平群里山クラブ

              第2回 くわこ

秦の始皇帝といえば、何かと話題の多い人物。万里の長城、美女三千人を集めた阿呆宮、数千もの等身大の兵馬俑、不老不死霊薬の探索、どれひとつとってもたいへんな事業である。その一端を京都市美術館が展示したので見学した。焼却するのに三日三晩かかったという阿呆宮、ひとりひとりをコピーしたといわれる兵士俑、それを収めた広大な始皇帝稜、「なるほどなあ」と感嘆したのは、まあ、あたりまえの反応か。

それもさることながら、片隅に展示されていたSilkwormが、ムシ屋として興味深かった。体長6センチくらい、金メッキされており、まさに「イモムシ」。紀元前200年から100年くらい、といいかげんなラベルがつけてあった。始皇帝は紀元前210年に死亡しているので、次の漢帝国、つまり劉邦らの後宮の装飾品として作られたのだろうか。ところで、あのイモムシは何の幼虫だろうか、と後になって気になりだした。

絹の生産は紀元前3000年には始まっており、前漢時代(紀元前200年ころ)には養蚕業として確立され、シルクロードを通して、世界中に輸出された、とある。そのころは、野生蛾の繭から絹糸をとっていたらしい。代表的な品種としてヤママユガ、ウスタビガ、そし成虫写真6てクワコ (Bombyx mandarina) が知られる。特に、何千年にもわたって累代飼育され、ヒトの手がないと生存できない程に退化(?)してしまったクワコはカイコ (Bombyx mori) と呼ばれる。一繭あたり、野生蛾では500メートル程度の絹糸がとれるが、カイコでは1500メートルにもなるという。クラシックバイオテクノロジーの成果だろうが、ムシにとってよかったかどうか。

それはともかく、漢時代に装飾用に作成されたイモムシの正体はどうやら、クワコと思われた。とすれば、織物としては高級品であった絹の「素」を、後宮の美女三千人は、案外、承知しており、感謝、愛玩していたのかもしれない。

芋虫、毛虫、ごきぶりなどは現代人の嫌悪するムシの代表で、これは男女に共通している。めったに害は与えないので、気分に過ぎないのだが。だからムシ屋としは、ゴキブリ一匹で椅子に上がって震える男よりは、2000年前の中国美人のほうに近親間を抱くのである。


ウスタビガは、秋になるとカチカチ山にも出現する大型の蛾である。繭は緑色で、長い柄でクヌギやコナラの小枝にぶらさがっており、カマスに似ているのでヤマカマスなどとも呼ばれる。冬には目立つ。

                          (佐野 浩)
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