吉外井戸のある村
M'S CLINICAL SOCIOLOGY
とんでも男爵の生活と意見(超哲学者マンソンジュの憶見と誤謬)
くさいニッポンの私
二人のノーベル賞作家、故川端康成氏と大江健三郎氏がそれぞれ『美しい日本の私』『あいまいな日本の私』という、形容詞がどこに掛かるのかわかりにくい本を書いた。
それらに続く第三弾というわけでもないのだろうが、怒る哲学者・中島義道氏が『うるさい日本の私』という本を出している。私はこれらにさらに続けて『くさいニッポンの私』を出版したいと考えている。
生物はすべて、それぞれの生活世界というところに棲んでいる。犬には犬の、ノミにはノミの世界というものがあって、そこに棲んでいる。人間の世界も、それらに比べて立派なように見えるが、あくまで人間にとっての生活世界にすぎない。
人間は理性というものを持っている唯一の生物だ、ということになっているが、そんなに大したものではない。生活世界への適応の一変態がそう呼ばれているにすぎないのだ。
なぜこんな話を持ち出したのかというと、人間の嗅覚の軽視を指摘したいからだ。以前はそんなことはなかったのであるが、現代人における嗅覚の軽視には看過しがたいものがある。
世に五感と言われるものがある。視覚、触覚、味覚、聴覚、それに嗅覚だ。先の中島氏の『うるさい日本の私』がこのうちの聴覚に焦点を合わせたのであれば、私のテーマは嗅覚だ。
あなたは近頃、世の中がくさいと思わないか。
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