252 2018-5-1更新

地元で旧街道を発見

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 富雄川は奈良市西部を南北に走る「矢田丘陵」と「西の京丘陵」に挟まれた谷底を流れる。
北は奈良県生駒市高山町にある「くろんど池」から溢れ出た水が、南に向かって約22`離れた大和川まで流れている。
この富雄川との出会いは、先の大戦の影響で親の意思で「清滝街道(現・国道163号線)」の峠を超え、この地に移って70年余りになる。時間を持て余す日々の今、この富雄川が面白くなった。
 上流では古事記、日本書紀にかかわる話があり、中ほどには全国で最大の「円墳」があり、流域には城跡も二か所ある。それらを明治41年測量、明治44年大日本帝国測量部発行の地図に現在の地図を重ね、それを片手に北から南へ探索をしている。

 残念なことは、ここ奈良市西北部は昭和30年代から大阪のベットタウンとして、経済発展と共に宅地開発が行われ、山は削られ田圃には家が建った。それに伴いかつて集落の中にあった生活道路が変ってしまっている。しかし明治の地図と現代の地図を重ね合わせることで、国道163号線・生駒市高山大橋から富雄川を南に下り「月見橋」を東へ向け、東大寺に至る「一条街道」が明治の地図上、また現在の地図上に於いても約2.2`確認が出来たので歩いてみた。
 明治12年から昭和8年までの54年間に渡ってあった二名小学校跡の石碑があったり、地蔵堂、地蔵山があったりして、旧街道に間違いはないと思われるが、道路左右にはマンションが林立し、旧街道の雰囲気は全くなく、ちょっと残念旧街道歩きだった。


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