第8話 オーストラリア4/モンキーマイア

目の前に広がる海を眺めていると、僕は少しの間動けなくなっていた。
海岸の岩場に腰掛け、何を撮るわけでもなくカメラを構えたまま、じっと何かが起こるのを待つかのように。
聞こえてくるのは岩にぶつかる波の音。それも穏やかな揺らぎであるために、そして見渡す限りそれ以外に音をたてるものがないために、ひとつひとつの水の撹拌を耳のそばで、若しくは耳の奥で聞いているようだった。
どのくらいファインダーを覗いていたかわからない。シャッターを切ったのは、見下ろす透明な水の中を視界の右から左へとウミガメがゆったりと横切っていった、その後だった。

灼熱の乾燥地帯を走り抜け、それはあっけなく現れた景色だった。あんなにも水分に飢えた環境から一変し、今目の前には果てしなく水がある。その極端なバランスの反転に感動するどころか、なんだこりゃ、と気が抜けてしまった。
なぜすべての生き物はここで生きようとしないのだろうか。
ふと、神様はいるのだろうかと考えた。

数日前、砂漠の真ん中にそびえ立つエアーズロックの頂上にいた。あんな巨大な象徴をもって、あれが神様だ、といわれても何にも感じなかった。
信じる人は信じない人を非難し、信じない人は信じる人を軽蔑する。
信じる人も信じない人も、結局自分の中にいる神様は信じているんだと思う。それは希望とか理想という形になって現れるために、それを人と同じだとは思いたくないのか、自分だけのものにしたいのか。それを神と呼ぶかどうかは自分が決めることなんだ。
この世界に人が一人しかいなければ、神様がいるのかなんて疑問は生まれず、確実にそこにいることになる。
僕がこのオーストラリアの自然を小さなバイクで走りながら見て回って感じた確かなことは、この世界は人がいないところはあまりにも手薄で、時間も距離も曖昧な、まるで映画のセットの裏側のような希薄でむき出しの状態であるということだった。だとするとやはり、人と神と
の関係は深く、また神様は人に関心があるように思えてくる。

 

エアーズロック。この旅が始まる前から、この旅のひとつの目標でもあった場所。何千キロもの距離をバイクで走って到達することには、自力でという感覚が強くともなうはずだった。この地球上においていくつかある特別な場所のひとつとしてあまりにも有名なその岩は、僕らに大きな感動と、またなにかしら心の変化をもたらしてくれるのではと期待を膨らませていた。しかし…
地平線のあたりにそれが見え始め、次第に近付いていくほどにその巨大さを感じつつ、ついに僕らは来たんだと心踊らせていたのに、そこまでもう少しというところで人工的なリゾートタウンに行く手を阻まれたのだ。それはそこに至るまでの厳しい道のりからはかけ離れた存在で、しかしそれ以上近付くためにはそこを通らなければならなかった。
感動から一転、「え、これどっから入んの」「バイクはどこに止める」「チェックインは」などとうろうろしているうちにすっかりそのテンションは下がってしまった。
エアーズロックといえば、アボリジニの聖地でもある。神の象徴であるその場所をパワースポットとしてもてはやす人々もいる。しかし実際はこんなありさまだ。Tシャツと短パンでテラスのリクライニングチェアに横たわり、ビールを片手にエアーズロックの夕焼けを眺めたい人が多いのだろう。きっと、あの岩に杭を打ち鎖をはって登れるようにしたものそういう人達だろう。
僕らもその恩恵を受けてエアーズロックに登った。ここを離れ、エアーズロックそのものに触れれば何かあるだろうと思ったのだ。だがやはり、そこには何もなかった。
それはただの岩だった。上から見える景色もやっぱり地平線だった。
北川も同じように感じていたのか、登る前の盛り上がりは僕らにはもうなく、岩のてっぺんでRIDERを一本吸って降りることにした。それもほんとはいけないんだろうけど、どう見てもそこは聖地として扱われているようには見えず、神様もいるようには見えなかった。

それでも二人の目標地点に到達した喜びをその夜は分かち合った。そのリゾートのキャンプ場でいつものインスタントラーメンに米を入れてすすりながら。
「…北川、別れた後どうするんだ。」
「東海岸まで出て南下するつもりだ。だからもうひと月くらいはかかるだろうな。」
「そうか、俺は西を下ってパースまで帰るよ。そうだあれ、モンキーマイア、『モンキーマイアでイルカ君と遊ぼう!』だな。」
何も娯楽のなかった砂漠ではお互いの冗談が唯一笑いのタネで、といってもホットなネタは旅に関することでしかなく、その中で僕の口癖になっていたギャグが広川太一郎のものまねで『モンキーマイアでイルカ君と遊ぼう!』だった。今思えば何が面白いのかと思うけど、過酷な状況の中でそのお気楽な口調で観光レポートかCMのナレーションというのが、まあ最初はうけていた。『イルカ君いるか〜、なんつって』
「だけど、俺は3月末までに日本に帰れるけど、そっちは4月に入ってからか。学校始まるまでに帰ってくるんだよな。」
「まあな。」
その曖昧な返事のとおり、北川は4回生が始まるまでに帰っては来なかった。その時すでに奴の中で気持ちは決まっていたのかもしれない。予定より随分遅れて日本に帰ってきた北川は大学に退学届を出した。

翌朝荷造りをして早々に出発し、スチュワートハイウェイまで戻ってきた。これからはそれぞれの道を行くことになる。それはこの旅においての一行程でもあり、また振り返れば僕らが出会って今まで共に過ごした時間の分岐点でもあった。
その分れ道の手前で北川は止まって僕に先に行くようにうながした。横に並び、お互いに一言ふた言声を掛け合った後、いつものように走り出した。僕はミラーごしに奴が東へと向かう姿を見送りながら手を振った。

そこから僕は北上して熱帯地方のノーザンテリトリーに入り、そこから西の海岸線を目指して走り、エアーズロックから数日後この海と対面したのだった。
砂漠はまさしく世界の空白と感じられたが、さらに広大な海との境界はこの世界の果てに思えた。
何泊かの野営を経て、いくつかのガイドブックに載っているような海岸の街に立ち寄りながら僕はあのモンキーマイアにたどりついた。野生のイルカがはじめて餌付けされた場所として、また今でもイルカがやってくる砂浜として有名な観光地だった。
人もたくさんいて、冗談で言っていたような楽し気な雰囲気ではあったけど、一人で長く滞在するような場所ではなかった。
砂浜にやってきたイルカと一度だけ遊んで、久しぶりに頭まで水に浸ることができたし、もう十分だと思った。 一人でいると余計にこんな人の多い所にいると心の中には空白が増すように思えた。
そこでは一泊だけして早々に出発することにした。その夜は風が強かったせいか、久しぶりに浅い眠りだった。

 

海岸線は南下するごとに人の気配が増していった。内陸を走っていた頃のような意識の深みに降りていくような感覚が次第に薄れていく。バイクに乗ってはいるけれど、旅の目的からはどんどん離れていくような気がしていた。
それをなんとか戻したくて逆に焦って前へ前へ、もう少し行けばもう少し走ればと距離を伸ばしていくうちに周りは人の住む田園風景に変わっていた。
そこでもう一度来た道を引き返すか、東に向かいもう一度砂漠に入るという方法もあったのに、気がつけば予定より数日早く僕はパースに着いていた。

このXTを購入したバイク屋の近くの安宿にチェックインし、時間には余裕があったのでゆっくりしながらエアチケットのリコンファームやバイクの売却など帰国の準備を進めた。そんな時間がこの旅に必要だったのか、いや多分あの海岸に出た時にすでに旅は終わっていたのだと思う。
北川はどうしているだろうか。まだ走っているんだろうな。モンキーマイアへ奴も行くだろうか。
二人でバイクを買いに行ったバイク屋がつぶれてなくなっていて、別のバイク屋に相談すると、がたがたのロバ君もあっさり売れてしまった。
出発した頃は乾期のまっただ中だったのが、2ヶ月が過ぎ季節はもうすぐ雨期に差しかかろうとするところ。同じ場所へ戻ってきたとはいえ過ぎ去った時間の隔たりに遠さを感じる。走行距離も1万キロを越えていたから、今の僕にはここはパースから1万キロ離れたパースなんだ。

 

帰国前の数日パースで過ごしたせいで、帰国後あの砂漠での感覚はなんだか薄れてしまっていた。安宿で出会った世界中から集まる連中たちとのやりとりが、なぜだか頭の中をぐるぐる回っていた。
手をつけていなかったフィルムの現像をしたのは、数日ぼーっとした後だった。最後のフィルムをオリンパスペンから抜き出し数えてみると、撮影したのは全部で5本とちょっと。ハーフサイズのカメラだから枚数でいうと10本分くらいか。2ヶ月で10本かよ。いったい何を撮って来たんだ。
これで卒業制作や、あわよくば自費出版で本を作ろうというのだから、よほどの確率で撮れていなければどうしようもない。またペンという機材やフィルムの選択が正しかったのかどうか。
しかしそんな不安に反しそこに写っていたものは、僕の期待を超えるものだった。 あの光が写っていた。確かにそこに僕が写っている。コンタクトシートを見ながら蘇ってくる感覚
。その時どこにも捨てカットなど見当たらなかった。
ああ…、あの気が遠くなるほど遠い地平線が恋しい。なぜあの時、戻らなかったんだ。

自宅の暗室で独り、僕は呻いた。

……つづく

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