227 2015-8-1更新

平成の企業トップ

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 最近の経済界ニュースとして「東芝」の歴代トップ3代による粉飾決算が話題になった。株式会社東芝はからくり人形や和時計などを開発、後に白熱球から重電の東京芝浦電気となり、日本を代表する大手電機総合メーカーになった。その歴史ある大手メーカーのトップが赤字の黒字偽装のため「三日で120億円の利益を作れ」「死に物狂いでやれ」と命じたという。社員を信用しているのか、バカにしているのか。また子供が駄々をこねているのか分からないような要求。
 このニュースを読んだときおもいだしたのが、近畿日本鉄道・奈良線の旧生駒トンネルである。近鉄・石切駅北口からすぐのところに「近鉄鷲尾開閉所」がある。鷲尾開閉所の北側には、かつては線路が引かれていた道床がコンクリート道となり、旧生駒トンネル入口まで続いている。トンネル手前には昭和39(1964)年7月に新生駒トンネルの開通により廃駅となったが、多くの人たちが昇り降りした階段とプラットホームが上下線共に残っている。「孔舎衛阪(くさえざか)駅」である。
 この駅は大正3(1914)年に「日下駅(くさかえき)」として開業し、大正7(1918)年に鷲尾駅となった。しかし、わけあって昭和15(1940)年に日本書紀の神武東征伝説で、神武天皇が生駒山の豪族・長髄彦(ながすねひこ)と戦った峠・
「孔舎衛坂」が近くにあった。(現・2キロぐらい北側に「孔舎衛」が残る)

それを理由に再度改称され「孔舎衛坂駅」となった。日本初の標準複線の旧生駒トンネルには当時の大阪電気鉄道と宝山寺との「持ちつ持たれつ」の話がある。計画当初の見積が大きく膨れ上がったため、当時の大軌社長の岩下清周は、私財を叩いて建設を続行させたという。その後トンネルは開通したが、続く工事費の支払や利用客の利用不振で社員の給料はおろか、切符の印刷代にも事欠くという経営危機。当時の実質的な創業者となる金森又一郎は「切符を担保に宝山寺の賽銭を借りに行く」と言う奇策に出る。大阪から宝山寺参りをし、参道わきの旅館・料亭を利用してもらうという現代の「パック旅行」である。
 建設を請け負った大林組も大軌からの支払いが滞り経営不振に落ちるが、手抜きをせず最高の資材を使って工事を進め、検査に来た管理局員がその質の高さに驚いたというエピソードが残っている。
 東芝だけではない。東洋ゴム工業は耐震ゴムの性能偽装を知りながら販売を続けた。
会社が経営危機に陥った時こそ、経営者の資質が問われる。
団塊世代と云われる平成の企業トップはどうしたのだろうか。

 


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