岡田虎二郎(おかだ とらじろう)(1872〜1920)は明治5年に田原藩士岡田宣方の子として田原に生まれ、高等小学校卒業後、農業に従事し、渥美郡農業主事となります。その後、彼の目指すところは人間の心身開発へと向かいます。30歳で単身渡米し、3年後に帰国、人間本来の自然体形と呼吸法を基とした静坐法を創案し、自身一変して堂々たる体躯となりました。35歳で上京し、キリスト・釈迦・孔子・ソクラテス・二宮尊徳の精神を師とし、親鸞の信仰を心とし、静坐法を形として、日本人の心身開発に力を尽くし、皇族・軍部・政治家・大学・会社の中心層の名士から庶民まで、一世を風靡し、これに帰依する者、1万人に及んだと伝えられています。田中正造・木下尚江などをはじめとして多くの人が虎二郎を偉大な人物として称賛しました。一週間に77会場で指導し、一日の睡眠は3時間で、日曜祭日も休まず、惜しくも大正9年、49歳で、逝去され、田原蔵王墓地に葬られました。岡田虎二郎は、書いたものは誤って読まれることがあると言って、著書も出さず、日記も残しませんでした。今では「忘れられた思想家」となりましたが、田原には出身地であることで、田原静坐会があり、発足して95年が経ち、多くの関係者が資料を持ち寄り、「春堂文庫」としてまとめられています。(田原市博物館のホームページから)
 
詳しくは森信三全集第23巻へ。(臂 繁二)