BALANCE OF POWER

International Politics as the Ultimate Global Game

Microsoft Press Copyright 1986 Chris Crawford

この本を妻キャシーに捧げる

また、下記の人達の協力を得て執筆された:
ベッツィー、トム、サリー、シェリー、シャーロック、シーバ、ギンガー、ルーシー、バニー、サミー、サーシャ、アンディ、 キィウィ、ヴェルヴェット、フランネル


----------------- もくじ -----------------

イントロダクション ix
1 「バランス・オブ・パワー」と現実世界 1
2 反政府勢力の素晴らしき世界 17
3 クーデター 61
4 フィンランド化 101
5 危機 129
6 含まれていない要素 169
7 「バランス・オブ・パワー」の戦略 193
8 いかにして「バランス・オブ・パワー」は作られたか 211
余録: エキスパートレベルのサンプル 241
参考文献 301

イントロダクション

 私は「バランス・オブ・パワー」の本を執筆したいと考えたことがない。 なぜなら「バランス・オブ・パワー」に関する著述を行うと、戦争に関する諸問題を思い起こさせるからだ。 戦場は悪意に満ちた場所である。 そこで起こった出来事を読者に分かりすく伝える事は、私を恐怖に陥れる。 歴史家は飛び交う弾丸・叫び声・血を、矢印や四角形と共に図示しなければならない。 ゲームの作製に関してもそれは同じであり、過去の歴史家よりもさらに合理的に準備する必要がある。 にも関わらず、このゲームを完成させるに当たり、乱雑な要素を含めてしまった。

 この本を執筆するに当たり、私は三つの指針に留意した。 一つ目の指針は「バランス・オブ・パワー」を購入した人々・プレイした人々、それによって地政学に興味を持った人々への指針である。 これらの人々に対しては、ゲームマニュアルに記載されている以上の、地政学に関する情報を提供するつもりである。 この本によって追加された情報を用いて、よりゲームを楽しんでもらいたい。 ゲーム中の得点も上がる事であろう。 二つ目の指針は、プログラマでない人でもゲームの理論を理解できるように記述するという指針である。 三つ目の指針は、ゲームデザインに興味を持っている人々に対する指針である。 これらの人々のために、補足的な項目やゲームデザインのポイントを示した。

 「バランス・オブ・パワー」をプレイしたことがない読者は、まず第一章を参照すること。 余録としてサンプルゲームも収録した。 そこで多くのスクリーンショットやコメントを見る事ができる。 また、なぜゲームオーバーになったのかという分析も記載されている。

 このゲームにおける主要なテーマを章ごとにまとめた。 それは反政府勢力・クーデター・フィンランド化・危機である。 これらの章はさらに三つのパートに分けられている。 一つ目のパートは章の表題に関する歴史的背景の説明である。 二つ目のパートはゲームで使用されたアルゴリズムに関する記述である。 三つ目のパートにはその他の関連情報が記載されている。

 アルゴリズムを説明するために、一般的ではない方法を用いている。 プログラムリストの掲載部分には、最もシンプルで直接的な手法が施されている。 これによって記述にさらなる価値が与えられる事となった。 しかし、それはまた二つの副作用ももたらした。 一つ目はプログラム言語であるパスカルに精通していない読者が、リストを理解することは難しいと言うことである。 二つ目は全ての読者がコンピュータプログラムの取るに足らない複雑さに骨を折るということである。 私はゲームの背景にあるアイディアについて記述したいのであり、プログラムの詳細について記述したいのではない。

 また文中で表現される方程式について、高校レベルの代数を用いている。 ただしxやyといった短い変数は用いず、代わりに、省略していない正式な変数名を用いている。 例えば直近二年間における平均年収を計算したい場合、伝統的なコンピュータでは次のようにプログラミングする。

AveIncm := (Incm[t-1] + Incm[t]) div 2;

この場合、次のように置き換えて記述している。

           昨年の年収 + 今年の年収
平均年収 = -----------------------
                      2

この記述は、プログラムについてより深く知りたいと希望している人に答えることができない。 しかし、ゲームの背景に存在するコンセプトを知りたいと希望する多くの人達に対しては、答えることができる。

 最後に、私は十分な地政学の知識を持つ読者に謝罪しなければならない。 そういった読者は、ここに記述されたシンプルな内容に面食らうであろう。 ただ、私はゲームデザイナーを最優先の読者層として考慮しており、地政学者は考慮していない。 また、シンプルな表現は私の哲学である。 明快さは混沌とした現実から、本質のみを引き出す事ができる。

「バランス・オブ・パワー」と現実世界

 「バランス・オブ・パワー」は核の時代における地政学ゲームである。 プレイヤーはアメリカ合衆国大統領かソビエト連邦書記長のいずれかを選択する。 プレイヤーの目的は自国の威信を高める事である。 「バランス・オブ・パワー」における威信とは、好感度・世界各国からの尊敬・軍事力と考えて良い。 プレイヤーは多くの友好国を獲得し、敵国を減少させ、かつ弱体化させなければならない。

 地政学による影響は、あらゆる行動に及ぶ。 全世界において、ほとんど全ての国は国内に暴力的な勢力を持つ。 そのような反政府勢力は軍事力を使って政府の転覆を試みる。 クーデターは政府の指導者を政権から引きずり下ろし、新しい指導者を据える。 外交的な圧力は国家を弱体化させ、超大国へ「フィンランド化」させる。 これは超大国に対して従属することにより、超大国からの攻撃を免れようという意思の表れである。

 これらの要素はプレイヤーが選択した国の威信値を上げる可能性がある。 もし敵対的な政府がゲリラと激しい戦闘を繰り広げている場合、プレイヤーは反政府勢力へ武器を供与することができる。 プレイヤーがより冒険的であるならば、「自由の戦士」を援助し、敵対的政府を転覆させるために自国の軍隊を派遣することもできる。 もし反政府勢力が政府勢力を転覆させた場合、新政府はプレイヤーの協力に感謝し、友好的となるであろう。 もしくは、武力で威嚇する事によって小国を自国へフィンランド化させる事もできる。

 もちろん、反対陣営もプレイヤーの友好国へ対して同様の手段を用いてくる。 友好国を守るには、いくつかの手段が存在する。 プレイヤーは友好的政府に対して武器を供与したり、軍隊を派遣することができる。 これらは反政府勢力に対抗する手段として最適である。 国内の不満に対しては経済援助を行う事ができる。 この手段はクーデターの発生を予防する。 反対陣営による策謀は、当該国に対する友好を揺さぶるであろう。 またなんらかの条約を締結している場合は、それを守らなければならない。

 反対陣営に対して、世界のどこであっても、これらの政策を施す事ができる。 しかしながら、プレイヤーの行動には反対陣営の黙認が必要とされる。 反対陣営が自陣営に対して不利益な行動を発見した場合、反対陣営は政策の撤回を要求する。 撤回要求はこのゲームにおける最もドラマティックな出来事を引き起こす。 その出来事とは、危機である。 プレイヤーは反対陣営の要求に対して、二種類の回答を示す事ができる。 一つは反対陣営の要求を受け入れて引き下がり、自らの政策を取り消す事である。 もう一つは反対陣営の要求を拒絶し、危機を次のレベルへエスカレートさせる事である。 拒絶した場合、ボールは反対陣営へ送り返される。 反対陣営は自らの要求を撤回して引き下がるか、自らの要求を貫徹させるため、危機をさらに高いレベルへとエスカレートさせる。 このエスカレートと撤回のプロセスは、一方の陣営が引き下がるか、「デフコン1」と呼ばれる危機に至るまで継続される。 もし危機をエスカレートさせた上で一方の陣営が引き下がった場合、引き下がった超大国は世界各国から失望され、多大な威信値を喪失させる。

 もし両陣営が引き下がらずデフコン1に至った場合、ミサイルが発射されて世界は核の炎に包まれる。 こうなると、両陣営共に敗北である。

 「バランス・オブ・パワー」は判断力が求められるゲームである。 プレイヤーの役割は超大国のリーダーであり、自身のあらゆる行動に対する反対陣営の反応を注意深く探らなければならない。 また政策が世界に与える影響を考慮しなければ、反対陣営は引き下がらないであろう。 それだけでなく、反対陣営による行動が真意なのかブラフ(はったり)なのかも区別しなければならない。

 プレイヤーの判断を手助けするために、「バランス・オブ・パワー」は世界各国に関する多くの情報を提供している。 「スマートマップ」システムは、反政府勢力・国内情勢・外交関係など様々な情報を図示する。 このシステムはザンビアにおけるテレビ普及台数といった、極めて詳細な情報であっても表示することができる。

 このゲームにおける最終結果は、しょせん複雑で困難なゲームの最終結果にすぎない。 極めて詳細な情報は、まるで真実のような印象を与える。 しかし、真実のような印象と現実は大きく異なる。 このゲームが極めて詳細な情報を提供していたとしても、それはダイナミックに変動する地政学を正確に反映していると言えるであろうか?

 その問いに対する完全な回答は、第五章で言及される。 この章においては「バランス・オブ・パワー」における現実性に関する問題について言及したい。 これは序章であり、読者に対して各章を読み進めるための予備知識を提供する。

ゲーム vs シミュレーション

 多くの人々が混乱する最初の根源は、ゲームとシミュレーションを混同している点にある。 ほとんどの人々はこの二つの違いについて明確に追求しない。 したがって言葉の真意はその単語を用いる人々の知力によって定義される事になる。 このため、私が「ゲーム」という言葉の意味する最終的な真意を定義することは不可能である。 しかし、言葉はその有用性を失うほど広い意味を持っている。 言葉のあいまいさが混乱を招く時、私が自らの言葉をより明確に整えたとしても、それは正当であると考える。

 ゲームとシミュレーションは、現実を再現しようと試みる意味では似ている。 しかしこの二つを設計するデザイナーの意図は異なる。 シミュレーションは真実を厳密に再現しようと試みるシステムであり、知性あるエキスパートが再現する主題を見つけて運用する。 またシミュレーションは実物で試すことが難しい主題において、システムが意図した通りに作動するか実験する事によく使われる。 例えば飛行機のデザイナーは、自分の設計が意図したとおりに作動するか、コンピュータシミュレーションを使って実験する。 コンピュータシミュレーションを使うことによって、実物の飛行機を何度も作って壊すより、安いコストで設計できるからである。 核兵器の設計もこれと似ており、シミュレーションを使って核兵器の設計を洗練させていく。 20メガトンの核爆弾を実際に爆発させる都市を見つける事は難しい。 したがって、核兵器の設計者はコンピュータ上でシミュレーション実験を試みるのである。

 また訓練としてもシミュレーションはよく使用される。 1830年代のプロイセン人将校がシミュレーションを軍事訓練として初めて採用した。 将校が大きなテーブル上に軍隊を意味するマーカーを並べ、仮想作戦における陸軍の運用方法について話し合うこの訓練は、 当時嘲笑の対象であった。 しかし1866年にプロイセン軍がオーストリア・ハンガリー軍を叩きつぶし、 1870年にフランス軍を打ち破った事によって、シミュレーションは評価を一変させた。 世界各国は軍事シミュレーションを次々と採用する事になる。 この時、不運にも翻訳による混乱が生じた。 ドイツにおけるこれらのシミュレーションは「Kriegspiel」と呼ばれていた。 これは直訳すると「war-play(戦争劇)」なのだが、英語には「wargame(戦争ゲーム)」と翻訳されてしまう。 「Kriegspiel」という元のドイツ語には軽々しい意味は内包されていないのだが、playという英語には軽々しさが内包している。 ドイツ人はシミュレーションに対して極めて多くの厳密なルールや重点項目を用いて、高い正確性を求めた。 これはplayという言葉とは矛盾する内容である。

 シミュレーションはビジネス分野においても用いられる。 例えば、熱心な経営者はシミュレーションを使う事により、自らの経営判断の手助けとしている。 シミュレーションを使えば異なるマーケティング戦略・手法・リサーチに要する多額の費用・開発費・製造費を試すことができる。 これによってライバル会社よりも優位に立つ事ができる。 またシミュレーションはビジネスにおける複雑な相互関係を明示する事ができ、組織内における共通認識を明確にする。 もし異なる経営者が同じシミュレーションを用いたのならば、組織外においても相互理解のためのよりよい共通認識を得る事ができる。

 全てのケースにおいて、シミュレーションは「詳細な真実」を再現する事が求められる。 もし航空機における翼のシミュレーションが誤っていれば、その航空機は墜落してしまうし、 水素爆弾が発する中性子のシミュレーションが誤っていれば、その核兵器を戦闘で使用する事はできない。 こういった誤りは設計者にとって大変な不名誉となる。 もしビジネスシミュレーションが誤っていれば、それを使用した会社は誤った広告予算をつぎ込む事となり、 会社の存続すら危ぶむ事になる。 全てのケースにおいて、シミュレーションは非常に多岐にわたる項目を詳細かつ正確に予想する事が求められる。 そしてそれを計算するために、膨大な計算量も必要とされる。

 ゲームはシミュレーションとは全く異なる意図を持っている。 ゲームはいわば絵画のシミュレーションであり、それは設計図である。 家の絵は見る者に感情的な印象を与えるが、家の設計図は大工に窓枠の正確な位置を教える。 ゲームはシミュレーションの縮小版・劣化版ではない。 シミュレーションとは異なるので、ゲームは幅広い層を対象とし、膨大な計算量も減少させる。 共通認識や設計図を用いず、思いつきだけで建築された家は、稚拙な建築である。 違いは「ソフトの概念」と「ハードの概念」である。 シミュレーションとゲームは伝えたいものが完全に異なる。 シミュレーションは技術的情報を伝達し、ゲームは芸術的メッセージを伝達する。

ゲームとシミュレーションの違い

 実際の所、シミュレーションとゲームという「情報 vs 芸術」の違いは、様々な理由によりわかりづらい。 例えば、家庭用コンピュータでは安価なフライトシミュレータを入手する事ができる。 そのようなフライトシミュレータであっても、根本的な部分は数百万ドルのプロ用フライトシミュレータと変わりは無い。 コンシューマ向けフライトシミュレータであっても、揚力・高度・速度などを計算しなければならないからだ。 ではプロ用フライトシミュレータとは何が異なるのであろうか。

 その答えは前述した「詳細な真実」である。 シミュレータ上の航空機が高度8,000フィート・仰角30度・速度180ノットで飛行していた場合、 コンシューマ向けフライトシミュレータは精密な揚力計算を行っていない。 揚力計算が近似値であったり、いくらかの省略を行っても、特に問題が無いからである。 対照的に、プロ用フライトシミュレータは精密な揚力計算を行う。 プロ用フライトシミュレータ上で行われる飛行訓練において、正しくないシミュレーションが行われた場合、 パイロットは現実との差異によってミスを犯す。 これにより、多くの乗客の命を危険にさらす事になる。

 これはプロ用フライトシミュレータが多くのメモリを持った巨大でパワフルなコンピュータを必要とすることを意味し、 コンシューマ向けフライトシミュレータは貧弱なパワーの家庭用コンピュータでも実行できる事を意味する。 極めて詳細な内容の正確な計算には、強力なコンピュータ性能を持ってして実施される。 シミュレーションを家庭用コンピュータで実行する場合、いくらかの省略を行わなければならない。

 コンシューマ向けフライトシミュレータは、プロ用フライトシミュレータとは異なる必要性に直面する。 コンシューマ向けフライトシミュレータは、精密な実体でなく幻想を作らなければならない。 そのような幻想を随所にちりばめ、視覚的または感覚的に、現実性に疑いを持つプレイヤーを欺く。 これによってプレイヤーは目の前にあるキーボードやコンピュータを忘れ、航空機を飛行させているような体験を得るが、 それは実物の航空機を飛行させている体験とは異なる。

 この必要性は高い精度を含有し、達成されるものではない。 プレイヤーが航空機を急降下させた場合、航空機は加速する。 加速するが、コンシューマ向けフライトシミュレータをプレイするプレイヤーにとって、正確な加速度は重要ではない。 もっと重要な要素は、コックピットの風切り音であったり、速度を上げた航空機が発するエンジン音である。 従って、ゲームのデザイナーはこのような要素の作製に心血を注ぐ。 一方シミュレーションのデザイナーにとっては、そのような要素は副次的な要素にすぎない。 シミュレーションのデザイナーは、急降下時における正確な加速度を重視する。

 ゲームとシミュレーションにおける他の異なる点は、プレイヤーが対立を求めているか否かである。 現実世界において、対立は様々な社会的抑制によって制御されている。 対立は人間の広範囲な活動において避ける事ができない現実であるが、 人間は対立を回避したり解決させる複雑な関係や物理的な制約を作り上げている。 ビジネスマンは「ライバル企業よりもっと売れ」とやかましく言うが、これは文明的な対立解決方法である。 一方、エンターテインメントはもっとシンプルで直接的な解決方法を渇望する。 それは暴力による解決である。 商業的成功を狙うゲームは対立を強調しなければならず、流血に対する禁忌も振り払わなければならない。 これは全てのゲームが銃による乱射や血が必須であると言うことを意味するものではない。 しかし多くのゲームは明らかにこの対立解決方法を強調しており、かつ、現実世界ではあり得ない解決方法を見せている。

 三番目の相違点は、ゲームの手軽さである。 シミュレーションは、実施前に長時間に及ぶ学習や周到な事前準備を必要とする。 ゲームはすぐにプレイされなければならない。 消費者はゲームをプレイする事前段階として長くて退屈なマニュアルを読むことを好まず、すぐにプレイする事を求める。 この点に関して「バランス・オブ・パワー」は最も要求の多いゲームであり、分厚いマニュアルの熟読が求められる。

地政学ゲームの意味合い

 「バランス・オブ・パワーはどの程度現実的か?」について議論された事がある。 ゲームの根幹はある程度正確であり、それは現実性を表現をしている。 しかしそれは多方面において湾曲された現実性を必要とする。 例えばゲームは地政学的見地においても対立が強調され、現実世界における複雑な過程の見解もシンプルに表現される。 これらは現実世界を歪めているが、ゲームを非現実的なものとしているわけではない。 優れた肖像画家は顔の個性を強調し、あるいは妥協して、画家自身の持ち味を表現する。 この過程において画家は真実を湾曲させるが、それは否定されるものではない。

 世界に存在する国は何カ国あるのか、そしてそれをどうやってゲームで表現するのか、考えなければならない。 ほとんどの人々は、世界に存在する国を全てゲームで表現しなければならないと考えるであろう。 その手法は安全で正確に見える。 しかし「バランス・オブ・パワー」は地政学における相互作用を表現するゲームである。 全ての国を追加する事によって、地政学における相互作用の表現が向上したり、あいまいさが明確になったりするだろうか? 世界150カ国の中には小国も多い。 何人のアメリカ人が、アメリカが侵攻する以前にグレナダという国名を聞いたことがあるだろうか。 何人のアメリカ人が、カビンダ共和国・アンドラ公国・サンマリノ共和国・オマーン・ブルンジ・ギニアビサウ・ガボン共和国という国名を 聞いたことがあるだろうか。 またモーリタニア共和国とモーリシャス共和国について、どの程度違いを知っているだろうか。 こういった小国を学んで加えたところで、地政学の大勢に影響はない。 むしろゲームに集中できないだけではないだろうか。

 地政学のシステムには、二つの超大国・一ダースの大国・数ダースの小国・多数の力を持たない国々が含まれる。 地政学分野における力を持たない国々の役割は取るに足らない。 地政学を自然に処理するために、ゲームは大国に焦点を合わせなくてはならない。 力を持たない国々は超大国による紛争のタネを抱えているが、それ自身の役割は取るに足らない。

 「バランス・オブ・パワー」のデザインにおいて、私は多数の力を持たない国々がゲームに登場することは有害であると考えた。 とはいえ、そういった要素はシミュレーションにとっては有益である。 したがって、62カ国だけを登場させることに決めた。 詳細な真実はシミュレーションとしては価値があり、多くの国々を追加することはその価値を向上させる。 しかし多数の力を持たない国々を包含する事は、ゲームとしての本質を見失いかねない。 「バランス・オブ・パワー」における多すぎる小国は、冗長かつ乱雑で、想像力をかき乱す事になる。

現実性との関連

 最後に、ゲームにおける現実性のコンセプトを明確にする。 そのコンセプトは、見る者の知力と関連付けられている。 私はこのゲームの対象者を12才以上の知的な人間とした。 ゲームにおける精度のレベルは、プレイヤーの知力と共に評価されなければならない。 私が「バランス・オブ・パワー」をマッキントッシュで最初に開発した理由の一つは、 マッキントッシュユーザーが知的で成熟している事にある。 「バランス・オブ・パワー」のように複雑なゲームは、プレイヤーに対して知力を要求するのだ。

 ゲームデザイナーはプレイヤーの教育レベルを想定し、それに応じた現実性のレベルを設定しなければならない。 そうすることにより、ゲームデザイナーは 自身が想定したプレイヤーのレベルよりも高いレベルの教育を受けている人達からは嘲笑され、かつ、 自身が想定したプレイヤーのレベルよりも低いレベルの教育を受けている人達からは理解されない。 人々が受けた教育は様々であるので、ゲームデザイナーはプレイヤーを六段階の教育レベルに分類しなければならない。 その分類にあたって、強い意志を持ったゲームデザイナー(ある編集者いわく「頑固で狂信的」なデザイナー)は 大学レベルの教育レベルをターゲットとして設定する。

 「バランス・オブ・パワー」が想定した教育レベルは、少し高すぎたかも知れない。 私は平均的なアメリカ人は地政学的問題をもっと理解していると考えていた。 しかし、多くのプレイヤーは「バランス・オブ・パワー」が非常に難しいゲームだと感じた。 これは私を驚かせ、そして当惑させた。

「過程の現実性」vs「データの現実性」

 その他の重要な関心事は、過程の現実性とデータの現実性についてである。 ほとんどの人々は現実性についてデータの観点から考える。 GNP(国民総生産)が正しく報告された場合、または、ある国における兵員数が正確な場合・・・など。 しかし、現実性においてデータは最も重要な要素ではない。 最も重要な要素とは、過程である。 これはソローの著書「ウォールデン 森の生活」の中でも述べられている。

 ある被害者・ある殺人犯・ある事故死した人・ある放火魔・ある酔っ払い・ある蒸気船のボイラー係・ある西部劇で鉄道レールを越えて走る牛・ある狂犬にかみ殺された人・ある冬に棲息するバッタの群れ・・・。 「ある」とは「たくさんの中の一つ」という意味を知っていれば、それだけで十分である。 そのような本質を知る人間が、それ以外の無数の例や応用に関心を払えるだろうか。

 本質の何が重要で、応用例は何が重要でないか? 本質とは過程のことである。 ガーナにおける実際のGNPという事実は、GNPを変化させる理由に比べて、地政学的ゲームの目的としてさほど重要ではない。 同様に、ニカラグアがワシントンと疎遠であるという事実は、なぜ疎遠なのかという理由より重要ではない。 事実と対話する事はできない。 事実とは地面に横たわる死んだ魚のようである。 しかし過程とならば対話する事ができる。 過程は形付けることができ、そこに影響を与えるパラメータを変更することによって、対話が可能なのだ。 その方法は最終的に知る事ができるであろう。 事実は本や他の静的なメディアに追いやられ、コンピュータは過程に関する問題を処理するために適用される。 コンピュータは「データ処理」ではなく「過程処理」なのだ。

 過程とは世界を構成する真実である。 もし我々が次の100年を生きる知恵を持っているのならば、我々の子孫はアメリカとニカラグアとの小競り合いを くだらないものであったと振り返るであろう。 しかし同時代の本質として、ニカラグアとアメリカとの関係という過程は、まだ生きている。 2,000年以上前のギリシャの歴史家トゥキディデスは、ペロポネソス戦争に関する著作の中でこのように述べている。 「何が不可避な戦争をもたらしたか?それはアテナイ人勢力の拡大と、スパルタを起因とする恐怖である。」 アテナイ人をアメリカ、スパルタをロシアと置き換えれば、この一文は現代でも当てはまる。 アテナイもスパルタも過去の出来事であるが、その本質は現代も生きているのである。

 この概念は私が「強度な過程」と呼ぶものであり、この本における本質である。 各章は私が「バランス・オブ・パワー」内で強調するために選択した、地政学的相互作用における4つの過程に焦点を当てている。 その過程とは反政府勢力・クーデター・フィンランド化・危機である。 私は事実を重視しない。 過程は永続的な真実であるが、事実は一時的なものだからである。

 多くの人々が、最新の国際情勢に合致するようゲームをアップデートするのかと尋ねた。 そういった人々は、マルクスの凋落やリビアにおけるアメリカ軍の攻撃といった出来事が、 ゲームの境遇を変化させると見ている。 これらの出来事はゲームの応用例を変化させるに過ぎず、本質は変化させない。 「バランス・オブ・パワー」は地政学的相互作用に関するゲームであり、ICBMの核弾頭から始まる基礎は変わっていない。 含まれるとしても、昨年起こった出来事がわずかに反映される程度であろう。 また1960年代がゲームに含まれることもない。 ここ25年間において、現象(見せかけ)は変化したが本質は変化していない。 「バランス・オブ・パワー」は本質的ゲームであり、現象的ゲームではない。 したがって、ゲームをアップデートする予定はない。

現実性と学習

 ゲームの現実性がプレイヤーの学習レベルと関連付けられる場合、ゲームはプレイヤーを学習させなければならない。 初心者プレイヤーはゲームを難しいと感じるが、プレイを通じて、その隠された本質を学習する。 また地政学的過程に関する理解を深化させ、ゲームデザイン上の欠点を見つけやすくなる。 これは自然かつ予期できる事象であり、ゲームをクリアするための最良の要素である。 プレイヤーを学習させることができないゲームは、失敗ゲームといえる。 ゲームはプレイヤーの学習レベルをより高く昇華させなければならない。 その過程において、プレイヤーは成長するのである。

反政府勢力の素晴らしき世界

 反政府勢力とは武装した一団であり、政府を転覆させ、あるいは地域を支配する事を試みる。 そんな反政府勢力と政府軍との戦いは長引く傾向にある。 また反政府勢力は政府内の人間を巻き込んで突然発生するクーデターとは異なる。

 反政府勢力は政府の設立と同時に発生する。 おそらく、政府権力に対する暴力的な抵抗が反政府勢力を生む。 しかし、戦後は新次元の何かが反政府勢力に加わったように見えた。 現在では、自分自身の地政学的利益を促進する手段として、反政府勢力は超大国によって利用されている。 世界各国の憎悪は露骨な帝国主義のために、立派な建前の元、意図的に作られる。 反政府勢力が超大国に助けを申し出ることにより、超大国の介入は侵略と見なされないのである。 「バランス・オブ・パワー」における反政府勢力とは、超大国の代理人的存在なのだ。

反政府勢力の作り方

 反政府勢力という料理は、次の三つのステップによって作り出される。 まず政府や他の合法的な権力を用意する。 次にそのような政府に反抗する人々を用意する。 最後に反抗する人々に武器を持たせる。 マハトマ・ガンディーのように、政府転覆は必ずしも武器を必要としない。 ただそういった武器を持たない反乱やクーデターは、反政府勢力とは呼ばない。

政府

 この醜いシチューに溶かし込まれた最初の要素は、政府である。 政府は全ての手段を手中に収めているように見える。 なぜなら、政府は軍事力を保有し、行使することができるからだ。 しかし一般的なアメリカ人が信じている事に反して、第三世界における軍事力は外敵から自国を防衛するために存在しているわけではない。 第三世界における軍事力は、自国民を統制下に置くことを目的として存在する。

 過去、第三世界の国々は自国の秩序を維持するための軍事力をほとんど必要としなかった。 多くの場合、ライフルで武装した数千の兵士だけで十分だったのである。 平均的な農民は小火器程度の武器しか持っていないことを、第三世界の軍隊はよく知っていたからだ。 しかし第二次世界大戦から、第三世界における軍隊の規模とその武器の量が劇的に跳ね上がった。 その原因の一部は人口の増加に起因するが、多くは超大国による第三世界各国への武装化が原因である。 第三世界が超大国の競争の場となり、第三世界は重火器で武装化されたのだ。 ゲリラは地対空ミサイルと自動小銃で武装し、ちょっとした正規軍との戦闘が可能となった。 不幸なことに、それによって莫大な火器が無知な農民の手に渡る事になる。 その結果多数の農民が犠牲になった。

 政府における第二の強みは、合法性である。 いくつかの政府は抑圧的であり、人々に厳しい統制を図る。 政府は法・秩序・文明化・安定を体現する。 そのような政府での市民は政策に異議を唱えることはできず、無言で政府を支持させられる。

 政府における第三の強みは、自国におけるインフラ制御である。 運送網・情報伝達・医療サービスは人々にとって不可欠なインフラであり、政府はそれを自由に制御できる。 インフラ制御下における反政府勢力の情報伝達・兵士と武器の移動・傷ついた自身への医療提供・人々へのプロパガンダは、 厳しいものとなる。

反政府勢力

 政府に対する反抗が反政府勢力を生む。 人々に思い起こさせる最初の疑問点は次の点である。
「どうして誰もがそのように圧倒的な力を持ちたがるのか、また人々を希望なき戦いにかき立てる原因は何か?」
「どうして人々は武器を手にし、希望なき戦いへかき立てられるのか?」

 反政府勢力には多くの理由がある。 近年「社会革命」という言葉をよく耳にする。 それによると、革命とは大義による社会秩序の圧政に取って代わる事である。 左翼的思想を持った反政府勢力の多くはこれを標榜している。

 また反政府勢力には他の動機もある。 一般的なものとして分離主義があり、自国の政治的枠組みから離脱することを渇望している。 分離主義グループが十分大きくて、文化的もしくは地理的に母国と異なっている場合、そのような分離主義者は「国家主義者」と呼ばれる。

 例えばアイルランドの反政府勢力はイギリスに反抗していたが、その過程において明確な国家主義を経験した。 アイルランドでのイギリス人による初期の経済的略奪行為は、ゆっくりと減少していた。 このため、イギリスとの分離はアイルランド経済にとって不利であるという議論があった。 しかし国家主義の考えは違っていた。 アイルランド人はイギリス式の文化とイギリス人が決めた国境から決別した。 それ以降アイルランドはイギリスとは別の地域となり、独自の言語・歴史・文化を持って、国境を定めた。 これは明確な国家主義的分離である。

 一方、スペイン北東部のカタロニア地方について。 カタロニア地方はスペインからの独立を考えている。 しかし言語と文化の違いは、アイルランドとイギリスの違いほどではない。 さらに重要な事に、カタロニア地方の経済は独立して機能することができない。 カタロニア地方の経済はスペインの経済に完全に組み込まれてしまっているからである。 したがってカタロニア自治の試みは、国家主義を越えた分離主義に近い。

 宗教的要素も多分に反政府勢力の動機となる。 西側諸国は宗教的反政府勢力の主張を、イスラム過激主義者が最近始めた主張だと考える。 しかし宗教的要素は、宗教改革時の反乱やローマ時代における反乱をも大きな動機とする。 宗教は社会において人々の心や精神に対する死生観に影響を及ぼさない。 教会がそれらの社会における主要な交流の場であったにすぎないのだ。 そう考えると、アメリカにおける主要な反政府勢力は、おそらくショッピングモールの中に基盤を固めているであろう。

 反政府勢力における最後の動機は、反植民地主義である。 これは途上国でよく見る事ができるが、経済的に豊かな国でも散見される。 アメリカにおけるイギリスからの植民地政策への反抗は、国家主義よりも反植民地主義であった。 開拓の父達は自分自身をイギリス人だと考えたが、母国から発せられる継続的な経済的支配に従うことができなかった。

 実際の反政府勢力は、これらの動機が混合している。 例えば1945年〜1975年のベトナム反政府勢力は、主に右翼的な国家主義的暴動から開始された。 これはベトナムにおける国家的自己同一性(アイデンティティ)の確立と共に、その姿を変える。 第二次世界大戦中、日本は自身の戦争遂行のためにプロパガンダを上手に扱い、戦争をアジアと西洋との聖戦に仕立てた。 このプロパガンダはベトナムを右翼から左翼に変えた。 ベトナムにおけるプロパガンダには、フランスに対する反植民地主義が含まれていた。 当時フランスはベトナムを帝国主義的な力で支配していたからだ。 その後、ホー・チ・ミンは外国の助けを模索し、自身の反政府勢力に対して社会的議論を巻き起こす。 ホー・チ・ミンの共産主義への転換は、中国とソ連の機嫌を取るためだった。 一連のベトナム反政府勢力における国家主義・反植民地主義・共産主義への変遷は、 反政府勢力の指導者がイデオロギーの基盤を容易に変更する事を意味する。 反政府勢力を利用する時、あいまいな大義のために人々を兵士として死の危険に駆り立てる事は難しいと感じるだろう。 従って、多くの人々が反政府勢力の兵士として参加するよう、メニューを誘惑的に磨き上げて提示しなければならない。

武装勢力

 反政府勢力への兵士の補充は、反政府勢力にとって弱点であり、強みである。 政府は兵士を本人のやる気・兵士としての質と無関係に召集できる。 しかし、反政府勢力ではそうはいかない。 反政府勢力は武装して集落を襲撃し、人々をまとめて誘拐して逃げる。 多くの反政府勢力は、そういった誘拐された人々によって運営されている。 やりきれない現実だが、多くの人々が大義のために死ぬ事を希望しているわけではないのだ。 一方、反政府勢力の兵士は戦闘において正規軍より高いモチベーションを持っている。 政府の典型的な徴集兵は、茂みの中で撃たれるよりも、兵舎の中でぶらぶらしている方を好む。 対する典型的な反政府勢力の兵士は、戦うために存在する。

 反政府勢力は別の大きな強みも持っている。 それは主導権である。 反政府勢力はいつ・どこで・どうやって攻撃するかを決定する事ができ、政府は攻撃が実施されるまでほとんど動くことができない。 反政府勢力は隠れて弱点を捜すことも可能で、自らが最も優位に立てるタイミングで攻撃する。 このような強みによって、反政府勢力の小さい軍隊でも、政府の大きな軍隊を打ち倒すことが可能なのである。 これこそ、多くの情勢において反政府活動を効果的にする要因の一つである。

反政府勢力の発達

 ありがちな反政府勢力を仮定し、その歴史をたどってみよう。 物語は人々が作った不完全な政府から始まる。 これは人類の歴史において、どの政府もそうである。 いくつかの不満は人々を怒らせ、政府に反抗させる。 ただ、このような政府への最初の反抗は散発的である。 様々な不満は他の不満から隔離させられ、互いに意思疎通ができないよう仕向けられるからだ。

テロリズム

 最初の段階は、少数の気が短い人々による政府に対する暴力行為である。 それらは必然的で取るに足らないものであり、それゆえ、政府の軍事力に対してまるで効果を期待できない。 しかしながら、この行動は政府に対する反抗を引き起こす。 そのような政府に対する反抗は他の人々を引き付け、やがて暴動へと成長する。 この早期の段階において、反政府勢力はまだ真の軍事力を保有していない。 早期の反政府勢力はアマチュアとして運営されており、平日は普通の市民として暮らしている。 その上で革命が計画され、攻撃が実行されるのだ。 この暴動が発展した段階を「バランス・オブ・パワー」ではテロリズムと呼んでいる。

ゲリラ戦

 その後、テロリストは罪なき人々を吹き飛ばして評判を確立させる。 人々は恐怖と嫌悪を抱き始め、テロリストは本当の挑戦として政府に迫る。 テロリストは評判を増す事によって多くの仲間を勧誘し、国外からある程度の武器を得る。 武器の出所の多くは超大国である。 全てが順調に推移すれば、テロリストはゲリラ戦という次の段階へと移行する。 テロリストとゲリラは次の三つの要素で異なる。 一つ目、ゲリラはフルタイムであり、テロリストはパートタイムである。 二つ目、ゲリラは一カ所のキャンプに集合して拡大するが、テロリストは小さいグループに分散する。 三つ目、ゲリラは政府や街から離れた地方で活動するが、テロリストは都会で活動する。

内戦

 ゲリラが順調に成長すれば、最終的に反政府活動の最高点へとたどり着く。 それは内戦である。 これにはゲリラが直接戦闘で政府勢力に立ち向かえるだけの多大な軍事力を必要とする。 内戦とゲリラ戦は次の三つの要素で異なる。 一つ目は反政府勢力の軍事力である。 ゲリラはわずかな戦力で政府に立ち向かうが、内戦では互いの戦力比が1:1となる。 二つ目は反政府勢力が地域を支配下に置くという点である。 ゲリラは地域内を自由に活動するが、広い地域を支配することはできない。 これに対して政府は希望する地域を支配することができる。 内戦での反政府勢力は自国の一部を完全に掌握し、政府の支配は及ばない。 三つ目の相違点は合法性の主張である。 反政府勢力は「暫定革命政府」を形成し、自分自身が自国の正統な政府であると主張する。

国際的な承認

 国際的な承認についてだが、この観点はとても扱いにくい。 旧政府も暫定革命政府も、自分自身が自国の正統な政府であると主張する。 どちらが正統な政府であるかは、戦場で決定される。 ただし、そのような一時的な決定を諸外国は信用するであろうか? 問題はいくつかの理由で非常に重要である。 諸外国による承認は暫定革命政府に多大な威信を与え、その威信は一般的な国民にまで影響する。 威信は火砲に匹敵する武器であり、人々を精神的に支配することができるのだ。 もし自国民が旧政府を見捨てて暫定政府を承認した場合、暫定政府はさらに多くの威信を得る事になる。

 承認による二つ目の効果は、反政府勢力に対する支援の合法性が増すことである。 反政府勢力への武器の供給や派兵は、一般的に非合法活動として捉えられる。 合法的な政府への介入は、超大国に確固とした悪評をもたらすのだ。 しかしながら、超大国が暫定革命政府を承認すると状況は劇的に変化する。 これにより暫定革命政府が当該国における合法的な政府となり、そこへの支援は政府からの要請であると主張することができる。

 これは二枚舌外交といえるが、現実的手法である。 国家は二つの政府を同時に承認する事ができない。 暫定革命政府の承認は、旧政府の非承認となる。 これは駐在大使の引き上げと外交関係の断絶を必要とする。 内戦段階における駐在大使の引き上げと外交関係の断絶には、リスクが伴う。 外交関係が無ければ、通常外交が何もできない。 内戦中、旧政府に関与する手段がなくなるのだ。 また旧政府が内戦に勝利した場合、外交関係を断絶した国家は厄介な立場に立たされる事になる。 これにより、ほとんどの国々は新政府の承認に対して慎重である。 新政府を承認する前に、内戦の勝者が明確になるのを待つであろう。

 時には、政治的理由により外交的承認を与える国もある。 1949年の中国における内戦では共産主義者が完全に勝利し、国家主義者は台湾へ敗走した。 この時世界のほとんどの国々は共産主義政府を中国における合法的な政府と承認した。 しかしながら、アメリカは国家主義者に同調し、共産主義者による政府を承認しなかった。 それから30年間、アメリカは無法者グループの一員という明らかに奇妙なポジションで活動し、中国本土の一部を制御下に置いた。 その間も真の政府は台北とは無関係に継続したのだが。 この政策は愚かさからではなく、まだ息がある同盟国を見捨てないという意思の表れである。 苦境時にアメリカが同盟国に対する義務を放棄した場合、アメリカは他の同盟国からの信用を得ることができるであろうか。 その後幸運な数十年間の空白があり、アメリカは多くの信用を損ねることなく国家主義者の政府から手を引くことができた。

超大国の役割

 超大国による干渉がなければ、反政府勢力活動はもっと難しくなったであろう。 第二次世界大戦中から、大国からの援助を受け取る少なくない数の反政府勢力が存在した。 この援助は希有で、制限されたり間接的であった。 戦後、ソ連は様々な干渉を通じて少数の武器をいくつかのテロリストグループに流した。 隠匿されない反政府勢力への援助は、もっと頻繁に行われている。 アメリカも例外ではなく、ニカラグアのコントラに対して援助を行っている。

武器供与

 武器供与による支援は反政府勢力を活性化させる。 ただし、これは直接的かつ緊急的な手段ではない。 全ての反政府勢力が用いる中心的戦略は、攻撃しやすい目標に戦力を集中し、安全な場所から強力な火力を浴びせ、すぐ逃げる事である。 そのような攻撃に使用する理想の武器は、迅速に多量の弾を発射できる自動小銃・半自動小銃である。 しかし自動小銃は普通の市民が使用する銃ではないため、世界のほとんどで非合法化されている。 これは多くの反政府勢力が抱える問題となる。 反政府勢力はピストルや猟銃といった貧弱な火力で武装せざるを得ず、制式銃をもった少数の政府軍によって簡単に駆逐される。 これは武器供与のない反政府勢力は十分な活動ができない事を意味しているのだが、残念ながら武器供与は簡単に得られる。 アメリカは一国で6,000,000丁のM1カービン、3,500,00丁のM16、1,500,000丁のM14を生産した。 一国のために1,000万丁の武器が生産されたことになるが、兵士は200万人しかいない。 これらの武器の大多数は武器の国際的闇市場へと消えていった。 南ベトナムが陥落した時、ハノイでは100万丁近いM16が押収された。 世界で100万丁の武器が消えた時、そのうち数1,000丁の武器は反政府勢力の手に渡ると考えられる。 少量の弾丸を含む一般的な自動小銃の値段は300ドルである。 したがって、超大国は完全武装した反政府勢力を100万ドル以下で用意することができる。 過剰な数の武器が蔓延する世界は、簡単に変わりそうにない。 武器とは力であり、その供与は息のかかった力の供与である。 武装した反政府勢力とは、超大国にとってその影響力を駆使できる最も費用対効果の高い存在なのだ。

派兵

 別の手段として、超大国自身が反政府勢力に合流し、自らの武力を持って介入する事がある。 この手段は武器供与よりもはるかに効果的である。 超大国の陸軍に対しては、世界のほとんどの国は対抗手段を有しない。 超大国の兵士は冷酷な殺戮マシーンである。 従って、よく訓練された超大国兵士の投入は戦いの行方に劇的な影響を与える。 しかしながら、介入は政治的かつ外交的に敏感な行動であり、ほとんどの介入は規模と行動が制限される。 これにより、優れた超大国兵士の優位性はかき消される傾向にある。 ベトナムとレバノンにおけるアメリカの介入は、一般的に失敗と見なされている。 アフガニスタンにおけるソ連の介入も、確固たる成功にはほど遠い。

「バランス・オブ・パワー」における反政府勢力

 「バランス・オブ・パワー」は世界各国における反政府勢力の振る舞いを計算しなければならない。 これは反政府勢力の力と政府の力を最初に計算しなければならないことを意味する。 その上で戦闘における両者の戦力を計算し、比較する。 その後戦闘結果の重大性を決定し、結果によって反政府勢力は現状を内戦へと発展させる。 最後に反政府勢力による政府転覆と超大国との因果関係を計算する。 以下に「バランス・オブ・パワー」で使用する定義と計算式を紹介する。


兵士数 - 政府の陸軍が保有する兵士の数

武器支出額 - 政府が武器に支出している金額

軍事援助額 - 超大国から受け取っている武器の金額

政府の力 - 兵士数と武器に基づく正味の軍事力

介入兵力 - 超大国兵士の介入による軍事力


 政府の軍事力は次のように決定される:


武器総額 = 武器支出額 + 軍事援助額

           (2 * 兵士数 * 武器総額)
政府の力 = ----------------------- + 介入兵力 (兵士数 + 武器総額)
                     128

 この計算式は二つの事実を物語っている。 それは、兵士数と力、ならびに、武器支出額と力は比例するという事実である。 これは自然でわかりきった事実と言える。 この計算式の特徴は、兵士数と武器支出額が自然なバランスを構成しているという点である。 例えば中国は多数の兵士を抱えているが、武器支出額は多くない。 中国の価値は、兵士数が100で武器支出額は2である。 これにより、中国の政府の力は3となる。 中国が兵士数を1加えた場合、政府の力はどの程度増えるであろうか? 兵士数=101・武器支出額=2を計算式に当てはめると、その政府の力は依然3のままである。 もし中国が兵士数の代わりに武器支出額に1を加えた場合、中国の政府の力は5になる。 この計算式は、兵士数と武器支出額のバランスが重要である事を暗示している。 どちらか一方だけが突出していても、多くの効果は期待できないのだ。

 反政府勢力の軍事力(反政府勢力の力)は、反政府勢力兵員数を除いて似たような手法で計算されるが、 反政府勢力武器支出額は別の手法で計算される。 反政府勢力における兵員数は、国の総人口・国の政治的成熟度・反政府活動の成功度という三つの要素を基礎としている。 このうち最後の二つは、様々な計算で用いられる。

 どうして第三国は暴力の連鎖から抜け出すことができないのだろうか? 反対陣営が暴力的な抵抗を続けている限り、どちらの陣営であっても反対陣営を力で殺すか苦しめる。 我々西側諸国は分別なき暴力の中であっても手を取り合い、あるいは、自制する。 なぜなら、我々はいくつかの点で優れているからだ。 我々の優れている点とは、安定した文化や社会性・公共性が身の回りに存在するという点である。 我々の文化は完全な無政府状態を1,000年以上体験していない。 我々は、何が公平で、社会における自身の役割は何か、という共通認識をゆっくりと作り上げた。 リチャード・ニクソンが大統領職を辞任した時、銃を手に取って街へ繰り出す人々はいなかった。 それは社会性や公共性が自分自身の身を守ると知っているからであり、それらに対して敬意を払っているからである。 そのような社会性や公共性に対する敬意は、1,000年にわたる法の堅実な成長と共に構築された。

 世界の多くの国々は、そのような状況ではない。 サハラ砂漠以南の多くの国々は、1960年以前は有力な合法的公共組織を持っていなかった。 我々がマグナ・カルタによって王の権限を制限し、政府を尊重するという概念を構築している間、 サハラ砂漠以南の多くの国々はまだ青銅器時代であった。 そのような国々はルールによって議論のテーブルに付くだろうが、銃を手放すことはない。 彼らは誤っているのだろうか?彼らが互いを信用する基準とは何であろうか?

 この極めて重要な要素は「バランス・オブ・パワー」に「成熟度」として組み込まれている。 成熟度はゲーム開始時に組み込まれ、ゲーム中随時使用される。 地政学の歴史を真剣に学ぶ者は、私がこれらの値をシンプルに表現したことに驚くであろう。 どこの有能な学者が世界各国における秩序レベルの数量化を試みただろうか? 従って私は自身の持つ世界情勢の知識を頼りにして、成熟度を表現するに至った。 ゲームで使用されているいくつかの値を以下に記載する。


各国における成熟度
アメリカ 240
メキシコ 130
パナマ 34
フランス 226
イタリア 218
エジプト 74
マリ 24
ザイール 32
日本 220
中国 100
サウジアラビア 40
フィリピン 80


 これらの値には異論もあるであろう。 私は熟考の上でこれらの値を決定したが、各個の値における正当性を示すことはできない。

 反政府勢力の戦闘員を増加させる二つ目の要素は、反政府活動の成功度である。 これはバンドワゴン効果の一つとして説明できる。 敗者が射殺される場合、勝つ見込みのない提案に乗る者はいない。 しかし反政府勢力が一度勝利し始めると、不満分子の期待は不安を上まわり、反政府勢力に参加するようになる。

 反政府勢力における戦闘員数を計算する二つの式をここに記載する。

         平方根 (6400 * 前年の反政府勢力の力)
成功度 = ------------------------------------
                    前年の政府の力

           ((256 - 成熟度) * 人口 * 成功度)
戦闘員数 = --------------------------------
                        20480

 反政府勢力の武器総額は異なる方法で計算される。 反政府勢力は税収や軍事予算を持っていない。 代わりに、反政府勢力は武器を国際的闇市場などからかき集めたり、政府から盗んだりする。 また武器の主たる獲得源は超大国である。 買ったり盗んだりという手段は、超大国からの武器供与が期待できない場合の手段である。 武器の入手が政府ほど容易ではないため、反政府勢力は武器をうまく活用し、大事に扱う。 下記の計算式ではその補正が表現されている。


反政府勢力の武器数 = 2 * 超大国による武器供与数

IF 反政府勢力の武器数 < (戦闘員数 / 8) + 1 THEN 反政府勢力の武器数 = (戦闘員数 / 8) + 1


 最初の数式は反政府勢力への武器供与数を2倍にしている。 これは、政府軍の兵士に比べて、反政府勢力は武器の価値をより大きく引き出す傾向がある事を表現している。 また反政府勢力の規模は小さく、武器をより大事に使用する。 二番目の数式は、反政府勢力が戦闘員数より少ない数の武器しか得られなかった場合、 買ったり盗んだりしてなんとか数を合わせる事を表現している。

 上記を用いて、反政府勢力の力は次の計算式で算出できる。

                 (2 * 戦闘員数 * 反政府勢力の武器数)
反政府勢力の力 = ----------------------------------- + 反政府勢力への派兵数 + 反政府勢力の武器数
                                 128

 この計算式は「政府の力」を算出する計算式と類似しており、用途も類似している。 また「反政府勢力への派兵数」とは超大国から反政府勢力へ派兵された兵士の数を意味する。

 次に反政府勢力と政府を戦わせ、どの程度損害を被るか計算する。 この計算は少し複雑になる。 多くの専門家がそのような「戦闘結果システム」の開発に時間を割いてきた。 元陸軍大佐のトレバー・デュプイというアメリカ人専門家も、この問題について多くの時間を費やしてきた一人である。 私の手法は標準的な「戦闘結果システム」と比較すると、あまりにも単純化しすぎている。 しかし「バランス・オブ・パワー」は戦闘ゲームではなく、地政学に関するゲームである。 私はシンプルな戦闘結果システムが必要であると感じた。 そのため、戦闘結果システムは次のようにとてもシンプルな計算式で表現している。

                      反政府勢力の力
政府の力 = 政府の力 - --------------
                             4

                                  政府の力
反政府勢力の力 = 反政府勢力の力 - --------
                                      4

 これらの数式は、両勢力共に他の勢力へ与える損害の総量は自身の持つ力の1/4に等しい事を意味している。 また、より強力な政府はより多くの反政府勢力を殺し、そして、より強力な反政府勢力はより多くの政府軍兵士を殺す事も意味している。 もし両者共に強力であるのならば、多くの人々が死ぬ。

 これで政府の力と反政府勢力の力を比較する準備が整った。 政府の反政府勢力に対する力の度合いは、次のような結果をもたらす。 もし度合いが512より大きい場合、政府は全てを制御下に置いている。 この状態を「バランス・オブ・パワー」では平和と呼んでいる。 もし割合が512より小さく32より大きい場合はテロリズムと呼び、 割合が32より小さく2より大きい場合はゲリラ戦と呼ぶ。 割合が1から2の間ならば、内戦である。 そして反政府勢力の力に対する政府の力が1に満たない場合、反政府勢力が政府の力を上まわることになり、 反政府勢力が勝利する。 こうなった時、反政府勢力と政府は立場を入れ替え、反政府勢力が新たな政府となる。 古い支配者は野に下り、昨日まで自由の戦士だった存在が鞭を手に取って振りかざすのだ。 内戦で反政府勢力に対して超大国が介入していた場合、反政府勢力は感謝して超大国の思想に賛同する。


IF アメリカが反政府勢力に介入していた THEN
             (政府思想値 + アメリカ政府思想値)
政府思想値 = ---------------------------------
                             2

IF ソ連が反政府勢力に介入していた THEN
             (政府思想値 + ソ連政府思想値)
政府思想値 = -----------------------------
                           2

 この数式における「政府思想値」とは、政府が取り得る左翼・右翼という思想を数値化したものである。 数値は極左政府なら-128以下、極右政府なら+128以上、穏健な政府なら0という値を取る。 私は「アメリカ政府思想値」を20と設定し、「ソ連政府思想値」を-80と設定した。

 新しい政府における人々の支持は、まっさらな状態から始まる。 しかし、政府が極左・極右といった極端な政治哲学を持っている場合、その支持は減少する。

             10 + (128 - 絶対値(政府思想値))
政府支持値 = -------------------------------
                            2

 政府支持値はクーデターの決定に重要である。 これは次の章にて説明する。

 次に新革命政府と超大国の外交状態を計算しなければならない。 これは超大国の政策指針と、政府もしくは反政府勢力に対する援助総額が基本となる。 これには次のような数式を用いた。


政治的互換値 = 絶対値(反政府勢力思想値 - 超大国の思想値) - 絶対値(政府思想値 - 超大国の思想値)


 この数式における反政府勢力思想値とは戦いに勝利した反政府勢力の政策指針であり、 政府思想値とは旧政府の政策指針である。


有益援助額 = 反政府勢力への武器供与額 + (2 * 反政府勢力への介入兵力)

有害援助額 = 政府への武器供与額 + (2 * 政府への介入兵力)


 「政府」とは前の政府を意味する。 これらを用いた計算結果が超大国に対する新政府の外交的親和値となる。

                              (8 * (有益援助額 - 有害援助額))
外交的親和値 = 政治的互換値 + -------------------------------
                                             2

 この数式は政治的互換値と過去の援助額という二つの要素をカバーする。 超大国と新政府が同じ政治思想を持っている場合、その親和性は大きくなる。 これは、左翼政府はソ連に親和性を持つ傾向があり、右翼政府はアメリカに親和性を持つ傾向があるという意味である。 数式における二つ目の部分は、過去における反政府勢力への援助・旧政府への援助が新政府の親和性に影響する事を表現する。 もし反政府勢力を援助して勝利した場合、援助した超大国は称賛されるが、 政府を援助して敗北した場合、新政府は援助した超大国を憎悪する。。 両方の場合において、どの程度の称賛・憎悪を得るかは、超大国が与えてきた援助の総額に依存する。 私は政治思想より過去の援助額の方が重要であると考えるので、8をかけている。 この外交的親和性の変化は、両超大国の威信値を増減させる。

 以上が「バランス・オブ・パワー」における反政府勢力の扱いと数式である。

このモデルはどの程度正確か?

 反政府勢力の振る舞いについて、数式を使ったモデルを用いた。 しかし反政府活動という複雑な現象を、いくつかの短い式だけで正確にモデリングできるのであろうか? この問いにはポジティブとネガティブという二つの回答がある。 ポジティブな回答として、記述された数式のレベルがとても高い点がある。 短くても、これらの数式は十分な意味を持っている。 この数式を考案するために長い時間を割き、モデルとして磨き上げたからである。

 ネガティブな回答として、このモデルは反政府勢力の多様な側面を十分表現してはいないという点がある。 まず、右翼・左翼政府と反政府勢力の基本的な非対称性を考慮に入れていない。 「バランス・オブ・パワー」は右翼と左翼をコインの表裏のように扱っている。 現実世界では、右翼政府と右翼反政府勢力は左翼の対としての存在ではない。 両者とも血を渇望するという点では同じだが、そのスタイルは異なる。 左翼の反政府勢力はより大衆迎合的なスタイルで、右翼の反政府勢力は通常上層階級から支持される。 このことから、左翼の反政府勢力は貧弱な武器しか持たないが、戦闘員数は多い。

 このモデルの他の欠点として、右翼政府はアメリカを迎合するという仮定がある。 右翼はアメリカを迎合し、左翼はソ連を迎合するという傾向はあっても、それは普遍的な宇宙の法則ではない。 アヤトラ・ホメイニ師の革命政府は右翼にはほど遠く、古めかしく中世的であったのでアメリカから歓迎されなかった。 また、アメリカは穏健な左翼政府を支持する事もある。 その最も有名な例はキューバである。 カストロによるソ連への強固な迎合は、キューバに対してアメリカが行った強硬姿勢の後に引き起こされた。

 また、モデルは反政府勢力の成長が軍事的対立を容易に引き起こすという、極端な固定観念の影響を受けている。 歴史を予見することはできない。なぜなら、歴史の流れは急激に変化するからである。 カストロが勝利する前に死ねば、カストロのみすぼらしい軍隊が団結を保ち続ける事ができたか疑わしい。 1975年における南ベトナムの崩壊は、状況を安定させるために与えられた、矛盾した命令に部分的に起因している。 もし時間を浪費しなければ、南ベトナムは今日も存続しているであろう。

 これらはモデルの欠点として最も重要である。 また政治的信念を持っている人達からも、モデルに対して異議が唱えられる。 左翼はモデルに対して次のような不平を言うであろう。 このモデルは「大衆の正義」を考慮していない。 ほとんどの右翼政府は合法性を持っておらず、そういった右翼政府に対する反抗は、宇宙の正義を体現する単なる軍事行動に過ぎない。 これは悪の政府へ向けた、虐げられた民衆による正義と怒りの行動である。 正反対の政治思想である右翼は、モデルに対して次のように主張するであろう。 モデルはずるがしこい国際的共産主義が合法的な政府を転覆させたという事実に欠いている。 右翼によるこの主張には、いくつかの真実が含まれている。 左翼の反政府勢力は、1950年代から1960年代にかけて、右翼の反政府勢力をしのいで組織化された。 しかし反政府勢力支持に関するアメリカ政府の新たな興味は、これをすべて変更しているかもしれない。

------------------------------------------------------------------------------
反政府勢力の通知表, 1945-85

 報道などで反政府勢力についてよく耳にするが、世界における多くの反政府勢力は大きく成長しない。 ほとんどの反政府勢力は屈辱と共に失敗する。 見込みがない目的のために武器を取る事は狂人の所業と言えるであろう。 歴史家で防衛部門の顧問を務めるジェイムス・ダニガンの著作 「A Quick and Dirty Guide to War(戦争のための迅速かつ卑劣なガイド)」では、 アメリカに近年生まれた政治的暴力を16種類に分類し、掲載している これらはいずれも反政府勢力と呼ばれるが、それらはとても低いレベルの反政府勢力である。 ここで重要な点は、多くの反政府勢力は爆弾を爆発させるまでには至らないという点である。 警察が監視したり発砲したりして投獄させ、反政府活動の芽を摘む。 世界各国の政府はいくらかの度合いの反政府勢力に直面し、そのうち少数の反政府勢力が無意味なテロリズムに至る。 私はここ40年間におけるテロ活動の総数を示すデータを見つける事ができなかった。 これはテロの影の性質を考慮すると、驚くに値しない。

 第二次世界大戦が終了してからの40年間において200の反政府活動があり、多くの犠牲者が出た。 そのうち、およそ40件(20%)の反政府勢力が勝利を収めている。 政府が内戦やゲリラ戦で勝利した割合は80%である。

 この40年間に発生した反政府活動において、約4,200万人の犠牲者(死亡・負傷・行方不明)が発生した。 これには1945年から1949年に中国で発生した国共内戦による3,000万人の犠牲者も含まれている。 1946年にベトナム・ラオス・カンボジアで発生した第一次インドシナ戦争では、約800万人が犠牲になった。 残り400万人の犠牲者は、その他多くの反政府活動により発生した犠牲者である。

------------------------------------------------------------------------------

------------------------------------------------------------------------------
反政府勢力における軍事的要素

 反政府勢力はその戦闘員と政府の両方に特別な問題を提示する。 ゲリラ戦は通常戦争とは完全に異なる手法で戦われる。 ゲリラ戦の特別な問題を知るには、通常戦争を知る必要がある。

 通常戦争における中心的問題は、理性的な人々が戦闘で命の危険にさらされるという問題である。 歌は勇気と自己犠牲を歌うが、それは現実世界での血と死を意味する。 もし人々に選択肢があるのならば、多くは武器を捨てて逃げ出すであろう。 どのようにして、指揮官はそういった望ましくないが理性的である行動を防いでいるのだろうか? 解決策は人々の心を強く掌握する強固な社会的集団を作る事である。 軍隊にはその為の様々な習慣がある。 制服・行進・旗・伝統、これら全ては集団の一員であるという個人の強い意識を作るためにある。 もしこの結束が十分強力であるのならば、戦場で兵士は逃亡せずに集団と共に命令を待機する。 集団の一員として認められた兵士は、個人よりも自分の集団と共に戦うことを選ぶ。 これには、軍隊に反する社会的結束を断絶する事によって勝利を得るという考えも付随する。 もし敵対する軍隊に打撃を与えて敗走させた場合は、皆殺しにするよりも大きな勝利を得ることができる。 いくらかの殺害はこの考えによって回避され、副次的な軍事的効果をもたらす。 またこの考えは本格的かつ伝統的な戦闘であり、通常戦争の標準的形体をなしている。

 いくつかの理由により、反政府勢力はこの手法で戦うことができない。 まず、本格的な戦闘はより良い装備を持つ陣営が有利であるが、反政府勢力は常に貧弱な装備しか持ち合わせない。 政府は強力な火砲・戦車・戦闘爆撃機・多数のライフルを持つ。 次に、反政府勢力の戦闘員は政府の兵士に比べて練度が不足している。 政府は自身の兵士に対して安全な場所で時間を掛けて訓練を施す事ができる。 反政府勢力の戦闘員は研修のような訓練しか施されない。 最後に、反政府勢力の兵数は政府の兵数よりも劣勢である。 本格的な戦闘においては、数がものを言うのだ。

 これらの理由により、反政府勢力は昔から普通の軍隊とは異なるスタイルで形成される。 そのスタイルは反政府勢力の優位性が最も発揮されるスタイルである。 反政府勢力は二つの優位性を持っている。 それは戦闘員のやる気と主導権である。

 戦闘員のやる気は、ゲリラが若年層を誘拐して戦闘員に仕立てているという政府のプロパガンダによって低下する。 しかし反政府勢力における大部分の戦闘員は、旺盛なやる気を持っている。 ゲリラにとって部隊から離れて密かに活動する事は難しい事ではない。 政府軍兵士に比べて報復の恐れが少ないからである。 反政府勢力は集団に対する結束よりも、原因に対する結束に依存する。 その大きな優位性は、戦闘員が集団の一員ではなく個人として戦う点にある。 これは戦闘でより低い兵員密度を可能にする。 そして、それはまた同時多発的な近接戦闘を可能にする。 例えばベトナム戦争のテト攻勢において、ベトコンの戦闘員はサイゴン・フエ・その他大都市の奥深くで政府軍と交戦した。 この時ベトコンの戦闘員は組織化された戦闘部隊として戦わなかった。 小さい集団に別れて都市により深く潜入し、戦ったのである。 政府軍兵士には、このような方法で主導権を得る作戦は難しいであろう。

 反政府勢力が持つ他の優位性は主導権である。 反政府勢力はいつ・どこで・どのようにして戦うのか決定する事ができる。 政府軍は反政府勢力が行動を起こすまで座って待つしかない。 防御の強さとは、その最も弱い部分の強さである。 いかなる防御にも弱点がある。 反政府勢力はそういった弱点を発見して攻撃する。 この手法を使って、反政府勢力は少しずつ勝利を重ねていく。 これによって政府は少しずつ弱くなり、反政府勢力は少しずつ強くなるのだ。

 古典的なゲリラ戦略は、その発展である。 古典的なゲリラ戦略とは、政府施設に対するヒット・エンド・ランの奇襲攻撃・攪乱(かくらん)攻撃・夜襲だ。 ゲリラは戦力を分散して政府の支配地域に潜入し、突然目標を攻撃して破壊し、再度分散して逃げる。 ゲリラは潜伏先でない限り分散しており、政府に対して大きな目標を与えない。 これも一時的な優位性となる。

 この戦略に対抗するため、政府は様々な抗策を用いる。 今まで多くの試みが実施されては失敗した。 その最大の失敗はベトナム戦争を火力で戦おうとしたアメリカの試みである。 アメリカ軍は農村部を大火力やナパームで攻撃することは難しいと知るに至った。 また枯れ葉剤もゲリラに対して効果がなかった。 これらは、ゲリラに勝利するには古典的な普通の歩兵を大量に動員する必要があるという事を意味する。 ゲリラに対抗する効果的な策は、他にもいくつか存在する。 その中でもマラヤ反政府勢力に対する手法はしばしば用いられる。 その手法とは、村を軍と政治的手法を用いて守る事により、村人から反政府勢力戦闘員への転身を防ぐ手法である。 戦略村と呼ばれるこの野心的な試みは、完全にうまくいったようには見えない。 しかし、マラヤ反政府勢力のレベルはベトナム戦争における反政府勢力のレベルほど成長しなかった。 この試みは低レベルな反政府勢力には有効なのかもしれない。

 反政府勢力に対抗する他の手段は、アフガニスタンのソ連軍によって確立された。 それは古典的な「槌と金床」戦法の一つであり、動的な軍(槌)が敵を静的な軍(金床)に追い立てる手段である。 この手段にはヘリコプターによって機動力を向上させた歩兵が用いられる。 ムジャヒディンが攻撃した時、まず空中機動歩兵が現場へ急行し、ゲリラの逃げ道を作るように展開する。 その間に、地上軍は逃げ道の先で待ち構える。 作戦がうまくいけば、ムジャヒディンは空中機動歩兵からの攻撃によって罠に誘い込まれ、槌と金床に挟まれて壊滅する。 この手段による成功は、アフガニスタンの地形のように、ヘリコプターが機動力を発揮できるような広い場所と見通しの良さを基盤としている。

------------------------------------------------------------------------------

------------------------------------------------------------------------------
20世紀以前の反政府勢力

 我々は普通、反政府勢力をAK-47自動小銃と共に拡大したソ連による最近の問題であると考えるが、 反政府勢力の歴史は政府の歴史と同じ長さを持っている。 歴史に記録されている最初の戦闘は、紀元前15世紀に発生したメギドの戦いである。 メギドの戦いはエジプトに対する反抗の集大成であった。 またそれは歴史に記録される最後の戦闘に対して名前を与えた。アルマゲドンである。 政府が存在する時間と同じ長さだけ誰かの不幸も存在し、それが反政府勢力を生む原因となる。 またいくつかのグループにおける政府に対する待遇の不満も、変わる事のない基礎的な理由となる。 古代において反乱は部族の問題であった。 バビロンやエジプト帝国といった軍隊を持つ強力な政府は、文化・経済を越えて拡大した。 そのような拡大は被支配民族を帝国に組み込むこととなる。 これによって恨みを買い、反乱の機会をうかがうこととなった。 古代におけるほとんどの反政府勢力は、直接的な分離主義であった。 都市では嫌われ者の帝国の徴税人を殺して城門を閉ざし、避けられない報復に備えた。 数ヶ月後、帝国の軍隊が城門前へ現れる。 寛大な皇帝や恐れを成した人々が、時に和平を申し出る。 この場合、都市は貢ぎ物を差し出し、首謀者を処刑する。 和平がなされなければ攻城戦が始まり、都市を陥落させるか撤退するまで続く。 都市が陥落すれば略奪を受ける事となり、住民は殺されるか奴隷にされる。 アッシリアの王アッシュールナツィルパル二世は、ある都市の反乱について次のように記録した。


余がクツムキの地に滞在している時、その地の者が余に報告した。 「ビットハルプスのスルの都市が反乱を起こし、ハマタイを殺して統治機関を解体。 反逆者はビットアジニから担ぎ上げた、誰の息子でもないアヒアババを王にすえました。」 アダッドの助けと我が王国を築き上げた偉大な神々と共に、余は戦車と軍を集結させ、ハブルの岸へと進軍した。 ビットハルプスのスルの都市へ向かい、余はアッシュールの荘厳な恐怖を持って反逆者を殲滅した。 反乱を起こした都市の首謀者達と長老達は余の足下にひざまづき、命乞いを始めた。 余はアヒアババを捕らえた。 内なる勇気と余の武器の怒りと共に、余は都市を略奪した。 全ての反逆者は捕らえて殺し、アズイルを統治者としてすえた。 首謀者達は手足を切り落とした。 アヒアババはニネベに連行して皮を剥ぎ、城壁の上に掲げた。
(D.D. Luckenbill, Ancient Roman Records of Assyria and Babylonia)


 時間を超越した興味深い反政府勢力の例は、13世紀のイギリスによるウェールズ征服である。 ウェールズ人はイギリス王への愛情をほとんんど持っておらず、反乱が絶えなかった。 ウェールズ人による反乱を鎮圧させるためのイギリスの戦略は、ベトナムでアメリカが実施する700年前に先行して実施された。 イギリス人は現代風に言えば「戦略村」となる城を築いた。 戦略村とは政府の軍隊が駐留し、外部の攻撃に対して絶対的な安全を保証する場所である。 政府は勧めたり強制したりして城の近くの街へ人々を移住させた。 移住させるにあたり、政府はウェールズ人の中で善良なウェールズ人だけを選別する。 これにより、政府の管理下にある街に住む人々は善良で、その他荒野に住む人々は反逆者であると識別することができた。 この手段は功を奏し、反政府勢力は衰弱して死に絶えた。

 ルネッサンスと宗教改革は血に飢えた反乱を次々ともたらした。 そうであるにも関わらず、これらの戦争は敬虔の代名詞のように特徴付けられ、 圧政に抗うための戦いであると語られる。 社会は様々なプロテスタントとカトリックの軍隊を作り、宗教と社会は同じである事を示した。 最初の戦いは、宗教の名を借りた農民の反乱に過ぎなかった。

 フスの反乱は、その典型であった。 15世紀初頭のボヘミアはドイツ人から侵略を受け、ドイツ人はそこに住んでいたボヘミア人に置き換わった。 これら侵略者に対する恨みはヤン・フスというボヘミア人の異端者によって暴力という形で爆発し、ヤン・フスは後に教会から火刑に処された。 フス派と呼ばれた人々はヤン・ジシュカという隻眼の古き騎士をリーダーとして武装した。 ヤン・ジシュカは荷車に銃を積載した最初期の戦車を考案した人物でもある。 20年もの間フス派は敵が派遣した軍隊と戦ってドイツ人とカトリック教徒を虐殺し、挑発的な独立を保った。 しかしながら、フス派の反乱は内部抗争によってついに崩壊した。 戦いに疲れ切った人々は法と秩序の回復を歓迎し、神聖ローマ帝国の庇護に入った。

------------------------------------------------------------------------------

------------------------------------------------------------------------------
アメリカにおける反政府勢力 1765-83

 アメリカ独立戦争は、いくつかの予想外の事態と特別な軍事状況と共に、成功した反乱の標準的パターンをなぞっている。 反乱は1760年代におけるアメリカ植民者の母国へ向けた不満から始まった。 1765年の印紙法が引き金となり、武力による抵抗が拡散する。 「バランス・オブ・パワー」では、これはテロリズムと位置付けられる。 アメリカ人のテロリズム段階における行動は、流血よりも茶・土地・その他イギリスからの圧政を象徴するシンボルに向けられた。 これは注目に値する。 1760年代後半から1770年代にかけて、イギリスを支持した王党派の勢力増加と共に圧政は厳しさを増した。 同時にイギリスはその権威を主張してより激しく弾圧した。 テロリズムからゲリラ戦への移行は、1775年のバンカーヒルで起こった。

 革命戦争は内戦段階とゲリラ戦段階を明確に分離して戦われてはいない。 主要な原因はマスケット銃の粗雑さにある。 マスケット銃は50ヤード(約45メートル)を越えると照準が定まらなくなる。 これにより、マスケット銃は戦闘において次の二つの手法で使用された。 (1)目標の50ヤード以内に接近する。これはとても危険である。 (2)数百のマスケット銃を一斉に発射し、そのうち1ダース程度命中することに期待する。 ヨーロッパ人が用いた従来型の戦略は後者であり、イギリス人はこの手法を用いて戦った。 大陸軍は射撃技術に精通している兵士が少ないという問題に直面し、効果的なゲリラ戦略を必要とした。 それゆえ、大陸軍の戦略は従来型の立ったままの戦闘から、今日ゲリラが用いる不意打ち戦略へと移行した。 大陸軍は従来型の戦略に対しては逃げた。 なぜなら、イギリス軍は彼らが直面した手段のためにはあまりにも小さかったからである。

 フランス政府はいくつかの地政学的優位性を早期に見いだし、アメリカ反政府勢力に武器供与を始めた。 その直後からフランス政府は直接的な軍事介入で反政府勢力を援助し、実際にフランス海軍の参加がヨークタウンにおけるアメリカの勝利を決定づけた。 またスペイン政府も援助を行った。

 1778年に大陸軍は優勢となった。 アメリカ独立戦争は一般的な内戦で用いる手段によって実施された。 その後ヨークタウンでイギリスが最終的に降伏するまでに3年の月日を要する事になる。

------------------------------------------------------------------------------

------------------------------------------------------------------------------
反政府勢力のオスカー賞

 もし歴史上最もよく知られた反政府勢力に賞を贈るとするのならば、受賞者のリストはこのようになる。

最多出血賞: 1618年〜1648年の30年戦争における北ドイツ(プロテスタント)グループによる神聖ローマ帝国(カトリック)への反乱と、 1934年〜1949年の中国における国共内戦。両者とも3,000万人が死んだ。

最長反乱賞: バスク分離独立者による反乱。 バスク人は暗黒時代の数百年間をカルタゴ人・ローマ人・アラブ人・スペイン人と戦ってきた。 現在バスク人は独立を諦めたか、もしくは、勝利したと考えているように見える。

最大混乱賞: 1918年〜1922年のロシア内戦。 旧政府がクーデターによって転覆されたが、六ヶ月後にまた別のクーデターによって転覆し、 その後反動主義反政府勢力が新しい政府(赤軍)に対抗した。 赤軍(共産主義者)は白軍(君主主義者と共和主義者)とロシア帝国の覇権を争った。 その後様々な被支配民族から国家主義者が現れ、ロシア帝国からの分離を企てた。 その被支配民族とはポーランド・チェコ・フィンランド・エストニア・ラトビア・リトアニア・ウクアイナ・コサック・シベリアである。 その後フランス・ドイツ・アメリカ・日本が日和見主義的な目的を持って、散発的に介入した。 しばらく続いた戦いは数百万人の犠牲者を生み出し、ロシアは自身の血で溺れた。 赤軍がどの勢力に対しても決定的な勝利を得ることができなかったからである。

無益賞: 多くの候補者がいて選ぶのが難しいが、あえて選ぶのであれば紀元70年のユダヤ戦争であろう。 ユダヤ戦争は何の組織化もされていない人々が、絶大な力を持っていたローマ帝国に無謀に挑戦した。 残酷な事実だが、ローマ人に対する反乱は最初から破綻する。 平時ならば多くの人々はこの反乱が無謀であると考え、状況の悪化を避けるために自重するであろう。 しかしユダヤ人の強い愛国心と宗教心は人々を激怒させた。 その結果100万人の人々が戦いで死ぬという大惨事をもたらし、得るものは何もなかった。

舞台監督賞: カストロのキューバ革命。 革命の実体はこうであった。 カストロのゲリラは弱く、戦闘を避けながら遠い山地で隠れて行動していた。 また戦闘が起こった場合は大抵死者を出していた。 バティスタ政権は自身の金銭的無節操により崩壊した。 バティスタ政権が崩壊した時、カストロは山から下りてきて「英雄的闘争である」と自分で勝手に勝利を宣言した。 これによって30,000人のキューバ軍が投降し、わずかな戦闘によって200人が死亡しただけであった。

最優秀支援賞: 負け続けている南ベトナム政府に対するアメリカの支援。今後、これを上まわる支援者は出ないであろう。

最優秀効果賞: ベトナムでアメリカが自由の戦士のために使用した誘導爆弾・ナパーム・枯れ葉剤、その他諸々の効果。

ダビデとゴリアト(番狂わせ)賞: 1856年のヌーシャテル事件。 南ドイツにあるヌーシャテル市の共和主義者が権力を握り、プロイセンの支配を拒否した。 共和主義者はスイス連合に加わる事を主張する。 この時のプロイセンはヨーロッパにおける強国だった。 これはプロイセンという象がヌーシャテルというハエを踏みつぶすようなものである。 しかしフランスとイギリスがプロイセンの力を危惧し、反政府勢力を影から支援した。 これによりプロイセンは不本意な調停を受けざるを得なかった。

名前だけの反政府勢力賞: 大賞は16世紀にモスクワへ反抗した呪われしコサックのリーダー、スチェパン・ラージン。 スチェパン・ラージンは捕らえられ、モスクワで処刑された。 佳作はペルーの血に飢えた「輝ける道」、センデロ・ルミノソである。 センデロ・ルミノソは「人々」「自由」「正道」という言葉から最もかけ離れている。

------------------------------------------------------------------------------

クーデター

 反乱は革命によって結実する。 革命とは政府に対する突然で暴力的な変化の事である。 ただ、暴力行為なしで政府の変化が成し遂げられることがある。 それは多くの場合「元首の交代」を意味しており、「バランス・オブ・パワー」ではそのような変化をよりわかりやすく「クーデター」と呼ぶ。 この章ではクーデターと「バランス・オブ・パワー」におけるその扱いを記述する。

 クーデターは元首の交代を実現する。 古いリーダーは席を追われ、新しいリーダーが代わりに就任する。 政府の中間層・低層はそのまま変わらず、トップだけが変わる。 クーデターには「通常の元首交代」と「通常でない元首交代」という二つのバリエーションがある。 「通常の元首交代」とは、選挙のような合法的手段を用いた元首交代である。 「通常でない元首交代」とは、元首の頭に弾丸を撃ち込んでの元首交代である。

 クーデターと革命の主要な差異は、暴力の有無である。 革命は政府との間で軍事力が単純に比較される。 両陣営は敗北する事は死ぬ事と同じだと考える。 両陣営は力を信じ、自分たちが正義で相手が悪だと考える。 両陣営には埋められない隙間があり、反政府勢力は話し合いでの解決は不可能だと考えている。 ほとんどの反政府勢力は最後まで戦う。 銃を突きつけられるまで、敗者は負けを認めない。

 クーデターは通常、血や暴力なしで解決される。 最も暴力的なクーデターであっても、犠牲者が数百人を越えることはめったにない。 さらに言えば、流血はクーデターの意図する所ではない。 流血はクーデターが失敗した時に、首謀者に対してのみ発生する。 激しい暴力は反政府勢力の主要な戦略であるが、それはクーデターの第一歩にすぎない。

 クーデターと反乱における他の相違点は、革命に要する時間である。 反乱を発展させるには複数年の時間が必要だ。 いくつかの反政府勢力は10年単位の時間を必要とし、早くても数年はかかる。 クーデターはそれとは対照的であり、計画から実行まで数ヶ月ですむ。 最も長いクーデターであっても、要する年月は数年である。

 クーデターと反乱における三つ目の相違点は、革命は通常劇的な変化を社会にもたらすが、クーデターはそうでもないという点である。 いくつかの事例において、クーデターは何の政策変更もなしに実施される。 問題は変化における人の自己同一性(アイデンティティ)である。 革命勢力によるクーデターが社会を大変革させる事例は、とても少ない。 クーデターによる社会の変化が少ない事には理由がある。 劇的な変化は多くの人々を不安にさせ、怖がらせる。 こうなると人々の支持を得ることができなくなり、クーデターは失敗する。

暴力の範囲

 クーデターには多くの手法・政治的種類があり、私はそれらを広い範囲におけるクーデターとしてひとまとめにした。 クーデターは並び替えられ、かつ、基礎的な主要事項によって分類分けされる。 その主要事項とは、クーデターに関与した暴力の量である。 この範囲における最も激しい暴力を伴ったクーデターと、最も平和裏に遂行されたクーデターを紹介する。

暴力的な軍隊によるクーデター

 最も暴力的なクーデターは、主導権を掴むために実施される軍隊の派閥争いである。 時にこれは多くの戦闘なしでも達成される。 しかし、クーデターの首謀者を押さえ込む前に現体制の支持者を取り込む事ができれば、激しい戦闘が発生する。 イエメンにおける最近の戦闘はこれによって発生し、両者への支援によって、戦闘の長期化と多くの犠牲を強いた。 イエメンのクーデターはゲリラ戦の延長ではなく、軍隊同士の正面衝突である。 このクーデターでは、そこで用いられる近代兵器がいかに致命傷を与えるかが実証された。

 軍事クーデターの中ではるかに典型的なものは、1985年のタイで未遂に終わったクーデターである。 大統領宮殿にいくつかの部隊が集結し、王国軍の部隊が救援するために突入した。 その後数発の警告射撃と共に両者がにらみ合ったが、反乱部隊は説得に応じた。 この反乱部隊の行動は、一斉蜂起の火蓋を切ることなく収束する。 犠牲者は数人に過ぎなかった。

宮廷クーデター

 軍事クーデターの一つに、宮廷クーデターがある。 これは大統領とその側近に対してのみ軍事力を集中させ、犠牲者数を減少させようという試みである。 首謀者は数人の兵士と共に大統領宮廷に現れ、大統領の頭を銃で撃ち抜く。 うまくいけばこれだけで大統領が交代する。 あるいは、単純にその場の全員を撃ち殺す。 この宮廷クーデターには二つの問題点が存在する。

 一つ目は、野蛮な発展途上国の場合、大統領が24時間強力な護衛を引き連れているという点である。 これは大統領宮廷に入り込むことが非常に難しい事を意味する。 ソ連がアフガニスタンで友好勢力を支援した時、この問題に直面した。 ソ連の意図は少数の兵士を大統領宮廷へ派遣し、アフガニスタンの指導者であるハフィーズッラー・アミーンの頭を撃ち抜くことであった。 だが、ソ連はアミーンが配置した護衛やその数を甘く見積もっていた。 アミーンはバリケードを配置し、すさまじい戦闘が何日も繰り広げられた。 戦闘が終結した時には多くの犠牲者を出し、ソ連がもくろんだ指導者のシンプルな交代という物語はうまくいかなかった。

 二つ目の宮廷クーデターに関する問題点は、先進国で指導者を暗殺しても、自分が新しい指導者になりえない点である。 先進国で指導者を殺した者は、単なる暗殺者だ。 たちまち国民や軍隊に発見され、吊し上げられるであろう。

非暴力軍事クーデター

 次に非暴力軍事クーデターを紹介する。 これはまだ平和な間に軍事力を敵対勢力に見せつけるという考えである。 1944年7月にヒトラーに対して実施されたクーデターは、その性質を持ち合わせていた。 共謀者はヒトラーを爆弾で殺す事を計画し、ベルリンでヒトラーの支持者を逮捕しようと試みた。 共謀者の暴力的行為は、爆弾を爆発させることだけである。 支持者の逮捕は、ヒトラーの死を見せつけた上で、非暴力のうちに実施される。 しかし陰謀は失敗した。 何人かの重要な司令官達が、軍事力に基づかないリーダーシップの合法性を拒絶したからだ。 ドイツ人将校は、軍事クーデターのような野蛮を受け入れるには文明的すぎたのである。 これは皮肉ではないだろうか?

 大統領宮廷に数台の戦車が進入して文民政府の将軍を失脚させ、文民政府が軍事政権に置き換えられるという軍事クーデターもある。 政府は現在は非常事態であり、状況が許せば直ちに選挙を行うと、表向きは表明するであろう。

 軍隊による歴史上最も文明的なクーデターは、数年前にスペインで実行されたクーデターであろう。 スペイン人大佐が国会内で数人の兵士と共に数発の弾丸を天井に撃ち、始まったばかりの民主主義が軍隊によって中断させられた。 大佐は自らの行動によって他の部隊が自分の部隊に合流すると考えた。 スペイン全土は息をのむ。 軍隊はどう動くのか? この時フアン・カルロス王は自分の軍服を身にまとってテレビに姿を見せ、この「犯罪的行為」を糾弾し、 王の威信全てをかけて民主主義を支持した。 その後王の誓約に基づいて将軍達が国会内にいる銃を持った狂人に電話を掛け、事態の収拾を図った。 大佐は降伏し、今は牢獄の中にいる。 この出来事は憲法上の王が持つ計り知れない価値を示した。 王を残す事は全ての人々の良心を残す事であり、それはイデオロギーとは無関係である。 切羽詰まって手に負えない民主主義が社会を分断させようとした時、 王は威信を用いて法と秩序を回復させる事ができる。 フアン・カルロス王の行動は明確であり、多くの称賛を得た。 憲法に忠誠を誓う我々アメリカ人にとって、憲法上の王を理解することは難しい。 しかし、我々は王の持つ効果を否定することはできない。

民衆の暴動

 次に紹介するクーデターは、民衆の暴動である。 政府に恨みを持つ民衆が立腹して街に繰り出し、暴動になる。 もし多くの人々が政府に腹を立てた場合、人々は世界の根本原理を理解するであろう。 人々の承認がなければ政府は機能しない。 軍事力も警察力もその意志に対抗する人々を制御する事ができない。 長期にわたって虐げられた人々は、野生化し暴徒と化す。 これは政府が統治能力を失った事を意味する。 もし街の平静を維持できず、政府機関が機能しなくなった場合、 唯一できる事は新しい政府が現れる事を待つだけである。 このようにしてハイチの人々はベビー・ドク・デュヴァリエを倒した。 デュヴァリエはトントン・マクートという秘密警察を持っていたが、その恐怖にも打ち勝った。 似た状況により、イラン皇帝シャーも秘密警察サヴァクがあるにも関わらず失脚した。 1970年にエドヴァルト・ギェレクによるポーランドの共産主義政権も似たような手法で倒された。 共産主義者による多くの鎮圧対策がされたにも関わらずである。

 これら民衆の暴動による成功例は例外であり、一般的ではない。 不安定な人々は世界の多くの国々において普通に存在し、そういった人々は怒りと共に頻繁に街へ繰り出す。 上記三つの事例(ハイチ・イラン・ポーランド)の場合、深刻な状況を支配者が認識できず、手遅れとなった。 そのような認識となった理由は、市民の暴動が頻発しているからであり、取るに足らない問題と考えたからである。 ほとんどの場合、警察は群衆に対して厳しく取り締まり、群衆も怒りを発散させた後に霧散する。 この40年間に10,000件の暴動があり、そのうち1%に当たる100件でしか指導者が交代していない。 政治的指導者は群衆を驚異とは滅多に感じないのである。

政治的クーデター

 次に紹介するクーデターは、純粋な政治的クーデターである。 ソ連と多くの共産主義国はこの政治的刷新と深いつながりがある。 共産主義国では軍隊を巻き込んだクーデターが非常に少ない。 なぜなら、共産主義国は基本的に絶対的な政党が軍を完全に掌握しているからである。 また共産主義国に真の選挙は存在せず、ただ指導者が交代する。 この交代を政治的クーデターと呼ぶ。 政治的クーデターは陰謀の連鎖によってもたらされる。 その目的は現在の指導者に対して新しい総意を作る事であり、新しい指導者を迎合する事である。 政治的クーデターは陰謀を指導者から隠し、指導者が用いる対抗手段を妨害する事に難しさがある。 1964年におけるニキータ・フルシチョフの追放はその過程を体現している。 フルシチョフは南部で愚かな休暇を取り、共謀者がモスクワでおおっぴらに活動するチャンスを与えた。 側近が警告の電話を掛けたが、その応答に失敗する。 この時、フルシチョフは自身の力を発揮する最後のチャンスを失った。 フルシチョフは対抗手段を整えていたが、遅すぎた。 ブレジネフとコスイギンは党における政治的地位を強化し、フルシチョフの追放を完全なものとした。

慣例化された「クーデター」

 慣例化されたクーデターもある。 慣例化されたクーデターは西側民主主義国で主に見る事ができる。 これらの国はよく組織化され、混乱する事が少ない。 西側のほとんどの国は国会の信任を得た連立政権による議会制民主主義を用いている。 一度信任選挙に敗れると解散し、新しい連立を組まなければならない。 この方式はアメリカ合衆国で指導者を交代させるための定期的な選挙として用いられる。

クーデターを誘発する要因

 あらゆる不満がクーデターを誘発させる。 国会を急襲したスペイン人大佐は、スペインの民主主義は腐っており、軍による指導がスペインの秩序を回復させると考えていた。 1970年代にはアルゼンチンの将軍達が反乱を起こした。 将軍達は、文民政府では国を崩壊させる左翼テロリズムに対抗する事ができないと考えたからだ。 個人的な野望もクーデターを企てるための大きな要因である。 革命政府に対抗したナポレオンのクーデターに社会的民意はなく、野心的な男の身勝手な反乱にすぎなかった。

経済

 クーデターを誘発する最も大きな要因は経済である。 人々が飢えによる不満の声を上げた時、政府は転覆する。 また急激なインフレもクーデターの要因となる。 アメリカの政治では、経済の実績は選挙において大きな役割を占める。 良好な経済は現政府にとって有利に働くが、経済が悪化すると反対派を大いに加速させる。 この問題はGNPでなく、GNPの成長率に依存する。 例えば急激に成長している東アジアの国々(韓国・シンガポール・台湾・日本)での政治は良好で安定している。 他のアジアの国々(フィリピン・タイ・マレーシア)の成長は遅く、政治も不安定である。

 「バランス・オブ・パワー」ではGNPの成長率に重きを置いていない。 その代わり、一人あたりの消費者支出の成長を重視している。 消費者支出とは、人々が自分の幸福に対して支出した金額の総量である。 それはGNPから公共投資額と軍事費を除いた額が該当する。 消費者支出には食費・衣料費・住宅費なども含まれ、一般的な市民がGNPを経験するただ一つの手段である。 政府は統計を粉飾して発表する事ができる。 しかし粉飾された統計は単なるプロパガンダであり、それよりも、テーブルの上に積まれたパンの数の方が信頼できる。 いくつかの国において、GNPは人口よりも緩やかに成長する。 それは、一人あたりのGNP・一人あたりの消費者支出ゆえである。 GNPが成長していても、それ以上に人口が増えれば、一人あたりの値は落ちる事になる。

超大国の役割

 超大国は世界各地で発生するクーデターを制御したり防いだりする事はできないが、クーデターを誘引したり煽ったりする事はできる。 超大国はクーデターに関して様々な手段を用いる事ができ、それらは「不安定化」と呼ばれる。 不安定化は累積され、政府に抵抗する勢力のいしずえとなる。 ヘンリー・キッシンジャーは、チリのアジェンデ政権に対する不安定化はニクソン政権の政策であったと断言した。 超大国が望めばこれよりさらに大きい不安定化も可能であり、政敵に対して更なる支援を行う事ができる。 KGBは様々な国で政治的陰謀を持った多数の暗殺組織と関係している。 超大国が用いる事ができる最も強力な影響は、危機が起こったその時に現れる。 当該国に対して影響力を持つ超大国は、抵抗勢力を助成する事ができる。 例えばアメリカは1963年に南ベトナムの指導者であるジエムに対抗するためにクーデターを仕掛けた。 似た事例として、イランのシャーに対する支援を取りやめた事が、シャーを亡命させる大きな要因となった。

経済援助

 超大国は政府を支援するという選択肢も持っている。 その最も効果的な支援とは経済援助である。 貧弱な経済状況ゆえに国は不安定となり、それがクーデターを導く大きな要因となる。 経済状況を改善させるための何らかの援助は、政府を強化する。 ただ、海外援助の有用性には多くの限界がある。 まず海外援助は実際に現場へと届けなければならない。 多くの第三国は政治腐敗が絶望的なまでに進んでおり、意図した場所にまでたどり着く海外援助はほんのわずかである。 次に、政治的思惑によって、GNPを最大限改善させる目的ではない海外援助が行われる。 海外援助を受ける国の虚栄心の強い指導者や、その指導者とつながりのある援助者は、大げさで役に立たないダム・道・工場を建設する。

クーデターの結果

 クーデターは二つの結果をもたらす。 一つ目にして最も明らかな結果は、古い指導者から新しい指導者への交代である。 これは取るに足らない出来事、または、大きな意味を持つ出来事である。 アフリカでの多くのクーデターは、ある部族の独裁者が別の部族の独裁者へ交代するに過ぎない。 一方、イランのシャーに対する民衆クーデターは、イラン社会を急激に変化させた。

 クーデターがもたらす二つ目の結果は、指導者の不規則な交代である。 クーデターのような出来事は、社会に対する信頼や尊敬を腐敗させる。 もしAが何のためらいもなく指導者を撃って権力の椅子へ座った場合、BやCも後に続くために同じ事を行うのではないだろうか? その後はD・Eと、永遠に続くのではないだろうか?

「バランス・オブ・パワー」における「クーデター」

 「バランス・オブ・パワー」ではクーデターをとてもシンプルに扱っている。 「バランス・オブ・パワー」では経済力がクーデターを発生させる主な要因となる。 二番目の要因は政府の政治的傾斜である。 右翼・左翼関係になく、極端に偏った傾斜を持つ政府は、クーデターへの耐性が少ない。 とはいえ、経済力こそがクーデターを発生させる最も大きな要因である。 「バランス・オブ・パワー」で扱う経済に関する計算は次の通りである。


消費者圧力値 = (20 - 政府支持値) * 10 IF 消費者圧力値 < 1 THEN 消費者圧力値 = 1

公共投資圧力値 = (80 - 公共投資割合) * 2 IF 公共投資圧力値 < 1 THEN 公共投資圧力値 = 1


 「消費者圧力値」とは政府が経済における他の二つの主要な支出(公共投資と軍事費)を犠牲にしてでも、 消費者支出を増加させなければならないと考える割合である。 「バランス・オブ・パワー」における「政府支持値」は1から20で表現され、20が最も高い支持を得ている政府となる。 これらの式は、政府への支持が落ちた場合に、政府は消費者支出の増加を考えるという事を意味している。

 「公共投資圧力値」とは政府が公共投資を増加させなければならないと考える割合である。 この圧力は、通常弱い。 公共投資とは、新しい道・学校・工場などに投資されたGNPの一部である。 「バランス・オブ・パワー」においては0%から100%という値は使用せず、0から256までの値が使用している。 0から256までの範囲は、16ビットコンピュータで扱うには最適な値だからだ。 例えば投資額40の場合、0%から100%で表現するGNP換算においては、15%を意味する。

 クーデター増加の計算に使用した三つ目の経済要素は「軍事圧力値」である。 これは複雑な式で計算される。


軍事圧力値 = 反政府勢力強度の平方根 + アメリカへのフィンランド化可能性 + ソ連へのフィンランド化可能性

If 軍事圧力値 < 1 THEN 軍事圧力値 = 1


 この式は扱いにくい。 「軍事圧力値」とは政府が軍事費を増加させなければならないと考える割合である。 式の最初で反政府勢力・政府間の力の比率を平方根によって求めている。 もしこの値が大きいのならば、反政府勢力が巨大かつ強力である事を意味し、政府は軍事費を増額した方が良いと考える。 二番目と三番目の数値は、両超大国に対する「フィンランド化の可能性」である。 これらは政府が両超大国によって脅され、攻撃されると考える割合である。 軍事費は政府がそのような状況で安全保障を増加させる事ができる唯一の手段だ。 小国は自分自身が超大国に対抗できるとは考えていないが、例外もある。 ダニエル・オルテガのニカラグア政府は、自らの軍隊の威力を信じている。 しかし、それはアメリカの侵入によって高いコストを発生させるであろう。

 GNP予算におけるこれら三つのプレッシャーは、いかにGNPを割り当てるかを決定するために、一つにまとめられる。


総合圧力 = 消費者圧力値 + 公共投資圧力値 + 軍事圧力値

断片ポット = 0

If 消費者割合 > 16 THEN 消費者割合 = 消費者割合 - 8 AND 断片ポット = 断片ポット + 8

If 公共投資割合 > 16 THEN 公共投資割合 = 公共投資割合 - 8 AND 断片ポット = 断片ポット + 8

If 軍事割合 > 16 THEN 軍事割合 = 軍事割合 - 8 AND 断片ポット = 断片ポット + 8


 これらの奇妙な計算式は、この後、経済の主要な三つの分野に対して割り当てるGNP割合の「断片ポット」を作る。 IFの目的は各分野において最低限必要な値(256中の16未満、パーセント表記ならば6%)を保護する事である。 またGNPの合計において6%を越える分野については、GNPの割合から8を共通の断片ポットに割り振らなければなければならない。 新しいGNP部分は次のように割り当てられる。

                              (公共投資圧力値 * 断片ポット)
公共投資断片 = 公共投資断片 + -----------------------------
                                        総合圧力

                      (軍事圧力値 * 断片ポット)
軍事断片 = 軍事断片 + -------------------------
                             総合圧力

消費者断片 = 256 - 軍事断片 - 消費者断片


 これらの式は、経済におけるそれぞれの分野で発生した圧力の割合に応じて、断片ポットの一部を受け取る事を意味する。 このプログラムの目的は、世界中の全ての社会に存在する、自然な政策決定の種類を再現する事である。 指導者は限られた資源を貪欲な要求に応じて割り当てなければならない。 この問題を表現するために、圧力が使われる。 圧力が強いほど、断片ポットから多くの予算を獲得できる。 この圧力を使う事によって、荒削りながらも政策決定過程を表現している。

 上記の式は、軍事費・公共投資・消費者支出というGNPの分割が、政府によって決定されているわけではないという事を意味している。 式は経済における三つの主要な分野(軍事費・公共投資・消費者支出)において、社会的圧力がどのように影響して解決され、 予算が組み替えられるかを扱っている。 この決定は、政府の指導者・市場・強力な銀行家のいずれが決定しても関係ない。 例えば、モデルは軍事的脅威が異なる分野である公共投資への必要性に対して、どのような影響を与えるかを表現する。 GNPの分野についてデータが存在しない国については、万能モデルを使用した。

 分野毎に分割されたGNPモデルにおいて、次の式を用いて消費者支出を変更する。

                           255*(消費者支出)
旧一人あたりの消費者支出 = ----------------
                                 人口

仮想GNP = GNP + 超大国からの経済援助額

            (仮想GNP * 2 * (公共投資断片 - 30))
GNP = GNP + -----------------------------------
                            1000

 最初の式は一人あたりの消費者支出を単純に計算している。 二つ目の式は計算目的で使用される「仮想GNP」を作っている。 これはGNPとよく似ているが、同じものではない。 三つ目の式において、多くの仮想GNPは消費され、未来に投資される経済の一部としてGNPを成長させる。 この時、30(GNPで約12%)より小さい公共投資断片は経済を減速させる結果となる。 GNPの成長率と投資断片に関しては、いくつかの単純な経験的データに基づいている。 三つ目の式にはしきい値が存在し、一人あたりの資産償却の平均を計算している。 これによって、一年あたりに少なくとも12%の公共投資を行わない場合、 道路・工場・学校・その他は新しく作られる数よりも多い数が失われていく。 その結果GNPは減少する。

 ここから新しい消費者支出を計算する。

                           消費者断片 * 仮想GNP
新一人あたりの消費者支出 = --------------------
                                   人口

 最後に各一人あたりの消費者支出を使って成長率のパーセンテージを計算する。

         100 * (新一人あたりの消費者支出 - 旧一人あたりの消費者支出)
成長率 = -----------------------------------------------------------
                          旧一人あたりの消費者支出

 これにより今年の政府好感値が計算できる。

                                   絶対値(政府思想値)
政府好感値 = 政府好感値 + 成長率 + ------------------ -3
                                            64

 最初の「政府好感値」は、去年の「政府好感値」を基礎として計算される。 これには政府に対する忠誠心が考慮されている。 現政府を好む人々は、何らかの強い動機がなければ好んだままである。 また、これは各年における政府の好感度は完全にまっ白な状態から始まらない事を意味する。 去年良い働きをした政府に対して人々は好感を持ち、それが翌年に繰り越される。

 二番目の「成長率」は、経済において最も重要である。 もし政府が一人あたりの消費者支出における成長率を向上させたのならば、国民の平均寿命が延び、政府への好感度が上がる。 一方、一人あたりの消費者支出が下がった場合、成長率はマイナス成長となり、政府への好感度は下がる。

 三つ目の「政府思想値」は、全てのモデルにおいて最も論争の余地がある値の一つだ。 「政府思想値」は政府の好感度が過激性に応じて増加する事を定義している。 前述したが、極左政府は-128以下の政府思想値で表現され、極右政府は128以上の政府思想値で表現される。 中道政府の政府思想値は0である。 左右共に急進的な政府は好感度にボーナスを得る。 なぜなら、そのような政府は過激だからである。 急進的政府は反体制派を抑制する傾向を持っており、かつ、中道思想を持った政治家の活動を阻害する。 この二つの影響を反映させるため、式に加えている。 ただ、この効果は限定的であり、真に極端な政府に対してのみ僅かなボーナスが加算される。

 最後の数値は式において重要な意味をもたらす。 私は政府好感値から「大衆の自然な期待値」と呼ばれる3を引いた。 「大衆の自然な期待値」とは、人々の経済成長に対する期待を表す値である。 事実、人々は一人あたりの消費者支出において3%の成長を期待している。 政府が3%の成長を達成した場合、人々はただ満足する。 もし3%の成長を達成できなかった場合、プラス成長であっても人々は不満を抱く。 私がこの3という数値を、どのようにして算出したとお考えだろうか? 図書館で経済統計に関する本に埋もれて、政治的な不満に関して逐一確認していったのだろうか? 正解は実験による算出である。 2%の成長率は人々を常に幸福にするには低すぎ、ゲームにおいてクーデターが発生しなかった。 これでは退屈である。 一方4%の成長率は、ゲームにおいていかなる政府も達成する事ができないという、高すぎる値であった。 3%という数値は、簡単すぎず、絶望すぎない、ちょうど良い中間値なのである。 現実世界がゲームデザインと同じぐらい扱いやすければ良いのだが・・・。

 これで政府好感値の再計算が終了した。 次はクーデターが発生するか決定する。


IF 政府好感値 < (アメリカ不安定化値 + ソ連不安定化値) THEN クーデター発生


 通常、どちらの超大国も不安定化に従事しないので、アメリカ不安定化値もソ連不安定化値もゼロである。 こうなると、IF文は「政府好感値」がゼロより小さければ?という意味になる。 もし超大国の一方、あるいは両方が不安定化に従事したのならば、不安定化値は1から5の値として表現される。 この値は、ゲーム画面の政策メニューに存在する不安定化項目で選択した5つのレベルに対応する。 不運にも両超大国が最大レベルで不安定化に従事した場合、政府好感値が10低下した上でクーデター発生条件のIF文を解決しなければならない。

 クーデターが発生した場合、反政府勢力によって政府思想値の左翼・右翼が反転する。 この時、新政府の人気は真っ白な状態から始まる。 なぜなら、人々は新しい政府に期待するからである。 その反面、政府の反政府勢力に対抗する力は弱くなる。 誰のために戦っているのか分からなくなった兵士は、今までのように戦わないからである。

 クーデターの発生は、超大国との関係も変化させる。


関係の変化 = (絶対値(反政府勢力思想値 - 超大国の政府思想値) - 絶対値(政府思想値 - 超大国の政府思想値)) / 2


 この式は、新しい政府が超大国のイデオロギー的立場に対して近づくか、遠ざかるかという「イデオロギー的距離」を計算している。 もし超大国のイデオロギーに近づいた場合、両国間の外交関係は改善する。 同様に、超大国のイデオロギーから遠ざかった場合、両国間の外交関係は悪化する。

 以上が「バランス・オブ・パワー」におけるクーデターの扱いである。

------------------------------------------------------------------------------
クーデターの通知表, 1948-77

 「World Handbook of Political and Social Indicators(政治と社会指針に関する世界ハンドブック)」(タイラー、ジョデル共著 1983) は、1948年から1977年までの30年間に及ぶ政治的イベントの概要を紹介している。 そこから興味深い出来事を見ていこう。

 タイラーとジョデルは政治的イベントを「指導者の規則的交代」「指導者の不規則的交代」「失敗した指導者の規則的交代」 「失敗した指導者の不規則的交代」という四つのタイプに定義した。 指導者の不規則的交代とは、「非合法な手段によって現職の国家指導者が交代したり降板したりする事」を意味する。 指導者の規則的交代とは、合法的な手段による指導者の交代である。 普通、我々は指導者の不規則的交代をクーデターと考える。 しかし、「バランス・オブ・パワー」の世界では、指導者のいかなる交代もクーデターと表現している。

 「失敗した指導者の規則的交代」は、議会制民主主義に精通していない読者には判りづらい。 全ての政府に議会が存在するわけではないが、少なくとも指導者階層には存在し、政府は議会の信任と共に政治を行う。 もし政府による何らかの理由によって、議会における信任投票がなされなかった場合、 その政府は解散したと見なされ、新しい政府が樹立する事になる。 新政府を構築している間、力を持っていない派閥は新しい政府へと合法的に加わる事を試みる。 この試みが失敗した場合、「失敗した指導者の規則的交代」と呼ばれる。

 タイラーとジョデルは抽出期間中に合計238件の指導者の不規則的交代と、304件の失敗した指導者の不規則的交代があったと報告している。 これは全てのクーデターのうち、44%が成功している事を意味する。 この成功率は反乱による成功率の二倍にあたる。 指導者の規則的交代はさらに印象的である。 指導者の規則的交代は1,645件あり、失敗した指導者の規則的交代は409件であった。 この成功率は80%におよぶ。

 興味深く、心強い情報がここにある。 最も暴力的で残忍な政変の形である反乱は、ここ40年間で20%の成功率である。 次に残忍な政変は指導者の不規則的交代であり、その成功率は44%である。 その期間における、文明的な政変である指導者の規則的交代の成功率は80%である。 世界が野蛮な方向へと向かっていると考える人々は、この数値を知っておいた方が良いであろう。

 クーデターに関する悪い情報もある。 成功・失敗に関わらず、クーデターの発生率そのものが長期的に減少している傾向はない。 毎年毎年、クーデターは指導者の規則的交代を押しのけて、増えたり減ったりせずにやって来る。

 いくつかの国はクーデター回数の最多記録を保有している。 栄誉ある第一位はボリビアとシリアの二カ国である。 ボリビアは今までに18件の失敗したクーデターと、6件の成功したクーデターを経験している。 シリアの場合、12件の失敗したクーデターと、12件の成功したクーデターである。 シリアはボリビアよりもクーデターを起こしやすい場所である。 1970年代にハーフィズ・アサドが政権を取るまで、シリアは世界で最も政治に関して活動的な国であった。 成功・不成功に関わらず24件の指導者の不規則的交代があり、48件を越える指導者の規則的交代があった。 48件という数は世界一である。 失敗した指導者の規則的交代は24件あって、第6位であった。 同期間におけるアメリカ合衆国の失敗した指導者の規則的交代は15件あり、16位に位置付けされている。 ハーフィズ・アサドは全てを変え、シリア政治に「安定」をもたらした。 これはそれほど悪い事ではないように見える。 抽出期間中、ハーフィズが権力を得る前のシリアでは、政治的暴力によって2,000人が死亡し、28件の暗殺が起こっている。

 国政選挙について。 スイスは43回、フランスは26回の国政選挙を行っている。 アルジェリアでも18回の国政選挙を行っているが、アメリカは15回の国政選挙しか行っていない。 またソ連は7回の国政選挙を行っているが、香港は1回だけである。

 フランスは61回、イタリアは41回という失敗した指導者の規則的交代の記録を保有しているが、これは驚くに値しない。 フランスは15回の社会的不安定が発生し、イタリアは16回の騒乱が発生している。

 西側諸国の民主主義が第三国における政変のための適切な見本であると考える人々は、 指導者の規則的交代における上位10の国々に対して驚きを禁じ得ないであろう。 上位10の国々のうち、西側民主主義国と呼ぶ事ができる国は、ギリシャのみである。 指導者の規則的交代を行った他の国々は、ほとんどが中東に存在する。 フランスにおける指導者の規則的交代は29回で、11位である。 また、ソ連・ブルガリア・アフガニスタン・東ドイツ・チェコスロバキア・ポーランド・中国・ルーマニア・クウェート・ウガンダ・ マラウイ・フィリピンはどうであろうか? フィリピンにおける指導者の規則的交代は30年間で6回であり、アメリカよりも少ない。 これはどのように解釈すれば良いのか? アメリカにおける指導者の規則的交代はまれであるが、それは安定を表し、非合法が存在しない事を意味する、という意見がある。 ただ、選挙や指導者の規則的交代の数で民主主義の品質を測るといった主張はできないであろう。

------------------------------------------------------------------------------

------------------------------------------------------------------------------
クーデターの歴史

 クーデターは反乱ほど長い歴史を持っていない。 初期の文明には暴力なき権力の移行という概念が十分ではなかった。 歴史上の多くの時間において、ある指導者から別の指導者への権力の移行は、暴力と多くの関係者を巻き込んでの血塗られた過程が存在した。 この性質の権力闘争は非常に破壊的だったので、ほとんどの文明は多大な恐怖心を抱いていた。 この恐怖心に起因して、社会に対する混乱が最少で済むような王の交代方法が用いられるようになる。 「王よ永遠なれ」という言葉は、王族の繁栄を祈願する排他的表現ではない。 この言葉は王が長生きする事によって、流血を伴う混乱が減少する事を祈願する言葉である。 王位継承者の誕生が一般市民の祝福を受けるのも、似たような意味である。 王が死んだ時、一般的に王家の長男が王位を継承すると見なされる。 このようなシステムがあると、王が死んだ時に起こる王位継承戦争を減らす事ができる。 また、人々は複数の王位継承者が現れる事を恐れている。 王位継承者が増えると王位継承権が不確かなものとなり、野心的な兄妹が血まみれの戦闘を引き起こす。 トルコ人は、王家の誰かが王位継承権を得るために、無慈悲に殺し合うという概念を持っていた。

 最初の真に現代的なクーデターは、ローマの歴史から見つける事ができる。 ユリウス・カエサルは最初の軍事的なクーデターを引き起こさなかったが、 ルビコン川の渡河とローマへの入城は、初期のクーデターとしてる最も有名である。 さらに、それはローマにおける権力移行の先例となった。

 暗黒時代は、多くのクーデターを引き起こすには原始的すぎる時代であった。 フランクのシゲベルト王は、紀元575年にこのようにして退位させられた。


二人の若者がフレデグンド女王に買収され、シゲベルトの元へやって来た。 二人はスクラマサクスと呼ばれる強力なナイフを持っており、刃には毒が塗られていた。 王に何か話しかけようと見せかけて二人は接近し、王を両側から突き刺した。 王は大きな叫び声を上げて地に倒れた。 その後、間もなくして王は死んだ。
(ルイス・ソープ訳、History of the Franks: Gregory of Tours(フランクの歴史:トゥールのグレゴリウス))


 歴史におけるこの時代は、殺人と無政府状態によってねじ曲げられた時代であった。 このような環境では、クーデターの概念は正常に働かない。 それは、酒場で喧嘩をしている連中に対して、議会手続きを適用させるようなものである。

 征服王ウィリアムの時代は、流血なき権力の移行にほど遠い時代であった。 次の700年間は王位継承システムが強く機能していた。 しかしクーデターが王家に対する配慮をかき乱す。 王家を安定させるためのルールはほとんどの時代で機能したが、この時代はそのルールがうまく機能しなかった。 そして、イギリスの薔薇戦争のような内戦が続けて起こった。

 王位継承システムで用いられるルールを集約すると、次のようになる: 王が死んだ時、王位は王の嫡男が引き継ぐ。 もし嫡男の年齢が18才以下の場合、幼王が成人するまで摂政が選出される。 摂政は、叔父のような近縁者が通常選ばれる。 息子がいない場合、話はややこしくなる。 もし娘がいるのならば、王冠が娘に与えられる。 この時、娘が結婚しているか否かが今後を左右する。 もし子供がいなかったり死んでいた場合、王権は王冠に与えられる。 これらの条件が全て適用されない場合、多くの人々が弱い根拠を持ち出して王権を主張し始める。 遠い親戚がどこからともなくやって来たりもする。 また、外国の王家が王権を主張したりもする。 (征服王ウィリアムはあいまいなイギリスの王権を持っており、それを根拠に攻め入った。) こういったあいまいな主張は、戦いによって解決される。

 フランス革命は、指導者としての王権が変遷する事に終わりを告げた。 古いしきたりの崩壊は新しい政変の方法を招く。 また変化の時は不安定化の時である。 初期のアメリカ合衆国において、アーロン・バーはクーデターと呼んでも良い企みを行った。 ヨーロッパは1830年・1848年・1870年に大衆暴動を経験した。 政府がクーデターに対抗する前に、国家そのものが生まれて、民主主義が確立する必要がある。 フランスの民主主義は20世紀初頭まで不動ではなかったし、1920年に始まったドイツの民主主義も1960年まで安定しなかった。

------------------------------------------------------------------------------

------------------------------------------------------------------------------
フィリピンクーデター, 1986年2月

 最も最新で劇的なクーデターは、コラソン・アキノによるフェルディナンド・マルコス大統領に対するクーデターである。 混沌とした様々な事件を背景に持つこのクーデターは、全てのクーデターが持ちうる複雑で先天的なあいまい性を強調する。 多くの人々は革命とクーデターの区別が付かない。 「バランス・オブ・パワー」におけるクーデターは明確であるが、フィリピンクーデターにおける事件の順序は少し複雑である。

 まずマルコスが抜き打ち選挙を行うと告知した事から始まった。 マルコスはこの選挙を簡単に勝てると考えていたが、選挙が進むにつれ、勝つためには不正が必要だと明らかになった。 選挙はマルコスのリーダーシップを反証する選挙となる。 多くのフィリピン国民はマルコスに疑惑を持ち始め、実際にその疑惑は当たっていた。 選挙が始まってわずか数日でクーデターが始まる。 疑惑はさらに数を増して拡散し、不満を抱く市民の巨大な集団が街路に繰り出して、怒りをデモとして表現した。 マルコス政権の不正は今や完全に明らかとなり、フィリピン人を反マルコスとして団結させた。 最も重要な事は、これによってマルコスをいぶし出し、反対派が必要とした重大な誤りを犯させた事である。

 2月22日、マルコスの兵士は反対派の一部を逮捕した。 これがきっかけとなり、キープレイヤーが現れる事になる。 防衛大臣のフアン・ポンセ・エンリレである。 エンリレは「フィリピン国軍改革運動」の設立に協力した人物だ。 「フィリピン国軍改革運動」とは、フィリピン軍の政治問題に幻滅した100人の職業軍人で構成されるグループである。 フィリピン国軍改革運動は騒乱とは無関係であったが、その存在はマルクスに対する脅威であったのかもしれない。 エンリレは自分自身も逮捕されると考え、反対派の立場を取るようになった。 エンリレは防衛大臣を辞任し、代わりにフィデル・ラモス将軍が防衛大臣に就任する。 フィデル・ラモス将軍と他のメンバーは、大統領宮殿から遠くない場所に防衛陣地を築いた。

 これは人々に開かれた反乱であった。 その反乱はマルコスに対する明瞭かつ安定した率直な抵抗であり、マルコスに反抗する人々に対して明確な焦点を具体化した。 いくつかのクーデターや反乱は、常に具体化の危機に直面する。 誰が最初の一歩を踏み出すか? 誰が反乱の責任を持つのか? 多くのクーデターは、反対勢力の中に英雄や殉教者が存在しないという理由で失敗する。 マルコスがエンリレの影響力を排除した事が、自身の政権崩壊を早める結果になるとは皮肉である。

 具体化は急激であった。 数千人ものフィリピン国民がバリケード内に籠城し、自らの蜂起を政府側の軍事行動から守って見せた。 この時他の軍事部隊は持ち場から動かなかった。 これによって、マルコスの権力は72時間と持たずに完全に崩壊する。 2月25日火曜日の晩、マルコスは逃亡した。

 このクーデターにおけるアメリカの役割は大きく、それはVサインをしながら勝てると信じていたフィリピン国民の役割を凌駕していた。 アメリカはいくつかの重要なポイントにおいて外交的介入を行った。 アメリカの最初の貢献は、選挙を行うマルコス政権に圧力を掛けた事であった。 この選挙はマルコスの権力を示すだけのデモンストレーションにすぎなかったからだ。 二番目の貢献は、不正の疑いがある選挙を監視した事である。 選挙では不正に対する多くの非難が上がっていたが、それらを裏付けた事もさらに重要であった。 反乱の危機において、二つの絶対的に重要な行動が起こされた。 2月24日の月曜日に、ファビアン・ベール将軍とマルコスの側近が反乱に対する攻撃を準備した。 この時、ホワイトハウスはフィリピン国民が攻撃を受けた場合、軍事援助を中断すると告げた。 またアメリカ国家安全保障会議は、ベール将軍に対し、もし攻撃を命じた場合アメリカからのいかなる保護も剥奪されると告げた。 これによって攻撃は中止される。 二番目の重要な行動は、ポール・ラクサルト上院議員がかけた、マルコスへの電話である。 ラクサルトはマルコスに対して無駄な抵抗はやめるよう告げた。 これがマルコスに対する決定打となった。 なぜなら、ラクサルトはマルコスにとって信用できる人物であり、かつ、その言葉はレーガン大統領の意志を反映していると知っていたからである。 人々の支持とアメリカからの支持を失ったマルコスは、逃げる準備を始めた。

 フィリピンクーデターは多くの要素を複雑に巻き込んだ。 民主主義的な選挙があり、フィリピン国民の目が届く中で、コラソン・アキノが勝利した。 これはマルコスに対する大衆の非暴力革命であったが、大衆が単純にマルコスを倒しただけではなかった。 そこにはアメリカの外交的介入があった。 これらの要素が単体であったのならば、マルコスの迅速な打倒にはつながらなかったであろう。 複合的要素であったからこそ、マルコスを政権の座から追い出す事ができたのだ。 クーデターとは大衆の反乱や軍の寝返りなのだろうか? それを断言する事は難しい。 なぜなら、1986年の2月に起こった複雑な出来事に対する相関性を理解する事は難しいからだ。 「バランス・オブ・パワー」ではこういった雑多な出来事をすべて「クーデター」という言葉で総括している。

------------------------------------------------------------------------------

------------------------------------------------------------------------------
世界のクーデター

 全ての文化は、ある指導者から別の指導者への権力移行に伴う慣習をそれぞれ持っている。 権力移行は社会の安定性に不可欠であり、その過程には慣習が必要だからである。 例えばアメリカ合衆国には大統領候補に対する指名選挙があり、 その不可思議な投票過程は常に「偉大な○○州は××へ投票する・・・」と前置きされる。

 クーデター宣言と呼ばれる権力移行に関する慣習の一つが、ラテンアメリカに存在する。 クーデター宣言とは、全ての公務員が参加して、政府に対する軍事クーデターを実行に移すという宣言である。 これは公務員による投票から始まり、その後全員で決定される。 この慣習によって、クーデターは良心的に実行される。

 ドイツでの軍事クーデターは「プッチ」と呼ばれる。 1923年にヒトラーがプッチを試みたが、19人を殺しただけで投獄された。 1944年にはドイツの将校がヒトラーに対して試みたが、荷担した数百人が殺されて終了した。 1920年代初頭には様々なプッチが試みられたが、一つも成功していない。

------------------------------------------------------------------------------

------------------------------------------------------------------------------
クーデターにおける軍隊の役割

 軍隊は戦争のために存在するのだろうか? アメリカにおいてはそうであろうが、世界の多くの国々では異なる。 世界の多くの国々における軍隊は、国内の敵を排除し、独占的な支配を行う為に存在する。 世界において、自国の国境を越えて運用する事が可能な軍隊はとても少ない。 世界の全ての軍隊の中で、アメリカとソ連の軍事力のみが、自身の拠点外での作戦を遂行する能力を有する。 例えば、アメリカ海兵隊は世界で最も巨大な遠征軍であり、世界のいかなる場所でも運用できるよう設計されている。 アメリカ海兵隊は200,000人近い兵員を擁しており、ソ連の同等部隊は12,000人の兵員を擁している。 そして、これこそが超大国の力なのである。

 ほとんどの第三国における軍隊の主要な役割は、権力に対する挑戦から政府を守る事である。 もし、そのような挑戦が軍隊内部から起こった場合、どうなるであろうか?

 この敏感な問題は、2,000年前に初めて起こった。 ユリウス・カエサルがルビコン川を渡河し、ローマの政権を握ったのだ。 ここでは、カエサルがルビコン川を渡河したという事実よりも、カエサルが兵を連れてルビコン川を渡河したという事実が重要である。 兵士が政府よりもカエサルに忠誠を誓っていたので、カエサルは兵を連れて渡河する事ができたのだ。 カエサルはたった一撃でローマの脆弱な民主主義を破壊し、ローマ人の指導者選出方法を変更する。 このカエサルの前例は、後に拡張される。 数百年の時が流れ、プラエトリアニと呼ばれる近衛隊がローマの後継者を決定付けるようになった。 プラエトリアニにとって都合の悪い皇帝は、殺された。 当初新しい皇帝はローマ政府の様々な派閥に配慮して選任されたが、それは時と共になし崩しになった。

 その後一貫して、政治的指導者は軍隊を制御するという問題について頭を悩ませてきた。 この問題を解決するために、様々な試みが実施される。 暗黒時代には軍隊と政府が一体であっても問題が無かった。 なぜなら、それらは本質的に同じであったからだ。 軍事力とは政治力と定義される。 王とは単純に最も力の強い将軍を意味していた。 後に、軍隊は王に忠誠を誓った貴族によって管理される。 このシステムは長く有効に機能したが、1825年にデカブリストがロシア皇帝に対して起こした反乱などによって、 時々機能不全に陥った。

 アメリカとソ連はこの問題に対して最も効果的な解決方法を見いだした。 アメリカの解決方法とは、将校に対して憲法を尊重するよう丁寧に教育する事である。 これは民主主義が確立しており、かつ、教育レベルの高い将校が起こすクーデターにのみ有効である。 この手法が効果を得るには、社会がそのような状況でなければならない。 アメリカにおいては、軍事クーデターが発生する可能性はない。

 ソ連の解決方法は全く異なる。 ソ連において軍は党の管理下に置かれる。 また部隊には二人の司令官が就任する。 一人は通常の軍司令官であり、もう一人は政治将校である。 政治将校とは、軍ではなく党に忠誠を誓った共産党員の事である。 こういった政治将校は軍における全ての階級に存在し、中隊レベルであっても例外ではない。 政治将校は将校としての訓練は受けておらず、軍ではなく党から起用されて就任する。 政治将校の表向きの役割は、部隊の隊員に政治を教える事である。 しかしその真の目的は、部隊が党に対して不満を持っておらず、信用できるか監視する事である。 政治将校の権限は将校の権限をも上まわる。

 こういったアメリカやソ連の方法を採用している第三国はほとんどない。 したがって、第三国では兵舎から兵隊が出てきて指導者を権力の座から引き下ろす可能性がある。 戦後に企てられたクーデターのうち、軍隊と無関係なクーデターは約10%にすぎない。 また、軍隊と無関係なクーデターの成功率は約60%である。

------------------------------------------------------------------------------

------------------------------------------------------------------------------
4つのシステム

 平時における指導者の交代について、異なる政治システムを比較する事は有益である。 私は比較するために4つのシステムを選んだ。 それは古代ローマ・中世イギリス・ロシア帝国・アメリカ合衆国である。 それぞれのシステムは、海外からの侵略や権力移行について外国の圧力がなかった時代を選択している。

 ローマ時代とは、紀元前27年に始まり、紀元192年に終了する、219年間である。 この間17人の皇帝が統治し、そのうち8人が政治的暴力で死亡した。 平均統治年数は13年である。

 イギリス時代とは、1377年に始まり、1603年に終了する、226年間である。 これはイギリスにとって困難な時代であった。 イギリスはその時代に、100年戦争・薔薇戦争・農民一揆・新しい英国国教会を形成するための宗教闘争に耐えた。 この期間中に統治した王は13人だが、そのうち政治的暴力で死亡した王は2人しかいない。 平均統治年数は17年である。

 ロシア時代とは、1613年に始まり、1825年に終了する、ロマノフ王朝最初の212年間である。 この時代には14人の皇帝が統治し、そのうち3人が死ぬか強制的に帝位を追われている。 ロマノフ王朝の皇帝が力を持っていた平均年数は、15年である。

 アメリカ時代とは、アメリカが独立してからの210年間全てである。 この間40人の大統領が統治し、そのうち3人が政治的暴力で死亡した。 その間の平均在任期間は5年と半年であり、多くの大統領は一期だけで任期を終了している。

 これら4つのシステムに関して驚くべき事は、その類似性である。 ローマ時代を除いて、これらのシステムで暴力的に指導者が交代した人数は2人か3人である。 またアメリカを除く平均統治年数は15年間である。 2,000年の歴史におけるわずかな収集期間・4つの異なる政治システム・異なる文化を思えば、これらの類似性は著しい。

------------------------------------------------------------------------------

フィンランド化

 「バランス・オブ・パワー」では多くのアメリカ人には親しみのない「フィンランド化」という文言を使用する。 フィンランド化とはシンプルな期待と常識を表現している。 フィンランド化は劣勢な軍事力に直面した政体が、超大国に気に入られようとして引き起こされる。 我々の中に潜む理想主義的側面はそのような振る舞いを嫌悪するであろう。 しかし、フィンランド化は他の外交手段よりも流血の事態を避け、生きながらえる可能性を増やす事ができるのである。

フィンランド化の歴史

 フィンランド化とは第二次世界大戦終結時のフィンランドについて言及した文言である。 その原典は、さらに第一次世界大戦終結時にまで戻らなければならない。 戦争終結時に多くの人々がロシア帝国からの解放を熱望し、フィンランドとポーランドのみが自由を得た。 ロシアはこれら二カ国の独立に腹を立てたが、当時ロシアは弱体化しており、少なくとも数年間は何もする事ができなかった。 西側列強、主にフランスとイギリスは、ポーランド・フィンランド両国の独立を保証した。 第二次世界大戦における最初の軍事行動は、ドイツによるポーランドへの侵攻であった。 ロシアもそれに荷担し、その30日後、ポーランド東部へ侵攻した。 ポーランドは占領され、イギリスとフランスはドイツと戦う事になり、ソ連は自由にフィンランドへ侵攻する事ができた。 1939年12月、ソ連の攻撃が始まった。 フィンランド軍は数的劣勢であったが質は高く、ソ連に大きな損害を与えた。 しかし結局数で勝るソ連軍が勝利し、和平調停においてフィンランドは国土の大部分をソ連に譲渡する事となった。

 1941年、今度はドイツがロシアに侵攻した。 フィンランドは自身の領土を取り戻すために、ドイツの攻撃に加わる。 戦局がドイツにとって不利になり始めた時、フィンランドは自身の過ちに気づいて、ロシアに対して和平を打診する。 ロシアは和平を拒絶してフィンランドへ侵攻し、フィンランドは西側諸国の一員に変貌した。 しかし、フィンランドは誰にも相手にされず、保護は期待できなかった。 なぜなら、フィンランドは依然としてナチスドイツの同盟国であったからだ。 この絶望的な状況を目の当たりにして、フィンランドは国家の存続だけは守るべく、屈辱的な降伏を承認した。

 第二次世界大戦終了後、フィンランドはソ連に過度な賛辞を贈る外交政策を採用する。 フィンランドの名目上の外交方針は中立主義であったが、実際はソ連の強い影響下に置かれた。 例えば、白海で作戦行動を行っていたソ連海軍の巡航ミサイルが暴走し、フィンランドの空域へ飛んでいった事があった。 このような場合、通常ソ連に対して外交的抗議と非難が行われる。 しかし、フィンランドは巡航ミサイルの破片を平穏に回収し、ソ連へ返却しただけだった。

 「フィンランド化」という言葉は1945年から始まったが、その現象はさらに昔から発生している。 ユリウス・カエサルは「ガリア戦記」の中で次のように報告している。


こういった様々な軍事作戦はガリアに平和をもたらし、原住民は彼らを捕らえるための軍事行動計画に大いに感激した。 またライン川の向こうに住む部族は、カエサルに使者を派遣して許しを請い、彼の支配に従った。...


 歴史に残る有名な戦闘においては、フィンランド化現象の事例に事欠かない。 そのような戦闘には小国の命運を左右するような分岐点が存在するからである。 小国はその戦闘結果に注目し、勝者に対してフィンランド化を起こす。 1066年に征服王ウィリアムはヘイスティングズの戦いに勝利したが、その勝利はイギリス全土における勝利ではなかった。 イギリス内には抵抗を続けるノルマン軍が健在であったからだ。 しかし戦闘がもたらす心理的効果はウィリアムが優勢であると傍観者を確信させ、 残ったアングロサクソン人の貴族はウィリアムに忠誠を誓った。

 フィンランド化は、反対の事も起こりうる。 もし大国の威信や力が崩壊した場合、小国に対する大国の支配権は弱くなる。 ロシアで敗北した後にナポレオンの覇権は完全に崩壊するが、それはこの典型的な例である。 1811年、ナポレオンはオーストリア-ハンバリー・ロシア・デンマーク・イタリア・低地諸国に支配権を打ち立てる。 その後1812年にロシアへ侵攻し、ナポレオンは惨敗する。 それから六ヶ月以内に、ナポレオンの支配下に入っていた国々は反旗を翻す。 1813年にはライプツィヒで諸国民の戦いが発生し、自国の軍隊ですらナポレオンに反乱を起こす。 ワーテルローではなく、ライプツィヒがナポレオンの権力を崩壊させたのだ。

フィンランド化を起こす方法

 フィンランド化は予期できる行動である。 小国は大国によって起こりそうな敗北を予想する事ができるが、 大国もまた小国に対する脅しの効果を予想する事ができる。 これは、軍事的デモンストレーション・征伐(せいばつ)・恐怖といった最大レベルから最少レベルまでの脅しを用意する事によって、 小国に対して意図的にフィンランド化を起こす事が可能である事を意味する。

破壊と恐怖

 意図的な脅迫の最も極端な例は、13世紀初頭の10年におけるチンギス・カンの振る舞いであろう。 モンゴル軍は意図的に恐怖を用いた。 都市を攻撃する時、モンゴル軍は都市の住民に対してシンプルな選択を迫る。 それは、今すぐ降伏するか、後で完全に叩きのめされるか、である。 降伏した都市は賠償金と人質を差し出したが、存続する事は許された。 降伏を拒否した都市は破壊され、住民は皆殺しになった。 この恐怖は、モンゴル軍の恐ろしさを知らしめる事になる。 誰もが自分の命は惜しい。 この戦略は効果的であった。

 ソ連の反逆者に対する扱いにおいて、似たような残忍な方法が現代でも存在する。 ソ連がハンガリー・チェコスロバキア・東ドイツ・ポーランド・アフガニスタンへ侵攻した時、 秩序を回復させるために、悪意に満ちたどう猛な手法が用いられた。 これら軍事行動の主要な目的は、周辺にソ連の支配を段階的に拡大する事であった。 そしてその副次的効果として、周辺の反抗的な勢力に力の差を明確に見せつけた。 これは東ヨーロッパの国々に対して無意味ではなかった。 1980年代初頭にポーランドで騒乱が起こっている間、連帯と呼ばれる労働組合・政府・一般の人々は ポーランド政府の手法にソ連が怒り出さないかという恐怖に怯えていた。 そして残忍な侵攻によって、連帯の影響力は封じられた。

征伐

 意図的な恐怖の一つ下のレベルの脅迫は、「征伐」である。 これは弱い国家に対して限定的な軍事行動を行う事であり、 軍隊をずらっと並べて地方を集中攻撃する事による、心理的効果が目的である。 1880年代にヨーロッパの国々がこの手法を中国に用いた。 中国が混乱する中、ヨーロッパの国々は軍隊を整然と並べて脅し、中国にとって不平等な交易条約を引き出した。 「砲艦外交」という言葉はこの事例から発生し、完全に確立した。 1986年におけるリビアに対するアメリカの行動も、この一種に分類される。

力による暴力なきデモンストレーション

 さらに一つ下のレベルの脅迫は、軍事力による暴力なきデモンストレーションである。 1850年の秋にペリー提督が日本に対して行った遠征も、この部類に入る。 提督は日本との交易を開拓するために派遣された。 提督の軍艦は見せかけに過ぎなかったが、巨大で強力に見えた。 これにより日本人は提督の良き「提案」を承認する事になる。 その後数年以内に、日本人は西洋式海軍の設立を開始した。

 似たような例として、1982年にアメリカ海軍がニカラグアに対して行ったデモンストレーションがある。 これは非暴力であったが、ニカラグアの指導者に対して脅迫的メッセージを送った。 海軍は沖合を航行し、その様子はまるで腹を空かせた獣のように見えた。 アメリカはニカラグアに対してペリー提督が成功させた脅しを再度用いたが、今回ははっきりとした成功は得られなかった。

 この種の脅しを被害者に直接向ける必要は無い。 1982年にアメリカはグレナダへ侵攻したが、これはニカラグアに対する遠回しの脅迫でもあった。

脅迫外交

 ここからは軍事的脅迫と、脅迫を用いた外交について記載する。 軍事的脅迫は、相手が困窮しており、自分にすり寄った方が良いと相手に確信させる事が鍵となる。 アドルフ・ヒトラーはこのような手段の達人であった。 ヒトラーはオーストリアとチェコスロバキアに対して、一発も発砲する事なく、粗暴な脅迫のみで征服を成功させた。

対抗手段

 いくつかの国々は大国の脅迫を快く思っておらず、様々な対抗手段を用いる。 軍事力を誇示する脅迫の試みは、相手に対して戦う決意を固めさせる。 ニカラグアのサンディニスタ政府は、アメリカの軍事力を誇示した脅迫に対し、ニカラグア人は戦う決意があると返答した。 古代においても、指導者達は脅しに来た敵の使節を処刑している。 最初、この慣習は野蛮に見えた事であろう。 この慣習における真の目的は、市民に既成事実を示す事である。 使節に対する残忍な殺害は、全ての政体において激しい報復を約束するものである。 これは、危機に瀕した王国において、全市民を勝利するために団結させるという役割を果たす。

 大国は小国への支持を保証する事ができる。 これにより、他の大国からの脅迫に対する小国の抵抗力を増加させる事ができる。 このような保証は友好条約の基礎であり、いわゆる相互安全保障条約である。 とはいえ、歴史をかえりみると、国家間に締結された条約の大部分は、 力を持たない国に対する強い力を持った国からの防衛を基本としている。 弱い国の防衛を保証する事によって、強い国は弱い国との結束を高め、他の大国の支配力を減少させる事ができる。

 この手法の問題は、相互安全保障条約が多くの国々を戦争に巻き込む事にある。 第一次世界大戦の発生は、そのような相互安全保障条約・反相互安全保障条約が失敗に導くという、完全な例を示した。 ヨーロッパは力関係の微妙な均衡によって安定しており、45年間平和であった。 全ヨーロッパの国々を関係付ける、相互安全保障条約の網が存在したからである。 ドイツとオーストリア-ハンガリーに圧力をかけていた用心深いロシアは、帝国時代から安全保障条約に調印していた。 フランスと恐ろしいほどの急成長をしていたドイツは、ロシアと共に安全保障条約に調印した。 イギリスもまた、ドイツ海軍の増強計画を懸念していた。 これにより、オーストリア-ハンガリーがセルビアへ宣戦布告した時、それが引き金となって宣戦布告の連鎖が起こった。 ロシアはセルビアを保護するために参戦し、ドイツはロシアへ宣戦布告を行った。 これはオーストリア-ハンガリーに対する条約が存在したからである。 この結果フランスがドイツに宣戦布告し、間もなくしてイギリスが戦争に加わった。

威信または「面子」の役割

 世界の指導者達は、面子を保つために、しばしば激しい非難を行う。 そのようなうぬぼれた老人達は、面子と威厳を保つために、若い兵士の命を勝手に犠牲にするという印象である。 威信には機能的重要性が実際に存在する。 そして威信を追求するための人命の犠牲は、奇異な事ではない。

 地政学の世界において、威信を獲得する事には二つの利点がある。 その利点とは、一つは友好国のための利点であり、一つは敵国のための利点である。 高い威信には、非友好国を脅迫したり、士気を喪失させる傾向がある。 高い威信を持つ国に対して、他の国は挑戦する意欲を失う。 もし大国の力による威信が失われた場合、非友好的な国々は弱体化した力に対して反抗的となるであろう。 この反抗的な態度は他の国々にも急激に広がる。 ナポレオンもそれを経験した。

 威信に関するさらに重要な点は、威信が喪失した場合友好国も失うという点である。 大国は従属国を周囲に集めるが、それら従属国は、大国の力による保護に帰属するという危険性を承知している。 従属国が大国との提携を継続する事について前向きであるかどうかは、従属国が大国を信用しているかに依存しており、 威信は従属国と大国の両者を結びつける役割を果たす。 紀元前413年、アテナイ人の威信は二つの敗北によって失われた。 アテナイ人の軍と海軍がシシリー島のシラクサで全滅し、スパルタ人の軍隊がデケレイアを占領した。 デケレイアはアテナと遠くない場所に存在した都市で、戦略の要所である。 この二つの敗北が引き金となり、アテネが築いた同盟からの離脱がおこった。 同盟は破棄され、従属していた都市は上納金を拒否し、鉱山で働いていた奴隷も反乱を起こした。 威信は流血なしで帝国を築く事ができる。 しかし、そのような帝国は威信の喪失と共に崩壊する。

 同様の問題が、ベトナムからの苦悩に満ちた撤退においても発生した。 1969年初頭、アメリカはベトナムから完全に撤退するという結論に至る。 しかし、アメリカはその後も4年以上にわたって戦争を継続した。 これは、一方的な撤退による威信の喪失を最小限に抑えるという問題に直面し、撤退が困難になったからである。 ヘンリー・キッシンジャーは1973年のパリ協定における北ベトナムとの条約違反について話し合い、次のように記述している。


もし我々が無条件降伏してベトナムから単純に立ち去った場合、 我々は国際関係における安定性と、自由主義の人々を守るというアメリカの信念が崩壊する事を確信した。 そして、その後に起こった出来事は、我々の考えが正しかった事を証明した。
Kissinger, Henry. ’Years of Upheaval’. Boston: Little, Brown and Company, 1982.
ヘンリー・キッシンジャー『キッシンジャー激動の時代(1-3)』(読売新聞調査研究本部訳、小学館、1982年)


 この問題に取り組んでいる間、およそ20,000のアメリカ人が命を失った。

「バランス・オブ・パワー」におけるフィンランド化

 「バランス・オブ・パワー」におけるフィンランド化は、この章で著述されていた内容を簡略化して表現している。 フィンランド化ルーチンの最初のタスクは、隷属国における軍事上の脆弱性を決定する事である。 これには、両超大国による軍事的脅威の程度を比較しなければならない。 もし超大国が信用できる軍事的脅威を小国に対して画策し、その脅威が現実になると小国が受け止めた場合、その小国はフィンランド化される。

 まず「超過軍事力」を定義する。 「超過軍事力」は、反政府勢力に対する政府の軍事的優位性を表現する。


超過軍事力 = 政府軍事力 - 反政府勢力軍事力


 これは超大国のような外部勢力からの防衛に用いる事ができる、政府の軍事力の総量である。 政府・反政府勢力における軍事力の値は、兵数と所有する武器によって決定される。 詳しくは第二章を参照する事。

 小国に対して両超大国が画策した、軍事力の総量を計算する。

             介入兵員数 * 超大国の軍事力
画策軍事力 = ---------------------------
                  超大国の総兵員数

 「介入兵員数」とは、超大国から小国へ派遣された兵士の総数を示している。 この総数の決定は、少々複雑である。 超大国は多数の兵員を保有しているが、世界各国へ派兵するには制限がある。 もし政府によって招待されているのでなければ、超大国の大規模な軍隊が必要とする物資を、敵対的環境へ運び込む事は難しい。 「バランス・オブ・パワー」において、この問題はとてもシンプルに扱っている。 もし超大国が小国と接している場合、小国に対して完全な補給が可能となる。 これにより、全ての兵士を小国に派兵する事ができる。 もし小国と接していない場合、超大国が派兵する事ができる兵員数は、小国と接している第三国に依存する。 この場合、第三国の政府に派兵している兵員数が、小国に対して派兵する事ができる兵員数の基礎となる。 これは第三国に存在する軍事基地が運搬施設を構築し、国境を越える軍隊をサポートする事ができるという仮定である。 多くの超大国兵士が小国に派兵される事は、多くの超大国兵士が隣国に基地を構築する事を意味する。 例えば、アメリカはホンジュラスに基地を構築したが、これはニカラグアへ軍事的圧力をかけるためである。 最後に、どこにも隣接していない国に対して超大国の兵士が駐留する場合であっても、超大国は5,000人の兵士を送り込む事ができる。 両超大国が保有するこの小さな機動軍は、そのような目的のために存在する。 この小さな機動軍は、海兵隊と呼ばれている。

 「超大国の軍事力」とは兵士数と武器に基づく正味の軍事力であり、小国と同じ方法で計算される。 「超大国の総兵員数」は武装した兵の数であり、国の総人口から計算される。

 計算した「介入兵員数」「超大国の軍事力」「超大国の総兵員数」を使って、画策軍事力を計算する。 次に、小国が他の超大国に対して期待する事ができる軍事的支援を決定する。 これには三つの要素が基礎となる。 それは、他の超大国の軍事力・小国への条約義務・条約義務に対する誠実さ、である。 これらは下記のように表現される。

               条約義務 * 超大国の軍事力 * 誠実さ
期待軍事支援 = ----------------------------------
                              16384

 「条約義務」とは、超大国に課せられた小国に対する防衛義務の範囲である。 これは二カ国間における条約レベルに依存する。 「バランス・オブ・パワー」の条約には、「条約なし」から「核による防衛条約」までの6つのレベルがある。 これらの条約は、下記表に記された義務を発生させる。


条約別義務
条約なし 0
国交協定 16
通商条約 32
軍事基地協定 64
相互防衛条約 96
核による防衛条約 128


 式に記載されている「誠実さ」は、読者を驚かせる事であろう。 コンピュータプログラムにおいて、「誠実さ」などという変数はなかなかお目にかかれないからである。 計算された誠実さ、という考えは、あまり穏やかでないものがある。 誠実さとは我々にとって上品で大切な美徳であり、道徳的感情の特徴である。 コンピュータプログラムで誠実さを計算する事は、誠実さの持つ崇高な概念を減少させる試みであり、おこがましく、非道である。 それは神を冒涜する行為に近い。

 このような考えに対する回答として、次のように主張したい。 これは誠実さの品位を落とすような事では決してなく、誠実さという概念の量を測る試みである、と。 もし誠実さが実在するのであれば、それを特徴付ける数値の一式も実在する事を暗示している。 その数値の一式を決定する事はとても厚かましく、難しい。 しかしその一片を知ろうとする挑戦は、神への冒涜ではない。 我々は個人のIQが知能に依存する訳では無い事を知っているし、知らなければならない。 IQとはテストにおける単なる得点であり、奇妙な幾何学形態に関するばかげた質問にすぎない。 IQはそのような質問に対する回答能力が個人に備わっていると、我々に教えてくれるのみである。 我々はIQを用いて個人の生まれ持った知性を一般化させているが、それを行った時、我々は薄氷の上にいる事に気付かされる。 そして、その薄氷の上でスケートを滑る行為は、神への冒涜に等しいのだ。 これは誠実さを計算する行為にも当てはまる。

 「バランス・オブ・パワー」における「誠実さ」は、0から128までの数値で表現される。 虚偽・陰謀・害虫の誠実さは0であり、正直者の誠実さは128である。 各超大国における誠実さは、128から開始する。 128という数値は、正直なところ、ばかばかしいほど寛大な数値である。 しかし、プレイヤーには悪事を働くチャンスがあるべきだと私は考える。 超大国の誠実さは、政府の転覆によって変更される。 政府転覆が起こると、超大国の誠実さは合意された条約に比例して減少する。 例えば、反政府勢力が革命に勝利するかクーデターが起こった場合、各超大国には次のような式が適用される。

         誠実さ * (128 - 義務)
誠実さ = ---------------------
                  128

 もし核による防衛条約(「義務」= 128)をアメリカと締結した国の政府が転覆した場合、アメリカの「誠実さ」は0となる。 条約が軍事基地協定(「義務」= 64)の場合、「誠実さ」は半分になる。

 この式は超大国の「誠実さ」を常に「減少」させる事にお気付きになっただろうか。 これは国際関係における、皮肉な一面である。 この問題を補正するために、各ターン毎に下記の式を実行している。


誠実さ = 誠実さ + 5 IF 誠実さ > 127 THEN 誠実さ = 127


 この式はこう告げている。 「常に鼻をかんでいれば、世間からの評判は毎年良くなっていく」 読者は尋ねるであろう。 「なぜ5という数字を選んだのか?4や6や20ではだめなのか?」 これは良い質問である。 私がこの式について考えた時、椅子の背もたれに寄りかかり、天井を見つめ、目を閉じ、まぶたをぎゅっとして、 閃光の中で踊っている数値を見た。 それが5だったのである。

 ゲームに使用された数値が勝手に選ばれた事について、読者の理解を困惑させるであろうか。 もしそうなら、式のために正しい値を選ぶという問題について熟考しなければならない。 傷ついた国の評判が、どの程度の速度で回復するのか? この問いに回答できる人はいないであろう。 これは、この数値を正しく評価する合理的な方法は存在しない事を意味する。 私の知る限り、これについて記述している本や学術的研究はない。 この状況は二つの可能性を導く。 それは、数値を作る事と、この概念を放棄する事である。 その中で私は数値を作る事を選んだ。

 合理的な基礎部分を除いて、私の考案した5という数値は完全ではない。 この数値に対して、1から50までの好きな数値を容易に割り当てる事ができる。 ただし、0より少ない数値の場合、過ちを犯さなくとも、時と共に評判が悪くなる事を暗示する。 これは世界のことわりではない。 0は自分自身が何も行動していない事を意味し、それは評判が何も変わらない事を暗示する。 この式は「時は全ての傷を癒やす」という格言を反映している。 したがって、0という値は許容されない。 50を越える値は、極めて悪質な国家的犯罪への対処・完全な信頼・直近二〜三年における世界からの尊敬、を暗示している。 世界は悪事を簡単に忘れはしない。 これはこの式が持つ可能性の範囲を狭める事を示唆する。 国の落ちた評判を回復させるには、何年の月日が必要であろうか? 値が20の場合、評判はたった6年で完全に回復する。 これは少し早すぎるように見える。

 値の最終的候補は1から20となった。 しかし、どの値が最適なのであろうか? この点において、簡単な解決方法を導き出した。 例えば、5は6よりも最適であると言及するための、信頼できるシンプルな方法はない。 方法が無ければ、この範囲内の任意の値とする事ができる。 もし5が6より最適であると決定できず、それが現実世界と異なっていたとしても、 プレイヤーはどうやってこのゲームが誤っていると認識できるであろうか。 誰も気づかなかった時、「間違い」の意味とは何なのであろうか?

 式は最後に16384で割っている。 これは適切な範囲に値を縮小させる目的がある。 「誠実さ」と「義務」の両方は0から128までの値を取り、その両方が最大値の場合、掛けると16384となる。 この数値を割る事により、適切な範囲に「期待軍事支援」をもたらす事ができる。

これで、小国が期待できる、他の超大国からの軍事支援についての計算が終了した。 次に総合防衛力を計算する。


防衛力 = 超過軍事力 + 期待軍事支援


この数値は「フィンランド化確立」の計算に使用される。 「フィンランド化確立」とは、問題が起こった時に小国が超大国へフィンランド化する可能性である。

                     (冒険度 - 外交的親和値) * 画策軍事力 * (圧力値 + 4)
フィンランド化確立 = ---------------------------------------------------
                                           防衛力

 「冒険度」とは、超大国が無謀な軍事行動を取りうる傾向を意味する。 これは、次の式によって計算される。


冒険度 = 好戦度 + 加虐度 - 他の超大国の好戦度 - 軍事割合 + 32


 新しく登場した「好戦度」と「加虐度」とは何であろうか? 「好戦度」は0から128で表現される数値であり、ゲーム開始時はおおよそ64に設定されている。 「おおよそ」という言葉を用いたのは、ランダムに発生させたわずかな値を、プレイする度に加算しているからである。 また、ソ連の好戦度はアメリカよりも32ポイント高い。 このような設定であるが、最近起こったアメリカによるリビア爆撃を見る限り、この設定には疑問をもたらす。 好戦度と加虐度の詳細な計算方法については説明しない。 超大国の好戦度は攻撃的な振る舞いを行うと加算され、危機で引き下がるといった柔軟な振る舞いを行うと減算される、 と述べるにとどめておく。 「加虐度」は軍事侵攻と危機によって加算され、時間の経過によってのみ減算される。 これら二つの要素は、ゲームの雰囲気を決定付ける。 プレイヤーが対立的な戦略を用いると、自身の好戦度が増加し、それがゲームの加虐度となる。 そういった対立が続き、無慈悲な戦略が実施されると、プレイヤーに対する弱小国のフィンランド化が促進される。 ただし、ちょっとした過ちが他の超大国の好戦度を増加させる。 また、自身の好戦度を下げるために、危機において何度も引き下がらなければならないと気付くであろう。

 「圧力値」という要素も新しく登場した。 これは小国に対する超大国からの外交的圧力を意味し、0から5までの値を取る。 また、瀬戸際に立っている小国に対し、超大国へのフィンランド化の可能性を生じさせる。 式では圧力に4を加えている。 これは圧力が0の場合でもフィンランド化を起こす可能性がある事を表現している。

 これらの要素をまとめて計算した時、フィンランド化を発生させる可能性を導き出す事ができる。 もしこの値が127を越える場合、その国は超大国へのフィンランド化を起こす。 またこれが引き金となって、他の数値も変更される。 まず最初に、フィンランド化した国の政治的属性が超大国よりに変更される。

                                          (超大国の政府思想値 - 旧政府の政府思想値)
新政府の政府思想値 = 旧政府の政府思想値 + -----------------------------------------
                                                              4

 「政府思想値」とは政府が左右どちらのイデオロギーに属するかを意味するものであり、第二章でも詳しく説明されている。 極左は-127の「政府思想値」を持ち、極右は+127の「政府思想値」を持つ。

 フィンランド化した小国は、超大国をより良く思うようになる。 これにより、外交的親和値も超大国寄りとなる。


新外交的親和値 = 旧外交的親和値 + 32


 「旧外交的親和値」とは「外交的親和値」の以前の値であり、超大国に対して小国が持っている良き感情の度合いである。 これは重要な式と言える。 なぜなら、これこそが威信値となるからである。 威信値はプレイヤーに対してゲームの勝利をもたらし、プレイヤーの軍事力に対して世界各国からの尊敬を集める。

 以上が「バランス・オブ・パワー」におけるフィンランド化の計算である。

------------------------------------------------------------------------------
ヨーロッパ・NATOと中立化

 アメリカ人軍事関係者における直近40年間の中心的戦略問題は、ヨーロッパの防衛であった。 これは厳格な軍事問題であり、その結果がNATOである。 しかし、それはさらに繊細な問題を引き起こした。 西ヨーロッパにおけるNATOという名のシンプルな侵攻にソ連が気付き、考えられないような危険性を生むに至る。 それらはヨーロッパを恐怖に陥れる機会を見逃さなかった。 アメリカの基本戦略は、ヨーロッパでの戦争によって被る巨大な損害について、ヨーロッパ人にじっくりと語る事である。 中距離射程の核兵器はこの政策を体現していた。 この政策の目的は、いかなる衝突であってもヨーロッパが核の戦場に簡単になり得る事を、ヨーロッパの人々に強調する事であった。 爆弾の影に怯えて暮らすアメリカ人は驚くかもしれないが、核兵器の恐ろしさはヨーロッパ人の政治意識に対して浸透するには至らなかった。 核戦争とは自分たちの頭の上を越えて戦われる戦争であると、ヨーロッパ人は考えていたからだ。 ヨーロッパ人は頭上を飛行するミサイルを見て、遠くで爆発する音を聞き、通常戦争における略奪行為にのみ直面するであろう。 70年代後半と80年代前半に、新しいソ連の兵器に対する重要性が抗議の嵐を引き起こし、ヨーロッパ社会を苦しめた。 ソ連の戦略はヨーロッパ社会の一部において望ましい効果を上げた。 ヨーロッパ人は、アメリカとの同盟に対して熟考する。 その上で、ソ連の中距離ミサイルの標的になるにしては、アメリカとの同盟はコストが高すぎると結論付けた。 ヨーロッパ人は超大国の競争は自分たちにとって無関係であると考え、 その競争の果てに自分たちの祖国が危険にさらされる事を良しとしなかった。 それゆえ、さらなる安全のためにアメリカと距離を取る事を論じ、中立的な道を選んだ。 このような安全保障の考え方は、同じく中立であるスウェーデン・オーストリアからもたらされた。 またスイスもそのような中立を選んだ。

 これはソ連が望んだ通りの筋書きであった。 もし西ヨーロッパが中立へ誘導された場合、NATOは解体され、ヨーロッパにおけるソ連への対抗力は失われる。 露骨な侵略は依然として高い危険性を持つが、強い圧力は西ヨーロッパの端に位置する国々をゆっくりと抱き込む事になる。 この結果フィンランド化が起こり、ソ連の威信が増す結果となる。 西ヨーロッパはソ連の支配下に入り、ソ連圏がアメリカ圏を上まわる。 世界の覇権は不安定なものとなるであろう。

 この考えやその派生は、アメリカ人軍事関係者に多くの悪夢をもたらした。 例えば、1970年代にヘンリー・キッシンジャーはソ連に対するヨーロッパ人の外交的提案について討議し、次のように著述している。


ヨーロッパ人におけるモスクワへの傾倒は、遅かれ早かれ、ヨーロッパにおけるフィンランド化への最初の一歩を踏み出す事を意味した。 アメリカに対する政治的結束が緩められた事は、安全保障分野における独占が永遠でない事を意味する...
Kissinger, Henry. ’Years of Upheaval’. Boston: Little, Brown and Company, 1982.
ヘンリー・キッシンジャー『キッシンジャー激動の時代(1-3)』(読売新聞調査研究本部訳、小学館、1982年)


 幸運にも、悪夢の勢いは削がれた。 アメリカの巡航ミサイルがソ連の中距離ミサイルへの対抗策となったからである。 巡航ミサイルの配備には最初多くの反対があったが、配備国は最終的に了承した。 NATOは結束したのである。 しかし、ソ連はヨーロッパとアメリカの関係にくさびを打つという試みを、今後も継続するであろう。

------------------------------------------------------------------------------

------------------------------------------------------------------------------
様々なフィンランド化

 歴史上には、多岐にわたる数多くのフィンランド化が存在する。 直接的な支配と征服の代替手段を考える事に関して、政治家はとても創造的であるように見える。 最近のフィンランド化はとても紳士的である。 当該国は超大国の外交政策に従い、超大国を賛辞する。 しかしながら、フィンランド化には様々な種類が存在する。

不本意な同盟

 不本意な同盟は、歴史上とてもありふれている。 小国は孤立する事をむしろ望むが、大国は自国の軍事力を増強するために、小国の軍隊による支援を必要とする。 これにより、ソ連は東ヨーロッパの衛星国にワルシャワ条約を押しつけた。 1812年にナポレオンがロシアへ侵攻した時、これと同じ事を実施した。 ナポレオンの陸軍には600,000人の兵員がいたが、フランス人はそのうちの半数以下にすぎなかった。 大部分はドイツ・イタリア・オランダ・ベルギー・ポーランドの「革命同志としての義務の履行」を実践する兵士であったのだ。 この効果はモスクワからの撤退時に明らかになり、ナポレオンの軍隊は崩壊する。 多くの兵士が凍傷で死ぬかコサックに殺され、その他の兵士もナポレオンから単純に見捨てられた。

 ギリシャ黄金時代におけるアテナイ人の覇権を構築するために、古代アテネも同じ手段を用いた。 盟約上のアテナイ同盟は、アテナイ人が優先的な役割を果たすだけで、平等な同盟であった。 しかし実際にはアテナイ人は独裁的に振る舞い、同盟は反論する事ができなかった。

家臣

 これはドイツ部族の成り立ちを発祥とする、封建的概念である。 ドイツ部族の社会はシンプルな階層構造で組織されていた。 各人は目上の者や君主を持ち、同様に、目下の者や家臣を持っていた。 家臣は君主に仕え、君主は家臣を保護する義務を持つ。 この概念は社会の最下層から最上層にまで適用され、国際関係にも適用された。 弱い指導者は強い指導者を捜し、家臣にしてくれと願い出た。 もっとも、強い指導者が弱い指導者に対して口実をでっち上げ、従属させる事も珍しくなかった。 これを現代のフィンランド化における概念と直接比較する事は誤りであるが、全ての社会はこのような主従関係で組織化されている。 したがって、新しい主従関係の構築は、併合やフィンランド化と呼ばれるであろう。

貢ぎ物

 この手法は古代において用いられた。 弱い国は強い国に対して、定期的な支払いを行っていた。 この手法はチンピラが使っている「用心棒代」の概念と酷似している。 被害者は強い組織に対して定期的な支払いを行う。 見返りとして、被害者は二つの利益を得る。 それは、強い組織に乱暴されない事と、他の組織による乱暴から被害者を保護するという曖昧な認識である。 いざ他の組織から乱暴を受けた時、被害者に対するこの保護は十分に機能しない。 強い組織は他の組織から自分のテリトリーを守るだけである。

買収

 これは貢ぎ物の一種であり、多くの場合、遊牧民に対して強国が用いる。 強国は遊牧民より弱くはないが、排斥する資金も持っていない。 遊牧民の攻撃から国境を守るために軍隊を広域に展開する代わりとして、強国は遊牧民に対して毎年単純に金を支払う。 この支払いは貢ぎ物ではなく、従属を暗喩するものでもない。 アッティラの配下にあった最も強力なフン族でさえ、コンスタンチノープルに深刻な脅威を与えていなかった。 しかし、フン族はバルカン地方において、ある程度のローマ軍に強力な打撃を与えて弱体化させた。 これにより皇帝レオはフン族に対して毎年2,100ポンド(700Kg)の黄金を支払う事に合意した。

------------------------------------------------------------------------------

危機

 この本における危機とは、戦争の危険を伴う外交的対立を意味する。 危機は電信の発達によって可能となった、最近の歴史的現象である。 電信の発明前、ニュースは早馬と同じ速度で伝達した。 資本は数日間の時間を要して拡散し、外交は適切で急ぎすぎないペースで動いた。 王や外交官は急いで審議する必要がなく、重要な決定を行う前でも熟考する時間があった。 さらに、遅い速度のニュースは多くの出来事に対する反応を不可能とした。 進行中の問題について外交官が知る事は少なく、多くが既に解決された後であった。 指導者は議題を持ち込む大使に強く依存せざるを得なかった。 こういった大使は外交辞令の技術に富み、指導者が言い返す事のできない巧みな言葉を用いて、外交関係を円滑に保っていた。

 電信は外交を劇的に変化させた。 電信を用いる事により、指導者同士は同じ時間に直接コミュニケーションを取る事が可能となった。 19世紀最後の10年間では、国政術における電信は不確実な役割しか果たさなかったが、その使用方法は洗練されていった。 電信初期の不安定な日々が過ぎ去り、世紀が繰り上がる。 このような経緯を経て、現代における危機は、その基本的な形体と実体が確立された。

開始イベント

 危機は度が過ぎたイベントが引き金となる。 度が過ぎたイベントとは、外交政策・軍事行動・個人に対する侮辱である。 1870年の普仏戦争は悪名高いエムス電報が引き金となった。 オットー・フォン・ビスマルクがこの国際電報をねつ造し、新聞社へ密かに漏らした。 これにはフランスに対する誹謗中傷が含まれていた。 誹謗中傷はフランスを激怒させ、不可避な戦争をもたらした。

 時々、この開始イベントは多くの傍観者に対して害がないように出現する。 しかし二国間関係が緊張している場合、小さな要素でも問題となる。 第一次世界大戦が勃発する前月、ドイツ軍使節団がトルコへ派遣された事によって、危機が促進された。 それはよくある交換軍事使節団で、ドイツ使節団に挑発する意図はなかった。 ただ、ロシアがトルコに対して極めて敏感であったため、ドイツの使節によって危機が始まった。 他にも似たような事例がある。 1914年の夏に、パリでの大使に対する扱いについてドイツは完全に腹を立てた。 これはドイツ大使がフランス社会から締め出された事に起因しており、ドイツはこれをフランスによる好戦的意図の証明だと考えた。 大使が実際に不快に思ったかどうかは、ドイツには関係がなかった。

 最も派手な開始イベントは、1618年の有名なプラハ窓外投擲事件であろう。 地方のプロテスタントとカトリック皇帝は、様々な問題によって緊張関係にあった。 3月23日、プロテスタント指導者の一人が群衆の先頭を切ってプラハ城に侵入した。 群衆は皇帝の使者のうち二人を二階の部屋で発見し、使者を窓から投げ落とした。 ちなみにラテン語で「窓の外」とはout of, fenesterであり、fenesterは窓を意味する。 窓から地面までは50フィート(15メートル)もあったが、窓の下にはやわらかいゴミが積まれていた。 使者達は致命傷を免れたが、皇帝に対する侮辱は計り知れなかった。 皇帝は窓から放り投げた者達を罰するために、二つの軍隊をボヘミアへ派遣した。 これによって三十年戦争が始まり、3,000万人が死亡した。

 20世紀を生きる人々は、政府の使者が窓から投げ落とされるよりも、さらに重大な事態によって戦争が引き起こされる事を知っている。 20世紀に発生した戦争は、どれも計画された軍事攻撃によって開始された。


戦争の発端となったイベント
第二次世界大戦 フランス・イギリス ドイツによるポーランド侵攻
第二次世界大戦 ソ連 ドイツによるソ連侵攻
第二次世界大戦 アメリカ 日本による真珠湾攻撃
朝鮮戦争 アメリカ 北朝鮮による韓国への侵攻
1962年の中印国境紛争 インド 中国による攻撃
1967年の第三次中東戦争 エジプト イスラエルによる攻撃
1973年の第四次中東戦争 イスラエル エジプト・シリアによる攻撃


 もちろん、一つのイベントが戦争を引き起こしたと簡単に結論付ける事はできない。 軍事力は以前よりも策略的であり、危機を開始させる外交上の細かい点はあまり必要とされない。 その代わり、我々は問題の核心を理解し、直ちに戦闘を開始させる事になる。

開始イベントへの反応

 開始イベントは、外交危機における最初のステップに過ぎない。 次のステップとして、危機に関係する各者が開始イベントに対する反応を決定する。 一方の超大国が持つ興味や関心は他方の超大国にも関係があるが、その度合いは常に異なる。 通常、一方の超大国が行動を起こしても、他方の超大国は大して興味を持たない。 一方の超大国の行動が他方の超大国の見解と大きく異なる場合のみ、問題が発生する。 最初の問題に直面した後、両超大国はそのイベントについて精査する。

 他方の超大国が起こした行動に対する精査には、様々な要因が含有されている。 その主要な関心事は超大国の安全保障に対する影響であり、それ自体が複雑な決定となる。 もしその行動が直接的な軍事行動だった場合、危機に発展する可能性がある。 例えば、1961年の秋、キューバに中距離弾道弾ミサイルが配備されたが、 アメリカはこれがもたらす安全保障に対する脅威について、何の疑いも持たなかった。 ただし、その他多くの挑発行為は、これほどシンプルではない。

 最初に考慮する点は、超大国が当該国に対して感じている外交的親密度の度合いである。 1970年代後期、アメリカはカンプチア共産党(カンボジア)のベトナム侵入に対して苦々しく思っていた。 一方、カンプチアにとっては大して利益のない出来事であり、大きな関心事ではなかった。 これに引き替え、北朝鮮による韓国への再攻撃は、アメリカにとって見過ごせない出来事である。 なぜなら、アメリカは韓国政府と密接な関係であり、完全な支援を提供しているからである。

 これに超大国による小国への約束の度合いが関連付けられる。 大国と小国が何らかの条約を締結している場合、その履行は欠く事のできない名誉である。 同盟を放棄した超大国は、威信を失う。

 次に考慮すべき点は、「勢力圏」である。 この言葉は様々な歴史を持っている。 ヨーロッパ植民地主義の全盛時代、「勢力圏」は世界をヨーロッパの力で分割するための遠回しな表現として用いられた。 20世紀の今日であっても、この表現はよく見かける。 例えば、第二次世界大戦の終結に向けた連合国の議論にはこのフレーズが多く含まれており、ソ連は東ヨーロッパを自らの勢力圏としていた。 勢力圏という言葉の背後には、ある理論が存在する。 それは、自らの勢力圏の内部では、他の勢力は影響力を発揮しないという理論である。 自らの勢力圏内では、自らの力が最も強く発揮できる事は、一般に認識されている。 ただし、全ての領土を勢力圏に納める事は不可能である。 なぜなら、勢力圏という制約が完全でないためである。 ソ連のように攻撃的な力は、勢力圏を主張し、利用する事ができる。 ソ連は東ドイツ・ポーランド・ハンガリー・チェコスロバキアといった東ヨーロッパの国々で軍事力を行使し、この勢力圏を何度か利用した。 超大国はこの勢力圏を、アメリカが西ドイツで用いたように、善意で利用する事も可能である。

 昨今では、勢力圏の効果は減少している。 小国は以前よりも自国の主権について主張する事ができる。 勢力圏という概念は健在であるが、以前よりも重要性は少ない。 例えばアメリカ合衆国はラテンアメリカに勢力圏を持っているが、これはもはやアメリカが自由に振る舞える事を意味しない。 アメリカがニカラグアへ侵攻したとしても、ソ連がこの地域におけるアメリカの利益をより重視するという事を意味する。 またソ連は東ヨーロッパに勢力圏を持っており、活発に活動している。 1881年にポーランド共産党政権が事態の統制を失った時、ソ連はポーランドへの侵攻を躊躇した。 ソ連は今までに4回東ヨーロッパへ侵攻していたが、今回はこのやり方を繰り返す事に対しての世界の強い世論に不安を感じたからである。 その世論とは、もはや力による暴力的な活動に対して寛大ではない、という世論であった。

 三つ目の考慮すべき点は、挑発行動に対する実際の影響である。 もしその挑発行動が取るに足りない影響しか与えない場合、行動する必要性は少ない。 しかし、それが世界秩序を大きく変化させるような脅威であった場合、超大国は何らかの回答を出さなければならない。

 超大国は小国に対する挑発の重要性も考慮しなければならない。 アメリカによるグレナダへの侵攻は、アメリカによる東ドイツへの侵攻よりも、ソ連軍事関係者の関心を引かないであろう。 地政学上、グレナダは取るに足りない重要性しか持ち合わせていないからである。

 また、超大国自身の外交行動に対する積極性という要素もある。 「戦争においては、三つの力を一つに集約する事が鉄則である」とナポレオンは言った。 自身の力を行使するための超大国の積極性は、世界へ自身の力を蓄積するよりもさらに重要である。 アドルフ・ヒトラーはベルサイユ条約を愚弄し、オーストリアとチェコスロバキアを併合する事ができた。 これは決断力や無慈悲と共に、小さな力を積極的に用いたからである。 カーターが大統領を務めていた時代のアメリカは、力の行使に躊躇し、消極的であった。 この消極性はソ連によるアフガニスタン侵攻と、イランアメリカ大使館人質事件を呼び込みんだ。 同国におけるレーガン大統領は積極性を見せ、それは世界を驚かせるような軍事行動の選択肢に結びついた。

 これらが、危機が発生した時に、超大国の指導者が重視して熟考する内容の一部である。 見ての通り、熟考する内容は多岐にわたり、その決定過程も難解である。

危機における超大国の行動

 超大国は危機において多くの選択肢を持っている。 それら選択肢は、何もしない、または、戦争という二つに集約される。 これら二つは極論であり、外交において最悪の選択肢となる。 何もしないという選択肢は挑発に対して黙認する事を意味し、挑発をさらに促進させる。 戦争という選択肢は、破滅をもたらす。

 従って、外交官と指導者はその中間案を常に求める。 二つの極論の間に存在する、落としどころを探るわけである。 その解決方法は残念ながら多く存在しないが、それが見つかった時に世界は救われる。 1948年に西ドイツへ続く陸路が封鎖された時、アメリカはソ連に対してベルリンへの空輸を行うという解決方法を用いた。 この本質的で技術的な解決方法は、重大な外交危機における戦争を回避した。 ジョン・F・ケネディのキューバ危機への解決方法は、キューバを海上封鎖するという解決方法だった。 皮肉な事に、後者に対するアメリカの解決方法は、以前危機を加速させたソ連の手法と類似している。

 この国の解決方法は、日和見主義的な傾向がある。 政治家は、活用できるものは何でも活用しようとする。 ただ、一般的に、厳しい危機がもたらす良きチャンスを活用できる政治家はいない。 政治家が活用できる手法とは、現代における全ての危機に適用可能な、一般化された手法のみである。 それは「瀬戸際外交」だ。 これは新しい世界に適用される、新しい概念である。 この概念は戦略的思考に基づいた、核爆弾の衝撃を発端としている。

 瀬戸際外交の背景にある戦略は、態度を明確にしない場合、核戦争へ突入してしまうという現実に基づいている。 もし我々の側が相手側に対して第三次世界大戦を始める可能性を真剣に考慮していると確信させた場合、 相手側は事態の重大性を完全に悟り、危機から引き下がるであろう。 瀬戸際外交とは、このような論理である。

 瀬戸際外交に対する問題点は、実行にある。 戦争の準備を行っている相手に対して、一体どのようにして確信させる事ができるのだろうか? 言葉は外交の材料であるが、はったりと疑われる言葉によって、国の利益を諦めるような愚かな政治家はいない。 政治家は具体的な何かを必要とする。 その何かとは、相手に対してその重要性を否定する事ができない、何かである。

 人類の最も驚異的で、そして恐ろしい業績は、核爆弾である。 核爆弾は国家の衝突に関する、よりシンプルな解決方法を我々に強いた。 政治家が思いついた考えは、核の時代は牙を剥き出しにしてうなり声を上げる動物と同じ時代であるという考えである。 このシンプルな行動は、積極的に損害を与えようとする動物的能力も伝達する。 そして、うなり声を上げる代わりに、ミサイルを使う。 多くの動物がそうであるように、我々も戦う意志を伝達するための表現順序を理解している。 不幸な事だが、動物とは異なり、人類にとっての表現順序は明白な儀式には到達していない。

 順序における最初の一歩は、私的な外交通達である。 これは対立者に対して異なった見解を確信させるための、第三者を巻き込まない非公式なメッセージを意味する。 これに失敗した場合、次の段階は公式の場における外交対立となる。 これは公式な非難という形を取り、国連での対立のレベルをさらに深刻な物へとエスカレートさせる。 このような対立は議論を白熱させて新聞社の興味を引き、大げさに書き立てる。 いくつかの危機は国連で扱うようなレベルではなく、最初から白熱したものではなかった。

 超大国が自らの深刻性を証明する最初のポイントは、超大国の軍隊が警戒態勢に入った時にやって来る。 これは戦闘の意志がある事を相手に電信する。 アメリカの武装した軍隊は、「Defense Conditions」(防衛基準態勢、省略してデフコンと呼ばれる)を使用する。 デフコンとは戦時への備えをレベル毎に明確に分割して表現したものである。 これには5つのレベルが存在する。


デフコン5: 最も低い戦争準備レベル(平和)。
デフコン4: 低いレベルの警戒。
デフコン3: 高いレベルの戦闘準備。ただし切迫した戦闘は考慮しない。
デフコン2: 攻撃が考慮され、事態は切迫している。
デフコン1: 戦争


 このシステムは軍隊の制御方法として使用され、またソ連に対する深刻性の表現としても使用される。 ソ連の諜報機関はこれを迅速に感知し、モスクワへデフコンのレベルを報告する。 従って、アメリカの大統領は声明を発表する必要も無い。 軍隊におけるより高いデフコンレベルへのシンプルな移行は、モスクワに対して迅速なメッセージを発信するのである。

 この手法には、瀬戸際外交の応酬に弱いという問題がある。 もしデフコン4へ移行した場合、何がソ連のデフコン3相当への対抗的移行を妨げるのだろうか? もしアメリカがソ連に対する脅迫を試みる事ができるのならば、なぜソ連はアメリカに対する脅迫を試みる事ができないのだろうか? そして、どちらが脅迫を止めるのだろうか? 武力による威嚇の順序がデフコン1になる前に、人は立ち止まる事を望むであろう。 しかし、そこには考慮すべき極めて重大な別の要素が存在する。 それは、物事が制御不可能になっているという可能性である。

 全ての政治家が抱える大きな問題の一つは、自身の軍隊を制御する難しさだ。 政治家の観点から考えると、この問題はシンプルである。 地政学的優位性を追求するための政策を実施するために、軍隊は存在が許されている。 道具としての軍隊を正確に運用する事は、政治家の大きな特権である。

 ただ、ほとんどの軍人は異なった見解を持っている。 軍人は自身が国のしもべである事を論理的には認めているが、実際は軍人が「軍事的必要性」と呼ぶ国家権力に敬礼する事によって、 妥協しているにすぎない。 その結果、外交的考慮ではなく、軍隊自身を起因とする多くの危機が発生する。 これが影響し、高いレベルにいる軍隊の指揮官が危機における決定的瞬間にて 「軍事的理由により、他に選択肢はない。」と市民に宣言する事になる。 この宣言は多くの場合破滅をもたらす。

 例えば、第一次世界大戦の始まりを告げる決定的瞬間に、ヴィルヘルム皇帝は理性を失い、 ドイツ軍の動きを反転させてフランスとイギリスへ戦争を仕掛けるという無謀な計画を思いついた。 この時、ドイツ帝国参謀総長だったヘルムート・ヨハン・ルートヴィヒ・フォン・モルトケが干渉する。 モルトケの主張によって、兵を前線へ移動させるための詳細な計画を作成したが、これには膨大な労力が消費された。 また国民が動員されてドイツ軍の反転に投入される。 この動員は取り消す事ができず、国はその政策を軍隊に対して単純に適用しなければならなかった。

 キューバ危機において、似たような問題がケネディ大統領を悩ませた。 ケネディは海軍を使って諸島を封鎖させたが、不必要に敵対的な行動を取ろうとはしなかった。 この時、ケネディは標準的封鎖を求める海軍の抵抗にあった。 標準的封鎖は急激に敵対心を煽るため、ケネディは嫌っていた。 これによって、政府と海軍との間で多大な摩擦が生じる。 幸運なことに、ワシントンの路上で政府と海軍が開戦する前に、ソ連が引き下がった。

 臨戦態勢に関するさらに重要な問題は、軍隊が容易に事変を起こす事によって引き起こされる。 軍人は外交戦略の複雑さについて考慮しない。 軍人は弱肉強食というジャングルの掟に対してシンプルに従うのみであり、外交よりも武器を使う傾向がある。 これは外交問題になるような事変を発生させ、戦争へ突入させる。 レキシントン・コンコードの戦いにおける「一発の銃声が世界を変えた」からMay 4th事件まで、 事変を発生させるような緊張した状況における軍隊の傾向は、再三証明されている。

 全ての政治家はこのような事変を恐れている。 1914年8月に始まった第一次世界大戦の直前において、フランス政府はそのような事変を特に心配していた。 そして、次のような命令を下した。
「共和国大統領の命により、部隊の集合・巡回・偵察・斥候・その他を禁じ、定められたラインの東へ行く事を禁ずる。 これに反する者は軍法会議に掛けられる。」

 核の時代において、この問題はより深刻になった。 1914年8月、何人かの未熟な下士官が理性を失って無差別に発砲し、緊張した状況に火を付ける危険性があった。 核の時代においては、一人の未熟な下士官が、核兵器のボタンの上にただ指を置くだけである。

誤算

 危機における最も大きな危険は、偶発的開戦の可能性で生じる、関係国における一部指導者が起こす誤算の可能性である。 事実、誤算はよく起こり、例外ではない。 それがとてつもなく重要かつ取り消し不能な可能性を持つ決定であっても、誤算により、政治家の考えが直接反映しているようには見えない。

 1939年9月1日、ナチスドイツはポーランドへ侵攻した。 イギリスとフランスは、ヒトラーによる近隣国に対する継続的かつ攻撃的な反抗にうんざりとしていた。 これにより、もしヒトラーがポーランドへ侵攻した場合は宣戦布告すると、両者は約束する。 ヒトラーはその脅しを信用せず、侵攻を開始させた。 1939年9月3日、イギリスは宣戦布告を行う。 ヒトラーはフォン・リッベントロップ外務大臣との協議において、イギリスの宣戦布告を聞かされた。 この時、フォン・リッベントロップに向かって、ヒトラーは動揺しながらも乱暴に尋ねた。
「今何と?」
これは第二次世界大戦にイギリスが参戦する可能性はないと、ヒトラーが考えていた証拠である。

 25年早く、ヴィルヘルム皇帝も似たような状況に陥った。 オーストリアをセルビアと対決するようけしかけた後、ヴィルヘルムはイギリスからの最後通牒を突然受け取ったのだ。 最後通牒を受け取ったヴィルヘルムは、このように嘆いた。
「イギリスが武器を取って我々に対抗すると、あらかじめ誰かが言ってくれたのならば!」

 政治家は誤りを犯しがちである。 戦争の現実とは、将来起こりうる出来事を正しく保証する事ができない政治家の証明である。 有利な決定を得る可能性がある時、二国間はいかに武力の決定に至る議論を決着するのであろうか?

決断と結果

 危機は二つ存在する方法のうち、どちらかの方法で終焉を迎える。 その方法とは、一方が引き下がって相手の要求を飲むか、両方が引き下がらずに戦争に突入するかである。 引き下がった陣営は、外交政策の重大な後退を余儀なくされる。 まず最初に、引き起こされた危機に関する結果を失う。 さらに重要な点は、相手との信用を損ねる点である。 危機の重大性に比例して、これら損害の大きさも増える。 瀬戸際外交を取った後に引き下がると、以後、相手からは信用されない。

 損害は世界の他の国々にまで及ぶ。 危機で引き下がった国に対して、他の国々は決断力が不足していると考えるであろう。

「バランス・オブ・パワー」における危機

 「バランス・オブ・パワー」における危機は、かなり簡易化されて扱われる。 ゲームではミサイル危機におけるアメリカのキューバに対する封鎖のような、創造的な手段を用いる事ができない。 この点がゲームと現実の最も大きな違いである。 ゲームにおけるプレイヤーは、相手に対する威圧として、用意された軍事的警戒や外交的脅迫を用いるのみである。

 危機はプレイヤーが相手の行動に対して異議を唱える事から始まる。 ここでいう行動とは、ゲームにおける「政策決定」メニューから選択する事ができる行動である。 具体的には、派兵・軍事援助・不安定化工作・経済援助・条約締結・外交圧力だ。 この行動はコンピュータプレイヤーによる評価を開始させる引き金となる。 コンピュータにとって重大な危機は、コンピュータに次のような判断を迫る。
「強硬な態度で事態をエスカレートさせるか、引き下がるか?」
どのようにして異議に対する回答が計算されるか、下記で説明する。

 まず文言の定義から始める。


対象」とは超大国が行動を起こした小国とする。

外交的親近感」とは超大国による「対象」への外交的親近感とし、範囲は-127から+127とする。 正の値は友好的関係を意味し、負の値は非友好的関係を意味する。

影響力」とは「対象」に対する超大国の影響力とする。 高い値の「影響力」は、「対象」に対する影響力が高い事を意味する。 言い換えれば「この国に手出しするな」である。 「影響力」は1から15までの値で表現される。 危機で干渉すると、この値に8が加算される。 干渉は本質的に重要な仕事である。 これによって、世界中のどこにでも軍を派兵する別の超大国に対して、自らの正義を示す事ができる。

冒険性」とは超大国が見せた冒険的振る舞いの範囲とする。 各超大国は自身の「冒険性」を持っている。 「冒険性」は超大国が冒険的な行動を行う事によっていつでも増加し、超大国が危機で引き下がる事によっていつでも減少する。 「冒険性」は1から127までの値で表現される。

威信値」とは地政学における「対象」の相対的重要度とする。 西ドイツは高い威信値を持っており、その値は200である。 一方、ニカラグアの威信値は2しかない。

恩義」は超大国と「対象」の間で締結された条約から生じる。 核による防衛条約の「恩義」は127であり、条約なしの「恩義」は0である。

」は危機を解釈するために最も重要な要素であり、このゲームにおける他の単独要素よりも注力した部分である。 簡単に説明すると、「傷」とは超大国の行動によって「対象」が被った損害の量である。 これは-127から+127までの値で表現される。 負の値は「対象」に対して手助けした事を意味し、正の値は「対象」に対して傷つけた事を意味する。 言い換えると、負の値の「傷」は「助け」である。

 「傷」は様々で特別な数式によって計算される。 「傷」の量は、行動によって生じた三つの一般的な規則により運用される。 最初に、行動の重要性が高いほど「傷」の量も増える。 多数の兵士や強い外交圧力は、より多くの「傷」を作る。 二番目に、「傷」の量は行動に対する「対象」の脆弱性に依存する。 イギリスのように強力で安全な国の反政府勢力に対する武器供与は、フィリピンのように脆弱な国の反政府勢力に対する武器供与に比べて、 多くの「傷」を作らない。 三番目に、いくつかの行動は他者に対してより多く傷つける。 一般的に、反乱への介入は超大国が実行しうる最も傷つける行為である。 最大値である500,000人の兵士による介入は、相手に対して125ポイントの傷を与える。 政府への介入による影響は反政府勢力の状態に依存しており、-127ポイントまでの傷を与える。 この傷が最大値にまで達する事はめったにない。 次は不安定化である。 高いレベルの不安定化は80ポイントの傷を与える。 経済援助と反政府勢力への武器供与は、最大約60ポイントの傷を与える。 ただし、経済援助の影響は「対象」の経済状況に依存する。 外交圧力・政府勢力への武器供与・条約締結は、全て低い値の傷を与える。 これらは最大レベルであっても、約+/-40ポイントの傷を与えるのみである。 また「対象」の状態によって、与えられる値は変化する。

 正の値の「傷」は相手を傷つける行為であり、負の値の「傷」は相手を助ける行為である事を忘れないように。 これは奇妙な数学的文言においての、シンプルなアイディアである。

 他の超大国が友好国を助ける時、「傷」の意味は逆転する。 例えばソ連がアメリカの友好国であるカナダと相互防衛条約を締結した場合、アメリカはこの友好関係を良く思わない。 アメリカはこの行動を同盟国を危険にさらす試みと受け取り、脅威と感じるであろう。 これは、超大国は同盟国を傷つけたり助けたりする行為を不快に思うという事を意味する。


 以上が文言の定義である。 次に計算式を示す。

       傷 * (恩義 + 外交的親近感) * 影響力 * 冒険性 * 威信値
激怒 = -----------------------------------------------------
                                128

 「激怒」とは、異議によって発生する超大国による怒りの範囲である。 この値が負の場合、超大国は喜んでいる。

 この式は特別な特性を持っている。 その特性とは、誰が式を規則的に扱っているのか明らかでない点である。 この式は環境によって激怒の意味を自動的に逆転させる。 もしアメリカがソ連の友好国に対して不安定化工作を試みた場合、「傷」は正の値となる。 またソ連は「対象」を好んでいるため、外交的親近感も正の値である。 式における他の値も正の値なので、式は多くの正の値が掛けられ、結果正の値が増える。 アメリカがソ連の敵を傷つけた場合、「傷」はやはり正の値となるが、外交的親近感は負の値である。 なぜなら、ソ連は「対象」を好んでいないからである。 おそらく「恩義」は0になるであろう。 ソ連は自らの敵と条約を締結するだろうか? したがって式は負の値となり「恩義」も負の値となる。 これはソ連を喜ばせる結果である。

 アメリカがソ連の敵に対して何か好意的な行動を行った場合、「傷」は負の値となる。 ソ連にとって敵であるという事は、外交的親近感も負の値である事を意味する。 これにより、二つの負の値が掛けられて、結果は正の値となる。 ソ連の「激怒」が正の値になる事は、ソ連にとって不幸な事態である。 この式は広く・様々な状況を扱っているのだ。

 この小さな方程式は、超大国の振る舞いに関する大きなアイディアを表現している。 この式には六つの異なる文言が存在し、その中の一つである「傷」はさらに複雑な計算を含んでいる。 これらのアイディアを一つの式にまとめるにあたり、異なる文言に対して重要性を加味した。 例えば、「影響力」は1から15の間で表現される事を強制され、同様に、「威信値」は1から2,000の間で表現される事を強制される。 これは「威信値」が「影響力」よりはるかに大きな重要性がある事を意味する。 他の四つの文言は全て、最大が絶対値127として表現される。 これらの重要性は普通ぐらいである。

 「激怒」の基本的な計算は、各超大国に対して行われる。 どちらの超大国をコンピュータがプレイしていても関係ない。 コンピュータは行動によって発生する自身の「激怒」を計算し、同様に、人間も行動によって発生する「激怒」を計算する。 その後二つの結果を単純に加算し、「過剰激怒」を求める。 これは行動に対する自身の「激怒」が、人間プレイヤーの行動に対する喜びを越える範囲である。 もしこの行動がコンピュータを喜ばせる場合、「過剰激怒」におけるコンピュータの喜びは、人間の「激怒」を越える範囲である。

 異常事態がイランのような国によって引き起こされた考える場合、これは奇妙であるが正当な効果を発揮する。 その効果とは、両超大国共に非友好的な外交関係を持っている場合の効果である。 どちらかの超大国によるイランを傷つけるための試みは、もう一方の超大国を喜ばせる。 なぜなら、「外交的親近感」が常に負の値となるからである。

 なぜ、と読者は不思議に思うであろう。 コンピュータは政策に対する人間の反応を計算しようと試みるのだろうか? ここにゲームデザインの根本的な概念の一つと、「バランス・オブ・パワー」の成功の一つを見て取る事ができる。 その一つとは「予期」である。

 ゲームと他の多くのコミュニケーションとの主な相違点は、ゲームが提供する相互作用にある。 本・映画・交響曲は、そのメッセージを聴衆に対して単純に発信する。 しかし、ゲームは聴衆に対して問いかける事ができる。 プレイヤーは自分自身のアイディアを試す事ができ、ゲームがそのアイディアに対していかに反応するか見る事ができる。 相互作用とはゲームが持つアピールポイントである。 そして、予期を力の根源とする時、相互作用はその最高地点に到達するのだ。 もしコンピュータがプレイヤーの行動や考えを推測する事ができた場合、 コンピュータはプレイヤーに対してさらに興味深い反応を提供する事が可能である。

 また予期には他の理由もある。 それはリアリズム(現実主義)である。 危機における当事者のエネルギーの多くは、自分の行動に相手陣営がどのように反応するか考える事に消費される。 相手陣営は何を考えているのだろうか?その動機は?次に何をするのか? これらは危機に関与する政治家の心情を考慮する場合において、最も重要な疑問点である。

 以上の理由により、「バランス・オブ・パワー」で予期が使用される。 コンピュータはプレイヤーの状況に応じて反応する事を試み、自分自身の振る舞いが相応になるよう調整する。 もし「過剰激怒」が正の値ならば、危機における状況が人間よりも切迫していると結論付け、コンピュータは強固な姿勢となる。 もし「過剰激怒」が負の値ならば、状況は人間の方が有利であると考え、コンピュータは引き下がる。

 実際は、危機の早い段階においてはこの計算式は使用されない。 危機の早い段階では、危機の重要性を考慮に入れて「過剰激怒」を調整する。


新過剰激怒 = 過剰激怒 + (4 * 危機レベル) + 絶対値(乱数 発散 1024) - 36


 「危機レベル」とは、危機のレベルを意味するための単なる数値である。 これはデフコンの数値と同じだ。 ただし、デフコンは5までしか存在しないが、「危機レベル」は9まで存在する。 「危機レベル」の1はデフコン1に相当し、2以降も同様に対応する。 そして、この数値は危機の最下層レベルにあたる9まで減少する。 これは危機の早い段階においてコンピュータが「過剰激怒」にいくらか数値を加える事を意味する。 これは自分が知りうる正しい行動よりも独善的に行動する事を表現している。 端的に言えばブラフである。 しかし、危機が深刻になるとブラフの意味合いは小さくなり、重大な計算の基礎として扱われる。

 乱数とは不確実な小さい値を代入する事を意味しており、その平均値は16である。 これはコンピュータのより好戦的な傾向を表現している。

 最後に引き算をしているが、これは前の二つの計算によって作られた好戦性を、いくらか相殺する事を意味する。 コンピュータにとって正当な問題である場合、コンピュータは絶対的に堅固な姿勢を常に見せ、 コンピュータにとって明らかに誤っている問題である場合、コンピュータは引き下がる。 これら二つの場合は除かれるが、「過剰激怒」から36を引く事によって、 コンピュータに対するプレイヤーのブラフが時々成功する事を可能にしている。

 多くのプレイヤーを惑わせる意思決定過程の産物がある。 もし、ナイジェリアへの経済援助といった、全く重要ではない行動によって危機が発生した場合。 そのような状況でコンピュータがデフコン1にまで危機をエスカレートさせた事に、プレイヤーは驚くであろう。 そのようなちっぽけな問題で、なぜコンピュータは世界を破壊しようとするのだろうか?

 答えは、プレイヤーがそのようなちっぽけな問題で世界を破壊しようとするからである。 コンピュータが対立を分析し、問題による「激怒」が22のように小さい値であると計算する。 その上で、この問題による人間の喜びが-18と同じか小さいと計算する。 これら二つの値は合算されて+4となり、コンピュータは自身が堅固な姿勢を取ると結論付ける。 もし可能ならば「なぜ、たった22ポイントの危機で世界を破壊しようとするのか?」と人間は尋ねるであろう。 一方、コンピュータはより正しく尋ねる。
「18ポイントの価値しかもたらさないのに、なぜデフコン2へとエスカレートさせるのか?」
これが両者を戦わせるのである。

 強固な姿勢を取る事と危機をエスカレートさせる事には、いくつかの効果がある。 まず、超大国間の関係が悪くなる。 これは偶発的核戦争の計算にとって重要である。 両国間の緊張が低い時、デフコン2で偶発的核戦争が発生したのならば、それは運がなかったという事になる。 しかし、両国間の緊張が高い時、偶発的核戦争の可能性はもっと上がる。

 超大国の誠実さは、危機において友好国を支援するために強固な姿勢を取る事で改善される。 ただし、その後で引き下がれば得たものは全て失われる。 第四章を読み返すと、誠実さとは超大国の信用力であり、その度合いは友好国との間に締結している条約によって決定される。

 最後に、ゲームの「加虐度」レベルは超大国が堅固な姿勢を示す度に、わずかに加算される。 「加虐度」はゲーム中に実施された様々な行動の間接的効果を背景を持つ。 より高い「加虐度」は、コンピュータをより暴力的に行動させる機会を増やす。 これによって危険な行動・危機の開始・危機においてなかなか引き下がらない、といった振る舞いが増える。

 超大国が引き下がるとペナルティを受ける。 最初にして最も明らかなペナルティは威信値の喪失であり、それは「激怒」の要素から計算される。 「激怒」が高い時に引き下がった場合、大きな威信値を失う。

 危機の敗者は、勢力圏内での危機における「対象」に対する「影響力」も低下する。 勢力圏を保護しなければ、勢力圏も失う。 最後に、危機の敗者は「好戦度」が減少し、他の超大国に対する脅迫性が減って見える。 これによって、他の超大国はより攻撃的になる。

 これらはどの程度正確であろうか? あまり正確ではないであろう。 危機とは政治家の資質における最も個人的な表現である。 このような表現は、コンピュータプログラムによる一般化とはめったに適合しない。 1914年8月の危機はヴィルヘルム皇帝の凶暴さをもたらした。 1939年8月におけるアドルフ・ヒトラーの嘘つきスタイルは、子供である。 キューバのミサイル危機において、ケネディ兄弟が見せた決断と抑制の素晴らしいコンビネーションは、忘れる事ができない。 こういった危機は、コンピュータプログラムによる一般化に適合しない。

 「バランス・オブ・パワー」で使用された危機を起こすための一般化システムは、現実世界の個人的な手法を再現しない。 人工的な危機に対する個性の組み立てラインはあるが、それは感情と人間性が不足しており、信憑性に乏しい。 ゲームにおける全ての構成部品こそが真実であり、反乱からのクーデターや介入は一般化されている。 とはいえ、この問題はゲームにおける他の領域に大きな影響を与えない。 「一つの反乱を見ただけで、全ての反乱がわかる」とは、おおげさである。 しかし、危機において実在しない反乱であっても、似た徴候は存在する。 一般化は反乱について公平に機能し、危機の価値を下げないのである。

 それにも関わらず「バランス・オブ・パワー」における危機の扱いは知的な領域をカバーする。 「激怒」における式の複雑さと「傷」の計算の複雑さは、コンピュータプログラムにおける現代的瀬戸際外交の性質を表現している。 多くの制限がある事は理解しているが、そうであっても、この作業を達成する事ができた。

------------------------------------------------------------------------------
危機: 1914年8月

 20世紀最初の危険な危機とは、第一次世界大戦の開戦へとつながる危機である。 この危機は全ての関係者による、完全な取り扱いミスであった。 危機は1914年6月28日にサラエボでオーストリア-ハンガリーのフランツ・フェルディナントがセルビア人過激派に暗殺された事によって始まった。 この犯罪により、オーストリアはセルビアを破壊し、併合する口実を得た。 これがこの危機における最初の大きな過ちであった。 オーストリアは領土拡大のためにこの悲劇を利用できると考えたのだ。

 オーストリアへの保証により、ドイツ帝国は誤った軍事行動を迅速に開始した。 この行動はセルビアとロシアが締結した保障条約に反しており、その後ドイツはロシアへ宣戦布告する事となる。 このドイツの保証は外交原則に違反している。 大国は配下の友好国に対して自由行動権を与えてはならない。 配下の友好国は大国の余勢を駆って行動するが、その行動は力の抑制に欠き、大国が不安になるような冒険的行動となる。

 ドイツの後援もあり、オーストリアはセルビアへ最後通牒を出す。 セルビアは和平を提案するがオーストリアが拒否し、7月28日に宣戦布告を行った。 この瞬間にオーストリア-ハンガリーとセルビアの戦争が始まり、その結果オーストリアが勝利してセルビアを併合する。

 ここでロシアは自らの名前を愚か者のリストに加える。 ロシアはバルカン半島について地政学的観点における基本的な興味を持っており、 この地域がオーストリア-ハンガリーによって併合される事を望んでいなかった。 これにより、ロシアはオーストリア-ハンガリーに宣戦布告する。

 ドイツはオーストリアを扇動する事によって戦争を可能にし、それがロシアの介入を許した。 ドイツ皇帝は自身の約束に答えなければならなくなる。 8月1日、ドイツはロシアに対して宣戦布告を行った。

 8月1日の時点で、戦争はドイツ・オーストリア-ハンガリー・ロシア・セルビアを巻き込んだが、フランス・イギリスはまだ巻き込まれていなかった。 しかし、フランスはドイツがロシアを攻撃した場合に宣戦布告するという協定を、ロシアとの間で締結していた。 その上フランスは1870年の普仏戦争でドイツから領土を奪い返す事に失敗している。 さらに、ドイツはフランスにとって常に戦争相手と仮定されていた。 このような事情もあり、ドイツにはフランスに対する戦争計画があった。 そして、ドイツはこれらの計画をフランスが宣戦布告するより早く実行に移した。

 これは状況に勢いが付いた事を示す。 事態の基本的な事実は、ヨーロッパにおける覇権を確立するために、各国が自ら大戦争に巻き込まれていった事にある。 これらの思惑は二つの異なる原動力が基礎となっている。 それは、もはや些細なものとなった動機と、地政学的優位を確立したいという欲望である。 各国は近代戦で使用される武器による大虐殺の可能性についての評価を下さなかった。

 危機を解決不可能にしたのは、戦争のこの思惑だった。 その思惑は、願い通りとなる。 各国は自国の陸軍を総動員し、来たるべき戦争に向けての準備に尽力する。 しかし、この動員は戦う意志として他国へ電信された。 動員のための死にものぐるいの努力は、好戦的な雰囲気を作り、平和への努力が無益なものとなった。 全ヨーロッパで100万人もの人間が非常召集を受けている時に、いかに平和を語る事ができるであろうか?

 イギリス政府だけが、戦争へとなだれ込まなかった。 イギリスは戦争の拡大と、ヨーロッパでの戦争に直接飛び込む事に対して慎重であったからだ。 しかしドイツが中立国であったベルギーへ侵攻した時、イギリスは参戦せざるを得ないと感じた。 そうであっても、イギリスは時間を取り、8月3日なってから宣戦布告を行った。 正式な宣戦布告を行う数時間前、ドイツの重巡洋艦「ゲーベン」がイギリス海軍をかわして地中海へと進入し、トルコへ向かった。 「ゲーベン」のイスタンブルへの到着はトルコ政府に大きな感銘を与える。 「ゲーベン」の入港とイスタンブルを出港した後の業績は、トルコをドイツ側として参戦させる序曲となった。

 戦闘が始まる数日前における全列強の根本的な誤りは、外交活動を拒絶した事であった。 そこには「バランス・オブ・パワー」で用いられているような、ゆるやかに危機をエスカレートさせるシステムは存在しなかった。 全ての参加者にとって、平和と戦争の間には、ただ一つのステップしかなかったのである。 最後通牒には何の前段階もなかった。 全ての国において、近代で使用する警戒とは劇的に異なる軍事的総動員がかけられた。 こういった動員は取り消しができないと考えられていた。 動員は重大な意思表示や脅迫とはなり得ず、宣戦布告の意志に等しい存在であった。

 問題の一部は、政治家が近代における戦争の重大性を理解しなかった事にある。 政治家達は普仏戦争のように戦争が短期間で終わると考えていたが、その代償は人口の0.1%にあたる「わずか」180,000人の戦死者であった。 政治家達は、戦争は短期間の暴力で決着が付くと考えた。 戦争による代償として、全人口の6%にあたる700万人の戦傷者を出すとは、考えなかったのである。

------------------------------------------------------------------------------

------------------------------------------------------------------------------
危機: 1939年9月

 第一次世界大戦開始の危機から25年後、ヨーロッパは別の危機の最中にあった。 その危機とは、1939年9月1日のアドルフ・ヒトラーによるポーランド侵攻である。 ヒトラーは三年間にわたってフランスに圧力を掛け、イギリスは耐えていた。 1936年、ヒトラーはヴェルサイユ条約に反してラインラントを武装化する。 1938年には、オーストリアとチェコスロバキアのズデーテンへ侵攻する。 これらの行動は列強の心理に対して、根本的な誤解をもたらした。

 ヒトラーは自身の積極的な手法に対して、フランスとイギリスは黙認すると考えた。 フランスとイギリスの東ヨーロッパにおける過去の振る舞いから、この地域について関心が無いと感じたからだ。 この事から、身勝手な外交を行っても、フランスとイギリスは引き続き黙認するとヒトラーは考えた。

 現実は正反対であった。 イギリスとフランスはヒトラーの身勝手はこれが最後であって、それを耐える事によって平和を守る事ができると考えた。 しかし、ヒトラーがポーランドへ侵攻した時に、イギリスとフランスの忍耐も限界に達した。 両国は臆する事なく宣戦布告を行う。 この決定はヒトラーを驚かせた。 ナチス上層部の一人は、宣戦布告のあった日の日記に、このように書いている。
「1941年までは起こりえないと総統が我々に約束した戦争が、今日始まった。」

------------------------------------------------------------------------------

------------------------------------------------------------------------------
危機: 1962年10月

 核の時代における最も深刻な危機は、1962年10月のキューバ危機であった。 この危機における根本的な原因は、ソ連がキューバに核ミサイルを配置した事である。 これらの核ミサイルは、アメリカ空軍の偵察機によって10月16日に発見された。

 ソ連のミサイルの発見は、アメリカ政府に大きな衝撃を与えた。 キューバに攻撃ミサイルを配置しないと、アメリカに対してソ連が繰り返し保証していたからだ。 その一ヶ月前に、ソ連の報道機関である「タス通信」は次のように公言していた。


ソビエト連邦政府は侵略に対抗するための武器を用意する必要は無い...それは他の国やキューバであっても同様である。


 なぜソ連はミサイル配置を行ったのだろうか? 敵対的な核兵器を自国領土のすぐそばに配置する事を、アメリカが漫然と認めるとソ連は信じたのだろうか? 我々はソ連の軍事関係者が何を考えていたのか、知るよしもない。 しかし、この配置に関しては三つの有力な議論がある。


(1)トルコに配置されたアメリカのミサイルに対抗するためとの類推。
(2)キューバに配置されたミサイルが、キューバに対するアメリカの侵攻を抑止すると感じたため。
(3)フルシチョフがケネディを指導力のないリーダーであると判断し、挑戦に対して引き下がると考えたため。


 これら三つの全てにおいて、ソ連は計算を誤った。 ケネディはトルコからアメリカのミサイルを撤去するよう既に命じていた。 アメリカはキューバに対するいかなる侵攻計画も持ち合わせていなかった。 ケネディは引き下がらなかった。 これら三つの計算ミスが、危機を生み出す事となった。

 ミサイルの配置にアメリカが気付き、ボールはケネディに投げられた。 アメリカ政府は難しい審議を行い、大きく分けて六つの対処方法を考えたと記録に残っている。


(1)何もしない。
(2)外交的反応を示す。
(3)カストロと交渉する。
(4)キューバを封鎖する。
(5)ミサイルを空爆する。
(6)キューバへ侵攻する。


 明るい選択肢は一つも無かった。 最初の二つは好ましくない結果をもたらしたであろう。 特にミサイルが戦闘態勢に入ってからは。 ミサイルが戦闘態勢に入るまでの二週間、ソ連は外交的主導権を簡単に引き留めておく事ができた。 そうなると、アメリカの軍事的選択肢はほとんど失われる。 三つ目の選択肢には、ミサイルがソ連の技術者によって運用されており、カストロの制御下にないという事実がある。 最後の三つの選択肢は軍事的であり、戦争の危険性が最も高かったが、成功する可能性も高かった。

 アメリカ政府の審議に関する驚くべき側面の一つは、意思決定過程において軍が主導した行動的役割であった。 理論上、軍はクラウゼヴィッツの「戦争とは他の意志に対する政治の延長である」という学説を基にして運用されており、 政策決定は政治家に任されている。 軍が自身の能力および制限について政治家に助言する事は、制限されているのである。 しかし、キューバ危機においては軍の指導者達が積極的な役割を果たし、侵攻という選択肢に関して長くて難しい議論を交わした。

 しばらくの間、アメリカ政府の意志は局地的な空爆という選択肢に傾いていた。 ミサイル基地を破壊し、ソ連がアメリカに対して既成事実を作り上げたのと同様に、 アメリカがソ連に対して既成事実を作り上げると、アメリカ政府は考えていた。 この選択肢は頭の固いアメリカ軍指導者達に拒否される。 そして、アメリカ軍指導者達は自分たちの考えた代替案をアメリカ政府に押しつけようとした。 その代替案とは、ミサイルをきちんと破壊する案であった。 ミサイルだけでなく、その周辺施設も含めて全力攻撃する事を空軍は求めたのだ。 アメリカ政府担当官は、必要以上の火力を空軍は求めていると抗議する。 この時、空軍は真実を都合良く拡大して、大規模攻撃なしでミサイルを破壊できる保証はないと明言した。

 その後、アメリカ政府は封鎖という選択肢に後退した。 封鎖の特別な魅力は、この問題に関して政府が力を用いると明白に伝えた事であった。 また、封鎖は早急に対処が必要な諸問題を作る事もなかった。 さらに封鎖は本質的にゆっくりとした政策の選択肢であり、クレムリンに対して考える時間を多く与えた。

 その後、アメリカ政府は軍が命令を実行するに当たって深刻な問題に直面した。 それは海軍の姿勢である。 大統領が封鎖を決定した後、その封鎖の詳細を変更するための大統領権限がなかった。 ケネディが封鎖の範囲を変更するよう命じた時、その命令は抵抗を受けた。 ケネディが圧力を掛けて海軍は命令を認めたが、ケネディの知るところになく、封鎖の範囲変更は失敗した。 他にも、国防長官のロバート・マクナマラとアメリカ海軍作戦部長のアンダーソンが、 微妙な状況下に置ける海軍の運用に関する詳細な疑問について、対立した。 マクナマラは海軍によるこの「押しつけ」によって腹を立てた。 マクナマラは海軍の発言をかき消して、次のように言った。
「さあ、作戦部長殿。もしあなたとあなたの副官がオフィスへ戻るのならば、海軍は封鎖を実行する。」

 大統領とその補佐官は、これら全てのやりとりがもたらす途方もない危険性に気づいた。 ケネディは後日、核戦争の可能性が1/3から2/3程度あったと見積もっている。
「この全てに内包した大きな危険と危険性は誤算であった。判断ミスである。」(アリソン 1971)。
ケネディは歴史家であるバーバラ・タックマンの著書「八月の砲声」を最近読んでいた。 そこには第一次世界大戦につながる出来事の詳細について記述されており、 ケネディは政治家が自らを容易に戦争へ導くと痛いほど認識していたのだ。

 封鎖による影響は10月24日まで続いた。 この封鎖は正確には空域封鎖である。 軍事補佐官の強い異議にも関わらず、ケネディは共産主義者の船舶が通行する事は認めた。 ケネディはフルシチョフに考える時間をさらに与えたのである。

 時を同じくして、いくらかの手法における軍事的圧力を増加させる事によって、ケネディは自身の決断を見せつけた。 キューバ侵攻の準備のために、南部の州で地上軍を動員したのだ。 この動員は簡素なものであったが、それはアメリカが全力を挙げてキューバとの戦争を準備しているように見えた。

 野心的でない軍事活動と注意深い抑制の組み合わせは、一定の効果があった。 10月24日水曜日、共産主義者の船舶団は、キューバへ向かう航海の途中で突然停止した。 そのうちの多くの船舶は、封鎖線の手前で停止したのである。 ディーン・ラスク国務長官は瀬戸際外交について古典的な感想を述べた。
「我々は見張るための目玉である。そして、他の仲間はただ瞬きをしただけである。」

 危機は終わっていなかった。 この危機が解決されるまでに、さらに危険で複雑な状況を経験する。 10月26日金曜日、アメリカ政府はフルシチョフからの提案を受け取った。 その提案とは、危機を円満に解決するために、下準備を行う使者を送るというものであった。 土曜日、アメリカ政府がこの提案に対する返答を検討していると、ソ連の放送局が第二の提案を行う。 その提案は、最初の提案より不快なものであった。 これはエクスコム(国家安全保障会議執行委員会。ケネディが選抜した、危機に対処するための実行委員会)を困惑させた。 この提案は、どのような返答を期待しているのだろうか? ソ連の方針は、今や不明瞭となった。

 この困惑に対する巧妙な解決方法が、ロバート・ケネディによって提案された。 それは、第二の提案を無視し、最初の提案に対してのみ好意的に返答するという方法である。 アメリカ政府は第二の提案が始めから無かったかのように振る舞ったのだ。 そして、これが危機を解決するための基盤となった。

------------------------------------------------------------------------------

------------------------------------------------------------------------------
第四次中東戦争の危機, 1973

 1973年10月6日、エジプトとシリアがイスラエルを攻撃した。 この攻撃によって多数の死傷者と多くの憎しみが生まれ、イスラエルが主導権を取り戻し、スエズにてエジプト第三軍を罠にはめた。 この時点においてアメリカは停戦を促す事が可能であったが、アメリカ・ソ連双方による誤解の結果、危機が発生した。

 停戦合意に関わらず、イスラエルはエジプト第三軍の殲滅を熱望して、攻撃を継続した。 一連の攻撃は、有利な停戦を引き出そうとする、アンワル・アッ=サーダートによる死にものぐるいの反撃の引き金となる。 アメリカはイスラエルに対して攻撃を停止するよう圧力を掛けた。 時間稼ぎのために、イスラエルはアメリカ人監視団に対するテルアビブから前線への停戦監視許可を申し出て、 イスラエルが停戦に応じている事を証明する。 キッシンジャーはイスラエルの申し出に感銘を受けなかったが、その申し出をエジプトに対して正式に報告した。 その後、驚くような状況の変化が訪れた。 アッ=サーダートが、停戦を執行するためのアメリカによる派兵の申し出を、「エジプト」側として「承諾」したのである。 実際の申し出は、「イスラエル」側からの停戦を「監視」するための、数人のアメリカ人兵士に対する「イスラエル」の申し出であった。 これが単純な誤解なのか、キッシンジャーによる意図的な誤解なのかは、永遠に不明である。 はるかに重要な事は、アッ=サーダートが同じ申し出をソ連に対して行ったと公言した事である。

 この申し出の意味合いは、奥深いものがある。 もしソ連が直接介入するためにエジプトの申し出に応じた場合、イスラエル軍はソ連兵と直接戦う事になる。 ソ連は戦いに敗れるために兵士を送らない。 ソ連はイスラエルを倒すために必要な兵士を送るであろう。 一方、アメリカも同盟国が倒される様子を見過ごす事はできない。 アメリカは介入し、中東でソ連兵と対峙する事になるであろう。 これは恐ろしい展望であり、回避されなければならない。

 事態は急激に動いた。 アッ=サーダートが声明を発表した数時間後、アメリカはソ連に対して衝突を回避するよう試みるための一連のメッセージを送った。 キッシンジャーもまた、国連内での出来事が危機を煽り立てないよう働きかけを行った。 数時間後、ソ連はアメリカに対してメッセージを返信した。 そのメッセージは最後通牒に匹敵する、次のようなものであった。


ソ連とアメリカ軍派遣団による停戦合意を保証するためのエジプトへの緊急派遣について .... この件に関して我々との合流が不可能であるのならば、我々は ... 適切なステップを一方的に取る事に関する問題を考慮しなければならない。
Kissinger, Henry. ’Years of Upheaval’. Boston: Little, Brown and Company, 1982.
ヘンリー・キッシンジャー『キッシンジャー激動の時代(1-3)』(読売新聞調査研究本部訳、小学館、1982年)


 簡単に言い換えれば、ソ連はこのように言ったのである。 「現在我々はエジプトに軍隊を送っている最中である。アメリカが同行しようが、同行しまいが、無関係に。」 悪夢のシナリオが始まった。

 キッシンジャーはホワイトハウスにて会議を召喚する。 ここから、危機を解決するための強い役割を演じる仕事が始まった。 キッシンジャーは次のように叙述している。


「参加者はソ連の行動・動機・意図を十分検討した。」
Kissinger, Henry. ’Years of Upheaval’. Boston: Little, Brown and Company, 1982.
ヘンリー・キッシンジャー『キッシンジャー激動の時代(1-3)』(読売新聞調査研究本部訳、小学館、1982年)


 10月24日午後11時41分、アメリカ軍はデフコン3へと移行した。 加えて、第82空挺師団が出動態勢に置かれ、その地域にいる様々な海軍部隊が東地中海へと迅速に移動するよう指令を受けた。

 一方、ソ連も自身の軍隊を移動させていた。 東ドイツ軍は警戒態勢に入る。 ソ連軍航空機も、エジプトへ派遣する兵士に対する輸送準備を始めていた。 外交的には、ソ連は脅迫的沈黙を保っていた。

 10月25日火曜日の午前5時、アメリカ政府は堅苦しい覚え書きをブレジネフへ送る。 その覚え書きには、中東で一方的に介入するソ連に対して力で抵抗するという警告がなされていた。 決闘の準備が整ったのである。

 決闘はアッ=サーダートによって取り消された。 午前8時、アッ=サーダートはアメリカ政府に対して方針を修正するという書簡を送る。 その書簡の中で、アッ=サーダートはアメリカとソ連に対して兵を要請する代わりに、超大国を含めない国際的な軍を要請した。 これによって危機は終結する。 ソ連は撤収し、引き下がったのである。

------------------------------------------------------------------------------

含まれていない要素

 地政学における現実世界とは、複雑な場所である。 軍事力における数十・数百の要素、外交、経済、地理が地政学に影響する。 これまでの章において、「バランス・オブ・パワー」に含んでいる四つの主要な要素について記述した。 その要素とは反乱・クーデター・フィンランド化・危機である。 しかしながら、「バランス・オブ・パワー」は「ゲーム」であって、シミュレーションではない。 他の要素を犠牲にしてでも、これら四つの要素を強調する事を私は意図的に選択した。 また、RAM(コンピュータの記憶領域)の上限によって、明確な衝突のための要素と、プレイヤーがゲームを簡単に理解するための必要な要素を、削除せざるを得なくなった。 さらに、地政学シミュレーションに値する多くの正確さを含める事についても、失敗または削除している。

 他を切り捨てでも包含する要素を選択する作業は、 チェックリストを使ってXを付けたり付けなかったりといった問題ではなかった。 ゲームをデザインするに当たって、ゲームに使用する要素は当初想定していた目標数よりも自然に増加した。 それらの要素の内いくつかは、ゲームに実装される事なくお蔵入りとなった。 そういった要素は基本的考察から自然発生したものではないので、気にする必要はない。 ゲームにおける主要な概念の一つは、小国の衝突を通じて表現される、超大国同士の衝突という概念であった 反乱において超大国がどちらか一方を援助するという選択肢と、超大国による反乱の利用は、自然に導き出された。 逆に、軍備がデザインされる事はなかった。 なぜなら、それは超大国間の衝突を結びつけるものではなかったからだ。 どちらかというと、軍備は超大国のための(頻繁に失敗する)乗り物である。

 この章では、何らかの理由によって「バランス・オブ・パワー」に含まれていないいくつかの要素について記述する。 その要素とは貿易・多極化・中立・小国間戦争・軍縮・人権・その他である。

貿易

 国家間の貿易は、多くの理由により、当該国間における重要な要素となる。 貿易は自国の強みと弱みという分野において、経済的に接近するよう国を特化させる。 そして規模の経済で優位に立つために、他国に巨大な資本を投じる。 また、集中的な貿易は東アジアの国々が貧困から脱する可能性を作る事ができる。 東アジアの巨大な人口は、一見すると障害に見える。 しかし、その豊富で安価な労働力を集中して利用する事により、東アジアは急激な経済成長を遂げる事が可能である。 こういった国々は、国内的に発展するために法外な値段の産業基盤が要求される先進国からの、 遠距離通信システムとして適している。 増加された貿易は、そういった国々の産業基盤に対して先進国がエネルギーを集中させる事を可能にした。 製品や国内で入手する事ができない原材料に対して、貿易は副次的な利益を与える。 世界中の国々に対して供給されている多くの重要な鉱物は、南アフリカで産出される。 日本のようないくつかの国は、自国の資源がとても少ないため、原材料の全てを輸入に頼らなくてはならない。 同様に、世界の後進国は自国にわずかな生産力しか持っておらず、製品を製造するために先進国の力を必要としている。 特に必要なものは、先端技術である。

 貿易による価値は、世界的に規模が拡大するという事実によって実証された。 この20年間における、国際総GDP(国内総生産)の割合としての国際貿易総額は、著しく増加した。 国際総貿易額の絶対値における増加は、さらに劇的である。 基準年ドルにおける年次貿易総額は、1969年の2,460億ドルから1978年の1兆ドルへと増加した。 貿易が多くの国々に対して高い付加価値を付けるために十分な利益をもたらしている事は、明らかである。

 したがって、外国との貿易は重要であり、それはいかなる国の経済にとっても好ましい構成要素である。 この事実は外交官には無意味ではなかった。 外交官は外交的武器として外交特権を選択的に拒絶したり、与えたりといった能力を用いる事を学んだ。 年月がたつうちにこの武器は磨かれ、洗練されて、政治家の様々な選択肢となる。 その選択肢とは、貿易障壁・制限・ボイコット・禁輸措置である。

貿易障壁

 通常の貿易障壁とは、割当・義務・関税・その他自由貿易に対する制限である。 これらは外交的武器としてはめったに使用されない。 その代わり、経済政策として最も頻繁に見る事ができる。 したがって、アメリカ製品に対する日本の制限は経済活動であり、これが外交的緊張の原因となる事はない。 経済目標を意味するだけである。 日本の自動車メーカーによるアメリカへの自動車の出荷は、自主的制限に結びついた。 こういった自動車輸入に関するアメリカの反応のうちいくつかは、自然で単純な経済活動である。 他の分野では、日本でのアメリカ製電子部品の販売に関する限定的な規則への部分的対抗措置として、日本の電子部品に関する関税賦課がある。 これらは外交的シグナルを意味している。 こういった行動は、両国において外交的緊張を誘発する。

 様々な種類の貿易障壁は、外交的武器としては、通常わずかな効果しか発揮しない。 そのような障壁は、外交的に少しだけ何か行いたいという理由により、様々な国によって実施される。 貿易障壁を用いた手法では、深刻な意図を伝える事は難しい。 貿易障壁といった制限は、世界中でよくあるビジネスの手法だからである。 外交的に重要なのは、そのような貿易障壁が存在しなかったり、削除したりする事である。 アメリカはそのような国を「最恵国」と呼び、最も良き友好国とする。

制限

 次は特定品目に対する制限である。 制限とは、通常の貿易関係は許されるが、ある品目に関しては当該国とは貿易を行わないという政策である。 このような制限は、武器と戦略物資に対して通常適用される。 例えば、アメリカは非友好国に対して武器システムの輸出を制限している。 もた、核兵器の製造に用いられる可能性を持った品物についても、核を保有していない全ての国に対して制限している。 この政策は非友好国を意味するものではなく、単なる警戒である。

ボイコット

 次はボイコットである。 これは両国間におけるいくらかの貿易の拒絶である。 ボイコットは両国に対して損害を与えるという、奇妙な存在だ。 もし両国間における貿易が双方にとって有益である場合、その貿易の喪失は、双方にとっての喪失となる。 ある国が他で得る事ができない品物を供給している場合、他の国は経済的に大きく混乱する。 しかしこれによって独占的な状況という不均衡は緩和される。 このような独占的状況下では、販売価格が極めて高い事が普通であるが、ボイコットによってその収益は失われるのである。 貿易のボイコットは、富裕国が貧困国に対して最も頻繁に行う。 この場合両国が均等に絶対的な喪失を被るが、比例的な損失は貧困国の方が大きい。

 一国による貿易のボイコットは、ほとんど効果がない。 アメリカはカストロが就任した後のキューバに対しての貿易をボイコットしている。 理想的なボイコットがあるとするのならば、これがそうである。 キューバは小さく・貧しい国であり、アメリカとの貿易が大部分だ。 この貿易のボイコットは、他のボイコットよりも大きな損害を与えている。 ただ、このボイコットは失敗である。 キューバは主要な輸出品目である農作物・砂糖を東欧の国々へと販売している。 突然の変化によってキューバはある程度経済的に混乱したが、うまく乗り切った。

 貿易のボイコットは、一時的に効果をもたらすものとしては最良である。 ただし、数年でいかなる経済も新しい状況に適応する。

禁輸

 最も強力な外交的武器は、多岐にわたる禁輸である。 もし需要と供給を握る各国のグループが他国や他の国々に対して集団で禁輸する場合、 それは強力な外交的武器となる。 最も劇的な禁輸措置は、1973年から1974年にかけての第1次オイルショックである。 世界の貿易の歴史において、禁輸措置を外交的武器として使用するにあたり、今までにない好条件があった。 石油価格は市場の実効価格よりもかなり低く、ほとんどの供給元は数カ国に集約され、それらは政治的な志を共有していた。 また石油は産業国の経済を活性化させるために、極めて重要であった。 1973年に第四次中東戦争が勃発し、アメリカはイスラエルを支援する。 これに対してOPECに加盟するアラブ各国は怒り、優位に立つために一致団結した。 そして、石油生産の削減に踏み切るのである。 アメリカとオランダに対する禁輸措置が発表され、石油価格が劇的に上昇した。 共同で石油生産を削減するという手法は、禁輸措置を受けた国に対して効果的であった。

 アメリカが被った影響は深刻であった。 オイルショックは景気を後退させ、石油価格の上昇による経済成長の抑制は10年間に及んだ。 ガソリンスタンドの前には長蛇の列が形成され、購入者は一回あたりの購入量を10ガロン(約38リットル)に制限された。 この燃料価格の向上は、燃費の良い車を生む事になる。 また、ガソリンの供給計画がまとめられ、配給券が発行された。 アメリカ社会は禁輸によって大きな影響を受けたのである。

 これはまさに歴史における最も効果的な禁輸措置であったが、欠点もあった。 禁輸の圧力に晒されても、アメリカは中東における政策の変更を拒絶したのだ。 数ヶ月後、アメリカ政府は報復措置をほのめかし始め、アメリカの人々はサウジアラビアへの侵攻について議論を始めた。
(ボードゲーム会社であるSPIのあるプロデューサーは、この仮想上の侵攻を主題にしたゲームを後に発売した。 そのゲームは「オイル・ウォー:イラン・ストライクス(Oil War)」(国通-a-games,2012)と呼ばれている。)
望んだとおりの結果であったが、アメリカでの怒りの高まりに対して不安に感じ始め、アラブの石油供給国は禁輸を撤回した。 アメリカは限定的だが、政治的勝利を手に入れたのだ。

要約

 国際関係における貿易の制限に関する長い記述のポイントは、武器としての貿易は、大きな効果を上げないという点である。 貿易障壁は通常報復措置を呼び起こす。 ボイコットは他の供給者や消費者を利用する事によって、簡単に打ち倒す事ができる。 組織的な禁輸であっても、経済的調整や軍事力によって打ち砕く事ができる。

 逆説的に言えば、貿易の制限とは外交官が用いる手法の一つである。 武器としての貿易は、相手を多く傷つけない。 心理的な作用のみである。 武器としての貿易の使用は、白手袋で紳士の頬を叩き付ける行為と似ている。 この行為は象徴的行動であり、実際に受ける傷はほとんどない。
武器としての貿易は、軽率に流血を叫ぶ移り気な市民を軽減し、国家間における回復不可能な傷を避ける事が可能である。

 武器としての貿易における他の利点は、正確性と制御性である。 近代の政治家が抱える最も大きな恐怖とは、ある愚かな出来事に対する制御を失う事である。 これは軍隊が関与した時、最も大きな問題となる。 武装した多数の人々を火薬庫へ送った時、予期せぬ結果をもたらす。 ある19才の青年が闇に潜む影を誤解し、国際的な事件を起こすであろう。 貿易の制限には、このような危険はない。 さらに貿易の制限は事態のエスカレートも起こさない。 外交的報復は、外交の制限が解除されれば、取り除かれる。

 外交における武器としての貿易は、多くの人が考えているほど強力ではない。 ただし、外交における武器は安全で信頼でき、かつ、事態が悪化する事もめったにない。 武器としての貿易は、今後も外交手段として用いられる事であろう。

貿易と「バランス・オブ・パワー」

 なぜ「バランス・オブ・パワー」に貿易が含まれていないのか? 実はゲームにおける初期のバージョンでは貿易が含まれていた。 私は各国間における貿易関係について、サンプルを取って詳細に調査した。 そのサンプルは全部で3,800組におよび、調査結果を入力した。 しかし、入力後ゲームから泣く泣く全てを削除した。 なぜか? まず、これらの貿易はRAMの容量を取りすぎた。 当初からプログラムがRAMを消費していたのに、ある日、もっと容量を増やさなければならなくなった。 貿易は多くのRAMを消費していたので、削減対象として明らかであった。 さらに貿易は外交における武器としては決定的ではなかったため、最終的に貿易を削除して他の要素を残した。 これは優先度を考えると、やむを得ないやり方であった。 「バランス・オブ・パワー」は地政学を手引きするゲームである。 そのためには、些細な要素を削除してでも主要な要素を含める必要があった。

多極化と中立

 「バランス・オブ・パワー」は世界を二極的な視点で表現している。 そして、世界はアメリカとソ連という陣営に分かれている。 世界に存在するその他国々は、このどちらかに分けられる。 その他の国々の外交方針は、二つの超大国という極のどこに位置するかで判断される。

 これはあまりにも単純な世界観である。 世界を観察するための他の視点として、多極的視点がある。 多極的視点においては、アメリカとソ連はただの強力な二国にすぎない。 世界は主権国の集合であり、それぞれは自身の政策と能力を保有する。 国々は親近感と憎悪によって互いにくっついたり、離れたりする。

 多極的視点は国際社会におけるさらに複雑なモデルであり、国家間の幅広い相互作用をもたらす。 多極的視点を簡単に表現する二つの重要な概念が存在する。 それは中立と超大国としての中国の出現である。

 中立はソ連・アメリカ両国共に帰属しないという国の政策である。 オーストリア・スウェーデン・スイスが中立国に当たる。 多くの良き第三国も表向きは中立であり、「非同盟」を好む。 インドもまた同様であり、中立という言葉にふさわしく、両超大国を注意深く観察している。 ただし、例外もある。 キューバは非同盟運動の指導者としてその地位を確立したが、キューバを非同盟国であると認めている国は少ない。

 中立という概念は世界における二極的な視点にふさわしくない。 二極的視点の頑強な支持者は、世界の各国は「敵か味方か」に別れていると主張する。 しかし、インドのように純粋な中立国は、両超大国に対して接触を試みている。 これはインドが「敵か味方か」はっきりしないというという事を意味している。

 多極を奨励する他の重要な概念は、世界における第三の超大国としての中国の台頭である。 次の10年間において、中国はまだ小国であり続けるであろう。 しかし、経済問題を解決させたのならば、中国は急速に変化する事が可能である。 その巨大で活力に満ちた人々は、世界の経済秩序において急速に巨大な力を築き上げるであろう。 そして、ソ連と考えを同じくする共産主義国家として、その政治姿勢を確立する。 それは微妙な地政学的バランスにおいて、自然な「第三の力」となるのである。 再度確認するが、世界の二極的な視点における中国は、単に西側寄りまたはソ連寄りの国にしか見えない。 これは中国の可能性を正しく表現していない。

 中国の台頭は、二つの超大国による危険で不安定な状況に終止符を打つであろう。 二極的な世界では、一方の超大国がもう一方の超大国を意識するのみであった。 もし一方の超大国がもう一方の超大国を倒した場合、ライバルはいなくなる。 しかし、三極的な世界では状況は大きく異なる。 地球規模の優越性を達成するために、ある超大国は他の二つの超大国を倒さなければならない。 可能性は低いが、これら三つの超大国が全面戦争に突入したと仮定する。 この時、第三の超大国に対して残りの超大国が共闘する可能性は低い。 なぜなら、第三の超大国が倒された時に、再度今日のような二極的な世界に回帰する事を、共闘する超大国は知っているからである。 弱い超大国が自滅的な計画に沿う事はなく、安全に関する保障はない。 三極的な世界にはたくさんの外交手段と小細工は存在するが、根本的な安定は存在しないのである。

多極化と「バランス・オブ・パワー」

 世界における地政学的順序として、多極が二極よりも優位であるのならば、 なぜ「バランス・オブ・パワー」は二極的な視点を用いるのだろうか? これには三つの理由がある。 一つ目は、二極はシンプルで容易に理解できるという点。 二つ目は、二極は多極よりも本質的に衝突的である点。 ゲームには衝突要素が求められるからだ。 三つ目は、二極は1980年代の世界を表現するにあたり、悪くない表現である点、である。

 「バランス・オブ・パワー」の初期バージョンでは、多極化における貿易が含まれていた。 しかし多極化における貿易を表現するにあたり、マッキントッシュのメモリ制限を超えてしまった。 ゲームにおける最も重要な概念は「外交的親近感」の量である。 「外交的親近感」とは二カ国間における「友好」の度合いだ。 「バランス・オブ・パワー」の初期バージョンにおける外交的親近感は、62行62列の二次元配列であった。 しかし、メモリ容量を温存するために、対角線的形体における行列のメモリ確保は頓挫した。 これだと3,800バイトの容量を消費するからだ。 外交的親近感は大きな配列を必要とした。 なぜなら、62の国々が他の国々に対して一つずつの外交的親近感を保有するからである。 62カ国×62カ国だ。 私はやむを得ず多極化を削除し、外交的親近感の配列を2行62列へと劇的に変更させた。 この2行は各超大国に関する値である。 これにより、各国は各超大国に対してどのように感じているかを記録するのみとなった。

 「バランス・オブ・パワー」のプレイヤーは、世界のほとんどの国において、二極が高い尊敬を得ていないと気づくであろう。 アメリカとその同盟国との摩擦は、アメリカによる世界の二極的な視点の執着にある。 「アメリカの」同盟国は「「我々」と「彼ら」という言葉で世界を常に判断する。現実世界はそれよりもっと複雑である。」と不平を漏らす。 例えば、ニカラグアにおけるサンディニスタ民族解放戦線について目を向ける。 サンディニスタ民族解放戦線は、西側諸国において共産主義の拡張を政策としていると目される。 しかし、他の多くの国々はニカラグアを邪悪な国だとは見ていない。 他の多くの国々は、凶暴な独裁者を打ち倒すための人民革命であるとみている。 多くの外国人の目には、アメリカが過剰な想像をしているように見える。 その想像の中で、悪の首領であるモスクワが各地で騒ぎを起こしているのだ。

 二極と多極、どちらが正しいのか? この問いに対する明確な回答はない。 これら二つの視点は、世界における複雑なイベントに光を照らす助けとなる。 「バランス・オブ・パワー」は二極についてのみ表現する。 しかし、プレイヤーは多極に気付かなければならない。 二極的な視点によって取り扱われる事がない、国際的な振る舞いにおけるいくつかの観点は存在するのだ。

小国間戦争

 「バランス・オブ・パワー」における初期バージョンで削除された他の要素として、小国間における宣戦布告がある。 小国間戦争は、超大国を極度に緊張させる。 なぜなら、小国間戦争は大国間戦争の前触れとなるからである。 オーストリア-ハンガリーとセルビアといった小国間の戦争が、第一次世界大戦を引き起こした。 大国は戦争を直接希望していなかったが、小国との同盟によって戦争に巻き込まれたのだ。 さらに明解な事例は朝鮮戦争である。 朝鮮半島にある北朝鮮と韓国はとても小さな国だが、その背後には中国とアメリカがいた。 1950年の朝鮮戦争において、アメリカも中国も戦う事を渇望していなかった。 しかし、北朝鮮が韓国へ侵攻した時、アメリカは従属国を守らざるを得なかった。 その後、アメリカが北朝鮮へ侵攻した時、中国も従属国を守らざるを得なかった。 これにより、二体の巨人達が望まない戦いに巻き込まれたのである。 巨人達は同盟国の行動に追従したいとは考えていなかった。

 これは国家システムにおける大きな流れである。 その流れは主権国家同士の衝突と相互防衛義務を起因とする。 主権国家は民族国家という概念であり、自らの考える絶対的な自由を追求し、その振る舞いに極端な制限はない。 自由が個人にあるように、主権は国家にある。 しかしながら、国家の主権は条約義務によって妥協される。 中国と北朝鮮の関係は、この点に関する好例である。 原理的に、相互防衛条約には、国家が攻撃を受けた時「のみ」援助を保証すると記載されている。 この原理通りだと、中国には北朝鮮を援助する正式な義務はない。 なぜなら、戦争を始めたのは北朝鮮だからである。 しかしながら、事態はそのようにはならなかった。 従属国に対して、強国は根拠ある理由を基に相互防衛条約を提供する。 確固とした戦略的理由を基にすると、中国にとっては北朝鮮が生き延びる事が最良であった。 それにも関わらず、北朝鮮は戦争を始めた。 結果として、中国は介入せざるを得なかったのだ。

 ここにジレンマがある。 どこで主権国が終了し、どこから従属国は始めるのか? もし北朝鮮が真の主権国であるのならば、自身の過ちに対して報いをうけ、征服される。 もし北朝鮮が中国の従属国であるのならば、中国の指示なくして行動する事はなく、侵攻は起こりそうもない。 北朝鮮は戦争を始めるに当たって、十分な主権国であった。 そして、主権を失い始めた時に、中国の支援を得るに当たって十分な従属国であった。 この二つは不幸な事実であり、危険な組み合わせとなる。

 読者の皆様は、これは共産主義者の失敗であり、我々は同じ過ちを繰り返さない、と考えるかも知れない。 これに関して、私はイスラエルとアメリカの同盟に関して言及したい。 イスラエルは主権国であり、アラブ諸国との戦争によって何度もその主権を見せている。 アメリカはイスラエル政府に対して政策を命じる事ができず、先例と擁護するための条約によって影響力を与えてきたのみである。 しかし1973年に一度、イスラエルへの支援に応じてアメリカはソ連と対峙した。 アラブ諸国とイスラエルの戦争が再度勃発した時、イスラエルとの同盟がソ連との別の衝突をもたらす可能性があるのだ。

軍縮

 「バランス・オブ・パワー」に含まれていない他の要素は、軍縮である。 軍縮とは超大国における軍備の増大に対して、超大国自身が制限を設けるという試みだ。 軍縮は超大国間における最も重要な相互条約の一つと見なされる。 「バランス・オブ・パワー」に軍縮が実装されていない事は、幾人かのプレイヤーを驚かせる。 なぜ軍縮が含まれていないのだろうか?

 ゲームから軍縮を追い出した最も重要な理由は、事態の複雑さにある。 軍縮は果てしなく複雑な問題の一つであり、学習に多くの時間が必要になる。 さらに、この分野の基礎は新技術と共に変更し続ける。 1960年代後半における軍縮の議題は、弾道弾迎撃ミサイル防衛であった。 1970年代はMIRV(多弾頭独立目標再突入ミサイル)が主要な議題となり、軍拡競争に歯止めを掛けた。 1980年代はレーガン大統領の戦略防衛構想が議題である。 これは一般にスターウォーズ計画として知られている。

 「バランス・オブ・パワー」における軍縮の実装に対する試みは、問題の複雑さによるジレンマによって難航した。 もし軍縮がゲームのニーズに対してシンプルに提供されたのならば、それはつまらないものとなる。 もし軍縮が完全に表現されたのならば、それはゲームにおいて著しく目立つ存在となる。 私は、地政学を扱うゲームにおいて軍縮は不適切であると、ゲームデザイナーとして判断した。 これは軍縮を中心としたゲームデザインとなる可能性があり、実際にそのようなゲームを作製して失敗した。(第八章参照) しかし、それは別のゲームの話である。

 読者は尋ねるであろう。
「なぜ軍縮ゲームの代わりに、地政学ゲームを作ったのか?」
私はここで自身の意見を表明する事ができる。 しかし、私は一市民としての意見を越える何かを申し出る事はできない。 例え専門家の一人でなくても、である。 核戦争から人類を守る為の最も効果的な方法は核兵器を断絶する事である、という通説に対し、私は賛同しない。 この意見はいくつかの説明を必要とする。

 いかにして我々は核戦争に備える事ができるのだろうか? これには二つの基礎的な戦略がある。 その戦略とは、超大国間の戦争に備える戦略と、核兵器に備える戦略である。 最初の戦略は核兵器を存続させる事になるが、超大国はその使用を避ける。 二つ目の戦略は超大国間による戦争を認める事になるが、通常兵器の使用が試みられる。

 私は二番目の戦略は最良ではないと考える。 軍縮の中心的概念は、基礎的ジレンマによって無効化されるからだ。 軍縮は両陣営が正直である事が前提となる。 いくつかの核兵器削減条約は、一方の陣営にとって許容できない状況をもたらし、もう一方の陣営はインチキができる状況をもたらす。 正直な陣営は、インチキな陣営の要求に抵抗する術がない。 また、インチキな陣営は自分自身に対する要求をもっと少なくして合意する。 戦略兵器制限交渉で用いられる「検証における国家技術手段」を全て用いても「基地内の爆弾」は依然として存在しており、軍縮を無効化させている。

 我々の歴史的な経緯は、理論的な袋小路に行き着いた。 早い時期から、核兵器の使用は人類の絶滅を招くと予想されていた。 人々は核兵器の削減や根絶を求めたが、その数は毎年増加している。 外交官は永遠と思われるような交渉を行い、最良と思われる結果に達した。 その結果とは、核兵器の増加ペースの削減である。 その後25年間におよぶ真剣な努力の末、核弾頭数の増加は、約100発から約50,000発の増加に留まった。 この成長率は年率28%である。 軍縮にはまだ希望があり、わずかながらも結果を出していると言えよう。

 別の言い方をすると、超大国は地球的競争における核戦争の可能性に備えるための制限を学ぶ可能性がある、と私は考える。 この考えは、歴史的証拠に基づいている。 超大国の同盟関係が動揺しているにも関わらず、核戦争の危機は薄れている。 アメリカとソ連の関係は、30年前よりも良好ではない。 しかし、両国はお互いの忍耐の限界について明瞭に理解している。 ソ連はリビアにおけるアメリカの攻撃について不満を言うであろう。 同様に、アメリカはアフガニスタンにおけるソ連の侵攻について不満を言う。 しかし、アメリカはキューバにおける核戦争の危機についても乗り越えてきた。 やりすぎた誇張のために、もう一方の陣営における基礎的問題に関する事件について、両陣営はより注意深くなった。 簡潔に言うと、ここ40年間におけるアメリカとソ連の競争は、苦しみながらも不器用な「暫定協定」を作り上げた。

 外交が失敗した時における、核戦争を解決する理想的な方法としての外交手段を、私は示さない。 しかし、安全で確実な方法はあると考える。 それは「バランス・オブ・パワー」の基礎的な背景として存在する。 「バランス・オブ・パワー」は地政学のゲームであり、軍縮のゲームではない。 なぜなら、核戦争を回避する確かな方法があると信じているからである。 私は自らの押しつけがましい意見について、読者が許容する事を期待していない。 確固とした何かを認めるための事実は複雑すぎている。 限られた文字数で決定するのならば、なおさらだ。 地政学は軍拡競争の代替となり、「バランス・オブ・パワー」はそれを実装する。 私はそのゲームのデザインを、ただ説明するだけである。 (混乱するかもしれないが、私はこのゲームを最初「アームス・レース(軍拡競争)」と呼んでいた。 ただ、その過程において、このゲームは軍拡競争ではないと知るに至る。 私は地政学に関するちょうど良いタイトルを考える事ができなかった。)

人権と他の要素

 何人かのプレイヤーは、ゲームに組み込まれた残忍な雰囲気に反対した。 得点システムは、道徳的価値に関わらず、プレイヤーが非友好的な政府を傷つけたり、友好的な存在を支援する事を必要とする。 この手法は、ゲームに戦闘的な傾向をもたらすという指摘がある。 また、アメリカ政府における他の地政学としての目的は多用である、という見解もある。 その見解で最も多いものは、人権である。 なぜ、このゲームでは人権が考慮されていないのであろうか?

 以前のバージョンにおいては、人権を含めた、より多くの要素から得点を計算するシステムがあった。 その要素とは、人権・戦死者・威信・総合世界経済成長である。 これら得点の意図は、プレイヤーに対して自分の価値観をゲームに反映させる事であった。 自由主義者は、人権に関する良い得点を得るためにプレイする事ができた。 また、保守派は経済成長や威信のためにプレイする事ができた。 私は自分自身の価値観をプレイヤーに押しつけたくはなかったのである。

 問題は、人々が私に対して、私の価値観を人々に押しつけるよう求めた事であった。 初期のテストプレイヤー達はゲームの目的が明確でないと不満を言った。 テストプレイヤー達は、ゲームがどのような成果を上げたか明示する事を希望したのだ。 ここに、我々は「バランス・オブ・パワー」がゲームであるという事実から引き起こされた欲求の一つと遭遇する。 その欲求とは、ゲームに勝ちたいという欲求である。 この欲求は、人間が本来持っている欲求であろう。 これに対する妥協としてゲームのスケールを縮小したが、十分ではなかった。 テストプレイヤー達はまだ不満を言っていた。 この問題に関して何度もプログラムを修正し、ゲームが焦点を失った事と目的が明確でない事について議論した。 私は最後には屈服し、ゲームの達成度を示すたった一つの価値観以外を削除した。 その残った価値観が、威信である。

 世界という舞台における成功の尺度は、たくさん存在する。 プレイヤーはそれを思い出さなければならない。 この問題は価値に対する究極的な問いかけである。 世界において、我々は何を達成したいと願うだろうか。 長い間、この質問には簡単な回答があった。 国家の目標とは、ライバル国を支配する事である。 そのような支配は安全を保証する。 歴史において、アメリカは世界征服という目標を放棄した最初の大国である。
あるいは、アメリカの富は世界征服を無意味な存在としたのかも知れない。
あるいは、アメリカの過去の孤立主義は、アメリカに対する世界的責任を敬遠させたのかも知れない。
あるいは、アメリカの地政学的境遇は、アメリカに世界征服は不必要であるとの安心感を与えたのかも知れない。
あるいは、アメリカは世界征服は絶望的であると認めたのかも知れない。
アメリカの達成すべき目標とは何であろうか?

 多くの可能性が存在する。 アメリカは人権を追求し、世界秩序を打ち立てる。
あるいは、アメリカはさらに活動的に民主主義の拡大に努めなければならない。
あるいは、実質的な発展を目指し、飢餓を根絶させなければならない。
あるいは、毎年数千もの命を奪う地域紛争の根絶に邁進しなければならない。
「バランス・オブ・パワー」は、これらの問いに対して何の回答も提示する事はできない。

「積極的主導権」

 ある左翼組織が、ゲームに「積極的主導権」が不足していると不満を言った。 その苦情は「積極的主導権」の正確な意味について不明瞭であったが、妥当な異議であった。 ゲームは地政学における否定的な一面に焦点を当てている。 反政府勢力の強調・軍事力・クーデター、これら全てがゲームに対して好戦的な印象を与えている。 ヘンリー・キッシンジャーのシャトル外交のような可能性や、ジミー・カーターの人権発議はどこにあるのだろうか? なぜゲームは「積極的主導権」を承諾しないのであろうか?

 ここで、ゲームの性質によって課せられた、他の基礎的制限について遭遇する。 プレイヤーを創造的主導権に対して従事させ、かつ、特別な戦略も追求させる事が望ましかったであろう。 問題は「特別な」という言葉の中にあった。 特別な戦略は特別な要素に対する考慮を必要とするが、そういった要素が含まれていなければ、そもそも考慮する事はできない。 地政学に関するゲームに含まれなければならない「特別な要素」とは何であろうか? 個々の指導者における人格だろうか? 各国政府における国際政策だろうか? 防衛に対して特別に敏感な政府や文化だろうか?

 コンピュータプログラムの中に、このように特別な要素を含める事は可能である。 しかし、全てを含めると、RAMの容量がすぐに失われてしまう。 また、多くの特別な要素を含めたコンピュータプログラムは、うまく作動しない。 コンピュータプログラムは、汎用的に適用される性質があってこそ、最もうまく作動する。 したがって「バランス・オブ・パワー」は汎用的な手法を用いて各国を扱う。 各国に適用される振る舞いのアルゴリズムは、どれも同じである。 いくつかの理由により、否定的とされる強引なテクニックは、肯定的とされるテクニックよりも、一般化に対してより扱いやすいように見える。 これはおそらく国際関係における偉大な真実の反映である。 あるいは、それはコンピュータプログラムにおける誤解されやすい存在かもしれない。 いくつかのイベントにおいて、読者はこの問題に気付くであろう。

結果

 これらは「バランス・オブ・パワー」から除外された要素であり、間違いなく含まれていない。 そのうちいくつかの要素は、国際関係における私自身の理解の限界により除外された。 また、私自身による世界に対する偏見・技術的な理由・メモリ容量不足により削除された要素もある。 こういったゲームの欠点を嘆く事は簡単である。 それがどれだけ興味深いか、更なる特徴と経過をもたらすか、について想像する事も簡単である。 しかし私はこれらの除外を後悔しておらず、ゲームにおける完全性と可触性の最終的なバランスに満足している。 熱心なファンはより詳細なゲームを求めるが、その一方で、初心者はより単純なゲームを求める。 むしろ、徹底的にやり過ぎたのかもしれない。

 私は地政学における最終的な意見としての「バランス・オブ・パワー」を提供する事ができず、 公平で公正でもなかった。 「バランス・オブ・パワー」とは、極めて個人的な意見なのである。

「バランス・オブ・パワー」の戦略

 この本の目的は「バランス・オブ・パワー」におけるアイディアを説明する事と、それらの概念に対するプレイヤーの理解を助ける事である。 しかしながら、これらの概念をすでによく理解しているプレイヤーは、ゲームをより楽しみたいと考える事であろう。 この章では「バランス・オブ・パワー」をさらに楽しむ方法についての提言を行う。

危機

 「バランス・オブ・パワー」は、多くの場合危機によってゲームが終了する。 危機は世界を吹き飛ばしたり、ゲームを行き詰まらせるからである。 危機には一度に数百ポイントの威信値が簡単にかけられる。 それとは対照的に、ニカラグアにおいてアメリカが支持する政権によるサンディニスタ政府への転覆は、10ポイント以下の価値しかない。 したがって、効果的な危機管理がゲームの中心的主題となる。

 危機に勝つか負けるかは、危機が始まる前に決まっている。 危機に対するプレイヤーによる事前準備が、実際の危機での成否を決定するのである。 プレイヤーが決定可能である最も重要な準備とは、事前に危機を避ける事である。 勝ち負けに関わらず、あらゆる危機は何らかの損害を与える。 また、あらゆる危機は偶発的核戦争の危険も持ち合わせている。 さらに、あらゆる危機は勝ち負けに関わらず敵意を増幅させ、もう一方の陣営はさらに危険な振る舞いを行う。 成功する見込みがない限り、プレイヤーは危機へ突入する事を控えなければならない。

 危機管理における主要なテクニックは、コンピューターが望む行動に対する深慮深い評価である。 コンピュータの勝利が明白な場合、プレイヤーは迅速に引き下がらなければならない。 (もっとも、最初から危機を起こさない事が最優先である。) 危機におけるコンピュータの論点が弱い場合、プレイヤーは強引に押さなければならない。 問題は、多くのプレイヤーにとってコンピュータの望む行動に対する度合いの評価が難しい事である。

 もちろん、アドバイザーは両超大国がどの程度興味を示しているのか評価してくれる。 ただ、そういったアドバイスはエキスパートレベルにおいてはあまり役に立たない。 したがって、プレイヤーは自身の判断に頼らなければならない。 判断が任意の値になり得るただ一つの方法は、危機の前に「宿題」をする事だ。 この「宿題」は「バランス・オブ・パワー」に隠された、現実世界の外交にも通じる「大きな秘密」である。

 宿題をするための最初のステップは、世界が置かれている状況を観察する事である。 現実世界でも、似たような状況を見つける事ができる。 例えば、東ドイツは東側の国であり、西ドイツは外交的にアメリカと近い。 これらの度合いはゲームをプレイする度に異なるが、おおよその度合いは何度プレイしても同じである。 最初の宿題は、現実世界と「バランス・オブ・パワー」がどの程度異なるのか知る事である。 これを知るために、世界地図画面を調べなければならない。 勢力圏の表示は、この問題の解決に便利である。 「USA Solid(アメリカの強い勢力圏)」と示されている国に対しては、ソ連の進入に対して安全かつ簡単に拒否する事ができる。 同様の理由により「USSR Solid(ソ連の強い勢力圏)」の国に対しては、無視しなければならない。 ほとんどの問題は、これら強い勢力圏の中で発生するであろう。

 そのような国で危機を起こす前に、二つ目のステップに進むと良い。 このステップにおいて、反対陣営における危機での振る舞いを形付ける重大な要素について慣れる事。 危機を起こす国を選択して、「Briefing(ブリーフィングノート)」メニューから「CloseUp(詳しい国家情報)」を選ぶ。 詳しい国家情報で表示される画面には、四つの知るべき情報がある。 最初にして最も重要な情報は「Sphere of Influence(勢力圏)」である。 これは当該国に対するより正確な勢力圏情報である。 もし勢力圏が「Slightly USSR(わずかにソ連より)」の場合、注意が必要である。 また、ソ連がもっと強力に支持していた場合、その国ではいかなる対立も起こさない方が良い。 もし当該国がアメリカに対してもっと友好的だった場合、さらに自信を持って行動する事が可能である。

 「CloseUp(詳しい国家情報)」画面で二番目に知るべき情報は、両超大国との外交関係である。 ここの重要な要素は、アメリカが好かれているか否かではない。 重要なのは、アメリカとソ連に対する外交関係の相対性である。 もし当該国がアメリカを好んでおり、かつ、ソ連に対して中立である場合、強気な態度を取る事ができる。 しかしながら、当該国がアメリカに対して中立であり、かつ、ソ連を嫌っている場合、危機における当該国への位置付けは弱くなる。 なぜか? ソ連はアメリカ以上に当該国に対して強い感情があり、アメリカ以上に圧力を掛けたいと考えているからである。

 「CloseUp(詳しい国家情報)」画面で三番目に知るべき情報は、超大国と当該国における条約である。 もしアメリカの条約がソ連の条約よりも強い場合、危機における当該国への位置付けは強くなる。

 これら三つの知るべき情報(勢力圏、外交関係、条約)は、一点に集約される。 それは、当該国に対して、どちらの超大国が優勢であるかという点である。 優勢な方の超大国が、危機に勝利する。 なお、コンピュータは「過剰激怒」を考慮する事を忘れないように。 危機における堅固な姿勢において、両超大国の「過剰激怒」に関する度合いは異なる。 もしアメリカが劣勢であっても、コンピュータがさらに劣勢であれば、危機に勝つ事ができる。 逆に、アメリカが優勢であっても、コンピュータがさらに優勢であれば、危機に負ける。

 自らの政策でコンピュータへ挑戦する前に、このわずかな宿題をこなさなければならない。 「Newspaper(ニュースペーパー)」機能で表示されるニュースを読み、多くのプレイヤーは簡単に挑戦する。 危機を起こす前に、当該国の「CloseUp(詳しい国家情報)」を調査する事が、より賢い政策決定である。 事前調査を行う他のプレイヤーは、コンピュータに対して「コンピュータが何を行うのか確かめる」ために挑戦するが、 これは重大な誤りである。 まず、軍事危機レベルへとエスカレートする危機は、偶発的核戦争の危険性を持っている。 さらに、危機で引き下がる事によって「毎回」相手陣営の信頼を失う。

 宿題は他の側面も持ち合わせている。 宿題を行うより早く、反対陣営が挑戦してくる事がある。 そのような挑発行為に挑戦する前に、超大国間の関係を確認しなければならない。 挑戦した後に引き下がる行為は、何もしないより劣る行為である。 挑戦する前に、問題を解決する確信を得なければならないのだ。 また、アフガニスタンの反政府勢力へ武器供与を行うといった危険な政策を試みる場合、 昔からの「ゆっくりとエスカレートさせる」手段を用いなければならない。 最初は低レベルの武器供与から行い、その後1ターン毎に武器供与量を増やしていく事。 小さいステップは、大きいジャンプよりも刺激が少ない。 5年以上の年月をかければ、1年では不可能な悪事であっても、実行する事が可能である。

 宿題が適切に完了したのならば、自身の危険性と相手の取りうる行動を理解するであろう。 これで最良の可能性を持って危機に臨む事ができる。 ただ、そうであっても危機の扱いは慎重でなくてはならない。 思慮なく危機をエスカレートさせるという誘惑は断ち切る事。 危機における各段階では、立ち止まるための正当な理由と、危機をエスカレートさせる利点について再度考慮する時間がある。 立ち止まるための正当な理由とは、危機をエスカレートさせる度に増加する威信値の量である。 少なくとも、この段階へエスカレートさせた事によっていくらの威信値を既に費やしたか見る事ができる。 また、多くの良き政治家は規律を持っており、衝動的な行動を避ける。 くれぐれも「銃を捨てろ」というドラマのような誘惑に負けない事である。 この行動は、プレイヤーに対して最も多くの損害を与える。

 危機の各段階で立ち止まる理由は、他にもある。 反対陣営が提示した返信には意味があり、相手が引き下がるかどうかのヒントが隠されている。 もし相手が勝利を確信している場合、相手の返信は強くて断定的となる。 また相手が自分の政策に確信を持っていない場合、返信に対しても不確実さが現れる。 時間をかけて、返信に隠された意味を判断する事。

 引き下がる事を恐れてはならない。 たしかに、引き下がれば傷を負う。 しかし、状況が自分にとって劣勢な場合、危機をエスカレートさせる行為はさらに悪い状況をもたらす。 心にとどめておくべき格言は「損失を減らせ」である。 引き下がる事によって勝つ事はできないが、誤った一手によって被る損害を限定的にする事はできる。

 デフコン2まで危機をエスカレートさせる事が、正当な時もある。 ご存じの通り、コンピュータはブラフを使い、引き下がる。 もし自らの主張が正当である場合、これは多くの威信値を獲得するチャンスである。 大きな危機で勝利する以上に、多くの威信値を得る方法はない。 ただし、全ての案件をデフコン2までエスカレートさせる事には高い危険性がある。 もし自らの主張が正当である場合、たった一つの危機でゲームに勝利する事ができるが、 相手が誤りを犯せば簡単に敗北する。 自らの主張を推し進める時は、遅かれ早かれ偶発的核戦争の犠牲になるという、高い危険性がある事を覚えておく事。

 最後に、プレイヤーは危機における法則に関して注意をしなければならない。 ターン毎に、プレイヤーに対して危機を起こす多くの可能性が提供される。 最も良い戦略は、最も安全な地域に対して最も安全な試みを行い、その後、多少不確実な政策を行う事である。 なぜなら、各危機における勝者はいくらかの「冒険度」を獲得し、それが今後の危機において他の超大国を暴力的にさせるからである。 これは何らかの外交的勢いを発生させるであろう。 ある危機で一度勝ったのならば、次の危機では容易に勝てる。 自陣営に対する勢いを常に保つ事。

反乱の扱い

 プレイヤーが最初に直面する要素の一つは、反乱に対する扱いである。 反乱は世界中の政府を最も早く・最も劇的に変える。 反乱の扱いには二つの側面がある。 友好国に対する保護と、敵対国に対する煽りである。

 多くのプレイヤーは反乱を絶好のチャンスと考える。 そのようなプレイヤーは、どちらかの陣営に介入する必要性があると感じている。 しかし、いくつかの反乱は放っておく事が最良である。 (1960年以降のアメリカにとっては盲点となっているが) プレイヤーは世界で発生する全ての問題を解決する必要は無い。 仮に解決しようとするのならば、その過程において火だるまとなる。 もし反乱に巻き込まれて自陣営が敗北した場合、威信値を失う。 もし自ら反乱に巻き込まれようと試みた場合、相手陣営に追い払われて、威信値を失う。 反乱で成功するためには二つの必要条件がある。 自分の選択した陣営が必ず勝つ事と、いくつかの危機を無視する事である。

 自分の選択した陣営は勝てるだろうか? これは当該国に駐留する軍隊の規模によって主に決定される。 例えば、反乱が中国における暴動だった場合、いかなる資源であってもバケツに落とした一滴の水と大差ないであろう。 バケツが大きすぎて、影響を与える事ができないのである。 一方、反乱がビルマで起こった場合は異なる。 ビルマはほとんど軍隊を持っていないので、ほんのわずかな資源であっても劇的な効果を簡単に起こす事ができる。

 第二の考慮すべき点は、反政府勢力の状態である。 一般的に、反政府勢力が自力で内戦にまで成長すると、政府へ支援しても多くの場合効力を失う。 政府への支援が目的の場合、早急に行動して反政府勢力が内戦へ成長する前に手を打たなければならない。 また当該国と強力な条約を結んでいる場合、可能な限りのあらゆる手段が必要とされる。 何があっても、条約義務は果たさなければならない。

 反政府勢力を支援したいのであれば、最後の最後というタイミングの支援であっても有効である。 反政府勢力が勝利した時、支援のタイミングが遅くても、反政府勢力は支援者を良き友と考える。

 武器供与は派兵よりも簡単である事を覚えておく事。 派兵は武器供与よりも本質的な挑発行為である。 したがって、武器供与という事前準備なしで派兵しない事。 武器供与というブラフを用いれば、次のターンで派兵する事ができるであろう。 また武器供与と派兵を同時に行う場合、どちらも失敗に終わる。 相手陣営はまず派兵に対して異議を唱えて、引き下がらせる。 これによって相手陣営は影響力を増加させ、それを用いて次は武器供与を拒絶するからである。

 反乱の支援には、困難がある。 その困難とは、補給の難しさである。 軍隊と武器は隣国の国境を越えて送らなければならない。 このため、軍隊や武器を送るために、隣国と友好関係を結ぶ必要がある。 この要素は、戦略的要所に位置する国との友好関係の重要さを強調する。 戦略的要所に位置する国はたくさんの隣国と国境を接しており、多くの可能性をもたらす。

 これは「バランス・オブ・パワー」における長期的戦略を提言する。 もし、多くの国が非友好的かつ弱体化しており、その上反政府勢力に苦労しているという、北東アフリカのような地域を見つけた場合。 その地域の中で最も友好的な国を選んで、その地域を手に入れるための作戦基地とする事ができる。 好感を得るためには、数ターンにおよぶ軍事・経済援助と、忍耐力を必要とする。 この時、力尽くで物事を推し進めてはならない。 ただし継続的に目を掛けておく事。

 反乱を使用する事によって、反対陣営の資源を無駄遣いさせる事も可能である。 両超大国における軍隊と武器の供給には限度があるため、それを無駄遣いさせる偽装工作は常に必要とされる。 反政府勢力が十分な武器を持って大きく発展してしまった場合、それを倒すためには多くの軍隊が必要になる。 例えば、アフガニスタンのムジャーヒディーンにアメリカが少量の武器を供与した場合。 この武器供与はソ連の注意を引き、ソ連は多くの軍隊を派遣するであろう。 ソ連の注意を引いている間、駐留しているソ連の軍隊は別の場所で友好国を脅したり、アメリカの敵を支援する事ができなくなる。

 いかなる状況であっても、相手陣営と直接戦闘するために派兵してはならない。 政府・反政府勢力に関係なく、相手陣営がすでに派兵している場合、それに対抗するために自軍を派兵する事は控えなければならない。 一度アメリカ人とロシア人が殺し合いを始めると、両国間の外交関係は地に落ちる。 そして、世界が破壊されるまで危機が危機を呼び続けるのだ。

クーデター

 クーデターによる変化は、反乱ほど劇的ではない。 革命は二国間関係を完全に変化させる事ができるが、クーデターはそれほどの影響はない。 それにも関わらず、プレイヤーは友好国のクーデターに抵抗し、そして、非友好国でのクーデターを画策する。 これはどのような問題があるのだろうか?

 反乱と同じで、多くのプレイヤーが犯す最初の過ちは、たいして重要ではない問題に対してわざわざ巻き込まれに行く事である。 中立国で発生するクーデターは、世界情勢に対してほとんど影響を与えない。 穏やかな国で危機を起こして危険に直面する事も可能であるが、賢いプレイヤーは実利無きもめ事を避ける。 これは、(1)「中立」または(2)「わずかな威信値しか得られない国」でのもめ事は、控えなければならない事を意味する。 ただし、プレイヤーが介入を成功できると確信している場合は除く。

 政府を転覆させるための主要なテクニックは、不安定化である。 ただし、これは繰り返し使用すべきテクニックではない。 政府に対する不安定化が失敗した場合、外交関係が悪化するからである。 不安定化は、転覆しそうな政府に対して、一番最後に背中を押すという使い方が最良である。 不安定化を実行するか否かは、「CloseUp(詳しい国家情報)」画面で調べる事ができる。 安定している政府を転覆させる事はできない。 世間体があるため、CIAは政府を単純に転覆させる事はできない。 CIAは世論を加速させる事はできるが、政府を転覆させる力はもっていないのだ。 政府に対する不安定化には、考慮すべき悪名がつきまとう事を覚えておく事。 したがって、この醜いテクニックの使用は自制するように。

 非友好的な政府を転覆させるための、奇妙で間接的な方法がある。 それは、消費者支出を削減し、政府の軍事費を増加させるという方法である。 これは国民を徐々に傷つけるであろう。 どうすれば軍事費は増加するのだろうか? 軍事的脅威を作れば良いのである。 隣国への軍隊の駐留・外交的圧力・反政府勢力への武器供与がそれに当たる。 これらの行動は、政府の安定性を減少させる副次的効果がある。

 トラブルに巻き込まれている友好国を保護するには、経済援助を行うとよい。 これは貧しい国々に対して最も効果的であるが、裕福な国々に対してはあまり効果的ではない。 迅速に経済援助を行えば、不安定となった政府を保護する事ができる。 ただし、相手陣営が不安定化を行えばこの限りではない。 このような事態が発生した場合、友好国を保護するために危機へ突入してもかまわない。

 世界へ送る事ができる経済援助には限度がある。 経済援助によって自分自身の資金が不足した場合、援助を減額しなければならない。 経済援助の減額は、対象国の恨みを常に買う。 しかし、政府が安定していればこの恨みは最少となる。 したがって、安定した友好国から資金を引き揚げ、不安定な友好国へ資金を送るという方法が、一般的な戦略である。

フィンランド化

 フィンランド化は制御が最も難しい現象である。 ただし、いくつかの国に関しては意図的にフィンランド化を起こす事ができる。 その基本的な手法は、当該国を脆弱化させるという手法である。 最初の策略は、多数の軍隊を隣国へ駐留させる事だ。 軍隊を駐留させれば、他に何もする必要はない。 その存在感だけで十分なのである。 もちろん、世界の好きな場所へ軍隊を駐留させる事はできない。 ほとんどの国々は軍隊の駐留を許可していないからだ。 この状況は、より上位の条約を締結する事によって前進する。 多くの条約を締結しておけば、希望するほとんどの場所へ軍隊を自由に駐留させる事ができる。

 第二の策略は間接的である。 無慈悲なイメージを作る事ができれば、他国に対する影響力は強化される。 アメリカは躊躇せずに軍事力を行使すると世界が感じた場合、アメリカに対するフィンランド化が起こるであろう。 この無慈悲というイメージは、他国へ頻繁に介入したり、多くの危機で対立する事によって、さらに助長する事ができる。 そのためには、グレナダへ侵攻する事によってニカラグアを脅迫し、ソ連に強硬な意見をぶつければ良い。

 この第二の策略には危険性がある。 自ら冒険的に振る舞うと、相手も冒険的に振る舞うのである。 冒険的な振る舞いに対して、アメリカへの賛同者が増える事はない。 世界をより危険にするだけである。 危険な世界においては、小国はより強い国に対して敬意を表する。 従って、この第二の策略を使用するに当たっては、より危険な敵に対処する覚悟をしなければならない。 もし世界の状況がすでに悪化しているのならば、この第二の策略もあり得るかもしれない。

 フィンランド化のための下準備(「CloseUp(詳しい国家情報)」画面にて当該国がどの程度フィンランド化へ近づいているか調べる事。)が 整ったのならば、思慮深い程度の外交圧力を当該国にかけ、瀬戸際へ追い込む事。 強すぎたり、相手陣営を刺激する外交圧力を掛けてはならない。 最適な程度でフィンランド化を起こす事。 最適な程度とはどの程度か? 「CloseUp(詳しい国家情報)」画面を調べて、推論する事。

 フィンランド化に成功すれば、次の一手を打つ。 当該国は反対陣営との条約締結を拒む可能性がある。 その間に、急いで安全保障条約を申し出る事。 経済援助や武器供与も、当該国政府との関係を強固にする。

 反対陣営による友好国に対する脅迫への最良の防衛は、高潔な条約を締結する事である。 脆弱な友好国に対して条約を申し出るように。 ただし、約束を守ると確信しておかなければならない。 条約を締結した政府が内戦で失われると、大きな痛手となる。 被保護国の政府が失われた時、保護国の高潔さも失われるからだ。

 心配な友好国との同盟を強める方法として、軍隊を駐留させるという方法もある。 超大国の軍隊は、友好国の安心感を増すであろう。 また、友好国の軍隊に武器を供与する事もできる。 この手法は、兵員数は多いが装備の質に劣る、貧しい国に対して効果的である。 わずかな武器が、軍隊と政府の安心感を大いに強化するのである。

 これはフィンランド化に対して有益な間接的戦略を提供する。 反対陣営が強い影響力を持っている国に対する政府転覆の機会を得た時、それを推し進める事。 もし成功したのならば、一カ国を手に入れる以上の勝利を得る。 反対陣営が持つ高潔さの崩壊は、反対陣営の友好国を動揺させる。 そして、自陣営に簡単にフィンランド化させるのである。

ソ連でのプレイ

 ほとんどのプレイヤーは「バランス・オブ・パワー」をアメリカでプレイする。 このため、ソ連が抱えている特別な問題についての苦労がわからない。 ソ連の偏執症に対する理解を深めるために、いつかソ連でプレイした方が良い。 ソビエト連邦書記長は、アメリカ合衆国大統領よりも、使用可能な資源が少ない事に気づくであろう。 さらに重要な事に、世界に友好国が少ない事にも気づくはずである。 事実、世界はモスクワをやや敵視している。 東ヨーロッパ以外の地域における友好国は、キューバ・ニカラグア・エチオピア・アンゴラ・北朝鮮・ アフガニスタン・ベトナムぐらいである。 これはあまり見栄えの良いリストではない。 ニカラグアはアメリカの冒険主義にさらされており、ソ連の目標は達成できそうにないと通常見なされている。 しかし、少なくともニカラグアが失われるまでは、アメリカの目を引き付ける事ができる。

 エチオピアは常に脆弱であるが、アフリカへの橋頭堡となり得る。 アンゴラも同様である。 全力を挙げてアフリカを開拓する事。 アメリカはアフリカに対してわずかな勢力圏しか持っておらず、アフリカ各国の政府はソ連の持つわずかな資源でも簡単に操る事ができる。 アメリカはベトナムを簡単に封鎖するが、そうであっても、ベトナムはタイの影響を跳ね返すために使用できる。

 アメリカが抱える最大の弱点は、世界中へ拡大したアメリカとの関係である。 アメリカは多くの友好国を持っているため、その全てに資源を割り当てる事ができない。 一つか二つのアメリカの友好国は、反乱・クーデター・フィンランド化に弱い。 その政府を転覆させることで、アメリカの信用を落とす事ができる。 これはアメリカとの条約における信頼性を失わせる足がかりとなり、ソ連に対するフィンランド化を加速させる。 この事は、不安定な世界の方がソ連にとって有利である事を暗示している。

一般的な意見

 ほとんどのプレイヤーは、過剰な冒険に及ぶ傾向がある。 それは力による政治・政策であり、そのような力業ではゲームに勝利する事はできない。 プレイヤーは自重せねばならず、同時に、外交技術も身につけなければならない。 これには忍耐力が必要であるが、これこそがゲームに勝利するただ一つの方法である。

 このゲームは八年間を耐えなければならない事を覚えておく事。 最初の年に、ゲームに勝つための挑戦を行ってはならない。 ほとんどのプレイヤーは最初の二年間で世界を吹き飛ばす。 抑制力を働かせ、ゆっくり、我慢強く計画を遂行する事。 我慢強い計画の遂行は、短期的な征服よりも、長期的な勝利を約束する。

 ゲームは武力外交における現実的な暴力を強調しているが、プレイヤーは道徳的抑制を放棄してはならない。 「バランス・オブ・パワー」は、人類における壊れやすい道徳心を数多くチェックしている。 もしプレイヤーが条約を無視した場合、友好国は反対陣営へフィンランド化を起こす。 いかなる政府に対する、いついかなる行動であっても、それは世界における野蛮性を増加させる。 世界が野蛮になれば、反対陣営も同様に野蛮な振る舞いを行うようになる。 反対陣営との関係が悪化した場合、危機における偶発的核戦争の可能性が増加する。 文明化された政治家でも聖人にはなれないが、野蛮人であってはならない。

 最後に、武力外交による世界では、誰も大きな勝利を掴めない事を認識しなければならない。 外交官は自分自身が目立つ事なく、自らが倒した敵のそばに立ち、周囲の群衆に対して拳を高く上げる。 核兵器が蔓延する世界において、核兵器は最終的な勝利にはなり得ない。 核兵器は小さな勝利か、完全な敗北になり得るだけである。

いかにして「バランス・オブ・パワー」は作られたか

 この本における「バランス・オブ・パワー」の説明は、小綺麗になされている。 コンピュータの前に座り、この本に書かれている内容を打ち込む。 これにより、紆余曲折なくゲームが簡単に作成されたような印象を受けるかもしれない。 真実の内容をスポーツインタビュー風に尋ねると、このような感じになる。
「あなたはどうやってスワンダイブから逃れて、フルニエバックツイスターを決めたのですか?」
答えは、こうである。
「リングの端で足を滑らせてからは、何も覚えていません。」

 「バランス・オブ・パワー」の作成過程には紆余曲折があった。 私は全過程を統括していたが、最も重要な決定の多くが、最も起こりそうにない理由によってなされた。 今となっては「計画通りである」と言う事ができるが、それは真実ではない。 この章において、「バランス・オブ・パワー」の作成過程を時系列で説明したい。 これは読者に対してゲームデザインの産みの苦労を教える事になるであろう。

 序文:ゲームの背景にある概要は、時と共に進化した。 私は固定概念を持たずに作業を開始し、コンピュータを通じてそれらを直接表現する事もなかった。 代わりに、地政学的問題に関する私の考えを表現する事を試みて純化させ、補正した。 私のイギリス人教師は、私に対して考えさせられる言葉を使った。 「言う事ができないのであれば、知っているとは言えない」 この言葉はプログラマにも当てはまる。 プログラミングの基本を知っているのならば、自分自身の理解に対する何らかの論理的関係を表現しなければならない。 それ故、自身が表現できない論理的関係については、理解しているとは言えない。 この本質は事態を好転させる。 もし論理的関係を理解していないのならば、それを学習する手段として、プログラミングを用いる事ができる。 論理的関係は「バランス・オブ・パワー」と共にあった。 このゲームを作製するに当たって、私の地政学に関する知識は研ぎ澄まされた。 そして、その研ぎ澄まされた知識がゲームに取り込まれたのである。

いきさつ

 「バランス・オブ・パワー」へと成長する種は、1966年と1968年に植えられた。 最初の種は、私に市販のウォーゲームを紹介してくれた、高校の友人によって植えられた。 私はゲームを好んだが、その興味は7年間にわたって小さいままであった。 二つ目の種は、私の父が私にコンピュータで遊ばせた時に植えられた。 それはとても楽しかったが、自身の学習をその奇妙な機械に捧げるには至らなかった。 大学生の間、私はよくウォーゲームとコンピュータに首を突っ込んだ。 ウォーゲームは趣味であり、コンピュータは物理の授業で用いるためであった。

 学校を卒業した時、二つの出来事によって興味が再燃した。 偶然「Strategy and Tactics(戦略と戦術)」という雑誌と出会い、ウォーゲームの背景にある歴史ついて考察したのである。 私はウォーゲームに魅了された。 そして、ウォーゲームは私に突然新しい意味を呈した。 私はウォーゲームで遊ぶ事を中断し、新たな情熱と共に戦争の歴史について学習を始めた。

 二つ目の出来事は、その数ヶ月後に訪れた。 大学のコンピュータセンタで、ウォーゲームのプログラムを書いている仲間と偶然会ったのだ。 その出会いは、私を動揺させた。 その仲間は、ウォーゲームのプレイに必要とされる多くの問題を処理するプログラムを書こうとしていたのである。 私は仲間のやることを真剣に受け止める事ができなかった。

 私が物理学の学位を得た時でさえ、コンピュータ、ウォーゲーム、戦争の歴史についての情熱は失われていなかった。 その後物理学を教える仕事に就き、三年間にわたって従事した。 私はウォーゲームをプレイするための、コンピュータプログラミングに関する問題に取り組んだ。 そして、学校に設置されていたちっぽけなIBM 1130上でゲームを実行させ、自分自身を驚かせた。 その製作期間はたった六ヶ月間だった。 1976年12月、私はゲームを他のウォーゲーマーに初めて見せた。 それこそが、趣味で作った初めてのウォーゲームであった。

 また、私が最初にマイクロコンピュータを知ったのは、この時であった。 私はすぐにコンピュータに心を奪われ、1977年1月にコンピュータを購入して夢を叶えた。 そのコンピュータはKIM-1であった。 KIM-1は6502プロセッサと1キロバイトRAMを持った、シングルボードコンピュータであった。 私はマシン語を学習し、一ヶ月で最初のゲームを作った。 その後20ヶ月をかけて、システムの拡張とKIM-1で動くゲームの作製を行った。

 1978年9月、私はコモドールPETコンピュータを購入し、PETで実行させるために、自分のウォーゲームの再デザインを始めた。 そして1978年12月31日、「タンクティクス(Tanktics:戦車と戦略を合成した造語)」という最初のゲームを発売した。 他にも1979年の初頭に「レジオネラ(Legionnaire:ローマ軍の兵士)」を開発した。 しかし、私は既に単純なウォーゲームに飽きてきていた。 交戦に関するゲームではなく、戦争と平和という大きな問題に関するゲームをデザインしたかったのである。

初期の試み

 地政学を組み込んだゲームに対する最初の試みが、1979年7月に行われた。 そのゲームの名は「ポリシー(Policy:政策)」である。 私が考えていた戦略ウォーゲームは、戦争要素の小さいものだ。 多くの戦闘員がいるものの、総力戦を行う為の資源は誰も持ち合わせていない。 資源を集中させて敵の弱点を狙い、小さい戦争で領土を奪うというゲームであった。 対象機種はRAMが8キロバイトのコモドールPETで、ほとんどのプログラムはBASICで書かれた。 たった一ヶ月の開発で一部が動くようになったが、根本的な問題に直面した。 ゲームが戦略的資源管理ゲームへと進化したのである。 長時間ゲームをプレイしても、資源を単純にかき混ぜるだけであった。 このゲームの構造は、ゲームとしての本質から外れていた。 そして、妻の新しい仕事のためにシリコンバレーへと引っ越す事になり、ゲーム開発は脇へ追いやられる。 その後アタリで働く事になり、「ポリシー」の開発は中断した。

 アタリで働いている間、私は各種の単純なゲームを開発した。 マーケティングの専門家は、「ポリシー」ほどでなくとも、ウォーゲームのように複雑なゲームは存在せず、市場の興味を引き寄せると確信していた。 二年間、私は様々な他のプロジェクトに携わった。 1981年12月、新しいオリジナルゲームを作る為に、アラン・ケイ博士が私をアタリの研究部門へと雇い入れる。 そして、アーサー王の伝説を土台としたゲームの開発に着手した。 そのゲームの開発には八ヶ月を要し、「エクスカリバー(Excalibur)」として完成した。

 一年後、新しいゲームを開発するために、新しいプログラマを雇う事ができた。 そして「ポリシー」で試みた、地政学をテーマにしたゲームに回帰する事を決意する。 しかし、今回は多くの壮大な目標があった。 まず対象機種を48キロバイトRAMとディスクドライブを持つアタリ800とし、アセンブラ言語でプログラミングした。 この機種は最初の機種よりも高性能であり、私の壮大な計画にはぴったりであった。 この期間にヘンリー・キッシンジャーの「キッシンジャー秘録(1-5)」(斎藤彌三郎ほか訳 小学館, 1979-1980年)を読み、 近代外交の複雑さに感銘を受けた。 企画中に準備したデザイン文書からこのゲームの目的を引用すると、「軍拡競争の複雑さを人々に教える」となる。 このゲームの重点は、兵器の開発と配備であった。 プレイヤーが利用可能な選択肢として、弾道弾迎撃ミサイルシステム・民間防衛プログラム・大陸間弾道ミサイル・ 巡航ミサイル・衛星兵器などの複雑な要素が含まれていた。 またそのようなシステムの配備防止条約を締結したり、破棄したりする事もできた。 このゲームの基本的なアイディアは、ソ連の攻撃を抑止するために十分な兵器システムの組み合わせを見つけ出す事であった。 ただし、財政破綻を避けるために、軍縮も同時に推し進める必要があった。 詳細を詰めるために長い時間を費やしたが、バランスの取れたデザインを見つける事ができなかった。 その後、ゲームをさらに論理的なスタイルで作製する事を決定した。 これにより、7つの登場国が4つの次元で相互作用を行うようになった。 その4つの次元とは、貿易・武器の販売・条約・宣伝である。 プログラマがプロジェクトに対する関心を失った時、ゲームは形になり始めていた。 このプログラマは、最終的に別のプロジェクトへ割り当てられた。

 「平和ゲーム」への再挑戦の機会を得てから6か月が過ぎた。 アタリの別のグループが電子掲示板システムを開発しており、そこで動くゲームを求めていた。 もし私がデザインの専門知識を供給する事ができたのならば、そのグループはプログラマを供給する事が可能だった。 これによって得た人物は私の良き友人であり、ゲームの知識も豊富にあった。 そして、国際的衝突に関するマルチプレイヤーゲームのデザインに取りかかった。 このゲームは通信対戦ゲームであり、「世界征服」ゲームではなかった。 我々が想像していたものは、政党間の交渉とわずかな軍事力の行使を含む、地政学的衝突ゲームであった。 ただ、不運にも本格的な開発が始まる前にアタリが崩壊し、プログラマは解雇されてしまった。

「軍拡競争」の紀元

 地政学的相互作用を含有したゲームの開発は三度あり、三度とも中止になった。 1984年3月16日、私はアタリを解雇された。 ちょうど新しいプロジェクトを決定する時であり、アップルのマッキントッシュを紹介された。 マッキントッシュは興味深く、次のゲームはこの機種でデザインするとすぐに決めた。 マッキントッシュは強力なパワー・明確な目的性・豊かなユーザーインターフェイスを備えており、 ゲームデザイナーの夢をそこに見いだす事ができた。 1984年4月6日、私はソフトハウスに手紙を送り、自分のゲームリストを紹介した。 そのリストの中に「軍拡競争」という名前のゲームがあった。 その紹介には次のように書かれていた。

 人類の運命を決定する条約を交渉せよ。 対戦相手であるロシア人を理解する事は困難である。 相手は信用できる人間であり、この絶望的な競争の終焉を誠実に求めているのだろうか? 相手の動機は、恐怖なのか欲望なのか? 相手を信用できるか? 大量破壊をもたらす新しい技術は、いかに物事を変えるだろうか? このゲームは、軍拡競争そのものよりも、地政学について焦点を当てるであろう。 善良な人間が誤解によって世界を全滅させる可能性がある。 ゲームは小国を通じて超大国が衝突する事を表現し、そのような代理戦争が最終戦争の引き金となる事を示す。 このゲームは世界の国をほとんど含み、それらは互いに多くの関係を持っている...

 これが「バランス・オブ・パワー」の第一歩であった。 前の三つのバージョンは、資源管理・兵器開発・多岐にわたるプレイヤーの関心事、といったアイディアの多様性に苦しんでいたが、 今回は最終的なゲームを形成する本質を捕らえていた。 タイトルと同様に、上記の説明で「大量破壊に関する新技術」へ言及している事に注意する事。 ただ、ゲームの主題として兵器開発から脱却する事はできなかった。

 三週間後、アイディアのほとんどは構築された。 代理人であったスティーブ・アクセルロッドに送った手紙の中で、ゲームに関して次のように書いた。

 これは私が長い間求めていたゲームである。 なぜアメリカとソ連は危険で恐ろしいバランスを保っていられるのか? 私はゲームに対してこの疑問を提示する。 プレイヤーは大統領となり、40年間(1960-2000)を執務する。 その間最終戦争を回避し、世紀の変わり目を迎えなければならない。 これは簡単ではないであろう。 ゲームは実際の地政学を反映しており、軍拡競争は本質ではない。 プレイヤーは世界中の小国との多くの同盟関係に縛られる。 小さいもめ事はいつでも発生し、戦争になり得る。 そしてその戦争には、ソ連との正面衝突をもたらす危険が常に存在するのである。 このゲームにおける中心的論点は、核戦争を起こす事なく、いかにアメリカとソ連が世界的覇権を追求するのかという点にある。 その回答は、両者が厳密に自制し、衝突の可能性を減らす事である。

 ゲームではシンプルな世界地図を使用する。 その世界地図は、国に関する多くの情報と国家間関係を、図形式で表現する。 国家間における条約関係・軍事状況・基礎的な情報などはアイコンで表現する。 私は、このゲームは多くの注目を集めると考えている。

 たった三週間で、ゲームは大きく成長した。 この概要においていくつかの誤解がまだ存在したが、小国間戦争が原因となって正面衝突が引き起こされるというアイディアは、ほとんど理解された。 (私が考えていたものは1973年の第四次中東戦争であった) このアイディアは、ゲーム開発の最終盤において、私の思考に重要な役割を果たした。

 1984年3月初頭、「軍拡競争」を次のプロジェクトと決定し、参考文献の収集と思考の整理を始めた。 以前の経験によりこの作業の難しさを知っているので、私は自分の考えを書き起こした。 書き起こした資料は、デザイン中に発生した多くの行き詰まりや盲点に対して光を与えた。 3月14日の資料には、次のように書かれている。


信憑性・道徳的指導力・理想主義と皮肉・決断・同盟・信頼、の何が問題だろうか? それらは、いかに表現され、記録され、維持されるのだろうか?


 これらの要素のうち、信頼だけが「誠実さ」としてゲームに実装された。 次の文章は、私が最終的にたどり着いた考えを書き留めたものである。


当該国をアメリカが支援し、ソ連が反政府勢力へ援助を与え、迅速に応答しない場合、他国からの信頼を失う。


 その後、「バランス・オブ・パワー」のプレイヤーが簡単に認めるだろうか、という疑問を付加した。


我々は、文章作成機能を使用して、様々な考えを含んだニュース記事になるような出来事を、装飾する事ができるだろうか? これは出来事をより自然に見せるであろう。


 言い換えれば、これは多くの袋小路が存在していた事を意味する。 私はゲームの終了を分析するアイディアを求めていた。 プレイヤーの行動を評価し、「ロシアの攻勢に直面した場合におけるあなたの弱さは、冒険性を促進し、同盟国を落胆させました。」 と提言するアイディアである。 この機能を適用する方法はわからなかったが、良いアイディアであった。

 また、尺度の問題があった。 最初ゲームの各ターンは1ヶ月を表現していた。 ゲームの期間を10年としても、これだと120ターンが必要である。 当時各ターンがどれほど時間をとるのか理解していなかったため、現状のままで推し進めた。 ゲームデザインの過程において、これは最も苦しんだ問題の一つとなった。 その後、ゲームのプレイ時間があまりにも長すぎると気付いため、ターン数を削減する事にした。 これにより、1ターンは1年となり、プレイ年数も50年から10年、最終的に8年となった。

 最初の一ヶ月間に書き起こされた二つの他の文章は、ゲームデザインにおける二つの問題を明らかにした。 最初にしてより些細な問題は、ゲームのタイトルだった。 消費者は気づいていないが、作者によって選ばれたタイトルを付けたゲームは、市場にほとんどない。 いくつかの理由により、ゲームデザイナーはお粗末なタイトルを付ける。 私が作製した7つのゲームのうち、オリジナルタイトルは2つだけだった。 他のゲームは出荷前に新しいタイトルを与えられたのである。 例えば「フラー ポビエダ(Ourrah Pobieda:ロシア語:勝利よ万歳)」は「東部戦線(1941)(Eastern Front (1941))」であったし、 「スリーマイル島(Three Mile Island)」は「緊急停止(Scram)」となった。 1984年3月、私はタイトルの候補をいくつか考えた。 それは「人類の絶滅(Annihilation of Mankind)」「政策の拡大(The Extension of Policy)」 「最終戦争を阻止せよ(Thwarting Armageddon)」であった。 最終的なタイトル案は「軍拡競争(Arms Race)」と決定する。 ゲームはこのタイトルを念頭に置いてデザインされた。 (ディスク上のファイルを引っかき回す機知に富んだプレイヤーは、このタイトルの足跡をいくつか見つける事ができる。) 最終的に決定したタイトルは「バランス・オブ・パワー」であり、これはマインドスケープ社のロジャー・ボイによって提案された。 (他のタイトルは「惑星崩壊への道(That’s the Way the Planet Crumbles)」であった。) この提案はすぐに実装された。 実に良いタイトルである。

 さらに実質的な問題は、ゲームで提供される動詞の性質であった。 動詞はゲームデザインにおいて重要である。 動詞とは、プレイヤーの行動を許容し、利用可能な指令の事である。 良き動詞のセットは、何かを行いたいプレイヤーに対して、必要かつ求める全てを許容する。 貧弱な動詞のセットは、恣意的であり、プレイヤーを混乱させるかイライラさせて、硬直化させる。 ゲームデザイナーはゲームで使用される動詞に気を使い、尽力する。 3月11日、私は考えていた動詞を書き起こした。 この時書き起こされた動詞は、ゲームの最終バージョンで使用された8個の動詞よりも長いものであった。 まだ整理と理解が十分ではなかったのである。 ゲームの最終バージョンで使用されている動詞は良き組み合わせであり、過不足なく、シンプルかつパワフルである。 このように簡潔な動詞のセットが、ほとんどあてずっぽうに作った最初のリストから発生した事を、信じられない人がいるかも知れない。 そのリストは以下の通りである。


反政府勢力に武器を供給する
反政府勢力を保護する
経済援助を与える
軍事援助を与える
武器の販売を許可する
禁輸措置を行う
介入
相互防衛条約を申し出る
主要国首脳会議を行う
軍事的デモンストレーションを行う(脅すため)
封鎖する、または、外交関係を破棄する
非難する


 イタリック文字で書かれている要素は、ゲームに実装された要素である。 それ以外は開発中に除外された。 多くのゲームデザイナーは高みを目指しているが、実際は低くなる。 これは悲しい真実である。

 開発初期における他の仕事は、調査であった。 私は見つける事ができる限りの、世界情勢に関するあらゆる本を集めた。 「The War Atlas(戦争の世界地図) (Kidron and Smith 1983) 」には魅力的な地図があり、 グラフィック表示を強調させる事となった。 「The War Trap(戦争の罠)(Bueno de Mesquita 1981)」を見つけた時は、金鉱を掘り当てたような気分になった。 ここには、戦争の発生に関する完璧な数学的論理が掲載されていた。 私が自分のゲームに対してすべき事は、その公式や追加データをプログラムするだけのように見えた。 しかしながら、詳細に検討すると、そう単純にはいかない事がわかった。 ブルース・ブエノ・デ・メスキータの仕事はとても興味深いが、自分のゲームに完全に適応しない。 彼の仕事は地政学における相互作用を数学的に説明していた。 これは、もっと真剣な試みを行う誰かが知るべき事であろう。

 6月、ゲームの様々な側面に関する、ちょっとしたエッセイを書き始めた。 このエッセイの目的は、ゲームにおける自分の考えをまとめる事である。 そのエッセイのうちいくつかは、私の思い上がりを断ち切った。 また、プログラムを動かすために必要なビットとバイトの詳細を計画した。 その計画中に、各国政府が自身の反政府勢力を苦しめる主な手法を思いついた。 しかし、このアイディアはボツになる。 まず、反乱は反政府勢力自身の軍事力という観点から計算されるよう意図した。 (これはゲームの最終バージョンで実装された) そして、反政府勢力自身の人気が反乱を支援する。 (これは除外された) さらに、政府は自身に対する支持だけでなく、圧政についても評価される事になった。

 これらのエッセイは、ゲームにおける内部的な詳細の多くを定義した。 外交的親近感・義務・信頼性という概念は、これらのエッセイから生まれた。 さらに重要な事に、エッセイはデザインに関する中心的問題における自身の考えを明確にした。 これにより、優先順位の高い明確な理解と共に、難解なデザインを決定する事ができた。

 6月の始めに、ゲームの仕様をまとめて提案した。 エージェントがゲームをメーカーへ販売するために、仕様に関する詳細を必要としたのだ。 提案は14枚の紙におよび、最終製品についてきちんと記載されていた。 提案には、最終製品において実装に失敗した一つのアイディアが含まれていた。 それは「ラバーマップグラフィック」である。 ラバーマップグラフィックの意図は、様々な選択肢をプレイヤーに提供する事であった。 ラバーマップグラフィックはGNPに比例して地図を変形させて見せる事ができた。 しかし、ラバーマップグラフィックを迅速に実行するアルゴリズムを見つける事ができなかった。 したがって、最終製品には濃淡を用いたシステムが使用された。 最終製品に至るまでに、いかに多くのアイディアが試され、ボツになったか、多くの人々は気付かないであろう。

 私は提案の中で政治的偏見とゲームにおける自身の政治目的について、多くを記述した。 最も重要な文章は、この部分である。 「このゲームは、戦争が悪しき魂を持った邪悪な人間によって引き起こされるという考えを拒絶するであろう.... 免れ得ない戦争の危機という状況において、良き魂を持った善人が戦争を引き起こす事を、このゲームは実証する。」 これはこのゲームの根本的な目的であり、長い開発期間中において、常に固執してきた。 私は、戦争を渇望する指導者の道徳的感情に対して、人々に疑問を提示したかった。 平和の維持には先見と知恵が必要であり、単なる善意は必要としないのである。

 この提案は動詞の数を必須である10個まで減少させた。 その動詞とは次の通りである。


軍事費を決定する
消費者支出を決定する
他国との貿易を決定する
反政府勢力へ武器を供与する
経済援助を申し出る
軍事援助を申し出る
介入する
相互防衛条約を申し出る
宣戦布告を行う
外交的友好国を宣言する


 イタリック体で記載されている動詞は、ゲームの最終バージョンに実装されている。 ご覧の通り、最後の方に記載された動詞に注視している。

 提案における最後の興味深い要素は、1984年7月に記述された。 その興味深い要素とは、スケジュールである。 1985年1月1日までをゲームの開発バージョンでの作業とし、仕上げ、テスト、プログラムの洗練を1985年3月1日まで行う事を計画した。 ソフトウェアの提案ではよくあるが、この計画は結果的に楽観的なものであった。

プログラミングの開始

 今回はプログラミングを考慮せずにデザインを行った。 私はマッキントッシュを所有していたが、マックの開発環境は所有していなかった。 当時マッキントッシュでのプログラム開発は、Lisaコンピュータ上で行うしかなかった。 1984年3月、私はアップルにLisaを注文したが、8月1日まで機器を受け取る事ができなかった。 従って、私はプロジェクトにおける最初の三ヶ月を「机上のデザイン」に費やした。 開発環境はなかったが、マニュアルを読んだり、参考文献を勉強したり、提案書を書く事はできた。 偶然であるが、これは結果的に良いものであった...もし長くなりすぎなければであるが。 多くのゲームは、キーボードによっていきなり作製されている。 デザインから始まっていないのである。 しかしながら、今回の場合、机上のデザインに費やした三ヶ月は長すぎた。 他のデザインを進行させるために、私はコンピュータ上でいくつかのアイディアをテストする必要があった。 これは、Lisaを受け取り、システムを学習するための手助けとするためである。

 プログラマはマックを最大限利用するプログラムの作り方を習う必要があり、その難度は高いというアドバイスをもらった。 一般的に、マックのような新しい機器でのソフトウェア開発は困難である。 しかし、私はそのような困難は経験しなかった。 マックの複雑さは私を震え上がらせたが、一ヶ月間のプログラミングは私にとって快適であった。 マックを使った開発が遅延する主な原因は、プロジェクトを引き受ける前に、 プログラマがマックの全ての側面を理解しようとするからだと推測している。 私はそれほど選り好みが激しいわけではない。 マックライトとマックペイントの多用は、私にマックの可能性を感じさせた。 これで準備が整った。 私はプログラミング作業に没頭し、特別な問題を解決するために必要な知識と機能を学ぶだけとなった。 この手法は仕事に集中できるが、プログラマとしてのレパートリーは少なくなるであろう。 マックで仕事を始めて二年が経過したが、私は基礎的なマックのプログラミングに関するばかげた質問をして、他のプログラマと長話をしている。 私は幸福である。 なぜなら、「他の」プログラマが全ての詳細を学習する時間を取ってくれたおかげで、私はゲームに集中する事ができた。 また、プログラマは苦労して理解した事を、忍耐強く私に説明してくれた。

 ゲームには周辺要素も多々含まれている。 私の最初の仕事は、地図を作る事であった。

[Picture of game map.]

 私はこの問題をデザイン哲学の一つとして解決した。 多くの人々にとって世界の様相は複雑に見える。 そういった人々は、私に対してどうやって世界をデジタル化したのか尋ねる。 答えは、自分の手によってデジタル化を行ったのである。 まず世界地図を画用紙にフリーハンドでトレースする事から開始した。 その後画用紙に描かれた長方形のマス目に線が沿うように描き直した。 そしてマックの画面にもっと適合するように、地図の尺度を修正した。 この尺度の修正が完全ではなかったため、再度手で描き直し、各線の尺度を再度見積もった。 2ダース近い画用紙を使い、いくつかのごまかしを含めて、地図が完成した。 残った仕事は、地図をコンピュータへ入力する事であった。 私はテープレコーダーを用意して席に座り、画用紙上の座標を読み上げた。 「ナイジェリア、座標、X = 138, Y = 227。ワンステップ北、1東、2北、3東...」 その後コンピュータの前に座ってテープを再生し、テープが読み上げた値をコンピュータへ入力していった。 ワンステップ北、1東...といった国境線を示す一連の方向は、NE2N3Eといった短い文字と数値に変換された。 その後、こういった短い文字と数値を、各国におけるグラフィック表示として変換する作業を繰り返し行った。

 経験あるプログラマは、この手法に対して、うろたえ、拒絶するであろう。 たしかに、作業を簡単に完了させる方法はある。 いくつかのツールを使えば、もっと迅速に作業が完了するだろう。 それは疑いないが、ここにこそデザイン哲学がある。 プログラミングツールとは高速道路のようなものである。 高速道路はどこにでも好きな場所へ連れて行ってくれる。 全てのプログラミングツールは大多数のプログラマのニーズに合わせて汎用化されている。 それらは、最も人気のあるビーチや人でごった返したリゾートに連れて行ってくれる高速道路のようだ。 だが、遠くの頂に登る者は高速道路の快適さを放棄し、自らの足によって進まなければならない。 汗を伴う努力がプログラマを山の頂へと導き、そこから創造的な新しい世界を見渡す事ができるのである。

 10月の間、ゲームにおける最初の痛ましい作業を行った。 国家間における貿易の要素を全て削除したのだ。 貿易はゲームにおける主要な要素として当初から計画していた。 貿易は各国におけるGNPの成長割合を決定する、大きな役割を果たすと見ていたからだ。 これにより、各国は外国との貿易を最大限行うようになる。 また地政学的競合相手に対して、武器を輸出禁止にしたりするようになる。 したがって、世界各国における貿易量に関して注意深く調査を行い、その情報を画用紙上の巨大な表に書き込んだ。 画用紙上の巨大な表には、ゲームに登場する国家間における3,844組の貿易量が記入されていた。 このデータを全てプログラムに組み込んだが、巨大な配列が大量のRAMを消費してしまった。 今回の場合、貿易量のデータだけで7,688バイトが必要であった。 10月の始めにRAMを全て使い切ってしまい、さらに多くのRAMが必要であると気づいた。 そして、プログラムから何かを削除しようと決定する。 貿易一つだけでRAMを大きく解放してくれる事は明らかであった。

 このエピソードは、ゲームデザインにおける他の困難な問題にも彩られている。 それは、完成を目指す上で、資源をいかにバランスよく割り振るというかという問題である。 ゲームデザイナーは4つの限られた資源を持っている。 その資源とはRAM・ディスク容量・マイクロプロセッサの実行時間・自分自身の時間、である。 ほとんど全てのゲームデザインは、これら貴重な資源における様々な選択肢がもたらす影響を、考慮しなければならない。 残念ながら、ほとんど全ての価値ある機能は、大量の資源を消費する。 初心者のゲームデザイナーは、ありとあらゆる種類の機能を詰め込んだ、盛大なパーティを企画する。 しかし、鍛錬されたベテランは、限られた食糧・水・装備で砂漠を横断する方法を考えるのである。

 9月、10月、11月を通して、コーディング作業を行った。 自分の考えを実現するシステムを構築してからは、素早く仕事を行えるようになった。 11月中旬には「バランス・オブ・パワー」の最終的な機能の多くをプログラミングしていたが、まだ開発段階であった。 それは羽や水かきを持ったアヒルであったが、成熟した大人のアヒルではなく、まだ子供のアヒルであった。 11月のバージョンはある程度の完成度を誇っていたが、最終製品としてはまだ至らず、よたよた歩きであった。

マーケティング問題

 この時、重大な金銭的問題に直面した。 1984年初頭に起こったゲーム業界の洪水的な崩壊が全てを飲み込み、1984年末まで回復しなかった。 5月に取引するつもりだったゲームメーカーは、10月にはもはや営業していなかった。 私とエージョントは「軍拡競争」を8月に販売する予定であった。 8月は来たが、バイヤーは来なかった。 他にも販売提案を行ったが、良い成果は上がらなかった。 11月になると私の資金は底をつき、ゲームを買い取ってくれそうな人もいなかった。 破産に直面して、私はゲームの開発サイクルを短縮した。 ゲームを買い取ってくれるメーカーが存在しない中での切り上げ作業は、1月1日まで続いた。 その後の事がどうなるか分からない中での開発であった。 私は諦めるつもりでいた。

 ここでジム・ウォーレンが仲介する。 ジムは70年台中期にウェストコーストフェアを設立し、マイクロコンピュータ革命を軌道に乗せる際に極めて重要な役割を果たした人物である。 ジムの技術的専門知識・親しみやすい人柄、コミュニケーション能力は、マイクロコンピュータ世界において伝説となっている。 ジムは友人を介して、戦争と平和に関するアイディアあふれるゲームが金銭問題に直面していると聞いた。 彼は私をサンタクルーズにある自身の美しい邸宅へ招き、そこでこの問題に関して話し合った。 ジムは私にゲーム開発を続けるよう促した。 私はジムの熱意と楽観主義に触発され、再度やる気を出した。 会合を終えて帰る頃には、私はすべての問題を乗り越えられそうな気がしていた。 新鮮な山の空気がそう思わせたのだろうか。 ともかく、ジム・ウォーレンは「バランス・オブ・パワー」を救ったのである。

幸運を導く力

 こういった困難に直面しているさなか、私はゲームを大きく変容させるような考えを思いつた。 それは危機に関してである。 いつだったかのメモには、このように書かれていた。 「一生懸命に考えている最中は、時間を忘れる。」 危機は次のような問題を解決するために、一時的な手段として最初生み出された。 相手陣営の明らかに非道な政策に対していかに備えるか? 例えば、東ドイツやメキシコを経由したソ連の侵入に対して、アメリカはいかに備えるか? これらは健全な超大国ならば追求する事のない、馬鹿げた政策手段である。 ただ、これはゲームなので、プレイヤーはそのような手法を「おそらく」試みるであろう。 どうしてそれを止められようか?

 この問題を解決するための、手っ取り早く、かつ、汚い方法は、他国の行動に対して遺憾の意を表明させる事であった。 当初の予定では、遺憾の意を表明する事は、単なる意思表示に過ぎなかった。 だがその意思表示が国際的な非難を呼び起こし、特に非道な行動は、結果的に威信値を失う事となった。 一方、非道な行動を再考し、政策を撤回させる機会も必要であると考えた。 両陣営が遺憾の意をはねつけるか引き下がるか交互に考える事によって、危機がエスカレートしていったからである。 エスカレートした危機はデフコン1へ至り、両者とも怒りを加速させて核戦争に至り、結果的にゲームが難しくなった。 もちろん、危機を正しく機能させるために必要な仕事はまだあった。 危機処理を向上させる努力は、ゲーム開発の最後まで継続された。

 危機処理はゲームにおける最も重要な単一の機能であり、それを認識する事は私の義務であった。 しかし、この件についてはドキュメントのどこにも記載がなかった。 自分の注意深いデザインに対する主張と目的の維持のために、この危機処理に関する一連の作業は偶然であったと認めなければならない。 ドキュメントにはなかったが、この件は間違いなく起こったのである。 ベテランのゲームデザイナーは、ゲーム制作に関する考えがまとまっていない以上、見切り発車をする事はない。 注意深いデザインと計画は、良きゲームを完成させるであろう。 これらに加えて、天才のもたらす幸運と大胆な開発があれば、それは偉大なゲームとなる。

ランダムハウス間奏曲

 1984年の感謝祭(11月22日)前、状況は劇的に好転する。 ランダムハウスがゲームの販売に興味を示したのである。 交渉は12月いっぱい続いた。 ランダムハウスから重役が訪れ、ゲームと開発計画を向上させるための話し合いを行った。 1985年1月、我々は3月1日にゲームを完成させる契約に署名した。 この約束は早計であった。 ゲームの完成は元々5月1日と計画しており、この約束は絶望的だった。 私は作業時間の延長を決心し、締め切りを設けた。 1月、2月の進捗は目を見張るものがあった。 タイトル画面に徐々に表示される画像と、様々な機能を追加した。 その機能とは、二人プレイ、アメリカとソ連のどちらでも遊べる機能、セーブ・ロード機能である。 危機の機能を洗練させ、他国における人工知能ルーチンとしても用いた。 なんとか締め切りに間に合うよう努力したが、2月半ばには間に合わない事が明確になった。 その旨をランダムハウスに伝えたが、その回答に私は胸を撫で下ろした。 彼らは製品のクォリティだけを心配していたのだ。

 3月の間は、人工知能ルーチンを開発していた。 また「世界背景」と「詳しい国家情報」の機能を追加し、ゲームの最終バージョンにおける8つの動詞が出揃った。

 ゲームの最終的な詳細を詰めるために、ランダムハウスが社員を派遣してきた。 この社員はゲームを研究し、ゲームのために批判と提案のリストを準備した。 その後数週間にわたり、提案された機能を実装させる作業を行った。 それらの提案は必要なものであったが、開発計画に対して重大な悪影響を与える事がすぐに明らかになった。 私は頭を悩ませた。 なぜなら、ゲームは発売直前の最終バージョンであり、その社員の提案を実装するには大きな修正が必要とされたからだ。 意見の大きな相違はあったが、ゲームに加える一連の変更点に関する特定化について、我々は合意する事ができた。 その後、3週間を費やしてこれらの変更を実装した。 これらの変更点のうち、最も重要な二つは「状況の推移」機能と危機におけるアドバイザリ機能であった。 私は結果に満足し、強い立場にいると感じた。 これらを経て、ゲームは当初よりも良くなった。 当初よりもはるかに長く開発する事となったが、ランダムハウスが要求する以上のものを提供する事ができ、ゲームに自信を持った。 私は最後通牒を持ったランダムハウスに成果物を提示し、次のように言った。 「アルファテストバージョンとしてこのゲームを認めるか、契約を破棄するか選んで欲しい。」 ランダムハウスが選択したのは、契約を破棄する方であった。

耐久テスト

 1985年3月初頭、契約はなかったが、ランダムハウスへの借金はあった。 破産を前にして、妻の言う「本当の仕事」を探し始めた。 どこかのソフトハウスが心変わりして、ゲームを販売してくれる事を期待していたが、希望はないように見えた。 ゲームを完成させる資金は残っていなかった。 仕事を見つけるまで開発をしていたが、やがてそれもやめてしまった。 私の最優先の課題は、仕事を見つける事となった。

 ランダムハウスへの借金を返済するために、エージェントはゲームを別のソフトハウスへ販売する事を急かした。 しかし、このゲームを欲しがる者は誰もいなかった。 誰もがこのゲームを尊敬して賛美したが、一円にもならなかった。 拒絶に至った言い訳だけが積み上げられていき、気高い努力にも関わらず、悲劇的な終末を迎えるかのように見えた。

 一連の出来事により、疲労だけが蓄積された。 一年間に渡る努力と多くの拒絶の末、私は限界を迎えた。

 私はゲームを向上させる努力を継続した。 この期間における最も大きな変更点は、「小国の無力化」であった。 初期における「軍拡競争」には、アメリカ・ソ連といった極が存在しなかった。 プログラム上は、アメリカも他の国も、根本的な相違がなかったのである。 超大国が実施する政策と同じ政策オプションを、どの国も持っていた。 しかし、世界各国が平等であるという視点は、開発過程においてゆっくりと変化した。 最初に危機が訪れた時、両超大国(それ以外の国を除く)は危機を開始させ、核戦争までエスカレートさせる事ができた。 その後、超大国以外の国における多くの行動を削除するよう、大きく修正した。 3月になって、超大国以外の国にはたった一つの政策オプションだけが残された。 その政策オプションとは、超大国以外の国に対する宣戦布告である。

 ゲームをテストプレイヤーに渡し、満場一致のフィードバックを得た。 そのフィードバックとは、ゲームが分かりづらいというものであった。 最も大きな不満は、プレイヤーが注意すべき行動が多すぎるという点であった。 超大国以外の国における制御不可能な行動が、問題の大部分であるように見えた。 プレイヤーは、自らが制御できない場所における多くの行動について、手の施しようがないように感じた。 ゴルバチョフと対決する姿勢を見せたプレイヤーにとって、ゲームは西部劇に登場する決闘シーンのように感じたに違いない。 ただ、ゲームは西部劇の酒場における土曜日の夜のような振る舞いを見せた。 ゲームによる乱射が始まり、客はテーブルの影に隠れ、プレイヤーは蜂の巣となってこう言った。
「何が起こったんだ?」

 私はゲームにおける多極性について、誇りを持っている。 多極性は世界を現実的に表現しているからだ。 しかしながら、自分の誇りを優先させて、テストプレイヤーを無視するわけには行かない。 私はやむを得ず小国を無力化させ、超大国によって操られる受け身の存在へと価値を減じた。 これにより、ゲームの扱いやすさは格段に向上した。

 別のテストプレイヤーは、ゲームに対して知らず知らずのうちに寄与した。 ゲームオーバー時に表示される黒画面は、このように告げている。 「あなたは熱核戦争を引き起こした。だが、跳ね上がった肉片と共にきのこ雲が表示される事はない。 失敗はいかなる褒章も得られないのだ。」 ここで表示されるテキストは、私の考えを述べている。 1985年2月、世界の終わりに関する画像を表示させたいのか、知りたがっている友人がいた。 私はその回答として、うんざりしながらこのテキストを作った。 だが、マッキントッシュの特徴のないウィンドウに表示させた当初のテキストは、異なっていた。 それは、次の停車場を知らせるバス運転手の、威勢のよいアナウンスのようであった。 そんなある日、一人のテストプレイヤーがゲームを彼の友人に説明していた。 そのテストプレイヤーは、ゲームオーバーになると、メッセージが表示される前に画面が真っ暗になってしまったと誤って説明していた。 これは何と良いアイディアであろうか。 4時間後、テストプレイヤーの誤りは新しい機能として実装された。

 この世界における奇妙な事象の一つは、どうという事のない出来事が、大きな変革を導くという事象である。 1985年3月、ソフトウェア開発事業者向けフォーラムにおける、マッキントッシュ特別利益団体の地域会合にて、私はゲームデザインについて尋ねられた。 この団体は非常に小さな団体である。私が講演を行った時、30人程度の参加者しかいなかった。 その中の一人に、スティーブ・ジャシックがいた。 スティーブはバークレー・マッキントッシュユーザーズグループの講演仲介人に対して、私の講演を依頼した人物である。 1985年3月初頭に、ゲームの披露と講演が終了した。 会合にはコンピュータ雑誌「インフォワールド」の記者である、トム・マレマも参加していた。 トムは「軍拡競争」に感銘を受け、後日私に対してインタビューを行い、記事を書いた。 その記事は1985年6月10日発行の「インフォワールド」に掲載された。 記事の効果は絶大であり、国中のソフトハウスから問い合わせがあった。 マインドスケープ社も記事を見たソフトハウスの一つであり、私のエージェントに対して連絡を入れてきた。 その後電話による打ち合わせが何度か行われ、最初の契約に合意した。

 数日後、私はシカゴを訪れ、マインドスケープの人々とゲームにおける最終的な変更点に関して打ち合わせを行った。 この打ち合わせは、芸術家と画廊の関係で行われる、典型的な打ち合わせであった。 打ち合わせはサンディー・シュナイダーによって開催された。 サンディー・シュナイダーは、私が今まで見てきた中で、最も議論を統括する才能を持った社員であった。 打ち合わせは6時間に渡って続き、ゲームの詳細に関して話し合われた。 マインドスケープの人々は、ゲームの変更に関する提案を多く持ち込んでいた。 各提案項目は熟読され、熱心に議論された。 議論に無駄や錯綜はなかった。 サンディーが打ち合わせを仕切っていたからである。 賛成・反対問わず、論点は簡潔かつ力強く表現されていた。 数分の議論だけで十分な合意がなされた。 知るべき点は知らされ、次の提案へと移った。

 2月の間中、打ち合わせで合意された変更点を修正するという作業を行った。 変更の大部分は小さな修正であった。 例えば、偶発的核戦争の減少である。 他の変更として、ユーザーインターフェイスをスムーズかつシンプルに変更した。 1985年8月1日、ほぼ完成版のプログラムを、テストのためにマインドスケープへと送った。 テストは7週間実施され、1ダースのバグが修正された。 テストで報告された最も良きバグは、タンザニアの首都を「Dar es Salaam,」でなく、「Dar Es Salaam,」と誤記したものである。 テストプレイヤーは実に綿密であった。 9月の終わり頃にゲームの最終バージョンに取り掛かり、「バランス・オブ・パワー」が完成した。 「バランス・オブ・パワー」の最初の製品は、10月中旬に発売された。

補足

 「バランス・オブ・パワー」の開発は、第二次世界大戦におけるパラシュート部隊の用法を思い起こさせた。 パラシュート部隊の降下は、正規軍を使って救出する必要があっても、価値がある。 この価値は、多くの試行錯誤の末、見出されたものである。 この価値を地上にいる正規軍が想像する事は難しいが、 戦友であるパラシュート部隊が敵地に向かい、敵に包囲され、パラシュート部隊が正規軍に救助を求めた時、 正規軍は何の疑念もなく戦うであろう。 パラシュート部隊は、司令官に対して、自らの軍隊が達成すべき明瞭で難しい目的を設定する。 パラシュート部隊の使用は、自分自身で脱出できるか確かめるために、自分で深い穴に入る行為と似ている。

 「バランス・オブ・パワー」に対しても、同じような事を多く行った。 達成を信じて、私は理由なき目標を設定した。 この目標は、後に、公的かつ財政的目標として設定した。 ソフトハウスを含め、誰もその目標を達成できるとは信じていなかった。 地政学を用いたゲームをデザインするという、興味深く、挑戦的で、理解可能な考えと面白さは、人々に信用されなかった。 その後、自分のために深い穴を掘り、自分の救出を始めた。 何度か壁に穴が開いたものの、そこから手を出すのが精一杯だった。 これは困難で、恐ろしい経験であった。 それが終了した時、私は肉体的にも精神的にも疲れていた。 努力の渇望より少ない何かを試みる意味とは、何であろうか。

余録: エキスパートレベルのサンプル

 この余録は、二つの必要性によって記述されている。 その一つは、ゲームを十分楽しめていないプレイヤーに対して、「バランス・オブ・パワー」の魅力を伝える事である。 もう一つは、説明書を読んでもゲームを攻略できないプレイヤーに対する、サンプルを用いた攻略の提供である。

 この余録を用意するために、私はマッキントッシュの前に座り、「バランス・オブ・パワー」を立ち上げ、サンプルゲームをプレイした。 このサンプルゲームは、二つの点において通常ゲームとは異なっている。 一つは、この余録の記述とスクリーンショットを取るために、ゲームを頻繁に中断した点である。 二つは、いつも以上に慎重にプレイした点である。 これはサンプルゲームとしてとても恥ずかしいものであり、さらに、ゲームオーバーとなれば、なおさらである。 私はゲームのデザイナーであるので、慎重にプレイしなければならない。 とはいえ、私によるプレイは「バランス・オブ・パワー」がクリア可能なゲームである事を示すであろう。

 この補足における目的は、このゲームにおける秘められた私の考えをお伝えする事である。 この考えは、ゲームをプレイする読者に対して、より良いアイディアを提供するであろう。 また、私のミスは成功を導くための糧となるはずである。 さらに、ゲーム完成後に指摘されたミスについても言及する。

 以下の記載において、時々「不安定化工作」という動詞が用いられる。 この動詞は、「政策決定」メニューに含まれている「不安定化工作」を意味している。

ターン 1: 1986

 まずは世界状況を知る事から始める。 Major Events(主な出来事)画面は、マリ・ザイール・モザンビーク・ビルマで革命が起こった事を示している。 こういった国々に対して、いくつかの基本的なチェックを行う事。 その基本的なチェックとは、Insurgency(反政府勢力の動向)・Spheres of Influence(勢力圏)・ 両超大国とのDiplomatic Relations(外交関係)・Coup d'etat?(クーデターの可能性)、両超大国へのフィンランド化である。 この中で最も重要な項目は、反政府勢力の動向である。

[screenshot]

 この画面は、世界における不穏な動向を示している。 全ての内戦に関して、注意深く扱う必要がある。 特にフィリピン・インドネシア・パナマといった友好国で発生している暴力は、止めなければならない。 ジンバブエ・タンザニアといった中立国で発生している暴力は、ちょっとしたチャンスである。 フィリピンにおける状況について確認する事にする。 次のページに示しているとおり、フィリピンの世界情勢(Closeup)を確認すると、驚きの情報が含まれている。

[screenshot]

 この画面は、何らかの行動を引き起こすはずだ。 最初の表示は内戦を意味しており、かつ、明らかに反政府勢力の勢いが増している。 反政府勢力は、介入を受けない限り勝利するであろう。 ソ連に対して冷たく、アメリカに対して親しい関係を持った右翼政権が転覆する事は、好ましくない。 特にフィリピンは44ポイント以上の威信値を持っている。 (画面右側の括弧内に表示されている値) もしフィリピン政府を救う事ができたのならば、現在27ポイントの威信値は増加するであろう。 逆にフィリピン政府が転覆したのならば、この27ポイントは間違いなく減少する。 さらに、フィリピン政府とは相互防衛条約を締結している。 これより上位の条約は、核による防衛条約しかない。 この政府を救わなければならない事は明らかだ。 幸運にも、フィリピンにおいてはほぼ自由に行動する事ができる。 なぜなら、勢力圏がFairly USA(やや米国より)であるからである。 さらに、フィリピンはアメリカと相互防衛条約を締結しているが、ソ連とは何の条約も締結していない。 これはアメリカとより強固な外交関係を築き上げている事を意味している。 今あらゆる選択肢が手中にあると言っても良いであろう。

 さらに都合が良い事に、ソ連は愚かにも反政府勢力への支援と政府への不安定化を同時に実施している。 この事実は重要な事柄を物語っている。 このゲームにおけるアドバイザリは、特に攻撃的なようだ。 なぜアドバイザリが攻撃的な姿勢を見せるのか。 それはアメリカの主張に合理性があるからではないか? 今回は荒れたゲームになりそうである。 しかしながら、当件はアメリカにとって有利に運びそうだ。 柔道では相手の運動量を相手に返す事ができる。 今回はこれを用いる事にする。 ソ連の攻撃性を、そのまま返す事にしよう。 フィリピンにおいて、ソ連はアメリカに立ち向かう事ができない。 したがって、ソ連が支援する新しい人民軍に対して挑戦する。

ソ連の行動に対する挑戦

 Events(出来事)メニューからUSSR actions(ソ連の行動)を選び、関係のないページを無視して、該当ページを表示する。

[screenshot]

 Question(懸念とする)ボタンを押す。これに対する反応はすぐに返ってくる。

[screenshot]

 明らかにソ連はこちらの度胸を試している。 とはいえ、いくつか注意点がある。 第一の注意点は、アメリカの関心は低く、ソ連の関心は高いと、アドバイザリが考えているように見える点である。 私には当件に関するアメリカの関心は高いように見える。 エキスパートレベルにおけるアドバイザリの一人は、真実を述べる事ができない。 ただし、熱核兵器を用いたロシアンルーレットを実施するにおいて、アドバイザリの発言は副次的な意見として常に役に立つ。 今回の場合、少なくともアドバイザリはアメリカの関心がソ連の関心よりも高い点については同意している。 これは優位である。

 第二の注意点は、ソ連が返信に用いた文言である。 ソ連は「sees no reason to reverse this policy.(この政策を転換する理由が認められない)」と言っている。 これは扱いやすい文言である。 この文言に豪語・軍事力の行使に対する言及・絶対的な拒絶は見当たらない。 もし政策を転換させるちょっとした良い理由を指摘すれば、ソ連は従うであろう。 したがって、ソ連の政策に対して挑戦する。 ソ連の反応はこうである。

[screenshot]

 ここに二つの知るべき情報がある。 一つ目は、かけられた威信値である。 もし今引き下がれば、16ポイントの威信値を失う。 これはあまり良くないゲームの立ち上がりと言えるであろう。 二つ目は、ソ連の返信における文言のトーンである。 ソ連はアメリカの挑戦を拒絶したが、その文言はおおむね融和的である。 アメリカの挑戦に対して、ソ連は自身の政策を「rightfully not subject(明らかに不正な議論ではない)」と言っている。 良識に対するソ連のこのアピールは、単なる言い訳のように見える。 この文言には、脅迫・強固な態度・絶対性はない。 危機を次のレベルへと進める事にする。

[screenshot]

 これは二つの意味において、驚くべき事態である。 今回、ソ連が引き下がる事を期待していた。 しかし、ソ連は強固に立ち向かってきたのである。 危機をエスカレートさせた事は誤りだったのだろうか? 今や重要な判断の分かれ目に来ている。 すでに軍事危機は始まっているのだ。 今、ソ連はデフコン4にいる。 デフコン4での危険性は極めて少ないが、危機をデフコン3にまでエスカレートさせた場合、 偶発的核戦争の危険性がわずかに発生する。 さらに、そこでもソ連が強硬な姿勢を継続した場合、危機はデフコン2へと進むであろう。 そうなると、偶発的な開戦の可能性はさらに高くなる。

 もうひとつの驚くべき点は、危機における威信値の量である。 今回かけられた威信値は14であり、以前より減少している。 危機における威信値の計算は意図的なものであるが、わずかに乱数要素を含んでいる。 これはプレイヤーから確実性を奪う目的として、十分である。

 ソ連の返信を再確認するが、絶対的な拒絶は見当たらない。 アメリカの挑戦に対するソ連の返信はこうである。 「The Soviet leadership has considered and rejects(ソビエト指導者は考慮し、拒絶する)」 この返信は、ソ連自身が回答を決めかねており、考える時間を稼いでいる事が要因である。 ソ連はおそらく議論の真っ最中なのであろう。 ここでさらにひと押しすると、議論はさらに難しくなる。 問題は、アメリカにとってさらなる工作を行う余地がない点である。 既に偶発的核戦争の危険性が存在している。 ここでさらに危機をエスカレートさせれば、工作を行う余地が完全に失われるであろう。

 熟考した後、危機をエスカレートさせる事に決めた。 危機はデフコン3となり、ソ連は引き下がった。

[screenshot]

 ソ連を引き下がらせ、17ポイントの威信値を得た。 デフコン3へとエスカレートさせた事は苦しかったが、フィリピン政府の転覆を許容する事はできなかった。 もしあそこで引き下がった場合、世界はソ連に対して立ち向かう事ができただろうか? これは恐ろしい危機であったが、何とか乗り越える事ができた。 17ポイントの威信値は、その報酬である。

 他にもやるべき事はあるが、それらは、ソ連が行う他の行動をチェックしてからでも遅くはない。 ソ連の次の行動を確認するために「Next(次へ)」を押す。 ソ連はパキスタン政府に対して不安定化を試みているようだ。 「CloseUp(詳しい国家情報)」にてパキスタンを確認する。

[screenshot]

 パキスタン政府は右翼であり、アメリカに対して親しく、ソ連に対して冷たい。 そして、何と言ってもアメリカの勢力圏にある。 アメリカはパキスタン国内に軍事基地を持っているが、一方で、パキスタンはソ連と外交関係を持っている。 パキスタンの置かれた状況は、フィリピンほど明確ではない。 さらに、パキスタン政府は直ちに転覆する危険性を持っていない。 「CloseUp(詳しい国家情報)」は政府に関する多くの情報を提供する。 それによると、パキスタン政府はゆっくりと弱体化しつつも、安定している。 ソ連の不安定化は失敗するであろう。 それでもソ連に挑戦する事に決めた。 おそらく軍事危機には発展しないだろうと考えたからである。 今回、ソ連は危機における第二ステップで引き下がり、4ポイントの威信値を得た。

[screenshot]

 これにより、アメリカに有利な外交的推進力を得たように見える。 関連するニュースを読み進める。 ソ連がタイに対して不安定化を試みている。 タイはアメリカと同盟関係にある。 これは無視するわけには行かない。 「CloseUp(詳しい国家情報)」でタイを確認する。

[screenshot]

 この状況は、アメリカにとって有利に見える。 タイはアメリカと親しい関係であり、ソ連とは冷たい関係である。 アメリカとタイとの条約関係は強固であり、タイはアメリカの弱い勢力圏にある。 この状況はパキスタンの状況よりも有利であるが、完全に安心はできない。 ソ連がフィリピンにおいて強固に妥協しなかったのは、アメリカの信念を試していたのだと考える。 今回もその信念を見せれば、ソ連は引き下がるだろう。 ソ連に対して挑戦する事に決めた。 すると、危機がデフコン3に至るまでにソ連は引き下がった。 再度の幸運によって得点が56へと増加し、ソ連を脅かす事となった。

 ソ連の行動を確認していくと、外交戦争の様相を呈してきた。 アメリカの友好国に対して、ソ連が様々な条約締結を試みている事を確認した。 そういった行動に対して逐一挑戦すると、ソ連はわずかな不平と抵抗を見せただけで引き下がった。 それぞれの挑戦に対して、少しずつ得点を得た。 これらの問題が解決した時、得点は75ポイントに増加していた。 これは「バランス・オブ・パワー」における、最良の得点獲得方法である。 軍事危機に突入しなければ、戦争が始まる危険性もない。 戦争の危険性がない状況で、少しずつ得点を稼ぐ事ができるのである。

 小さな危機として、ソ連によるチリ・ホンジュラスへの武器輸出があったが、簡単に勝つ事ができた。 なぜなら、ラテンアメリカは確固たるアメリカの勢力圏に入っているからである。 その後、ニカラグアに対するソ連の経済援助に挑戦した。 この挑戦には危険が伴った。 ニカラグアは勢力圏が不明瞭な地域だからである。 ニカラグアは歴史的にアメリカの勢力圏にあるが、マルクス主義者が支配したここ7年間は、 ソ連に対して要求を出し続けるだけであった。 危機はデフコン3までエスカレートした後、ソ連が引き下がった。 このエスカレートは危険であった。 ニカラグアは核戦争の危険を犯すほどの価値を持っていない。 危機は去ったが、この危機は以前の危機よりも重要であった。 今後、さらに注意深く行動せねばなるまい。

 次のニュース項目は、自分自身の決心を試す良い機会であった。 ソ連がスーダンの反政府勢力である、アニャニャに武器を供与したのである。 「CloseUp(詳しい国家情報)」でスーダンを確認する。

[screenshot]

 これは見過ごせない状況である。 スーダンはアメリカと親しいからだからだ。 とはいえ、まず威信値に注目しなければならない。 威信値はアメリカにとって1ポイントであり、ソ連にとっては-2ポイントである。 また、威信値がとりうる最大値は、たった10ポイントしかない。 この国において戦う価値はないのである。 さらに、スーダンにおけるアメリカの外交的影響力は弱い。 アメリカはスーダンと通商条約を締結しているが、スーダンはソ連の弱い勢力圏にある。 これは曖昧な状況であり、戦争の原因となりうる。 スーダンにおけるソ連の行動に関して、対立は避ける事にした。

 後日談:この判断は誤りだったかもしれない。 スーダンは確かにソ連の弱い勢力圏にあったが、簡単に諦める必要はなかった。 スーダンと友好関係を結ぶために、少額の経済援助を送り、その後、少額の軍事援助を送る事もできた。 こういった友好的な表現は穏健であり、おそらくソ連も意に介さなかったはずである。 スーダンとアメリカは親しい関係であり、より強い条約を締結できる可能性もあった。 そして、その強い条約は、ソ連の挑戦に対抗するための堅固な基礎となり得た。 勢力圏は重要であるが、条約関係もまた同様なのである。 援助を段階的に引き上げていく手法を「関係の構築」と呼んでいる。 これは他の超大国の影響力を弱める事ができる、重要な手法である。

 次に、モザンビークにおいてソ連の重要な行動を発見した。

[screenshot]

 モザンビークには強固な反共産主義を掲げる右翼政権があり、ソ連はその政権を転覆させようと画策している。 ソ連は反政府勢力に武器を供与し、政府を不安定化させ、最も腹立たしい事に、5,000人の軍隊を派遣してゲリラを支援している。 何とかしてモザンビーク政府を救援したいが、それには三つの懸案事項がある。 一つ目は、モザンビークがソ連の強い勢力圏にある点である。 二つ目は、干渉するにあたって、何の条約関係も持っていない点である。 三つ目は、モザンビークがたった3ポイントの威信値しか持ち合わせていない点である。 これでは対立する価値がない。 ソ連の好きにさせる事にする。

 ソ連が興味を見せた他の国は、インドネシアであった。

[screenshot]

 インドネシアは72ポイントもの威信値を持つ、重要な国である。 さらにインドネシアとアメリカは親しい関係であり、ソ連とは冷たい。 またアメリカとは通商条約を締結しているが、ソ連とは何の条約も締結していない。 ただし、インドネシアはソ連の弱い勢力圏にある。 この状況は明瞭さに欠ける。 したがって、ソ連の行動に対して挑戦しない事にした。 その代わり、後のターンにていくらかの援助を送る事とする。

 他にも、ソ連は言及するに値しない多くの行動を起こした。 また、私は東側各国で行われたほとんど全ての行動を無視した。 仮にソ連が東ドイツへ軍隊を派遣し、挑戦しても、得点を全く得られないであろう。 なぜなら、勝てないからである。

 ソ連の行動を全て確認し、必要に応じて挑戦を行った。 次の章へ進む前に、私の戦略のポイントについて説明したいと思う。 自分が優勢である地域では、私はソ連に対して断固たる挑戦を行った。 例えばフィリピンである。 そういった地域では、確実に勝利する事が可能である。 そして勝利は勢いを作り、パキスタンのような劣勢な場所での勝利を導いた。 勝利は次の勝利をお膳立てするのである。 この手法を使う時は、勢力圏が最も強い場所から危機を開始すると良い。 フィリピンはアメリカの外交的腕力を鍛えるには最適の場所である。 また、この手法は勝てない危機を避ける事ができる。 危機での勝利は「好戦度」を増加させ、危機での敗北は「好戦度」を減少させる。 「好戦度」は「冒険度」に影響を与え、「冒険度」は危機においてコンピュータがどのように立ち向かうかという決定に影響する。 これらを総括すると、毎回危機に勝利すれば、次の危機においても簡単に勝利する事ができるようになる。 逆に、毎回危機に敗北すれば、次の危機で勝利する事はさらに難しくなる。

政策決定

 ソ連の政策を確認したので、今度は自分の政策を決定する。 ここで行うべき事は二つある。 それは、必要とされる行動を実施する事と、必要でない行動を実施しない事である。 ソ連が拒絶しそうな政策を決定する事は、賢いとは言えない。 したがって、ソ連が拒絶しない、または拒絶できない挑戦を考えておかなければならない。

 反乱・クーデター・フィンランド化を知るために、地図を確認する。 地図上ではいくつかの国が暗い灰色や灰色で表現されている。 こういった国々には注意が必要である。

 最も最初にすべき事は、フィリピン政府を保護する事である。 ソ連を追い払う事はできたが、未だに現地の反政府勢力が残存している。 フィリピンはアメリカにとって重要な同盟国なので、大規模な軍事支援を行う。 今回は100,000人の軍隊を派遣して直接介入を行い、政府をバックアップする。 これは大規模な介入であるが、フィリピンで発生している内戦を何とか迅速に終結させたい。 内戦終結後は、軍隊を引き上げる事とする。 反政府勢力を叩いて危機を終了させれば、今後ソ連が反政府勢力に援助する事はなくなるであろう。

 インドネシアに軍事援助として100百万ドルを与える。 もっと多額の援助を行いたいが、ここでのアメリカの勢力圏は弱い。 ソ連は明らかに挑戦するであろうが、こっそりと実施したい。

 パナマでも内戦が発生している。 アメリカの裏庭を安全に保つために、100百万ドルの軍事援助と5,000人の軍隊を派遣する。 これは大きくない規模であるが、パナマは小さな国であり、そこの反政府勢力を倒すには十分な規模である。

 「Coup d'etat(クーデターの可能性)」画面によると、南アフリカがクーデターの危険にさらされている。 したがって、南アフリカには1,000百万ドルの経済援助を与える。 楽観はできないが、もしかすると南アフリカの現状を改善できるかもしれない。
 
攻撃的側面として、ニカラグアのコントラに対して100百万ドルの援助を行った。 サンディニスタ政府はしばらく忙しくなるであろう。 これでアメリカの政策決定は終了である。 「Game」メニューから「Next Turn(次のターン)」を選ぶ。

ソ連の反応

 フィリピンにおける介入に関して、ソ連はすぐに挑戦してきた。 これには驚いた。 もう少し小規模の介入であったのならば、ソ連は怒らなかったかもしれない。 この状況は、間違いなく問題である。 もしこの介入で引き下がった場合、共産主義者の新人民軍は、内戦に勝利するであろう。 アメリカはフィリピン政府との友好と、多大な信頼を失う事になる。 これはとても深刻な挑戦である。 引き下がる余裕はない。 強固に立ち向かって、危機をデフコン4へとエスカレートさせた。 ソ連はデフコン3への突入を予期し、ここで引き下がった。

[screenshot]

 これは大きな勝利であり、222点の得点を得た。 「これこそゲームだ。」 私はニヤリとした。 「ソ連がこの災禍から立ち直る事はないだろう。」 しかしながら、その後ソ連はインドネシアへの軍事援助に対して挑戦する。 危機はデフコン4へとエスカレートした。

[screenshot]

 今回は引き下がる事に決めた。 アメリカの外交的位置付けはさほど強くなく、かつ、ソ連の文言は強い。 「Such behavior impels our government to respond with strong measures. (そのような振る舞いに対して、我々の政府は強い手段を持って答える。)」 この文言は、以前ソ連が引き下がった時と異なる文言である。 これは軍事力を用いた、疑いようのない脅しだ。(「strong measures(強い手段)」) 今回のソ連はブラフではないであろう。 引き下がり、20点を失った。 ただ、まだ余裕はある。

 ソ連は他の件についても挑戦した。 そのうちの一つが、南アフリカに対する経済援助である。

[screenshot]

 ここでソ連は再度「strong measures(強い手段)」という文言を用いた。 アドバイザリは、アメリカの政策における関心は筋が通っており、ソ連の関心は低いと感じている。 この提言を受け止めるのならば、強固な態度に出なければならない。 だが、懸念される決定的な要素は、このリスクにおける威信値の量である。 今回かけられた威信値は、たった4ポイントしかない。 4ポイントのために偶発的核戦争の危険を犯す事は本意ではない。 さらに、南アフリカ政府は多くの問題を抱えているようにも見えない。 今回は引き下がる事にする。

 ソ連はパナマへの軍事介入に関して挑戦し、攻勢を続ける。 この件について強固な態度で応じると、ソ連はすぐに引き下がった。 他の挑戦は、ニカラグアのコントラに対する挑戦であった。 この挑戦に対し、アメリカは引き下がる。 コントラから手を引く事は、ニカラグアから手を引く事と同意である。 最後にソ連はパナマに対する軍事援助に関して挑戦したが、これを黙殺した。

ターン1の総括

 このターンは、多くの成功を収めたターンであった。 いくつかの危機においてソ連に立ち向かい、友好国であるフィリピン・パキスタン・パナマ・タイを守った。 ニカラグアに対する支援は失敗した。 コントラに対する支援について、引き下がったからだ。 その一方、ソ連とニカラグアの条約締結に関しては食い止めた。 明確な敗北は、インドネシアと南アフリカにおける危機であった。 南アフリカの現状は、アメリカにとって厄介事である。 南アフリカ政府が直ちに危険に直面する事はないが、南アフリカで引き下がった事実は、ソ連を勇気付けるであろう。 今後、南アフリカで基盤固めをしなければならない。 引き下がった事は、失敗であった。

 一つを除いて、ターン1は上出来であった。ターン2へと進む。

ターン2: 1987

 ターン2で起こった出来事(Major Events)は、私を驚かせた。

[screenshot]

 まず驚いたのは、一年間で多くの革命が発生した事だ。 10カ国で革命が発生したが、そのほとんどがアフリカでの革命であった。 ほとんどの小国は世界における力の均衡に影響を及ぼさないが、インドネシアの喪失は大きな影響を与えるであろう。 インドでは革命以上の驚きがあった。 前のターンにおけるインドはテロリズムの状態だったが、それが一年で内戦へと発展したのだ。 これには大変驚いた。 インドの情報を「CloseUp(詳しい国家情報)」で確認する。

[screenshot]

 この状況に関して、アメリカは迅速な対応が求められる。 インドネシアは親米政権であり、発展中の反政府勢力にさらされているのだ。 覇権を拡大するために、ソ連は反政府勢力を援助し、政府の不安定化を試みている。 インドネシア政府の支援を決心するが、この地域がソ連の勢力圏に入っている事が気にかかる。 少数の軍事援助と経済援助により、まずは足がかりを築く事を選んだ。 これらがソ連の挑戦をくぐり抜ける事ができたのならば、来年はその量を増やす事にする。

ソ連の行動

 次に、今年実施されたソ連の行動を確認する。 「ソ連の行動」フォルダに最初に現れた項目は、衝撃的な内容であった。 ソ連が100,000人の兵士と共にイランへ侵攻したのである。 過去の危機における対応が甘かったため、ソ連を制止する事ができなかったのだ。 すぐにイランの情報を「CloseUp(詳しい国家情報)」で確認したが、状況は絶望的であった。

[screenshot]

 イラン政府は、ソ連よりさらにアメリカを嫌っている(これはすぐに変更されるだろうが)。 アメリカはイラン政府を助けるための外交関係や条約を持ち合わせていない。 むしろ、反政府勢力への支援として20百万ドルを支払っている。 言い換えれば、ソ連とアメリカは同じ立場にいるのだ。 どうすればソ連を説得できるだろうか。 ソ連の侵攻に対して、強固に反対すればよいのだろうか。 アメリカはソ連の侵攻に反対するための道理を持ち合わせていないのである。 イランを諦め、ソ連に譲らなければならない。 イランは205点の威信値を持っており、大きな損失となった。

 次のソ連の行動も、同様の驚きがあった。 ソ連が韓国へ侵攻したのである。 今回も「CloseUp(詳しい国家情報)」で確認しなければならない。 アメリカは韓国と親密であり、その歴史は長い。 また、韓国政府とは相互防衛条約を締結している。 アメリカは韓国を守るために一度戦争を経験しており、それを繰り返してはならない。 この危機は極めて重大であるが、幸運な事に、ソ連はすぐに引き下がった。

 ソ連が起こした一連の小さな危機に関して、挑戦するまでもなくソ連は引き下がった。 パキスタンにおける不安定化の試みに関しても、ソ連は迅速に引き下がった。 驚いた事に、南アフリカの不安定化に対する挑戦に関して、ソ連は了承した。 前のターンにおける南アフリカに関する行動は、誤りだったのかもしれない。 将来的に、この件に関して主張を強める事ができるであろう。 今回獲得する事ができた最多得点は、この危機からの威信値であった。 この危機により、威信値は220点から371点へと跳ね上がった。 一つの危機で、150点を獲得したのである。 これは南アフリカでの損失を取り戻し、ソ連の勢力圏内で有効な一撃を与えた。 この一撃により、ソ連はよろめいて、撤退したように見える。 他の出来事においても、主導権を握る事ができた。

 ソ連はチリ・トルコ・フィリピン・ギリシャ・メキシコに対する不安定化でも引き下がった。 一方でソ連はジンバブエ・チュニジア・タンザニアへ派兵した。 これらは暴力的行為であるが、見逃す事にした。 たった数ポイントの価値のために、危険を犯す必要があるだろうか?

 「Insurgency(反政府勢力の動向)」画面を確認する。 フィリピン・パナマにおける介入は、満足できる状況にある。 軍隊を引き上げる事もできるが、他の地域で必要になるまでは駐留させる事にする。 内戦は終結しているが、状況の劇的な変化に備えるためである。 また、ペルーで小規模なゲリラ戦が発生している事がわかった。 予防的措置として、少額の軍事援助をペルーへ送る事にする。 この軍事援助により、反政府勢力の発展を防ぐ事ができるであろう。

 「Coup d'etat(クーデターの可能性)」画面を確認したが、世界は安定しているようだ。 クーデターが発生している政府は、エチオピアだけである。 「CloseUp(詳しい国家情報)」で確認し、この政府を見捨てる事に決めた。

[screenshot]

 ソ連はエチオピアを完全に手中に収めている。 また、エチオピアはソ連のとても強い勢力圏にある。 恥ずべき事態であるが、アメリカはエチオピアから26点の威信値を獲得し、ソ連は38点を失った。 この事態を終結させたいが、ソ連との対立なしで介入する事は難しいであろう。 残念である。

 フィリピンはクーデターに対して脆弱に見える。 よって、経済援助を増額する。 経済状況がクーデターを決定する要因となるからである。 その他、世界は落ち着いているように見える。 「Likelihood of Finlandizing(フィンランド化傾向)」画面に、特筆すべき点はない。 ターン3へと進む事にする。

ターン2: ソ連の反応と総括

 ソ連は二つの議題においてのみ挑戦した。 その議題とは、インドに対する軍事・経済援助である。 アメリカはこれら両方の議題について引き下がった。 本来の戦略的関心事について集中する事にする。

 このターンは静かなターンであった。 好調な立ち上がりであり、大きな危機もなかった。 両陣営共に様子を見ているようである。 私はアフリカにおけるソ連の主導権を認める事にした。(ただし、エジプト・モロッコ・南アフリカを除く) 逆に、ソ連はフィリピン・南アフリカにおけるアメリカの自由な行動を認めているように見える。 アフリカとイランにおけるソ連の侵攻を除いて、世界は落ち着いているようだ。 これは歓迎すべきである。 なぜなら、戦争は私にとって失敗であるからだ。 私の主要な目的は、大きな対立を避ける事である。

ターン3: 1988

 ターン3になってアメリカの得点が380点へと急激に伸び、ソ連の得点は-323点に落ちた。 ただ、今年の「Major Events(主な出来事)」画面には、いくつかのフィンランド化とインドでの革命しか表示されていない。 何が起こっているのか、「Minor Country News(その他の国のニュース)」を確認した。 それによると、フィンランド化が甚大な影響を与えていた。 ソ連の侵攻と危機における両超大国間のやりとりは、世界の指導者達を震え上がらせた。 これにより、指導者達は両超大国に帰属していない国々との違いを急いで見せたのだった。 キューバとインドネシアはアメリカへフィンランド化を起こし、アフガニスタンはソ連へとフィンランド化を起こした。 ケニア・タンザニア・ジンバブエ・メキシコといった有力な小国がアメリカへフィンランド化を起こし、得点の向上へ貢献した。 これらの国々に対して、主導権を発揮しても良いであろう。

 「Insurgency(反政府勢力の動向)」画面を確認すると、ソ連によるアフリカ侵攻が暴力的政治の波を引き起こしているようだ。

[screenshot]

 ソ連は中央アフリカにおいて新しい勢力圏を作ろうと攻勢を仕掛けているが、ベトナムのようには成功していないようだ。 ここに巻き込まれなかった事は幸運だったかもしれない。 イランでは驚くべき出来事があった。 反政府勢力を支援するために、ソ連が100,000人の軍隊を派遣したのである。 イランでは頻繁に問題が起こるようだ。

 「Coup d'etat(クーデターの可能性)」画面によると、トルコ・パキスタン・南アフリカにてクーデターの危機が差し迫っている。 したがって、トルコ・パキスタンの両国に対して積極的な経済援助を行う事にした。 ただ、南アフリカへの経済援助は減額した。 ソ連の挑戦を跳ねつける事ができるか、確実ではなかったからである。 これらの国に対する援助金を引き出すために、エジプト・イスラエルに対する援助を中断した。 この両国は喫緊の援助を必要としていない。

 次のページに掲載しているフィンランド化表から、世界が超大国の冒険主義に対して緊張している事を読み取る事ができる。

[screenshot]

[screenshot]

 これらの問題に対しては、まだ何の行動もとっていない。 また、ソ連の友好国に対する外交的圧力に関して、ソ連はまだ挑戦していない。

 ターン3におけるソ連の行動を確認したが、ソ連はたった4つの危機の引き金を作っただけであった。 ソ連は南アフリカへの不安定化を試みたが、アメリカの迅速な反応を引き起こし、同じく迅速に引き下がった。 またソ連によるニカラグアへの経済・軍事援助を阻止した。 これにより、軍事危機に突入する事なく1ダース程度の得点を獲得した。 パナマでも反政府勢力に対する武器の供給を阻止し、ソ連はすぐに引き下がった。 さらに、私はアフリカと東ヨーロッパで暴動を煽った。 これらの行動は、あまり褒められた行動ではないであろう。

 他に実施した政策は、スウェーデンへの軍事援助であった。 スウェーデンがソ連へのフィンランド化傾向を見せたためである。 武器を供与する事により、スウェーデンとの信頼関係を継続する事ができるであろう。

ターン3: ソ連の反応と総括

 クレムリンは一つの問題についてのみ挑戦してきた。 その問題とは、南アフリカに対する経済援助である。 私がこの挑戦を拒絶するとソ連は引き下がり、その過程においてソ連は30点を失った。 これにより、南アフリカに対して揺るぎない勢力圏を構築する事に成功した。

 このターンは、前のターンよりさらに静かであった。 私が希望した通りの良き展開である。 私の誘導により、最後は良き友人を失うか、核戦争のリスクを取るか、という状況となった。 良き友人を失うとは、大量の威信値を失う事と同意である。 これまでのところ、ソ連は私の誘導に導かれているようにみえる。

ターン4: 1989

 このターンにはとても多くの出来事が起こった。

[screenshot]

 最も注視すべき二つの出来事は、フィンランド化である。 イランがついにソ連へとフィンランド化を起こし、ソ連に対して51点の得点を与えた。 そして、その間に北朝鮮がアメリカへフィンランド化を起こし、47点の得点を得た。 これにより、双方とも二つの行動がキャンセルとなった。 危機におけるソ連に対するアメリカの好戦性が、北朝鮮に影響を与えたようだ。 ソ連の影響圏内にいながらも、北朝鮮はアメリカと強い関係を築いて安全を保証している。

 アフリカで様々な革命が起こった。 その多くはソ連に反抗するものであり、アメリカにとって有益であった。 ただし、エチオピアでの革命は別である。 エチオピア政府はアメリカと親しかったからだ。 また、クレムリンは中央アフリカで泥沼にはまったように見える。 そこから自力で這い上がる事は難しいであろう。 長期間に渡る調査はソ連が抱える問題の根源を明らかにした。 内戦でソ連が勝利してすぐに、自身の軍隊を撤収させたのだ。 アフリカの国々は多くの内戦による暴力にさらされており、自分達だけでそこから簡単に抜けだす方法を見いだせない。 早すぎる軍隊の撤収は、内戦を再度引き起こす。 ソ連は再度の派兵を強いられるであろう。 短期間で集中的に派兵する事ができるのならば、ソ連はアフリカに安定をもたらす事が可能である。 しかし、ソ連は多くの兵士を世界中に派兵しており、一箇所に集中させる事は難しい。 代替案として、複数の危険な地域に対して転々と派兵しなければならないであろう。 ソ連は覇権を広げすぎており、それに応じたコストも支払わなければならない。

 他にはインドで内戦が始まった。 このチャンスを活かして主導権を取るために、反政府勢力に対して少額の軍事援助を行った。 メキシコ・ペルー・南アフリカでは経済問題が起こったので、経済援助を増額した。 フィンランド化に関しては、現在沈静化しているように見える。

 ソ連の行動に関しては、三つだけ気になった。 それは、南アフリカに対する継続的な不安定化と、ニカラグアに対する軍事・経済援助である。 これらに対して挑戦すると、ソ連は抗議する事なく引き下がった。

 ニカラグアの共産主義者を断絶させる時が来たようだ。 アメリカの影響圏も確立したので、コントラに対して100百万ドルの武器を供与する。 ソ連がこの動きを阻止する事ができるか、見ものである。

ターン4: ソ連の反応と総括

 ソ連はインドの反政府勢力に対する援助に対して挑戦した。 この挑戦に対して最初は拒絶したが、ソ連が真剣である事が分かったため、引き下がった。 これにより33点を失った。 また、ソ連は南アフリカに対する経済援助にも挑戦した。 こちらはソ連が引き下がり、2点を失った。 もっと重要な事に、ソ連はニカラグアに関して何の不平も言わなかった。

 私は現在の状況に関して満足している。 現在ソ連に対して大きくリードしているため、後はこのままゲームを終えるだけである。 ただし、まだいくつかチャンスがある。 攻勢をかけても安全な地域があれば、さらに攻勢をかける。

ターン5: 1990

 ターン5になり、スコアは534対-352となった。 私はこの得点差に満足している。 ゲームは半ばを過ぎ、得点は大きくリードした。 重大なイベントが起こっても、関心を払わなくて済むであろう。

[screenshot]

 インドでの革命はアメリカに有利に働いた。 インドを開国させる事は価値があるようだ。 新しい政府と外交条約を締結するという、罪なき行動を起こす事にしよう。 クレムリンはこの暴力的ではない行為に反対しないはずである。 念のため、「CloseUp(詳しい国家情報)」でインドを確認する。 すると、次のページのような情報を得る事ができた。

[screenshot]

 これは上出来である。 全ての項目・行動においてソ連は以前より嫌われており、インドにおけるアメリカの存在感を向上させる事に貢献している。 (3ターン前、インドはアメリカに6点をもたらし、ソ連には-22点をもたらしている。現在の価値は、アメリカ26点・ソ連-44点である。) これはインドに対する援助を除外して達成された。 アメリカが多くの危機に勝利したため、状況が大いに改善したのだ。 ソ連はインドにおける状況の推移において、もがき苦しんでいるであろう。 インドにおけるアメリカの存在感は上々だ。 インドはいまだにややソ連よりの勢力圏内にあるが、もう少しでソ連の勢力圏から脱する事ができるであろう。 インドと条約締結を行う事にする。

[screenshot]

 「Insurgency(反政府勢力の動向)」画面に興味を引く情報があった。 ペルーが反政府勢力に苦しんでいるので、軍事援助を増額する。 アフリカではいまだに少数のゲリラ戦が継続している。 残念ながら、この混乱を止める術を持ち合わせていない。

 ニカラグアに介入する時が来た。 軍事的優位を確立するため、ホンジュラスに5,000人の兵士を駐留させた。 その後、コントラを支援するために5,000人の兵士を派遣した。 ソ連がどのような反応を見せるか、観察する。

 次にソ連の行動を確認する。 ソ連は以前と同じような行動を行っているようだ。 ソ連は依然として南アフリカに対する不安定化を試みている。 これに関しては、厳しい警告を送った。 またソ連がニカラグアに対する軍事・経済援助を行って抵抗を試みたが、結局敗れ、ソ連は11点を失った。

ターン5: ソ連の反応と総括

 大きな過ちについて最初に言及する。 ソ連がインドとの条約締結に挑戦してきたので、ソ連の度胸を試してみる事にした。 すると突然124点もの威信値がかけられる事となり、さらに、ソ連が強気の文言を使ってきた。 これはゲームオーバーになりうる典型的な状況である。 私は断固とした態度を取るという魅力に駆られたが、それは大量の点数を失う事になりかねない。 ロシア人を見下して勝てるだろうか? こういった状況で冷静かつ論理的である事は難しい。 引き下がるという選択肢もある。 危機をエスカレートさせる事によってソ連を脅迫するという考えは、破滅をもたらす。 ソ連が引き下がるとは考えられない。 そうなると、取るべき手段は一つしかない。 もし私が正しく、勝利するのならば、それは単なる勝利ではなく、栄光と共に勝利しなければならない。 もし私が誤っており、危機において敗北するのならば、それはゲームオーバーになる事を意味する。 これは価値ではなく、単なるリスクである。 私は引き下がり、124点を喪失しなければならない。 私は冒険心に負けてしまったのだ。 インドからは手を引かなければならないだろう。

 ソ連は南アフリカに対する経済援助にも挑戦した。 先ほどインドでの喪失を経験している。 ここは引き下がるしかないと判断し、迅速に撤退した。

 ターン5は良いターンであった。 インドでの失敗を除けば、であるが。 原因を同じくする二つのミスがあり、そこから逃れる方法を探った。 最初のミスはインドと外交条約を締結しようという試みである。 この試みは致命的ではなかった。 重要ではない政策だった事もあり、挑戦を受けた段階でいつでも引き下がる事ができた。 二番目のミスは致命的であった。 そのミスとは、挑戦によってクレムリンの度胸を試すという、好戦的な決定である。 前回もあったが、今回は引き下がる事によるコストがあまりにも高かった。 (今回の危機におけるコストがあまりも高くなった理由は、後ほど説明する。) もしその決定に対していつも通り注意深くあったのならば、そのような混乱は起こらなかったであろう。 「バランス・オブ・パワー」はミスを許さないゲームであり、一つのミスで多大な損失を発生させるのである。

ターン6: 1991

 ターン6は悪いニュースから始まった。 インドの危機におけるミスにも関わらず、アメリカの得点はわずかに回復した。 一方で、ソ連の得点は-106点へと跳ね上がった。 その後何度か行動を起こすと、得点は545対-365から、444対-103となった。 アメリカの得点は910点から545点へと減少したのである。

 何を誤ったのか、調査する。 「Minor Country News(その他の国のニュース)」を確認すると、問題がすぐに判明した。 イランがソ連へと再度フィンランド化を起こし、ソ連に対して51点を与え、アメリカに対して同じ点数の損害を与えた。 またエチオピアでの革命が親アメリカ政府を倒し、ソ連に54点を与えた。 革命は他にもあり、それらによってクレムリンは25点以上を得た。 ソ連は1ターンで130点を獲得した事になる。 私は自分の独善的な得点獲得方法がミスにつながったと考え始めた。

 様々な国勢情報画面は、ちょっとした行動や得点向上のチャンスを教えてくれる。 いくつかの小さなゲリラ戦が進行中であるが、大きなチャンスは無さそうである。 トルコと南アフリカは、クーデーターによる問題を抱えているように見える。 それ以外は静かである。

 ソ連は奇妙な動きを何もしていないようである。 ソ連の行動画面によると、軍隊のよくある割り当て変更と、東側諸国への武器供与を行っただけだ。 ニカラグアへの軍隊の派遣を除けば、アメリカの興味を引くような動きはない。 ソ連は諦める事を知らないようだ。 この派兵には挑戦し、引き下がらせた。

 アメリカの行動として、インドネシアへの介入を決定した。 ゲーム初期においては、インドネシアへの援助に対して脅迫を受けた。 しかしいつからかその脅迫がなくなったので、運を試す事にしたのである。 もし今回挑戦を受けた時、引き下がる事について、いつも以上に慎重に熟考しなければならない。 最初の第一歩は、インドネシアとの外交関係の締結である。 ソ連がいかに反応するか、見てみる事にする。

 その他、絶望的な状況に置かれているトルコ政府を救うために、軍隊を増派した。 また、南アフリカに対する経済援助も増額した。

ターン6: ソ連の反応と総括

 ソ連はインドネシアとの新しい条約締結に対して挑戦しなかった。 これこそ私が待ち望んでいた状況である。

 私はこのゲームにおいて主導権を取り戻そうとはしなかった。 様々な出来事に対して口を挟んだだけである。 クレムリンは世界における脆弱な政権から効果的にアメリカを追い出した。 インドネシアにおける優位性の確保については引き続き努力するが、イラン・インド・アフリカについても何とかしたいものである。

ターン7: 1992

 ターン7になり、ソ連がアメリカのリードに追いついてきた。 現在の得点は493対-68であり、アメリカのリードは561点となった。 なぜこうなったのか、「Major Events(主な出来事)」画面で確認する。

[screenshot]

 クーデターがメキシコとトルコで発生したが、それらはアメリカの得点に寄与しなかった。 またイランは再度ソ連に対してフィンランド化を起こした。 明るいニュースは、ニカラグアにおけるコントラの勝利のみである。 「Minor Country News(その他の国のニュース)」を確認すると、全部で9点を獲得できたようである。

 ソ連はイランにおける終わりなき戦争に辛抱できず、最大である500,000人の軍隊を派遣した。 今までイランはソ連に対して何度もフィンランド化を起こしており、 また、ソ連はイランで優位性を保つために定期的に介入を行ってきた。 しかし、今回のソ連の介入拡大は言語道断であり、無益である。 イランにおける明らかな征服に対して、静かに監視しなければならない。 他にもソ連は積極的に活動しており、アフリカの友好国に対して大量の武器を供与している。 アフリカは広大な戦場となるであろう。

 インドネシアに対する影響力の強化を模索する事にする。 「CloseUp(詳しい国家情報)」画面は興味深い情報を示した。

[screenshot]

 政府はアメリカと親しい。この状況を改善する事は難しいであろう。 さらに政府は左翼政府である。 この政府を転覆させる事ができたのならば、ソ連のスコアは大きく減少するだろう。 反政府勢力の勢いは強くないが、二つの弱点がある。 一つ目は、政府が脆弱で急激に弱体化している点である。 クーデターの発生が近いだろう。 不安定化を試みれば、弱体化は加速するはずである。 もちろん、経済援助を送って政府を救い、英雄になる事もできる。 また他の可能性として、アメリカに対してフィンランド化を起こす事もあり得る。 そのためには、わずかな外交的圧力をかけると良いであろう。

 問題は影響圏が「Slightly USSR(わずかにソ連より)」である点である。 行動を起こしたところで、ソ連の挑戦によって阻止されるかもしれない。 インドネシアに対する介入を正当化する、何らかの方法が必要である。 インドネシアとはより良い条約を締結しなければならない。 ここで二段階に分けた戦略を取る事にした。 最初にインドネシアと貿易関係を締結する。 次にわずかな外交的圧力をかける。

[screenshot]

 第二の戦略にはリスクがある。 しかしゲーム終了ターンが近づいている事もあり、時間がない。

 またペルーに対しても幾らかの経済援助を与えなければならない。

ターン7: ソ連の反応と総括

 ソ連はいくつかのアメリカの行動に対して挑戦し、再度失敗した。 ゲームはもうすぐ終了ターンである。 現在の主要な問題は、愚かな行いをせず、わずかな修正で得点を得る事である。

ターン8: 1993

 良くない状況が続いている。 幸運にも得点が増加したが、ソ連の増加率のほうが高かった。 アメリカとソ連の得点は、今や537対178である。 ターン8はゲームの最終ターンであり、ソ連が追い上げているように見える。 アメリカは大きくリードしていたが、その差はかなり縮まった。 現在の良くない世界情勢は、こうである。

[screenshot]

 イランにおけるソ連の野蛮な介入は成功し、イランはソ連の衛星国となった。 アヤトラ・ホメイニ師の政府がアメリカを憎んでいた事もあり、わずかな威信値を得る事ができた。 その一方、ソ連は267点もの得点を得た。 この年、知るに値する出来事はその件だけであった。 その他に関して、世界は静かだった。 アフリカは落ち着いたように見える。 ソ連の行動に関して、挑戦できるものは存在しなかった。 唯一気になったのが、インドネシア政府に対する不安定化であった。 これはソ連にとってチャンスであったが、ソ連は挑戦せず、ゲームは終了した。

ゲームの終了

 下記の点において、より良くゲームに勝利する事ができた。

[screenshot]

 591対157という得点は上出来であった。 ゲームの途中まではあまり良くなかったが、最終的には上出来である。 最終的な「Major Events(主な出来事)」画面は次の通りである。

[screenshot]

 この画面における最も重要な三つの出来事は、エチオピア・インドネシア・南アフリカでのクーデターである。 南アフリカでのクーデターを除けば、これらはアメリカにとって有利に働いた。 最後のターンにおけるアメリカの状況を改善してくれたのである。

歴史の分析

 ゲームの分析を行う前に、いくつかの国において個別の「History(状況の推移)」を確認したほうが有意義であろう。 これにより、ゲーム中触れられなかった重要な出来事に着目する事ができる。

 まずエチオピアから始める。

[screenshot]

 これは私が「バランス・オブ・パワー」で見た中で、最も紆余曲折があり、かつ、興味深い状況の推移表である。 エチオピアはソ連と親しい左翼政府として始まった。 (Insurgcy(反政府勢力の動向)グラフの左端にある小さくて黒い四角形は、ゲーム開始時に左翼政府であった事を意味する。) その後いくつかの革命とクーデターが発生した。 革命はInsurgcy(反政府勢力の動向)グラフにおいて二重の縦線で表示され、 クーデターはStabilty(政権の安定度)グラフにおいて二重の縦線で表示される。 政府は左翼と右翼を四回も行ったり来たりした。 これはInsurgcy(反政府勢力の動向)グラフにおいて、黒と白の四角形が交互に表示されている事から判別できる。 ソ連はポットの中のお湯が冷めないように手出しして、混乱を保っていた。 だが、一方が勝利するほどの十分な援助はなかった。 最初の革命は1986年から1987年にかけて起こり、アメリカと密接な政府が誕生した。 しかしこの政府は1987年から1988年のクーデターで弱体化し、1990年から1991年の革命によってひっくり返された。 最後の革命は1993年から1994に起こった。 この革命によって、さらに密接な親アメリカ政府が力づくで誕生した。 ソ連はエチオピア政府に介入したが、これにより、エチオピア政府は最終的にゲーム開始時よりもさらにアメリカと密接な関係となった。 この事実はDip Reln(親密度)グラフが物語っている。

 ソ連による介入効果の少なさは、インドでも見る事ができる。 次のページを確認する事。

[screenshot]

 ゲーム開始時におけるインド政府は、わずかにソ連よりであった。 しかし急激な革命によって親アメリカ政府が誕生した。 ソ連は反政府勢力に対して武器を供給し、政府の不安定化を試みた。 これによって政府はすぐに転覆し、力づくで左翼政府が誕生した。 武器供与の拡大に関わらず、1989年から1990年に、この左翼政府は強力な親アメリカ政府によって転覆した。 その後1990年に介入を受けたが、新政府は安定化した。 ソ連はインドに対して更なる派兵を希望していたと考える。 ただ、ソ連は覇権を拡大し過ぎており、派遣可能な兵士を持っていなかった。

 1991年に、インドへの条約締結の試みによって、多くの威信値を失う事となった。 この事実は下段右にあるInsecrty(危険度)グラフを見ると分かる。 インドの反政府勢力は1991年にピークに達した。 これは恐らく1990年におけるソ連の介入が原因であろう。 このInsecurity(危険度)グラフは、プログラム内で動いている「軍事圧力値」を表現している。 「軍事圧力値」とは政府が軍事予算を増額しなければならないと考えている度合いである。 ソ連の介入が起こり、「軍事圧力値」は条約締結を押し付ける「傷」の計算に使用された。 こういった「傷」は、常にネガティブである。 従って、インドに対して安全と保証を申し出た。 インドはソ連を脅威と感じていたからだ。 ちょっとした冒険的行動は、インドに対して絶大な影響を与えると考えていた。 この時、インドも安全の必要性を感じていたのであろう。 アメリカは条約による暗黙的な安全保障を提案した。 この行動によるクレムリンの反応を想像する事ができるであろう。 クレムリンはインドを間違いなく手中に収めていると考えているのだ。 これがインドにおける危機が高く付いた理由である。

 次のページで最後に確認するHistory(状況の推移)はイランである。

[screenshot]

 1987年におけるソ連の侵攻はあまり印象的ではなく、イランの軍隊は機能していたように見えた。 それから数年間、反政府勢力は弱いままであった。 真の変革は、フィンランド化である。 イランは戦場では勝利を収めた。 しかし、荒々しい状況で超大国間における緊張が増加し続ける。 そんな中、ソ連がイランに接触する意欲を見せた。 これをきっかけとして、ソ連の関心を買うために、イランの指導者がフィンランド化を起こした。 イランがソ連に起こしたフィンランド化の回数は、三回である。 いずれの場合においてもアメリカとの外交的関係は悪かった。 そして、フィンランド化が起こるたびにソ連との関係は改善された。 ただし、ソ連が軍隊を引き上げると蜜月も終了した。 この状況が大きく変化したのは1992年である。 この年になってクレムリンが500,000人の軍隊をイランに派遣したのだ。 この派遣は1992年から1993年における革命を誘引し、両国の関係は劇的に改善された。 これによってソ連は威信値を得る事となった。

最終分析

 ゲームの中盤から守りの戦略を取った。 それは、安全保障が必要とされる国を保護するという戦略である。 決定的な行動はターン1で行われた。 その後は、自分の獲得した得点をただ守った。 しかし、私の得点はターン2からターン4にかけて増加した。 なぜだろうか?

 これはおそらく、ソ連が自分自身を多すぎる冒険的行動に巻き込んだからであろう。 なおかつ、そういった冒険的行動を解決するための軍事的資源を保有していなかった。 その主要な原因は、危機における度重なる失敗である。 私の守りの戦略は危機において多くの勝利を呼び込み、威信値の減少を防いだ。 これは私の威信値を増加させるものではなかったが、私自身の好戦度は増加させた。 この好戦度の増加により、ターン2からターン4にかけて、アメリカへのフィンランド化が増加した。 ソ連は当初よりアフリカへの影響力拡大を決めていたが、ソ連の同盟国は突然動揺させられた。 ゲーム中に何度も東側諸国がアメリカに対してフィンランド化を起こした。 これに対抗するために、クレムリンは軍隊と武器を脅威にさらされている国に送り、同盟を守ろうとした。 不幸にも、アフリカ・インド・イランは自らの野心を実現させるに、こういった軍隊や武器を渇望していた。 ソ連はエチオピア政府に対して十分な武器を供与し、政府転覆を狙う反政府勢力に対抗させようとした。 しかし、実際には右翼を撃退したり、左翼政府を保護するするための十分な武器を供与する事はできなかった。

 アメリカの圧力に対して、ソ連は軍事的資源の不足に陥っていた。 しかしゲーム中盤にアメリカからの圧力が緩和されると、ソ連といくつかの衝突が起こった。 ある程度得点差が開いた所で手を緩めたつもりであったが、実際はソ連の同盟国に対して圧力をかけていたようだ。 ソ連は自らの利益を固めるために、より多くの軍事的資源を使うようになった。 これにより、1991年にはエチオピアに対する巨額の武器供与、1992年にはイランに対する大規模な侵略を招いた。 ソ連によるこの自由な振る舞いの影響は、得点表示に現れている。 1989年から1990年以降、ソ連の得点は急激に上がった。

 私はいくつかのミスを犯した。 ゲーム中盤であっても、圧力をかけ続ける必要があった事は明らかだった。 その圧力によって、ソ連が非常手段を用いたかどうかは定かではないが。 インドネシアに対する主導権は、迅速に確保しなければならなかった。 可能な限り、何らかの行動を迅速に起こさなければならないという意味では、イランも同様である。 イランに対して救済の手を差し伸べれば、救世主となれるであろう。 最後に、ゲーム開始時にアフリカを簡単に手放すべきではなかった。 これにより、ソ連は大きな優位性を得る事となった。 最初にアフリカを手放さなければ、ケニヤとタンザニアで優位に立てたかもしれない。 この地域において、長期的な戦略を立てていなかった。

参考文献

 ゲームを制作するにおいて、多くの調査を施した。 しかし、この本には更なる調査が必要であった。 ゲームをプレイするにあたって、これらの参考文献は役に立つであろう。 また参考文献には多くの知識が含まれている。 それを読めば、この本に記載されていない知識も得る事ができる。

現代社会における問題

Boyd, Andrew. ’An Atlas of World Affairs’. 7th ed. London and New York: Methuen, 1983.
この本は、政治的問題についての議論と、それがいかに国際社会に影響するかについて、各地域毎に記述している。 Dunniganの著作ほどではないが、参考になる。

Chant, Christopher, and Hogg, Ian. ’Nuclear War in the 1980’s’ New York: Harper and Row, 1983.
この本にはロケット・銃・航空機に関する多くの写真が掲載されており、核戦争の基本的なメカニズムも説明されている。 テキストも一ページにまとめられているため、青少年に最適である。

Council on Environmental Quality. ’The Global 2000 Report to the President’. New York: Penguin Books, 1982.
この本には、減少していく資源に関するデータがたくさん掲載されている。

Dunnigan, James F. ’How to Make War’. New York: Morrow, 1982.
近代戦争のメカニズムについて記載された、素晴らしい著作である。

Dunnigan, James F., and Bay, Austin. ’A Quick and Dirty Guide to War’. New York: Morrow, 1985.
サブタイトルは「現状と潜在的な戦争に関する説明」である。 この本には、世界中で進行している戦争に関する情報が記載されている。

Gervasi, Tom. ’America’s War Machine’. New York: Grove Press, 1984.
武器システムにおける全地球規模のカタログである。 強い反戦の意が込められている。

Griffiths, Ieuan. ’An Atlas of African Affairs’. London and New York: Methuen, 1984.
この本はアフリカとその問題について記述している。

Ground Zero. ’What About the Russians - and Nuclear War?’ New York: Pocket Books, 1983.
この本は国民・政府・歴史・心理がいかなる要因となってソ連の核政策に影響を与えるか記述している。

Kaplan, Fred. ’The Wizards of Armageddon’. New York: Simon and Schuster, 1983.
この本は核戦争における戦略を考えた、シンクタンクについて記述している。

Kennan, George F. ’The Nuclear Delusion’. New York: Pantheon, 1982.
ジョージ・フロスト・ケナン『核の迷妄』(佐々木坦・佐々木文子訳社会思想社、1984年)
いくつかの理由により、この本はあまり参考にしていない。

Kidron, Michael, and Segal, Ronald. ’The State of the World Atlas’. New York: Simon and Schuster, 1981.
「The War Atlas」と似ているが、自然の資源・経済・政府・社会に関してさらに一般的な内容が記載されている。

Kidron, Michael, and Smith, Dan. ’The War Atlas’. New York: Simon and Schuster, 1983.
この本には、1980年代の地球上における戦争と平和に関する要素を、40に色分けした地図がある。 優れた図解は難解な要素の理解を進める。 この本は「バランス・オブ・パワー」の地図描写に対してインスピレーションを与えた。 この地図のように、ゲームでも多くの色を使用したかった。

Kissinger, Henry. ’The White House Years’ and ’Years of Upheaval’. Boston: Little, Brown and Company, 1979 and 1982.
ヘンリー・キッシンジャー『キッシンジャー秘録(1-5)』(斎藤彌三郎ほか訳、小学館、1979-1980年)、 『キッシンジャー激動の時代(1-3)』(読売新聞調査研究本部訳、小学館、1982年)
いかなる理由があろうとも、キッシンジャー博士の理念について認めなくてはならないであろう。 この二冊を読む事により、超大国の外交がもたらす作用を知る事ができるであろう。 魅力的な本であり、強く推奨する。

Millar, T.B. ’The East-West Strategic Balance’. Winchester, MA: Allen & Unwin, 1981.
この本は地政学における地域間の分析と超大国の影響について記述している。

Pluto-Maspero Project. ’World View 1982’. Boston: South End Press, 1982.
この本は経済と地政学に関するイヤーブックであり、ヨーロッパにおける左翼について記述している。 アメリカの政治家はこの本を読み、傍らに置いて、騙されないようにしなければならない。

Spector, Leonard S. ’Nuclear Proliferation Today’. New York: Vintage Books, 1984.
この本には核戦争がいかに始まるかを記述している。

Suvorov, Viktor. ’Inside the Soviet Army’. New York: Macmillan, 1982.
ヴィクトル・スヴォーロフ『ザ・ソ連軍』(吉本晋一郎訳、原書房、1983年)
この本には亡命者によって語られたソ連陸軍について記述されている。

学術的分析

Allison, Graham T. ’Essence of Decision: Explaining the Cuban Missile Crisis’. Boston: Little, Brown and Company, 1971.
グレアム・T・アリソン『決定の本質 キューバ・ミサイル危機の分析』(宮里政玄訳、中央公論社、1977年)
論理・政治・キューバ危機へ至る官僚要素とその関係性について分析している。

Bueno de Mesquita, Bruce. ’The War Trap’. New Haven: Yale University Press, 1981.
この本は、理性的な国家が危険な国家によっていかに戦争に巻き込まれるかについて、理論的かつ数学的に記述している。 このような計算式を組み込みたかったが、かなわなかった。

Howard, Michael. ’The Causes of Wars’. Cambridge, MA: Harvard University Press, 1984.
これらのエッセイは歴史家であるThoughtprovokingによって記述されている。 ただし、一般的な読者にとってはやや難解である。

Levy, Jack S. ’War in the Modern Great Power System’. Lexington: University Press of Kentucky, 1983.
直近500年間に行われた19の大きな戦争について、統計的に分析している。 これらの内いくつかの出来事は既に別の解釈が打ち立てられており、いくつかの出来事は記載されているとおりである。

Luttwak, Edward. ’Coup d’Etat: A Practical Handbook.’ 2d ed. Cambridge, MA: Harvard University Press, 1979.
エドワード・ルトワック『クーデター入門 その攻防の技術』(遠藤浩訳、徳間書店、1979年)
近代クーデターにおける戦略と戦術について学術的に分析した、ハンドブック形式の本である。 少なくとも一つは、不成功に終わった実在の計画を用いているようだ。

Pimlott, John, ed. ’Guerrilla Warfare’. New York: The Military Press, 1985.
ゲリラ戦で用いられる驚くべき狡猾な論理の分析を、大きな図解と共に記載している。

Prados, John. ’The Soviet Estimate’. New York: Dial Press, 1982.
この本はロシア軍の軍事力を評価している。これによると、アメリカはロシア軍を過大評価している。

Taylor, Charles Lewis, and Jodice, David A. ’World Handbook of Political and Social Indicators’. New Haven: Yale University Press, 1983.
この二巻には世界の国々に関する情報が記載されている。 一般的な読者には向いていないが、素晴らしい著作である。

歴史

Burns, Thomas. ’A History of the Ostrogoths’. Bloomington: Indiana University Press, 1984.
封建的なフィンランド化とその失敗例に関して、この本から引用しようと試みた。

Caesar, Julius. ’The Conquest of Gaul’. Translated by S.A. Hanford. New York: Penguin, 1951
ガイウス・ユリウス・カエサル『ガリア戦記』(近山金次訳、岩波文庫、初版1964年、改版2010年)ほか
来た・見た・書いた。

Fair, Charles. ’From the Jaws of Victory’. New York: Simon and Schuster, 1971.
戦争に関して記載された、偉大な著述の一つである。 スウェーデンのカール12世に関する章の結論は特筆すべきであり、私に大きな影響を与えた。

Ferrill, Arther. ’The Origins of War: From the Stone Age to Alexander the Great’. New York: Thames and Hanson (dist. by W. W. Norton), 1985.
アレクサンダー大王から始まる、戦争の起源について記載されている。 軍事の戦略・戦術について詳しく、この狂気の始まりに理由などない事を知る事ができる。

Gregory of Tours. ’The History of the Franks’. Translated by Lewis Thorpe. New York: Penguin, 1974.
著者が驚くほど、フランクはフランクを殺している。 フランクは多くの名前を持っていた。 それは、キルデベルト, テウデベルト, テウデバルド, キルペリク, ジギベルト, クロドメルである。 この中から新しい子供の名前を見つけてみてはどうか?

Kennedy, Robert F. ’Thirteen Days’. New York: Norton, 1969.
ロバート・ケネディ『13日間 キューバ危機回顧録』(毎日新聞社外信部訳、中公文庫BIBLIO、2001年(元版毎日新聞社、1968年))
キューバ危機に関する、とても個人的な回顧録である。

Machiavelli, Niccolo. ’The Prince’. Translated by George Bull. New York: Penguin, 1961.
ニッコロ・マキャヴェッリ『君主論』(河島英昭訳、岩波文庫、1998年)ほか
「現実的政策の聖書」として記述された。 この小さな本には、多くの標準的な統治の原則が収められている。 その原則はルネッサンス期のイタリアに近いものがあるが、今日でも通用する。

Maenchen-Helfen, Otto J. ’The World of the Huns: Studies in Their History and Culture’. Berkeley: University of California Press, 1973.
この本はアッティラについて記載している。 とても学術的である。

Shirer, William L. ’The Rise and Fall of the Third Reich’. New York: Fawcett, 1950.
ウィリアム・L・シャイラー『第三帝国の興亡』(井上勇訳(旧訳)、松浦伶訳(新訳)、各全5巻、各東京創元社)
血塗られた物語を、恐ろしい程詳細に記述している。

Thucydides, ’History of the Peloponnesian War’. Translated by Rex Warner. New York: Penguin Books, 1954.
トゥキディデス『トゥーキュディデース 戦史』(久保正彰訳、岩波文庫(上中下)、1966年-1967年、復刊1997年、2014年ほか)
長い歴史において、ギリシャ人は自国民同士で戦った。

Tuchman, Barbara W. ’The Guns of August’. New York: Macmillan, 1962.
バーバラ・タックマン『八月の砲声』(山室まりや訳、筑摩書房、新版1986年/ちくま学芸文庫、上下巻、2004年)
第一次世界大戦を勃発させた歴史的出来事と、開戦後の最初の数カ月について記載されている。 良著である。

Ulam, Adam B. ’Russia’s Failed Revolutions: From the Decembrists to the Dissidents’. New York: Basic Books, 1981.

クリス・クロフォード

 クリス・クロフォードは、最先端を行くコンピュータゲームデザイナーの一人である。 「バランス・オブ・パワー」だけでなく、過去には「Energy Czar(資源政府)」「Scram(緊急停止)」 「Eastern Front(東部戦線)」「Excalibur(エクスカリバー)」を制作している。 また1984年に出版された「The Art of Computer Game Design(コンピュータゲームデザインの芸術)」の著者でも知られる。 カリフォルニア州サンノゼ在住。

 この本の原稿は電子形式で用意され、マイクロソフト出版に提出された。 テキストファイルの作成にはマイクロソフトワードが使用された。

 表紙はリッキ・コンラッド・デザイン・カバーによってデザインされ、 イラストはデイビット・シャノン主任印刷技師と クリストファー・バンクスの主任アーティストであるベッキー・ジョンソンによって描かれた。

 高解像度画面はアップル マッキントッシュ プラスによって表示され、アップル レーザーライターによって印刷された。

 フォントはバウアー・ボドニとバウアー・ボドニ・イタリックがマイクロソフト出版で使用された。 また編集にはCCI-400編集システムとマーゲンターラー・ライノトロン202デジタル写植機が使用された。

------------------------------------------------------------------------------
ブックカバー:

バランス・オブ・パワー

「バランス・オブ・パワー」は、上院議会の承認など関係なく、国際政治における一部を抽出している。「ニューヨーク・タイムズ・日曜版」
「バランス・オブ・パワー」は、国際関係の知識をより深めるための、知っておくべきコンピュータゲームである。「ニューズウィーク」

 「バランス・オブ・パワー」とはアップル マッキントッシュ・IBM PC向けの革新的ゲームである。 「バランス・オブ・パワー」は知性と大胆さが融合したエンターテインメントであり、コンピュータシミュレーションであり、 世界規模の政治ゲームである。 プレイヤーは世界的超大国の指導者として指令を出す。 ゲームは現実世界を詳細かつ冷酷に表現しており、プレイヤーの行動によって世界の運命が決定される。 決定される世界の運命とは、平和か全滅かのどちらかである。

 本書にはゲームデザイナーによるゲームの楽しみ方、攻略、地政学における戦略が記載されている。

 すでにゲームを所有しているプレイヤーは、次のように楽しむ事ができる。

*ゲームにおける根本的方法論を知る事によって、よりゲームを楽しむ事ができる。
*このゲームにおける優れたデザインを知る事ができる。

 クロフォードはゲーム開発において詳細な調査を施した。 クロフォードによるクーデター・反乱・フィンランド化・政治的危機の分析と戦略に、震撼せよ。 「バランス・オブ・パワー」はコンピュータゲームデザインにおけるプレイヤーの理解力を向上させる。 現実性に基づいたコンピュータシミュレーションによる挑戦と独自の表現が融合し、未来を予言する。 プレイヤーは未来における地球的瀬戸際政策を知る事ができるであろう。


--------------------------

読者の皆様へ

・新版のお知らせ
・意見、感想、質問
・このページについて

新版のお知らせ

 クリス・クロフォード氏が新規に書き下ろし、当著に加筆した新版をご用意しております。 新版には冷戦終結後の地政学やそれを反映した新しいバランス・オブ・パワーについて記載されており、必見です。 ご興味をお持ちになられた方は、次のメールアドレスまでご連絡下さい。(hannarynあっとまーくlive.jp)

 以下に新版の冒頭部をご紹介致します。

 私が最初にこの本を執筆したのは1986年であった。この版は、その本に加筆した新版である。 ほとんどの章において、30年以上前の出来事に関する古い執筆がそのまま残っており、読者の中にはそういった出来事を知らない人もいるであろう。 レーガンがリビアを空爆した事をご存知だろうか? あるいは、その間にフィリピンにおいて大いなる「人民の力」による革命があった事をご存知だろうか? 読者は自身が知りうる歴史を改訂しなければならない。


意見、感想、質問

 ご意見・ご感想・ご質問等を受け付けております。種類によっては本人に直接お伝えします。 宛先は「新版のお知らせ」のメールアドレスと同じです。


このページについて

 このページは こちらのページを 翻訳し、クリス・クロフォード氏の許諾を得て掲載したものです。


戻る