宗 不旱(そう ふかん)
1884. 5.14(明治17)
1942. 5.29(昭和17)
◇歌人。本名は耕一郎。(私立PDF図書館より)
宗不旱(そう ふかん)
 鹿本町出身で熊本の生んだ最大の歌人である。大陸放浪十年の間に培われた東洋の詩魂は、生来の反骨と相成俟って名利を付け、作硯を業として貧に堪えながら各地を漂泊し短歌を生命として自己の世界を深め、やがて日本歌壇に硯工不旱の名を高くした「筑摩鍋」と「茘支」はその歌集である。昭和17年5月末阿蘇内牧を出た後消息を絶ち、この山中で息を引きとった。終焉の地は、下方1.3kmの所にある。 (熊本県菊地郡旭志村のホームページから)
 
宗 不旱
明治17年(1884)、熊本市生まれ。本名耕一郎。
朝鮮、中国、台湾を10年にわたり放浪し、その間硯を作る技術を覚え、路傍で硯を作りそれを売って生活の糧としていた放浪の歌人。歌風は格調高い万葉調のもので「筑摩鍋」「?支」の二つの歌集を残している。生涯放浪をつづけ、昭和17年、阿蘇・内牧の宿を出て消息を絶った。 
 
宗不旱終焉の地 ( 熊本県 > 玉名・山鹿・菊池 )
昭和初期の詩人宗不旱が阿蘇より鞍岳越えで故郷に帰る際、道に迷い、谷川のあたりでたおれ一生を終ったところで記念碑がある。 
所在地 〒869-1201熊本県菊池市旭志麓 (おでかけガイドのホームページから)
 
詳しくは森信三全集第23巻「わが尊敬する人々」参照してください。(臂 繁二)