2012年
 10月例会のご報告


近江 多喜山城・三雲城・丸岡城・東丸岡城

開催日 2012年10月14日(日)
参加者 19人
案内講師
担当幹事 川端義憲・森田又一

(多喜山城からの眺望)
(三雲城桝形の石垣)
(三雲城の石垣)
(丸岡城の空堀)

 天気に恵まれて楽しい見学になった。 欲を言えば、もう少し参加者が多ければよかったのですが。

 最初の見学は、元気な内にと高い山(比高107m)の多喜山城を目指す。 石段が整備されており登りやすい。 多喜山城は、元亀騒乱に際し織田方が築いたと云われている。 主郭からの眺望もよく、北に湖南平野に抜ける野洲川流域が望める境目の城であり、対六角氏戦略を意識した城である。 東西の虎口・櫓台・土塁がこの城の見どころである。

 二番目は三雲城。 六角氏の城郭政策・支城制自体に組み入れられた城郭で、元亀騒乱の時、六角氏の主力として戦った城である。

 見どころの石垣の大きさには驚かされる。 大坂城の石に比べても見劣りしない大きさである。 主郭北側の大きな斜面の頂上付近にも大きな石垣があり、よく見られるようにと何本かの木が渡し掛けられていた。

 主郭東側虎口の石は、特に注目を集めた見事なものである。 主郭が最高所の位置ではないのも特徴である。 最高所は巨石があるところで櫓台のようである。 最高所から南西に1つの郭があり、尾根上に4箇所ほど堀切らしき跡が見て取れた。

 主郭東方には麓からも見える八丈岩と、その近くにある六角氏の掃部が彫られた巨石がある。 見どころの一つであり、刻印にチョークを入れ写真に収めた。

 3番目は、丸岡城。 こちらも元亀騒乱時の六角氏側の城である。 堅土塁・土塁・堀・土橋の残る城で、石垣はない。 西側の土塁は辛うじて破壊から免れている。 教育委員会からでもストップがかかったのではないかと思える。 しかし、徐々に崩落していくかと思う。 見学できるような整備はされておらず、案内板も無い。

 4番目は、丸岡城の東、谷を挟み直ぐ隣に位置する東丸岡城で、土塁・土橋・堀・馬出が残る。 ここも整備されておらず案内板も無い。 雑木林の中で蜘蛛の巣を払いながらの見学である。 城の北側は土が取られ破壊が進んでいる。 これ以上の破壊が無いことを祈る。

 今回は、元亀騒乱に関わった野洲川左岸の4城を見ましたが、機会があれば野洲川右岸の城も見たいと思っています。

 参加された皆様方の協力により、一人のけが人もなく無事に終わったことにお礼申し上げます。 有り難うございました。

報告: 森田又一



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