波紋の時間


杉山優子



 人は初めて目にする美術作品を前に立ち止まる時、作品の形態や色彩のもつ意味とむかいあおうとする。さらに、作品が何故この場に存在するのか、どのようにしてこの場を獲得しえたのかということにも興味をもち、思いをめぐらす。人がその作品と出会う瞬間だ。その時作家はすでに、その内面にとらえた展示風景のイメージの中を、たった一人で歩行している。出会いは偶然に起こるものではなく、人間の真摯な思考や興味の先に選択された、時間と場所をひきうけた表現である。作家によってひとつひとつの出会いの場が仕掛けられること、この、京都府下の農村地帯の町で、現代美術と出会うということも、また偶然ではない。
 美術館や画廊などの美術の展示の場として用意されたところでは、季節の移り変わりのように決まったサイクルで、表現との出会いの場が生み出される。今日、このような既成の表現の場を出て発表する試みは珍しいことではないかもしれない。しかし、たとえそれらの試みと同様の出来事だと思われたとしても、第4回大堰川野外彫刻展の根底に流れていたものは、展覧会が社会の中でひとつの仕組みとしてありながら、実際には、すでに存在する社会通念としての展覧会であることを拒否するような美術であり続ける意志であり、その為のいわば禊(みそぎ)を自らの作品に受けさせる特異な展覧会であったように思う。それは、出会いの場としては、少々ぎこちないものであったり、それとは気づかないものであり、必ずしも成功のみをめざした試みではなく、作家がたった一人でとまどいの風景の中に立つ時のありようを示すことから始まっていたのである。。その態度は美しい。日常は、あるがままにそれらの作品をうけとめていたのである。
 出品者の一人である林剛の作品が目の前に現れた時の第一印象は、町との親和力の強さである。それまでの大堰川野外彫刻展は、大堰川の河川敷に広がる公園内を展覧会場としていたが、第4回展は、駅から公園に通じる商店街の道へも場所を広げていた。公園内に設置された林作品も、樹木や河川敷にリズミカルに不思議な風景を作り出していたが、何と言っても商店の壁や、沿道の角に、花壇の植え込みの中に設置された、看板状の回転体は、この町のもつ、一見のんびりとした日常に光を放ち、朗らかに立っているように見えた。日常の視点から、作品がありのままに見据えられて、尚、楽しむ術を、林剛は知っていたのだろう。「や」、「ぎ」、「か」、「し」などの黒一文字が描かれた作品の表面を見ているうちに、いつしか私は、こちら側の世界に存在する作品の、あちら側からこちら側を見ているような気持ちになっていた。林の作品は、作品の設置によって、場所を異化させることはない。日常生活の場に、直接働きかける力を仕掛け、元からそこにねむっていた磁場を呼び起こす。それまで見えていなかった光と影が、あたりまえのように形を現してくる。
 林自身、前年の野外彫刻展を見る為にここを訪れている。それは、公園内の展示を見るにとどまらず、駅前の風景や、この場に流れる時間、ここに住む人々の表情からうかがい知る暮しの重みを感じとるに、十分な訪町であったと思う。それならば、その時すでに、彼はこの町を選んでいたのだろうか?自らの仕掛ける出会いの場の為に。その時、林剛の目には、この町がどのように映っていたのだろうか?そういった素朴な疑問が沸いてくる。私が感じた強い親和力も、作品が示す林剛の立ち止まる時間が、場に与えていた重力のようなものかもしれないのである。林作品に感じられたそのような時間性は、他の出品作品にも見られる「質」である。この「質」は、作家が時間というものをテーマとして選択したということではなく、作家個人が時間とむきあう態度のようなものである。それは作家個人の時間と、個人である観者の時間が交差するところに表現の場を生み出すための成立条件であった。私達は、個人の時間の中で、作品を前にしたならば、作家と同様にたった一人で歩行を始めなければならない。ハメルーンの笛吹き男のように、先頭を行く者は、後をついて行くだけの者の意志も感情をも消して、何もない場所へと導いているかもしれないのだから。
 このように、私にとってさまざまな問題を投げかけ、波紋を残した第4回大堰川野外彫刻展は、作家個々人が、時間の重さを空間に投じて独自の社会性をかち得たまれなる試みであった。驚くべきことに、総予算ゼロで、作家個人が「ここ」に立っているということ以外、おおよそ展覧会を開催できるような安定基盤の何も無いところで成立しえた表現であったことは、今もって興味深い事実である。(2001年11月7日)