第3回 平成21年3月19日から31日まで 出発時のリュックの重さ 7.3kg
大阪発の夜行バスで、宿毛駅に朝8時前に着く。どんよりと曇った空、身支度をして出発、5分も経たないうちに雨が降り始め、すぐに本降りになった。コンビニの軒下を借り合羽を着て再スタート。 県境の峠越えをして3時頃40番札所観自在寺に着く。この寺には平城天皇の遺髪塚が有る、山号は平城山。宿坊に、ずぶ濡れで入ったが、いやな顔一つせずタオルを数枚出してくれたのが嬉しかった。
きのうの雨で濡れた靴をリュックにぶら下げてゴムぞうりを履いて歩く。マメが出来た時、履くつもりで持ってきた ぞうりが思わぬところで役に立った。10km程歩いて柏坂峠にさしかかったので生乾きの靴に履き替える。
松尾トンネルを抜け宇和島市へ、予定より早く着いたので宇和島城に立ち寄る。桜が満開。天守閣は創建当時のままとか。
雨が降っているので合羽を着てスタート、歯長峠の頂上には狭いトンネルがあった。歩道は、白線だけで区切っている。暗いトンネルの中央あたりまで来た時、前後から車が入ってきて前方の車が壁ギリギリに寄ってくる。ブルーの雨具を着ている私に気がつかないようだ、慌てて白い帽子を振り回したらやっと止まった。目立たない服装で歩いた私が悪かったので猛省した。 4時、十夜ヶ橋(トヨガバシとトヤガバシの2通りの読み方があるようだ)に着く。今夜は、ここの通夜堂にお世話になる。近くのコインランドリーには、靴乾燥機があったので助かった。
十夜ヶ橋は国道56号線に架かっている、橋の下には弘法大師の寝姿の像がある。 伝説によると”弘法大師がこの地に差しかかったとき夕暮れになり宿を乞うたが誰も泊めてくれる人がなく、やむなく橋の下で一夜を明かしたが寒くて一夜が十夜にも感じ、この名がついた”とか。 内子町に入り内子座を横目に見ながら古い町並みを通り過ぎると大瀬と云うところに出た。ここには大江健三郎の生家があると聞いていたが見落としてしまった。
ひわた峠に向かう山の中の宿を出発、食堂が無いので昼飯抜きで歩く 。 45番岩屋寺へは、八丁坂を登って寺の裏から入った。この寺は、石鎚山の中腹の断崖にへばり付くように建っている。昭和2年に建てられたもので以前はもっと小さかったと聞いた。帰りは正面階段から300m位下って道路に出た。
45番近くの国民宿舎を出発、食堂を探して歩くがきょうも無い、三坂峠のよろずやの店先に野菜が置いてあったので、バナナは有りますかと聞いたが無い。近くに食堂も無いとの返事、替わりに芋タルトを接待してくれたので有り難く頂戴した。 きょうは、道後温泉まで順調に歩いたが、近くの51番札所へ着いたのは6時近くになっていたので参拝は明日にして”坊ちゃん湯”でゆっくり身体を休めた。
51番石手寺には、”落書き堂”が有る。夏目漱石や正岡子規の落書きも有った、と言う事だが今は無い、真実は不明だ。 53番札所を過ぎると左手に瀬戸内海が見えた。愛媛県に入って海を見るのは久しぶりだ、大きく広がった景色を見ると気持ちも大きくなる。
瓦の町、菊間町を出発、58番仙遊寺まで歩く。宿坊の風呂は温泉で、ここでもゆっくりと身体を休めた。
6時から朝のお勤め、息子さんの声量豊かな声明が堂内に響き渡る、奥様の太鼓も見事だ。 59番国分寺に参拝、国分寺と云う名のお寺は4つある。この寺と徳島県、高知県、香川県に1つずつ。 60番は石鎚山の北側の中腹で、近くに宿が無いので距離は短いが61番の近くに泊まることにした。(59番からは61番がいちばん近い)
60番への道も”遍路ころがし”と言われているだけあって厳しい、特に、下りは、石に乗って転ばないよう足元を確かめながら降りた。 61番香園寺はコンクリート製で箱型の大きな寺、62番宝寿寺は61番とは対照的で、こじんまりとした古風の寺、古い桜の木が歴史を物語っているような感じがした。 きょうの宿は62番の傍に取ったが時間が余ったので1.5km先の63番まで参拝
出発してまもなく右手に石鎚神社があった。寺巡りの途中で神社に行くのはどうかと思ったが、日本の神仏は融通無碍だとも言われているので迷わず参拝。 大きな神社で、ご神体は石鎚山とのこと。石鎚山の昔の鎖場の鎖を階段に張っていたが、あまりの大きさに思わずシャッターを押した。 ※石鎚山は標高1982メートルで西日本一の高峰、日本百名山の一つに数えられている。
65番へ向かう道は、持っている地図が古いのか新しい道が沢山出来ていて何回か迷った。それでも11時過ぎには着いた。今回の旅は、きょうで打ち止め、近くの川之江ICまで歩き高速バスで帰宅した。