その2    海外から丸太の輸入


雑誌やネットで調べると丸太は日本国内より外国の方がかなり安く、カナダのバンクーバーのKENWESTという斡旋業者と半年間に亘り頻繁にメールのやり取 りを行い、ほぼ自分の希望通りの条件で契約することができた。他にもいくつかの業者に当たってみたが、価格は大した違いがなく、決め手となったのは担当 者から伝わる誠意と人柄であった。 
  業者を通さず個人で大量の材木を発注し輸入するというのは初めての経験で不安もあったが、相手業者の日本人担 当者と何度もメールでやり取りし、乙仲 と いう輸入代行業者に依頼することで、面倒な通関手続きから建築現場への輸送まで案外簡単に運んだ。ただし、輸入関税や業者の手数料、運搬費などを加えると 結 局国内で調達するのとあまり大差ない出費になった。

      

 5月末の早朝、名古屋港から白馬村の現場に、丸太100本近くとその他の部材を載せた20トン積み大型ユニック ( クレーン付きのトラック)が到着した。国道か ら現場の堀田までの幅4mの曲がりくねった脇道を路肩すれすれに進む。道路際の空き地に降ろされた丸太やパネルの量は予想以上に大量で、点検も容易ではなかった。何度も図面と比べて丸太7本が足らないのに気付き、すぐにカナダの業社に連絡する。幸い快く認め、発送ミスを謝り、1週間後に不足分が航空便で送られ、成田からトラックで現地に届けられた。海外からの個人輸入の場合、よくこの種のトラブルがあるそうだが、私の場 合は相手の良心的な対応で、着工が少し遅れただけで済んだ。

        

   
   基礎作りから棟上げまで


当初の計画では、建造は業者に頼まず市販のブロックを数段積んで基礎を作り、その上に丸太を一本ずつ積み上げ、屋根以外は一切セルフビルドするつもりであった。ブロックの穴を計算し、図面でアンカーボルトの位置などを指定して部材の加工もしてもらった。しかし、その計画は敷地の整地を始めた段階で諦めざるを得なくなった。軟弱な粘土の地盤に10トン以上の建造物に耐えられる基礎を作るのは到底素人には無理と判断し、現地の業者に依頼した。また1本100キロ近い丸太を一人で持ち上げるのも無理なことが分かり、これも専門業者に頼むことにした。結局自分でやったのは、天井と妻側の壁、床下の断熱板張りと外部壁の防腐剤塗装だけになってしまい、予算もかなりオーバーすることになった。だが築10年経った今、頑丈な鉄筋コンクリートの基礎に、過酷な自然にびくともせず建っている小屋を見て改めて妥当な決断だったと思う。多くのログハウスを手掛けている現地のプロの仕事はさすが手慣れたもので、梅雨入りにもかかわらず、5日ほどで基礎が出来上がり、延べ10日ほどでログ組み立てから屋根葺きまで終わり、あっという間に小屋本体が完成した。ただ最後の100キロを超える丸太の棟上げは、地上10mの高さまでクレーンが届かず人力で行い大変だった. 6月吉日、幼い頃からの付き合いで工事を請け負ってくれた建築事務所社長K君の差し入れで、祝い鯛を供え清酒白馬錦で四隅を清め形ばかりのお祓いをした。
     
            

     内装と仕上げ

 天井と壁、床下の板張りは時間をかけてすべて一人で張った。特に屋根裏の板張りは脚立に跨りバランスを保ちながら、終始仰向きの作業で緊張した。取り付ける板を誤って下に落とす度に下まで拾いに行くという面倒な作業の繰り返しだった。ロフトへ上がる梯子は、いちいち脱着する面倒を避け固定式にし、同時に狭い室内の空間をできるだけ確保するため、ロフトの床の一部を切り取り、壁際に折れ曲がるように作った。暖房設備は壁と床に耐熱レンガを重ねた断熱版を作り、日曜大工店で安い鋳物製の薪ストーブを見つけ備え付けた。商品には有効期限3,4年という説明書がついていたが、10年過ぎた今も異常なく十分働いている。寒い冬の夜、丸太小屋で赤々燃える薪ストーブの炎を見つめていると、石油ストーブでは味わえない郷愁を感ずる。その他唯一の家具として、余材を継ぎ合わせ頑丈なテーブルを作り部屋の真ん中に置き、食事や来客の際に役立っている。  

     
ロフトに上がる梯子階段
 


          
 
完成後しばらく過ごして感じた失敗は、建物の向きと窓の位置である。部屋からの眺望を第一に考え正面を西向きにしたが、当然夏はまともに西日を受けることになったこと。 その逆に設計図の検討の際気付かなかったのは、窓の位置が高すぎ座った状態で外の景色が見られない点などである。

         

                    ロフトの床                                  ロフトの天井

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