舒明(じょめい)天皇は大化の改新(たいかのかいしん)を行った天智天皇(てんじてんのう)や、天武天皇(てんむてんのう)の父親にあたります。先代(せんだい)の推古天皇(すいこてんのう)がなくなったとき、後継ぎ(あとつぎ)が決まっていなかったために、次の天皇をだれにするか意見が分かれました。その中で天皇になったのが舒明天皇でした。舒明天皇は、最初(さいしょ)の遣唐使(けんとうし)を送り、また唐(とう)からも人が来ました。その結果(けっか)、聖徳太子(しょうとくたいし)がすすめた仏教文化(ぶっきょうぶんか)が広まりました。
舒明天皇陵は、外鎌山(とかまやま)の山麓(さんろく)から南に延(の)びる尾根(おね)の先端(せんたん)に築(きず)かれた上八角下方墳(じょうはっかくかほうふん)です。
全体の大きさは南北(なんぼく)で約(やく)80m、東西(とうざい)で約110mで、当時(とうじ)としては最大級(さいだいきゅう)の規模(きぼ)です。