メルヘン学こぼれ話 U.

Some Topics of the Study for Folk- and Fairytales No.2 



★グリム童話「いばら姫」の語り手はフランス系の人だった!
    グリム童話   「いばら姫」  (KHM50)


  グリム童話には、ドイツ民衆のあいだに伝播した民話が収められているかのように 思われてきましたが、最近の研究によると、どうやら必ずしもドイツの真正の民間伝承が収められ ているとは言い切れないようです。 
『 い ば ら 姫 』 『いばら姫』の語り手
マ リ ー (20歳)
Copyright (c) TAKEHARA Takeshige, 1993   
不許複製・閲覧のみ可  竹原威滋 (c) 1993   



  グリム兄弟は、「メルヘンは民族の心からひとりでに.生まれてくる自然文学である」と考え、作家の書いた 創作文学とは区別しました。そして初版(1812年)の序文において「少数の例外を除いて、すべてはヘッセンと私達の 生まれた、伯爵領ハーナウのマイン川とキンチヒ川地方で、口伝えによって集められました」と述べています。
  グリム童話には、読み書きができない素朴なドイツ民衆のあいだに伝播した民話が収められているかのように 思われてきましたが、最近の研究によると、どうやら必ずしもドイツの真正の民間伝承が収められているとは言い切れないようです。 グリム兄弟は出版後、民話の原資料を破棄しましたので、当時はグリム童話の個々の話は誰によって語られたのか分かりませんでした。
  ところが、グリム兄弟の没後、その手掛かりになる資料が二つ明らかになりました。その一つはグリム兄弟が知人の 作家ブレンターノの求めに応じて1810年に送付した、約50話の聞き書きメモです。ブレンターノは借りた資料をもとにして 創作メルヘンを書こうと意図していたようです。このメモ資料が後年ブレンターノの死後、遺作原稿などとともに偶然発見されました。 もう一つはグリム兄弟自身が所持していた初版本です。そこにグリム兄弟は密かに語り手の名前や聞いた日付などをメモしていたのです。
  さて、つむに刺されて百年の眠りにつき、王子のキスで目覚めた「いばら姫」の語り手は誰だったのでしょうか?  いばら姫の聞き書きをしたのは、兄のヤーコプで、話のあとに「口伝えによる。この話はペローの『眠れる森の美女』に 由来しているらしい」とメモしています。一方、グリム兄弟が所持した初版本には、テキストのあとの余白に「マリーさん から」とメモされています。細かい立証は省きますが、このことから、いばら姫を語ったのは、当時22歳の、ハッセンプ フルーク家の長女マリー嬢であることが突き止められました。
  マリーの母親は、フランスから亡命してきたユグノー教徒の子孫で、フランスの精神で育てられた教養人 だったのです。しかも父親はカッセルの知事でした。グリム兄弟は自分のメルヘン観を主張したいがために、あえて語り手を 明示するのを伏せていたのです。だからといって、グリム童話の素晴らしさが否定されるわけではありません。
  弟のヴィルヘルムは初版から第七版(1857年)に至る過程で「口伝えのメルヘン」に、少しずつ手を加えて、 「読むメルヘン」に仕立て上げました。マリーの原話に肉づけする際に、ペローに依りながらも、巧妙にドイツ風に変える 手法は見事です。たとえば、原話では「お城の中のものは、みんな、壁の蝿(はえ)までが眠り始めました」とあるのを、 初版において、馬小屋の馬、屋根の鳩、庭の犬、かまどの炎、焼き肉、コックと小僧や女中にまで言及しています。 しかし、その際フランスの宮廷料理「うずらや、雉(きじ)肉のいっぱい刺さった焼串」というのを、単にドイツ風の 「焼き肉」に変える工夫をほどこしています。
  もちろん、マリーの原話から逸脱している箇所もあります。たとえば、子供に恵まれない王妃に、 子供が生まれると予言する動物が、二版までは「ざりがに」ですが、三版以降は「蛙」に変えています。おそらく、 『蛙の王様』の影響で、子供たちになじみのある蛙に変えたのではないでしょうか? 原話の「ざりがに」のモチ ーフは、ペローの『童話集』にはありませんが、マリーはおそらくオーノワ夫人の『妖精物語』の「森の雌鹿」の 冒頭部分を混同して採り入れたのではないかと思います。
  その話でも、王妃が泉のほとりにすわって、子供のできないのを嘆いていると、一匹の「ざりがに」が やって来て、王女誕生を予言しています。結末句は、マリーの原話では「ふたりは結婚しました。もし、 ふたりが死んでいなければ、まだ生きています」という謎めいた文になっていますが、これこそがドイツの伝承 メルヘンの典型的な結末句なのです。
  ところが、初版ですでに「そしてふたりは死ぬまで、幸せに暮らしました」という平凡な文に改変して います。このようにして、グリム兄弟は、原話の口承性をいくぶん弱めましたが、その代わり、文芸性豊かなメルヘンを 形成したともいえるでしょう。(1993年10月8日付『奈良新聞』文化欄より)





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