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 以下はワタシの自分史。
時間を掛けてゆっくり死ぬまでに仕上げたいな~ 
全ての写真
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 ワタシの記録
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 清水の父母のこと
父宏悦は明治39年(1906)午年生まれとのこと 
  勉強嫌いだったそうな・・・その所為で先々随分生活に苦労している。
  結婚当初は呉服商玉木屋で裕福だったらしいが・・・  
・母すまは彦根の寺村家から嫁いできている。
  昭和12年(1937)に23才で結婚しているようだが、裁縫等よくできたいわゆる良妻だったそうな
・結婚後は玉木屋ののれんを担いで支那で呉服商を営んだとか・・・
  支那では良純が生まれるが、次の弟が生まれるとすぐすまは結核で弟もすぐ死亡。
  死亡後、戦雲怪しくなりおじいちゃんは良純を連れて日本へ帰る。
  宏悦も残務整理(あらゆる財産を没収され)して帰国する。
・宏悦は帰国後職を転々とするが、全て成功せず。
  そんな中でも良純には母が必要と “きよ” と結婚する。(1947年?)
 誕生の頃のこと
・父は近江長岡の吉川家の三男に産まれ、清水栄吉・塩夫婦に養子に貰われたとか・・・
・栄吉は玉木屋という呉服屋を営んでいたとか・・・
・太平洋戦争の前、宏悦・すまは志那に渡りその玉木屋呉服商を営み一財産造ったそうな・・・
・支那の天津で生まれたワタシは1941年生まれてすぐにおじいちゃんおばあちゃんに日本に連れ帰られたそうな・・・
・栄吉・塩は実子がないため宏悦の長男良純を我が子のように溺愛したそうな・・・ 
・栄吉の妹は別府の友永??パン屋に嫁いでいる。
 
 幼少の頃のこと  
・溺愛されて育った彼(?)は幼少の頃は神童と言われ“よしずみちゃん”“よしずみちゃん”と将来を楽しみにされた。 
 
 
 
 
2020.4.30 79才誕生日
 
 
  少年期の頃のこと  
・中学生の頃までは周りも先生も認める「秀才」だった。
・高校に行く頃になって進学か就職かオヤジは迷い、兄の真郎に相談すると「せめて高校くらいはやってやれ」と言われ進学させて貰う。
・そんなオヤジの苦労悩みもよく分からず、貧しいことを親の所為にして随分ぐれてしまった。
・特にアメリカ留学したいと思ったときに、教諭の藤倉先生に「お前の家は貧しいからダメだ」と言われたことで一切勉強することが馬鹿らしくなりグレてしまった。

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吉川家のこと
 吉川家 
近江長岡の庄屋、
日本生命創業の出資者の一人  
長女・きぬ
 近藤家に嫁す(和男・静治・三郎→吉川家へ養子)
次女・つるえ
 春照、的場家に嫁す(正祐・敏子・和男・女・女) 
長男・八郎
 医院開業するも、彦根初の自動車事故死 (子なし)
次男・真郎
 日生専務(子⇒信子・弘・雅子・治) 
三男・宏悦
 宏悦は近江長岡の吉川家に産まれ、清水栄吉・塩夫婦に養子に貰われた・・・
(妻「すま」との間に園子・良純、すま死去後後妻「きよ」との間に和悦・隆司)
三女・ 愛子
 常喜、富田家に嫁す(長男俊彦=日生専務、次男秀彦)