第5回 ものまね 「菩提樹」という歌曲がある。「泉に沿いて、繁る菩提樹」とかなんとか、音楽の時間に歌わされた方も多いと思う。何気なく歌うのだが、訳詩は原詩とはずいぶん違い、ほとんど誤訳に近い。 そもそも「泉」からして元はBrunnenであり、ヨーロッパの街や村の広場で見かける「噴水」を指す。菩提樹はLindenbaumで、これも植物学的には間違い。ヨーロッパで 見られるのは「シナノキ」である。北日本にも自生する北方系の樹木で、熱帯産の「ボダイジュ」とはまったくの別種。だから冒頭を正確に訳せば「噴水の傍にシナの木が一本立っていた」となるのだが、これでは歌になりそうにない。もっとも原詩そのものが三文詩人の感傷的な駄作らしく、シューベルトの旋律がなければとっくに忘れ去られていただろう、と言われる。 そのシナノキが街路樹としてストックホルム中に植栽されている。樹高20メートル以上にも達し、6月下旬には一斉に開花する。馥郁としたその香りはヨーロッパ人の心の故郷という。ミツバチも好んで訪花し、薫り高い蜜を生産する。さまざまなハチ、アブなど小昆虫も集まるので観察スポットとして貴重である。 とはいえ、北欧の昆虫相は乏しい。5月と6月は晴天の日が続き、1年中で一番よい季節、と誰もがいうのだが、ムシは少ない。観察できたチョウを挙げると、クジャクチョウ、アカタテハ、クモマツマキチョウ、モンシロチョウ、ヤマキチョウ、ルリシジミ、アカシジミ、コツバメくらい。ストックホルム近郊を2ヶ月歩いても、かちかち山の1日分にも満たない。 「なんにもいないじゃないか」とあくびをしたら「ちょっと待ちな」とシナノキがざわめいた。足元におおきなスズメバチ! と思ったら蛾だった。Hornet clearwing(スズメバチ的スカシバ)といい、まさにスズメバチにしか見えない。学名はSesia apiformis、典型的な擬態で自己防御を図る。幼虫は樹木を掘削し、果樹園の大害虫という。それにしても、かくも見事な「ものまね」がどのように進化したか、改めて不思議に思う。ついでながら、同じデザインでもスズメバチは駄種(?)だけれど、スズメスカシバは奇種かつ珍種にみえる。私たちの美意識など、かなりいいかげんである。 * スカシバの類なら、かちかち山にも多い。クチナシを丸坊主にされてくやしい思いをするが、犯人はオオスカシバである。ホウジャクの仲間も夕方、にぎやかに飛んでくる。空中に静止し、吸蜜する姿はハチドリに似る。 (佐野 浩) 戻る |
|