南アフリカ留学

                               一条高等学校  浅井 むつみ

 私は以前2ケ月の短期留学を経験しました。しかし、今回さらに一年間の留学に応募し、南アフリカ共和国に派遣されることになりました。応募から出発までは不安というよりも、期待と興奮の気持でいっぱいでした。
 到着2日後は学校の始業式で、一目でさまざまな人種の生徒が混ざった学校だと解る雰囲気と、その生徒からの刺さるような視線を身体中に感じました。最初慣れるまでの間は同級生の子の時間割に一緒に参加させてもらって、校舎の造りや授業の流れなどを覚える努力をしました。やはり自己責任制が強い南アフリカでは道に迷ったりして、困っていても自分から声をかけて尋ねない限りは誰も助けてくれません。先生の顔と名前を一致させることにも時間がかかりました。先生達は優しかったけれど日本のように「留学生だから…」という甘えは一切なく、生徒の一員として私を扱ってくれました。最初のうちは「私は留学生なのに…」という風に考えてしまい、「自分自身に甘さがあったな」と気づき反省しました。
学校が始まって一週間後には、自分で教科選択もして、時間割も持つようになりました。最初は「日本語でなら解るのに」という悔しさで辞書をにらみながらノートの書き写しや先生の説明を聞いていました。毎日午後一時半には学校が終わるので、放課後友達にノートを借り授業に追いつく努力もしました。出発前は留学経験のある先輩達が「到着して2〜3ケ月の間はホームシックになってつらい」と全員が口をそろえて言っていたけれど、私は学校の授業、宿題、そして友達作りにとても忙しく、ホームシックになる時間もありませんでした。
私は学校行事にも頻繁に参加しました。美術をとっている生徒達の腕の見せ所であるファッションショーにモデルとして参加したり、ビューテイーコンテストに参加して賞をもらったりと、日本の学校生活ではなかなかできない体験をすることができました。学校行事以外でも国立公園で野生動物を見たりナミビアという国にたくさんの留学生と旅行をしたり、忘れる事のできない大切な思い出をたくさんつくることができました。
昔アパルトヘイトという人種差別が法律で決められていて、今となって「差別」は「区別」と化し、家でも黒人のメイドが普通に居るような環境で一年間過ごし、色んな事に対する私の目も大きく変化しました。日本人にはその「差別」と「区別」の差が解りにくいかもしれないけれど、実際に暮らしてみると学校で友達になった黒人とストリートチルドレンの黒人達との違いは身体が勝手に覚えていきました。発展途上国の南アフリカでは、路上で子ども達が物乞いをしていたり、町の外には延々と続くタウンシップ(トタン板で作られた小さな住居が建ち並ぶ黒人住区域)があったりと、何度見ても身体が慣れる事はなく悲しくなるばかりでした。そんな中で学校にも行く事ができて、たくさんの友達を作って留学生として一年間勉強できるという事に改めて感謝をしました。
私は南アフリカにいる間、現地の生活や風習に慣れようと努力したけれど、やはり一番大切なのは日本人の心を忘れないことだと思い続けていました。英語を話していて自己主張ができるようになっても、日本人に特有の「謙虚さ」や「尊敬の心」を忘れず大事にすることで相手を敬うという気持ちは忘れないようにしました。どこの国に行っても、「親しい中にも礼儀あり」という考えは必要だと思います。この留学で、自分自身の立場や考えを再確認し、外からの目で日本を見て好きになることができたし、やはり「日本人でよかった」と思えるようにもなりました。現地の文化や言語を吸収するだけでなく、自分自身の国民性を再発見し好きになることも、この留学の一つの意味だと思いました。
今まで出会った留学生達は、ホストファミリーや友達とどこか有名な場所などへ観光できる事ばかりを大切に考えがちだけど、私は私自身を家族の一員として受け入れてくれること、そして幅広くいろんな話をすることを、一番大切にしていました。昔から憧れだった英語も流暢に話せるようになり、現地のアフリカーンスというオランダ語の混じった言葉も理解できるようになり、この留学を通して成長できたと自信をもって言えます。
この度、二度も留学の機会を与えてくださった学校と先生方、常に応援してくれた両親、そして私を家族の一員として受け入れてくれたホストファミリーの方々、南アフリカの高校の方々に心から感謝の気持ちで一杯です。今まで学んだことをさまざまな事への術とし、私の人生の中でこの留学を次のステップに生かせられるようにしていきたいと思います。