書評
   竹原威滋著『グリム童話と近代メルヘン』
Book Review:
Takeshige Takehara; Grimm's Maerchen und das Moderne Volksmaerchen
『週刊読書人』 (2006年10月13日号) 書評 
  
★世界の民間伝承を視野に
  -  いくつかの課題を投げかけてくれる   
石井 正己
  (東京学芸大学 教授)  
  発刊から二世紀を迎えようとしているが、『グリム童話』は今なお世界で最もよく読まれている童話集である。日本では、数年前の初版の翻訳を契機に、「本当は恐ろしいグリム童話」のような類書が続出し、一大ブームが起こった。それに対して、本書は学術的な立場から、さまざまな文化圏の民間伝承と比較して、『グリム童話』の持つ性格を明らかにしようとしている。
  その結果、見えてきたのは、やはり驚くべき事実であった。『グリム童話』は五〇年近くの間に何度も書き換えが行われ、次第に変質していった。その過程でグリム兄弟が擦り込んだのは、当時の市民階級に期待された倫理観や家庭像であった、とする。『グリム童話』は国民国家を形成するための「近代メルヘン」を創造したので、広く諸外国で迎えられたのだとも述べる。
  全体は四章からなるが、「蛙の王さま」は、約束したことや結婚前の純潔は守らなければならないという価値観が擦り込まれている。また、「眠り姫」の話型群は、ラテン系の話では秘密婚型や不倫型、ケルト系の話では重婚型だったが、「いばら姫」「白雪姫」は結婚で終わるハッピーエンド型に改めた。あるいは、「橋の上の宝の夢」はアラビア系の話だったが、ヨーロッパ各地に著名な橋の伝説として定着した。さらに、「小びとの贈り物」の類話はヨーロッパ・中近東・中国・日本に分布し、東西の民間伝承がシルクロードでつながっている。
  こうした論証を挙げるだけでも、それぞれが『グリム童話』『グリム伝説集』を起点にして、世界の民間伝承を視野に入れて論じられていることは明白である。大阪市立大学から博士号を授与された論文が基礎になっているが、その成果を一般書として普及させようとしたところに、果敢な挑戦があったにちがいない。重厚な論述であるが、その間に挿入された図版とキャプションが適度な息抜きになっている。
  しかし、『グリム童話』を「近代メルヘン」と規定する仮説は、なお検討されるべき課題として残る。すでに触れたように、本書の後半になると、説話の比較そのものに重点が移り、この仮説への言及は希薄になってゆく。むしろそうした検証にこそ、フィンランド学派以来の歴史・地理学的方法の豊かな蓄積と達成を見ることができるようにも思われる。だが、話題が話題だけに、巻末に梗概の独訳または英訳を載せて、世界的に進む研究の批判に答える必要もあったはずである。
  さらに言うならば、『グリム童話』が国民国家のためのテクストだとするならば、そうした枠組みが限界を迎えている現代社会において、その是非が問われかねないことになる。そうしたことを考えると、これからの国際社会の相互理解に役立つのは、むしろ本書が取り上げたような民間伝承ではないか、と思われなくもない。『グリム童話』の功罪が問われねばならない時代に来ていることを思えば、いくつかの課題を投げかけてくれる貴重な一冊である。
            (いしい・まさみ氏=東京学芸大学教授・日本文学専攻)
  ★たけはら・たけしげ氏は奈良教育大学教授・ドイツ伝承文学専攻。大阪市立大大学院修士課程修了。著書に「世界の龍の話」「グリム 白雪姫 初稿付対照テキスト」「東吉野の民話」「奈良市民間説話調査報告書」(以上編著)など。一九四四(昭和19)年生。
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