

我輩は猫である。名前はみいたろう。それほど猫好きでもない主人が「野良(のら)」だった我輩をある日自宅に連れ帰ったのでここにいる。
「もし猫に監視カメラや盗聴器がしかけてあったらさぞ面白かろう。」そういうことを初めて大まじめに小説のテーマにしたのは、かの夏目漱石であるが、彼も神さまが本当に猫を使って、家族を見守っているとは知らなかっただろう。
我が家の主人も、漱石先生よろしく何事も深く考え込む性質(たち)ではあるが、意外に決断も行動も素早く、結果も大して気にしていないようだ。繊細なんだか豪快なんだか、とんとつかみどころがない不思議な人物だが、研究対象としては実に興味深い。
我家では「夜の町で飢えて鳴いていた憐れな子猫をこの家に連れて来た」ことになっているが、正確には我輩がこの家に派遣されたのだ。我々の任務をうまくやるためには、飼い主を優位に立たせて無防備にする必要があるので、主人や家族が紡ぐ物語の中の配役になりきることも仕事のうちなのだ。
あの日の夜のことを少し話そう。我輩は駐車場の主人の大型四駆の後部タイヤの影に身を隠して、彼が職場から出てくるのを待ちかまえていた。自動車の鍵を開けて乗り込むまでのわずかな時間に、注意散漫な彼が我輩に気づけるように絶妙のタイミングで近づいた。自分で言うのもなんだが、今は狸と見紛う大きさになってしまったが、当時は掌サイズのかわいい子猫だった。白い短毛にブルーの目、顔立ちも悪くない。普通はそんな当時の我輩のような外見的要素を整えていれば、やさしく声をかけたり、抱き上げたりするものだが、彼の反応は予想外だった。
主人は我輩を一瞥すると、手を触れようともせず、一緒に出てきた同僚にこう言った。「このまま放って帰れば、コイツは明日の朝は確実にアスファルトの上でミンチになっとるなあ。どうしたもんかなあ。○○さん、連れて帰らんか?」「うちはムリムリ」とすかさず同僚の声。ここでOKなら我輩はその同僚の家で過ごすことになっていたわけだ。
任務を全うするために、主人のことを上目づかいで見つめて、生まれてから一度も発したこともないような甘く切ない声をあげてチャンスをうかがった。
主人は何も言わずに我輩を抱き上げ、何を思ったか自分の肩の上にのせた。我輩は取りあえず最初の任務を果たせた安心とこの主人に対する不安とに包まれながら、取りあえずハンドルを切る右の肩にしがみついていた。(つづく)