| 2009年 11月例会のご報告 |
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| 志摩 鳥羽城・田城・磯部陣屋 | ||||||||||||||
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好天に恵まれて出発。 伊勢西ICで案内講師と合流して鳥羽城に向かう。 はじめに、最近発掘された相橋橋台の石垣を見学する。 城内側に出張り石垣が残り、かつて矢倉門があった。 堀跡の道を通り、横町口門跡から城内に入る。 石垣の左側に土塀がある。 一部は当時の武家屋敷のものだといわれている。 城山公園で昼食。 その前に、土地の名士から廃城時の逸話などの話を聞く。 講師の解説とともに大変参考になった。 九鬼氏の帆船・日本丸の帆柱の材が置かれており、近日、帆を復元するイベントが開催されるとのこと。 食後、北の門跡・月見櫓跡・天守跡をめぐる。 天守の跡はないが、痕跡は残る。 九鬼氏の時代には天守はなく、海側に大手門がある特異な城である。 城主は、九鬼嘉隆が関ヶ原後自決し、子の守隆が五万五千石の大名となる。 守隆の死後、寛永10年(1633)家督争いが起こり、幕府の裁定により、久隆が摂津三田へ、隆季が丹波綾部に移され、九鬼水軍はここに消える。 あとに入った内藤氏は城を修築し、御殿・三層の天守などが建てられた。 田城に向かう。 小丘が城跡とされているが、面影は全くない。 案内板によると堀と広い城域であったと書かれている。 廃城後、社が建てられ、九鬼氏の嫡流・澄隆が供養されている。 磯部陣屋跡は、現在、天理協会となっており、当時の土塀が残る。 幕末、攘夷・海防の急をつげる頃、伊雑宮防衛のために陣屋と砲台が築かれた。 今、大砲を据えた場所は不明である。 磯部からの帰路は、緑のトンネルのような伊勢道路を通り爽快なドライブであった。 (報告 尾原隆男氏) |
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