「百傳 磐余池尓 鳴鴨乎 今日耳見哉 雲隠去牟」
  (巻3-416)大津皇子  

「ももづたふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ」
「いわれの池でずーっと鳴き続ける鴨を 今日を限りに見て あの世へ行こう」

2005.10.4、大神神社境内にて
勝手解釈 
この歌は大津皇子の辞世の歌といわれる。

大津皇子は天武天皇の第三皇子。

その大津皇子が天武天皇崩御の直後、謀反を企てるが、事は密告によりたちまち露見し、皇子は磐余の池で死罪に処せられる。

その際の辞世の歌。
「大津皇子、死を被りし時に、磐余の池の堤にして涙を流して作らす歌一首」と紹介され、標記の歌がある。

*「ももつたふ」=ずーっとつづく、ながくつづく。
*「雲隠りなむ」=死の敬避表現。 


その大津皇子の姉の大伯皇女の歌、
「うつそみの 人にあるわれや 明日よりは 二上山を弟世とわが見む」(巻2-165)
をすでに紹介した。

「天武2年(673年)夏4月の丙辰の朔己巳(14日)に大来皇女を天照大神に遣侍さむとして、泊瀬斎宮に居らしむ。
是は先ず身を潔めて、稍に神に近づく所なり」と「日本書紀」にあるらしいが、
彼女は1年半泊瀬斎宮で潔斎し、13歳で斎王として伊勢神宮へ出立した。
幼くして母を失ったので、二人の姉弟愛は強かったらしい。