割れたゲルニカ
見た瞬間、思わず息を呑んでしまいました。
プライベートスペースの廊下に飾っていたゲルニカが、落ちて割れていたのです。

ガーン・・・

新婚旅行のスペインで、ガウディのサグラダファミリアと同じぐらい見たかったゲルニカ。
午後のツアー日程をわざわざキャンセルして自分達だけで見に行ったゲルニカ。
オットは『陰気な絵で好きじゃない』と、あまり興味がなかったようだけど、そんなオットはほっといて(新婚旅行なのに、おいっ)私はホンモノを前に、伝わる強い気持ちに圧倒されて、ずっと見ていたかったゲルニカ。
なぜ、ゲルニカだったのか。


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大学でドイツ学科だった私は、文化実習で訪れたドイツで強制収容所跡と隣接する資料館に行ったことがあります。
資料館の資料は、テレビや本で見かけたもの達で、悲惨ではあったものの、それよりも心に残ったのは実際の施設を見た時でした。

血が流れてもわからないように、赤く塗られた床。身長を計っている最中に、後頭部を銃で打ち抜くために目もりの真中が開いている身長計。死体を焼いた焼却炉。今思い出しても、喉の奥がひっくりかえってくるようなこの感覚。

施設から資料館までの広場を雪を踏みしめ歩いている時、ほんの数十年前、実際に迫害されていた人たちが今まさにこの同じ平原を歩いたのだと思うと一歩一歩が地面に吸い付くように重く感じました。
・・・後から後から降り積もる雪だけは変わらず、過ぎ去った時の中でいつも同じで、そしてこんなに美しいのに・・・・。
雪で周りの音を奪われた雪原はとても静かで、私はそこにたった一人でいるような気がして、数十年前にそこを歩いた誰かがすぐ側にいるような気配を感じながら歩いたのです。

はしゃいでいた私たちも、帰りのバスでは水をうったように静かになり、誰もがこの楽しい遠足のような旅で初めての歴史が刻んだ暗い影をひしひしと感じていました。

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ゲルニカを見ると、この絵を描いたピカソの怒りや悲しみ・不条理さと、あの時の自分の心が共鳴するような気がして、どうしてもひきつけられるのです。

ただしやっぱり暗い絵であることは確か。いつか建てる家用には、あまり大きくない、そっと飾れるものを買って帰ろう・・と思って買い求めたのが、今回割れたゲルニカだったのです。

見るたびに、ホンモノのゲルニカを見た時の衝撃を思い出させたプレート・・・






・・・結構したのに・・・・・(涙)