に覆われてしまった。7:30朝食。 これまで数多くの高山植物を見てきたが、アルプスの花"エーデルワイス"を見ることは出来なかった。それでこの日は 今ではスイスでも野生で見ることは難しくなったという"エーデルワイス"を是非見たい・・・とコースを選んだ。 9:00発のケーブルカーでスネガ(2288m)まで行き、そこからゴンドラリフトでブラウヘルド(2571m)に行った。 「ロートホルンとブラウヘルドの間に"エーデルワイス"の群生地がある」と旅行案内書に書いてあった。 ブラウヘルドからハイキングコースをステルゼー湖(2537m)まで行った。ここへの途中で大きな三脚を持った 日本人の一団にあった。ステルゼー湖に映るマッターホルンの写真を撮るのが目的の様で「もう見えなくなった が早朝にバッチリ撮れました」と話してくれた。ステルゼー湖からフルハルプ(2616m)まで行く間に念願の "エーデルワイス(写真20)"を見ることが出来た。貴婦人のような高貴な花である。 フルハルプの山小屋でホットチョコレートを飲んだ。そこから下山しブラウヘルドに行く途中でも"エーデルワイス"を 見ることが出来た。それでも他の高山植物のように繁殖力が無いのか沢山とは言えず、群落の規模は小さかった。 だけど、これで満足・満足である。この群落の近くでピックニックランチを食べた。ブラウヘルドからロープウェイ に乗りロートホルン(3103m)に行った。少し山頂を散策したのち、ブラウヘルドまでロープウェイ、そこから ゴンドラリフトでスネガまで行き、周辺を少し歩いた後ケーブルカーでツェルマットへ帰った。16:00にホテルに帰着。 その後、鉄道駅へ行き、翌日のパリへ行く切符を買った。「2等席は売り切れで1等席ならある」ということで あったので、やむを得ず1等席の切符を買った。次いでインフォメーションセンターに行き"7月26-28日の3日間だけ 有効なZermatt Peak Pass"を返却し、保証金10CHFを返却していただいた。「有効期限のある切符カードを何故返却する 必要があるのか?」と尋ねたら、「磁気データを書き換えて再利用する」とのことであった。納得・納得・・・良い事だ。 19:00ホテルで夕食。21:00就床。
19: アルペンローゼ 20: エーデルワイス 21: ミヤマツリガネソウ
7月29日6:00起床。マッターホルンは雲で全く見えない。7:30朝食。8:45チェクアウト。少し買い物をして 9:39Zermatt-10:47Visp, 11:07Visp-13:24Geneve, 13:41Geneve-16:49Paris-Gare-de-Lyonと今度はミス無くパリに到着した。 めでたし・めでたし。ところで、ジュネーブからパリまでの列車はTGVで、途中で車内販売が来た。「サンドイッチ、ケーキ、 飲み物は如何ですか」と訊かれたので「いりません」と言ったら、「料金は一等の切符代金に含まれていますが・・・」と 返事が来た。それならと「ショコラ(チョコレートケーキ)とコーヒーをお願いします」と私は言った。 18:30ホテルの近くのカフェで夕食(美味しくなかった)。22:00就床。
22: ゲンティアナ・ラモサ 23: ゲンチアナ・ヴェルナ 24: センペルビブム・アラクノイデウム
7月30日6:30起床。7:30朝食。9:00ホテルを出てオルセー美術館へ行った。昨年この美術館に行ったとき改修工事をしていた。 今年は改修も終わり良くなっているだろうと思って行ったがまだ改修中で展示も良くなくガッカリした。12:30愚妻と落ち合い 2階のレストランで昼食。このレストランは何時行っても美味しい。その後愚妻と別れて、私はルーブル美術館へ行った。 ルーブル美術館に私は30回以上行っているが素晴らしいし少しずつ改善されている。17:45愚妻と落ち合い、何回か行って 味の信頼できるカフェへ行き"美味しいオニオンスープ"を味わった(これ私の大好物。でも前日のはまずかった)。22:00就床。
7月31日7:00起床。8:00朝食。9:30チェックアウト。10:30に空港に着いて"早すぎた"と思ったが、自動チェクインしてから 荷物のドロップインに1時間以上並んだ。受付の人数が足らないのだ。"良い機械を導入しても旨く機能しないと駄目"の 典型だと思った。13:50Paris/CDG-8月1日8:25Osaka/KIXのAF292で無事帰着した。好天に恵まれ、美しいモンブランや マッターホルン等の山々とヨーロッパアルプスの花々(写真18-24,これは一部で整理したら"花の写真館"に上載します)を 堪能することが出来、楽しい旅であった。感謝!感謝!

2011.7.15

サネカズラ

山で実をとってきて庭に蒔いたサネカズラが大きくなってきて、今年も花を付けた。2010.9.3の ブログに雄花の写真を載せた。我が家のは雌雄異株と思っていたが、今年は雌花(右の写真)も 付けている。どうやら雌雄同株である。・・・ということは実のなることが期待できる。
旅行で二週間ほど家を留守にする。留守中に庭の草木に水遣りをどなたかにお願いしなければ ならない。いつもお願いしていた人が今年は不都合だ・・・ということなので、シルバー人材 センターに電話し依頼した。私とほぼ同年の方が来てくださることになり、シルバー人材センタ ーの方と打ち合わせに来てくださった。蚊に刺されながらの水遣りも大変である。感謝・感謝。
さて、話は変わりますが・・・、この暑いのに・・・乗馬に行った。14:00から始まるコースと 、15分の休憩の後、15:15から始まるコースに参加した。乗せていただいている私達は楽しいが 、炎天下でアブやブトに襲われながら走っている馬は大変である。感謝・感謝。
2011.7.12

ピアノの独奏会

7月8日に"大人のピアノ"教室の食事会があり、その前18:30にピアノ教室に集まって私のピアノ の独奏(曲目「月の沙漠」)会をやることになっていた。それでせっせと練習したのだけど、 その日は乗馬クラブでマンツーマンの指導を受けることになっていて、19:00頃でないと帰宅 出来ないことが分かった。19:00からレストランが予約してあったので、食事の後で独奏会を することに変更された。ところが食事が長引いて遅くなりピアノ教室の閉室時間を過ぎてしま った。それで残念だけど次回に・・・ということになった。翌日、我が家に2人の女性の来客 があった。ピアノの独奏会の顛末を話すと「それでは私達が聴かせていただきます」とおっし ゃった。それで私は演奏することが出来、盛大な拍手をいただくことが出来た。一生懸命練習 した甲斐があった。7月10-11日はテニス合宿旅行の日で、姫路のテニスコート付きの温泉ホテル に行った。このホテルには以前にも行ったことがあり、ロビーにグランドピアノがあったのを 記憶していた。このテニス仲間は、私にリズム感が無いことを熟知しており、私がピアノを弾く ことを疑問視していた。それで私は楽譜を持参し、素敵なピアノ演奏をご披露しようと意気込ん で行った。ホテルで「ピアノを弾いてもよろしいか」と尋ねたら、「あのピアノは使用禁止です」 とのことであった。残念、残念・・・。
2011.7.2

我家の太陽光発電 報告(3)

関西電力から六月の受給電力量(こちらから関電に売った発電量)と使用電力量(こちらが関電 から買った電力量)の通知があった。受給電力量が220kWh、使用電力量が238kWhであった。我 家の六月の各日の発電量/消費量を示すモニターの画面を写真に示す。つゆ入りして雨の日が 多かったが後半における晴天の日は猛暑で日差しが強かった。エアコンも使うようになった。 我が家で使った電気量を太陽光発電でほぼまかなうことができたが、やはり、もう少し多く 太陽光発電パネルを設置しておけば良かったと思う。節電も徹底して行うようになったが・・・。 太陽光発電は極めて有用であると思う。もっと多くの家で設置するようになれば設置コストも 安くなると思うし、現在の原子力発電による発電量は全量の30%、各家庭で使う電力量が総消費 量の30%だから、太陽光発電で原子力発電による発電量をカバーできる。これは素晴らしいこと だ。管首相に頑張っていただいて、お辞めになる前に、自然エネルギー法案を成立させて欲し いと願う。
2011.6.30

昼のレストラン

学園前にある少ししゃれたイタリアンレストランに正午過ぎに電話したら「只今は満席です。 13:30ならお席を用意できます。」とのことであった。大和文華館に立ち寄って"鉄斎展"を 観て、13:30にそのレストランに着いた。40席ほどが満席で、その90%以上が女性客で埋めら れていた。今日は木曜日。専業主婦と思われる30-50才位の人が大半であった。ナントュウコトダ!! 男たちはせっせと働いているのに・・・女性たちは優雅におしゃべりとご馳走を楽しんでいる!! 男性は暇があったらなにをしているのだろう・・・??? ちなみに、このレストランのランチは 1200-2100円。高くは無い・・・が安くも無い。
2011.6.22

一人暮らし

一人暮らしも一週間になる。"優雅に・風雅に・・・"をモットーに過ごさせていただいている。 "優雅に・風雅に"といっても、先ずは健康でなければならないので、生活は規則正しく(起床7:00、 就床22:00少し本を読んで23:00前に寝る)を鉄則としている。美味しい料理を・・・と心がけた。 しかし、多種・沢山作り過ぎて食べ過ぎることになってしまった・・・これは反省しなければならない。 "優雅に・風雅に"を演出するには、庭の花を切ってきて花瓶に生ける。5-6個の花瓶に生けて、 玄関・居間・トイレ・書斎・・・と飾ると心豊かになる。美味しい和菓子を買ってきて、玉露を 愛用の器でいただく・・・なんとも幸せな気分になる。乗馬鞍をおく台を作っていたら掌に大き な肉刺ができてしまった。これではテニスができないので大きなバンドエイドを買ってきて貼った。 庭のブルーベリーの実が熟してきた。まだヒヨドリが気が付いていないようなので、せっせと私 一人でついばんでいる。・・・明日には愚妻が帰ってくる。写真はアサザの花・・・朝に咲き出して 昼過ぎには萎んでしまう。
2011.6.16

次女の"お手伝い"

東京に住む次女の要請で、愚妻は一週間の予定で次女の"お手伝い"に出かけて行った。「渋谷で 食材を買い、15:00には到着して夕食を作る」を依頼され、さらに「子供が破った障子の張替え をしてほしいので障子紙も持って来るように・・・」も依頼されたらしい。私はしっかり頑張って くるように激励し、近鉄奈良駅まで車で送って行った。
2011.6.5

春日山錬成会 夏の峰

春日大社の主催する"春日山錬成会 夏の峰"に参加させて頂いた。9:00に春日大社の感謝共生の 館を出発し、水谷神社に参拝し、人形(ひとがた)の形代(かたしろ、)に罪穢を移し水谷川に流し て身を清めた。次いで大宮、若宮に参拝し、神官による神域・禁足地に入る許しを乞う祝詞の 後、御蓋山に入山し"サンゲサンゲ ロッコンショウジョウ (懺悔懺悔 六根清浄)"と唱えなが ら、武甕槌命(タケミカヅチノミコト)が降臨された標高295mの浮雲峰山頂に行き、本宮神社に参拝した。 その後、住吉・一の井恵比寿神社、夕日観音、朝日観音を経て、首切地蔵に12:20についた。 昼食後、再度禁足地の春日山に入り、能登川の水源に御鎮まりになる高山神社(社前の水源には 鎌倉時代に興福寺から奉納された石舟が現存する)、神秘な伝説の伝わる龍王池(猿沢の池に住ん でいた龍が、采女の入水で穢れた猿沢池から移り住んでいたが、この龍王池も穢れたので、 室生の龍穴に再度移動した)の傍らにある鳴雷神社(春日山の分水嶺に御鎮まりになる水神)を参拝 した。そこからさらに原生林の奥に入り、御神木"二の大杉(右の写真)"まで行った。千年を超える 樹齢のこの大杉には威厳があった。年に4回ある春日山錬成会でも其処まで行けるのは夏の峰だけ であり、さらに天候が悪ければ、"二の大杉"には行けない。過去に3回参加した私も、今回が初め てであった。その後、春日山の最高所480mに神野山を経て鹿島の方向に向かって鎮座になる神野 神社、さらに春日山稜線を進んで、水谷川の水源地にある上水谷神社、大神神社を参拝し、奥山 周遊道にでた。三笠山を下り、最初に参拝した水谷神社で無事帰参した報告・拝礼をした後、感謝 共生の館に17:00に帰着した。巫女さんによる神楽と鈴の御祓いを受けた後、直会(なおらい、神に 供えた神酒や神饌のお下がりをちょうだいする行事)となった。各所での参拝では、神官に導かれて、 二拝・二拍手・大祓詞・二拍手・二拝のお参りをした。日本の伝統的な神道の原点にふれることが 出来たと思う。
2011.6.2

我家の太陽光発電 報告(2)

我家に太陽光発電システムを導入して1ケ月が過ぎた。発電量/消費量は室内にあるモニターで 常時知ることが出来る。五月の各日の発電量/消費量を示すモニターの画面を写真に示す。晴れの 日が多かったので発電量は平均より多いと思われる。本日、関西電力の受給電力量(こちらか ら関電に売った発電量)と使用電力量(こちらが関電から買った発電量)の通知があった。受給電 力量が248kWh、使用電力量が249kWhであった。ほぼ、我が家で使った電気量を太陽光発電でまか なうことができた。5月は気候が良くエアコンを使っていなかったこと、晴れの日が多かったこ とを考えると、もう少し多く太陽光発電パネルを設置しておけば良かったと思う。さて、採算面 について、記載しておく。設置費用は200万円。国と自治体からの補助が合わせて30万円あって、 実質の設置費用は170万円。関西電力への売電価格は48円/kWh、買電価格はナイトタイム(23:00-7:00), リビングタイム(7:00-10:00,17:00-23:00),デイタイム(10:00-17:00)と価格が異なる。売電価格 のほうが買電価格より高い。発電した電気は全部を関電に売り、使用する電気は全部を関電から 買うことになっている。それで、五月は売電料金が12,816円、買電料金が6,024円であった。 売電料金は太陽光発電の成果であり、買電料金はオール電化による効果が大きい。
2011.5.26

金剛山

今年の夏はフランスアルプス・スイスアルプスに行くことにした。脚力をつける為トレーニング をすることにし、手始めに、金剛山に登った。麓の高天彦神社まで車で行き、金剛山頂上まで 約二時間。中間の見晴らしの良いところで、途中の農協販売所で買った"山菜おこわ"を食べた。 180円の格安弁当であったが、とても美味しかった。この登山道には、ヤマトグサ、ニリンソウ、 ツクバネソウ、フタリシズカ、タニギキョウ、チゴユリ、ミヤマハコベ等の多様な山野草が自生 しており、楽しませてくれた。右の写真はユキザサ。山頂の葛木神社にある八重桜は満開であった。 下山して高天彦神社の近くにある山野草園に立ち寄った。小山に、数百本のエビネ蘭が自生して いる様に植えてあり、ちょうど満開で見事であった。
2011.5.21

人間ドック

定年退職後毎年4月に半日コースの人間ドックに行って検査をして頂いている。その検査結果が出て 病院へ説明を受けに行った。「結論から言えば、何の問題も無く健康です。」と言われて帰ってきた。 年に一度だけであるが定期点検のつもりで続けてきた。ただ、胃の内視鏡による検査は苦痛である。 それに、今年は「軽い潰瘍がある」と言って、組織を切り取られた。胃の中の映像を見せていただ きながら説明をして下さった。ファイバーを鼻から通すのは断って、喉から入れていただいたが、 何度やっても苦痛である。
健康であることは有り難い。感謝・感謝である。最近、テニスの腕を上げようと、熱心に練習した。 「少し上達したかな」思ったら、今日"腕に痛み"を感じた。やはり"そこそこに、楽しくやる"のが ベストのようだ。
2011.5.16

我家の太陽光発電 報告(1)

2011.4.29のブログに書いたように、原子力発電は余りに危険だからやめた方が良い・・・直ぐには やめられないからドイツの様に新設は中止し徐々に廃止していく・・・と考えるようになり、原子力 発電に替わるものとして太陽光発電はどんな性能のものであるか体験するために、我家に太陽光発電 システムを設置した。そしてガスもやめて、オール電化にした。調理・風呂・エアコン・照明等すべ て電気だけにした。発電量・消費電量は室内のモニターで何時もみることができる。5月15日と5月の 我家の実績を写真に撮って示します。5月15日の3時頃に電気を使っているのは、深夜の安い電気で給 湯タンクのお湯を沸かしています。今はエアコンを使っていませんが、快晴なら昼間の発電量で、 エアコンを3台動かすことが出来ました。雨の日は発電量が激減しますが、右図から分かる様にほぼ 自宅で使う電力を、自宅で作る電力でまかなえる様であります。"太陽光発電システムは素晴らしい" と思っています。正直いって、これほどの性能とは思っていませんでした。カタログに書いてある 性能はほぼ出ています。発電した電力は全て関西電力に売り、家で使うのは関西電力から買っています。 経済性・採算については、電力会社からの請求書がきてから報告します。発電量・消費電量を室内の モニターで見るようになって、節電にも努める様になりました・・・二次的効果。・・・これらを体験 して、国家的プロジェクトで太陽光発電システムを各家に設置するのが良いと確信する様になりました。 家庭で使う電力を全て太陽光発電でまかなえるようになり、現在の原子力発電による全発電量に対応 する電力を供給できる。日本海側とか東北地方では、曇天が多いから風力発電も必要かな・・・。 太陽光は天気に作用されるから、火力発電・水力発電・風力発電・等々を併用し、さらに新しい自然 エネルギーを利用したシステムを開発して、未来に永続的なエネルギーシステムを構築していかねば ならないと考えます。
2011.5.3

陶芸の森 作家市

テニススクールがお休みなので、一泊旅行で何処かの温泉に行こうかと考えたが、予約で満室の ところが多く断念した。私のように仕事を持たない者は、ゴールデンウィークの最中でなくて、 宿のすいている時に行けば良いのだ。それで、滋賀県信楽の"陶芸の森"で開催されている第五回 作家市に行った。途中、20分ほどの渋滞があって、12:00頃会場に着いた。70名ほどの陶芸作家の 方々が、それぞれ自分の作品を持ち寄って展示販売をしていらっしゃった。作品を観て、作家の 方々と話すのは楽しい。昨年のこの市で作品を観て、後日、陶房を訪ねた(その際、譲っていただ いたのが2011.3.24のブログの写真にある花器)ことのある藤本秀さんの出品作の升形花器(22x23x10cm 右の写真)が気に入ったので譲っていただいた。会場で弁当を買って、市を眺めながら、食べた。 天気も良く盛況であった。食器を数点買って、帰路に着いた。 途中テニススクールに立ち寄り、"竹の子(湯掻いた山城のたけのこ・・・これがとても美味しい ・・・今年になってこれが四回目)"を受け取った。帰宅して、竹の子ごはん、若竹煮、空豆の煮物、 菜の花の油炒め、塩鮭の切り身焼き物、味噌汁、沢庵の夕食を調えた。愚妻は「美味しい」と私を 持ち上げながら食べた。
2011.4.29

太陽光発電システムの設置

"原子力発電はやめた方が良い"と考えるようになり、試しに、我が家に太陽光発電システムを 設置することにした。1.165X990mm の太陽電池モジュール18枚が2階の屋根上に設置された。 ついでに、低料金の夜間電力でお湯をつくる給湯機(エコキュート)とIHクッキングヒーター を導入してオール電化にした。年をとってボケがすすみ、ガスを使うのが危険になるのに備え、 今のうちに調理方法を身につけておこうと考えてのことである。東日本大震災の影響で製品納入 が少し遅れたが、これら全てが納入設置され、太陽光発電も今日より始まった。太陽光発電の 性能・経済性については少しデータを集めて報告します。IHクッキングヒーターは、中華鍋が 使えなくなったが、火力調整が正確に且つ細かく調整できるので、慣れれば重宝なものと思われ る。オーブンで魚の切り身を焼いてみたが、これもうまくいった。少し使いこなせるまで料理 主夫をやりたい。
2011.4.18

東京電力による福島第一原子力発電所の事故収束に向けた工程表

政府にうながされて、東京電力は福島第一原子力発電所の事故収束に向けた工程表を発表した。 原子力発電所の事故の実態が十分判明していないので、この工程表は希望的観測に基づいたもの で正確さに欠けるが、一般国民にある程度の目安を与えるものである。原子炉の爆発破壊を起こ さず「冷温停止」までもって行ければ"成功"である。避難民の方々には気の毒だけど、それまで は明確な見通しなど無い。それまでは避難を続けるしかないのだ。関係者の方々には「冷温停止」 に向けての最大限の努力をお願いしたい。私は、この点に関し、政府の対応は悪くないと思って いる。
大災害に遭い・国難に直面している今、与野党が対立し・政争をしている場合ではない。協力し て現状を把握し、必要な対策をする必要がある。有能な指導者・政治家の出現が望まれるが、 今は、与野党の協力でこの重大時を正しく主導して欲しいと思う。
私は、マスコミの報道・対応にも問題があると思う。もっとしっかり事の真実を知り・正しく 国民に伝える努力をしてほしいと思う。そして、一番大切なのは、我々国民が、賢明になることだ。
2011.4.10

福島第一原子力発電所の事故対応

4月8日の日経新聞の記事「震災 緊迫の48時間」、4月10日の朝日新聞の記事「検証 福島第一 原発の1ヵ月」を読んで、福島第一原子力発電所の事故対応の経過を私なりに判断すると、管直 人首相が原子炉の破裂といった最悪の事態を防がれたのではないかと思う。事態の重要性を直ち に理解した管直人首相は、東京電力首脳の無能ぶりを理解し、出来る限りの手を打たれたと思う。 ベストの方法でなかったにしても、ことの重大性を理解し、全力で最悪事態を防ぐべく努力され たと思う。東京工業大学理学部応用物理学科を卒業された人物が、時の首相であって良かった。 まだ福島第一原子力発電所の危機的状態は脱していないが、最悪事態を脱け出すことができれば、 管直人氏は"日本の破滅的な原子炉事故を防いだ首相"として、歴史的な評価を受けられるのでは ないかと思う。
2011.4.9

「誕生!中国文明」展

奈良国立博物館で中国河南省出土文物の優品をそろえた「誕生!中国文明」展が行われているので 行って来た。河南省は中国最初の王朝夏(BC2000年頃)以後、商、周、漢、魏、西晋、北魏、北宋 (AC1127年滅亡)の都がおかれ、中国の政治、経済、文化の中心地として栄え、中国文明を生み出 してきた。この展覧会は、河南省で出土したこの時代の青銅器、金銀器、陶磁器、漆器、彫刻、 壁画、文字資料等の名品が展示してあった。質・量とも台北の故宮博物館で見た物より、優れてい るのではないかと思った。誠に見応えのある展示であった。中国文明の素晴らしさを改めて感得 した。
帰路で氷室神社へ行って、枝垂桜(右の写真)を見物した。早咲きのこの桜も、今年は遅くまで寒 かったからか、染井吉野と同時に咲いている。そういえば、辛夷もまだ咲いている。
2011.4.3

原子力発電所事故

福島第一原子力発電所の危険な状態は、外部電源で原子炉に真水を注入できるようになり事態は 少し良くなったが、その真水を冷却する装置が働き・原子炉を循環水で冷却することが出来る様 にならなければ、危険な状態を脱したとは言えない。多くの専門家がこの問題に取り組んでいら っしゃる様で、私は一時の混乱・無策状態から抜け出すことが出来たのではと推察している。
東京電力のホームページには、"原子力発電所では、異常が発生したときも、原子炉を「止めて」、 燃料を「冷やし」、放射性物質を「閉じこめる」ことにより、安全を確保することとしています。 そのために、原子力発電所は、多重防護の考え方を基に設計を行い、運転員や保修員の厳しい教育 ・訓練を行うなど、設計、建設、運転の各段階において、厳重な安全対策がとられています。 万一、原子力による災害が発生した場合でも、その影響を最小限に抑えて、地域住民の方の安全 を確保する。"と書いてある。私は"その影響を最小限に抑える"点で、初期段階で海水を注入して でも「核燃料を冷やす」作業をしなかった東京電力の責任は重いと思う。重要な決断を臨機応変に 出来ない無能な東京電力の体質は、その後の種々の対応にも現れていると思う。原子力発電の事 業者である東京電力の経営者・首脳の責任は極めて重い。巨大で重要なこの企業の改革は必須で ある。
経済産業省原子力安全・保安院は"原子力施設の設置許可申請に当たり安全審査、事故・トラブル の未然防止、万一の事故への迅速で的確な対応、事故の再発防止に取り組む"とある。テレビで 原子力安全・保安院の報告・記者会見を視聴していると、東京電力からの報告を伝えているだけ で、事故への対応を主導している様ではない。
原子力安全委員会は"経済産業省、文部科学省等の行政機関から独立した中立的な立場で、国による 安全規制についての基本的な考え方を決定し、行政機関ならびに事業者を指導する" とある。テレビ で、原子力安全委員会の委員長や元委員長の話を聴いていると、とても無責任で、重大な役割を果た しているとは思えない。
今回の事故を参考にして、事故対策は改善され、より安全な原子力発電装置が出来ると思う。だけど ・・・、また何年か過ぎて、組織がゆるむと・・・、人間はミスを犯す。その結果、悲惨な事故は起 こりうる。原子力の力はあまりにも巨大・危険で、取り返しのつかない結末を引き起こしうる。もし、 福島第一原子力発電所で、核燃料の冷却に失敗したら、膨大な放射性物質が飛散し、近辺では住めなくなり、 東北・関東地方では農業・漁業も成り立たなくなるだろう。このような危険なものは使わないほうが良い。 ・・・と私は考える。
2011.3.28

福島第一原発事故

福島第一原子力発電所の危険な状態は、今月末には脱却出来るかと思っていたが、その希望的 観測は誤っていた様で、まだその見通しは出来ていない。東京電力は組織としてどうなってい るいるのかだろうか・・・その対応に呆れ果てる。原子力保安・安全院もしっかりして頂かな いと困る。多くの国民の生命に関わる仕事なのだ。時々刻々と変化していく事態に適切に対応 し処理することが肝要な重大な任務なのだ。政府には、適切な人材を探し出し、体制を建て直 してこの重大事を解決する様、最大限の努力をお願いしたい。
私は3.16のブログに書いたように"原子力発電は止めるべきだ"と思う様になった。それではど うしたら良いか?。"各家庭で使う電力は各家庭の屋根の上に太陽光発電パネルを設置すれば まかなえる"・・・という宣伝を信用することにして、我が家では"太陽光発電システム"を設置 することにした。これがどの程度能力あるものなのかは使ってみて報告します。
2011.3.24

東北関東大震災

東北関東大震災の救援活動が少しずつ進展しつつある様だが、何もかも失った多くの人達に 対する長期的な生活再生への援助を我々は心がけねばならない。福島第一原発は一時の緊迫 感は薄らいだが、まだ危険な状態が続いている。安全な状態への関係各位の努力をお願いし、 現場で作業している方々に敬意を表さねばならない。この困難な時期に優れた指導者が台頭 してくださることを・・・!!!。
奈良の我が家に退避していた10名の内、2人は海外へ、5人は東京へ帰って行った。東京で仕 事や学校があるのだ。原子炉格納庫の爆発の危険性はまだ消えていないのに・・・。次女と 2人の子供だけが残っている。少し気分を変えようと、庭の"わびすけ"を切って信楽焼の花瓶に 生けた。
2011.3.16

福島第一原発

東日本大震災で多大な被害・犠牲者が生じ、多くの方々が懸命に救援・捜索等に努力してい らっしゃる。我々には被害を受けられた方々を助ける義務がある。ところで、地震・津波に よる被害以上に深刻な問題が福島第一原発で進行しつつある現状には、誠に心が痛む。東京 電力がこれほど恐ろしい事業体であることを、もっと早く知るべきであった。否、原子力発電 そのものが、危険なものであることを知るべきであった。私は科学者として「しっかりやれば、 原子力発電は安全」と思っていた。しかし、人間は「しっかりやれない」ということに初めて 気が付いた。そうした人間が「これほど危険なものを使うべきでない」ということがようやく 分かった。だけど、そんなことを今言ってみても"どうしようもない"。福島第一原発はどうな っていくのだろう・・・。今、東京電力や政府・当局にお願いしたいのは、当面の緊急事態を 何としても鎮静化させて戴きたい。事態の悪化を最小限にすることに全力を注いでいただきたい。 私は"自分は楽観的な人間"だと思っていたが、私は悲観的で心配性になった。
東京に住んでいた次女一家は11日夜奈良に来た。長女一家は18日に奈良に来る予定である。
2011.3.6

大学入試

京都大学の入試問題が試験が始まって数分後にインターネットに掲載され、解答もその数分後に 掲載されて、不正行為が行われたのではないかと話題になった。携帯電話という新しい時代 の機器が使われたので、話題としてもスポットライトをあびた。結果は幼稚な受験生の行為で あった。私は長年大学入試に関与し監督も数十回してきた。今回の事件を知って思うのは、 "大学入試の監督は気合をこめてしなくてはならない。不正行為が出来ない体制を執らなけれ ばならない。不正を摘発するのでなくて、不正行為ができない体制をとり、不正行為を未然 に防がなければならない。" 大学入試は、社会における重要な行為であり、公明正大なものと しての社会的信頼を揺るがしてはならない。私自身の反省も込めて考える。"今回の事件で、 一番反省しなければならないのは大学だ・・・と。"
2011.3.3

お雛様

もう今年も雛祭の季節になった。長女が生まれたとき義母が買ってくれた木目込み人形の 立雛を出してきて飾った。桃の花を買ってきて、それと庭の水仙、正月に生けて根の生え てきたネコヤナギを壺に挿して供えた。これで部屋が華やかになり、娘たちの幼かった日 々を思い出し、そして自分自身の子供の頃の雛祭に思いをはせることになる。私が子供の 頃に住んでいた岐阜県関市の田舎では雛祭は一月遅れの4月3日に行われていた。雛祭の日 に雛飾りをしている家々を子供達は一緒に周った。各家々では子供達にお菓子を呉れた。 雛祭の季節は、魚が釣れる季節のはじまりでもあった。冷たい風の吹く池で"もろこ"が釣 れた。餌は"みみず"であった。
2011.2.24

ピアノ教室

2月7日にピアノ教室の新年会があり、その席でAさんに私の漬けた沢庵を進呈することを約束した。 Aさんは私に「金柑の甘煮をあげる」とおっしゃった。私は「沢山はいらないから3個だけ下さい」 と言った。21日のピアノ教室に約束の沢庵を持って行った。好みがあるから、好かれなくて捨てら れたら勿体無いと思い・・・少な目に持って行った。ところが"金柑の甘煮"は沢山あった。「私の 金柑はどうせまずい・・・と思っても3個だけとはひどい」と・・・。ピアノ教室の後、ピアノの 先生とAさんと私の三人で喫茶店へ行った。ピアノの先生とAさんの二人は、豪快で私より体重も ありそうである。コーヒーだけと思っていたのに、「ナンノ、ナンノ」と大きなシフォンケーキを 注文してしまったのには驚いた。大きな声でおしゃべりして、おしゃべりな喫茶店の店主もタジタジ であった。そのAさんに今日、街でバッタリあった。「沢庵、もっと欲しかったら、無くなった時ご 連絡下さい」と言って別れた。"金柑の甘煮"のお礼を言うのを忘れた。酢を入れてあるのがポイント か・・・美味しい。庭に金柑があるので、愚妻が「まねして作る」と言っている。
2011.2.23

叙勲

以前に勤務していた大学から速達郵便が届いた。開いてみると「貴方は叙勲を受ける要件を満た した。推薦リストに記載することを希望しますか・・・」とあった。私は「希望しません」 と返事した。私は"人間に階級を付け、勲章を与えることは良くない"と思う。真面目に働い ている人は、どんな職業であれ、社会に貢献しているのだ。善良な国民を戦場に送り、勲章を与 えて煽てた・・・歴史が頭をよぎる。本当に必要だと思えば、勲章なしで、戦場にも赴く。
2011.2.18

福井・蟹食の旅

ここ20年ほど毎年行っている"蟹を味わう旅"も、なかなか日程がとれなくて延び延びになっていた。 もうシーズンも終わりに近づいたので、乗馬をキャンセルして、出かけることにした。17日9:30近鉄奈良 発の電車に乗り、京都10:40発のサンダーバードで11:33に敦賀に、そこから普通列車に乗り換え11:58に 今庄に着いた。今庄は江戸時代に宿場として越前で最も繁栄した所である。この1月末の北陸大雪では特急 列車が動けなくなり、住民が炊き出し奉仕をして、新聞で大きく報じられた。その残雪のある宿場町の散策 のため今庄に立ち寄ったのである。今庄駅から50m程歩くと北国街道に出た。その沿道約1kmに、本陣や脇本 陣、旅籠、問屋、造り酒屋等の古くて立派な家々が並んでいた。左の写真は福井藩の本陣。この街道を散策 した後、蕎麦屋「中兵衛」で"猪蕎麦"と"塩むかご"を食べた。「猪肉なんて」と思ったのだけど、これが美 味しかった。天然キノコ入りで季節限定、キノコが無くなり次第このメニューは無くなるそうだ。"塩むかご" は「むかごを茹でて、塩と胡麻油をかけてまぶしたもの」ということだったがこれも美味しかった。13:38 今庄発の列車で敦賀に行き、14:52に三方に着いた。15:10三方発のバスに乗り15:30に宿(右の写真)のある 塩坂越(しゃくし)に着いた。食事は18:00からということで、海岸を散歩した後、風呂に浸かった。蟹尽く しの夕食は、質・量とも申し分無かった。しかし"これだけの量を食べれるのは今年が最後"と思った。18日、 朝食・入浴の後、9:30宿の主人が三方駅まで送ってくださった。その際、「質は落とさず、量を少なくした コース」を作って下さいとお願いした。「良いことを言って下さいました。考慮します」とおっしゃった。 それが実現したら再度行きたい。13:40近鉄奈良に帰着した。
追補:宿の名は「まるしもや 波華楼、料金(宿泊料込み)は二人で50000円+2500円(消費税):地元蟹 フルコース(茹で蟹、焼蟹、蟹刺身、蟹の天ぷら、蟹鍋+蟹雑炊、デザート)、蟹の質・量からして安いと思う」
2011.2.13

大門仏谷の如来形大磨崖仏

浄瑠璃寺や岩船寺のある当尾(とおの)には、家から車で約15分で行ける。当尾には鎌倉時代の 石仏が多数あり、その田舎道は散歩するには格好である。少し歩きたくなって当尾に行き、加茂 プラネタリウム館の駐車場に車を止めて、残雪のある小道を500m程歩くと、当尾の石仏中で最大 最古(奈良時代または平安時代)といわれる大門仏谷の如来形大磨崖仏に行き着いた。おりしも 太陽光が当たって輝いておられた(右の写真)。ふっくらとしたお顔・堂々たる体躯は東大寺の 大仏様のように凛々しくおわしました。もしかしたら、創建当時の東大寺の大仏様のお顔はこんな お顔であったかな・・・。頭をたれた後、周囲の農道を1時間ほど散策した。寒さ の厳しい中にもオオイヌノフグリは既に花をつけていた。
2011.2.11

雪の奈良

朝起きると庭に雪が約5cm積もっていた。"東大寺へ行こう"と朝食をすませ、9:00にカメラを 手に出かけて行った。雪は降り続いていた。東大寺大仏殿裏に行くと、既に10数人のカメラを 持った人が池の周りにいらっしゃった。大仏殿裏から正倉院、二月堂、法華堂を巡って、法華 堂前の茶店できつねうどんを食べた。鐘楼、大仏殿前、南大門を経て飛火野に行き、丸窓梅園、 浮御堂、片岡梅園を経て、興福寺へ行った。15:00頃雪が止んだ。少し買い物をして帰宅した。 16:00であった。奈良ならではの雪景色をゆったりと楽しむことが出来た。雪の降る中を歩くこ とが出来て、幸せ!幸せ!幸せ!
東大寺大仏殿 東大寺二月堂 東大寺法華堂経庫
東大寺大鐘 東大寺南大門 飛火野

2011.2.6

春の兆し

2日から暖かい日が続いている。梅も早いのは咲いている。観梅も兼ねて、大和文華館へ行った。 開館50周年記念名品展Ⅱ-大和文華館の日本工芸-をやっており、重要文化財6点を含む88件の 展示があり、見ごたえがあった。私にとっては何度か観覧させていただいたのが大半であったが、 これだけの優品を一度に拝観できたのは始めてである。展示場が改築されて見やすくなっていた。 大和文華の庭園には約150本の梅があり、多様な品種の梅が植えられている。ちょうど咲き始めた ところで綺麗な花を観賞することができ、素敵な芳香を楽しむことが出来た。庭も改造されて いたが、少し野性味が減っていた。少し年月が経つと良くなって来るのだろうか・・・。
我が家の庭の梅はまだ蕾が固い。今はロウバイとスイセンが花盛りである。スイセンを切ってきて、 赤膚焼の壺に生けた(右の写真)。ロウバイも切ってきて、信楽焼の壺に生けた。部屋中に香りが 充満している。この幸せに感謝・感謝。
2011.2.2

雪見の旅

"北陸地方を中心に1月30日夜から大雪になり、JR西では31日の始発から午後6時まで福井、石川、富山 3県の全域で列車の運休を決めた"と報じられた。2月1日の朝インターネットで調べると"京都-金沢間の 列車の運行が開始された"ことが分かった。私は"雪見の旅"を決意し、身支度を調えて出発した。京都駅 で尋ねると10:40発の特急サンダーバード13号の指定席がとれた。しかし10:40になっても列車は来ず、 「まだ大阪駅を出ていない」とのアナウンスがあった。しかし、そんなことは覚悟の上だから、私は腹ご しらえをして、食料と飲み物を買い込んだ。幸い、特急サンダーバード13号は約1時間遅れでやってきた。 「時速70km以下で運行し、車内販売は無い」ということであった。私は"雪見の旅"だからゆっくり運行 していただければ、それだけ雪景色が楽しめるので有り難い。マキノを過ぎるあたりから積雪は多くなり、 福井県に入ったら1m以上の積雪があり私は堪能した。金沢に14:00頃着いた。金沢駅の書店で旅行書を買い、 "源泉100%の温泉、JRの駅に近い、17:00には着ける"の条件で探して、富山県の魚津駅近くの"金太郎温泉 の宿"に電話したらOKであった。この宿、温泉は満足・満足であったが、料理は宣伝ほどではなかった。 2月2日は快晴で、天気予報も"快晴が続く"であったから帰宅することにし、タクシーで魚津港にある "魚津埋没林博物館"に行き、発掘された現場で保存・展示されている埋没林の展示とここで見られる "蜃気楼"のハイビジョンビデオを観覧した。入場者は私一人であった。その後、美しい立山連峰(右の写真) を眺めながら雪の積もった魚津港の突堤を散策した・・・残念ながら蜃気楼は観ることが出来なかった。 海の駅"蜃気楼"で昼食をとり、魚津から富山に行き、13:10富山発特急サンダーバード26号に乗り、車窓から 雪景色を楽しみ、定刻どおり16:09京都に着いた。期待通りの楽しい旅であった。今度は、雪の降っている 最中に行けたらいいな・・・。
2011.1.27

一周忌法要

次女の長男の一周忌法要を行うというので東京へ出かけて行った。前日に次女の家へ行くことになって いて、その際「"濃い口だし醤油"を作って欲しい」との要請があり、昆布・削り鰹・椎茸を持参した。 新幹線に乗っている時に次女から愚妻にe-メールがきた。愚妻は喜んで「鯛と玉ネギ・おろし大根ソース みたいなのを父さんに作ってて言って」とあるメールを私にも見せた。「材料は揃っているか」と尋ねた ら「玉ネギだけはある・・・」であった。渋谷駅のお店で材料を買い、次女の家に15:30に着いた。 早速、"濃い口だし醤油"の仕込みをし、鯛の骨を丁寧にとって子供達が食べれるようにし、フライパンに オリーブオイルとバターを入れ、塩をふってなじませておいた鯛を弱火で炒めた。残り汁で玉ネギ・マッシ ュルームを炒め、バルサミコ酢・醤油で味を調えた。次女の子供がこれを見て「私、マッシュルーム嫌い」 と言った・・・。
27日10:00に、次女の家の近くにある曹洞宗永平寺別院長谷寺へ行った。修行僧が大勢いらっしゃるからか、 13名の僧侶による読経・法要であった。生後七ヶ月で亡くなったのだけど、家族に遺した足跡は大きい。合掌。合掌。合掌。
15:00に次女に恵比寿駅まで送ってもらい、19:30奈良の家に帰着した。愚妻は次女の要請で2月5日まで"家事 手伝い"として次女の家に滞在することになった。「役に立つ」のだ・・・・・・。
2011.1.18

シモバシラ

家の庭に多年草のシモバシラが生えている。昨年の10月初旬に白色の花(右の写真)をつけていた。 昨日気が付いたのだけど、その枯れた茎の根元に右端の写真のような"みごとな氷柱"を付けていた。 植物図鑑で調べると"地上部が枯れても根は生きており水を吸い上げる。茎の中の導管を上がって きた水は、茎の途中からしみだし、これが外気にふれて凍り、霜柱のようになる。"とあった。 シモバシラの由来はこれであった。
2011.1.17

阪神大震災

阪神大震災の日から16年が経った。記憶が薄れゆくので自分自身の体験を記録しておくことにする。 2005年時には、私は芦屋の賃貸マンションに住んでいて、週末土曜日の夜に奈良の自宅に帰り月曜日 の朝7:00頃に家を出て9:00前に神戸大学に到着するという生活をしていた。2005年の1月15,16日は 連休で奈良に帰っていた。もうそろそろ起床しなくちゃと思っているときグラグラときて大きく揺れ た。これは大きな地震だな。東京で大地震が起きたのかなと思った。起床してテレビをつけたら、震 源地は神戸だと報じていた。早速身支度をして、近鉄奈良駅に行った。電車は少し発車が遅れたが 7:00頃には出発した。難波駅に着いたら地下鉄は止まっていたので、御堂筋を歩いてJR大阪駅まで行 った。JR, 阪急, 阪神のどれかは動いていると思っていた私の判断は甘かった。お金が必要と思って 銀行のATMで預金から引き出そうとしたが機能停止になっていた、ところがクレジットカードで現金 を借りることは出来たので、10万円を手にすることが出来た。"なんとしても大学へ行かねばならない"。 最悪の場合は歩いて行くことにして駅の売店で地図を買った。そしてタクシーに乗り「神戸まで行って ください」と恃んだら、「行けない」と言われた。「行ける所まで行ってください」と恃んだ。しぶし ぶ出発して下さったがすぐ渋滞で動かなくなった。タクシーを下り、国道一号線ぞいに神戸の方向へ歩 いて行った。1時間程したら道沿いにあった自転車屋さんがシャツターを上げて外に出てこられるのに 遭遇した。お願いして中古の自転車を売っていただいた。それで快適になった。しかし、神戸に近づく に従い、被害が大きくなって行った。西宮を過ぎ大学に近づくに従い、倒壊した家、脱線して止まって いる電車、黒い煙・・・が増え、私の研究室の学生さんが徹夜実験をしていることを思い、安否が心配 であった。大学の建物が倒壊せず建っており煙も出ていないことを見て少しホッとしたが、研究室に着 くまでドキドキであった。13:00頃に大学に到着できた。実験装置は大きな被害を受けていたが、学生さんが 無事で、火事になっていなかったことにホッとした。共同研究者の皆さんが適切に処置して下さっていた。 今でも頭が下がる。大学で17:00頃までいろいろ処置をして、帰り道の食料品店で売れ残りの食べれそう なものを買い込んで、芦屋のマンションに帰った。テレビは落ち、本棚は倒れ、食器の半数が棚から落 ちて割れていた。電気、ガス、水道も止まっていた。幸いローソクがあったので、その光で、割れ硝子 を拾い、掃除・整理をした。ローソクで暖をとることも出来た。現在、我が家には沢山のローソクが蓄 えてある。
2011.1.16

宇陀の大蔵寺

今日は今冬で最も寒い。雪を期待して、白洲正子氏の著書「かくれ里」に記されている"宇陀の 大蔵寺"に行くことにした。栗野のバス停に車を止めて、白洲正子氏の道程とは逆の方向から行 くことにした。期待通り、車道から山道に入ると、20cm程の積雪であった。美しい冬景色を堪能 しながら1km程進んだら"大蔵寺 消火用水"の看板があった。ところが、さらに1km程進んでも 寺らしいものに出会わなかった。道も狭くなったので引返した。車道を南進し大蔵寺バス停近く の"元高野大蔵寺"という石標のある道を登った。この道は舗装されていた。1km程で本堂(右の写真) に着いた。期待通り、本堂と御影堂の桧肌葺の屋根には雪があったが、残念ながら十三重の石塔 には雪が積もっていなかった。帰りは来たときと同じ参道を、氷結に用心しながら下り、止めて おいた車までたどりついた。途中、栗原の村人が大勢集まって"とんど"をしていらっしゃった。 子供の頃の"とんど"を思い出した。「書初め」を"とんど"で燃やし「それが燃えながら天高く 上がると字が上手になる」と言われた。だが・・・私は駄目であった。
2011.1.10

悲しい知らせ

年賀状で卒業生たちの元気な様子を知るのは楽しい。しかし今年は悲しい便りが来た。年賀状 を出した卒業生の兄さんから"その妹さん(私の研究室で修士課程を修めた)が昨年逝去された" との知らせが来た。その方は個性豊かな素晴らしい人であった。事情を知りたくて、その方と 親しかった同級生に電話したら「えっ」と言って絶句した。彼は「昨年春に会った。癌だと言 っていたが・・・そのときは元気であった・・・」と語ってくれた。
2011.1.4

帰郷

3日の早朝に長女達が東京に帰っていった。その直後、私は生まれ故郷の岐阜県関市へと出かけて 行った。数年前に細君を肺癌で亡くした末弟からの年賀状に"昨年11月に結婚した"と書いてあった。 家を継いでくれた次弟に電話したら「えっホント」と言った。そこで末弟に電話したら「3日に二人 で関へ行く」と言ったので「それじゃ兄弟皆で昼食を・・・」ということになった。素敵な新婦で 新春早々御目出度いことであった。その後皆で、大腿骨頸部骨折の手術をしてリハビリ入院中の母 の見舞い兼末弟の再婚報告に行った。母は4月から家に帰る予定の様だ。近くに住む妹と次弟が面倒 を看ていてくれる。感謝、感謝。墓参りを済ました後、榊原温泉に行って宿泊した。昨年の年初に 泊まって、温泉が良くて料理美味しかった宿に今年も泊まった。朝食後にも温泉に入った。
2011.1.1

年頭所感

お蔭様で我が家では穏やかな正月を迎えることが出来た。床の間に例年通り花を生け、"釈迦 三尊像(芹沢圭介版画)"を飾った。年末に長女とその子供達が来たので、一緒に注連縄を飾ったり、 御餅を三方に乗せて供えたりした。元旦の0:00に東大寺にお参りに行き、中門から入れていただき、 大仏の御尊顔を中窓から拝させていただいた。帰宅したら1:45であった。13:00から氏子社である 漢国神社に御参りした後、興福寺に行き、南円堂で参拝し、国宝館に入館した。その後、春日大社、 手向山神社、東大寺二月堂を参拝した。帰宅したら18:00であった。なんとも平穏で幸せな日を過ご させていただき、感謝・感謝である。
ところで、最近の政治の動きを見ていると"これでは駄目じゃないか"と心配になる。財政改善が 急務であり、民主党は"無駄を省く"ことをその柱として訴えてきた。しかし、2011年度の予算・ 政策にその熱意が表れていないことは残念である。政治にたずさわる者は、無駄を省くことに熱意 を示し"これだけやっても、現在のレベルの社会福祉政策を維持するには、消費税の値上げもやむ をえない"と国民に訴え、国民の理解・認識を高める努力をなぜしないのだろう。現在の国家財政 の国債依存度を見れば、国家財政が危機的状況であることは、私のような素人にも明白である。 政治の主導権をとる事に汲々としていないで、"重要な政策について説明し、国民の理解を深める こと"を主題にする政治家が待望される。マスメディアの格調・見識の低さも気になる。ともあれ 根本は、我々国民がもっと賢明になることが肝要であるのだ・・・。