224 2015-5-1更新

ちょんまげ

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 源氏物語の屏風絵に「ちょんまげ」、そんな「あほなっ」。
源氏物語は平安時代。その物語図の中に「ちょうんまげ」を結った人物像が描かれている。それはあり得ないことだが、それは江戸時代の絵師の遊び心と言うか、洒落っ気なのか。
「絵」には全く縁のない人生を送って来たが、「ちょんまげ」の解説に引かれ、「桃山時代の狩野派・永徳の後継者たち」を観に京都博物館まで出かけてみた。
「桃山画壇の巨匠、狩野永徳(1543〜90)亡き後、豊臣から徳川へと天下の覇権が移る激動の時代を生き抜いた絵師たちの活躍ぶり…。永徳の後継者」展である。障壁画は狩野永徳によって新しい画法が創造された。永徳は足利将軍家の御用絵師として、漢画の技法と伝統的大和絵の技法を折衷した新しい画法を創造した。信長、秀吉、家康ら時の権力者に巧みに取り入りこれらの障壁画のほとんどを狩野永徳とその一門で描いている。
以上は「絵師・狩野」についての勉強である。

 秀吉の七回忌祭礼を描いた「豊国祭礼図屏風」には、町おこしなどで話題の「ゆるきゃら」のコスプレが筍の被り物をかぶった「筍マン」が描かれていたり、またうららかな春、花見をし歌い踊る人々の図「花下群舞図屏風」では、今まさに槍と刀で切り合う場面で、後ろの幔幕に笑っているような目が描かれておりウイットに富んだ絵師の遊び心があちこちに多くある。
 これらは解説があって初めて楽しむことが出来、また単眼鏡等で拡大して見てそれらがわかる。専門的なことは分からないが屏風絵、襖絵は当時の風物などが描かれている、現代の「写真」であるが、絵師はそれに遊び心を隠して描いていたのだった。
絵師・狩野を調べていると、伊藤若冲(1716〜1800)と言う絵師が9_角のマス目を線引きしその1升1マスに色付けてモザイクアートとして描いていた。「鳥獣花木図屏風」は168cm×374cmに何と8万6千個の升目が引かれている。これは世界で初めて描かれたデジタル絵画かもしれない。ゴッホもマチスも浮世絵を参考にしていたという話も聞く。
昔から日本人は素晴らしい技能を持っていたのだ。

 


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