| 2010年 5月例会のご報告 |
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| 近江 安土城 | ||||||||||||
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GW後最初の日曜日、JR安土駅前に集合する。 講師は、20年計画で進められた「安土城跡調査整備事業」に深く関わってこられた松下氏である。 まず、安土宗論で有名な浄厳院へ。 山門が往時の色彩に復されて美しい。 この寺も、ハ見寺同様、信長の命により他の寺社から建物が移築されてできた、との説明を聞く。 景道道・下街道(朝鮮人街道)を通り、築城前に信長が逗留したという常楽寺港へ向かう。 松下氏によると、当時常楽寺という寺は存在せず、過去に寺があって地名となった、とのこと。 では、信長は築城前どこに逗留したのか? この港近くに安土城普請奉行であった木村次郎左 衛門尉の木村城跡がある。 もしかしたら、ここで信長は築城プランを練っていたのかも? この周辺にはたくさんの水路が巡らされ、信長が茶の湯で喫した名水・梅の木もある。 お城に次いで立派だったという安土セミナリオ跡は、現在、入り江のある小公園となっているが、周辺の発掘では何もでなかったとのこと。 近くに「主の御座」と呼ばれる場所があり、セミナリオはここにあったと比定する説もある。 お城同様、セミナリオも謎である。 歩き始めて約2時間、お城の大手門広場に到着。 ここで昼食をとり、いよいよ城内へ。 発掘調査前期の大成果であるほぼ直線部分180mの大手道。 石仏や墓石が使われた理由は諸説あるが、城の石段として最も適していたのでは、とのこと。 伝二ノ丸跡に建つ信長廟に詣でた後、本丸へ。 信長が天皇の行幸を計画したといわれる御殿跡があり、今回の発掘調査では、秀吉が建てた京都の清涼殿と同じ構造であると発表され、話題となった。 快晴のおかげで、天主跡からの眺望は絶景である。 参加者は、それぞれの想いで眺めを楽しまれていた。 私は、天正9年7月15日に行われた孟蘭盆の行事を想った。 信長は、天主やハ見寺に色とりどりに提灯を灯し、江には篝火を点けた舟を浮かべた。 ライトアップとイルミネーションである。 一説に、この行事は安土だけでなく、東は秀吉の長浜城、西は光秀の坂本城でも行われたという。 対岸にある信澄の大溝城も参加したであろう。 琵琶湖を使った大イベントだったのである。 秀吉なら。信長に見えるように竹生島にも舟を出しライトアップさせたに違いない・・・。 そんな幻想の風景を想いながら、ハ見寺跡に向かった。 ここも発掘が行われ、庫裏や書院の跡が出土した。 昔から建つ仁王門と三重塔だけが安土城を知っている。 感慨深く見た後、伝秀吉邸跡に向かう。 左斜面にたくさんの巨石が見え、石材は豊富だったのかな、と思った。 大手道を下り木戸を出て、後期発掘の成果である4つの大手門虎口を見学。 大手門本体は、良好な遺構が出土せず、規模・構造は不明との説明でした。 さらに西に向かい、もう一つの虎口を見た後、駅に向かいました。 途中、”また発掘できるとしたら、何処を掘りたいですか?”と尋ねると、少し間を空けて”八角平”との返事が返ってきました。 そう、まだ安土城は全容が解明された訳ではなく、依然として幻の城なのです。 だかこそ、何回訪れても飽きることがなく、多くのファンが魅了し続けているのですね。 軽い日焼けを感じながら、JRで帰路についた。 報告 栢木 隆 |
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