2009年
 11月例会のご報告


志摩 鳥羽城・田城・磯部陣屋

開催日 11月8日(日) バスツアー
参加者 24人参加
案内講師 藤林明芳・栢木 隆氏
担当幹事 尾原隆男氏

(鳥羽城石垣)
(田城全景)
(磯部陣屋土塀)

 好天に恵まれて出発。 伊勢西ICで案内講師と合流して鳥羽城に向かう。 はじめに、最近発掘された相橋橋台の石垣を見学する。 城内側に出張り石垣が残り、かつて矢倉門があった。

 堀跡の道を通り、横町口門跡から城内に入る。 石垣の左側に土塀がある。 一部は当時の武家屋敷のものだといわれている。

 城山公園で昼食。 その前に、土地の名士から廃城時の逸話などの話を聞く。 講師の解説とともに大変参考になった。 九鬼氏の帆船・日本丸の帆柱の材が置かれており、近日、帆を復元するイベントが開催されるとのこと。

 食後、北の門跡・月見櫓跡・天守跡をめぐる。 天守の跡はないが、痕跡は残る。 九鬼氏の時代には天守はなく、海側に大手門がある特異な城である。 城主は、九鬼嘉隆が関ヶ原後自決し、子の守隆が五万五千石の大名となる。

 守隆の死後、寛永10年(1633)家督争いが起こり、幕府の裁定により、久隆が摂津三田へ、隆季が丹波綾部に移され、九鬼水軍はここに消える。 あとに入った内藤氏は城を修築し、御殿・三層の天守などが建てられた。

 田城に向かう。 小丘が城跡とされているが、面影は全くない。 案内板によると堀と広い城域であったと書かれている。 廃城後、社が建てられ、九鬼氏の嫡流・澄隆が供養されている。

 磯部陣屋跡は、現在、天理協会となっており、当時の土塀が残る。 幕末、攘夷・海防の急をつげる頃、伊雑宮防衛のために陣屋と砲台が築かれた。 今、大砲を据えた場所は不明である。 

磯部からの帰路は、緑のトンネルのような伊勢道路を通り爽快なドライブであった。
(報告 尾原隆男氏)




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