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| 本尊「阿弥陀如来座像」についての伝承 |
日本書紀の第十九の巻に、欽明天皇十四年(553)「夏五月、茅渟の海(大阪湾)の海中に、雷のような音を出して、光輝くものがある。天皇はあやしんで臣の溝辺直に命じて海上を探させると、クスの大木の輝くのを発見した。天皇は感じて仏師に仏像二躯を造らせた。今、吉野寺に光を放つ樟木の像なり」とあります。
平安初期の、「日本霊異記」にも霊木から造った仏像が飛鳥の豊浦堂に祀られました。しかし、渡来仏教をめぐって物部氏・蘇我氏の戦乱でお堂は焼失しましたが、仏像は難をのがれ当寺に安置されました。
また、今昔物語では、「ひそかに稲の中に隠したれば、現光寺を窃寺というなり」と記しています。
この、阿弥陀如来の座像は、クスの一木造りで座高145センチ、お顔の長さが35センチ、面長でほほえむやさしい表情、耳たぶが長く、なで肩の仏像であり、明治24年に国の重要美術品に指定されています。
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| 木造十一面観世音菩薩立像について |
「日本書紀」や「聖徳太子伝暦」によると、『推古天皇三年(595)三月、土佐の南海に夜な夜な大いなる光があり、翌四月に淡路島に長さ八尺、太さ一抱えもある大木が漂着した。これを拾った漁師が薪と一緒にかまどに焼くと、すばらしい芳香を放ったので都へ献上してきた。
これを見た太子は、「この木は天竺国の南海の岸に自生する栴壇という香木からできた沈水香という霊木です。陛下が仏教を興隆しようとされているのに感応して、釈迦・梵天がはるばる送られてきたのでしょう。」と天皇に奏上した。そこで天皇はこの香木で百済の工に観音像を彫らせ、吉野の比蘇寺に祀った。この像はときどき光を放った』と、記されています。
平成十七年、「古密教特別展」に奈良国立博物館へ出展。翌年、県文化財に指定されました。 |
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| 聖徳太子十六才孝養像について |
高さ1メートル、寄木造り、金泥彩色の孝養像で柄香炉を持っています。御父用明天皇が病気になられ、日夜傍らに侍して看病、食事を供された上、香炉をささげて平癒を祈られた故事によるものです。頭髪を「みずら」に結び、体に袍を着たうえに袈裟をかけ、沓をはき、右手を前に左手をその後に添えて柄香炉を持っておられるお姿です。
明治24年7月23日、国の重要工芸品に指定されています。
この他に、文殊菩薩、毘沙門天、役行者などをお祀りしております。
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