218 2014-11-1更新

やっぱり京都っ

index218

 

 旧奈良街道を歩いた。
考古学倶楽部のメンバーと旧奈良街道を奈良・橋本町から京都三条まで四回に分けて歩く会に参加している。何時もはメンバーと共に、この旧街道沿の古跡や旧跡、墳墓などの見どころの説明を受けながら後を着いて歩いている。故あって今回は一人で事前にもらった京阪・黒染駅から三条駅までの地図を片手に、見どころを見つけるのに右往左往して歩いた。
 常々思っていることがある。テレビのニュースや旅番組で放映されるのは京都の行事や景色が多く、奈良の観光は京都には負けているという事である。奈良から京都そして関東へと都が移ったが、京都にはその後も街には人が住み続け産業や文化が絶え間なく継続的に維持された。ところが奈良においては平城京が京都へ遷都されると、産業も技術も人と共に平安京へと移ってしまった。その意味では京都の煌びやかな産業、文化、技法は奈良が基礎となって栄えたと言えたと云える。

 そんなこんなを考えながら青空の中にある東福寺の黒いシルエットの三門を見ると、東大寺の南大門とは異なる重厚さを感じた。また伏見稲荷神社ベンガラ塗の千本鳥居前では外国からの多くの観光客に圧倒された。
 七条を過ぎたあたりからの街道沿いには畳店、器具修理、京友禅、すだれ店等の看板が目立ち始めた。それも立派な店構えで看板も生き生きとしている。行き来する外国からの観光客も多く見かけ奈良町では味わえない雰囲気「京都」の旧街道を感じた。
 「人はなぜそこに集まるのか」をもっと考えなければ「観光都市・奈良」にはなれない。
 墨染駅東側の直違(すじちがい)橋通り(大和街道)を真っ直ぐ北に向かって歩けば直線距離で7`余りを1時間半で三条駅に着くのだが、今日、11キロを5時間掛かっての一人旅となった。


《河童》の旅メモ

KCNホームページ

NIPPON−Net ホームページ(地方自冶体)

写真家・佐藤尚のブログ

 海野和男のデジタル昆虫記(昆虫写真家)

リビングインケアンズ オーストラリア・ケアンズ情報)

無線日記 JA3APU

大和の祭り日記


《河童》の覗いたファインダー since1996/10