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Weblog of HK

日々の記録や雑感を気の向くままに記述していきます。 私は科学研究者たらんとして40年余を過ごしてきました。研究は新規でなければならないの で、出来るだけ他の人と異なった視点を持とうとし、孤立をおそれず自分の信じる道を 進むことを信条としてきました。この長年の生活習慣で、時として変人となり、社会生活 では障害となりかねません。したがって、ここに記すことも、独りよがりのことが多々 あると思いますが、一人の人間の独断と偏見として、ご批判・ご高評を下されれば幸いです。



2021.12.29

我が家の太陽光発電

福島の原発事故を契機に我が家では太陽光発電装置を導入した。設置してから5年間のデータは 2016.5.19のブログに記載した。その性能に満足したので、我が家で使う電力の全てを太陽光発電で まかなおうと、2016年9月に太陽光発電装置を増設した。2017, 2018, 2019, 2020,2021年の月別データを 記載する(注:12月は前年のもの)。

月別太陽光発電量を図1に、月別電力消費量を図2に示す。この1年間の
総太陽光発電量は6372kWh(2020年は6279kWh,2019年は6434kWh,2018年は6795kWh,2017年は6455kWh)であった。
総電力消費量は7499kWh(2020年は8151kWh,2019年は7620kWh,2018年は7900kWh,2017年は7133kWh)であった。
我が家はオール電化で、冷暖房・調理・風呂・家電・照明全て電気である。"全電力消費量を太陽光発電で まかなう"という目的は達せられていないが、まずまずである。



太陽光発電量の内、発電中に我が家で消費する電力は太陽光発電の電力を使用する。その量を図3に示す。 残りを関電に売る。月別の関電に売った電力の料金を図4に示す。発電中でも足りない部分と発電の無い時の 使用電力は関電から買う。月別の関電に支払った料金を図5に示す。
関電に売った電力の料金は: 2021年は112,712円(2020年は217,296円,2019年は226,272円,20018年は235,296円,2017年は235,728円)
関電から買った電力の料金: 2021年は123,043円(2020年は137,840円,2019年は135,800円,20018年は134,368円,2017年は120,812円)であった。

固定価格買取制度の契約は10年間であるので、2021年5月で契約期間は終了した。売電価格は1kWhあたり2021年5月までは44円、その後は8円である。 初期投資金の回収率は80%位だろう。でも

福島原発では、10年たっても「原子炉の外にある燃料プールから、使用済み核燃料を取り出し得てない。 原子炉内部の処置は見通しもたっていない」。危険な状態が今も続いています。
福島の原発事故の直後に、我が家の太陽光発電システムを設置した。設置から10年を過ぎても"発電性能の低下がほとんどない"ことは驚きである。 太陽光発電装置が優れものであることを実感することができた。
「危険な原子力発電をやめて、再生可能な自然エネルギーによる発電に切り替える」べきだと考えます。

2021.12.17

京都、大坂、奈良に住む"化学反応研究会中年の会"の元メンバー3人で、一年に一度ほど会っていたが、 新型コロナウイルス感染症の流行があって、昨年は会うことができなかった。京都に住むI君から「第18回京都現代 写真作家展に出展したら入選した。これを機会に集まりませんか?」と誘われた。大阪に住むK君と私は 16日11時に会場の京都文化博物館へ行った。I君の案内と解説を聴きながら、約200点の作品を観賞した。

京都文化博物館の周りは、京町家の沢山残る場所なので、鑑賞後、三人で散策した。私は約30年ぶりの訪問で "古い風情が良く保存されているなあ"と感心し、散策を楽しむことが出来た。折角なので「一保堂でお茶を買いたい」 と言い、三人で歩いて行った。店の構えも暖簾も、昔と少しも変わっていなかった。

その後、タクシーで南禅寺門前に移動し"名物ゆどうふコース"を堪能した。庭園が立派で(右の写真はそこでのスナップ)、 アリドオシ(別名:一両)が美しい赤い実を沢山付けていました。千両、万両も植えてあって、どうやら"千両万両有り通し" と洒落てる様です。

食後、南禅寺境内を散策した。私は大学二年生の時に、一年間南禅寺境内に下宿していたので、とても懐かしかった。 "蹴上"駅から地下鉄に乗り、途中で二人に別れを告げ、16:30奈良の自宅に着いた。別れ際にK君に 「貴方が一番長生きするだろうから、よろしくお願いします」と言ったら、K君は「僕は妻に大事にされているから駄目。 加藤さんくらいが丁度で、長生きする」とおっしゃった。

2021.12.1

ニオイスミレ

春先に咲くニオイスミレが花を一輪だけ付けていました(右の写真)。鼻を花に近づけると良い匂いがします。 この花はヨーロッパから持ち込まれたもので、永遠の愛や思いやりのシンボルとされ、聖母マリアの誠実さを 象徴する花で、祭壇画にはこのスミレ色、花が書き込まれています。

私は今年、スミレについて色々学びました。。3月2日にノジスミレを知り、3月3日にニオイスミレを見ると、 3月9日にコスミレ、3月10日にタチツボスミレ、3月16日にヒゴスミレ、3月23日にヒメスミレ、3月27日にアリアケスミレ、 4月1日スミレ、4月9日シハイスミレ、4月13日ニョイスミレ(ツボスミレ)、5月4日フモトスミレ、5月8日ニオイタチツボスミレ、 6月8日アギスミレを見ました。
私はFacebookの"野の花に癒されて"のグループにいれていただいて、写真を投稿し、多々教えていただきました。


2021.11.16

岩井温泉

今年も"蟹のシーズン"になった。・・・で、早速"岩井温泉"へ行くことにした。昨年はGO TO キャンペーンが あって、岩井屋の予約がなかなかとれなかったが、今年は空いていて11月15日の予約を取ることが出来た。
15日9:00に車で家を出た。12:30に鳥取市にある道の駅"渓流茶屋かわはら"に着いた。昼食として"きつねうどん"を たべ、農産物直売所で"干し柿、ギンナン、ムカゴ、等々"を買った。鳥取西ICで一般道路に出て、湖山池(こやまいけ、 汽水湖で、「池」と付く湖沼の中では日本最大)の青島公園へ行った。島内を散策した後、湖山池ナチュラルガーデン へ行った。このガーデンは自然環境に近い状態で種々の植物が植えられていて、私は昨年訪れて気に入り、今年も 訪れてた。15:30ガーデンを出発、岩美ICで一般道路に出て、16:00岩井屋に着いた。
岩井屋はなんといっても温泉が良い。湯船の下に敷いた松板の下から源泉が湧き出している。洗い湯も源泉である。 湯殿の雰囲気、湯舟の作りが私は好きである。温泉入浴した後、18:00から蟹づくしコースを味わった。まさに絶品 であった。でも"もう少し量少ない方が良い"と思った。私の様に年を取ると"もう少し食べたいな"と思う位の量が 良いのだ。食後、再度温泉につかった後、21:30就床。

16日7:00起床。温泉につかった後、8:00朝食。9:30チェックアウト。旅館の駐車場に車を置いて、1km程の所にある 御湯神社(みゆじんじゃ、創建811年の古社)とその近くにある岩井廃寺弥勒寺址(弥勒寺は白鳳期に創建、三重塔の 心礎石が残っていた)へ行った。11:00岩井温泉を出発、12:00但馬高原植物園に着いた。園内を散策し帰ろうとしたら、 雨が降り出した。13:30但馬高原植物園を出発、神戸に近づくと雨は止んだ。16:30奈良の自宅に帰着した。


2021.11.11

柚子ジャム

今年も採りたての柚子を沢山いただいたので柚子ジャムを作った。作り方は2020.11.10のブログに記載した。 3kgの柚子から右の写真に示しただけのジャムが出来た。これで一年間毎朝トーストに付けて食べることが出来る。 感謝・感謝!


私の好きな歌

信濃なる 千曲の川の さざれ石も 君し踏みてば 玉と拾はむ
信濃奈流 知具麻能河泊能 左射礼思母 伎弥之布美弖婆 多麻等比呂波牟
万葉集 14巻 3400 作者不明(東歌の相聞歌)




2021.10.25

ヒョットすると

私はこれまで80才まで生きればいいと考えていたが、実際に80才になってみると、こりゃあヒョットすると "90才まで生きるかもしれん"と思いだした。少し人生設計について考えなおさねばならない。

健康状態がどう変化するかに左右されるから臨機応変に対応していくしかないが・・・。
・パソコンは今のうちに買い替えて、新しい進歩に慣れておいた方が良いか?
・自家用車は買い替えたほうが良いか?
・生活様式に、つぎのステップへの変化が必要か?
等々・・・
まあ、楽天的に、シンプルに・・・生きていこう。



2021.10.2

高見山

私は高見山(標高1248m)に大学生の時初めて登った。その時は、同級生の学友と二人で大又までバスで行き国見山に登り、 尾根伝いに歩き、途中でテントを張って一泊し、翌日高見峠を経て高見山に登り、杉谷まで下山してバスに乗った。 その時から約60年経った。爾来、私は100回を優に超える高見山登山をしてきた。伐採されて笹ばかりであった所が、 今ではブナの木が茂りつつある。こんなに度々登ったのは、高見峠(標高899m)からだと約一時間で登頂出来るという手軽 さと、独立峰で景色も良く自然を満喫できることであろう。

であるが・・・、私も80才になった。登る体力があるか…不安になった。よし、この際、"80才で高見山に登ったという 記録を残しておこう"と思い立った。でも、少し不安である。それで、二日前に、神野山(標高618m)に登った。登山口の 標高が480m、走行距離4.1km、歩行時間2時間半を実行した。その結果・・・大丈夫と思った。

10月2日、7:00起床、8:00車で家を出た。途中、菟田野のアグリーマートで昼食を買い、10:00高見峠に到着。登山靴を履き、 ステッキを持って登山を開始。一人登山だから花の写真を撮りながら、ゆっくりゆっくり登った。途中の展望所に着いたら、 若者が大きな三脚とビデオカメラを持って座っていた。「サシバ観察ですか?」と訊ねたら「そうです」との返事であった。 私が高見山に行った理由の一つは、この時期には"サシバの渡り"が観られるからである。私は双眼鏡をリュックサックから 取り出して観察に加わった。暫く観測したがサシバは観られなかった。で、私は頂上で観察しようと決めて、別れを告げた。

12:00に頂上に着いた。植物の写真を撮りながら、ゆっくり登ったので、元気であった。頂上から観た富士山方向の写真を右 に示す。快晴で富士山が見えるかと探したが、水蒸気の白い靄の向こうで、残念ながら見えない。20名ほど登山者が頂上に居た。 私は頂上から少し降りた展望の良い岩の上で、昼食を摂りながらサシバを観測した。下の展望所で会った若者が登って来たので 一緒にサシバ観察をした。20羽ほどのサシバが渡って行った。13:00若者に別れを告げ下山を開始した。14:00高見峠に帰着、 16:00奈良の自宅に無事帰着した。これなら、高見山山頂にまた行くことが出来るのではないか・・・???

10月3日テニススクールに行った。少し足腰が筋肉痛。やっぱり年だね!

2021.9.21

中秋の名月

今日は中秋の名月だというので、売り切れる前に"月見団子"を買おうと、11時頃和菓子屋さんへ行った。 奈良では月見団子というと、団子に餡子がまいてある。私が欲しいのは"単純な白い団子"である。 それを売っている和菓子屋さんを知っているので、そこまで出かけて行った。幸い買うことができた。

私のお世話になっているテニススクールは元正天皇陵の横にあり、周りは雑木林である。スクールが終ってから、 ススキとクズの花枝を採ってきた。家の庭には、ハギ、オミナエシ、フジバカマ、キキョウがあったので、切ってきた。 ナデシコは庭にあるのだけど、残念ながら花季は終わっていた。それらを東大寺大仏殿の古材から作った火鉢を 転用した花器に生けた。その花と団子を縁側に飾り(右の写真)、"中秋の名月"を待った。21時を過ぎて、漸く雲の中から 丸いお月様が観えるようになった。

萩の花 尾花 葛花 なでしこの花 をみなえし また藤袴 朝顔の花  山上憶良 万葉集 巻8-1538




2021.9.15

眼科医院

私は一週間ほど前に、右眼にゴミが入った様な"異物感"を感じた。それで、薬屋さんに行って抗炎症成分配合の目薬を 買ってきて点眼した。それは良く効いて、"異物感"は数時間後に無くなった。ところが、昨日、車を運転していて 右眼が"霧がかかった様に見える"ことに気付いた。これは"眼科医院で診て頂いた方が良い"と思い、三年ほど前に"白内障手術" を受けた眼科医院へ行った。

医師は診察して「後発白内障(白内障手術後、人工レンズの後ろの膜が時間と共に濁ってくる)です。 レーザー光線で濁りを取る治療(後嚢切開手術)をします。痛みはありません。数分でおわります。」と言われた。 "後発白内障手術同意書"に署名すると、レーザー光線照射による治療が始まり、1-2分で終わり、痛みも全くなかった。

費用は6,310円。薬局で点眼薬をいただいた。一日三回。二週間続けること。医師からは「瞳孔を開く点眼薬を使用したから 数時間は車の運転はしないでください。」と言われた。さて、私の眼は、レーザー光線照射による治療直後はぼやけてスマホの 文字が読めなかった。徐々に見えるようになったが、外に出ると眩しくて良く見えない。「数時間は車の運転はしないでください」 と言われたので、車の中で休息。一時間ほどしたところでサングラスをかけると"まあ、大丈夫"。慎重に運転して帰宅した。


2021.9.4

満80才の誕生日

今日、私は満80才になりました。右の写真は2021年9月2日に自撮りしたものです。"年齢相応の顔だなあ"と 自分でも思います。

7月15日に特定健康診査・大腸がん検診を受けたので9月2日に病院へ行って、結果を訊いてきました。 「この簡単な検査では問題ありませんが、また人間ドック受診を受けてください」と言われた。 自覚症状では今のところ痛いところもない。飲んでいる薬もない。週2,3回のテニスを楽しむことが出来ている。 "ありがたいこと"と感謝・感謝である。でも"体力は落ちてきている"と思う。無理がきかない。"無理をしてはいけない" と思う。

この年齢になると、尊敬し・教えを受けた方々が殆ど他界されている。寂しい限りである。切磋琢磨しあった先輩・同輩も 少しづつ減っていく。"どうか皆さんお元気で"と願う。私は幸運者で、これまで充実した楽しい人生を過ごさせていただきました。 これも、多くの先生方、友人・知人、先輩・同僚・後輩、家族、その他多くの人々のお陰で、有難く感謝しています。 私は"もういつ死んでも良い"と思っています。でも、"黄昏を生きるのも人生の一部"で、"いけるところまでいかせて頂こう"と 思っています。"どの様な終末を迎えられるかは天命!" 願わくば安らかなことを!

コロナ禍で、逢いたい人と会うこともままならず、旅行・会食することもままならず・・・の日々ですが、 身体的にも精神的にも健康に保つよう工夫して生活していきましょう。


2021.8.29

残暑

今年の夏は6月に暑い日があって、どんなに暑い夏になるかと心配したが、8月中旬に雨の日が続いて涼しい夏となった。 ここ数日は最高気温35℃ですが、朝晩は25℃以下で過ごしやすくなってきました。天気予報によると9月になると、さらに 涼しくなるようで、私は"今年の夏も無事過ごせた"と、少しホッとしている。

でも、コロナ禍は、新規感染者数が5回目のピークを迎えている。その数は増大し医療崩壊が起こっている。熱がでても お医者さんに診てもらうことが出来ない。身体の弱い人はどうしたらいいのか? コロナ禍で騒ぎ出してから一年半にもなるので、緊急事態宣言を出しても効果が減少している。 今日テニススクールに行ったら、小学校1,2年生がテニスの試合をしていた。子供より観客(多分両親)の方が 人数が多かった。そう言う私もマスクを着用せずテニスをした。

"自分のことは自分で守れ!"という。そう、私もそうしたい。暑い日にも歩きに出かけ、炎天下でテニスをした。 お陰様で、ナントカ無事にこの夏を過ごせた。でも、この元気もそのうち無くなる。弱者も安心して暮らせる社会 でなければならない。元気なものはそうでない人を助けなけれはならない。

右の写真は秋海棠。


2021.8.15

お盆

新型コロナウイルス(Covid-19 infections)の感染者数が急増しているので、去年と同様今年も故郷に 帰って墓参する事をやめた。美濃市の従弟と関市の弟に電話をかけて相談したら、向こうでも感染者が 増大しているから"ひかえた方が良い"という結論になった。墓参をお願いして・・・。

12,13,14,15日と連日雨で、豪雨災害が連日報道されている。奈良の我家の裏は佐保川で、増水しているが 危険は感じない。この雨で、庭の草木はすっかり元気になった。気温も下がって過ごしやすくなった。 私も"この涼しい間に、暑さによる疲れを除去したい"と願う。

私の通っているテニススクールは8月12-18日の間休みである。あまり歩くことも出来ず、テニスも出来ず、 何処かへ出かけることも出来ず、身体が訛ってしまう。庭仕事をすると蚊にかまれる。蚊取り線香を焚いて、 長袖シャツを着て、雨に濡れて・・・大変である。


2021.8.2

ピアノの発表会

私がピアノを習っているカワイ音楽教室奈良事務所主催の第59回発表会がやまと郡山城ホールで開催された。 私は7月31日18:00開演の第五部で"愛の讃歌"を弾いた。東京から来訪した長女の長女が、7月29に予定していた コロナワクチンの二回目接種を8月2日に延期して、私の発表会に来てくれた。愚妻も「それじゃあ一緒に拝聴しよう」 とやって来た。

以前に長女の長女がピアノの発表会に来てくれた際には、楽譜を忘れて、演奏途中で、否少し弾いたところで断念して しまった。今回は、楽譜は忘れなかった。私の演奏は、途中少しおかしくなったが、まあまあ・・・。実力より 上手く弾けることはない。オリンピックで鉄棒の内村航平選手でも失敗することもあるのだ・・・。 「体操選手のように緊張した」と言ったら、長女の長女は「最後まで弾くことが出来て良かった」とほめてくれた。

長女の長女は8月2日、東京駅の大規模接種会場でコロナワクチンの二回目接種を受けると言って帰って行った。 私は、長女の長女が「この部屋は冷房が無くても涼しい」と言っていた部屋で昼寝をした。"なるほど快適"であった。


2021.7.29

伊吹山

長女の長女が「もう一度登山がしたい」と言った。手頃な山として伊吹山を選んだ。7月29日9:00に車で家を出て、 12:00スカイテラス駐車場(標高1260m)に着いた。空いていた。西登山道から登りだした。さすが伊吹山、高山植物 は多い。防護柵の外は鹿が群れていて、高山植物は鹿の食べない種しか残っていないのが目に付いた。200m程登っ たら、ナント!無残に!地面が掘り起こされ、高山植物が跡形もなくなっている!食い荒らされている!悲しい光景 を目にした!

防護柵を補修している二人連れがいた。尋ねると米原市の職員とのことであった。防護柵はちゃちなプラスチックの 支柱に網を張ったお粗末なものであった。私は国定公園だから、国費でしっかりした防御策を作るべきだと思った。 鹿が増えすぎていることも問題で何とかしなければいけないと痛感した。

防護がうまくいっている所では、シモツケソウ、メタカラコウ、ミヤマコアザミ等の美しいお花畑があった。 以前、ハクサンフウロ、イブキフウロが沢山あったところは荒らされて絶滅状態であった。山頂の小屋近くで昼食を済 ませた。小屋の主人が高山植物の保全に熱心で、イブキジャコウソウなどは増えていた。イブキフウロも生えていた。 右の写真は伊吹山山頂(標高1377m)で。

東登山道(下り専用)を下った。キンバイソウ、ミヤマコアザミの群落があった。15:30駐車場を出発、18:00奈良の自宅 に帰着した。


2021.7.26

大台ケ原

長女の長女が「登山がしたい」と言った。7月25日に登山靴を買い、26日9:00に車で家を出て、途中で食糧を買い、 12:30大台ケ原駐車場(標高1574m)に着いた。夏季には通常満杯の駐車場はガラ空きであった。最高峰日出ヶ岳(標高1695m) を目指して歩きだした。コマドリの鳴き声が響いていた。近年コマドリの数が減っているときいていたが、これなら大丈夫? 途中の水場で昼食(柿の葉寿司、山菜巻、胡瓜とトマト)を摂った。14:00日出ヶ岳山頂に着いた(右の写真)。
「もう少し歩きたい」と言うので、正木ヶ原、尾鷲辻を経て駐車場に戻った。15:30駐車場を出発、18:30奈良の自宅に帰着した。


2021.7.25

長女の長女の来訪

東京に住む長女の長女が奈良の我が家にやって来た。彼女は米国のワシントン州立大学で学んでいたが、米国で新型 コロナウイルスの感染が拡大しはじめた昨年3月に帰国し、オンラインで受講し卒業した。今は就活を していて、息抜きに奈良へ遊びに来てくれたと思う。

「何時東京へ帰る予定か?」と尋ねたら、「7月29日にワクチンの二回目の接種が予約出来ているので7月29日に帰る」 と言った。私は「7月31日にピアノの発表会があるのだけど・・・それは残念!」と言った。数年前、ピアノの発表会に 彼女が来てくれたが、私は楽譜を忘れて途中で弾けなくなってしまった。そのリベンジの機会と思っていたのだ。
・・・ところが、彼女が「ワクチンの二回目の接種の日を8月2日に変えてもらえた。8月2日に東京に帰るので、 ピアノの発表会に行ける。」と言った。さあ大変!今度は失敗するわけにはいかない!緊張するなあ!

右の写真は浄瑠璃寺で。


2021.7.15

健康診査

一昨日、市役所から健康診査・検診の受信票が郵送されてきた。私は定年退職後、毎年4月に人間ドック(半日)を受診 していたので、この健康診査・検診を受けたことは無かった。昨年と今年はコロナ禍で、私は人間ドックを受診しな かった。そろそろ人間ドックを受診しようかなと思っているところに、健康診査・検診の受信票が郵送されてきた。

私は考えた。私はこの9月に80才になる。十分長く生きさせて頂いた。簡単な健康診査・検診を受けるだけで十分ではないかと。 で、今日、病院へ健康診査・検診を受けに行った。この病院、今まで人間ドックを受信してきた病院であるが、今年3月、 入院患者・病院スタッフ40名ほどが新型コロナウイルス(Covid-19 infections)に感染した。私は電話して恐る恐る検診に行った。 ヤバイと感じたら帰ろうと思って行ったのだが、感染対策を徹底している様だったので、検診を受けた。

病院は意外に、はやっていた。スタッフも100人を超えると思うが、いきいきと働いておられた。少しホッとした。 血液検査と大腸がん検診の結果は10日後に分かるから・・・と言われた。医師が私が真っ黒に日焼けしているのを見て 「ゴルフですか?」とおっしゃった。「テニスです」というと「最近、日射病で救急車で運ばれてくる人が多いですから 気を付けてください」と言われた。

右の写真は、我が家の庭の蓮。大賀ハスと太白蓮が見頃である。


ブルーベリー

我が家の庭に、ブルーベリーが数株ある。今は実りの季節で、実が沢山なって、枝がその重みで垂れ下がっている。 熟した実が増えてきて、メジロ、スズメ、ヒヨドリ、イソヒヨドリ等が次々とやってくる。地面には沢山の実が落 ちている。梅雨の晴れ間を活用して、私もブルーベリーの収穫をすることにした。この収穫作業は大変である。 暑いし、蚊に刺される。時々、美味しそうなのを口の中に放り込んでやらないと身体がいうことをきかない。 今日の収穫は1kg余(右の写真)。生で食べるのは"木から直接いただくことにして"、これでジャムを作ることにした。 そこに愚妻がやってきて"美味しい!美味しい!"と食べた。小鳥より怖ろしい!

"横取り"といえば、庭に植えたキュウリの実が大きくなって"いざ収穫"と行くと"カラスに食べられた後" ということが多い。カラスの食糧が不足しているのか? 今年は散々である。半分はカラスにとられた。 "なんとか仕返しをしてやりたいのだが・・・"と考えるのは良くないか?


2021.6.17

新型コロナウイルスワクチンの接種二回目

6月16日20時に奈良市役所で新型コロナウイルスワクチンの二回目接種を受けた。二回目は一回目より 副作用が出る確率が高いということであったが、私の場合は何も無かった。"年を取ると反応が鈍くなり、 ワクチンの効果が少ない"という事で喜んで良いわけではなさそうだが、まあ無事に終わりました。

右の写真はヒメユリ(姫百合)

夏の野の 繁みに咲ける 姫百合の 知らえぬ恋は 苦しきものそ
大伴坂上郎女(万葉集 巻8-1500)



2021.6.8

我が家の庭に梅の大木がある。昨年は十数個しか採れなかったが、今年は大豊作で30kg余の梅を 収穫することが出来た。でも、木に登ったり、脚立に登ったりして収穫するので、極めて危険で ある。剪定をしながらの作業である。もう歳だから、これが最後か?と思いながら、ナントカ無事 に終了した。収穫した梅は大半を妹、友人、近所の人にもらっていただき、我が家では、2kgを 梅ジュース、6kgを梅干し、2kgを梅ジャムを作るのに使用した。

梅干の作り方は2012.8.22のブログに記した。それを再録する。

減塩梅干の作り方

1) 新鮮な完熟梅2kgを水で良く洗い、ヘタを取り、布巾で水を拭き取る。日陰で一昼夜 干す・・・青梅が少し黄色に変化する。痛んだところのある梅は取り除く。
2) 50ccのホワイトリカーをどんぶりに入れ、梅を一つずつホワイトリカーに浸した後、熱湯 消毒した漬物容器に入れる。底面にぎっしり梅が並んだら、粗塩を振りかける。梅・塩・梅・ 塩・・・と全部漬ける。梅2kgに対し粗塩200gを使う。塩は上になるほど多目にし、最後に残っ た塩を梅の上からばらまく。
3) ホワイトリカー200ccを漬物容器の端から流し込む。
4) 重石(2kg)と重石(1kg)をして蓋をし、日の当たらない風通しの良い場所で放置。2,3日する と漬け汁が上がってきて、梅が全て漬け汁に浸かるようになったら、重石(1kg)だけにする。 漬け汁を梅酢と呼ぶ。こうして15日ほど放置した後、紫蘇を加える。
5) 表裏共に紫紅色で縮れが細かい新鮮な紫蘇を手に入れる。葉だけを摘み取り、たっぷりの 水で水洗いし、丁寧に砂を洗い流す・・・これはとても重要。
6) 洗った紫蘇(500g)の水気をとり、粗塩50gをふりかけた後強く揉む。揉みこむとアク汁がで てくる。紫蘇を絞ってアク汁を捨てた後、さらに粗塩50gをふりかけた後強く揉んでアクを出す。 アクは絞って捨てる。アクを取り除くことにより、鮮やかな紅色の梅干が得られる。
7) 揉んでアクを取り除いた紫蘇に4)で出来た梅酢を加え紫蘇をほぐした後、4)の梅の上に加え、 粗塩を20gを上からばら撒く。重石(1kg)をして梅・紫蘇が全て梅酢に浸かるようにする。梅・ 紫蘇が全て梅酢に浸かっているかぎりカビは生えない。
8) 蓋をし、日の当たらない風通しの良い場所で放置。土用の天気の良い日に梅を取り出し 日に干す。1-2日後、漬物容器の底のほうにあった色付きの悪い梅を、漬物容器に戻し、梅酢・ 紫蘇にまぶして数日漬ける(このときは重石はいれない)。再度、天気の良い日に梅を取り出し日 に干す。
9) 数日干して、ほどよくしっとりと乾燥した梅干となったら、綺麗な容器に入れ蓋をして保存する。
10) 紫蘇は乾燥して刻めばふりかけとなる。梅酢はキュウリの塩もみなどに添加したり 多々活用できる。また、梅酢・紫蘇を新生姜の梅酢漬けに活用することも出来る。
私は、梅酢大さじ一杯を500ccの水に加え、スポーツドリンクとして愛飲しています。



2021.5.26

新型コロナウイルスワクチンの接種一回目

5月26日20時に奈良市役所で新型コロナウイルスワクチンの接種予約が出来ていたので、私は予約時間の30分前に車で家を出て、 20分前に接種会場に着いた。控室で待つこと1分で、予診票を提出し予診を受けた。次いで、接種の為に並んだ。接種の医師は 5人であった。約1分で接種の順番が来た。私は半袖ポロシャツで行った。捲り上げて、肩と腕の境界あたりをアルコール消毒 して注射。あっという間に終った。痛いと思う間もなかった(実際、少しも痛くなかった)。その後、経過観察で15分間、経過 観察会場の指定席で座っていた。その間に、二回目接種の予約・注意事項伝達があった。如何なる異常も無く、20時15分車を 運転して自宅に帰着した。

このシステム、とても良くできていると思った。これなら、開業医でやってもらうより効率が良いと思いました。

右の写真はポピー。イギリスでは5月8日のVE Day(第二次世界大戦ヨーロッパ戦勝記念日)に、多くの人がポピーの花を胸に飾って いました。


2021.5.19

特別展「聖徳太子と法隆寺」

奈良国立博物館で聖徳太子の1400年遠忌を記念して、特別展「聖徳太子と法隆寺」が開催されている。雨模様であったので、 外は歩きづらいし博物館はすいているだろうと予想して出かけて行った。事前予約<優先>であったが、当日券で入館する ことが出来た。

先ず、結論からいうと「予想していた以上に良かった」。私は法隆寺は大好きで何度も訪れているし、法隆寺友の会の会員で もある。然るに、とても良かった。 展示の仕方も良くて、例えば、いつもは法隆寺金堂を正面から拝観しているのだけど、まるで内陣に入れていただいたかの様に、 薬師如来坐像、四天王立像?多聞天・広目天、壁画(模本)を拝することが出来た。特に、薬師如来坐像は、私のこれまでの印象とは 大変異なっていて「非常に人間的で親しみ易く」感じたのには驚きました。その台座も、像を外した形でてんじしてあり、身近に 拝観することが出来ました。
いつもは宝物殿で拝する六観音も六体が個々に展示してあって、前後左右からつぶさに拝観することが出来ました。
五重塔にある塑像も個々に展示してあり身近に拝観することが出来ました。
"聖徳太子の1400年遠忌を記念して"のことで、聖霊院に安置されていて普段は拝観することの出来ない聖徳太子像や侍者像等も 拝観出来た。かって法隆寺東院絵殿の内壁を飾っていて、今は東京国立博物館所蔵である、10面からなる現存最古の聖徳太子の 伝記絵も拝することが出来た。

ここに述べたのはごく一部です。素晴らしい展覧会です。奈良国立博物館では6月20日まで、東京国立博物館で7月13日から9月5日まで 開催されるようです。私は、奈良国立博物館で再度観覧させていただきます。(右の写真は図録の表紙)


2021.5.17

新型コロナウイルスワクチンの接種

新型コロナウイルス(Covid-19 infections)は世界的な大流行により甚大な被害を及ぼしている。これを克服するには 、歴史的な感染症克服の経験からわかるように、優れたワクチンの開発・接種が必須であると思います。米国の大統領 となったバイデンさんは、いち早く米国民にワクチンの接種を提唱し成果をあげておられる様だ。我が国の首相も "ワクチンの接種"の重要性が理解できた様である。

奈良でも75才以上の後期高齢者に対する"ワクチンの接種"が始まった。5月10日に接種予約が開始されたが10分程で予定数 をオーバーしてしまい、私は予約できなかった。その後、ワクチン確保ができたのか、今日5月17日に接種予約が再開された。 今回は、容量も沢山あって、私も予約することができた。5月26日20時に奈良市役所で接種が受けられることになった。

右の写真は、オナガアゲハ。オダマキの密を吸っている。最近、我が家の庭に来て、優雅に飛翔している。


2021.5.3

憲法記念日

5月3日は憲法記念日である。私は「現在の日本国憲法を大事にし遵守していかなければならない」 と考えます。

朝、起きると快晴であった。私は「今日は久しぶりに高見山に登る」と宣言した。4ヶ月後に私は80才になる。 今なら体力もあって「標高1248mの高見山の山頂まで行ける」、「今のうちに登っておこう」というわけである。 9:20頃、愚妻に「これから高見山に行ってくる。ところで、お前も行くか?」と声をかけた。予想に反して 「私も行く」と言った。最近の体力を見ていると"とても無理"と思っていたのに・・・。「まあいいか。 ゆっくり歩いて、いけるとこまで行って引っ返そう」と思った。愚妻の準備に手間取って、10:00に車で家を出た。 途中の菟田野のアグリーマートで、昼食用に柿の葉寿司と草餅を買った。12:00高見峠(標高804m)の駐車場に 着いた。登山靴を履き、杖を持ち、食糧・飲料・予備の衣料いれたリュックサックを担いで、登山を開始した。 12:25に途中の展望所(標高1030m)に着いた。私は"展望所まで行けば上出来"と思っていたのに、愚妻は「まだ登る」 と言った。ナント!、13:30高見山の山頂に着いた。空気が澄んでいて眺望良好で"富士山も御嶽山も見える"と思えた (右の写真)。懸命に探したがもう一歩で見えなかった。近くにいた登山者が「冬の早朝なら見えることがあります」 とその場所を教えて下さった(右の写真の中にあります)。風が吹いていて寒いので、昼食を摂ったら、14:00早速下山を はじめた。さあ、この下山が大変であった。愚妻はバランスが取りにくい様で"ゆっくり、慎重に!"と下山した。 15:30高見峠の駐車場に無事着いた。
美しいスミレを沢山見ることが出来た。特に"フモトスミレ"は、私にとって初見で嬉しかった。

17:00奈良の自宅に無事帰着。それにしても"愚妻が良く歩いた"のには仰天した。


2021.4.28

若草山

奈良県も新型コロナ(Covid-19 infections)の感染者が増えている、然るに奈良県知事は、大阪、兵庫、京都の様に 緊急事態宣言もしない。奈良市内は人出が増えている。でも、家に引きこもっていては身体が鈍る。こんな時、私は 出来るだけ人の行かないところ行って、体を動かすことにしている。

4月26日は快晴で空気も澄んでいた。"さあ、どうしょうか"と、外に出て若草山を眺めると"山上に人影が無い"・・・ で、私は若草山に登ることにした。愚妻を誘ったら「一人でどうぞ」と。愚妻も最近目立って体力が落ちてきた。 出来るだけ歩かせようとするのだけど・・・。
14:00に家を出て、大仏殿裏、二月堂、手向山神社を経て、若草山登山口で150円払って入山。若草山は三つのピーク からなっていて、それぞれ一重、二重、三重のピークと呼んでいる。一重のピークには私の他には一人だけ、 二重のピークには私の他には三人だけ、三重のピークには私の他には十人程度であった。15:10頂上の鶯塚古墳に着いた。 標高342m。我が家の標高が80mだから、程よい運動になる。
この日は空気が澄んでいて展望がきいた。大台、大峰、金剛、葛城、二上、生駒、六甲、愛宕、比叡の山々を観ることが 出来た。頂上から観た"大仏殿方向の景色"の写真を示す。遠方の山が生駒山で、その右奥が六甲山です。

その後は、奥山遊歩道、月日亭、若草山登山口下、手向山神社、二月堂、大仏殿裏を経て17:00帰宅した。歩数15,148。



石楠花の花を観ることには早いかな・・・と思って行ったのだけど、開花が始まっていた(右の写真)。 とても色合いが良く、新緑とマッチして美しく、堪能させていただいた。少し残念だったのは、以前、金堂内に いらっしゃった十一面観音菩薩立像(国宝 平安時代前期)と釈迦如来坐像(国宝 平安時代前期)が新設された宝物殿に 移されていて、中尊 釈迦如来立像(国宝 平安時代前期), 薬師如来立像・文殊菩薩立像(重要文化財 平安時代), 十二神将立像(6体 重要文化財 鎌倉時代)だけになっていた。

その後、龍穴を拝観に行った。龍穴の近くにイワカガミが生えていたが柵が出来ていて、近くで眺めることは出来なかった。 最後に、室生龍穴神社に参拝して帰路につき、17:15奈良の自宅に帰着した。


2021.4.3

蓮の植替え

蓮の植替えをした。
1. 古い蓮の鉢をひっくり返し、蓮根を新芽を痛めないよう約20cmで切り落とした。一つの鉢から数本採れる。
2. 鉢を洗い、骨粉入りの油粕を掌一杯、顆粒化成肥料一摘まみを底に入れ、その上に田土を5cm程盛る。
3. 出来るだけ太い約20cmの蓮根を二本、新芽を痛めないよう並べる。
4. 蓮根の周りに田土、2年前の用土(これについては後述する)を置き、10cm程盛る。
5. 鉢にゆっくりと水を注ぐ。満杯になったら上から赤玉土をパラパラと撒き、田土の表面が見えなくする。
水が澄んできたら、メダカを入れる。水の層が10cm程はほしい。

2年前の用土の作り方
蓮根を取り出した後、古い土を取り出す。これに骨粉入りの油粕を適当量混ぜた後、袋詰めにして 一年間保存。

さくらちる このしたかぜは さむからで そらにしられぬ ゆきぞふりける
紀貫之 (拾遺和歌集)



2021.3.30

コロナ禍第四波

関西ではコロナ禍第四波が開始した感である。私の家から1km程の所にある病院でクラスター(集団感染)が発生し、 今日の新聞によれば、28名が感染、別の病気で入院していた患者2名がコロナに感染して死亡したとのことである。 国民の80%がワクチンの接種を受けた時、コロナ禍は鎮静に向かうとのことである。早くワクチンの接種を開始して ほしいと私は待望している。

奈良は学校が休みになった影響か?観光客が増大してきている。今は奈良郊外に行くのが良いと、昨日は室生大野の 大野寺へ行った。枝垂れ桜も満開であったが、大野寺境内は数人の拝観者で、閑散としていた。 しかし、 桜で有名な奈良県の某村で、村人が「生活の場ですから、桜の見物はご遠慮ください」と看板を立てた所 もある様です。 私も心しなければならない。

ももしきの おほみやびとは いとまあれや さくらかざして けふもくらしつ
山辺赤人 (新古今和歌集)


2021.3.15

柳芽吹く

奈良東大寺二月堂のお水取りも今日が満行。東大寺大仏殿裏から二月堂へ行く道沿いに立派なしだれ柳があります。 その柳が芽吹いていました(右の写真)。新緑が美しですね。

はるくれば しだりやなぎに まよふいとの いもがこゝろに よりにけるかな
紀貫之(古今和歌集)



2021.3.1

香具山

天気も良く暖かったので、昼食後、久しぶりに"香具山に登ろう"と出かけて行った。奈良の我が家から香具山まで 車で約一時間である。14:00香具山無料駐車場に着いた。
  香具山は標高約152m。天香具山とも呼ばれるこの山は”神が天降る山”とされ、『古事記』にまつわる古社が いくつも鎮座します。リュックサックに水筒とカメラを入れて香具山の方へ歩いて行った。山上への登り口に 万葉歌碑が建っていた。その一つが百人一首でも知られる「春過ぎて 夏来るらし 白たへの 衣干したり 天の香具山」 (持統天皇 万葉集巻1 28)。
そこから登らず、右方への散策路を進んで、南麗の天岩戸神社へ行った。神殿がなく、玉垣内に立派な竹が生えていて、 その中に巨石4個からなる岩穴があり"天照大神がおかくれになった岩戸"とのことで、岩穴を御神体として 天照大神を祀ってあった。
さらに右方へ進み、香具山山上への登山道を歩いて行った。山腹には上ノ御前(イザナキを祀る)、下ノ御前(イザナミを祀る)が あった。山頂には天地の根源神を祀る国常立(くにとこたち)神社があった。頂上から観た畝傍山方向の写真を右に示す。
さらに歩いて、月の輪石(長さ3.7m、高さ1.4m、幅1.9mの自然石で、中央に幅40cmの裂目あり)まで進み、少し戻って北進し、 天香久山の北側の天香山神社(神殿背後にある花崗岩の巨岩があった)に参拝した。さらに右方に進むと、最初にみた 万葉歌碑の所に戻った。
16:00香具山無料駐車場を出発、17:00奈良の自宅に着いた。歩数9989。

大和には群山あれど とりよろふ天の香具山登り立ち 国見をすれば
国原は煙立ち立つ 海原は鴎立ち立つ うまし国ぞ蜻蛉島大和の国は
万葉集 巻1-2 舒明天皇



2021.2.25

月ヶ瀬梅林

毎年訪れている月ヶ瀬梅林へ行った。私の家から車で約40分で行ける。13:00「湖畔の里つきがせ」に到着、 村営食堂できつねうどんを食べた。食後、近くの八幡橋を渡り、三ツ石園地を散策。梅は五分咲き。 その後「ロマントピア月ヶ瀬」へ行った。例年だと館内の炉端で、お餅や椎茸を焼いて食べられるのだけど、 今年はコロナ禍で中止。館外の火鉢で蓬餅を焼いて食べた。その後、天神梅林、帆浦梅林、一目八景、真福寺 という観梅コースを散策した。梅は3-5分咲き、観梅者は例年の約30%であった。

きみならで たれにかみせむ むめのはな いろをもかをも しるひとぞしる
紀友則 (古今和歌集)



2021.2.21

春の訪れ

日ざしも強くなってきて、奈良の今日の最高気温は20℃でした。今朝、我が家の庭に来た鶯はホーホケキョと 鳴く練習をしていました。我が家の庭では、ロウバイ、椿、サンシュウが咲いています。セツブンソウの花は 散りつつあり、セリバオウレン、福寿草(右の写真)が花盛りで、種々の花がめをだしつつあります。

昨日、奈良の郊外の田舎道を歩いていたら、早春の花、オオイヌノフグリ、ハコべ、タネツケバナに加えて、 タンポポ、スミレ、カラスノエンドウ等々の花を観ることが出来ました。野草の写真を撮って、その名前を調べて いると、結構楽しい。野道を歩く楽しみが増えます。

もうすぐ、本格的な春になりますね。コロナ禍で沈みがちな気分も晴れ晴れとしてきます。

はるたつと いふばかりにや みよしのの やまもかすみて けふはみゆらむ
 壬生忠岑 (拾遺和歌集 巻第一 春)
 


2021.2.12

当尾(とおの)

昼食後、さあ今日は何処を歩こうかなと考えた。昨日は二月堂、手向山神社、春日野、丸窓梅園、天神社、 瑜伽神社、興福寺と歩いた。今日は市外へ。車で15分ほど。当尾の岩船寺に着いた。駐車場に車を停め、 岩船寺へ拝観に行った。本堂に入って私がマスクを着用したのを見て、住職さんもマスクを着用し 「コロナ禍で、拝観者が殆ど無い日もありますのに、よくお参りくださいました」と言ってから、 私一人の為に、とくとくと説明して下さった。本尊阿弥陀如来坐像、その周りに持国天(東)、増長天(南)、 広目天(西)、多聞天(北)立像、背後に三重塔より移したという普賢菩薩騎象像がお祀りしてあった。 辞したあと、庭園内を散策した後、寺奥の山にある貝吹岩まで行った。南山城が一望できた。 右の写真は、鎌倉時代建立の十三重石塔。

寺を辞したあとパンフレット"当尾の石仏"を手に、野道・山道を散策した後、駐車場に戻った。この間、 誰にも会わなかった。

たにかぜに とくるこほりの ひまごとに うちいづるなみや はるのはつはな
源正澄 (古今)



2021.2.1

節分

早くも二月、明日は節分ですね。124年ぶりに2月2日が節分だと・・・。庭のセツブンソウ(節分草 右の写真)が 昨日、開花しました。毎年、節分には可愛い花を咲かせてくれます。直径1-2cmの小さな花で、色も地味で、よく 見ないと気が付きませんが、しみじみ眺めると気品ある美しい花です。初夏には姿を消し、塊茎が地中に残り、 1月に顔を出します。

はるたつと いふばかりにや みよしのの やまもかすみて けさはみゆらむ
 壬生忠岑 (拾遺和歌集 巻第一 春) 



2021.1.23

ワクチン

米国ではバイデンさんがめでたく大統領に就任なさいました。新型コロナ対策として、ワクチンの接種 に力を注いでおられます。私も、新型コロナ問題を解決するには、優れたワクチンの開発・接種しか無いと 思います。科学的に考えて「ワクチンの接種が解決の道」だと思います。私は「迅速な対応」を願って います。日本でも「ワクチンの開発体制をもっと充実させる」必要があると思います。この様な問題は 将来、新たに起こり得るのですから・・・。

散歩で「丸窓梅園」を通ったら、白梅が咲いていました(右の写真)。この木には、木札「奈良気象台観察 中」が付いていました。


わがせこに みせむとおもひし むめのはな それともみえず ゆきのふれれば
山部赤人 (万葉集 第8巻1426)



2021.1.12

奈良に雪

今朝、起きたら雪が降っていた。朝食を済ますと、カメラを手に、長靴を履いて出かけて行った。 東大寺焼け門を抜け、大仏池へ行った。カメラを手にした先客が数人いらっしゃった。大仏殿裏 から二月堂の方へ進んで行った。大仏殿での読経を終えた僧が、自坊へ帰られるのに出会った。 インドへご一緒に旅をさせて頂いた僧で、写真を撮らせていただいた。二月堂に参拝して、石段 を下るとき、危うく転倒しかけた。つるつるした石は滑りやすい。コンクリートの道を選んで、 大仏殿正面の方へ降りて行った。大仏殿前の鏡池南方から大仏殿を観た写真を右に示す。 鏡池に氷がはって雪が積もっていた。その後、南大門から飛火野、丸窓梅園から浮御堂へと進んで 行った。浮御堂周りの道に車を停めて写真を撮っている人が沢山いらっしゃった。そこへ警察官が やってきて、次々と「駐車違反」の切符を張っていた。次いで、興福寺から猿沢池へ行った。 その後マスクをして、商店街を抜け、自宅に帰った。歩数10587。


2021.1.9

厳寒

トランプ米国大統領が、過激派を煽って国会議事堂に乱入させるなど狂人の振る舞いをして、世界を驚かせ呆れさせて います。よくぞ米国人の過半がバイデンさんを次期大統領に選んだと思います。米国社会の改善・進歩を期待したいと 思います。

さて、日本です。新型コロナ(Covid-19 infections)の感染者が急増していますね。ワクチンの開発・接種が間に合わない かもしれませんね。個人としては"感染リスクを出来るだけ回避する"様にするしかありません。でも、元気なら、家でじっ としているわけにもいけません。私は、出来るだけ人が多い所を避けてウオーキング。屋外でのテニス。田舎道の散策。 ・・・で乗り切りたいと考えているのですが・・・。

昨日から奈良も気温が下がり、今冬一番の寒さとなっています。こんな時、朝起きたら、庭に出てシモバシラ(シソ科の多年草で、 枯れた茎の道管に水が吸い上げられ、氷点下になると茎から霜柱が出来る)を観にいきます。今朝は厳寒で、見事な霜柱 (霜華)が出来ていました(右の写真)。


2021.1.3

正月

1月2日 ピアノの弾き始めの後、書初めに般若心経を書いた。昨年のと比べて大した進歩はない・・・がまあいいか。 息抜きに散歩。大仏殿裏から二月堂、春日園地を経て、丸窓梅園へ。白梅の早いのがチラホラ咲いていた。片岡、興福寺 を経て、東向き商店街を経て帰宅。8181歩。

1月3日 部屋の整理をした後、インターネットで"柿の木の剪定方法"をしらべた。昼食後、柿の木の剪定をした。 その後、食パンを買いに行った。初詣の人達が少ないとはいえ、結構いた。コロナ感染を警戒しつつも、まだそれほど 深刻には思っていないということだろう。

それにしても、日本のコロナワクチンの開発は何処まで進んでいるのだろうか。優れたワクチンの開発が緊急の課題で、 関係者は全力で取り組んでおられると思うが・・・。"国家の総力を挙げて取り組むべき課題"と思う。私はワクチンの 実証実験に参加しても良いと思っています。


2021.1.1

2021年元旦

新年おめでとうございます。皆様のご多幸をお祈り申し上げます。今年もよろしくお願いします。

新型コロナ(Covid-19 infections)の感染者が、日本でまた増大しつつあります。私はこの正月は自粛し、 恒例の初詣も、生地:岐阜県への帰省もせず Stay at home に徹する予定です。愚妻と私の二人だけで、 お雑煮(大根・里芋を入れて炊いた白味噌汁に焼き餅を入れる)をいただきました。

右の写真は恒例の我が家の床の間。花器は東大寺の古材。花はHK流。掛け軸は恩師日野誠憲先生の作品: 蓮如上人筆による"南無阿弥陀仏"を日野先生がサンスクリット文字・経典で浮かび上がる様に書かれた。

私は現在79.3才です。生きておれば、この9月に80才になります。昨年はコロナ感染を警戒して、人間ドック 受診を受けませんでしたが、お陰様で、現在なんの薬を飲むことも無く、元気に過ごさせていただいております。 とっても下手なピアノと少しも上達しない習字を楽しんでいます。体力も歳相応に老化していますが、 嬉しいことに、まだテニスをすることが出来、週2・3回テニスを楽しんでいます。健康維持の為に1日8000歩 のウオーキングを心がけています。さあ、これも、いつダメになるかもしれませんが、この幸せの状態が続く ことを祈念しています。




2020.12.29

年末

今年もあと二日だけとなった。コロナ禍で自粛生活である。正月は静かに家に籠り、何処にも行かない 予定である。それで、正月用の買い物もほぼ完了したし、家の掃除・窓拭きもおわり、玄関の扉に柿渋 を塗装する作業も終った。正月用の花も生けたし、松飾りも付けた。今年は早目に、正月準備は出来た。

さて、全て完了したら何をするか。テニススクールは1月5日からだ。身体を動かす必要がある。人混みを避けて、 歩くしかない。二月堂の西の谷を登って行った。誰もいない道を登っていくと「日本水道学会歴史遺産:旧奈良市 水道施設」というのに出会った。水を貯めて奈良市内に配水した明治初期の施設らしい。さらに登っていくと「 右は若草山・左は三笠温泉郷」に出た。私は左へ進んだ。ドライブウェイに出た。「歩行禁止」である。 私は無視して下って行った。暫くすると「奈良市内展望所」に出た。スマホを取り出して写真を撮った(右の写真)。 大仏殿・興福寺の五重塔・遠くには二上山・葛城山・金剛山が見えた。そこから山道に入って進むと大仏殿裏に出た。


2020.12.19

我が家の太陽光発電

福島の原発事故を契機に我が家では太陽光発電装置を導入した。設置してから5年間のデータは 2016.5.19のブログに記載した。その性能に満足したので、我が家で使う電力の全てを太陽光発電で まかなおうと、2016年9月に太陽光発電装置を増設した。2017, 2018, 2019, 2020年の月別データを 記載する(注:12月は前年のもの)。

月別太陽光発電量を図1に、月別電力消費量を図2に示す。この1年間の
総太陽光発電量は6279kWh(2019年は6434kWh,2018年は6795kWh,2017年は6455kWh)であった。
総電力消費量は8151kWh(2019年は7620kWh,2018年は7900kWh,2017年は7133kWh)であった。
我が家はオール電化で、冷暖房・調理・風呂・家電・照明全て電気である。"全電力消費量を太陽光発電で まかなう"という目的は達せられていないが、まずまずである。



太陽光発電量の内、発電中に我が家で消費する電力は太陽光発電の電力を使用する。その量を図3に示す。 残りを関電に売る。月別の関電に売った電力の料金を図4に示す。発電中でも足りない部分と発電の無い時の 使用電力は関電から買う。月別の関電に支払った料金を図5に示す。
関電に売った電力の料金は: 2020年は217,296円(2019年は226,272円,20018年は235,296円,2017年は235,728円)
関電から買った電力の料金: 2020年は137,840円(2019年は135,800円,20018年は134,368円,2017年は120,812円)であった。

固定価格買取制度の契約は10年間であるので、2021年5月で契約期間が終了する。その後は売電価格が安くなるので、 初期投資金の回収率は80%位だろう。でも"発電性能の低下がほとんどない"ことは驚きである。

福島原発では、10年たっても「原子炉の外にある燃料プールから、使用済み核燃料を取り出し得てない。 原子炉内部の処置は見通しもたっていない」。危険な状態が今も続いています。
福島の原発事故の直後に、我が家の太陽光発電システムを設置した。その結果、太陽光発電装置が優れものである ことが実感することができた。「危険な原子力発電をやめて、再生可能な自然エネルギーによる発電に切り替える」 べきだと考えます。


2020.12.10

岩井温泉

新型コロナウイルスによる新規感染者数がまた増えていますね。こんな時に不謹慎ではあるが、1ヶ月以上前に予約して いたので、出かけて行った。

9日10:15に車で家を出た。途中、鳥取自動車道沿いの道の駅"清流茶屋かわはら"で「山菜おこわ」と「干し柿」を 買い、ベンチで食べた。
14:15鳥取市の湖山池公園に着いた。湖山池は池というより湖と感じで、広大であった。 キンクロハジロ、ヒドリガモ、ホシハジロ、・・・のカモ類が沢山いた。ミサゴ(魚を捕る鷹)が三羽上空を飛んでいた。 私は"お花畑ゾーン"を散策した。「自然風緑化公園」として設計、維持されている様で、その素晴らしさに魅了された。
16:30岩井温泉岩井屋に着いた。今回が9回目の宿泊である。早速、温泉に入った。岩井屋の温泉浴室は古風で情緒があり、 私の"お気に入り"である。洗い湯も源泉である。
18:00から夕食"カニづくし"。「良いものを適量に・・・」で、ここの"カニづくし"は絶品である。
20:30 温泉に入った後、就床。
10日入浴の後、8:00朝食。9:20チェックアウト。GoToキャンペーンと地域クーポンで料金は半額。さらに、GoTo地域クーポン券 が12,000円。こんなことに、税金を使うことに反対だが「くれるものはもらっとこ」と。帰り道の「道の駅」で、 GoTo地域クーポン券を使い切った。14:00奈良の自宅に帰着した。さあ、暫くは謹慎。


2020.12.4

喪中はがき

もう、12月である。最近、喪中はがきが多い。数年前までは「父母が他界」の知らせが多かったが、 私の年齢になると、教えを受けた先生方は大半が他界されていて、同世代の友人やその伴侶の訃報が 届くようになった。薫陶を受けた先生方の他界は"励ましと目標を失った"様な喪失感が大きい。 先輩や友人の他界は"共に切磋琢磨し、影響しあった仲間を失った"寂しさが大きい。

最近しばしば、その薫陶を受けた先生、切磋琢磨し影響しあった友人と夢の中で出会う。

あきかぜに はつかりがねぞ きこゆなる たがたまづさを かけてきつらむ
紀友則 (古今和歌集)



2020.11.30

コロナ禍での日々

"コロナ禍の第三波が来た"と報じられている。でも、奈良公園には結構、観光客もいて、春の様な緊張感は あまり感じられない。

私は、二ヶ月程前に神戸へ行って以来、電車に乗っていない。週2,3回テニススクールに行き、テニスの無い日は 散歩にでかけ、一日8000歩の歩行をこころがけている。土日・休日は奈良は人が多いので、車で奈良郊外へ行き、 車を停めて、野山を歩く。先日、一体山(標高600m)に、リュックサックに"熊除けの鈴"を付け、一人杖をついて 登ったが、途中で誰にも会わなかった。右の写真は一体山の頂上で、樹木が茂っていて、展望はなかった。だだ、 磐座の上に役行者の像が祀ってあった。

私はこれまで、あまりマスクを着用していなかった。スーパーマーケットや電車の中で着用する程度であった。 しかし、最近は、PEE試験99%(N95対応)マスク用高機能フィルターをマスクに装着し、"人が多いな"と感じたら マスクを着用するようになった。


2020.11.17

奥大山

蟹のシーズンになり、愚妻に「岩井温泉に行こう」と言ったら、愚妻が「休暇村奥大山に行きたい」と言った。 私は愚妻に妥協した。インターネットで調べたら、11月15,16日が空いていて、Go To トラベルキャンペーンの 対象にもなっていたので、15日は"松葉蟹三昧プラン"、16日は"紅ズワイガニ付秋の味覚プラン"を予約した。

15日9:00に車で家を出て13:30休暇村"奥大山"に着いた。チェックインは15:00から可能とのことで、"奥大山"の裏にあって 象が寝そべっている様に見える?"象山(標高1085m)"に登ることにした。ホテルの標高が900mなので手頃である。 ブナ・ミズナラの森を抜け、標高1000mを超えるころより草地となり、ツルリンドウ、リンドウ、マツムシソウの終わり花 が見られた。イワカガミも沢山あり、春に訪れたら美しいだろうと思った。右の写真は象山山頂まで行った証拠写真。 16:00チェックイン。入浴後、17:30より"松葉蟹三昧"、蟹は本物で美味しかった。

16日10:00に"奥大山"を出て"木谷沢渓流"を散策、その後、大河原、ますみず高原を経て、12:30大山寺駐車場着。 参道を登って、天台宗別格本山"大山寺"本堂に参拝した後、大神山神社奥宮に参拝した。大神山とは大山のことで、 御祭神は大国主神。16:00東大山展望所。東西南北からの大山の雄姿を観させていただいた。16:30"奥大山"に帰着。 17:30より"紅ズワイガニ付秋の味覚"をいただいた。茹で紅ズワイガニは冷めていて残念であった。

17日9:45チェックアウト。近くの鏡ヶ成自然学習歩道を散策した後、10:30"奥大山"を出発、14:30奈良の自宅に帰着した。 三日間全て快晴で、"大山"を堪能させていただいた。休暇村奥大山の風呂は温泉でなかった・・・これだけが欠点。


2020.11.10

柚子ジャム

今年も無農薬・ワックス無しの柚子をいただいたので早速ジャムを作った。5.0kgの柚子から 直径8cm高さ10cmの壜4個、直径8cm高さ8cmの壜11個満杯の柚子ジャムができた(右の写真)。 酸味・苦味・甘味がほど良く、とっても美味しい。トーストに付けて食べる。昨年は1ケ月に 1壜としたが、月末には無くなってしまっていたので、今年は量を増やした。これで1年間 毎朝楽しむことが出来る。風邪気味のときには、これを湯に溶かしてハチミツを加えて飲む。 体が温まり、水分補強・滋養供給にもなる。
作り方は2011.11.15のブログに掲載したが、若干の改訂をしたのでここに記す。

柚子ジャムの作り方
1. 柚子(5kg)をたわしを用いて軽く水洗いし、布巾で拭いた後、ヘタを取り除く。
2. 柚子を上下半分に切って、凸形のレモン絞り器でゴリゴリとやり、汁を絞り出す。
3. 汁を絞り出した柚子の外皮に入っている種を指で押し出す。
4. 絞った汁をザルで漉す。漉し汁をステンレス製の鍋(7.5リットル)に入れる。
5. ザルに残った種、3.でとりだした種をボウルに入れる。
6. 種の入ったボウルにカップ1の水を加え、かき混ぜる。よく掻き混ぜたらザルで漉し、 漉し汁はステンレス製の鍋に入れる。
7. ザルに残った種をボウルに入れ、カップ1の水を加え、よく掻き混ぜたらザルで漉し、 漉し汁はステンレス製の鍋に入れる。
8. 再度7.と同じ事をした後、種は捨てる。・・・種の周りの粘々したのはジャムの固化に寄与する。
9. 柚子の外皮(内袋の一部が付いている)を細かく千切りにする。厚さ1mm程度に心をこめて刻み、 ステンレス製の鍋に入れる。
10. グラニュウ糖(2kg)をステンレス製の鍋に入れる。
11. 全ての材料が入ったステンレス製の鍋を中火(IH目盛り:7)で熱し、木べラで掻き混ぜる。 一瞬たりとも手を止めない。・・・これ重要。
12. グツグツ煮立ってきたら、弱火(IH目盛り:6)にし、掻き混ぜながら30分程度煮つめる。 柚子の千切りが黄色から半透明なったら火を止める。
13. 熱いうちに、安全弁付の蓋のある瓶につめる。最初に少量入れ、瓶が暖まって きたら少量入れ・・・と段階的に入れれば瓶は破損しない。壜内の空気を出来るだけ少なく するためにジャムを満杯にして蓋をしっかり閉める。これで室温で一年間保存できる。
14. ジャムを煮た鍋に2カップの水をいれて熱しながら濯ぐと、美味しい柚子湯となる。 勿体無いので念のため・・・鍋も綺麗になる。
(注) 安全弁付の蓋のある瓶とは、蓋の真ん中にペコポコと動く部分があって、熱いジャムを満杯に して蓋を閉めておくと、冷めたときにへこみます。もしジャムが腐ったら、醗酵するので膨らみます。 へこんでおれば安心して食べられます。開ける際には、マイナスドライバー等で、蓋をこじ開ける ようにして空気を入れないと開けられません。


2020.11.8

アメリカの大統領選挙

アメリカの大統領選挙の結果、Joe Bidenさんが当選確実になった。私はホッとした。世界で最も力を持つ アメリカの大統領は重要である。世界各国と話し合いをし、妥協・合意を探る姿勢は重要である。Donald Trump さんでは、あまりにも粗野で・品性が無い。それでも、米国人の半数が支持していることは忘れてはいけない。 でも、でも、Donald Trumpさんを再選しなかった米国人は凄いと思う。

私はJoe Bidenさんの勝利宣言の実況中継をBBC Newsで観た。「分断でなく統合を追い求める」、「米国を世界 から尊敬される国にする」との発言は嬉しい。Joe Bidenさんだけでなく、副大統領になるKamala Harrisさんの 演説も良かった。自分の考えを表す演説の能力・その基底になる人格の確立の大切さを痛感した。

庭の"夕映え"(ノコンギクの園芸種)を摘んできて、四代上田直方さん作の"蹲"に挿した(右の写真)。


ひさかたの くものうへにて みるきくは あまつほしとぞ あやまたれける
藤原敏行 (古今和歌集)




2020.10.27

野道歩き

気候も快適になってきました。最近は週3回テニスをしている。一向に上達しないが、私は"健康で楽しめれば良い" と思っているので大慶である。10年余テニススクールで、一緒にテニスをしてきたお医者さんが「コロナ禍のスト レスもあって、しんどくなった」と言って、休会届をだされた。私は医院へ説得に行ったが駄目だった。なんだか 寂しい。

天気も良かったので、昼食後"野道を歩き、秋の草花を楽しもう"と、水筒とカメラをリュックサックに入れ、 車で30分弱で行ける奈良市長谷町へ行った。そのあたりは美しい田んぼと小山・自然林の美しい所で私のお気に入り の場所である。道路わきに車を止め、リュックサックに熊よけの鈴を付け、ステッキを片手に歩きだした。YAMAP (山と渓谷社が出している5万分の1の地図に、現在地・歩行記録が記載される)はとても便利で、スマホでこれを見 ながら歩いた。丁度、稲刈りが終ったところで、農家の方は草刈りをしておられた。ノコンギク、ヒヨドリバナ、 ヒメアザミ、ツリガネニンジン等が沢山あった。山側の木から垂れ下がったノササゲが、風に吹かれてゆらり・ゆらり と揺れていた。紫色の豆果はとても美しかった。私はカメラでその姿を撮った。

地図をたよりにうろついていたら、軽トラックで通りかかった農家の方が、車を止めて「何処へ行こうとしているの?」と。 私は「"塔の森"へ行きたいのですが・・・」と言ったら、「その道は無くなった。子供の頃には行けたが、今はダメだね。 "塔の森"へ行くなら車で入口まで連れて行ってやるよ」と。私は"塔の森"へ行くのが目的ではないので、丁重にお断りをし、 その辺りをぶらついて、来た道を引き返した。右上の写真はツルリンドウ。とても快適な"野道歩き"であった。


2020.10.15

リンゴジャム

行きつけの八百屋さんに行ったら、美味しそうな紅玉リンゴがあった。お尻の部分も真っ赤であつた。 私はリンゴジャムを作ろうと決め、18個の紅玉リンゴを買った。
4kgの紅玉リンゴ、3個のレモン、1.4kgのグラニュー糖から出来たリンゴジャムが右の写真である。

八百屋さんの店員さんと私は仲良しで、買い物をした時、レジ袋代は無料である。この事を愚妻に話したら 、愚妻は怒り出した。何故怒るのか尋ねたら「私が行ったら有料だ。私が貴方の妻と知っているのに・・・」と。 私が「そんなの当たり前だ。僕は毎日の様に買い物に行く。たまに行くお前まで無料にしたら他のお客さんまで 無料にしなくちゃいけない」と言っても納得しない。「第一、そんなこと自慢げに言う貴方も不愉快だ」と。 私は、八百屋さんの主人とも店員さんとも仲良しなのだ。

うつろはむ ことだにをしき あきはぎに をれぬばかりも おけるつゆかな
伊勢 (拾遺和歌集)



2020.10.5

ダイエット

気候が快適になってきて、実りの秋、栗、イチジク、ブドウ、落花生等々美味しい物が出回っている。これらを見ると、 ツイツイ手が出て、食べまくっていた。ところが、体重測定をして驚いた。62kg、私の適正体重は60kgだ!。暑さ・コ ロナ禍での運動不足も重なって、この始末。早速、食事制限と1日8000歩以上のウオーキングを始めた。

私はこれまで「肺炎球菌ワクチン(ニューモバックスRNP)」の接種を受けたことがない。ところが、最近のコロナ禍 によると肺炎になりやすい様だ・・・で、テニス仲間のお医者さんへ行って、この予防接種をして頂いた。料金は7000円。 この接種は5年以上有効だそうだ。じゃあ、私は死ぬまで再接種は必要ない。

このお医者さんに、「インフルエンザ予防接種」は何時したら良いか尋ねたら"2週間後に来なさい"と言われた。 私は「高齢者インフルエンザ予防接種」をして頂いた。料金は1700円。


2020.10.1

中秋の名月

今日は10月1日。気候も快適である。私は朝起きるとすぐ、夜着、シーツ、枕カバー等の洗濯をし、夏の夜具を 干した。そして、秋用の夜着・夜具を出した。

そして、今日は"中秋の名月"、天気も良く月も観賞できそうであった。そこで、私は先ず饅頭屋さんへ月見用 の団子を買いに行った。行列が出来ていたが、私はマスクを着用してならんだ。白い団子10個で700円で あった。家に帰って、庭で花を摘んで、月見用の花を生けた。ハギ、ススキ、オミナエシ、フジバカマ、キキョウ と揃った。ナデシコは咲き終わっているので代わりにワレモコウ。クズは無いが秋の七草の大半は揃った。 沢山の花なので、東大寺大仏殿回廊の古材から作った火鉢を転用して花器とした。我流で大胆に生け縁側に置いた。 そして、団子をその横に置いた。

さあ、準備が出来ると月の出が待ち遠しい。18時20分、春日奥山(御蓋山の奥)の山の端から月がでてきた。 雲一つなく快晴で、月光が眩しい。

月見を終えると、月見団子をさげて、きな粉にまぶしていただいた。

みづのおもに てるつきなみを かぞふれば こよひぞあきの もなかなりける
源 順 (拾遺和歌集)

あまのはら ふりさけみれば かすがなる みかさのやまに いでしつきかも
安倍仲満 (古今和歌集)




2020.9.25

上高地

10日程前、新聞広告で「GOTOトラベル ホテル代金35%補助」の広告を見て、上高地帝国ホテルに電話したら、 「23日,24日なら空いています」とのことで、急遽、2連泊の上高地行きを決定した。申し込んだ時は、天気 予報も良かったが、前日には台風の接近があり、「23日は午後から雨、24日は全日雨、25日は午前は晴れ」 の天気予報になった。

23日8:30奈良の自宅を車で出発。13:30平湯温泉あかんだな駐車場に到着。13:50あかんだな駐車場発のバスに乗り 14:20帝国ホテル前で下車。「台風は東寄りの進路になった」とのことで"晴れ"。チェックイン後、直ぐに外へ出た。 同行の愚妻が「明日は観れないかもしれないから、河童橋へ行って穂高連峰の写真を撮りたい」というので、先ずは 河童橋へ行った。雲があって"穂高連峰をバッチリ"とはいかなかったが、時折り、奥穂、前穂、西穂の頂上が見えた。 写真を撮って、愚妻は「もう、明日、雨でも良い」と言った。その後、梓川沿いの遊歩道を歩いて田代橋へ、 さらに自然研究路を進んで田代湿原・田代池へ行った。振り返ると"雲が上がって穂高連峰が全て見えた(右の写真)"。 ラッキー・ラッキー! さらに進んで、大正池へ。夕日が隠れる焼岳と大正池を鑑賞した後、ホテルへ帰った。歩数10,601。 17:30より夕食。この日は和食。スリッパを履いて食堂に行き"恥ずかしい思い"をした。

24日7:30朝食。「台風はさらに東よりに進んだ」とのことで、曇り。8:30雨具・傘を持ち、ホテルを出発。梓川左岸の遊歩道を 歩いて、河童橋を経て明神橋へ。明神館で"うどんとお焼き"で昼食。明神池・穂高神社に参拝した後、梓川右岸の遊歩道を 歩いて河童橋へ。さらに梓川右岸を歩いてウェストンレリーフ・田代橋を経て15:00ホテルに帰着した。雨も降らず、散策を たのしむことができた。歩数19,748。17:30より夕食。この日は洋食。登山靴を履いて食堂へ行った。

25日8:00朝食。土砂降りの雨。9:10ホテル前でバスに乗り9:40あかんだな駐車場着。駐車場着に停めてあった車に乗り、 土砂降りの中を走り、16:00奈良の自宅に帰着した。

上高地帝国ホテルは快適なホテルで、従業員の対応も良く、料理も美味しかった。ただ、温泉が無いのが残念であった。 上高地を堪能することが出来た。再度行くなら、7月?


2020.9.15

マスク

私はあまりマスクを着用しないけれど(たいていマスクを着用していないのは、年寄りの頑固者が多い)、 バス・電車の車内、スーパーマーケットに入る際には、これもエチケットになったと思い着用している。 もう少し快適で格好いいのが欲しくなって、高級そうな洒落たお店に行った。店員さんに勧められて、 オーガニックコットン100%の立体ガーゼマスクを買った。値段も高くて、一個で使い捨ての中国製不識布 マスク50枚よりもかった。更に、家に帰って説明書を読んで驚いた。なんと「本品は感染・粉塵やガス等 を防ぐ目的には使用できません」と書いてあった。

コロナウイルスを遮断する目的なら「NIOSH(米国立労働安全衛生研究所)のN95規格・EUのFFP2規格以上を 満たすマスクを使用しなければなりません」・・・ということを今になって知った。

右の写真はシモツケソウ。

うづらなく いはれののべの あきはぎを おもふひととも みつるけふかな
丹後国人 (新拾遺和歌集)




2020.9.4

79才になりました

私は9月4日、満79才の誕生日を迎えました。お陰様で、今のところ体調は良く、何処といって悪い所も無く、 薬を飲むことも無く、身体に痛むところも無く、元気に過ごさせて頂いています。コロナ禍で、毎年4月に 行っている"人間ドック受診"には行きませんでした。昨年の血液検査で"膵臓癌の恐れがある"からと奨めら れた精密検査は受けませんでしたが、今のところ何の自覚症状も無く元気に過ごさせていだいております。
私は、週2,3回テニスを楽しみ、とっても下手なピアノと習字を楽しんでいます。どうしてこんなに下手でも 面白いんだろうと自分でも不思議です。今日から練習を開始したのは"愛の讃歌":初・中級用の編曲を選んで、 次の発表会で演奏を目指します。発表会は上手くなるためのモチベーションです。

右の写真は秋の七草(山上憶良によると 萩、薄、葛、撫子、女郎花、藤袴、桔梗)の一つ: 女郎花(オミナエシ)
この花を私が庭に植えた時、今は亡き義母が「私は女郎花は臭いから嫌いや」とおっしゃった。私はその時、 何故か理解できなかった。暫くしたら、その意味が分かった。切り花にして暫くすると"何かが腐ったような" 臭いが、部屋に満ちてきた。それで女郎花の漢字が充てられたのであろうか?

をみなへし みるにこころは なぐさまで いとどむかしの あきぞ恋しき
藤原実頼 (新古今和歌集)

あききぬと めにはさやかに みえねども かぜのおとにぞ おどろかれぬる
藤原敏行 (古今和歌集)



2020.8.30

伊吹山

9:45に家を出て、12:15伊吹山スカイテラス駐車場(標高1260m)に着いた。途中、イヌワシを撮影しようと 立派な望遠レンズを構えた人達が数百人いたのには驚いた。駐車場はほぼ満杯で、コロナ禍の影響はなく、 通常の賑わいであった。私は高山植物の写真を撮ろうと頂上へと続く遊歩道を歩いて行った。

鹿害を防ぐためのフェンスが効果を発揮したのか、まだ回復途中ではあるが、多数の高山植物を観ることが出来た。 遊歩道に入った所でハクサンフウロに出会った。サラシナショウマの花盛り(右の写真)。ルリトラノ、イブキトリカブト、 シオガマキク、アキノキリンソウ、シモツケソウ・・・と楽しませていただきました。頂上(標高1377m)でPAで買ったオニギリと サンドイッチを食べた。雲が無くなると結構暑く汗をかいた。15:00スカイテラス駐車場を出発し17:30奈良の自宅に帰着した。


2020.8.27

山は越えた

暑い日が続いていますが37℃を越える様な日はなくなりました。私は8月18,19,25日のテニススクールは休みました。 体力を温存して残暑に備える"年寄りの知恵"です。8月26日久しぶりにテニススクールに行ってきました。この日の 最高気温は35℃でしたが、ナントカ無事にテニスを楽しむことが出来ました。これで"今年の夏は乗り越えられた・・・" と、思いました。

そう思って庭を眺めると、ずいぶん"秋の気配"が感じられますね。右の写真はツリガネニンジン。

きみがてに まかするあきの かぜなれば なびかぬくさも あらしとぞおもふ
中務 (拾遺和歌集)



2020.8.17

猛暑の過ごし方

奈良は連日晴天て猛暑が続いている。今日の最高気温は37℃である。昼間は冷房の効いている部屋に籠っている。 部屋に籠っていても、あまり見っともない服装は良くないと自分に言い聞かせている。先日、愚妻が余りにも見っとも ない恰好をしているので、私が日頃愛用している紙糸(通気性・肌離れの良い、暑い時にも快適)で出来たパンツ をプレゼントした。「これは快適。もう一つ欲しい」と言った。で、新しいのを買って与え、代金をとった。

部屋に籠って何をしているかというと、読書、ピアノ、パソコン。美味しいお茶を頂きながら庭を眺め(時には水遣り) ゆったりと過ごしている。

夕方、少しすずしくなったら、散歩にでかけ、買い物をして帰る。この頃の平均歩数は5000歩。少し少ないが帰ると 汗びっしょり。シャワーの後、紙糸のパンツ・シャツでくつろぐ。夕食後、音楽を聴きながら"習字":少しも上達しないが 不思議と面白い。

右上の写真はトモエソウ(巴草:トモエとは卍の様な渦巻模様、五弁花ですが卍に渦巻いている)。

あまのかは あふぎのかぜに くもはれて そらすみわたる かささぎのはし
清原元輔 (拾遺和歌集)



2020.8.13

お盆休み

奈良は8月11日の最高気温が37℃であった。テニススクールは12日から一週間お休みである。私は13:30-15:00の テニススクールへ行った。仲間の開業医は欠席であった。こりゃヤバイと思ったが、体調が悪くなったら中止す ることにしてテニスをした。生憎、雲もなくカンカン照りであった。ナントカ無事終了した。
今年のお盆は故郷:岐阜県関市への墓参りを中止したので、ずっと奈良に巣籠である。冷房の効いた部屋に籠って いると快適だが、身体が鈍るので、12日夕方16:30から散歩に出た。まだ暑いのに、東大寺大仏殿前の参道には、 観光客が何人も歩いていた。外国語を話す観光客もかなりいて、私はビックリした。
8月13日今日は一日中"家に籠ろう"と思っていたら、太陽の強い11:00に愚妻が「私は熱中症だ。お盆の買物をしてきて! お迎え団子は売り切れるからすぐ行って!買い物リストはこれ! 貴方は炎天下でテニスをしているのだから大丈夫!」 と、のたまわった。仕方がないから買い物に行き、帰ったらシャワーを浴びて、以後、冷房の効いた部屋に籠った。 美味しいお茶を淹れ、菊屋で買ってきた饅頭を一人で食べた。

なつやまの みねのこずえの たかければ そらにぞせみの こえもきこゆる
詠み人知らず (後撰和歌集)



2020.8.10

山の日

今日は「山の日」だというので、手軽に登れる"大台ケ原・日出ケ岳"へ行くことにした。急遽思いついたので、 10:20に家を出た。途中、大宇陀農産物直売所でトマトとキュウリを、大滝茶屋で柿の葉寿司(山菜セット)を 買い、大台ケ原の駐車場に着いたら13:50であった。駐車場はほぼ満杯。"コロナ禍ですいている?"との予想は 外れた。早速、日出ケ岳山頂を目指して歩いた。14:20途中の水場で、トマトとキュウリを水の中に放り込んだ。 そして、柿の葉寿司を食べた。遅い昼食で空きっ腹、とても美味しかった。その後、よく冷えたトマトとキュウリ に塩を付けて食べた。これも美味しかった。15:00日出ケ岳山頂(標高1695m 右の写真)に着いた。駐車場の標高が 1570mだから125mだけの登りである。雲のある晴天で、暑くも寒くも無く、気持ちの良い山行であった。
16:10大台ケ原の駐車場を出発、18:50奈良の自宅に帰着した。


2020.8.8

猛暑日

奈良でも、最高気温が35℃を超す猛暑日がやって来た。それでも、夜・明け方には25℃を下回るので、 私は寝る前まで(23:00頃)寝室を冷房しておいて、床に就く時に冷房を切っている。
8月4日 13:30から15:00までテニスをした。汗びっしょりになった。メンバーに内科医がいらっしゃるので、 私は安心しているが、その内科医には「お医者さんが救急車で運ばれたらみっともないからね!」と忠告 をしてあげた。
8月5日 11:00から12:30までテニスをした。暑かったが"前日大丈夫だったのだから・・・"と、炎天下で テニスをした。家に帰って、昼食後、昼寝をした。
8月6日 家の庭でお供え用の花を切り、11:00に車で墓参りに行った。墓参後、大和郡山のイタリアンレストランへ 行き、ランチセット(サラダ、ピザ、スパゲッティ、コーヒー)を食べた。有名で美味しいお店であるので、 通常なら満席状態なのに、客は私と愚妻の他には2名だけであった。コロナ禍の影響は凄い。
8月7日 生母の郷の家を継いでいる従弟から電話があり「今年のお盆には訪問を控えてほしい・・・」と。 私の生家を継いでいる次弟に電話したら「娘の行っている高校の生徒が最近コロナに感染したので、皆が 神経質になっている」とのことであった。・・・で「今年のお盆は帰省をしない」ことにした。
8月8日 睡蓮鉢に植えている大賀ハスの根っ子が大きくなってきて、同居しているメダカの生活域が狭くなってきた。 それで、そのメダカを、生活域の大きな鉢に移す作業をした。今年生まれたメダカが沢山(100匹以上)いた。 このメダカのお蔭で、睡蓮鉢にボウフラはいない。


2020.8.2

梅雨明け

8月になって漸く梅雨明け宣言が出ました。梅雨のお蔭で、通常最も暑い7月下旬を涼しく過ごすことが出来ました。 でも、農産物は不作の様ですね。
今日8月2日11:00からテニススクールで12:30までテニスをしました。私の行っているテニススクールはオープンコートで カンカン照りの中でのテニスでした。水を頻?に飲みながら、熱中症に気を付けています。でも、終わったら"噫、今日も 無事に終わった"と思います。家に帰って、ウェアを洗濯し、昼食を摂り、その後一時間ほど昼寝をしました。その後、 熱いお茶を頂くと、漸く元気が出てきました。


2020.7.30

ブルーベリー

毎年お願いしている大宇陀町の農家から電話があった「漸く晴れ間がでて、ブルーベリーの収穫が出来ました」と。 私は5kgをお願いして、その農家まで受け取りに行った。5kgは収穫するだけで大変である。農家の方に感謝・感謝である。
家に帰って早速ジャムを作った。その成果が、右の写真である。これで一年間毎朝、ヨーグルトと一緒に味わうことが出来る。
我が家の庭にもブルーベリーの木が植えてあるが、こちらは摘まんで食べる。そして、半分は小鳥の餌となる。



2020.7.20

紫香楽宮趾・石塔寺

今年になって、石塔について記してきた(4.9, 4.18, 5.10)。 石塔に関しては、近江の阿育王山石塔寺 (あしょかおうざん いしどうじ)にある日本最古の石塔:阿育王塔を欠くわけにはいきません。
コロナ禍は増大する気配であるが、車で行けば良いだろうと出かけて行った。折角だから、聖武天皇ゆかりの地、 恭仁京跡近くのレストランで昼食を摂り、和束から信楽へと天平時代の古道を通り、紫香楽宮趾へ行った。 恭仁京を造営中であった聖武天皇が、紫香楽に離宮を作り、さらに大仏造立をはじめた寺院跡らしく、松林の中に 沢山の礎石があった。金堂、講堂、僧堂、塔院等の礎石があったが、奈良の東大寺とは比べ物にならない、こじんまり としたもので、地方の国分寺跡といった感じであった。

次に、水口、蒲生を経て、阿育王山石塔寺に行った。158段という長い階段を登り詰めると、沢山の苔むした五輪塔の真ん中に 白鳳時代に建立された日本最古の石塔:阿育王塔(右の写真、高さ7.5m、上方の相輪は後補?)があった。帰化人の石工の手 によるものであろう、韓国の扶余にある定林寺(百済後期の寺院、私のホームページ:野の花の写真集:韓国 参照)趾で 見た石塔を連想させる、立派で美しい石塔であった。ここの山上には、沢山の五輪塔石仏があった。階段を下って、 本堂にお参りした後、名神高速道路、京奈和道を通り、17:30奈良の自宅に帰着した。    


2020.7.13

雑感

梅雨の末期?の豪雨があり、連日雨が降っています。この梅雨があけると本格的な夏になり、暑さに参る日々 となるだろうから、雨で外を歩くのは大変ですが、この涼しさには感謝である。

私は2016年6月16日に腰椎椎間板ヘルニアを発症し救急車で入院し、7月4日に退院した。手術を受けることも無く 薬だけで治った(詳細な経過はその頃のブログに記載してあります)。あれから満4年が経過した。完治したと思う。 以前は度々ギックリ腰を起こしていたが、それもこれまでのところ発症していない。本当に、本当に、ありがたい ことである。感謝!感謝!である。
毎年春に受けていた人間ドックでの健診は、今年はコロナ禍の発生で、病院に近寄りたくなくて受けていない。 昨年の人間ドックで「血液検査で膵臓がんの恐れがあるから専門医によるMRI精密検査を受けたら」と言われたが 私は受けなかった。今迄のところ、何の自覚症状も無く生きています。体調も良く、身体で痛いところもなく、 週2回のテニスを楽しんでいます。こんな調子の良いのは、長くは続かないでしょうが、ありがたいことで、 感謝・感謝であります。

このコロナ禍と長雨で外に出る機会が少なくなった。こんな時は"本を読む"が一番落ち着くし、心やすらぐ。 手当たり次第に、色々な本をめくっていて、美しい写真に巡り合った。あまりよく知られていないと思うので、 著作権法には違反するだろうが、その写真の写真を撮って、部分切りで右に示さしていただく。 出典は"カラー会津八一鹿鳴集奈良(淡交社)"、写真は入江泰吉さんによるものである。 この写真は、2011年に90才で亡くなった45世法華寺門跡久我照さんの若き日の姿である。

法華寺本尊十一面観音を詠んだ会津八一の歌
   ふぢはらのおほききさきをうつしみに あひみるごとくあかきくちびる


2020.7.6

茅の輪くぐり

コロナ禍の影響で、世の中なんとなく暗い。でも、学校が再開されて、少しずつ明るくなっていくことを祈るばかりだ。 三輪の大神神社では、この時期に拝殿前に三つの茅の輪が設けられます。大神神社の末社である率川神社の前を通ったら 拝殿の前に茅の輪(右の写真)がありました。そして、注意書きに「茅の輪のくぐり方: 拝殿に向かって茅の輪をくぐり、右へ回って正面へ、 再度茅の輪をくぐり、左へ回って再度正面へ、最後は拝殿方向に直進してお参りをする」。このとき「"みなつきのなごしのはらえするひとは  ちとせのいのち のぶといふなり"と口ずさんでください」とあった。

奈良の街を歩くと、以前はマスクをしていないのは"年寄りの頑固な男"のみであったが、若者でもマスクを着用していないのがチラホラ でてきた。でも、8割程度の人はマスクを着用している。スーパーマーケットへ行けば、着用率100%に近い。私は散歩の途中で、この日から 開館となった奈良国立博物館の「よみがえる正倉院宝物 再現模造にみる天平の技」展に入場した。係員に「マスクを着用してください」 と注意されてしまった。

ゆきやらで やまぢくらしつ ほととぎす いまひとこえの きかまほしさに
源公忠 (拾遺和歌集)



2020.6.27

木の暗(コノクレ)・・・続き

切り落としたオオスズメバチの巣には、暫く蟻が群がっていたが・・・それも無くなった。私はその巣を拾って きて部屋の置物にした。
さて、剪定の続きをした。サンシュウの木に登った。剪定を始めて、またもや、びっくりした。木の枝に体を 丸めた蛇がいた。手を出したら飛びかかってきそうな身構えだ。私は蛇は苦手。今度もその枝を鋸で切り落とした。 捕まえ様としたが素早く何処かへ逃げて見つからなかった。気を取り直して、サンシュウの剪定を終えたら、 愚妻が「モミジの木を根元から切って!」と言った。根元の直径は20cm程。老体には大変な作業であった。 切り倒したが重くて運べない。結局、幾つかに切り分けた。「高齢になったら高い所は切れないから、今のうちに 高いところを切り落とそう」ということになり、モチ、マキの天辺を切り落とした。勢いがついてきて「紅梅は 実がならないのだから、思い切って剪定しよう」ということになり、太い枝を切り落とした。さて、後始末が大変。 切り落とした枝を運んで処分しなければならない。燃やすわけにいかないので大変である。
「剪定は植木屋さんに頼んだら」というと、「下に大事な野草がいっぱい植えてあるのに、ずっと監視するわけにいかない。 貴方でも、もっと気を付けてよ!」だ。ともあれ、無事終了。庭もだいぶ明るくなった。めでたしめでたし。


2020.6.15

木の暗

梅雨に入って、我が家の庭の木が生い茂り、木の暗(コノクレ:木が茂ってその下が暗くなること)状態なった。 それで、梅雨の晴れ間となった今日、庭木の剪定をはじめた。キンモクセイ、カイヅカイブキ、モクレン、フジ、 スオウの順に剪定し、サンシュウへとすすんだ。少し剪定が進んだところで、私はオオスズメバチの巣が繁みの 中にあるのに気が付いた。少し迷ったあげく、枝ごと切り落とすことにした。切り落とした瞬間、数匹のオオス ズメバチが出てきた。私は一目散に逃げた。刺されることも無かった。剪定は中止し、家の中で見ていた。 数匹が辺りを飛び回っていた。・・・で剪定の続きは、後日・・・とした。

わがやどの かきねやはるを へだつらん なつきにけりと みゆるうのはな
源 順 (拾遺和歌集)


2020.6.7

一泊二日の旅

私は最近3ヶ月ほど、コロナ禍による自粛生活で、美味しいレストランでの食事も無く、家での料理もマンネリ化 して、少し美味しい料理が食べたくなった。自粛で営業を中止していた宿も、再開しはじめている。この時期は ササユリの咲く頃である。そこで、奥伊勢フォレストピアに尋ねたら6月1日から営業しているとのことで、6月6日 の宿泊を予約した。

6月6日10:00に車で家を出た。途中、飯高町のお食事処で"あまごの姿ずしと鉄火巻き"を頂いた。このお店、以前 にも何度か訪れたが、山中にあるのにとても美味しく私のお気に入りの店である。その後、山間の狭い道に入った。 数年前に道端に生えているササユリを見つけて写真を撮っていたら、農家の方が「もっと沢山生えている所があります」 と教えて下さった所へ行った。チョット早いかなと思ったが、沢山のササユリが咲いていた。美しい気品のある花は見事で あった。

14:00奥伊勢フォレストピアにチェックイン。少し休憩した後、周辺を散策した。森の中に入ると虫(1.5cm程の昆虫)が まとわりついて閉口した。早々に宿に帰り、温泉で汗を流した後、18:00から夕食。本格的なフレンチのフルコースで とても美味しかった。6月7日7:00起床。8:00朝食。これも美味しかった。9:15チェックアウト。大台町下出に車を停め、 川沿いの道を歩いて、余谷から五十田へと歩いて行った。途中、花は終っていたが、イワカガミの大群落があった。 同じ道を引き返して、11:30大台町下出を出発、前日に寄った飯高町のお食事処で"握り鮨"を食べ、15:00奈良の自宅に帰着した。


2020.6.3

梅の木の剪定

私の家の庭には幹の根元での直径が30cm程の梅の大木がある。この木になる梅は大粒で、梅干しにすると柔らかくて味が良い。 ところが、この梅の木、どうも元気が無い。多くの枝が枯れ枝になり、梅の実も全部で10個ほどしかなっていない。 老化の為かも知れないけど、何とかして元気にしたい。それで、枯れかかった枝を切り落とし、不要な枝の重なりを無くする 剪定をした。大きな木なので剪定も大変な作業だ。二日かかって、何とか終了した。後は根元に肥料をたっぷり撒いて、 元気になってくれることを待つばかりである。

庭には今、沢山の花が咲いている。そのうちの一つ、クガイソウの写真を右に示す。


2020.5.25

ゆすらうめジャム

今年もゆすらうめ(山桜桃梅)の実が沢山なった。赤く熟してきたのでその実を摘んだ。13時から17時まで 費やして、約8kg程の実を収穫した。
ジャムを作るには、先ず、種を取り出さねばならない。これが大変な作業である。一つ一つ指で潰して種を 取り出す。5時間余かけて、5kgの果肉・汁を得た、これにレモン3個のしぼり汁と2kgのグラニュー糖を加えて 鍋で、30分かき混ぜながら煮た。
出来たジャム(シロップ?)を瓶に詰めて密閉した。この膨大な勤労のたまものが右の写真である。

このジャム、とっても美味しい。私はトーストに付けて食べる。洗練された上品な味で、とっても美味しい。 これだけあると、一年間、毎朝いただくことが出来る。大変な作業であったが、それを補って余りがある。


2020.5.19

歯医者

子供の日に粽を食べていたら、左下の奥から二番目の歯のかぶせ物がとれた。歯医者さんに電話したら「痛くないなら、 11日11時に来てください」とのことであった。11日に歯科医院に行ったら、新型コロナウイルス(Covid-19)感染予防の 為か「体温を測って下さい。37℃以上なら診療お断り」と体温計を渡された。36.4℃でOK。診ていただいたら「土台が 少し虫歯になっているから付け替えましょう」と言われた。
次回19日に行ったら「保険は効かず4,4000円かかりますが、柔らかい材質でやった方が良いと思います。如何ですか」 と言われた。"私を金持ちだと勘違いしている・・・"と思ったが、信頼できる腕の良い歯医者さんなのでOKした。
この歯医者さんに街を歩いていてすれ違った。私が挨拶すると、歯医者さん「あっ加藤さん。高校生の様な服装なので・・・ 気が付かず失礼しました」と。

かはづなく かみなびがはに かげみえて いまやちるらん やまぶきのはな
厚見王 (新古今和歌集)



2020.5.10

塔の森

奈良周辺の田舎では、今は田植えの真っ盛りで、私などがのんびり散歩していると何だか申し訳ない気がする。 そこで、今回は海抜660mの山頂にある"塔の森"へ行くことにした。車で奈良市長谷町まで行き、道路わきの木陰 に車を停め、細い山道を登って行った。途中少し"藪漕ぎ"状態の所もあったが、新緑の美しいルートであった。 標高差200m,歩行距離2km程で"塔の森"に着いた。そこには、台座の上に塔身、その上に六重の笠石が重ねられた 石造塔(右の写真)があった。近くにあった説明標によると「石質は春日石(軟質の凝灰岩)で、風化破損が甚だしいが、 周辺に散乱した断片から、元の塔は二重基壇の上に建つ六角十三重塔と認められる。我が国現存の石造塔の中でも 時代が古く(奈良時代、基壇・塔身には蓮華文などの古式装飾が残っている)、形式手法も他に類齢のない貴重なもの」 とあった。


2020.5.5

緊急事態宣言延長

安倍首相は新型コロナウイルスの感染拡大に伴う緊急事態宣言を五月末まで延長するとした。ウイルスの封じ込めに 失敗した今、急ぐべきことは"ワクチンと治療薬の開発"である。世界各国の協力も大切と思う。政府の専門家会議は、 国民の生活を左右する重大な任務を担っているのだ、シッカリしてもらわなくては困る。

長期戦であることを思えば、学校は、十分な対策(校門で体温を測り、熱のある子は帰宅させる等、台湾の手法が参考になる。) をして再開したら良いと思う。それでも、発病することはあるだろうが"その都度最善の策を講ずる"・・・で良いと思う。

私は運動しないと体力も落ちるし気分も良くない。それで、せっせと散歩に行くし、買い物にも行く。"連休中は奈良公園には 行かない"と決めていたが、人影も少ないので、散歩に行った。ジョギングや自転車の人が少し増えたかな。

車で田舎・山間部へ出かけて行って、車を停めて歩く。先日、家から車で20分ほどで行ける誓多林へ行ったら、放棄された田んぼ が笹で覆われ、昔歩いた道は雑草・笹が生い茂り通れなくなっていたのには驚いた。田んぼで田植えをしている人は私と同年代 の様だ。この先、農地はどうなっていくのか心配である。

我が家のスズランは花盛りである。それで、吐山のスズラン群生地を観に行った。ところが、まだ芽が出たばかりで花は 皆無であった。田植えをしていた御夫妻が「今月の下旬頃が見頃です」と教えてくださった。

右の写真は、我が家の庭から摘んできて壺に挿したスズラン。


2020.4.30

若葉

早くも四月も終わり。緊急事態宣言は一ヶ月延長とのこと。国民は戸惑っています。

若葉の美しい季節になりましたね。東大寺大仏殿に行ってきました。拝観禁止で大仏殿の扉は閉まっていましたが、 普段は閉じられている中門があいており、中へ10m程入ることが出来ました。通常はとじられている正面唐破風 (からはふ)下の観相窓が開かれており、大仏尊像のお顔を拝することが出来た。南大門から大仏殿・中門方向の 写真を右に示します。南大門の壇上に鹿がのんびりと座っていました。観光客はちらほら程度でゆったりと散歩す ることが出来ました。

奈良市内のお店で"野蕗(本物)"を見つけたので、あるだけ(2.5kg)買い占めて、佃煮を作りました。これ美味しくて、 "暖かいごはん"と"野蕗の佃煮"さえあれば御馳走・御馳走。

おもひいづる ときはのやまの いはつつじ いはねばこそあれ こひしきものを
平貞文 (古今和歌集)



2020.4.23

テニス

私が行っているテニススクールは元正天皇陵に隣接しており、歴史的風致地区で建築規制も厳しく、 室外コートだけである。自然に恵まれた環境で、ウグイス、キジ、オオタカ、ホトトギス等々の野鳥 も拝観することが出来る。室外コートだけなので日焼けを気にする人には敬遠されるのかメンバーも 少ない。

21日13:30-15:00のテニススクールに行った。メンバーはコーチも入れて7人。メンバーには医師もいた。
22日11:00-12:30のテニススクールに行った。メンバーはコーチも入れて8人。
私達のコートの隣では、中学生がテニスをしていた。とても元気で、力一杯打ち合っている姿は見ていても 気持ち良い。小学校低学年と思われる子供達も、元気の良いコーチの声に励まされて、テニスをしていた。 学校が休みになって家に籠ってばかりではたまらないだろう。これはとても良いことだと思います。

ところで「"緊急事態宣言"下で、不謹慎ではないか・・・」と言われそうですが、今日の新聞を読むと "外出自粛が長引くことで、運動不足やメンタルヘルスへの影響が指摘されている。ジョギングや散歩をはじめ、 感染に気を付けながらの運動(屋外のテニス、ゴルフ)は認められている。"と書いてあった。

家の中にいる時間が長くなったので、少しでも部屋の中を明るくしょうと、庭のアケビ、モクレン、 シャクナゲ、オダマキ、サクラソウ等を切ってきて生けた。右の写真は一輪草、二輪草、ハルオコシ、舞鶴草、 イカリソウ草。


2020.4.20

好季節

寒くもなく、暑くもなく"好季節"になりました。19日、私は暖房器具をしまい、エアコンの掃除をしました。 久しぶりの掃除なのでフィルターにはゴミがいっぱい貯まっていました。家じゅうのエアコン5台の掃除を終えたら 疲れてしまった。ヤワイ身体になったものだ。

その後、散歩に出た。オヤと思った。外にいる人が多い。東大寺大仏殿裏、二月堂、若草山山麓と歩いて行った。 親子連れが結構多い。家に籠ってばかりいて子供が退屈してしまったからだろうか。若草山に登っている人もかなりいた。 でも、新型コロナウイルス(Covid-19)感染の危険を感じる様な"人の密度"では無い。ご安心ください。 春日大社の藤は咲き始めであった。我が家の藤は満開(右の写真)であるのに・・・。飛火野では鹿がせっせと草を食べていた。 観光客が少ないので"鹿せんべい"も貰えなくて腹が空いている様であった。春日大社一の鳥居を経て、興福寺へ行った。 興福寺は全ての建物の扉を閉めていた。拝殿の前の鰐口を叩く紐も外し、鉦も片づけてあった。 三条通は多くの商店がシャッターを下ろしていて"緊急事態宣言"の効果が出ていた。そういえば、私のピアノスクールも 5月6日まで休校となった。

20日 午後自宅を出て、東大寺大仏殿裏、二月堂、春日野園地、奈良国立博物館、興福寺、漢国神社、奈良女子大前を経て 自宅に帰った。歩数8500。人影は疎らであった。19日の人出は日曜日だったからだろう。来る連休には奈良公園には行かない ことにしょう。

たごのうらに そこさえにほふ ふぢなみを かざしてゆかむ みぬひとのため
柿本人麿 (拾遺和歌集)



2020.4.18

緊急事態宣言

4月7日、7都道府県に緊急事態宣言が出されると東大寺でも観光客は激変し、南大門前でも数人しかいなかった。 だが奈良のパチンコ店は大阪からの客で一杯というので困ったことだと思っていたら、4月17日に全国に緊急事 態宣言が出されて、奈良市内は人通りが一層少なくなった。パチンコ店はまだ開店しているが、駅前の店は ガラガラであった。人影の少なくなった公園を、私は散歩する。一日8000歩を目標にして・・・。街へ買い物 にも行く。愚妻は「あんたは感染しても良いかしれんが、私にうつるから人混みには行かないでほしい。あんたは 死んでも良いかしれんが、私はまだ死にたくない。」と言う。これには返す言葉が無い。

我が家から3000歩ほどで般若寺に行ける。般若寺は飛鳥時代に創建され、天平時代に平城京の鬼門を鎮護する寺となり、 般若経の学問寺として栄えた。境内には鎌倉時代の東大寺再建で活躍した宋人石工:伊行末(いぎょうまつ)の手になる 十三重石塔(右の写真:高さ12.6m)がある。基壇の上の塔身には顕教四方仏(東西南北に薬師、阿弥陀、釈迦、弥勒、の顕教4仏)が 彫刻されています。ついでに・・・興福寺の五重塔の初層の内部に設けられた須弥壇には、 東に薬師三尊像(月光菩薩・薬師如来・日光菩薩)、西に阿弥陀三尊像(勢至菩薩・阿弥陀如来・観音菩薩)、 南に釈迦三尊像(普賢菩薩・釈迦如来・文殊菩薩)、北に弥勒三尊像(大妙相菩薩・弥勒如来・法苑林菩薩) が安置されています・・・数年前公開された際に私は拝観させていただいた。
般若寺へ13日に行ったときは参拝客は私だけであった。16日にカメラを持って行ったら参拝客は3人であった。


2020.4.12

コロナウイルス対策

日本でも新型コロナウイルス(Covid-19)の感染が進み、"緊急事態宣言"が出された。これは オーバーシュート(爆発的な患者の増大)を出来るだけ緩やかにする為の方策である。爆発的な患者の増大が 起こると、医療崩壊(医療可能な患者数以上に患者数が増大)してしまうので、これを避けるための方策である。

5月6日迄にこの騒ぎが収まるわけでなく、感染者数がゆっくり増大していくことを期す。感染して治っていく人は 抗体が出来る。感染検査はほとんどしてないから、公表されている感染者数よりはるかに上回る人が感染し、治って 抗体を持っていくことが期待される。5月6日頃になると、抗体を持った人もかなりになることが期待できる。・・・で、 その頃、抗体検査を多くの人に行い、抗体を持った人から働いて貰う。国民の7割程度が抗体を持ったら、この騒ぎも 収束に向かうのではないかと思う。

問題は、それに耐えうる体力・財力があるかだと思う。このまま家に籠っていて、長い間耐え得るでしょうか?  世界中に広がっているだけに、発展途上国ではどうなるのでしょうか?

私は"優れた治療薬と感染を防ぐワクチン"の発明・開発が極めて重要だと思います。そしてそれは"出来る"と思います。 緊急に完成させなければなりません。"マスクの配布"などにお金を使うより、"優れた治療薬と感染を防ぐワクチンの 発明・開発"に人材・資金を注入すべきだと考えます。これこそ"緊急事項"です。

(追加:Good News) 4月13日16:24のBBC News によると Sarah Gilbert教授(a professor of vaccinology at Oxford University) は 「新型コロナウイルスのワクチンの臨床試験をまもなく開始する。その後、大量生産を開始し、9月には一般大衆に 使えるようになるだろう。」と語ったそうである。世界中で多くの研究・開発が行われていることと思います。 期待しましょう。


2020.4.10

メルケル独首相の演説

メルケル独首相は3月18日に「コロナウイルス対策について、国民に理解と協力を求める演説」(全文の日本語訳は https://www.mikako-deutschservice.com/post/ 参照)をしました。国民への正直で真摯な呼びかけは、多くの人 に感銘を与え、納得させるものでした。
その中に「世界中で懸命に研究が進められていますが、コロナウイルスに対する治療法もワクチンもまだありません。 この状況が続く限り、唯一できることは、ウイルスの拡散スピードを緩和し、数か月にわたって引き延ばす ことで時間を稼ぐことです。研究者がクスリとワクチンを開発するための時間です。また、発症した人が できる限りベストな条件で治療を受けられるようにするための時間でもあります。」という訴えがあります。 "クスリとワクチンを開発"の1日も早いことを!!!


2020.4.9

衣掛柳

猿沢池の東に美しい九重石塔が立っています。基壇の上の塔身には四方仏(東西南北に薬師、釈迦、阿弥陀、 弥勒の顕教4仏)が彫刻されています。その近くに"きぬかけ柳"の石碑があり、今は芽生えたばかりの新緑 の美しい柳があります。風にゆれる柳は、興福寺の五重塔を背景にして、ゆったりとした気分にしてくれます。 衣掛柳の由来は、帝の寵愛の衰えを悲しんだ采女が入水する際に衣を柳に掛けたことによるようで、猿沢池 の西には采女神社があります。

あおやぎの いとよりかくる はるしもをぞ みだれてはなは ほころびにける
紀貫之 (古今和歌集)



2020.4.5

飛鳥

久しぶり飛鳥を歩こうと、正午前、車で家を出た。長岳寺の近くに最近オーブンしたレストランで 昼食を摂ろうと入店した。案内されてテーブルに座って「シマッタ」と思った。ほぼ満席で混雑していた。 「一番早くできるのは何ですか」と尋ねたら「カレーライス」。それを注文し、早々に退散した。

石舞台では子供連れの人が多かったが、いつもよりは空いていた。次いで、甘樫丘へ行った。駐車場は 満車であったが、すぐ空いたのでラッキー。新緑の美しい散策路を登って行った。コバノミツバツツジ が美しく咲いていた。甘樫丘の山上展望台には散り始めた桜が何本もあった。展望台から撮った"畝傍山・二上山 方面"の写真を右に示す。

さくらちる このしたかぜは さむからで そらにしられぬ ゆきぞふりける
紀貫之 (拾遺和歌集)



2020.4.4

休みが続いていたピアノ教室も再開した。ただし「マスクを着用してきてください」とのことであった。 近くにある学習塾は開校し続けている。この学習塾は優秀な生徒が多いのか、皆さん待ち時間にも自習 している。学校が休みだというので遊んでいると、こんな生徒には"大差を付けれてしまう"と思う。

太陽の光も強くなり、我が家の庭にも様々な花が咲いている。蓮の植え替えも終了した。今年の春は "蜜蜂が少ない"様で、"梅、ゆすらうめ、ブルーベリーの実がならない"のではないかと気になる。 心配ばかりしていてもしょうがない。庭の花を摘んできて、花瓶に生け部屋を明るくした。

昼食後、散歩で、東大寺大仏殿裏、二月堂、若草山山麓、春日大社、興福寺、猿沢池と歩いた。歩数10298。 桜は満開であった。

みてのみや 人に語らむ 山桜 てごとにをりて いえづとにせむ
  素性法師 (古今和歌集)



2020.3.29

長期戦

政府の専門家会議は2月24日に「1,2週間が急速な拡大に進むか、収束できるかの瀬戸際」との 見解を公表した。安倍総理は、2月28日に「新型コロナウイルスの感染拡大防止の為にはここ 1,2週間が極めて重要な時期」と述べ「全国の小中高の臨時休校」を要請した。
政府の専門家会議は3月19日に「オーバーシュートを未然に防ぐこともありうるが、国内外の 現在の感染状況を考えれば、短期的収束は考えにくく長期戦を覚悟する必要がある」との見方を 示した。安倍総理は、3月28日に「この戦いは長期戦を覚悟していただく必要がある」と述べた。

「短期的な抑え込みは出来なくて、長期的な新型コロナウイルスとの付き合いが必要になった」と いうことだ。健康に気を付けて新型コロナウイルスに負けない身体を作るしかなさそうだ。

オーバーシュート(爆発的な患者の増大)を出来るだけ緩やかにするには"三つの条件(1.換気の悪い 密閉空間、 2.多くの人が密集、3.近距離での会話や発声)"が揃う場所や場面を予測し避ける行動を とることの様だ。しかし、これを数ヵ月間続けることは困難だろう。日常的に新型コロナウイルスと 付き合っていく生活になるだろう。ケセラセラ。

家に籠ってばかりでは、身体は弱るし、気もめげる。散歩で東大寺の桜を見に行き、継いで、佐保川 沿いの川路桜(幕末に活躍した奈良奉行川路聖謨が植えた樹齢170年のソメイヨシノ: 右の写真)を観 に行った。例年よりは見物人は少なかったが、結構賑わっていた。

わがやどの はなみがてらに くるひとは ちりなんのちぞ こひしかるべき
凡河内躬恒 (古今和歌集)



2020.3.23

“パンデミック”との闘い

2020年3月22日(日)午後9時00分〜10時05分に放映された「NHKスペシャル“パンデミック”との闘い〜 感染拡大は封じ込められるか〜」を拝観させていただいた。政府の専門家会議のメンバーでもある 東北大学大学院教授・押谷仁さんのお話はとても良かった。今回の新型コロナウイルスについて、 感染事例の分析から、感染拡大のメカニズムも徐々に分かってきている様で、感染拡大を食い止め ようと必死に頑張っていらっしゃる様子が、その誠実な説明と態度から拝察することが出来た。

"クラスター(患者集団)"が発生し、感染源のが分からない事例が増大すると、"オーバーシュート(爆発的な患者の増大)" が起こる様である。この番組を見て、私は "3月9日の専門家会が、三つの条件(1.換気の悪い密閉空間、 2.多くの人が密集、 3.近距離での会話や発声)が揃う場所や場面を予測し避ける行動を要請した。"ことを理解・納得することが出来た。

今回の新型コロナウイルスの問題は、社会的にも経済的にも多大な影響を及ぼすだけに、国民の理解と協力が必要である。 小中学校を一斉休校にする場合などには、為政者は国民に、丁寧で且つ分かり易い説明をして頂きたいと思います。
台湾の事例は、すばらしい1つのモデルであると思った。校門で生徒の熱を測り、熱があったら帰宅あるいは医務室に隔離。 一人感染したらそのクラスは閉鎖、感染者が二人になったら全校閉鎖。・・・良いやり方と思った。

再放送は 24(火)夜11:50〜[総合]の予定です。


2020.3.20

長女の来訪

認知症などの理由で判断能力が不十分な人を保護するため、契約や財産管理を代理で行う制度として「成人後見制度」 がある。成年後見制度には法定後見制度と任意後見制度がある。何もしないと法定後見制度が適用される。
愚妻は任意後見制度:"本人が契約の締結に必要な判断能力を有している間に、将来自己の判断能力が不十分になったとき 後見する人(任意後見人)を、自ら事前の契約によって決めておく制度(公正証書を作成)"を利用しようと決心し、 東京に住む長女に任意後見人になってもらうことにした。
長女は、3月19日に公証人役場で"愚妻と任意後見契約を結んで公正証書を作成"するため奈良に来た。 私も同席したが、30分程で終わった。米国に住む次女は「お父さんも任意後見契約をしたら」と言ったが、 「お父さんはボケない」と言って、この契約をしなかった。さあ、どうなるでしょう?

20日。彼岸の墓参りをし、昼食を摂った後、長女は帰って行った。長い列車旅行でコロナウイルスにやられないよう 祈念するばかりである。

快晴で暖かい午後、メダカのいる蓮鉢を掃除し、蓮の植え替えの準備をした。


いはそそぐ たるひのうへの さわらびの もえいづるはるに なりにけるかな
      志貴皇子 (古今和歌集)



2020.3.11

東日本大震災から9年

東日本大震災発生から9年たった。阪神淡路大震災の9年後には、神戸の街は復旧して震災の痕跡は殆ど観られない ようになっていた。一番の違いは福島で原発事故が発生したことだ。「原発には二重三重の安全対策がしてあって安全」 と宣伝していた東電が「想定外の事故」と言った。事故後9年経っても、メルトダウンした原子炉だけでなく、燃料プール にある使用済み核燃料さえ取り出せていない。安全性を考えると急がねばならないと思う。最近"貯まり続ける汚染水が 貯蔵タンクに満杯になりつつあるから海に流す"ことが言われつつあるが、私はこの9年間貯めれたのだから、貯蔵タンクを 10倍に増設して、100年間でも貯蔵し続けるべきと考えます。それが原発を利用してきた者の義務だと考えます。


ごくらくは はるけきほどと ききしかど つとめていたる ところなりけり
空也上人 (千載和歌集)



2020.3.8

神戸大学でのテニス

私は定年退職後も、神戸大学在職中にテニスをしていた仲間と、毎週土曜日の午後に、神戸大学のテニスコートで テニスを楽しんできた。しかし、近年ではその仲間も高齢になり、仲間の大半が退職者となった。テニスコートの 確保も難しくなり、ここ2-3年は、月2回になった。それで、相談して、この三月で終了とすることになり、3月8日 その最終回のテニス会をした。現職の若い人が後事をどうするか考えていかれるだろう。"楽しいテニス"には 仲間は重要である。良い仲間に巡り合えたことに感謝・感謝。

私にとって、今年の3月で退職後満15年である。"退職後15年間も元気でテニスを楽しむことが出来た"ことは本当に ありがたいことと感謝・感謝である。現在、私はテニススクールで週2回(1回は1時間30分)テニスをしている。最近は 2時間以上のプレイは後に応えるので、1時間30分のテニスは丁度である。健康のためのテニスなので、あまり 勝負にこだわらずのんびり楽しみたいと思っている。

右の写真は庭に咲いたユキワリイチゲ。


2020.2.29

新型コロナウイルス対策

政府専門家会議副座長である尾見茂氏との会見記事が毎日新聞の2月28日夕刊にあった。それによると、
1) 1月10日時点ですでに相当数の感染者が入国し、国内での感染が進行していた。
2) 2月3日に横浜に入港したクルーズ船の乗客のうち症状のでていなかった乗客を、2月19日公共交通機関で帰宅させたのは、 日本国内の状況はもはや「感染を封じ込める段階ではない」と判断したから。
3) 感染拡大のスピードを遅らせ、感染者数を減らし、重症化対策を進めることが必要。
と述べている。
この記事を読んで、最近の政府の対応が理解できた。小中高を2月2日から春休みまで休校にしたのは、 感染拡大 のスピードを遅らせるのに効果があるでしょう。ウイルス検査体制の貧弱さ・検査容量の少なさは感染者数(見か けの)を減らすでしょう。感染が疑われる場合に受診すべき医療機関を紹介していただける条件 「風邪の症状や37.5℃以上の発熱が4日以上続いている。強いだるさ(倦怠感)や息苦しさ(呼吸困難)がある。」 では、重症化してからになってしまう。
これまで数々の改ざんや隠蔽を指摘されてきた政権が、東京オリンピックを控えて「海外の目」を意識し、 正確なデータを出すまいとしていることが懸念される。専門家・科学者は正確なデータを大切にしなければならない。 正確なデータに基づいてこそ信頼される。


2020.2.24

長女の長男の来訪

上智大学で学ぶ長女の長男が"春休み"だというので奈良の我が家に来てくれた。21日の昼に"これから奈良に行く" との連絡があって、夕方に我が家に着いた。
22日は大阪で"会社説明会"があると昼食をすますと早々に出かけて行った。
我が家に来る目的の一つは自動車の運転練習である。免許証は取得したが日頃、自動車の運転をしていないので、 奈良で運転練習をするのである。
23日、私がテニススクールから帰って昼食を済ました後、まず鴻池運動場へ行き、 手始めに近くの住宅地を走行した。少し慣れた後、一般道路に出て浄瑠璃寺まで行き、Uターンして鴻池運動場まで 戻った。
24日、月ヶ瀬梅林へ観梅に行くことにした。愚妻を誘ったが「コロナウイルスによる肺炎にかからないよう家に居る」 と言った。長女の長男の運転で"我が家から月ヶ瀬梅林まで(約25km)"行った。月ヶ瀬の混雑地点では私が運転した。 ロマントピアに車を停め、売店で"お餅・生椎茸・蒟蒻"を買い、炭火囲炉裏で焼いて"みそだれ"を付けて食べた。 その後、梅林公園の周りを歩いた。梅は"三分咲き"で見頃であった。途中の売店で"干し芋と干し柿"を買った。 "干し芋"は昨年愚妻が買った店で「昨年も買いました。愚妻が美味しいと言っていたのでお土産です」と言ったら、 主人が「それなら、おまけをあげます。」と言ってくれた。帰りも月ヶ瀬の混雑地を過ぎてからは、長女の長男が 運転して奈良の我が家まで帰着した。長いブランクがあるにもかかわらず"運転は上手"であった。



2020.2.20

岩田健太郎さんの告発

神戸大学感染症内科の教授である岩田健太郎さんがクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」の現場を 訪れて、感染症対策の専門家としての意見をYouTubeに公開されました。それを拝見して、科学者として の立派な態度に感服しました。

YouTubeの画像は削除されましたが、多大な反響を呼び、多くのインタビューを受けていらっしゃる様である。 自身が感染している恐れもあるというので"テレビ会議"の様なシステムを使ってのものである。科学者として の立場で率直に語っていらっしゃる。観る者に感銘をあたて下さる。

こうした若い人が日本にいることを嬉しく思う。過労と心労で倒れないでくださいね。


阿耨多羅三藐三菩提の 仏達 わがたつそまに 冥加 あらせたまへ
伝教大師 (新古今)



2020.2.15

散歩

愚妻は「新型コロナウイルスによる肺炎にかかるといけないから人混みの中に入るな!」と言う。 私は「ここまで拡がったら、諦めて、体力で乗り切るしかない」と散歩に出た。奈良公園には 中国語を話す人も大勢いる。大半はマスクを着用している。私はマスクも無し。

二月堂前にはお水取りの松明用の竹が50本ほど並べてあった。法華堂、手向山神社、春日野、片岡へと 進んだ。奈良国立博物館で"特別展「毘沙門天―北方鎮護のカミ―」、特別陳列「お水取り」"を開催 していたので入館した。日本中から優れた毘沙門天像を集めて展示していたが、入館料1500円は高す ぎると思った。


あすからは わかなつませむ かたをかの あしたのはらは けふぞやくめる
柿本人麿 (拾遺和歌集)



2020.2.1

新型コロナウイルスによる肺炎

奈良公園は中国の春節前、中国からの旅行者が多く、混雑していた。"若い夫婦と子供・その両親"らしき人達 が目立ち、私は「春節を機に観光だな。中国人は親子の仲がいいな!」と、心あたたまる想いで眺めていた。 ところが、今日、散歩で奈良公園を歩いたら、中国人観光客の数が激減していた。そして、数少ない観光客 の大半がマスクを着用していた。この騒ぎ・・・早く収まるのを切望するばかりである。

某医院の扉に貼り紙があった。「新型コロナウイルスによる肺炎の恐れで診療・検査を希望して来院 された方は中に入らないでください。外のインターホンでお話ください。当院では診断・検査は致しません。 診断・検査できる病院をご紹介させていただきます。」と。 医院に行く前に電話して尋ねた方が良さそう。

手向山八幡宮では雅楽の奉納が行われていた(右の写真)。丸窓梅園の梅は見頃であった。


いにしとし ねこじにうゑし わがやどの わかきのむめは はなさきにけり
安倍広庭 (拾遺和歌集)
 


2020.1.25

若草山焼き

18:15から花火が打ち上げられ、春日大社の大とんどで採火された御神火を移した大かがり火から 松明に火を移して、18:30に点火されました。私の家の二階に上がると二月堂の燈明も見えるし、 花火・若草山焼きを観ることができます。花火の音を聞くと、カメラを持って二階に上がりました。 右の写真はその一枚。今年は、ススキも乾燥していたのか、とても良く燃えていました。


やかずとも くさはもえなむ かすがのを たたはるのひに まかせたらなむ
壬生忠見 (新古今和歌集 巻第一 春歌)



2020.1.23

梅の花

暖かい日差しの中、散歩に出かけた。二月堂から春日野園地を通り、丸窓梅園へ行った。数本の梅の木に 花が咲き始めていた(右の写真)。中国の春節が24日から始まる様で、奈良公園も中国からの観光客が一層 多くなっていた。


かをとめて たれをらざらむ むめのはな あやなしかすみ たちなかくしそ
凡河内躬恒 (拾遺和歌集)




2020.1.11

葵トリオ 生駒凱旋コンサート

東京に住む長女に勧められて"葵トリオ 生駒凱旋コンサート"に行った。葵トリオというのは 秋元孝介(ピアノ)、小川響子(ヴァイオリン)、伊東裕(チェロ)それぞれの頭文字AOIからとったそうだが、 それぞれ西宮高校、畝傍高校、奈良高校を出て、東京藝術大学で学び、第67回ミュンヘン国際音楽コンクール のピアノ三重奏部門で優勝(日本人団体として初の受賞)された。伊東裕さんが生駒出身だというので、 これを祝して"生駒凱旋コンサート"が企画されたとのことであった。

14:00開演であったが、私と愚妻は13:10に会場に着いた。少し時間があるので、すぐ近くにある長弓寺(聖武天皇 発願により行基が建立)を訪れた。コンサートは三人の紹介後、エルガーの愛の挨拶、ラフマニノフの前奏曲op.3-2 鐘、サン二サーンスの白鳥、サラサーテのツィゴイネルワイゼン、ベートーヴェンのピアノ三重奏曲第一番op.1-1 第一楽章と第四楽章、メンデルスゾーンのピアノ三重奏曲第二番op.66全楽章が演奏された。若い三人の迫力ある 演奏を楽しむことが出来た。





2020.1.3

ラッキー

恒例で、1月2日には故郷の岐阜県関市に行く。一週間前に天気予報を見て天気は良さそうなので、その帰路で チョット寄り道をして、榊原温泉の湯本榊原館に一泊する事を計画した。電話して尋ねたら「1月4日まで満室です」 とのことであった。キャンセルによる空き室を期待して、数回電話したが同じ返事であった。1月1日にダメ元で 電話したら「キャンセルがありましたので宿泊いただけます」とのことであった。ラッキー・ラッキー!

愚妻も「同行する」と言った。1月2日8:00に家を出て、11:00に家を継いでくれた次弟宅に着いた。弟が94才の母の 面倒をみていてくれる。時々、次弟にさえ「あなたはどなたですか?と聞くそうだが、私も愚妻も正しく認識して くれた。仏前で経をあげた後、次弟と共に妹の家に行った。次弟宅に戻って昼食を御馳走になった後、次弟とその 娘と一緒に墓参りに行った。その後、次弟に別れを告げ、叔父(亡母の弟)宅へ行った。「昨年のお盆に会えなかっ たから、この機会に会っておかないと・・・」と言ったら、叔父は「ウン、よく来てくれた。儂は昨日、米寿に なった・・・」と。幼い日の思い出話を暫しして・・・別れを告げ、母の生家である美濃市の従弟の家へ行った。 従妹も来ていた。先を急いで、母の墓参りに行った。

15:00美濃ICより東海北陸自動車道に入り、17:00湯本榊原館に着いた。「殆どの方がチェックインがおすみで、 今からだと夕食は19:30からになります。朝食は7:00からか9:00からしか空いていません。」と言われた。」と 入浴を済ませて部屋で待っていると、19:00に電話があり、「テーブルが空きましたから、今からどうぞ!」と。 食後、再度温泉に入り、22:00就床。

1月3日7:00起床。ゆったりと温泉に入り、9:00朝食。迎春お祝い膳というので"おせち料理と雑煮"であった。 湯本榊原館は数回目であるが"温泉の湯が良い・料理は質の良い物を少な目で美味しい"ので気に入っている。 今回も期待通りで満足・満足。10:00チェックアウト。伊賀街道(国道163)を経て中瀬ICから名阪国道に入り、 山添ICより県道80を経て14:30奈良の自宅に帰着した。途中、山添村北野にある鎌倉期の磨崖仏"法楽地蔵" を拝観させていただいた。さらに、鍋倉渓の駐車場(450m)に車を停め、神野山(618m)山頂の展望台まで登り 湯本榊原館で夕食の釜めしの残りで作って頂いたおにぎりを食べた。  


2020.1.1

2020年元旦

新年おめでとうございます。皆様のご多幸をお祈り申し上げます。今年もよろしくお願いします。

愚妻と私の二人だけの正月。お雑煮(大根・里芋を入れて炊いた白味噌汁に焼き餅を入れる)を頂いた後、 10:30初詣に出た。漢国神社(かんごうじんじゃ、593年創建)、興福寺南円堂、春日大社、手向山神社と参拝し、 12:30東大寺法華堂前の茶屋できつねうどんとぜんざいを食べた。次いで、東大寺二月堂、東大寺大仏殿 に参拝し、大仏殿で絵馬をいただいて15:00帰宅した。歩数13,372で結構疲れた。

右の写真は恒例の我が家の床の間。花器は法隆寺の古材。花はHK流。掛け軸は佐伯定胤(法隆寺103世管主) による書"雲興我無心"。

私は現在78.3歳ですが、お陰様で、現在なんの薬を飲むことも無く、元気に過ごさせていただいております。 2019.1.24に痛めた右腕の痛みも昨年末には無くなりました。しかし、歳相応に老化していて、畳の上に座る と手で身体を支えないと立ち上がれませんし、スタコラ走ることも出来ません。でも、嬉しいことに、まだ テニスをすることが出来、週2回テニススクールで楽しんでいます。さあ、これも、いつダメになるかもしれ ませんが、出来るだけ、この幸せの状態が続くことを祈っております。




2019.12.25

我が家の太陽光発電

福島の原発事故を契機に我が家では太陽光発電装置を導入した。設置してから5年間のデータは 2016.5.19のブログに記載した。その性能に満足したので、我が家で使う電力の全てを太陽光発電で まかなおうと、2016年9月に太陽光発電装置を増設した。その後2年間のデータは2018.12.26のブログに 記載した。その後の一年間のデータを加えて結果を記載する。



月別太陽光発電量を図1に、月別電力消費量を図2に示す。この1年間の総太陽光発電量は6519kWh(昨年は6597kWh, 1昨年は6602kWh)であった。総電力消費量は7585kWh(昨年は7919kWh,1昨年は6976kWh)であった。 我が家はオール電化で、冷暖房・調理・風呂・家電・照明全て電気である。全電力消費量を太陽光発電でまかなう という目的は達せられなかったが、まずまずである。

太陽光発電量の内、発電中に我が家で消費する電力は太陽光発電の電力を使用する。その量を図3に示す。 残りを関電に売る。月別の関電に売った電力の料金を図4に示す。発電中でも足りない部分・夜間の使用 電力は関電から買う。月別の関電に支払った料金を図5に示す。2017年10月から2018年9月までの1年間に 関電に売った電力の料金は229,776円、関電から買った電力の料金は134,274円であった。 固定価格買取制度の契約は10年間であるので、あと1年。その後は安くなるので、初期投資の回収は少し むつかいしい?

"福島原発の汚染水を海に流す"などと言っているがとんでもない。"10年間で汚染水貯蔵タンクが満杯になる"と 言っているが「100年でも、200年でも貯蔵タンクを増設して貯めていかなければならない」と思う。 太陽光発電は原子力発電より安全であり且つコスト面でも優っていると思う。


2019.12.5

奈良で再会

京大理学部量子化学研究室の先輩Yさん夫妻と同級生のT君とは2018.4.16に福井県の文殊山に行ったが、 その後久しく会っていなかった。久しぶりに「何処かへ行こう」ということになったが「体力も衰えて きて山登りはキツイ」ということで「奈良で再会」ということになった。

11:00に近鉄奈良駅に集合。愚妻は「足が痛い」ので不参加。Yさん夫妻、T君と私の4人で奈良公園を 散策することにした。私が毎週2,3回歩く散歩路である。先ず、興福寺境内を散策し、興福寺宝物殿に 入館した。YさんもT君も耳が遠くなっているので少し大きな声で話していたら、係員に注意された。 拝観を終えて外に出たら、T君が「奈良は小学校の遠足以来や、猿沢の池が近くにあるようだから行き たい」と言った。52段の階段を下りて見物に行った。T君は「なんや、こんな小さかったのか」と。
近くのうどん屋で昼食を摂った後、春日大社一の鳥居を経て、参道を進むと"春日大社若宮おん祭り" の準備が進行中であり、"御旅所"では"神殿"の骨格が出来上がっていた。飛火野、東大寺南大門、大仏殿東、 講堂址を経て、正倉院正倉(右の写真)へ行った。その後、転害門、聖武天皇陵を経て、我が家に来て いただいた。18:00近鉄奈良駅で別れた。楽しい一日であった。


2019.11.20

温泉と蟹

今年も蟹の季節になった。鳥取県の岩井温泉の宿が気に入っている。車で行くので、雪の降る前に 行かねばならない。私は、通常、天気予報を見てから、直前に予約するが、蟹の季節には直前予約が 困難になって来たので、一ヶ月ほど前に予約した。11月18日の鳥取の天気予報は「午後から雨」、 ガッカリしながら出かけて行った。10:30に家を出て、14:30鳥取城近くの駐車場に着いた。
前回果たせなかった標高263mの鳥取城久松山頂に登る目的があったからである。今にも雨が降りそうな雰囲気で あったが、小雨なら大丈夫と傘を杖代わりにして、山頂目指して登り始めた。登り口の標高は40mなので 標高差220mを登る急登な道である。五合目て眺望良好となり鳥取の街が一望できた・・・が、その頃から 雨が降り出した。何度か、引き返そうかと思ったが、我慢して15:10山上の丸 天守櫓跡(右の写真)に辿り 着いた。しかし、雨で下界の眺望は無かった。雨で滑りやすくなった登山路を用心して下り、16:00無事出発点に 帰着した。

17:00岩井温泉の宿に着いた。早速、温泉に入った。この宿の温泉はすばらしい。お湯が浴槽の下から湧いてくるし、 洗い場の湯も源泉である。湯殿の雰囲気も良い。18:00から夕食。松葉蟹づくしコースを堪能させて頂いた。 何といっても"蟹が良い"と思う。ただ"量が少し多すぎる"と思った。次回には"量を少し"とお願いしょうと思った。 私の年齢になると"少なめ"が良い。
11月19日7:00起床。温泉に入った後、8:00朝食。9:30チェックアウト。「今回で8回目のご宿泊です」と 言われた。とても良い宿で、大満足。
11:00但馬高原植物園に到着。小雨の但馬高原植物園を散策。12:00出発、昼食は無し。15:30奈良の自宅に無事帰着した。 奈良は快晴。


2019.11.16

小学校の同窓会

11月15日小学校の同窓会が、岐阜県関市倉知で開催された。私の通った倉知小学校は、当時1学年1クラスで、 農家の子弟が大半の小学校であった。同級生は45?名で 6年間同じ仲間で 互いに影響を受けて 学び遊んだ。 それで、とても懐かしく、電話連絡を受け、喜んで参加させていただいた。7:30に車で家を出て、11:00に 会場に着いた。11:30から開始ということだったので、幹事にことわって、弟の家へ行き、その後墓参りをして、 11:25会場に着いた。懐かしい同級生が揃っていた。21名の参加者であった。懐かしい顔が見えない。物故者が 15名とのことであった。なんと、三分の一が亡くなってしまった。

私は前日から歯が痛んでいて"同窓会参加を中止にしようかな"と迷ったが、懐かしい面々に遭いたいと、痛さを こらえて出かけて行った。歯医者さんには 18:00に診療予約をして・・・。
最近他界した人達に遭えなかったのはつらかったが、懐かしい同級生と会えたのは嬉しかった。私は歯が痛むので "なんとしても診療予約時間には奈良に帰着しなければならない"。不慮の渋滞を考えて、14:00前に、皆に別れを告げた。 「どうか どうか 皆さん お元気でいてください」と祈りながら・・・。


2019.11.14

テニス合宿 熊野路

神戸のテニス仲間と11月12日10:00に奈良県桜井駅に集合した。車で飛鳥、五條を経て道の駅"吉野路大塔"で 休憩した。13:00道の駅"十津川郷"で昼食、ザル蕎麦を食べた。美味しかった。14:00熊野本宮大社に参拝。その後、 明治22年の大水害まで熊野本宮大社のあった旧社地"大斎原(おおゆのはら)"へ行った。"大斎原"は熊野川・音無川 の合流点の中洲にある。熊野川の川原は広大で美しい。その川原で石を拾い、熊野川で手を洗い、身を清めた。 そして"大斎原"に参拝した。宿舎のグリーンランド高田 雲取温泉に着いたら17:00であった。薄暗くなっていたので テニスコートの予約をキャンセル。温泉につかってから夕食。宿舎のレストランは休みであったので、温泉の喫茶店で 夕食。トンカツ定食を食べた。21:00再度入浴。露天風呂から美しい満月を観ることが出来た。22:00就床。

13日 6:30起床。温泉に入った後、8:00持参したパンで朝食。少しテニスをして9:45熊野速玉大社へ行った。 熊野速玉大社の境内にはナギの大木があった。11:00熊野那智大社と隣接する那智山青岸渡寺に参拝した。 その後、那智大滝 飛龍神社に参拝し、13:00道の駅"くしもと橋杭岩"で昼食。"すさみIC"より、近畿道紀勢線、 阪和道、京奈和道を経て19:00奈良に着いた。熊野三山を巡る"楽しい旅"であった。


2019.11.07

柚子ジャム

徳島県出身のテニス仲間から、今年も沢山の柚子を頂いた。今年は不作だったと言いながら沢山送って下さった。 包丁を研いで、早速"柚子ジャム"を作った。作り方は2015.11.10のブログに記載したが、私はそれを見る 必要もない。4kgの柚子と1.5kgのグラニュー糖から右の写真に示すだけのジャムが出来た。一ヶ月に一瓶ずつ。 一年間、毎朝トーストに付けていただくことが出来る。



   智慧の相者は我を見て    蒲原有明(1876-1952)

   智慧の相者は我を見て今日し語らく、
   汝が眉目(まみ)ぞこは兆(さが)悪しく日曇(ひなぐも)る 、
   心弱くも人を恋ふおもひの空の
   雲、疾風(はやち)、襲はぬさきに遁れよと。

   噫遁れよと、なをやける君がほとりを、
   緑牧、草野の原のうねりより
   なほ柔かき黒髪のわがねの波を、−−
   こを如何に君は聞き判(わ)き給ふらむ。

   眼をし閉れば打続く沙(いさご)のはてを
   黄昏(たそがれ)に項垂(うなだ)れてゆくもののかげ、
   飢えてさまよふ獣かととがめたまはめ、

    その影ぞ君を遁れてゆける身の
    乾ける旅に一色の物憂き姿、−−
   よしさらば、香の渦輸、彩(あや)の嵐に。

 


2019.11.3

南円堂と法相六祖像

興福寺の「北円堂と南円堂の同時特別公開」に関連する講演会が11月3日と4日に興福寺境内にある 興福寺会館で開催される。11月3日13時から「南円堂と法相六祖像」というテーマで小野佳代(東海学園大学准教授) さんによる公演があった。私は "シェフズキッチン"で川田祐樹(フレンチ)氏と星山英治(イタリアン)氏の コラボレーションによるランチ(2000円)を食べた後、興福寺会館に行き、講演「南円堂と法相六祖像」を拝聴した。

南円堂は813年に藤原冬嗣が父の冥福を祈って建てた八角円堂であるが、1180年平重衡による南都焼討で焼失した。 1189年に再建され、焼失した法相六祖坐像、四天王立像、法相六祖坐像も康慶一門により製作された。 不空羂索観音菩薩坐像は以前の像を再現するように作られたが、四天王立像、法相六祖坐像は鎌倉時代を反映する 力強い作造で、法相六祖坐像は不空羂索観音菩薩にお祈りする姿で作られているとのことであった。 その後二度南円堂は火災に遭っているが、本尊不空羂索観音菩薩坐像、四天王立像、法相六祖坐像すべてが、 鎌倉期のものであるとのことであった。


2019.10.26

シェフフェスタと正倉院展

奈良国立博物館の西・興福寺の東にある広場で“シェフェスタ:奈良の食材を使ったシェフによる料理の祭典” が10月26日から11月4日迄開催される。有名シェフが本格料理でもてなす"シェフズキッチン"、 旬の野菜や加工品に出会える"マルシェ"、石窯を使った焼きたて"ピッツァ"、 カフェメニューや手作りのお弁当が並ぶ"シェフェスタカフェ"、本格レストランや飲食店の料理がリーズナブル に楽しめる"シェフェスタ屋台"等がある。今回が11回目だそうだが、私は昨年 "シェフズキッチン"で食べた料理が 美味しかったので、早速出かけて行った。"シェフズキッチン"の料理はキッチンカーで、シェフは日替わりで それぞれ異なった料理を提供する。今日の料理はそれほど美味しくなくて、私は少しがっかりした。

「第71回正倉院展」が奈良国立博物館で10月26日から11月14日迄開催される。私は、“シェフェスタ”で食事をした後、 奈良国立博物館の方へ歩いて行った。正倉院展が混んでいなかったら入館させて頂こうと思って・・・、ところが ・・・なんと・・・ガラガラ・・・30人程が並んでいるだけであった。"しめた"と思い入館した。 今回は41件(初出展4件)の宝物が出品してあった。衲御礼履(のうのごらいり)、紫檀金鈿柄香炉(したんきんでんのえごうろ)、 全6扇が並んだ「鳥毛立女屏風(とりげりつじょのびょうぶ)」、七條刺納樹皮色袈裟(しちじょうしのうじゅひしょくのけさ)、 赤漆文欟木御厨子(せきしつぶんかんぼくのおんずし)、紅牙撥鏤尺(こうげばちるのしゃく)・緑牙撥鏤尺(りょくげばちるのしゃく)、 藤原公真跡屏風帳(ふじわらこうしんせきびょうぶちょう)、礼服御冠残欠(らいふくおんかんむりざんけつ)、 金銀平文琴(きんぎんひょうもんきん)、金銀花盤(きんぎんのかばん)、粉地彩絵八角几(ふんじさいえのはっかくき)、 赤漆文欟木御厨子(せきしつぶんかんぼくのおんずし)、螺鈿箱(らでんのはこ) など正倉院宝物の成り立ちと伝来に関わる宝物や、宝庫を代表する宝物を拝観することが出来た。 展示に工夫がされており、楽しむことが出来た。
今年は東京国立博物館でも、10月14日から11月24日迄御即位記念特別展「正倉院の世界」が開催される。このためか、 奈良国立博物館での「第71回正倉院展」は、例年と比べて空いていてゆったりと観覧できた。


2019.10.17

南円堂 大般若経転読会

興福寺 南円堂は西国三十三所観音霊場第9番札所ですが、毎年10月17日に大般若経転読会が厳修されます。 年に一度の開扉(9:00-17:00)が行われ、13:00から約一時間の法要が行われます。私は、昼食後、出かけて 行った。正面の扉が開けられ、法要が行われていた(右の写真)。法要後、正面の扉は閉められ、北面の扉が 開けられ、南円堂の内部に入れていただいた。本尊不空羂索観音菩薩坐像、四天王立像、法相六祖坐像(全て国宝) が祀られていて、凄いと思った。

南円堂の開扉は通常10月17日だけであるが、今年は10月17日から11月10日まで、北円堂と南円堂が特別開扉されます。 北円堂には、本尊弥勒如来坐像、無著(むじゃく)・世親(せしん)立像、四天王立像(全て国宝)が祀られて います。

北円堂の拝観は後日にして、私は東大寺に行き、久しぶりに戒壇堂に行き、四天王立像(全て国宝)を拝観させていただいた。 その後、豆腐屋さんに寄って、厚揚げ、揚げ出し、木綿、絹こし豆腐を買って帰宅した。


2019.10.6

神無月

      ああ大和(やまと)にしあらましかば   薄田泣菫(1877-1945)

   ああ、大和にしあらましかば
   いま神無月、
   うは葉散り透(す)く神無備(かみなび)の森の小路(こみち)を、
   あかつき露(づゆ)に髪ぬれて、往(ゆ)きこそかよへ、
   斑鳩(いかるが)へ。平群(へぐり)のおほ野、高草(たかくさ)の
   黄金(こがね)の海とゆらゆる日、
   塵居(ちりい)の窓のうは白(じら)み、日ざしの淡(あは)に、
   いにし世(よ)の珍(うづ)の御経(みきやう)の黄金(こがね)文字、
   百済緒琴(くだらをごと)に、斎(いは)ひ瓶(べ)に、彩畫(だみえ)の壁に
   見ぞ恍(ほ)くる柱がくれのただずまひ。
   常花(とこばな)かざす藝(げい)の宮、斎殿深(いみどのふか)に
   焚(た)きくゆる香ぞ、さながらの八鹽折(やしほをり)
   美酒(うまき)の甕(みか)のまよはしに、
   さこそは酔(え)はめ。

   新墾路(にひぼりみち)の切畑(きりばた)に
   赤ら橘(たちばな)葉がくれに、ほのめく日なか
   そことも知らぬ静歌(しづうた)の美(うま)し音色(ねいろ)に、
   目移(めうつ)しの、ふとこそ見まし、黄鶲(きびたき)の
   あり樹(き)の枝に、矮人(ちひさご)の楽人(あそびを)めきし
   戯(ざ)ればみを。尾羽身(おばみ)がろさのともすれば、
   葉(は)の漂(ただよ)ひとひるがへり、
   ?(ませ)に、木(こ)の間(ま)に、――これやまた野の法子児(ほうしご)の
   化(け)のものか、夕寺深(ゆうでらふか)に聲(こわ)ぶりの
   読経(どきょう)や、――今か、静(しづ)こころ、
   そぞろありきの在(あ)り人の
   魂(たましひ)にしも沁(し)み入らめ。

   日は木(こ)がくれて、諸(もろ)とびら
   ゆるにきしめく夢殿の夕庭寒(ゆうにはさむ)に、
   そそ走(ばし)りゆく乾反葉(ひそりば)の
   白膠木(ぬるで)、榎(え)、棟(あふち)、名こそあれ、葉廣菩提樹(はびろぼだいじゅ)
   道(みち)ゆきのさざめき、音(そら)に聞きほくる
   石廻廊(いしわたどの)のたたずまひ、振りさけ見れば、
   高塔(あららぎ)や、九輪の錆(さび)に入日(いりひ)かげ、
   花に照り添ふ夕(ゆふ)ながめ、
   さながら緇衣(しえ)の裾(すそ)ながに地に曳(ひ)きはへし
   そのかみの学生(がくじやう)めきし浮歩(うけあゆ)み――
   ああ大和にしあらましかば
   今日神無月(けふかみなづき)、日のゆふべ、
   聖(ひじり)ごころの暫(しば)しをも、
   知らましを、身に。

十月(神無月)になっても暑い日が続いていましたが、漸く涼しくなって外を歩くのも快適になってきました。 昨日、私は東大寺、春日大社を通って、新薬師寺わきにある"入江泰吉記念奈良市写真美術館"に行きました。 開催中の"入江泰吉記「ほとけさま」展"を拝観させててただくためである。約30点ほどの仏像写真が展示し てあった。私は大変驚き感動した。どの仏像も、何度も拝観している仏像なのだけど、写真でこんなにも 表現できるのかと・・・いや、写真だからこその焦点を絞った"ほとけさま"・・・に驚き感動した。
帰りに新薬師寺に立ち寄った。新薬師寺の本堂は良い。その天井の無い本堂内の円形の土壇の中心に薬師如来 坐像、その周りに十二神将立像が護衛していらっしゃる。写真も良かったが、お堂内で拝観するのはまた格別 であった。

気候も良くなってきました。飛鳥、斑鳩、西ノ京、古都奈良を是非とも訪れてください。



2019.9.29

秋のサシバ探鳥会

鷹の一種であるサシバは、春に東南アジアから日本に飛来・繁殖し、秋に東南アジアへ渡って行く。秋の渡りの 時には、大きな群れを作るので"サシバの渡り"として知られている。日本野鳥の会奈良支部の"秋のサシバ五條市探鳥会"が 9月29日五條市5万人の森公園で開催された。
私は"秋のサシバ五條市探鳥会"に参加させて頂こうと思い、一週間程前から天気予報を眺めていた。9月29日の天気予報は "雨"で、前日の雨雲レーダーの予想でも「奈良・東海地方共"雨"」であった。それで前夜、「29日は休もう」と思い就床した。 29日7:00起きてみると、青空が見え、太陽が輝いていた。私は「集合時間8:30には間に合わないが、9:00頃には着ける。 参加しよう」と決心し、愛用の双眼鏡、観測用の椅子、お茶を用意し、8:00に家を出た。京奈和道が出来て五條市には 奈良から短時間で行けるようになった。9:00五條市5万人の森公園に着いた。30名程の参加者がブロミナー・双眼鏡で空を 眺め「鷹柱だ。15,16,・・・23羽」と叫んでいらっしゃった。私は車から"双眼鏡、椅子"を取り出し、仲間に入れて頂いた。

担当幹事が「今までにサシバ150羽程が通過しました。今日は期待して良いですよ」とおっしゃった。そう、その通り! 次々とやって来た。沢山のサシバが上昇気流に乗って竜巻状に旋回上昇する"鷹柱"を何度も観測・観察することが できた。途中、サシバと並んで黒くて翼の長い大型の鷹が現れた。私は「イヌワシ」と叫んだ。その後、私は「こんな所に イヌワシがいるのか」と不安になった。その道のベテランに確かめると「イヌワシです」と言われた。 一人で観測すると気が付かない場合もあるが、多人数で観測すると”目が沢山ある”だけに、見逃しが少なくなる。 皆でワイワイ言いながら観測するのも楽しい。14:00探鳥会は終了。通過したサシバ”1000羽越え”の探鳥会であった。
「あのサシバが種々の困難を乗り越え、東南アジアまでの長い旅するんだ」と思うと、群れを作って気流の流れを察知しながら 飛翔するサシバに感動する。サシバの渡りにロマンを感じる。

私は"五條市5万人の森公園"でのサシバ探鳥会に初めて参加させて頂いた。公園の広場は眺望良好で、樹木が適当な大きさで 樹下の日陰は絶好の観測場所となり、広々としていて気持ちよかった。更に、公園内にはカフェレストラン、農産物直売所、 トイレ、広い駐車場があった。こんなに良い場所を見つけて下さった方に感謝・感謝である。


2019.9.28

白山白川郷ホワイトロード・天生自然公園

一週間前に天気予報を見て、26日の宿を白山麓の中宮温泉"にしやま旅館"、27日の宿を白川郷の平瀬温泉"藤助の湯ふじや" に予約した。天気予報が外れることもあるが幸い的中して26日は快晴。9:30に家を出て、12:00に越前大野に着いた。大野城 の麓にある駐車場に車を置き、近くの店で"おろしそば"を食べた後、山上にある大野城天守閣(標高249m)まで登って 行った(標高差 約100m)。その後、七軒通りをぶらつき、伊藤順和堂で"いもきんつば"を買った。これ絶品!
16:30"にしやま旅館"に着いた。早速、温泉に入った。ひなびた湯治宿という感じで、湯はふんだんでかけ流し、浴場の 雰囲気もとても良かった。宿から50m程上流へ行くと"露天風呂"があった。夕食も、朝食も豪華ではないが心尽くしの 美味しいものであった。宿の主人も、お手伝いさんも純朴・誠実な方であった。それに料金は格安、再度訪れたいと 思った。私はこの宿で、5回温泉につかった。

27日7:00起床。9:00チェックアウト。宿を出たらすぐに"白山白川郷ホワイトロード(旧称 白山スーパー林道)"入り口である。 眺望の良い所々で車を停め散策した。白山展望台から見た白山方向の写真を右に示す。一番奥が白山です。途中の三方岩駐車場 (標高1450m)から三方岩岳(標高1736m)への登山が推奨されていたが断念し、白川郷馬狩料金所を出て天生峠(標高1290m)へ行った。 天生峠は、私の父が生前「次は天生峠へ連れていってくれ」と言っていた場所であるが、私はそれを果たすことが出来なかった。 で、私は天生峠へ行く機会を伺っていた。12:30天生峠駐車場に着いた。岐阜県立"天生自然公園"入り口に係員がいらっしゃった。 私は「食べ物は売ってないんですか」と尋ねた。「とんでもない」との返事。やむを得ず、所持していた"いもきんつば"・ スナック菓子・お茶で昼食を済ませた。

その後、ブナの茂る登山路を歩いて行った。所々にブリキの空缶がぶら下げてあった。それを"熊よけ"のため叩いて進んだ。 約40分で天生湿原(標高1400m)に着いた。エゾリンドウの花盛りであった。右にシラヒゲソウの写真を示す。 東回りの木道を進み、カラ谷分岐(標高1360m)から西回りの木道に入り天生湿原を一周した。15:00天生峠駐車場に帰着した。

16:00平瀬温泉"藤助の湯ふじや"に到着。私は中学二年生の時、隣家の先輩(一年年上)に誘われて、白山登山をした。その時は 平瀬温泉のバス停から大白川露天風呂まで歩いてテントを張った。今ではそこまで立派な車道が出来ている。平瀬温泉は その想い出の場所である。早速、温泉に入り、18:00夕食。優れた料理人が腕をふるった料理で美味しかった。
"藤助の湯ふじや"は古民家造りの瀟洒な宿で、"にしやま旅館"のひなびた質素な宿とは対照的で、料金も約2倍。 両宿とも"日本秘湯を守る宿"で、加水・加温・循環を行っていない源泉かけ流しの温泉であった。

28日7:00起床。9:30チェックアウト。帰宅の日である。途中、白川郷の代表的な切妻合掌造り家屋である旧遠山家住宅前を 通ったので、見学させて頂いた。国指定重要文化財 旧遠山家民俗館として、整備・展示してあり、大家族時代のビデオが 興味深かった。10:30ひるがの高原に到着。湿原植物園を見学した後、隣の"たかすファーマーズ"で牛乳・チーズ・ヨーグルト ・ケーキを買い昼食とした。12:30ひるがの高原を出発。高鷲ICから高速道路に入り、東名阪国道を経て16:30奈良の自宅に 帰着した。


2019.9.21

大柳生

少し涼しくなったので久しぶりに田舎道を歩きたくなって出かけて行った。忍辱山円成寺前の茶店で昼食を 済ませてから、大柳生の夜支布(やきふ)山口神社へ行き、車を停めて、上出阿弥陀磨崖仏の方へ田舎道を 歩いて行った。娘達が小学生だった頃、奈良からこの辺りまで何度か歩いてきたが、最近は放棄された 農地が増えて農道が笹や雑草で覆われる様になってしまった。僅かに残る農道は車も通らず、私は散策する のが好きだ。秋の草花が所々に咲いている。右の写真は仙人草の花である。高貴な美しい花で私は好きである。



   散歩    与謝野鉄幹(1873-1935)

   路を行き、路を行き、
   路を行きて句を案ず。
   ひと足、またひと足、
   わが靴は韻を踏めり。
   おお、かへり來しよ、
   わが少年の日の癖。

   ・・・


2019.9.15

吉野川河口

日本野鳥の会奈良支部の日帰りバスツアー"徳島県吉野川河口シギ・チドリ探鳥会"に参加した。 7:45に集合場所の近鉄奈良駅前に行った。担当幹事と数人の参加者がおられた。8:00に出発。 参加者は27名。私は古参だが、久しぶりの参加なので顔見知りは三割程度。その顔見知りも "随分年寄りになったなあ"というのが私の感想。むこうさんも私の顔を見て同じ様に思って おられることだろう。阪神高速湾岸線を経て、淡路SAで休憩、「あわじ花さじき」に 立ち寄り、ついで千畳敷展望台に行こうとしたが混雑していたので割愛、バスの中で昼食。

13:00に吉野川河口(右の写真)に着いた。私は川幅が広い(2km?)のに驚いた。バスを降り探鳥会 開始。32℃はあるというカンカン照りのもと、木陰ひとつ無い堤防を歩いた。風が吹いていたの で干上がらずに済んだ。メダイチドリの群れが暑さを忘れさせてくれた。広々とした美しい景色 は清々しい気分にしてくれた。

15:30バスに乗り帰路についた。淡路SAで休憩後、阪神高速北神戸線、中国自動車道を経て18:30 近鉄奈良駅前に帰着した。お世話をしてくださった担当幹事とバスの運転手さんに感謝して帰宅した。


2019.9.13

おしめり

しばらく残暑の厳しい晴天の日が続いていたが、奈良では昨夜から雨が降りだし今朝もしとしとと 雨が降っている。このような日は、私が生まれ育った田舎では"お湿り祝"であった。村の幹事が 神社で太鼓を叩いて合図すると、各戸の長が神社に集まり"恵みの雨"に感謝した。そして、その日は 村中の者が外での農作業は休んだ。働き者の美濃の叔父などは、家の中で藁仕事をしていた。
美濃の従兄に電話して尋ねたら「農家が少なくなって、"お湿り祝"は無くなった」とのことであった。



   初恋    島崎藤村(1872-1943)

   まだあげ初めし前髪の
   林檎のもとに見えしとき
   前にさしたる花櫛の
   花ある君と思ひけり

   やさしく白き手をのべて
   林檎をわれにあたへしは
   薄紅(うすくれない)の秋の実に
   人こひ初めしはじめなり

   わがこころなきためいきの
   その髪の毛にかかるとき
   たのしき恋の盃(さかづき)を
   君が情(なさけ)に酌みしかな

   林檎畑の樹(こ)の下(した)に
   おのづからなる細道は
   誰が踏みそめしかたみぞと
   問ひたまふこそこひしけれ




2019.9.4

78才の誕生日

私は今日が78才の誕生日です。特に感慨は有りませんが、78才まで元気に生きてこられたことは、大変 有難いことだと感謝しています。本日、愚妻に撮らせた写真を右に示します。来年までに他界したら、 これが遺影となります。

今日は11:00から12:30迄、テニススクールでテニスをしました。13:30から奈良ホテルでテニス仲間と 食事をし、78才の誕生日を祝っていただきました。家に帰って愚妻に「奈良ホテルで食事をした」と 言ったら、もっと安い所を予想していたらしく「お祝いのご馳走を作る気が失せた」と言った。 私は「せめてケーキだけでも買ってきて」と恃んだ。ケーキを買いに行った愚妻から電話があった 「ケーキ屋さんに居るんだけど、財布を忘れたのでお金を持って来て」と。



   秋風の歌  島崎藤村(1872-1943)

   しづかにきたる秋風の
   西の海より吹き起り
   舞ひたちさわぐ白雲の
   飛びて行くへも見ゆるかな

   ・・・


2019.9.1

長女の長男の来訪

大阪での就職セミナーに参加するついでに、長女の長男が奈良の我が家に来てくれた。8月29日に奈良に来て、 8月30日は大阪へと出かけて行った。8月31日は自動車の運転練習のため、閑静な住宅地を回った後、浄瑠璃寺 まで行って帰ってきた。結構、上手に運転していた。
9月1日は11:00に家を出て、大神神社(三輪明神、我が家から20km)まで長女の長男が運転して行った。駐車場に 車を停めて参道に出ると、参拝者が多いので驚いた。「毎月1日は久延彦神社例祭(くえひこじんじゃれいさい) なのでこんなんです」とのことであった。拝殿(右の写真)で奥にある三ツ鳥居を通し三輪山を拝した後、 摂社「狭井神社」の方へ歩いて行った。途中の茶店で"冷やしそうめん"を食べた。狭井神社の脇に「三輪山登拝口」 があった。長女の長男に「登るか?」と聞いたら、意外なことに「登る」と言った。入山料(1人300円)払った後、 神官から「入山心得10箇条」を承った。御神水一本を手に登拝を開始した。こんな山は簡単に登れると推察していたが、 以外に急登でキツイ。長女の長男はまもなく"音を上げる"だろうと思っていたが、意外なことに頂上まで行った。 狭井神社の標高は80m。三輪山山頂:奥津磐座の標高は467m。往復に2時間余。汗びっしょりとなった。


2019.8.30

熱射病?

少し涼しくなってきましたね。真夏の炎天下でテニスをしたことを思えば大丈夫と8月29日13:00から テニスをした。湿度が高くて汗をいっぱいかいた。15:00家に帰ってぐったりしていると、なんだか 寒気がした。熱を測ると37.5℃。これはいけないと、水分をとってベッドに横たわった。 あまり食欲も無いので、19:00夕食は軽くすませた。気力も無いので、US Openのテニスをテレビで観戦し、 10:30に就床した。
8月30日歯が少し痛むので、歯医者へ行った。歯医者さんは「特に悪い所は見当たりませんね。夏の疲れが でてるのでしょう。少し様子を見ましょう。9月2日にまた来てください」。その後、私は散髪屋さんに行った。 昼食後、家に帰っても、まだ元気が出ない。で、ベッドに入ったらよく眠った。少し、元気になった。 夕食後、US Openのテニスをテレビで観戦し、11:30に就床した。
8月31日なんとか元気になった。体の弱っているときにテニスをして"熱射病?"になったのかもしれない。 こんなことは初めての経験。注意しなくてはならない。

右の写真はタカサゴユリ。庭のあちこちに咲くが、あまり好きでなく引っこ抜いていたが、一枝に沢山の花 を付けて見事に咲いた。少し見直した。


2019.8.22

大田垣蓮月と初代直方

2019.7.20のブログで大田垣蓮月(1791-1875)について、2019.8.3のブログで五代上田直方(1928−2016)について 記した。初代直方(1806-1891)は本名 谷井利十郎 蛭子園と号し、主として煎茶器を製作。大田垣蓮月と交遊し、 和歌を楽しみ茶器などに和歌を刻書した(直方の陶芸 黒山写真工芸)。初代直方は佐々木弘綱の門人となって学を 修め、京に上り陶器の研究に励んだ。当時の女流歌人であり茶器を製作した太田垣連月に影響を受け、信楽に帰って 作陶に専念した。蓮月とは意気が合ったらしく、蓮月尼もたびたび信楽を訪れている(伝統の信楽焼 滋賀県無形文化財保存会)。

写真の左は、信楽焼と思われる花瓶に釘彫りで
たづねこし さくらは雪と ふる郷の 志賀山でらの はるの夕ぐれ    蓮月
と刻してある。

写真の右は、古来窯 六十一翁 蛭子園造 直方と刻してある花瓶で三面に和歌が釘彫りしてある。
正面には
香   う記雲ハ あとなく生れて 照る月の かげぞにほへる 秋の花その 
と刻してある。




2019.8.15

終戦記念日

今日は太平洋戦争終戦から74年の記念日である。太平洋戦争をおこなうに至った責任は、主として 愚直な私達の父母・先祖の考えの浅はかさに帰すると思う。そして、今の政治・社会を思うとき、 我々は重大な過ちを起こしてはいないかと憂う。人間というのは過ちを犯して、初めて気づき、 軌道修正するしかないのだろうか。

日露戦争に夢中になっている時、これを難じた女性がいたことに敬意を表します。


君死にたまふことなかれ (旅順口包囲軍の中にある弟を嘆きて)  与謝野晶子(1878-1942)

   ああおとうとよ、君を泣く、
   君死にたまふことなかれ、
   末に生まれし君なれば
   親のなさけはまさりしも、

   親は刃(やいば)をにぎらせて
   人を殺せとをしへしや、
   人を殺して死ねよとて
   二十四までをそだてしや。

   堺の町のあきびとの
   舊家をほこるあるじにて
   親の名を繼ぐ君なれば
   君死にたまふことなかれ。

   旅順の城はほろぶとも
   ほろびずとても何事ぞ
   君は知らじな、あきびとの
   家のおきてになかりけり。

   君死にたまふことなかれ、
   すめらみことは 戦ひに
   おほみづからは出でまさね、
   かたみに人の血を流し、
   獣(けもの)の道に死ねよとは
   死ぬるを人のほまれとは、
   大みこころの深ければ
   もとよりいかで思(おぼ)されむ。

   ああおとうとよ、戦ひに
   君死にたまふことなかれ、
   すぎにし秋を父ぎみに
   おくれたまへる母ぎみは
   なげきの中に、いたましく
   わが子を召され、家を守り、
   安しと聞ける大御代(みよ)も
   母のしら髪(が)はまさりぬる。

   暖簾のかげに伏して泣く
   あえかにわかき新妻を、
   君わするるや、思へるや、
   十月も添はでわかれたる
   少女(をとめ)ごころを思ひみよ、
   この世ひとりの君ならで
   ああまた誰をたのむべき
   君死にたまふことなかれ。




2019.8.14

故郷の墓参り

生まれ故郷の岐阜県関市と美濃市へ父母の墓参りに行った。台風10号が近づいて来ているので その影響が少ないうちにと7:30に家を出た。途中、三重県伊賀市を通過するとき豪雨に遭遇したが 関市に着くと青空であった。家を継いで養母の面倒を見てくれている次弟の家で仏壇に経をあげた 後、妹の家に行って経をあげた。次弟の家に戻り、次弟一家と墓参りに行った。帰ると、大阪に住む 末弟夫婦が丁度来たところであった。

台風10号が近づいて来ているので、私は先を急いだ。昼食の後、皆に別れを告げ、美濃市の母の実家へ 行った。一つ年下の従兄が農業をしている(今では、村で唯一の専業農家)。仏壇に経をあげたら、丁度、 従兄の姉夫妻が来られた。私は母が亡くなった後、父が戦地から復員するまで、この家でお世話になった。 だから、従兄や従姉とは兄弟の様に育てられた。とても懐かしい。

でも、私は先を急いだ。皆に別れを告げ、長良川河畔にある墓地へ行き、墓参りをした。奈良の家の庭 で摘んできたオミナエシとビシャコを供えた。その後、堤防から長良川を眺めると、増水もなく水は澄んで いた。私は持参の水泳パンツを車からだし、昔泳いだ河原で、水につかった。泳いでいると、身も心も 清められるようで気持ちが良かった。疲れない程度で切り上げて帰路についた。蟹江を過ぎる頃、豪雨と なった。しかし、幸いなことに、暫く進むと、雨は止んだ。18:00奈良の我が家に無事帰着した。



   雲 

  丘の上で
  としよりと
  こどもと
  うつとりと雲を
  なめてゐる。

   作: 山村暮鳥(1884-1924) 



2019.8.12

北海道: 大雪山・釧路湿原

暑い奈良を離れて涼しい北海道を訪れ、レンタカーで温泉宿に泊まりながら大雪山, 釧路湿原を訪れる 旅を計画した。ピアノの発表会が終わってから・・・というので、出発は8月5日以降。インターネット で調べたら、北海道の空港の中で、関西からでは女満別空港へ行くのが1番便利である事が分かった。 北海道は温泉が沢山あることが分かり、源泉掛け流しの温泉宿を選んだ。予約時には天気予報は連日 “快晴”であったが、出発時には台風8,9,10号が発生し、北海道の天気予報では”旅行後半に雨”となった。

8月6日7:25近鉄奈良駅前発のリムジンバスで9:10伊丹空港着、10:40伊丹空港発のJA201で12:40女満別空港着。 気温は30℃、期待していた以上に暑いので、少しガッカリ。 13:00レンタカーを借り、途中の蕎麦屋で昼食をとり、 16:00塩別つるつる温泉宿にチェックイン。早速、温泉に入った。名の通り”入ると肌がつるつる“になる温泉で 源泉掛け流しの良い温泉であった。18:00夕食。味はまあまあ、量は私には多過ぎた。食後、再度温泉に入り、 10:00就床。窓を開けて寝た。

8月7日6:45起床。温泉に入り、8:00朝食。9:00チェクアウト。塩別つるつる温泉宿は、料金は安いし、混んでいないし、 温泉は良質。おすすめ!
10:30層雲峡ロープウェイ乗り場着。ロープウェイで標高1300mの黒岳5合目まで行き、200mほど歩いてから リフトに乗り標高1520mの黒岳7合目まで行った。黒岳山頂1984mまで行くのはキツイので、散策路“カムイの 森のみち”を散策した。高山植物が沢山あり写真を撮って楽しんだ(右の写真はダイセツトリカブト)。 3:00リフトとロープウェイを乗り継いで下山。往復で3000円。途中で味噌ラーメンを食べ、16:00旭岳温泉の宿 ”湧駒荘“に着いた。早速、温泉に入った。3種の温泉があり、湯量も多く、源泉掛け流しの良い温泉であった。 浴槽はキハダで出来ていて趣きがあり、浴室も良い雰囲気であった。18:00より夕食。これが素晴らしかった。 シェフの独創性あふれる料理で、とても美味しかった。量も適当であった。食後、再度温泉に入り、10:00就床。 この宿は標高1000mにあり、冷房装置は無かった。

旭平姿見望台から見た旭岳 ミヤマリンドウ 旭平第四展望台から見た旭岳
8月8日この日の天気予報は曇り後雨。朝早く起きて雨の降る前に大雪山 旭岳(大雪山系の最高峯、標高2291m)に 行こうと5:30に起床した。だが、すでに小雨が降っていた。まず温泉に入り、7:00朝食。8:00小雨なので、雨具を 着て宿を出て、大雪山 旭岳ロープウェイ乗り場へ行った。終点の姿見駅(標高1600m)に着いた時は霧雨。傘を差し、 高山植物の写真を撮りながら旭岳石室・姿見展望台(標高1670m)に着いた頃には雨が止み、青空が見える様になった。 旭岳の山頂への登山は断念し、夫婦池への周遊道へと進んだ。しばらくすると霧が晴れ、旭岳の山容が見える様に なった。ラッキー・ラッキーであった。姿見駅の売店でコロッケとモチポテト買って昼食とした。14:00宿に戻り温泉 に入った。露天風呂に入っていると雨が降りだした。18:00より夕食。連泊なので前日とは異なる料理が 供された。この宿は温泉も料理も素晴らしかった。食後、再度温泉に入り、10:00就床。夜中に豪雨。

8月9日朝には豪雨警報がでていた。8:00より朝食。9:15チェックアウト。10:30富良野にある後藤純男美術館に着いた。 観覧後、美術館内のレストランで昼食(スパゲッティ)を摂り、12:30美術館を出た。 この頃には雨は止んでいた。富田ガーデンファームに行ったが、ラベンダーの花は終わり、切株だけでひっそりとしていた。 苫務ICから有料高速道路に入り阿寒ICで出て、16:20にこの日の宿:山花温泉リフレに着いた。この宿は”日帰り温泉に 宿泊施設を付設した“感じであった。今回の旅で、料金は1番安かったが、温泉はまあまあ、食事は”薬膳”で適量で 美味しかった。この日の最高気温は24℃。

後藤純男美術館のレストランからの景色 釧路湿原 小清水原生花園
8月10日 6:30起床。8:00より朝食。9:00チェックアウト。起床時は曇っていたが出発時には小雨。9:20釧路湿原展望台に到着。 木道を20分程散策。10:00温根内ビジターセンターに到着。小雨。釧路湿原に延びる木道を、花の写真を撮りながら散策した。 12:15温根内ビジターセンターを出発、途中で摩周湖に寄り、16:30知床第一ホテルにチェックインした。このホテル、巨大で、 大浴場も巨大で多様な浴槽があった。夕食も朝食もバイキングであった。料理の質・味共に悪く無かったが、200人余の人で ごった返していた。バイキングだとツイツイ食べ過ぎるので、私は早々に退散した・・・が、後でお腹が空いてしまった。 22:00就床。この日の最高気温は20℃。涼しさを通り越して寒い。

8月11日 6:00起床。7:15より朝食。8:00チェックアウト。9:30小清水原生花園着。散策後10:30 小清水原生花園を出発。11:10女満別空港着。レンタカーを返却。走行距離803km。空港のレストランで コーンバターラーメンで昼食。13:15発のJAL2102で15:20伊丹空港着。伊丹空港に着いた際。機内のアナウンスで 「只今の大阪の気温は37℃です。発着地の気温との差は15℃以上あります。お体に気をつけてお帰り下さい。」 とあった。16:20発のリムジンバスで17:30近鉄奈良に帰着した。

無事に帰着して大慶である。もう少し元気なら黒岳と旭岳の山頂迄行ったであろうに、それはかなわなかった。 「年齢を考えると無理はしないことだ」と自分に言い聞かせて、満足・満足。一日に三回温泉に入る楽しい旅で あった。


2019.8.5

運転免許証の更新

運転免許証の更新に行った。9:00に橿原市にある"運転免許センター"に着いた。受付には50人程の行列が出来ていた。 「高齢者講習終了証明書」を持って行ったので、更新手数料を払い、視力検査を受けたら、新しい運転免許証を頂く ことが出来た。1時間弱で終わった。この免許証、3年間有効。有効期限切れ迄、生きているかな?

家に帰ってから、愚妻とお盆の墓掃除とお参りに行った。台風の影響で風があり、炎天下でもそれ程暑くなかった。



   夜の二人 

  私達の最後が餓死であらうといふ予言は
  しとしとと雪の上に降る霙(みぞれ)まじりの夜の雨の言った事です。
  ちゑ子は人並はづれた覚悟のよい女だけれど
  まだ餓死よりは火あぶりの方をのぞむ中世紀の夢を持ってゐます。
  私達はすっかり黙ってもう一度雨をきかうと耳をすましました。
  少し風が出たと見えて薔薇の枝が窓硝子に爪を立てます。

   作: 高村光太郎(1883-1956) 



2019.8.4

ピアノの発表会

8月4日は私の学んでいるカワイ音楽教室の発表会の日である。やまと郡山城ホールで18:00開演、 私は二番目のピアノ独奏で"アダモ作曲の雪が降る"を演奏することになっている。この盛夏に "雪が降る"は似合わないが、雪が降っていた頃に選曲して、その練習成果の発表会なのだ。

朝から緊張して練習していたが、11:00から12:30までテニススクールへ行って、炎天下でテニスをした。 帰って昼寝をして16:00から"雪が降る"の練習をした。17:40にやまと郡山城ホールに着いた。 会場にいらした先生が「奥様は?」と訊かれた。「日頃の練習を聴いているので行かない」と言って来ません と答えたら、「そんな!、発表会で聴かなくちゃ!」とおっしゃった。

発表会後、家に帰って「大成功だった。最後まで弾けた!」と報告した。そして「とても上手な人もいらっ しゃった」と報告したら、「当たり前や!、あんたみたいな人ばっかりやったら音楽会にならん!」と 返ってきた。

それにしても、この歳になって緊張できることは、嬉しいことだ。


2019.8.3

五代上田直方

滋賀県立陶芸の森で開設20周年記念の特別展「しがらきやき−直方の茶陶 春斎の壺−」が 平成22年9月18日(土)〜12月12日(日)に開催された。五代上田直方(1928−)と橋春斎 (1927−2011)は、焼締陶、穴窯焼成による信楽焼の伝統技法を守りながらも、独自の感性 を盛り込んだ作品を制作する現代信楽焼の二大巨匠である。私はその展覧会を観させていた だいた。その際に展示されていた煎茶器がとても気に入ったので、一度窯元を訪れて、気に 入ったのが在ったら手に入れたいと考えていた。
信楽の鉄道駅前の駐車場に車を止めて"窯元散策路"を歩いて、上田直方さんの御宅に行った。 家の前に上田直方さんの奥さんがおられたので「五代上田直方さんの作品を見せていただき たい」とお願いした。20点ほどの作品が展示してあったが、私が欲しいと思っていた急須は 無かった。ガッカリしたが奥さんとお話をしているところへ、五代上田直方さんが出てこられ た。私が「特別展で拝見した煎茶器がとても気に入ったのですが、ああした煎茶器は御座い ませんか」と尋ねたら「特別展に出したのは自分用に作った物で、何度もゆずってほしいと 恃まれたのだけど・・・どこにしまったかな・・・」といって奥に入られた。しばらくして 「ありました」と現物を持ってこられた。私は「形も善いし、灰被りも素敵だ。大き さもうまく手に収まって素晴らしい。」と言った。上田直方さんは「どの作品も自分で使っ たとき使いやすいように作っている。この作品、この形、他に無いでしょう」とおっしゃっ た。暫く話しながら「ぜひ譲って欲しい」とお願いした。話している間に互いに気が合う感じ になってきた。最後に「気に入っていただいた人につかって頂くのが良い」と言って譲ってく ださった。右の写真はその"寸胴煎茶器"。大切に愛用している。

五代上田直方さんにもう一度お会いしたいと考えていたが、2016年に他界された。

   雲 

  おうい雲よ
  いういうと
  馬鹿にのんきさうぢやないか
  どこまでゆくんだ
  ずつと磐城平(いはきだひら)の方までゆくんか。

   作: 山村暮鳥(1884-1924) 



2019.8.2

盛夏

暑いですね。じりじりと照りつける太陽の下を買い物に出かけた。愚妻の指示したものを買い、支持されていない 饅頭を買いに行きつけの和菓子屋さんに寄った。店員さんが「昨日、お釣りを渡すのを忘れました」と釣銭を 出してこられた。私は「釣銭を受け取るのを忘れた記憶はないけど・・・」、昨日饅頭を買った記憶は有るので、 受け取った。暑さで?・・・ボケてきたらしい!

   山のあなた 

  山のあなたの空遠く
  「幸(さいわい)」住むと人のいふ。
  あゝ われひとと 尋(と)めゆきて
  涙さしぐみ かへりきぬ。
  山のあなたのなほ遠く
  「幸」住むと人のいふ。

   作:カアル・ブッセ  訳:上田敏(海潮音)



2019.8.1

ブルーベリー・ブラックベリー

暑さも本番となり、庭のブルーベリーとブラックベリーの実が完熟となってきた。庭のブルーベリーは 2kgほど収穫できるが、これは収穫しながら摘まみ食いするのが一番美味しい。それで、ジャム用のブルーベリーは 毎年、大宇陀の農家から購入している。「収穫できた」との連絡を受けて、農家へ行き5kg分けていただいた。 5kgのブルーベリー・2.5kgのグラニュー糖・4個のレモンから写真に示すだけのジャムが出来た。 これで一年間・毎朝、ヨーグルトに混ぜて食べ、時には水で薄めてジュースにして頂くことが出来る。

ブラックベリーの苗木を知人から戴いて、佐保川べりに植えて置いたら、大きくなって今年は2kgほど収穫できた。 ブラックベリーは見た目は美味しそうだが、種が大きく・甘さもブルーベリーの方が優る。生食ではそれ程食べられない。 それで、ブラックベリー500gに水300ccを加え、ミキサーで砕いた後、ザルで種を漉し除いた。この漉し汁にグラニュー糖 250gとレモン一個の搾り汁を加えて、20分加熱・濃縮した。この濃縮果汁は、氷水で薄めてジュースとして・そのまま トーストに付けて食べても美味しい。


2019.7.27

長女の長女の来訪

米国の大学で学んでいる(2年生、この9月から3年生)長女の長女が夏休みで東京に帰省していたが、 米国から来訪した友人を伴って、25日の夜、奈良の我が家にやって来た。昼間は京都で「金閣寺と 清水寺を観光してきたが、土砂降りの雨にあって傘も無くびしょ濡れになった」と言っていたが、奈良に 着いた時には衣服も乾いて元気であった。
26日、我が家の庭にある「ブルーベリーとブラックベリーの実を摘みたい」と言ったので、蚊に刺されな いように"長袖のシャツとズボン"を貸し与えて、摘んでもらった。収穫したブルーベリーは東京へのお土産に、 ブラックベリーはジャムにして供した。午後は、炎天下を2人で東大寺、春日大社、興福寺の観光に行った。 私は家でピアノの練習をした。帰ってきた長女の長女に「8月4日にピアノの発表会がある」と言ったら、 「楽譜を忘れないようにして、途中で止まらないようにして弾けたら良いからね」と言ってくれた。
27日「いつものお好み焼き屋で昼食を食べてから、伏見稲荷を観光して、東京へ帰る」とのことで、 私と愚妻も一緒にお好み焼き屋へ行った。家を出る際に、蓮の脇で記念写真を撮った。米国から来訪した友人 の許諾を受けなかったので、写真は割愛したが、仲良く"日本の観光"を楽しんでいるようであった。


2019.7.20

太田垣連月

大田垣蓮月(1791-1875)さんは、生後すぐ、京都知恩院の寺士、大田垣伴左衛門光古の養女となり、17歳の時、養子望古と結婚。 一男二女をもうけたが、いずれも夭折した。夫の放蕩により、24歳の時離婚。29歳の時、養子古肥と再婚し、一女を得たが、 4年後夫は病没。葬儀の後、知恩院で剃髪し、蓮月を称す。和歌は上田秋成・香川景樹に学び、小沢蘆庵に私淑した。 歌集『海女の刈藻』は1872年に刊行された。
33才頃、生計のため陶器の制作を始めた。作品は窯元に依頼して焼いてもらった様である。35歳の時、7歳の娘を失い、42歳の時、 養父も他界。その後は岡崎・粟田・大原・北白川などを転々とし、急須・茶碗などを制作して生計を立てた。自作の陶器には 必ず自分の詠歌を彫り付けた。これが作品に高尚雅趣を添えて「蓮月焼」と呼ばれて人気を博した。富岡鉄斎は、蓮月尼老年の 侍童である。詳しくは、思文閣から村上素道編『蓮月尼全集』増補版が出版されているので、ご覧ください。

右の写真は、連月焼の急須。「水きよき 川べにすみて つみとがを そのひそのひに かきながさばや」 と刻してある。好い歌だ。これで入れたお茶を頂くと"身が清められる"かな???


2019.7.15

富本憲吉

2019.7.7のブログに記載した奈良県立美術館の企画展"富本憲吉入門"に再度行ってきた。
富本憲吉(1886-1963)は法隆寺に近い農村の小地主:富本家の長子として生まれましたが11才の時父が死去し 家督を継ぎました。郡山中学を経て東京美術学校図案科を卒業し、ロンドンに私費留学。帰国後、生活を デザインする総合芸術の担い手として、木版画・刺繍・革細工・装丁など幅広く活躍していましたが、 陶芸に関心をもったバーナード・リーチの影響を受け、1913年自宅に楽焼の窯を築きました。制作苦悩の中から 「模様から模様を造るべからず」という作家としてのスタンスを確立し、模様におけるオリジナリティを 追及し続けました。高い志を持ち、陶芸を個性や創造の発現の場とし、制作に妥協を許さず、自他共に厳しい 精進を要求しました。

写真は私が愛用している富本憲吉作の湯呑。
右は1936年の作品で「庭前生蘭幽風清待薫香」と書かれている。
左は1943年の作品で「低處高志」:ワーズワースの詩句から出たといふ岩波茂雄の生活理想 と書かれている。 富本憲吉に依頼して制作し、岩波書店の創業30周年パーティの参加者500名余に配布された物の一つ。


2019.7.13

定例探鳥会

7月13日は日本野鳥の会奈良支部の"奈良公園・定例探鳥会"の担当幹事になっていた。担当幹事は2人で、 通常、私は付録みたいな補助役で出かけているのですが、今回はもう一人の担当幹事が会社の出張で当日 しか参加出来ないとのことで、私は前日に奈良支部の事務所へ必要品を取りに行った。
さて、7月13日8:30に集合場所の近鉄奈良駅前広場へ行った。家を出る時、小雨が降っていたが、9:00には ほぼ止み、39名の参加者があった。私は古参であるが、最近はご無沙汰しているので、久しぶりに会う人や あまり面識のない人が大半である。「古参の人達は健康障害で出てこられない」とのことで"明日は我が身" と思い知らされた。
探鳥会は、鳥や自然を観察しながらゆっくり歩く。蒸し暑い日であったが、木陰を求めながら、ゆっくり歩 くので、結構楽しめる。多人数で観察しているので、一人で観察しているより、鳥を見つける機会が多くなり、 観察もよりきめ細やかになる。会話も楽しい。11:30春日大社の万葉植物園脇で、観察した鳥を報告・確認する "鳥合わせ"をして解散した。観察した鳥は22種であった。

わすれなぐさ

ながれのきしのひともとは
みそらのいろのみづあさぎ
なみ ことごとく くちづけし
はた ことごとく わすれゆく

作:ヰヘルム・アレント  訳:上田敏(海潮音)



2019.7.7

反改憲・反原発

参議院選挙が始まりましたね。立候補者を見ると人材不足ですね。ともあれ、投票しなければなりません。 私は"反改憲・反原発"で投票するつもり。

庭の太白蓮と大賀ハス(右の写真)が今年も美しい花を咲かせてくれています。気品ある美しい麗人のようだ。

今日は、8月4日のピアノ発表会に備えてピアノの練習をした後、テニススクールへ行って11:00から12:30まで テニスをした。私の行っているスクールでは2千円弱のスポット料金で日曜レッスンを受講させてくれる。
15:30に家を出て、徒歩で10分程でいける奈良県立美術館へ行って、企画展"富本憲吉入門・・・ 彼はなぜ日本近代陶芸の巨匠なのか"を拝観させていただいた。予想していたよりも充実していて17:00の閉館 アナウンスで追い出されてしまった。近くで、無料(65才以上)だから、近日中に再度拝観させていただこうと思う。


2019.6.26

次女一家

次女の夫君も16日に奈良へ来て、夕方に仕事のためと東京へ行った。21日に次女一家(次女夫妻と 3人の子供)は大阪のUSJへ遊びに行った。22日は次女一家は"やぶっちゃの湯"へ、23日は唐招提寺に 参拝した後、再度"やぶっちゃの湯"へ行った。そして、次女の夫君は夕食後東京へ行った。
次女は口うるさくて、小学2年の子供に「そんなに沢山いっぺんに食べたら喉につまるよ」などと 注意する。
次女の小学2年の次男(長男は早逝)は、嫌がりもせず、近くの小学校へ通学している。とても良い先生の様である。
次女の小学6年の次女は小学校への通学を拒否し、サッカーボールを蹴って遊んでいる。米国では サッカークラブに入っているそうで、とても元気だ。驚いたことに"私か弾いているピアノの曲を覚えて くちずさんでいた"。
次女の中学2年の長女は料理に関心があり、私は彼女の好きな"里芋の煮っころがし"、"真竹の炒め煮"の 作り方を伝授した。そして"梅干"の作り方も実習させた。

29日に東京へ移動する予定である。あと少しだ。


2019.6.17

三枝祭

率川神社(いさがわじんじゃ)は近鉄奈良駅から500m程の所にあり、593年に大三輪君白堤が勅命によりお祀りした 奈良市最古の神社です。その三枝祭(さいくさのまつり・ゆりまつり)は毎年6月17日に斎行されます。このお祭り では、黒酒、白酒の神酒を酒垂ノ盛り、その周囲を三輪山に咲き匂う百合の花で豊かに飾り、優雅な楽の音につれて 神前にお供えされます。そして、三枝祭神楽(巫女が「三枝の百合」を手に持ち、神楽「うま酒みわの舞」を四人で奉奏 :右の写真)される。私は、次女とその子供達と共に拝観させていただいた。

帰り道で漢国神社の前を通ったら"日本包丁道 清和四条流式包丁奉納"と書いた幟が立っていた。私は拝観させていただこうと 入っていった。式包丁奉納は終わっていたが、神前には"鎮華(はなしずめ)「三枝祭」"と書いてあり、ササユリが奉納 してあった。どうやら、"率川神社のゆりまつり"と関係がありそうだ。


2019.6.13

人間ドック-その後(2)

2019.6.4の私のブログを読んだ友人から"貴君は「X線CTで分からないならそれで大丈夫」と判断されたようですが、 私は貴君に「MRIでの精密検査を受診される」ことを強く勧めます。その理由は、「膵臓癌は分かり難いので、 出来る限り早期に発見して、治療することが肝要である」からです。X線CTで分かる段階まで進行すると、手遅れに なる心配がありますので、「MRIでの精密検査を受診される」ことを強く勧めます。"という御意見を頂いた。 親切な忠告で、私は有り難いと感謝した。私は再考した。そして、結論を出した。

私は現在77才である。多くの人々(先師・先輩・友人・学生・家族・親族・隣人等)のお世話になりつつ生きてきた。 仕事とした学究生活では、自分なりに全力を注ぎ・努力した。そして、多くの人々の協力と援助・幸運に 恵まれて、それなりの成果を上げることが出来ました。このことには満足し、悔いなく・とても感謝しています。 退職後は、唯々感謝して、楽しい生活を送らせて頂いてきました。それも健康に恵まれたこそであります。 体力・知力は年齢と共に衰えていきます。テニスが出来るような健康状態はそんなに長く続かないでしょう。 そうした衰えを受容しつつ、寿命の尽きるまで生きるのが人生だと思います。自分の年齢を考えると、膵臓癌で あったとしても・・・そうでないことを祈念しますが・・・受容することにしました。

と、いうわけで「MRIでの精密検査は受診しないことにしました」。忠告して下さった友人には深く感謝しています。 愚妻は友人の意見に賛成しました。次女は私の結論に賛成しました・・・これには私も驚いた。


2019.6.9

梅の実の採取・庭木の剪定

6月8日に庭にある梅の実の採取をした。次女の長男(小2)と次女(小6)が「梅の木に登って実を取りたい」 というので、危ないけどしょうがない、それぞれに数個採取させたら満足した。梅の実の採取だけでなく剪定 をするのも目的である。これがなかなかの作業で且つ危険である。無事終了してホッとした。

6月9日 フジ、ノウゼンカズラ、アケビ、サンザシ、ツバキ、合歓、ロウバイ、蘇芳、サンシュウの剪定をした。 これ等の剪定作業は脚立を使って行うので、比較的安全である。しかし、サンシュウには細かい棘があるのか? 剪定作業をすると身体が痒くなる。まだまだ剪定をしなければならない木が残っているが・・・疲れたので 止めた。後日、また元気がでたら、残りの剪定をすることにして・・・。


2019.6.4

人間ドック-その後(1)

5月21日に人間ドックの結果を伺いに病院に行ったら、担当医に「血清アミラーゼの値が高い(152 IU/L)ので、 膵臓癌の検査をした方が良いでしょう」と言われ、血液の採取・腹部のX線CTの測定をして頂いた。今日その結果 を訊きに行った。担当医は「血液検査の結果は、CEA:0.9ng/mL エスターゼ1:103ng/dL CA19-9: 14.4U/mLだけど、 トリプシン: 765ng/mLと高い。MRIを撮って検査をした方が良いでしょう。紹介状を書きますから、もっと 大きな病院で、MRIでの精密検査を受けてください」とおっしゃった。私は「X線CTの結果はどうなんですか?」と尋ねた。 医師はX線CTの画像を出して「これでは良く分かりません」とおっしゃる。私は"X線CTで分からないならそれで大丈夫" と判断した。・・・で、私は「紹介状は結構です」と断った。"十分な説明をせず結論だけを言われた担当医は良くない"と思う。


2019.6.3

次女の来訪

米国に住む次女が子供3人を連れて6月1日の夕方、奈良の我が家にやって来た。米国の学校が夏休みになったので、 一番年下の息子を日本の小学校に一ヶ月ほど通わせて、日本語を話せるようにするのが目的らしい。年上の娘達も 通わせたいのだが、言う通りにしなくなったので断念した様である。

6月2日 昼食にお好み焼き屋へ行った。"お好み焼き"が好物なので、こちらは助かる。帰りに、菊屋で饅頭を買った。 この饅頭も好物である。家に帰って、美味しいお茶と共に頂いた。

6月3日 朝、竹の子(真竹)を買ってきて、湯掻いた。竹の子は次女一家の好物である。その一部を、夕食用に調理した。 午後、東大寺大仏殿から春日大社・興福寺へと歩いて行った。右の写真は春日大社の倒木で・・・。暑かったが、 まだ真夏の暑さでないので助かった。歩数13000余。


2019.5.26

ベニバナヤマシャクヤク再訪

2018.5.27のブログに記載した京都府南丹市美山町内久保のベニバナヤマシャクヤクの美しさに魅せられて 今年も鑑賞させていただいた。インターネットで今年の"ベニバナヤマシャクヤク春の観賞会"が5月25日・26日 に開催されることを知り、車で出かけて行った。10:30に家を出て12:00に美山町内久保公民館に着いた。 高速道路を利用すると、とても短時間で行けるのに驚いた。保全協力金300円を払い、昼食弁当を注文したら 「11:00頃、売りきれました。山菜天ぷらとおかき餅ならあります」とのことで、それを求め特設テーブルでいただいた。

公民館の裏山がベニバナヤマシャクヤクの群生地で、保存会の方が「今年は寒くて開花が遅く、やっと咲き始めました」 とおっしゃっていたが、期待通りの美しい花を鑑賞させていただいた。とても美しく・高貴な花(右の写真)で魅了され ました。

愛しい・・・どうかお元気でいてください! どうかどうかお元気でいてください!


2019.5.23

床の張替え

私は二階建て家屋の一階の畳敷きの部屋にベッドを置いて寝ている。最近、その畳の上を歩くとフワッと 凹んだりする事があるようになった。米国に住む次女が「六月に奈良に来て一時滞在する」と言ってきた。 次女は"綺麗好き"なので、我が家ではダスキンに頼んで直前に"トイレや台所の掃除"をして貰う。しかし、 床の修繕は急には出来ない。私は畳を上げて様子を見てみた。"シロアリにやられているのか"と心配したが、 幸いそうではなく、床に張ってあるベニヤ板の接着剤が劣化して、ベニヤ板がバラバラになっているだけで、 土台の構造物はしっかりしてしている事が判明した。

これなら自分で治せると思った。それで、とりかかったのだけど・・・、ベニヤ板を取り外すのが大変な 作業であった。"こりゃあ腰を痛めるかもしれない"と思った。ホームセンターへ行き"解体道具"を買ってきて、 腰を痛めないよう注意しながら作業をした。私は"ベニヤ板を張るのは大変だから昔ながらの板を張ろう"と 決めた。これが成功した。サイズを計って、ホームセンターでそのサイズに切断して頂く。それを床に張る だけで良い。ということで、無事"床の張替え"を終えることが出来た。でも・・・再度することは厳禁。


2019.5.21

人間ドック

4月23日に"日帰り人間ドック"の検査を受けた。「その歳になってまだ生きたか?」と笑われそうだが、 「もう少し生きたい」らしい。今日、その結果を伺いに病院にいった。医師は「年齢相応に劣化は診られますが、 総じて問題はありません。ただ、血清アミラーゼの値が高いので、膵臓癌の検査をした方が良いでしょう。 朝食は食べても来られたでしょぅね」とおっしゃった。「食べてきました」と当然の答えをした。「X線CTは 絶食してとるのですが、ダメ元で撮ってみますか」とおっしゃった。・・・で、私は"腹部のX線CT"を 撮って頂いた。「結果は6月4日に来てください」と・・・。この追加料金3割負担で6,930円。

右の写真は我が家の庭に咲いたシャクヤク。


2019.5.17

南山城村再訪

今月の初めに近鉄奈良駅近くの交差点で信号待ちをしていたら、南山城村に住んでいらっしゃるTさん ご夫妻が目の前にいらっしゃったので声をかけ、近くの私のマンションに寄って頂いた。その際、 奥さんが主宰していらっしゃる Gallery Den mym の現代美術の展覧会「お茶展」(5月12日-5月25日)の パンフレットを頂いた。

2017.9.19のブログに記載した 京都と大阪に住む仲間2人に声をかけたら17日が好都合というので、 17日9:30に近鉄奈良駅前に集合し、私の車に同乗して出かけて行った。「第3会場の"道の駅 お茶の京都 みなみやましろ村"に11:10頃来てください」とのことだったので、恭仁京跡と正月堂に立ち寄って、11:10 "道の駅お茶の京都みなみやましろ村"に着いた。道の駅の各所に若い作家さんの作品が展示してあった。
見学・鑑賞の後、道の駅の食堂で昼食を摂った。その後、第1会場のGallery Den mym 本館へ移動した。 其処はTさんご夫妻の自宅の一部である。見学・鑑賞の後、庭でお茶をいただいた。次いで、500m程奥にある 第2会場の"AIR南山城村" へ行った。アーテイスト滞在・制作の館としてTさんの奥さんが設立されたもので、 「作品の制作、展示、鑑賞」の場であった。
Tさんの生活は農家そのものに近く、その生活姿勢には感嘆した。健康であってこそ出来ると思った。 庭で飼っていらっしゃる鶏の玉子とエンドウをお土産にいただいて帰った。貴重な物をいただいた。感謝・感謝。


2019.5.3

10連休

10連休というので奈良は多くの人で賑わっている。私のような閑人はこの様な時は家でじっとしているのが 一番良い。
4月27日 神野山へ行った。ツツジはまだチラホラ咲き。神野寺のクリンソウは満開であった。
4月28日 11:00-12:30 テニススクール。
4月29日 庭の隅に半白キュウリを植えた。
4月30日 11:00-12:30 テニススクール。
5月1日 蓮やヒツジグサの鉢にメダカを入れていたが、朝見てみると、鉢の中がゴチャゴチャになっていた。 イタチに襲われたのだ。最近まで網をかけていたのだが、芽が伸びてきたので外した。身ごもって動きの悪い メダカがやられた。
5月2日 信楽の陶芸の森で開催中(2日から5日まで)の作家市へ行った。陶芸の森付近の4kmを行くのに、渋滞で 1時間ほどかかった。愚妻が同行しなかった筈だ。藤本秀さんの作品を今年も買った。元気でご活躍の様で嬉し かった。帰りに伊賀焼の陶器市にも立ち寄った。信楽も伊賀も沢山の人で賑わっていた。作家さん達にも元気が あって"未来も明るい"と思った。
5月3日 我が家から500m程の所にある聖武天皇陵で、天平勝宝 8年(756) 56歳で崩御された聖武天皇の御忌 法要"山陵祭(東大寺一山の僧侶が参拝、右の写真)"があり、拝観させていただいた。
5月4日 興福寺北円堂が特別公開されていたので拝観させていただいた。八角円堂の北円堂、木心乾漆の四天王立像、 運慶の晩年の仏像として知られている木造弥勒仏坐像、木造無著・世親菩薩立像が全て国宝の優れものである。 その後、国宝館に行ったが満員で混雑していたので早々に外に出て奈良公園を散策した。
5月5日 11:00-12:30 テニススクール。奈良の商店街は混雑していて、歩くのにも体が触れ合う。
5月6日 南山城村道の駅で昼食を摂り、伊賀市島ヶ原にある温泉"やぶっちゃの湯"の駐車場に車を停め、木津川沿い の遊歩道を歩いて岩倉峡公園迄行き同じ道を帰った。往復で2時間。その後"やぶっちゃの湯"に入浴し帰宅した。 幸い、渋滞はなかった。ヤレヤレ、これで連休も終わり。


2019.4.26

タケノコ

関西では今、タケノコの最盛期である。先日、タケノコ料理で知られた錦水亭へ行って"たけのこ会席"をいただいたが、 少し野性味が足らず物足りなかった。それで、美味しいのを自分で作ろうと考えた。前日が雨だったので、今日こそは 美味しいタケノコが手に入るだろうと、近くの生産者持ち込みのお店へ開店直後に行って、京都山城産のタケノコを買 った。家に帰って、すぐ茹でた(小糠を入れて1時間30分煮沸、火を停めて1時間放置し、皮をむいて1時間水にさらした)。

以上の下準備が大変だがあとは簡単。定番の土佐煮、煮物、若竹、たけのこ御飯、木の芽和え(右の写真: 順に、左上、 右上、右下、左下、真中)を作った。錦水亭の様に洗練されていないが、筍の質も良く、とても美味しかった。満足、満足である。


2019.4.13

京都

この日は何も予定が無かったので、ふと思いついて、京都の泉屋博古館で開催されている企画展「中国文房具と煎茶」 を観に行った。京阪電車"神宮丸太町"で下車し、丸太町通りを東へ岡崎東天王町まで歩いて行った。そのあたりは、 青春時代を過ごした懐かしい場所で、歩きながら感慨にふけっていた。そのどんつきに泉屋博古館がある。住友春翠が 清風そよぐ文人世界に憧れて集めた"煎茶会の展観席・煎茶席での中国文房具と煎茶器"を展示していた。私としては 中国文房具より文人画の方が楽しめた。泉屋博古館は青銅器のコレクションで有名であるが、その収集のきっかけが 煎茶会の展観であったことを知った。

観覧を終えて外に出ると快晴の小春日和であったので、まだ桜の花が残っていることを期待して、平安神宮へ行くこと にした。途中の小路も思い出の道である。平安神宮に参拝し、神苑に入れていただいた。紅枝垂桜は満開を少し過ぎて いたが(右の写真)、まだ十分の花を付けていた。この神苑の桜・橋殿は青春の思い出の場所である。

桜ありき 桜のごとき 人ありき 酔えばよくみる 春の幻 (吉井勇)


2019.4.15

認知機能検査

奈良県公安委員会より"貴方は75才以上の高齢者ですから認知機能検査を受検し、その後高齢者講習を受講しなければ、 運転免許証の更新ができません"との通知書がきた。本日10:30より奈良警察署で認知機能検査を受けた。私の認知機能 検査の総合点は94点であった。知人の女性は「96点であった」とおっしゃっていたからそれより悪い。でも、誤差の範 囲内と自分を慰めた。「76点以上は"記憶力・判断力に心配ありません"の判定で、"高齢者講習(2時間)"を自動車教習所で 受けてください」といわれた。

12:00に我が家に戻り、早速、近くの自動車教習所へ電話し「高齢者講習(2時間)の予約をお願いします」と言ったら、 「本日15:00から如何?」と言われた。それではとお願いして"高齢者講習(2時間)"を受けた。先ず検査で、静止視力1.0、 動体視力0.3、夜間視力31秒、右目視野角度85度、左目視野角度85度で判定は普通。その後、講義(30分)と実車指導(60分)を 受け、"高齢者講習終了証明書"を頂いて帰ってきた。

ラッキーなことに一日で済んだ。あとは、運転免許センターへ運転免許証の更新に行くだけだ。忘れないように・・・。


2019.4.13

咲きました"ムベ"

山でアケビの実を採ってきて、食べた後の種を庭に吐き捨てて置いたら芽が出て、それが大きくなって 今では毎年春には沢山の花を咲かせ実を付けるようになった。その中に、5個の楕円形の小葉が掌状につくアケビと 3個の小葉が掌状につくミツバアケビがあった。両者それぞれ異なった花を付け、とても美しく、私は大好きで 花瓶にも生けている。そのことを神戸大学での年上の教授に話したら"アケビも良いけどムベも良いですよ。果実は ムベの方が美味しい"とおっしゃった。

2017.5.2のブログに記した様に、ムベの苗木を手に入れることが出来た。それを庭に植えておいたら、大きくなって 今年はじめて花を付け、遂に開花した(右の写真)。
ムベはアケビ科ですが、アケビは冬になると落葉しますが、ムベは落葉しません。天智天皇が蒲生野に狩に出かけたおり 大変元気な老夫婦に出会い、長寿の秘訣を尋ねたら、老夫婦は「無病長寿の霊果を毎年秋に食します」と言って、 1つの果実を差し出した。その果実を食べた天智天皇が「ムベなるかな(もっともである)」とおっしゃつたので、その 果実はムベと呼ばれる様になったとのことである。


2019.4.1

熊野路

二年前に始めた早春の熊野路・温泉を巡るドライブ旅行を今年もおこなった。出発の三日前に昨年泊まって 温泉が良かった湯の峰温泉の旅館に電話したら三月中は満室だとのことであったので十津川温泉の老舗旅館 に電話したら"3月29日なら一部屋空いてます"とのことで予約した。もう一泊したいので椿温泉の湯治旅館を 予約し3月29日9:45に我が家を出発した。

大塔郷土館で"湯豆腐と刺身こんにゃく"を食べ、谷瀬のつり橋を往復(同行の愚妻は気分が悪いと途中で引き 返した)した後、13:00玉置神社駐車場に着いた。玉置山山頂(標高1077m)迄30分弱で行け、その直下にある 玉置神社は熊野三山の奥宮であり、その周りには樹齢3000年といわれる神代杉をはじめ老樹・大樹が沢山生え ていて荘厳な雰囲気があり、私は大好きで毎回訪れている。16:30予約しておいた旅館に到着。早速、温泉に 入った。泉質・雰囲気共に良かった。露天風呂に入っているとアオバトの鳴き声が聞こえた。夕食・朝食共 山の幸と川の幸だけて、洗練されていてとても美味しかった。部屋からは十津川ダム湖と山々が眺められとても 静かであった。

3月30日9:30チェックアウト。9;45熊野川・音無川・岩田川の合流点の中洲にある大斎原(おおゆのはら、明治22年 の大水害まで熊野本宮大社があった場所、右上の写真)に到着。この脇には熊野川の広大な河原があり、私の お気に入りの場所である。毎回、この河原で石を拾ってきて、奈良の私の部屋の前の庭に置いている。

新宮交差点から311号線に入り、野中一方杉バス停から中辺路を歩く熊野詣の人々の喉を潤した名水:野中の清水へ 行った。近くの駐車場に車を停め、その上にある継桜王子(王子は熊野古道にある神様)へ行ったら、隣にある 古民家からご婦人が出てきて"野中の清水で入れたお茶です"と差し出してくださった。"近隣の有志が交代で 接待しています"とのことであった。継桜王子には数本の杉の老木(野中一方杉)があり、歴史を感じさせてくれた。
道の駅 熊野古道中辺路で昼食を摂った。この道の駅は熊野古道が近くにあり、古道を歩く人が休憩していた。 20人程の欧米人(団体でなく、1人または2,3人のグループ)がいて、日本人は数人。熊野古道を歩くのは欧米人に 人気があるようだ。私と愚妻も熊野古道を少し歩こうと山道に入り箸折(はしおり)峠まで行った。 峠にはにある宝篋印塔(近露の宝塔:)と牛馬童子(ぎゅうばどうじ:牛と馬の二頭に乗った花山法皇の旅姿を 偲んで彫られた石仏)があった。往復で約一時間。

16:30椿温泉の旅館に着いた。早速、温泉に入った。旅館の最上階(4階)に温泉があり、目の前は海、眺望も良く、 泉質も良かった。18:00より夕食。"民宿の料理"といった感じ。温泉の泉質が良いから"まあ良し"としょう。 朝食の味噌汁は美味しかった。隣の旅館は閉まっていた。何となく"椿温泉は活気が無い"と感じた。それにしても、 歳をとったせいか、畳だけの生活は苦しくなった。座り続けるとすぐ寝転がりたくなる。立つときも、手をついて "ヨイショ"と言わねばならない。

3月31日9:30チェックアウト。42号線を北上。途中の海岸(右下の写真)で途中下車・散策。13:00和歌山城へ行った。 桜の下にシートを敷いて花見をしている人がいっぱいであった。16:00奈良の自宅に帰着した。


2019.3.28

桜咲く

だいぶ暖かくなった。家の中に取り込んでいた蘭も外に出した。庭の梅の花はすっかり散った。アケビも 開花しつつある。1昨年植えたムベに花芽らしきものが付いている・・・どんな花が咲くか楽しみである。

昼食後の散歩で東大寺大仏殿の前を通ったら、大仏殿前の庭に生えている桜が五分咲きであった。 それで、久しぶりに大仏殿に入った。右の写真は中門脇から撮った写真である。他の桜はまだチラホラ開花 であるのに、この桜は美しく咲いていた。

氷室神社の枝垂桜を観に行った。あの見事な枝垂桜はすっかり衰えて太い枝は枯れて切り取られ、僅かに 残った小枝にチラホラ花がついているだけであった。脇に植えられた若木が立派に花を咲かせる頃には、 私はこの世にいない。


2019.3.23

妹の来訪

岐阜県関市に住む妹の長女が"自作の宝飾品を近鉄デパート奈良店で3月20-24日に販売するので奈良のマンション に宿泊させてほしい"と言ってきた。私は"どうぞ・どうぞ"と言った。そしたら、妹もこの際"奈良見物"をしたいと 2人で19日に奈良にきた。21日には、妹、愚妻、私と三人で大和郡山にある墓に彼岸参りに行った。帰りに、大和郡山 のイタリアンレストランで昼食を摂った後、近鉄デパート奈良店に立ち寄り"自作の宝飾品"を拝観させていただいた。 ブローチや耳飾りを拝観したがセンスの良いオシャレな品であった。しかし"なかなか売れない"とのことであった。

22日には、名古屋に住む妹の次女とその長女もやってきて、マンションは賑やかになった。25日には、仕事を終えた 妹の長女も加わって"奈良の休日"を楽しむ予定である。


2019.3.15

春の到来

東大寺二月堂の修二会(お水取り)が終った。奈良では"お水取りが終ると春が来る"と言われているが、その通り 今日は天気も良く、暖かい日であった。私は蓮の植替えをおこなった。これ、なかなかの重労働である。でも、 無事終了した。

昼食後、散歩で二月堂に行く途中、修二会を終えた僧たちが自坊へ帰っていくのに出会った。無事終えてホッとした 様子がうかがわれた。二月堂では"だったん帽いただかせ"が行なわれていた(右の写真)。これは、修二会で使われた 韃靼帽を子供の頭にのせて健やかな成長を願う行事である。私は、約一ヶ月ぶりに法華堂の中に入れていただき 本尊不空羂索観音菩薩、梵天、帝釈天、金剛力士(阿吽)、四天王像を拝観させていただいた。


2019.3.9

奈良公園・定例探鳥会

3月9日は日本野鳥の会奈良支部の"奈良公園・定例探鳥会"があり、私は担当幹事になっていたので出かけて行った。 私は日本野鳥の会奈良支部の会員になってから40年を超えるが、最近はあまり熱心ではなくなった。若い時には大変 お世話になったので、せめて担当幹事に指名された時には参加させていただいている。散歩する時、鳥の鳴き声・姿 を見た際に"鳥の名前でも知っていたら一層楽しめるだろう"というのが、私が野鳥の会に入れていただいたきっかけ である。

この日の探鳥会への参加者は58名。随分、多くなった。高齢者が多くなって"ゆっくり歩いて、鳥の鳴き声・姿を 楽しもう"という人が多くなったと思われる。9時に近鉄駅広場に集合して、11:30頃東大寺東塔址付近で"鳥合わせ( 出会った鳥の名前の確認、この日は29種)"をした後、解散した。

私はその後、奈良国立博物館へ行き、地下のレストランで昼食を摂った。そして開催中の特別陳列"お水取り"と "鎌倉時代の唐招提寺と戒律復興"を拝観した。

燕の歌 (上田 敏 海潮音より)

弥生ついたち、はつ燕
海のあなたの静けき国の
便もてきぬ、うれしき文を。
春のはつ花、にほひを尋むる
あゝ、よろこびのつばくらめ
黒と白との染分縞は
春の心の舞姿。
・・・



2019.3.4

私の散歩道(1a)

2017.11.28に記した大仏殿裏からの続きである。
大仏殿裏の道を真っ直ぐ東に進む。すると、二月堂に至る。そこからは2019.1.12に記したコースと同じである。 これが、私が最も多く選択するコースである。今は、二月堂では修二会(お水取り)が行われており、昼食後に行く と籠りの僧も昼食後でくつろいでいる姿が見られる。丸窓梅園では種々の梅の花が満開である。

奈良のお菓子屋さんでは、この時期、お水取りで使う"椿の造花"に因んだ生菓子饅頭を売っている。どれも 美しくて魅力的ですが、私は菊屋の"開山堂"が好きである。東大寺開山堂の名椿"糊こぼし"に似せた和菓子 で、色・味ともに良い。愛用の茶器で、美味しいお茶を入れ、美味しい和菓子をいただく。至福の時である。


2019.2.27

乳頭温泉

例年だとこの時期、私は雪景色を見るため、北陸の温泉を訪ねる旅に出るのだけど、今年は北陸に積雪がほとんど無い。 それで積雪の多い東北地方の温泉を訪ねることにし、乳頭温泉を選んだ。宿の手配、鉄道切符の予約はスマートホンで行なった。

2月24日8:28近鉄奈良発に乗り、京都駅で東京までの切符、東京駅で田沢湖までの切符を受け取り、15:09田沢湖駅に着いた。 東京ー田沢湖間の列車は満席であった。予約しておいて良かった!田沢湖で乗車するバスの発車時刻を宿に知らせた。 アルパこまくさのバス停に宿の車が待っていた。16:30乳頭温泉の宿:鶴の湯(右上の写真)に着いた。
積雪は盛岡までほとんど無く、安達太良山、蔵王山、船形山等高い山に見られるだけであったが、秋田新幹線になると 沿線の平地にも積雪があるようになり、乳頭温泉になると積雪も1m以上になり満足であった。鶴の湯には温泉が5つあり、 源泉が異なり成分も異なるとのことであったが、どれも白濁のお湯であった。30人は入れる男女混浴の露天風呂もあった。 夕食は山菜・キノコが中心で、山芋の団子汁も美味しかった。魚はイワナ・アマゴの川魚だけ。 山奥の宿の味を楽しませて頂いた。

2月25日 朝食をすませて温泉に入った後、裏山の乳頭山(烏帽子岳1477m)への登山道に入り、登山者の足跡を辿って30分ほど 歩いた(右下の写真はその途中)が、それ以上は危険と判断して引き返した。
鶴の湯での連泊を希望したが満杯のとことで、1kmほど離れた所にある別館:山の宿に、昼食後移動した。地元の木材を使って 平成6年に建てられた平屋の建物で、温泉は3つで全て貸切性で、私の様に1人で入る者には、少しもったいないと思った。 雪景色を眺めながらの温泉は格別であった。散歩をしたいと外に出たが、車道以外は積雪が1m以上あったので、車道を歩いた。 車が来ると危険であるが、滅多に来ないので、雪景色を楽しむことが出来た。
囲炉裏を囲んでの夕食も美味しかった、山芋の団子汁のかわりにきりたんぽ鍋であった。

2月26日 10:30宿のバスでアルパこまくさ迄送っていたたき、路線バスで11:30田沢湖に着いた。 12:12秋田新幹線に乗り、18:50奈良の自宅に帰着した。
鶴の湯、山の宿共に、テレビは無く、何もせず・考えず、のんびりお過ごし下さいという宿であった。また訪れたい温泉宿であるが、 関西からだと少々交通費が高いのが欠点である。


2019.1.12

私の散歩道(3b)

2019.1.9に記した正倉院東側からの続きである。
今回は北に進んだ。100m程進んで右折・東に進む道を100m程進んで左折・北に30m程進むと、東側に空海寺がある。 弘法大師空海が開基した寺で、東大寺の末寺である。寺の裏山には、明治以降の東大寺別当の墓がある。空海は 810-814年に東大寺別当であった。

空海寺から100m程北に進むと、五劫院がある。この寺も東大寺の末寺で、鎌倉時代に焼失した東大寺大仏殿を再建 した大勧進・重源上人が創建した寺である。境内には、江戸時代に焼失した東大寺大仏殿を再建した大勧進・公慶上人 の五輪塔がある。

五劫院から300m程北に進むと佐保川にぶつかる。橋を渡らず北に300m程進み左折して北へ500m程進むと三笠霊園 への入り口がある。三笠霊園の上部に鎌倉時代の東大寺別当の墓がある。重源上人の墓・五輪塔があり、奈良を一望で きる。

三笠霊園への入り口前を200m程進むと佐保川にぶつかる。佐保川沿いの道を300m程進むと、蛭子神社がある。毎年11月19日 の例祭には「鯛の懸物」がお供えされ賑わうが、普段はひっそりとしている。引き返して佐保川を渡り、川沿いに歩いて 般若寺交差点を渡り、北へ200m程進むと般若寺楼門(鎌倉時代・国宝、右の写真)の前に出る。

般若寺楼門前の道は「京街道」で京都と奈良を結ぶ古道である。奈良時代に聖武天皇が平城京の鬼門鎮護のため伽藍を 建てたと伝わる寺である。鎌倉時代に平重衡の南都焼き打ちの合戦場となり、伽藍は焼亡した。現在、境内には立派な 十三重石宝塔(重文)があるが、鎌倉時代に宋から来日した石工・伊行末によって建立されたものである。

般若寺から旧奈良少年刑務所の前を通り、多門城址に建つ三笠中学校の横、聖武天皇陵前を通り帰宅した。歩数8000。


2019.2.9

長女の長男の来訪

上智大生である長女の長男Rが、春休みになったというので、2月4日の夕方我が家に来てくれた。

5日 私はテニススクールに行き、愚妻とRは昼食にお好み焼き屋へ行きその後奈良公園を散策してきた。 愚妻は「一万歩以上歩いて疲れた」と言った。

6日 Rが奈良へ来る目的の一つは自動車の運転練習である。免許はとったが日頃運転していないので 運転感覚を保持する必要があるのだ。それで、昼食後、交通量の多くない所まで私が運転していき、 その後Rが運転した。結構、運転感覚を保持しているのには感心した。

7日 Rが運転し、私が横に、愚妻が後部座席に乗って、家から10km程の所にあるレストラン行った。昼食を摂り、 帰路もRが運転した。すっかり信頼したのか愚妻は帰路の車中で居眠りをしていた。

8日 生憎の雨でテニスも出来ず、運転も危険なので無し。

9日 Rが運転し、私が横に、愚妻が後部座席に乗って、浄瑠璃寺へ行った。寺前の茶店で昼食を摂った。その庭には 美しい桜が満開であった。店の人に尋ねると「"元日桜"です」とおっしゃった。浄瑠璃寺の庭園の整備事業も終了し ていて"スッキリ"していたが、なんだか"新築"といった感じであった。本堂の九体阿弥陀如来の修理が始まっていて、 二体が奈良国立博物館の修理所にお出かけになっていて不在であった。五年かけて九体の修理が行われる様である。 右の写真は本堂・庭園をバックにしたスナップ。帰り道の途中で車を停めて、農道を散策した。帰路もRが運転した。

私のホームページはHTMLファイルとして作成し、FFFTPでサーバーに保存(アップロード)しているのですが、 一部の文字で"文字化け"が生じて困っていた。Rは情報理工科の学生だというので相談したら、すぐに原因を解明し 解決してくれた。流石!と、感謝・感謝。


2019.2.3

節分

もう節分である。日差しも随分強くなった。庭の節分草(右の写真)が花を咲かせている。節分草とは 良くつけた名前で、毎年節分の頃に咲く。水仙も今が盛りで、部屋の花瓶に生けると、強い香りが部屋 いっぱいに満ちる。?梅も同じである。昨年の暮れに、サンシュウの赤い実のなった枝を生けて置いたら、 蕾が膨らんで、数日前に咲いた。その生命力の強さに感動である。

節分の行事として"豆まき"を我が家でもする。"福は内"と唱えながら、家の中の各部屋に豆をまく。 最後に、玄関のドアを開けて"福は内、福は内、福は内"と唱えて3度豆をまき、"鬼は外"と唱えて豆をまいて ドアを閉める。そして、その後は外に出ない。豆まきの後、豆を自分の歳の数だけ掴み(一度で掴めたら幸運)、 その豆を頂く。私が最初に掴んだのは67個。10個追加した。


2019.1.26

若草山山焼き

朝起きて若草山を見るとうっすらと雪が積もっていた。今日の山焼きは中止かな?と思った。 今日は神戸大でのテニスの日である。身体の方はまだ少し痛みも残っていたがラケットを素振りすると 何となく出来た。それで、出かけて行った。まずまず、楽しむことが出来た。少し安心。テニス中に 雪が激しく降り出して、何となくロマンティックであった。

近鉄奈良駅に着いて地上に出ると、若草山で花火が上がっていた。花火も年々技術が向上しているのか、 美しい花火が増えてきたような気がする。6:30若草山山焼きが始まった。早速、我が家の二階に上り、 見物させていただいた。右上の写真は我が家の二階から撮った。

大坂なおみさんがオーストラリアオープンテニスで優勝した。準優勝のクビトバさんもよく頑張った。 良い試合を見させていただいた。大坂なおみさんはまだまだ強くなれそうですね。


2019.1.24

テニス

オーストラリアオープンテニスでは、錦織さんや大坂さんが大活躍で楽しませていただいております。 大坂さんは決勝戦まで進んでおり、凄いですね。

テレビでオーストラリアオープンテニスを観戦して、私はテニスをしたいとウズウズしていました。 23日の朝、テニススクールのコーチから電話があって"今日11:00からのレッスンは他のメンバーは 全員欠席で加藤さんだけですけどいいですか?"と言われた。私は"コーチが良ければ、私はかまいません"と 答えた。で・・・、生徒は私だけの個人レッスンとなった。コーチが"何か練習したいことありますか"と おっしゃったので、私は"サーブの手ほどきをしてください"とお願いした。で・・・、一時間半みっちり、 サーブの手ほどきを受けた。とても良いレッスンであった。

ところが・・・、24日朝、右腕が痛くて上がらない。年を取ると疲れは遅れてやってくる。前日はなんでも なかったのに・・・。夕方になって、漸く、痛みも少なくってきた。さて、明日の朝はどうだろう・・・。


2019.1.17

1.17

1995.1.17の阪神淡路大震災から24年、新聞では追悼記事が大きく取り上げられている。大きな被害を受けた 神戸も、今ではすっかり復興している。多くの人・国家の支援のお陰と、私も感謝しております。

今日の午後、愚妻が白内障の手術を受けた。私は付き添いで、車に愚妻を乗せ、私が以前に白内障の手術を受けた病院 へ連れて行った。愚妻は緊張していたが、私は気楽であった。自分のことでないと全く気楽であることに驚いた。 それを愚妻に告げたら、苦笑していた。




2019.1.12

私の散歩道(3a)

愚妻は14日に京都で"琴の演奏会"に出演するそうで、その直前合奏練習のため7:00前に家を出て京都へ行った。 13日も京都へ行くそうである。私はのんびり散歩に出た。

2019.1.9に記した正倉院東側からの続きである。
今回は南に進んだ。100m程進むと東大寺二の池が左手にある。その手前で左折、正倉院南側の道を東に進む。 正倉院正倉の見学路入口を過ぎ、東大寺講堂址の北端、塔頭竜松院を過ぎた所で南進、大湯屋の手前で左折し 二月堂に行き参拝。次いで、法華堂、手向山八幡宮に参拝の後、春日野園地、奈良国立博物館の東側を通 って、丸窓梅園、片岡、春日大社一の鳥居を経て興福寺に至る。西国三十三所観音霊場の第九番札所の南円堂 に参拝した後、三条通りに出、やすらぎの道を北進し、佐保橋を渡って、東に進む。天平橋を渡って左折、 長慶橋を渡って50mで我が家に戻った。約8000歩。


2019.1.9

私の散歩道(3) 聖武天皇陵から転害門

私の家の前の道を北へ100m程行くと一条通に出る。ここまでは私の散歩道(2)と同じである。 この一条通を東に進む。100m程進むと左(北側)に聖武天皇陵がある。聖武天皇陵の東には光明皇后陵 がある。御陵には広葉樹が沢山生えている。それで、初夏になるとフクロウの一種であるアオバズク が住み着いて、ホッ、ホッと夜中に鳴くのが我が家でも聞こえる。

一条通を東にさらに1km弱進むと転害門がある。転害門の前を南北に旧京街道(昔は奈良と京都を結ぶ主要道路) が通っている。転害門(右の写真)は三間一戸八脚門の形式をもつ堂々とした門で、天平時代の東大寺の伽藍建築 を想像できる唯一の遺構である。注連縄があるのは手向山八幡宮の祭礼がこの基壇上で行われることと関連が あるらしい。

転害門の脇を通って、さらに東へ進むと正倉院にぶつかり、南北に道が通っている。南へ進むか・北に進むか、 その日の気分で分かれる。


2019.1.7

正月

2日8:00に車で家を出て、生まれ故郷の岐阜県関市へ向かった。亀山PAで休憩し、11:20弟の住む実家に着いた。 岐阜県に入ると、景色が何となく見慣れたものになり、懐かしい気分になるからふ思議である。昼食後、弟と 近くに住む妹の家に行った。沢山のお土産を頂いて、弟の家に戻ったら、大阪に住む末弟が娘と三人の孫を連れて やって来た。寝たきりの養母に別れを告げ、皆で墓参りに行った。その後、私は実母の里である美濃市に行き、 従姉・従弟と会った。15:00墓参りに行き、その後、奈良へと向かった。18:30我が家に帰着した。

3日 書初めで般若心経とその訳文を書いた。昨年のと比べて、あまり進歩なし。

4日 前日の書初めに重大な誤りがあったので、書き直した。般若心経の理解が進んだ。

5日 神戸大学へ行き"テニスの打ち初め"をした。今年も元気にテニスを楽しめます様に!

6日 テニススクールへ行ってレッスン(90分)を受けた。このレッスンで歩数が4000。テニスの後、少し散歩(4000余)に 出て、1日の歩数目標8000を達成した。

7日 奈良奥山の最高峰 芳山(ほやま 518m)に登った。登山口の生琉里(ふるさと)まで車で行った。駐車して、 地元のお年寄りに、道を尋ねた。"そんなとこ行って自殺せんといてや"と言われたのには参った。スマホで YAMAPを見れば道を尋ねる事も無用。YAMAPはとても有用・・・これさえあれば道に迷うことも無い。芳山山頂には 巨石が散在しており、歴史を感じさせるものがあった。


2019.1.1

2019年元旦

新年おめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

愚妻と私の二人だけの正月である。お雑煮(炭火でお餅を焼いて、大根・里芋を入れて炊いた白味噌汁に入れる) を頂いた。このお雑煮、結婚当初は戸惑ったが、今ではすっかり飼いならされて、美味しい。 11:00初詣に出た。先ず、氏神である漢国神社(かんごうじんじゃ、593年創建)に参拝。 次いで、興福寺南円堂、春日若宮、春日大社、手向山神社と参拝した。12:30東大寺法華堂前の茶屋で きつねうどんを食べた。東大寺大仏殿に参拝し、絵馬をいただいて帰宅した。15:30で歩数12,614であった。

右の写真は恒例の我が家の床の間。花器は法隆寺の古材。花はHK流。掛け軸は"大仏蓮弁の拓本":東大寺 大仏の座っておられる蓮台の周りの蓮弁に毛彫りされている釈迦如来の拓本。この蓮弁、二度の火災・大仏崩壊で 傷んでいるが創建時の数少ない遺構物である。

私、未来のエネルギー源は再生可能エネルギーにすべきとかんがえます。奈良の私の家でも、屋根に太陽光発電 パネルを設置して、我が家で消費する大半のエネルギーを充足する事が出来ました。太陽光のエネルギーがこんな に大きいことに驚いています。発電効率も改善が進むでしょう。"昼間だけの発電ではふ都合"という問題は蓄電池の 改良・改善で解決出来ると思います。自動車の電気自動車化が進むと言われています。従って、蓄電池の改良・ 改善は重要な課題となっていますので、その進展があると思います。
大規模な太陽光発電パネルは景観を壊すと反対する人がいますが、危険極まりない原子力発電の使用済み核燃料・ 核廃棄物のことを思えば仔細なことと思います。


2018.12.29

年の瀬

2018年もあと少し。爽やかな気持ちで新年を迎えようと、家の大掃除をしたり、積み残しの仕事を片づけている。 それでも、無理をして体をこわしては意味がないので、ぼちぼちである。

今年漬けた沢庵がそろそろ食べられそうなので、昨年漬けた古漬けを取り出して"贅沢煮"を作った。 古い沢庵の匂いが部屋いっぱいに充満したのには参った。でも、何だか懐かしい味で嬉しい。

散歩で手向け山神社を通ったら、立派な鮭(右の写真)がお供えしてあった。春日大社のおん祭りでは、 大宿所に鮭・鯛・雉・野兎が御供されるが、手向け山神社でもこんな神事があるのだと知った。


2018.12.26

我が家の太陽光発電

福島の原発事故を契機に我が家では太陽光発電装置を導入した。設置してから5年間のデータは 2016.5.19のブログに記載した。その性能に満足したので、我が家で使う電力の全てを太陽光発電で まかなおうと、2016年9月に太陽光発電装置を増設した。その後1年間のデータは2017.10.9のブログに 記載した。その後の一年間のデータを加えて結果を記載する。



2016年10月から2017年9月までのデータと共に、2017年10月から2018年9月までの月別太陽光発電量を図1に、 月別電力消費量を図2に示す。この1年間の総太陽光発電量は6597kWh, 総電力消費量は7919kWhであった。 前年はそれぞれ6602kWh, 6976kWh。我が家はオール電化で、冷暖房・調理・風呂・家電・照明全て電気で ある。全電力消費量を太陽光発電でまかなうという目的は達せられなかったが、まずまずである。

太陽光発電量の内、発電中に我が家で消費する電力は太陽光発電の電力を使用する。その量を図3に示す。 残りを関電に売る。月別の関電に売った電力の料金を図4に示す。発電中でも足りない部分・夜間の使用 電力は関電から買う。月別の関電に支払った料金を図5に示す。2017年10月から2018年9月までの1年間に 関電に売った電力の料金は226,944円、関電から買った電力の料金は135,705円であった。概算であるが、 あと10年弱で初期投資の元はとれる。

太陽光発電は夏は効率が良く・冬には効率が悪い。日本では北日本や日本海側では効率が悪く、太平洋側・ 瀬戸内・九州では効率が良い。効率の良い九州で九州電力が太陽光発電を否定し、原子力発電に注力して いるのはなぜだろう???   


2018.12.14

ツグミの来訪

今年もツグミが我が家の庭にやって来た。今はせっせとサンシュウの赤い実を食べている。 赤い実を2,3個口の中に入れると、窓際のうえ木鉢の横に来る。暫くすると、口の中から種を はきだす。それで、うえ木鉢の周りには、既に種が100個ほど散らばっている。私が下手なピアノを 弾きだしても逃げない。じっと聴き入っている。これらの行動は、昨年のツグミと全く同じである。 それで私は、このツグミは昨年のと同じ個体だと確信した。

このツグミ、おっとりしていて、アオジ、メジロ、シジュウガラ等が来ても悠然と眺めていて、 追っ払うことをしない。ヒヨドリには追っ払わられるけど、遠くには逃げない。じっとヒヨドリの 立ち去るのを待って、何事もなかったかのように、サンシュウの木に戻り赤い実を食べている。 私は、"こうした生き方もあるなあ"と、感慨にふけっている。


2018.12.6

線量計が鳴る

中村敦夫さんのひとり語り"線量計が鳴る-元原発技師の独白" 奈良公演が奈良まちセンター市民ホール で、12月6日18:30から開催された。私は街角のビラでこれを知り、電話で予約して出かけて行った。 中村敦夫さんは、2011年の福島原発事故を題材にした朗読劇"線量計が鳴る"を書きおろし、2017年から 日本全国を公演していらっしゃる。途中15分の休憩があって、20:45に終了した。原発の危険性・問題点等 を告発する朗読劇であった。会場は満席であった。この朗読劇"線量計が鳴る"は単行本ISBN978-4-88059-411-8 としても発売されています。1200円

中村敦夫さんは公演後"私は現在78才で、これが52回目の公演、明日は大阪で公演。木枯し紋次郎以来の忙しさです。 この元気の源は'怒り'かな。"とおっしゃった。・・・愚妻も同じだ!

この公演の観客は大半が年配者であった。若者が少ない。何故だろう? "木枯し紋次郎"を知っている世代 に限られているの???


2018.12.3

吉例顔見世興行

京都の年中行事である"當る亥歳 吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎"が耐震補強工事を終えた南座で行われている。 南座に電話して"本日の夜の部のチケットはまだありますか?"と訊ねたら"一等席なら若干あります"とのことだっ たので、出かけて行った。14:30南座に着いてチケットを買った。花道脇の良い席を買うことが出来た。16:50開演 なので、時間がある。私は八坂神社へと歩いて行った。驚いたことに、和ふくを着た若い人が沢山いらっしゃった。 日本語、中国語、韓国語を話す人達が、良く着こなしていらっしゃった。八坂神社に参拝後、円山公園へと歩いて 行った。和ふくを着た美しい日本人の女性に尋ねた"良くお似合いですね。その和ふくいくらで借りたんですか?"と。 "髪を整え、着せてもらって4000円です"とのことであった。

16:10南座に戻った。丁度昼の部が終わったところで、観客が出て来られる所であった。お茶屋の女将・芸子・ 舞子さん達の美しく華やかな姿を眺めながら、入場を待った。16:30入場。イヤホンガイドを借り、幕間に食べる 弁当を予約した。 最初に、『義経千本桜』木の実・小金吾討死・すし屋:片岡仁左衛門、片岡孝太郎、片岡千之助の親子孫三代そろっての 出演が売り物。その後の休憩時間に弁当を食べた。ついで、『面かぶり』:中村鴈治郎が若柳流の振付で踊った。次が、 『弁天娘女男白浪』: 弁天小僧菊之助を片岡愛之助、日本駄右衛門を中村芝翫、南郷力丸を市川右團次、赤星十三郎を 中村孝太郎、忠信利平を中村鴈治郎が演じ、弁天小僧の"知らざぁ言って聞かせやしょう"から始まるメイ台詞、稲瀬川勢揃い における"花道での渡り台詞"、"本舞台での連ね"等、楽しむことが出来た。最後が『三社祭』:若い片岡千之助と中村鷹之資 が息の合った溌溂とした踊りで締めくくった。終演が10:00。

お陰様で、今年も"吉例顔見世"を楽しむことが出来た。感謝・感謝である。


2018.12.1

私の散歩道(2) 興福院から不退寺

私の家の前の道を北へ100m程行くと一条通に出る。この道は平城京当時には、内裏と東大寺を結ぶ主要道路 であったが、今は車がやっとすれ違うことが出来る道である。この一条通を西に10m程進んだら北への小路に 入る。その小路を50m程進んだら、左折して西進する。200m程進むと幹線道路"やすらぎのみち″に出る。 横断したら、再度西進する小路に入る。1km程進むと興福院(右の写真、こんぶいん、尼寺。山号:法蓮山、 本尊は木心乾漆阿弥陀如来及び両脇侍像-奈良時代、銅造観音菩薩立像-飛鳥時代は奈良国立博物館に寄託) への参道に出る。門前の小道を西進すると、長慶寺、奈良高校、笹岡神社(さおかじんじゃ、715年創祀) の前を通る。この辺りは佐保山と呼ばれる。大伴家持の屋敷もこの辺りにあったらしく、歌碑も所々にある。

まがりくねった小道をさらに西進すると不退寺(ふたいじ、金龍山 ふ退転法輪寺、845年在原業平により開基) に着く。ここの本尊:木造聖観世音菩薩立像は、両耳のあたりに大きなリボンを付けていらっしゃる。 今日、伺ったら、老齢の住職が本堂にいらっしゃったが、足が不自由で掃除もままならぬ様であった。 広い境内を護持するのも大変であると思った。

このコースは佐保路を散策するものである。往復で8000歩弱であった。


2018.11.20

カニのシーズン

今年も蟹のシーズンがやって来た。昨年も行った岩井温泉の岩井屋に"松葉蟹づくしコース"を予約した。 19日9:30に車で家を出た。昼食は、途中のSAで夜に御馳走があるから"うどん"で済ませた。13:00鳥取城 脇の長田神社に着いた。神社の駐車場に着いて、神主さんに"城址に行きたいんだけど駐車場はどこにありますか?" と訊ねたら"城山の頂上だったらここに車を停めといて登れるけど、往復2時間はかかります。城址だけなら、 堀脇の駐車場まで行けば15分ほどで登れます。"と教えて下さった。長田神社(古格ある立派な社)に参拝した後、 鳥取城趾へ行った。天守閣や櫓といった建物は無かったが、見事な石垣があり、そこからの展望も良かった。

15:30岩井屋に着いた。10年ほど前、故人となられた先代の女将さんが庭に生えていた"マイヅルソウ"を掘り起こしてく ださった。それを奈良の我が家の庭に植えたら?茂し、美しい花を咲かせてくれる様になった。一方、岩井屋で は"絶滅してしまった"と聞いた。それで、今回、我が家の"マイヅルソウ"を掘り起こして持って行った。 18:00から夕食というので、早速、温泉に入った。岩井屋の風呂は古格があって、源泉が湯舟の底から出る"かけ流し"の 優れものである。湯も良く、風呂場の雰囲気も良い。私のお気に入りである。

"松葉蟹づくしコース"は大変美味しかったが、量が多すぎた。私の様に老齢になると"美味しいものを少量"が良い。 次回は"こちらの要望を良く伝えて、予約をしなければ・・・"と反省。朝食も美味しかったし、サービス・接客も良い。 岩井屋は私のお気に入りである。

20日9:30にチェックアウト。帰路の途中にある"兎和野高原野外教育センター"に立ち寄り、"兎和野の大桂"を見物し、 "兎和野の森"を散策した。12:30帰路につき、前日の夕食・この日の朝食がタップリであったので、昼食は省略して、 15:30奈良の自宅に帰着した。


2018.11.12

柚子ジャム

今年も柚子を沢山いただいたので、早速ジャムを作った。作り方は2015.11.10のブログに記してある。 4kgの柚子と1.6kgのグラニュー糖から右の写真に観られるだけの柚子ジャムが出来た。これ、とっても 美味しい。毎朝トーストに付けて食べる。1瓶で1ヶ月、12瓶で1年間、毎朝楽しむことが出来る。 風邪でもひいたら、このジャムを湯でといて、蜂蜜を加えて飲む。

愚妻に"これは美味しいので食べないように! 食べたかったら自分で作るように!"と宣言した。 愚妻は、私のブログのレシピを見がら作る予定である。


2018.11.6

藤田嗣治展

京都国立近代美術館で藤田嗣治(1886?1968)の没後50年を記念する大回顧展が10月19日〜 12月16日に開催 されている。私はそれ程好きではないが、独自の絵画世界を確立した偉大な画家:藤田嗣治の作品がこれほど 纏まって展示される機会はまたとないと思い、出かけて行った。12:30近鉄奈良駅発の京都行き急行に乗り、 竹田駅で国際会館行きの地下鉄に乗り替え、烏丸御池で東西線に乗り換え東山駅で下車した。歩いて10分ほど で、京都国立近代美術館に着いた。久しぶりの京都である。こんなに短時間(1時間20分)で来られるなら、もう少し足繁く 京都に来ても良いなと思った。美術館への道沿いの町筋は、大変綺麗で立派な店が多いと感じた。

展覧会は"乳白色の下地と繊細な描線による裸婦"の代表作が集められており、年代順に、"風景画、肖像画、裸婦、 宗教画"等のテーマ別にと展示してあり、藤田嗣治の画業・人間が概観出来る素晴らしい展覧会であった。


2018.11.1

インフルエンザ予防接種

私は"インフルエンザ予防接種はしない。効果も明確でないし、なったらなった時"と思っていた。ところが、 テニススクールの仲間にお医者さんがいて"効果はありますよ。それに、自分だけでなく、他の人にうつさな いという観点でも、予防接種はしといたほうが良い"と言われた。何となく説得力があったので、そのお医者さん の所へ行って、インフルエンザ予防接種をして頂いた。その際、お医者さんの奥さんが出てきて"かねがねお話 は伺っております"と挨拶にこられた。次回のテニススクールでは"手加減をして、気分良く帰宅させてやろう" と思った。


2018.10.29

第70回正倉院展

今年の正倉院展は、10月27日から11月12日迄開催されている。今日は良い天気だったので、昼食後の散歩に出て、 焼け門、二月堂、手向け山神社、春日野園地を経て奈良国立博物館に至った。正倉院展用に長いテントが張って あったが、行列も無く直ぐに入れそうだったので入館した。館内もそんなに混雑していなくて、説明文を読みながら ゆっくりと拝観することが出来た。月曜日は穴場かも・・・。私は毎年正倉院展を拝観しているから、展示品の 多くは拝観したことがあるが、展示の仕方も工夫が進んできて、楽しく拝観できた。


2018.10.22

シニアドライバーズスクール

JAF(日本自動車連盟)が開催している、シニアドライバーを対象にした"自身の運転を振り返り、今後の予防安全 に役立てることを目的"としたスクールに参加させていただいた。私は申込者多数で抽選に落ちたが、辞退者が 出て急遽参加許可がおりた。各自のマイカーを使用し、交通安全の基本を再確認するための講習会である。

私は、11:45に会場である橿原中央自動車学校に着いた。指導員の方々が待ち受けていらっしゃって、手際よく 案内をしてくださった。受付手続きをしたら、私が一番最初であった。近くのレストランでトンカツ定食(780円) を食べて戻ったら、参加者19名全員が揃っていた。12:30からスクールが始まった。カリキュラムは
1.いきいき運転講座 (座学講習)
2.運転の基本の確認(運行前点検・運転姿勢の確認・車の死角確認)
3.交差点での安全な通過方法 (多段階停止)
4.スムーズなハンドル操作 (ストレートスラローム)
5.正しいブレーキ操作 (急制動体験)
6.先進安全自動車 (ASV)体験 :衝突被害軽減ブレーキ・誤発進抑制制御機能
6.以外は全て、免許を取るとき自動車学校で習ったことであるが"安全運転のための基本の重要なこと"を 再認識・再学習出来て、とても良かった。指導員の方々の連携も良く、素晴らしいスクールであった。 16:30にスクールは終わったが、清々しい気分で家路につくことが出来た。


2018.10.18

若草山

今日は良い天気であった。昼食後、散歩に出て二月堂まで行ったところで"久しぶりに若草山の登ろう"という気になった。 秋日和でそれほど汗をかくことも無く標高270mの一重の頂上に着いた。そこにいる人の80%が外国からの観光客であった。 見晴らしも良く(右の写真)、爽快であった。

家に帰って愚妻に"若草山に登ってきた"と言ったら、愚妻は"そんなこと言ってくれたら・・・私も行きたいのに・・・"と 言った。私が"お前は息が切れて登れんだろう"と言ったら、プンプンに怒ってしまった。


2018.10.17

10月17日

毎年10月17日は興福寺の南円堂で大般若経転読会が開催され、堂内の拝観が一年でこの日だけ許される。それで、 私は開扉時9:00に南円堂に行った。 堂内には本尊・不空羂索観音坐像(ふくうけんさくかんのんざぞう)、法相宗(ほっそうしゅう)高僧6人の法相六祖坐像、 四天王(持国天、増長天、広目天、多聞天)立像が安置されていた。これ等は、鎌倉時代の仏師康慶とその弟子たちによる制作品で、 全て国宝である。四天王像は仮講堂から,六祖像は国宝館などから最近南円堂に移された。とっても壮観であった。これだけの 宝物が、1年で1日だけ公開というのは勿体無いと思う。なお、これまで南円堂にあった四天王像は中金堂に移された。

その後、テニススクール(11:00-12:30)に行った後、白内障の手術を受けた病院へ行き、手術後80日の定期検診を受けた。 "経過は良好で、視力は1.2で安定。次は三か月後に検診に来なさい。"と言われた。一人の眼科医が学会出張でお休みとかで、 予約して行ったのに3時間も待たされて閉口した。


2018.10.7

興福寺中金堂落慶

714年に建立された興福寺の中金堂は、たびたび焼失しつつ再建されてきたが、1717年に焼失して以来貧弱な仮堂であった。 このたび創建当初の姿で再建され、10月7日から落慶法要が始まった。初日の7日は興福寺による法要。8日は西国三十三所札所会、 9日は南都諸大寺、10日は比叡山延暦寺による法要が続き、11日に結願する。

私は7日の法要に臨席させていただいた(右の写真)。法要の後、真新しい中金堂の内陣に入れて頂いた。 江戸時代に造立された木造釈迦如来坐像が金箔を貼り直されて本尊として鎮座しておられた。その両脇に木造薬王(やくおう)菩薩立像と 薬上(やくじょう)菩薩立像(重文)がいらっしゃった。須弥壇の四方は、南円堂から移された運慶作の四天王立像(国宝) がかためていらっしゃった。私は、これならまずまずの配置だと思った。

関係者各位のご努力のお陰で、興福寺の中核が出来、寺院としての形が出来たと慶賀の意を表したいと思います。


2018.10.3

本庶佑さんのノーベル医学・生理学賞

スウェーデンのカロリンスカ研究所は、2018年のノーベル医学・生理学賞を、免疫制御分子の発見とがん治療への 応用研究を行った本庶佑(ほんじょ・たすく)京都大学特別教授と米テキサス州立大学のジェームズ・アリソン博士(70) に授与すると発表しました。基礎研究による重要な発見とそれが多くの癌患者の治療薬にまで発展したことは嬉しいことですね。 本庶佑教授らの貢献に敬意・感謝すると共に、この分野での多くの優れた研究者を育てられた故早石修先生の功績は多大なもの だと思います。

右の写真は、庭のアケビのつるになったアケビの実。


2018.10.2

腰の怪我

2016年の6月16日に腰椎椎間板ヘルニアで入院し7月4日に退院した。その後リハビリに努めて、2016年末には完治した。 その後は腰の状態も良く、ギックリ腰も起こさず、腰椎椎間板ヘルニアで入院した以前より調子も良好であった。 私は"完全に治った"と公言していた。そこに油断があった。
2018.10.2の午前中に重い荷物を運ぶ作業をした。その時は何も感じなかったが、昼食後になると"なんだか腰が痛い" と感じだした。夕方になると"腰をかがめると痛みが走り、腰に力を入れることが出来なくなった"。夕食後、風呂に入った後、 床に着いた。"軽いギックリ腰"という感じで、寝返りをするときにも腰に痛みがはしった。
10月3日家の中・庭をそろそろと歩く程度。腰を下ろすとき、腰に痛みがはしった。健康であることの有難さを痛感する。 夕食後、風呂に入り、10:00床に着いた。
10月4日痛みはあるが、歩けるようになり、近鉄奈良駅近くまで往復した。歩数4844
10月5日痛みも少なくなり、二月堂迄散歩した。歩数5156
10月6日神戸・六甲道迄行き、会食した。痛みもあまり感じなくなった。
10月7日興福寺中金堂の落慶法要に参加。
10月8日二月堂から興福寺へと散歩。東金堂・国宝館を拝観
10月9日テニススクールを休み、興福寺中金堂の落慶法要に参加。
10月10日テニススクールを休み、二月堂から春日野園地、片岡を経て興福寺へと散歩。
10月11日車で蟹満寺へ行き、国宝の白鳳仏:釈迦如来坐像を拝観。興福寺国宝館の山田寺から持ってきたという仏頭の 完全形を想像させる立派な仏像に見入った。
10月12日ピアノ教室へ行った。その後、東大寺ミュージアム、二月堂へと散歩。歩数10127
10月13日ブロック塀が倒れない様に、鉄棒・鉄鎖で補強した。歩数8274
10月14日二月堂から春日野園地、片岡を経て興福寺へと散歩。歩数9245
10月15日興福院、奈良高校、狭岡神社、常陸神社と歩き、むかごを収穫して帰った。歩数10525
10月16日テニススクールでテニスをした後、買い物。歩数8536
10月17日興福寺の南円堂参拝後、テニススクールでテニス。その後、眼科医院へ行った。
10月18日若草山に登った。歩数13270
10月19日車で法隆寺へ行き、参拝後、法起寺、法輪寺へと散策。歩数11847
10月20日神戸大学でテニスをした。歩数11028
三週間を経て、痛みも無くなり、ほぼ完治。これから鍛えて、再発防止に努めたい。


2018.9.20

シェフェスタ in 奈良

奈良公園で本格的な料理が楽しめる“奈良の食材とシェフの祭典:シェフェスタ”が、奈良公園登大路園地で 9月15日 - 9月24日に開催されている。今回は10回目で、奈良の人気シェフが本格料理でもてなすシェフズキッチン。 旬の野菜や加工品に出会えるマルシェ。石窯を使った、焼きたて青空ピッツァ。カフェメニューや手作りのお弁当が 並ぶシェフェスタカフェ。等々のお店が集まっています。

シェフズキッチンは、有名シェフが日替わりで、キッチンカーで自慢の料理を提供しています。今日はあいにくの雨 だったので、私は長靴を履き、傘をさして出かけて行った。お店も閑散としていたので、私はシェフズキッチンに入り、 ランチ(2000円)を注文した。今日はスペイン料理のレストラン"アコルドゥ"のシェフ川島 宙さんが担当していらっしゃった。 料理は・大和牛のローストと酒風味の米の煮込み,大和丸茄子とハーブ。 ・野迫川アマゴのフリットと川の香りのクーリ。 ・奈良産大豆の豆乳とぶどうのアホブランコ,シェリー酒のジュレ。 の3品からなり、とても美しかった。2000円は格安。来年も生きていたら、川島 宙さんの担当日に行こうと思う。


2018.9.9

重陽薬師会

先日、散歩の途中で、興福寺の宝物殿と東金堂に入った。その際、9月9日に南明寺で行われる重陽薬師会のパンフレットを頂いた。 南明寺(なんみょうじ)は奈良市の郊外・柳生街道沿いにある、771年の創建といわれる古寺。本堂は鎌倉時代の寄棟造り(重文)で、 堂内中央に本尊薬師如来、左に釈迦如来、右に阿弥陀如来(いずれも平安後期、重文)が安置されています。さらに、境内には 宝篋印塔(鎌倉時代)、十三重石塔(室町時代)などがあります。しかし、現在は無住のお寺となっており、本堂内陣の拝観は要予約 ですが、重陽薬師会には公開である。

私は出かけて行って、12:00に南明寺に着いた。重陽薬師会は13:30から開催されるとのことで、本尊薬師如来の前で、 坊さん達が事前の打合せをしておられた(右の写真)。時間があるので、円照寺前の茶店で昼食を摂り、13:30に南明寺に戻った。 重陽薬師会法要は、菊花をささげた薬師如来の前で、舞楽(振鉾)、僧侶入堂、惣礼、舞楽(蘇合香)、散華、読経、舞楽(貴徳)、 論義、僧侶退室と行われた。その後、菊の花びらを浮かべたお酒・茶を頂いた。小さな村での古雅な催しを楽しませていただいた。


2018.9.5

白内障手術後1ヶ月検診

今日は10:00-11:30の間テニススクールに行きテニスをした。前日の台風で、コート内にも樹木の小枝や葉っぱ が散らばっていたが、コーチが掃除をしておいて下さった残りとのことであった。

白内障手術後1ヶ月検診が15:00に予約してあった。で、14:45に眼科医院へ行った。前日が台風で休診になった影響?、 16:30になって診察していただくことが出来た。検診の結果"順調に進んでいます。明日からスポーツをしてもよいですよ" と言われた。私はテニスを再開していることは、黙して語らなかった。


2018.9.4

77才の誕生日

今日は、私の77才の誕生日である。特に感慨は無いが"良くぞここまで生きてこられた"と、感謝・感謝である。 愚妻が気が付かない恐れがあるので、一か月ほど前、私は家の近くにある日本料理店に夕食を予約しておいた。 ところが、強い台風21号が、14:00に神戸に上陸し、奈良でも強い暴風雨となった。予約しておいた日本料理店 から、16:30に電話があった。営業中止の連絡かと思ったら"うちは準備しています"とのことであった。それで、 予約時間の18:00に、その日本料理店に入った。

店の主人は"満席であったのにキャンセルで、半分になってしまいました"とおっしゃった。そのせいか、いつもより 量が多い感じであったが"とても美しかった"。私は、奈良では"一番の日本料理店"と思う。精々贔屓にして、 大切にしていかなくてはと思っている。


2018.9.1

やっと九月

今年の夏は暑くて、なかなか昼間に外を歩く気が起こらなかった。今日は9月1日、奈良では朝方雷がなって雨が降った。 最高気温は30℃、少し涼しくなった。で、昼食後、雨傘を手に持ち、散歩に出た。東大寺焼け門、勧進所前を経て、 戒壇堂へ行き、久しぶりに四天王像(天平時代の彩色塑像)を拝観させていただいた。忿怒相の増長天と持国天、 両目をひそめて前方を見つめる広目天と多聞天、全て人間的で高い精神性あふれる像・国宝である。次いで、指図 堂へ行った。法然上人の画像が本尊であった。次いで、二月堂へ行った。北参籠所で管長が講演をしておられたが、 私は素通りして法華堂へ行き、堂内に入れて頂いた。八角の須弥壇を修復したのを機会に、本尊のふ空羂索観音菩薩、 両脇に梵天、帝釈天、その前に阿、吽金剛力士、四隅に増長天、広目天、多聞天、持国天、背後の逗子に執金剛紳(秘仏) の10躰だけになり、全て脱乾漆造の天平時代の像・国宝で、創建当時の配置に近くなった?(以前にあった 日光・月光菩薩、弁財天、吉祥天、地蔵菩薩、ふ動明王は東大寺ミュージアムに移動)。私は、すっきりして統一 が採れたと思う。戒壇堂と法華堂の尊像を拝観して、天平時代を堪能させていただいた。

次いで、手向山神社に参拝し、東大寺本坊前を通ったら"東京芸大生による企画展"が本坊で行われていたので拝観した。 東大寺は最近、"東京芸大生に成果発表の場"を度々提供している。良いことだ思う。次いで、南大門、氷室神社前、 興福寺を経て、帰宅した。歩数10,200。久しぶりに一万歩を超えた。


2018.8.29

テニス再開

白内障手術を受けてから20日経った。眼科医は"30日後でないとスポーツはダメ"とおっしゃったが、 身体は元気なのだから"20日たてば怪我は治る"と勝手に考えて、テニススクールに行って28日の13:30-15:00、 29日の10:00-11:30のクラスに参加させていただいた。炎天下で汗をかいたが、どうやら大丈夫の様である。 でも、久しぶりの運動で疲れた・・・。


2018.8.27

伊吹山

久しぶりに伊吹山に行った。9:30に車で家を出た。関ヶ原ICを出てから、寄り道で美濃国分寺跡を 訪ねた。道路わきに東西230m,南北250mの寺域跡が発掘整備されていた。白鳳期の在地豪族の氏寺跡に、 美濃国分寺が建立されたとのことであった。"700年頃にはこの地に大きな勢力を持った豪族がいたんだなあ" との感慨に浸りつつ、見学させていただいた。

13:00伊吹山ドライブウェイ終点の駐車場(標高1260m)に着いた。駐車場脇のレストランできつねうどんを食べ、 西登山道から登り始めた。伊吹山は高山植物が豊富で何度も訪ねたことがあるのだけど、2,3年前に登った時、 鹿に荒らされて無残な姿になっていたのでガッカリして、暫く伊吹山に行く気がしなかった。その後の様子を 知ろうと出かけて行ったのだけど・・・、西登山道を登り始めて、沢山のサラシナショウマが咲いているのを 目にして・・・ホッとした。フェンスが多いのは目障りだけど、これによって鹿に荒らされなくなった様である。 ルリトラノオ、イブキトリカブト、リンドウ、クサボタン、イブキフウロ(右の写真)、ワレモコウ、タムラソウ 等々の花を堪能することが出来た。山頂の茶店でソフトクリームと伊吹牛乳をいただいた。中央登山道を下山し、 16:00駐車場を出発し、18:30奈良の自宅に帰着した。


2018.8.17

興福寺中金堂

私の白内障手術後の経過は順調の様で、眼科医は診察後"経過良好です。次は9月5日に検診に来て下さい。"と、おっしゃった。 でも、それまで"運動スポーツ禁止"である。・・・でも、忠実に守っていたら参ってしまう。で、夕方、散歩に出た。 東大寺二月堂、南大門を経て、興福寺に行った。

この秋、10月7日に落慶法要が予定されている"興福寺中金堂"の覆いが外されていた(右の写真)。平成10年から"中金堂の再建" が始まった。当初、"完成する頃、私は生きているだろうか"と思ったけど、どうやら生きていて"興福寺中金堂落慶法要"に参列 させていただけそうである。以前は、江戸時代に建てられた貧弱な仮中金堂が建っていたが、天平時代の建物を再現する立派は "中金堂"が出来て、大慶である。


2018.8.10

眼科医院の待合室

私の白内障の手術は無事に終了し、今日は右眼の手術後3日目の検診に眼科医院へ行った。私は少し気楽になっているので、 まわりを観察した。白内障の手術の患者が多いから?か、待合室にいる人の八割くらいが70才超と思われる。手術前及び 手術日は家族同伴を要請されているので、夫婦連れや親子連れが多い。

綺麗な母娘と思われる80代50代の二人連れがいらっしゃた。あの娘さん、30年後にはあの母親の様になられる・・・と思った。

隣席に座っていたご婦人が話しかけて来られた。"私、85才なんですけど5年前に夫を亡くしまして一人暮らしなんです。でも、 今日は近くに住んでいる娘が一緒に来てくれました。"と。私は"それは良いですね。娘さん毎日電話してくれますか?"と言った。 すると、それまでスマホをいじっていた女性が"母は耳が悪くて、家に行かないと、話が通じません"とおっしゃった。隣りのご婦人 "私、よくしゃべりますけど、何にも聞こえません"とおっしゃった。

80才位かと思われる足の悪い男性が看護師に"同伴者は?"と聴かれて、"私、独り者です"と毅然とした態度で答えて、 同意書にサインをしておられた。この人、きっと立派な人格者だと思った。

多様な高齢者を観ていて、この頃、自分で反省し、自分に言いきかせたいことは "誰でも歳をとると衰えていくものだ。 それを受け入れ、余裕を持って、ゆったりと生活していくことが大切だ。自分にも、他人にも・・・" と。


2018.8.8

白内障手術

白内障の手術を受けた。その記録。

7月3日10:30より手術の説明会。愚妻同伴。約1時間。

7月13日15:00より眼内レンズの検査・診察・HIV等の感染症検査のため血液採取。人間ドックの成績書提出。 クラビット点眼薬を購入した。

8月1日15:30より手術準備の説明。愚妻同伴。約1時間。手術手順の説明をうけ、点眼薬の点眼練習をした。 愚妻は"入院出来るようだから、入院して手術を受けたら?"と自分勝手なことを言った。

8月3日12:00眼科医院に到着。愚妻同伴。30分毎にミドリンP(瞳を開ける目薬)点眼。13:30左眼の白内障手術開始、13:45終了。 部分麻酔で痛み無し。眼帯をして帰宅。タクシーで2800円。ケフレックスカプセル250mg(細菌感染症に用いる抗生物質)を毎食後、 三日間飲み始める。手術後3日間は洗顔・入浴は禁止である。右眼だけではテレビを見ていても、目が疲れる。夕食後すぐ就床。 夜中に痛みは感じなかったので痛み止め薬は飲まなかった。

8月4日8:30眼科医院到着。眼帯をとり洗浄・診察。くっきりと見えるようになった。少しピクピクと痙攣があったので医師に相談したら "そのうちにおさまるでしょう"と言われた。その通り、一時間ほどで治まった。右眼は曇っていないと思っていたが、手術を受けた左眼と 比べると曇っていることが自認出来た。クラビット点眼薬(細菌による眼の感染症を抑え、炎症による痛み・はれ・かゆみを改善する)、 サンテゾーン点眼薬(眼の炎症を抑える)、ジクロード点眼薬(手術後の合併症を防止) を毎食後点眼開始。手術後7日間たったら30分位のウオーキングを開始しても良いが、それまでは安静に!と言われている。 外は暑いし、汗をかいてはいけないので、冷房の効いた部屋にこもったままである。洗顔・入浴は禁止されているが、ゴーグルを付けて、 軽くシャワーを浴びた。寝るときは眼を保護するためギッターを付けた。

8月5日洗顔禁止であるが、朝、髭を剃り、左眼以外を軽く洗った。クラビット点眼薬、サンテゾーン点眼薬、 ジクロード点眼薬を毎食後左眼に点眼(8月10迄)。私は遠くが見える眼内レンズを選択した。遠くは無論だが近くでも結構見えて、 新聞でも読める。しかし、近視眼鏡を付けた方が楽に読める。眼が安定したら近視用メガネを購入しなければと思う。 家に籠って、読書・ピアノ・習字をしている。身体が訛ってしまう。

8月6日朝、髭を剃り、通常どおりに顔を洗った。10:00眼科医院到着。検診後、医師は"順調に経過しています。明日は右眼の手術ですね。" とおっしゃった。お礼を言って帰宅した。近鉄奈良駅より自宅まで炎天下を歩いた。帰宅したらシャワーを浴び、石鹸で体を洗った。

8月7日13:30眼科医院に到着。愚妻同伴。30分毎にミドリンP点眼。15:10右眼の白内障手術開始、15:25終了。部分麻酔で痛み無し。 眼帯をして帰宅。ケフレックスカプセル250mgを毎食後、三日間飲む。手術後3日間は洗顔・入浴は禁止であろが、シャワーを浴び、 顔はタオルで葺いた。左眼だけでテレビを見て、無聊をまぎらわす。10:00就床。夜中に痛みは感じなかった。

8月8日8:30眼科医院到着。看護師さんが眼帯をとり洗浄してくださった。右眼もくっきりと見えるようになった。医師は診察して "順調で問題ありません"とおしゃった。左眼の時と同じ薬を頂いて帰った。

これで、ひとまず安心である。後は、8月10日と8月14日に診察を受けることになっている。8月20日までは旅行・温泉・散髪禁止。 9月8日まで運動スポーツ禁止。自重すれば元の生活に戻れそうである。

私のお世話になっている眼科医院は白内障手術の草分け的な医院ですごく盛況である。院長以外に10人程の医師がおられる。 担当医師は決めず"どの医師が診ても同じ治療が出来る"をモットーにしていらっしゃる様で、診察・左眼手術・診察・右眼手術・診察と 全て異なる医師(全員女性)が担当してくださった。事務員・看護師の対応もテキパキとしており親切であった。私の知る限り、 最も進んだ医療施設である。


2018.7.31

ピアノの発表会

29日にピアノの発表会がやまと郡山城ホールであった。私は17:00開演の第三部6番目に演奏した。 私の前に大学生と思われる若者たちがショパンのノクターンOp.9.2やドビュッシーの月の光を見事に 演奏した。私の演奏曲はゴンドラの唄、黒澤明監督の映画"生きる"の最終章で公園のブランコに揺ら れながら志村喬さんが歌っていた歌である。あんな風に歌えたらとゴンドラの唄を選んだ。

さて、私の番がきた。演奏しだしたら・・・前奏が弾けない。仕方が無いから、イーノチミジィカシ・・・ と弾けるところから始め、三番まで弾いた。さて終わろうとして後奏に入ったら又おかしくなった。 でも、実力からしてこんなもんだと自ら慰めた。この演奏のビデオCDをプロのカメラマンが撮っていて 私の演奏部分だけのものが5000円で買えるという。これは"参考になる。見事な演奏より面白かろう・・・"と、 私は注文した。

家に帰っても、愚妻は"どうだった?"とも尋ねない。でも、気にかけてくださる方にこの報告をする。

30日、朝早くピアノにむかいゴンドラの唄を弾いた。なんと、前奏も弾けた。緊張してこころが動揺していたらしい、 でも、この歳になっても"あがる"ことが出来るのは嬉しいことだ。イヤイヤ、もう少し弾きこんでおけばよかったのだ。 暗譜で弾いてる人も沢山いた。楽譜がなくても弾ける様に練習しよう!!!


2018.7.26

ピアノの練習

29日にピアノの発表会がある。私は"ゴンドラの唄"を演奏することになっている。前回、楽譜を 忘れて行って、途中で弾けなくなってしまった会場で開催される。私はリベンジを期しているが、 さてどうなることか・・・・・・。

で、直前練習に励んでいる。ところが、愚妻はこれを無視する。音が出ているから練習しているの が分かっているのに、遠くから大声で呼ぶ。練習中に、急ぎの用事でもないのに話しかけてくる。 私のピアノは"どうでもよい雑音"と思っているらしい!!!

まあ、下手なピアノだから・・・仕方が無いか。...でも、我慢できなくて抗議した。


2018.7.25

特別展"糸のみほとけ"

奈良国立博物館では7月14日(土)〜8月26日(日)に特別展"糸のみほとけ―国宝 綴織當麻曼荼羅と?仏―" が開催されている。この展覧会は綴織當麻曼荼羅の修理完成を記念し、綴織と刺?による仏の像を一堂に集 める特別展で、天寿国?帳(てんじゅこくしゅうちょう、中宮寺蔵、国宝)、 綴織當麻曼荼羅(つづれおりたいままんだら、當麻寺蔵、国宝)、 刺?釈迦如来説法図(ししゅうしゃかにょらいせっぽうず、奈良国立博物館蔵、国宝)が一堂に会する企画で、 これらが同時に拝観できる機会は、私が生きている間には無いと思い、暑い日の午後出かけて行った。

会場入り口正面に天寿国?帳があった。中宮寺蔵ではあるが、中宮寺で拝観できるのは複製品で、 本物は奈良国立博物館で保存されており通常は拝観出来ない。私は、持参した単眼鏡を取り出し、じっくり拝観 させて頂いた。紫羅地・紫平絹地 部分刺? 縦88.8cm 横82.7cmが現存し、この中に、文字を背に表した亀が 4体あったが、もともと百体あったとのことで、大きな?帳であったことを私は知った。天寿国?帳について 記載した記録物も展示してあった。

綴織當麻曼荼羅は奈良時代に中将姫(ちゅうじょうひめ)によって織り上げたと伝えられる約4m四方の大曼荼羅 である。図様は極楽浄土の様子を中心に観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)を絵解きする内容とのことであったが 古くなっていて判然としない。同じ会場に、綴織當麻曼荼羅と同寸で江戸時代作成された刺?當麻曼荼羅 (真正極楽寺蔵・・・真正極楽寺は真如堂で、私は学生時代に下宿させていただいていた)が展示してあり、 これの方が明確なので、会場でのビデオはこれを使って解説をしていた。

刺?釈迦如来説法図は白平絹地 総? 縦211.0cm 横160.4cmで、中央に赤い袈裟をまとった釈迦如来、 釈迦の後ろには後?、頭上には天蓋と樹木があり、釈迦の左右に14人の菩薩が立ち、10人の僧侶と供養者 たちが囲み、釈迦の上方左右には12人のさまざまな楽器を奏でる飛天がいた。私は、法隆寺金堂の壁画に 類似していると思った。

刺?霊鷲山釈迦如来説法図(ししゅうりょうじゅせんしゃかにょらいせっぽうず、大英博物館蔵、 白平絹地・麻地 部分刺? 縦241.0cm 横159.5cm、唐時代)も良かった。20世紀初頭に中国・敦煌莫高窟 で発見された?仏(しゅうぶつ)で、中央に赤い袈裟をまとった如来立像、如来の左右に脇侍(きょうじ) の菩薩と2人の僧侶立像があった。

この他にも沢山の展示品があったが、私は以上の物を重点的に観覧して、帰途についた。私の家から奈良国立博物館 まで約2kmである。


2018.7.12

唐招提寺のハス

我が家の蓮が花盛りになったので、唐招提寺の蓮も花盛りであろうと推測して、唐招提寺へ行ってきました。 蓮は午前10時を過ぎると閉じ始めるので、朝早く行かねばなりません。8:40に家を出て、9:00に唐招提寺に 着きました。早速、蓮のある所へ行くと、立派なカメラを持った先客が数人いらっしゃった。流石に美しい 花の蓮が沢山鉢うえにしてありました。写真は藤壺蓮です。とても美しいですね。源氏物語の藤壺君に ちなんで命めいしたのでしょうか?

暑い日でしたが、唐招提寺は私の好きなお寺ですので、本坊から開山堂、鑑真和上御廟、講堂へと移動し、 最後に、金堂で盧舎那仏坐像、薬師如来立像、千手観音立像等を拝観させていただいた。


2018.7.10

大賀ハス

本格的な夏の到来でしょうか、強い日差しがまぶしいですね。この炎天下で13:30から15:00までテニスを しました。私の通っているテニススクールは室外コートしかありません。私はもうすっかり日焼けしています。 でも、この八月に白内障の手術を受けるので、八月はテニスができません・・・で、今のうちに日焼けをして おかねば、八月末には真っ白になってしまう・・・地黒だから、そんなことないか!

今朝、鉢植えの大賀ハスが咲きました(右の写真、右側は2日後)。大輪の美しい花です、花付きの悪い蓮だと思っていましたが、 肥料をタップリやれば、葉っぱも大きくなり、その傍らから花芽が出てくる事が分かりました。今年は、二つある 大賀ハスの鉢に花が付きました。


2018.7.7

台風一過

長女とその長女、次女とその3人の子供が我が家に滞在していた(右の写真)が、本日皆で東京へと移動 して行った。次女の子供達は幼いので、騒々しい。次女を見ていると"若くて・馬力が無いと子育ては できないなあ"とつくづく思う。日頃静かな生活に慣れているので、私などは感狂ってしまう。 でも、皆が元気に成長してくれているのでありがたい事である。

西日本では豪雨で大変な被害がでているが、我が家は無事である。しかし、台風一過の様な散らばった 家の中の整理はこれからである。愚妻は、外出から帰ると"疲れた"と言って寝てしまった。夕食の出来 た頃に起きてきて"美味しい"と言った。どうやら元気である。


2018.7.3

長女の来訪

7月1日に東京に住む長女が、米国から夏休みで帰ってきた大学生の長女を連れて、奈良の我が家に来た。 長女は学会出席で昼間はいない。次女は活動家なので、連日友達と逢うとかで忙しい。

私は、今日は10:30から開催された白内障手術の説明会に出席した。午後はテニススクールに行こうと 思っていたら、次女が"15:00に小学校へ行って長男を迎え、帰り道で折り紙を買って来てほしい"と言った。 次女の頼みは断りづらい・・・で、暑い中を歩いて行った。次女の長男は小学一年生のクラスに入れて いただいたが"ランドセルが無いのは僕だけだ"と言って、次女に新しいランドセルを買ってもらった。 そして、嫌がりもせず小学校に行っている。先生に感謝・感謝である。

毎日7人の夕食の準備も大変で、レパートリーが無くなって困惑している愚妻を救済するために、今日は 近くのレストランで夕食を摂った(右の写真)。うるさく騒音をたてる子供達の来訪で店員さんも困惑して おられたことと推察し、丁重にお礼を言って帰ってきた。


2018.6.29

今年も、唐招提寺から出て私の家に来た太白蓮(たいはくれん)が咲きました(右の写真)。今朝庭に出ると、 美しい花が開花していて、思わず声を出しました。今年、我が家で最初に咲いた蓮の花です。とても清楚で 気品に満ちた花で、私はとても気に入っています。この蓮はとても花付きの良い品種で、毎年花を 咲かせてくれます。他の鉢にも蕾がでていて、これから次々と咲かせてくれそうです。

次女の夫君は28日に一人米国に帰って行き、今は次女と三人の子供が我が家に居ます。騒々しいので、 自分のペースを守り、26. 27, 28日と連続でテニススクールに行きました。私の行っているテニス スクールは室外コートだけなので、雨天の振り替えをして、天気の良い日にテニススクールに行く。 30℃の炎天下で、びっしょり汗を流してのテニスである。1時間半で1リットルの水を飲む。寄る年波には 勝てなくて、家に帰って1時間ほど昼寝をする。まあ、結構な暮らしで、感謝・感謝である。


2018.6.24

次女一家の来訪

6月18日朝、庭の蓮鉢にいるメダカに餌をやっていたら、ドーンと強い上下振動の地震があった。 早速テレビをつけると"大阪北部を中心とした最大震度6弱の地震"とのことであった。 神戸での地震の経験から、この程度なら大丈夫と少し安心した。・・・さて、この日の夕方、次女の 夫君が二人の娘達と関空に到着する予定であった。関空からの交通渋滞を心配したが、夕方には それも落ち着いてきて、予定より30分程の遅れだけで、三人とも元気で奈良の我が家に到着した。

次女の一家全員(5人)が我が家にそろった。家の中はごちゃごちゃになり"綺麗に掃除"の成果は無く なってしまった。日頃"二人だけの静かな生活"に慣れているので、賑やかなのは嬉しいが、体調が 狂ってしまう。それで私は、出来るだけ"日頃の生活"を楽しむことにし、通常のペースでテニススクール に行き、ピアノの練習をし、煎茶を楽しむことにしている。次女の一家も"自由気ままに行動している"。

6月24日全員が都合よくなったので"奈良公園へ行こう"ということになった。我が家から徒歩で、 焼け門を通り大仏殿に行った(右の写真は大仏殿階段下でのスナップ)。拝観後、大仏殿門前のレストランで 昼食を摂った。その後"春日大社に行く"というので、私は皆と別れて、東大寺本坊で開催されていた "古美術からみる東大寺の美・・・二月堂焼け経と日の丸盆を中心に・・・"の拝観に行った。二月堂焼け経や 日の丸盆より"大聖武(おおじょうむ)"といわれる聖武天皇が書写されたという賢愚経の断簡を興味深く 拝観させて頂いた。書家には無い"味わいのある字"であり、聖武天皇の人柄が出ていると思った。

2018.6.13

次女の来訪

米国に住む次女が長男(6オ、小学1年生。我が家の庭で撮った写真を右に示す)を連れて 奈良に来た。私は10日の夕方、関西国際空港まで車で迎えに行った。

米国の小学校が夏休みになったので、2,3週間日本の小学校に入れていただいて、日本語 に慣れさせる目的だと、私は推察する。11日には自治会長さんに滞在照明をもらい、その後、 市役所へいって手続きをし、次いで、小学校へ行って、12日から通学させていただく様に お願いをしてきた。

12日7:45に家を出て、小学校へ行き、16:00頃迎えに行った次女と共に帰って来た。私が "どうだった?"と訊ねたら、"楽しかった"と言った。世話する先生も大変であろうと推察・感謝する。

さて、次女であるが、彼女は綺麗好きである。次女が来るというので、過去の経験を生かして、 愚妻は台所や風呂場の掃除をしておいた。・・・ところが、次女曰く"汚い!目が悪くて見えない のだろうがチャント掃除をしなさい。自分で出来なかったら、お金を払って綺麗にしてもらいなさい" と言った。そして、掃除機具と薬剤を買ってきて、流し・風呂・洗面所・洗濯機の掃除をした。 浴室の換気扇のフィルターまで清掃した。愚妻は、私が言えば強く反論するのに、次女が言うことには ただただ素直に頷いている。


2018.6.8

庭木の剪定

庭木が茂ってきて鬱蒼としてきた。
6月7日梅の収穫もかねて、梅の木の剪定をした。 我が家の梅の木はかなりの大木で、高さ5mはある。この木に登って梅の実を取る。 高くて手の届かないものは、その枝を鋸で切る。実を採りつつ、剪定をする。 梅の木はかなり強いのであるが、落下したら危ないので、慎重に行う。疲れてくると 作業が荒っぽくなるので、疲れたなと思ったら休憩する。ナントカ無事終了した。 でも、随分疲れた。

6月8日サンシュウの木の剪定をした。サンシュウには細かい棘があるのか、肌を出して作業すると チクチク痛むので、長袖・手袋・防虫ネットを被って行った。次いで、槙、モチ、楓、藤、アケビ、 サネカズラ、ノウゼンカズラ、蘇芳、椿、等の剪定を行った。 樹下には、種々の山野草が植えてあるので、植木屋さんには頼めない。愚妻の監視のもとでの作業である。 大変であるが、この日の作業は危険性が少ないので気楽である。

庭もすっきりして、明るくなった。ヤレヤレである。右の写真は庭に咲いたカワラナデシコ。 「」


2018.6.4

白内障

私は左眼が右眼と比べて、ガラスが曇った時の様な見え方がする。日常生活には困らないし、文庫本・新聞 も裸眼で読むことが出来る。しかし、何となく見ずらい。車を運転するとき、窓ガラスが曇っているのかな と思うことが時々ある様になった。眼科医院で検診していただいたら"白内障ですね、手術をしたら・・・"と 言われた。それで、白内障の通院手術を受けることにした。そのスケジュールは

7月3日10:30より手術の説明会があり、家族同伴で来るようにと言われた。
7月13日15:00より手術前の検査・診察。この際、人間ドックの成績書を持参せよと言われた。
8月1日15:30より手術準備、点眼の練習。クラビット点眼。家族同伴。
8月3日左眼手術。家族同伴。
8月4日9:00手術翌日診察。
8月7日右眼手術。家族同伴。
8月8日9:00手術翌日診察。
手術後2日間は、洗顔・入浴禁止。2週間は旅行・温泉禁止。一か月間は運動禁止(テニスが出来ない!!)。 30分ほどのウォーキングは1週間後から可。等々なかなか大変である。


2018.5.27

ベニバナヤマシャクヤク

京大理学部化学科での同級生であるT君から"京都府南丹市美山町内久保でベニバナヤマシャクヤクの花が 見られるので行かないか?"との誘いを受け、同級生4人で行くことになった。集合時間の9:00にJR桂川駅前 に行った。ところが、9:20になってもT君が来ない。T君は携帯電話を持たないので連絡が出来ず困ってい たら、9:30にやって来た。"スピード違反で捕まった。15km/hオーバーやで、ホンマにひどい! 普通は見逃す もんや。1,2000円罰金やて、ホンマにひどい・・・"と。

T君に落ち着いて頂いて、T君の車・T君の運転で、周山街道を通って、11:30美山町内久保に着いた。 公民館の駐車場に車を停め、保全協力金1人300円を支払って、すぐ裏にある杉林の方へ歩いて行った。 少し歩くと、道の両側にベニバナヤマシャクヤクの花が見らる様になった。さらに進むと、白やピンクの 美しい花が沢山の見られるようになった。気品のある、高貴な花で、とても美しいのに感動した。 右にそのうちの一つの写真を示す。"花の寿命が一週間ほど"とのことで、今年は5月20日、27日、28日の三日間 だけ公開しているとのことであった。保存会の方が所々におられたが、この美しい花が良く保存されていると、 そのご努力に感謝・感謝である。

公民館前の広場では、山菜の天ぷら、おにぎり、地元野菜の販売が行われており、私は"山菜の天ぷら"を買って 塩をかけて食べた。とても美味しかったので、"夕食用に"と追加購入した。近くの"蓮如の滝"の下にある河原で 、遅い昼食弁当を食べた後、美山かやぶきの里を少し散策し、16:30JR桂川駅前に帰着した。途中で、スピード 違反で捕まることも無く・・・、


2018.5.20

家具の移動

米国に住む次女が"6月に子供を連れて奈良に行く。奈良の家の二階に泊まりたいが、箪笥が地震の際倒れ てきそうで危険である。他の部屋に移動しておいてほしい。"と連絡してきた。若い頃なら何でもないが 私の様に齢をとったものには大変である。次女は"便利屋サービスを頼めばよい"と・・・。

他の部屋に移動するにも、移動先を整理しなければならない。それで、隣室の本箱を整理し、読むことも 無いと思われる本を棄てた。スペースが出来たので、箪笥の移動を試みた。引き出しを全て取り出し、上部 だけを持ち上げてみた。意外に軽かったので、愚妻に手伝わせて、上部だけ移動した。次いで、下部も移動 した。次いで、引き出しも移動し、何とか箪笥の移動が出来た。

腰でも痛めたら悲惨なので、慎重に行った。しかし、暫くすると、左腕に力を入れると痛みが走った。 何処かで"無理な力を入れた"らしい。まあ、仕方が無い。暫く、自重。


2018.5.8

人間ドック

4月17日に半日の人間ドック健診を受けた。この歳(76)になっても"まだ生きたいか?"と言われそうだが "80歳までは健康で生きたい"との思いがあって、今年も人間ドック健診を受けた。

その検診結果の報告を受けに、本日病院に行った。医師は"機能の低下は多々あるが、年齢相応のもので すね。それはそれとして、白内障があるようだから眼科に行って詳しく検査してもらいなさい"とおっしゃった。 私は左眼が右眼と比べて霞がかかったようである事を自覚していた。それで、白内障手術で知られた眼科医院 に検診をお願いした。多忙らしく"一番早くて40日後に予約出来ます"と言われた。私は検診予約をした。


2018.4.29

入之波温泉

連休でピアノ教室もテニススクールも休みである。それで、仕方が無いから温泉にでも行こうかと思いたち、 岩井温泉の旅館に電話したら"5月2日なら空いてますがその他は満室"と言われた。天気予報によると5月2日と3 日は雨・・・で断念した。ダメもとで入之波温泉の山鳩湯に電話したら"今日(4月28日)なら空いています"と 言われた。それでは・・・と急遽、出かけることになった。11:30に車で家を出て、途中の大宇陀町で天ざる 蕎麦を食べ、15:30入之波温泉の宿に着いた。チェックインを済ませた後、散歩に出た。大迫ダムの湖岸の山道 を歩いたが、山から落ちてきた岩石が沢山あって・・・何ともスリル満点の道で、無事帰れたのは幸運であった。

山鳩湯は39℃、毎分500Lの湧出量、成分の多い濁り湯:炭酸重曹泉とのことであった。木の浴槽でありながら、 そうであることが分からないほどに黄褐色の石灰質の析出物が付着していた。泉質は一流であると思った。 宿は民宿に近く、御馳走はないが、素朴なもので、満足できるものであった。

4月29日9:00チェックアウト。近いので、大台ケ原へ行くことにした。10:30大台ケ原駐車場に着いた。驚いたことに、 車で満杯。沢山の車が車道に列を作って止まっていた理由が分かった。500mは下って行かなければ・・・と覚悟したら、 運良く一台が帰って行った。ラッキー・ラッキー。
売店で柿の葉寿司を購入し、11:00登山開始。12:00日出ケ岳山頂(1695m)に着き昼食。その後、正木ヶ原、尾鷲辻を経て 14:30大台ケ原駐車場着。18:00奈良の自宅に帰着した。右の写真は正木嶺から見た日出ケ岳。落葉樹は芽吹きだしたところ。


2018.4.26

金柑の蜂蜜煮

今年は庭の金柑の木に実が沢山なった。それをとってきて"金柑の蜂蜜煮"を作った。その作り方を記しておく。

1. 金柑を水で洗い、ザルで水切りをする。
2. 金柑を半切にし、デザート用の小型ホークを使って種を出す。
3. 金柑(600g)を鍋に入れて、その上から蜂蜜(150g)を垂らし、中火でかき混ぜながら10分炊く。
  金柑から水が出てくるので、水は加えない。
4. 炊きあがった金柑と汁を深鉢に移し、電子レンジで5分炊く。(電子レンジを使うことにより、焦がすこと無く 水分を蒸発させることができる。)

右の写真は出来上がった"金柑の蜂蜜煮"


2018.4.25

文殊会

散歩の帰り道で興福寺へ行った。境内に入ると雅楽が聞こえてきた。五重塔に近づくと稚児行列が 見えてきた。そうだ"今日は興福寺の文殊会の日だ"と気が付いた。毎月25日は文殊菩薩の縁日であるが、 興福寺では4月25日に"文殊会゜が行われる。興福寺東金堂の文殊菩薩(国宝)は古くから学問僧の信仰を 集めてきた。文殊会では文殊菩薩の智恵を授かろうと稚児の行列がある。私が東金堂に着いた時(15:00) 稚児の行列が東金堂に着いたのであった。興福寺の僧達が先導して東金堂に入って行く(右の写真)のを 拝見することが出来た。

稚児行列で、市内の小学生がお経の一節を1文字ずつ書いて奉納した習字"一字書"を奉額車に乗せて、 稚児達が引っ張って行く。この"一字書"は、一年間、東金堂の前に飾ってあるので拝見することが出来る。


2018.4.16

文殊山

京大理学部量子化学研究室での先輩Yさん夫妻、同級生のT君、私と愚妻の5人で 福井市と鯖江市の境にある文殊山(もんじゅさん、標高365m)へ行った。T君が "カタクリが自生していて花が見頃"と誘ってくれたのである。

9:00に近鉄竹田駅前に集合、T君の車に乗せていただき、12:10に文殊山二上登山口に着いた。 駐車場で態勢を整え、今回が四度目というT君の案内て、登山を開始した。T君推奨の山道に 入り、三本の丸太橋のある小川を渡る際、愚妻が足を滑らせて小川に転落、回転して 小川に尻から落ちた。浅瀬だったので濡れるだけで済んだが、前途多難を思わせた。暖かい日 だったので"そのうち乾く"と登山を続けた。まもなくカタクリの群落が登山道沿いに観られ るようになった。花盛りは終わって実が付いているのが大半で、まれに花の付いたのが残って いた。T君は"花盛りを見るには、四月になったら一週間毎に来なくちゃ・・・"と言った。 高度が上がるにつけ、ツボスミレ、ショウジョウバカマ、イカリソウ、ミヤマカタバミ、コブシ、 ヤマブキの花が見られるようになり、満開のカタクリの花も沢山見られるようになった。 さらに進むと、オオイワカガミの群落があり、美しい花(右の写真)を付けていた。キランソウ、 ツクバキンモンソウの花も見られた。14:00小文殊山頂(296m)に到着、そこで、弁当を広げた。 遅い昼食であった。帰路もあるので、文殊山頂上は断念して下山した。15:15二上登山口に帰着。 18:15近鉄竹田駅前に無事帰着した。


2018.4.8

仏生会

暖かくなったので、私は4月1日に暖房器具、冬物衣料を片付けた。ところが、この2,3日気温が下がり 肌寒くなった。春物衣料を重ね着してしのいでいる。もう直ぐ暑くなる・・・と。

今日は寒い日で、昼食後に散歩に出た時は肌寒くて、私は手袋をとりに家に戻った。再出発して 暫く歩くと、今度は頭が寒いことに気が付いた。再度戻るのはおっくうなので早足で歩くことにした。 興福寺南円堂に行ったら、堂前に花御堂(花で飾った小堂)が設けられてあり、金銅製の誕生仏が 潅仏盤上に安置してあった。竹の柄杓で甘茶を注ぎ、甘茶を拝飲させていただいた。4月8日は釈尊誕生 の日で、各寺で仏生会がある。東大寺大仏殿前にも花御堂が設けられていたことを思い出し、私は 東大寺大仏殿へと歩いて行った。興福寺と同じように。本体を緑の杉葉で覆い、馬酔木の花と 椿の花で荘厳した花御堂が設けられていた(右の写真)。

15時頃我が家に帰着したが、この頃には太陽が出ており、速歩では汗が出た。


2018.3.31

南紀の旅

昨年も今頃、南紀の旅をした。昨年は玉置神社に行った時には雪が降っていたが今回は快晴 であった。私の旅は"天気予報みて、天気が良い場合に旅館を予約する"。自由人だから・・・便 利である。

29日9:45に車で家を出て、十津川で昼食(キノコ蕎麦)をとり、14:00玉置神社の駐車場(標高900m)に着いた。 登山靴に変えてステッキを持ち、大峰奥駆道に入り、14:40玉置山山頂(標高1077m)に着いた。 右の写真は山頂でのもの、背後に那智山・熊野灘が見える。自分の写真を見ると"随分年を取ったなあ"と感ずる。 これが自分なのだ・・・と。急な斜面を下ると玉置神社に着いた。境内には樹齢3000年という杉を筆頭に、 沢山の杉の古木が林立しており感銘をうける。奥深い山中の神社としては、とても立派である。 17:00湯峰温泉の宿"あづまや"に着いた。早速。温泉に入った。古い木造の湯屋の中に、黒ずんだ槙の湯舟があり、 100%源泉という白っぽい硫黄臭の温泉は素晴らしかった。湯屋・湯舟・宿の雰囲気は岩井温泉の"岩井屋"と同格、 温泉の泉質は"あづまや"が少し上、料理・サービスは"岩井屋"が上……というのが私の感想。

30日9:00チェックアウト。湯峰温泉を散策・湯峰王子に参拝した後、熊野本宮大社大斎原(おおゆのはら: 熊野川・音無川・岩田川の合流点にある中洲で、1889年の大水害まで熊野本宮大社があった場所)へ行き、 熊野川の河原で遊んだ。10:15新宮にある熊野速玉大社(熊野三山は本宮、速玉、那智)へ行った。 社前に巨大なナギの大木があった。参拝後、鳥居脇にある佐藤春夫記念館に入った。建物は東京にあった旧宅を 生誕地近くに移築したもので立派なものであった。佐藤春夫朗読の"秋刀魚の歌"を録音テープで聞くことが出来た。 その後、串本を経て大島へ行った。昔、娘たちが小学生であった頃、毎年訪れた懐かしい場所である。その頃 宿泊したホテルのあった場所に行ったら、ホテルは無くなっており、プールだけが昔の儘残っていた。 4:30串本にあるホテルに着いた。どこにでもあるリゾートホテルである。温泉に入った後、5:30より夕食。

31日9:00チェックアウト。潮岬を訪れた後、13:30紀三井寺(西国観音霊場第二番札所)に着いた。桜が満開で、 参拝者で賑わっていた。遅い昼食(きつねうどん500円)を摂った後、一路奈良へ。17:00自宅に帰着した。
2018.3.28

川路桜

私の家の東側は佐保川である。家から下流に1km程行った所に"川路桜"と呼ばれる樹齢170年 の桜の木が数本ある。その呼称は奈良奉行を務めた川路聖謨(かわじとしあきら)に由来する。

川路聖謨は1801年大分県日田市に生まれ、1846-1851年に奈良奉行(奉行所の場所は現在の 奈良女子大学)を務めた。その後、勘定奉行や外国奉行を務め、1854年ロシア使節と交渉し 日露和親条約を結んだ。1868年江戸開城のうわさを聞いて自殺した。川路聖謨は奈良奉行として 善政を行うと共に、興福寺や東大寺から佐保川の堤まで数千本の桜と楓の木を植えた。 現在、猿沢池の北東"五十二段"の階段を上った左に"植桜楓之碑"があり、川路聖謨の功績が 顕彰されている。

今日は快晴で暖かく、奈良の桜も一気に満開となった。私はテニススクールから帰って一休みした後、 佐保川べりの桜見物に行った。右の写真は"川路桜"である。現在も元気で毎年美しい花を見せてくれる。

桜を観ると思い出す吉井勇の歌 "桜ありき 桜のごとき 人ありき 酔えばよくみる 春の幻"、
西行法師の歌 "ねがはくは 花のしたにて 春死なん そのきさらぎの 望月の頃"。


2018.3.15

春の到来

今日は快晴で暖かく、奈良では最高気温が22℃になった。"お水取り"も今日が満行である。 昼食後の散歩で私が二月堂へ着いた時、僧達が二月堂での参拝を終えて、二月堂の階段下に ある開山堂へ満行の報告参拝に向かわれるところであった(右の写真)。また、二月堂の南側では、 練行衆が韃靼の行法の際に被った韃靼帽を幼児にかぶせると健康に育つというので、子供を 連れた人達が行列をつくって、堂童子に韃靼帽をかぶせてもらい記念写真を撮っていた。

私はさらに、法華堂、春日野を経て、丸窓梅園へ行った。梅の花は満開で、多くの人が見物に 来ておられた。暖かくて、私は上着を脱ぎ、Tシャツ一枚になって歩いた。"お水取り"も済んで、 春の到来である。


2018.3.1

手向山八幡宮

昼食後の散歩で二月堂へいった。二月堂では"お水取り"が始まっていて、私が行った時には 練行衆(籠りの僧)の昼食後で、紙衣を着た練行衆たちが宿所に行ってくつろいでいらっしゃる 時であった。

二月堂で参拝していたら雅楽が聞こえてきたので、手向山八幡宮へ行った。私が到着したら 折よく"青海波"の演奏が始まった。"青海波"は源氏物語第七帖「紅葉賀」で、光源氏が頭中将 と共に舞う舞楽の曲である。舞は奉納されていなかったが、美しい曲で堪能させていただいた。 右の写真はその演奏風景。


2018.2.26

南禅寺

本格的な京料理を味わいたいと南禅寺門前の瓢亭に行った。私は大学二年生の時、南禅寺境内に 下宿していた。貧乏学生で瓢亭など縁が無かったが"一度は入ってみたい"と思っていて、50余年 を経て、ようやく実現した。侘びた茶室で"美味しい懐石料理"を堪能させていただいた。

その後、南禅寺境内を散策した。門前の参道の北側は随分変動していたが、南側は昔の儘であった。 三門が公開されていたので楼上に登らせていただいた。周り縁からの眺めは絶景である。次いで、 大方丈・小方丈(共に国宝)を見学させていただいた。大方丈の金碧障壁画は"高精細デジタル複製"で あったが、小方丈の障壁画はまだ本物で、狩野探幽の作といわれる"水飲みの虎"は見応えがあった。 庭園も立派で先日訪れた建仁寺より南禅寺の方が良いと思った。

学生時代にお世話になった建物の所に行ってみたが、新しい建物が建ち、昔の面影は無くなっていた。 でも、南禅寺境内は懐かしく、色々な想い出の場所もあり、楽しい一日を過ごさせていただいた。


2018.2.22

祇園

2017.9.19のブログに記した"京都と大阪に住む化学反応研究会中年の会同窓会の仲間2人"の内の 1人(Iさん)から「京都の祇園近くの画廊で写真の展示をする」との案内を頂いた。他の1人(Kさん) から「これを機会に3人集まろう」と呼びかけがあり、私はIさんに「美味しい昼食のお店を!」と お願いした。「2月22日11時に南座前に集合」とのことで、出かけて行った。10:00近鉄奈良駅発の 電車に乗ったら、10:45に祇園四条に着いた。

画廊で写真展(20人余のフォトサークル会員の作品展)。写真の良く分からない私は、勝手に自分の 見解を述べつつ、1時間ほど見学させていただいた。その後、美しい祇園の街並みを散策し、Iさん の予約しておいて下さったレストランへ行った。其れがなんと竹内栖鳳(京都画壇の重鎮、第一回 文化勲章受賞者)の旧居を活用したもので、改造は最小限で往時の様子が窺い知れる素晴らしい所で あった。料理はイタリアンであったが、とても美味しく堪能させていただいた。

食後、高台寺、八坂の塔辺りを散策し、建仁寺へ行った。私は京都で学生・院生時代を過ごしたの だけど建仁寺を訪れた記憶が無い。祇園の近辺に建仁寺(日本に禅をもたらし、茶を広めた栄西禅師が開山) があることを知って驚いた。建仁寺といえば、俵屋宗達による風神雷神図?風(2曲一1双紙本金地) が有名で、清涼軒に展示してあった。方丈には桃山時代の画家海北友松による襖絵「雲竜」、 「竹林7賢」、「琴棋書画」、「山水」等が見事であった。でも、これら全てが"高精細デジタル複製"で あることを知って、なんだかガッカリした。風神雷神図?風(国宝)は京都国立博物館に寄託してある とのことである


2018.2.19

新薬師寺

昼食後、散歩に出た。焼門を経て東大寺戒壇堂に行き、久しぶり(半年ぶり?)に、天平時代の傑作 四天王像(塑造、国宝)を拝観させていただいた。その後、良い機会だから新薬師寺の十二神将を 拝観させて頂こうと、東大寺南大門、春日大社・中の禰宜道を経て新薬師寺へ行った。

新薬師寺の南門を入ると正面に、一見して奈良時代の建物とわかる本堂がある。そして、左手に 実忠和尚(東大寺二月堂を創建し、752年お水取りを創始した)の御歯塔(石塔)がある。これらを じっくり拝観した後本堂に入ると、本尊 薬師如来坐像(カヤの一木造り、奈良時代、国宝)の前で、 副住職の中田定慧さんが参拝者に説明・お話を開始されたところであった。中田定慧さんは昨年 インドへ旅行した際、同室で宿泊したことのある旧知である。お話の内容も良かったし、静かな 語り口で熱心に語られる姿も良かった。「毎日、13,14,15,16時から説明をしている」とのことで あった。この若い僧(40才位?)のお話を聞くだけでも価値があると思う・・・私のお薦め。

薬師如来坐像は立派であるが、それをくるりと囲んで護衛しておられる十二神将(塑造、国宝、 宮毘羅(くびら)大将像のみは江戸時代末期の地震で倒壊し、昭和6年に細谷而楽が補作)も 素晴らしい。
家まで歩いて帰って、歩数11135。


2018.2.16

春の兆し

長女の長男は15日の昼食後、東京へ帰って行った。好青年で話していると楽しい。

気温は数日前と比べると随分暖かくなった。庭のロウバイが開花し始めた。庭を回って見ると、 セツブンソウが咲いていた(右の写真)。水仙も満開。福寿草も開花していた。もう、春は そこまで来ている。

今日、ピアノ教室の後で、散歩で二月堂に行った。二月堂の参篭所前には、籠松明に使う 青竹が沢山並んでいた。もうすぐ(3月1日から)お水取りが始まる。奈良では「お水取りが 終わると春になる」と言われている。


2018.2.12

朝起きると庭にうっすらと(2-3cm)雪が積もっていた。外気は冷たくて雪はぱさぱさとしていて、 車の上に積もった雪は払うと簡単に落ちた。残った雪を水道水で流して、残った水をタオルで ふき取ろうとしたら、氷になっていた。

11:30長女の長男の運転で明日香村に行くことにした。美しい雪景色を期待して・・・。途中にある 桜井の蕎麦屋に寄って昼食を摂ろうとして入店したら15人程の行列であった・・・で諦めて、石舞台 古墳の脇にある、明日香村営のレストランで昼食を摂った。その後、飛鳥川の上流に行き、稲渕の 勧請縄(男綱)を拝観。次いで栢森の勧請縄(女綱)の拝観に行った。途中で雪が氷状になっていて、車が スリップしだしたので、歩いて勧請縄(女綱、右の写真)まで行った。1月11日に付け替えられた様で 真新しかった。飛鳥川上に渡した勧請縄は侵入してくる諸々の悪疫・加害をそこで防御すると共に、 域内の子孫繁栄・豊作を祈願するものの様である。


2018.2.9

散髪

私の頭には殆ど髪が無いように見えるが、1ヶ月に一度くらい散髪に行かないと裾の毛が伸びて 何となく気持ちが悪い。それで、私はほぼ1ヶ月に一度散髪に行く。以前は普通の散髪屋さんに行っていた。 鋏1つで微妙な勾配を付けて丸狩りにされる散髪屋さんの腕に敬服していた。料金は4320円であった。 ところが、1年ほど前に「バリカンで丸刈りにして頂いても大差ないのではないか」と思って、それなら 料金の安い理髪店に行こうと試みた。「バリカンで長さ5mmで丸刈り」にして頂いた。料金は髭剃り・シャンプーを 入れて1700円であった。愚妻に意見を求めたら「全然変わりない」と言ったので、以後、料金の安い理髪店 でお世話になっている。
殆ど髪が無いように見える頭でも、意外に髪があるようで、散髪の後には頭が寒い。昨夜などは寒さで 目が覚めた。帽子をかぶって寝たら、快眠できた。


2018.2.8

長女の長男の来訪

長女の長男(上智大学3年)が2月5日に奈良に来てくれた。3年生で就職活動がもう始まっている様であるが、 求人難の時代なので楽観しているのか・・・、春休みを利用しての来訪である。

京都南山城・当尾(とおの)にある浄瑠璃寺へは、私の家から車で20分弱で行ける。浄瑠璃寺は門を入ると正面に苑池 があり、その西側に九体の阿弥陀仏のいらっしゃる本堂、苑池の東側に薬師如来のいらっしゃる三重塔がある。 その薬師如来は秘仏で毎月8日(天気が良ければ)だけ開扉される。
今日は良い天気だったので、12:00長女の長男の運転で出かけて行った。浄瑠璃寺の門前にある茶店"あしび"で、 鍋焼きうどん、とろろ蕎麦、山菜うどんとぜんざいを私、長女の長男、愚妻のそれぞれが食べた。この店の庭園は 早春には花木が咲き乱れてとても美しいが、アオモジの花が膨らんでいる程度であった。
浄瑠璃寺の門を入って、東側を見ると三重塔の西面の扉が開かれていてホッとした。塔内の薬師如来は保存状態が良く、 彩色の良く残った美しい仏像である。塔内の壁・柱・天井が彩色・荘厳されている様であるが、残念ながらそれは拝観 出来なかった。

帰路に当尾大門仏谷にある阿弥陀如来磨崖仏(平安時代後期、花崗岩、高さ260cm)を拝観した。


2018.2.2

雪見の旅

今年は北国では降雪が多いようで、私は雪見の旅を計画し、山形県鶴岡市の湯田川温泉に宿泊する 計画を立てた。これを知った愚妻が「私も行く。山形は遠すぎる。先日には列車が立ち往生した。」 と宣った。それで、福井県南越前町の「花はす温泉そまやま」に宿泊する雪見の旅をすることにした。

2月1日9:00近鉄奈良駅発の電車に乗り、9:48京都発のJR湖西線新快速"敦賀行き"に乗った。堅田を過ぎると 雪景色が見えるようになった。敦賀で福井行きの普通列車に乗り、11:55今庄で下車した。今庄は雪の多い所で 今までに数回訪れたことがある。駅前の"忠兵衛"蕎麦屋に入り、猪肉入り蕎麦(900円)を食べた。その後、 今庄の旧街道を散策した。今庄は本陣、脇本陣、問屋があり、多くの旅籠や造り酒屋かあって繁栄した宿場町であり、 今も立派な古い建物が残っていて見応えがある。

13:56今庄発福井行きの列車に乗り、14:03南条で下車。宿からの送迎車に乗せていただき14:20「花はす温泉そまやま」 に着いた。チェックインして荷物を部屋に置き、早速カメラだけ持って雪景色を観に行った。辺りの積雪は70-80cm あって、除雪してある所しか歩けなかった。宿の前の自動車道を東方へと歩き30軒ほどの集落「中小屋」に入り、 さらに進むと集落のはずれで除雪は無くなったので引き返した。
16:00温泉に入った。広い浴室で雪景色を見ながらゆったりと寛ぐことが出来た。17:30から夕食。せっかくだからと 「蟹満喫コース」を注文しておいた。美味しかった。でも、もう少し量が少なくても良いと思った。次回には、 別注料理として選んだ方が良さそうである。20:00再度、温泉入浴して就床。

2月2日7:00起床。入浴後、8:00朝食。量も丁度で美味しかった。9:00カメラだけ持って雪景色を観に行った。 快晴で、サングラスを持ってこなかったのを後悔した。前日と同じく、集落「中小屋」を散策した。右の写真は 集落のはずれでのもの。10:00チェックアウト。宿の車て゜南条駅まで送って頂き、10:40発の普通列車で敦賀 まで行き、11:16敦賀発のサンダーバードで12:20京都着。12:30京都発の近鉄電車に乗り、13:30奈良の自宅に着いた。 そして、ピアノの練習を少しして、15:00からのピアノ教室へ行った。


2018.1.27

若草山山焼き

今朝も寒く、メダカ・蓮の鉢には厚い氷がはっていた。11:13近鉄奈良駅発の電車に乗り、神戸大学での テニスに行った。JRの列車は乱れていたが、12:40六甲道に着いた。駅前で塩ラーメンとギョーザを食べて 市バスに乗り、13:15神大理学部前で降りた。着替えをして、準備体操をし、テニスを始めた。最初は、 小雪がちらついていたが、太陽が顔を出し暖かくなった。16:00テニスを終了し、シャワーを浴びた後、 16:58六甲道発の快速列車に乗り、18:10近鉄奈良駅に着いた。

地下の駅から地上に出ると、若草山の方で花火が上がっていた。18:30我が家に帰着。早速、二階に 登って窓を開けると、若草山山焼きが始まったところであった。早速、写真機を取り出して、撮影した のが右の写真。我が家の二階は絶好の観覧場所である。


2018.1.21

葬儀

義母の姉の長男(愚妻の従兄、84才)Aさんが亡くなって、その葬儀が本日あった。東京に住む長女も生前にお世話になった ので参列したいというので、愚妻・私・長女の三人で出かけて行った。Aさんは京大工学部電気学科を卒業後、 クラレに入社し定年退職後も子会社の重役として活躍された。最近の五年間ほどは地元生駒市の太陽光発電事業の 立上げ・運営に副理事長として参画され、昨年には経済産業大臣賞を受賞、新聞にもその姿・成果が報道されていた。 Aさんは昨年末に心臓手術を受けられ、体調不良となり他界された。しっかりした優しい方であった。ご冥福をお祈りいたし ます。

この葬儀の会食で、義母の姉の夫(Aさんの父)Bさんに関する興味深いお話を、高齢の方から伺った。Bさんは 東大物理学科卒の学究で、昭和18年に陸軍大学校の教授になられた。昭和20年に将校を前にして「科学者として見ると、 この戦争は負けるな」と発言し、昭和20年3月に"懲戒免職・懲戒徴兵"を命じられ、42才で大佐から二等兵に落とされて、 徴兵され京城(現ソウル)へ送られた。終戦後、無事帰国されたが、元陸軍大学校教授の肩書のためパージ(公職追放)と なった。近畿大学の教授となり定年まで奉職された。Bさんは義母と親しかったので、私は何度もお会いしたことが 有りますが、このような話は初めて聞いた。義母も語られることは無かった。

Aさんの細君Cさんは"歩く会"を主宰していらっしゃって、私も何度か参加させて頂き、羅臼岳・尾瀬ケ原・霧島山等に 連れて行っていただくと共に、奈良近郊の各地を一緒に歩かせていただいた。Cさんは"暫くは一人暮らし"になられる様である。 高齢なので、今後は"ゆっくり歩く会"を主宰して、残りの人生を楽しんで頂きたいと祈念するしだいである。


2018.1.20

春日奥山遊歩道

2017.11.2のブログで若草山に登ったことを記したが、その際、春日奥山遊歩道は通行止めになっていた。 今日は暖かい晴れの日であったので、昼食後に"春日奥山遊歩道を歩こう"と出かけて行った。一昨年に 買った登山靴が履かないまま古びていく。今後、生きてる間に何回登山できるか心もとない。それで、 散歩に出る際にも登山靴を履くことにした。軽い登山靴なので意外に散歩にも快適である・・・で、 登山靴を履いて出かけた。

13:10に家を出て、焼門、大仏殿裏、二月堂、手向山神社、若草山山麓を経て、13:40春日奥山遊歩道入口 に着いた。少し歩くと古い石標があり"天然記念物春日山原始林 文部省"と記してあった。月日亭を過ぎ ると、大木・古木が多くなり"原始林"を実感できる。私は10年以上前には、毎月の様に、春日奥山遊歩道を 訪れていましたが、今回は2.3年ぶりである。殆ど変化は無く、懐かしい思いで歩いた。"とても良い場所だなあ" と思いながら歩いた。中水谷休憩舎の近くの山側に崩れた場所があり、その下に直径2m程の杉の大木の切株 があった。14:30前回通行を止められた検問所に着いた。係員の方に尋ねたら「昨年12月に通行可になりました。 樹齢700年程の杉が昨年の台風で倒れていて、その処置が済んで通行可になりました。」とおっしゃった。 14:50若草山山頂の鶯陵に着いた。

往路と同じ道を通って帰った。この春日奥山遊歩道で30名ほどの人と行き交ったが、その三分の一程が外国人で あったのは"驚き"であった。そのうちの一人、オーストラリアから来たという若者に私は尋ねた。「こんな道、 どうやってみつけましたか?」と。「街は人で一杯だから、自然の中を歩きたいと思って歩いていて、偶然 この道を見つけて歩いてきた」という返事が返ってきた。16:20我が家に帰着した。歩数16968。


2018.1.8

シモバシラ

奈良の今朝は今年一番の寒さで、メダカ・蓮の鉢には厚い氷がはっていた。このような冷え込んだ朝には、 細い氷が集まって小石を持ち上げる様な霜柱が出来る。子供の頃、数センチもある長い霜柱を踏みつけて 遊んだ記憶が思い出される。

我が家の庭には、シソ科の宿根性多年草であるシモバシラという植物があります。秋に白い花を付けます。 茎は断面が四角形をしており、枯れると木質化します。よく冷え込んだ朝に、枯れた根元を見ると、茎から 氷が張り出し、霜柱が出来ます。"今朝はその霜柱が見られるのではないか"と覗いてみると、見事な霜柱 が出来ていました(右の写真)。 地中の根が保水能力をもっており、毛細管現象により導管を経て地中の 水が上がってきて、それが枯れた茎の途中からしみ出て、外気にふれて凍っもの。


2018.1.8

のんびりと温泉

愚妻が「1月7日に琴の発表会があり、その後、京都で宿泊する」と言った。それで、私も何処かの 温泉旅館に宿泊する計画を立てることにした。女性は女性同士で旅行をされるようだが、男友達に 「一緒に旅行しょう」と呼びかけると「妻が、なぜ私といかないの?と言う」と言って断られる。 私には一緒に行ってくれるような女友達は残念ながらいない。そこで一人旅となる。一人旅となると 多くの旅館で断られる。それで、インターネットで"1人でも泊まれる温泉旅館"で検索した。

その結果、有馬温泉に宿泊可能な宿を見つけることが出来た。有馬温泉なら手軽で、私の家から電車を 利用して2時間半余で行くことかできる。ナップザックに着替え、洗面具、傘、ipad、本(忘れられた巨人: カズオ・イシグロ著)を入れ、7日12:30近鉄奈良駅発の電車に乗った、15:00予約した有馬温泉の宿に着いた。

ゆったりと温泉につかり"のんびり過ごそう"との計画である。先ず、温泉につかり、部屋でゆったりと読書。 17:30から夕食。懐石料理で次から次とタイミングよく料理が出てきて一人旅でも楽しめた。食後休憩した後、 温泉につかり、さらに、22;00温泉につかった後就床。8日7:45起床。9時間余ぐっすり眠った。温泉に入った後、 9:00より朝食。10:00チェックアウト。有馬温泉は手軽で良い。これからも"温泉につかってのんびり"したく なったら"有馬温泉!"ということにしょう。

帰り道で、神戸市立博物館で開催されている「ボストン美術館の至宝展」に行った。雨模様の天気が幸いしたのか、 それほど混雑しておらず、すんなり入れてゆったり鑑賞することが出来た。古代エジプト美術、中国美術、日本美術、 フランス絵画、アメリカ絵画、版画・写真、現代美術と分けて展示してあり、名品を堪能することができた。


2018.1.1

2018年元旦

新年おめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

今年は愚妻と私の二人だけの正月である。元旦のお雑煮を頂いた後、例年の如く、初詣に出た。 先ず、氏神である漢国神社(かんごうじんじゃ、593年創建)に参拝。次いで、興福寺南円堂、 春日若宮、春日大社、手向山神社、東大寺二月堂の順で参拝し、大仏殿で絵馬をいただいた。 途中、東大寺法華堂前の茶屋でうどんでも食べようかと思ったが、満員であったので断念し、 我が家に帰って遅い昼食をとった。10時に家を出て、帰宅したら14時であった。歩数12000。

右の写真は恒例の我が家の床の間。花器は東大寺大仏殿の古材。花はHK流。掛け軸は"猩々":柳沢淇園 (やなぎさわ きえん、柳里恭)のサインと落印があり、亡くなったが義母が好んで飾っていた。 ある時、義父が県立美術館の学芸員に鑑定していただきに行き、"偽作"と言われて帰ってきた。 それでも、義母は「これには品格がある」と大切にしていた。


2017.12.30

年末所感

2017年も終わろうとしている。今、私の最も関心・危惧している問題は北朝鮮問題、原子力発電、 憲法改正(悪)である。

トランプ米国大統領の様に"力で北朝鮮を屈伏させようとする"のはとても危険であると思う。北朝鮮がICBM を完成させる前に武力で叩き潰そうというのはアメリカの立場。日本はそんな戦争にまきこまれてはならない。 日米安保条約がある限り、米国が北朝鮮を攻撃すれば、日本も参戦、米国より多大な被害を受ける。 武力衝突は何としても避けなければならない。問題解決は"話し合いしかない"ことを肝に銘じ、辛抱強く・ 粘り強く、北朝鮮に働きかけるしかないのだ。制裁も・・・あまり強すぎると"窮鼠猫をかむ"。゜日本が かって"米国攻撃に向かったこと"を心すべきと思う。

原子力発電はあまりにも危険だ。核分裂により地上に無かった危険な核廃棄物を作り出し、消滅まで10万年 を要するのだ。このような核廃棄物は安全管理することは不能である。原子力発電所は、戦争になれば第一の 攻撃目標になりうる。再生可能なエネルギーの利用・技術開発に力を注ぐことが大切と思う。

憲法を改定して"しっかりした軍隊を持つ"という意見があるが・・・これは極めて危険であると思う。 日米安保を基軸とし軍隊を持てば、戦争参加の可能性が格段と増大する。本当に自力で武装・自衛しようと すれば、核兵器が必要になる。でも、核兵器を持っても、日本は自国だけで生きてはいけない。他国との 交易無しでは生きてはいけないのだ。これは良いことだと思う。他国と仲良くしないといけないのだ。だから・・・、 中国とも仲良くやって行かねばならない。憲法改正(悪)より、中国との関係改善に力を注ぐことが大切だと 私は思う。

さて、私事について述べると、お陰様で、今年一年健康で元気に過ごさせていただいた。ありがたいことである。 年末の大掃除も、買い物も済んだ。玄関の扉をサンドペーパーで磨き、柿渋を塗った。明日、注連飾りを付ければ 正月の準備完了である。感謝・感謝!!!


2017.12.18

後宴之式能

私は12月17日には11:00から12:30までテニススクールでテニスをした。その後、16:00頃御旅所に行って 田楽(でんがく)と細男(せいのお)だけを拝観して帰宅した。

12月18日には、若宮神は還幸されて不在なのだが、御旅所前の舞台で13:00から奉納相撲、14:00から 後宴之式能が催される。私は14:00からの式能を拝観した。入場は無料で、舞台の前の茣蓙に座ることが 出来た。最初に能"羽衣"が演じられた(右の写真:シテ高橋忍、ワキ福王知登)。次いで、狂言"棒縛" シテ茂山千三郎、アド茂山宗彦・網谷正美。次いで、能"車僧"シテ金春穂高、ワキ福王和幸という豪華 メンバーで素晴らしかった。幸い天気も良くて、演能を楽しむことが出来た。演者の発声も素晴らしく 良く聞こえた。鼓・能管・太鼓の響きも良く、能楽堂では味わえないものであった。

金春流は若手に人材が揃っていて前途に希望が持てると思う。我々も"せっせと能楽堂に行って、 盛り上げなくてはいけない"と思った。
つくづく思うに、奈良の"おん祭り"は素晴らしい。何故、もっと多くの人が集まらないのであろう? 寒いからか???...現状の方が見物・鑑賞しやすいが・・・。


2017.12.15

大宿所祭

奈良の最大のお祭り"春日若宮おん祭"は12月17日にピークとなり、 遷幸の儀(せんこうのぎ、午前0時)、暁祭(あかつきさい、午前1時)、本殿祭(ほんでんさい、午前9時)、 お渡り式(おわたりしき:風流行列、正午)、松の下式(まつのしたしき、午後1時)、競馬(けいば、午後2時)、 稚児流鏑馬(ちごやぶさめ、午後2時半)、午後3時半より10時半頃まで御旅所(若宮神の仮御殿)で神楽(かぐら)・ 東遊(あずまあそび)・田楽(でんがく)・細男(せいのお)・猿楽(さるがく)・舞楽(ぶがく)・和舞(やまとまい) が奉納され、還幸の儀(かんこうのぎ、午後11時)が行われる。

これに先立ち、12月15日に、町中にある大宿所(おおしゅくしょ:昔、おん祭に参勤する大和士がお祭に 先立ってここに泊まりこみ、精進潔斎をした場所)で大宿所祭が行われる。私はピアノ教室の後に、 散歩を兼ねて大宿所へ行った。前庭には御湯立(大きな湯釜で、その湯を笹で身にふりかけ身を清める)や 懸物(杉葉造の小屋に若宮神への奉賽としての雉、鯛・鮭の塩漬干物等が懸っていた:右の写真)があった。

その前庭で、来場者に無料で、のっぺい汁(大根、人参、ゴボウ、里芋、厚揚げの入った白味噌汁)が ふるまわれていた。私もこれをいただいた。どんぶりいっぱいの熱々ののっぺい汁は美味しかった。


2017.12.12

ツグミ

私の部屋の窓際に、10年程前に自作した藤棚がある。その藤棚の下に、座って庭を眺める用 にと、板を渡した。その板もいつしか、植木鉢を並べる台になった。

その台の上が心地よいのか、毎日ツグミがやって来る。台の上は、ツグミの糞らしきものが 散在している。このツグミは我が家の庭をテリトリーにしていて、サンシュウ、サネカズラ などの実をついばんだり、庭の落葉をひっくり返して虫を探したりしている。

このツグミ、ガラス窓越しに私を見ても、平然としている。私が下手なピアノを弾いても、 台の上で心地よさそうに耳を傾けている。一曲弾き終わって見るとまだいる。私はアンコールに 応えて再度弾いた。なんと・・・座り込んで耳を傾けていた。唯一の私のファンである。


2017.12.10

奈良マラソン

私の家の前の道を100m程南に行くと、東西に通じる道がある。その道を西に200m程行くと 佐保川に架かる橋"佐保橋"があり、南北に通じる広い道路"やすらぎの道"と交差する。 その"やすらぎの道"を北に1.5km程進むと、県立"鴻池陸上競技場"がある。 "奈良マラソン"は"鴻池陸上競技場"をスタート地点とし"やすらぎの道"を南へと進んで 行く。帰路では"焼門"から"佐保橋"へと進み、"佐保橋"で右折してゴール"鴻池陸上競技場" へ進む。

今日はその"奈良マラソン"の開催日である。9:00に"鴻池陸上競技場"で花火が上がった。 その音を聞いて、私は"佐保橋"へ走って行った。"佐保橋"まで10m程の時に、白バイに 先導された先頭集団が通り過ぎて行った。その後、続々とランナーが続いた。凄い人数で ある。フルマラソンの参加者が12000名、10km種目の参加者が4000名とのことであった。 「すごいなあ。元気やなあ。この元気は私には無いなあ。」と声に出したら、隣にいた 近所のおばちゃんが「そらそうや。自分の歳、考えてみい」と言われた。

元気に走っている人を見るのは楽しい。フルマラソンでゴール間近まできて必死に走っている 人を見て、思わず手をたたいて声援した。完走して帰路につく人達の顔は"晴れ晴れ"としていた。


2017.11.28

私の散歩道 (1)焼門から大仏殿裏

私は健康のため1日に8000歩以上歩くことを目標としている。何故8000歩かというと、 私にとって達成し易いからである。家から街まで買い物に行って来ると約5000歩・・・ これでは少し物足りない。少し追加すると8000歩になる。昨年、椎間板ヘルニアを患 って以来"歩くことはとても気持ちの良い"と感じる様になった。先日、散歩に出かけた際、 近所のおばはんに「また散歩か。年金を沢山もらって、気楽でいいの」と言われた。

私の家から100m程南に東西に通じる道がある。その南側は奈良女子大である。その道を東に 1km程進むと、焼門(東大寺中御門跡、江戸時代に焼けて今は礎石だけが残る)に至る。 さらに300m程進むと大仏殿裏に至る。その途中で観た景色が右の写真である。もみじが 紅葉して美しかった。


2017.11.18

高見山

久しぶりに高見山に登ることにした。そして、もう一つ"この春に立ち寄って美味しかった飯町の 寿司屋さんで寿司を食べること"も目的とした。

11:00に高見山の大峠駐車場に着いた。小雨がちらつき、風が強く寒い。私は防水機能のあるズボン と上着を出して着た。登山靴を履き、手袋を着用し、ステッキを片手に気を引き締めて登山を開始 した。高見山はこれまでに100回以上登っているので勝手知った山である。それでも、こんなところで 雨に濡れたら、寒さで凍えてしまうと思った。20分程歩くと展望所に着いた。驚いたことに、そこから 上は一面霧氷に覆われて、木々は真っ白であった。雨は止み、雲間から青空が見えるようになった。 小休止の後、さらに40分程歩くと頂上に着いた。木々は霧氷に覆われて美しかった。"エビのしっぼ" と呼ばれる、風に流される霧が氷結し、風が吹いてくる方向に延びた美しい造形である。この日に、 美しい霧氷がみられるとは予期していなかったので、感激もひとしおであった。右の写真は頂上から 見た北方の景色である。頂上付近の木々は霧氷で覆われているが、下方は紅葉である。13:10大峠駐車 場に帰着した。

13:40飯町のお食事処「かみや」に着いた。寿司屋と思っていたのは私の思い込みで、うどん等も メニューにあった。でも、寿司はメインであり、私は"上にぎり"を注文した。赤出汁付きで2160円。 期待通り美味しかった。最近は"美味しい寿司屋"は少なくなったが、この値段でこの美味しさ、 私は店主に深く頭を下げて、満足して帰路についた。


2017.11.17

柚子ジャム

今年も徳島を故郷とする女性から沢山の柚子を戴いた。早速、包丁を研いで、柚子ジャム 作りに没頭した。作り方のレシピは2015.11.10のブログに掲載したが、今年は砂糖の量を 柚子の量に対し、2:5の比率(重量)にした。

4kgの柚子から右の写真に示すだけのジャムが出来た。これで一年間毎朝、トーストに付けて 食べる事ができる。少し余裕があるので、寒い日には"柚子湯"にして楽しむこともできる。 作成にかかった時間は五時間弱。私が懸命に作っているのに愚妻は手伝おうとすることもなく 「それじゃあ、先に寝るわね」と二階へ行ってしまった。


2017.11.12

松葉ガニ

今年も松葉ガニのシーズンになった。私は40才頃迄"松葉ガニ"の味を知らなかった。豊岡出身の Kさんが神戸大学の私の研究室にきて、12月に"津居山湾に面した民宿で蟹を食する一泊研究室旅行"に 連れていって下さった。爾来、私は毎年"松葉ガニを味わう一泊旅行"をするようになった。
東日本では蟹にあまり関心がないと思いますが、関西・北陸では格別であると思います。これは "蟹は鮮度が大切"だからだと、最近になって分かる様になった。

日本海側は雪が降る。私の車は冬用タイヤを付けないので、雪の降る前に行かねばならない。 そして、出来れば温泉のある旅館が良い。これまで数回訪れたことのある岩井温泉の旅館に電話したら ラッキーなことに11日の夜が空いていた。この宿の"松葉がにずくし"は少々値段が高いが美味しい。 私も年をとってきたので"今の内しか味わえない"と・・・思いきって予約した。

11日9:45に家を出たら、13:30に鳥取県東伯郡にある三徳山三仏寺(みとくさんさんぶつじ)に着いた。 駐車場脇の食堂で蕎麦(500円、美味しかった)を食べた。時々小雨の天気であったが、紅葉が美しか った。ふもとから300mの石段を登ると三仏寺本堂に着いた。この寺の目玉は、垂直な断崖に建つ 投入堂(なげいれどう、国宝)である。本堂裏の入峰修行受付所から標高差200m・往復2時間との ことであったので、諦めた。14:40三仏寺駐車場を出発し、16:10岩井温泉の宿に着いた。

夕食は18:00からとして、先ず、温泉に入った。この旅館の温泉は素晴らしい。直立しても胸まで 湯が浸かる深い湯船・高い天井の設えが良い。湯底に敷いた松板の真下から湧く温泉をそのまま利用し ている。こじんまりとした浴室であるが、第一泉源(源泉100%)。湧き出したままの成分を損なわない 源泉が、新鮮な状態のままで浴槽を満たしている「源泉掛かけ流し」である。
"松葉がにずくし"は美味しかった。茹でガニ、かに刺し、焼きガニ、かに鍋・雑炊まで、本物の松葉 がにを賞味させていただいた。まさに、絶品の"松葉がにずくし"であった。この美味しさは"蟹の良さ・ 新鮮さ"に基ずくと思う。

12日 7:00起床。入浴後、8:00より朝食(これも美味しかった)。9:00チェックアウト。2009年に宿泊し た際、この宿の女将さんが、庭に生えていた"マイヅルソウ"を掘り起こして譲って下さった。その "マイヅルソウ"は我が家の庭で繁殖している。でも、その女将さんは数年前に他界された。あとを継いだ 若い女将さんも素敵な人で"山野草の宿"を受け継いで、発展させておられる。また、近い将来、訪れたい 宿である。
帰り道で「但馬高原植物園」に立ち寄り、15:00奈良の自宅に帰着した。右の写真は茹でガ二。


2017.11.2

若草山

今日は秋晴れで心地よい日よりであった。昼食後、前日に行った庭木の剪定の後始末をした。 その後"こんな好天の日には家に居るより外を歩こう"と散歩に出た。東大寺の二月堂へ行ったら、 参篭所(お水取りの時、参篭する僧侶が宿泊する場所)で"華の仏さま展"をやっていた。故清水 公照師と似た色使いで、カラフルな仏画であった。会場に美しい尼僧がいらっしゃった。その 尼僧が描かれたとのことであった。売り上げの一部は東大寺福祉療育病院に寄付するとのこと であったが、私は買わなかった。

法華堂、手向山神社を通り、若草山下に出た。若草山には、娘達が子供の頃には何度ものぼったが、 ここ数年の間登っていない。"良い天気だし久しぶりに登ろう"と決意し、入山料150円を払った。 入口の標高が150m、頂上の標高が342mである。最近は人気が無いのか、人影はまばら。途中の茶店で コカ・コーラを買い、30分ほどで頂上に着いた。若草山入口で「春日奥山遊歩道は、台風21号で倒木 があり、通行止めです」と言われたが、"勝手知った道だから通ってやろう"と決めていた。ところが、 春日奥山遊歩道の入り口に近づいたら、警備員が現れて「春日奥山遊歩道は、倒木や崖崩れがあり、 通行止めです」と言われた。"大丈夫、行ける"と思ったが強硬突破することも出来ず、引き返した。

久しぶりに若草山に登った。近い将来、体力も衰えて、"若草山、よく登れたなあ"と思う日の為に記す。


2017.10.29

京都国立博物館「国宝」展

京都国立博物館で開催されている"開館120周年記念 特別展覧会「国宝」"を観に行った。 10月末まで有効な入場券があったのと、29日は台風22号の来襲で朝から雨であったので 出かけて行った。9:00近鉄奈良発の電車に乗り、10:00京都国立博物館に着いた。驚いた ことに、雨の中でも長い行列。会場に入った時には10:45であった。

国宝200点程が展示してあった。その半分程は拝観した事があるが、貴重な名品ぞろいで 見応えがあった。"曜変天目"には長蛇の列で、"青磁鳳凰耳花入 銘 万声"には見物人は疎ら ・・・宣伝とは恐ろしい。私は"曜変天目"はパスした。この日も、単眼鏡を持って行ったが 大いに役立った。

11:00に出館した。七条駅近くのお店でランチセット"にゅう麺と磯巻"を食べた。にゅう麺に 入っていた九条ネギが美味しかった。・・・で、私は、帰り道で"九条ネギ"を買った。


2017.10.28

正倉院展

本年の正倉院展は、10月28日(土)〜11月13日(月)に奈良国立博物館で開催される。本日は 台風22号の影響で、天気予報は雨であった。午前9:10、雨は降っていなかった。私は"朝早くなら 空いているいるだろう"と予測して、出かけて行った。9:30博物館に着くと"待ち時間30分"であった。
入館した時、館内はそれほど混雑していなかった。私は、前日に奈良国立博物館のホームページで "主な出陳品"の解説を読み且つ単眼鏡を持って行った。それで、説明を読む必要もなく、単眼鏡で 自分の興味の赴くままに観ることが出来た。11:00に出館したが、入館者の行列は無かった。

帰り道で興福寺の東側・県庁前に出るとテントが沢山あった。近づいて見ると"奈良フードフェスティバル" が開催されていた。大型キッチンカーで有名シェフが腕を振るうという"Chef's Kitchen"に入って、 イタリアンランチ(1500円)を食べた。味はまあまあ。この"奈良フードフェスティバル"は正倉院展の期間中 開催される様で、"Chef's Kitchen"のシェフは日替わりとのことであった。

次いで、"奈良工芸フェスティバル"のおこなわれている"なら工芸館"へ行った。この頃から小雨が降り出した。 家に帰って、愚妻に「昼飯は食べてきた」と言ったら、「どうせ、そうだろうと思って私も済ませた」と言った。

右の写真は"見返り草"


2017.10.19

特別展「運慶」

東京国立博物館 平成館で、興福寺中金堂再建記念特別展「運慶」が9月26日から11月26日まで 開催されている。主要な展示像は奈良にあるものなので、私は何回も拝観したことがある。 しかし、まだ拝観したことのない静岡・願成就院の毘沙門天立像、和歌山・金剛峯寺の八大童子立像、 神奈川・浄楽寺の阿弥陀如来坐像・両脇侍立像・不動明王立像・毘沙門天立像、愛知・瀧山寺の 聖観音菩薩立像等が出品されているとのことで、私は出かけて行った。

7:56近鉄奈良駅発の電車に乗ったら11:30に上野駅に着いた。先ず、東京国立博物館内のレストランで 昼食(天丼)をとり、平成館に入館した。入館に行列は無かったが、展示会場は賑わっていた。 展示は、第1章 運慶を生んだ系譜ー康慶から運慶へ、第2章 運慶の彫刻ーその独創性、 第3章 運慶風の展開ー運慶の息子と周辺の仏師、と分別してあり、期待以上の圧巻であった。 照明が工夫して展示してあり、身近に且つ詳細に拝観することが出来た。 私は、単眼鏡を持参したが、これは大変役立った。唯一、無著菩薩立像・世親菩薩立像だけは、興福寺 北円堂で拝観したほうが良いと思った。

14:15会場を出た。本館に入って平常展も拝観する予定であったが、十分満足したのでパスした。 18.05近鉄奈良駅に帰着した。とても贅沢な1日であった。

今年の4月8日から6月4日まで奈良国立博物館で特別展「快慶」があり、私は拝観した。今回、特別展「運慶」 を拝観して、「快慶」と「運慶」と違いが良く理解できた。同じ時代の兄弟の様な二人であるが、 「快慶」は端正で美しい像を製作し伝統的な仏師として大成、「運慶」は肉体を良く観察し彫刻としての要素 を取り入れて新境地を切り開いた仏師だと思う。


2017.10.15

覚醒

近年、年を取ったせいか?、愚妻がへまをすることが多くなり、且つ怒りぽっくなった。 愚妻の耳も悪くなったので、大きな声で話さなければならない。すると、愚妻は"怒鳴られた" と思って、反撃してくる。私は"なんだ!ボケやがって!しっかりせんかいな!"と思って暮らし ていた。"チョットしたことにも直ぐ怒る。困ったことになった"と諦めていた。・・・・・・

ところが・・・一か月程前、私は覚醒した。「ボケるのが普通なんだ・・・と」、 「これが普通なんだ・・・と」。すると、愚妻を見る目が異なってきた。寛大に眺められるよう になった。そして、私は気楽になった。
すると、愚妻の態度も変わってきた。私が"なんだ!ボケやがって!しっかりせんかいな!"と 思っているのを、愚妻は無言のうちに感じて,反発・緊張していたのではないかと思う。 "愚妻も気楽になった"と思う。
最近では、愚妻が怒っても・・・「悪かった・悪かった。まあ、そんなに怒らないでね」と 言えるようになった。「これが普通なんだ・・・」と思えば、生活も気楽になった。

右の写真は高隈ホトトギス。


2017.10.9

我が家の太陽光発電: 増設から1年

福島の原発事故を契機に我が家では2011年5月に太陽光発電装置を導入した。シャープ製住宅用太陽電池 モジュール(ND-163AW: 1.165x0.990m)を18枚(=20.8m2 最大出力2.934kW)を設置した。費用は280万円。 設置から5年経過した結果を2016.5.19のブログに記載した。結果から、太陽光発電量の凄さを実感し、 コストパフォーマンスも悪くないことが分かった。

太陽光発電装置導入を機に、我が家ではオール電化にし、台所の煮炊き・風呂・エアコン・電熱器・ 床暖房・電気機器など、全て電力でまかなっている。売電料金で、消費した電力の料金をほぼカバー出来た。 しかし消費した電力量の半分程度しか、我が家の太陽光発電装置ではカバー出来ていなかった。 我が家で使う電力量の全てを補うことの出来る様にしたいと太陽光発電装置設置会社に相談し、新たに、 シャープ製住宅用太陽電池モジュール(NU-215AE: 1.318x1.004m)を15枚(=19.8m2 最大出力3.255kW)設置した。 費用は130万円。5年前より費用は半減し、発電効率も改善している様である。業者によると「太陽光発電の 電力買取価格は下がってきているが、装置の価格が安くなっているので、コストパフォーマンスは悪くなっ ていない」とのことであった。

2016年9月に太陽光発電装置を増設し、1年が経過したので、その結果をまとめた。月毎の結果を棒グラフ にした。10,11,12月は2016年のデータで、1-9月は2017年のデータである。
我が家の太陽光発電装置の月別発電量 我が家の月別電力消費量 月別発電量から月別電力消費量を引いた量
我が家の太陽光発電装置の1年間の総発電量は6602kWh、我が家の1年間の総電力消費量は7093kWhであった。 残念ながら、1年間の総電力消費量を太陽光発電の総発電量でまかなうことは出来なかったが、 1年間の総電力消費量の93%を太陽光発電でまかなうことが出来た。

採算面を見てみよう。関電に売った電力の月別金額、関電から買った使用電力の月別料金、 関電に売った電力の金額から関電から買った使用電力の金額を引いた月別金額、それぞれを棒グラフ にした。
関電に売った電力の月別金額 関電から買った使用電力の月別金額 売った電力料金から買った電力料金を引いた月別金額
太陽光発電の発電量を関電に売った1年間の総電力料金は241,968円であった。太陽光発電の発電量の内、 我が家で消費量した量の月別データを棒グラフで示す。 太陽光発電の発電量の内、我が家で消費した1年間の総量は1633kWhであった。これは売った場合の電力料金に 換算すると241,968x(1633/6602)=59,850円である。太陽光発電の発電量を全て関電に売却すると1年間で 241,968+59,850=301,818円になる。初期投資280+130=410万円を考慮すると15年で採算がとれる。

新築の家の屋根に太陽光発電システムを設置すれば、費用も少なくて済む。全ての家に太陽光発電システムを 設置すれば、原子力発電所は必要ない。電力の安定供給に火力発電を活用すればよい。 太陽光発電システムの導入を政府は奨励・援助すべきと思う。菅直人元首相はそれをやっていた。

先日の新聞報道によれば、政府は福島の第1-3原子炉の使用済み核燃料ブールにある使用済み核燃料の処理 期間を3年延長した(3年前に3年とし、今回また3年とした。周辺の放射能が高く、取り出す方法が見つかって いないのだ。これでは3年後に再再度3年となりかねない)。溶融した原子炉の廃炉には何年かかるか? 使用済み核燃料や廃炉に伴う核汚染物は処理の仕様が無い。 危険極まりない原子力発電は止めなければならないと思う。


2017.10.1

奈良氷室神社例祭

奈良氷室神社の例大祭は毎年9月30日に宵宮、10月1日が例祭6:30から夕座の舞楽が氷室神社舞殿で 奉納される。私は5:30に「氷室神社に行ってくる」と愚妻に告げた。愚妻は「なにがあるの?、 私も行く」と言った。6:10頃氷室神社についた。参道から境内に"1辺が15cm程の立方体の氷に穴を 空けて、その中にローソクを立てた灯り"が沢山並べてあった。

「1人1000円の奉賛金を払うと舞殿の近くにある席にいける」とのことで、2000円払って席に着いた。 最初に"東遊(あずまあそび)":東国起源の風俗歌舞・平安時代からの神事舞。が奉納され、次いで、
"振鉾(えんぶ)":舞台の邪気を払い雅音成就を祈る舞、
"万歳楽(まんざいらく)":鳳凰が万歳を唱える慶賀の舞、
"延喜楽(えんぎらく)":延喜年間に作られた万歳楽と一対となる慶賀の舞、
"賀殿(かてん)":祝賀の舞、
"登天楽(とうてんらく)":蛮絵装束を着る童舞、
"蘭陵王(らんりょうおう)":天下泰平を寿ぐ舞、
"納曽利(なそり)":勝者を寿ぐ舞、
"抜頭(ばとう)":親を猛獣に殺された子供が猛獣を探し求めて殺すという物語りの舞で、大仏開眼供養で演じられたそうである、
"落蹲(らくそん)":勝者を寿ぐ舞
が奉納された。
これで終わった。ちょうど21:00であった。各舞楽の初めに、神官による説明があり、素人の私にも理解しやすく 楽しむことが出来た。神官によると、南都での舞楽は、奈良氷室神社の神官が江戸時代まで伝えてきており、春日大社の おん祭りや東大寺等での奉納を担当していた様である。現在は南都晃耀会・南都流舞楽伝承会が奉納。 私は今回で三回目の拝観であった。ちなみに、奈良で生まれ育った愚妻は、今回が最初の拝観。とても素晴らしい舞楽奉納の 祭りなのに、殆ど知られていない。 右の写真は万歳楽。


2017.9.29

竜王山ハイキング

愚妻の従兄の細君が主催する歩く会の"9月のハイキング 竜王山(標高586m)と笠蕎麦処"に参加させて いただいた。9:00JR柳本駅前に集合。参加者は8名(男性2、女性6、平均年齢80?)であった。 駅前広場で準備体操をした後、20分ほど歩くと長岳寺(824年に淳和天皇の勅願で弘法大師が創建。 本尊は阿弥陀三尊(重文))に着いた。本堂入り口を左に曲がると、竜王山登山道の標識があった。 栽培放棄されたと思われる柿の木畑の中にある道を進むと、岩盤が露出した登山道になった。 この道は雨が降ると水路になるものであった。ところどころに石仏があり、雑木林の中を進む道で日陰 になっており、快適な道であった。12:00に竜王山山頂に着いた。距離5.4km、標高差506mの登山で、 私は「高齢者の登山で大丈夫かな」と思っていたのだけど、さすがに"歩く会"のメンバーである、 全員が余裕をもって頂上に着いた。
頂上は、中世に十市氏の山城があった所で、大和三山、金剛・葛城・ 生駒山を一望できた。その頂上で昼食。13:00頂上を後にした。距離2km、標高差100mの緩やかな山道を 下ると14:10"笠蕎麦処"に着いた。私はざる蕎麦(540円)を食べた。15:00"笠蕎麦処"からタクシーに乗り JR巻向駅に移動。そこで解散。全員、元気で楽しいハイキングであった。

右の写真は山頂付近に咲いていたヤマジノホトトギス。


2017.9.21

林 久治さん

林 久治さんは長い間、理化学研究所の主任研究員を務めた方で"化学反応に対する外部磁場の影響 に関する研究"の第一人者である。林 久治さんと私は同い年で、私は現役時代、林 久治さんと親 しく研究・討論して頂いた。

その林久治さんが、9月に大阪に住む娘さんの手伝い(孫の面倒?)の為、大阪に来られることを知った。 それで、私は林久治さんに「もし時間がとれるなら是非お会いしたい」とお願いした。そしたら 「9月21日なら都合が良い」との連絡があった。それで、21日11時にJR京都駅で待ち合わせた。 定年退職以来お会いしていないので少し心配であったが、昔のままの姿を見つけて安心した。 林久治さんは「銅像の写真を撮ることを趣味にしているので、立命館大学の衣笠校舎へ行って、 "わだつみ像"と"ムッチャン像"の写真を撮影したい」とおっしゃった。それで、地下鉄とバスを乗り継いで 衣笠校舎へ行った。"アカデメイア立命21"という建物内にこれらの像があった(右の写真は"わだつみ像"と その脇に立つ林久治さん)。次いで「近くに末川記念館があるからそこに行こう」とおっしゃった。 末川記念館内で"末川博名誉総長の銅像"を見つけて嬉々として写真を撮っておられた。

昼食後、私は「相国寺承天閣美術館で臨済禅師1150年・白隠禅師250年遠諱記念の禅林美術展が開かれている から行きましょう」と先導して行った。ところが、館内で国宝の"無学祖元墨蹟"、"白隠禅師の三祖師図"等を 前にしても何の興味も示されない。「私は坊さんは嫌いだ。チンプンカンプンのことを言って偉そうにしている。 これだって何のことだかさっぱりわからん」とおっしゃった。

一日中、いろんな事を話した。楽しい一日であった。"健康に過ごせて、再会出来ることを!" と切に願うばかりある。          


2017.9.19

南山城村訪問

今年6月6日に"化学反応研究会中年の会同窓会"で会った仲間の一人Tさんが定年退職後、南山城村の古民家を 買って移り住んで居られることを知った。私の家から車で一時間程の所なので「お訪ねください」との ご案内を頂いた。頂いたパンフレットによると、彼の細君は大阪でGallery Den を開設していらっしゃっ たが、彼の移住に伴い、南山城村の古民家の一部をGallery Den mymとすると共に、近くに Artist In Residence"青い家" を開設しておられることを知った。さらに、ホームページで9月17日-9月30日に北川幸司さんと中尾めぐみさん の個展が開催され、9月17日にはオープニングイベントがあることを知った。

大阪と京都に住む"化学反応研究会中年の会同窓会"の仲間2人に呼びかけて、一緒にGallery Den mymを17日に 訪問することにした。17日は台風のため延期。18日10:10に近鉄奈良駅前に集合、私の車に同乗して出かけて行った。 思っていたより近く、45分程で南山城村の古民家に着いた。築130年という古格のある立派な建物であった。 骨格は専門家に直して戴いたが、土壁まで自分で塗ったとおっしゃっていた。私は"子供の頃に観た農家"を懐かしく 思い出した。長く学究生活をしていたTさんが、自然豊かな山里に移り住み、地域の人達と仲良く農作業をするという 第二の人生を楽しんで居られるのには感銘を受けた。

Tさんの細君も並みの人ではなかった。その過疎の地で、若い芸術家を育てる活動をしておられた。古民家の一角 Gallery Den mymで"作品展示"するだけでなく、近くに、Artist In Residence"青い家"を設立し、作品の制作・発表・鑑賞 の場を作っておられた。

大変楽しい一日であった。仲間との会話も楽しかった。16:30南山城村に別れを告げた。
右の写真はスミナガシ (古民家の庭でのティータイムに、目の前のテーブルに飛来し、テーブル上の砂糖汁?を悠然と舐めていた)。


2017.9.17

映画「みかんの丘」

NPO法人奈良国際映画祭実行委員会主催の映画上映が奈良女子大学講堂で行われることを、講堂前を 通った際、立て看板を見て知った。説明を読んで、面白そうだったので、その映画を観に行った。
映画の題目は「みかんの丘」監督:ザザ・ウルシャゼ、制作国:エストニア・ジョージア、2013年作品。 この映画の背景として、私が知ったこと
1). ジョージア(グルジア)は1991年にソ連から独立を宣言。1992年にアブハジアがジョージアからの独立を 求めたことから武力闘争が勃発。国際的には独立を認められていないが、2008年ロシアはアブハジア共和国を 承認し、事実上独立状態にある。
2). ジョージアが19世紀にロシア帝国に併合された際、ロシアに敵対した住民の多くが国を追われ、その代 わりにエストニア人が移り住んだ集落がアブハジアにあった。
この映画は、みかん栽培をするエストニア人の集落が舞台。ジョージアとアブハジア間に紛争が勃発し、 多くのエストニア人はエストニアに帰国したが、みかんの木箱作りのイヴォとみかん農家のマルガスとは残 っている。ある日、彼らは戦闘で傷ついた二人の兵士をイヴォ宅で介抱することになる。ひとりはアブハジアを 支援するチェチェン兵アハメド、もうひとりはジョージア兵ニカで敵同士だった。 彼らは互いに同じ家に敵兵がいることを知って、殺意に燃えるが、イヴォのとりなしと人間性にふれ、次第に 相手を理解・認め合う様に変化していく。・・・がある日、アブハジアを事実上支援するロシアの小隊がやって きて・・・・・・。
戦争の不条理と人間性の尊さ。"世界が危機的な状況のなかで、人間らしさを保つことの大切さ" を悟らせる映画であった。

私は"北朝鮮を武力で叩き潰そう"などと考えてはいけないと思います。福井県の原子力発電所をロケット攻撃 されれば、関西地方は住めなくなるでしょう。他の地方も同様です。戦争を始めれば、北朝鮮に住む多くの人々、 日本に住む多くの人々、その他の国々に住むの多くの人々が地獄に落ちます。"話し合いしか道は無い"と思います。


2017.9.7

初秋

9月になって奈良では朝夕が涼しくなりました。昼間はまだ暑い日がありますが、何とか今年の夏も 乗り越えることが出来た・・・と思えるようになりました。
9月4日は私の誕生日で、満76才になりました。これといった感慨もありませんが、元気で楽しい日々 を送らせていただいていることは有難いことで"感謝・感謝"です。

私の部屋には娘たちが小学生の時に購入したピアノがあり、つれづれに童謡を弾いています。一向に 上達しませんが"下手の横好き"とは良く言ったもので、一人楽しんでいます。
この部屋のソファーに座り、お気に入りの茶器で、のんびり、美味しい茶を啜り、菊屋の饅頭を頂い ていると"幸せ"を感じます。部屋の南側は硝子戸で、10年程前に自作した藤棚があります。その藤も 随分大きくなり、毎年春には100本以上の藤の花が垂れ下がります。その藤の花に付いた実(豆)を数本 切らずに残しておいたら、今では随分大きくなって、風に吹かれてゆらゆらと揺れています。 これがまた"なかなかの風情"であります。

庭も秋の景色になってきました。吾亦紅、桔梗、女郎花、撫子、萩が咲いています。愚妻が「垂れて邪魔」 と言って切った萩の枝を、私は拾ってきて、花瓶に挿した。

右の写真はメハジキの花。
万葉集に「わがやどに おふる土針(メハジキ) こころゆも おもわぬひとの ころもにすらゆな」と読まれています。


2017.8.31

正岡子規

昨年、椎間板ヘルニアで入院・療養したが、それを機会に電子図書で夏目漱石の作品を再読し、 ほぼ全作品を読ませていただいた。最近は正岡子規の作品を電子図書で読ませていただいている。 正岡子規が七転八倒する病の苦しみの中で、優れた著述を残しているのには、唯々感心・尊敬する。

これまでに拝読したのは、「墨汁一滴」、「病」、「病牀六尺」。最近、拝読しているのは「病牀苦語」。 正岡子規を理解するには先ず、彼の"病"を理解してから・・・と思って読み始めたのだけれど、 その"病"が壮絶な中で、優れた随筆を沢山遺しておられる。親しい友人・弟子に対しても"忌憚のない 意見・批判"をしておられる。・・・それがまた"友人・同人・自己の高揚"に繋がったと思われます。 ・・・"これは本物"と感じました。まだ未読の正岡子規の電子図書が30冊ほどあります。楽しみにしています。

(注) これらの電子図書は全て無料でダウンロードできます。


2017.8.21

長女の子供達の来訪

8月13日に長女の子供達:長男(上智大学3年生)と長女(この9月に米国ワシントン大学に入学)が奈良に 来てくれた。
本日8月21日"奈良にきたのだから・・・"と愚妻を含めて4人で"法隆寺"へ行くことにした。"法隆寺"には 「美味しいレストランは無かった」と言うので、「大和郡山のイタリアンレストランを12:00に予約」して 出かけて行った。車の運転は、長女の長男がした。奈良に来て以来"車の運転練習"をしてきたので、運転も 余裕を持って出来る様になった。予約したイタリアンレストランはピザが売り物の店なので、ピザとパスタ を2人前ずつ注文し4人で分けて食べた。

法隆寺に着いた時には快晴でかんかん照りの夏空であった。南大門を入ったら"西院伽藍の中門が修理中"で 大きな覆屋があった。「修理が完了するのは平成30年度」とのことであった。塑像の仁王像は拝観出来なか ったが、金堂、五重塔、講堂はいつも通りに拝観出来た。五重塔の四面の塑像を拝観した後、金堂を拝観し た。飛鳥(白鳳)時代の至宝を拝観させていただくと"良くぞこれだけの物が保存されてきた"と何時も先人達 の努力に感謝せずにはおられない。

次いで、聖徳太子の祀られている聖霊院、六観音・夢違観音・百済観音等のある大宝蔵院を拝観し、東大門 (これと東大寺の転害門が現存する奈良時代の三棟作りの門)を通って、美しい均整の取れた夢殿を拝観した。 せっかくだから中宮寺にも行って半跏思惟の美しい如意輪観音を拝観した。私はこの仏様を拝観する毎に " 中学の修学旅行の時、まだ本殿に祀られておられたこの像を間近に拝観し感動した"ことを思い出す。

右の写真は、法隆寺金堂の入り口に立つ長女の子供達。


2017.8.10

イタリヤアルプス

ヨーロッパアルプスを歩く旅は、これまでにスイス:Interlarken, Les Diablerets, Zematt, Grindelwald, フランス:Chamonix, オーストリア:Innsbruck・Heiligenblutに滞在して楽しんできた。残るはイタリアで ある。寄る年波には勝てず体力も衰えてきた。"今でなくてはもう行けなくなる"と思い、イタリヤアルプス を歩く計画を立てた。愚妻は渋っていたが、私が「1人でも行く」と宣言したら、渋々「同行する」と言った。
この同行者は"写真狂"である。景色を観るより、何処を写真に撮ったらよいか見る。山に同行して、愚妻が花の 写真を撮って"なかなか進まない"のにイライラして、「それならいっそ、私も写真を撮ろう」と私も花の写真を 撮るようになった。・・・すると"次第に花に関心を払う"ようになり、野山を歩くときの楽しみが一つ増えた。
私は航空券、ホテル、バスの切符等、全てインターネットで予約した。便利になったものである。
イタリヤアルプスなら、モンブランとマッターホルンをイタリヤ側から眺められる所と決めていた。旅行書 を参考にして、関空-ミラノ(2泊)-クールマイユール(4泊)-チェルヴィニア(3泊)-ミラノ(2泊)-関空(機内1泊) とした。時期は"日本の最も暑い時"とするのが恒例である。

7月27日(木) 6:00近鉄奈良駅前発のバスに乗り7:30関空着。10:10関空発のLH741で15:20フランクフルト着。 17:10フランクフルト発のLH254で18:20ミラノ空港に到着。フランクフルトでは雨が降っていたのにミラノは 快晴、気温27℃。バスでミラノ中央駅まで行き、バス停から300m程歩いてホテルに到着。荷物を置いて中央駅 の地下にあるスーパーマーケットで買物。果物、牛乳、パン、ハムを食べ、入浴後、23:00就床。歩数4978。

ミラノ中央駅 Duomo大聖堂 Duomoの屋上
7月28日(金) 7:30起床。8:30朝食。このホテルの朝食は美味しかった。10:30中央駅から地下鉄でDuomoまで行った。 Duomo大聖堂への入場券を購入するのに1時間ほど並ばなければならなかった。さらに、入場するのに30分ほど並ば なけれならなかった。内部を拝観した後、さらに30分並んでDuomoの屋上へ昇るエレベーターに乗り、屋上に登った。 14:00Duomo正面前の広場(メルカンティー広場)に面したビルの3階にあるカフェレストランで昼食。その後、歩いて スフォルツァ城へ行った。見学の後、Duomoから中央駅まで地下鉄に乗り、17:00中央駅地下のスーパーマーケットで 食料を買いホテルにもどった。同行者が「頭が痛い」と言った。21:00就床。歩数11234。気温35-25℃

モンブラン山隗の図 Entreves村から見たモンブラン山隗 Mont Blanc de Courmayeur(4751m)
7月29日(土) この日はミラノからモンブラン(Mont Blanc, イタリヤではMonte Bianco, 4810m, ヨーロッパアルプスの最高峰) の麓の町クールマイヨール(Courmayeur)に移動する日である。7:30起床。8:30朝食。10:30チェックアウト。 地下鉄でバスの出発地Lampugnanoに11:00着いた。バス駅て昼食。13:00発のバスに乗り15:30Aosta着。Aostaはスイスへ行く道と フランスへ行く道の分岐点で、ローマ時代より栄えた都市である。今回の訪れたのは"Aosta谷"の一部である。 15:45Aosta発のバスに乗り16:45Courmayeur(標高1239m)着。バス停からホテルに電話したら迎えの車が来た。 5分ほどでホテルに到着。19:30-21:00夕食。このホテルは Half Board(朝食と夕食付)を予約していた。結果的にこれは 大成功で、滞在期間中、フランスに似た美味しい料理を堪能することができた。同行者はあまり元気がない。 22:00就床。 歩数6062。気温35-24℃。
モンブラン山隗を望む Dent du Grant(4014m) グランド・ジョラス(4203m)は右端

7月30日(日) 6:00起床。快晴。''モンブランの頂上を観たい''と2kmほどDora Baltea川の上流の方へ歩いて行った。 頂上らしきものは見つかったが雲があり、全貌は拝観できなかった。8:30ホテルに帰って朝食。9:30ホテルから1km ほどのところにあるinf(インホメーションセンター)に行き、色々の情報を得た後、ケーブルカーとリフトを乗り継 いでCol Checouit(1952m)に行った。山小屋のオープンテラスで郷土料理の昼食を摂った。この頃から同行者に元気が 無く「気分が悪く頭が痛い」と言った。大変なことになったと・・・15:00ホテルに帰着した。19:30-21:00夕食。 22:00就床。歩数13619。気温25-15℃。
Scabiosa lucidaに留まるLysandra albicans Colchicum alpinum Col Checouitの山小屋

7年31日(月) 6:00起床。同行者の体調も幸いにして改善。朝食後、8:49ホテル前でモンブラン・ロープウェイ (Skyway)乗り場Pontal(1300m)行きのバスに乗り9:00に到着した。ロープウェイでPavillon du Mont Frety(2173m) に行った。この上部の駅は雲の中であった。態勢を整えた後、トレッキング路を気ままに、高山植物の写真を撮り、 雄大な景色を楽しみながら散策した。15:00まで粘ったが、残念ながらMonte Bianco(モンブラン 4810m)を観ること が出来なかった。Skyway乗り場Pontalから歩いてホテルに16:30帰着した。19:30-21:00夕食。21:30就床。歩数7660。 気温25-15℃。
Pavillon du Mont Fretyからのトレッキング路 Achillea millefoliumにとまるLycaena disper Arnica montanaにとまるFabriciana adippe

8月1日(火) 6:00起床。快晴。「晴れている間にモンブランを眺めよう」と、朝食を食べず、7:14ホテル前から路線バス に乗り、Entreves村のバス停で降り、500mほど歩いて7:25Skyway乗り場に着いた。今回はロープウェイを乗り継いで、 Punta Helbrocner(3466m)に行った。広い展望台に、この時には私達しか居なかった。快晴で、360度の展望で、 グランドジョラス、マッターホルン等の名峰を観ることが出来たが、肝心のモンブランは雲の中・・・ 時々、少し頂上辺りを覗かせてくれるだけであった。11:00まで、寒さに凍えながら・・・山容を見せてくれるのを 待ったが駄目であった。その後Punta Helbrocner展望台内のレストランで昼食を食べながら待ったが、次第に雲が 増えてきて視界が悪くなったので、前日に降りたPavillon du Mont Fretyに行き、トレッキングを開始した。途中に、 氷河からの水が流れる川があり''渡るのは危険''と思われたので引き返した。カミナリが鳴り、雨が降りだしたので、 急いでロープウェイ乗り場Pavillon du Mont Fretyへ引き返した。ローマ時代からの伝統を感じさせる古い集落Entreves村 のバス停からバスに乗りホテルに15:20に帰着した。19:30-21:00夕食。22:00就床。歩数11094。気温25-5℃。
展望台から観た グランド・ジョラス山塊 雪原に登山者が見える モンブラン山塊

8月2日(水) この日は、マッターホルン(Matterhorn, イタリヤではCervino, 4477m)の麓の町Breuil-Cervinia(チェルビニア) に移動する日である。 6:00起床。6:30モンブランの頂上が見えるのを期待して、2kmほど歩いて行った。しかし、 残念ながら観ることはもできなかった。7:45にホテルに帰着した。朝食を済ませて8:45チェックアウト。ホテルの車で クールマイヨールのバス停まで送っていただいた。バス停で日本人のご夫妻に遭った。「ここ数年、毎夏、このあたりのを訪れている」 とおっしゃっていた。 9:35Courmyeur pmb発のバスに乗り、Aosta、Chatillonで乗り換え、 12:25にBreuil-Cervinia(標高2012m)に着いた。12:30ホテルにチェックイン。部屋に案内されて、私は小躍りした。部屋の窓の正面に マッターホルンが聳えていた。そのホテルは12室だけのこじんまりなmounten chaletであったが、1865年7月17日に イタリア側からマッターホルンに初登頂したAbbe Ame Gorretが、その際宿泊したという伝統あるホテルであった。 13:00市内のレストランで昼食。14:00インフォメーションに行き、地図を買った。17:00から散策に出かけCror de Paret(2300m) の上まで行って引き返した。19:00スーパーマーケットで買物をして、其れで夕食。22:00就床。歩数15945。気温23-15℃。
Breuil-Cerviniaのバス停 Cror de Paretにて ホテルの部屋から見たマッターホルン

8月3日(木) 7:00起床。快晴であるがマッターホルンの山上は雲に覆われていた。8:00朝食。9:00ロープウェイで Plan Maison(2550m), Lago Cime Bianebe(2982m)を経てPlatau Rosa(3480m)へ行った。展望は良いが マッターホルンの山上は雲に覆われていた。氷河でスキーをする人達が沢山居られが、風が強く・寒く・気圧が低く 気分が良くないので、20分ほど滞在した後ロープウェイでLago Cime Bianebeへと移動した。駅の近くを散策し、 雪渓の近くでPicnic lanchをとった。同行者が寒くて気分が悪いというので、60分ほど散策した後ケーブルカーで Plan Maisonへと移動した。
ゴンドラの中で、長いロープを持った逞しい10人程の一団と遭遇した。全員が胸に"山岳救助隊"のマークを付けて おられた。「写真を撮ってもよろしいか」と訊ねたら、ポーズをとって下さった。「訓練に来ました」とのことで あった。
Plan Maison(2550m)は暖かく、沢山の高山植物のお花畑が花盛りであったので、同行者の気分も良くなり、 トレッキングを楽しんだ。途中でイタリア人の老夫妻に遭った。私達が花の写真を撮っていると、その花の名 (イタリヤ語)を全部教えて下さった。「NO English」とおっしゃっていたが、身振り手振りで交流し、最後に 握手して別れた。
15:00ロープウェイBreuil-Cerviniaに移動し、ホテルに帰着した。 18:00市内のフォンデュ専門レストランで地元アオスタ産のフォンティナチーズFontinaを使った本場のフォンデュを 食べた。美味しいので沢山いただいて満腹になってしまった。22:00就床。歩数6500。気温23-5℃。
Platau Rosaの氷河でスキーをする人達 救助隊の隊員達 Leontopodium alpinum(エーデルワイス)

8月4日(金) 6:00起床。快晴でホテルの部屋からマッターホルンは雲ひとつなくよくみえた。予定を変更して、 前日行ったPlatau Rosa に再度行くことにした。7:30朝食。前日と同じロープウェイで 9:30Platau Rosa(3480m)に着いた。この日は風も無く暖かった。マッターホルンの山上も良くみえた。 充分堪能したので、11:00Lago Cime Bianebeへと移動した。
Lago Cime Bianebe(2982m)でも同行者の気分は良かったので、周囲3kmほどの池を一周する事にした。高所を好む 高山植物が美しい花盛りであった。ところが、2kmほど行った所で、氷河からの水が流れている巾3mほどの川に直面した。 深い所でも膝までくらいで、流れもそれほど強く無かった。強行渡河することにして、ズボン・靴をを脱ぎ下半身パンツ ひとつになって渡った。とても冷たくて数分はいっているのが精々であった。渡河に成功したので、これを祝して 昼食とし、ピクニックランチを食べた。この頃にはマッターホルンの山上は雲に覆われていた。充分満足したので、 14:00ロープウェイに乗り下山した。
17:00街に出て買物をした後、18:00パスタ料理のレストランで夕食を済ませた。21:00就床。歩数10311。気温23-5℃。
Platau Rosaから見たマッターホルン 背後の池を一周した 駆けて道を横切るアイベックス

8月5日(土) 6:00起床。快晴。この日はミラノに移動する日である。7:40朝食。ホテルの部屋で雲ひとつ無いマッターホルン を眺めながら過ごす。9:50チェックアウト。10:25Breuil-Cervinia発のバスに乗り、Chatillonで乗り換え、13:30ミラノの Lampugrano着。地下鉄に乗ってミラノ中央駅へ行き、14:30駅前のホテルに着いた。ミラノの気温は35℃であった。 16:30ミラノ中央駅から地下鉄でDuomoへ行き、そこから歩いてスカラ座へ行き、商店街をぶらぶらした後、アーケード街の カフェレストランで、17:00サフラン風味ミラノリゾット、ピザ、野菜サラダを食べ夕食とした。19:00ホテルに帰り、 22:00就床。歩数7053。気温35-20℃。
ホテルの部屋から見たマッターホルン ホテルの部屋から見たマッターホルン スカラ座

8月6日(日) 6:30起床。7:30朝食。8:30ホテルを出て、地下鉄に乗って、ミケランジェロの画いた''最後の晩餐''を観に、 サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会へ行った。見学は予約制で、私は日本で"9:30からの英語ガイド付"を予約した。 見学は15分であった。見学後、歩いてブレラ絵画館へ行った。 その後、1900年代美術館を見学した後、商店街をぶらぶらした。同行者に「この服、綺麗な色だね、買ったら?」と奨めても 「こんなの何処で着るのよ」。「こんなの着て庭仕事したらカッコイイヨ」と言っても駄目。ただ単に町の写真を撮って 楽しんでいた。
16:00少し早い夕食を済ませ、18:00ホテルに帰った。21:00就床。歩数15916。気温36-26℃。
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会 ミケランジェロの画いた''最後の晩餐'' ミケランジェロ作"ロンダニーニのピエタ"

8月7日(月) 5:30起床。6:20チェックアウト。6:45ミラノ中央駅発の空港行バスに乗り7:50空港着。 9:40ミラノ発のLH0247でで11:00フランクフルト着。13:20フランクフルト発のLH740で8月8日7:40関空に着いた。

今回の旅で"イタリヤの田舎の人達は親切で、素朴で、人の好い方が多い"と感じました。
今回で"ヨーロッパアルプスを巡る旅"は完結しましたが、再度訪れるなら宿はCourmyeurでなく、Entreves村の mounten chaletに宿泊したほうが良いと思います。
モンブランでは既にイタリヤPontalとフランスChamony間がロープウェイで結ばれています。マッターホルンでも Platau Rosa とKlein Matterhorn間でロープウェイが建設されつつあった。近々にスイス側とイタリヤ側が ロープウェイで結ばれる様です。
同行者の「気分が悪く頭が痛い」原因は、今思うと、"ミラノで日射病になったのではないか"と推定されます。暑い炎天下を、 物珍しさに惹かれて、歩き回ったのがいけなかったと思います。

何はともあれ"無事終了出来た"ことに感謝・感謝。 "楽しい旅が出来た"ことに感謝・感謝。


2017.7.20

東大寺の俊乗堂と大湯屋

東大寺では7月1日〜31日の間、「俊乗堂(しゅんじょうどう)」と「大湯屋(おおゆや)」を 特別公開している。私は、昼食後、炎天下を歩いて拝観に行った。

俊乗房重源上人(1121-1206)は1180年の東大寺炎上の後、造東大寺大勧進として鎌倉期の東大寺 復興に大きな貢献をした。俊乗堂内には重源上人坐像(国宝、鎌倉)、阿弥陀如来立像(重文、鎌倉 快慶作)、 愛染明王坐像(重文、平安)が安置されていた。寺僧の説明があったが、あまりにもつまらないので、私は飛び 出した。なお、俊乗堂は、通常は7月5日(俊乗忌)と12月16日(良弁忌)にしか公開されません。

「大湯屋」は、今回が初公開。建物(重文、鎌倉)は重源上人によって再建され、1239年と1408年に改修を受けている。 浴室内には、直径3m・深さ1m程のどっしりした鉄湯船(重文、鎌倉)があった。

右の写真は、庭の鉢に咲いた大賀ハスの花である。春日大社の万葉植物園で種を頂いてきて、メダカの鉢 に入れて置いたら芽を出した。それを育てて、今年で五年目。やっと花が咲いた。嬉しいね。


2017.7.13

裏磐梯ハイキング

ホテルから見た磐梯山 五色沼の弁天沼 磐梯山頂上にて(S君の写真を借用)

京大理学部化学の同級生で日本百名山を10年以上前に走破し、台湾・中国・ヒマラヤの山にも 出かけているS君をリーダーとして、これまでに屋久島、利尻・礼文、草津白根山(2010.8.2-5)、 奥日光(2012.6.21-23)の登山・ハイキングを楽しんできた。その仲間も今や75才。「体力のある間 にもう一度連れて行って」と頼み込んだら、7月9日から3泊4日の 磐梯山登山と五色沼・雄国沼 ハイキングの計画を立ててくれた。私を含めて参加者は7名であった。予定日の数日前の天気予報 では、予定期間中"雨"であったが、前日に好転した。

7月9日8:00近鉄奈良発の電車に乗り、13:11に集合地のJR郡山駅に着いた。快晴。駅前でレンタカーを 借り、13:30 S君の運転で出発し、15:30裏磐梯レイクリゾートホテルに着いた。チェックイン後、 五色沼を散策。入浴後18:00から夕食。再入浴後、22:00就床。

10日 この日は磐梯山に登る日である。6:00起床。快晴。入浴、朝食後、8:00レンタカーで出発。 途中、コンビニで昼食用に握飯を購入した。八方台登山口(1194m)で車を降り、9:00心を引き締めて登山開始。 美しいブナの樹林帯をぬける、なだらかな登山道を進んで行った。"硫化水素の匂いがするな"と 思うと、間も無く"中の湯温泉跡(1310m、廃屋・温泉の池あり)"に着いた。プクプクと音を立てて硫化水素を含 んだガスと水が湧き出ているところがいくつもあった(9:40)。温泉跡を過ぎると、傾斜の急な登山道になり ダケカンバの樹林へと変化して行った。マルバシモツケ、ハクサンチドリ、ハクサンシャクナゲ、 イチヤクソウ等の美しい花が咲いていた。
11:10弘法大師が発見したと云う湧き水のある弘法清水(1598m)に着いた。この湧き水は冷たくて、びっしょり 汗をかいた身には、とても美味しかった。其処は展望も良く売店小屋があったので、少し早い昼食をとった。
11:50弘法清水を出発、12:30磐梯山頂上(1816m)に着いた。私は「磐梯山頂上に立つことが出来た!」と 歓声を挙げた。快晴に恵まれて360度の眺望、安達太良山・飯豊山・吾妻山・猪苗代湖を一望することが出来た。 バンダイクワガタ、ミネウスユキソウ、ゴゼンタチバナ等の高山植物が頂上の岩陰で咲いていた。
13:00磐梯山頂上より下山を始めた。登りのルート同じである。13:30弘法清水に着き、売店小屋で休憩。 私はコカ・コーラを飲んだ。この小屋の女主人は高山植物にくわしく、多々教えていただいた。「毎日、 麓から通っています」とおっしゃつていた。
14:20女主人に別れを告げ、往路から離れて"天狗広場のお花畑"のルートをとった。15:00往路に合流し、 ひたすらに下山した。足も疲れているので、足を運ぶ場所に注意しながら、ひたすらに下山した。16:20に 中の湯温泉跡に到着。 17:00八方台登山口に全員無事に帰着した。登山案内書によると、この行程の標準タイムは3時間45分である。 我々は8時間かかった。我々は、各所でゆっくり休み、高山植物や景色を楽しみながらの"ゆっくり登山"で あるから「これはこれで良いんだ」と思う。それにしても・・・私にとって"ほぼ限界"の登山である。 天候にも恵まれて"とても楽しい登山ができた"と大満足。「明日からは雨が降っても良い」と大満足で 22:00就床。

11日 この日はニッコウキスゲが咲く雄国沼湿原に行く日である。6:00起床。快晴。入浴、朝食後、8:00 レンタカーで出発。途中、コンビニで昼食用に握飯を購入した。9:00雄子沢登山口(標高800m)を出発。 中学生の100名余のグループの後ろについて行った。"雄国せせらぎ探勝路"と名付けられた、ブナやミズナラ の茂る樹林帯を通るゆるい勾配の道を進んだ。10:00雄国沼休憩舎(標高1100m)に着いた。少し休憩し、さらに進むと、 雄国沼が見えるようになった。雄国沼湿原は期待通り、ニッコウキスゲの大群落があり花盛りであった。 トキソウやサワランも沢山咲いていた。雄国沼湿原で昼食を摂り、オオルリ、キビタキ、ホトトギスの 鳴き声を聴きながら往路と同じ道を帰った。15:00雄子沢登山口に帰着した。私はお腹の具合が悪かった ので、ホテルまで送って頂き、他の人々は喜多方の散策に行った。私のお腹も良くなったので、18:00 より夕食。2日間天候に恵まれて登山・ハイキングを堪能することができた。12日は天気予報では雨。 登山は止めて名所散策をすることになった。再入浴後、22:00就床。

12日 6:00起床。雨。入浴、朝食後、8:00レンタカーで出発。この時には雨はやみ青空が見えていた。 大内宿(会津と日光を結ぶ下野街道の宿場町。 30軒以上の茅葺き屋根の民家が並ぶ)を訪問・散策。その後、"塔のへつり(塔形の岩壁が立ち並ぶ断崖)"を訪問・散策。 昼食を道路沿いの蕎麦屋で撮った後、出発地のJR郡山駅前に15:00帰着した。綿密な計画をし、足の鈍い我々に 随分イライラされたことと思うが、辛抱強く世話をしてくれたS君に感謝し、全員が無事に"想い出に残る楽しい 登山・ハイキング"が出来たことに感謝しつつ別れを告げた。21:05近鉄奈良駅に帰着した。
バンダイクワガタ 雄国沼湿原にて(S君の写真を借用) ニッコウキスゲが咲く雄国沼湿原




2017.7.3

次女一家の来訪

米国のアトランタに住む次女一家が7月2日に奈良に来てくれた。私は要請を受けて、13:30に 近鉄奈良駅前まで車で迎えに行った。スーツケースでトランクルームがいっぱいになり、 子供たちだけを車に乗せて我が家に運んだ。その後に、宅急便でさらにスーツケースが3個 到着した。我が家に10間滞在して、次にはベルギーに行くそうだ。私は"元気なものだ"と ひたすら感心する。

7月3日皆で聖武天皇稜へ行き、大賀ハス(古代蓮)の見物・観賞にいつた後、鴻池近くの竹やぶ へ行き、七夕飾り用の竹を採ってきた。昼食は「"お好み焼き"が食べたい」と言うので、 近鉄奈良駅近くにある有名なお好み焼き屋さんに行った。いつもは行列で長いこと待たされる のだけど、この日は直ぐに席に着くことが出来た。昼食後、100円ショップへ行き、七夕飾り用 の短冊や飾りを買った。

7月4日8:00近鉄奈良駅発の関空へのバスに乗り、次女の夫君だけがアトランタへと帰って行った。 アトランタで仕事をして"一週間後にブルッセルで次女たちと合流する"のだそうだ。私は"元気な ものだ"とひたすら感心する。



2017.6.27

我が家の太白蓮が咲いた(右の写真)。唐招提寺から三段階経て我が家に来たものである。 花弁にうっすらと緑色があり、気品ある美しい花である。私は朝、庭に出て「あっ、咲 いた」と思わず叫んだ。美しいこの花が好きで、睡蓮鉢がだんだん増えて今では5鉢に なってしまった。でも、これからしばらくは楽しむことが出来る。

昼食後、思い立って唐招提寺へ行った。蓮は今では、奈良の多くの古寺で楽しむことが できますが、唐招提寺の故森本孝順管長が中国から贈られた蓮や日本古来の蓮などを 栽培し公開されて有名になりました。唐招提寺では100種類を超す蓮が鉢植されて公開 されています。蓮の花は朝咲いて10時頃には閉じ始めるので、蓮の花を楽しむには10時 前に、訪れた方が良い。・・・でも、午後でも、結構楽しむことが出来た。折よく、 蓮の世話をしている坊さんにお会いすることが出来た。私は蓮の栽培方法・施肥について 教え受けることが出来た。

唐招提寺の金堂は、8世紀後半の創建時の姿を残す、寄棟造・本瓦葺、間口七間・奥行き四間 の立派な建物である。堂内には、中央に本尊・盧舎那仏坐像(脱活乾漆 漆箔)、 右に薬師如来立像(木心乾漆 漆箔)、左に千手観音立像(木心乾漆 漆箔)がいらっしゃる。 全てが天平時代の至宝である。

新宝蔵が公開されていたので入館させていただいた。久しぶりに、講堂破損仏(鑑真和上が中国 から渡来して来られた時に一緒に来られた仏師が作ったものと推定される10体あまりの菩薩形 とか如来形の仏像)を拝観することができた。


2017.6.25

庭木の剪定

庭木の新芽が成長し、庭が薄暗くなってきた。庭師にたのんで剪定していだくのが良いのだが、 庭の隅々に沢山の山野草が植えてあるので、庭師に注意しても、多大な被害を被る。それで、 愚妻が気楽に注意することのできる私が、今年も剪定することになった。

先ず、梅ノ木の剪定に取り掛かった。梅ノ木は簡単には折れないので木に登って剪定。 高さ5mほどに登るので"命がけ"である。「桜切るバカ・梅切らぬバカ」、「梅ノ木は裸で登れる ように切れ」の格言に従って、思い切って剪定した。

次いで、キンモクセイ、朱モクレン、カイヅカイブキ、これらは脚立に登って剪定した。 サンシュウもずいぶん大きくなったのて高く伸びた枝を切り落とした。なんだか不恰好になったが、 形を整えるのは来年。

モチの木と高野マキ、これらも背が高くなったので上部を切断した。年をとって高い所に登るのは 危険だから今のうちに低くしておこうと考えたのである。次いで、紅梅と楓。これも思い切って "上部を切断"。

さて、切断した木々の処分が大変である。大きな枝から葉っぱの部分を切り離して、容量100リットル のポリタンク2個に詰めて腐葉土作成。木部は乾燥して燃料。

幸い、この作業、今年も無事済ますことが出来た。ヤレヤレである。

右の写真はハタザオキキョウ。


2017.6.12

ササユリ

今年もササユリが咲く季節になった。飯町に咲くササユリの美しさに魅せられて今年も 出かけて行った。10:00に車で家を出て、菟田野のアグリーマートで昼食用の食糧を買った。 12:30飯町の目的地に着いた。昨年より1週間遅いので心配していたが、ササユリは花盛り であった。住民が保護に努められていることによるのであろうが、沢山のササユリが美しく 咲いていた。栽培でなく、自然な自生地である。日曜日であるのに、見物人は一人も無かった。 群生するササユリを眺めながら昼食を摂った。味はもう一つであったが、なんとも贅沢な 昼食であった。白っぽい花、ピンクの花、赤色の濃い花(右の写真)のササユリを堪能させて いただいた。

14:00いつもお世話になっている"奥伊勢フォレストピア"に着いた。チェックインは15:00 からだとのことであったので、総門山(標高948m)への登山口迄と、対向車に遭ったら大変 だとビクビクしなから狭い林道を進んで行った。標高750mの登山口に15:00に着いたが、 時刻が遅いので総門山登山は断念し、北総門山(標高704m)へと車で移動。頂上に駐車場があり、 展望も良かった。帰り道で滝頭不動滝へ立ち寄ることにし進んで行くと道がダート、心が 折れそうになるのを強気で進んだ。滝は見事であったが、無事帰れたのは幸運であった。 「この林道は2度と行くまい」と思う。この林道で「車に遭遇することは無かった」。 幸運であった。

16:30"奥伊勢フォレストピア"にチェックイン。温泉で汗を流し、18:00より夕食。 20:00より、ホテルの車で蛍見物。このホテルは、温泉も良いし食事も美味しい。

12日8:00より朝食。9:00チェックアウト。ホテルに車を置いて、園川沿いの林道を散策。 12:00ホテルを出て、飯町の"お食事処かみや"で昼食。この店、おすすめ。とても美味 しかった。15:00奈良の自宅に帰着した。


2017.6.7

化学反応研究会中年の会同窓会

1978年に阪大で開催された「高速反応討論会」を機に、30-40才の研究者(大多数が助手)が 文部省共済組合の宿舎に同宿して研究・討論会を開始した。そして、これを「中年の会」と 呼び、爾来、数回の「中年の会」を行った。しかし、今では、このメンバーも全員が定年退 職した。

「元気なうちに集まろう」との呼びかけがあり、6日にKKRホテル名古屋に宿泊する 「化学反応研究会中年の会同窓会」が開催された。私は、若い日に情熱を傾けて熱い議論をした 仲間が懐かしく、出かけて行った。参加者は20名であり、メンバーの八割が参加した。主に、 近況を語り合う場であったが、それぞれが個性の強い者の集まりであり、懐かしく旧交を温める ことが出来、楽しいひと時を過ごさせていただいた。

7日朝食後、皆で名古屋城を散策し、別れを告げた。

右の写真は庭のアケビの実。もう少し大きくなったら天婦羅にして食べる。


2017.5.30

ゆすらうめジャム(山桜桃梅ジャム)

今年も庭のユスラウメが沢山実をつけた。小鳥用と生食用に少し残して、実を摘んだ。 二時間ほどかかって、右の写真に示すだけの実が採れた。5kg余あった。これでジャム を作った。作り方は2016.5.27のブログに記載した。ジャムと言うよりもシロップである。 一年間、毎朝、トーストにスプーンですくって付けて食べることが出来る。これ絶品。

しかしながら、これ作るのが大変であった。種をとるのに5時間程かかった。根気の良い 私でも、四時間を過ぎるころには参った。でも、頑張って作った。ジャムが出来た時には、 深夜の1:30であった。でも、これ、途中でやめられない。種を取った実はほっておくわけ にはいかないのだ。




2017.5.22

コールスロー

私は2012年にオーストリアのHeiligenblutのホテルで、バイキング方式の朝食で給された、 キャベツの千切りの塩と酢でつけたようなのがとても美味しかったことを強く記憶している。

先日、女性のテニス仲間にこの料理について話したら「それはコールスローです」と言われた。 家に帰ってインターネットで調べたら、沢山のCole slaw(キャベツ サラダ)のレシピがあった。 キャベツに人参や玉葱との混合レシピが多かったが、私のイメージはキャベツだけ。幾つかの Coleslawレシピを参考にして、試行錯誤で私なりに満足できるレシピが出来たのでここに記載する。

先ず、キャベツを選ぶのが大切。最も一般なキャベツは繊維が硬い。新キャベツがベスト、なければ グリーンボールを手に入れる。
1), キャベツを千切り(幅1mmで細長く)にする(200g)。
2). 砂糖(小さじ一杯)、塩(小さじ半分)、ワインビネガー(小さじ一杯)、本みりん(小さじ一杯)を 1)に加え、箸でよく混ぜる(手で揉むと千切りがちぎれる)。これを二時間ほど放置(キャベツが しんなりして、舌触りが良くなる)。
3). 二時間ほど放置しシンナリとし味の滲みたキャベツにオリーブオイル(小さじ一杯)を加え 良くかき混ぜる。
このコールスロー(右の写真)、とっても美味しい!!!・・・・・・でも、もっと美味しいのが ・・・のヒントがあったら h-kato@kcn.jp に教えてください!!!


2017.5.21

奈良県縦断探鳥会

日本野鳥の会奈良支部50周年記念事業として"奈良県を南北に14コースに分けて、奈良野鳥の会 のメンバーが朝6時から8時まで、各コースで一斉に野鳥観察を行い、野鳥の種類・数等を記録 する"という行事が21日に行われた。

私は日本野鳥の会奈良支部の会員になってから40年余であり、会員としては古株で朽ちかけている。 が・・・、奈良県南部の上北山南部白川地区のコースリーダーに指名された。私一人では心もとない ので、ベテランの女性幹事に電話して援助をお願いしたら快諾して下さった。和歌山県との県境に 近い所なので前日に現地近くに宿泊しなければならない。20日10時に近鉄奈良駅前で、相棒の女性幹事を 私の車に乗せた。大宇陀の農産物直売所でトマトを、大滝茶屋で柿の葉寿司を買った。不動窟を見物した後、 大迫ダム下で昼食。15:00上北山南部白川地区に着いた。そこで、翌日行うコースの下見をし歩いた。 17:15宿泊する下北山スポーツ公園の宿泊施設"やすらぎ・くすのき"に到着した。早速、施設内の温泉 "きなりの湯"に入り汗を流した。18:00から奈良県南部の4コースを担当するメンバーと共に夕食。 9;30女性2人と男性5人に分かれて就床。

21日4:50起床。5:30宿を出て、前日に決めておいた場所に車を停め、6:00小谷川・北山川合流点から 観察を開始し、8:00上北山郵便局前に着いた。このコースは北山川沿いのとても美しい景色の場所で あり、帰り道では対岸を歩いたり、少し山を登って滝(右の写真、黒瀬滝)を見物に行ったりした。 野鳥も、美しい声のオオルリ、アカショウビン、営巣・子育て中のカワガラス、イワツバメ、 イソヒヨドリ、巣立ちした子供連れのヤマガラ等を観察できた。13:00我が家に帰着した。

17:00より近鉄奈良ビル内のレストランで"奈良県縦断探鳥会"参加者、関係者による懇親会があった。 40人余の参加者の中で、私はトップ3の古参であった。10代、20代の若者が少なくっているのが残念 である。定例探鳥会は、定年退職した高齢者で大盛況なのに・・・。


2017.5.11

音羽山

数日前に、NHKのドキュメンタリー番組「やまと尼寺精進日記」を観た。奈良県桜井市にある尼寺: 音羽山観音寺に住む尼僧たちの楽しい生活ぶりがうかがえる面白い番組であった。今日は良い天気 だったので、10:30頃に「音羽山へ行こう」と思い立って、11:00に車で家を出た。テレビで見た観 音寺の上の"見晴らし台"で昼飯を食べようと、途中のお店で"柿の葉寿司"を買った。12:15音羽山 観音寺下の駐車場(標高200m)に着いた。私は以前に観音寺に行ったことがあり"駐車場からすぐだ" と思っていたが、急な山道を登ること50分、汗をかきかきやっとの思いで音羽山観音寺(標高540m) に着いた。

本堂前の見事なシャクナゲが満開であり、沢山のクリンソウも満開であった。残念なこ とに、尼さん達は何処かへお出かけで尼寺は無人であった。本堂で参拝、庫裡の前のお庭をゆっくり 気楽に拝観させていただいた後、本堂の裏山にある"見晴らし台"へと進んだ。これがまた急な上り坂 であった。"見晴らし台"は標高800m。到着した時には14:00を過ぎていた。美しい景色を眺めながら "柿の葉寿司"を食べた。その後、音羽山の頂上(標高852m)へ行った。見通しは良くなかったが"頂上ま で行った"と満足した。

帰りは"見晴らし台"へ行かず、登山道を歩いて観音寺へ行き、参道を下り駐車場にもどった。奈良の 自宅に着いた時は18:00であった。右の写真は山中に咲いていたキンラン(金蘭)。


2017.5.3

興福寺北円堂

興福寺では「北円堂春季特別開扉(4月22〜5月7日)」が行われている。北円堂は奈良時代に藤原不比等の 一周忌供養に建てられた。現在の建物は鎌倉初期の再建であるが、興福寺に残る最も古い建築物(右の写真) である。八角形の美しい円堂内には、運慶一門による本尊の木造弥勒如来坐像(国宝)、木造無著・世親 立像(国宝)、平安時代作の木心乾漆造四天王立像(国宝)が安置されています。通常は内部は非公開で すが、特別開扉(2017年は春のみ)なので、拝観に行った。

その後、行きつけの八百屋さんへ苺を買いに行った。その店先に美味しそうなタケノコがあった。20日程前 に1500円で買ったタケノコより大きく、値段も850円。山城産の朝採りと言う。私は思わず買ってしまった。 タケノコは大好きだけど、料理に手間がかかる。家に帰って、すぐ湯がいた(1時間煮、1時間放置)。 大きなタケノコなので、タケノコ御飯、土佐煮、若竹煮を作った。とても美味しいタケノコだったので、 ずいぶん手間ヒマかかったが、その労が報われて満足・満足であった。

私は「タケノコ料理で有名な錦水亭へ行こう。料理のヒントが得られる。」と愚妻に言うのだけど、 愚妻は「否、これで十分」と譲らない・・・・・・この現状を打破する策を考えなくちゃ・・・と思うのだが・・・。


2017.5.2

陶器市

第11回信楽作家市が5月2日ー4日に信楽陶芸の森"太陽の広場"で開催れている。私は、毎年訪問し て楽しんでいる。今日は初日で連休前だから、すいていることを期待して行った。10:00に家を 出たら、11:30に陶芸の森に着いた。100人程の陶芸作家が、各自の作品を展示販売しておられる。 製作の手法や狙いについて、作者と直接話が出来るのは嬉しい。私は小さな花瓶を二個と大きな 睡蓮鉢を買った。会場には、野心的な作家、才能ある作家、優れた作品が沢山あった。お客さん も若い人が結構多く、信楽焼の未来は明るいと感じた。

その後、陶芸館で開催中の"うつわ ドラマチック展"を観た。1.うつわから広がる美/イギリス、 2. 企ての美/アメリカ、 3.日常×アート ティーポット/アメリカ、カナダ、イギリス、 4.静物画家モランディへのオマージュ/オーストラリア、5.北欧・陶芸とデザイン/デンマーク、 ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、6.土の美・釉薬の美/スペイン、スイス、 7.“うつわ”イマジネーション/オランダ、ドイツ、スイス、チェコ、エストニア、オーストリア、 8. アイデンティティーを映し出す“うつわ”/台湾、ガーナ、9.“うつわ”静寂の美、技の妙/日本 と分類して、近現代の代表的な作家の作品が展示してあった。

次いで、伊賀市丸柱地区で開催されている「深緑陶器市」へ行った。昨年、私はこの市で、小さな 伊賀焼の豆皿を2枚買ったが気に入ったので、同じものをさらに3枚欲しいと思って行った。そしたら、 それがあった。嬉しいね! 嬉しいことはかさなるもので、道端の植木屋さんで"ムベ"の苗木を見つけた。 買って帰って、早速"アケビ"の隣に植えた。


2017.5.1

人間ドック

定年退職後、毎年四月に、日帰りドックを受けている。今年は4月18日に受診した。 私は胃カメラは苦手だが"仕方が無い"、我慢して堪えた。そして、今日、その結果を 聞きに行った。担当医師から「年齢相応に衰えている点は有りますが、特に治療する ところはありませんね」と言われた。めでたし・めでたし。


2017.4.24

愛宕山

愛宕山の北にある地蔵山(947m)に登る計画をT君が立ててくれた。参加メンバーは昨年12月15日に ポンポン山に登った5人である。9:00にJR桂川駅に集合し、T君の車に乗せていただき、標高700m にある駐車場まで行った。昨年5月21日に同じ場所に行って、芦見谷の源流湿地へ降りて行き クリンソウを観た。今回、T君は芦見谷を登って愛宕山の登山道へ出るコースを選んだ。 クリンソウが沢山生えていて、早くも花を付けているのがあった。タムシバやオオカメノキ の花盛りで、美しい景色を楽しんだ。

T君が「こんなペースでは地蔵山まで行けない。急ごう」と言ったが、一向に早くならない。 遂にT君は諦めて「地蔵山は無理だ。途中で昼食を摂り、その後、愛宕山(924m)へ行こう」と言った。 他の者は「賛成」。

愛宕山の頂上には愛宕神社(右の写真)があった。立派な社殿が建っていた。私は学生時代に「体育の 特別授業」で愛宕山に登ったことがあり、今回が二度目の登頂である。だが、立派な社殿の記憶は無い。 記憶にあるのは"愛宕山の麓に下りたとき、お百姓さんがマッタケとシメジを売っていて、シメジを 下宿(真如堂吉祥院)への土産に買った。翌日、下宿の奥さんが「シメジ御飯」を食べさせて下さった" 事だけだ。

16:30JR桂川駅に帰着した。T君は山道を歩いていても、ゴミを黙って拾い持って帰っていた。 私は、心の中で感心するだけで、彼の真似をすることができない。


2017.4.17

高見山

16日良い天気だったので、久しぶりに高見山に登ることにし、9:00車で奈良の家を出た。 途中、菟田野のアグリーマートで昼食用に、柿の葉寿司と巻き寿司を買った。菟田野から 高見山への沿道の桜は満開・花盛りであった。11:00高見山大峠(標高900m)に着いた。 2011年の「紀伊半島大水害」時の大雨て崖崩れが発生し、長期間「通行止め」になっていた 奈良県側からの林道が復旧していた。大峠に車を停め、高見山山頂への登山路を登って いった。
この日の風は生暖かであったが、木々はまだ芽吹いておらず、冬枯れのままであった。 途中の見晴らしの良い所で、望遠鏡を設置し腰を据えている人に遭った。「何を観ている のですか」と尋ねたら、私の顔を暫し眺めた後、「イヌワシです」とおっしゃった。

12:00高見山山頂(標高1248m)に着いた。山頂には10人ほどの先客がいらっしゃった。 山頂の展望台から北方を見下ろすと、沢山のコブシの木が白い花を付けているのが見えた。 13:00下山を開始。途中で再度、「イヌワシ」観察の人にお会いした。「如何ですか」と 尋ねたら、多々話が弾んだ。「この下の村で生まれ育ちました」の話から、「父親が戦死し、 母親は苦労して5人の子供を育ててくれました。その母親も90才で亡くなりました・・・」 等々、子供の頃の遊び・生活等までも話がおよび、すっかり仲良くなりました。 14:30大峠を出発し、16:30奈良の家に帰着した。

1日8000歩を歩くことにしているので、その後、散歩に出た。右の写真は二月堂から見た 夕日。


2017.4.9

スマホ

今まで、私は携帯電話を所持していて、、スマートフォンは所持していなかった。何となく スマートフォンの方が便利そうなのだけど、月々の費用も高いようだし、携帯電話 で特に不便を感じなかったので・・・。

今まで、私はタブレットを所持していて、インターネット・音楽・電子図書を使う・聴く・読む のに活用していた。だが、携帯時の通信契約はしていなかったので、Wi-Fi設備のない所では インターネットを使うことが出来なかった。

さて、周りを見渡すとスマートフォンを使う人が多くなり、なんとなく便利そうだ。"頭の老齢化が 進む前に使いこなしておかないと手遅れになる"と思って、この際、スマートフォンに切り替えた。 私はゲームや映画をスマートフォンでしたり・観たりする気はないので、月当たりの利用可能データ量 は小容量の 5GB で契約した。"家にはWi-Fi設備があるからこれで十分"と思って・・・。

自覚以上に頭の老齢化が進んでいるようで、なかなか思うように使いこなせないが・・・、どうやら 携帯電話でしていたことは出来る様になった。

右の写真は、鉢植えのエゾエンゴサク。


2017.4.8

はなまつり

今日、4月8日はお釈迦さまが誕生された日で、各寺院では、はなまつり(仏生会)が行われる。 私は、昼食後、カメラを手にして散歩に出た。東大寺の境内では桜が八分咲きで、多くの人々で 賑わっていた。大仏殿内に入ると、大仏殿正面に花御堂が設置され釈迦誕生仏が祀られており(右の写真)、 釈迦誕生仏に甘茶を潅ぐための行列が出来ていた。またその傍らで、甘茶がふるまわれていた(無料)。

次いで、興福寺へ行った。興福寺では、南円堂前に花御堂が設置され釈迦誕生仏が祀られていた。 東大寺ほど行列が長くなかったので、私も行列に加わり、釈迦誕生仏に甘茶を潅いで頭を下げ、甘茶を戴いた。

その後、私の家の側を流れる佐保川の下流1kmに咲く「川路桜」を観に行った。川路聖謨(としあきら) は1846年1月から約5年半奈良奉行を務めたが、その間、興福寺や東大寺、町の有力者らに呼びかけ、 数千本の桜や楓の苗木を若草山の山麓から佐保川や高円山などにかけて植樹した。その名残の桜の老木は 「川路桜」と呼ばれているが、現在でも沢山の花をつけて美しい姿を見せてくれる。


2017.4.3

熊野路探訪

3月31日10:00車で家を出て、12:00道の駅「吉野路大塔」で昼食(うどん定食)を摂った。此の頃から小雨となった。 13:15道の駅「十津川郷」で休憩。売店で日本蜜蜂の蜂蜜を買った。猿飼橋から林道・玉置神社参詣道に入った。 玉置神社は大峰山脈の南端に位置する標高1,076mの玉置山の山頂近くに鎮座し、神武天皇御東征のときこの地で 「玉」を鎮め(置き)武運を祈願されたことが玉置(たまき)の名前の由来、熊野三山の奥院と称せられる霊場であり、 大峯奥駈道の靡(なびき)の1つである。高度が上がり神社に近づく頃、雨は雪に変った。帰りが心配になったが、 凍結は無さそうだったので、そのまま進行した。13:45玉置神社駐車場に着いた。そこから2km程歩くと"玉置神社"に 着いた。境内には樹齢三千年と云われる「神代杉」(右の写真、白く煙っているのは雪が降っているため)を始め、 天然記念物に指定されている杉の巨樹が叢生していた。参道の途中には、天然記念物の「枕状溶岩」(海の底から噴き 出した玄武岩質マグマが固まったもの)があった。雪が降り続くので、参拝の後、早々に下山した。標高が低くなると 雨となったので、ホッと一息。でも、楽しい経験であった。

16:00川湯温泉の宿に着いた。私は、その宿で以前に2度お世話になった。1度目は45年前、神戸大学の学生さん達と 4人で訪れた。2度目は40年前、亡くなった義父、愚妻、2人の娘と私の5人で訪れた。今回にも、以前と殆ど変わっ ていないのには、驚くとともに懐かしく、どこか心安らぐものがあった。夕食は18:00からとのことだったので、早速、 宿の前を流れる「大塔川」にかかる沈下橋を渡り、河原に掘った露天風呂に入った。小雨が降っていて、広い河原で 唯一人お湯につかっていた。対岸の道路からまる見えだが、遠いからどうてこともない。

夕食は「薬膳料理」;女将さんによると「地元産の食材を使い、健康を保持するのに良い料理」であった。美味しく、 納得のいく料理であった。夕食後、旅館内の温泉風呂に入った。濾過無しの100%天然のかけ流し温泉で、とても良い 温泉だと感じた。


熊野本宮大社 熊野那智大社 那智山青岸渡寺

4月1日7:00起床。温泉に入った後、朝食。 9:00チェックアウト。9:15熊野本宮大社に参拝。熊野本宮大社は 熊野三山(本宮・速玉・那智)の中心、熊野神社の総本宮である。宝物殿に入って説明を受け、「元々の社殿は熊野川の中州に ある聖地"大斎原"にあったが、明治22年の大洪水により被害を受け、明治24年に現在地へ移された」ことを知った。 それで、"熊野古道を通って上皇や女院の一行が参拝に訪れた大斎原"を訪ねて行った。大斎原の脇を流れる熊野川の河原へ 行ったら、「枕状溶岩」の欠片らしき石があったので拾ってきた(この石、今は我家の庭に鎮座している)。

12:30熊野本宮館で説明を受けた後、熊野川沿いの美しい景色を堪能し、道の駅「瀞峡街道熊野川」で昼食を摂り、13:10那智 勝浦町に着いた。飛瀧神社前の駐車場に車を止め"那智の滝"を拝観した。次いで、200m程高い所にある"熊野那智大社"と "那智山青岸渡寺"に参拝した。14:30熊野那智大社の駐車場を出発し、熊野灘沿いの国道を新宮、熊野を経て、熊野大泊ICから 紀勢道に入り紀伊長島ICで出て、16:30予約していたホテルに着いた。紀勢道を通ったので、短時間でホテルに着くことができたが、 この間の紀勢道は殆どがトンネルで景色を楽しむことが出来ず味気なかった。

夕食は17:30からだったので、部屋に荷物をおいて、早速ホテル前の海岸を散歩した。美しい砂浜で、子供たちが楽しそうに走り 回っていた。夕食は「冷凍物は一切使っていません」と支配人が挨拶に来て言っていたが、洗練された美味しさであった。 量も過大でなく、満足・満足であった。温泉は加温したものであったが"いい湯"であった。

4月2日7:00起床。温泉に入った後、朝食。 9:30チェックアウト。ホテル前の海岸を散歩した後、ホテルからの遊歩道を通って、 標高130mの山に登った。支配人に勧められて行ったのだけれど、山頂の展望台からの眺めは素晴らしかった。大台山地には前々 日に降った雪で真っ白であった(右の写真)。11:00帰路につき、紀伊長島ICから紀勢道に入り亀山SAで昼食を摂り、名阪国道を経て 14:00奈良の自宅に帰着した。


2017.3.21

お彼岸

3月20日は彼岸の中日。大和郡山市にある墓所へ墓参りに行った。暖かい日で、少し動くと汗が出てきた。 「寒い寒い」と言っていたのに、もうすぐ「暑い暑い」と言う季節になりそうだ。帰りに、大和郡山にある ピザの美味しいレストランで昼食を摂った。奈良市内は観光客であふれており、私は"ぼた餅"とお茶を頂き、 家の周りをうろつくだけであった。

3月21日は雨。テニススクールもお休みである。庭に鶯が来て「ホーホケキョ」と鳴いた。私が聴いた 今年の春の初鳴きである。「嗚呼、春だ・春だ」と、私は長靴を履き・傘をさして浮かれ出た。
夕方、雨があがった。庭を眺めていると、愚妻が庭仕事に熱中している。暗くなってきても止めそうにない。 私は、やむを得ず、夕食の準備に入った。

右の写真は庭で咲いたユキワリイチゲ。


2017.3.16

興福寺国宝特別公開2017 阿修羅 −天平乾漆群像展−

興福寺では、国宝館が耐震工事の為に今年中閉館となっている。それで、仮講堂(薬師寺の旧金堂を移築)にて、 3月15日〜6月18日、9月15日〜11月19日に、阿弥陀如来、八部衆、十大弟子、金剛力士、華原磬、天燈鬼・龍燈鬼 などが公開される。私は早速、拝観に行った。お堂の中で、本来の、配置に近い感じで拝観出来、私は素直に手を 合わせて頭をたれた。

次いで、東金堂を拝観した後、氷室神社、東大寺南大門へと行った。南大門の仁王像は有名だけど、その北側に 宋人石工 伊行末(いのゆきすえ)の初期作である石獅子(重要文化財、鎌倉時代前期)の存在を知る人は少ない。 次いで、手向山神社、法華堂へと行った。法華堂前に石灯籠が立っているが、これも 伊行末 晩年の作で 重要文化財である。灯籠に"奉施入石燈炉一基、建長六年甲寅十月十二日、伊権守行末"と刻してある。その後、 二月堂、正倉院、転害門、聖武天皇稜を経て自宅に帰った。

右の写真は庭で咲いたセリバオウレン。 。


2017.3.12

煎茶教室

奈良市立平城西公民館で月に2回開催されている煎茶教室に昨年の10月から参加させて頂いている。 参加者は私をいれて7人。私以外はすべて女性で平均年齢は80才を超えている?。最高齢の90才の女 性が"圧迫骨折"で暫くお休みであったが「歩けるようになった」と出て来られる様になった。その方 がおっしゃるに「庭仕事がすきであったが、草引きも庭木に肥料をやるのも出来なくなり、植木屋 さんに頼まなければならなくなった・・・」と。もう一人のご婦人がおっしゃった。「うちは家の 改造が必要になった。でも、先ず夫との合意が大変。畳にするか板の間にするかの合意が出来ない ・・・」と。

煎茶教室では、"煎茶の入れ方"、"番茶の入れ方"、"玉露の入れ方"等を学んでいるのだけど、私より "少し年寄り"の方々との会話は大変参考になる。

右の写真は月ヶ瀬梅林。


2017.3.3

お水取り

いま、東大寺では"お水取り"が行われています。お水取りの正式名称は「十一面悔過(じゅういちめんけか)」。 二月堂の本尊である十一面観世音菩薩の宝前で、懺悔(さんげ)し、鎮護国家、天下泰安、風雨順時、 五穀豊穣、万民快楽など、人々の幸福を願う行事である。この法会は、3月1日より2週間にわたって行われる。

この行を勤める僧:練行衆(れんぎょうしゅう)の道明かりとして、3月1日より3月14日まで毎夜、大きな松明 (たいまつ)に火がともされる。3月12日深夜(13日の午前1時半頃)には、若狭井(わかさい)という井戸から 観音さまにお供えする「お香水(おこうずい)」を汲み上げる儀式が行われる。このため「修二会」は"お水取り" とも呼ばれる。

その"お水取り"の松明が、我が家の二階から見ることが出来ます(右の写真は、松明が二月堂の西端の欄干に 差し出されたところ)。


2017.2.25

春の準備

だいぶ暖かくなってきたので庭仕事をした。

1、柿木の剪定。昨年は柿が大豊作であった。でも、あまりにも沢山なったので、大きな実が 少なかった。それで、思い切って大枝を切り落とし、小枝もかなり剪定した。

2、ブルーベリーの剪定と施肥。ブルーベリーの木は8本あるが、コガネムシの幼虫がそのうちの3本 にとりついたので弱ってしまった。殺虫剤は散布したくないので、根気よく根元を掘って退治しょうと務め たのだけど失敗。枯れ枝を剪定し施肥をした。さあ、元気になってくれるだろうか?

3、蓮の植替え。唐招提寺から来た大白連と春日大社から来た大賀ハスが我が家にあり、蓮の鉢が 年々増加して現在8個の鉢がある。この植替えが大変で、途中でくたばってしまって中止。数日休憩して、 また元気が出たら続きをやることにした。

右の写真はセツブンソウ。庭の隅に咲いて春を告げている。


2017.2.18

湖北水鳥公園

愚妻の従兄の細君Nさんが「歩く会」を再会して、二月の例会に「琵琶湖での水鳥の観察」を計画して 欲しいと私に頼まれた。私は「湖北水鳥公園へ行くことを計画してください。私は水鳥の観察の案内 をしますから・・・」と応えた。Nさんの計画はとても緻密である。8:00京都発の快速急行に乗り、 9:15河毛駅に着いた。参加者は15名であった。河毛駅からの「湖北野鳥センター行き」のバスは小さく、 運転手さんは「定員8名です」とおっしゃる。でも、元気の良い・声の大きなおばさん(おばあさん)はひるま ない。座席の無い空間にも座り込んだ。運転手さんも多勢に一人で「交番の前を通るんだけどなあ」 とボヤキながら渋々発車。9:50 湖北野鳥センターに着いた。

湖北野鳥センターの周りは雪景色で伊吹山も白く輝いていた(右の写真)。湖北野鳥センターに立ち寄っ た後、湖岸を歩いた。私は重い三脚とブロミナーを持参し、参加者の水鳥観察に協力した。多くのカモ類、 ヒシクイ、ミサゴ、オオワシ、コウノトリ等を観ることが出来た。厳寒を予想して行ったのに、暖かい 日和で、少し歩くと汗が出てきた。11:10湖北野鳥センター脇にある道の駅で昼食を摂った。湖北野鳥センター 11:50発のバスに乗り12:10河毛駅に着いた。行きと同じ運転手さんは何もおっしゃらなかった。

12:28長浜駅に着いた。「盆梅展」を観に行ったが、「入場料500円は高い」と入口から引返して、 長浜城公園を散策した。長浜14:03発の快速急行に乗り、京都15:30発の近鉄特急で16:20我が家に帰着した。


2017.2.16

これ何の花?

右の写真、これ何の花?わかりますか? 私が、この花を観たのは十数年前、神戸大学の私の 研究室でです。ガラス細工をしていて、誤って火傷をした時の為に、鉢植えにしておいていた 植物がこの花をつけました。退職後、我家に持ち帰って、軒下に植えていたのが、今年久しぶ りにこの花をつけました。もう、おわかりですか? そうです。アロエの花です。
上を向いていた花筒が、下を向いたら先端が開いてオシベとメシベが顔を出してきました。

ずいぶん日差しも強くなってきましたね。睡蓮鉢の底でじっとしていたメダカも少しずつ活動 するようになってきました。庭に目をやれば、いろんな植物が芽吹いています。二月堂の前には、 「お水取り」で松明に使う太くて長い根付きの青竹が並んでいます。


2017.2.6

長女の長男の来訪

上智大学の二年生である長女の長男が、期末試験が終わったというので、2月3日の夕方、奈良に 来てくれた。

2月4日 「自動車の免許証はあるが、運転を暫くしていないので、運転練習をしたい」というので 11:00我が家の近くの閑静な住宅地で運転練習をした。少し慣れたところで自宅に戻り、12:30愚妻 を乗せて家を出た。郊外に出たところで、長女の長男に運転を代わり、前回行ったことのある 恭仁京跡まで行った。昼食の後、車を駐車場において、海住山寺(かいじうせんじ)まで歩いて行った。 海住山寺は奈良時代創建の古刹、本尊は十一面観音で、鎌倉時代に貞慶により中興され、国宝の 五重塔が立派である。快晴の暖かい日で、標高差150m程の急坂を登り詰めたころには汗をかいていた。 帰路も長女の長男の運転で家の近くまで来て、運転を代わった。20km以上の運転練習であった。

2月5日 降り続いていた雨が止んだので。15:00長女の長男と散歩に出た。我が家を出て、焼け門、 大仏殿裏、二月堂、法華堂、手向山神社、氷室神社、丸窓梅園、片岡、興福寺を経て我が家へ 帰着した・・・私の散歩(3):歩数9085。

2月6日 長女の長男の運転練習を兼ねて、橿原市にある耳成山(みみなしやま)に行くことにした。 耳成山は畝傍山、香久山とで大和三山をなす。11:00に家を出て12:15に耳成山公園駐車場に着いた。 耳成山は標高139.7mの低い山で15分も歩けば頂上である。頂上は木々に覆われていて視界は悪い。 直下の山口神社に参拝して下山した。下山した頃から雨が降りだした。桜井で蕎麦を食べ奈良へ 帰ったら15:00。長女の長男は行き帰りで40kmほど運転した。

2月8日 17:30長女の長男の運転で、我が家から10km余のところにあるフレンチレストランまで行った。 帰りは、私の運転に代わった。

2月9日 奈良に珍しく雪が降った。長女の長男をさそって雪見の散歩に出た。焼け門、大仏殿裏、 正倉院、二月堂、法華堂と行き、茶店で私はきつねうどん、長女の長男は唐揚げ丼を食べた。その後、 手向山神社、春日大社、飛火野、丸窓梅園、片岡、興福寺を経て我が家へ帰着した。

2月11日 雪のちらつく中、長女の長男の運転で唐招提寺へ行った。珠光茶会が開かれていて、和服の ご婦人が数多く参拝者の中におられた。唐招提寺金堂は重厚な天平の建築物で何度見ても美しく感銘を 受ける。堂内の仏像も、乾漆の厳かな御仏である。次いで、講堂、戒壇、鑑真和上御廟を参拝した。 唐招提寺から薬師寺へと行く途中、昼食を摂った。薬師寺は現在、東塔の解体修理中である。境内は 創建時の建物を見るが如くである。東院堂だけが古い建物(鎌倉時代)である。建物は災害に遭い消失 したというのに、東院堂の聖観音菩薩像、金堂の薬師三尊像等、天平時代の素晴らしい仏像が良くぞ無事に 保存されたものだと感心する。先人たちの努力のお陰であると感謝せずにはおられない。

2月12日 大和文華館へ「特別展 白描の美 - 図像・歌仙・物語 -」を観に行った。白描は 墨線を主体に モチーフを描き出すもので、様々な仏の姿を表した密教図像・歌仙・物語を描く技法の一つとして用いられ た様で、その優品が集められ、説明・解説が良く、見ごたえがあった。
行きは私が運転し、帰りは長女の長男が運転した。長女の長男は、私の自動車にも慣れ、運転も上手くなり、 助手席でも安心して居れるようになった。

2月14日 長女の長男は昼食後、東京へと帰って行った。私は近鉄奈良駅まで送って行き、その後テニスス クールに行った。小雪のちらつく寒い中でも、しばらくテニスをすると汗が出てきた。
2017.1.28

若草山山焼き

1月28日(土)午後にテニススクールでレッスンを受けた。18:30に花火があがり、これを合図に 若草山の山焼きが始まった。右の写真は我が家の二階から撮ったものである。この日の夜鼻水が でだした。

1月29日(日)鼻水が出て、体温を計ると38.0℃。日曜日なので医院に行くことが出来ない。 一日中家に居て、夕食後に風呂にも入らず寝た。

1月30日(月)朝、体温を測ると36.5℃。それでも、二日前に一緒にテニスをしたお医者さんの所へ 診ていただきにいった。このお医者さんからうつされたんじゃないかと思っていたが、このお医者 さんは元気であった。インフルエンザの検査は陰性であった。「単なる風邪ですな。今夜は風呂に 入らないで下さい。明日のテニススクールは休んでください。」と言って、薬を下さった。 薬は飲んだが、夕食後風呂に入って寝た。

1月31日(火)だいぶ元気になったが、テニススクールも休んで、一日中家に居て自重した。

2月1日(水)テニススクールに行った。

2月1日(木)薬を飲むのを止めた。誘われてテニススクールに行き、寒風の中でテニスをした。風邪も治った。




2017.1.26

インド訪問

近畿日本ツーリスト企画、東大寺後援の「北河原長老 印度山日本寺第六世竺主就任 インド仏跡と世界遺産を巡る旅」に参加した。6日間のコースと9日間のコースがあり、 私は6日間のコースに参加した。旅行代金29万円+サーチャージ・空港税(約14,540円) 。 旅行会社のツアーは日程がキツイので私は好きで無いのですが''インドは治安が良くない 様なので個人旅行は困難''と思うのと''東大寺の坊さんとの旅行は面白そう''と思ったので この企画に参加した。

1月19日 9時 東大寺大仏殿で旅の無事を祈願。大仏殿裏でバスに乗り11:00関空着。 関空で結団式。寺院関係の人が3分の2、残りが一般人?。 13:25関空発のAI-315に乗り、香港経由でデリー空港に21:50到着。気温13℃(この旅行の 期間中気温は20-10℃。インドの冬であった)。23:30チェックイン。1:00就床。

1月20日 7:00起床。7:30朝食。スモッグで霞がかかった様なので早速マスクをした(デリーでは各所 で道路工事・建設工事が行なわれており且つ乾期で埃があり、焚き火も多い為か?視界約1kmで あった。異臭は無かった)。 9:00ホテルから空港へ。渋滞30分ほど、10:00デリー空港着。12:10デリー空港発のAI-433で 13:40ブッダガヤ着。15:00ブッダガヤのホテルにチェックイン。15:30マハボディ寺院(大菩提寺: 此処の菩提樹の下で釈迦が悟られたという仏教の聖地)の見学・参拝に行った。仏陀が菩提樹の下に 座して悟りを得た石(金剛宝座)の脇では多数のチベット僧・ラマ僧・各国からの巡礼者が祈り・瞑想・ 五体投地などで深い信仰を捧げていた。その後スジャータに行きストゥーパの跡(塔の基壇)を見物した。 其処から仏陀が6年間修行をしたという前正覚山を拝することが出来た。
19:00ホテルで夕食。インド料理のバイキングで美味しかった(インド人のガイドによれば「日本人用に 辛さを抑えてある」とのこと)。22:00就床。歩数:7989。
仏陀が悟りを得た地に建つ大菩提寺大塔 マハボディ寺院の裏にある金剛宝座と菩提樹 スジャータにあるストゥーパの跡

1月21日 6:00起床。6:30朝食。8:00僧侶の方達は法衣で正装。北河原長老を先頭に大菩提寺に参拝。 金剛宝座の前で読経・祈願。その後、大菩提寺から日本寺までお練り。日本寺の僧が鉦を持って先導し、 法螺貝を持った山伏、日本からの寺僧、輿に乗った北河原長老・印度山日本寺竺主、日本からの一般人と 続いて約1kmを歩いた。沿道の人達がこの珍しい行列を見物していた。日本寺では、北河原東大寺長老 の日本寺竺主就任晋山奉告法要が行われ、我々一般人も参列した。
13:00ホテルで昼食。14:15ブッダガヤ空港発のAI-433で17:00デリー空港着。デリー市内のレストラン で夕食。21:00バスでデリーのレストランを出発、22日0:15アグラのホテル着。1:30就床。歩数: 6558
大菩提寺僧、北河原長老、橋村東大寺執事長 お練り:北河原長老は後方傘の下で輿に上乗 日本寺で北河原長老の竺主就任晋山奉告法要

1月22日 7:00起床。7:30朝食。9:00チェックアウト。タージマハール(ムガル帝国五代皇帝シャー・ ジャハーンが愛妃ムムターズ・マハル(1631没)の為に建てた白大理石の墓)を観光。9日間コースの人達と別れ、 昼食の後、アーグラー城:アクバル帝により1565年に築かれた赤砂岩のムガル帝国の城を観光。大理石民芸店に 立ち寄った後、高速道路を通り20:00デリー着。レストランで夕食。22:00ホテルにチェックイン。24:00就床。 歩数: 9097。
(注) ムガール帝国
16世紀初め、アフガニスタンから侵攻したバーブルが北インドに建国したイスラーム国家。17世紀後半に最盛期 となり、ほぼインド全域を支配したが、ヒンドゥー教徒との融和策を廃棄したことから衰退し、18世紀にイギリス ・フランスの侵攻を受けて弱体化し、1875年にインド大反乱が起こり、1876年滅亡した。
タージマハール タージマハールの裏から観たヤムナー河 アーグラー城のジャハーンギール宮殿

1月23日 8:00起床。9:00朝食。10:00チェックアウト。1月26日は共和国記念日(1950年の共和国憲法発布を祝う日)で、 その準備の為、市中心は交通規制があり、バスは迂回してデリーの南郊外15kmにあるクトゥブ・ミナール(インドの 最初のイスラム王朝1206-1290の王クトゥブッディーン・アイバクがヒンドゥー教徒に対する勝利を記念して建てた塔) を観光した。その後、カシミヤ専門店に立ち寄り、13:00昼食。15:00フマユーン廟(ムガール帝国2代皇帝フマユーンの廟、 タージマハールはこの影響を受けて建てられた)を観光。18:00紅茶専門店に立ち寄り、19:30レストランで夕食。 20:30デリー空港着。歩数:13694。
クトゥブ・ミナールの尖塔:高さ72.5m フマユーン廟:インド・イスラム建築の傑作 ラマ教の尼僧 ポーズをとって下さった

1月24日 0:00(日本時間3:30)デリー空港発のAI-314に乗り、香港経由で12:05関空着。

ベジタリアンが多いインドでの食事は私には好都合であった。 インド風パンの Chapati (小麦の糠入り小麦粉を水で練り、薄く延べ、焼き上げたもの)、 Naan (白い小麦粉を水で練り、薄く延べ、焼き上げたもの)、 Puri (小麦粉を水で練り、薄く延べ、油で揚げたもの)等に野菜カレーをつけて食べた。 辛いものに注意すれば、総じて美味しかった。

エコノミークラスの座席で、往路11時間35分、復路9時間20分の長旅に堪え、お腹を痛める事も無く、 ハードスケジュールのツアー旅行を無事終えることが出来た。まだ、こんな旅行に耐える体力がある ・・・と少し自信が出来た。・・・でも、24日は22時に就床。25日は終日ボーとして家にいた。26日 漸く元気になりテニススクールに行ってテニスをした。


2017.1.13

煎茶教室

私の家から車で15分程で行ける所にある平城西公民館で開催されている煎茶教室に、 昨年の11月にから参加させて頂いている。私はお茶が好きで、玉露は八女、煎茶は宇治 ・・・と凝っている。その日の気分で茶葉を選択し、急須と茶碗を選び、ゆったりと お茶を淹れて楽しんでいる。至福のひと時である。その手法は全くの自己流である。

それで良いのだけど・・・世の中には煎茶教室があるので、そこへいったら"より美味しく お茶を淹れる技を学べるかもしれない"と思い立って入門した。月二回でお茶代・菓子代を 含めて3000円と格安である。この教室のメンバーは先生と私を含めて6名である。私以外は 女性で、最高齢者は90才、平均年齢は80才超?。この高齢の女性達との会話が、色々勉強 になって楽しい。

今日はその煎茶教室の新年会で、お正月のお煎茶会の様式を教えていただいた。昆布と梅干 の入った煎茶と花びら餅をいただいた。その後、近くのフレンチレストランで昼食会。これが とても美味しかった。私以外の方は25-36年間この煎茶教室に通っているというベテランばかり と判明。高齢になってからの生活の様子や人間性を窺い知ることが出来、楽しい昼食会であった。

右の写真は奈良公園:丸窓梅園の梅。チラホラ花を咲かせていた。背景は青空。


2017.1.6

奈良国立博物館

今日は快晴で暖かく、昼食後浮かれ出て、散歩に出た。我が家から漢国神社、興福寺を経て、奈良国立博物館へ。 特別陳列"おん祭と春日信仰の美術"の看板があった。"おん祭"とは春日若宮おん祭のことで、平安時代から続け られている奈良で最大のお祭りで、奈良市の小中学校は12月17日の午後は休校になります。春日若宮神が一日だけ御旅所に 遷座され、その神を楽しませる様にと、数々の神事、芸能:神楽(かぐら)・ 東遊(あずまあそび)・ 田楽(でんがく) ・ 細男(せいのお)・ 猿楽(さるがく)・ 舞楽(ぶがく)・ 和舞(やまとまい)が奉納される。私はこの祭を拝観したとき 深い感銘を受けた。・・・で、博物館に入館した。ちなみに、私は奈良国立博物館パスポート(年会費3000円)を所持して いるので、入館は自由。この特別陳列が期待以上に良かった。絵巻物や曼荼羅がとても良かった。最後に観たビデオも 良かった。出館後、氷室神社、春日大社、手向神社、東大寺法華堂、二月堂、大仏殿裏、焼門を経て我が家へ帰着した。 ・・・"私の散歩(2) 歩数:10911"。

庭に咲く水仙と千両を摘んできて生けた。花器は薬師寺東塔の天平古材。


2017.1.4

お正月

2日  8:30に車で家を出て、生まれ故郷の岐阜県関市へ行った。途中渋滞があって、家を継いでくれた次弟の家に 13:00に着いた。92才の母はデイサービス以外は家に居て、食事は自分でできるが。ほぼ寝たきりで次弟一家のお 世話になっている。次弟によると「ボケも進んできて大変・・・」であるようだが、私はただ「宜しく頼む」と 頭を下げるばかりである。大阪に住む末弟も再婚した若い細君と来ていた。昼食の後、皆で菩提寺へ墓参りに行っ た。その後、近くに住む妹の家に行った。歓談の後、皆に別れを告げて、15:30生母の実家へ行き、墓参りをした。 16:30帰路につき、20:00奈良の自宅に帰着した。

3日 書初めで"般若心経"を書いた。思うようには"うまく書けない"が・・・まあ、こんなもんだ。夕方、我家から、 焼門、大仏殿裏、二月堂、法華堂、正倉院、転害門、聖武天皇陵を経て我家へ・・・という"私の散歩(1) 歩数:8253"をした。

4日 朝早く、長女とその長女(右の写真)が東京へと帰って行った。その長女は8日にアメリカへに住む次女の家へ移行し、 アメリカの大学への進学を目指すようである。私はひたすら"健康である"ことを祈念するばかりである。 夕方、"私の散歩(1)"をした。


2017.1.1

2017年元旦

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

私は昨年9月に75才になりました。6月14日に腰椎椎間板ヘルニアを発症し、救急車で病院に搬送され入院、 7月4日に退院しました。外科手術すること無く薬だけで治療し、御蔭さまで、テニスが出来る様になりました。 10年余続けてきた乗馬は中止となりましたが、週2-3回のテニスを楽しめるようになりました。昨年11月末に MRIで診ていただきましたら「腰椎椎間板ヘルニアが収縮し、圧迫されていた神経が耐性を獲得して、痛み を感じなくなり完治といえる」との医師の診断で通院も中止となりました。感謝・感謝。 健康であることのありがたさを改めて痛感した2016年でした。健康は天からの賜りものですが、出来るだけ健康に暮ら せるよう努めて参りたいと思っております。

大晦日に長女とその長女が奈良に来てくれました。元旦のお雑煮を戴いた後、愚妻を加えた四人で10:30に家を出て、 初詣に行った。快晴で暖かい日であり、漢国神社、興福寺南円堂に参拝し、春日荷茶屋で七草粥をいただきました。、 その後、春日大社、手向山神社、東大寺二月堂、大仏殿に参拝し、戒壇院前、転害門、聖武天皇陵を経て15:000我が家 に帰着した。歩数:12742

右の写真の掛図は太田垣連月尼の和歌短冊:山里のおいがねざめをとふものは廿日あまりの有明の月。 花器は東大寺転害門の天平古材。生け花はHK流。
太田垣連月(1791-1875)は夫と死別後、神光院月心の門に入り、尼となる。歌道を上田秋成・香川景樹・千種有功に 学ぶ。急須・茶碗などを焼いて生計を立てた。手捏ねの茶器に自詠の歌を彫りつけた彼女の陶器は「蓮月焼」 と呼ばれて人気を博した。自詠の歌を書いた短冊も多数残されている。富岡鉄斎は、蓮月尼老年の侍童。
2016.12.24

西大寺

私は最近、淡交社刊の「古寺巡礼 奈良」全16巻の内の第8巻「西大寺」を読んでいる。今日は良い天気だったので、 実物の「西大寺」を拝観しようと出かけて行った。近鉄の"西大寺駅"で降りて、200m程で東門に着いた。 私にとって、三度目の拝観である。西大寺は764年に称徳天皇の勅願により建立され、東大寺に対する西の官大寺 であった。南都七大寺(東大寺,西大寺,法隆寺,薬師寺,大安寺,元興寺, 興福寺)の一つであるが、平安時代 に衰退し、鎌倉時代に叡尊(えいそん)上人により再興されたが、再三の災害により多くの堂塔を失った。

有料(800円)で四王堂、本堂、愛染堂の拝観が許されていた。四王堂はギラギラの位牌、本堂はキラキラの釣灯篭が 沢山あって"興ざめ"であった。本堂内の本尊「釈迦如来立像」と「文殊菩薩騎獅像および四侍者像」が困惑して いらっしゃると感じた。愛染堂はまだ良かった。今年重文から国宝になった「興正菩薩(こうしょうぼさつ)叡尊 坐像」は威厳があり、しかるべき所に鎮座していらっしゃった。秘仏・愛染明王坐像(重文)が特別開廟される1月 14日から2月4日までの間に再度訪れたい。境内で目に付いたのは「塔跡」。巨大な基壇・礎石が昔日の五重塔の偉容 を偲ばせてくれた。

"東門を出て、西大寺の北側にある細い道を1km程行くと西大寺奥之院があり、そこに「興正菩薩叡尊の墓」がある" とのことで私は訪ねて行った。広い広場の中に10m四方程の基壇があり、その中心に壮大な五輪塔(高さ3.5m)があ った。その横に、小さなお堂と小さな庫裡らしきものがあったが、参拝者は私だけで他に人影は無かった。五輪塔に 頭をたれた後帰りつつあったら、頭をつるつるに剃った60-70才の男性が自転車で来られた。私が挨拶すると 「参拝ですか?これからお堂を開けてあげますからどうぞ」とおっしゃった。それで引き返すと、私だけのために お堂を開け、厨子の扉を開け、ローソクを点けて「線香をあげてください」とおっしゃった。厨子の中には立派な 木造地蔵菩薩立像(室町時代)がいらっしゃった。さらに、"おうすとまんじゅう"を持ってきて「どうぞ、召し上が ってください」とおっしゃった。せっかくだから頂いてきたが・・・なんか、不思議な体験。丁重に礼を述べて帰 ってきたが・・・。

その帰り道、南方300m程の所に森があった。"これは神社があるな"と直感し行ってみた。 これが八幡神社。奈良時代から西大寺の鎮守として奉斎され、"西大寺の大茶盛は、この八幡社で叡尊が献茶を参詣人 にも振舞ったことに始まる"とのことであった。
2016.12.15

再再度ポンポン山

11月3日に5人でポンポン山山系に行った。今年三度目のポンポン山登山を前回と同じメンバーで行った。 前2回の登山ではポンポン山の山頂には行っていない。そこで今回は山頂に行こうとT君にお願いした。 T君は山頂だけを目指す登山は好きでない。寒くなってきたので、登山者も多くないだろうからと説得し、 最もポピュラーで楽なコースを選んでいただいた。

9:15にJR高槻駅に集合しT君の車に乗った。T君は高槻在住でポンポン山は知り尽くしている。それで 余裕がある・・・ポンポン山に行く前に"寄り道"と言って、里山に連れて行き"かりんの実"の沢山なってい る林を案内してくれた。良い匂いのする"かりんの実"をお土産にくれた。私は「今回は頂上まで行こう」 と、T君をその気にさせる様に努めた。
10:15本山寺駐車場(388m)で下車。本山寺(ほんざんじ、天台宗、本尊は毘沙門天、518m)に参拝し、緩い 尾根道の登山道を登り、12:20ポンポン山山頂(678m)に着いた。この尾根道にはうっすらと雪が積もって いた。頂上は展望が良く、美しい景色を眺めながら昼食をとった。
13:00頂上から釈迦岳方面に200m程進み南行きの山道を下って林道ポンポン山線に出た。結構、分かりにくい 山道であったがT君は精通していた。寝屋川から来たという二人連れの登山者がうろうろしていらっしゃ ったが、T君に助けられて私達と一緒に、本山寺駐車場に15:00無事帰着した。
高槻駅への帰路、私が予てから見たいと言っていた"ムベ"の木を観に連れて行ってくれた。アケビに似た つる性植物で5-7枚の小葉からなる掌状複葉で、小葉の葉身は厚い皮質で深緑で艶があった。
17:30奈良に帰着した。この日の歩数は18356。山道の歩数としては多かった。
2016.12.11

奈良マラソン

今日は,近年恒例となった"奈良マラソン"の開催日である。我が家から1.5km程の所にある県立鴻池運動場がスタート& ゴール地点であり、我が家から30m程の所にある道路はマラソンコースになっている。この為、9:00-15:00は交通規制 が行われていて、車が出せないだけでなく、参加者・見物応援の人・交通整理の人で道路・歩道は混雑している。
私は野次馬で、8:55に家を出て、道路わきで見物・応援をした。マラソンの参加者は12000人に制限して、参加費8200円 であるのに30分ほどで定員締め切りになったそうである。広い道路がランナーで一杯になって延々と続いたのには驚いた。 元気に走っていく人を見るのは楽しいもので、私は30分ほど手をたたいていた。

昼食後の散歩で奈良女子大学の正門前を通ったら"NPO法人 奈良国際映画祭実行委員会 ならシネマテーク"の幟が立っ ていた。尋ねると「奈良女子大学の講堂で15:00から映画"ヴィンセントが教えてくれたこと (St. Vincent)"が上映される」 とのことであった。14:45に家を出て、この映画を観に行った。2014年製作のアメリカ映画でセオドア・メルフィ脚本・監督 の作品で、結構楽しむことが出来た。

たくあんを漬けた。毎年お願いしているお百姓さんに電話したら「漬物用大根は売り切れてしまいました」とのことであった ので、行きつけの八百屋さんにお願いして手に入れることが出来た。大根を6日間干して漬けた。大根の干し具合が漬物の 品質を決めるので、乾燥状態の見極めが大切である。さあ、出来上がりが楽しみである。
2016.12.5

天香久山

今日は暖かい天候であったので、浮かれ出て、天香久山(あまのかぐやま、単に香久山ともいう)へ行くことにした。 香久山は、畝傍山、耳成山とともに大和三山と呼ばれる。標高は152.4メートル。持統天皇の歌 「春過ぎて 夏来たるらし 白たへの 衣干したり 天香具山」(巻1-28) が良く知られているので、私は"天香久山"を 愛用している。

桜井市内で、伊賀の有名な蕎麦屋で修行してきたいう若者が開業している蕎麦屋で「天婦羅蕎麦と蕎麦がき」を食べた。 私は時々お世話になっているが、美味しかった。

"天香久山"は有名であるが、観光地としては整備されていないので、車で行くと結構不便であり、観光客は少ない。 それでも、知る人ぞ知る小さな駐車場(無料、5,6台だけ可)がある。そこから、"天香久山"の頂上までは200m程である。 山頂には國常立(くにとこたち)神社があって、2つの小さな祠に國常立命と高龍神が祀られている。 山頂からは畝傍山、その後ろに葛城山を望むことができた(右の写真)。舒明天皇の歌「大和には 群山あれど とりよろふ  天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙り立ち立つ 海原は かまめ立ち立つ うまし国ぞ あきづ島  大和の国は」 (巻1-2) を味わうことができた。
その後、山の北麓にある櫛真智命神(くしまちのみことのかみ)を祭神とする天香山神社に参拝した後帰路に着いた。
2016.11.26

円照寺から正暦寺へ

生駒に住む女性に誘われて円照寺から正暦寺へのハイキングに行った。10:04近鉄奈良駅前発のバスに乗り 10:24に円照寺前のバス停で降りた。円照寺は、中宮寺、法華寺と共に大和三門跡と呼ばれる門跡寺院であ る。円照寺門跡は華道「山村御流」の家元でもある。以前は門も閉じられていたが、現在は右の写真の様に 開かれていて、お庭を少し拝観することができた。

円照寺から正暦寺までは4.5km。同行の女性は脳梗塞後遺症で、若干足が不自由であるが、二本のI型ステッキを 使って、元気に歩かれる。好天に恵まれたので、紅葉の美しい景色を眺めながら、緩い登り路を正暦寺まで 歩いて行った。12:00に正暦寺で、白毫寺町から歩いて来られた友人と合流した。
正暦寺は正暦3年(992年)創建の古刹であるが、1180年に南都焼き討ちにより焼失し、福寿院客殿と本堂・ 鐘楼を残すのみとなってる。 本堂では、特別公開中の秘仏 本尊薬師如来倚像(白鳳時代の金銅仏。台座に腰を掛けるという倚像。重文)を拝観し、 福寿院客殿では、孔雀明王像(鎌倉時代の作)に参拝した。境内には3000本を超えるカエデがあり、紅葉の名所と して知られており、土曜日でもあって多くの参拝者がおられた。14:30正暦寺発のバスに乗り15:00近鉄奈良駅 に帰着した。

この日の歩数は12728。先週の水、木、土、日、今週の火、水とテニススクールに行った。お陰様で元気になった。 感謝・感謝である。
2016.11.15

山陰への旅

カニのシーズンになった。車で行きたいので雪が降る前でないと駄目である。温泉も良くカニも美味しい 旅館が望ましい。しかも、天候が良くないと観光に不具合なので、天気予報を見て直前に旅館を予約する のが私の手法である。鳥取の岩井温泉には気に入りの旅館があり、予約の電話をしたら「満室」であった。 それで、玉造温泉の老舗旅館を予約し"カニ三昧会席"をお願いした。

14日9:00に家を出て、12:30蒜山高原SAで昼食。米子で渋滞があり、15:00出雲大社(右の写真は八雲山とご 本殿の屋根)に着いた。"縁結びの神様"だそうで、若い人で賑わっていたが、私には"縁結び"をお願いする 望みも資格も無いので"2拝4拍手1拝(出雲大社の参拝の仕方)"しただけで何もお願いしなかった。
17:00玉造温泉の旅館に到着。早速、温泉に入った。清少納言が枕草子に「湯はななくり(榊原)の湯、 有馬の湯、玉造の湯」と記した古湯で、透明度の高いきれいなお湯であった。6:30から夕食。特大メガ蟹付き 「カニ三昧会席」であったが、なにぶんにも料金が安い。"値段にしては値打ち。カニ三昧としては物足りない。" であった。

15日7:00起床。入浴後、8:15より朝食。9:15チェックアウト。私が出雲を旅行先に選んだのは、出雲の古刹"鰐淵寺" に行きたかったからである。でも、寝坊してしまったので"鰐淵寺"は諦めて、"松江城"に行くことにした。 日本には天守が国宝に指定されている城が5つ(姫路城、彦根城、犬山城、松本城、 松江城)ある。天守閣内部の柱 の大半が鎹や鉄輪で補強されており、古色あふれる立派なものであった。城内に大きな木が沢山生えており、 良く整備されていた。外堀も綺麗であった。
城の外、堀端に"小泉八雲記念館"があったので入館した。小泉八雲の生涯を編年で紹介し、そのひととなり・思考・ 事績がわかりやすく紹介・展示してあった。
12:00松江城に別れを告げ、13:00蒜山高原SAで"蒜山蕎麦"を食べ、17:00奈良の自宅に帰着した。
2016.11.8

ゆず

昨日、神戸で素敵な女性達とテニスをした。その際、徳島を故郷とする方から前日に徳島で採ってきた という柚子を沢山いただいた。その方が私に"柚子ジャムの美味しさ"教えてくださったのは、もう10年 以上前である。爾来、私は毎年"柚子ジャム"を作っている。その作り方は2015.11.10のブログに記載した。

"柚子ジャム"を作るには、柚子を木から採って時間がたたない方が良い。皮が柔らかくて刻みやすいのだ。 今年戴いたのは、とてもみずみずしくて、柚子汁も沢山あり、美味しい"柚子ジャム"が出来た(右の写真)。 ひと月に一瓶、毎朝トーストにたっぷり付けていただくことが出来る。

我が家は、柚子の香りでいっぱい。どの部屋に行っても柚子の香りがする。

     柚子の香は 花橘に かへりきぬ 面影みせよ うたたねの夢  (新千載集)
2016.11.5

松方コレクション展

松方幸次郎(1865〜1950)は、川崎重工業や神戸新聞社の初代社長を務めた実業家で、西洋美術の一大 コレクション「松方コレクション」を形成した。コレクション中、フランスから返還された作品は。 国立西洋美術館で保管・展示されている。神戸市立博物館では9月17日〜11月27日に「特別展 松方コレクション−松方幸次郎 夢の軌跡―」が開催されている。私は神戸大学でのテニスに参加する 前に、この「松方コレクション展」の観覧に行った。11:00に入館した。私は国立西洋美術館で 「松方コレクション」を観覧したことはあるので、その一部が来たのだろうと予想して行ったのですが、 それよりずっと充実していた。戦前に国内外に散逸した作品やフランスに留め置かれた作品も集めて あった。イヤフォンガイドは借りず、途中の一室でビデオ解説を観ただけであったが、それで十分で あった。良い展覧会であった。

12:15に出館し、出口の前にあるレストランで昼食を摂った。旧米国領事館の建物だそうで、重厚な 雰囲気の中で"神戸の美味しいランチ"を楽しむことが出来た。バスケットに残ったパンを「持って 帰ってもよろしいですか?」と訊いたら、「こっそり、どうぞ」と紙に包んで下さった。これ、愚妻 への"お裾分け"。

14:00から神戸大学でテニスを楽しみ、奈良の自宅に戻ったら18:00。
2016.11.3

ポンポン山

今年の4月9日に京大理学部で学部・修士課程時代に属した研究室の先輩Yさん夫妻、同級生のT君、私の4人で 高槻市の北方にあるポンポン山の南にある西水無瀬川沿いの林道を歩き大杉まで行って引き返した。今回は 大沢からポンポン山の南を歩く計画をT君が立ててくれた。私が腰椎椎間板ヘルニアになり、回復してからの 最初の山行なので「ハイキング程度の"軽いもの"にして下さい」とお願いして、このプランとなった。

今回は愚妻も参加することになり、9:30にJR高槻駅前に集合した。T君の車に乗せていただき、10:10大沢に 着いた。私はこれまで履いていた皮革製の登山靴は重いので、前日にゴアテックスの登山靴を買い、それを履いて行った。 これに気付いたT君は「お前そんな登山靴買ってこれからどんな山を歩くつもりや?雪山でも行くつもりか?」 と浴びせてきた。イヤイヤ゜私は山道で滑らない靴を選んだのだ"、尤も、これから何回これを履く機会があるか心 もとないが・・・。大沢から良く整備された"おおさか環状自然歩道"を1km程進むと階段のような急坂の登山 道となった。200m程の高度を一気に登り詰めると大杉(一本杉)の分岐点に着いた。12:30そこから少し行った 見晴らしの良い所で昼食を摂った(右の写真は同行の4人)。

その後、北進しポンポン山方面と善峯寺方面への分岐点を善峯寺方面へ進み、善峯寺方面と京青の森方面への 分岐点を京青の森方面へ進み、京青の森から西南に進み、行に通った"おおさか環状自然歩道"へと歩いた。 15:00出発点の大沢に帰着した。T君はこのルートを詳細に知っていた。T君の案内無しではとても行けそうもない。 自分の庭の如く熟知しているのには感心した。彼の庭は広大である。

大沢でT君が「大阪府で最も巨大な杉の木がある」と"大沢の杉"へ連れて行ってくれた。古格あふれる巨大な杉で あった。
"おおさか環状自然歩道"沿いに広大な椎茸栽培場があったが、大沢に"シイタケ直売所"があった。そこで、生シイタケ、 乾燥シイタケ、原木なめこ、むかごを買って帰った。これらは夕食の食卓に載った。
2016.11.1

正倉院展

正倉院展を見に行った。11:00頃であったが入口に100m程の入場待ちの行列があったが約10分で入場で きた。今年の目玉は漆胡瓶(しっこへい)である。さらに、鳥木石夾纈屏風(とりきいしきょうけちのびょうぶ)、 灌頂幡(かんじょうばん)、唐と日本の鏡、笙(しょう)、平脱鳳凰頭(へいだつのほうおうのかしら)、 鞭楠箱 (べんなんのはこ)、粉地金銀絵八角長几(ふんじきんぎんえのはっかくちょうき)、 銀平脱龍船墨斗(ぎんへいだつりゅうせんのぼくと)、二彩(にさい)の大皿、撥鏤飛鳥形(ばちるのひちょうがた)が 目を引いた。私は単眼鏡を持参したが、これは大変有用であった。細かい図柄がハッキリと見え、楽しむことが出来た。
今回の展示では多様な鈴:唐草文鈴(からくさもんのすず), 子持鈴(こもちのすず), 梔子形鈴(くちなしがたのすず), 瑠璃玉飾梔子形鈴(るりだまかざりくちなしがたのすず), 杏仁形鈴(きょうにんがたのすず), 瓜形鈴(うりがたのすず), 蓮華形鈴(れんげがたのすず)が展示してあり、私は格別の興味を持って拝見させていただいた。

出館したら13:00であった。博物館の広場に特設されたテントのお店で"薬膳弁当(1200円)"を買って食べた。 けっこう美味しかった。

右の写真は、大柳生の田んぼの土手に生えていたリンドウ。
2016.10.27

正倉院

奈良国立博物館では、「第68回正倉院展」が10月22日から11月7日まで開催されている。 ところで、あまり広く知られていないが、正倉院の"正倉"外構は通常、月曜日から金曜日までの毎日 午前10時から午後3時まで無料で公開されている。

今日はとても良い天気だったので、昼食後、散歩に出た。東大寺大仏殿の裏を歩いていたら、 加古川から遠足で来た中学生が「"先生から正倉院へ行け"と言われたのだけど何処ですか?」と尋ねら れた。それで、ついでだからと、私も"正倉"外構(右の写真)を観にいった。正倉院展の期間中は 午前10時から午後4時まで公開されるそうでけっこう賑わっていた。

私はその後、二月堂、法華堂、手向け山神社、氷室神社、戒壇堂、焼け門址を通って家に帰った。 歩数8427であった。法華堂と戒壇堂では入堂・拝観した。私は東大寺友の会(会費3000円/年)に 入っているので、無料で何回でも入堂・拝観できる。大仏殿も、東大寺ミュージアムも。
2016.10.13

鯖街道

比良山系で最高峰の武奈ヶ岳への西側からの登山口:葛川坊村町に、白洲正子氏の著書"かくれ里"でも紹介された、 天台修験・回峰修験の聖地である葛川 明王院がある。以前にその明王院を訪れた際、その参道脇に古い宿屋があり、 その脇を流れる小川にビールが浸してあった。それを見て、この宿なら美味しいものが食べられるのではないかと 思った。それで、一度訪れたいと機会を狙っていた。漸く快晴が期待できる天気予報になったので、その宿に電話 したら「12日なら一部屋空いている」とのことであった。愚妻に話したら「一緒に行く。行かな損だ。」と言った。

12日のテニススクールをキャンセルして、10:00に家を出て、京奈和道、一般道、京都南ICから京都東ICまで名神高速、 真野ICまで湖西道路、その後、国道477を経て鯖街道とよばれる美しい山間の国道367に出た。花折峠にある古い茶屋で 昼食、鯖寿司を食べた。とても美味しかった。で、ついで、ぜんざいも追加して食べた。これも美味しかった。13:00に 明王院に着いた。チェックインは16:00からなので、明王院に車を停めて、明王谷沿いの道を"三の滝"の上まで歩いて 行った。滝まで降りようとしたが"危険な道"に見えたので止めて引き返した。明王院と地主神社に参拝したら小雨が降り出し た。丁度16:00、チェックインした。この宿、施錠設備・TVも無く、隣の部屋の話し声もつつぬけ、洗面所・トイレは 共用、廊下を歩くとギシギシ音がする・・・昔ながらの田舎宿・・・であった。でも、風情があった。

早速、風呂に入り17:30から夕食。"山辺料理"を標榜するだけあって地元の食材を多用。子持ち鮎とマッタケが主体の各種料理、 地元の山菜・キノコ、刺身は鯉だけ、珍品はツキノワグマの肉・・・等堪能させていただいた。

13日 8:00から朝食。お粥、鯉の切り身の味噌漬けの焼き物、だし巻き卵、椎茸・高野豆腐・ごぼう・蕗の煮物、各種漬物、 揚げ生麩入りの赤だし・・・だけのあっさりした朝食・・・全部いただいた・・・美味しかった。10:00チェックアウト。 道の駅 朽木新本陣へ行き・車を置いて、朽木を散策。先ず、鎌倉時代創建の名刹"興聖寺"へ行った。若い僧が案内・説明を してくださった。本尊・釈迦如来座像(平安時代作・重文)に参拝した後、室町時代に作庭された優美で幽玄な趣のある庭園 を拝観した。その後、古い町並みの残る朽木市場を散策し山神神社まで行った(右の写真は山神橋から北川上流方向の景色)。 道の駅に戻り、蕎麦で昼食。もうひとつであった。その後、かねてから聞いていた"くつきの森"へ行った。200円払ってMAP をいただいた。一時間ほど歩いたら、愚妻が急に急ぎ足になった。私は「またはじまった」と思った。愚妻は「時間がない」 と言った。それで"ショートカット"の道を選んだ。ところが、途中で道が無くなった。でも、川の向こうに先ほど歩いた道が 見えたのでそのまま進んで行った。川まで行ったが渡れる所がない。仕方がないから靴を脱ぎ裸足になって渡ることにした。 無事渡ることが出来た。愚妻に文句を言われたが、ひたすら謝ってかわした。15:00"くつきの森"を出発、来たときと同じ道 を通って17:30奈良の自宅に帰着した。
2016.10.10

狭岡神社の例祭(秋祭り)

私の住む奈良市法蓮町の氏神様である狭岡神社(さおかじんじゃ)の例祭(秋祭り)が10月9・10日に行われた。 狭岡神社は、716年に藤原不比等が国家鎮護と氏族繁栄のために、邸宅の丘に天神八座を祀ったことに始まる 古い神社である。昼食後、散歩を兼ねて出かけて行った。家から興福院(こんぶいん、奈良時代に創建された僧院。 現在は尼寺、本尊の木造阿弥陀如来三尊像・小堀遠州が作庭したといわれる優美な客殿の書院庭園が重文)の前、 奈良高校の前を過ぎると狭岡神社である。私が着いた時には、行事が終わっていて、社務所に数人の氏子がおら れるだけで、社殿(右の写真)の周りは森閑としていた。

狭岡神社の参道脇に、笠郎女の大伴家持への恋歌「君に恋ひ いたもすべなる 奈良山の小松が下に 立ち嘆くかも」 の万葉歌碑が立っていた。家持の邸宅もこの近くにあった。

帰り道で奈良高校の横手に、黒髪山に登っていく道があり「常陸神社」と書いてあった。興味本位で登っていくと、 奈良高校の後ろに、千余年前、国司 常陸代将中臣無良自が建立した神社があった。参拝した帰り道、"むかご"が 沢山あった。これを採って帰った。五合ほどあった。家に帰ってよく洗い、油でさっと炒め、削り鰹と醤油をまぶ して食べた。半生程度でおさめるのがポイント!
2016.10.1

氷室神社例祭夕座の舞楽

奈良氷室神社では毎年9月30日午後5時より宵宮祭、10月1日午前11時より例祭朝座、午後5時より夕座が執り行われる。 氷室の舞楽祭として知られているが、10月1日午前6時半より氷室神社本殿前の舞殿において、南都晃耀会・南都流舞楽伝承会 による奉納が行われる。私は午前5時半頃家を出て、東大寺大仏殿・南大門を経て、6時頃氷室神社についた。参道の両側には、 1辺が15cm程の立方体の氷が1m程の間隔で並べられてその上にロウソクを立て灯りとなっていた。

6時半より4人の舞人による東遊(あずまあそび: 駿河国の有産浜に天女が降り舞い遊んだという 故事から起った東国の風俗舞) が奉納され、続いて舞楽: 振鉾(えんぶ)、万歳楽(まんざいらく)、延喜楽(えんきらく)、賀殿(かてん)、登天楽(とうてんらく)、 蘭陵王(らんりょうおう)、納曽利(なそり)、抜頭(ばとう 右の写真)、落蹲(らくそん)が奉納された。

これらが終了したのは午後9時であった。その後、撤饌(神様の前にお供えした供物=神饌を下げる)があり、参拝者に一部が 分与された。
2016.9.25

伊良湖

21日に天気予報を見たら''24日と25日は晴れ''であった。そして伊良湖のホテルに電話したら「24日は宿泊可」 であったので予約した。伊良湖岬は9月末から10月初旬に、タカの一種であるサシバやハチクマの南国への渡り を見ることができる場所として知られています。

9月24日 10:19近鉄奈良発の電車に乗り12:12鳥羽着、12:30鳥羽発のフェリーに乗り13:30伊良湖着。 土砂降りであった。ホテルに電話すると車が迎えに来てくれた。サシバは見込み無しなので、温泉に入ったのち昼寝。 17:00から夕食。 歩数:3587

9月25日 6:00起床、寝過ごした。早速、屋上へ双眼鏡とブロミラーを持って行った。既に、大きな望遠レンズ付きカメラを 構えた方が数人いらっしゃった。「如何ですか?」と尋ねた。「まだ出ていません。昨日雨であったので集合していませんね。」 との返事が返ってきた。しばらく私も探していたが気配も無い。あきらめて、温泉に入り朝食をとり、 再度屋上へ出た。双眼鏡で丹念に探しても''いないものはいない''。あきらめて、10:00チェックアウト。 バスに乗ろうとしたら、ホテルの駐車場に大きな望遠レンズ付きカメラを構えた方が10数人いらしゃった。そして、 目の前をサシバが飛んでいた。私は飛んで行って仲間に入れていただいた。その後、サシバ 1羽、ハチクマ 3羽、 ノスリ 1羽、チゴハヤブサ 1羽を見ることが出来た。11:10ホテルのバスでフェリー乗り場へ行き、コインロッカーに 荷物を置き、双眼鏡とブロミラーだけを持ち、伊良湖岬灯台へと歩いて行った。灯台から急な階段を登っていくと、 伊良湖水道航路の船舶の安全を図る施設があった。その展望台に行くつもりだったが「土・日は立ち入り禁止」であった。 恨めしく見上げると、サシバが5羽舞っていた。私は喜んだが、結局これが最後であった。14:10伊良湖発のフェリーに乗り、 15:54鳥羽発の電車に乗り、18:00近鉄奈良に帰着した。 歩数:12064

右上の写真はホテルの部屋から見た伊良湖岬。白く美しい砂浜が恋路ヶ浜。白い建物の前の駐車場にはカメラを構えた人が 30人ほどいた。
2016.9.22

秋の彼岸の中日

彼岸の中日、庭の花を切って、大和郡山にある墓へ行った。愚妻の先祖代々の墓で、隣には郡山藩主であった 柳沢家のものと思われる墓があるが、訪れる人もないらしく傾いている。墓はいろいろなことを感じさてくれる。 墓の周りの掃除をして、線香たて経をあげた。

よく行く大和郡山駅近くのイタリアンレストランは満員で予約がとれなかった。しかたがないので、奈良市内の お蕎麦屋さんで、てんぷら・盛りそばを食べた。その後、お彼岸の中日には特別開廟されている浄瑠璃寺の薬師如来 を拝観させていただくべく浄瑠璃寺へ行った。

浄瑠璃寺の門を入るとすぐ前に池がある。この池の東に平安末期に京都から移されてきたという三重塔がある。 この塔の初重の西の扉が彼岸の中日には特別開廟され、西面した薬師如来像(右の写真)を拝することができる。 この初重内は、柱・壁・天井などが美しく荘厳されているのが良く残っているとのことで楽しみにしていたが、 少し開扉されているだけで内部は暗く、拝観することはできなかった。

池の西には本堂である九体阿弥陀堂があり、九体の阿弥陀仏が東面していらっしゃる。このお堂も立派で、 九体の阿弥陀仏が並んでいらっしゃる姿は荘厳である。

寺でいただいた案内書によれば「東の薬師仏に苦悩の救済を願い、その前で振り返って池越しに、彼岸の阿弥陀仏に 来迎を願う」のが本来の礼拝の形である。
2016.9.11

長女とその長男の来訪

9月6日の夕方に東京に住む長女の長男が一人で奈良に来てくれた。

7日私は11:00-12:30のテニススクールに行った。帰ってから、三人(長女の長男、愚妻と私)で ハンバーグの美味しいレストランへ遅い昼食を摂りに行った。ところが「売切れ」であった。 仕方がないからフレンチレストランへ行った。それでもハンバーグに未練があり「夕食に長女の長男と私で ハンバーグを作ろう」ということになり材料を買って帰った。
17:00に2人で料理本を見ながら、タマネギをみじん切りにしバターで炒めた。ボールにパン粉と牛乳、 牛肉と豚肉のミンチ(2対1)、玉子、塩、胡椒、ナツメッグを入れ、これに炒めたタマネギを加えて、 手で全体がねっとりするまで練り上げた。手にサラダ油をつけ、練り上げたミンチを1人分とり、 両手でキャッチボールをするようにして空気を抜き小判型にした。長女の長男は「高校時代に家庭科 で作ったことがある」とかで、手慣れた手つきであった。
次いで、フライパンを中火で熱し、サラダ油をひいて、ハンバーグを並べ平均に焼き色がつくまで焼いて 裏返した。裏にも焼き色がついたら蓋をして5分蒸し焼きにした。
ハンバーグを皿に盛り、フライパンに赤ワインを入れ、塩、胡椒で味付けし、バターを加えてソースを作り、 ハンバーグにかけた。これにつけあわせを盛って出来上がり。長女の長男が料理長、私はアドバイザー。 このハンバーグ、絶品であった。愚妻は「美味しい・美味しい」とおだて上げた。でも、本当に美味しかった。

8日 長女の長男が、昨年自動車の免許をとったが、以来"運転をしたのは一回だけ"なので「自動車の運転をしたい」 と言った。それで、近くの車の通行が少ない道路で一時間ほど練習した後、一般道路に出て京都府加茂町に行き、 昼食を摂った。その後、恭仁京・山城国分寺跡に行った。少し休憩した後家に帰った。3時間余のドライブてあった。 この日の夜、長女が奈良に来た。

9日 長女の好きなお好み焼き屋へ行き昼食を摂った。夕食に、長女の長男と私で"美味しいハンバーグ"を作って長女 に食べさせることにし材料を買って帰った。私はピアノ教室に行き15:30に家に帰った。その後、長女の長男と二人で "自動車の運転練習"。浄瑠璃寺へ行き、九体阿弥陀如来を拝観してきた。17:30から"美味しいハンバーグ"を作り、 長女と愚妻に食べさせた。

10日 4人で転害門、正倉院、二月堂、法華堂(不空羂索観音を拝観)、手向山八幡宮、若草山山麓、春日大社(本殿中庭参拝) と歩き、荷茶屋で昼食(右上の写真は、その際のもの)。その後、興福寺を経て帰宅した。歩数:13540。

11日 11:00親子二人そろって帰って行った。


2016.9.4

75才の誕生日

私は9月4日に満75才になりました。後期高齢者ということで自家用車に"若葉マーク"を付けました。 お陰様で、これまで健康に恵まれ、充実した楽しい人生を送らせていただくことが出来ました。 これからは付録の人生で、どのような生活になるかは計り知れませんが、どうか健康に恵まれる様にと 祈るばかりであります。

右の写真は9月1日に日出ヶ岳山頂直下で撮ったものであります。"ずいぶん歳を取ったな"と思いますが、 これも自然のなりゆきで、満足しております。

現在、奈良に住んでいます。最近"大和名所図会 全7冊"という寛政3(1971)年刊の古文書を読みました。 これに触発されて"古寺巡礼 奈良 全16冊 淡交社(1980)"を古書店で買いました。これを読んでは、 奈良めぐりをしたいと思っています。

一昨日は、散歩で二月堂に行き、法華堂に寄って不空羂索観音を拝観し、その後、発掘作業が進行中の 東塔址の脇を通り、東大寺ミュージアムに行って日光・月光菩薩を拝観した。そして帰りに、正倉院脇を通り、 転害門から聖武天皇陵を経て自宅に帰った。なんとも贅沢な散歩であります。感謝・感謝!
2016.9.1

大台ケ原

朝起きたら快晴であった。右足の親指の周辺にシビレがあって少し歩くと足首辺りが少し痛くなるが 3-4kmなら歩ける。大台ケ原なら快晴でも暑くはないだろうと思って10:00に車で家を出た。途中、道の駅で きゅうりとトマトを買い、大滝茶屋で柿の葉寿司を買った。13:00に大台ケ原ドライブウェーの終点駐車場(1570m) に着いた。期待通りにそよ風が心地よかった。そこから2km程の所にある日出ヶ岳(1695m)を目指して歩き出した。 途中、清水が登山道を横切っている所できゅうりとトマトを水の中に投げ込み、柿の葉寿司を食べた。その後、 よく冷えたきゅうりとトマトに塩を付けて食べた。とても美味しかった。昼食後、日出ヶ岳山頂直下にある三叉路 展望台(1650m)へ行った。熊野灘や志摩半島が見えた。富士山が見えるとのことであったが・・・残念ながら 私には見えなかった。頂上までは行かず引返した。15:30に駐車場を出て、カーナビの選択した経路で帰ったら、 18:00に奈良の我が家に帰着した。歩数:6930
トリカブト(右の写真:花と実)とバイケイソウが沢山生えていた。両者とも有毒植物で鹿に食べられないからだろう。
2016.8.30

乗馬クラブ退会

整形外科医から「乗馬は辞めた方が・・・」と言われて休会届を出していたが、乗馬クラブから 「休会でも会費の半額は頂く」と言われ、退会することにした。定年退職後に始めて11年余お世話になり、 大変快適で楽しませていただいたが、年齢も考えてそろそろ潮時かと考え退会届を出した。いざ退会と なると、なんだか寂しい思いもするが致し方ない。乗馬クラブへの往復の道も「もう通うことはない」と 思うとなんだか切ない。

台風10号の影響で奈良は涼しい。それで少し庭仕事をした。サルスベリ(百日紅)の花が風にふかれてゆらゆら 揺れて(牧野富太郎さんの植物記によると"そよ風にゆれる木を、木が笑うと呼ぶ"そうだ)隣家の庭の方にも 入っていくので剪定した。剪定した枝を花瓶にいけて観察すると、花(右の写真)が面白い。ピンク色なのは 花びらでいちじるしいしわがある。六枚の花びらの中心にメシベがあり、そのまわりに長いオシベ6本と 短いオシベ多数があり、六つにさけたガクが付いています。ピンク色だけが目立ち、気づかなかったが、 自然の見事さに感心した。
2016.8.17

朝鮮時代の水滴―文人の世界に遊ぶ

大阪市立東洋陶磁美術館で8月11日から11月27日まで企画展「朝鮮時代の水滴―文人の世界に遊ぶ」が開催されている。 暑い日々が続きますが、冷房の効いた家に籠ってばかりいては体がなまるので、出かけて行った。 朝鮮半島では、朝鮮時代(1392〜1910)には、儒教が国の指導理念であり、文人や支配層は儒教の思想や徳目の実践に 努めた。硯に水を注ぐ水滴は、文人の書斎を飾る質素で気品ある文房具のひとつとして愛玩されたようで、本展では、 館蔵品の中から厳選した水滴126点が展示されていた。当時の朝鮮半島の高い文化を窺い知ることの出来る展覧会であった。

右の写真は入場券に印刷してある"青花鉄砂 葡萄山水文 八角形水滴(せいかてっしゃ ぶどうさんすいもん はっかくがたすいてき )。全体を八角に面取りし、その各面に中国の山水画の有名な画題「瀟湘八景図(しょうしょうはっけいず)」を描いてある。 上面にはやはり文人が好んだ画題である葡萄図が描かれ、「海駝(ヘテ)」と呼ばれる伝説上の動物を注ぎ口と把手に貼付けてある。 呼びかける雄に応えるかのように、注ぎ口の雌が振り向いている。海駝は韓国の伝説上の獣で、水中に棲み、多量の水を腹に 収めて吹き出す。そのため、火災や災難を追い払う神として信仰され、水と関連ある水滴や建築物に用いられてきた(解説文より抜粋)。
この日の歩数:7486
2016.7.6 - 8.15

腰椎椎間板ヘルニア

腰椎椎間板(ようついついかんばん)ヘルニアが発症し、6月16日深夜に救急車のお世話になり緊急入院。7月4日退院した。6月11日のブログと 少し重複するがその詳細を記す。

6月9日(木) 右足首に少し痛みがあるのに乗馬にいった。乗馬中に強い痛みを感じたが続行した。車を運転して帰ったが痛みは無かった。
6月10日(金) ピアノ教室の後、右足首が痛んだので整骨院へ行った。電気、超音波、手揉みによる治療を受けた。「軽い捻挫・肉離れ」と 言われた。
6月11日(土) 右足首が前日より一層痛くなった。整骨院でサーモダイン、電気、手揉みの治療を受けた。
6月12日(日) 右足首脛の筋肉・足の甲が痛む。我慢して、庭の梅の熟した実を取り、梅ジュースを作った。
6月13日(月) 痛みはおしりから太もも、さらに脛の外側を下って足の甲へとひびいてきた。整骨院へ行った。「坐骨神経痛ですね」と言われた。 サーモダイン、電気、手揉みの治療を受けた。治療後は少し痛みは和らいだ。
6月14日(火) 痛みはさらにひどくなった。整骨院でサーモダイン、電気、手揉みの治療を受けた。整骨院で「整形外科医院へ行くべきか?」と 尋ねた。「整形外科へ行けば、X線検査をして坐骨神経痛と言って痛みを和らげる薬を呉れるだけで、治療法は変わりません。私は整形外科に 行く必要は無いと思います」と言われた。
6月15日(水) 足の甲から脛の外側、太ももの外側から付け根が痛い。整骨院へ行った。サーモダイン、電気、手揉みの治療を受けた。 治療後は少し痛みは和らいだ。

6月16日(木) 整骨院は休日。某有名大学の整形外科教授であった長女の義父に電話して、病状を話し相談したら「すぐMRIのある病院の整形外科 で検査を受けるように!」と言われた。この日は遅かったので、翌日、病院に行くことにし22時30分に床に就いた。ところが、寝返りをした時 "おしりから太もも、さらに脛の外側を下って足の甲へと激痛がはしった"。痛くて動けない! 救急車を呼んだ(携帯電話でも単に119で可、 救急隊員の手慣れた動作に感心して「私の様な患者による要請はよくあるのですか?」と尋ねたら「よくあります」との返事が返ってきた)。 近くにある救急病院が受け入れて呉れ、X線検査とMRIを撮って下さった。担当医師は「椎間板ヘルニアてす」と言い、即入院、腰部固定帯 (コルセット)をし、尻の孔から痛み止めの薬(座薬、ボルタレンサポ)を注入し「この痛み止めの薬はあまり効かないかもしれないが、どんな格好 をしてもいいから一番痛くないようにして寝なさい」と冷たく言って行ってしまわれた。
6月17日(金) 意外に眠れた。6時15分に起こされた。痛みも少なく、自力でトイレへ行くことが出来たが、右足を上げる時 痛みがはしった。 ベッドは電動で起き上がらせて呉れる。その助けをかりて座って朝食。9:00担当医師が来て「やっ、トイレへ自力で行けますか。座薬は要り ませんね」と言われた。夕方、前日の薬の効き目が無くなってきたのか、次第に痛みが増してきた。
6月18日(土) 9:00担当医師に「痛みが増してきた」と話したら「薬 1.ツムラ牛車腎気丸エキス顆粒、2.リマプロストアルファデクス錠5μg、 3. ロキソブロフェンNa錠60mg、4. レバミピド錠100mg をあげます。毎食後1を飲んで、その2時間後2を飲み、痛みが酷かったら3と4を飲んで ください。元気だったら外出しても良い」と言われた。冗談じゃない、痛くて外出なんかとてもできない。朝と昼 1と2を飲んだ。痛みは弱くならなかったので、 夕食後3と4も飲んだ。

この日、病室に来た人・時間
6時30分 熱いナプキンを持参し、起床を促す人
7時00分 お茶を持参・交換する人
8時00分 朝食を持参する人。8時30分 朝食を下げに来て食べた量を記録して帰る人
9時00分 体調を尋ね体温・血圧を測る看護師
9時30分 部屋の掃除をする人
10時00分 体を拭くため熱い濡れタオルを持参する人。10時30分 濡れタオルを回収に来る人
11時00分 お茶を持参・交換する人
12時00分 昼食を持参する人。12時30分 昼食を下げに来て食べた量を記録して帰る人
14時30分 体調を尋ね医師の指示を伝える看護師
15時00分 愚妻来室。グレープフルーツを丸ごと持ってきて「ナイフを持ってきたから・・・」と言った。私は「見舞いに来るんだったら中の袋も 剥いて食べやすくして持って来るもんだ! テニスの女友達はそうしてテニスコートに持ってくるよ!」と言ってつっ返した。 「いつも自分で皮剥いているから・・・」と驚きながらすごすごと帰って行った。
15時30分 担当医師が来室。看護室でMRIの画像を見せていただき説明を受けた。
16時30分 理学療法士(宮里さん)が来室。車いすでリハビリ室に行きリハビリを30分うけた。
17時00分 お茶を持参・交換する人
18時00分 夕食を持参する人。18時30分 夕食を 下げに来て食べた量を記録して帰る人
21時00分 消灯 その後1時間間隔で、ドアを開け懐中電燈で照らし在室・無事を確認する人

6月22日(水) 少しだけ良くなった。リハビリに行き、帰りに20mほど歩く。
6月23日(木) 少しだけ良くなった。若い看護師さんに「笑顔がステキですね」と言われた。
6月24日(金) 少しだけ良くなった。担当医師が夕食後に飲む薬としてランソプラゾール0D錠15mg(胃の保護)を追加した。 リハビリで30mほど歩くと足首とおしりから太もも辺りが痛くなってきた。
6月25日(土) 病室でリハビリを受け廊下を30mほど歩いた。前日より少しだけ痛く無かった。腰は痛くないので、この日からコルセットは外した。

入院して9日たった。この病院の食事は毎日変わっている。私は「郷に入っては郷に従う」主義だが、この病院の食事は美味しい。 「少ない予算で良くここまで出来るなあ」と私は感心している。料理する人が工夫し心をこめて作っていて下さるのだ。 私は、毎度、感謝していただいている。(補注) 私の入院中、一度も同じ食事は無かった。づっと美味しかった。

リハビリの部屋は盛況で24人の理学療法士がいらっしゃるとのことであった。午後に行くとほとんどが入院中の人であり、 平均年齢は85才、女性が80%、男性が20%といった感じであった。

6月26日(日) 13時に外出許可を頂き、タクシーで一時帰宅をした。病院ではインターネットが使えない。家に帰って早速、インターネットで 読みたい本をipadに詰め込んだ。ipadは入院中に読書するにはとても便利である。1か月入院していても十分なだけの本を入れた。 自宅だとどうしても沢山動いてしまう。「もうしばらく入院して回復を期した方が良い」と判断した。17時タクシーで病院に帰った。
6月27日(月) 病院での入浴を体験した。自分で入浴出来るのに、裸になるとナント!車いすに乗せられた。女性の前で裸になるのはなんだか 恥ずかしい。湯船のそとでシャワーを浴び体は自分で洗った。シャワーで石鹸を流した後、車いすに乗ったままコの字形の箱に入った。 背後の扉を閉めると浴槽になった。湯が出てきてブクブク泡の出るお湯に10分ほど浸かった。隣には寝たまま入れる浴槽があった。 老人介護施設での入浴を体験させていただいた。

病室から眺める景色
私の病室の窓は北方に面している。正面に黒髪山が見える。その麓に興福院の美しい本堂が見える。その左・西方に奈良高校が見える。 窓から首を出して東方を見ると、東大寺の大仏殿が見える。なかなか結構な眺めである。窓の下では病院の増築工事が進行中である。 今は基礎工事で、長くて太いコンクリートのパイプを打ち込む工事が進行中である。退屈な私はこれを眺めている。これが結構面白い。

6月28日(火) 米国に住む 次女と3人の子供(孫)が病院に見舞いに来てくれた。一週間奈良に滞在し、その後米国へ帰って行くようである。 家にいて一緒にいたいが致し方無い。
6月29日(水) 毎食後にリマプロストアルファデクス錠5μgを飲んで、その2時間後にツムラ牛車腎気丸エキス顆粒を飲み、 ロキソブロフェンNa錠、レバミピド錠、ランソプラゾール0D錠(これを飲むと痛みを感じ無くなる)は夕食後だけにを飲むことにした。 次女と3人の子供(孫)が病院に見舞いに来てくれた。
6月30日(木) 次女と3人の子供はUSJに行った様で、病院に見舞いに来なかった。
7月1日(金) 長女の義父(整形外科医)に病状を話し・相談して7月4日に退院とした。次女と3人の子供(孫)が病院に見舞いに来てくれた。
7月2日(土) 次女と3人の子供は翌日米国へ帰るようで、病院に見舞いに来てくれ別れを告げた。
7月3日(日) 次女の長女が熱を出したので、米国行きは7月5日に変更したとの連絡を受けた。

入院中に読んだ本
河童(芥川龍之介)、正岡子規(夏目漱石),孤憑(中島敦)、みだれ髪(与謝野晶子)、病(正岡子規)、くだもの(正岡子規)、墨汁一滴(正岡子規)、 寒山拾得(森鴎外)、菜穂子(堀辰雄)、独身(森鴎外)、高瀬舟(森鴎外)、父帰る(菊池寛)、墨子(幸田露伴)、折々の記(吉川英治)、 光と風と夢(中島敦)、真田幸村(菊池寛)、五重塔(幸田露伴)、志賀直哉氏の作品(菊池寛)
これ等は全て無料で読める電子図書である。一番面白かったのは「墨汁一滴」、正岡子規の病床生活の中での作品で、その凄さに感銘を受けた。 一番くだらなかったのは吉川英治の「折々の記」。

7月4日(月) 10時30分お世話になった皆さんにお礼を言い退院した。費用は33万円弱であった。看護師の青井さんと桜井さんは格別素敵な女性 であった。
この時点での体調
1. 座骨神経痛の症状
寝返りする際に右足の付け根からすねの外側・足の甲にかけて痛みがはしるが、其れもだいぶ少なくなってきた。
右足の甲あたりに若干のシビレが残っているが、其れもかなり弱くなってきた。
2. 脊柱管狭窄症(せきちゅうかんきょうさくしょう)の症状
歩くと足の甲から足首が次第に痛くなり、さらに歩くと太ももから座骨あたりまでが痛くなり歩けなくなる(間欠跛行)。 連続では100m位しか歩けない。歩く距離が長くなると、右足に体重を乗せる時間が短くなる。
退院後に飲む薬:朝食と夕食後にリマプロストアルファデクス錠5μg、ロキソブロフェンNa錠、レバミピド錠、ランソプラゾール0D錠。 昼食後にリマプロストアルファデクス錠5μg。各食2時間後にツムラ牛車腎気丸エキス顆粒。

7月5日(火) 9時05分近鉄奈良駅前発関空行のバスで、次女と3人の子供は米国へと出発していった。別れ際のハグは"感情が良く伝わってとても良い" と思った。次女たちと別れた後、今後の生活に備えて、体制を整えた。ベッドは次女が一階の部屋に移動しておいてくれた。 マットレスを取り外し、敷き布団を2枚置き、滑りの良いシーツで覆った。フワフワしない敷き布団は背骨を真っ直ぐにしてくれるし、 滑りの良いシーツは寝返りをしやすくしてくれる。
7月6日(水) 前日、入院中より多く動いたからか、よく眠れた。10時45分タクシーで病院に行きリハビリを受けた。右足の甲に若干の痺れは あるが痛みは少なくなり、歩行も跛をすることも少なくなってきた。何となく、元気になれるのではないかと思えるようになった。
7月7日(木) 自転車で家から1km程の所にある散髪屋さんに行ってきた。少しサッパリした。自転車なら行けるが1kmを歩く自信はまだ無い。
7月9日(土) 痛みがそれほどひどくないので、ロキソブロフェンNa錠、レバミピド錠、ランソプラゾール0D錠を飲むのを中止した。
7月10日(日) 車を運転して選挙に行った。投票は杖をつきつつよちよち歩いて行った。アメリカの高校で学んでいる長女の長女(孫)が夏休みで 帰国して東京に滞在していたが、この日の夕方、奈良に来てくれた。
7月11日(月) 右足の甲・足首にシビレがあり、100m程歩くと次第に痛くなる。
7月12日(火) 整形外科医である長女の義父に電話して、現状を話し、毎食後にリマプロストアルファデクス錠5μgを飲み、 各食2時間後にツムラ牛車腎気丸エキス顆粒を飲んでいるだけで良いかを尋ねたら「貴方のは必ず良くなると思います。リマプロストアル ファデクス錠5μgは半年は飲み続けてください」と言われた。それて゜少し気楽になって、車を運転して病院へ行った。リハビリの後、 私の主治医(院長なのだけど、専門は内科医、少し頼りないけど、長女の義父の話を参考にすれば、処方は間違っていないと思われる)に 診てもらった。「足がシビレてるんですけど・・・」と言ったら、「それじゃビタミン12でも飲んでみますか? 2ヵ月間くらい飲んでみて 効かなかったら辞めましょう」と言って、毎食後に飲む薬としてリマプロストアルファデクス錠5μgとメコバラミン錠500、 各食2時間後に飲む薬としてツムラ牛車腎気丸エキス顆粒を1か月分を処方し、「次は8月9日に来院して下さい。リハビリは、 理学療法士と相談して下さい」と言われた。これは"気長に!気長に!ということのようだ"。 病院の駐車場から病院・調剤薬局・駐車場と500m程を杖をつきつつヨチヨチ歩いた。
7月13日(水) 昼食後、長女の長女は東京へと帰って行った。駅まで送って行った愚妻は、家に帰ってきて「眠い。昼寝をする」と言って寝室へ 行った。そうだ。今、愚妻に寝込まれたら困る。我が家も"老々看護"が迫っている。
7月14日(木) 11:30病院でリハビリを受けるため車を運転して行った。私の行っている病院は"老人病院"といった感じで、リハビリに来ている人 の中では、私が一番若いという感じである。杖をついている人も多く、理学療法士さんに「皆さんも私のように足が痛いのですか?」と尋ねたら 「否、大半は筋肉が衰えているので、安定の為です」との返事が返ってきた。

7月16日(土) 補修工事中のマンションで用事があり、自転車で出かけた。帰りにレストランでハンバーグ定食ランチと"桃のスイーツ"を食べた。 この"桃のスイーツ"は、皮をむいた少し固めの桃の破片(一個分)にクリームが懸けてあり、その上に黄桃のシャーベットが載っていた。これ、 とても美味しかった。

右の写真は18日に咲いた唐招提寺から来た大白連。清楚で凛として美しい。
7月18日(月) 足の甲辺りに若干のシビレがあるが、其れもだいぶ弱くなった。午前中に自転車で、家から1.5q程の所にある店に買い物に 行った。夕食後涼しくなったので、用心のため杖をついて、散歩に出た。800mほど歩いたが、痛みは出なかった。 「"間欠跛行"の症状が無くなった!」と一人喜んだ。

7月19日(火) 右足の親指の根元辺りにシビレがあるだけとなった。我が家から1.5km位の所にある病院へ自転車で行った。リハビリの理学療法士 さんも「さわやかに杖無しで歩けるようになった」と喜んで下さった。私としても「夢のような回復」である。この一か月で腰回りの筋肉も 衰えたことであろうから、私としては、徐々に・ゆっくり・ゆっくり、慎重に鍛えていこうと思う。
午後、我が家から800m程の所にある聖武天皇陵まで杖なしで歩いて行った。往復で1.5kmはある。"間欠跛行"の症状が無く歩けた。感謝・感謝。

7月20日(水) 昼食後、佐保山テニスクラブへ車で行った。心配しないでくださいテニスをしに行ったのではありません。いろんな噂があるとの テニス仲間からのメールで、直接会ってお話ししようと出かけて行っただけです。テニスをしている人達を眺めていると羨ましくてたまりませ んが、私はまだまだであります。「九月くらいからお願いします」と言って帰って来た。
網戸の取り付けを三枚やり、庭木(サンシュウ)の剪定を少しおこなったら、何となく疲れたので止めた。

7月22日(金) 病院へリハビリに行った。リハビリを受けつつ理学療法士さんに「昨日は自転車で6km、徒歩で1.5km歩いた。だいぶ回復して喜ん でいます」と言ったら、隣で治療を受けていた人が「隣は治ったと言っとるぞ。俺はなんで治らへんのや。お前、手抜きしてるんとちがうか」 と担当の理学療法士さんにからみだした。夕方、2km程歩いた。右足の親指の根元辺りのシビレはあるが、痛みは全くない。

7月23日(土) 自転車で3km、徒歩で4227歩連続して歩いた。 整形外科医である長女の義父に電話して、現状を報告しアドバイスを頂いた。 「4000歩連続して歩ければほぼ回復。普通半年ほどはかかるから随分早い回復といえる・・・」と。「テニスは何時頃からやってもいいですか?」 とたずねたら。「まあ、ゆっくりして、先ずジョギングから始めて、様子を見てからですね」と言われた。

7月24日(日) 前日と同じコースを歩いた; 歩数4298。
7月25日(月) 近鉄奈良駅周辺での買い物; 歩数4570。
7月26日(火) 病院への往復(午前)、聖武天皇陵への往復(夕方)を合わせて歩数6845。
7月27日(水) 福住まで車で行き、田んぼ道を歩いた; 歩数3328。右の写真はヒツジ草
7月28日(木) 午前中に自転車で3km、夕方我が家から二月堂への往復; 歩数5365。入院中には"我が家から二月堂への往復が出来るようになったら なあ"と考えていたので感激! 感謝・感謝である。
7月29日(金) 夕方我が家から二月堂への往復; 歩数5514。
7月30日(土) 夕方我が家から二月堂への往復; 歩数5541。
7月31日(日) 夕方我が家から二月堂への往復+x; 歩数6220。

8月1日(月) 聖武天皇陵への往復と買い物; 歩数5454。
8月2日(火) 夕方我が家から二月堂への往復; 歩数5500。
8月3日(水) 朝に宇陀の農家から「ブルーベリーが採れた」との連絡があったので、早速車で出かけて行った。昨年4kg譲って頂いたのだけど、 少し足りなかったので今年は5kg譲って頂いた。「暑い中で収穫だけでも大変でしょう」と言ったら「ブルーベリーの木陰で涼しいですよ。 もっと大変な作業は沢山あるのだから・・・」との言葉が返ってきた。本当に頭が下がる。おまけでトマトを沢山くださった。家に帰って、 早速ブルーベリージャムを作った。これで一年間、毎朝、ヨーグルトと混ぜて、戴くことができる。
宇陀からの帰りに、都祁水分神社に参拝した。"この社は、大和国の水分四社の一つで、飛鳥時代の創祀。この社地は奈良朝時代に聖武天皇 の行幸された堀越頓宮の伝承地であり、平安時代には伊勢齋宮の皇女が宿られた都介頓宮の跡である。"とのことであるが、総丹塗の 本殿 には瑞垣がめぐらされてあり、正面に中門、その前に拝殿、能舞台、左右に直会殿、神輿舎があり、立派な社であった。
歩数は3000歩余であったので、夕方聖武天皇陵への往復; 歩数5919。
8月4日(木) 買い物と聖武天皇陵への往復; 歩数5552。
右の写真は聖武天皇陵の池に咲いた古代蓮(大賀ハス)。花の下にカマキリがいてその下にいるトンボを狙っています。

8月5日(金) 免許証の更新に奈良県運転免許センターへ行った。私は今年9月に75才になるので、免許証の更新に先だって講習予備検査 (認知機能検査)と高齢者講習を受けねばならない。これは運転教習所で受けられる。運転教習所に申し込んだら「予約で一杯で 2ヶ月待ち・・・」ということであった。そんなに待てないので運転免許センターに尋ねたら「運転免許センターで講習を受ければ、 その後にすぐ免許証の更新も出来る。予約も10日後に空いている。」とのことであった。今日12:45に運転免許センターに行き、17:15に 更新された免許証を受けることができた。 この日の歩数 3395。

8月6日(土) 買い物と二月堂への往復; 歩数6686。
8月7日(日) 聖武天皇陵への往復+二月堂への往復; 歩数7629。日常生活にはほとんど障害はない。右足の親指の根元辺りのシビレは あるが、其れもだいぶゆるくなってきた。
8月8日(月) 大和郡山にある墓地へ彼岸前の墓参に行った。炎天下なのでほんの少しの時間であるのにじりじりとした。"いつもなら、 この炎天下でもテニスをしていた"と感じ入った。聖武天皇陵への往復と二月堂への往復+X; 歩数9886。
8月9日(火) 今日は4週間ぶりに病院で担当医師に診て頂く日である。私の報告を聴いて、4週間分の薬; 毎食後に飲む薬として リマプロストアルファデクス錠5μgとメコバラミン錠500、各食2時間後に飲む薬としてツムラ牛車腎気丸エキス顆粒を処方し、 「次は9月6日に来院して下さい」と言われた。「テニスはいつ頃再開しても良いですか?」と尋ねたら「足のシビレがとれたらですな・・・」 だって・・・???。
夕方18:00頃、二月堂へ行っら、功徳日(およく; この日参詣すると46,000回参詣したのと同じ功徳が得られる)の法要がおこなわれていた。 "500円奉納すると福引がある"というので、私は500円奉納したら"フラフープ"が当たった。家に持って帰ったら、愚妻が 「そんなものゴミになるだけだ。持って帰ったの?」とのたまわった。二月堂への往復+X; 歩数6768。
8月10日(水) 晴天続きで暑い日々が続いていますが、こんな時は梅干しを干すのに適している。今年は梅が大豊作で沢山漬けた。 その成果が右の写真である。しっとりとして柔らかく美味しい梅干しが出来た。これで、二、三年間はあると思う。 二月堂への往復+X; 歩数6997。

8月11日(木) 奈良国立博物館では9月19日まで、生誕800年記念の特別展「忍性」が開催されている。良観房忍性(りょうかんぼうにんしょう) は、鎌倉時代、西大寺の叡尊を師として律宗の興隆に努め、戒律の復興と弱者救済に奔走した名僧である。15日までは19:00まで開館というので 16:00に家を出て、興福寺境内を通り、奈良国立博物館へ行った。 忍性ゆかりの寺院(額安寺、西大寺、茨城・観音寺、神奈川・極楽寺、般若寺、海龍王寺、唐招提寺、竹林寺、等)の名宝・文化財を一堂に集めてあり、 その偉業を偲ぶことが出来た。イヤホンガイドを借りて、ゆっくりまわって、一時間半余であった。出館後、二月堂を経て家に帰った。 歩数8307。
8月12日(金) 聖武天皇陵への往復+二月堂への往復; 歩数7604。
8月13日(土) 二月堂への往復+x; 歩数6975。右足の親指の付け根辺りにシビレが残っており"ゴミでも踏んづけている"感じがする。
8月14日(日) 7:30車で家を出て11:00岐阜県関市の弟の家に着き、仏前で読経し頭を下げた。弟は92才の母の面倒を見ていてくれる。 「大変だと思うがよろしく頼む」と頭を下げるばかりである。近くに住む妹の家に行った後、弟達と昼食を共にした。その後、皆と一緒に 墓参りに行った。15:00弟達に別れ、美濃市の私の生母の実家へ行った。そこには20名ほどが集まっていた。現況を話し合い、互いの健康を 祈った。次いで、長良川の河畔にある墓に行き、奈良から持って行った生花をささげ、読経して頭を下げた。その後、長良川の昔泳いだ 懐かしい場所に行き、泳いだ。これは沐浴であり、身を清める思いである。泳ぎ始める頃、雨が降り出した。弱い雨だったのだけど、 次第に空が暗くなってきたので、泳ぎを中止した。車まで30m位の所まで来たら、土砂降りになった。もう少し遅かったら、全身ずぶ濡れ になるところであった。20:00奈良の自宅に無事帰着した。
8月15日(月) 今日は久しぶりの曇り空であったので、昼食後、庭木(モチ、マキ、アシビ、紅梅、モミジ)の剪定をした。汗びっしょりになった。 夕方、聖武天皇陵への往復+二月堂への往復; 歩数6444。この途中で200mほどゆっくり走ってみた。
右の写真は聖武天皇陵の池に咲いた古代蓮。

救急車で緊急入院してから、今日で2ヶ月たった。右足の親指の付け根辺りに若干のシビレが残っているが、日常生活には何の支障もない程 に回復することが出来た。感謝・感謝である。この"腰椎椎間板ヘルニア"の経過記録も、ここらで終了とし、この後の経過は、折に触れ記述 していくこととします。

その後(1)

8月18日 病院へリハビリに行った。二月堂への往復+聖武天皇陵への往復+X 歩数:8987
8月19日 御所市にある乗馬クラブへ行き退会手続きをした。二月堂への往復+聖武天皇陵への往復、200mほどゆっくり走った。歩数:7937
8月20日 足首に少し痛みが生じ、指先の痺れも少しました。県立美術館へ行き「生誕130年 富本憲吉 憧れのうぶすな」展を観た。 自重して、歩数:3797
8月21日 足首に少し痛みがあり、歩くと少し増し、指先の痺れも少しました。 市中心街へ買い物に行った。歩数:4370
8月22日 足首に少し痛みがあり、歩くと少し増し、指先の痺れも少しました。歩数:2269
8月23日 リハビリに行った。足首に少し痛みがあり、歩くと少し増し、指先の痺れも少しました。聖武天皇陵への往復。 歩数:1415
8月24日 足首に少し痛みがあり、歩くと少し増し、指先の痺れも少しました。市中心街へ行き買い物。 歩数:6312
8月25日 朝、足首に少し痛みがあったので、朝食後にこれまで飲んでいたリマプロストアルファデクス錠5μgとメコバラミン錠500 に加えてロキソニンNa錠60mgとムコスタ錠100mgを飲んだ。2時間後には痛みが無くなった。聖武天皇陵への往復。 歩数:2059
8月26日 歩数:3411
8月27日 ロキソニンNa錠60mgとムコスタ錠100mgの服用は止めた。歩数:7911
8月28日 大和文華館へ行き「中国工芸名品展 -陶磁・金工・漆工-」を観た。歩数:5023
8月29日 携帯電話の契約更新に際しスマホへの変更について検討した。結論: スマホに変えるよりipadを通信機能を持った物にする方が良い。 現在の契約のまま更新することにした。歩数:5066
8月30日 台風通過後で涼しい。庭木の剪定をした。歩数:3398
8月31日 二月堂、法華堂、鐘楼を回遊、歩くとき右足首が少し痛む。歩数:5817
9月1日 大台ケ原 歩数:6930
9月2日 二月堂、法華堂、東大寺ミュージアム、夢広場 歩数:7413
9月3日 二月堂、正倉院、転害門、聖武天皇陵 歩数:6795
9月4日 75才の誕生日。ラ.カシェトで夕食。歩数:4029
9月5日 二月堂、法華堂、正倉院、転害門、聖武天皇陵 歩数:7298
9月6日 13:30から15:00までテニススクールでレッスンを受けた。
9月7日 11:00から12:30までテニススクールでレッスンを受けた。
まだ右足の甲に痺れがあり、500mほど歩くと右足首辺りが少し痛くなってくるが、それ以上痛くなる事はない。 6日のテニスはこわごわ開始した。久しぶりの炎天下でのテニスで熱中症も心配であった。 しかし、腰も痛くなることもなく無事終了した。7日朝でも、特に悪化は無かったので、テニススクールに行った。快晴で暑い。 コーチに休憩時間を多くする様にお願いした。自重していても思わず急な動きをしてしまう。終了した時にはホッとした。 9月8日 ありがたいことに、足・腰の調子は悪くなっていない、むしろ、快調である。「嗚呼、テニスが出来る様になった。」 嬉しいね、嬉しいね。感謝・感謝である。自重して、ボチボチと続けていって、健康な体になることをじっくりと待ちたい。

9月11日 歩数:4469 9月12日 歩数:8051 9月13日 リハビリ。歩数:11949 9月14日 テニススクール。歩数:8910 9月15日 曽爾高原。歩数:4599 9月16日 太陽光発電追加工事開始。二月堂、法華堂、大鐘、湯屋、正倉院、転害門、聖武天皇陵 歩数:7200 9月17日 太陽光発電追加工事終了。歩数:8988 9月18日 歩数:8263 9月19日 歩数:8553 9月20日 歩数:8516 9月21日 歩数:8533 9月22日 歩数:7964 9月23日 歩数:8631


2016.6.11

右足首の捻挫

数日前から右足首に痛みがあった。9日に乗馬クラブに行った。駆歩で走っているときに右足首が痛くなった。 走っているので直ぐやめられない。我慢して5分程走り続けた。
10日朝起きると右足が痛かった。が・・・ピアノ教室に行ったりして3km程歩いた。夕方に整骨院へ行った。超音波、 電気、手もみの治療を受けた。家に帰ったら痛みが増して右足に力が入らなくなった。
11日朝、整骨院へ行ったら"軽い捻挫だ"と言われた。右足に力を入れると痛い。ピッコでヨチヨチ歩きしか出来ない。 すたすた歩いている人がとても羨ましい。当分、テニスも乗馬も、散歩さえも出来ないのだろうか???

庭の鉢植えの大白連が美しい花を咲かせてくれた。唐招提寺から三段階を経て我が家に来たものである。従来は7月末 に咲いていたのだけど、なぜか今年は一本の花芽がスクスクと成長して、本日花が開いた。右の写真は、夕方になって 花を閉じたとろである。昼間は開いていた。でも、この蕾のようなのの方が美しいと思う。




2016.6.10

山海名産図会

古書店で面白い本を見つけた(右の写真)。表紙には"山海名産図会"とのみあるが,目録題には"日本山海名産図会 (にほんさんかいめいさんずえ)"とされている。江戸中期寛政11年(1799)刊、5巻5冊の名産図会である。パラパラと めくってみて面白そうなので思い切って買った。これがとても面白い。

大坂の町人学者木村孔恭(こうきょう)が著者。 日本各地の名産が、水産と自然物採取が重点(農林産物は少ない)で、何処のものが名品、製法・食べ方・効用等が 記述されている。 各項目には法橋蔀関月(しとみかんげつ)による、採取、漁法、食品の製造法などの挿絵が配されていて分かりやすい。

巻之一 造醸(さけつくり)では,伊丹の酒造、発達過程、原料産地、製法・生産技術、販売輸送の方法等が詳述されており, 江戸期酒造業の実態が良くわかる。
巻之二 では、豊島石、御影石、龍山石、砥石、霊芝、木耳、茸、蜂蜜、蝋、山椒魚、吉野葛、山蛙、鷹、鴨、熊 等について記述。
巻之三 では、鮑、海老、鰤、鮪、鰆、鰈、鯛、鯖、牡蠣について記述。
巻之四 では、鰹、海鼠、海胆、白魚、蛤、鮴、鱒、鰻、章魚、河鹿について記述。
巻之五 では、水母、石灰、伊万里焼、織布、昆布、阿蘭陀船・異国産物について記述してある。

かな交じりの和文で、漢字、変体仮名、片仮名混じりの文で読みづらいが、大体推察して読むことができる。 江戸中期にはすでに、明石のタコ、広島のカキ、土佐の鰹などが有名になっていたこと、熊の捕らえ方・熊の胆の効用等々、 興味深いことが一杯書いてあります。


2016.6.5

梅が大豊作

わが家の庭に梅の大木がある。昨年は大不作でほとんど収穫が無かった。ところが、今年は大豊作である。 曇り空の6月4日、決心して収穫することにした。何を決心するかというと、私も高齢となり、高い木に登 り梅の実を採るのは危険な行為であるからだ。梅の実を採り、ついでに剪定をおこなった。木登りは子供の 頃よく遊んだ行為であり好きだけど、変な姿勢をして日頃使わない筋肉を使うので、終わる頃にはずいぶ ん疲れた。そして、無事終わったことに感謝・感謝である。
50kg程の梅の実が採れた。梅の実は欲しくない人にあげれば迷惑がられるだけである。日頃から情報を 集めておいて、関心がありそうな人に電話して、送らせていただいた。
アメリカに住む次女は「梅干しが欲しい」と言うので、我が家では10kg程の梅を漬けることにした。 5日に早速、青梅を水で洗って、布巾で水をふき取り、ザルに並べて日陰干しにした。黄色く色づいて来たら 塩漬けにする。容器や重石も洗って乾燥させた。

右の写真はササユリ。5月30日に昨年もこの時期に行った"奥伊勢フォレストピア"へ一泊旅行に行きました。 お目当ては、このササユリでしたが、今年も沢山のササユリの花を見ることが出来ました。地元の人たちが 大切に守っておられるようでした。自然のササユリの見事さに感動しました。


2016.5.27

ゆすらうめ(山桜桃)

庭にある"ゆすらうめ"が真っ赤な実をつけた(右の写真)。摘まんで食べると、淡白な甘酸っぱさが上品で美味しい。 生食が一番であるが、沢山実ったので、ジャムを作った。今年は大豊作で、生食と鳥達のために1割ほど残して摘 み取った。

HK式ゆすらうめジャムの作り方(改良版)
1. 3kgの"ゆすらうめ"を水で良く洗い、ざるで脱水。
2. ステンレス製鍋(7.5リットル)とボウル(3リットル)を用意し、ゆすらうめを1つずつボウルの中で潰し種を取り出す。 果肉は鍋に入れ、種とこぼれた果汁はボウルに入れる(潰すとき果汁が飛ぶことがあるので、汚れても良い衣服を着て作業する)。
3. ボウルの種とこぼれた果汁をザルに入れ、漉し汁を鍋に入れる。
4. 種をボウルに入れ、200mlの水を加え、手でかき混ぜて種に着いた果肉を落とす。これを白布で漉し絞り、 搾り汁を鍋に入れる。残りの種は捨てる。この種と不良な実・ヘタの重量を計ると800gであった。
5. 鍋には2.4sの果肉・汁がある。これに1kgのグラニュー糖とレモン大1個の絞り汁を加え、中火(電磁調理器目盛り7)で加熱。 沸騰してきたら弱火(電磁調理器目盛り4)にし、30分煮る。
6. 暑いうちに壜に入れ、空気を出来るだけ少なくするようギリギリまで入れて安全ボタンの付いた蓋をする。

直径8.5cm高さ9.0cmのガラス瓶6個の"ゆすらうめジャム"が出来た。毎朝、小さじ1杯をトーストにつけて食べる。 これ、とっても美味しい。


2016.5.21

愛宕山

大学時代の同級生のT君から「京都の愛宕山の北側にある芦見谷の源流湿地にクリンソウが咲いているから行かないか」 との誘いを受けて出かけて行った。9:00にJR桂川駅に着き、T君の車に乗せていただき、標高700mにある駐車場まで行った。 愛宕山頂への登山道を"首切り地蔵"まで歩き、そこから芦見谷の源流湿地へと降りて行った。源流湿地に着くと、沢山の クリンソウが生えていた。清流沿いの湿地で、クリンソウの生植環境にばっちりで、美しい赤色の花が咲いていた。谷沿いに 数千株のクリンソウが生えていたが、花の大半がちぎられて花軸だけが残っていた。現地で出会った人が「鹿に食べられ たんです」とおっしゃった。私は"鹿もひどいことをするもんだ"となげいていたが、観察を続けるうちに"鹿にしてはなんだか不自然。 花軸だけが無くなっている。"と思うようになった。"クリンソウの花に悪意を持った人間の仕業ではないか"と思うようになった。 少し憂鬱な気分になったが、それでもなお沢山の美しい花を見ることができ、新緑の美しい自然林の中を歩くことができ楽しい 山行であった。

駐車場まで戻って帰ろうとしていたら、赤い京都市消防局の車5台と救急車がサイレンを鳴らしながら、私たちのいる駐車場へ 来た。「訓練ですか」と訊いたら「否、救助です」とおっしゃった。15人で隊列を組み、担架を持って愛宕山頂の方へ登って 行かれた。さらに、ヘリコプターまでやって来たのには驚いた。


2016.5.19

我が家の太陽光発電: 設置から5年

福島の原発事故を契機に我が家では太陽光発電装置を導入した。シャープ製住宅用太陽電池 モジュール(ND-163AW: 1165x990x46mm, 14.5kg)を18枚(: 最大出力2.934kW)を設置した。 費用は280万円であった。設置から5年経過したのでその結果を整理した。
棒グラフで示す。青(最左)が1年目、緑(左から2番目)が2年目、濃紺(左から3番目右)が3年目、薄緑(左から4 番目右)が4年目、紺(右端)が5年目のデータである。
我が家の太陽光発電装置の月別発電量 我が家の月別電力消費量

発電量は天候により変化するが発電性能の劣化は見られないと思う。発電量は冬季の11,12,1,2月にかなり減少した。
我が家の月別電力消費量を見ると、4-10月は太陽光発電でほぼ我が家の消費電力をまかなうことが出来るが、 11-3月は25%程度しかまかなえていない。我が家で使う電力の全てを太陽光発電で補うためには現在の2倍量のパネル を設置すべきであった。

採算面から見てみよう。関電に売った電力の月別金額、関電から買った使用電力の月別料金、 関電に売った電力の金額から関電から買った使用電力の金額を引いた月別金額、それぞれを棒グラフ にした。

関電に売った電力の月別金額 関電から買った使用電力の月別料金 関電に売った電力の金額から関電から買った使用電力の金額を引いた月別金額
この5年間で関電に支払った金額(=関電から買った使用電力の金額-関電に売った電力の金額)は50,789円であった。 我が家はオール電化で、台所の煮炊き・風呂・エアコン・電熱器・床暖房・電気機器など、全て電力でまかなっている。 それで、一年間の電気代はほぼ10,000円。
我が家の発電量を全て関電に売ったとすると五年間の合計金額は779148円である。初期投資を考慮すると 20年で回収となる。ちなみに、我が家の太陽光発電装置は15年保証である。

科学者でありながら、私は太陽光のエネルギーがこんなに大きいとは知らなかった。新築の家の屋根に太陽光発電システム を設置すれば、費用も少なくてすむ。全ての家の屋根に太陽光発電システムを設置すれば、原子力発電をしなくても良い と思う。電力の安定供給に火力発電を活用すればいいんだと思う。


2016.5.10

変形性腰椎症

人間ドックの結果を聞きに病院へ行った。医師から「昨年とほぼ同じですね。年齢相応の衰えはありますが、 特に問題はありません」と言って"人間ドック成績表"を渡された。家に帰ってよく見ると、腹部X線検査 の項に"変形性腰椎症の疑い"と書いてあった。これが"ぎっくり腰の原因か?"と思ったので、整形外科医である 長女の義父からいただいた本を開いてみたら、原因は"過度前弯(腰椎が過度に後ろにそっている)・筋力不足・ 肥満"と書いてあった。さらに、"腰椎過度前弯の矯正と背柱起立筋のストレッチ"、"腹筋強化体操"、"背筋 強化体操"等が書いてあった。説明も納得できる、これは名著だ・・・と早速、参考にして実行することにした。

午後に、テニスクラブに行って、レッスンを受けた。どうやらテニスが出来るようになった。

右の写真はセッコク。40年余前、妹の夫君からいただいたセッコク。我が家の庭木にくっつけて置いたら増殖し、 毎年美しい花をつけてくれる。


2016.5.3

憲法記念日

今日5月3日は憲法記念日。私は現在の日本国憲法は立派なもので、この平和憲法は大切に維持しなければ ならないと思っている。日本は強力な大国を目指すべきではないと思う。世界各国との関係を良く保ち、 共存共栄の国家を心がけていくことが肝心と思う。

好天なので、11:00に家を出て奈良県山添村にある神野山(標高618.8m)へ行った。11:30神野山の中腹にある フォレストパークに着いた。この日は"つつじ祭り"が開催されていて、山添村の人達が出店を出していて 大変賑わっていた。私は"山菜おこわ(200円)、こんにゃく田楽(100円)、竹の子のてんぷら(100円)、蓬もち(100円)" を買って昼食とした。
その後、山道を1km程歩いて、神野寺(天平12年に行基により建立された)へ行った。本堂の脇に100本を超すクリンソウ が花盛りであった。参拝した後、神野山山頂へ行った。山頂近くに社があった(右の写真)。説明板によると王塚 (おうつか: 古代人が天と交信するために造った古代祭祀の場所)だそうである。山頂は360度、さえぎるもののない 展望であった。


2016.5.2

信楽作家市

5月2日から5日までの4日間、信楽に ある「陶芸の森 太陽の広場」で「第10回 信楽作家市」が開催 されている。この信楽作家市は信楽だけでなく近郊の陶芸作家が自分の作品を持ってきて対面販売をし ている。私はここ数年、この作家市に出かけている。10:30に車で家をでた。途中、信楽の植木鉢専門店 で植木鉢を買った。キズモノだと市価の30%程の値段で買えた。「陶芸の森 太陽の広場」には12:30頃着いた。 年毎に出展作家さんの数が増えていて盛況であった。意欲的な陶芸作家さんが多く、日本の陶芸 の未来は明るいと思った。
私の好きな作家"藤本秀"さんのところでは小さな"蹲"を買った。うつわ作家の"山田裕恵"さんのところでは 四角い皿を買った。名前は忘れたが小さな花立を買った店主には「こう改良した方が使いやすい」と私見を 述べたりした。会場内の屋台で売っていた"タケノコ入り焼きそば"は美味しかった。
「陶芸の森 陶芸館」に立ち寄り"公募展「 マイヤー×信楽大賞 伝統と革新−日本陶芸の今」"を観た。 これはもう陶芸と云うより"現代アート・オブジェ"であった。テクニックの競演という感じであまり感銘 を受けなかった。
帰りに伊賀を通ったら、丸柱地区で『新緑陶器市』が行われていた。"谷本洋"さんの作品が気に入って小皿 を買った。
制作した作家さん達と直接話しながら作品を買えるのは楽しい。

右の写真は、買ってきた"蹲"に庭のシャクヤクを挿した。

2016.4.27

またもや・・・ぎっくり腰

24日テニススクールに行った。ボール集めの際、腰をかがめて立とうとしたら腰に痛みが走った。 大した痛みでなかったので、その後もテニスを続けた。しかし、力いっぱいラケットを振ると腰が 痛んだ・・・でテニスを中止し家に帰った。家に帰って暫くすると痛みが酷くなり"ぎっくり腰"が 確定した。"ぎっくり腰"は今年の一月にやったばかりでショックである。夕食後すぐ寝た。
25日8:00起床。軽い"ぎっくり腰"の様で、症状はそれほどひどくない。寝返りも痛みが走るがまあ まあできた。顔を洗うのも腰を落としてできた。15:00近くの整骨院へ行った。「メンテナンスに 週一回来なさいと言ったのに・・・」と言われた。夕方2km程散歩した。"歩くことがこんなに気持 ち良いことか"と実感した。
26日8:00起床。9:30整骨院へ行った。午後散歩に出かけた。家から東大寺焼け門、戒壇堂、大仏殿、 南大門、氷室神社、知事官舎・・・を経て家に帰った。約4kmの行程で、快適であった。
27日も前日とほぼ同じ。今回の"ぎっくり腰"は軽傷のようなので数日すれば痛みも無くなるだろう。 しかし、こんなに頻繁に起こるようでは困るので何とか対策を考えねばならない。"腰痛予防体操" の本を買った。「何としても"腰痛予防体操"を実行しなければならい」と決意しているのだが・・・。

右の写真は、日よけに作った藤棚に咲いた藤。100個以上の花房か美しく咲いている。


2016.4.19

人間ドック

退職後、毎年一回四月に人間ドック(半日)に行って検査を受けている。予約をしておいて、今日 その検診に行った。私は胃カメラが苦手である。以前に鼻から胃カメラを導入して数日鼻穴が痛 かったので、喉から導入して頂くのだが、喉をなかなか通らない。数回試みて初めて喉を通過した。
検査結果は5月10日に病院に行って訊くことになっている。でも、胃カメラ・レントゲン検査では 異常がなかったから、ひとまず安心。

13:30からのテニススクールに行った。ところが、16:00頃家に帰ったら、身体がぐったりとした。 それで昼寝を一時間ほどした。これは何だろう"喉の麻酔薬せいだろうか?"。 この前、ポンポン山へ 一緒に行ったT君は「加藤のブログは年寄りじみている」と言ったが"これはヤッパリ"歳をとったせい だろうか?"。私は"歳相応に老いていけば良い"と思っている。テニスが出来るほど元気なことは本当に ありがたいことだ。感謝・感謝である。

右の写真は、サクラソウ(赤蜻蛉)。数年前、高鴨神社で譲っていただいたのが今年も咲いた。


2016.4.17

夏目漱石

IPADを愛用するようになって電子図書を読むようになった。無料で多くの古典的な作品が読める。 最近、夏目漱石の作品を読んでいる。私は夏目漱石の作品を高校時代に愛読した。高校二年の時、 虞美人草の読書感想文を書いて、読書週間の応募作品として提出し一等賞を頂いたことがある。 再読して、私は改めて、夏目漱石の影響を強く受けて育ったと実感した。若いときに夏目漱石の 影響を受けたのは幸運であったと思う。

昨日、電車の中で"私の個人主義"を読んだ。夏目漱石が学習院で学生に話した内容を作品とした随筆である。 その中で、"自己本位:自分で自分が道をつけつつ自己に安心と自信を持って生きる"ことの 大切さを説いています。そして"自己の個性の発展を仕遂げようと思うならば、同時に他人の個性も尊重し なければならない"と。
さらに"自己の所有している権力を使用しようと思うならば、それに付随している義務を心得なければならない"。 "自己の金力を示そうと願うなら、それに伴う責任を重んじなければならない"と。
そして"その背後に、あるべき人格を確立し、倫理的修養を積んでいなければならない"と。

右の写真は、室生寺の参道に咲いていたシハイスミレ。


2016.4.9

ポンポン山

京大理学部で学部・修士課程時代に属した研究室の先輩Yさん夫妻、同級生のT君、私の4人で高槻市の北方にある ポンポン山(標高679m)に登ることになった。

近鉄奈良8:00発の特急に乗り9:15集合地のJR高槻に着いた。9:30T君の車に乗せていただいて10:00川久保バス停近 く(標高180m)に車を停め、林道を500mほど歩いた後、山稜を歩く登山道に入った。急な斜面を100m程登った後は なだらかな稜線を行く登山道であった。モミの大木が何本もあった。木々の木陰を歩く道で快適であった。 3km程歩いたら昼食時となった。タムシバ(田虫葉、右の写真)の群生地で、おりよく白い美しい花を咲かせていた。 そのタムシバの花を眺めつつ昼食を摂った。そこから20分程歩くと大杉のある鞍部に着いた。

そこからポンポン山の山頂まで2kmほどある。T君は「このペースでは山頂までは無理だ」と言った。それで、 ポンポン山登頂は断念して、西水無瀬川沿いの下山道に入り、なだらかな林道を下った。16:00川久保バス停に 帰着した。

(注) タムシバとコブシの見分け方 : コブシは花の下に葉が一個付くが、タムシバには無い。


2016.4.8

仏生会

釈尊誕生の日とされる四月八日に、寺院ではその降誕を祝って仏生会(ぶっしょうえ)がおこなわれる。 東大寺では、いろいろな花で飾った小堂(花御堂)を大仏殿に設け、これに誕生仏の像を潅仏盤上に安置し、 参詣者は竹の柄杓で甘茶を注ぐことができる。同様なことが興福寺の南円堂前でもおこなわれる。

私はピアノ教室を終えて、16:00頃家を出て、東大寺大仏殿へ行った。遅いので花御堂は片づけられてい るのでは・・・と懸念して行ったが、まだあった(右の写真)。甘茶のふるまいは終了していたが、甘茶を 誕生仏像に注ぐことはできた。"花まつり"と呼ばれるように、大仏殿内には沢山の花が献花されていた。

右の写真の誕生仏は類似複製品で、本物の銅造誕生釈迦仏立像及び灌仏盤(国宝)は現在東大寺ミュウジアム で保存・展示してある。 誕生釈迦仏は、釈迦が生まれてすぐ7歩歩んで、両手でそれぞれ天と地を指し、 「天上天下唯我独尊」と言ったという伝説を造形化したもので、本物は気品と威厳があふれている。


2016.4.6

川路桜

私の家の横を佐保川が流れている。私の家から1km程下流の佐保川の土手に桜の老木があり"川路桜"と呼ばれている。 -1846年から1851年まで奈良奉行(現在の奈良女子大学の敷地は奈良奉行所跡)であった川路聖謨(かわじ としあきら、1801-1868)が、 桜・楓の植樹を発案し、町民にも呼びかけて植樹した。その生き残りの桜が"川路桜"である。そこから下流約5キロ にわたって、佐保川の両岸に1000本ほどの桜が植えられており、現在では桜の名所となっている。

(注) 川路聖謨は、勘定吟味役、佐渡奉行、奈良奉行、大坂町奉行、勘定奉行などの要職を歴任、日露和親条約を調印し 外国奉行を務めた幕末きっての名官吏。有能なだけでなく、誠実で、情愛深い人物であったようで、猿沢池北側に1850年 に建てられた石碑「植桜楓之碑」にその功績・人柄が記されている。

その桜が満開だというので、今日の午後、散歩で桜見物に行った。右の写真が"川路桜"である。支持棒で支えられているが 見事な花を沢山咲かせていた。


2016.3.30

恭仁京・海住山寺

パソコンの設定・ソフトの導入も終わってスッキリした。天気も良かったので、 恭仁京趾・海住山寺へ行こうと正午過ぎに車で家を出た。途中、木津市加茂町にある 農家カフェ:Country Roadで"本日のランチ(1200円)"を食べた。とても美味しかった。 その後、恭仁京趾へ行った。広場では15人ほどの人がゲートボールを楽しんでおられた。 私は恭仁京趾の駐車場に車を停めて、のどかで景色の美しい農道を海住山寺へと歩いて 行った。

海住山寺は標高200m程のところにあり、恭仁京趾との標高差は150m程である。傾斜の 急な参道には三分咲きの桜、満開のミツバツツジが咲いており、新緑も美しかった。 海住山寺は735年に聖武天皇の発願により創建されたが1137年に炎上した。その後1208年に 解脱上人貞慶により中興された名刹である。本堂には重文の本尊十一面観音菩薩立像、 色鮮やかな四天王立像が祀られていた。国宝の五重塔(右の写真)は桜の花に囲まれて いた。この美しい境内は参拝者も少なく、ひっそりとした極楽浄土であった。

解脱上人貞慶のお墓に参拝したのち、山道に入り、加茂神社を経て恭仁京趾へ帰着した。 このコース5km程で、ちょっとしたハイキングコースとして手頃である。私の家から 恭仁京趾まで30分弱で行ける。これからチョイチョイ、軽い運動コースとして使わして いただきたいと思っている。


2016.3.27

パソコン

10数年愛用してきたWindowsXPを搭載したパソコンが動かなくなった。 これを契機にWindous10を搭載したパソコンを購入した。私の年齢を考えると "Windous10に慣れておけば死ぬまで大丈夫だろう"と考えた。ところで、 これまで使っていたパソコンに容れていたデータが欲しかったので、 パソコン修理の店に行った。幸いハードディスクは壊れていなかったので、 持参したメモリースティックに移していただいた。料金は6480円であった。

さて、Windous10は随分改良されているようですが、慣れていないので 使い勝手が悪く、モタモタして時間がかかる。三日間ほど悪戦苦闘して、漸く このブログも書けるようになった。未だいくつか問題点があるのでスッキリする には、あと数日必要だと覚悟している。


2016.3.4

インフルエンザ

2日(水)の夜から喉に違和感を感じた。3日(木)の朝から咳がでる様になったが別段"しんどい"ことも無かった。 それで乗馬クラブへ行った。いつもどおりに乗馬をした。おかしくなったのは家に帰ってからだ。 いつもより体が重い。すると次第に悪寒を感ずるようになった。愚妻に体の不調を伝え、夕食後、 風呂にも入らず床についた。この時の体温は37.5度であった。
床についたがなかなか眠ることが出来なかった。体のふしぶしが痛く、長いこと床に臥している人の 苦しみを体験した。愚妻はテレビの音量を大きくして私のことは忘れている。私は我慢できず、愚妻に 言ってやった。「お前は人間として大切なものが欠如しているのではないか?」と。50年近く連れ添 った女房に"思いやりが欠如しているのはどうゆうことだ"。一度くらい「体調は?」と見舞いに来るのが 愛情というものだ。愚妻は悪い人間ではないが、こうゆうところが抜けている。
4日(金) 体温37.6度。体のふしぶしの痛みは和らいだが関節に力がはいらない感じ。全身の倦怠感が強く、 1日ぼけっと過ごす。
5日(土) 体温:朝37.0度、夜中37.7度。関節に力が入らず、筋肉痛(腹・胸の表皮が硬直し痛い)がひどく、 床についてもよく眠れない。
6日(日) 体温:朝37.0度、夜中37.5度。筋肉痛は少し和らいだ。咳はあまりでなくなった。
7日(月) 体温:朝37.0度、夜中37.7度。医院に行った。検査の結果インフルエンザB型。もう殆んど治りかけているので 抗生物質だけをもらってきた。この医院の医師はテニス友達である。「明日、テニススクールに行っても宜 しいか?」と訊ねたら、「否、後2-3日はおとなしくしていなさい」と言われた。私は「貴方は良いお医者 さんですね」と言ったら「ありがとうございます。加藤さんに来られると緊張しますわ・・・」
8日(火) 体温:朝37.0度、夜中37.7度。倦怠感が強く、1日ぼけっと過ごす。
9日(水) 体温36.5度。午後になると少し元気が出てきた。ピアノを弾いた。
10日(木) 体温36.1度(10:00)、36.5度(16:00)、36.3度(20:00)。元気になった。感謝・感謝。

「教訓」 3日(木)の夕方、医院へ行くべきであった。急に発熱し全身の倦怠感が強くなったら、直ちに医院 へ行くべきだった。初期にタミフルなどの投与を受けれは、症状も軽減されたと思う。"若い時は 体力で容易に乗り越えられても、歳をとって体力が減少したら医学の助けを借りるべきだ"と痛感した。
10年ぶり位にインフルエンザにかかったが、こんなに筋肉痛がひどいとは知らなかった。お医者さんは「歳を とると、よりひどくなりますよ」とおっしゃった。

右上の写真はユキワリソウ。


2016.2.28

月ヶ瀬

朝起きて調べたら、月ヶ瀬梅林の開花情報は5分咲であった。快晴で暖かったので、11:30 に車で家を出た。12:30"湖畔の里つきがせ"に着いた。梅は5分咲で見ごろであった。 高山ダムによって出来た月ヶ瀬湖を眺めながら、物産所の食堂で日替わり定食(950円)を 食べた。味はまあまあ。売店で桃・桜・雪柳の切花(250円)を買った。
次に、山上の梅林近くにある公共施設"ロマントピア月ヶ瀬"に行った。駐車場に車を置いて、 天神梅林、帆浦梅林、一目八景と観梅の散策を楽しんだ。暖かい快晴の日で、梅の花も見頃 であった。
"ロマントピア月ヶ瀬"にもどったら"春一番梅の郷ふれあい祭り"が行われていた。館内で "切り餅"を買い、炉辺でその餅を焼いて食べた。外に出たら、地元の茶園農家の若者が、 自作の緑茶の試飲の店を開いていた。「色んな茶を試飲出来て100円」というので、注文した。 色々試飲して私の見解を述べた。茶園農家の若者も真剣になって茶を入れてくれる様になった。 温度を調整し、時間を計って、急須で丁寧に入れてくれた。大変仲良くなったので、私は 「貴方の農園の一番良いお茶を入れてください」と言った。若者は「ここに無い。家に行って 取って来るから待っていて下さい」と言った。数分待つと帰ってきて「不安になってきた。 緊張する。」と言いながら、お茶を入れてくれた。美味しかった。"自分で入れたらもっと美味しい" だろうと思ったので、お願いして分けていただいた。100g 2000円であった。

月ヶ瀬は緑茶の産地でもある。私の会った茶園農家の若者は、茶摘体験・製茶体験の催しも おこなっているそうである。新しい茶園経営に挑んでいるようで、とても頼もしく思った。 成功を祈りたい。


2016.2.21

歩く会閉会

2015.12.6のブログに"歩く会"について書いた。下見に行った企画には、私はぎっくり腰になって、 残念ながら行けなかった。最近、突如、「この3月で歩く会を閉会にします」との連絡を受けた。 「会員が高齢化して、事故でもあったら大変だ」と云うのが主な理由らしい。
その"歩く会"の2月の例会に参加した。9:30に近鉄王寺駅改札前に集合した。参加者は12名。簡単な準備体操の後、 聖徳太子遺跡霊場の達磨寺まで歩いて行った。本堂には聖徳太子坐像、千手観音坐像、達磨大師坐像が 祭られていた。その後、バスで明神4丁目まで行き、そこから歩いて明神山山頂(274m)まで行った。 頂上は360度のパノラマで大阪平野や奈良盆地が一望できた。下山して明神4丁目からバスで王寺駅 にもどった。駅の広場で慌しい昼食を摂り、13:20発のバスに乗り信貴山門下まで行った。信貴山・ 朝護孫子寺は聖徳太子が毘沙門天王の聖地として創建した寺である。本堂で戒壇めぐりをした後、 14:15解散となった。「各自の体力に応じて、歩いて下山したり、バスで帰りなさい」とのことであ った。

解散の後、国宝「信貴山縁起絵巻」が展示してあるという霊宝館に入った。ところが、展示してあっ たのは複製品であった。「本物は奈良国立博物館にあり、今年4月9日から5月22日まで特別展で公開さ れる」ことをあとで知った。本堂で秘仏「毘沙門天王像」が特別公開されているというので500円払っ て、本堂内陣に入れていただいた。寺僧が説明をしてくださったが、その「毘沙門天王像」は年3回 公開される中秘仏で、その後ろ12年に1度公開される奥秘仏の「毘沙門天王像」がいらっしゃるとの ことで、なんだか騙された様な気分になり"ありがたみ"が無くなってしまった。15:11信貴山門下発の バスに乗り、王寺駅にもどった。この日のバスは、聖徳太子ゆかりの里乗り放題の"わんデイパス"500円、 て゛格安であった。慌しい"歩く会"で「"わんデイパス"を有効活用する会」であったようだ。
「この歩く会も3月で閉会」となると、何だか寂しい気がする。大半の会員が70才を超していて、 余暇時間も豊富で"健康のため歩こう"という人が多く"歩く会"の必要性も高い。しかし、世話人も高齢 化して、足腰が弱ってくると無理がきかなくなる。「ここらで閉会」と決断されたのも賢明な判断かもしれ ない。皆さんの仲が良く、和気藹々の会であった。今後はときおり、有志が計画して、声を掛け合って、 こじんまりした"歩く会"を開かれるのが良いだろうと思う。


2016.2.18

保育園

私の家から300m程の所に"佐保山保育園"がある。私は一度もその保育園に行ったことは無いが、 "産休明けから就学前の乳幼児300名を定員とする"ということだから大きな保育園だ。私の家の 前の道を、朝と夕方にこの保育園に通う親子連れが通る。自転車で通う親子、歩いて通う親子が いる。父親と一緒の子もいるが、母親と一緒の子が一番多い。親子の会話を聞いていると"嗚呼、 いい親子だな”と心温まることがある。時には私に「おはようございます」と言ってくれる子供 もいる。

私の住んでいる所は古い住宅地で、老人だけの家が多くなっているが、老人が亡くなって空き家 になって売りに出ると、古い家が壊されて新しい家が建ち、若い子供連れの夫婦が住まわれる様 になってきた。子供達が通りで、大きな声を出して遊んでいるのは、街に活気をおこしてくれる。 嬉しいことだ。



2016.2.14

花粉症

何時の頃からか春先になると、鼻がむずかゆくなったり、悲しくないのに涙が出て痒くなったりするよう になり"花粉症"になった。ところが、70才になった頃、歯医者に行ったら「歯茎の健康のため、乳酸菌を 寝る前に歯茎に塗りなさい」と勧められた。すると、その年から、花粉症の症状が軽くなった。これは"乳酸菌 が利いた"と思った。それで、私は花粉症の人に「乳酸菌が花粉症に利く」と勧めたりした。昨年あたりから 花粉症の症状は出なくなった。それを知人に話したら、「年とったからだよ。花粉に体が反応しなくなっ たんだ。免疫反応も減少しているから、ボックリ死ぬよ!」と言われた。"そうだ・そうだったのだ"と納得 した。

右の写真は昨年、岐阜県白川村で買ってきた福寿草。


2016.2.12

天理参考館

天理参考館は世界各地の生活文化資料・考古美術資料を収集・研究・展示する博物館で、約30万点にも及ぶ資料を収蔵している。 2016年1月5日(火)〜3月14日(月)に「天理参考館の珠玉」と題した特別展が開催されており、招待券を知人からいただいたので 見学に行った。

1階には、アイヌ、朝鮮半島、中国、台湾、バリ、ボルネオ、インド、パプアニューギニア、メキシコ、グアテマラの民族資料 が展示、2階には日本から開拓時代の南北アメリカに移住した人々の生活資料、日本の庶民の生活資料が展示してあった。 3階には、日本、朝鮮半島、中国、オリエントの考古美術品が展示してあった。これらは常設展示で、貴重な品々が収集してあり 見ごたえがあった。

3階の企画展示室で「天理参考館の珠玉」が展示されていた。
考古美術品では、弥生時代の流水文銅鐸、袈裟襷文銅鐸、古墳時代の三角縁神獣鏡、だ龍鏡、 中国の鴟きょう文ゆう(殷時代)、饕餮文方台き(西周時代)、ぎ龍文木胎方形漆盒、鳥文木胎矩形漆盒(戦国時代)、 加彩鎮墓獣、加彩飾り馬、加彩神将、白陶加彩舞楽女子、紅胎加彩女子、加彩官人、三彩釉文官、三彩釉駱駝、 海獣葡萄鏡、金貼り海獣葡萄鏡(唐時代)、 朝鮮半島の太環心葉形耳飾り、細環心葉形耳飾り、細環垂下ペン形耳飾り、細環球形耳飾り(三国時代)、 ギリシアのコリントス式スキュフォス(前7〜6世紀)、イランのガラス製円形切子碗、鍍金銀製聖樹水禽文八曲長杯(ササン朝, 6世紀)  等が展示されていた。
生活文化資料では、ネパール、チベット、イラン、パキスタン、イタリア、ロシア、イギリス、ルワンダ、コンゴ、リベリア、 日本等の世界各地の民俗資料を拝観することができた。
右の写真は庭のロウバイ。


2016.2.4

乗馬再開

ぎっくり腰は治ったので乗馬クラブへ行った。駈歩をやった。6名が輪になって一周100m程の馬場を 駆けるのである。愚妻から「落馬しないように!」と注意されていたので、私は慎重であった。 ところが・・・、私の前を走っていた馬が跳ねた。その馬に乗っていた人(女性)が、馬を走らせようと 拍車を馬に押し付けた。馬は嫌がって跳ねた。西部劇で暴れ馬が後ろ足を蹴り上げるやつだ。西部劇の乗り手 は、鐙を踏んで立ちバランスをとる。前の女性は前に倒れて、首筋にすがり付こうとしたが、体制は崩 れてズンのめる様に落馬した。私はその手前で止まる事が出来た。幸い、落馬した女性は無事であった。 指導員もびっくりしたようで、この日のレッスンはそれで終わりになった。従って、私は落馬しなかった。



2016.1.14

ぎっくり腰(strained back)

またもや、ぎっくり腰になった。ブログを見ると2012年3月にやっている。3年10ヶ月ぶりのぎっくり腰である。 この記録は次回の参考になるので詳細に記す。
14日 朝起きて寝着から昼着に着替えた。腰を折って上着を取り、立ち上がろうとしたら痛みがはしった。 「あっ、やった」と思った。"魔女の一撃"である。私にとってこれは7回目の体験で、私は"ぎっくり腰"の エキスパートである。寒い部屋で体が冷えている時に急な動きをしたのがいけなかったと反省する。 顔を洗う時も前かがみになると腰に痛みがはしる。朝食を摂って後、肘掛け椅子に座ってテレビを見るばかり。 静かに座っておれば痛みは無いが、立って歩こうとすると痛みがはしる。トイレに行くのがやっとである。 夕食後、風呂にも入らず床につく。寝返りをするにも痛みがはしり一苦労である。
15日 8:30起床。歩くとき痛みがはしって腰砕けのようになるので物に掴ってそろそろ歩く。1日中肘掛け椅子 に座ってテレビを見るばかり。"24の瞳"と題名は忘れたが木下恵介の自伝的な映画を見た。夕食後、風呂に入 った後、床につく。寝返りをするのが少し楽になった。
16日 8:30起床。ゆっくりなら歩けるようになった(ときどき痛みがはしるが・・・)。昼食後、庭に出て、 ロウバイとワビスケを切ってきて、花器に生けた。ピアノの練習をした後、肘掛け椅子に座って"ドクトルジバコ" を見た。夕食後、風呂に入った後、床につく。寝返りが楽にできる様になった。
17日 8:30起床。昼食後、ヨチヨチ歩きで菊屋まで饅頭を買いに行った。帰り道で愚妻に会った。「買い物か?」と 訊いたら「心配になって見に来た」と言った。「そんな心がまだあるのだ」と少しホッとした。腰の筋肉が硬直して いる感じ。風呂であたたまると楽になった。
18日 9:00起床。朝食後、近くの郵便局まで行った。帰ってから、近くの整骨院へ行った。あまり良くはならないが ケアをして頂くことは良いことだろう。翌日の予約をした。昼食後、漢国町まで歩いて行った。歩けるのだけど、 腰がしっかりしていない。姿勢によりガクッとくることがある。ピアノの練習をした。座っておれば問題は無い。 立つときに手を添えて立てば痛みは無い。
19日 頭を下げて顔を洗うことができる様になった。10:00に整骨院行った。午後に4km程歩いて買い物をした。 だいぶ楽に歩けるようになったが、腰の辺りの筋肉が硬く、腰をかがめたとき痛みを感じる。
20日 歩くのは楽になった。まだ腰をかがめたとき痛みを感じる。この日の歩数7878
21日 昼食後、家から歩いて入江泰吉さんの旧居に行った。写真家として大成された入江泰吉さんが亡くなった後、 住宅を奥さんが奈良市に寄贈されて、奈良市がそれを整備して一般公開している。端正な住居・家具・庭・ 沢山の蔵書が見学出来て楽しかった。受付の女性も感じ良く応対をして下さった。「お近くにお住まいなら、 散歩のついでに時々お立ち寄り下さい」とおっしゃった。その後、東大寺ミュージアムに立ち寄った。国宝の誕生釈迦 仏立像と灌仏盤を拝していて気がついた。灌仏盤の外側に、草花・禽獣・樹木・人物等が毛彫りしてあった。その後、 氷室神社、県庁横を通り、家に帰った。歩くのは大丈夫になったが、まだ腰をかがめたとき痛みを感じる。この日の歩数6750
22日 ピアノの教室に行った。前かがみになっていて立ち上がるとき痛みを感じる。痛みの程度は減少している。この日の歩数9054
23日 だいぶ良くなった。テニスの全豪オープンをテレビで観戦するとテニスがしたくなる。今日、久しぶりに ラケットを素振りしてみたら、腰に痛みを感じた。もう少し静養が必要。この日の歩数5694
24日 1,2時間腰掛けていて立つ時とか腰を落とす時に若干の痛みがある。この日の歩数9461
25日 顔を洗う時にも通常の姿勢で違和感を感じなくなった。この日の歩数8464。殆んど良くなったが、 歩いた後、腰に疲れを感じる。
26日 午前中に整骨院に行き、午後にテニススクールに行った。テニス中に少しでも痛み感じたら中止するつもりで 行った。テニスポールを拾っている時にコーチから「その姿勢では腰を痛めます。膝を居って腰を落として拾って下さい。」 と注意された。"なるほど、良いアドバイス"と感謝した。痛みを感じることなく出来たので一時間半のレッスンを受けた。 ほぼ全快。感謝・感謝。
27日 11時からのテニススクールに行った。痛みを感じることなし。
28日 朝、乗馬クラブに行こうとしたら、愚妻が「やめとき。落馬したらどうするの!」と言った。私は「大丈夫。 落馬して死んでも良いよ」と言った。愚妻は「死ねれば良いよ。寝たきりになったらどうするの。私は面倒見ないよ!」と 言った。そこまで言われてはしょうがない。私はこの日の乗馬は断念した。

{総括} 今回のぎっくり腰は比較的早く治った。その理由は、重いものを持ち上げたりしてなった場合はキズが大きいが、 今回のように軽い作業でのぎっくり腰なのでキズが小さかったことによると思われる。私は低血圧なので、特に寒い時期には、 血行が悪くなり、肉離れを起こしやすいと思われる。もう少し"腰の筋肉を鍛える必要がある"と反省・反省。


2016.1.10

マダム イン ニューヨーク

NPO法人"なら国際映画祭実行委員会"は2年に1回"なら国際映画祭"を企画運営すると共に、国内外若手監督と 奈良を舞台とした映画制作や映画の魅力を伝える数々のプロジェクトを実施している。ところが、奈良市には 映画館が1つも無い。それで、"なら国際映画祭実行委員会"は"ならシネマテーク(奈良市の移動映画館)"を企 画し、奈良女子大講堂や奈良国立博物館東新館等で、選定した映画を時々上映している。

昨日、テニスの帰りに奈良女子大講堂の横を通ったら、映画「マダム イン ニューヨーク」を上映する看板 が出ていた。この実行委員会を支援したいと、内容については何も知らずに出かけていった。脚本・監督  ガウリ・シンデー 2012年制作 インド映画 上映時間 134分 であった。ガウリ・シンデーは新人女性監督で、 長編デビュー作のこの映画が大ヒットしたそうである。主演女優シュリデヴィ(右の写真)は1963年生まれ。 インド映画界の伝説の大女優であるが1997年に結婚・休業。本作は15年ぶりの復帰作とのことであった。

私にとって本作は初めて観るインド映画であった。上映の前後に、ナビゲーターが映画の解説をしてくれた。 インドの上流階級の家庭生活・社会問題を垣間見ることもでき、楽しむことが出来た。


2016.1.4

故郷訪問

1月2日 8:30に車で家を出発、生まれ育った故郷岐阜県関市へと向かった。若干の渋滞はあったが11:45に関IC に着いた。昨年他界した同級生の葬儀の香典を立て替えてくれていた小学校時代の同級生に会いお礼を言った。 他の同級生の情報を教えてくれた。皆、元気であってほしいと願いつつ別れた。
12:30実家に着いた。次弟が家を継ぎ、足腰が弱った90才の母の面倒をみていてくれる。大阪に住む末弟が再婚した 若い細君と共に着ていた。仲が良さそうなので大慶である。昼食の後、皆で近くに住む妹の家を訪ねた後、墓参に行った。
14:30 皆に別れを告げ、亡母の実家へ行った。村でただ1人の専業農家となった従兄弟に会った。2人の息子が いるのだけど、農業を継ぐものはいないらしい。「農業では生活が成り立たなくなった」と残念そうに語っていた。 日本の農業はどうなっていくのだろう???
15:30 亡母の墓前に、奈良から持って行った花を立て、経を読んだ後、この日の宿泊地、榊原温泉に向かった。 心配した渋滞もなく、18:00この日の朝予約した榊原温泉のホテルに着いた。私にとって、このホテルは4回目の 宿泊である。第一に温泉の湯が良い。第二に料理の質が良く量が適量。・・・とゆう訳で、私のお気に入りの宿で ある。
1月3日 大満足で10:30チェックアウト。12:00奈良の自宅に帰着した。


2016.1.1

2016年元旦

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

私は今年9月に75才になります。御蔭さまで、今のところ何の薬も飲まず健康に過ごさせていただいております。 週3回ほどテニス、週1回乗馬、定年退職後はじめたピアノも一向上達しませんが楽しく続けています。 でも、夫婦共々、歳を取ってきたなと痛感するこの頃であります。全ての人が、幸せに暮らせる世の中を 祈念しております。

正月のお雑煮を食べた後、愚妻と長女の長男は東京へと出かけて行った。私は1人で美味しい玉露を いただいた後、初詣に出かけていった。快晴で暖かい日である。まず、氏神の漢国神社に参拝し、 興福寺南円堂、春日大社、手向山神社を参拝し、東大寺法華堂前の絵馬堂茶屋できつねうどんを食べた。 その後、二月堂、大仏殿に参拝し、戒壇院前、焼門を通って家に帰着した。

右の写真の掛図は鈴木百年筆の"高山流水図"、典型的な山水画である。鈴木百年は京都画壇鈴木派の開祖であり、 鈴木松年(上村松園の息子松篁の父)は長男。花器は東大寺大仏殿の古材。生け花はHK流。